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title: "長阿含經 · 11 三中劫品"
description: "長阿含經是佛教原始經典四阿含之一，由後秦時期譯師佛陀耶舍與竺佛念共同譯出。該經成書於公元前1世紀左右，屬早期佛教根本聖典，記載了佛陀與弟子們的言行教法。全經共30卷，分為四分，主要內容包括佛陀生平、教義闡述、修行方法及宇宙觀等，系統性保存了原始佛教的基本教理。作為漢傳佛教重要典籍，長阿含經被視為研究原始佛教思想的核心文獻，在佛教經典體系中具有不可替代的權威地位，對後世佛教發展影響深遠。"
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## 佛說長阿含經卷第二十二

> 仏説長阿含経 第二十二巻

後秦弘始年佛陀耶舍共竺佛念譯

> 後秦弘始年間、仏陀耶舎と竺仏念による共訳

### 第四分世記經三中劫品第十一

> 第四分　世記経　三中劫品　第十一

佛告比丘：「有三中劫。何等為三？一名刀兵劫，二名穀貴劫，三名疾疫劫。云何為刀兵劫？此世間人本壽四萬歲，其後稍減壽二萬歲，其後復減壽萬歲，轉壽千歲，轉壽五百歲，轉壽三百歲、二百歲，如今人壽於百歲少出多減；其後人壽稍減，當壽十歲，是時女人生五月行嫁。時，世間所有美味，酥油、蜜、石蜜、黑石蜜，諸有美味皆悉自然消滅，五穀不生，唯有稊稗。是時，有上服錦綾、繒絹、劫貝、芻摩皆無復有，唯有麤織草衣。爾時，此地純生荊棘、蚊虻、蜂蝎、蚖蛇、毒虫，金銀、琉璃、七寶珠玉自然沒地，唯有石沙穢惡充滿。是時，眾生但增十惡，不復聞有十善之名，乃無善名，況有行善者？爾時，人有不孝父母，不敬師長，能為惡者，則得供養，人所敬待，如今人孝順父母，敬事師長，能為善者，則得供養，人所敬待。彼人為惡，便得供養，亦復如是。時人命終墮畜生中，猶如今人得生天上。時，人相見懷毒害心，但欲相殺。猶如獵師見彼群鹿，但欲殺之，無一善念。其人如是，但欲相殺，無一善念。爾時，此地溝㵎、溪谷、山陵、塠阜，無一平地，時，人行來恐怖惶懼，衣毛為竪。

> 仏は比丘たちに告げられた。「三つの中劫がある。何が三つか。一つは刀兵劫、二つは穀貴劫、三つは疾疫劫である。刀兵劫とは何か。この世の人々の寿命は本来四万年であったが、次第に減じて二万年となり、さらに減じて一万年となり、千歳に転じ、五百歳に転じ、三百歳、二百歳と転じ、今の人のように百歳を寿命とし、多くはそれより短く、長生きする者は少ない。その後、人の寿命はさらに減じて、十歳となる。その時、女は生まれて五か月で嫁に行く。その時、世にあるすべての美味、酥油、蜜、石蜜、黒石蜜、諸々の美味はすべて自然に消え失せ、五穀は生ぜず、ただ稊稗（雑草の実）だけがある。その時、上等の衣服である錦綾、繒絹、劫貝、芻摩はすべて無くなり、ただ粗末な織物や草の衣だけがある。その時、この大地には純粋に荊棘、蚊虻、蜂蠍、蚖蛇、毒虫が生じ、金銀、瑠璃、七宝の珠玉は自然に地中に没し、ただ石や砂、穢れと悪が満ちている。その時、衆生はただ十悪を増し、もはや十善の名を聞くこともなく、善の名さえ無く、まして善を行う者があるだろうか。その時、人は父母に孝行せず、師長を敬わず、悪を行う者が供養され、人々から敬われ、もてなされる。今の人が父母に孝行し、師長を敬い、善を行う者が供養され、人々から敬われるように。彼らは悪を行うことで供養されるのである。その時、人の命が終わると畜生の世界に堕ちるが、それは今の人が天上に生まれるようなものである。その時、人は互いに会うと毒害の心を抱き、ただ殺し合おうとする。それはちょうど猟師が群れの鹿を見て、ただ殺そうとし、少しも善い心を持たないようなものである。その人々もまた、ただ殺し合おうとし、少しも善い心を持たない。その時、この大地には溝や谷、山や丘があり、平らな地は一つもない。その時、人々は行き来するにも恐怖に震え、身の毛が逆立つのである。」

「時，七日中有刀劍劫起，時，人手執草木、瓦石，皆變成刀劍，刀劍鋒利，所擬皆斷，展轉相害。其中有𭶑慧者見刀兵相害，恐怖逃避，入山林、坑㵎無人之處，七日藏避，心口自言：『我不害人，人勿害我。』其人於七日中，食草木根，以自存活，過七日已，還出山林。時，有一人得共相見，歡喜而言：『今見生人，今見生人。』猶如父母與一子別，久乃相見，歡喜踊躍，不能自勝。彼亦如是，歡喜踊躍，不能自勝。是時，人民於七日中，哭泣相向，復於七日中，共相娛樂，歡喜慶賀。時人身壞命終，皆墮地獄中。所以者何？斯由其人常懷瞋怒，害心相向，無慈仁故，是為刀兵劫。」

> その時、七日間に刀剣の劫が起こり、人々の手に取る草木や瓦石がすべて刀剣に変わりました。その刃は鋭く、向けられたものはすべて断ち切られ、互いに傷つけ合いました。その中にわずかな智慧ある者が刀剣による害を見て恐怖し、逃げて山林や谷間の人のいない所に入り、七日間隠れ避けました。心の中で口ずさみました：「私は人を害さない、人も私を害しないでくれ」と。その人は七日間、草木の根を食べて命をつなぎ、七日が過ぎてから山林から出てきました。その時、一人の人と出会い、喜んで言いました：「生きている人に会えた、生きている人に会えた」と。あたかも父母が一人の子と別れて久しぶりに再会し、喜び踊って自分を抑えきれないかのようでした。彼らもまた同じく、喜び踊って自分を抑えきれませんでした。その時、人々は七日間泣きながら向き合い、また七日間共に楽しみ、喜び祝いました。その時、人々の身体は壊れ命が終わり、すべて地獄に堕ちました。なぜでしょうか？それは彼らが常に怒りを抱き、害する心で向き合い、慈しみの心がなかったからです。これが刀兵劫です。

佛告比丘：「云何為飢餓劫？爾時，人民多行非法，邪見顛倒，為十惡業，以行惡故，天不降雨，百草枯死，五穀不成，但有莖稈。云何為飢餓？爾時，人民收掃田里、街巷、道陌、糞土遺穀，以自存活，是為飢餓。復次，飢餓時，其人於街巷、市里、屠殺之處及丘塚間，拾諸骸骨，煮汁飲之，以此自存，是為白骨飢餓。復次，飢餓劫時，所種五穀盡變成草木，時，人取華煮汁而飲。復次，飢餓時，草木華落，覆在土下，時，人掘地取華煮食，以是自存，是為草木飢餓。爾時，眾生身壞命終，墮餓鬼中。所以者何？斯由其人於飢餓劫中，常懷慳貪，無施惠心，不肯分割，不念厄人故也，是為飢餓劫。」

> お釈迦様は比丘たちに言われました。「飢饉の劫とはどのようなものか。その時、人々は多くの不法を行い、邪見に陥り、十の悪業をなす。悪行を重ねるゆえに、天は雨を降らせず、百草は枯れ死に、五穀は実らず、茎や稈だけが残る。飢餓とはどのようなものか。その時、人々は田畑や街路、道端の糞土の中に落ちたわずかな穀物をかき集めて命をつなぐ。これが飢餓である。 さらに、飢餓の時には、人々は街路や市場、屠殺場や墓場で拾った骨を煮てその汁を飲み、これによって生き延びる。これが白骨の飢餓である。 さらに、飢饉の劫の時には、植えた五穀はすべて草木に変わってしまう。人々はその花を摘んで煮汁を飲む。 さらに、飢餓の時には草木の花が散り、土の下に埋もれる。人々は地面を掘ってその花を煮て食べ、これによって命をつなぐ。これが草木の飢餓である。 その時、衆生は身を壊し命を終えて餓鬼の世界に堕ちる。なぜか。それは、飢饉の劫の中で、常に物惜しみの心を持ち、施し与える心がなく、分かち合おうとせず、困っている人を思いやらなかったからである。これが飢饉の劫である。」

佛告比丘：「云何為疾疫劫？爾時，世人修行正法，正見，不顛倒見，具十善行。他方世界有鬼神來，此間鬼神放逸婬亂，不能護人，他方鬼神侵嬈此世間人，撾打捶杖，接其精氣，使人心亂，驅逼將去。猶如國王勅諸將帥有所守護，餘方有賊寇來侵嬈，此放逸之人劫於村國。此亦如是，他方世界有鬼神來，取此間人，撾打捶杖，接其精氣，驅逼將去。」

> 仏は比丘たちに告げられた。「疾疫劫とは何か。その時、世の人々は正しい法を行じ、正しい見解を持ち、誤った見解を持たず、十の善い行いを備えていた。他方の世界から鬼神がやって来て、この世界の鬼神は放逸にふけり、乱れ、人々を護ることができず、他方の鬼神がこの世の人々を侵し悩ませ、打ち叩き、杖で打ち、その精気を奪い、人々の心を乱し、追い立てて連れ去る。ちょうど国王が諸将に命じて守護させているところに、他の方角から賊が来て侵し悩ませ、この放逸な者が村や国を奪うようなものである。これと同じく、他方の世界から鬼神がやって来て、この世界の人々を捕らえ、打ち叩き、杖で打ち、その精気を奪い、追い立てて連れ去るのである。」

佛告比丘：「正使此間鬼神不放逸婬亂，他方世界有大力鬼神來，此間鬼神畏怖避去，彼大鬼神侵嬈此人，撾打捶杖，接其精氣，殺之而去。譬如國王、若王大臣，遣諸將帥守衛人民，將帥清慎，無有放逸；他方有強猛將帥，人兵眾多來破村城，掠奪人物。彼亦如是，正使此間鬼神不敢放逸，他方世界有大力鬼神來，此間鬼神恐怖避去，彼大鬼神侵嬈此人，撾打捶杖，接其精氣，殺之而去。時，疾疫劫中人民身壞命終，皆生天上。所以者何？斯由時人慈心相向，展轉相問：『汝病差不？身安隱不？』以此因緣得生天上。是故名為疾疫劫。是為三中劫也。」

> 仏は比丘たちに告げられた。「たとえこの世界の鬼神が放逸せず、淫乱を慎んでいたとしても、他方の世界から強大な力を持つ鬼神がやって来れば、この世界の鬼神は畏れ恐れて逃げ去り、その大鬼神がこの人間を侵し悩ませ、打ち叩き、杖で責め、その精気を奪い取り、殺して去ってしまう。ちょうど国王や大臣が将帥を遣わして人民を守らせたとき、将帥が清廉で慎み深く、放逸することがなかったとしても、他方から強猛な将帥が大軍を率いて村や城を破り、財物を奪い取るようなものである。それと同じように、たとえこの世界の鬼神が放逸をしなかったとしても、他方の世界から強大な力を持つ鬼神が来れば、この世界の鬼神は恐怖して逃げ去り、その大鬼神がこの人間を侵し悩ませ、打ち叩き、杖で責め、その精気を奪い取り、殺して去ってしまうのだ。その時、疾疫の劫の中では、人々が身を壊し命を終えると、皆、天上に生まれる。なぜかというと、その時代の人々は慈しみの心をもって互いに向き合い、繰り返し『あなたの病気は良くなりましたか？ お体は安らかですか？』と尋ね合ったからである。この因縁によって、天上に生まれることができる。だから、これを疾疫の劫と呼ぶのである。これが三つの中劫の一つである。」