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title: "長阿含經 · 11 增一經"
description: "長阿含經是佛教原始經典四阿含之一，由後秦時期譯師佛陀耶舍與竺佛念共同譯出。該經成書於公元前1世紀左右，屬早期佛教根本聖典，記載了佛陀與弟子們的言行教法。全經共30卷，分為四分，主要內容包括佛陀生平、教義闡述、修行方法及宇宙觀等，系統性保存了原始佛教的基本教理。作為漢傳佛教重要典籍，長阿含經被視為研究原始佛教思想的核心文獻，在佛教經典體系中具有不可替代的權威地位，對後世佛教發展影響深遠。"
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### （一一）佛說長阿含第二分增一經第七

> 増一経第七

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛在舍衛國祇樹給孤獨園，與大比丘眾千二百五十人俱。

> ある時、お釈迦様は舎衛国の祇園精舎におられました。そこには、千二百五十人の大比丘（すぐれた修行僧）たちが共に集まっていました。

爾時，世尊告諸比丘：「我與汝等說微妙法，上中下言，皆悉真正，義味清淨，梵行具足，謂一增法也。汝等諦聽！善思念之！當為汝說。」

> その時、世尊は比丘たちに告げられた。 「私はあなたがたに微妙な法を説きましょう。 初めから終わりまで、すべて真実であり、 意味は清らかで、梵行は完全に備わっています。 それは『一増の法』と呼ばれるものです。 よく耳を傾け、心に留めておきなさい。 今からあなたがたのために説きましょう。」

時，諸比丘受教而聽。佛告比丘：「一增法者，謂一成法、一修法、一覺法、一滅法、一證法。云何一成法？謂不捨善法。云何一修法？謂常自念身。云何一覺法？謂有漏觸。云何一滅法？謂有我慢。云何一證法？謂無礙心解脫。

> 時に、比丘たちは教えを受け、耳を傾けた。仏は比丘たちに告げられた。 「一増法とは、一つの成法、一つの修法、一つの覚法、一つの滅法、一つの証法を指します。 一つの成法とは何か。それは善い行いを捨てないことです。 一つの修法とは何か。それは常に自らの身を観察することです。 一つの覚法とは何か。それは煩悩に触れることです。 一つの滅法とは何か。それは自我への執着です。 一つの証法とは何か。それは何ものにも妨げられない心の解脱です。」

「又有二成法、二修法、二覺法、二滅法、二證法。云何二成法？謂知慚、知愧。云何二修法？謂止與觀。云何二覺法？謂名與色。云何二滅法？謂無明、有愛。云何二證法？謂明與解脫。

> また、二つの成法、二つの修法、二つの覚法、二つの滅法、二つの証法があります。 どのようなものが二つの成法ですか？それは、慚（自らを恥じる心）と愧（他者を恥じる心）を知ることです。 どのようなものが二つの修法ですか？それは、止（心を静めること）と観（真理を観察すること）です。 どのようなものが二つの覚法ですか？それは、名（精神的なもの）と色（物質的なもの）です。 どのようなものが二つの滅法ですか？それは、無明（根本的な無知）と有愛（存在への執着）です。 どのようなものが二つの証法ですか？それは、明（智慧の完成）と解脱（束縛からの解放）です。

「又有三成法、三修法、三覺法、三滅法、三證法。云何三成法？一者親近善友，二者耳聞法音，三法法成就。云何三修法？謂三三昧：空三昧、無想三昧、無作三昧。云何三覺法？謂三受：苦受、樂受、不苦不樂受。云何三滅法？謂三愛：欲愛、有愛、無有愛。云何三證法？謂三明：宿命智、天眼智、漏盡智。

> また、三つの成法、三つの修法、三つの覚法、三つの滅法、三つの証法があります。 三つの成法とは何でしょうか。 第一に、善き友に親しむこと。 第二に、法の教えを耳で聞くこと。 第三に、法を法として成就することです。 三つの修法とは何でしょうか。 三つの三昧、すなわち空三昧、無想三昧、無作三昧のことです。 三つの覚法とは何でしょうか。 三つの受、すなわち苦受、楽受、不苦不楽受のことです。 三つの滅法とは何でしょうか。 三つの愛、すなわち欲愛、有愛、無有愛のことです。 三つの証法とは何でしょうか。 三つの明、すなわち宿命智、天眼智、漏尽智のことです。

「又有四成法、四修法、四覺法、四滅法、四證法。云何四成法？一者住中國，二者近善友，三者自謹慎，四者宿殖善本。云何四修法？住四念處：比丘內身身觀，精勤不懈，憶念不忘，捨世貪憂；外身身觀，精勤不懈，憶念不忘，捨世貪憂；內外身身觀，精勤不懈，憶念不忘，捨世貪憂。受、意、法觀，亦復如是。云何四覺法？謂四食：摶食、觸食、念食、識食。云何四滅法？謂四受：欲受、我受、戒受、見受。云何四證法？謂四沙門果：須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果。

> また、四つの成法、四つの修法、四つの覚法、四つの滅法、四つの証法があります。 四つの成法とは何でしょうか。 第一に、正しい国に住むこと。 第二に、善き友に親しむこと。 第三に、自ら慎み深くあること。 第四に、過去に善い行いを積んできたことです。 四つの修法とは何でしょうか。 四念処に住することです。 比丘は内なる身体を身体として観察し、精進して怠らず、心に留めて忘れず、世の貪りや憂いを捨てます。 外なる身体を身体として観察し、精進して怠らず、心に留めて忘れず、世の貪りや憂いを捨てます。 内外の身体を身体として観察し、精進して怠らず、心に留めて忘れず、世の貪りや憂いを捨てます。 受、心、法についての観察も、同様に行います。 四つの覚法とは何でしょうか。 四つの食のことです。 摶食（物質的な食物）、触食（感覚の接触）、念食（意思や願望）、識食（認識作用）です。 四つの滅法とは何でしょうか。 四つの執着のことです。 欲への執着、自我への執着、戒律への執着、見解への執着です。 四つの証法とは何でしょうか。 四つの沙門の果てのことです。 預流果（煩悩を断ち、聖者の流れに入る）、一来果（一度だけ人間界に戻る）、不還果（再びこの世に戻らない）、阿羅漢果（完全な悟りを得る）です。

「又有五成法、五修法、五覺法、五滅法、五證法。云何五成法？謂五滅盡支：一者信佛、如來、至真，十號具足。二者無病，身常安隱。三者質直無有諛諂，真趣如來涅槃徑路。四者專心不亂，諷誦不忘。五者善於觀察法之起滅，以賢聖行盡於苦本。云何五修法？謂五根：信根、精進根、念根、定根、慧根。云何五覺法？謂五受陰：色受陰，受、想、行、識受陰。云何五滅法？謂五蓋：貪欲蓋、瞋恚蓋、睡眠蓋、掉戱蓋、疑蓋。云何五證法？謂五無學聚：無學戒聚、無學定聚、慧聚、解脫聚、解脫知見聚。

> また五つの成法、五つの修法、五つの覚法、五つの滅法、五つの証法があります。 五つの成法とは何か。それは五つの滅尽支です。 第一に、仏・如来・至真の十号をそなえた方を信じること。 第二に、病なく、身が常に安穏であること。 第三に、質直で諂うことなく、真実に如来の涅槃への道を歩むこと。 第四に、心を乱さず、経典を誦して忘れないこと。 第五に、法の起こりと滅びをよく観察し、聖なる行いによって苦の根本を尽くすこと。 五つの修法とは何か。それは五根です。信根、精進根、念根、定根、慧根です。 五つの覚法とは何か。それは五つの受陰です。色受陰、受受陰、想受陰、行受陰、識受陰です。 五つの滅法とは何か。それは五蓋です。貪欲蓋、瞋恚蓋、睡眠蓋、掉戯蓋、疑蓋です。 五つの証法とは何か。それは五つの無学聚です。無学戒聚、無学定聚、無学慧聚、無学解脱聚、無学解脱知見聚です。

「復有六成法、六修法、六覺法、六滅法、六證法。云何六成法？謂六重法。若有比丘修六重法，可敬可重，和合於眾，無有諍訟，獨行無雜。云何六？於是，比丘身常行慈及修梵行，住仁愛心，名曰重法，可敬可重，和合於眾，無有諍訟，獨行無雜。復次，比丘口慈、意慈，以己供養及鉢中餘，與人共之，不懷彼此。復次，比丘聖所行戒，不犯不毀，無有染汙，智者所稱，善具足持戒，成就賢聖出要，平等盡苦，正見及諸梵行，是名重法，可敬可重，和合於眾，無有諍訟，獨行不雜。

> また、六つの成法、六つの修法、六つの覚法、六つの滅法、六つの証法があります。六つの成法とは何でしょうか。それは六つの重法のことです。もし比丘が六つの重法を修めれば、敬われ重んじられ、大衆と和合し、争い事もなく、清らかに独り行うことができるのです。その六つとは何でしょうか。 まず、比丘は身をもって常に慈しみを行い、清らかな行いを修め、仁愛の心に住します。これが重法と呼ばれ、敬われ重んじられ、大衆と和合し、争い事もなく、清らかに独り行うことができるのです。 次に、比丘は口と心にも慈しみを実践し、自分が受けた供養や鉢の中の余り物を、分け隔てなく他の人と分かち合います。 さらに、比丘は聖者が行う戒律を守り、それを犯さず、壊さず、汚れなく保ちます。智者に称賛されるように戒を具足して保ち、聖なる解脱を成就し、苦を平等に滅ぼす正見と清らかな行いを実践します。これが重法と呼ばれ、敬われ重んじられ、大衆と和合し、争い事もなく、清らかに独り行うことができるのです。

「云何六修法？謂六念：佛念、法念、僧念、戒念、施念、天念。云何六覺法？謂六內入：眼入、耳入、鼻入、舌入、身入、意入。云何六滅法？謂六愛：色愛、聲愛，香、味、觸、法愛。云何六證法？謂六神通：一者神足通證，二者天耳通證，三者知他心通證，四者宿命通證，五者天眼通證，六者漏盡通證。

> 六つの修めるべき法とは何か。それは六つの念いである。仏を念ずること、法を念ずること、僧を念ずること、戒を念ずること、施しを念ずること、天を念ずることである。 六つの覚るべき法とは何か。それは六つの内なる入り口である。眼の入り口、耳の入り口、鼻の入り口、舌の入り口、身の入り口、意の入り口である。 六つの滅すべき法とは何か。それは六つの愛着である。色への愛着、声への愛着、香りへの愛着、味への愛着、触れへの愛着、法への愛着である。 六つの証すべき法とは何か。それは六つの神通力である。第一は神足通の証し、第二は天耳通の証し、第三は他心通の証し、第四は宿命通の証し、第五は天眼通の証し、第六は漏尽通の証しである。

「復有七成法、七修法、七覺法、七滅法、七證法。云何七成法？謂七財：信財、戒財、慙財、愧財、聞財、施財、慧財，是為七財。云何七修法？謂七覺意。於是，比丘修念覺意，依無欲、依寂滅、依遠離，修法、修精進、修喜、修猗、修定、修捨，依無欲、依寂滅、依遠離。

> また七つの成法、七つの修法、七つの覚法、七つの滅法、七つの証法があります。何が七つの成法でしょうか。それは七つの財です。信の財、戒の財、慙の財、愧の財、聞の財、施の財、慧の財、これが七つの財です。何が七つの修法でしょうか。それは七つの覚意です。ここにおいて、比丘は念覚意を修め、無欲に依り、寂滅に依り、遠離に依って修めます。法を修め、精進を修め、喜を修め、猗を修め、定を修め、捨を修め、無欲に依り、寂滅に依り、遠離に依って修めます。

「云何七覺法？謂七識住處：若有眾生，若干種身若干種想，天及人，此是初識住。復有眾生，若干種身而一想者，梵光音天最初生時是，是二識住。復有眾生，一身若干種想，光音天是，是三識住。復有眾生，一身一想，徧淨天是，是四識住處。復有眾生，空處住，是五識住。或識處住，是六識住。或不用處，是七識住。

> 七つの覚りの法とは何か。それは七つの識の住処である。 まず、さまざまな身体といろいろな想いを持つ衆生がいる。天界や人間界の者たちがこれにあたり、これが第一の識の住処である。 次に、さまざまな身体でありながら一つの想いを持つ衆生がいる。梵光音天が最初に生まれた時がこれであり、これが第二の識の住処である。 さらに、一つの身体でありながらさまざまな想いを持つ衆生がいる。光音天がこれであり、これが第三の識の住処である。 また、一つの身体であり一つの想いを持つ衆生がいる。徧浄天がこれであり、これが第四の識の住処である。 さらに、虚空に住する衆生がいる。これが第五の識の住処である。 あるいは識の境地に住する衆生がいる。これが第六の識の住処である。 あるいは無所有処に住する衆生がいる。これが第七の識の住処である。

「云何七滅法？謂七使法：欲愛使、有愛使、見使、慢使、瞋恚使、無明使、疑使。云何七證法？為七漏盡力。於是，漏盡比丘於一切諸苦、集、滅、味、過、出要，如實知見，觀欲如火坑，亦如刀劍，知欲見欲，不貪於欲，心不住欲；於中復善觀察，如實得知，如實見已，世間貪婬、惡不善法不起不漏，修四念處，多修多行，五根、五力、七覺意、賢聖八道，多修多行。

> 七つの滅法とは何か。それは七つの煩悩の力である：欲愛の煩悩、有愛の煩悩、見の煩悩、慢の煩悩、瞋恚の煩悩、無明の煩悩、疑の煩悩。七つの証法とは何か。それは七つの漏れ尽きる力である。ここに、漏れ尽きた比丘は、一切の苦、集、滅、味、過、出要について、ありのままに知り見て、欲望を火の坑のように、また刀剣のように観じ、欲望を知り欲望を見て、欲望に貪らず、心を欲望に住まわせない。その中でさらに善く観察し、ありのままに知り得て、ありのままに見た後、世間の貪欲と淫らな悪しき不善の法が起こらず漏れず、四念処を修め、多く修め多く行じ、五根、五力、七覚支、賢聖の八正道を多く修め多く行ずるのである。

「復有八成法、八修法、八覺法、八滅法、八證法。云何八成法？謂八因緣。未得梵行而得智，得梵行已智增多。云何為八？如是比丘依世尊住，或依師長，或依智慧梵行者住，生慚愧心，有愛有敬，是為初因緣。未得梵行而得智，得梵行已智增多。復次，依世尊住，隨時請問：『此法云何義，何所趣？』尊長即為開演深義，是為二因緣。既聞法已，身心樂靜，是為三因緣。不為遮道無益雜論，彼到眾中，或自說法，或請他說，猶復不捨賢聖默然，是為四因緣。多聞廣博，守持不忘，諸法深奧，上中下善，義味誠諦，梵行具足，聞已入心，見不流動，是為五因緣。修習精勤，滅不善行，善行日增，勉力堪任，不捨斯法，是為六因緣。又以智慧知起滅法，賢聖所趣能盡苦際，是為七因緣。又觀五受陰，生想、滅想，此色，色集、色滅，此受、想、行、識，識集、識滅，是為八因緣。未得梵行而有智，已得梵行智增多。

> また、八つの成法、八つの修法、八つの覚法、八つの滅法、八つの証法があります。 では、八つの成法とは何でしょうか。それは八つの因縁のことです。これによって、まだ梵行を得ていない者は智慧を得、梵行を得た者は智慧が増大するのです。 どのような八つでしょうか。 比丘が世尊に依って住み、あるいは師長に依って住み、あるいは智慧ある梵行者に依って住むとき、慚愧の心が生じ、敬愛の念が起こります。これが第一の因縁です。まだ梵行を得ていない者は智慧を得、梵行を得た者は智慧が増大します。 また、世尊に依って住み、時を選んで質問します。「この法はどのような意味で、どこに向かうのでしょうか」と。尊長はすぐに深い意味を説き明かしてくださいます。これが第二の因縁です。 法を聞いた後、身心が静けさを楽しむようになります。これが第三の因縁です。 道を妨げる無益な雑論をせず、人々の中に行っても、自ら法を説くか、あるいは他の人に説いてもらいながらも、なお聖なる沈黙を捨てません。これが第四の因縁です。 多くを聞き広く学び、忘れずに保ちます。諸々の法は深遠で、上・中・下と善く、その意味と味わいは真実であり、梵行を具えています。聞いて心に納め、揺るぎない見解を得ます。これが第五の因縁です。 修行に精勤し、不善の行いを滅ぼし、善い行いを日々増やし、努力して耐え、この法を捨てません。これが第六の因縁です。 また、智慧によって生起と滅尽の法を知り、聖者が向かうところ、苦の終わりを尽くすことができます。これが第七の因縁です。 また、五つの受陰（色・受・想・行・識）を観察し、それらが生じる様、滅する様を見ます。この色、色の集まり、色の滅び。この受・想・行・識、識の集まり、識の滅び。これが第八の因縁です。 まだ梵行を得ていない者は智慧を得、梵行を得た者は智慧が増大するのです。

「云何八修法？謂賢聖八道：正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定。云何八覺法？謂世八法：利、衰、毀、譽、稱、譏、苦、樂。云何八滅法？謂八邪：邪見、邪志、邪語、邪業、邪命、邪方便、邪念、邪定。云何八證法？謂八解脫：色觀色，一解脫。內無色想，外觀色，二解脫。淨解脫，三解脫。度色想，滅瞋恚想，住空處，四解脫。度空處，住識處，五解脫。度識處，住不用處，六解脫。度不用處，住有想無想處，七解脫。度有想無想處，住想知滅，八解脫。

> 八つの修行の法とは何か。それは聖なる八つの道、すなわち正しい見解、正しい志、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい禅定である。 八つの覚りの法とは何か。それは世間の八つの法、すなわち利益、損失、そしり、ほまれ、称賛、非難、苦しみ、楽しみである。 八つの滅びの法とは何か。それは八つの邪なる道、すなわち邪な見解、邪な志、邪な言葉、邪な行い、邪な生活、邪な努力、邪な念い、邪な禅定である。 八つの証しの法とは何か。それは八つの解脱である。 第一の解脱：色を観じて色に至る。 第二の解脱：内に色の想いなく、外に色を観ずる。 第三の解脱：清浄なる解脱。 第四の解脱：色の想いを超え、怒りの想いを滅し、空の境地に住する。 第五の解脱：空の境地を超え、識の境地に住する。 第六の解脱：識の境地を超え、無所有の境地に住する。 第七の解脱：無所有の境地を超え、有想無想の境地に住する。 第八の解脱：有想無想の境地を超え、想いと知の滅した境地に住する。

「復有九成法、九修法、九覺法、九滅法、九證法。云何九成法？謂九淨滅枝法：戒淨滅枝、心淨滅枝、見淨滅枝、度疑淨滅枝、分別淨滅枝、道淨滅枝、除淨滅枝、無欲淨滅枝、解脫淨滅枝。云何九修法？謂九喜本：一喜，二愛，三悅，四樂，五定，六如實知，七除捨，八無欲，九解脫。云何九覺法？謂九眾生居：或有眾生，若干種身若干種想，天及人是，是初眾生居。或有眾生，若干種身而一想者，梵光音天最初生時是，是二眾生居。或有眾生，一身若干種想，光音天是，是三眾生居。或有眾生，一身一想，遍淨天是，是四眾生居。無想無所覺知，無想天是，是五眾生居。復有眾生，空處住，是六眾生居。復有眾生，識處住，是七眾生居。復有眾生，不用處住，是八眾生居。復有眾生，住有想無想處，是九眾生居。

> また九つの完成する法、九つの修める法、九つの覚る法、九つの滅する法、九つの証する法がある。何が九つの完成する法か。九つの清らかな滅びの支えである。戒律による清らかな滅びの支え、心による清らかな滅びの支え、見解による清らかな滅びの支え、疑いを超える清らかな滅びの支え、分別による清らかな滅びの支え、道による清らかな滅びの支え、取り除くことによる清らかな滅びの支え、無欲による清らかな滅びの支え、解脱による清らかな滅びの支えである。 何が九つの修める法か。九つの喜びの根本である。一に喜び、二に愛、三に悦び、四に楽しみ、五に禅定、六にありのままに知ること、七に捨て去ること、八に無欲、九に解脱である。 何が九つの覚る法か。九つの衆生の住処である。ある衆生は、さまざまな身体といろいろな想いを持つ。天界の人々と人間がこれに当たり、これが第一の衆生の住処である。ある衆生は、さまざまな身体であるが一つの想いを持つ。梵光音天が最初に生まれた時がこれに当たり、これが第二の衆生の住処である。ある衆生は、一つの身体であるがさまざまな想いを持つ。光音天がこれに当たり、これが第三の衆生の住処である。ある衆生は、一つの身体で一つの想いを持つ。遍浄天がこれに当たり、これが第四の衆生の住処である。想いがなく、何も感じ知ることがない。無想天がこれに当たり、これが第五の衆生の住処である。またある衆生は、空無辺処に住む。これが第六の衆生の住処である。またある衆生は、識無辺処に住む。これが第七の衆生の住処である。またある衆生は、無所有処に住む。これが第八の衆生の住処である。またある衆生は、非想非非想処に住む。これが第九の衆生の住処である。

「云何九滅法？謂九愛本：因愛有求，因求有利，因利有用，因用有欲，因欲有著，因著有嫉，因嫉有守，因守有護。云何九證法？謂九盡：若入初禪，則聲刺滅。入第二禪，則覺觀刺滅。入第三禪，則喜刺滅。入第四禪，則出入息刺滅。入空處，則色想刺滅。入識處，則空想刺滅。入不用處，則識想刺滅。入有想無想處，則不用想刺滅。入滅盡定，則想受刺滅。

> 九つの滅すべき法とは何か。それは九つの愛の根本である。愛があるから求めがあり、求めがあるから利益があり、利益があるから用いがあり、用いがあるから欲望があり、欲望があるから執着があり、執着があるから嫉妬があり、嫉妬があるから守りがあり、守りがあるから護りがある。 九つの証すべき法とは何か。それは九つの滅尽である。初禅に入れば、音声の刺しは滅する。第二禅に入れば、覚と観の刺しは滅する。第三禅に入れば、喜びの刺しは滅する。第四禅に入れば、出入息の刺しは滅する。空無辺処に入れば、色想の刺しは滅する。識無辺処に入れば、空想の刺しは滅する。無所有処に入れば、識想の刺しは滅する。非想非非想処に入れば、無所有想の刺しは滅する。滅尽定に入れば、想と受の刺しは滅する。

「復有十成法、十修法、十覺法、十滅法、十證法。云何十成法？謂十救法：一者比丘二百五十戒具，威儀亦具，見有小罪，生大怖畏，平等學戒，心無傾邪。二者得善知識。三者言語中正，多所堪忍。四者好求善法，分布不恡。五者諸梵行人有所施設，輙往佐助，不以為勞，難為能為，亦教人為。六者多聞，聞便能持，未曾有忘。七者精勤，滅不善法，增長善法。八者常自專念，無有他想，憶本善行，如在目前。九者智慧成就，觀法生滅，以賢聖律斷於苦本。十者樂於閑居，專念思惟，於禪中間無有調戲。

> また、十の成就法、十の修法、十の覚法、十の滅法、十の証法があります。どのようなものが十の成就法でしょうか。それは十の救済法を指します。 一つ目は、比丘が二百五十の戒律を完全に守り、威儀も整え、小さな過ちを見ても大きな畏怖の念を抱き、平等に戒を学び、心に傾きや邪念がないことです。 二つ目は、善き知識を得ることです。 三つ目は、言葉が中正で、多くのことに耐え忍ぶことができることです。 四つ目は、善い法を求め、惜しみなく人々に分け与えることです。 五つ目は、修行者たちが何かを企てるとき、すぐに助けに行き、それを労苦と思わず、難しいことでもできるように努め、また人にも教えることです。 六つ目は、多くを聞き、聞いたことをすぐに保ち、決して忘れないことです。 七つ目は、精勤して不善な法を滅し、善い法を増長させることです。 八つ目は、常に自ら専念し、他の考えを持たず、過去の善行を現在目の前にあるかのように思い出すことです。 九つ目は、智慧を成就し、法の生滅を観察し、聖なる戒律によって苦の根本を断つことです。 十つ目は、閑居を楽しみ、専念して思惟し、禅定の間に戯れることがないことです。

「云何十修法？謂十正行：正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定、正解脫、正智。云何十覺法？謂十色入：眼入、耳入、鼻入、舌入、身入、色入、聲入、香入、味入、觸入。云何十滅法？謂十邪行：邪見、邪志、邪語、邪業、邪命、邪方便、邪念、邪定、邪解脫、邪智。云何十證法？謂十無學法：無學正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定、正解脫、正智。諸比丘！此名一增法，我今為汝等說如是法，吾為如來、為諸弟子所應作者，皆已備悉，慈愍慇懃，訓誨汝等，汝等亦宜勤奉行之。諸比丘！當在閑居樹下空處，精勤坐禪，勿自放恣，今不勉力，後悔何益？此是我教，勤受持之。」

> 「十の修めるべき法とは何か。それは十の正しい行いである。すなわち、正しい見解、正しい意志、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい心の統一、正しい解脱、正しい智慧である。 十の覚えるべき法とは何か。それは十の感覚の対象である。すなわち、眼の対象、耳の対象、鼻の対象、舌の対象、身の対象、色の対象、声の対象、香りの対象、味の対象、触れる対象である。 十の滅すべき法とは何か。それは十の誤った行いである。すなわち、誤った見解、誤った意志、誤った言葉、誤った行い、誤った生活、誤った努力、誤った念い、誤った心の統一、誤った解脱、誤った智慧である。 十の証すべき法とは何か。それは十の学ぶべきことのない法である。すなわち、学ぶべきことのない正しい見解、正しい意志、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい心の統一、正しい解脱、正しい智慧である。 比丘たちよ、これが一つの増すべき法である。私は今、あなたがたのためにこのような法を説いた。私は如来として、弟子たちのために為すべきことをすべて備え、慈しみと熱心さをもってあなたがたを導き教えた。あなたがたもまた、勤めてこれを行じなさい。 比丘たちよ、静かな場所、木の下、あるいは空き地にて、精進して坐禅に励み、自分自身を怠けさせてはならない。今、努力しなければ、後で後悔しても何の益があろうか。これが私の教えである。勤めて受け持ち、実践しなさい。」

爾時，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んで受け入れ、実践しました。

## 佛說長阿含經卷第九

> 仏説長阿含経 第九巻