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title: "長阿含經 · 12 三聚經"
description: "長阿含經是佛教原始經典四阿含之一，由後秦時期譯師佛陀耶舍與竺佛念共同譯出。該經成書於公元前1世紀左右，屬早期佛教根本聖典，記載了佛陀與弟子們的言行教法。全經共30卷，分為四分，主要內容包括佛陀生平、教義闡述、修行方法及宇宙觀等，系統性保存了原始佛教的基本教理。作為漢傳佛教重要典籍，長阿含經被視為研究原始佛教思想的核心文獻，在佛教經典體系中具有不可替代的權威地位，對後世佛教發展影響深遠。"
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## 佛說長阿含經卷第十

> 仏説長阿含経　第十巻

後秦弘始年佛陀耶舍共竺佛念譯

> 後秦弘始年間、仏陀耶舎と竺仏念による共訳

### （一二）第二分三聚經第八

> 第二分三聚経第八

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛在舍衛國祇樹給孤獨園，與大比丘眾千二百五十人俱。

> ある時、お釈迦様は舎衛国の祇園精舎におられました。そこには、千二百五十人の大比丘（すぐれた修行僧）たちが共に集まっていました。

爾時，世尊告諸比丘：「我與汝等說微妙法，義味清淨，梵行具足，謂三聚法。汝等諦聽！思惟念之！當為汝說。」時，諸比丘受教而聽。

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。「私はあなた方に微妙な法を説きましょう。その意味は清らかで、梵行（清らかな修行）を完成させるものです。それは三つの集まりの法です。よく聞きなさい。心に留めて考えなさい。あなた方のために説きましょう。」すると、比丘たちは教えを受け、耳を傾けました。

佛告比丘：「三法聚者，一法趣惡趣。一法趣善趣。一法趣涅槃。云何一法趣于惡趣？謂無仁慈，懷毒害心，是謂一法將向惡趣。云何一法趣于善趣？謂不以惡心加於眾生，是為一法將向善趣。云何一法趣于涅槃？謂能精勤，修身念處，是為一法將向涅槃。

> お釈迦さまは比丘たちに告げられました。「三つの道があります。一つは悪しき世界へと向かう道。一つは善き世界へと向かう道。一つは涅槃へと至る道です。 では、悪しき世界へと向かう一つの道とは何でしょうか。それは、慈悲の心がなく、害をなそうとする毒のような心を抱いていることです。これが悪しき世界へと導く一つの道です。 では、善き世界へと向かう一つの道とは何でしょうか。それは、生きとし生けるものに対して悪意を持って接しないことです。これが善き世界へと導く一つの道です。 では、涅槃へと至る一つの道とは何でしょうか。それは、心を込めて精進し、身体を観察する念処を修めることです。これが涅槃へと導く一つの道です。」

「復有二法趣向惡趣，復有二法趣向善趣，復有二法趣向涅槃。云何二法趣向惡趣？一謂毀戒，二謂破見。云何二法趣向善趣？一謂戒具，二謂見具。云何二法趣向涅槃？一謂為止，二謂為觀。

> また、二つの法は悪趣に向かい、また二つの法は善趣に向かい、また二つの法は涅槃に向かいます。 どの二つの法が悪趣に向かうのでしょうか。一つは戒律を破ること、二つ目は正しい見解を損なうことです。 どの二つの法が善趣に向かうのでしょうか。一つは戒律を備えること、二つ目は正しい見解を備えることです。 どの二つの法が涅槃に向かうのでしょうか。一つは止（心を静めること）、二つ目は観（智慧をもって観ること）です。

「復有三法趣向惡趣，三法向善趣，三法向涅槃。云何三法向惡趣？謂三不善根：貪不善根、恚不善根、癡不善根。云何三法向善趣？謂三善根：無貪善根、無恚善根、無癡善根。云何三法趣向涅槃？謂三三昧：空三昧、無相三昧、無作三昧。

> また、三つの法は悪しき世界へと向かい、三つの法は善き世界へと向かい、三つの法は涅槃へと向かう。どの三つの法が悪しき世界へ向かうのか。それは三つの不善根である。貪りの不善根、怒りの不善根、愚かさの不善根である。どの三つの法が善き世界へ向かうのか。それは三つの善根である。貪りのない善根、怒りのない善根、愚かさのない善根である。どの三つの法が涅槃へと向かうのか。それは三つの三昧である。空の三昧、無相の三昧、無作の三昧である。

「又有四法趣向惡趣，四法向善趣，四法向涅槃。云何四法向惡趣？謂愛語、恚語、怖語、癡語。云何四法向善趣？謂不愛語、不恚語、不怖語、不癡語。云何四法向涅槃？謂四念處：身念處、受念處、意念處、法念處。

> また、四つの法は悪趣へと向かい、四つの法は善趣へと向かい、四つの法は涅槃へと向かうものがある。どの四つの法が悪趣へ向かうのか。それは、愛着の言葉、怒りの言葉、恐れの言葉、愚かさの言葉である。どの四つの法が善趣へ向かうのか。それは、愛着なき言葉、怒りなき言葉、恐れなき言葉、愚かさなき言葉である。どの四つの法が涅槃へ向かうのか。それは、四つの念処、すなわち身念処、受念処、心念処、法念処である。

「復有五法向惡趣，五法向善趣，五法向涅槃。云何五法向惡趣？謂破五戒：殺、盜、婬逸、妄語、飲酒。云何五法向善趣？謂持五戒：不殺、不盜、不婬、不欺、不飲酒。云何五法趣向涅槃？謂五根：信根、精進根、念根、定根、慧根。

> また、五つの法は悪しき世界へ向かわせ、五つの法は善き世界へ向かわせ、五つの法は涅槃へと向かわせる。どのような五つの法が悪しき世界へ向かわせるのか。それは五戒を破ることである。すなわち、殺すこと、盗むこと、みだらな行い、嘘をつくこと、酒を飲むことである。どのような五つの法が善き世界へ向かわせるのか。それは五戒を守ることである。すなわち、殺さないこと、盗まないこと、みだらな行いをしないこと、欺かないこと、酒を飲まないことである。どのような五つの法が涅槃へと向かわせるのか。それは五根である。すなわち、信じる力、努力する力、心をとどめる力、心を定める力、智慧の力である。

「又有六法向惡趣，六法向善趣，六法向涅槃。云何六法向惡趣？謂六不敬：不敬佛、不敬法、不敬僧、不敬戒、不敬定、不敬父母。云何六法向善趣？謂六敬法：敬佛、敬法、敬僧、敬戒、敬定、敬父母。云何六法向涅槃？謂六思念：念佛、念法、念僧、念戒、念施、念天。

> また、六つの法が悪趣に向かい、六つの法が善趣に向かい、六つの法が涅槃に向かうものがある。どのような六つの法が悪趣に向かうか。それは六つの不敬である。仏を敬わず、法を敬わず、僧を敬わず、戒を敬わず、定を敬わず、父母を敬わないことである。どのような六つの法が善趣に向かうか。それは六つの敬いの法である。仏を敬い、法を敬い、僧を敬い、戒を敬い、定を敬い、父母を敬うことである。どのような六つの法が涅槃に向かうか。それは六つの思念である。仏を思い、法を思い、僧を思い、戒を思い、施しを思い、天を思うことである。

「又有七法向惡趣，七法向善趣，七法向涅槃。云何七法向惡趣？謂殺生、不與取、婬逸、妄語、兩舌、惡口、綺語。云何七法向善趣？謂不殺生、不盜、不婬、不欺、不兩舌、不惡口、不綺語。云何七法向涅槃？謂七覺意：念覺意、擇法覺意、精進覺意、猗覺意、定覺意、喜覺意、捨覺意。

> また、悪い方向へ向かう七つの法、善い方向へ向かう七つの法、涅槃へ向かう七つの法があります。 悪い方向へ向かう七つの法とは何でしょうか。それは、生き物を殺すこと、与えられていないものを取ること、みだらな行いをすること、嘘をつくこと、二枚舌を使うこと、乱暴な言葉を使うこと、無意味な言葉をしゃべることです。 善い方向へ向かう七つの法とは何でしょうか。それは、生き物を殺さないこと、盗まないこと、みだらな行いをしないこと、欺かないこと、二枚舌を使わないこと、乱暴な言葉を使わないこと、無意味な言葉をしゃべらないことです。 涅槃へ向かう七つの法とは何でしょうか。それは七つの覚りの要素です。すなわち、気づきの要素、真理を見分ける要素、努力の要素、安らぎの要素、集中の要素、喜びの要素、平静の要素です。

「又有八法向惡趣，八法向善趣，八法向涅槃。云何八法向惡趣？謂八邪行：邪見、邪志、邪語、邪業、邪命、邪方便、邪念、邪定。云何八法向善趣？謂世正見：正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定。云何八法向涅槃？謂八賢聖道：正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定。

> また、八つの法は悪しき世界へと向かい、八つの法は善き世界へと向かい、八つの法は涅槃へと向かう。 どのような八つの法が悪しき世界へと向かうのか。それは八つの邪なる行いである。すなわち、邪見、邪志、邪語、邪業、邪命、邪方便、邪念、邪定である。 どのような八つの法が善き世界へと向かうのか。それは世間における正しい八つの行いである。すなわち、正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定である。 どのような八つの法が涅槃へと向かうのか。それは八つの聖なる道である。すなわち、正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定である。

「又有九法向惡趣，九法向善趣，九法向涅槃。云何九法向惡趣？謂九惱：有人已侵惱我，今侵惱我，當侵惱我；我所愛者，已侵惱，今侵惱，當侵惱；我所憎者，已愛敬，今愛敬，當愛敬。云何九法向善趣？謂九無惱：彼已侵我，我惱何益？已不生惱，今不生惱，當不生惱；我所愛者，彼已侵惱，我惱何益？已不生惱，今不生惱，當不生惱；我所憎者，彼已愛敬，我惱何益？已不生惱，當不生惱，今不生惱。云何九法向涅槃？謂九善法，一喜，二愛，三悅，四樂，五定，六實知，七除捨，八無欲，九解脫。

> また、九つの法は悪趣に向かい、九つの法は善趣に向かい、九つの法は涅槃に向かう。どのような九つの法が悪趣に向かうのか。それは九つの煩悩である：ある人がすでに私を侵し悩ませた、今私を侵し悩ませている、これから私を侵し悩ませるであろう。私が愛する者は、すでに侵し悩まされた、今侵し悩まされている、これから侵し悩まされるであろう。私が憎む者は、すでに愛され敬われた、今愛され敬われている、これから愛され敬われるであろう。 どのような九つの法が善趣に向かうのか。それは九つの無煩悩である：彼がすでに私を侵したとして、私が悩んでも何の益があるだろうか。すでに煩悩を生じない、今煩悩を生じない、これから煩悩を生じない。私が愛する者が、彼にすでに侵し悩まされたとして、私が悩んでも何の益があるだろうか。すでに煩悩を生じない、今煩悩を生じない、これから煩悩を生じない。私が憎む者が、彼にすでに愛され敬われたとして、私が悩んでも何の益があるだろうか。すでに煩悩を生じない、これから煩悩を生じない、今煩悩を生じない。 どのような九つの法が涅槃に向かうのか。それは九つの善き法である。一に喜び、二に慈しみ、三に悦び、四に楽しみ、五に心の安定、六に真実を知ること、七に捨て去ること、八に欲のないこと、九に解脱である。

「又有十法向惡趣，十法向善趣，十法向涅槃。云何十法向惡趣？謂十不善：身殺、盜、婬，口兩舌、惡罵、妄言、綺語，意貪取、嫉妬、邪見。云何十法向善趣？謂十善行：身不殺、盜、婬，口不兩舌、惡罵、妄言、綺語，意不貪取、嫉妬、邪見。云何十法向涅槃？謂十直道：正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定、正解脫、正智。諸比丘！如是十法，得至涅槃，是名三聚微妙正法，我為如來、為眾弟子所應作者，無不周備，憂念汝等，故演經道；汝等亦宜自憂其身，當處閑居、樹下思惟，勿為懈怠，今不勉力，後悔無益。」

> また、十の法は悪趣に向かい、十の法は善趣に向かい、十の法は涅槃に向かう。いかなる十の法が悪趣に向かうのか。すなわち十の不善である：身体による殺生、盗み、淫行、口による両舌、悪口、妄語、綺語、心による貪欲、嫉妬、邪見。いかなる十の法が善趣に向かうのか。すなわち十の善行である：身体による不殺生、不盗、不淫、口による不両舌、不悪口、不妄語、不綺語、心による不貪欲、不嫉妬、不邪見。いかなる十の法が涅槃に向かうのか。すなわち十の直道である：正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定、正解脱、正智。諸比丘よ、このような十の法は涅槃に至ることができる。これを三聚の微妙な正法という。私は如来として、すべての弟子たちのために為すべきことを、余すところなく備え、あなた方を思い憂い、故に経の道を説く。あなた方もまた、自らの身を思い憂い、静かな住処や樹下で思惟すべきであり、怠けてはならない。今努めなければ、後で悔いても益はない。

諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> 比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでその教えを実践しました。