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title: "長阿含經 · 26 三明經"
description: "長阿含經是佛教原始經典四阿含之一，由後秦時期譯師佛陀耶舍與竺佛念共同譯出。該經成書於公元前1世紀左右，屬早期佛教根本聖典，記載了佛陀與弟子們的言行教法。全經共30卷，分為四分，主要內容包括佛陀生平、教義闡述、修行方法及宇宙觀等，系統性保存了原始佛教的基本教理。作為漢傳佛教重要典籍，長阿含經被視為研究原始佛教思想的核心文獻，在佛教經典體系中具有不可替代的權威地位，對後世佛教發展影響深遠。"
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### （二六）佛說長阿含第三分三明經第七

> 長部経典第三分・三明経第七

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛在俱薩羅國人間遊行，與大比丘眾千二百五十人俱，詣伊車能伽羅俱薩羅婆羅門村，止宿伊車林中。

> ある時、お釈迦様はコーサラ国を旅され、千二百五十人の大勢の比丘たちと共に、イチャーナンガラというコーサラ国のバラモンの村に赴き、イチャーナンガラの森に滞在されました。

時，有婆羅門名沸伽羅娑羅、婆羅門名多梨車，以小緣詣伊車能伽羅村。此沸伽羅娑羅婆羅門，七世以來父母真正，不為他人之所輕毀，異典三部諷誦通利，種種經書善能分別。又能善於大人相法、觀察吉凶、祭祀儀禮，有五百弟子，教授不廢。其一弟子名婆悉咤，七世以來父母真正，不為他人之所輕毀，異學三部諷誦通利，種種經書盡能分別，亦能善於大人相法，觀察吉凶，祭祀儀禮，亦有五百弟子，教授不廢。

> その時、沸伽羅娑羅という名のバラモンと、多梨車という名のバラモンが、小さな用事で伊車能伽羅村を訪れました。この沸伽羅娑羅バラモンは、七代にわたって父母が純粋な血筋であり、他人から軽蔑されることもなく、異なる聖典の三部を暗誦し通達し、さまざまな経典を巧みに理解していました。また、偉人の相法に長け、吉凶を観察し、祭祀の儀礼にも精通し、五百人の弟子を抱え、教えを絶やすことなく伝えていました。その一人の弟子に婆悉咤という者がおり、彼もまた七代にわたって父母が純粋な血筋で、他人から軽蔑されることもなく、異なる学問の三部を暗誦し通達し、あらゆる経典をことごとく理解し、偉人の相法にも長け、吉凶を観察し、祭祀の儀礼にも精通し、やはり五百人の弟子を抱え、教えを絶やすことなく伝えていました。

多梨車婆羅門，亦七世已來父母真正，不為他人之所輕毀，異學三部諷誦通利，種種經書盡能分別，亦能善於大人相法、觀察吉凶、祭祀儀禮，亦有五百弟子，教授不廢。其一弟子名頗羅墮，七世已來父母真正，不為他人之所輕毀，異學三部諷誦通利，種種經書盡能分別，亦能善於大人相法、觀察吉凶、祭祀儀禮，亦有五百弟子，教授不廢。

> 多梨車婆羅門もまた、七代にわたって家系が清らかで、他人から軽蔑されることなく、異教の三つの聖典を暗唱し通達し、さまざまな経典をすべて理解し、偉人の相法や吉凶の観察、祭祀の儀礼にも長けていました。五百人の弟子を抱え、教えを授けることを怠りませんでした。その弟子の一人、頗羅墮もまた、七代にわたって家系が清らかで、他人から軽蔑されることなく、異教の三つの聖典を暗唱し通達し、さまざまな経典をすべて理解し、偉人の相法や吉凶の観察、祭祀の儀礼にも長けていました。五百人の弟子を抱え、教えを授けることを怠りませんでした。

時，婆悉咤、頗羅墮二人於清旦至園中，遂共論義，更相是非。時，婆悉咤語頗羅墮：「我道真正，能得出要，至於梵天，此是大師沸伽羅娑羅婆羅門所說。」

> その時、婆悉咤と頗羅墮の二人は、早朝に園に来て、互いに議論を始め、お互いの説を否定し合いました。その時、婆悉咤は頗羅墮に言いました。「私の道こそ真実であり、解脱を得て梵天に至ることができます。これは、私たちの師である沸伽羅娑羅婆羅門が説かれたことです。」

頗羅墮又言：「我道真正，能得出要，至於梵天，此是大師多梨車婆羅門所說。」如是，婆悉咤再三自稱己道真正，頗羅墮亦再三自稱己道真正，二人共論，各不能決。

> また、頗羅墮は言いました。「私の道こそ真実であり、真髄を得て梵天に至ることができる。これは我が師である多梨車婆羅門の教えである」と。 かくして、婆悉咤は再三にわたり自らの道が真実であると主張し、頗羅墮もまた再三にわたり自らの道が真実であると主張しました。二人は議論を交わしましたが、互いに決着をつけることはできませんでした。

時，婆悉咤語頗羅墮曰：「我聞沙門瞿曇釋種子出家成道，於拘薩羅國遊行人間，今在伊車能伽羅林中，有大名稱，流聞天下，如來、至真、等正覺，十號具足。於諸天、世人、魔、若魔天、沙門、婆羅門中，自身作證，為他說法，上中下言，皆悉真正，義味具足，梵行清淨。如是真人，宜往覲現。我聞彼瞿曇知梵天道，能為人說，常與梵天往返言語，我等當共詣彼瞿曇，共決此義。若沙門瞿曇有所言說，當共奉持。」爾時，婆悉咤、頗羅墮二人相隨到伊車林中，詣世尊所，問訊已，一面坐。

> その時、婆悉咤が頗羅墮に言いました。「私は聞いています。沙門の瞿曇（釈迦族の出身）が出家して悟りを開き、今は拘薩羅国を巡り歩き、伊車能伽羅の森におられると。その名声は広く知れ渡り、如来・至真・等正覚という十種の尊称を備えた方だと。天界の人々、人間、魔、魔天、沙門、婆羅門の中にあって、自ら真理を体得し、人々に法を説かれている。その言葉は上中下を問わず、すべて真実であり、意味に満ち、清らかな梵行を示されています。そのような真実の人に、ぜひお会いすべきです。私はあの瞿曇が梵天の道を知り、人々に説くことができ、常に梵天と語り合っていると聞いています。私たちは共に彼の瞿曇のもとを訪れ、この真理について確かめましょう。もし沙門瞿曇が何かを説かれたなら、共にそれを拝受しましょう。」 その時、婆悉咤と頗羅墮の二人は共に伊車の森へ向かい、世尊のおられる場所に到着しました。挨拶を交わした後、そばに座りました。

爾時，世尊知彼二人心中所念，即告婆悉咤曰：「汝等二人清旦至園中，作如是論，共相是非。汝一人言：『我法真正，能得出要，至於梵天，此是大師沸伽羅娑羅所說。』彼一人言：『我法真正，能得出要，至於梵天，此是大師多梨車所說。』如是再三，更相是非，有如此事耶？」

> その時、世尊はお二人の心に浮かんだ思いをご存知になり、婆悉咤にこうおっしゃいました。 「あなたがた二人は、今朝、園に来て、このような議論をし、互いに自分の説が正しいと主張し合ったのではないか。一人は『私の教えこそ真実であり、解脱を得て梵天に至ることができる。これは大師、沸伽羅娑羅の説くところである』と言い、もう一人は『私の教えこそ真実であり、解脱を得て梵天に至ることができる。これは大師、多梨車の説くところである』と言った。こうして何度も互いに自説を主張し合った。そういうことがあったのではないか？」

時，婆悉咤、頗羅墮聞佛此言，皆悉驚愕，衣毛為竪，心自念言：「沙門瞿曇有大神德，先知人心，我等所欲論者，沙門瞿曇已先說訖。」時，婆悉咤白佛言：「此道、彼道皆稱真正，皆得出要，至於梵天，為沸伽羅娑羅婆羅門所說為是？為多梨車婆羅門所說為是耶？」

> その時、婆悉咤と頗羅墮は仏のこの言葉を聞いて、みな驚き愕然とし、身の毛が逆立つ思いでした。心の中でこう思いました。「沙門瞿曇には大いなる神通の徳があり、人の心を先に知っておられる。私たちがこれから論じようとしていたことを、沙門瞿曇はすでに先に説き終えられたのだ」 その時、婆悉咤は仏に申し上げました。「この道もあの道も、みな真実の道であると称され、みな解脱を得て梵天に至ることができると言われます。沸伽羅娑羅婆羅門の説くところが正しいのでしょうか、それとも多梨車婆羅門の説くところが正しいのでしょうか？」

佛言：「正使，婆悉咤！此道、彼道真正出要，得至梵天，汝等何為清旦園中共相是非，乃至再三耶？」

> 仏は言われた。「婆悉咤よ、たとえこの道であれ、あの道であれ、真に梵天へ至るための正しい出離があるとしても、あなた方はなぜ、朝早くから園で互いに論じ合い、ついには再三に及ぶほどに争うのか？」

時，婆悉咤白佛言：「諸有三明婆羅門說種種道，自在欲道、自作道、梵天道，此三道者盡向梵天。瞿曇！譬如村營，所有諸道皆向於城，諸婆羅門雖說種種諸道，皆向梵天。」

> その時、婆悉咤は仏に申し上げました：「三明を備えたバラモンたちはさまざまな道を説いています。自在欲の道、自作の道、梵天の道。この三つの道はすべて梵天に向かうものです。瞿曇よ、まるで村々のすべての道が城へと通じているように、バラモンたちが説くさまざまな道も、すべて梵天へと向かっているのです。」

佛告婆悉咤：「彼諸道為盡趣梵天不？」

> 仏は婆悉咤に告げられた：「それらの道は、すべて梵天に至るものなのか？」

答曰：「盡趣。」

> 答えはこうでした。「すべての生きとし生けるものの行き着くところです。」

佛復再三重問：「種種諸道盡趣梵天不？」

> 仏は再び三度、重ねて問われた：「様々な道はすべて梵天に至るのか？」

答曰：「盡趣。」

> 答えはこうでした。「すべての生きとし生けるものの行き着くところです。」

爾時，世尊定其語已，告婆悉咤曰：「云何三明婆羅門中，頗有一人得見梵天者不？」

> その時、世尊は言葉を整えられ、婆悉咤に告げられた。「三明の婆羅門の中に、梵天を見た者が一人でもいるだろうか？」

答曰：「無有見者。」

> 答えはこうです。「見る者などいません。」

「云何，婆悉咤！三明婆羅門先師，頗有得見梵天者不？」

> 「婆悉咤よ、どうだろうか。三明に通じたバラモンの先師たちの中で、実際に梵天を見た者はいるだろうか？」

答曰：「無有見者。」

> 答えは、「見る者はありません」と。

「云何，婆悉咤！乃往三明仙人舊婆羅門，諷誦通利，能為人說舊諸讚誦，歌詠詩書，其名阿咤摩婆羅門、婆摩提婆婆羅門、毘婆審婆羅門、伊尼羅斯婆羅門、蛇婆提伽婆羅門、婆婆悉婆羅門、迦葉婆羅門、阿樓那婆羅門、瞿曇摩婆羅門、首脂婆羅門、婆羅損陀婆羅門，彼亦得見梵天不耶？」

> さて、婆悉咤よ。いにしえより伝わる三明の仙人、古くからのバラモンたちがいます。彼らは古い讃歌や詩文を暗誦し、人々に説くことができました。その名は、阿咤摩バラモン、婆摩提婆バラモン、毘婆審バラモン、伊尼羅斯バラモン、蛇婆提伽バラモン、婆婆悉バラモン、迦葉バラモン、阿樓那バラモン、瞿曇摩バラモン、首脂バラモン、婆羅損陀バラモンです。彼らは梵天を見ることができたでしょうか？

答曰：「無有見者。」

> 答えはこうです。「見る者などいません。」

佛言：「若彼三明婆羅門無有一見梵天者，若三明婆羅門先師無有見梵天者，又諸舊大仙三明婆羅門阿咤摩等亦不見梵天者，當知三明婆羅門所說非實。」

> お釈迦様はおっしゃいました。「もし、三明に通じたバラモンたちの中に、梵天を見た者が一人もいないのであれば、また、三明に通じたバラモンたちの先師たちの中にも梵天を見た者がいないのであれば、さらに、古くからの偉大な仙人であり三明に通じたバラモンであるアータマなども梵天を見ていないのであれば、三明に通じたバラモンたちの説くことは真実ではないと知るべきです。」

又告婆悉咤：「如有婬人言：『我與彼端正女人交通，稱歎婬法。』餘人語言：『汝識彼女不？為在何處？東方、西方、南方、北方耶？』答曰：『不知。』又問：『汝知彼女所止土地城邑村落不？』答曰：『不知。』又問：『汝識彼女父母及其姓字不？』答曰：『不知。』又問：『汝知彼女為是剎利女，為是婆羅門、居士、首陀羅女耶？』答曰：『不知。』又問：『汝知彼女為長短、麤細、黑白、好醜耶？』答曰：『不知。』云何，婆悉咤！彼人讚嘆為是實不？」

> また婆悉咤に告げた。「もしある好色な者が、『私はあの端正な女と交わった』と言い、淫らな行いを称賛したとしよう。他の人が尋ねる。『あなたはその女を知っているのか？どこにいるのか？東か、西か、南か、北か？』彼は答える。『知らない』。さらに尋ねる。『その女が住む土地や町、村を知っているか？』彼は答える。『知らない』。さらに尋ねる。『その女の両親や姓名を知っているか？』彼は答える。『知らない』。さらに尋ねる。『その女が王族の娘か、バラモンか、庶民か、労働者の娘か知っているか？』彼は答える。『知らない』。さらに尋ねる。『その女が背が高いか低いか、太っているか痩せているか、肌の色は黒いか白いか、美しいか醜いか知っているか？』彼は答える。『知らない』。さて、婆悉咤よ。その人の称賛は真実と言えるだろうか？」

答曰：「不實。」

> 答えはこうです。「それは真実ではありません。」

「如是。婆悉咤！三明婆羅門所說亦爾，無有實也。云何，婆悉咤！汝三明婆羅門見日月遊行出沒處所，叉手供養，能作是說：『此道真正，當得出要，至日月所。』不？」

> その通りです、婆悉咤よ。三明を有するバラモンたちの説くところもまた同じく、実体なきものです。さて、婆悉咤よ、あなたがた三明のバラモンは、太陽と月が運行し、出没する場所を見て、手を合わせて供養しながら、こう言うことができるでしょうか。『この道こそ真実であり、これによって解脱を得て、太陽と月の住まうところに至ることができる』と。そうは言えないでしょう？

報曰：「如是。三明婆羅門見日月遊行出沒處所，叉手供養，而不能言：『此道真正，當得出要，至日月所。』也。」

> 報告がありました。 「その通りです。三明をそなえたバラモンたちは、太陽や月が運行し、昇り沈む場所を見て、手を合わせて供養はしますが、こうは言えません。 『この道こそが真実の道であり、これによって解脱を得て、太陽や月のいる所に至ることができるのだ』と。」

「如是。婆悉咤！三明婆羅門見日月遊行出沒之處，叉手供養，而不能說：『此道真正，當得出要，至日月所。』而常叉手供養恭敬，豈非虛妄耶？」

> 「その通りです。婆悉咤よ！三明のバラモンたちは、太陽や月が運行し、昇り沈む場所を見て、手を合わせて供養します。しかし、彼らはこう言うことはできません。『この道こそ真実であり、これによって解脱を得て、太陽や月の住むところに至ることができる』と。それなのに、ただ常に手を合わせて供養し、敬い続けることは、まさに虚妄ではありませんか？」

答曰：「如是。瞿曇！彼實虛妄。」

> 「その通りです。瞿曇よ。それは確かに虚妄なものです。」

佛言：「譬如有人立梯空地，餘人問言：『立梯用為。』答曰：『我欲上堂。』又問：『堂何所在？東、西、南、北耶？』答云：『不知。』云何？婆悉咤！此人立梯欲上堂者，豈非虛妄耶？」

> お釈迦さまはおっしゃいました。「たとえば、ある人が何もない空き地に梯子を立てているとします。ほかの人が尋ねました。『梯子を立てて何をするのですか。』彼は答えました。『屋上に上がりたいのです。』また尋ねました。『屋上はどこにあるのですか？東、西、南、北のどちらですか？』彼は答えました。『わかりません。』さて、婆悉咤よ。この人が屋上に上がろうと梯子を立てるのは、まさに無意味なことではないでしょうか？」

答曰：「如是，彼實虛妄。」

> 答えて言いました。「その通りです。それはまさに虚妄なのです。」

佛言：「三明婆羅門亦復如是，虛誑無實。婆悉咤！五欲潔淨，甚可愛樂。云何為五？眼見色，甚可愛樂；耳聲、鼻香、舌味、身觸，甚可愛樂。於我賢聖法中，為著、為縛，為是拘鎖。彼三明婆羅門為五欲所染，愛著堅固，不見過失，不知出要，彼為五欲之所繫縛。正使奉事日月水火，唱言：『扶接我去生梵天者。』無有是處。譬如阿夷羅河，其水平岸，烏鳥得飲，有人在此岸身被重繫，空喚彼岸言：『來渡我去。』彼岸寧來渡此人不？」

> 仏は言われた。「三明のバラモンもまた同じであり、虚偽で実体がない。バーシシュタよ、五欲は清らかで、非常に愛すべきものである。五つとは何か？ 眼が色を見ることは、非常に愛すべきものである。耳が声を聞くこと、鼻が香りを嗅ぐこと、舌が味わうこと、身体が触れることは、非常に愛すべきものである。しかし、私の聖なる教えにおいては、それらは執着であり、束縛であり、まさに枷なのである。あの三明のバラモンは五欲に染まり、固く執着し、その過ちを見ず、解脱の道を知らない。彼は五欲によって縛られているのだ。たとえ日月水火を祀り、『私を助けて梵天に生まれさせてください』と唱えたとしても、そのようなことはありえない。ちょうどアジラ河のように、水が岸と同じ高さまで満ち、烏が飲むことができる。ある人がこの岸で重い縛めを身に受けながら、向こう岸に向かって『来て私を渡してくれ』と空しく叫んでも、向こう岸が来てこの人を渡すことがあろうか？」

答曰：「不也。」

> いいえ、違います。

「婆悉咤！五欲潔淨，甚可愛樂，於賢聖法中猶如拘鎖。彼三明婆羅門為五欲所染，愛著堅固，不見過失，不知出要。彼為五欲之所繫縛，正使奉事日月水火，唱言：『扶接我去生梵天上。』亦復如是，終無是處。婆悉咤！譬如阿夷羅河，其水平岸，烏鳥得飲，有人欲渡，不以手足身力，不因船栰，能得渡不？」

> 婆悉咤よ、五つの欲望は清らかで美しく、とても愛らしく思われるものですが、聖なる教えの中ではまるで枷のようなものです。あの三明のバラモンたちは五欲に染まり、固く執着し、その過ちを見ず、解脱の道を知りません。彼らは五欲に縛られたまま、たとえ日月水火を拝み、「私を助けて梵天の世界へ生まれさせてください」と唱えたとしても、同じことです。ついにそのようなことはありえません。 婆悉咤よ、たとえばアーイラ川の水が岸と同じ高さまで満ち、烏が水を飲めるほどになったとします。その時、手足の力も使わず、船や筏も用いずに、誰かが渡ることができるでしょうか？

答曰：「不能。」

> お答えします：「できません。」

「婆悉咤！三明婆羅門亦復如是，不修沙門清淨梵行，更修餘道不清淨行，欲求生梵天者，無有是處。婆悉咤！猶如山水暴起，多漂人民，亦無船栰，又無橋梁，有行人來，欲渡彼岸，見山水暴起，多漂人民，亦無船栰，又無橋梁，彼人自念：『我今寧可多集草木，牢堅縛栰，自以身力渡彼岸耶？』即尋縛栰，自以身力安隱得渡。婆悉咤！此亦如是，若比丘捨非沙門不清淨行，行於沙門清淨梵行，欲生梵天者，則有是處。云何，婆悉咤！梵天有恚心耶？無恚心耶？」

> 婆悉咤よ、三明のバラモンたちもまた同じです。沙門としての清らかな梵行を修めず、他の道で不清浄な行いを続けながら、梵天に生まれようとするのは、ありえないことです。 婆悉咤よ、まるで山の水が急に増水し、多くの人々が流され、船も筏もなく、橋もないようなものです。向こう岸へ渡ろうとする旅人が来て、山の水が急に増水し、多くの人々が流され、船も筏もなく、橋もないのを見て、その人は考えます。『今、多くの草木を集めて、しっかりとした筏を作り、自分の力で向こう岸へ渡ろう』と。そしてすぐに筏を作り、自分の力で無事に渡ることができました。 婆悉咤よ、これと同じです。もし比丘が、沙門でない不清浄な行いを捨てて、沙門としての清らかな梵行を行い、梵天に生まれようとするならば、それは可能なことです。 さて、婆悉咤よ、梵天には怒りの心があるでしょうか、それとも怒りの心がないでしょうか？

答曰：「無恚心也。」

> 答えていわく、「怒りのない心である。」

又問：「三明婆羅門有恚心、無恚心耶？」

> また尋ねました：「三明を修めたバラモンには、怒りの心があるのでしょうか、それとも怒りの心がないのでしょうか？」

答曰：「有恚心。」

> 答えて言いました：「怒りの心があります。」

「婆悉咤！梵天無恚心，三明婆羅門有恚心，有恚心、無恚心不共同，不俱解脫，不相趣向，是故梵天、婆羅門不共同也。云何，婆悉咤！梵天有瞋心、無瞋心耶？」

> 婆悉咤よ、梵天には怒りの心はありません。三明を備えたバラモンには怒りの心があります。怒りの心のある者と怒りの心のない者は、共に歩まず、共に解脱せず、互いに向かうこともありません。だからこそ、梵天とバラモンは同じではないのです。さて、婆悉咤よ、梵天には怒りの心があると思いますか、それともないと思いますか？

答曰：「無瞋心。」

> 答えて言う：「怒りの心はありません。」

又問：「三明婆羅門有瞋心、無瞋心耶？」

> また尋ねました：「三明婆羅門には、怒りの心があるのでしょうか、それともないのでしょうか？」

答曰：「有瞋心。」

> 答えは、「怒りの心があります。」

佛言：「梵天無瞋心，三明婆羅門有瞋心，有瞋心、無瞋心不同趣，不同解脫，是故梵天、婆羅門不共同也。云何，婆悉咤！梵天有恨心、無恨心耶？」

> お釈迦さまはおっしゃいました。「梵天には怒りの心がありませんが、三明をそなえたバラモンには怒りの心があります。怒りの心がある者とない者では、目指すところも異なり、得られる解脱も異なります。ですから、梵天とバラモンは同じではないのです。どうですか、ヴァーセッタよ。梵天には恨みの心があるでしょうか、それともないでしょうか？」

答曰：「無恨心。」

> 答えて言いました：「恨みの心はありません。」

又問：「三明婆羅門有恨心、無恨心耶？」

> また尋ねました：「三明のバラモンには、恨みの心があるのでしょうか、それとも恨みの心がないのでしょうか？」

答曰：「有恨心。」

> 答えて言いました：「恨みの心があります。」

佛言：「梵天無恨心，三明婆羅門有恨心，有恨心、無恨心不同趣，不同解脫，是故梵天、婆羅門不共同也。云何，婆悉咤！梵天有家屬產業不？」

> 仏は言われた：「梵天には恨みの心がなく、三明の婆羅門には恨みの心がある。恨みの心がある者とない者は、同じ境地には至らず、同じ解脱を得ることはない。それゆえ、梵天と婆羅門は同じではないのだ。どうだろうか、婆悉咤よ。梵天には家族や財産があるだろうか？」

答曰：「無。」

> 答えはこうです。「ありません。」

又問：「三明婆羅門有家屬產業不？」

> また尋ねました：「三明を悟ったバラモンには、家族や財産はあるのですか？」

答曰：「有。」

> お答えします：「あります。」

佛言：「梵天無家屬產業，三明婆羅門有家屬產業，有家屬產業、無家屬產業不同趣，不同解脫，是故梵天、婆羅門不共同也。云何，婆悉咤！梵天得自在、不得自在耶？」

> 仏は言われた：「梵天には家族も財産もありませんが、三明を備えたバラモンには家族も財産もあります。家族や財産のある者とない者では、目指す道も異なり、悟りへの道筋も異なります。だから梵天とバラモンは同じではないのです。さて、ヴァーセッタよ。梵天は自在を得ているのか、それとも自在を得ていないのか、どう思いますか？」

答曰：「得自在。」

> 答えて言った：「自在を得ました。」

又問：「三明婆羅門得自在、不得自在耶？」

> また尋ねました：「三明をそなえたバラモンは自在を得ているのか、それとも自在を得ていないのか？」

答曰：「不得自在。」

> お答えします。「自由にはなれません。」

佛言：「梵天得自在，三明婆羅門不得自在，不得自在、得自在不同趣，不同解脫，是故梵天、婆羅門不共同也。」

> 仏は言われた：「梵天は自在を得るが、三明の婆羅門は自在を得ず。自在を得ない者と自在を得る者とは、同じ境地に至らず、同じ解脱を悟らない。ゆえに梵天と婆羅門とは、同じものではない。」

佛言：「彼三明婆羅門，設有人來問難深義，不能具答。實如是不？」

> お釈迦様はおっしゃいました。「あの三明をそなえたバラモンたちは、たとえ人が深遠な教えについて問い詰めても、十分に答えることができない。それは本当にそうではないか？」

答曰：「如是。」

> 「その通りです。」

時，婆悉咤、頗羅墮二人俱白佛言：「且置餘論，我聞沙門瞿曇明識梵道，能為人說，又與梵天相見往來言語，唯願沙門瞿曇以慈愍故，說梵天道，開示演布。」

> その時、婆悉咤と頗羅墮の二人はともに仏に申し上げました。 「他の論議はひとまず置いて、私たちは沙門瞿曇が梵道を明らかに理解し、人々に説くことができ、また梵天と会って言葉を交わすことができると聞いています。 どうか沙門瞿曇、慈しみの心で梵天道を説き、それを明らかに示し広めてください。」

佛告婆悉咤：「我今問汝，隨意報我。云何，婆悉咤！彼心念國，去此遠近？」

> お釈迦様は婆悉咤に仰せになりました。「さて、婆悉咤よ、今、私がお尋ねしますから、どうぞ思うままにお答えください。さて、婆悉咤よ、あなたが心に描いているその国は、ここからどれほど遠いところにあるのですか？」

答：「近。」

> 答えて言う：「近い。」

「若使有人生長彼國，有餘人問彼國道徑，云何，婆悉咤！彼人生長彼國答彼道徑，寧有疑不？」

> もし、その国で生まれ育った人がいて、他の人がその国への道筋を尋ねたとします。婆悉咤よ、その生まれ育った人が道筋を答えるのに、何か迷いがあるでしょうか？

答曰：「無疑。所以者何？彼國生長故。」

> 答えは、「疑いはありません。なぜなら、その国で育ったからです。」

佛言：「正使彼人生長彼國，或可有疑；若有人來問我梵道，無疑也。所以者何？我常數數說彼梵道故。」

> 仏は言われた：「たとえその人がその国で生まれ育ったとしても、疑いを持つことはあり得よう。しかし、もし誰かが私に梵行について尋ねてくるならば、疑いはない。なぜなら、私は常に繰り返しその梵行を説いているからである。」

時，婆悉咤、頗羅墮俱白佛言：「且置此論，我聞沙門瞿曇明識梵道，能為人說，又與梵天相見往來言語，唯願沙門瞿曇以慈愍故，說於梵道，開示演布。」

> その時、婆悉咤と頗羅墮は共に仏に申し上げました： 「この議論はひとまず置いておきましょう。私たちは沙門瞿曇（釈尊）が梵道（清らかな道）を明らかに理解し、人々に説くことができ、また梵天と会って言葉を交わすことができると聞いています。どうか沙門瞿曇、慈しみの心をもって、梵道について説き明かし、開示し、広く示していただけませんか。」

佛言：「諦聽，善思，當為汝說。」

> お釈迦様は言われました。「よく聞きなさい。よく考えなさい。あなたに説いてあげよう。」

答言：「唯然，願樂欲聞。」

> 「はい、ぜひお聞かせください。」

佛言：「若如來、至真、等正覺出現於世，十號具足，乃至四禪，於現法中而自娛樂。所以者何？斯由精勤，專念不忘，樂獨閑靜，不放逸故。彼以慈心遍滿一方，餘方亦爾，廣布無際，無二、無量，無恨、無害，遊戲此心而自娛樂：悲、喜、捨心遍滿一方，餘方亦爾，廣布無際，無二、無量，無有結恨，無惱害意，遊戲此心以自娛樂。云何，婆悉咤！梵天有恚心、無恚心耶？」

> 仏は言われた。「もし如来、至真、等正覚が世に現れ、十の尊称をすべて備え、四禅に至るまで、現世において自ら楽しむことができる。それはなぜか。これは精進に努め、心を集中して忘れず、独り静寂を楽しみ、怠けずに励むからである。彼は慈しみの心で一方を満たし、他の方角も同様に、広く限りなく行き渡らせ、二つとなく、量り知れず、恨みなく、害することなく、この心をもって遊び楽しむ。悲しみの心、喜びの心、捨てる心もまた一方を満たし、他の方角も同様に、広く限りなく行き渡らせ、二つとなく、量り知れず、わだかまりや恨みがなく、悩ませ害する心がなく、この心をもって遊び楽しむ。さて、婆悉咤よ、梵天には怒りの心があるのか、それとも怒りの心がないのか？」

答曰：「無恚心也。」

> 答えていわく、「怒りのない心である。」

又問：「行慈比丘有恚心、無恚心耶？」

> また尋ねました：「慈悲の行いを実践する比丘には、怒りの心があるのでしょうか、それとも怒りの心がないのでしょうか？」

答曰：「無恚心。」

> 答えはこうです。「怒りのない心です。」

佛言：「梵天無恚心，行慈比丘無恚心，無恚心、無恚心同趣，同解脫，是故梵天、比丘俱共同也。云何，婆悉咤！梵天有瞋心耶？無瞋心耶？」

> 仏は言われた。「梵天は怒りの心がなく、慈しみを行じる比丘も怒りの心がない。怒りの心がない者同士は、同じ境地に向かい、同じ解脱を得る。だから梵天と比丘は同じなのだ。どうだろうか、婆悉咤よ。梵天には怒りの心があるのか、それともないのか？」

答曰：「無也。」

> 答えました。「ありません。」

又問：「行慈比丘有瞋心、無瞋心耶？」

> また問うた：「慈悲の心を実践する比丘には、怒りの心があるのでしょうか、それともないのでしょうか？」

答曰：「無。」

> 答えはこうです。「ありません。」

佛言：「梵天無瞋心，行慈比丘無瞋心，無瞋心、無瞋心同趣，同解脫，是故梵天、比丘俱共同也。云何，婆悉咤！梵天有恨心、無恨心耶？」

> 仏は言われた。「梵天には怒りの心はなく、慈しみを実践する比丘にも怒りの心はない。怒りの心がないという点では、同じ境地に向かい、同じ解脱を得る。だからこそ、梵天と比丘は本質において同じなのだ。さて、婆悉咤よ。梵天には恨みの心があるのか、それともないのか？」

答曰：「無。」

> 答えはこうです。「ありません。」

又問：「行慈比丘有恨心、無恨心耶？」

> また尋ねました：「慈悲を実践する比丘には、恨みの心があるのでしょうか、それともないのでしょうか？」

答曰：「無。」

> 答えはこうです。「ありません。」

佛言：「梵天無恨心，行慈比丘無恨心，無恨心、無恨心同趣，同解脫，是故比丘、梵天俱共同也。云何，婆悉咤！梵天有家屬產業不？」

> 仏は言われた。「梵天には恨みの心がなく、慈しみを実践する比丘にも恨みの心はない。恨みの心がないこと、恨みの心がないことは同じ方向を向き、同じ解脱に至る。だからこそ、比丘と梵天は共に同じ境地にあるのだ。さて、婆悉咤よ、梵天には家族や財産があるだろうか？」

答曰：「無也。」

> 答えました。「ありません。」

又問：「行慈比丘有家屬產業不耶？」

> また尋ねました：「慈悲の行いを実践する比丘には、家族や財産はあるのでしょうか？」

答曰：「無也。」

> 答えました。「ありません。」

佛言：「梵天無家屬產業，行慈比丘亦無家屬產業，無家屬產業、無家屬產業同趣，同解脫，是故梵天、比丘俱共同也。云何，婆悉咤！梵天得自在不耶？」

> 仏は言われた：「梵天には家族も財産もありません。慈しみを行う比丘にも家族も財産もありません。家族も財産もないこと、家族も財産もないことは同じ境地であり、同じ解脱です。それゆえ、梵天と比丘はともに同じなのです。どうですか、婆悉咤よ。梵天は自在を得ているでしょうか？」

答曰：「得自在。」

> 答えて言った：「自在を得ました。」

又問：「行慈比丘得自在耶？」

> また問うた：「慈しみの行を実践する比丘は、自在を得ているのですか？」

答曰：「得自在。」

> 答えて言った：「自在を得ました。」

佛言：「梵天得自在，行慈比丘得自在，得自在、得自在同趣，同解脫，是故梵天、比丘俱共同也。」

> 仏陀は言われた。 「梵天は自在を得、慈しみを行う比丘も自在を得る。 自在を得る者は、同じ境地に至り、同じ解脱に達する。 ゆえに梵天と比丘は、ともに同じ境地にあるのだ。」

佛告婆悉咤：「當知行慈比丘身壞命終，如發箭之頃，生梵天上。」佛說是法時，婆悉咤、頗羅墮即於座上遠塵離垢，諸法法眼生。

> 仏は婆悉咤に告げられた。「慈しみの行いを実践する比丘は、この身が滅び命が終わるとき、矢が放たれるほどの短い間に、梵天の世界に生まれることを知りなさい。」 仏がこの法を説かれたとき、婆悉咤と頗羅墮はその座の上で、塵わいを遠ざけ垢を離れ、諸法を見る清らかな眼が開かれたのでした。

爾時，婆悉咤、頗羅墮聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、婆悉咤と頗羅墮は仏の説かれた教えを聞き、喜びをもってそれを行じた。

## 佛說長阿含經卷第十六

> 仏説長阿含経 第十六巻