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title: "長阿含經 · 28 布吒婆樓經"
description: "長阿含經是佛教原始經典四阿含之一，由後秦時期譯師佛陀耶舍與竺佛念共同譯出。該經成書於公元前1世紀左右，屬早期佛教根本聖典，記載了佛陀與弟子們的言行教法。全經共30卷，分為四分，主要內容包括佛陀生平、教義闡述、修行方法及宇宙觀等，系統性保存了原始佛教的基本教理。作為漢傳佛教重要典籍，長阿含經被視為研究原始佛教思想的核心文獻，在佛教經典體系中具有不可替代的權威地位，對後世佛教發展影響深遠。"
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### （二八）佛說長阿含第三分布吒婆樓經第九

> 長阿含経第三分・布吒婆楼経第九

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛在舍衛國祇樹給孤獨園，與大比丘眾千二百五十人俱。

> ある時、お釈迦様は舎衛国の祇園精舎におられました。そこには、千二百五十人の大比丘（すぐれた修行僧）たちが共に集まっていました。

爾時，世尊清旦著衣持鉢，入舍衛城乞食。時，世尊念言：「今日乞食，於時為早，今我寧可往至布吒婆樓梵志林中觀看，須時至當乞食。」爾時，世尊即詣梵志林中。

> その時、世尊は朝早く衣を着け、鉢を持ち、舎衛城に入って托鉢をされた。世尊はこう思われた。「今は托鉢をするにはまだ早すぎる。今はブッダヴァルー婆羅門の林へ行き、時が来るのを待ってから托鉢をしよう。」そこで世尊はその婆羅門の林へと向かわれた。

時，布吒婆樓梵志遙見佛來，即起迎言：「善來，沙門瞿曇！久不來此，今以何緣而能屈顧？可前就座。」

> その時、ブッタパーラというバラモンは遠くから仏陀が来られるのを見て、すぐに立ち上がり迎えて言いました。「ようこそ、沙門ゴータマよ。長らくご無沙汰でしたが、今日はどのようなご縁でお越しくださったのですか？どうぞこちらにお座りください。」

爾時，世尊即就其座，告布吒婆樓曰：「汝等集此，何所作為？為何講說？」

> その時、世尊はすぐにその座にお着きになり、ブッタパーラに告げられました。「あなたがたがここに集まっているのは、何をなさろうとしているのですか？何について話し合っているのですか？」

梵志白佛言：「世尊！昨日多有梵志、沙門、婆羅門集此婆羅門堂，說如是事，相違逆論。瞿曇！或有梵志作是說言：『人無因無緣而想生，無因無緣而想滅，想有去來，來則想生，去則想滅。』瞿曇！或有梵志作是說：『由命有想生，由命有想滅，彼想有去來，來則想生，去則想滅。』瞿曇！或有梵志作是說：『如先所言，無有是處。有大鬼神，有大威力，彼持想去，彼持想來，彼持想去則想滅，彼持想來則想生。』我因是故生念，念沙門瞿曇先知此義，必能善知想知滅定。」

> 梵志が仏陀に申し上げました。「世尊よ、昨日は多くの梵志、沙門、婆羅門がこの婆羅門の堂に集まり、このような事柄について、互いに矛盾する議論を交わしました。瞿曇よ、ある梵志はこう言いました。『人の想いは原因も縁もなく生じ、原因も縁もなく滅びる。想いには去来があり、来れば想いが生じ、去れば想いが滅びる』と。瞿曇よ、またある梵志はこう言いました。『命によって想いは生じ、命によって想いは滅びる。その想いには去来があり、来れば想いが生じ、去れば想いが滅びる』と。瞿曇よ、さらに別の梵志はこう言いました。『先に述べたようなことは、正しくない。大いなる鬼神がおり、大いなる威力を持っている。その鬼神が想いを持ち去り、想いを持って来る。鬼神が想いを持ち去れば想いは滅び、想いを持って来れば想いは生じる』と。私はこのことから、沙門瞿曇はこの道理を先にご存じであり、必ずや想いの生滅をよく理解しておられると考えました。」

爾時，世尊告梵志曰：「彼諸論者皆有過咎。言無因無緣而有想生，無因無緣而有想滅，想有去來，來則想生，去則想滅。或言因命想生，因命想滅，想有去來，來則想生，去則想滅。或有言：『無有是處，有大鬼神，彼持想來，彼持想去，持來則想生，持去則想滅。』如此言者，皆有過咎。所以者何？梵志！有因緣而想生，有因緣而想滅。

> その時、世尊は梵志に告げられた。「それらの論者たちは皆、過ちを犯している。『想いには原因も縁もなく生じ、原因も縁もなく滅びる。想いは去来し、来れば想いが生じ、去れば想いが滅びる』と言い、あるいは『命によって想いが生じ、命によって想いが滅びる。想いは去来し、来れば想いが生じ、去れば想いが滅びる』と言い、またある者は『そんなことはない。大いなる鬼神がいて、その鬼神が想いを持って来たり、持って去ったりする。持って来れば想いが生じ、持って去れば想いが滅びる』と言う。このような主張は、すべて過ちを犯している。なぜならば、梵志よ、想いには因縁があって生じ、因縁があって滅びるからである。」

「若如來出現於世，至真、等正覺，十號具足，有人於佛法中出家為道，乃至滅五蓋覆蔽心者，除去欲、惡不善法，有覺、有觀，離生喜、樂，入初禪，先滅欲想，生喜、樂想。梵志！以此故知有因緣想生，有因緣想滅。滅有覺、觀，內喜、一心，無覺、無觀，定生喜、樂，入第二禪。梵志！彼初禪想滅，二禪想生，以是故知有因緣想滅，有因緣想生。捨喜修護，專念一心，自知身樂，賢聖所求，護念清淨，入三禪。梵志！彼二禪想滅，三禪想生，以是故知有因緣想滅，有因緣想生。捨苦捨樂，先滅憂喜，護念清淨，入第四禪。梵志！彼三禪想滅，四禪想生，以是故知有因緣想滅，有因緣想生。捨一切色想，滅恚，不念異想，入空處。梵志！一切色想滅，空處想生，以是故知有因緣想滅，有因緣想生。越一切空處，入識處。梵志！彼空處想滅，識處想生，故知有因緣想滅，有因緣想生。越一切識處，入不用處。梵志！彼識處想滅，不用處想生，以是故知有因緣想滅，有因緣想生。捨不用處，入有想無想處。梵志！彼不用處想滅，有想無想處想生，以是故知有因緣想滅，有因緣想生。彼捨有想無想處，入想知滅定。梵志！彼有想無想處想滅，入想知滅定，以是故知有因緣想生，有因緣想滅。彼得此想已，作是念：『有念為惡，無念為善。』彼作是念時，彼微妙想不滅，更麤想生。彼復念言：『我今寧可不為念行，不起思惟。』彼不為念行，不起思惟已，微妙想滅，麤想不生。彼不為念行，不起思惟，微妙想滅，麤想不生時，即入想知滅定。云何，梵志！汝從本已來，頗曾聞此次第滅想因緣不？」

> もし如来が世に出現し、至真・等正覚となり、十の尊称を備えられたならば、ある人が仏法の中で出家して道を求め、五蓋が心を覆い隠すのを滅ぼすに至り、欲や悪しき不善の法を除き去り、覚と観を伴い、離れて生じる喜びと楽しみを得て、初禅に入ります。まず欲の想いを滅ぼし、喜びと楽しみの想いを生じさせるのです。梵志よ、このことから、想いが生じるには因縁があり、想いが滅するにも因縁があると知るのです。 覚と観を滅ぼし、内に喜びを保ち、心を一つにし、覚も観もなく、定によって喜びと楽しみが生じ、第二禅に入ります。梵志よ、初禅の想いは滅び、二禅の想いが生じます。このことから、想いが滅するには因縁があり、想いが生じるにも因縁があると知るのです。 喜びを捨てて護りを修め、専ら心を一つにし、自ら身の楽しみを知り、賢聖が求める護念の清浄に入り、第三禅に入ります。梵志よ、二禅の想いは滅び、三禅の想いが生じます。このことから、想いが滅するには因縁があり、想いが生じるにも因縁があると知るのです。 苦も楽も捨て、先に憂いと喜びを滅ぼし、護念の清浄に入り、第四禅に入ります。梵志よ、三禅の想いは滅び、四禅の想いが生じます。このことから、想いが滅するには因縁があり、想いが生じるにも因縁があると知るのです。 一切の色の想いを捨て、怒りを滅ぼし、他の想いを念わず、空無辺処に入ります。梵志よ、一切の色の想いは滅び、空無辺処の想いが生じます。このことから、想いが滅するには因縁があり、想いが生じるにも因縁があると知るのです。 一切の空無辺処を超え、識無辺処に入ります。梵志よ、空無辺処の想いは滅び、識無辺処の想いが生じます。このことから、想いが滅するには因縁があり、想いが生じるにも因縁があると知るのです。 一切の識無辺処を超え、無所有処に入ります。梵志よ、識無辺処の想いは滅び、無所有処の想いが生じます。このことから、想いが滅するには因縁があり、想いが生じるにも因縁があると知るのです。 無所有処を捨て、非想非非想処に入ります。梵志よ、無所有処の想いは滅び、非想非非想処の想いが生じます。このことから、想いが滅するには因縁があり、想いが生じるにも因縁があると知るのです。 その非想非非想処を捨て、想受滅定に入ります。梵志よ、非想非非想処の想いは滅び、想受滅定に入ります。このことから、想いが生じるには因縁があり、想いが滅するにも因縁があると知るのです。 この想いを得た後、彼はこう思います。「想いがあるのは悪であり、想いがないのが善である」と。彼がこう思う時、その微妙な想いは滅びず、より粗い想いが生じます。彼はさらにこう考えます。「私は今、想いの行いをせず、思惟を起こさないようにしよう」と。彼が想いの行いをせず、思惟を起こさなくなると、微妙な想いは滅び、粗い想いは生じません。彼が想いの行いをせず、思惟を起こさず、微妙な想いが滅び、粗い想いが生じない時、即ち想受滅定に入るのです。 さて、梵志よ、あなたはこれまで、このような次第に想いが滅びる因縁について聞いたことがありますか？

梵志白佛言：「從本已來信自不聞如是次第滅想因緣。」又白佛言：「我今生念，謂此有想、此無想，或復有想此想已，彼作是念：『有念為惡，無念為善。』彼作是念時，微妙想不滅，麤想更生，彼復念言：『我今寧可不為念行，不起思惟。』彼不為念行，不起思惟已，微妙想滅，麤想不生。彼不為念行，不起思惟，微妙想滅，麤想不生時，即入想知滅定。」

> 梵志は仏に申し上げた。 「これまで、このような順序で想いが滅びる因縁を聞いたことがありませんでした。」 さらにこう申し上げた。 「私は今、こう考えます。『これが有想であり、これが無想である』と。あるいはまた、有想の状態を経た後に、こう思うのです。『想いがあるのは悪であり、想いがないのは善である』と。そのように思うとき、微細な想いは滅びず、粗い想いがさらに生じます。そこで再び、『私は今、想いを起こさず、思惟を起こさないようにしよう』と考えるのです。想いを起こさず、思惟を起こさなくなると、微細な想いは滅び、粗い想いは生じなくなります。想いを起こさず、思惟を起こさず、微細な想いが滅び、粗い想いが生じなくなったとき、その人は想知滅定に入るのです。」

佛告梵志言：「善哉！善哉！此是賢聖法中次第想滅想定。」

> 仏陀は梵志に告げられました。「善きかな、善きかな。これは聖なる教えにおける、順序正しい想いの止滅、想いの定めである。」

梵志復白佛言：「此諸想中，何者為無上想？」

> 梵志はまた仏に尋ねました。「これらの想いの中で、最も優れた想いはどれでしょうか？」

佛告梵志：「不用處想為無上。」

> 仏は梵志に告げた：「無用の想いこそが最上の境地である。」

梵志又白佛言：「諸想中，何者為第一無上想？」

> 梵志はまた仏に尋ねました。「さまざまな思いの中で、最も優れた、この上ない思いとは何でしょうか？」

佛言：「諸想、諸言無想，於其中間能次第得想知滅定者，是為第一無上想。」

> 仏は言われた：「すべての想いと言葉を離れ、その中にあって次第に想いを知ることを滅する境地に至ることができるなら、それが第一の無上の想いである。」

梵志又問：「為一想，為多想？」

> 梵志はまた尋ねました。「それは一つの想いなのか、それとも多くの想いなのか？」

佛言：「有一想，無多想。」

> 仏は言われた。「一つの想いがあり、多くの想いはない。」

梵志又問：「先有想生然後智？先有智生然後想？為想、智一時俱生耶？」

> 梵志はまた尋ねました。「まず想が生じて、それから智が生じるのでしょうか？それとも、まず智が生じて、それから想が生じるのでしょうか？あるいは、想と智は同時に生じるのでしょうか？」

佛言：「先有想生然後智，由想有智。」

> 仏は言われた：「まず想いが生じ、その後に智慧が生まれる。想いによって智慧はあるのだ。」

梵志又問：「想即是我耶？」

> 梵志はまた尋ねました。「想（心のイメージ）が私なのでしょうか？」

佛告梵志：「汝說何等人是我？」

> 仏は梵志に告げられた：「あなたは一体、どんな人を『我』と言っているのですか？」

梵志白佛言：「我不說人是我，我自說色身四大、六入，父母生育，乳餔成長，衣服莊嚴，無常、磨滅法，我說此人是我。」

> 梵志は仏に申し上げました。「私は、人が我であるとは申しません。私は、この色身――四大と六入から成り、父母によって生まれ、乳によって育ち、衣服で飾られ、無常であり、やがて滅びゆく法――これを私は我であると申すのです。」

佛告梵志：「汝言色身四大、六入，父母生育，乳餔長成，衣服莊嚴，無常、磨滅法，說此人是我。梵志！且置此我，但人想生、人想滅。」

> 仏陀は梵志に告げられました。「あなたは、物質的な身体は四大（地・水・火・風）と六入（六つの感覚器官）から成り、父母によって生まれ育てられ、乳で養われて成長し、衣服で飾られる、無常で滅びゆくものであると言いながら、『これが私である』と説いています。梵志よ、この『私』という考えはひとまず置きなさい。ただ、『人』という思いが生じ、『人』という思いが滅びるのです。」

梵志言：「我不說人是我，我說欲界天是我。」

> 梵志は言った：「私は人を我とは言わない、欲界天こそが我であると言うのだ。」

佛言：「且置欲界天是我，但人想生、人想滅。」

> 仏は言われた：「まず、欲界天が私であるという考えは置いておきなさい。ただ、人間としての思いが生じ、人間としての思いが消えるだけなのです。」

梵志言：「我不說人是我，我自說色界天是我。」

> 梵志は言った。「私は人を我とは言わない。私は自ら色界天を我と言うのだ。」

佛言：「且置色界天是我，但人想生、人想滅。」

> 仏は言われた。「まず、色界天が私であるという考えは置いておきなさい。ただ、人間としての思いが生まれ、人間としての思いが滅することを観察しなさい。」

梵志言：「我不說人是我，我自說空處、識處、不用處、有想無想處、無色天是我。」

> 梵志は言いました。「私は『人』が私であるとは言いません。私は、空処、識処、不用処、有想無想処、無色天こそが私であると言っているのです。」

佛言：「且置空處、識處、無所有處、有想無想處、無色天是我，但人想生、人想滅。」

> 仏は言われた：「空処、識処、無所有処、有想無想処、無色天は私であるという考えはひとまず置いておきなさい。ただ、人間という思いが生まれ、人間という思いが滅びるのだ。」

梵志白佛言：「云何，瞿曇！我寧可得知人想生、人想滅不？」

> 梵志が仏に尋ねました：「瞿曇よ、人はどのようにして生まれ、どのようにして滅びるのか、私に教えていただけませんか？」

佛告梵志：「汝欲知人想生、人想滅者，甚難！甚難！所以者何？汝異見、異習、異忍、異受，依異法故。」

> 仏陀は梵志に告げられた：「人が想いを生じ、想いを滅することを知りたいと思うならば、それは非常に難しい！ 極めて難しい！ なぜなら、あなたは異なる見解、異なる習慣、異なる受け止め方、異なる感受性を持ち、異なる法に依っているからです。」

梵志白佛言：「如是。瞿曇！我異見、異習、異忍、異受，依異法故，欲知人想生、人想滅者，甚難！甚難！所以者何？我、世間有常，此實餘虛；我、世間無常，此實餘虛；我、世間有常無常，此實餘虛；我、世間非有常非無常，此實餘虛。我、世間有邊，此實餘虛；我、世間無邊，此實餘虛；我、世間有邊無邊，此實餘虛；我、世間非有邊非無邊，此實餘虛。是命是身，此實餘虛；命異身異，此實餘虛；身命非異非不異，此實餘虛；無命無身，此實餘虛。如來終，此實餘虛；如來不終，此實餘虛；如來終不終，此實餘虛；如來非終非不終，此實餘虛。」

> 梵志は仏に申し上げました。 「その通りです。ゴータマよ。私は異なる見解を持ち、異なる習慣を守り、異なる信念を抱き、異なる教えに依っています。そのため、人の想いが生じ、人の想いが滅することを理解しようとするのは、非常に難しいのです。なぜならば… 私は『世は常住である』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 私は『世は無常である』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 私は『世は常住でもあり無常でもある』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 私は『世は常住でもなく無常でもない』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 私は『世には限界がある』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 私は『世には限界がない』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 私は『世には限界もあり、限界もない』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 私は『世には限界もなく、限界がないわけでもない』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 『命と身体は同一である』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 『命と身体は別である』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 『命と身体は同一でもなく別でもない』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 『命もなく身体もない』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 『如来は死後に終わる』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 『如来は死後に終わらない』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 『如来は死後に終わりもすれば終わらないこともある』と信じ、これが真実で他は虚妄だとします。 『如来は死後に終わるのでもなく終わらないのでもない』と信じ、これが

佛告梵志：「世間有常，乃至如來非終非不終，我所不記。」

> 仏は梵志に告げられた：「世が常住であるかどうか、あるいは如来が終わりがあるかないかといったことは、私が説き示すことはしない。」

梵志白佛言：「瞿曇！何故不記，我、世間有常，乃至如來非終非不終，盡不記耶？」

> 梵志が仏に尋ねました。「ゴータマよ、なぜあなたは、『世は常住である』という問いから、『如来は死後も存在し、また存在しないとも言えない』という問いに至るまで、一切の問いに答えを記さないのですか？」

佛言：「此不與義合，不與法合，非梵行，非無欲，非無為，非寂滅，非止息，非正覺，非沙門，非泥洹，是故不記。」

> 仏は言われた：「これは義に合わず、法に合わず、清らかな行いではなく、無欲でもなく、無為でもなく、寂滅でもなく、止息でもなく、正覚でもなく、沙門の道でもなく、涅槃でもない。ゆえに私は答えない。」

梵志又問：「云何為義合、法合？云何為梵行初？云何無為？云何無欲？云何寂滅？云何止息？云何正覺？云何沙門？云何泥洹？云何名記？」

> 梵志はさらに尋ねました。 「どのようにして、教えの意味と実践が一致するのでしょうか？ 修行の第一歩とは何でしょうか？ 無為とは何ですか？ 無欲とは何ですか？ 寂滅とは何ですか？ 止息とは何ですか？ 正覚とは何ですか？ 沙門とは何ですか？ 涅槃とは何ですか？ そして、記述とは何を指すのでしょうか？」

佛告梵志：「我記苦諦、苦集、苦滅、苦出要諦。所以者何？此是義合、法合，梵行初首、無欲、無為、寂滅、止息、正覺、沙門、泥洹，是故我記。」

> 仏は梵志に告げた：「私は苦諦、苦の集まり、苦の滅び、苦からの解脱の真理を説く。なぜならば、これらは真実に合致し、法に合致するものだからである。清らかな行いの始まり、欲のない境地、作為のない境地、静寂の境地、安らぎの境地、正しい覚りの境地、修行者の境地、涅槃の境地、それゆえに私はこれを説くのである。」

爾時，世尊為梵志說法，示教利喜已，即從坐而去。

> その時、世尊はバラモンに法を説き、教えを示し、利益と喜びをもたらした後、座から立ち上がって去られました。

佛去未久，其後諸餘梵志語布吒婆樓梵志曰：「汝何故聽瞿曇沙門所說，語語印可？瞿曇言：『我及世間有常，乃至如來非終非不終，不與義合，故我不記。』汝何故印可是言？我等不可沙門瞿曇如是所說。」

> 仏陀が去って間もなく、その後、他のバラモンたちがプッタパーラ・バラモンに言いました。「あなたはなぜ、沙門ゴータマの説く言葉を一つ一つ認めて聞くのですか？ ゴータマは言いました。『我と世界は常住である、乃至、如来は終わるとも終わらないとも言えない。これは真理に合致しないから、私は断言しない。』と。あなたはなぜその言葉を認めるのですか？ 私たちは沙門ゴータマのそのような説を認めることはできません。」

布吒婆樓報諸梵志言：「沙門瞿曇所說：『我、世間有常，乃至如來非終非不終，不與義合，故我不記。』我亦不印可此言。但彼沙門瞿曇依法住，以法而言，以法出離，我當何由違此智言？沙門瞿曇如此微妙法言，不可違也。」

> ブッタパーラは諸々の梵志に答えて言った。 「沙門ゴータマはこう説かれます。 『我や世間が常住であるか否か、乃至、如来が終わるのか終わらないのか、 これらの問いは真実の理に合わないゆえ、私は答えない』と。 私もこの言葉を無条件に認めるわけではありません。 しかし、沙門ゴータマは法に基づいて住み、法に従って語り、 法によって解脱へと導かれます。 どうして私はこの智慧の言葉に逆らえましょうか。 沙門ゴータマのこのような微妙なる法の言葉は、 決して背くことのできないものです。」

時，布吒婆樓梵志又於異時，共象首舍利弗詣世尊所，問訊已，一面坐。象首舍利弗禮佛而坐，梵志白佛言：「佛先在我所，時，去未久，其後諸餘梵志語我言：『汝何故聽沙門瞿曇所說，語語印可？瞿曇言：「我、世間常，乃至如來非終非不終，不合義，故不記。」汝何故印可是言？我等不可沙門瞿曇如是所說。』我報彼言：『沙門瞿曇所說：「我、世間有常，乃至如來非終非不終，不與義合，故我不記。」我亦不印可此言。但彼沙門瞿曇依法住法，以法而言，以法出離，我等何由違此智言？沙門瞿曇微妙法言，不可違也。』」

> 時に、ブッタバーラ梵志はまた別の時、象頭舎利弗と共に世尊のおられる所へ赴き、挨拶を済ませて、一方に坐った。象頭舎利弗は仏に礼拝して坐り、梵志は仏に申し上げた。 「以前、仏陀が私のところにおられた時、去って間もなく、他の梵志たちが私に言いました。『なぜお前は沙門瞿曇の説くことを聞き、一言一言に同意して印可するのか。瞿曇は言う。「我や世間は常住である、乃至、如来は終わるものでもなく終わらないものでもない、これは義に合わないので、私は記説しない」と。なぜお前はこの言葉を印可するのか。我々は沙門瞿曇のこのような説を認めることはできない』と。 私は彼らに答えました。『沙門瞿曇が説くところの「我や世間は常住である、乃至、如来は終わるものでもなく終わらないものでもない、これは義に合わないので、私は記説しない」という言葉を、私も特に印可するわけではありません。しかし、あの沙門瞿曇は法に依って住し、法によって語り、法によって出離を示されます。我々にどうしてこの智慧の言葉に背くことができましょうか。沙門瞿曇の微妙なる法の言葉は、背くことができないのです』と。」

佛告梵志曰：「諸梵志言：『汝何故聽沙門瞿曇所說，語語印可？』此言有咎。所以者何？我所說法，有決定記、不決定記。云何名不決定記？我、世間有常，乃至如來非終非不終，我亦說此言而不決定記。所以然者？此不與義合，不與法合，非梵行初，非無欲，非無為，非寂滅，非止息，非正覺，非沙門，非泥洹。是故，梵志！我雖說此言而不決定記。云何名為決定記？我記苦諦、苦集、苦滅、苦出要諦。所以者何？此與法合、義合，是梵行初首，無定無記。梵志！或有沙門、婆羅門於一處世間，無欲，無為，寂滅，止息，正覺，沙門，泥洹，是故我說決定記。

> 仏は梵志に告げられました。「梵志たちが言うように、『なぜ沙門瞿曇の説く言葉を一つ一つ認めているのか』というのは、誤った見方です。なぜでしょうか。私の説く教えには、明確に断言できることと、断言できないことがあるからです。断言できないこととは何か。『我』や『世間は常住である』といったことから、『如来は終わるものでもなければ、終わらないものでもない』といったことまで、私はこれらについて語りますが、明確には断言しません。その理由は、これらのことは真実に合わず、法にも合わず、清らかな行いの始めでもなく、無欲でもなく、無為でもなく、寂滅でもなく、止息でもなく、正覚でもなく、沙門の道でもなく、涅槃でもないからです。ですから、梵志よ、私はこれらについて語っても、明確には断言しないのです。では、明確に断言できることとは何か。私は苦諦、苦集、苦滅、苦出要諦について断言します。なぜでしょうか。これらは法に合い、真実に合い、清らかな行いの初めであり、確固たるものであり、曖昧なものではないからです。梵志よ、ある沙門や婆羅門は、一つの境地において、無欲、無為、寂滅、止息、正覚、沙門、泥洹（涅槃）を実現します。それゆえに、私はこれらについて明確に断言するのです。」

「梵志！或有沙門、婆羅門於一處世間，一向說樂，我語彼言：『汝等審說，一處世間一向樂耶？』彼報我言：『如是。』我又語彼言：『汝知見一處世間一向樂耶？』彼答我言：『不知不見。』我復語彼言：『一處世間諸天一向樂，汝曾見不？』彼報我言：『不知不見。』又問彼言：『彼一處世間諸天，汝頗共坐起言語，精進修定不耶？』答我言：『不。』我又問彼言：『彼一處世間諸天一向樂者，頗曾來語汝言：「汝所行質直，當生彼一向樂天。我以所行質直，故得生彼共受樂。」耶？』彼答我言：『不也。』我又問彼言：『汝能於己身起心化作他四大身，身體具足，諸根無闕不？』彼答我言：『不能。』云何，梵志！彼沙門、婆羅門所言為是誠實，為應法不？」

> 梵志よ、ある沙門や婆羅門が、ある一つの世界は完全に楽しいと一方的に説くことがあります。私は彼らに尋ねます。「あなた方は本当に、ある一つの世界が完全に楽しいと言うのですか？」と。彼らは答えます。「そうです」と。私はさらに尋ねます。「あなた方は、その完全に楽しい一つの世界を、知り、見ているのですか？」と。彼らは答えます。「知りもしないし、見てもいません」と。私はまた尋ねます。「その一つの世界で、天人が完全に楽しく過ごしているのを、あなた方は見たことがありますか？」と。彼らは答えます。「知りもしないし、見てもいません」と。さらに尋ねます。「その一つの世界の天人と、あなた方は共に座り、立ち、話し、精進して瞑想を深めたことがありますか？」と。彼らは答えます。「ありません」と。私はまた尋ねます。「その完全に楽しい一つの世界の天人たちが、あなた方にこう言ったことはありますか？『あなたの行いが誠実だから、その完全に楽しい天界に生まれるでしょう。私も行いが誠実だったので、そこに生まれ、共に楽しみを受けています』と。」彼らは答えます。「ありません」と。私はさらに尋ねます。「あなた方は、自らの心によって、他者の四大からなる身体を、諸根が完備した姿で具現化することができますか？」と。彼らは答えます。「できません」と。さて、梵志よ、その沙門や婆羅門の言葉は、誠実であり、正しい法に適っていると言えるでしょうか？

梵志白佛言：「此非誠實，為非法言。」

> 梵志は仏に申し上げました：「これは真実ではなく、正しい言葉ではありません。」

佛告梵志：「如有人言：『我與彼端正女人交通。』稱讚婬女。餘人問言：『汝識彼女不？為在何處？東方、西方、南方、北方耶？』答曰：『不知。』又問：『汝知彼女所止土地、城邑、村落不？』答曰：『不知。』又問：『汝識彼女父母及其姓字不？』答曰：『不知。』又問：『汝知彼女為剎利女，為是婆羅門、居士、首陀羅女耶？』答曰：『不知。』又問：『汝知彼女為長短、麤細、黑白、好醜耶？』答曰：『不知。』云何，梵志！此人所說為誠實不？」

> 仏陀はバラモンに告げられた。「たとえば、ある人が『私はあの美しい女性と親しくしている』と言い、その好色な女性を称賛したとします。ほかの人が尋ねます。『あなたはその女性を知っていますか？どこにいますか？東、西、南、北のどちらですか？』彼は『知りません』と答えます。さらに尋ねます。『その女性の住む土地、町、村を知っていますか？』彼は『知りません』と答えます。また尋ねます。『その女性の両親や名前を知っていますか？』彼は『知りません』と答えます。さらに尋ねます。『その女性が王族の娘か、バラモン、庶民、労働者の階級の娘か知っていますか？』彼は『知りません』と答えます。また尋ねます。『その女性の背丈、体格、肌の色、美醜を知っていますか？』彼は『知りません』と答えます。さて、バラモンよ、この人の言葉は誠実だと言えるでしょうか？」

答曰：「不也。」

> いいえ、違います。

「梵志！彼沙門、婆羅門亦復如是，無有真實。梵志！猶如有人立梯空地，餘人問言：『立梯用為？』答曰：『我欲上堂。』又問：『堂何所在？』答曰：『不知。』云何，梵志！彼立梯者豈非虛妄耶？」

> 梵志よ、その沙門や婆羅門たちもまた同じことです。彼らには真実がありません。梵志よ、まるで誰かが空き地に梯子を立て、他の人が『梯子を立てて何をするのですか？』と尋ねると、『屋上に上がるためです』と答えるようなものです。さらに『屋上はどこにあるのですか？』と問われ、『知りません』と答える。さて、梵志よ、その梯子を立てる者の言葉は、まさに虚妄ではありませんか？

答曰：「如是，彼實虛妄。」

> 答えて言いました。「その通りです。それはまさに虚妄なのです。」

佛言：「諸沙門、婆羅門亦復如是，虛妄無實。」

> お釈迦さまはおっしゃいました。「多くの修行者やバラモンたちもまた同じです。彼らの教えは空虚で、真実ではありません。」

佛告布吒婆樓：「汝言我身色四大、六入，父母生育，乳餔成長，衣服莊嚴，無常、磨滅，以此為我者。我說此為染汙，為清淨，為得解？汝意或謂染汙法不可滅，清淨法不可生，常在苦中。勿作是念。何以故？染汙法可滅盡，清淨法可出生，處安樂地，歡喜愛樂，專念一心，智慧增廣。梵志！我於欲界天、空處、識處、不用處、有想無想處天，說為染汙，亦說清淨，亦說得解。汝意或謂染汙法不可滅，清淨法不可生，常在苦中。勿作是念。所以者何？染汙可滅，淨法可生，處安樂地，歡喜愛樂，專念一心，智慧增廣。」

> 仏がブッタバーラに告げられた。「あなたは、この身体は四大と六入からなり、父母によって生まれ、乳によって育てられ、衣服で飾られ、無常であり滅びゆくもの、これを『我』としていると言います。私はこれを、汚れたもの、清らかなもの、そして解脱を得たものとして説くのです。あなたは、汚れた法は滅びず、清らかな法は生じず、常に苦の中にあるのだと思うかもしれません。そのように考えてはなりません。なぜなら、汚れた法は滅び尽くすことができ、清らかな法は生じることができ、安楽の地に住み、歓喜し愛楽し、一心に専念し、智慧が増し広がるからです。梵志よ、私は欲界天、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処の天についても、汚れたものとも、清らかなものとも、解脱を得たものとも説くのです。あなたは、汚れた法は滅びず、清らかな法は生じず、常に苦の中にあるのだと思うかもしれません。そのように考えてはなりません。それはなぜか。汚れたものは滅び、清らかな法は生じ、安楽の地に住み、歓喜し愛楽し、一心に専念し、智慧が増し広がるからです。」

爾時，象首舍利弗白言：「世尊！當有欲界人身四大諸根時，復有欲界天身、色界天身，空處、識處、不用處、有想無想處天身，一時有不？世尊！當有欲界天身時，復有欲界人身四大諸根，及色界天身，空處、識處、無所有處、有想無想處天身，一時有不？世尊！當有色界天身時，復有欲界人身四大諸根，及色界天身，空處、識處、無所有處、有想無想處天身，一時有不？如是至有想無想處天身時，有欲界人身四大諸根，及欲界天身，色界天身，空處、識處、無所有處天身，一時有不？」

> その時、象頭舎利弗が申し上げました。 「世尊よ、欲界の人間の身体（四大と諸根）があるとき、同時に欲界天の身体、色界天の身体、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処の天の身体も存在することはあるでしょうか。 世尊よ、欲界天の身体があるとき、同時に欲界の人間の身体（四大と諸根）、および色界天の身体、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処の天の身体も存在することはあるでしょうか。 世尊よ、色界天の身体があるとき、同時に欲界の人間の身体（四大と諸根）、および色界天の身体、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処の天の身体も存在することはあるでしょうか。 このように、非想非非想処の天の身体があるとき、同時に欲界の人間の身体（四大と諸根）、および欲界天の身体、色界天の身体、空無辺処、識無辺処、無所有処の天の身体も存在することはあるでしょうか。」

佛告象首舍利弗：「若有欲界人身四大諸根，爾時正有欲界人身四大諸根，非欲界天身，色界天身，空處、識處、無所有處、有想無想處天身。如是乃至有有想無想處天身時，爾時正有想無想處天身，無有欲界人身四大諸根，及欲界天身，色界天身，空處、識處、無所有處天身。象首！譬如牛乳，乳變為酪，酪為生酥，生酥為熟酥，熟酥為醍醐，醍醐為第一。象首！當有乳時，唯名為乳，不名為酪、酥、醍醐，如是展轉，至醍醐時，唯名醍醐，不名為乳，不名酪、酥。象首！此亦如是，若有欲界人身四大諸根時，無有欲界天身，色界天身，乃至有想無想處天身；如是展轉，有有想無想處天身時，唯有有想無想處天身，無有欲界人身四大諸根，及欲界天身，色界天身，乃至無所有天身。

> 仏は象首舎利弗に告げられた。 「もし欲界の人間の身に、四大と諸根があるとき、その時には正しく欲界の人間の身に四大と諸根があるのであって、欲界の天の身でもなく、色界の天の身でもなく、空処・識処・無所有処・有想無想処の天の身でもない。 このように、有想無想処の天の身があるときには、その時には正しく有想無想処の天の身があるのであって、欲界の人間の身の四大と諸根はなく、また欲界の天の身、色界の天の身、空処・識処・無所有処の天の身もないのである。 象首よ、たとえば牛乳がある。乳は酪に変わり、酪は生酥となり、生酥は熟酥となり、熟酥は醍醐となり、醍醐が第一となる。 象首よ、乳があるときには、ただ乳と呼ばれるのであって、酪・酥・醍醐とは呼ばれない。このように次第に変化して、醍醐となったときには、ただ醍醐と呼ばれるのであって、乳とも、酪とも、酥とも呼ばれないのである。 象首よ、これもまた同じである。もし欲界の人間の身に四大と諸根があるときには、欲界の天の身も、色界の天の身も、はては有想無想処の天の身もない。 このように次第に、有想無想処の天の身があるときには、ただ有想無想処の天の身があるだけであって、欲界の人間の身の四大と諸根はなく、また欲界の天の身、色界の天の身、はては無所有処の天の身もないのである。」

「象首！於汝意云何？若有人問汝言：『若有過去身時，有未來、現在身，一時有不？有未來身時，有過去、現在身，一時有不？有現在身時，有過去、未來身，一時有不？』設有此問者，汝云何報？」

> 象首よ、あなたはどう思いますか？もし誰かがあなたにこう尋ねたとしましょう。 「過去の身体があるとき、未来と現在の身体も同時に存在しますか？ 未来の身体があるとき、過去と現在の身体も同時に存在しますか？ 現在の身体があるとき、過去と未来の身体も同時に存在しますか？」 もしこのような質問を受けたら、あなたはどう答えますか？

象首言：「設有如是問者，我當報言：『有過去身時，唯是過去身，無未來、現在。有未來身時，唯是未來身，無過去、現在。有現在身時，唯是現在身，無過去、未來身。』」

> 象首は言った。「もしそのような問いがあったならば、私はこう答えるでしょう。『過去の身があるときは、ただ過去の身だけがあり、未来や現在の身はありません。未来の身があるときは、ただ未来の身だけがあり、過去や現在の身はありません。現在の身があるときは、ただ現在の身だけがあり、過去や未来の身はありません。』」

「象首！此亦如是，有欲界人身四大諸根時，無欲界天身，色界天身，乃至有想無想處天身；如是展轉，至有想無想處天身時，無有欲界人身四大諸根，及欲界天身，色界天身，至不用處天身。

> 象首よ、これもまた同じです。欲界の人間としての身体、四大、諸根があるときには、欲界の天身も、色界の天身も、はては有想無想処の天身も存在しません。このように順を追って、有想無想処の天身があるときには、欲界の人間としての身体、四大、諸根も、欲界の天身も、色界の天身も、不用処の天身までも存在しないのです。

「復次，象首！若有人問汝言：『汝曾有過去已滅不？未來當生不？現在今有不？』設有是問者，汝當云何答？」

> さらに、象首よ。もし誰かがあなたにこう尋ねたとしよう。「あなたには、過去にすでに滅びたものがありますか？未来に生じるであろうものがありますか？現在に存在しているものがありますか？」もしこのような問いがあったなら、あなたはどう答えるだろうか。

象首白佛言：「若有是問者，當答彼言：『我曾有過去已滅，非不有也。有未來當生，非不有也。現在今有，非不有也。』」

> 象首は仏に申し上げました。「もしこのような問いを受けたならば、こうお答えなさいませ：『私は過去に存在し、それはすでに滅びましたが、無かったわけではありません。未来に生まれるべきものがあり、それは存在しないわけではありません。現在においても存在しており、無いわけではありません』と」

佛言：「象首！此亦如是，有欲界人身四大諸根時，無欲界天身，乃至有想無想天身；如是展轉，至有想無想天身時，無有欲界人身四大諸根，及欲界天身，乃至無所有處天身。」

> お釈迦様は言われました。「象首よ、これもまた同じことだ。欲界に属する人間の身体、つまり四大（地・水・火・風）から成る諸々の器官があるとき、欲界の天人の身体は存在せず、それは（色界の）有想無想天の身体に至るまで同様である。このように順を追って、有想無想天の身体があるときには、欲界の人間の身体や四大から成る諸々の器官は存在せず、欲界の天人の身体から、はては（無色界の）無所有処天の身体に至るまで存在しないのである。」

爾時，象首白佛言：「世尊！我今歸依佛，歸依法，歸依僧，聽我於正法中為優婆塞，自今已後，盡形壽不殺、不盜、不婬、不欺、不飲酒。」

> その時、象の首をした者が仏に申し上げました。 「世尊よ、私は今、仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依します。 どうか私を正しい教えの中で在家信者としてお認めください。 今日から生涯にわたって、殺さず、盗まず、みだらな行いをせず、嘘をつかず、酒を飲みません。」

時，布吒婆樓梵志白佛言：「我得於佛法中出家受戒不？」

> その時、ブッタバーラ梵志は仏に申し上げました。「私は仏法の中で出家し、戒律を受けることができますか？」

佛告梵志：「若有異學欲於我法中出家為道者，先四月觀察，稱眾人意，然後乃得出家受戒。雖有是法，亦觀人耳。」

> 仏は梵志に告げられた：「もし他宗の者が我が法の中で出家して道を求めようとするならば、まず四ヶ月間観察し、皆の意向に適うことを確認してから、初めて出家して戒律を受けることができる。この規則はあるが、結局は人を見て判断するものだ。」

梵志白佛言：「諸有異學欲於佛法中出家受戒者，先當四月觀察，稱眾人意，然後乃得出家受戒。如我今者，乃能於佛法中四歲觀察，稱眾人意，然後乃望出家受戒。」

佛告梵志：「我先語汝，雖有是法，當觀其人。」

> 仏は梵志に告げられた。「私は先に汝に語った、その法はあれども、その人を見よと。」

時，彼梵志即於正法中得出家受戒。如是不久以信堅固，淨修梵行，於現法中自身作證，生死已盡，所作已辦，不受後有，即成阿羅漢。

> その時、梵志はすぐに正しい法の中で出家し、戒を受けました。こうして間もなく、彼の信仰は固く確かなものとなり、清らかな修行を完成させました。現世において自ら悟りを体得し、生死の輪廻は終わり、なすべきことは成し遂げられ、再び生を受けることはありません。こうして彼は阿羅漢となりました。

爾時，布吒婆樓聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、ブッタパーラは仏の説かれたことを聞き、歓喜して教えを実践しました。