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title: "長阿含經 · 8 忉利天品"
description: "長阿含經是佛教原始經典四阿含之一，由後秦時期譯師佛陀耶舍與竺佛念共同譯出。該經成書於公元前1世紀左右，屬早期佛教根本聖典，記載了佛陀與弟子們的言行教法。全經共30卷，分為四分，主要內容包括佛陀生平、教義闡述、修行方法及宇宙觀等，系統性保存了原始佛教的基本教理。作為漢傳佛教重要典籍，長阿含經被視為研究原始佛教思想的核心文獻，在佛教經典體系中具有不可替代的權威地位，對後世佛教發展影響深遠。"
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### 佛說長阿含第四分世記經忉利天品第八

> 仏説長阿含第四分世記経忉利天品第八

佛告比丘：「須彌山王頂上有三十三天城，縱廣八萬由旬，其城七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，城高百由旬，上廣六十由旬。城門高六十由旬，廣三十由旬，相去五百由旬有一門，其一一門有五百鬼神守侍衛護三十三天，金城銀門，銀城金門，乃至無數眾鳥相和悲鳴，亦復如是。其大城內復有小城，縱廣六萬由旬，其城七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，城高百由旬，廣六十由旬，城門相去五百由旬，高六十由旬，廣三十由旬，一一城門有五百鬼神侍衛門側，守護三十三天。金城銀門，銀城金門，水精城琉璃門，琉璃城水精門，赤珠城馬瑙門，馬瑙城赤珠門，車𤦲城眾寶門。

> お釈迦さまは比丘たちに告げられました。 「須彌山の頂上には三十三天の都があります。その都は縦横八万由旬に広がり、七重の城壁、七重の欄干、七重の網、七重の並木に囲まれ、七宝で飾られています。城壁の高さは百由旬、上部の幅は六十由旬です。城門の高さは六十由旬、幅は三十由旬で、門と門の間は五百由旬離れています。それぞれの門には五百の鬼神が侍り、三十三天を守護しています。金の城には銀の門、銀の城には金の門が設けられ、無数の鳥たちが互いに呼び交わし、悲しげに鳴いています。その大城の中にさらに小城があり、縦横六万由旬に広がっています。この城も七重の城壁、七重の欄干、七重の網、七重の並木に囲まれ、七宝で飾られています。城壁の高さは百由旬、幅は六十由旬です。城門の間隔は五百由旬、高さは六十由旬、幅は三十由旬で、それぞれの門の脇には五百の鬼神が侍り、三十三天を守護しています。金の城には銀の門、銀の城には金の門、水晶の城には瑠璃の門、瑠璃の城には水晶の門、赤真珠の城には瑪瑙の門、瑪瑙の城には赤真珠の門、車𤦲の城には様々な宝の門が設けられています。

「其欄楯者，金欄銀桄，銀欄金桄，水精欄琉璃桄，琉璃欄水精桄，赤珠欄馬瑙桄，馬瑙欄赤珠桄，車𤦲欄眾寶桄。其欄楯上有寶羅網，其金羅網下懸銀鈴，其銀羅網下懸金鈴，琉璃羅網懸水精鈴，水精羅網懸琉璃鈴，赤珠羅網懸馬瑙鈴，馬瑙羅網懸赤珠鈴，車𤦲羅網懸眾寶鈴。其金樹者金根金枝銀葉花實，其銀樹者銀根銀枝金葉花實，其水精樹水精根枝琉璃花葉，其琉璃樹琉璃根枝水精花葉，其赤珠樹赤珠根枝馬瑙花葉，馬瑙樹者馬瑙根枝赤珠花葉，車𤦲樹者車𤦲根枝眾寶花葉。

> その欄干は、金の欄に銀の手すり、銀の欄に金の手すり、水晶の欄に瑠璃の手すり、瑠璃の欄に水晶の手すり、赤珠の欄に瑪瑙の手すり、瑪瑙の欄に赤珠の手すり、車𤦲の欄にさまざまな宝の手すりが施されています。 欄干の上には宝の網が張り巡らされ、金の網の下には銀の鈴が、銀の網の下には金の鈴が吊り下げられています。瑠璃の網には水晶の鈴、水晶の網には瑠璃の鈴、赤珠の網には瑪瑙の鈴、瑪瑙の網には赤珠の鈴、車𤦲の網にはさまざまな宝の鈴が吊り下げられています。 金の樹は根も枝も金で、葉と花と実は銀。銀の樹は根も枝も銀で、葉と花と実は金。水晶の樹は根も枝も水晶で、花と葉は瑠璃。瑠璃の樹は根も枝も瑠璃で、花と葉は水晶。赤珠の樹は根も枝も赤珠で、花と葉は瑪瑙。瑪瑙の樹は根も枝も瑪瑙で、花と葉は赤珠。車𤦲の樹は根も枝も車𤦲で、花と葉はさまざまな宝でできています。

「其七重城，城有四門，門有欄楯，七重城上皆有樓閣臺觀周匝圍遶，有園林浴池，生眾寶花，雜色參間，寶樹行列，華果繁茂，香風四起，悅可人心，鳧雁、鴛鴦、異類奇鳥，無數千種，相和而鳴。其小城外中間有伊羅鉢龍宮，縱廣六千由旬，宮牆七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和悲鳴，亦復如是。

> 七重の城壁があり、その城には四つの門があります。門には欄干が設けられ、七重の城壁の上には楼閣や台観が周囲を取り囲むように立ち並んでいます。園林や浴池があり、さまざまな宝の花が咲き乱れ、色とりどりに混じり合い、宝の樹木が列をなして並び、花や果実が豊かに実り、香りの風が四方に漂い、人々の心を喜ばせます。鴨や雁、鴛鴦など、珍しい種類の鳥たちが無数に集い、互いに調和して鳴き交わしています。 その小さな城の外側の中間には、伊羅鉢龍王の宮殿があります。その広さは縦横六千由旬に及び、宮殿の壁は七重に重なり、七重の欄干、七重の羅網、七重の並木が周囲を飾り、七宝によって造られています。さらに、無数の鳥たちが集い、互いに調和して悲しげに鳴く様子もまた、これと同じです。

「其善見城內有善法堂，縱廣百由旬，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成。其堂下基純以真金，上覆琉璃，其堂中柱圍十由旬，高百由旬，當其柱下敷天帝御座，縱廣一由旬，雜色間廁，以七寶成，其座柔軟，軟若天衣，夾座兩邊左右十六座。

> 善見城の内には善法堂があり、縦横百由旬、七重の欄干、七重の網、七重の並木があり、周囲は七宝で飾られています。堂の基壇は純金で、屋根は瑠璃で覆われています。堂の中央の柱は周囲十由旬、高さ百由旬で、その柱の下に天帝の御座が設けられ、縦横一由旬、七宝が彩りを添えています。その座は柔らかく、天衣のように柔らかく、座の両側には左右に十六の座が並んでいます。

「堂有四門，周匝欄楯，以七寶成，其堂階道縱廣五百由旬，門郭七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。善見堂北有帝釋宮殿，縱廣千由旬，宮牆七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和悲鳴，亦復如是。善見堂東有園林，名曰麤澁，縱廣千由旬，園牆七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。麤澁園中有二石垛，天金校飾，一名賢，二名善賢，縱廣各五十由旬，其石柔軟，軟若天衣。

> 堂には四つの門があり、周囲には欄干が巡らされ、七宝でできています。堂の階段と道は縦横五百由旬に及び、門と城壁は七重、七重の欄干、七重の羅網、七重の並木が周囲を飾り、七宝でできています。無数の鳥たちが互いに声を合わせて鳴く様子も、また同じです。 善見堂の北には帝釈天の宮殿があり、縦横千由旬に及びます。宮殿の壁は七重、七重の欄干、七重の羅網、七重の並木が周囲を飾り、七宝でできています。無数の鳥たちが互いに声を合わせて悲しげに鳴く様子も、また同じです。 善見堂の東には園林があり、その名を「粗澁園」といいます。縦横千由旬に及び、園の壁は七重、七重の欄干、七重の羅網、七重の並木が周囲を飾り、七宝でできています。無数の鳥たちが互いに声を合わせて鳴く様子も、また同じです。 粗澁園の中には二つの石の台があり、天の金で飾られています。一つは「賢」、もう一つは「善賢」と呼ばれ、それぞれ縦横五十由旬の広さがあります。その石は柔らかく、天の衣のように柔らかいのです。

「善見宮南有園林，名曰畫樂，縱廣千由旬，園牆七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。其園內有二石垛，七寶所成，一名晝，二名善晝，各縱廣五十由旬，其垛柔軟，軟若天衣。善見堂西有園林，名雜，縱廣千由旬，園牆七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，七寶所成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。其園中有二石垛，一名善見，二名順善見，天金校飾，七寶所成，各縱廣五十由旬，其垛柔軟，軟若天衣。善見堂北有園林，名曰大喜，縱廣千由旬，園牆七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。其園中有二石垛，一名喜，二名大喜，車𤦲校飾，縱廣五十由旬，其垛柔軟，軟若天衣。

> 善見宮の南に園林があり、名を畫樂といいます。縦横千由旬に広がり、園の垣は七重、七重の欄干、七重の羅網、七重の並木がめぐらされ、周囲は七宝で飾られています。数え切れないほどの鳥たちが互いに声を合わせてさえずる様子も、また同じです。園内には二つの石の壇があり、七宝でできています。一つは「晝」、二つめは「善晝」といい、それぞれ縦横五十由旬で、その壇は柔らかく、天の衣のように柔らかいのです。 善見堂の西に園林があり、名を雜といいます。縦横千由旬に広がり、園の垣は七重、七重の欄干、七重の羅網、七重の並木がめぐらされ、周囲は七宝で飾られています。数え切れないほどの鳥たちが互いに声を合わせてさえずる様子も、また同じです。園中には二つの石の壇があり、一つは「善見」、二つめは「順善見」といいます。天の金で飾られ、七宝でできており、それぞれ縦横五十由旬で、その壇は柔らかく、天の衣のように柔らかいのです。 善見堂の北に園林があり、名を大喜といいます。縦横千由旬に広がり、園の垣は七重、七重の欄干、七重の羅網、七重の並木がめぐらされ、周囲は七宝で飾られています。数え切れないほどの鳥たちが互いに声を合わせてさえずる様子も、また同じです。園中には二つの石の壇があり、一つは「喜」、二つめは「大喜」といいます。車𤦲で飾られ、縦横五十由旬で、その壇は柔らかく、天の衣のように柔らかいのです。

「其麤澁園、畵樂園中間有難陀池，縱廣百由旬，其水清澄，無有垢穢，七重寶塹周匝砌廁，欄楯七重、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成。其池四面有四梯陛，周匝欄楯間以七寶，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。又其池中生四種花，青、黃、赤、白、紅縹雜色間廁，其一花葉蔭一由旬，香氣芬熏聞一由旬，根如車轂，其汁流出，色白如乳，味甘如蜜。其池四面復有園林。其雜園林、大喜園林二園中間有樹名晝度，圍七由旬，高百由旬，枝葉四布五十由旬。樹外空亭縱廣五百由旬，宮牆七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。

> その粗末な園と、絵のように美しい園との間に、難陀池があります。縦横百由旬に広がり、その水は清らかで澄み、汚れは一つもありません。七重の宝の堀が周りを取り囲み、欄干も七重、七重の網、七重の並木が巡らされ、七宝で飾られています。池の四面には四つの階段があり、周囲の欄干の間も七宝で彩られています。数え切れないほどの鳥たちが互いに鳴き交わしている様子も、また同じく素晴らしいものです。 また、その池には四種類の花が咲いています。青、黄、赤、白、紅、薄青など、様々な色が入り混じっています。一つの花の葉は一由旬を覆い、香りは一由旬先まで漂います。根は車輪の軸のように太く、その汁は流れ出て、色は乳のように白く、味は蜜のように甘いのです。 池の四面にはさらに林園があります。雑多な林園と大喜林園の二つの園の間に、昼度という名の樹があります。幹の周りは七由旬、高さは百由旬、枝葉は四方に五十由旬も広がっています。樹の外には空の亭があり、縦横五百由旬に広がり、宮殿の壁は七重、七重の欄干、七重の網、七重の並木が巡らされ、七宝で飾られています。数え切れないほどの鳥たちが互いに鳴き交わしている様子も、また同じく素晴らしいものです。

「其餘忉利天宮殿縱廣千由旬，宮牆七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。其諸宮殿有縱廣九百、八百，極小百由旬，宮牆七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝校飾，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。諸小天宮縱廣百由旬，有九十、八十，極小至十二由旬，宮牆七重，七重欄楯、七重羅網、七重行樹，周匝圍遶，以七寶成，乃至無數眾鳥相和而鳴，亦復如是。

> その他の忉利天の宮殿は、縦横千由旬に広がり、宮殿の壁は七重、七重の欄干、七重の羅網、七重の並木が周囲を取り囲み、七宝で飾られています。数え切れないほどの鳥たちが互いに鳴き交わす様子もまた、この通りです。 諸々の宮殿には、縦横九百由旬、八百由旬のものがあり、最も小さいものでも百由旬あります。宮殿の壁は七重、七重の欄干、七重の羅網、七重の並木が周囲を取り囲み、数え切れないほどの鳥たちが互いに鳴き交わす様子もまた、この通りです。 諸々の小さな天宮は、縦横百由旬のものがあり、九十由旬、八十由旬のものもあり、最も小さいものは十二由旬に至ります。宮殿の壁は七重、七重の欄干、七重の羅網、七重の並木が周囲を取り囲み、七宝で飾られています。数え切れないほどの鳥たちが互いに鳴き交わす様子もまた、この通りです。

「善見堂北有二階道至帝釋宮殿，善見堂東有二階道至麤澁園，復有階道至畵樂園觀，復有階道至雜園中，復有階道至大喜園，復有階道至大喜池，復有階道至晝度樹，復有階道至三十三天宮，復有階道至諸天宮，復有階道至伊羅鉢龍王宮。若天帝釋欲麤澁園中遊觀時，即念三十三天臣，三十三天臣即自念言：『今帝釋念我。』即自莊嚴駕乘寶車，與無數眾前後圍遶至帝釋前，於一面立。帝釋復念其餘諸天，諸天念言：『今帝釋念我。』即自莊嚴，與諸天眾相隨至帝釋前，於一面立。帝釋復念伊羅鉢龍王，伊羅鉢龍王復自念言：『今帝釋念我。』龍王即自變身出三十三頭，一一頭有六牙，一一牙有七浴池，一一浴池有七大蓮華，一一蓮花有一百葉，一一花葉有七玉女，鼓樂絃歌，抃舞其上。時，彼龍王作此化已，詣帝釋前，於一面立。

> 善見堂の北には、帝釈宮殿へと続く二つの階段の道があります。善見堂の東には、粗澁園へと続く二つの階段の道があり、さらに絵楽園観へと続く階段の道、雑園の中へと続く階段の道、大喜園へと続く階段の道、大喜池へと続く階段の道、晝度樹へと続く階段の道、三十三天宮へと続く階段の道、諸天宮へと続く階段の道、そして伊羅鉢龍王宮へと続く階段の道があります。 天帝釈が粗澁園で遊覧したいと思う時、三十三天の臣下たちを念じると、三十三天の臣下たちは自らこう思います。「今、帝釈が私を念じている。」すると彼らは自らを整え、宝の車に乗り、無数の従者を前後に従えて帝釈のもとへ赴き、一かたわらに立ちます。帝釈がさらに他の諸天を念じると、諸天はこう思います。「今、帝釈が私を念じている。」すると彼らは自らを整え、諸天の衆を従えて帝釈のもとへ赴き、一かたわらに立ちます。 帝釈がさらに伊羅鉢龍王を念じると、伊羅鉢龍王は自らこう思います。「今、帝釈が私を念じている。」龍王はたちまち自らの姿を変え、三十三の頭を現します。それぞれの頭には六本の牙があり、それぞれの牙には七つの浴池があり、それぞれの浴池には七つの大きな蓮華があり、それぞれの蓮華には百枚の花弁があり、それぞれの花弁には七人の玉女がいて、楽器を奏で、歌い、舞い踊っています。時に、その龍王はこのような変化を現した後、帝釈のもとへ赴き、一かたわらに立ちます。

「時，釋提桓因著眾寶飾，瓔珞其身，坐伊羅鉢龍王第一頂上，其次兩邊各有十六天王，在龍頂上次第而坐。時，天帝釋與無數諸天眷屬圍遶詣麤澁園。有自然風，吹門自開；有自然風，吹地令淨；有自然風，吹花散地，眾花積聚，花至于膝。時，天帝釋於賢、善賢二石垛上隨意而坐，三十三王各次第坐，復有諸天不得侍從見彼園觀，不得入園五欲娛樂。所以者何？斯由本行功德不同。復有諸天得見園林而不得入，不得五欲共相娛樂。所以者何？斯由本行功德不同。復有諸天得見、得入，不得五欲共相娛樂。所以者何？斯由本行功德不同。復有諸天得入、得見，五欲娛樂。所以者何？斯由本行功德同故。

> 時に、帝釈天は多くの宝の飾りを身に付け、瓔珞を体にまとって、伊羅鉢龍王の第一の頂上に座りました。その両側には、それぞれ十六の天王がおり、龍の頂上に順番に座っていました。その時、天帝釈は無数の天の眷属に囲まれて、粗澁園へと向かいました。自然の風が吹いて門は自ら開き、自然の風が吹いて地面を清め、自然の風が吹いて花を散らし、多くの花が積もり、花は膝まで届きました。その時、天帝釈は賢と善賢という二つの石の台の上に自由に座り、三十三天の王たちもそれぞれ順番に座りました。また、ある天衆は侍従として付き従うことができず、その園を見ることもできず、園に入って五欲の楽しみを味わうこともできませんでした。なぜでしょうか。それは過去の行いの功徳が異なるからです。また、ある天衆は園林を見ることはできても入ることができず、五欲を共に楽しむことができませんでした。なぜでしょうか。それは過去の行いの功徳が異なるからです。また、ある天衆は見ることも入ることもできても、五欲の楽しみを味わうことができませんでした。なぜでしょうか。それは過去の行いの功徳が異なるからです。また、ある天衆は入ることも見ることもでき、五欲の楽しみを味わうことができました。なぜでしょうか。それは過去の行いの功徳が同じだからです。

「遊戲園中，五欲自娛，一日、二日，至於七日，相娛樂已，各自還宮。彼天帝釋遊觀畵樂園、雜園、大喜園時，亦復如是。何故名之為麤澁園？入此園時，身體麤澁。何故名為畵樂園？入此園時，身體自然有種種畵色以為娛樂。何故名為雜園？常以月八日、十四日、十五日，除阿須倫女，放諸婇女與諸天子雜錯遊戲，是故名為雜園。何故名為大喜園？入此園時，娛樂歡樂，故名大喜。何故名為善法堂？於此堂上思惟妙法，受清淨樂，故名善法堂。何故名為晝度樹？此樹有神，名曰漫陀，常作伎樂以自娛樂，故名晝度。又彼大樹枝條四布，花葉繁茂如大寶雲，故名晝度。

> 遊戯園で、五欲を楽しみ、一日、二日、あるいは七日まで遊び楽しんだ後、それぞれ自分の宮殿に戻ります。天帝釈が畵楽園、雑園、大喜園を遊覧する時も、同じようにします。なぜこれを「粗澁園」と呼ぶのでしょうか？この園に入ると、身体が粗く澁くなるからです。なぜ「畵楽園」と呼ぶのでしょうか？この園に入ると、身体に自然と様々な絵のような色が現れ、楽しませてくれるからです。なぜ「雑園」と呼ぶのでしょうか？常に月の八日、十四日、十五日に、阿須倫の女を除き、多くの侍女を解き放ち、諸天子と混ざり合って遊ぶからです。なぜ「大喜園」と呼ぶのでしょうか？この園に入ると、楽しみと喜びに満ちているからです。なぜ「善法堂」と呼ぶのでしょうか？この堂で妙なる法を思惟し、清浄な楽しみを受けるからです。なぜ「晝度樹」と呼ぶのでしょうか？この樹には漫陀という神がいて、常に伎楽を奏でて自ら楽しむからです。また、その大樹の枝は四方に広がり、花や葉が繁茂して大きな宝の雲のようであるからです。

「釋提桓因左右常有十大天子隨從侍衛。何等為十？一者名因陀羅，二名瞿夷，三名毘樓，四名毘樓婆提，五名陀羅，六名婆羅，七名耆婆，八名靈醯嵬，九名物羅，十名難頭。釋提桓因有大神力，威德如是。閻浮提人所貴水花：優鉢羅花、鉢頭摩花、拘物頭花、分陀利花、須乾頭花，柔軟香潔。其陸生花：解脫花、薝蔔花、婆羅陀花、須曼周那花、婆師花、童女花。拘耶尼、欝單曰、弗于逮、龍宮、金翅鳥宮水陸諸花，亦復如是。阿須倫宮水中生花：優鉢羅花、鉢頭摩花、拘物頭花、分陀利花，柔軟香潔。陸生花：殊好花、頻浮花、大頻浮花、伽伽利花、大伽伽利花、曼陀羅花、大曼陀羅花。四天王、三十三天、焰摩天、兜率天、化自在天、他化自在天所貴水陸諸花，亦復如是。

> 帝釈天（釋提桓因）の左右には、常に十大天子が随従し警護している。その十とは何か。第一は因陀羅、第二は瞿夷、第三は毘樓、第四は毘樓婆提、第五は陀羅、第六は婆羅、第七は耆婆、第八は霊醯嵬、第九は物羅、第十は難頭である。帝釈天はこのように大いなる神力と威徳を備えている。 閻浮提（人間界）の人々が貴ぶ水生の花には、優鉢羅花（青蓮華）、鉢頭摩花（赤蓮華）、拘物頭花（黄蓮華）、分陀利花（白蓮華）、須乾頭花があり、柔らかく香り高く清らかである。陸生の花には、解脫花、薝蔔花（梔子の花）、婆羅陀花、須曼周那花、婆師花、童女花がある。 拘耶尼洲、欝単曰洲、弗于逮洲、龍宮、金翅鳥宮の水陸の諸花もまた同様である。 阿修羅宮の水生の花には、優鉢羅花、鉢頭摩花、拘物頭花、分陀利花があり、柔らかく香り高く清らかである。陸生の花には、殊好花、頻浮花、大頻浮花、伽伽利花、大伽伽利花、曼陀羅花、大曼陀羅花がある。 四天王天、三十三天、焔摩天、兜率天、化楽天、他化自在天で貴ばれる水陸の諸花もまた、これと同じである。

「天有十法，何等為十？一者飛去無限數。二者飛來無限數。三者去無碍。四者來無碍。五者天身無有皮膚、骨體、筋脉、血肉。六者身無不淨大小便利。七者身無疲極。八者天女不產。九者天目不眴。十者身隨意色，好青則青，好黃則黃，赤、白眾色，隨意而現。此是諸天十法。人有七色。云何為七？有人金色，有人火色，有人青色，有人黃色，有人赤色，有人黑色，有人魔色。諸天、阿須倫有七色，亦復如是。

> 天には十の法があります。どのような十でしょうか。 一、限りなく遠くへ飛んで行くことができる。 二、限りなく遠くから飛んで来ることができる。 三、行くのに何の妨げもない。 四、来るのに何の妨げもない。 五、天の身体には皮膚、骨、筋肉、脈、血、肉がない。 六、身体に大小便などの不浄がない。 七、身体に疲れがない。 八、天女は出産しない。 九、天の目は瞬きしない。 十、身体の色は心のままに変わる。青が良ければ青に、黄が良ければ黄に、赤、白、さまざまな色を思いのままに現す。 これが諸天の十の法です。 人には七つの色があります。どのような七つでしょうか。 金色の人、火色の人、青色の人、黄色の人、赤色の人、黒色の人、魔色の人がいます。 諸天と阿須倫にも同じく七つの色があります。

「諸比丘！螢火之明不如燈燭，燈燭之明不如炬火，炬火之明不如積火，積火之明不如四天王宮殿、城墎、瓔珞、衣服、身色光明，四天王宮殿、城墎、瓔珞、衣服、身色光明不如三十三天光明，三十三天光明不如焰摩天光明，焰摩天光明不如兜率天光明，兜率天光明不如化自在天光明，化自在天光明不如他化自在天光明，他化自在天光明不如梵迦夷天宮殿、衣服身色光明，梵迦夷天宮殿、衣服、身色光明不如光念天光明，光念天光明不如遍淨天光明，遍淨天光明不如果實天光明，果實天光明不如無想天光明，無想天光明不如無造天，無造天光明不如無熱天，無熱天光明不如善見天，善見天光明不如大善天，大善天光明不如色究竟天，色究竟天光明不如地自在天，地自在天光明不如佛光明。從螢火光至佛光明，合集爾所光明，不如苦諦光明，集諦、滅諦、道諦光明。是故，諸比丘！欲求光明者，當求苦諦、集諦、滅諦、道諦光明，當作是修行。

> 諸比丘よ、蛍の光は灯火に及ばず、灯火の光は松明に及ばず、松明の光は焚き火に及ばず、焚き火の光は四天王の宮殿・城壁・装飾・衣服、そしてその身体の輝きに及ばない。 四天王のその輝きは三十三天の光明に及ばず、三十三天の光明は焔摩天の光明に及ばず、焔摩天の光明は兜率天の光明に及ばず、兜率天の光明は化自在天の光明に及ばず、化自在天の光明は他化自在天の光明に及ばない。 他化自在天の光明は梵迦夷天の宮殿・衣服・身体の輝きに及ばず、梵迦夷天のその輝きは光念天の光明に及ばず、光念天の光明は遍淨天の光明に及ばず、遍淨天の光明は果實天の光明に及ばず、果實天の光明は無想天の光明に及ばない。 無想天の光明は無造天の光明に及ばず、無造天の光明は無熱天の光明に及ばず、無熱天の光明は善見天の光明に及ばず、善見天の光明は大善天の光明に及ばず、大善天の光明は色究竟天の光明に及ばない。 色究竟天の光明は地自在天の光明に及ばず、地自在天の光明は仏の光明に及ばない。 蛍の光から仏の光明まで、それらすべての光を合わせたとしても、苦諦の光明には及ばない。集諦、滅諦、道諦の光明にも及ばない。 それゆえ、諸比丘よ、光明を求めようとするならば、苦諦・集諦・滅諦・道諦の光明を求めるべきである。このように修行せよ。

「閻浮提人身長三肘半，衣長七肘，廣三肘半；瞿耶尼、弗于逮人身亦三肘半，衣長七肘，廣三肘半；欝單曰人身長七肘，衣長十四肘，廣七肘，衣重一兩；阿須倫身長一由旬，衣長二由旬，廣一由旬，衣重六銖；四天王身長半由旬，衣長一由旬，廣半由旬，衣重半兩；忉利天身長一由旬，衣長二由旬，廣一由旬，衣重六銖；焰摩天身長二由旬，衣長四由旬，廣二由旬，衣重三銖；兜率天身長四由旬，衣長八由旬，廣四由旬，衣重一銖半；化自在天身長八由旬，衣長十六由旬，廣八由旬，衣重一銖；他化自在天身長十六由旬，衣長三十二由旬，廣十六由旬，衣重半銖。自上諸天，各隨其身而著衣服。

> 閻浮提（南贍部洲）の人間の身長は三肘半で、衣の長さは七肘、幅は三肘半です。瞿耶尼（西牛貨洲）と弗于逮（東勝身洲）の人間の身長も三肘半で、衣の長さは七肘、幅は三肘半です。欝単曰（北倶盧洲）の人間の身長は七肘で、衣の長さは十四肘、幅は七肘、衣の重さは一両です。 阿須倫（阿修羅）の身長は一由旬で、衣の長さは二由旬、幅は一由旬、衣の重さは六銖です。四天王の身長は半由旬で、衣の長さは一由旬、幅は半由旬、衣の重さは半両です。忉利天（三十三天）の身長は一由旬で、衣の長さは二由旬、幅は一由旬、衣の重さは六銖です。 焰摩天（夜摩天）の身長は二由旬で、衣の長さは四由旬、幅は二由旬、衣の重さは三銖です。兜率天の身長は四由旬で、衣の長さは八由旬、幅は四由旬、衣の重さは一銖半です。化自在天（化楽天）の身長は八由旬で、衣の長さは十六由旬、幅は八由旬、衣の重さは一銖です。他化自在天の身長は十六由旬で、衣の長さは三十二由旬、幅は十六由旬、衣の重さは半銖です。 これより上の諸天の者たちは、それぞれ自らの身に応じて衣服をまとっています。

「閻浮提人壽命百歲，少出多減。拘耶尼人壽命二百歲，少出多減。弗于逮人壽三百歲，少出多減。欝單曰人盡壽千歲，無有增減。餓鬼壽七萬歲，少出多減。龍、金翅鳥壽一劫，或有減者。阿須倫壽天千歲，少出多減。四天王壽天五百歲，少出多減。忉利天壽天千歲，少出多減。焰摩天壽天二千歲，少出多減。兜率天壽天四千歲，少出多減。化自在天壽天八千歲，少出多減。他化自在天壽天萬六千歲，少出多減。梵迦夷天壽命一劫，或有減者。光音天壽命二劫，或有減者。遍淨天壽命三劫，或有減者。果實天壽命四劫，或有減者。無想天壽命五百劫，或有減者。無造天壽命千劫，或有減者。無熱天壽命二千劫，或有減者。善見天壽命三千劫，或有減者。大善見天壽命四千劫，或有減者。色究竟天壽命五千劫，或有減者。空處天壽命萬劫，或有減者。識處天壽命二萬一千劫，或有減者。不用處天壽命四萬二千劫，或有減者。有想無想天壽命八萬四千劫，或有減者。齊此為眾生，齊此為壽命，齊此為世界，齊此名為生、老、病、死往來所趣，界、入聚也。」

> 閻浮提の人間の寿命は百歳で、多くが短命で長生きは少ない。拘耶尼の人間の寿命は二百歳で、多くが短命で長生きは少ない。弗于逮の人間の寿命は三百歳で、多くが短命で長生きは少ない。欝単曰の人間は寿命が千歳で、増減はない。餓鬼の寿命は七万歳で、多くが短命で長生きは少ない。龍と金翅鳥の寿命は一劫で、中には短命の者もいる。阿須倫の天界の寿命は千歳で、多くが短命で長生きは少ない。四天王の天界の寿命は五百歳で、多くが短命で長生きは少ない。忉利天の寿命は千歳で、多くが短命で長生きは少ない。焰摩天の寿命は二千歳で、多くが短命で長生きは少ない。兜率天の寿命は四千歳で、多くが短命で長生きは少ない。化自在天の寿命は八千歳で、多くが短命で長生きは少ない。他化自在天の寿命は一万六千歳で、多くが短命で長生きは少ない。梵迦夷天の寿命は一劫で、中には短命の者もいる。光音天の寿命は二劫で、中には短命の者もいる。遍淨天の寿命は三劫で、中には短命の者もいる。果実天の寿命は四劫で、中には短命の者もいる。無想天の寿命は五百劫で、中には短命の者もいる。無造天の寿命は千劫で、中には短命の者もいる。無熱天の寿命は二千劫で、中には短命の者もいる。善見天の寿命は三千劫で、中には短命の者もいる。大善見天の寿命は四千劫で、中には短命の者もいる。色究竟天の寿命は五千劫で、中には短命の者もいる。空処天の寿命は一万劫で、中には短命の者もいる。識処天の寿命は二万一千劫で、中には短命の者もいる。不用処天の寿命は四万二千劫で、中には短命の者もいる。有想無想天の寿命は八万四千劫で、中には短命の者もいる。 ここまでが衆生の範囲であり、ここまでが寿命の範囲であり、ここまでが世界の範囲である。ここまでが生、老、病、死の往来する所であり、界、入、聚と呼ばれるものである。

佛告比丘：「一切眾生以四食存。何謂為四？摶、細滑食為第一，觸食為第二，念食為第三，識食為第四。彼彼眾生所食不同。閻浮提人種種飯、󰉓麵、魚肉以為摶食，衣服、洗浴為細滑食。拘耶尼、弗于逮人亦食種種飯󰉓麵、魚肉以為摶食，衣服、洗浴為細滑食。欝單曰人唯食自然粳米，天味具足以為摶食，衣服、洗浴為細滑食。龍、金翅鳥食黿鼉、魚鱉以為摶食，洗浴、衣服為細滑食。阿須倫食淨摶食以為摶食，洗浴、衣服為細滑食。四天王、忉利天、焰摩天、兜率天、化自在天、他化自在天食淨摶食以為摶食，洗浴、衣服為細滑食。自上諸天以禪定喜樂為食。何等眾生觸食？卵生眾生觸食。何等眾生念食？有眾生因念食得存，諸根增長，壽命不絕，是為念食。何等識食？地獄眾生及無色天，是名識食。

> 仏は比丘たちに告げられた。「すべての衆生は四つの食によって生きている。四つとは何か。第一は摶食と細滑食、第二は触食、第三は念食、第四は識食である。それぞれの衆生によって、食べるものは異なる。閻浮提の人間は、様々な飯、麺、魚肉を摶食とし、衣服や洗浴を細滑食とする。拘耶尼や弗于逮の人々も、様々な飯、麺、魚肉を摶食とし、衣服や洗浴を細滑食とする。欝単曰の人々は、自然に実る粳米だけを食べ、天の味が備わったものを摶食とし、衣服や洗浴を細滑食とする。龍や金翅鳥は、黿鼉や魚鱉を摶食とし、洗浴や衣服を細滑食とする。阿須倫は清浄な摶食を摶食とし、洗浴や衣服を細滑食とする。四天王、忉利天、焰摩天、兜率天、化自在天、他化自在天は、清浄な摶食を摶食とし、洗浴や衣服を細滑食とする。これより上の諸天は、禅定の喜びと楽しみを食とする。どの衆生が触食か。卵生の衆生が触食である。どの衆生が念食か。念によって生き、諸根が成長し、寿命が絶えない衆生がいる。これが念食である。どの衆生が識食か。地獄の衆生と無色天の衆生である。これが識食と呼ばれる。」

「閻浮提人以金銀、珍寶、穀帛、奴僕治生販賣以自生活。拘耶尼人以牛羊、珠寶市易生活。弗于逮人以穀帛、珠璣市易自活。欝單曰人無有市易治生自活。閻浮提人有婚姻往來、男娶女嫁。拘耶尼人、弗于逮人亦有婚姻、男娶女嫁。欝單曰人無有婚姻、男女嫁娶。龍、金翅鳥、阿須倫亦有婚姻、男女嫁娶。四天王、忉利天，乃至他化自在天亦有婚姻、男娶女嫁。自上諸天無復男女。閻浮提人男女交會，身身相觸以成陰陽。拘耶尼、弗于逮、欝單曰人亦身身相觸以成陰陽。龍、金翅鳥亦身身相觸以成陰陽。阿須倫身身相近，以氣成陰陽。四天王、忉利天亦復如是。焰摩天相近以成陰陽。兜率天執手成陰陽。化自在天熟視成陰陽。他化自在天暫視成陰陽。自上諸天無復婬欲。

> 閻浮提の人々は、金銀、珍宝、穀物や布、奴隷を使って商売し、生活を営んでいます。拘耶尼の人々は牛や羊、珠玉を取引して暮らしています。弗于逮の人々は穀物や布、真珠を取引して生計を立てています。欝単曰の人々には、取引や商売はなく、自然に生活しています。 閻浮提の人々には婚姻があり、男は女を娶り、女は男に嫁ぎます。拘耶尼の人々、弗于逮の人々にも婚姻があり、男は女を娶り、女は男に嫁ぎます。欝単曰の人々には婚姻はなく、男女の嫁ぎ娶りはありません。龍や金翅鳥、阿須倫にも婚姻があり、男女の嫁ぎ娶りがあります。四天王や忉利天から他化自在天に至るまでにも婚姻があり、男は女を娶り、女は男に嫁ぎます。それより上の天界には、もはや男女の区別はありません。 閻浮提の人々は男女が交わり、身体と身体が触れ合って陰陽を成します。拘耶尼、弗于逮、欝単曰の人々も、身体と身体が触れ合って陰陽を成します。龍や金翅鳥も、身体と身体が触れ合って陰陽を成します。阿須倫は身体と身体が近づき、気によって陰陽を成します。四天王や忉利天も同様です。焰摩天は近づくだけで陰陽を成します。兜率天は手を握ることで陰陽を成します。化自在天はじっと見つめることで陰陽を成します。他化自在天は一瞬見るだけで陰陽を成します。それより上の天界には、もはや淫欲はありません。

「若有眾生身行惡，口言惡，意念惡，身壞命終，此後識滅，泥梨初識生，因識有名色，因名色有六入。或有眾生身行惡，口言惡，意念惡，身壞命終，墮畜生中，此後識滅，畜生初識生，因識有名色，因名色有六入。或有眾生身行惡，口言惡，意念惡，身壞命終，墮餓鬼中，此後識滅，餓鬼初識生，因識有名色，因名色有六入。或有眾生身行善，口言善，意念善，身壞命終，得生人中，此後識滅，人中初識生，因識有名色，因名色有六入。

> もし衆生が身で悪を行い、口で悪を語り、心で悪を思うならば、その身が滅び命が終わる時、この後の識は滅び、地獄における最初の識が生じます。識によって名色が生じ、名色によって六入が生じます。 あるいは、衆生が身で悪を行い、口で悪を語り、心で悪を思うならば、その身が滅び命が終わる時、畜生の世界に堕ちます。この後の識は滅び、畜生における最初の識が生じます。識によって名色が生じ、名色によって六入が生じます。 あるいは、衆生が身で悪を行い、口で悪を語り、心で悪を思うならば、その身が滅び命が終わる時、餓鬼の世界に堕ちます。この後の識は滅び、餓鬼における最初の識が生じます。識によって名色が生じ、名色によって六入が生じます。 あるいは、衆生が身で善を行い、口で善を語り、心で善を思うならば、その身が滅び命が終わる時、人間の世界に生まれます。この後の識は滅び、人間における最初の識が生じます。識によって名色が生じ、名色によって六入が生じます。

「或有眾生身行善，口言善，意念善，身壞命終，生四天王，此後識滅，四天王識初生，因識有名色，因名色有六入。彼天初生，如此人間一、二歲兒，自然化現，在天膝上坐，彼天即言：『此是我子。』由行報故，自然智生，即自念言：『我由何行，今生此間？』即復自念：『我昔於人間身行善，口言善，意念善，由此行故，今得生天。我設於此命終，復生人間者，當淨身、口、意，倍復精勤，修諸善行。』兒生未久便自覺飢，當其兒前有自然寶器，盛天百味自然淨食，若福多者飯色為白，其福中者飯色為青，其福下者飯色為赤。彼兒以手探飯著口中，食自然消化，如酥投火。彼兒食訖，方自覺渴，有自然寶器盛甘露漿，其福多者漿色為白，其福中者漿色為青，其福下者漿色為赤。其兒取彼漿飲，漿自消化，如酥投火。

> ある衆生は、身で善を行い、口で善を語り、心で善を思う。その身が滅び、寿命が尽きると、四天王天に生まれる。そのとき、以前の識が滅し、四天王天の識が初めて生じる。識によって名色があり、名色によって六入がある。その天人は、初めて生まれたとき、ちょうど人間界の一、二歳の子どものようである。自然に化現し、天人の膝の上に座る。その天人はすぐに言う。『これは我が子である』と。行いの報いによって、自然に智慧が生じ、自らこう思う。『私はどのような行いによって、今ここに生まれたのだろうか』と。そしてさらに自らこう思う。『私はかつて人間界において、身で善を行い、口で善を語り、心で善を思った。この行いによって、今、天に生まれることができた。もし私がここで命を終え、再び人間界に生まれるならば、身・口・意を清め、いっそう精進して、あらゆる善行を修めよう』と。子どもが生まれて間もなく、自然に飢えを覚える。その子どもの前には、自然に宝の器が現れ、天界の百味の自然な清浄な食べ物が盛られている。福が多い者は、飯の色が白く、福が中程度の者は、飯の色が青く、福が少ない者は、飯の色が赤い。その子どもは手で飯を取り、口に入れると、食べ物は自然に消化される。まるで酥（バター）が火に投げ入れられるかのようである。その子どもが食事を終えると、今度は自然に渇きを覚える。自然に宝の器が現れ、甘露の漿（飲み物）が盛られている。福が多い者は、漿の色が白く、福が中程度の者は、漿の色が青く、福が少ない者は、漿の色が赤い。その子どもがその漿を飲むと、漿は自然に消化される。まるで酥が火に投げ入れられるかのようである。

「彼兒飲食已訖，身體長大，與餘天等，即入浴池沐浴澡洗，以自娛樂。自娛樂已，還出浴池，詣香樹下，香樹曲躬，手取眾香，以自塗身。復詣劫貝衣樹，樹為曲躬，取種種衣，著其身上。復詣莊嚴樹，樹為曲躬，取種種莊嚴，以自嚴身。復詣鬘樹，樹為曲躬，取鬘貫首。復詣器樹，樹為曲躬，即取寶器。復詣果樹，樹為曲躬，取自然果，或食或含，或漉汁而飲。復詣樂器樹，樹為曲躬，取天樂器，以清妙聲和絃而歌，向諸園林。彼見無數天女鼓樂絃歌，語笑相向，其天遊觀，遂生染著，視東忘西，視西忘東，其初生時，知自念言：『我由何行，今得生此？』當其遊處觀時，盡忘此念。於是便有婇女侍從。

> その子は飲食を終えると、身体は大きく成長し、他の天人たちと同じようになりました。そして浴池に入り、沐浴して身を清め、楽しみました。楽しんだ後、浴池から出て、香樹の下へ行きました。香樹は身をかがめて、さまざまな香りを手に取り、自らの身に塗りました。次に劫貝衣樹の下へ行くと、樹は身をかがめて、さまざまな衣を取り、その身に着せました。さらに荘厳樹の下へ行くと、樹は身をかがめて、さまざまな装飾品を取り、自らの身を飾りました。また鬘樹の下へ行くと、樹は身をかがめて、鬘を取り、首にかけました。次に器樹の下へ行くと、樹は身をかがめて、宝の器を取りました。さらに果樹の下へ行くと、樹は身をかがめて、自然の果実を取り、食べたり口に含んだり、汁を搾って飲んだりしました。そして楽器樹の下へ行くと、樹は身をかがめて、天の楽器を取り、清らかで妙なる音色で調べを合わせて歌い、園林の方へ向かいました。彼は無数の天女たちが楽器を奏で、歌い、語らい笑い合っているのを見て、その天の遊びと眺めに心を奪われ、東を見れば西を忘れ、西を見れば東を忘れるほどになりました。初めて生まれた時には、自ら「私はどのような行いによって、ここに生まれたのだろうか」と思いめぐらしていましたが、遊び歩き眺めているうちに、その思いはすっかり忘れてしまいました。こうして、彼には侍女たちが付き従うようになったのです。

「若有眾生身行善，口言善，意念善，身壞命終，生忉利天，此後識滅，彼初識生，因識有名色，因名色有六入。彼天初生，如閻浮提二、三歲兒，自然化現，在天膝上，彼天即言：『此是我男，此是我女。』亦復如是。或有眾生身、口、意善，身壞命終，生㷔摩天，其天初生，如閻浮提三、四歲兒。或有眾生身、口、意善，身壞命終，生兜率天，其天初生，如此世間四、五歲兒。或有眾生身、口、意善，身壞命終，生化自在天，其天初生，如此世間五、六歲兒。或有眾生身、口、意善，身壞命終，生他化自在天，其天初生，如此世間六、七歲兒，亦復如是。」

> もし衆生が、身で善を行い、口で善を語り、心で善を思うならば、その身が滅び命が終わるとき、忉利天に生まれます。この世での識が滅し、あの天での初めの識が生じます。識によって名色があり、名色によって六入があります。その天に初めて生まれた者は、閻浮提の二、三歳の子どものようで、自然と化現して、天の膝の上に現れます。その天人はすぐに言います：『これは我が息子、これは我が娘』と。これもまた同じです。 あるいは、衆生が身・口・意で善を行い、身が滅び命が終わるとき、㷔摩天に生まれます。その天に初めて生まれた者は、閻浮提の三、四歳の子どものようです。 あるいは、衆生が身・口・意で善を行い、身が滅び命が終わるとき、兜率天に生まれます。その天に初めて生まれた者は、この世の四、五歳の子どものようです。 あるいは、衆生が身・口・意で善を行い、身が滅び命が終わるとき、化自在天に生まれます。その天に初めて生まれた者は、この世の五、六歳の子どものようです。 あるいは、衆生が身・口・意で善を行い、身が滅び命が終わるとき、他化自在天に生まれます。その天に初めて生まれた者は、この世の六、七歳の子どものようであり、これもまた同じです。

佛告比丘：「半月三齋。云何為三？月八日齋、十四日齋、十五日齋，是為三齋。何故於月八日齋？常以月八日，四天王告使者言：『汝等案行世間，觀視萬民，知有孝順父母，敬順沙門、婆羅門，宗事長老，齋戒布施，濟諸窮乏者不？』爾時，使者聞王教已，遍案行天下，知有孝順父母，宗事沙門、婆羅門，恭順長老，持戒守齋，布施窮乏者，具觀察已，見諸世間不孝父母，不敬師長，不修齋戒，不濟窮乏者，還白王言：『天王！世間孝順父母，敬事師長，淨修齋戒，施諸窮乏者，甚少！甚少！』爾時，四天王聞已，愁憂不悅，答言：『咄此為哉！世人多惡，不孝父母，不事師長，不修齋戒，不施窮乏，減損諸天眾，增益阿須倫眾。』若使者見世間有孝順父母，敬事師長，勤修齋戒，布施貧乏者，則還白天王言：『世間有人孝順父母，敬事師長，勤修齋戒，施諸窮乏者。』四天王聞已，即大歡喜，唱言：『善哉！我聞善言，世間乃能有孝順父母，敬事師長，勤修齋戒，布施貧乏，增益諸天眾，減損阿須倫眾。』

> 仏陀は比丘たちに告げられました。「半月に三度の斎戒があります。三つとは何か。八日、十四日、十五日の斎戒です。これが三斎です。 なぜ八日に斎戒を行うのでしょうか。常に月の八日には、四天王が使者にこう告げられるからです。『お前たちは世間を巡り、人々を見てきなさい。父母に孝行し、沙門や婆羅門を敬い、長老を尊び、斎戒を守り布施を行い、貧しい者を助ける者がいるかどうか知りなさい。』 その時、使者は王の教えを聞くと、天下をくまなく巡り、父母に孝行し、沙門や婆羅門を尊び、長老に恭順し、戒律を守り斎戒を行い、貧しい者に布施をする者がいるかどうかを詳しく観察します。世の中に父母に孝行せず、師長を敬わず、斎戒を修めず、貧しい者を助けない者たちを見ると、王にこう報告します。『天王よ、世の中で父母に孝行し、師長を敬い、斎戒を清らかに修め、貧しい者に施しをする者は、非常に少ないです。』 その時、四天王はこれを聞くと、憂い悲しみ、こう答えます。『ああ、なんということか。世の人は悪しき行いが多く、父母に孝行せず、師長に仕えず、斎戒を修めず、貧しい者に施しをしない。これでは天衆は減り、阿須倫の衆は増えるばかりだ。』 もし使者が世の中に、父母に孝行し、師長を敬い、熱心に斎戒を修め、貧しい者に布施をする者を見つけたなら、王にこう報告します。『世の中には、父母に孝行し、師長を敬い、熱心に斎戒を修め、貧しい者に施しをする者がおります。』 四天王はこれを聞くと、大いに喜び、声をあげて言います。『善きかな！私は善き言葉を聞いた。世の中にも、父母に孝行し、師長を敬い、熱心に斎戒を修め、貧しい者に布施をする者がいて、天衆は増え、阿須倫の衆は減るのだ。』

「何故於十四日齋？十四日齋時，四天王告太子言：『汝當案行天下，觀察萬民，知有孝順父母，敬事師長，勤修齋戒，布施貧乏者不？』太子受王教已，即案行天下，觀察萬民，知有孝順父母，宗事師長，勤修齋戒，布施貧乏者，具觀察已，見諸世間有不孝順父母，不敬師長，不修齋戒，不施貧乏者，還白王言：『天王！世間孝順父母，敬順師長，淨修齋戒，濟諸貧乏者，甚少！甚少！』四天王聞已，愁憂不悅言：『咄此為哉！世人多惡，不孝父母，不事師長，不修齋戒，不濟窮乏，減損諸天眾，增益阿須倫眾。』太子若見世間有孝順父母，敬事師長，勤修齋戒，布施貧乏者，即還白王言：『天王！世間有人孝順父母，敬順師長，勤修齋戒，施諸貧乏者。』四天王聞已，即大歡喜，唱言：『善哉！我聞善言，世間能有孝事父母，宗敬師長，勤修齋戒，布施貧乏，增益諸天眾，減損阿須倫眾。』是故十四日齋。

> なぜ十四日に斎戒を行うのか。十四日に斎戒を行うとき、四天王は太子に告げて言う。『そなたは天下を巡り、万民を観察し、父母に孝順を尽くし、師長を敬い仕え、斎戒を勤め修め、貧しい者に施しを行う者がいるかどうかを知るがよい』と。 太子は王の教えを受け、ただちに天下を巡り、万民を観察した。父母に孝順を尽くし、師長を尊び仕え、斎戒を勤め修め、貧しい者に施しを行う者がいることを知った。すべてを観察し終えると、世の中には父母に孝順を尽くさず、師長を敬わず、斎戒を修めず、貧しい者に施しを行わない者たちがいるのを見た。そして王に戻り報告した。『天王よ、世の中で父母に孝順を尽くし、師長を敬い仕え、斎戒を清く修め、貧しい者を救う者は、とても少ないです。とても少ないのです』と。 四天王はこれを聞くと、憂い悲しみ、喜ばずに言った。『ああ、これはなんとしたことか。世の人々は悪しきことが多く、父母に孝順を尽くさず、師長に仕えず、斎戒を修めず、貧しき者を救わない。これでは諸天の衆が減り、阿須倫の衆が増えてしまう』と。 太子がもし世の中に、父母に孝順を尽くし、師長を敬い仕え、斎戒を勤め修め、貧しい者に施しを行う者を見たならば、ただちに王に戻り報告する。『天王よ、世の中には父母に孝順を尽くし、師長を敬い仕え、斎戒を勤め修め、貧しい者に施しを行う者がおります』と。 四天王はこれを聞くと、大いに喜び、声をあげて言う。『善きかな。私は善き言葉を聞いた。世の中に父母に孝行し、師長を尊び敬い、斎戒を勤め修め、貧しい者に施しを行う者がいるならば、諸天の衆が増え、阿須倫の衆が減るのだ』と。 これが十四日に斎戒を行う理由である。

「何故於十五日齋？十五日齋時，四天王躬身自下，案行天下，觀察萬民，世間寧有孝順父母，敬事師長，勤修齋戒，布施貧乏者不？見世間人多不孝父母，不事師長，不勤齋戒，不施貧乏。時，四天王詣善法殿，白帝釋言：『大王！當知世間眾生多不孝父母，不敬師長，不修齋戒，不施貧乏。』帝釋及忉利諸天聞已，愁憂不悅言：『咄此為哉！世人多惡，不孝父母，不敬師長，不修齋戒，不施窮乏，減損諸天眾，增益阿須倫眾。』四天王若見世間有孝順父母，敬事師長，勤修齋戒，布施貧乏者，還詣善法堂，白帝釋言：『世人有孝順父母，敬事師長，勤修齋戒，布施貧乏者。』帝釋及忉利諸天聞是語已，皆大歡喜，唱言：『善哉！世間乃有孝順父母，敬事師長，勤修齋戒，布施貧乏者，增益諸天眾，減損阿須倫眾。』是故十五日齋戒。是故有三齋。爾時，帝釋欲使諸天倍生歡喜，即說偈言：

> なぜ十五日に斎戒を行うのでしょうか。十五日の斎戒の時、四天王は自ら身をかがめて天下を巡り、世の中の人々を観察します。世の中に、父母に孝行し、師長を敬い、斎戒を熱心に修め、貧しい人々に施しをする者がいるかどうかを見るのです。もし世の中の多くの人が父母に孝行せず、師長を敬わず、斎戒を修めず、貧しい人々に施しをしないのを見ると、四天王は善法殿に行き、帝釈天にこう申し上げます。「大王、お知らせします。世の中の衆生は多くが父母に孝行せず、師長を敬わず、斎戒を修めず、貧しい人々に施しをしません。」 帝釈天と忉利天の諸天たちはこれを聞くと、憂い悲しみ、喜ばずにこう言います。「ああ、なんということか。世の人々は悪い行いが多く、父母に孝行せず、師長を敬わず、斎戒を修めず、貧しい人々に施しをしない。これでは諸天の衆が減り、阿修羅の衆が増えてしまう。」 一方、四天王が世の中に父母に孝行し、師長を敬い、斎戒を熱心に修め、貧しい人々に施しをする者を見ると、再び善法堂に行き、帝釈天にこう申し上げます。「世の中には父母に孝行し、師長を敬い、斎戒を熱心に修め、貧しい人々に施しをする者がおります。」 帝釈天と忉利天の諸天たちはこの言葉を聞くと、皆大いに喜び、声を上げて言います。「善きかな！ 世の中に父母に孝行し、師長を敬い、斎戒を熱心に修め、貧しい人々に施しをする者がいるとは。これでは諸天の衆が増え、阿修羅の衆が減るだろう。」 このような理由で、十五日に斎戒を行うのです。このような理由で、三つの斎日があるのです。その時、帝釈天は諸天たちの喜びをさらに増そうとして、次の偈を説きました。

「『常以月八日，十四十五日，受化修齋戒，其人與我同。』」

> 「常に月の八日、十四日、十五日に、 教化を受け、斎戒を修めれば、 その人は我と同じである。」

佛告比丘：「帝釋說此偈，非為善受，非為善說，我所不可。所以者何？彼天帝釋婬、怒、癡未盡，未脫生、老、病、死、憂、悲、苦惱。我說其人未離苦本。若我比丘漏盡阿羅漢，所作已辦，捨於重擔，自獲己利，盡諸有結，平等解脫。如此比丘應說此偈：

> 仏は比丘たちに告げられた。「帝釈天が説いたこの偈は、善く受け止めたものではなく、善く説いたものでもなく、私の認めるところではない。なぜかというと、あの天帝釈は、まだ貪りと怒りと愚かさが尽きておらず、生・老・病・死・憂い・悲しみ・苦悩から解脱していないからだ。私は、その者はまだ苦の根源から離れていないと言う。もし、漏れ尽きた阿羅漢である私の比丘が、なすべきことを成し遂げ、重荷を捨て、自らの利益を得、すべての有の結びつきを尽くし、平等に解脱したならば、そのような比丘こそがこの偈を説くべきである：

「『常以月八日，十四十五日，受化修齋戒，其人與我同。』」

> 「常に月の八日、十四日、十五日に、 教化を受け、斎戒を修めなさい。 その人は私と同じ境地に至るでしょう。」

佛告比丘：「彼比丘說此偈者，乃名善受，乃名善說，我所印可。所以者何？彼比丘婬、怒、癡盡已，脫生、老、病、死、憂、悲、苦惱，我說其人離於苦本。」

> 仏は比丘たちに告げられた：「その比丘がこの偈を説くとき、それは善く受け、善く説くと言え、私が認可するところである。なぜならば、その比丘は淫欲・怒り・愚痴を尽くし、生・老・病・死・憂い・悲しみ・苦悩から解脱したからである。私はその人が苦の根源から離れたと説く。」

佛告比丘：「一切人民所居舍宅，皆有鬼神，無有空者。一切街巷四衢道中，屠兒市肆及丘塚間，皆有鬼神，無有空者。凡諸鬼神皆隨所依，即以為名，依人名人，依村名村，依城名城，依國名國，依土名土，依山名山，依河名河。」

> 仏陀は比丘たちに告げられた： 「すべての人々が住む家屋には、鬼神が存在し、空いている所はない。 すべての路地や四つ辻、屠殺場や市場、そして墓場の間にも、鬼神がいて、空いている所はない。 あらゆる鬼神は、それぞれが依りつくものに従って名づけられる。 人に依れば人と名づけられ、村に依れば村と名づけられ、町に依れば町と名づけられ、 国に依れば国と名づけられ、土地に依れば土地と名づけられ、 山に依れば山と名づけられ、川に依れば川と名づけられる。」

佛告比丘：「一切樹木極小如車軸者，皆有鬼神依止，無有空者。一切男子、女人初始生時，皆有鬼神隨逐擁護；若其死時，彼守護鬼攝其精氣，其人則死。」

> 仏は比丘たちに告げられた：「一切の樹木は、たとえ車軸ほど小さなものであっても、鬼神が依りついている。空のものは一つもない。一切の男子・女子が生まれ出る時、初めから鬼神が付き従い守護している。もしその人が死ぬ時には、その守護の鬼がその精気を摂り去り、その人は死ぬのである。」

佛告比丘：「設有外道梵志問言：『諸賢！若一切男女初始生時，皆有鬼神隨逐守護；其欲死時，彼守護鬼神攝其精氣，其人則死者。今人何故有為鬼神所觸嬈者？有不為鬼神所觸嬈者？』設有此問，汝等應答彼言：『世人為非法行，邪見顛倒，作十惡業，如是人輩，若百若千，乃至有一神護耳。譬如群牛、群羊，若百若千，一人守牧，彼亦如是，為非法行，邪見顛倒，作十惡業，如是人輩，若百若千，乃有一神護耳。若有人修行善法，見正信行，具十善業，如是一人有百千神護。譬如國王、國王大臣、有百千人衛護一人。彼亦如是，修行善法，具十善業，如是一人有百千神護。以是緣故，世人有為鬼神所觸嬈者，有不為鬼神所觸嬈者。』」

> 仏が比丘たちに告げられた。「もし外道の修行者たちが尋ねてきたならば、『皆さん、もしすべての男女が生まれる時には、鬼神が付き従い守護している。そして死ぬ時には、その守護の鬼神がその人の精気を吸い取り、その人は死ぬのだというならば、なぜ世の中には鬼神に悩まされる人もいれば、悩まされない人もいるのでしょうか』と。もしこのような問いがあれば、あなたたちはこう答えるがよい。『世の人々が正しからぬ行いをし、誤った見解に陥り、十の悪しき行いをなすならば、そのような人々は、百人いても千人いても、せいぜい一人の神が守るだけです。ちょうど牛の群れや羊の群れが、百頭いても千頭いても、たった一人の牧者が見守るようなものです。それと同じで、正しからぬ行いをし、誤った見解に陥り、十の悪しき行いをなす人々は、百人いても千人いても、わずか一人の神が守るだけなのです。もし人が善い行いを修め、正しい見解と信心をもって行い、十の善き行いを備えているならば、そのような一人の人を百千の神々が守護します。ちょうど国王や大臣を、百千の人が一人を守り護るようなものです。それと同じで、善い行いを修め、十の善き行いを備えた一人の人を、百千の神々が守護するのです。このようなわけで、世の中には鬼神に悩まされる人もいれば、悩まされない人もいるのです』と。」

佛告比丘：「閻浮提人有三事勝拘耶尼人。何等為三？一者勇猛強記，能造業行。二者勇猛強記，勤修梵行。三者勇猛強記，佛出其土。以此三事勝拘耶尼。拘耶尼人有三事勝閻浮提。何等為三？一者多牛，二者多羊，三者多珠玉。以此三事勝閻浮提。閻浮提有三事勝弗于逮。何等為三？一者勇猛強記，能造業行。二者勇猛強記，能修梵行。三者勇猛強記，佛出其土。以此三事勝弗于逮。弗于逮有三事勝閻浮提，何等為三？一者其土極廣，二者其土極大，三者其土極妙。以此三事勝閻浮提。

> 仏は比丘たちに告げられた。 「閻浮提の人間には、拘耶尼の人々より優れた三つのことがある。どの三つかというと、一つは、勇猛で記憶力が強く、善悪の行いをよく為すこと。二つは、勇猛で記憶力が強く、清らかな行いに勤しむこと。三つは、勇猛で記憶力が強く、仏がその土地に出現されること。この三つのことで、拘耶尼より勝れている。 拘耶尼の人々には、閻浮提より優れた三つのことがある。どの三つかというと、一つは牛が多いこと、二つは羊が多いこと、三つは珠や玉が多いこと。この三つのことで、閻浮提より勝れている。 閻浮提には、弗于逮より優れた三つのことがある。どの三つかというと、一つは、勇猛で記憶力が強く、善悪の行いをよく為すこと。二つは、勇猛で記憶力が強く、清らかな行いを修めること。三つは、勇猛で記憶力が強く、仏がその土地に出現されること。この三つのことで、弗于逮より勝れている。 弗于逮には、閻浮提より優れた三つのことがある。どの三つかというと、一つはその土地が非常に広大であること、二つはその土地が非常に大きいこと、三つはその土地が非常に素晴らしいこと。この三つのことで、閻浮提より勝れている。」

「閻浮提有三事勝欝單曰。何等為三？一者勇猛強記，能造業行。二者勇猛強記，能修梵行。三者勇猛強記，佛出其土。以此三事勝欝單曰。欝單曰復有三事勝閻浮提。何等為三？一者無所繫屬，二者無有我，三者壽定千歲。以此三事勝閻浮提。閻浮提人亦以上三事勝餓鬼趣。餓鬼趣有三事勝閻浮提。何等為三？一者長壽，二者身大，三者他作自受。以此三事勝閻浮提。閻浮提人亦以上三事勝龍、金翅鳥。龍、金翅鳥復有三事勝閻浮提。何等為三？一者長壽，二者身大，三者宮殿。以此三事勝閻浮提。

> 閻浮提（この世界）には、欝単曰（北の理想郷）に勝る三つのことがあります。それは何かというと、 一、勇猛で記憶力が強く、業（行い）を造ることができる。 二、勇猛で記憶力が強く、清らかな行いを修めることができる。 三、勇猛で記憶力が強く、仏がその土地に出現する。 この三つのことで、欝単曰に勝っているのです。 一方、欝単曰には閻浮提に勝る三つのことがあります。それは何かというと、 一、何にも縛られず、従属することがない。 二、「我」という執着がない。 三、寿命が千歳と定まっている。 この三つのことで、閻浮提に勝っているのです。 また、閻浮提の人々は、先の三つのことで餓鬼道に勝っています。 しかし、餓鬼道には閻浮提に勝る三つのことがあります。それは何かというと、 一、寿命が長い。 二、身体が大きい。 三、他人が造った業を、自らが受ける（報いを受ける）。 この三つのことで、閻浮提に勝っているのです。 閻浮提の人々は、先の三つのことで、龍や金翅鳥にも勝っています。 しかし、龍や金翅鳥には閻浮提に勝る三つのことがあります。それは何かというと、 一、寿命が長い。 二、身体が大きい。 三、宮殿がある。 この三つのことで、閻浮提に勝っているのです。

「閻浮提以上三事勝阿須倫。阿須倫復有三事勝閻浮提。何等為三？一者宮殿高廣，二者宮殿莊嚴，三者宮殿清淨。以此三事勝閻浮提。閻浮提人以此三事勝四天王。四天王復有三事勝閻浮提。何等為三？一者長壽，二者端正，三者多樂。以此三事勝閻浮提。閻浮提人亦以上三事勝忉利天、焰摩天、兜率天、化自在天、他化自在天。此諸天復有三事勝閻浮提。何等為三？一者長壽，二者端正，三者多樂。」

> 閻浮提（人間界）は、三つの点で阿修羅よりも優れています。しかし、阿修羅もまた三つの点で閻浮提に勝っています。その三つとは何でしょうか。一つは宮殿が高く広大なこと、二つ目は宮殿が荘厳であること、三つ目は宮殿が清浄であることです。この三つの点で、閻浮提より優れています。 閻浮提の人間は、先の三つの点で四天王に勝っています。しかし、四天王もまた三つの点で閻浮提より優れています。その三つとは何でしょうか。一つは寿命が長いこと、二つ目は容姿が端正であること、三つ目は楽しみが多いことです。この三つの点で、閻浮提より勝っているのです。 閻浮提の人間は、やはり先の三つの点で、忉利天・焔摩天・兜率天・化自在天・他化自在天に勝っています。しかし、これらの天界の者たちもまた、三つの点で閻浮提より優れています。その三つとは何でしょうか。一つは寿命が長いこと、二つ目は容姿が端正であること、三つ目は楽しみが多いことです。

佛告比丘：「欲界眾生有十二種。何等為十二？一者地獄，二者畜生，三者餓鬼，四者人，五者阿須倫，六者四天王，七者忉利天，八者焰摩天，九者兜率天，十者化自在天，十一者他化自在天，十二者魔天。色界眾生有二十二種：一者梵身天，二者梵輔天，三者梵眾天，四者大梵天，五者光天，六者少光天，七者無量光天，八者光音天，九者淨天，十者少淨天，十一者無量淨天，十二者遍淨天，十三者嚴飾天，十四者小嚴飾天，十五者無量嚴飾天，十六者嚴飾果實天，十七者無想天，十八者無造天，十九者無熱天，二十者善見天，二十一者大善見天，二十二者阿迦尼吒天。無色界眾生有四種。何等為四？一者空智天，二者識智天，三者無所有智天，四者有想無想智天。」

> お釈迦さまは比丘たちにこうおっしゃいました。 「欲望の世界（欲界）に住む衆生には十二の種類があります。どのような十二かというと、 第一に地獄、 第二に畜生、 第三に餓鬼、 第四に人間、 第五に阿修羅、 第六に四天王天、 第七に忉利天、 第八に夜摩天、 第九に兜率天、 第十に化楽天、 第十一に他化自在天、 第十二に魔天です。 物質の世界（色界）に住む衆生には二十二の種類があります。 第一に梵身天、 第二に梵輔天、 第三に梵衆天、 第四に大梵天、 第五に光天、 第六に少光天、 第七に無量光天、 第八に光音天、 第九に浄天、 第十に少浄天、 第十一に無量浄天、 第十二に遍浄天、 第十三に厳飾天、 第十四に小厳飾天、 第十五に無量厳飾天、 第十六に厳飾果実天、 第十七に無想天、 第十八に無造天、 第十九に無熱天、 第二十に善見天、 第二十一に大善見天、 第二十二に色究竟天です。 物質を離れた世界（無色界）に住む衆生には四つの種類があります。 どのような四つかというと、 第一に空無辺処天、 第二に識無辺処天、 第三に無所有処天、 第四に非想非非想処天です。」

佛告比丘：「有四大天神。何等為四？一者地神，二者水神，三者風神，四者火神。昔者，地神生惡見言：『地中無水、火、風。』時，我知此地神所念，即往語言：『汝當生念言：「地中無水、火、風。」耶？』地神報言：『地中實無水、火、風也。』我時語言：『汝勿生此念，謂地中無水、火、風。所以者何？地中有水、火、風，但地大多故，地大得名。』」

> お釈迦さまは比丘たちにおっしゃいました。「四つの大きな天神がいる。それは何か。一つは地の神、二つは水の神、三つは風の神、四つは火の神である。昔、地の神が悪い考えを抱いた。『地の中には水も火も風もない』と。その時、私はこの地の神の心を知り、すぐに彼のもとへ行って言った。『あなたは、地の中には水も火も風もないと、そう思っているのか？』地の神は答えた。『地の中には確かに水も火も風もありません』と。私はその時、こう言った。『そのような考えを抱いてはならない。地の中には水も火も風もないなどと思ってはならない。なぜなら、地の中には水も火も風もあるのだから。ただ、地の要素が特に多いために、地の要素の名で呼ばれているだけなのだ』と。」

佛告比丘：「我時為彼地神次第說法，除其惡見，示教利喜，施論、戒論、生天之論，欲為不淨，上漏為患，出要為上；敷演開示，清淨梵行。我時知其心淨，柔軟歡喜，無有陰蓋，易可開化，如諸佛常法，說苦聖諦、苦集諦、苦滅諦、苦出要諦，演布開示。爾時，地神即於座上遠塵離垢，得法眼淨。譬如淨潔白衣，易為受色。彼亦如是，信心清淨，遂得法眼，無有狐疑，見法決定，不墮惡趣，不向餘道，成就無畏，而白我言：『我今歸依佛，歸依法，歸依僧，盡形壽不殺、不盜、不婬、不欺、不飲酒，聽我於正法中為優婆夷。』」

> 仏は比丘たちに告げられた。「その時、私はその地の神に順を追って法を説き、彼の悪しき見解を取り除き、教えを示して利益と喜びを与えました。布施の論、戒めの論、天に生まれるための論を説き、欲望は清らかでなく、煩悩は苦しみの原因であり、解脱こそが最上の道であると示しました。清らかな梵行について詳しく解き明かしたのです。 その時、私は彼の心が清らかで、柔軟であり、喜びに満ち、覆い隠すものがなく、導きやすいことを知りました。諸仏の常法に従い、苦の聖なる真理、苦が集まる真理、苦が滅する真理、苦から脱する道の真理を説き明かしました。すると、地の神はその座の上で塵や垢から遠ざかり、法の眼を清らかに得たのです。まるで清潔な白い衣が、容易に色を受け入れるかのように。彼もまた同様に、信心が清らかとなり、たちまち法の眼を得て、疑いもなく、法を確かに見きわめ、悪しき世界に堕ちることなく、他の道へ向かうこともなく、恐れなき境地を成就しました。そして私にこう申し上げたのです。『私は今、仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依します。生涯を通じて殺さず、盗まず、淫らな行いをせず、欺かず、酒を飲みません。どうか正しい法のうちで、優婆夷（在家の女性信者）としてあることをお許しください。』」

佛告比丘：「昔者，水神生惡見言：『水中無地、火、風。』時，地神知彼水神心生此見，往語水神言：『汝實起此見，言：「水中無地、火、風。」耶？』答曰：『實爾。』地神語言：『汝勿起此見，謂水中無地、火、風。所以者何？水中有地、火、風，但水大多故，水大得名。』時，地神即為說法，除其惡見，示教利喜，施論、戒論、生天之論，欲為不淨，上漏為患，出要為上；敷演開示，清淨梵行。時，地神知彼水神其心柔軟，歡喜信解，淨無陰蓋，易可開化，如諸佛常法，說苦聖諦、苦集諦、苦滅諦、苦出要諦，演布開示。時，彼水神即遠塵離垢，得法眼淨。猶如淨潔白衣，易為受色。彼亦如是，信心清淨，得法眼淨，無有狐疑，決定得果，不墮惡趣，不向餘道，成就無畏，白地神言：『我今歸依佛，歸依法，歸依僧，盡形壽不殺、不盜、不婬、不欺、不飲酒，聽我於正法中為優婆夷。』」

> 仏は比丘たちに告げられた。「昔、水の神が悪しき見解を抱き、『水の中には地・火・風は存在しない』と言った。その時、地の神はその水の神がそのような心を起こしたことを知り、水の神のもとに行って言った。『あなたは本当にそのような見解を起こし、「水の中には地・火・風はない」と言ったのですか？』水の神は答えた。『本当にそう言いました。』地の神は言った。『そのような見解を起こしてはなりません。水の中に地・火・風がないなどと思ってはならないのです。なぜなら、水の中にも地・火・風は存在します。ただ、水の要素が特に多いために、水大という名で呼ばれているだけなのです。』 その時、地の神は彼のために説法し、その悪しき見解を取り除き、教えを示して利益と喜びを与え、布施の論、戒めの論、生天の論を説き、欲は清らかでないこと、煩悩は災いであること、解脱こそが最上のものであることを示した。そして、清らかな梵行を詳しく開き示した。地の神は、その水の神の心が柔らかくなり、喜びと信解に満ち、覆いとなる煩悩もなく、導きやすくなったのを知った。諸仏の常法に従い、苦の聖諦、苦の集諦、苦の滅諦、苦を出離する道諦を説き明かし開示した。 その時、その水の神はたちまちに塵垢を離れ、法眼を得て清浄となった。それは、清潔な白い布が容易に色を受けるようなものであった。彼もまた同じように、信心が清らかになり、法眼を得て清浄となった。疑いもなく、決定して悟りの果を得、悪趣に堕ちることなく、他の道に向かうこともなく、恐れなき境地を成就した。そして地の神に言った。『私は今、仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依します。生涯、殺さず、盗まず、淫らな行いをせず、欺かず、酒を飲みません。どうか、正法の中で私を優婆夷として受け入れてください。』」

佛告比丘：「昔者，火神生惡見言：『火中無地、水、風。』時，地神、水神知彼火神心生此見，共語火神言：『汝實起此見耶？』答曰：『實爾。』二神語言：『汝勿起此見。所以者何？火中有地、水、風，但火大多故，火大得名耳。』時，二神即為說法，除其惡見，示教利喜，施論、戒論、生天之論，欲為不淨，上漏為患，出要為上；敷演開示，清淨梵行。二神知彼火神其心柔軟，歡喜信解，淨無陰蓋，易可開化，如諸佛常法，說苦聖諦、苦集諦、苦滅諦、苦出要諦，演布開示。時，彼火神即遠塵離垢，得法眼淨。猶如淨潔白衣，易為受色。彼亦如是，信心清淨，遂得法眼，無有狐疑，決定得果，不墮惡趣，不向餘道，成就無畏，白二神言：『我今歸依佛、法、聖眾，盡形壽不殺、不盜、不婬、不欺、不飲酒，聽我於正法中為優婆夷。』」

> 仏は比丘たちに告げられた。「昔、火の神が誤った見解を抱き、『火の中には地・水・風は存在しない』と言った。その時、地の神と水の神は、火の神がそのような考えを持っていることを知り、共に火の神に尋ねた。『あなたは本当にそのような見解を抱いているのですか』と。火の神は『その通りです』と答えた。二神は言った。『そのような考えを抱かないでください。なぜなら、火の中にも地・水・風は存在するのです。ただ、火の要素が強いために、火の名で呼ばれているだけなのですから』と。 その時、二神は火の神のために説法を行い、誤った見解を取り除き、教えを示して喜びを与え、布施の論、戒めの論、天に生まれるための論を説いた。欲望は清らかでなく、煩悩は災いであり、解脱こそが最上のものであると。清らかな梵行について詳しく説き明かしたのである。 二神は、火の神の心が柔らかくなり、喜びと理解に満ち、清らかで覆いがなく、導きやすい状態になったことを知った。諸仏の常法に従い、苦の聖なる真理、苦の集まりの真理、苦の滅びの真理、苦からの解脱の真理を説き明かした。その時、火の神は塵を離れ、垢を離れ、法の眼を清らかに得た。それはあたかも清潔な白い衣が、容易に色を受け入れるかのようであった。彼もまた同じように、信心が清らかになり、法の眼を得て、疑いもなく、確実に悟りの果実を得、悪しき世界に堕ちることなく、他の道へ迷うこともなく、畏れのない境地を成就した。 そして二神に向かって言った。『私は今、仏と法と聖なる僧に帰依します。生涯を通じて、殺さず、盗まず、淫らな行いをせず、欺かず、酒を飲みません。どうか正しい法の中で、優婆夷として受け入れてください』と。」

佛告比丘：「昔者，風神生惡見言：『風中無地、水、火。』地、水、火神知彼風神生此惡見，往語之言：『汝實起此見耶？』答曰：『實爾。』三神語言：『汝勿起此見。所以者何？風中有地、水、火，但風大多故，風大得名耳。』時，三神即為說法，除其惡見，示教利喜，施論、戒論、生天之論，欲為不淨，上漏為患，出要為上；敷演開示，清淨梵行。三神知彼風神其心柔軟，歡喜信解，淨無陰蓋，易可開化，如諸佛常法，說苦聖諦、苦集、苦滅、苦出要諦，演布開示。時，彼風神即遠塵離垢，得法眼淨。譬如淨潔白衣，易為受色。彼亦如是，信心清淨，逮得法眼，無有狐疑，決定得果，不墮惡趣，不向餘道，成就無畏，白三神言：『我今歸依佛、法、聖眾，盡形壽不殺、不盜、不婬、不欺、不飲酒，願聽我於正法中為優婆夷，慈心一切，不嬈眾生。』」

> 仏は比丘たちに告げられた。「昔、風神が邪な見解を抱き、『風の中には地・水・火は存在しない』と言いました。地神・水神・火神は、風神がそのような邪見を抱いていることを知り、彼のもとを訪れて言いました。『あなたは本当にそのような見解を抱いているのですか』と。風神は『その通りです』と答えました。三神は言いました。『そのような見解を抱いてはいけません。なぜなら、風の中にも地・水・火は存在するからです。ただ、風の要素が特に強いために、風大という名で呼ばれているだけなのです』と。その時、三神は風神のために説法し、彼の邪見を取り除き、教えを示して利益と喜びを与えました。布施の論、戒めの論、天に生まれるための論を説き、欲望は清らかでなく、煩悩は苦しみの原因であり、解脱こそが最上のものであると示しました。清らかな梵行について詳しく開示したのです。三神は、風神の心が柔軟になり、喜んで理解し、清らかで覆いのない状態であることを知り、彼が教化しやすいことを悟りました。そこで、諸仏の常法に従い、苦の聖なる真理、苦の生起の真理、苦の滅尽の真理、苦からの解脱の道の真理を説き明かし、開示したのです。その時、風神は塵垢を離れ、法の眼を得て清らかになりました。それはちょうど、清潔な白い衣が容易に色を受け入れるようなものです。彼もまた同じように、信心が清らかになり、法眼を得て、疑いがなくなり、確実に悟りの果を得、悪しき世界に堕ちることなく、他の道へ向かうこともなく、恐れのない境地を成就しました。そして風神は三神に向かって言いました。『私は今、仏・法・聖なる僧伽に帰依します。生涯を通じて殺生せず、盗みをせず、邪淫をせず、嘘をつかず、酒を飲みません。どうか私を正法の中で優婆夷（在家の女性信者）として受け入れてください。私は一切の衆生に対して慈しみの心を持ち、衆生を煩わせることはありません』と。」

佛告比丘：「雲有四種。云何為四？一者白色，二者黑色，三者赤色。四者紅色。其白色者地大偏多，其黑色者水大偏多，其赤色者火大偏多，其紅色者風大偏多。其雲去地或十里、二十里、三十里，至四十四千里，除劫初後時雲上至光音天。電有四種。云何為四？東方電名身光，南方電名難毀，西方電名流炎，北方電名定明。以何緣故，虛空雲中有此電光？有時身光與難毀相觸，有時身光與流炎相觸，有時身光與定明相觸，有時難毀與流炎相觸，有時難毀與定明相觸，有時流炎與定明相觸。以是緣故，虛空雲中有電光起。復有何緣，虛空雲有雷聲起？虛空中有時地大與水大相觸，有時地大與火大相觸，有時地大與風大相觸，有時水大與火大相觸，有時水大與風大相觸。以是緣故，虛空雲中有雷聲起。

> 仏陀は比丘たちに告げられた。「雲には四種類がある。どのような四種類か。一つは白い雲、二つは黒い雲、三つは赤い雲、四つは紅い雲である。白い雲は地の要素が多く、黒い雲は水の要素が多く、赤い雲は火の要素が多く、紅い雲は風の要素が多い。雲は地面から十里、二十里、三十里、あるいは四十四千里の高さにあり、ただし天地開闢の直後と終末の時には、雲は光音天にまで達する。 稲妻にも四種類がある。どのような四種類か。東方の稲妻は身光と名付けられ、南方の稲妻は難毀と名付けられ、西方の稲妻は流炎と名付けられ、北方の稲妻は定明と名付けられる。どうして虚空の雲の中にこの稲妻の光が起こるのか。時には身光が難毀と触れ合い、時には身光が流炎と触れ合い、時には身光が定明と触れ合う。また時には難毀が流炎と触れ合い、時には難毀が定明と触れ合い、時には流炎が定明と触れ合う。このような縁によって、虚空の雲の中に稲妻の光が起こるのである。 さらに、どうして虚空の雲に雷鳴が起こるのか。虚空の中では、時には地の要素が水の要素と触れ合い、時には地の要素が火の要素と触れ合い、時には地の要素が風の要素と触れ合う。また時には水の要素が火の要素と触れ合い、時には水の要素が風の要素と触れ合う。このような縁によって、虚空の雲の中に雷鳴が起こるのである。」

「相師占雨有五因緣不可定知，使占者迷惑。云何為五？一者雲有雷電，占謂當雨，以火大多故，燒雲不雨，是為占師初迷惑緣。二者雲有雷電，占謂當雨，有大風起，吹雲四散，入諸山間，以此緣故，相師迷惑。三者雲有雷電，占謂當雨，時，大阿須倫接攬浮雲，置大海中，以此因緣，相師迷惑。四者雲有雷電，占謂當雨，而雲師、雨師放逸婬亂，竟不降雨，以此因緣，相師迷惑。五者雲有雷電，占謂當雨，而世間眾庶非法放逸，行不淨行，慳貪嫉妬，所見顛倒，故使天不降雨，以此因緣，相師迷惑。是為五因緣，相師占雨不可定知。」

> 占い師が雨を占うには、五つの因縁があり、確実に知ることはできず、占う者を迷わせます。どのような五つか。 一つには、雲に雷電があれば、雨が降ると占いますが、火の力が強すぎるため、雲を焼き尽くして雨が降らず、これが占い師の最初の迷いの縁です。 二つには、雲に雷電があれば、雨が降ると占いますが、大風が起こり、雲を四方に吹き散らし、山々の間に消えてしまうため、この縁によって占い師は迷います。 三つには、雲に雷電があれば、雨が降ると占いますが、その時、大阿須倫（アスラ）が浮かぶ雲を掴み取り、大海の中に置いてしまうため、この因縁によって占い師は迷います。 四つには、雲に雷電があれば、雨が降ると占いますが、雲の神や雨の神が放逸にふけり、乱れているため、結局雨を降らせず、この因縁によって占い師は迷います。 五つには、雲に雷電があれば、雨が降ると占いますが、世間の人々が法に背き放逸にふけり、清らかでない行いをし、物惜しみや嫉妬に囚われ、見方が逆さまになっているため、天が雨を降らせず、この因縁によって占い師は迷います。 これが五つの因縁であり、占い師が雨を占っても確実に知ることはできないのです。

## 佛說長阿含經卷第二十

> 仏説長阿含経　第二十巻