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title: "長阿含經 · 2 鬱單曰品"
description: "長阿含經是佛教原始經典四阿含之一，由後秦時期譯師佛陀耶舍與竺佛念共同譯出。該經成書於公元前1世紀左右，屬早期佛教根本聖典，記載了佛陀與弟子們的言行教法。全經共30卷，分為四分，主要內容包括佛陀生平、教義闡述、修行方法及宇宙觀等，系統性保存了原始佛教的基本教理。作為漢傳佛教重要典籍，長阿含經被視為研究原始佛教思想的核心文獻，在佛教經典體系中具有不可替代的權威地位，對後世佛教發展影響深遠。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm95s9qd704m7jz0unz898znv"
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### 佛說長阿含第四分世記經欝單曰品第二

> 鬱単曰品第二

佛告比丘：「欝單曰天下多有諸山，其彼山側有諸園觀浴池，生眾雜花，樹木清涼，花果豐茂，無數眾鳥相和而鳴。又其山中多眾流水，其水洋順，無有卒暴，眾花覆上，汎汎徐流。挾岸兩邊多眾樹木，枝條柔弱，花果繁熾，地生濡草，槃縈右旋，色如孔翠，香如婆師，濡若天衣，其地柔濡，以足蹈地，地凹四寸，舉足還復，地平如掌，無有高下。

> 仏陀は比丘たちに告げられた。「鬱単曰（うったんにち）の世界には多くの山々があり、その山の傍らにはさまざまな園や浴池があります。そこには多くの花々が咲き、木々は清らかで涼しく、果実は豊かに実り、数え切れないほどの鳥たちが互いに調和して鳴いています。また、その山中には多くの流れがあり、水は穏やかで、急な流れはありません。花々が水面を覆い、ゆったりと静かに流れています。岸の両側には多くの木々が茂り、枝は柔らかく、花や果実が豊かに実っています。地面には柔らかな草が生え、右巻きに絡み合い、その色は孔雀の羽のように美しく、香りはバーシ（香木）のようで、柔らかさは天の衣のようです。大地は柔らかく、足で踏むと四寸ほどへこみ、足を上げると元に戻り、平らで掌のようで、高低はありません。

「比丘！彼欝單曰土四面有四阿耨達池，各縱廣百由旬，其水澄清，無有垢穢，以七寶塹廁砌其邊，乃至無數眾鳥相和悲鳴，與摩陀延池嚴飾無異。彼四大池各出四大河，廣十由旬，其水洋順，無有卒暴，眾花覆上，汎汎徐流。挾岸兩邊多眾樹木，枝條柔弱，花果繁熾，地生濡草，槃縈右旋，色如孔翠，香猶婆師，濡若天衣，其地柔濡，以足蹈地，地凹四寸，舉足還復，地平如掌，無有高下。又彼土地無有溝澗、坑坎、荊棘、株杌，亦無蚊虻、蚖蛇、蜂蝎、虎豹、惡獸，地純眾寶，無有石沙，陰陽調柔，四氣和順，不寒不熱，無眾惱患，其地潤澤，塵穢不起，如油塗地，無有遊塵，百草常生，無有冬夏，樹木繁茂，花果熾盛，地生濡草，槃縈右旋，色如孔翠，香猶婆師，濡若天衣，其地柔濡，以足蹈地，地凹四寸，舉足還復，地平如掌，無有高下。

> 比丘よ、その鬱単曰の地には四方に四つの阿耨達池があり、それぞれ縦横百由旬にわたっています。その水は澄みきり、けがれ一つなく、七宝の溝で縁が飾られ、数え切れないほどの鳥たちが互いに調和して鳴き交わす様は、摩陀延池の美しさと変わりありません。その四つの大池からはそれぞれ四つの大河が流れ出ており、幅は十由旬、水はゆったりと流れ、急な激しさはなく、多くの花が水面を覆い、ゆるやかに流れています。 岸の両側には多くの樹木が茂り、枝はしなやかで、花や実が豊かに実り、地には柔らかな草が生え、右巻きにからみ合い、その色は孔雀の羽のように美しく、香りはバシリの花のようで、柔らかさは天の衣のようです。地面は柔らかく、足で踏むと四寸ほどへこみますが、足を上げれば元に戻り、地面は掌のように平らで、高低はありません。 また、その土地には溝や谷、穴、茨、切り株などはなく、蚊や虻、蛇、蜂、蠍、虎や豹などの悪しき獣もいません。大地は純粋な宝でできており、石や砂はなく、気候は調和し、四季の気は和らぎ、寒すぎず熱すぎず、悩みや苦しみはありません。地は潤い、塵や汚れは立たず、油を塗った地面のように、漂う塵一つなく、草花は常に生い茂り、冬も夏もなく、樹木は繁り、花や実は豊かに実ります。地には柔らかな草が生え、右巻きにからみ合い、その色は孔雀の羽のように美しく、香りはバシリの花のようで、柔らかさは天の衣のようです。地面は柔らかく、足で踏むと四寸ほどへこみますが、足を上げれば元に戻り、地面は掌のように平らで、高低はありません。

「其土常有自然粳米，不種自生，無有糠糩，如白花聚，猶忉利天食，眾味具足。其土常有自然釜鍑，有摩尼珠，名曰焰光，置於鍑下，飯熟光滅，不假樵火，不勞人功。其土有樹，名曰曲躬，葉葉相次，天雨不漏，彼諸男女止宿其下。復有香樹，高七十里，花果繁茂，其果熟時，皮殼自裂，自然香出，其樹或高六十里，或五十、四十，極小高五里，皆花果繁茂，其果熟時，皮殼自裂，自然香出。

> その国には、常に自然の粳米があり、植えなくても自ら生え、糠やもみ殻もなく、白い花が集まったように、忉利天の食べ物のように、あらゆる味が備わっている。その国には、常に自然の釜や鍋があり、摩尼珠があって、その名を焰光といい、鍋の下に置かれると、飯が炊けると光が消え、薪の火も借りず、人の手間もかからない。その国には、曲躬という名の木があり、葉と葉が重なり合い、天の雨も漏らさず、男女たちはその下で宿をとる。また、香樹という木があり、高さは七十里、花や実が豊かに茂り、その実が熟すと、皮や殻が自然に裂け、自然に香りが漂う。その木は、高さ六十里、五十里、四十里、最も小さくても五里の高さがあり、皆、花や実が豊かに茂り、その実が熟すと、皮や殻が自然に裂け、自然に香りが漂う。

「復有衣樹，高七十里，花果繁茂，其果熟時，皮殼自裂，出種種衣，其樹或高六十里、五十、四十，極小高五里，皆花果繁茂，出種種衣。復有莊嚴樹，高七十里，花果繁茂，其果熟時，皮殼自裂，出種種嚴身之具，其樹或高六十里、五十、四十里，極小高五里，皆花果繁茂，出種種嚴身之具。復有花鬘樹，高七十里，花果繁茂，其果熟時，皮殼自裂，出種種鬘，樹或高六十里、五十、四十里，極小高五里，亦皆花果繁茂，出種種鬘。復有器樹，高七十里，花果繁茂，其果熟時，皮殼自裂，出種種器，其樹或高六十里、五十、四十，極小高五里，皆花果繁茂，出種種器。復有果樹，高七十里，花果繁茂，其果熟時，皮殼自裂，出種種果，樹或高六十里、五十、四十，極小高五里，皆花果繁茂，出種種果。復有樂器樹，高七十里，花果繁茂，其果熟時，皮殼自裂，出種種樂器，其樹或高六十里、五十、四十，極小高五里，皆花果繁茂，出種種樂器。

> また、衣の樹があります。高さは七十里で、花や実が豊かに茂っています。その実が熟す時、皮や殻が自然に裂け、様々な種類の衣が現れます。その樹は、高いもので六十里、五十里、四十里、最も小さいものでも五里の高さがあり、どれも花や実が豊かに茂り、様々な衣を生み出します。 また、荘厳の樹があります。高さは七十里で、花や実が豊かに茂っています。その実が熟す時、皮や殻が自然に裂け、様々な身を飾る装具が現れます。その樹は、高いもので六十里、五十里、四十里、最も小さいものでも五里の高さがあり、どれも花や実が豊かに茂り、様々な身を飾る装具を生み出します。 また、花鬘の樹があります。高さは七十里で、花や実が豊かに茂っています。その実が熟す時、皮や殻が自然に裂け、様々な花鬘が現れます。その樹は、高いもので六十里、五十里、四十里、最も小さいものでも五里の高さがあり、どれも花や実が豊かに茂り、様々な花鬘を生み出します。 また、器の樹があります。高さは七十里で、花や実が豊かに茂っています。その実が熟す時、皮や殻が自然に裂け、様々な器が現れます。その樹は、高いもので六十里、五十里、四十里、最も小さいものでも五里の高さがあり、どれも花や実が豊かに茂り、様々な器を生み出します。 また、果物の樹があります。高さは七十里で、花や実が豊かに茂っています。その実が熟す時、皮や殻が自然に裂け、様々な果物が現れます。その樹は、高いもので六十里、五十里、四十里、最も小さいものでも五里の高さがあり、どれも花や実が豊かに茂り、様々な果物を生み出します。 また、楽器の樹があります。高さは七十里で、花や実が豊かに茂っています。その実が熟す時、皮や殻が自然に裂け、様々な楽器が現れます。その樹は、高いもので六十里、五十里、四十里、最も小さいものでも五里の高さがあり、どれも花や実が豊かに茂り、様々な楽器を生み出します。

「其土有池，名曰善見，縱廣百由旬，其水清澄，無有垢穢，以七寶塹廁砌其邊，遶池四面有七重欄楯、七重羅網、七重行樹，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。其善見池北有樹，名菴婆羅，周圍七里，上高百里，枝葉四布遍五十里。其善見池東出善道河，廣一由旬，其水徐流，無有洄澓，種種雜花覆蔽水上，挾岸兩邊樹木繁茂，枝條柔弱，花果熾盛，地生濡草，槃縈右旋，色如孔翠，香如婆師，濡若天衣，其地柔濡，足蹈地時，地凹四寸，舉足還復，地平如掌，無有高下。

> その国には池があり、名を善見池という。縦横百由旬、水は清らかで澄みわたり、汚れや濁りはない。七宝の塹で縁が飾られ、池の周囲には七重の欄干、七重の羅網、七重の並木があり、数えきれないほどの鳥たちが互いに調和して鳴き交わしている。善見池の北には菴婆羅という樹があり、周囲七里、高さ百里、枝葉は四方に広がり五十里を覆う。善見池の東からは善道河が流れ出ており、幅一由旬、水はゆるやかに流れ、渦や淀みはない。様々な花が水面を覆い、両岸には木々が茂り、枝は柔らかく、花や実が豊かに実る。地には柔らかな草が生え、右巻きに絡み合い、色は孔雀の羽のように美しく、香りはバシの花のようで、柔らかさは天の衣のようだ。その地は柔らかく、足で踏むと四寸ほどへこみ、足を上げれば元通りに戻る。地面は平らで掌のようであり、高低はない。

「又其河中有眾寶船，彼方人民欲入中洗浴遊戲時，脫衣岸上，乘船中流，遊戲娛樂訖已，度水遇衣便著，先出先著，後出後著，不求本衣。次至香樹，樹為曲躬，其人手取種種雜香，以自塗身。次到衣樹，樹為曲躬，其人手取種種雜衣，隨意所著。次到莊嚴樹，樹為曲躬，其人手取種種莊嚴，以自嚴飾。次到鬘樹，樹為曲躬，其人手取種種雜鬘，以著頭上。次到器樹，樹為曲躬，其人手取種種寶器，取寶器已。次到果樹，樹為曲躬，其人手取種種美果，或噉食者，或口含者，或漉汁飲者。次到樂器樹，樹為曲躬，其人手取種種樂器，調絃鼓之，並以妙聲和絃，而行詣於園林，隨意娛樂，或一日、二日至于七日，然後復去，無有定處。

> また、その川の中には様々な宝の船があり、あの国の人々が中に入って沐浴し、遊び楽しもうとする時は、衣を岸に脱ぎ置き、船に乗って川の中ほどに至り、遊び楽しみ終わった後、水を渡って衣のところへ行き、それを身に着けます。先に出た者は先に着け、後から出た者は後に着け、元の自分の衣を求めることはありません。 次に香りの木のところへ行くと、木は身をかがめて、その人は手に様々な香りを取り、自ら身に塗ります。次に衣の木のところへ行くと、木は身をかがめて、その人は手に様々な衣を取り、思いのままに身に着けます。次に装飾の木のところへ行くと、木は身をかがめて、その人は手に様々な装飾品を取り、自らを飾ります。次に髪飾りの木のところへ行くと、木は身をかがめて、その人は手に様々な髪飾りを取り、頭に着けます。次に器の木のところへ行くと、木は身をかがめて、その人は手に様々な宝の器を取り、宝の器を取った後、次に果物の木のところへ行くと、木は身をかがめて、その人は手に様々な美味しい果物を取り、ある者は食べ、ある者は口に含み、ある者は汁を漉して飲みます。 次に楽器の木のところへ行くと、木は身をかがめて、その人は手に様々な楽器を取り、弦を調べて演奏し、また妙なる音色で調和しつつ、園林へと向かって歩き、思いのままに楽しみます。ある者は一日、二日、あるいは七日間過ごし、その後また去っていきます。定まった場所はありません。

「善見池南出妙體河，善見池西出妙味河，善見池北出光影河，亦復如是。善見池東有園林名善見，縱廣百由旬，遶園四邊有七重欄楯、七重羅網、七重行樹，雜色間廁，七寶所成，其園四面有四大門，周匝欄楯，皆七寶成。園內清淨，無有荊棘，其地平正，無有溝㵎、坑坎、陵阜，亦無蚊虻、蠅蚤虱、蚖蛇、蜂蝎、虎狼、惡獸，地純眾寶，無有石沙，陰陽調柔，四氣和順，不寒不熱，無眾惱患，其地潤澤，無有塵穢，如油塗地，遊塵不起，百草常生，無有冬夏，樹木繁茂，花果熾盛，地生濡草，盤縈右旋，色如孔翠，香如婆師，濡若天衣，其地柔濡，足蹈地時，地凹四寸，舉足還復。

> 善見池の東からは妙体河が流れ出し、南からは妙味河が流れ出し、西からは光影河が流れ出し、北からも同じように美しい河が流れ出しています。 善見池の東には善見園という林園があり、縦横百由旬に広がっています。園の周囲には七重の欄干、七重の網、七重の並木が巡らされ、色とりどりに彩られ、七宝でできています。園の四方には四つの大きな門があり、周囲の欄干もすべて七宝でできています。 園内は清らかで、茨や棘はなく、地面は平らで、溝や窪み、丘や小山もありません。蚊や虻、蠅、蚤、虱、毒蛇、蜂、蠍、虎、狼などの悪しき獣もいません。大地は純粋な宝で覆われ、石や砂はなく、気候は穏やかで、四季の気は調和し、寒すぎず暑すぎず、煩わしさや苦しみはありません。大地は潤い、塵や汚れがなく、油を塗ったかのように、舞い上がる塵もありません。草花は常に生い茂り、冬も夏もなく、樹木は繁り、花や実は豊かに実ります。地面には柔らかな草が生え、右巻きに絡み合い、その色は孔雀の羽のように美しく、香りはバラのようで、天衣のように滑らかです。大地は柔らかく、足を踏み入れると四寸ほど沈み、足を上げると元に戻ります。

「其園常生自然粳米，無有糠糩，如白花聚，眾味具足，如忉利天食。其園常有自然釜鍑，有摩尼珠，名曰焰光，置於鍑下，飯熟光滅，不假樵火，不勞人功。其園有樹，名曰曲躬，葉葉相次，天雨不漏，使諸男女止宿其下。復有香樹，高七十里，花果繁茂，其果熟時，皮殼自裂，出種種香，樹有高六十里、五十、四十，至高五里，花果繁茂，出種種香，乃至樂器樹，亦復如是。其土人民至彼園中游戲娛樂，一日、二日，至于七日，其善見園無人守護，隨意游戲，然後復去。

> その園には、いつも自然にうるち米が生え、もみ殻やぬかはなく、白い花が集まったようで、あらゆる味が備わり、忉利天の食事のようである。園にはいつも自然に釜や鍋があり、炎光という名の摩尼珠があり、鍋の下に置かれると、ご飯が炊き上がると光が消え、薪の火もいらず、人の手間もかからない。園には曲躬という名の木があり、葉と葉が重なり合い、天からの雨も漏らさず、男女たちがその下で宿をとることができる。また香樹があり、高さ七十里、花や実が豊かに茂り、実が熟すと皮が自然に裂け、さまざまな香りを放つ。木には高さ六十里、五十里、四十里、五里に至るものがあり、花や実が豊かに茂り、さまざまな香りを放つ。楽器の木もまた同じである。その土地の人々は園に行き、遊び楽しみ、一日、二日、七日まで過ごす。善見園には守る者もなく、思いのままに遊び、それから去っていく。

「善見池南有園林，名大善見。善見池西有園林，名曰娛樂。善見池北有園林，名曰等花，亦復如是。其土中夜、後夜，阿耨達龍王數數隨時起清淨雲，周遍世界而降甘雨，如搆牛頃，以八味水潤澤普洽，水不留停，地無泥淖，猶如鬘師以水灑華，使不萎枯，潤澤鮮明。時，彼土於中夜後無有雲翳，空中清明，海出凉風，清淨柔和，微吹人身，舉體快樂。其土豐饒，人民熾盛，設須食時，以自然粳米著於釜中，以焰光珠置於釜下，飯自然熟，珠光自滅。諸有來者，自恣食之，其主不起，飯終不盡；若其主起，飯則盡賜。其飯鮮潔，如白花聚，其味具足，如忉利天食，彼食此飯，無有眾病，氣力充足，顏色和悅，無有衰耗。

> 善見池の南には園林があり、大善見と名付けられています。善見池の西には園林があり、娯楽と名付けられています。善見池の北には園林があり、等花と名付けられています。これらもまた同じように美しいものです。 その土地では、夜中から明け方にかけて、阿耨達龍王がたびたび清らかな雲を起こし、世界全体に広がって甘い雨を降らせます。まるで牛乳をしぼるほどの短い間に、八種類の味わいを持つ水が大地を満遍なく潤し、水は留まらず、地面は泥濘になることもありません。それはちょうど、花飾り職人が花に水をかけて枯れさせず、潤いを与え鮮やかに保つようなものです。 その時、その土地では夜中から明け方にかけて雲一つなく、空は澄み渡り、海からは涼しい風が吹き、清らかで柔らかく、人々の体にそっと触れて、全身に快楽をもたらします。 その土地は豊かで、人々は繁栄しています。食事が必要な時には、自然に生じた粳米を釜に入れ、炎の光る珠を釜の下に置くと、ご飯は自然に炊き上がり、珠の光は自然に消えます。訪れる者は誰でも自由に食べることができ、その家の主が立ち上がらなければ、ご飯は尽きることがありません。もし家の主が立ち上がれば、ご飯はすべて与え尽くされます。 そのご飯は鮮やかで清らかで、白い花が集まったようであり、その味は十分に備わっていて、まるで忉利天の食事のようです。そのご飯を食べると、あらゆる病がなくなり、気力が満ち、顔色は和らぎ、衰えや消耗もありません。

「又其土人身體相類，形貌同等，不可分別，其貌少壯，如閻浮提二十許人，其人口齒平正潔白，密緻無間，髮紺青色，無有塵垢，髮埀八指，齊眉而止，不長不短。若其土人起欲心時，則熟視女人而捨之去，彼女隨後往詣園林，若彼女人是彼男子父親、母親骨肉中表不應行欲者，樹不曲蔭，各自散去。若非父親、母親骨肉中表應行欲者，樹則曲躬，迴蔭其身，隨意娛樂，一日、二日，或至七日，爾乃散去。彼人懷姙，七日、八日便產，隨生男女，置於四衢大交道頭，捨之而去。諸有行人經過其邊，出指令嗽，指出甘乳，充適兒身。過七日已，其兒長成與彼人等，男向男眾，女向女眾。

> また、その国の人々の身体は互いに似ており、姿形も同じで区別がつきません。その容姿は若々しく、閻浮提の二十歳前後の人のようです。人々の歯は整っており、白く密に並び、隙間がありません。髪は紺青色で塵や垢はなく、八指分の長さで眉の高さまで垂れ、長すぎず短すぎません。 もしその国の人が欲情を起こした時は、女性をじっと見つめた後、立ち去ります。その女性はその後について園林へ向かいます。もしその女性がその男性の父方・母方の肉親や近親で、欲情を交えるべきでない関係の者であれば、木は枝を曲げて陰を作らず、それぞれ散り散りになります。もし父方・母方の肉親や近親でなく、欲情を交えてもよい関係の者であれば、木は腰をかがめて枝を曲げ、その身を覆い隠し、二人は思いのままに楽しみます。一日、二日、あるいは七日ほど過ごしてから散り散りになります。 女性は身ごもると、七日か八日で出産します。生まれた男女は、四つ辻の大きな交差点の角に置き、捨てて立ち去ります。通りかかる人は皆、その傍らを通り過ぎるときに指を差し出して吸わせ、指から甘い乳を出して子供の身体を満たします。七日が過ぎると、その子は成長して他の人々と同じ大きさになり、男の子は男の群れへ、女の子は女の群れへと向かいます。

「彼人命終，不相哭泣，莊嚴死屍，置四衢道，捨之而去；有鳥名憂慰禪伽，接彼死屍置於他方。又其土人，大小便時，地即為開，便利訖已，地還自合。其土人民無所繫戀，亦無畜積，壽命常定，死盡生天。彼人何故壽命常定？其人前世修十善行，身壞命終，生欝單曰，壽命千歲，不增不減。是故彼人壽命正等。

> その人々が命を終えると、誰も泣き悲しむことはなく、亡骸を丁寧に飾り、四つ辻に安置して、そのまま去ります。すると、憂慰禅伽という名の鳥がその亡骸を運び、別の場所に移すのです。 また、その土地の人々が大小便をする時には、地面が自ら開き、用を足し終えると、地面は再び閉じます。その土地の人々は、何にも執着せず、物を蓄えることもありません。寿命は常に定まっており、命が尽きればそのまま天界に生まれ変わります。 なぜ彼らの寿命が常に定まっているのでしょうか。それは、彼らが前世において十の善い行いを修めたからです。そのため、身体が壊れ命が終わると、欝単曰に生まれ、千年の寿命を授かり、増えることも減ることもありません。だからこそ、彼らの寿命は正しく等しいのです。

「復次，殺生者墮惡趣，不殺者生善趣，如是竊盜、邪婬、兩舌、惡口、妄言、綺語、貪取、嫉妬、邪見者，墮惡趣中；不盜，不婬，不兩舌、惡口、妄言、綺語，不貪取、嫉妬、邪見者，則生善趣。若有不殺，不盜，不婬，不兩舌、惡口、妄言、綺語，不貪取、嫉妬、邪見，身壞命終，生欝單曰，壽命千歲，不增不減。是故彼人壽命正等。復次，慳悋貪取，不能施惠，死墮惡道；開心不悋，能為施惠者，則生善處。有人施沙門、婆羅門，及施貧窮乞兒、瘡病、困苦者，給其衣服、飯食、乘輿、花鬘、塗香、牀㯓、房舍，又造立塔廟，燈燭供養，其人身壞命終，生欝單曰，壽命千歲，不增不減。是故彼人壽命正等。何故稱欝單曰為勝？其土人民不受十善，舉動自然與十善合，身壞命終，生天善處，是故彼人得稱為勝欝單曰。欝單曰者，其義云何？於三天下，其土最上最勝，故名欝單曰欝單曰秦言最上。」

> さらに、生き物を殺す者は悪い世界に堕ち、殺さない者は良い世界に生まれます。同じように、盗み、邪な性行為、二枚舌、悪口、嘘、無駄話、貪り、嫉妬、邪な見解を持つ者は悪い世界に堕ちます。盗まず、邪な性行為をせず、二枚舌、悪口、嘘、無駄話をせず、貪らず、嫉妬せず、邪な見解を持たない者は、良い世界に生まれます。 もし、殺さず、盗まず、邪な性行為をせず、二枚舌、悪口、嘘、無駄話をせず、貪らず、嫉妬せず、邪な見解を持たないならば、その人は命を終えた後、鬱単曰（うったんえつ）に生まれ、寿命は千年で、増えることも減ることもありません。ですから、その人々の寿命は等しく長いのです。 さらに、物惜しみして貪り、施しをしない者は死後、悪い道に堕ちます。心を開いて物惜しみせず、施しができる者は、良い世界に生まれます。沙門や婆羅門、貧しい乞食、病気や困っている人々に、衣服、食べ物、乗り物、花飾り、塗香、寝具、住居を施し、また塔や寺を建て、灯火で供養する人は、命を終えた後、鬱単曰に生まれ、寿命は千年で、増えることも減ることもありません。ですから、その人々の寿命は等しく長いのです。 なぜ鬱単曰を「勝れた土地」と呼ぶのでしょうか。その土地の人々は、わざわざ十の善い行いを意識しなくても、自然に十善に合った行いをし、命を終えた後、天の善い世界に生まれるからです。ですから、その人々は「勝れた鬱単曰」と呼ばれるのです。 「鬱単曰」とはどういう意味でしょうか。三つの天下の中で、その土地が最も優れ、最も勝れているから、鬱単曰と呼ばれるのです<note>鬱単曰は、中国語で「最も上」という意味です</note>。