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title: "長阿含經 · 20 阿摩晝經"
description: "長阿含經是佛教原始經典四阿含之一，由後秦時期譯師佛陀耶舍與竺佛念共同譯出。該經成書於公元前1世紀左右，屬早期佛教根本聖典，記載了佛陀與弟子們的言行教法。全經共30卷，分為四分，主要內容包括佛陀生平、教義闡述、修行方法及宇宙觀等，系統性保存了原始佛教的基本教理。作為漢傳佛教重要典籍，長阿含經被視為研究原始佛教思想的核心文獻，在佛教經典體系中具有不可替代的權威地位，對後世佛教發展影響深遠。"
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### （二〇）第三分阿摩晝經第一

> 第三分 阿摩晝経 第一

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊俱薩羅國，與大比丘眾千二百五十人俱，至伊車能伽羅俱薩羅婆羅門村，即於彼伊車林中止宿。

> ある時、仏はコーサラ国を遊行され、千二百五十人の大比丘衆と共にいた。イチャーナンガラというコーサラ国のバラモンの村に至り、そのイチャーナンガラの林の中に止宿された。

時，有沸伽羅娑羅婆羅門，止郁伽羅村，其村豐樂，人民熾盛，波斯匿王即封此村，與沸伽羅娑羅婆羅門，以為梵分。此婆羅門七世已來父母真正，不為他人之所輕毀，三部舊典諷誦通利，種種經書皆能分別，又能善解大人相法、祭祀儀禮，有五百弟子，教授不廢。其第一摩納弟子名阿摩晝，七世以來父母真正，不為他人之所輕毀，三部舊典諷誦通利，種種經書皆能分別，亦能善解大人相法、祭祀儀禮，亦有五百摩納弟子，教授不廢，與師無異。

> 時に、沸伽羅娑羅というバラモンが、郁伽羅村に住んでいた。その村は豊かで楽しく、人々が多く集まっていた。波斯匿王はこの村を封じて、沸伽羅娑羅バラモンに与え、バラモンの分け前とした。このバラモンは七代にわたり、父母共に純粋な家系で、誰からも軽蔑されることなく、三つの古い聖典を暗唱し理解し、様々な経典を区別することができ、また偉人の相法や祭祀の儀礼にも精通していた。五百人の弟子を抱え、教えを絶やすことなく伝えていた。 その第一の弟子である摩納（若いバラモン）の名は阿摩晝といい、彼もまた七代にわたり父母共に純粋な家系で、誰からも軽蔑されることなく、三つの古い聖典を暗唱し理解し、様々な経典を区別することができ、偉人の相法や祭祀の儀礼にも精通していた。彼にも五百人の摩納弟子がおり、師と変わらず教えを絶やすことなく伝えていた。

時，沸伽羅娑羅婆羅門聞沙門瞿曇釋種子出家成道，與大比丘眾千二百五十人俱，至伊車能伽羅俱薩羅婆羅門村，止伊車林中，有大名稱，流聞天下，如來、至真、等正覺，十號具足，於諸天、世人、魔、若魔、天、沙門、婆羅門中，自身作證，為他說法，上中下善，義味具足，梵行清淨。如此真人應往親覲，我今寧可觀沙門瞿曇，為定有三十二相，名聞流布，為稱實不？當以何緣得見佛相？復作是念言：今我弟子阿摩晝，七世以來父母真正，不為他人之所輕毀，三部舊典諷誦通利，種種經書盡能分別，又能善解大人相法、祭祀儀禮，唯有此人可使觀佛，知相有無。

> その時、沸伽羅娑羅というバラモンが聞いた。沙門ゴータマが釈迦族の出身であり、出家して悟りを開き、大比丘の衆千二百五十人と共に、伊車能伽羅俱薩羅というバラモンの村に至り、伊車林に滞在していると。その名声は大きく、天下に広まっている。如来・至真・等正覚であり、十の尊称を備え、諸天・世人・魔・魔天・沙門・バラモンの中にあって自ら証を得、他者のために法を説く。その教えは上中下の善を備え、義味が満ち、梵行は清らかである。このような真人に親しく会うべきだ。今、私は沙門ゴータマを見て、本当に三十二相があるのか、その名声は事実に基づいているのかを確かめよう。どうすれば仏の相を見ることができるだろうか。そして、こう考えた。今、私の弟子である阿摩晝は、七代にわたり父母が正しく、他人から軽蔑されることもなく、三つの古い聖典を暗誦し理解し、様々な経典をすべて区別でき、さらに大人の相法や祭祀の儀礼にも詳しい。この者だけが仏を見て、相の有無を知ることができるだろう。

時，婆羅門即命弟子阿摩晝而告之曰：「汝往觀彼沙門瞿曇，為定有三十二相，為虛妄耶？」

> その時、婆羅門は弟子の阿摩晝を呼び寄せ、こう告げました。「そなたは行って、あの沙門瞿曇をよく見てくるがよい。三十二相が本当に備わっているのか、それとも虚偽なのかを確かめてまいれ」

時，阿摩晝尋白師言：「我以何驗觀瞿曇相，知其虛實？」

> その時、阿摩晝は尋ねて師に言った。「私はどのような方法で瞿曇（釈尊）の相を見れば、その真偽を知ることができるでしょうか？」

師即報曰：「我今語汝，其有具足三十二大人相者，必趣二處，無有疑也。若在家，當為轉輪聖王，王四天下，以法治化統領民物，七寶具足：一、金輪寶，二、白象寶，三、紺馬寶，四、神珠寶，五、玉女寶，六、居士寶，七、典兵寶。王有千子，勇猛多智，降伏怨敵，兵杖不用，天下泰平，國內民物無所畏懼。若其不樂世間，出家求道，當成如來、至真、等正覺，十號具足。以此可知瞿曇虛實。」

> 師はすぐに答えて言いました。「今、あなたにお伝えします。三十二の大人相をすべて備えた者は、必ず二つの道のいずれかをたどります。疑いはありません。もし在家のままならば、転輪聖王となり、四天下を治め、法に従って民や万物を統治します。七つの宝がすべて揃います。第一に金輪宝、第二に白象宝、第三に紺馬宝、第四に神珠宝、第五に玉女宝、第六に居士宝、第七に典兵宝です。王には千人の王子がおり、勇猛で知恵に富み、敵を降伏させます。武器を使うこともなく、天下は平和に満ち、国中の民や万物は何も恐れることがありません。もし世間の楽しみを求めず、出家して道を求めるならば、如来となり、至真・等正覚を成し遂げ、十の尊称をすべて備えます。これによって、瞿曇（釈迦）の真偽を知ることができるのです。」

時，阿摩晝受師教已，即嚴駕寶車，將五百摩納弟子，清旦出村，往詣伊車林。到已下車，步進詣世尊所；佛坐彼立，佛立彼坐，於其中間共談義理。佛告摩納曰：「汝曾與諸耆舊長宿大婆羅門如是論耶？」

> 時、阿摩晝は師の教えを受け、直ちに宝車を整え、五百の摩納弟子を率いて、早朝に村を出て、伊車林に向かった。到着すると車を降り、歩いて世尊のもとに進んだ。仏が座れば彼は立ち、仏が立てば彼は座り、その間、互いに義理を論じた。仏は摩納に告げた。「汝はかつて諸々の耆旧長宿たる大婆羅門と、このように論じたことがあるか。」

摩納白佛：「此為何言？」

> 若那が仏に申し上げました。「これはどういう意味でしょうか？」

佛告摩納：「我坐汝立，我立汝坐，中間共論，汝師論法當如是耶？」

> お釈迦様はモーナに言われました。「私が座っているのにあなたは立ち、私が立っているのにあなたは座り、そのような状態で共に議論をする。あなたの師は、そのようなやり方で教えを説くのですか？」

摩納白佛言：「我婆羅門論法，坐則俱坐，立則俱立，臥則俱臥。今諸沙門毀形鰥獨，卑陋下劣，習黑冥法，我與此輩共論義時，坐起無在。」

> 若者モーナは仏陀に申し上げました。 「我らバラモンの論法は、座る時は共に座り、立つ時は共に立ち、臥す時は共に臥します。 ところが今の沙門どもは、身を傷つけ独り身で、卑しく下劣であり、暗黒の法を習っています。 私がこの輩と議論する時は、座るも立つも定まりがありません。」

爾時，世尊即語彼言：「卿摩納未被調伏。」

> その時、世尊は彼にこうおっしゃいました。「あなたはまだ心が調えられていないのです。」

時，摩納聞世尊稱卿，又聞未被調伏，即生忿恚，毀謗佛言：「此釋種子，好懷嫉惡，無有義法。」

> その時、モーナは世尊が自分を「卿」と呼び、また「まだ調伏されていない」と言われたのを聞いて、たちまち怒りと恨みを生じ、仏を謗って言いました。「この釈迦族の者は、嫉妬と悪意に満ちており、正しい道理がありません。」

佛告摩納：「諸釋種子，何過於卿？」

> 仏は摩納に告げられた：「諸々の釈迦族の者たちは、あなたに何の過ちを犯したというのですか？」

摩納言：「昔我一時為師少緣，在釋迦迦維羅越國。時，有眾多諸釋種子，以少因緣集在講堂，遙見我來，輕慢戲弄，不順儀法，不相敬待。」

> 昔、私は一時、師の下で修行していた頃、釈迦族の国カピラヴァストゥに滞在していました。ある時、多くの釈迦族の若者たちが、ちょっとした用事で集会所に集まっていました。彼らは遠くから私が来るのを見ると、軽くあしらい、からかい、礼儀作法をわきまえず、敬意をもって接しようとしませんでした。

佛告摩納：「彼諸釋子還在本國，遊戲自恣，猶如飛鳥自於樔林，出入自在。諸釋種子自於本國，遊戲自在，亦復如是。」

> お釈迦さまはモーナに言われました。「あの釈迦族の若者たちは故郷に戻り、まるで巣箱の林を自由に出入りする鳥のように、思いのままに遊び楽しんでいます。釈迦族の若者たちも、同じように故郷で自由に遊び暮らしているのです。」

摩納白佛言：「世有四姓——剎利、婆羅門、居士、首陀羅，其彼三姓，常尊重、恭敬、供養婆羅門；彼諸釋子義不應爾。彼釋廝細、卑陋、下劣，而不恭敬我婆羅門。」

> マナは仏陀に申し上げました。「世には四つの階級があります——クシャトリヤ、バラモン、ヴァイシャ、シュードラ。そのうち前三者は常にバラモンを尊重し、敬い、供養しております。しかし、釈迦族の者たちは道理に反してそうしません。彼らは卑しく、粗野で、下劣でありながら、私たちバラモンを敬おうとしないのです。」

爾時，世尊默自念言：「此摩納子！數數毀罵言及廝細，我今寧可說其本緣調伏之耶！」佛告摩納：「汝姓何等？」

> その時、世尊は黙ってお考えになりました。「この若者は、何度も私を罵り、卑しい言葉まで使っている。今こそ、彼の過去の因縁を説いて調伏しよう。」 そこで仏は若者にお尋ねになりました。「あなたは何という姓をお持ちですか。」

摩納答言：「我姓聲王。」

> モナは答えて言いました。「私の姓は声王です。」

佛告摩納：「汝姓爾者，則為是釋迦奴種。」

> 仏は摩納に告げられた。「あなたがその姓ならば、それは釈迦の奴隷の種族である。」

時，彼五百摩納弟子，皆舉大聲而語佛言：「勿說此言！謂：『此摩納為釋迦奴種。』所以者何？此大摩納，真族姓子，顏貌端正，辯才應機，廣博多聞，足與瞿曇往返談論。」

> その時、五百人の弟子たちは一斉に声をあげて仏に言いました。 「どうかそのようなことをおっしゃらないでください。 『この若者は釈迦族の奴隷の生まれだ』などと。 なぜなら、この立派な若者は真の高貴な家柄の出身であり、 容姿も端正で、機に応じた弁舌を持ち、広く多くのことを知っています。 釈尊と対等に議論を交わすことができる方なのですから。」

爾時，世尊告五百摩納：「若汝師盡不如汝言者，當捨汝師共汝論義；若汝師有如上事如汝言者，汝等宜默，當共汝師論。」

> その時、世尊は五百人のバラモンの青年たちに告げられました。「もしあなた方の師が、あなた方の言う通りに完全に欠けているならば、あなた方の師を捨てて、私と議論をしなさい。もしあなた方の師が、あなた方の言う通りの事柄を備えているならば、あなた方は黙っていなさい。私があなた方の師と議論しましょう。」

時，五百摩納白佛言：「我等盡默，聽共師論。」時，五百摩納盡皆默然。

> その時、五百人の若き修行者たちが仏陀に申し上げました。 「私たちは皆、黙って師匠とあなたの議論を拝聴いたします。」 すると、五百人の若き修行者たちは、すべて静かに黙りました。

爾時，世尊告阿摩晝：「乃往過去久遠世時，有王名聲摩。王有四子：一名面光，二名象食，三名路指，四名莊嚴。其王四子少有所犯，王擯出國到雪山南，住直樹林中，其四子母及諸家屬，皆追念之，即共集議，詣聲摩王所，白言：『大王！當知我等與四子別久，欲往看視。』王即告曰：『欲往隨意。』時，母眷屬聞王教已，即詣雪山南直樹林中，到四子所。時諸母言：『我女與汝子，汝女與我子，即相配匹遂成夫婦，後生男子，容貌端正。』

> その時、世尊はアモーシュに告げられた。「はるか遠い昔の世に、声摩という名の王がいました。王には四人の息子がおり、長男は面光、次男は象食、三男は路指、四男は荘厳と申しました。ある時、四人の王子は些細な過ちを犯し、王によって国を追放され、雪山の南にある直樹の林に住むことになりました。 四人の王子の母や家族たちは皆、彼らを思い慕い、集まって話し合い、声摩王のもとへ赴いて申し上げました。『大王、私たちは四人の王子と長く別れております。どうかお会いに行かせてください』。王はお答えになりました。『行きたければ、どうぞご随意に』。 母や家族たちは王の許しを聞くと、すぐに雪山の南の直樹の林へ向かい、四人の王子のもとにたどり着きました。すると、母たちは言いました。『私の娘をあなたの息子に、あなたの娘を私の息子に娶わせ、互いに夫婦の縁を結びましょう』。こうして彼らは結婚し、後に立派な容貌の男子が生まれました。

「時，聲摩王聞其四子諸母與女共為夫婦，生子端正，王即歡喜，而發此言：『此真釋子！真釋童子！』能自存立，因此名釋釋，秦言能。在直樹林，故名釋。釋，秦言亦言直。聲摩王即釋種先也。王有青衣，名曰方面，顏貌端正，與一婆羅門交通，遂便有娠，生一摩納子，墮地能言，尋語父母：『當洗浴我，除諸穢惡；我年大已，自當報恩。』以其初生能言，故名聲王。如今初生有能言者，人皆怖畏，名為可畏；彼亦如是，生便能言，故名聲王。從此已來，婆羅門種遂以聲王為姓。」

> 時に、声摩王は、四人の王子たちの母や娘たちが共に夫婦となり、端正な子を生んだと聞き、王は喜んでこう言いました。「これは真の釈子だ！真の釈童子だ！」と。彼らは自ら生きる力を持っていたため、釈と名付けられました<note>釈とは、秦の言葉で「能」を意味します。まっすぐな樹林にいたことから、釈と呼ばれました。釈は、秦の言葉で「直」とも言います</note>。声摩王は釈迦族の始祖です。王には方面という名の侍女がおり、その容姿は端正で、一人の婆羅門と交わり、やがて身ごもり、一人の摩納子を生みました。その子は生まれるやいなや話すことができ、すぐに両親に言いました。「私を洗い清めて、すべての穢れを取り除いてください。私が成長したら、必ず恩に報いますから」と。生まれてすぐに話せたことから、声王と名付けられました。今でも生まれてすぐに話せる子がいると、人々は怖がり、恐ろしいと呼びますが、彼も同様に生まれながらにして話せたため、声王と呼ばれました。これ以来、婆羅門の一族は声王を姓としました。

又告摩納：「汝頗從先宿耆舊大婆羅門，聞此種姓因緣已不？」

> また、モーナよ、あなたは以前の年長の賢者である大バラモンから、この家系の由来について聞いたことがありますか？

時，彼摩納默然不對。如是再問，又復不對。佛至三問，語摩納言：「吾問至三，汝宜速答，設不答者，密迹力士手執金杵在吾左右，即當破汝頭為七分。」

> その時、若いバラモンは黙って答えなかった。同じように二度尋ねても、また答えなかった。仏陀が三度目に尋ねると、若いバラモンに言われた。「私は三度まで尋ねた。あなたはすぐに答えるべきだ。もし答えないなら、密迹力士が金剛杵を持って私のそばにいる。その力士があなたの頭を七つに砕くだろう。」

時，密迹力士手執金杵，當摩納頭上虛空中立，若摩納不時答問，即下金杵碎摩納首。佛告摩納：「汝可仰觀。」

> その時、密迹力士が金剛杵を手に取り、摩納の頭上、虚空の中に立っていた。もし摩納がすぐに問いに答えなければ、即座に金剛杵を下ろして摩納の頭を砕くところであった。仏は摩納に告げられた。「仰ぎ見よ。」

摩納仰觀，見密迹力士手執金杵立虛空中，見已恐怖，衣毛為竪，即起移坐附近世尊，依恃世尊為救為護，白世尊言：「世尊當問，我今當答。」

> モナは顔を上げて見上げると、密迹力士が金剛杵を手に持ち、虚空に立っているのを見た。それを見て恐怖に襲われ、身の毛が逆立った。彼はすぐに立ち上がり、座を世尊の近くに移し、世尊を頼りとして救いと守りを求め、世尊にこう言った。「世尊、どうぞお尋ねください。私は今、お答えいたします。」

佛即告摩納：「汝曾於先宿耆舊大婆羅門，聞說如是種姓緣不？」

> 仏はモーナに告げられた：「あなたはかつて、古くからの年長の大バラモンたちから、このような種姓の起源について聞いたことがありますか？」

摩納答言：「我信曾聞，實有是事。」

> 私はかつて聞いたことがあり、確かにそのような事実があると信じております。

時，五百摩納弟子，皆各舉聲自相謂言：「此阿摩晝，實是釋迦奴種也。沙門瞿曇所說真實，我等無狀，懷輕慢心。」

> その時、五百人の弟子たちは皆、声を上げて互いに言い合いました。「このアモーダウは、本当に釈迦族の奴隷の出なのです。沙門ゴータマの言うことは真実で、私たちは無礼にも軽蔑の心を抱いていたのです。」

爾時，世尊便作是念：「此五百摩納後必懷慢，稱彼為奴，今當方便滅其奴名。」即告五百摩納曰：「汝等諸人！慎勿稱彼為奴種也。所以者何？彼先婆羅門是大仙人，有大威力，伐聲摩王索女，王以畏故，即以女與。」由佛此言得免奴名。

> その時、世尊はこのようにお考えになりました。「この五百人の若いバラモンたちは、後に必ず慢心を起こし、彼を奴隷の生まれだと称するだろう。今、方便を用いて、その奴隷という名を消し去らなければならない。」そして、五百人の若いバラモンたちに告げられました。「あなたがたは、彼を奴隷の種族だと称してはなりません。なぜならば、彼の先祖であるバラモンは偉大な仙人であり、大いなる威力を持ち、声摩王に娘を求められたからです。王は畏れをなして、娘を与えました。」この仏の言葉によって、彼は奴隷という名を免れることができました。

爾時，世尊告阿摩晝曰：「云何，摩納！若剎利女七世已來父母真正，不為他人之所輕毀，若與一婆羅門為妻生子，摩納！容貌端正，彼入剎利種，得坐受水誦剎利法不？」

> その時、世尊はアマダに告げられた。 「どうだろうか、若者よ。もしクシャトリヤの娘が七代にわたり両親共に純粋な家柄で、誰からも軽蔑されることなく、一人のバラモンと結婚して子を産んだとしよう。その子の容貌が端正であれば、その者はクシャトリヤの種族に属し、クシャトリヤの儀式で水を受けて座り、クシャトリヤの法を唱えることができるだろうか？」

答曰：「不得。」

> 答えはこうです。「得られません。」

「得父財業不？」

> 父の財産を手に入れましたか？

答曰：「不得。」

> 答えはこうです。「得られません。」

「得嗣父職不？」

> 「父の職を継ぐことができたか？」

答曰：「不得。」

> 答えはこうです。「得られません。」

「云何？摩納！若婆羅門女七世以來父母真正，不為他人之所輕毀，與剎利為妻，生一童子，顏貌端正，彼入婆羅門眾中，得坐起受水不？」

> さて、若者よ、聞いておくれ。もし、七代にわたって純粋な家系のバラモンの娘が、誰からも非難されることなく、クシャトリヤと結婚し、立派な容貌の子を産んだとしよう。その子はバラモンの集会に加わり、座り、水を受け取ることができるだろうか？

答曰：「得。」

> お答えします。「得られます。」

「得誦婆羅門法，得父遺財，嗣父職不？」

> 婆羅門の教えを学び、父の遺産を受け継ぎ、父の職を継ぐことができたか？

答曰：「得。」

> お答えします。「得ます。」

「云何，摩納！若婆羅門擯婆羅門投剎利種者，寧得坐起受水，誦剎利法不？」

> さて、若者よ。もしバラモンがバラモンを追放し、クシャトリヤの種族に身を寄せたならば、その者は座り立ち、水を受け、クシャトリヤの法を唱えることができるだろうか？

答曰：「不得。」

> 答えはこうです。「得られません。」

「得父遺財，嗣父職不？」

> 父の遺産を受け継ぎ、父の職を継ぐことができたか？

答曰：「不得。」

> 答えはこうです。「得られません。」

「若剎利種擯剎利投婆羅門，寧得坐起受水，誦婆羅門法，得父遺財，嗣父職不？」

> もし、クシャトリヤの種族がクシャトリヤを追放し、バラモンに投げ込んだとして、その者は座って水を受け、バラモンの法を誦し、父の遺産を得て、父の職を継ぐことができるでしょうか？

答曰：「得。」

> お答えします。「得られます。」

「是故，摩納！女中剎利女勝，男中剎利男勝，非婆羅門也。」

> それゆえ、若者よ。女性の中では王族の女性が最も優れ、男性の中では王族の男性が最も優れるのであって、バラモンではありません。

梵天躬自說偈言：

> 梵天自ら偈を説いて言う。

「剎利生中勝，種姓亦純真；明行悉具足，天人中最勝。」

> 剎帝利の生まれは最も優れ、その家柄も純粋で真実に満ちている。 智慧と行いがすべて備わり、天と人のうちで最も勝れている。

佛告摩納：「梵天說此偈，實為善說，非不善也，我所然可，所以者何？我今如來、至真、等正覺，亦說此義：

> 仏陀は若者に告げられた。「梵天が説いたこの偈は、まことに善く説かれたものであり、不善なものではありません。私はこれを認めます。なぜなら、今や如来・至真・等正覚である私も、同じ意義を説いているからです。

「剎利生中勝，種姓亦純真；明行悉具足，天人中最勝。」

> 剎帝利の生まれは最も優れ、家柄も純粋で真っすぐ。 智慧と行いがすべて備わり、天と人のうちで最も勝れている。

摩納白佛言：「瞿曇！何者是無上士，明行具足？」

> モナが仏に申し上げました。「ゴータマよ、いかなる者を無上士、明行具足と申しますか？」

佛告摩納：「諦聽！諦聽！善思念之，當為汝說。」

> 仏は摩納に告げた。「よく聞きなさい。心を込めてよく聞きなさい。そして善く思い、善く考えなさい。今、あなたのために説き明かそう。」

對曰：「唯然！願樂欲聞。」

> はい、お願いします。ぜひお聞かせください。

佛告摩納：「若如來出現於世，應供、正遍知、明行足、為善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊，於一切諸天、世人、沙門、婆羅門、天、魔、梵王中，獨覺自證，為人說法。上語亦善、中語亦善、下語亦善，義味具足，開清淨行。若居士、居士子及餘種姓，聞正法者即生信樂，以信樂心而作是念：『我今在家，妻子繫縛，不得清淨純修梵行；今者寧可剃除鬚髮，服三法衣，出家修道。』彼於異時，捨家財產，捐棄親族，剃除鬚髮、服三法衣，出家修道，與出家人同捨飾好，具諸戒行，不害眾生。

> 仏は摩納に告げられた。「もし如来が世に現れ、応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊として、一切の諸天、世人、沙門、婆羅門、天、魔、梵王の中にあって、独り覚りを自ら証し、人々のために法を説くならば。その言葉は上なるも善く、中なるも善く、下なるも善く、義味を具え足り、清らかな行いを開き示す。もし居士や居士の子、その他の種姓の人々が正しい法を聞いて信楽を生じ、その信楽の心をもってこう思うならば：『私は今、家にあって妻子に縛られ、清浄に純粋な梵行を修めることができない。今こそ髪を剃り、三つの法衣をまとい、出家して道を修めよう』と。彼らは時を経て、家と財産を捨て、親族を棄て、髪を剃り、三つの法衣をまとい、出家して道を修める。出家者と共に飾りを捨て、戒行を具え、衆生を害さない者となるのである。

「捨於刀杖，懷慙愧心，慈念一切，是為不殺；捨竊盜心，不與不取，其心清淨，無私竊意，是為不盜；捨離婬欲，淨修梵行，慇懃精進，不為欲染，潔淨而住，是為不婬；捨離妄語，至誠無欺，不誑他人，是為不妄語；捨離兩舌，若聞此語，不傳至彼，若聞彼語，不傳至此，有離別者，善為和合，使相親敬，凡所言說，和順知時，是為不兩舌；捨離惡口，所言麤獷，喜惱他人，令生忿結，捨如是言，言則柔𣽈，不生怨害，多所饒益，眾人敬愛，樂聞其言，是為不惡口；捨離綺語，所言知時，誠實如法，依律滅諍，有緣而言，言不虛發，是為捨離綺語；捨于飲酒，離放逸處，不著香華瓔珞，歌舞倡伎不往觀聽，不坐高牀，非時不食，金銀七寶不取不用，不娶妻妾，不畜奴婢、象馬、車牛、鷄犬、猪羊、田宅、園觀，不為虛詐斗秤欺人，不以手拳共相牽抴，亦不觝債，不誣罔人，不為偽詐。捨如是惡，滅於諍訟諸不善事，行則知時，非時不行，量腹而食無所藏積，度身而衣趣足而已，法服應器常與身俱，猶如飛鳥羽翮隨身，比丘無餘亦復如是。

> 刀や杖を捨て、慚愧の心を抱き、すべてのものに慈しみの心を向ける。これが殺さないことである。 盗む心を捨て、与えられていないものを取らず、心を清らかにし、ひそかに奪う心を持たない。これが盗まないことである。 淫欲を離れ、清らかな梵行を修め、精進に励み、欲に染まらず、清浄に住する。これが淫らな行いをしないことである。 虚言を離れ、誠実に偽りなく、他人を欺かない。これが嘘をつかないことである。 二枚舌を離れ、もしこちらで聞いた話をあちらに伝えず、あちらで聞いた話をこちらに伝えず、離れている者があれば、善く和合させ、互いに親しみ敬うようにし、語ることはすべて和やかで時を知る。これが二枚舌を使わないことである。 悪口を離れ、荒々しい言葉で他人を喜んで怒らせ、憤りを生じさせるような言い方を捨て、言葉は柔らかく優しく、怨みや害を生まず、多くの利益をもたらし、人々から敬愛され、その言葉を聞くことを喜ばれる。これが悪口を言わないことである。 綺語（無駄な飾り言葉）を離れ、語る時を知り、誠実に法に従い、戒律に基づいて諍いを鎮め、縁があって語り、無駄に言葉を発しない。これが綺語を捨てることである。 酒を捨て、放逸な場所を離れ、香華や瓔珞に執着せず、歌舞や芸能を見聞きするために赴かず、高い寝台に座らず、時でない時に食事せず、金銀七宝を取らず用いず、妻妾を娶らず、奴婢・象馬・車牛・鶏犬・猪羊・田宅・園観を蓄えず、偽りの秤で人を欺かず、手拳で互いに引き合ったりせず、借金の取り立てもせず、人を誣告せず、偽りや詐欺を行わない。 このような悪を捨て、諍いや諸々の不善なことを滅し、行動は時を知り、時でなければ行わず、腹の量に応じて食べ、蓄え積むことなく、身の丈に合わせて衣とし、足りるだけで満足し、法衣と鉢は常に身に帯び、ちょうど飛ぶ鳥が羽を身にまとうように、比丘もまた余計なものを持たず、このようである。

「摩納！如餘沙門、婆羅門受他信施，更求餘積，衣服飲食無有厭足；入我法者，無如此事。摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，自營生業，種殖樹木，鬼神所依；入我法者，無如是事。摩納！如餘沙門婆羅門食他信施，更作方便，求諸利養，象牙、雜寶、高廣大牀、種種文繡、綩綖被褥；入我法者，無如是事。摩納！如餘沙門、婆羅門受他信施，更作方便，求自莊嚴，酥油摩身，香水洗沐，香末自塗，香澤梳頭，著好華鬘，染目紺色，拭面莊嚴，鐶紐澡潔，以鏡自照，雜色革屣，上服純白，刀杖、侍從、寶蓋、寶扇、莊嚴寶車；入我法者，無如此事。摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，專為嬉戱，碁局博奕，八道、十道、百道，至一切道，種種戱笑；入我法者，無如此事。

> モーナよ。他の修行者やバラモンたちは、信者の布施を受けながら、さらに衣服や飲食を求め、飽きることを知らない。しかし、わが教えに入る者には、そのようなことはない。 モーナよ。他の修行者やバラモンたちは、信者の布施を受けながら、自ら生業を営み、樹木を植えて鬼神の依り代とする。しかし、わが教えに入る者には、そのようなことはない。 モーナよ。他の修行者やバラモンたちは、信者の布施を受けながら、さらに様々な手段で利養を求め、象牙や雑宝、高く広い寝台、種々の文様が刺繍された敷物や掛け布団を欲する。しかし、わが教えに入る者には、そのようなことはない。 モーナよ。他の修行者やバラモンたちは、信者の布施を受けながら、さらに様々に身を飾り立て、酥油で体を塗り、香水で沐浴し、香りの粉を自ら塗り、香油で髪を梳き、美しい花飾りを付け、目を紺色に染め、顔を整えて飾り、環や紐で身を清め、鏡で自らを映し、色とりどりの革靴を履き、上等な純白の衣をまとい、刀や杖、侍従、宝蓋、宝扇、飾り立てた宝車を求める。しかし、わが教えに入る者には、そのようなことはない。 モーナよ。他の修行者やバラモンたちは、信者の布施を受けながら、遊戯にふけり、碁盤や双六、八道・十道・百道からあらゆる種類の道を用いた、種々の遊びや戯れに耽る。しかし、わが教えに入る者には、そのようなことはない。

「摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，但說遮道無益之言，王者、戰鬪、軍馬之事，群僚、大臣、騎乘出入、遊園觀事，及論臥起、行步、女人之事，衣服、飲食、親里之事，又說入海採寶之事；入我法者，無如此事。摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，無數方便，但作邪命，諂諛美辭，現相毀訾，以利求利；入我法者，無如此事。摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，但共諍訟，或於園觀，或在浴池，或於堂上，互相是非，言：『我知經律，汝無所知；我趣正道，汝向邪徑；以前著後，以後著前；我能忍汝，汝不能忍；汝所言說，皆不真正；若有所疑，當來問我，我盡能答。』入我法者，無如此事。

> マーナよ。他の沙門や婆羅門は、人々の信心による施しを受けながら、ただ道を妨げる無益な言葉を語る。王や戦争、軍馬のこと、家臣や大臣の乗馬や外出、庭園での遊興のこと、また寝起きや歩き方、女性のこと、衣服や飲食、親族のこと、さらには海へ宝を採りに行くことなどを論じる。しかし、わが法に入る者には、このようなことはない。 マーナよ。他の沙門や婆羅門は、人々の信心による施しを受けながら、あらゆる手段を用いて邪な生活をし、へつらいや美辞麗句を並べ、見せかけを装い、他人を貶め、利益を求めて利益を得ようとする。しかし、わが法に入る者には、このようなことはない。 マーナよ。他の沙門や婆羅門は、人々の信心による施しを受けながら、ただ争い合うばかりである。庭園や浴場、あるいは堂において互いに非難し合い、「私は経典や戒律を知っているが、お前は何も知らない。私は正しい道に向かい、お前は邪な道へ向かっている。前を後ろと言い、後ろを前と言う。私はお前を耐え忍べるが、お前は私に耐えられない。お前の言うことはすべて正しくない。もし疑問があれば、私のところに来て尋ねるがよい。私はすべて答えてやろう」などと言う。しかし、わが法に入る者には、このようなことはない。

「摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，更作方便，求為使命，若為王、王大臣、婆羅門、居士通信使，從此詣彼，從彼至此，持此信授彼，持彼信授此，或自為，或教他為；入我法者，無如此事。摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，但習戰陣鬪諍之事，或習刀杖、弓矢之事，或鬪鷄犬、猪羊、象馬、牛駝諸畜，或鬪男女，及作眾聲：貝聲、鼙聲、歌聲、舞聲，緣幢倒絕，種種伎戱；入我法者，無如此事。摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，行遮道法，邪命自活，瞻相男女，吉凶好醜，及相畜生，以求利養；入我法者，無如此事。

> 若い人よ。世間の他の修行者やバラモンは、信者の施しを受けておきながら、さらに手段を講じて、使者の役目を請け負うことがある。王や大臣、バラモン、在家信者の間で手紙を届ける使者となり、あちらからこちらへ、こちらからあちらへと、この手紙をあの人に渡し、あの手紙をこの人に渡す。自分で行うこともあれば、他人に行わせることもある。しかし、私の教えに入る者には、このような行いはありません。 若い人よ。世間の他の修行者やバラモンは、信者の施しを受けておきながら、戦いや争いの術ばかりに励むことがある。刀や杖、弓矢の扱いを習い、鶏や犬、豚や羊、象や馬、牛やラクダなどの動物を戦わせ、男女を戦わせたりする。また、貝殻の音、太鼓の音、歌声、舞いの音など、さまざまな音を立て、旗ざおの上で逆立ちをしたり、さまざまな芸当を見せたりする。しかし、私の教えに入る者には、このような行いはありません。 若い人よ。世間の他の修行者やバラモンは、信者の施しを受けておきながら、道をふさぐような邪な方法で生計を立てることがある。男女の吉凶や美醜を占い、家畜の相を見て、利養を求める。しかし、私の教えに入る者には、このような行いはありません。

「摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，行遮道法，邪命自活，召喚鬼神，或復驅遣，或能令住，種種𥜒禱，無數方道，恐嚇於人，能聚能散，能苦能樂，又能為人安胎出衣，亦能呪人使作驢馬，亦能使人盲聾瘖瘂，現諸技術，叉手向日月，作諸苦行以求利養；入我法者，無如是事。摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，行遮道法，邪命自活，為人呪病，或誦惡術，或為善呪，或為醫方、鍼灸、藥石，療治眾病；入我法者，無如是事。摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，行遮道法，邪命自活，或呪水火，或為鬼呪，或誦剎利呪，或誦鳥呪，或支節呪，或是安宅符呪，或火燒、鼠嚙能為解呪，或誦別死生書，或讀夢書，或相手面，或誦天文書，或誦一切音書；入我法者，無如是事。摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，行遮道法，邪命自活，瞻相天時，言雨不雨，󰝿貴󰝿賤，多病少病，恐怖安隱，或說地動、彗星、日月薄蝕，或言星蝕，或言不蝕，如是善瑞，如是惡徵；入我法者，無如是事。

> モーナよ。世の中には、他の信者の施しを受けて生活しながら、正しい道を妨げる行いをし、邪な手段で生計を立てている沙門や婆羅門がいる。彼らは鬼神を呼び寄せたり、追い払ったり、留めたりし、さまざまなまじないや無数の術を用いて人々を脅し、集めたり散らしたり、苦しめたり楽しませたりする。また、人の安産を願ったり、衣服を取り出したり、人をロバや馬に変える呪文をかけたり、人を盲目や聾者、口のきけない者にしたりする。さまざまな術を見せびらかし、日月に向かって手を合わせ、苦行を装って施しを求める。しかし、私の教えに入る者には、このようなことは一切ない。 モーナよ。世の中には、他の信者の施しを受けて生活しながら、正しい道を妨げる行いをし、邪な手段で生計を立てている沙門や婆羅門がいる。彼らは病気を治すと称して呪文を唱え、悪い術や良い呪文、医術、鍼灸、薬石を用いて様々な病気を治療すると言う。しかし、私の教えに入る者には、このようなことは一切ない。 モーナよ。世の中には、他の信者の施しを受けて生活しながら、正しい道を妨げる行いをし、邪な手段で生計を立てている沙門や婆羅門がいる。彼らは水や火を操る呪文、鬼神を操る呪文、刹帝利の呪文、鳥の呪文、体の部位に関する呪文、家を守る護符や呪文を唱える。また、火事や鼠の害を解く呪文、生死を分ける書物を読み、夢占いの書を解き、手相や顔相を見、天文の書やあらゆる音声に関する書物を読む。しかし、私の教えに入る者には、このようなことは一切ない。 モーナよ。世の中には、他の信者の施しを受けて生活しながら、正しい道を妨げる行いをし、邪な手段で生計を立てている沙門や婆羅門がいる。彼らは天候を占い、雨が降るか降らないか、物価の高低、病気の多い少ない、恐怖や安泰を言い当てる。また、地震や彗星、日食や月食、星の蝕があるかないかを説き、これが吉兆、あれが凶兆などと語る。しかし、私の教えに入る者には、このようなことは一切ない。

「摩納！如餘沙門、婆羅門食他信施，行遮道法，邪命自活，或言此國勝彼，彼國不如；或言彼國勝此，此國不如；瞻相吉凶，說其盛衰；入我法者，無如是事。但修聖戒，無染著心，內懷喜樂，目雖見色而不取相，眼不為色之所拘繫，堅固寂然，無所貪著，亦無憂患，不漏諸惡，堅持戒品，善護眼根，耳、鼻、舌、身、意亦復如是。善御六觸，護持調伏，令得安隱，猶如平地駕四馬車，善調御者，執鞭持控，使不失轍，比丘如是，御六根馬，安隱無失。彼有如是聖戒，得聖眼根，食知止足，亦不貪味，趣以養身，令無苦患而不貢高，調和其身，令故苦滅，新苦不生，有力無事，令身安樂。猶如有人以藥塗瘡，趣使瘡差，不求飾好，不以自高。摩納！比丘如是，食足支身，不懷慢恣。又如膏車，欲使通利以用運載，有所至到；比丘如是，食足支身，欲為行道。

> 若人よ、他の沙門や婆羅門が信者の布施を受けて生きながら、邪な方法で生計を立て、ある国は他より優れ、ある国は劣ると言い、吉凶を占い、盛衰を説くようなことがある。しかし、わが教えに入る者には、そのようなことはない。ただ聖なる戒律を修め、心に執着なく、内に喜びと楽しみを抱き、目で色を見てもその形相に執わず、眼が色に縛られることなく、堅固で静寂であり、貪りも憂いもなく、諸々の悪を漏らさず、戒律を堅持し、眼の感官を善く護る。耳、鼻、舌、身、意もまた同様である。六つの感官を善く制御し、護り調伏して安らぎを得させる。それはちょうど、平らな地で四頭の馬車を駆り、巧みな御者が鞭を持ち手綱を操り、道を外さないようにするようなものだ。比丘もまた同じく、六根の馬を御して、安らかに迷いなく進む。そのように聖なる戒律を持ち、聖なる感官を得た者は、飲食を知足し、味に貪らず、ただ身体を養い苦しみを除くために用い、高ぶることなく、身体を調和させ、古い苦しみを滅し、新しい苦しみを生じさせず、力強く事なく、身体を安楽ならしめる。それはあたかも、人が薬を塗って傷を癒し、飾り立てようとせず、自らを高くすることのないようなものだ。若人よ、比丘はこのように、飲食で身体を支え、慢心や放逸を抱かない。また油を塗った車が滑らかに走り、運搬して目的地に至るように、比丘も飲食で身体を支え、道を行くためである。

「摩納！比丘如是成就聖戒，得聖諸根，食知止足，初夜後夜，精進覺悟。又於晝日，若行若坐，常念一心，除眾陰蓋。彼於初夜，若行若坐，常念一心，除眾陰蓋；乃至中夜，偃右脅而臥，念當時起，繫想在明，心無錯亂；至於後夜，便起思惟，若行若坐，常念一心，除眾陰蓋。比丘有如是聖戒具足，得聖諸根，食知止足，初夜後夜，精勤覺悟，常念一心，無有錯亂。

> 若い人よ、比丘はこのように聖なる戒律を成就し、聖なる諸根を得て、食事は適度に満足を知り、初夜と後夜に精進して覚醒している。また昼間は、歩くときも座るときも、常に一心を念じて、様々な煩悩の覆いを取り除く。彼は初夜には、歩くときも座るときも、常に一心を念じて、様々な煩悩の覆いを取り除く。中夜には右脇を下にして横たわり、時が来れば起きることを念じ、明るい心を保ち、心を乱さない。後夜になれば、すぐに起きて思惟し、歩くときも座るときも、常に一心を念じて、様々な煩悩の覆いを取り除く。比丘はこのように聖なる戒律を具え、聖なる諸根を得て、食事は適度に満足を知り、初夜と後夜に精進して覚醒し、常に一心を念じて、心を乱すことがない。

「云何比丘念無錯亂？如是比丘內身身觀，精勤不懈，憶念不忘，除世貪憂；外身身觀、內外身身觀，精勤不懈，憶念不忘，捨世貪憂，受、意、法觀亦復如是，是為比丘念無錯亂。云何一心？如是比丘若行步出入，左右顧視，屈申俯仰，執持衣鉢，受取飲食，左右便利，睡眠覺悟，坐立語默，於一切時，常念一心，不失威儀，是為一心。譬如有人與大眾行，若在前行，若在中、後，常得安隱，無有怖畏。摩納！比丘如是行步出入，——至於語默，常念一心，無有憂畏。

> 比丘がどのようにして心を乱さずに念じるのでしょうか。このように比丘は、内なる身体を身体として観察し、精進して怠ることなく、念を忘れず、世の貪りと憂いを取り除きます。外なる身体を身体として観察し、内外の身体を身体として観察し、精進して怠ることなく、念を忘れず、世の貪りと憂いを捨て去ります。感受、心、法についての観察も同様です。これが比丘が心を乱さずに念じるということです。 比丘がどのようにして一心であるのでしょうか。このように比丘は、歩くとき、出入りするとき、左右を見回すとき、体を曲げ伸ばし、うつむき仰ぐとき、衣と鉢を持ち、飲食を受け取り、左右に用を足し、眠り覚め、座り立ち、語り黙するとき、あらゆる時に常に一心を念じ、威儀を失いません。これが一心ということです。 たとえば、大勢の人と共に行く人がいるとします。その人が先頭を行くにせよ、中ほどや後ろにいるにせよ、常に安らかで、恐れを抱くことはありません。若者よ、比丘もこのように、歩くことから語り黙することに至るまで、常に一心を念じ、憂いも恐れもないのです。

「比丘有如是聖戒，得聖諸根，食知止足，初夜後夜，精勤覺悟，常念一心，無有錯亂，樂在靜處、樹下、塚間。若在山窟，或在露地及糞聚間，至時乞食，還洗手足，安置衣鉢，結跏趺坐，端身正意，繫念在前。除去慳貪，心不與俱，滅瞋恨心，無有怨結，心住清淨，常懷慈愍；除去睡眠，繫想在明，念無錯亂，斷除掉戲，心不與俱。內行寂滅，滅掉戲心，斷除疑惑，已度疑網，其心專一，在於善法。譬如僮僕，大家賜姓，安隱解脫，免於僕使，其心歡喜，無復憂畏。

> 比丘はこのような聖なる戒めを持ち、聖なる諸根を得て、食事はほどほどにし、夜の初めも終わりも、精進して覚醒し、常に一心に念じ、乱れることなく、静かな場所、木の下、墓場を好む。山の洞窟にいても、露地や糞の集まる場所でも、時が来れば托鉢に行き、手足を洗い、衣と鉢を整え、結跏趺坐し、身を正し、心を整え、念を前に置く。貪りを除き、心に貪りを宿さず、怒りを滅し、怨みを結ばず、心は清らかに住し、常に慈しみを抱く。眠気を除き、明るい想いに心を繋ぎ、念は乱れず、戯れを断ち、心に戯れを宿さない。内なる行いは寂滅し、戯れの心を滅し、疑いを断ち、疑いの網を超え、心は専一となり、善き法に在る。たとえば、召使いが主人から姓を賜り、安らかに解き放たれ、召使いの務めから免れ、心は喜びに満ち、もはや憂いも恐れもない。

「又如有人舉財治生，大得利還，還本主物，餘財足用，彼自念言：『我本舉財，恐不如意，今得利還，還主本物，餘財足用，無復憂畏，發大歡喜。』如人久病，從病得差，飲食消化，色力充足，彼作是念：『我先有病，而今得差，飲食消化，色力充足，無復憂畏，發大歡喜。』又如人久閉牢獄，安隱得出，彼自念言：『我先拘閉，今已解脫，無復憂畏，發大歡喜。』又如人多持財寶，經大曠野，不遭賊盜，安隱得過，彼自念言：『我持財寶過此嶮難，無復憂畏發大歡喜，其心安樂。』

> また、ある人が財を借りて商売をし、大きな利益を得て返し、元の主に元本を返し、残りの財で十分に生活できるようになったとする。彼は心の中でこう思う。「私はもともと財を借りて、うまくいかないのではないかと心配していたが、今、利益を得て返すことができ、主に元本を返し、残りの財で十分に生活できる。もう憂いや恐れはなく、大きな喜びが湧いてくる」と。 また、長く病気をしていた人が、病気から回復し、食事も消化され、体力も十分になったとする。彼はこう思う。「私は以前は病気だったが、今は回復し、食事も消化され、体力も十分になった。もう憂いや恐れはなく、大きな喜びが湧いてくる」と。 また、長く牢獄に閉じ込められていた人が、無事に脱出できたとする。彼は心の中でこう思う。「私は以前は拘束されていたが、今は解放された。もう憂いや恐れはなく、大きな喜びが湧いてくる」と。 また、多くの財宝を持った人が、広大な荒野を通り、賊にも遭わず、無事に通り過ぎたとする。彼は心の中でこう思う。「私は財宝を持ってこの危険な難所を通り抜けた。もう憂いや恐れはなく、大きな喜びが湧いてくる。心は安らかで楽しい」と。

「摩納！比丘有五蓋自覆，常懷憂畏亦復如奴。如負債人、久病在獄、行大曠野，自見未離，諸陰蓋心，覆蔽闇冥，慧眼不明，彼即精勤捨欲、惡不善法，與覺、觀俱，離生喜、樂，得入初禪。彼已喜樂潤漬於身，周遍盈溢，無不充滿。如人巧浴器盛眾藥，以水漬之，中外俱潤，無不周遍。比丘如是得入初禪，喜樂遍身，無不充滿。如是，摩納！是為最初現身得樂，所以者何？斯由精進，念無錯亂，樂靜閑居之所得也。

> マーナよ、比丘には五つの煩悩の蓋があり、自らを覆い隠し、常に憂いと恐れを抱いている。それはちょうど奴隷のようであり、借金を負った者のようであり、長く病に臥せっている者のようであり、牢獄に囚われている者のようであり、広大な荒野をさまよっている者のようである。自らがまだ離れていないことを見て、様々な煩悩の蓋が心を覆い、暗闇に閉ざし、智慧の眼が明らかでない。彼はただちに精進して、欲望や不善な法を捨て、覚醒と観察を伴い、離れて生じる喜びと楽しみを得て、初禅に入るのである。彼はすでに喜びと楽しみが身体に浸透し、あまねく満ち溢れ、満たされないところはない。巧みな沐浴の人が器に多くの薬を盛り、水に浸すと、内も外も共に潤い、あまねく行き渡らないところはないように。比丘もまたこのように初禅に入り、喜びと楽しみが全身に行き渡り、満たされないところはない。このように、マーナよ、これが最初に現世で得られる楽しみである。なぜならば、これは精進によって、心を乱さず、静寂な閑居を楽しむことによって得られるものだからである。

「彼於覺、觀，便生為信，專念一心，無覺、無觀，定生喜、樂，入第二禪。彼已一心喜樂潤漬於身，周遍盈溢，無不充滿，猶如山頂涼泉水自中出，不從外來，即此池中出清淨水，還自浸漬，無不周遍。摩納！比丘如是入第二禪，定生喜、樂，無不充滿，是為第二現身得樂。

> 彼は覚と観を捨て、ただ信と念と一心とを生じ、無覚・無観のままに、定から喜と楽が生じ、第二禅に入る。彼は一心に喜と楽が身に潤い、あまねく満ち溢れ、満たされないところがない。それはちょうど、山頂の涼しい泉が内から湧き出て、外からは来ず、その池から清らかな水が流れ出て、自らを浸し潤し、あまねく行き渡るようなものである。摩納よ、比丘はこのように第二禅に入り、定から生じた喜と楽に満たされないところがない。これが第二の現身得楽である。

「彼捨喜、住，護念不錯亂，身受快樂，如聖所說，起護念樂，入第三禪。彼身無喜，以樂潤漬，周遍盈溢，無不充滿，譬如優鉢花、鉢頭摩華、拘頭摩花、分陀利花，始出淤泥而未出水，根莖枝葉潤漬水中，無不周遍。摩納！比丘如是入第三禪。離喜、住樂，潤漬於身，無不周遍，此是第三現身得樂。

> 彼は喜びを捨て、安らかに住し、心を護り乱れず、身体に安楽を感じる。聖者が説くように、護念の楽が起こり、第三禅に入る。彼の身体には喜びはなく、安楽に潤され、満ち溢れ、あまねく充満する。ちょうど青蓮華、紅蓮華、白蓮華、優鉢羅華が、泥の中から生え出でてまだ水面上に出ず、根や茎や枝や葉が水中に潤されているように、あまねく行き渡る。若者よ、比丘はこのように第三禅に入る。喜びを離れ、安楽に住し、身体に潤い行き渡り、あまねく満ちる。これが第三の現身得楽である。

「彼捨喜、樂，憂、喜先滅，不苦不樂，護念清淨，入第四禪，身心清淨，具滿盈溢，無不周遍。猶如有人沐浴清潔，以新白疊被覆其身，舉體清淨。摩納！比丘如是入第四禪，其心清淨，充滿於身，無不周遍，又入第四禪，心無增減，亦不傾動，住無愛恚、無動之地。譬如密室，內外塗治，堅閉戶嚮，無有風塵，於內燃燈無觸嬈者，其燈焰上怗然不動。摩納！比丘如是入第四禪，心無增減，亦不傾動，住無愛恚、無動之地，此是第四現身得樂，所以者何？斯由精勤不懈，念不錯亂，樂靜閑居之所得也。

> 彼は喜びと楽しみを捨て、憂いと喜びが先に滅び去り、苦もなく楽もなく、心を守り清らかに保ち、第四禅に入る。身心は清浄となり、満ち溢れて、あまねく行き渡る。ちょうど、清潔に沐浴し、新しい白い布で身を覆われた人のように、全身が清らかである。モーナよ、比丘がこのように第四禅に入ると、その心は清らかで、身体に満ち溢れ、あまねく行き渡る。また、第四禅に入ると、心に増減はなく、揺れ動くこともなく、愛着も怒りもない、動じない境地に安住する。まるで、内外を塗り固め、戸や窓をしっかり閉め、風や塵の入らない密室の中で、灯をともし、何の妨げもなく、その灯火の炎が穏やかに揺るがないかのようである。モーナよ、比丘がこのように第四禅に入ると、心に増減はなく、揺れ動くこともなく、愛着も怒りもない、動じない境地に安住する。これが第四の、現世において得られる安楽である。なぜならば、それは精進して怠らず、心を乱さず、静かな閑居を楽しむことによって得られるものだからである。

「彼得定心，清淨無穢，柔濡調伏，住無動地，自於身中起變化心，化作異身，支節具足，諸根無闕，彼作是觀：『此身色四大化成彼身，此身亦異，彼身亦異，從此身起心，化成彼身，諸根具足，支節無闕。』譬如有人鞘中拔刀，彼作是念：『鞘異刀異，而刀從鞘出。』又如有人合麻為繩，彼作是念：『麻異繩異，而繩從麻出。』又如有人篋中出蛇，彼作是念：『篋異蛇異，而蛇從篋出。』又如有人從簏出衣，彼作是念：『簏異衣異，而衣從簏出。』摩納！比丘亦如是，此是最初所得勝法。所以者何？斯由精進，念不錯亂，樂靜閑居之所得也。

> 彼は定心を得て、清らかで穢れなく、柔らかく調和し、動揺しない境地に安住する。自らの身の中から変化の心を起こし、別の身体を化現させる。四肢や関節は整い、諸根（感覚器官）は欠けるところがない。彼はこのように観察する。「この身体は、四つの元素（四大）からなる色身であり、あの身体を化現させた。この身体も別物であり、あの身体も別物である。この身体から心を起こして、あの身体を化現させた。諸根は整い、四肢も欠けるところがない」と。 たとえば、ある人が鞘から刀を抜くとき、彼はこう思う。「鞘と刀は別物であるが、刀は鞘から出てきた」と。また、ある人が麻を撚って縄にするとき、彼はこう思う。「麻と縄は別物であるが、縄は麻からできた」と。また、ある人が箱から蛇を取り出すとき、彼はこう思う。「箱と蛇は別物であるが、蛇は箱から出てきた」と。また、ある人が行李から衣を取り出すとき、彼はこう思う。「行李と衣は別物であるが、衣は行李から出てきた」と。 若者よ、比丘もまた同じである。これが最初に得られる優れた境地である。なぜならば、これは精進し、心を乱さず、静かな閑居を楽しむことによって得られるものだからである。

「彼已定心，清淨無穢，柔𣽈調伏，住無動地，從己四大色身中起心，化作化身，一切諸根、支節具足，彼作是觀：『此身是四大合成，彼身從化而有，此身亦異，彼身亦異，此心在此身中，依此身住，至他身中。』譬如琉璃、摩尼，瑩治甚明，清淨無穢，若以青、黃、赤綖貫之，有目之士置掌而觀，知珠異綖異，而綖依於珠，從珠至珠。摩納！比丘觀心依此身住，至彼化身亦復如是，此是比丘第二勝法。所以者何？斯由精勤，念不錯亂，樂獨閑居之所得也。

> 彼は既に心を定め、清浄で穢れなく、柔軟で調和し、動揺しない境地に安住している。自らの四大から成る色身の中から心を起こし、化身を化現する。すべての諸根や肢節を具えている。彼はこう観察する。「この身は四大の合成であり、あの身は化現によって生じた。この身も異なり、あの身も異なる。この心はこの身の中にあり、この身に依って住し、あの身の中へと至るのだ」と。 たとえば、瑠璃や摩尼の珠がよく磨かれ、清浄で穢れなく、もし青、黄、赤の糸で貫いたならば、目ある人が掌に置いて観れば、珠と糸は異なるものでありながら、糸は珠に依っており、珠から珠へと通じていると知る。若者よ、比丘が心がこの身に依って住し、あの化身へと至るのを観るのもまた同様である。これが比丘の第二の勝れた境地である。 なぜそう言えるのか。それは精進に努め、念を乱さず、独り閑居を楽しむことによって得られるからである。

「彼以定心，清淨無穢，柔濡調伏，住無動地，一心修習神通智證，能種種變化，變化一身為無數身，以無數身還合為一；身能飛行，石壁無礙；遊空如鳥，履水如地；身出烟燄，如大火𧂐；手捫日月，立至梵天。譬如陶師善調和泥，隨意所造，任作何器，多所饒益。亦如巧匠善能治木，隨意所造，自在能成，多所饒益。又如牙師善治象牙，亦如金師善煉真金，隨意所造，多所饒益。摩納！比丘如是，定心清淨，住無動地，隨意變化，乃至手捫日月，立至梵天，此是比丘第三勝法。

> 彼は定心をもって、心が清らかで穢れなく、柔らかく調和し、動揺しない境地に安住し、一心に神通の智を修習し証得する。それにより、さまざまな変化を起こすことができる。一つの身体を無数の身体に変化させ、無数の身体を再び一つに合わせる。身体は飛行し、石壁も障りとならない。虚空を鳥のように遊び、水の上を地のように歩む。身体から煙や炎を発し、まるで大きな火の積み薪のようである。手で日月に触れ、たちまち梵天に至る。 例えば、陶工が巧みに泥を調和し、意のままに造り、どんな器でも作り、多くの利益をもたらすように。また、巧みな工匠が木をうまく加工し、意のままに造り、自在に完成させ、多くの利益をもたらすように。さらに、象牙師が巧みに象牙を加工し、金師が真金を巧みに精錬し、意のままに造り、多くの利益をもたらすように。 摩納よ、比丘もまたこのようである。定心が清らかで、動揺しない境地に安住し、意のままに変化し、ついには手で日月に触れ、たちまち梵天に至る。これが比丘の第三の勝れた法である。

「彼以心定，清淨無穢，柔濡調伏，住無動地，一心修習，證天耳智。彼天耳淨，過於人耳，聞二種聲：天聲、人聲。譬如城內有大講堂，高廣顯敞，有聰聽人居此堂內，堂內有聲，不勞聽功，種種悉聞；比丘如是，以心定故，天耳清淨，聞二種聲。摩納！此是比丘第四勝法。

> 彼は心を定め、清浄で穢れなく、柔らかく調えられ、動揺しない境地に住し、一心に修習して、天耳智を証得する。その天耳は清浄で、人の耳を超え、二種の声を聞く：天の声と人の声である。たとえば城内に大きな講堂があり、高く広く明るく開けているとする。聡明な聴覚の持ち主がこの堂内にいれば、堂内の声は、労せずして、あらゆる種類の音を聞くことができる。比丘もまた同じく、心を定めたゆえに、天耳が清浄となり、二種の声を聞くのである。摩納よ、これが比丘の第四の勝れた法である。

「彼以定心，清淨無穢，柔濡調伏，住無動地，一心修習，證他心智。彼知他心有欲無欲、有垢無垢、有癡無癡、廣心狹心、小心大心、定心亂心、縛心解心、上心下心，至無上心皆悉知之。譬如有人以清水自照，好惡必察；比丘如是，以心淨故，能知他心。摩納！此是比丘第五勝法。

> 彼は定まった心をもって、清らかで穢れなく、柔らかく調えられ、動揺のない境地に安住し、一心に修習して、他者の心を知る智慧を証得する。彼は他者の心が欲を持つか持たないか、煩悩に染まっているかいないか、愚かであるかないか、心が広いか狭いか、小心であるか大心であるか、定まっているか乱れているか、束縛されているか解放されているか、劣った心か優れた心か、さらには無上の心に至るまで、すべてを知るのである。ちょうど人が清水に自らを映せば、善し悪しが必ず明らかになるように、比丘もまた、心が清らかであるがゆえに、他者の心を知ることができるのである。若者よ、これが比丘の第五の優れた境地である。

「彼以心定，清淨無穢，柔濡調伏，住無動地，一心修習宿命智證，便能憶識宿命無數若干種事，能憶一生至無數生，劫數成敗、死此生彼、名姓種族、飲食好惡、壽命長短、所受苦樂、形色相貌皆悉憶識。譬如有人，從己村落至他國邑，在於彼處，若行若住，若語若默，復從彼國至於餘國，如是展轉便還本土，不勞心力，盡能憶識所行諸國，從此到彼，從彼到此，行住語默，皆悉憶之。摩納！比丘如是，能以定心清淨無穢，住無動地，以宿命智能憶宿命無數劫事，此是比丘得第一勝。無明永滅，大明法生，闇冥消滅，光曜法生，此是比丘宿命智明。所以者何？斯由精勤，念無錯亂，樂獨閑居之所得也。

> 彼は心を定め、清らかで穢れなく、柔らかく調えられ、動揺しない境地に安住し、一心に宿命智の修習に励むと、宿命の無数の様々な事柄を思い起こし、識ることができるようになります。一つの生涯から無数の生涯に至るまで、劫の成敗、死んでここに生まれ、あちらに生まれること、名や姓、種族、飲食の好み、寿命の長短、受けた苦楽、形や相貌をすべて思い起こし、識ることができるのです。 たとえば、ある人が自分の村から他の町へ行き、その場所で歩いたり留まったり、話したり黙ったりし、さらにその町から別の町へと渡り、こうして次々と移動してふるさとに戻ったとき、労せずして、行ったすべての町を思い起こし、識ることができるようなものです。ここからあそこへ、あそこからここへ、歩き、留まり、話し、黙ったことを、すべて思い起こすのです。 若者よ、比丘もまたこのように、定められた心を清らかで穢れなく保ち、動揺しない境地に安住して、宿命智によって宿命の無数の劫の事柄を思い起こすことができるのです。これが比丘の得る第一の勝れた境地です。無明は永遠に滅び、大いなる明るい法が生じ、闇は消え去り、光り輝く法が生じます。これが比丘の宿命智の明るさです。 なぜそうなるのでしょうか。これは、精進に励み、思いを乱さず、独り閑居を楽しむことによって得られるものだからです。

「彼以定心，清淨無穢，柔𣽈調伏，住無動處，一心修習見生死智證。彼天眼淨，見諸眾生死此生彼、從彼生此、形色好醜、善惡諸果、尊貴卑賤、隨所造業報應因緣皆悉知之。此人身行惡，口言惡，意念惡，誹謗賢聖，信邪倒見，身敗命終，墮三惡道；此人身行善，口言善，意念善，不謗賢聖，見正信行，身壞命終，生天、人中。以天眼淨，見諸眾生隨所業緣，往來五道，譬如城內高廣平地，四交道頭起大高樓，明目之士在上而觀，見諸行人東西南北，舉動所為皆悉見之。摩納！比丘如是，以定心清淨，住無動處，見生死智證。以天眼淨，盡見眾生所為善惡，隨業受生，往來五道皆悉知之，此是比丘得第二明。斷除無明，生於慧明，捨離闇冥，出智慧光，此是見眾生生死智證明也。所以者何？斯由精勤，念不錯亂，樂獨閑居之所得也。

> 彼は定心をもって、清らかで穢れなく、柔軟で調和し、動揺しない境地に安住し、一心に生死を見る智慧の証得を修習する。彼は天眼清浄を得て、あらゆる衆生がこの世に生まれ、あの世に死に、あの世からこの世に生まれる様子を見る。姿形の美醜、善悪の諸々の果報、尊貴と卑賤、それぞれの造った業に応じた報いの因縁をことごとく知るのである。この人は身で悪を行い、口で悪を言い、心で悪を思い、賢聖を誹謗し、邪な誤った見解を信じ、身が滅び命終わると、三悪道に堕ちる。この人は身で善を行い、口で善を言い、心で善を思い、賢聖を誹謗せず、正しい見解を信じて行い、身が滅び命終わると、天界や人間界に生まれる。天眼清浄をもって、あらゆる衆生がそれぞれの業縁に従い、五道を往来するのを見る。まるで城内の広く平らな土地の、四つ辻に建つ高い楼閣に、目の明るい人が上って眺め、往来する人々が東西南北に動き、その行いのすべてを見るようなものである。モーナよ、比丘もまたこのように、定心を清らかにし、動揺しない境地に安住して、生死を見る智慧の証得を得る。天眼清浄をもって、衆生の為す善悪をことごとく見、業に従って生を受け、五道を往来する様子をすべて知る。これが比丘の得る第二の明である。無明を断ち除き、智慧の明を生じ、暗闇を捨て離れ、智慧の光を現す。これが衆生の生死を見る智慧の証明である。なぜそうなるのか。これは精進に励み、心を乱さず、独り閑居を楽しむことによって得られるからである。

「彼以定心，清淨無穢，柔𣽈調伏，住不動地，一心修習無漏智證。彼如實知苦聖諦，如實知有漏集，如實知有漏盡，如實知趣漏盡道。彼如是知、如是見，欲漏、有漏、無明漏，心得解脫，得解脫智，生死已盡，梵行已立，所作已辦，不受後有。譬如清水中，有木石、魚鱉水性之屬東西遊行，有目之士明了見之：此是木石，此是魚鱉。摩納！比丘如是，以定心清淨，住無動地，得無漏智證，乃至不受後有，此是比丘得第三明。斷除無明，生於慧明，捨離闇冥，出大智光，是為無漏智明。所以者何？斯由精勤，念不錯亂，樂獨閑居之所得也。摩納！是為無上明行具足，於汝意云何？如是明行為是，為非？」

> 彼は定心をもって、清らかで穢れなく、柔軟で調和し、動揺しない境地に安住し、一心に無漏の智証を修習する。彼は苦聖諦をありのままに知り、有漏の集まりをありのままに知り、有漏の滅尽をありのままに知り、漏れを尽くす道をありのままに知る。このように知り、このように見て、欲の漏れ、存在の漏れ、無明の漏れから心が解き放たれ、解脱の智を得る。生死はすでに尽き、清らかな行いはすでに成り立ち、なすべきことはすでに為され、後に再び生を受けることはない。 譬えば、清らかな水の中に、木石や魚や亀など水棲のものが東西に遊行しているのを、目ある者が明らかに見て、これは木石、これは魚や亀だとわきまえるように、摩納よ、比丘もまたこのように、定心を清らかにし、動揺しない境地に安住して無漏の智証を得、ついには後に再び生を受けることなくなる。これが比丘の得る第三の明である。無明を断ち除き、慧明を生じさせ、闇冥を捨て離れ、大いなる智の光を現す。これが無漏の智明である。 なぜそうなるのか。これは精勤し、念を乱さず、独り閑居を楽しむことによって得られるからである。摩納よ、これが無上の明行具足である。あなたはどう思うか。このような明行は正しいか、正しくないか？

佛告摩納：「有人不能得無上明行具足，而行四方便，云何為四？摩納！或有人不得無上明行具足，而持斫負籠，入山求藥，食樹木根。是為，摩納！不得無上明行具足，而行第一方便。云何，摩納！此第一方便，汝及汝師行此法不？」

> 仏はモーナに告げた。「無上の明行具足を得られない者が、四つの方便を実践することがある。その四つとは何か。モーナよ、ある者は無上の明行具足を得られずに、斧と籠を携えて山に入り、薬草を求め、木の根を食べる。これが、モーナよ、無上の明行具足を得られない者が行う第一の方便である。さて、モーナよ、この第一の方便について、あなたやあなたの師はこの法を行っているか？」

答曰：「不也。」

> いいえ、違います。

佛告摩納：「汝自卑微，不識真偽，而便誹謗，輕罵釋子，自種罪根，長地獄本。復次，摩納！有人不能得無上明行具足，而手執澡瓶，持杖筭術，入山林中，食自落果。是為，摩納！不得無上明行具足，而行第二方便，云何，摩納！汝及汝師行此法不？」

> 仏は摩納に告げられた。「汝は自ら卑しく、真偽を見分けられず、ただ誹謗し、軽々しく釈子を罵り、自ら罪の根を植え、地獄の因を育てている。さらに、摩納よ。ある者は無上の明行具足を得ることができず、手に水瓶を執り、杖と算術を持ち、山林に入って自ら落ちた果実を食らう。これが、摩納よ。無上の明行具足を得ずして第二の方便を行うことである。いかがか、摩納よ。汝と汝の師はこの法を行っているか？」

答曰：「不也。」

> いいえ、違います。

佛告摩納：「汝自卑微，不識真偽，而便誹謗，輕慢釋子，自種罪根，長地獄本。復次，摩納！不得無上明行具足，而捨前採藥及拾落果，還來向村依附人間，起草菴舍，食草木葉。摩納！是為不得明行具足，而行第三方便。云何，摩納！汝及汝師行此法不？」

> お釈迦様はモーナに言われました。 「あなたは自分が低く劣っているにもかかわらず、真実と偽りを見分けられず、すぐに誹謗し、釈迦の弟子たちを軽んじ、自分で罪の根を植え、地獄の種を育てています。 さらに、モーナよ。無上の明行具足を得られず、前に採った薬草や落ちた果実を捨てて村に戻り、人里に頼り、草庵を建てて草木の葉を食べています。 モーナよ。これは明行具足を得られずに、第三の方便を行っているのです。 どうですか、モーナよ。あなたやあなたの師は、このような行いをしていますか？」

答曰：「不也。」

> いいえ、違います。

佛告摩納：「汝自卑微，不識真偽，而便誹謗，輕慢釋子，自種罪根，長地獄本，是為第三方便。復次，摩納！不得無上明行具足，不食藥草，不食落果，不食草葉，而於村城起大堂閣，諸有東西南北行人過者隨力供給，是為不得無上明行具足，而行第四方便。云何，摩納！汝及汝師行此法不？」

> 仏陀はモーナに告げられた。「あなたは自らの卑小さから真偽を見分けることができず、軽率に誹謗し、釈子（修行者）を軽んじて侮り、自ら罪の根を植え、地獄の因を育てている。これが第三の方便である。さらに、モーナよ。無上の明行具足を得ていない者が、薬草も落ちた果実も草の葉も食さず、村や町に立派な堂閣を建て、東西南北から通りかかる旅人たちに力に応じて施しを与える。これが無上の明行具足を得ずに行う第四の方便である。どうか、モーナよ。あなたとあなたの師はこのような行いをしているだろうか？」

答曰：「不也。」

> いいえ、違います。

佛告摩納：「汝自卑微，不識真偽，而便誹謗，輕慢釋子，自種罪根，長地獄本，云何，摩納！諸舊婆羅門及諸仙人多諸伎術，讚歎稱說本所誦習，如今婆羅門所可諷誦稱說：一、阿咤摩，二、婆摩，三、婆摩提婆，四、鼻波密多，五、伊兜瀨悉，六、耶婆提伽，七、婆婆婆悉吒，八、迦葉，九、阿樓那，十、瞿曇，十一、首夷婆，十二、損陀羅。如此諸大仙、婆羅門皆掘塹建立堂閣，如汝師徒今所居止不？」

> 仏はモーナに告げた。「汝は自ら卑しく、真偽を識らず、ただちに誹謗し、釈子を軽んじ慢る。自ら罪の根を種き、地獄の根本を長ずる。いかがか、モーナよ。諸の旧き婆羅門及び諸の仙人は多くの技芸・術策あり、讃歎し称説するは、本に誦習せし所なり。今の婆羅門の諷誦称説すべきは、一に阿咤摩、二に婆摩、三に婆摩提婆、四に鼻波密多、五に伊兜瀬悉、六に耶婆提伽、七に婆婆婆悉吒、八に迦葉、九に阿楼那、十に瞿曇、十一に首夷婆、十二に損陀羅。かくの如き諸の大仙・婆羅門は皆、堀を掘り堂閣を建立せり。汝が師徒の今居止する所の如きか、然らずや？」

答曰：「不也。」

> いいえ、違います。

「彼諸大仙頗起城墎，圍遶舍宅，居止其中，如汝師徒今所止不？」

> 「あの偉大な仙人たちは、城壁を築き、住居を囲んで、その中に住んでいたのでしょうか？あなた方の師と弟子たちが今住んでいるように。」

答曰：「不也。」

> いいえ、違います。

「彼諸大仙頗處高床重褥，綩綖細軟，如汝師徒今所止不？」

> 「あの偉大な仙人たちは、高い寝台に分厚い敷物を重ね、柔らかく繊細な敷物を使っていたというが、今のあなた方の師弟は、そのようなところに住んでいるのか？」

答曰：「不也。」

> いいえ、違います。

「彼諸大仙頗以金銀、瓔珞、雜色花鬘、美女自娛，如汝師徒不？彼諸大仙頗駕乘寶車，持𮣃導引，白蓋自覆，手執寶拂，著雜色寶屣，又著全白疊，如汝師徒今所服不？」

> あの偉大な仙人たちは、金銀や宝石の首飾り、色とりどりの花輪、美しい女性で自らを楽しませているか、あなた方の師弟のように？あの偉大な仙人たちは、宝の車に乗り、傘を持って先導し、白い天蓋で自らを覆い、宝の払子を手に持ち、色とりどりの宝石の履物を履き、また真っ白な布をまとっているか、あなた方の師弟が今身に着けているように？

答曰：「不也。」

> いいえ、違います。

「摩納！汝自卑微，不識真偽，而便誹謗，輕慢釋子，自種罪根，長地獄本。云何，摩納！如彼諸大仙、舊婆羅門，讚嘆稱說本所諷誦，如今婆羅門所可稱說諷誦阿咤摩等，若傳彼所說，以教他人，欲望生梵天者，無有是處。猶如，摩納！王波斯匿與人共議，或與諸王，或與大臣、婆羅門、居士共論，餘細人聞，入舍衛城，遇人便說波斯匿王有如是語。云何，摩納！王與是人共言議不？」

> モナよ、あなたは自ら卑しく、真偽を見分けることができず、すぐに誹謗し、釈子を軽んじ、自ら罪の根を植え、地獄の種を育てているのです。どうですか、モナよ。あの多くの大仙や古いバラモンたちが称賛し、かつて誦んでいたもの、今のバラモンたちが称え誦んでいるアータヴァなど、もし彼らの説いたことを伝え、他人に教え、梵天に生まれたいと願うとしても、それは叶わぬことです。ちょうど、モナよ、王パセーナディが人と共に議論し、あるいは諸王と、あるいは大臣、バラモン、居士と共に論じたことを、卑しい者が聞き、舎衛城に入り、人に会えばすぐに『パセーナディ王はこのように語った』と言うようなものです。どうですか、モナよ、王はそのような者と共に語り合ったでしょうか？

答曰：「不也。」

> いいえ、違います。

「摩納！此人諷誦王言以語餘人，寧得為王作大臣不？」

> 「若者よ、この者が王の言葉を暗誦して他人に伝えたとして、果たして王の大臣となる資格があるだろうか？」

答曰：「無有是處。」

> 答えていわく、「そのようなことはありえない。」

「摩納！汝等今日傳先宿、大仙、舊婆羅門，諷誦教人，欲至生梵天者，無有是處。云何？摩納！汝等受他供養，能隨法行不？」

> モナ！あなたがたは今日、先代の仙人、古いバラモンの教えを伝え、誦唱して人々を教え、梵天に生まれようと望んでも、それは叶わぬことです。どうしてでしょうか。モナ！あなたがたは他者の供養を受けながら、法に従って正しく行うことができるでしょうか？

答曰：「如是，瞿曇！受他供養，當如法行。」

> お答えします。「その通りです、ゴータマよ。他者からの供養を受けるなら、法に従って行いなさい。」

「摩納！汝師沸伽羅娑羅受王村封，而與王波斯匿共論議時，說王不要論無益之言，不以正事共相諫曉，汝今自觀及汝師過，且置是事，但當求汝所來因緣。」

> モナ！あなたの師である沸伽羅娑羅は王から村の封を受けておきながら、王の波斯匿と議論する際に、王の望まない無益な言葉を述べ、正しい事柄をもって互いに諫め合うことをしませんでした。今、あなたは自らの過ちと師の過ちを見つめなさい。このことはひとまず置き、あなたがここに来た本来の理由を求めなさい。

摩納即時舉目觀如來身，求諸相好，盡見餘相，唯不見二相，心即懷疑。爾時，世尊默自念言：「今此摩納不見二相，以此生疑。」即出廣長舌相，舐耳覆面。時，彼摩納復疑一相，世尊復念：「今此摩納猶疑一相。」即以神力，使彼摩納獨見陰馬藏。爾時，摩納盡見相已，乃於如來無復狐疑，即從座起，遶佛而去。

> モナはすぐに目を上げて如来の御姿を仰ぎ、あらゆる相好を探し求めたが、他の相はすべて見えても、ただ二つの相だけが見えない。そこで彼の心に疑いが生じた。その時、世尊は黙ってお考えになった。「今、このモナは二つの相が見えず、それによって疑いを抱いているのだ」と。そこで世尊は広長舌相を現し、耳を舐め、顔を覆うほどに伸ばされた。すると、そのモナはまた別の一つの相を疑い始めた。世尊は再びお考えになった。「今、このモナはまだ一つの相を疑っている」と。そこで神通力をもって、彼モナだけが陰馬蔵を見られるようにされた。その時、モナはすべての相を見届け、もはや如来に対して何の疑いも抱かなくなった。そして座から立ち上がり、仏を右繞して去って行った。

時，沸伽羅婆羅門立於門外，遙望弟子，見其遠來，逆問之言：「汝觀瞿曇實具相不？功德神力實如所聞不？」

> その時、ヴィンガラ婆羅門は門の外に立ち、遠くから弟子を見つめ、彼が遠くからやってくるのを見て、逆に尋ねた。「お前は瞿曇（ゴータマ）を見たか？彼は本当に相を備えているか？その功徳と神通力は、噂に聞く通りであるか？」

即白師言：「瞿曇沙門三十二相皆悉具足，功德神力實如所聞。」

> そこで彼女は師に申し上げました：「ゴータマの沙門は三十二の相をすべて備え、その功徳と神通力はまさに聞きし通りです。」

師又問曰：「汝頗與瞿曇少語議不？」

> 師はまた尋ねました。「あなたは瞿曇と少し話し合ったことがありますか？」

答曰：「實與瞿曇言語往返。」

> お答えします。「確かにゴータマと語り合いました。」

師又問曰：「汝與瞿曇共論何事？」

> 師はまた尋ねました。「お前は瞿曇と何について議論していたのか？」

時，摩納如共佛論，具以白師，師言：「我遂得聰明弟子致使如是者，我等將入地獄不久，所以者何？汝語諸欲勝毀呰瞿曇，使之不悅，於我轉疎，汝與聰明弟子致使如是，使我入地獄不久。」於是，其師懷忿結心，即蹴摩納令墮，師自乘車。時，彼摩納當墮車時，即生白癩。

> その時、摩納は仏と議論したことを師に詳しく報告しました。師は言いました。「私は賢い弟子を得たばかりに、このようなことになってしまった。我々はまもなく地獄に堕ちるだろう。なぜかというと、お前は諸々の欲望に勝とうとして瞿曇を誹謗し、彼を不愉快にさせた。そのため、私に対する彼の心は次第に離れていった。お前という賢い弟子を得たばかりに、このようなことになり、私はまもなく地獄に堕ちるのだ。」そこで、師は怒りと恨みの心を抱き、すぐに摩納を蹴り落とし、師は自分で車に乗りました。その時、摩納が車から落ちた瞬間、白い癩病が生じました。

時，沸伽羅娑羅婆羅門仰觀日已，然自念言：「今覲沙門瞿曇，非是時也，須待明日，當往覲問。」於明日旦，嚴駕寶車，從五百弟子前後圍遶，詣伊車林中，下車步進，到世尊所，問訊已，一面坐，仰觀如來身，具見諸相，唯不見二相。

> 時、沸伽羅娑羅婆羅門は日を仰ぎ見て、こう思った。「今、沙門瞿曇に会うのは時ではなかろう。明日を待ち、尋ね会いに行こう。」翌朝、彼は宝の車を整え、五百人の弟子たちに前後を囲まれ、伊車林へと向かった。車を下り、歩み進んで世尊のもとに至り、挨拶を交わすと、一方に座った。そして如来の御身を仰ぎ見て、多くの相をことごとく見たが、ただ二つの相だけは見えなかった。

時，婆羅門疑於二相，佛知其念，即出廣長舌相，舐耳覆面。時，婆羅門又疑一相，佛知其念，即以神力，使見陰馬藏。時，婆羅門具見如來三十二相，心即開悟，無復狐疑，尋白佛言：「若我行時，中路遇佛，少停止乘，當知我已禮敬世尊，所以者何？我受他村封，設下乘者，當失此封，惡聲流布。」

> その時、婆羅門は二つの相について疑念を抱いていました。仏はその心を知り、すぐに広く長い舌相を現し、耳を舐め顔を覆いました。すると婆羅門はまた一つの相を疑いました。仏はその心を知り、神通力をもって陰馬蔵を見せました。その時、婆羅門は如来の三十二相をすべて見て、心が開き悟り、もはや疑いはなくなりました。すぐに仏に申し上げました：「私が行く途中で仏に会ったとき、少し乗り物を止めたなら、それは私が世尊を礼拝したことを知ってください。なぜなら、私は他の村から封禄を受けており、もし乗り物から降りれば、この封禄を失い、悪い評判が広がるからです。」

又白佛言：「若我下乘，解劍退蓋，并除幢麾，澡瓶履屣，當知我已禮敬如來，所以者何？我受他封，故有五威儀，若禮拜者，即失所封，惡名流布。」

> また仏に申し上げました。「もし私が乗り物を降り、剣を解き、傘蓋を退け、幡や旗を除き、水瓶を清め、履物を脱いだならば、それはすでに如来を礼拝したことになるとお知りください。なぜなら、私は他国から封じられており、五つの威儀を備えているからです。もし礼拝すれば、その封を失い、悪名が広まってしまうでしょう。」

又白佛言：「若我在眾見佛起者，若偏露右臂，自稱姓字，則知我已敬禮如來，所以者何？我受他封，若禮拜者，則失封邑，惡名流布。」

> また仏に申し上げました。「もし私が大衆の中で仏を見て立ち上がる時、右肩をあらわにし、自ら姓名を名乗るならば、それは私がすでに如来を敬礼したことをご理解ください。なぜなら、私は他国から封を受けており、もし礼拝すれば封地を失い、悪い評判が広まってしまうからです。」

又白佛言：「我歸依佛，歸依法，歸依僧，聽我於正法中為優婆塞！自今已後不殺、不盜、不婬、不欺、不飲酒，唯願世尊及諸大眾當受我請。」爾時，世尊默然受請。

> また仏陀に申し上げました。「私は仏陀に帰依し、法に帰依し、僧伽に帰依します。どうか正しい法の中で在家信者（優婆塞）となることをお許しください。今日より後は、殺さず、盗まず、淫らな行いをせず、嘘をつかず、酒を飲みません。どうか世尊と大勢の皆様、どうか私の招待をお受けください。」その時、世尊は黙って招待を受けられました。

時，婆羅門見佛默然，知以許可，即從坐起，不覺禮佛遶三匝而去。歸設飯食，供饍既辦，還白：「時到。」

> その時、婆羅門は仏陀が黙っておられるのを見て、許可をいただいたと悟りました。すぐに席を立ち、自然と仏陀に礼拝し、三度お堂を巡って去っていきました。 家に帰って食事を用意し、供養の膳が整うと、再び仏陀のもとへ行き、「お時間が参りました」と申し上げました。

爾時，世尊著衣持鉢，與諸大眾千二百五十人往詣其舍，就坐而坐。

> その時、世尊は衣をまとって鉢を持ち、千二百五十人の大衆と共にその家へと向かい、座に着いて坐られた。

時，婆羅門手自斟酌，以種種甘饍供佛及僧，食訖去鉢，行澡水畢，時婆羅門右手執弟子阿摩晝臂至世尊前言：「唯願如來聽其悔過！唯願如來聽其悔過！」如是至三，又白佛言：「猶如善調象馬，猶有蹶倒還復正路，此人如是，雖有漏失，願聽悔過。」

> その時、婆羅門は自ら手ずから食事を盛り、さまざまな美味しい料理を仏陀と僧侶たちに供養しました。食事が終わり、鉢が下げられ、手を洗う水が配られると、婆羅門は右手で弟子のアモチョウの腕をとり、世尊のもとへ進み出て言いました。 「どうか如来様、彼の悔い改めをお聞き入れください。どうか如来様、彼の悔い改めをお聞き入れください。」 こうして三度繰り返し、さらに仏陀に申し上げました。 「よく調教された象や馬でさえ、つまずいて倒れることがあっても、また正しい道に戻るものです。この者も同じく、過ちはありましたが、どうか悔い改めをお聞き入れください。」

佛告婆羅門：「當使汝壽命延長，現世安隱，使汝弟子白癩得除。」佛言適訖，時彼弟子白癩即除。

> 仏はバラモンに告げられた。「あなたの寿命は延び、現世は安らかになり、あなたの弟子の白癩も癒えるでしょう。」仏がそう言い終わると、その弟子の白癩はたちまち癒えました。

時，婆羅門取一小座於佛前坐，世尊即為婆羅門說法，示教利喜，施論、戒論、生天之論，欲為穢汙，上漏為患，出要為上，演布清淨。爾時，世尊知婆羅門心已調柔、清淨、無垢，堪受道教，如諸佛常法，說苦聖諦、苦集聖諦、苦滅聖諦、苦出要諦。時，婆羅門即於座上遠塵離垢，得法眼淨，猶如淨潔白疊，易為受染；沸伽羅娑羅婆羅門亦復如是，見法得法，決定道果，不信餘道，得無所畏，即白佛言：「我今再三歸依佛、法及比丘僧，聽我於正法中為優婆塞！盡形壽不殺、不盜、不婬、不欺、不飲酒，唯願世尊及諸大眾哀愍我故，受七日請。」爾時，世尊默然許之。時，婆羅門即於七日中，種種供養佛及大眾。爾時，世尊過七日已，遊行人間。

> その時、婆羅門は小さな座を取って仏陀の前に座りました。世尊はすぐに婆羅門のために説法を始められ、教えを示し、利益と喜びを与え、布施の論、戒律の論、天に生まれる論について説かれました。欲望は穢れであり、煩悩は苦しみの原因であり、解脱こそが最上の道であると、清らかな教えを広く説かれたのです。 その時、世尊は婆羅門の心がすでに調えられ、清らかで、垢のない状態になり、正しい教えを受け入れる準備ができていることをご覧になりました。そして、諸仏の常法に従って、苦の聖なる真理、苦の生起の聖なる真理、苦の滅尽の聖なる真理、苦からの解脱の道の聖なる真理を説かれました。 すると、婆羅門はその座の上で、塵や垢から遠く離れ、清らかな法の眼を得ました。それはちょうど、清潔で白い布が染めやすいように、沸伽羅娑羅婆羅門もまた同じく、法を見、法を得て、確固たる悟りの境地に至り、他の道を信じることなく、恐れることのない境地を得たのです。 彼はすぐに仏陀に申し上げました。「私は今、三度にわたり仏陀と法と比丘僧に帰依いたします。どうか、正しい法の中で在家信者（優婆塞）となることをお許しください。生涯を通じて殺さず、盗まず、淫らな行いをせず、欺かず、酒を飲みません。どうか世尊と諸々の大衆が、私を哀れんでくださり、七日の間、お受け入れくださいますようお願いいたします。」 その時、世尊は黙ってそれを許されました。婆羅門はすぐに七日間、さまざまな方法で仏陀と大衆を供養しました。そして、世尊は七日が過ぎると、再び人々の間を遊行されました。

佛去未久，沸伽羅娑羅婆羅門遇病命終。時諸比丘聞此婆羅門於七日中供養佛已，便取命終，各自念：「此命終，為生何趣？」爾時，眾比丘往至世尊所，禮佛已，一面坐，白佛言：「彼婆羅門於七日中供養佛已，身壞命終，當生何處？」

> 仏が去られて間もなく、沸伽羅娑羅婆羅門が病に倒れ、命を終えました。その時、比丘たちは、この婆羅門が七日間にわたって仏を供養した後、命を落としたと聞き、それぞれ心に思いました。「この者は命終わって、いずれの世界に生まれるのだろうか？」そこで、比丘たちは世尊のもとへ赴き、仏に礼拝してから傍らに座り、仏に申し上げました。「あの婆羅門は七日間にわたって仏を供養した後、身を壊し命を終えましたが、どこに生まれるのでしょうか？」

佛告比丘：「此族姓子諸善普集，法法具足，不違法行，斷五下結，於彼般涅槃，不來此世。」

> 仏は比丘に告げられた：「この善き家柄の者は、あらゆる善を広く集め、法を一つ一つ具え、法の行いに背かず、五つの下分の結を断じ、かの境地で涅槃に入り、この世に再び来ることがない。」

爾時，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んで受け入れ、実践しました。

## 佛說長阿含經卷第十三

> 仏説長阿含経　第十三巻