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title: "長阿含經 · 15 阿"
description: "長阿含經是佛教原始經典四阿含之一，由後秦時期譯師佛陀耶舍與竺佛念共同譯出。該經成書於公元前1世紀左右，屬早期佛教根本聖典，記載了佛陀與弟子們的言行教法。全經共30卷，分為四分，主要內容包括佛陀生平、教義闡述、修行方法及宇宙觀等，系統性保存了原始佛教的基本教理。作為漢傳佛教重要典籍，長阿含經被視為研究原始佛教思想的核心文獻，在佛教經典體系中具有不可替代的權威地位，對後世佛教發展影響深遠。"
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## 佛說長阿含經卷第十一

> 仏説長阿含経　第十一巻

後秦弘始年佛陀耶舍共竺佛念譯

> 後秦弘始年間、仏陀耶舎と竺仏念による共訳

### （一五）第二分阿㝹夷經第十一

> 第二分 阿㝹夷経 第十一

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛在冥寧國阿㝹夷土，與大比丘眾千二百五十人俱。

> ある時、お釈迦さまは冥寧国の阿㝹夷という地で、千二百五十人の大比丘たちと共におられました。

爾時，世尊著衣持鉢，入阿㝹夷城乞食。爾時，世尊默自念言：「我今乞食，於時如早，今宜往詣房伽婆梵志園觀。比丘須時至，然後乞食。」

> その時、世尊は衣をまとって鉢を持ち、阿㝹夷城に入って托鉢をされました。その時、世尊は静かにご自身でお考えになりました。「今、托鉢をしようとしているが、まだ時間が早い。今は房伽婆梵志の園に行ってみよう。比丘たちは時が来てから托鉢をすればよい。」

爾時，世尊即詣彼園，時，彼梵志遙見佛來，即起奉迎，共相問訊，言：「善來，瞿曇！不面來久，今以何緣乃能屈顧？唯願瞿曇就此處坐！」爾時，世尊即就其坐。

> その時、世尊はその園に向かわれた。梵志は遠くから仏の来られるのを見ると、すぐに立ち上がって迎え、互いに挨拶を交わして言った。 「よく来てくださいました、ゴータマ様。お顔を拝するのも久しぶりです。どのようなご縁で、わざわざお越しくださったのですか。どうかゴータマ様、ここにお座りください」 そこで世尊はその席にお座りになられた。

時，彼梵志於一面坐，白世尊言：「先夜隸車子善宿比丘來至我所，語我言：『大師！我不於佛所修梵行也。所以然者？佛疎外我。』彼人見向說瞿曇過，雖有此言，我亦不受。」

> その時、梵志は傍らに座り、世尊に申し上げた。 「昨夜、隷車子の善宿比丘が私のもとに来て、こう言いました。 『大師よ、私はもはや仏のもとで梵行を修めません。 なぜなら、仏が私を疎んじるからです。』 彼はこのように瞿曇の過ちを語りましたが、私はその言葉を受け入れませんでした。」

佛告梵志：「彼善宿所言，知汝不受耳。昔我一時在毗舍離獼猴池側集法堂上，時，此善宿來至我所，語我言：『如來外我，我不於如來所修梵行也。』我時告曰：『汝何故言：我不於如來所修梵行，如來外我耶？』善宿報我言：『如來不為我現神足變化。』

> 仏陀は梵志に告げられた。「彼の善宿が言ったことは、あなたが受け入れないと知っているのです。かつて私がある時、毘舎離の猿池のほとりにある集法堂におりました。その時、この善宿が私のもとに来て、こう言ったのです。『如来は私を除外なさいます。私は如来のもとで梵行を修めません。』私はその時、尋ねました。『なぜあなたは、私は如来のもとで梵行を修めず、如来は私を除外なさると言うのですか？』善宿は私に答えました。『如来は私のために神通力や変化をお示しにならないからです。』」

「時，我語言：『吾可請汝於我法中淨修梵行，當為汝現神足耶？』復當語我：『如來當為我現神足變化，然後我當修梵行耶？』時，善宿報我言：『不也。世尊！』佛告善宿：『我亦不語汝言：汝於我法中淨修梵行，當為汝現神足變化；汝亦不言為我現神足者，當修梵行。云何，善宿！如汝意者，謂如來能現神足、為不能現耶？我所說法，彼法能得出要，盡苦際不耶？』善宿白佛言：『如是，世尊！如來能現神足，非為不能，所可說法，能得出要，盡諸苦際，非為不盡。』『是故，善宿！我所說法修梵行者，能現神足，非為不能，出要離苦，非不能離，汝於此法欲何所求？』

> その時、私は言いました。「私はあなたに、私の教えの中で清らかな修行をしてもらうために、神通力を示しましょうか？」するとあなたは私に言うでしょう。「如来が私のために神通力や変化を示してくださるなら、その後に私は修行をいたします」と。その時、善宿は私に答えました。「いいえ、世尊。そうではありません」と。 仏は善宿に告げました。「私はあなたに、『私の教えの中で清らかな修行をするなら、神通力や変化を示してあげよう』とは言いません。あなたもまた、『神通力を示してくださるなら、修行をいたします』とは言わないでしょう。どうですか、善宿。あなたの考えでは、如来は神通力を示すことができるのでしょうか、それともできないのでしょうか？私が説く教えは、その教えによって解脱を得て、苦しみの果てに至ることができるのでしょうか、それともできないのでしょうか？」 善宿は仏に答えました。「はい、世尊。如来は神通力を示すことができます。できないのではありません。説かれる教えは、解脱を得て、あらゆる苦しみの果てに至ることができます。至らないのではありません」 「それゆえ、善宿。私が説く教えにおいて修行する者は、神通力を示すことができます。できないのではありません。解脱して苦しみから離れることができます。離れられないのではありません。あなたはこの教えに何を求めているのですか？」

「善宿言：『世尊！不能隨時教我，我父祕術，世尊盡知，悋不教我。』佛言：『善宿！我頗曾言：汝於我法中修梵行者，教汝父術耶？汝頗復言：教我父術者，當於佛所修梵行耶？』答曰：『不也。』『是故，善宿！我先無此言，汝亦無言，今者何故作此語耶？云何，善宿！汝謂如來能說汝父祕術，為不能說耶？所可說法，能得出要，盡苦際不耶？』善宿報言：『如來能說父之祕術，非為不能；說法出要，能盡苦際，非為不能。』佛告善宿：『若我能說汝父祕術，亦能說法出要離苦，汝於我法中復欲何求？』又告善宿：『汝先於毗舍離跋闍土地，無數方便，稱歎如來，稱歎正法，稱歎眾僧。譬如有人八種稱歎彼清涼池，使人好樂：一冷，二輕，三柔，四清，五甘，六無垢，七飲無饜，八便身。汝亦如是，於毘舍離跋闍土，稱歎如來，稱歎正法，稱歎眾僧，使人信樂。善宿！當知今汝退者，世間當復有言：善宿比丘多有知識，又是世尊所親，亦是世尊弟子，不能盡形淨修梵行，捨戒就俗處，卑陋行。』梵志！當知我時備語，不順我教，捨戒就俗。

> 善宿が言いました。「世尊よ、あなたはいつも私に教えてはくれません。私の父の秘術を、世尊はすべてご存じなのに、惜しんで私に教えてくださらないのです。」 仏が言われました。「善宿よ、私はかつて、『あなたが私の教えの中で清らかな行いを修めるなら、あなたの父の術を教えよう』と言ったことがあるか？ また、あなたはかつて、『父の術を教えてくださるなら、仏のもとで清らかな行いを修めます』と言ったことがあるか？」 善宿は答えました。「いいえ、ありません。」 「それゆえ、善宿よ、私は以前にそのような言葉を発したことはなく、あなたもそのような言葉を発したことはない。今、どうしてこのような言葉を口にするのか？ どうだ、善宿よ、あなたは如来があなたの父の秘術を説くことができると思うか、それとも説くことができないと思うか？ また、説かれる教えは、真実の道を得させ、苦しみの終わりに至らせることができるか、それともできないか？」 善宿は答えました。「如来は父の秘術を説くことができます。説くことができないわけではありません。教えを説いて真実の道を示し、苦しみを尽くすことができます。できないわけではありません。」 仏は善宿に告げられました。「もし私があなたの父の秘術を説くことができ、また教えを説いて真実の道を示し、苦しみから離れることができるなら、あなたは私の教えの中で、いったい何を求めているのか？」 さらに善宿に告げられました。「あなたはかつて、毘舎離の跋闍の地で、数え切れないほどの方法で、如来を称え、正しい教えを称え、僧伽を称えた。それはちょうど、ある人が八つの点でその清涼な池を称え、人々に好ましく思わせるようなものだ。一に冷たいこと、二に軽いこと、三に柔らかいこと、四に清らかなこと、五に甘いこと、六に汚れがないこと、七に飲んでも飽きないこと、八に体に良いこと。あなたもまた同じように、毘舎離の跋闍の地で、如来を称え、正しい教えを称え、僧伽を称え、人々に信じさせ、喜ばせたのだ。善宿よ、知るがよい。今、あなたが退くなら、世間では再びこう言うだろう。『善宿比丘は多くの知り合いがいて、また世尊に親しくされ、世尊の弟子でもあったのに、一生涯清らかな行いを修め尽くすことができず、戒を捨てて俗世に戻り、卑しく陋（いや）しい行いをしている』と。」 梵志よ、知るがよい。私はその時、十分に語り、教えに従わず、戒を捨てて俗世に戻ることを告げたのだ。

「梵志！一時，我在獼猴池側法講堂上，時，有尼乾子，字伽羅樓，在彼處止，人所宗敬，名稱遠聞，多有知識，利養備具。時，善宿比丘著衣持鉢，入毗舍離城乞食，漸漸轉到尼乾子所。爾時，善宿以深遠義問尼乾子，彼不能答，便生瞋恚。善宿自念：『我觸嬈此人，將無長夜有苦惱報耶？』梵志！當知時善宿比丘於乞食後，執持衣鉢，來至我所，頭面禮足，在一面坐，善宿爾時亦不以此緣告我，我語之曰：『愚人！汝寧可自稱為沙門釋子耶？』善宿尋報我言：『世尊！何故稱我為愚？不應自稱為釋子耶？』我告之曰：『愚人！汝曾往至尼乾子所問深遠義，彼不能報，便生瞋恚。汝時自念：我今觸此尼乾，將無長夜有苦惱報耶？汝有是念不？』

> 梵志よ、ある時、私は猿の池のほとりの法講堂にいました。その時、尼乾子と呼ばれるガラローという者がそこに住んでいて、人々から尊敬され、名声は遠くまで聞こえ、多くの知人を持ち、利養も十分に備えていました。その時、善宿比丘は衣を着て鉢を持ち、毘舎離の町に入って托鉢をし、次第に尼乾子のところへと向かいました。そこで善宿は深遠な意義について尼乾子に尋ねたところ、彼は答えられず、怒りを生じました。善宿は心の中で思いました。『私はこの人を怒らせてしまった。これによって長い間、苦しみの報いを受けることになるのではないだろうか』と。梵志よ、知っておいてください。その時、善宿比丘は托鉢の後、衣と鉢を持って私のもとに来て、頭を地につけて礼をし、傍らに座りました。善宿はその時、この出来事について私に告げませんでした。私は彼に言いました。『愚かな者よ、あなたはどうして自らを沙門釈子と名乗ることができるのか？』善宿はすぐに私に答えました。『世尊よ、なぜ私を愚か者と呼ぶのですか？私は釈子と名乗るべきではないのでしょうか？』私は彼に告げました。『愚かな者よ、あなたはかつて尼乾子のもとに行き、深遠な意義を尋ねたが、彼は答えられず、怒りを生じた。その時、あなたは心の中で思った。私は今、この尼乾を怒らせてしまった。これによって長い間、苦しみの報いを受けることになるのではないだろうか、と。あなたはそのような思いを持ったのではないか？』

「善宿白佛言：『彼是羅漢，何緣乃有此嫉恚心？』我時答曰：『愚人！羅漢何緣有嫉恚心？非我羅漢有嫉恚心，汝今自謂彼是羅漢，彼有七苦行，長夜執持。何謂七？一盡形壽不著衣裳。二盡形壽不飲酒食肉，而不食飯及與󰉓麵。三盡形壽不犯梵行。四盡形壽毗舍離有四石塔——東名憂園塔、南名象塔、西名多子塔、北名七聚塔；盡形不離四塔，為四苦行，而彼後當犯此七苦行已，於毗舍離城外命終。譬如野干疥癩衰病，死丘塚間，彼尼乾子亦復如是；自為禁法，後盡犯之。本自誓言：盡形不著衣服，後還著衣。本自誓言：盡形壽不飲酒噉肉，不食飯及󰉓麵，而後盡食。本自誓言：不犯梵行，而後亦犯。本言：不越四塔——東憂園塔、南象塔、西多子塔、北七聚塔；今盡遠離不復親近。彼人自違此七誓已，出毘舍離城，塚間命終。』佛告善宿曰：『愚人！汝不信我言，汝自往觀，自當知耳。』」

> 善宿が仏に申し上げました。「彼は阿羅漢であるのに、どうして嫉みや怒りの心があるのでしょうか。」 私はその時答えました。「愚かな者よ。阿羅漢にどうして嫉みや怒りの心があろうか。私の阿羅漢に嫉みや怒りの心があるのではない。今、あなたが彼を阿羅漢だと言っているが、彼は七つの苦行を長い間守り続けている。その七つとは何か。一つ、生涯衣服を身に着けない。二つ、生涯酒を飲まず肉を食べず、飯や麺も食べない。三つ、生涯梵行を犯さない。四つ、毘舎離には四つの石塔がある——東は憂園塔、南は象塔、西は多子塔、北は七聚塔——生涯この四塔を離れず、四つの苦行とする。しかし彼は後にこの七つの苦行をすべて破り、毘舎離城外で命を終えるだろう。ちょうど疥癬に冒され衰えた野干が塚の間で死ぬように、その尼乾子もまた同じである。自ら戒法を立てながら、後にすべて破ってしまう。もとは生涯衣服を着ないと誓いながら、後に衣を着る。もとは生涯酒を飲まず肉を食べず、飯や麺も食べないと誓いながら、後にすべて食べる。もとは梵行を犯さないと誓いながら、後にそれを犯す。もとは四塔——東の憂園塔、南の象塔、西の多子塔、北の七聚塔——を離れないと言いながら、今はすべて遠く離れ、二度と近づかない。その人はこの七つの誓いを自ら破り、毘舎離城を出て、塚の間で命を終えるのだ。」 仏は善宿に告げられました。「愚かな者よ。あなたは私の言葉を信じない。ならば自ら行って確かめよ。自ら知ることになるだろう。」

佛告梵志：「一時，比丘善宿著衣持鉢，入城乞食，乞食已，還出城，於空塚間見尼乾子於彼命終。見已，來至我所，頭面禮足，在一面坐，不以此事而語我言。梵志！當知我爾時語善宿曰：『云何，善宿！我先所記尼乾子如我語不？』對曰：『如是，如世尊言。』梵志！當知我與善宿現神通證，而彼言：『世尊不為我現。』

> 仏陀は梵志に告げられた：「ある時、比丘の善宿が衣を着て鉢を持ち、城に入って托鉢をし、托鉢を終えて城を出ると、空き墓の間に尼乾子がそこで命を終えているのを見た。それを見て、私のところに来て、頭を地につけて礼拝し、傍らに座ったが、このことを私に話そうとはしなかった。梵志よ、知るがよい、私はその時、善宿にこう言ったのだ：『どうだ、善宿よ、私がかつて予言した尼乾子のことは、私の言葉通りではなかったか？』彼は答えた：『その通りです、世尊のお言葉の通りです。』梵志よ、知るがよい、私は善宿に神通力を示して証明したのだが、彼はこう言った：『世尊は私のために示してくださらなかった。』」

「又一時，我在冥寧國白土之邑，時有尼乾子，名究羅帝，在白土住，人所宗敬，名稱遠聞，多得利養。時，我著衣持鉢，入城乞食，時善宿比丘隨我後行，見究羅帝尼乾子在糞堆上伏舐糠糟。梵志！當知時善宿比丘見此尼乾子在糞堆上伏舐糠糟已，作是念言：『世間諸有阿羅漢、向阿羅漢道者無有及此，此尼乾子其道最勝，所以者何？此人苦行乃能如是，除捨憍慢，於糞堆上伏舐糠糟。』

> またある時、私は冥寧国の白土という町にいました。その時、尼乾子（ジャイナ教の行者）で究羅帝という名の者が白土に住んでいて、人々から尊敬され、名声は遠くまで聞こえ、多くの供養を受けていました。その時、私は衣をまとって鉢を持ち、町に入って托鉢をしていました。善宿という比丘が私の後ろについて歩いていましたが、彼は究羅帝という尼乾子が糞の山の上でうつ伏せになって、米ぬかや残飯を舐めているのを見ました。梵志（修行者）よ、知っておきなさい。善宿比丘はこの尼乾子が糞の山の上でうつ伏せになって、米ぬかや残飯を舐めているのを見て、こう思ったのです。『世の中の阿羅漢や阿羅漢の道を目指す者で、これに及ぶ者はない。この尼乾子の道は最も優れている。なぜなら、この人は苦行をしてこのようなことをし、傲慢を捨てて、糞の山の上でうつ伏せになって米ぬかや残飯を舐めているのだから。』

「梵志！時，我右旋告善宿曰：『汝意愚人！寧可自稱為釋子耶？』善宿白佛言：『世尊！何故稱我為愚？不應自稱為釋子耶？』佛告善宿言：『汝愚人！觀此究羅帝蹲糞堆上伏食糠糟，汝見已，作是念：諸世間阿羅漢及向羅漢者，此究羅帝最為尊上，所以者何？今此究羅帝乃能苦行，除捨憍慢，蹲糞堆上伏舐糠糟。汝有是念不？』答我言：『實爾。』善宿又言：『何故？世尊！於阿羅漢所生嫉妬心。』佛告愚人：『我不於羅漢所生嫉妬心，何為於羅漢所生嫉妬心？汝今愚人！謂究羅帝真阿羅漢，此人却後七日當腹脹命終，生起屍餓鬼中，常苦飢餓，其命終後，以葦索繫抴於塚間。汝若不信者，可先往語之。』

> 梵志よ、その時、私は右に回って善宿に告げました。「お前は愚かな者よ、どうして自ら釈子と称することができようか？」と。善宿は仏に申し上げました。「世尊よ、なぜ私を愚か者とおっしゃるのですか？私は釈子と自称してはならないのでしょうか？」と。 仏は善宿に告げられました。「愚かな者よ、あの究羅帝が糞の山にうずくまって糠かすを舐めているのを見て、お前はこう思ったのだろう。『世の中の阿羅漢や阿羅漢を目指す者の中で、この究羅帝が最も尊い。なぜなら、この究羅帝は苦行を行い、慢心を捨てて、糞の山にうずくまり、糠かすを舐めているからだ』と。お前はそう思ったのではないか？」と。 善宿は答えました。「確かにその通りです。」と。 善宿はさらに言いました。「しかし、世尊よ、なぜ阿羅漢に対して嫉妬心をお持ちになるのですか？」と。 仏は愚かな者に告げられました。「私は阿羅漢に対して嫉妬心など抱いていない。どうして阿羅漢に嫉妬心を抱くことがあろうか。お前、愚かな者よ、究羅帝を真の阿羅漢だと思っているが、この者は七日後に腹を膨らませて命を終え、起屍餓鬼に生まれ変わって、常に飢えに苦しむことになる。その命が終わった後は、葦の縄で縛られて墓場に引きずり出されるのだ。もし信じられないなら、先に行って彼にそのことを伝えてみよ。」と。

「時，善宿即往詣究羅帝所，說言：『彼沙門瞿曇記汝：却後七日當腹脹命終，生起屍餓鬼中，死已以葦索繫抴於塚間。』善宿復白：『汝當省食，勿使彼言當也。』梵志！當知時究羅帝至滿七日腹脹而死，即生起屍餓鬼中，死屍以葦索繫抴於塚間。爾時，善宿聞佛語已，屈指計日，至七日已，時，善宿比丘即往至裸形村中，到已，問其村人曰：『諸賢！究羅帝今何所在？』報曰：『已取命終。』問曰：『何患命終耶？』答曰：『腹脹。』問曰：『云何殯送？』答曰：『以葦索繫抴於塚間。』

> その時、善宿はすぐに究羅帝のもとへ行き、こう言いました。「あの沙門瞿曇があなたのことを予言しています。七日後、腹が張って死に、起屍餓鬼に生まれ変わると。死後は葦の縄で縛られて塚の間に引きずられていくのだと。」善宿はさらに言いました。「あなたは食事を控えるべきです。彼の言葉が当たらないように。」梵志よ、その時、究羅帝は七日が満ちると腹が張って死に、すぐに起屍餓鬼に生まれ変わりました。死体は葦の縄で縛られて塚の間に引きずられていきました。さて、善宿は仏の言葉を聞くと、指折り日数を数え、七日が経ったとき、善宿比丘は裸形村へと向かいました。到着すると、村人に尋ねました。「皆さん、究羅帝は今どこにいますか？」村人は答えました。「もう亡くなりました。」善宿は尋ねました。「何の病で亡くなったのですか？」答えは「腹が張ったのです。」善宿はさらに尋ねました。「どのように葬送されたのですか？」答えは「葦の縄で縛られて塚の間に引きずられていきました。」

「梵志！時，善宿聞此語已，即往塚間，欲至未至，時，彼死屍竝動膝脚，忽爾而蹲，時彼善宿故前到死屍所，語言：『究羅帝！汝命終耶？』死屍答言：『我已命終。』問曰：『汝以何患命終？』死屍答言：『瞿曇記我，七日後腹脹命終，我如其言，至滿七日，腹脹命終。』善宿復問：『汝生何處？』屍即報言：『彼瞿曇所記，當生起屍餓鬼中，我今日生起屍餓鬼中。』善宿問曰：『汝命終時，云何殯送？』屍答曰：『瞿曇所記，以葦索繫抴於塚間，實如彼言，以葦索繫抴於塚間。』時，死屍語善宿曰：『汝雖出家，不得善利。瞿曇沙門說如此事，汝常不信。』作是語已，死屍還臥。

> 梵志よ、善宿はこの言葉を聞くと、すぐに墓地へ向かった。到着するかしないかのうちに、その死体は膝と足を動かし、突然しゃがみ込んだ。善宿はなおもその死体のもとへ進み、言った。「究羅帝よ、あなたは命を終えたのか？」死体は答えた。「私はすでに命を終えている。」善宿が尋ねた。「どのような病で命を終えたのか？」死体は答えた。「瞿曇が私に、七日後に腹が張って命を終えると予言した。その言葉の通り、満七日を迎え、腹が張って命を終えた。」善宿はさらに尋ねた。「あなたはどこに生まれたのか？」死体は即座に答えた。「あの瞿曇が予言した通り、起屍餓鬼の中に生まれた。私は今日、起屍餓鬼の中に生まれたのだ。」善宿が尋ねた。「あなたが命を終えた時、どのように葬送されたのか？」死体は答えた。「瞿曇が予言した通り、葦の縄で縛られて墓地に引きずり出された。まさにその言葉の通り、葦の縄で縛られて墓地に引きずり出されたのだ。」その時、死体は善宿に言った。「あなたは出家しているが、善き利益を得ていない。瞿曇沙門がこのようなことを説いているのに、あなたは常に信じようとしない。」こう言うと、死体は再び横たわった。

「梵志！時，善宿比丘來至我所，頭面禮足，在一面坐，不以此緣語我，我尋語曰：『如我所記，究羅帝者實爾以不？』答曰：『實爾，如世尊言。』梵志！我如是數數為善宿比丘現神通證，而彼猶言：『世尊不為我現神通。』」

> 梵志よ、その時、善宿比丘が私のもとに来て、頭面礼足し、傍らに座りました。彼はこの件について何も語りませんでしたので、私は尋ねました。『私が記した通り、究羅帝のことは本当にその通りか？』彼は答えました。『はい、世尊のお言葉の通りです。』梵志よ、私はこのように何度も善宿比丘に神通を示して証明したのに、彼はなおも『世尊は私に神通をお示しにならない』と言うのです。

佛告梵志：「我於一時在獼猴池法講堂上，時有梵志，名曰波梨子，在彼處止，人所宗敬，名稱遠聞，多有利養，於毘舍離大眾之中，作如是說：『沙門瞿曇自稱智慧，我亦智慧；沙門瞿曇自稱神足，我亦有神足；沙門瞿曇得超越道，我亦得超越道。我當與彼共現神足，沙門現一，我當現二；沙門現二，我當現四；沙門現八，我現十六；沙門現十六，我現三十二；沙門現三十二，我現六十四。隨彼沙門所現多少，我盡當倍。』

> 仏陀はバラモンに告げられた。「ある時、私は猿の池の法講堂におりました。その時、波梨子という名のバラモンがそこに住んでいて、人々から尊敬され、名声は広く知られ、多くの供養を受けていました。彼は毘舎離の大衆の中で、このように言いました。『沙門瞿曇は自ら智慧があると称するが、私にも智慧がある。沙門瞿曇は自ら神通力があると称するが、私にも神通力がある。沙門瞿曇は超越の道を得たというが、私も超越の道を得た。私は彼と共に神通力を示そう。沙門が一つを示せば、私は二つを示そう。沙門が二つを示せば、私は四つを示そう。沙門が八つを示せば、私は十六を示そう。沙門が十六を示せば、私は三十二を示そう。沙門が三十二を示せば、私は六十四を示そう。あの沙門が示す数に応じて、私は必ず倍にして示そう。』」

「梵志！時，善宿比丘著衣持鉢，入城乞食，見波梨梵志於大眾中作如是說：『沙門瞿曇自稱智慧，我亦智慧；沙門瞿曇自稱神足，我亦有神足；沙門瞿曇得超越道，我亦得超越道。我當與彼共現神足，沙門現一，我當現二；沙門現四，我當現八；乃至隨沙門所現多少，我盡能倍。』時，善宿比丘乞食已，來至我所，頭面禮，一面坐，語我言：『我於晨朝著衣持鉢，入城乞食，時，聞毘舍離波梨子於大眾中作是說言：沙門瞿曇有大智慧，我亦有大智慧；沙門瞿曇有神足，我亦有神足；瞿曇現一，我當現二；乃至隨瞿曇所現多少，我盡能倍。』具以此事而來告我，我語善宿言：『彼波梨子於大眾中不捨此語，不捨此見，不捨此慢，來至我所者，終無是處。若彼作是念：我不捨此語，不捨此見，不捨此慢，而至沙門瞿曇所者，彼頭即當破為七分。欲使彼人不捨此語，不捨見慢，而能來者，無有是處。』

> 梵志よ、その時、善宿比丘は衣を着て鉢を持ち、町に入って托鉢をしていた。彼は、波梨梵志が大衆の中でこのように言うのを見聞きしたのだ。『沙門瞿曇は自ら智慧があると称しているが、私にも智慧がある。沙門瞿曇は自ら神通力があると称しているが、私にも神通力がある。沙門瞿曇は超越の道を得ているが、私も超越の道を得ている。私は彼と共に神通力を示そう。沙門が一つを示せば、私は二つを示そう。沙門が四つを示せば、私は八つを示そう。沙門が示す数がいくつであれ、私は全て倍にして示すことができる。』 その時、善宿比丘は托鉢を終え、私のもとに来て、頭面礼をし、傍らに座り、私にこう言った。『私は今朝、衣を着て鉢を持ち、町に入って托鉢をしていました。その時、毘舎離の波梨子が大衆の中でこのように言うのを聞きました。「沙門瞿曇には大いなる智慧があるが、私にも大いなる智慧がある。沙門瞿曇には神通力があるが、私にも神通力がある。瞿曇が一つを示せば、私は二つを示そう。瞿曇が示す数がいくつであれ、私は全て倍にして示すことができる。」と。』彼はこの事を詳しく私に告げた。 私は善宿に言った。『あの波梨子が、この言葉を捨てず、この見解を捨てず、この慢心を捨てずに、私のもとに来るということは、決してありえない。もし彼が、「私はこの言葉を捨てず、この見解を捨てず、この慢心を捨てずに、沙門瞿曇のもとに行くことができる」などと思うならば、彼の頭は七つに割れるだろう。彼がこの言葉、見解、慢心を捨てずに来ることができるなどということは、ありえないのだ。』

「善宿言：『世尊護口，如來護口。』佛告善宿：『汝何故言：世尊護口，如來護口？』善宿言：『彼波梨子有大威神，有大德力，脫當來者將無現世尊虛耶？』佛告善宿：『如來所言頗有二耶？』對曰：『無也。』又告善宿：『若無二者，汝何故言：世尊護口，如來護口？』善宿白佛言：『世尊為自知見彼波梨子，為諸天來語。』佛言：『我亦自知，亦諸天來語故知，此毘舍離阿由大將，身壞命終，生忉利天。彼來語我言：波梨梵志子不知羞慚，犯戒妄語，在毘舍離，於大眾中作如是誹謗言，阿由陀大將身壞命終，生起屍鬼中，然我實身壞命終，生忉利天。波梨子我先自知，亦諸天來語故知。』佛告愚人善宿：『汝不信我言者，入毘舍離，隨汝唱之，我食後當往詣波梨梵志子所。』」

> 善宿が言いました。「世尊は口を守られ、如来は口を守られます。」 仏は善宿に告げられました。「なぜ、世尊は口を守り、如来は口を守ると言うのか。」 善宿は答えました。「あの波梨子は大いなる威神と徳の力を持っています。もし彼が来たなら、世尊の言葉が虚ろになるのではないでしょうか。」 仏は善宿に告げられました。「如来の言葉に二つあるだろうか。」 善宿は答えました。「ありません。」 また告げられました。「二つがないなら、なぜ世尊は口を守り、如来は口を守ると言うのか。」 善宿は仏に申し上げました。「世尊はご自身で波梨子をご存知なのですか、それとも諸天が語ったのですか。」 仏は言われました。「私は自らも知り、また諸天が語ったことによっても知っている。この毘舎離の阿由大将は、身を壊し命を終えて、忉利天に生まれた。彼が私にこう語った。『波梨梵志の子は恥を知らず、戒を犯して妄語を吐き、毘舎離の大衆の中でこのように誹謗した。「阿由陀大将は身を壊し命を終えて、起屍鬼の中に生まれた」と。しかし私は実際には身を壊し命を終えて、忉利天に生まれたのだ』と。波梨子のことは、私が先に自ら知り、また諸天が語ったことによっても知っている。」 仏は愚かな善宿に告げられました。「もし私の言葉を信じないなら、毘舎離に入り、お前の言う通りに唱えよ。私は食事の後、波梨梵志の子のもとへ赴くつもりだ。」

佛告梵志：「時，彼善宿過其夜已，著衣持鉢，入城乞食。時，彼善宿向毘舍離城中眾多婆羅門、沙門、梵志，具說此言：『波梨梵志子於大眾中說如此言：沙門瞿曇有大智慧，我亦有大智慧；沙門瞿曇有大威力，我亦有大威力；沙門瞿曇有大神足，我亦有大神足；沙門現一，我當現二；乃至沙門隨所現多少，我盡當倍。而今沙門瞿曇欲詣彼波梨子所，汝等眾人盡可詣彼。』時，波梨梵志在道而行，善宿見已，速詣其所，語言：『汝於毘舍離大眾中作如是言，沙門瞿曇有大智慧，我亦有大智慧，乃至沙門瞿曇，隨所現神足多少，我盡當倍。瞿曇聞此言，今欲來至汝所，汝可速歸。』報言：『我當歸耳！我當歸耳！』作此語已，尋自惶懼，衣毛為竪，不還本處，乃詣道頭波梨梵志林中，坐繩床上，愁悶迷亂。」

> 仏は梵志に告げられた：「その時、善宿は夜が明けると、衣をまとって鉢を持ち、町に入り托鉢をした。彼は毘舎離の町で多くの婆羅門、沙門、梵志に向かって、こう言い広めた：『波梨梵志の子が大衆の中でこう言った。沙門瞿曇には大いなる智慧があり、私にも大いなる智慧がある。沙門瞿曇には大いなる威力があり、私にも大いなる威力がある。沙門瞿曇には大いなる神通力があり、私にも大いなる神通力がある。沙門が一つを示せば、私は二つを示そう。沙門が示す数に応じて、私は必ず倍にして見せよう。今、沙門瞿曇はその波梨子のもとへ行こうとしている。あなた方も皆、そこへ行くがよい。』その時、波梨梵志は道を歩いていた。善宿はそれを見ると、急いで彼のもとへ行き、言った：『あなたは毘舎離の大衆の中でこう言った。沙門瞿曇には大いなる智慧があり、私にも大いなる智慧がある。沙門瞿曇が示す神通力の数に応じて、私は必ず倍にして見せよう、と。瞿曇はこの言葉を聞き、今あなたのもとへ来ようとしている。急いで帰ったほうがよい。』彼は答えた：『帰ろう、帰ろう。』そう言うと、たちまち恐れおののき、身の毛が逆立ち、自分の住処には戻らず、道端の波梨梵志の林へと向かい、縄床に座って、憂いに沈み心乱れていた。」

佛告梵志：「我於食後與眾多隸車、沙門、婆羅門、梵志、居士詣波梨子住處，就座而坐。於彼眾中有梵志名曰遮羅，時，眾人喚彼遮羅而告之曰：『汝詣道頭林中語波梨子言：「今眾多隸車、沙門、婆羅門、梵志、居士盡集汝林，眾共議言：『梵志波梨於大眾中自唱此言：「沙門瞿曇有大智慧，我亦有大智慧，乃至瞿曇隨現神足多少，我盡能倍。」沙門瞿曇故來至汝林中，汝可來看。』」』於是，遮羅聞眾人語已，即詣道頭林語波梨子言：『彼眾多隸車、沙門、婆羅門、梵志、居士盡集在汝林，眾共議言：「梵志波梨子於大眾中自唱此言：『沙門瞿曇有大智慧，我亦有大智慧，乃至沙門瞿曇現神足，隨現多少，我盡能倍。』瞿曇今在彼林中，波梨今者寧可還也。」』爾時，波梨梵志即報遮羅曰：『當歸！當歸！』作是語已，於繩床上轉側不安。爾時，繩床復著其足，彼乃不能得離繩床，況能行步至世尊所？

> 仏は梵志に告げられた。「私は食事の後、多くの隷車、沙門、婆羅門、梵志、居士たちと共に波梨子の住処へ赴き、着座した。その場にいた梵志の中に遮羅という者がいた。すると、人々はその遮羅を呼び寄せてこう言った。『お前は道頭の林へ行き、波梨子にこう伝えよ。「今、多くの隸車、沙門、婆羅門、梵志、居士たちがそなたの林に集まっている。一同で話し合ってこう言っている。『梵志の波梨は大衆の中で自らこう言い放った。『沙門の瞿曇には大いなる智慧がある。私にも大いなる智慧がある。さらには、瞿曇が神通力をどれほど示そうと、私はすべてそれを倍にして示すことができる。』と。」沙門の瞿曇はわざわざそなたの林に来られた。そなたも見に来るがよい。」』と。」そこで、遮羅は人々の言葉を聞くと、すぐに道頭の林へ行き、波梨子に言った。『あの多くの隸車、沙門、婆羅門、梵志、居士たちがそなたの林に集まっています。一同で話し合ってこう言っています。「梵志の波梨子は大衆の中で自らこう言い放った。『沙門の瞿曇には大いなる智慧がある。私にも大いなる智慧がある。さらには、沙門の瞿曇が神通力を示し、どれほど示そうと、私はすべてそれを倍にして示すことができる。』と。」瞿曇は今、あの林におられます。波梨よ、今こそ戻ってくるべきではないか。」』その時、波梨梵志は遮羅に答えた。『戻ろう！戻ろう！』そう言うと、彼は縄床の上で身をよじり、落ち着かない様子だった。その時、縄床が彼の足に絡みつき、彼は縄床から離れることさえできず、ましてや歩いて世尊のもとへ行くことなどできなかった。

「時，遮羅語波梨言：『汝自無智，但有空聲為言：「當歸！當歸！」尚自不能離此繩床，何由能得至大眾所？』呵責波梨子已，即還詣大眾所，報言：『我以持眾人聲，往語波梨子，彼報我言：「當歸！當歸！」即於繩床上動轉其身，床即著足不能得離，彼尚不能離其繩床，何由能得來到此眾？』爾時，有一頭摩隸車子在眾中坐，即從座起，偏露右臂，長跪叉手，白彼眾言：『大眾小待，我今自往將彼人來。』」

> その時、遮羅が波梨に言いました。「あなたは自分に知恵がなく、ただ空しい声で『帰る！帰る！』と言っているだけです。まだこの縄の床から離れることさえできないのに、どうして大衆のところに行けるというのですか？」波梨子を叱責した後、遮羅はすぐに大衆のところに戻り、報告しました。「私はみなの声を持って波梨子のところに行き、伝えました。彼は私に『帰る！帰る！』と答え、縄の床の上で体を動かそうとしましたが、床が足に張り付いて離れられませんでした。彼はまだ自分の縄の床から離れることさえできないのです。どうしてここに来ることができるでしょうか？」 その時、大衆の中に座っていた一人の頭摩隸車子が、席から立ち上がりました。右肩をあらわにし、ひざまずいて手を合わせ、その大衆に申し上げました。「大衆の皆様、しばらくお待ちください。私が今、自ら行ってあの人を連れて参ります。」

佛言：「我爾時語頭摩隸車子言：『彼人作如是語，懷如是見，起如是慢，欲使此人來至佛所，無有是處。頭摩子！正使汝以革繩重繫，群牛共挽，至彼身碎，彼終不能捨如是語、如是見、如是慢，來至我所。若不信我言，汝往自知。』爾時，頭摩隷車子故往至波梨子所，語波梨子言：『眾多隸車、沙門、婆羅門、梵志、居士盡集汝林，眾共議言：「梵志波梨子於大眾中口自唱言：『沙門瞿曇有大智慧，我亦有大智慧乃至沙門瞿曇現其神足，隨所現多少，我盡能倍。』瞿曇沙門今在彼林，汝可還歸。」』爾時，波梨子即報言：『當歸！當歸！』作是語已，於繩床上動轉其身，爾時繩床復著其足，彼乃不能自離繩床，況復行步至世尊所？

> 仏は言われた。「その時、私は頭摩隷車子にこう言った。『あの人はこのような言葉を語り、このような見解を持ち、このような慢心を起こしている。そんな人が仏のもとに来ることは、ありえない。頭摩子よ。たとえあなたが革の縄で彼をしっかり縛り、多くの牛で引きずったとしても、たとえ彼の体が砕け散るほどになっても、彼は決してこのような言葉、このような見解、このような慢心を捨てて、私のもとに来ることはない。もし私の言葉を信じないなら、あなた自身で行って確かめるがよい』」 その時、頭摩隷車子はやはり波梨子のもとへ行き、波梨子に言った。「多くの隷車、沙門、婆羅門、梵志、居士たちがあなたの林に集まり、皆でこう議しています。『梵志波梨子は大衆の中で自らこう宣言した。「沙門瞿曇は大いなる智慧を持っているが、私もまた大いなる智慧を持っている。沙門瞿曇が神通力を示すならば、彼がどれほど示そうとも、私は必ずそれを倍にしてみせる」と』。瞿曇沙門は今あの林におられます。あなたは戻られるのがよいでしょう」 その時、波梨子は答えて言った。「戻ろう、戻ろう」。そう言うと、彼は縄床の上で体を動かそうとしたが、その縄床が彼の足に絡みつき、彼は縄床から自分で離れることさえできなかった。ましてや歩いて世尊のもとに行くことなど、どうしてできようか。

「時，頭摩語波梨子言：『汝自無智，但有空聲為言：「當歸！當歸！」尚自不能離此繩床，何由能得至大眾所？』頭摩復語波梨子曰：『諸有智者，以譬喻得解，乃往久遠有一師子獸王在深林中住，師子清旦初出窟時，四向顧望，奮迅三吼，然後遊行擇肉而食。波梨子！彼師子獸王食已還林，常有一野干隨後食殘，氣力充足便自言：「彼林師子竟是何獸？能勝我耶？今寧可獨擅一林，清旦出窟，四向顧望，奮迅三吼，然後遊行，擇肉而食耶！」彼尋獨處一林，清旦出窟，奮迅三吼，然後遊行，欲師子吼，作野干鳴。波梨子！汝今亦爾，蒙佛威恩，存生於世，得人供養，而今更與如來共競。』時，頭摩子以偈責數曰：

> その時、頭摩は波梨子に言いました。「あなたは自分に智慧がないのに、ただ空しい声で『帰ろう！帰ろう！』と言っているだけです。まだこの縄床から離れることさえできないのに、どうして大衆のいる所へ行けましょうか。」 頭摩はさらに波梨子に言いました。「智慧ある者は、譬えによって理解を得るのです。はるか昔、ある獅子の獣王が深い林に住んでいました。獅子は朝早く巣穴から出ると、四方を見回し、三度力強く吼えてから、歩き回って肉を選んで食べました。波梨子よ、その獅子の獣王が食べ終えて林に戻ると、いつも一匹のジャッカルが後について残りを食べ、力が満ち足りると、こう言いました。『あの林の獅子はいったい何という獣だ？ 私に勝てるというのか？ 今こそ私が一つの林を独占し、朝早く巣穴から出て、四方を見回し、三度力強く吼えてから、歩き回って肉を選んで食べようではないか！』 そこで彼はただ一匹で一つの林に留まり、朝早く巣穴から出て、三度力強く吼えてから、歩き回ろうとしましたが、獅子の吼え声を出そうとして、ジャッカルの鳴き声になってしまいました。波梨子よ、あなたも今、同じです。仏の威徳と恩恵によって、この世に生き長らえ、人々の供養を受けているのに、今さらに如来と競おうとしているのです。」 その時、頭摩子は偈をもって責め、数え上げて言いました。

「『野干稱師子，自謂為獸王；欲作師子吼，還出野干聲。獨處於空林，自謂為獸王；欲作師子吼，還出野干聲。跪地求穴鼠，穿塚覓死屍；欲作師子吼，還出野干聲。』

> 「野干が獅子を名乗り、自分こそが獣の王だと称する。 獅子の咆哮をしようとしても、結局は野干の声しか出ない。 ただ一人、空っぽの林にいて、自分こそが獣の王だと称する。 獅子の咆哮をしようとしても、結局は野干の声しか出ない。 地面にひざまずいて穴鼠を求め、墓を掘って死骸を探す。 獅子の咆哮をしようとしても、結局は野干の声しか出ない。」

「頭摩子告曰：『汝亦如是，蒙佛恩力，存生於世，得人供養，而今更與如來共競。』時，彼頭摩子以四種喻，面呵責已，還詣大眾，報言：『我以持眾人聲喚波梨子，彼報我言：「當歸！當歸！」即於繩床上動轉其身，床即著足不能得離；彼尚不能自離繩床何由能得來到此眾？』爾時，世尊告頭摩子言：『我先語汝，欲使此人來至佛所，無有是處。正使汝以革繩重繫，群牛共挽，至身碎壞，彼終不肯捨如是語、如是見、慢，來至我所。』梵志！時，我即與彼大眾種種說法，示教利喜，於彼眾中三師子吼，身昇虛空，還詣本處。」

> 頭摩子は告げて言いました。「あなたもまた同じです。仏の恩の力によって、この世に生きながらえ、人々の供養を受けているのに、今さらに如来と競おうとしているのです。」その時、頭摩子は四つの譬えを用いて、面と向かって彼を叱責し、大衆のもとに戻り、報告しました。「私は皆の声を借りて波梨子を呼びましたが、彼は『戻ります、戻ります』と答えました。すると、彼は縄の床の上で身を動かそうとしたのですが、床が足にくっついて離れられませんでした。彼は自分の縄の床からさえ離れることができないのに、どうしてこの大衆のもとに来ることができましょうか。」 その時、世尊は頭摩子に言われました。「私は先にあなたに言ったでしょう。この者を仏のもとに来させようとしても、それは無理なことだ、と。たとえあなたが革の縄で彼をしっかりと縛り、多くの牛で引っ張ったとしても、たとえ身が砕け散るほどになっても、彼は決してその言葉、その見解、その慢心を捨てて、私のもとに来ようとはしないでしょう。」 梵志よ、その時、私はその大衆に向かって様々な法を説き、教えを示し、喜びを与えました。そして、その大衆の中で三度獅子吼をなし、虚空に身を昇らせて、もとの場所に戻ったのです。

佛告梵志：「或有沙門、婆羅門言：『一切世間，梵自在天所造。』我問彼言：『一切世間實梵自在天所造耶？』彼不能報，還問我言：『瞿曇！此事云何？』我報彼言：『或有此世間初壞敗時，有餘眾生命盡行盡，從光音天命終乃更生餘空梵處；於彼起愛，生樂著心，復欲使餘眾生來生此處，其餘眾生命盡行盡，復生彼處。』時，彼眾生自作是念：『我今是大梵王，忽然而有，無作我者；我能盡達諸義所趣，於千世界最得自在；能作能化，微妙第一，為人父母。我先至此，獨一無侶，由我力故，有此眾生，我作此眾生；彼餘眾生亦復順從，稱為梵王，忽然而有，盡達諸義，於千世界最得自在，能作能化，微妙第一，為人父母，先有是一，後有我等，此大梵王化作我等。此諸眾生隨彼壽終來生此間，其漸長大，剃除鬚髮，服三法衣，出家為道。彼入定意三昧，隨三昧心憶本所生，彼作是語：此大梵天忽然而有，無有作者，盡達諸義，於千世界最得自在，能作能化，微妙第一，為人父母。彼大梵天常住不移，無變易法，我等梵天所化，是以無常，不得久住，為變易法。』如是，梵志！彼沙門、婆羅門以此緣故，各言彼梵自在天造此世界。梵志！造此世界者，非彼所及，唯佛能知。又過此事，佛亦盡知，雖知不著苦、集、滅、味、過、出要，如實知之，以平等觀無餘解脫，名曰如來。」

> 仏は梵志に告げられた。「ある沙門や婆羅門はこう言う。『すべての世界は、梵自在天によって造られたものである』と。私は彼らに尋ねる。『すべての世界は、本当に梵自在天によって造られたのか？』と。彼らは答えられず、逆に私に問う。『瞿曇よ、このことはどうなのか？』と。私は彼らに答える。『ある時、この世界が初めて壊れ滅びたとき、多くの衆生が寿命を終え、行いを終えて、光音天から命終し、再び空の梵天の世界に生まれることがあった。彼らはそこで愛を起こし、楽しみに執着する心を生じ、さらに他の衆生をこの世界に来させようと欲した。他の衆生もまた寿命を終え、行いを終えて、そこに生まれた。その時、彼ら衆生は自らこう思った。「私は今、大梵天王である。突然に現れたのであって、私を作ったものはいない。私はあらゆる道理を完全に悟り、千の世界において最も自在である。物を作り、化すことができ、微妙で第一であり、人々の父母である。私は最初にここに至り、ただ一人で伴侶はいなかった。私の力によって、これらの衆生があり、私はこの衆生を作ったのだ。」と。他の衆生たちもまたこれに従い、彼を梵王と呼び、突然に現れ、あらゆる道理を悟り、千の世界において最も自在であり、物を作り、化すことができ、微妙で第一であり、人々の父母であるとし、先に彼がいて、後に私たちがいる、この大梵天王が私たちを作ったのだと。これらの衆生は彼の寿命が終わると、この世界に生まれてくる。彼らは次第に成長し、髭や髪を剃り、三つの法衣を着て、出家して道を求める。彼らは禅定に入り、その三昧の心によって、かつて生まれたところを思い出す。そして彼らはこう言う。『この大梵天は突然に現れたのであって、これを作ったものはいない。あらゆる道理を悟り、千の世界において最も自在である。物を作り、化すことができ、微妙で第一であり、人々の父母である。その大梵天は常住して動かず、変わることのない法である。私たちは梵天によって化されたものであるから、無常であり、久しく住むことができず、変わりゆく法である。』と。このように、梵志よ、彼ら沙門や婆羅門はこの縁故によって、それぞれが梵自在天がこの世界を造ったと言うのです。梵志よ、この世界を造ったものは、彼らの及ぶところではありません。ただ仏だけが知ることができるのです。さらにこのことを超えた事柄も、仏はすべて知っています。知りながらも、苦・集・滅・味・過・出要に執着せず、ありのままに知り、平等の観をもって余すところなく解脱した者を、如来と名づけるのです。」

佛告梵志：「或有沙門、婆羅門作是言：『戱笑懈怠是眾生始。』我語彼言：『云何汝等實言，戱笑懈怠是眾生始耶？』彼不能報，逆問我言：『瞿曇！此事云何？』時我報言：『或有光音眾生喜戱笑懈怠，身壞命終，來生此間，漸漸長大，剃除鬚髮，服三法衣，出家修道，便入心定三昧，以三昧力識本所生，便作是言：彼餘眾生不喜戱笑，常在彼處，永住不變；由我等數喜戱笑，致此無常，為變易法。』如是，梵志！彼沙門、婆羅門以是緣故，言戱笑是眾生始，如是佛盡知之，過是亦知，知而不著，已不著苦、集、滅、味、過、出要，如實知之，已平等觀無餘解脫，名曰如來。」

> 仏は梵志に告げられた：「ある沙門や婆羅門はこう言う。『戯れと怠け心が衆生の始まりである』と。私は彼らに尋ねる。『あなた方は本当に、戯れと怠け心が衆生の始まりだと言うのですか？』と。彼らは答えられず、逆に私に問う。『瞿曇よ、このことについてどうお考えですか？』と。その時私は答える。『ある光音天の衆生は戯れと怠けを好み、その身が滅び命終わってこの世に生まれ、次第に成長し、髪やひげを剃り、三法衣をまとって出家し道を修める。そして心を定める三昧に入り、三昧の力によって本来の生まれを知る。そこでこう言うのだ。「あの他の衆生は戯れを好まず、常にあの場所に留まり、永遠に変わらない。我々がたびたび戯れを好んだために、この無常に至り、変わりゆく法となった」と』。このように、梵志よ、彼ら沙門や婆羅門はこの縁故をもって、戯れが衆生の始まりだと言うのです。このように仏はすべてを知り、これを超えたことも知り、知りながら執着せず、すでに苦・集・滅・味・過・出要に執着せず、ありのままに知り、平等に観て余すところなく解脱した。これを如来と名づけるのです。」

佛告梵志：「或有沙門、婆羅門言：『失意是眾生始。』我語彼言：『汝等實言：失意是眾生始耶？』彼不知報，還問我言：『瞿曇！此事云何？』我語彼言：『或有眾生展轉相看已，便失意，由是命終，來生此間，漸漸長大，剃除鬚髮，服三法衣，出家修道，便入心定三昧，以三昧力識本所生，便作是言：如彼眾生以不展轉相看，不失意故，常住不變；我等於彼數數相看已，便失意，致此無常，為變易法。』如是，梵志！彼沙門、婆羅門以是緣故，言失意是眾生始，如此唯佛知之，過是亦知，知已不著苦、集、滅、味、過、出要，如實知之，知已平等觀無餘解脫，故名如來。」

> 仏は梵志に告げられた。「ある沙門や婆羅門は『失意こそ衆生の始まりである』と言う。私は彼らに問うた。『あなた方は本当に、失意が衆生の始まりだと言うのですか？』と。彼らは答えを知らず、逆に私に尋ねる。『瞿曇よ、この事はどういうことですか？』と。私は彼らに答える。『ある衆生は互いに見つめ合った後、失意に陥り、それによって命を終え、この世に生まれ変わってくる。次第に成長し、ひげや髪を剃り、三つの法衣をまとって出家し、修行に入る。そして心を定める三昧に入り、その三昧の力によって前世の生を識る。そこでこう言うのだ。あの衆生たちは互いに見つめ合わなかったから、失意せずに常住不変でいられた。我々は彼らと繰り返し見つめ合ったために失意し、この無常なる変易の法を招いたのだ、と』。このように、梵志よ、彼ら沙門や婆羅門はこの縁故をもって、失意が衆生の始まりだと言うのである。このことはただ仏のみが知り、これを超えたことも知る。知った後も、苦・集・滅・味・過・出要に執着せず、あるがままに知る。知った後は平等に観じ、余すところなく解脱する。それゆえに如来と呼ばれるのである。」

佛告梵志：「或有沙門、婆羅門言：『我無因而出。』我語彼言：『汝等實言：本無因出耶？』彼不能報，逆來問我，我時報曰：『或有眾生無想無知，若彼眾生起想，則便命終來生此間，漸漸長大，剃除鬚髮，服三法衣，出家修道，便入心定三昧，以三昧力識本所生，便作是言：我本無有，今忽然有；此世間本無，今有，此實餘虛。』如是，梵志！沙門、婆羅門以此緣故，言無因出，唯佛知之，過是亦知，知已不著苦、集、滅、味、過、出要，如實知之，已平等觀無餘解脫，故名如來。」

> 仏は梵志に告げられた。「ある沙門や婆羅門は『我々は原因なくして現れた』と言う。私は彼らに尋ねる『あなた方は本当に、元々原因なくして現れたと言うのか？』と。彼らは答えられず、逆に私に問い返してくる。その時私は答えるのだ。『ある衆生は想いも知覚もない状態にある。もしその衆生に想いが生じれば、命を終えてこの世に生まれ来る。次第に成長し、髪やひげを剃り、三法衣をまとい、出家して道を修める。そして心の定に入り三昧を得る。三昧の力によって、かつて生まれたことを識り、こう言うのである。我は本来無かったが、今忽然と有るようになった。この世間も本来無かったが、今有るようになった。これが真実で、他は虚妄である、と。』このように、梵志よ。沙門や婆羅門はこの縁故をもって、原因なくして現れたと言うのである。ただ仏のみがこれを知り、これを超えたことも知る。知りながらも、苦・集・滅・味・過・出要に執着せず、ありのままに知る。既に平等に観じ、余すところなく解脱した。それゆえに如来と呼ばれるのである。」

佛告梵志：「我所說如是，或有沙門、婆羅門於屏處誹謗我言：『沙門瞿曇自稱弟子入淨解脫，成就淨行，彼知清淨，不遍知淨。』然我不作是說：『我弟子入淨解脫，成就淨行，彼知清淨，不遍知淨。』梵志！我自言：『我弟子入淨解脫，成就淨行，彼知清淨，一切遍淨。』」

> 仏陀は梵志に告げられた。「私が説くことはこのとおりである。ある沙門や婆羅門が、人目につかない場所で私を誹謗してこう言うことがある。『沙門瞿曇は自らの弟子が清浄なる解脱に入り、清浄なる行いを成就したと称しているが、彼は清浄を知るだけで、清浄をあまねく知ってはいない』と。しかし、私は決して『我が弟子は清浄なる解脱に入り、清浄なる行いを成就し、彼は清浄を知るが、清浄をあまねく知ってはいない』などとは説いていない。梵志よ、私はこう説いているのだ。『我が弟子は清浄なる解脱に入り、清浄なる行いを成就し、彼は清浄を知り、一切をあまねく清浄と知る』と。」

是時，梵志白佛言：「彼不得善利，毀謗沙門瞿曇言：『沙門自言：「我弟子入淨解脫，成就淨行，彼知清淨，不遍知淨。」』然世尊不作是語，世尊自言：『我弟子入淨解脫，成就淨行，彼知清淨，一切遍淨。』」

> その時、梵志は仏に申し上げました。「あの者は善き利益を得ず、沙門瞿曇を誹謗して言うのです：『沙門は自ら言う：「我が弟子は清浄なる解脱に入り、清浄なる行いを成就する。彼は清浄を知るが、清浄をあまねく知ることはない」と』。しかし世尊はそのような言葉をなさらず、世尊は自ら言われます：『我が弟子は清浄なる解脱に入り、清浄なる行いを成就する。彼は清浄を知り、一切を遍く清浄とする』と」。

又白佛言：「我亦當入此淨解脫，成就淨行，一切遍知。」

> また仏に申し上げました：「私もこの清らかな解脱に入り、清らかな行いを成就し、すべてを遍く知りたいと願います。」

佛告梵志：「汝欲入者，甚為難也。汝見異、忍異、行異，欲依餘見入淨解脫者，難可得也；但使汝好樂佛，心不斷絕者，則於長夜，常得安樂。」

> 仏陀は梵志に告げられた：「あなたが入ろうとすることは、まことに難しいことです。あなたは異なる見解を持ち、異なる考えに執着し、異なる行いをしています。他の教えに依りながら清らかな解脱に入ろうとするのは、得難いことです。ただ、あなたが仏を深く敬い、その心を絶やさないならば、長き夜の中にあっても常に安らぎを得ることができるでしょう。」

爾時，房伽婆梵志聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、房伽婆梵志は仏の説かれた教えを聞き、歓喜してそれに従って実践した。