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title: "法句經 · 35 梵志品"
description: "法句经是佛教重要经典，由古印度高僧法救尊者编纂，三国时期维祇难等译师将其译为汉文。该经属于早期佛教典籍，收录了佛陀在不同场合宣说的偈颂，内容涵盖修行、道德、智慧等核心教义，以简洁诗偈形式阐述佛法真谛。作为佛教基础入门经典，法句经语言通俗易懂，在汉传佛教中具有广泛影响力，是了解原始佛教思想的重要文献。其短小精悍的偈颂便于记诵传播，对佛教伦理观念的形成与普及起到关键作用，至今仍被佛教徒奉为日常修持指南。"
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### 梵志品法句經第三十五有四十章

> 梵志品 法句経 第三十五章 四十章あり

梵志品者，言行清白，理學無穢，可稱道士。

> 清らかな行いと言葉を持ち、学びにけがれがなく、道の人と呼ばれるにふさわしい人。それが梵志である。

截流而渡， 無欲如梵， 知行已盡，是謂梵志； 以無二法， 清淨渡淵，諸欲結解， 是謂梵志； 適彼無彼，彼彼已空， 捨離貪婬， 是謂梵志；思惟無垢， 所行不漏， 上求不起，是謂梵志。 日照於晝、 月照於夜、甲兵照軍、 禪照道人； 佛出天下，照一切冥。

> 流れを断ち切って渡り、欲望のない者は梵（ブラフマン）のようです。明知と行いがすでに尽きた人、これを梵志（フンシ）といいます。二つならぬ法によって、清らかに淵を渡り、もろもろの欲望の結びが解けた人、これを梵志といいます。かのものにいて、かのものなし。かのものもまた空であり、貪りと淫を捨て離れた人、これを梵志といいます。汚れなく思いをめぐらし、その行いに漏れなく、もはや求める心の起こらぬ人、これを梵志といいます。日は昼を照らし、月は夜を照らし、鎧と兵は軍を照らし、禅は道の人を照らす。仏が世に出ることは、一切の闇を照らすのです。

非剃為沙門， 稱吉為梵志，謂能捨眾惡， 是則為道人；出惡為梵志， 入正為沙門，棄我眾穢行， 是則為捨家。

> 髪を剃ったからといって沙門なのではなく、 吉と名乗れば梵志なのではなく、 もろもろの悪を捨てることができるなら、それがすなわち道人です。 悪を出てゆくのが梵志であり、 正しき道に入るのが沙門であり、 自らに執着する汚れた行いを捨てるなら、それがすなわち家を捨てた者です。

若猗於愛， 心無所著， 已捨、已正，是滅眾苦。 身、口與意， 淨無過失，能捨三行， 是謂梵志。 若心曉了，佛所說法， 觀心自歸， 淨於為水。非蔟結髮， 名為梵志； 誠行法行，清白則賢。 飾髮無慧， 草衣何施？內不離著， 外捨何益？ 被服弊惡，躬承法行， 閑居思惟， 是謂梵志；佛不教彼， 讚己自稱， 如諦不妄，乃為梵志； 絕諸可欲， 不婬其志，委棄欲數， 是謂梵志； 斷生死河，能忍起度， 自覺出塹， 是謂梵志；見罵見擊， 默受不怒， 有忍辱力，是謂梵志； 若見侵欺， 但念守戒，端身自調， 是謂梵志； 心棄惡法，如蛇脫皮， 不為欲污， 是謂梵志；覺生為苦， 從是滅意， 能下重擔，是謂梵志； 解微妙慧， 辯道不道，體行上義， 是謂梵志； 棄捐家居，無家之畏， 少求寡欲， 是謂梵志；棄放活生， 無賊害心， 無所嬈惱，是謂梵志； 避爭不爭， 犯而不慍，惡來善待， 是謂梵志； 去婬怒癡，憍慢諸惡， 如蛇脫皮， 是謂梵志；斷絕世事， 口無麤言， 八道審諦，是謂梵志； 所世惡法， 修短巨細，無取、無捨， 是謂梵志； 今世行淨、後世無穢， 無習、無捨， 是謂梵志；棄身無猗， 不誦異行， 行甘露滅，是謂梵志； 於罪與福， 兩行永除，無憂、無塵， 是謂梵志； 心喜無垢，如月盛滿， 謗毀已除， 是謂梵志；見癡往來， 墮塹受苦， 欲單渡岸，不好他語， 唯滅不起， 是謂梵志；已斷恩愛， 離家無欲， 愛有已盡，是謂梵志； 離人聚處， 不墮天聚，諸聚不歸， 是謂梵志； 棄樂無樂，滅無熅燸， 健違諸世， 是謂梵志；所生已訖， 死無所趣， 覺安無依，是謂梵志； 已度五道， 莫知所墮，習盡無餘， 是謂梵志； 于前、于後，乃中無有， 無操、無捨， 是謂梵志；最雄、最勇， 能自解度， 覺意不動，是謂梵志； 自知宿命， 本所更來，得要生盡， 叡通道玄， 明如能默，是謂梵志。

> 愛に執着せず、心に何もとらわれず、 すでに捨て、すでに正しくある―― これがすべての苦を滅することです。 身と口と意が清らかで、過ちがなく、 三つの行いを捨てられる―― これを梵志といいます。 心がさとり、仏の説いた法を理解し、 自分の心を観て、自然に帰り、水のように清らかであること。 髻（もとどり）を結い、髪を編むことではない―― 誠実に法を行じる者こそ、清らかで賢いのです。 髪を飾っても智慧がなく、草の衣を着て何の役に立つでしょう。 内に執着を離れなければ、外で捨てて何の益があるでしょう。 粗末な衣をまとい、自ら法を行じ、 静かな場所で思いをめぐらす―― これを梵志といいます。 仏は、自らをほめて自慢する者を教えません。 真理のように偽りのない者こそ、梵志といいます。 すべての欲望を断ち、心をみだらにせず、 欲望の数々を捨て去る―― これを梵志といいます。 生死の流れを断ち、よく耐え忍んで渡りきり、 自ら覚って堀を出る―― これを梵志といいます。 罵られても打たれても、黙して受け、怒らず、 忍辱の力ある者―― これを梵志といいます。 侵され欺かれても、ただ戒を守ることを思い、 身を正しく整える―― これを梵志といいます。 心が悪い法を捨てるのは、蛇が皮を脱ぐように、 欲望にけがされない―― これを梵志といいます。 生まれることは苦であると覚り、それゆえに心を滅し、 重い荷を下ろすことができる―― これを梵志といいます。 微妙な智慧を理解し、道と道でないものを弁え、 すぐれた意義を行じる―― これを梵志といいます。 家を捨て、家のない恐れのなか、 求めることが少なく欲が薄い―― これを梵志といいます。 生き物を傷つけず、害する心がなく、 悩ませることがない―― これを梵志といいます。 争いを避けて争わず、犯されても怒らず、 悪には善をもって応える―― これを梵志といいます。 婬と怒りと愚かさ、高慢などの悪を去ることは、 蛇が皮を脱ぐように―― これを梵志といいます。 世間のことを断ち、口に粗い言葉がなく、 八つの道を正しく見きわめる―― これを梵志といいます。 世間の悪い法、長い短い、大きい小さい、 取ることも捨てることもない―― これを梵志といいます。 現世の行いが清らかで、後世にけがれがなく、 習うことも捨てることもない―― これを梵志といいます。 身を捨てて執着せず、異なる行いを唱えず、 甘露の滅を行じる―― これを梵志といいます。 罪と福の両方の行いを永久に除き、 憂いもなく、ちりもない―― これを梵志といいます。 心が喜びに満ち、けがれがなく、 月が満ちるように、そしりや中傷が除かれた―― これを梵志といいます。 愚かな者が行き来して、堀に落ちて苦しむのを見て、 一人で岸に渡ろうとし、他人の言葉を好まず、 ただ滅だけが起こらず、―― これを梵志といいます。 すでに恩愛を断ち、家を離れて欲がなく、 愛執がすでに尽きた―― これを梵志といいます。 人の集まる所を離れ、天の集まりにも落ちず、 もろもろの集まりに帰らない―― これを梵志といいます。 楽を捨て、楽しみもなく、滅して暖かさもなく、 よく世間に逆らい―― これを梵志といいます。 生まれることがすでに終わり、死して赴く所なく、 安らかでよりどころがないと覚る―― これを梵志といいます。 すでに五道を渡り、どこに落ちるかも知られず、 習いが尽きて余りがない―― これを梵志といいます。 前にも、後にも、中にも何もなく、 とらえることも捨てることもない―― これを梵志といいます。 最も雄々しく、最も勇敢で、自ら解脱でき、 覚りの心が動かない―― これを梵志といいます。 自ら過去の命を知り、もと歩んできた道を知り、 要を得て生が尽き、深い道に通じ、 明らかで、よく黙している―― これを梵志といいます。