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title: "長阿含經 · 7 四天王品"
description: "長阿含經是佛教原始經典四阿含之一，由後秦時期譯師佛陀耶舍與竺佛念共同譯出。該經成書於公元前1世紀左右，屬早期佛教根本聖典，記載了佛陀與弟子們的言行教法。全經共30卷，分為四分，主要內容包括佛陀生平、教義闡述、修行方法及宇宙觀等，系統性保存了原始佛教的基本教理。作為漢傳佛教重要典籍，長阿含經被視為研究原始佛教思想的核心文獻，在佛教經典體系中具有不可替代的權威地位，對後世佛教發展影響深遠。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm95s9rxg04qbjz0uz0cxe47e"
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### 佛說長阿含第四分世記經四天王品第七

> 仏説長阿含第四分世記経・四天王品第七

佛告比丘：「須彌山王東千由旬提頭賴吒天王城，名賢上，縱廣六千由旬，其城七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。須彌山南千由旬有毗樓勒天王城，名善見，縱廣六千由旬，其城七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。須彌山西千由旬有毗樓婆叉天王城，名周羅善見，縱廣六千由旬，其城七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。須彌山北千由旬有毗沙門天王，王有三城：一名可畏，二名天敬，三名眾歸。各各縱廣六千由旬，其城七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。

> 仏が比丘たちに告げました。 「須弥山の東、千由旬のところに提頭頼吒天王の城があります。名を賢上といい、縦横六千由旬に広がっています。その城は七重の城壁に囲まれ、七重の欄干、七重の網、七重の並木があり、周囲は七宝で飾られています。数え切れないほどの鳥たちが互いに鳴き交わしている様子も、これと同じです。 須弥山の南、千由旬のところに毗樓勒天王の城があります。名を善見といい、縦横六千由旬に広がっています。その城は七重の城壁に囲まれ、七重の欄干、七重の網、七重の並木があり、周囲は七宝で飾られています。数え切れないほどの鳥たちが互いに鳴き交わしている様子も、これと同じです。 須弥山の西、千由旬のところに毗樓婆叉天王の城があります。名を周羅善見といい、縦横六千由旬に広がっています。その城は七重の城壁に囲まれ、七重の欄干、七重の網、七重の並木があり、周囲は七宝で飾られています。数え切れないほどの鳥たちが互いに鳴き交わしている様子も、これと同じです。 須弥山の北、千由旬のところに毗沙門天王がいます。天王には三つの城があります。一つは可畏、二つ目は天敬、三つ目は衆帰といいます。それぞれ縦横六千由旬に広がり、城は七重の城壁に囲まれ、七重の欄干、七重の網、七重の並木があり、周囲は七宝で飾られています。数え切れないほどの鳥たちが互いに鳴き交わしている様子も、これと同じです。」

「眾歸城北有園林，名伽毗延頭，縱廣四千由旬，園牆七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。園城中間有池名那隣尼，縱廣四十由旬，其水清澄，無有垢穢，以七寶塹廁砌其邊，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，七寶所成，中生蓮花，青、黃、赤、白、雜色，光照半由旬，其香芬薰聞半由旬，又其花根大如車轂，其汁流出，色白如乳，味甘如蜜，乃至無數眾鳥相和悲鳴，亦復如是。

> 城の北に帰る衆には、伽毘延頭という名の園林がある。その広さは縦横四千由旬に及び、園の垣は七重、七重の欄干、七重の網、七重の並木が巡らされ、周囲は七宝で飾られている。数え切れないほどの鳥たちが互いに鳴き交わす様もまた同じである。 園城の中間には那隣尼という名の池がある。その広さは縦横四十由旬、水は清らかで澄みわたり、濁りや汚れはない。池の縁は七宝で築かれ、七重の欄干、七重の網、七重の並木が巡らされ、周囲は七宝で飾られている。池の中には蓮の花が生え、青、黄、赤、白、さまざまな色に輝き、その光は半由旬を照らし、香りは半由旬まで漂う。花の根は車輪の轂ほどの太さで、流れ出る汁は乳のように白く、蜜のように甘い。数え切れないほどの鳥たちが互いに悲しげに鳴き交わす様もまた同じである。

「除日月宮殿，諸四天王宮殿縱廣四十由旬，宮牆七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。其諸宮殿有四十由旬、二十由旬，極小縱廣五由旬。從眾歸城有寶階道至賢上城，復有階道至善見城，復有階道至周羅善見城，復有階道至可畏城、天敬城，復有階道至伽毗延頭園，復有階道至那隣尼池，復有階道至四天王大臣宮殿。

> 日月宮殿を除いて、諸々の四天王の宮殿は縦横四十由旬あり、宮殿の壁は七重、七重の欄干、七重の網、七重の並木が周囲を美しく飾り、七宝でできており、無数の鳥たちが互いに声を合わせて鳴くのも同様である。これらの宮殿には四十由旬のもの、二十由旬のものがあり、最も小さなものは縦横五由旬である。衆帰城からは宝の階段道が賢上城へと続き、さらに階段道は善見城へ、周羅善見城へ、可畏城、天敬城へと続き、さらに階段道は伽毘延頭園へ、那隣尼池へ、そして四天王の大臣の宮殿へと続いている。

「若毘沙門天王欲詣伽毘延頭園遊觀時，即念提頭賴天王，提頭賴天王復自念言：『今毘沙門王念我。』即自莊嚴駕乘寶車，與無數乾沓和神前後圍遶，詣毘沙門天王前，於一面立。時，毘沙門王復念毘樓勒天王，毘樓勒天王復自念言：『今毘沙門王念我。』即自莊嚴駕乘寶車，與無數究槃荼神前後圍遶，詣毘沙門天王前，於一面立。毘沙門王復念毘樓婆叉，毘樓婆叉復自念言：『今毘沙門王念我。』即自莊嚴駕乘寶車，無數龍神前後圍遶，詣毘沙門王前，於一面立。毘沙門王復念四天王大臣，四天王大臣復自念言：『今毘沙門王念我。』即自莊嚴駕乘寶車，無數諸天前後導從，詣毘沙門天王前，於一面立。

> 毘沙門天が伽毘延頭園へ遊びに行こうとする時、まず提頭頼天のことを思います。すると提頭頼天は、「今、毘沙門天が私のことを思っている」と感じ取り、すぐに宝の車を整え、無数の乾沓和神を従えて前後に囲まれながら、毘沙門天のもとへ行き、傍らに立ちます。 次に毘沙門天は毘楼勒天のことを思います。すると毘楼勒天もまた、「今、毘沙門天が私のことを思っている」と感じ取り、宝の車を整え、無数の究槃荼神を従えて前後に囲まれながら、毘沙門天のもとへ行き、傍らに立ちます。 さらに毘沙門天は毘楼婆叉のことを思います。すると毘楼婆叉も、「今、毘沙門天が私のことを思っている」と感じ取り、宝の車を整え、無数の龍神を従えて前後に囲まれながら、毘沙門天のもとへ行き、傍らに立ちます。 最後に毘沙門天は四天王の大臣たちのことを思います。すると大臣たちも、「今、毘沙門天が我々のことを思っている」と感じ取り、宝の車を整え、無数の天の者たちを従えて前後に囲まれながら、毘沙門天のもとへ行き、傍らに立ちます。

「時，毘沙門天王即自莊嚴，著寶飾衣，駕乘寶車，與無數百千天神詣伽毘延頭園。有自然風，吹門自開；有自然風，吹地令淨；有自然風，吹花散地，花至於膝。時，王在園共相娛樂，一日、二日，乃至七日，遊觀訖已，還歸本宮。毘沙門王常有五大鬼神侍衛左右：一名般闍樓，二名檀陀羅，三名醯摩跋陀，四名提偈羅，五名修逸路摩。此五鬼神常隨侍衛。毘沙門王福報、功德、威神如是。」

> その時、毘沙門天王は自ら身を飾り、宝の飾り衣をまとい、宝の車に乗り、数え切れないほどの天神たちを従えて伽毘延頭園へと向かいました。すると、自然の風が吹いて門がひとりでに開き、自然の風が吹いて地面を清め、自然の風が吹いて花びらを散らし、花は膝の高さまで積もりました。天王は園で楽しみを共にし、一日、二日、そして七日間を過ごし、遊覧を終えると自らの宮殿へと帰りました。毘沙門王には常に五人の鬼神が左右に仕えていました。第一は般闍樓、第二は檀陀羅、第三は醯摩跋陀、第四は提偈羅、第五は修逸路摩。この五鬼神は常に従い、護衛していました。毘沙門王の福徳と功徳、威光はこのようなものでした。