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title: "大方廣佛華嚴經 · 24 兜率宮中偈讚品"
description: "大方廣佛華嚴經，又称华严经，由唐代实叉难陀翻译，是佛教重要经典之一。该经成书于印度，后传入中国，成为华严宗的根本经典。内容主要阐述佛陀证悟的无限境界，强调法界缘起、事事无碍的哲学思想，展现宇宙万物相互融通的华严世界观。经中通过善财童子五十三参的故事，揭示菩萨修行的次第与圆满境界。华严经在大乘佛教中地位崇高，被誉为经中之王，对汉传佛教思想影响深远，尤其为华严宗、禅宗等宗派所重视。其广博深奥的教义，成为研究佛教哲学与修行实践的重要依据。"
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## 大方廣佛華嚴經卷第二十三

> 大方広仏華厳経 第二十三巻

于闐國三藏實叉難陀奉　制譯

> 于闐国三蔵実叉難陀奉　制訳

### 兜率宮中偈讚品第二十四

> 第二十四章 兜率天宮の偈頌と賛嘆

爾時，佛神力故，十方各有一大菩薩，一一各與萬佛剎微塵數諸菩薩俱，從萬佛剎微塵數國土外諸世界中，來詣佛所。其名曰：金剛幢菩薩、堅固幢菩薩、勇猛幢菩薩、光明幢菩薩、智幢菩薩、寶幢菩薩、精進幢菩薩、離垢幢菩薩、星宿幢菩薩、法幢菩薩。所從來國，謂：妙寶世界、妙樂世界、妙銀世界、妙金世界、妙摩尼世界、妙金剛世界、妙波頭摩世界、妙優鉢羅世界、妙栴檀世界、妙香世界。各於佛所，淨修梵行，所謂：無盡幢佛、風幢佛、解脫幢佛、威儀幢佛、明相幢佛、常幢佛、最勝幢佛、自在幢佛、梵幢佛、觀察幢佛。其諸菩薩，至佛所已，頂禮佛足；以佛神力，即化作妙寶藏師子之座，寶網彌覆，周匝遍滿；諸菩薩眾，隨所來方，各於其上結跏趺坐。其身悉放百千億那由他阿僧祇清淨光明，此無量光皆從菩薩清淨心寶離眾過惡大願所起，顯示一切諸佛自在清淨之法；以諸菩薩平等願力，能普救護一切眾生，一切世間之所樂見，見者不虛，悉得調伏。其菩薩眾，悉已成就無量功德。所謂：遍遊一切諸佛國土，無所障礙，見無依止清淨法身；以智慧身，現無量身，遍往十方承事諸佛；入於諸佛無量無邊不可思議自在之法，住於無量一切智門，以智光明善了諸法；於諸法中得無所畏，隨所演說，窮未來際；辯才無盡，以大智慧開總持門，慧眼清淨入深法界，智慧境界無有邊際，究竟清淨猶若虛空。如此世界兜率天宮，諸菩薩眾如是來集；十方一切兜率天宮，悉有如是名號菩薩而來集會，所從來國、諸佛名號，亦皆同等，無有差別。

> その時、仏の神通力により、十方のそれぞれから一柱の大菩薩が現れました。彼らは各々、一万の仏国土の微塵の数ほどの菩薩たちを従え、一万の仏国土の微塵の数ほどの国々の彼方にある諸々の世界から、仏のもとへとやって来ました。その名は、金剛幢菩薩、堅固幢菩薩、勇猛幢菩薩、光明幢菩薩、智幢菩薩、宝幢菩薩、精進幢菩薩、離垢幢菩薩、星宿幢菩薩、法幢菩薩といいます。 彼らが来た国々は、妙宝世界、妙楽世界、妙銀世界、妙金世界、妙摩尼世界、妙金剛世界、妙波頭摩世界、妙優鉢羅世界、妙栴檀世界、妙香世界といいます。そして、それぞれが仏のもとで清らかな修行を積んでいました。その仏とは、無尽幢仏、風幢仏、解脱幢仏、威儀幢仏、明相幢仏、常幢仏、最勝幢仏、自在幢仏、梵幢仏、観察幢仏です。 これらの菩薩たちは、仏のもとに到着すると、仏の足に頭を付けて礼拝しました。そして、仏の神通力によって、たちまち美しい宝の蔵で作られた獅子の座を出現させました。その座は宝の網で覆われ、周囲をくまなく満たしていました。諸々の菩薩たちは、それぞれが来た方角に従って、この座の上に結跏趺坐しました。彼らの身体からは、百千億那由他阿僧祇もの清らかな光明が放たれていました。この無量の光はすべて、菩薩たちの清らかな心の宝、すなわち、あらゆる過ちや悪を離れた大いなる願いから生じたものであり、全ての仏が自在に示す清らかな法を明らかにするものでした。また、菩薩たちの平等な願いの力によって、全ての衆生を普遍的に救い護り、世の中のすべての人々から喜んで見られる存在であり、彼らを見た人は無駄になることがなく、皆、心が調えられました。 これらの菩薩たちは、すでに無量の功徳を成就していました。すなわち、全ての仏の国土を自由に巡り、何の障りもなく、よりどころのない清らかな法の身体を見ることができました。智慧の身をもって、無量の身を現し、十方に遍く往って諸仏に仕えました。諸仏の無量無辺で不可思議な自在の法に入り、無量の一切智の門に留まり、智慧の光明によって全ての法をよく理解しました。諸々の法において何の恐れもなく、説くところに従って未来際までも尽きることなく、弁才に限りがありません。大いなる智慧によって総持の門を開き、智慧の眼は清らかで深い法の世界に入り、智慧の境界は辺際がなく、究竟して清らかで、あたかも虚空のようでした。 この世界の兜率天宮において、これらの菩薩たちがこのように集まったように、十方のすべての兜率天宮においても、同じ名を持つ菩薩たちがこのように集まりました。彼らの来た国々や諸仏の名号も、全て同じで、何の違いもありませんでした。

爾時，世尊從兩膝輪，放百千億那由他光明，普照十方盡法界、虛空界、一切世界。彼諸菩薩，皆見於此佛神變相；此諸菩薩，亦見於彼一切如來神變之相。如是菩薩皆與毘盧遮那如來，於往昔時，同種善根，修菩薩行；悉已悟入諸佛自在甚深解脫，得無差別法界之身，入一切土而無所住；見無量佛，悉往承事；於一念中，周行法界，自在無礙；心意清淨，如無價寶；無量無數諸佛如來，常加護念，共與其力，到於究竟第一彼岸；恒以淨念住無上覺，念念恒入一切智處；以小入大，以大入小，皆得自在，通達無礙；已得佛身，與佛同住；獲一切智，從一切智而生其身；一切如來所行之處，悉能隨入；開闡無量智慧法門，到金剛幢大智彼岸，獲金剛定，斷諸疑惑；已得諸佛自在神通，普於一切十方國土，教化調伏百千萬億無數眾生；於一切數，雖無所著，善能修學，成就究竟，方便安立一切諸法。如是等百千億那由他不可說無盡清淨三世一切無量功德藏諸菩薩眾，皆來集會，在於佛所；因光所見，一切佛所，悉亦如是。

> その時、世尊は両膝の輪から百千億那由他の光明を放ち、法界と虚空界のあらゆる世界を十方に照らし渡りました。この光によって、彼方の菩薩たちは皆、この仏の神変の相を見ることができました。また、こちらの菩薩たちも、あらゆる如来の神変の相を見ることができました。 これらの菩薩たちは、皆、毘盧遮那如来と共に、昔の世において同じ善根を植え、菩薩行を修めてきました。彼らはすでに諸仏の自在なる甚深の解脱を悟り、差別のない法界の身を得て、あらゆる国土に入りつつも何処にもとどまらず、無量の仏を見ては皆に仕えています。一瞬のうちに法界を巡り、自在で妨げられることがなく、心は清らかで、値打ちのない宝のようです。無量無数の諸仏・如来が常に守り念じ、共に力を与え、究極の第一の彼岸に達しました。常に清らかな念をもって無上の覚に住み、念々に常に一切智の場所に入っています。小を以て大に入り、大を以て小に入り、皆自在で妨げなく通達し、すでに仏の身を得て仏と共に住み、一切智を得て、一切智からその身を生じています。一切如来の行くところ、すべてに随って入り、無量の智慧の法門を開き示し、金剛幢の大智の彼岸に達し、金剛定を得て、一切の疑惑を断ち切りました。すでに諸仏の自在神通を得て、すべての十方の国土において、百千万億の無数の衆生を教化し調伏し、一切の数に執着することなく、よく修行して究極を成就し、方便をもって一切の諸法を安立しています。 このような百千億那由他、説くことのできない尽きることのない清らかな三世の一切の無量功徳蔵を具えた菩薩たちの大衆が皆、仏のもとに集まりました。光によって見えた、一切の仏のもとでも、すべて同じようでありました。

爾時，金剛幢菩薩承佛神力，普觀十方而說頌言：

> その時、金剛幢菩薩は、仏の力の加護を受けて、十方すべてをくまなく見渡し、次のように詩句を唱えました。

「如來不出世， 亦無有涅槃，以本大願力， 示現自在法。是法難思議， 非心所行處，智慧到彼岸， 乃見諸佛境。色身非是佛， 音聲亦復然，亦不離色聲， 見佛神通力。少智不能知， 諸佛實境界，久修清淨業， 於此乃能了。正覺無來處， 去亦無所從，清淨妙色身， 神力故顯現。無量世界中， 示現如來身，廣說微妙法， 其心無所著。智慧無邊際， 了達一切法，普入於法界， 示現自在力。眾生及諸法， 了達皆無礙，普現眾色像， 遍於一切剎。欲求一切智， 速成無上覺，應以淨妙心， 修習菩提行。若有見如來， 如是威神力，當於最勝尊， 供養勿生疑。」

> 「如来が世に現れなくとも、 また涅槃に入ることもない。 もとより大いなる誓願の力により、 自在の法を現し示す。 この法は思い測ることができず、 心が及ぶところではない。 智慧の彼岸に至りて、 はじめて諸仏の境地を見る。 色身は仏にあらず、 音声もまた同じ。 しかし色や声を離れずして、 仏の神通力を観る。 智慧の少ない者は知ること能わず、 諸仏の真実の境界を。 長く清らかな業を修め、 ここにおいてはじめて悟る。 正覚は来るところなく、 去るところもまたなし。 清らかで妙なる色身は、 神力によって現れる。 無量の世界の中に、 如来の身を現し示し、 広く微妙な法を説き、 その心は何にも執着しない。 智慧は限りなく、 一切の法を了達し、 広く法界に入り、 自在の力を現す。 衆生も諸法も、 了達してすべて碍なし。 あらゆる色形を現し、 すべての世界に遍く満つ。 一切智を求め、 速やかに無上の覚りを成そうと欲するなら、 清らかで妙なる心をもって、 菩提の行を修めよ。 もし如来の、 このような威神力を見るなら、 最も勝れた尊き方に対し、 供養せよ、疑いを起こすことなく。」

爾時，堅固幢菩薩承佛神力，普觀十方而說頌言：

> その時、堅固幢菩薩は仏の御力を受け、あまねく十方を見渡して、次のように偈を唱えた。

「如來勝無比， 甚深不可說，出過言語道， 清淨如虛空。汝觀人師子， 自在神通力，已離於分別， 而令分別見。導師為開演， 甚深微妙法，以是因緣故， 現此無比身。此是大智慧， 諸佛所行處，若欲了知者， 常應親近佛。意業常清淨， 供養諸如來，終無疲厭心， 能入於佛道。具無盡功德， 堅住菩提心，以是疑網除， 觀佛無厭足。通達一切法， 是乃真佛子，此人能了知， 諸佛自在力。廣大智所說， 欲為諸法本，應起勝希望， 志求無上覺。若有尊敬佛， 念報於佛恩，彼人終不離， 一切諸佛住。何有智慧人， 於佛得見聞，不修清淨願， 履佛所行道？」

> 如来は勝れること比なく、 甚深にして説くこと能わず。 言葉の道を超え出で、 清浄にして虚空の如し。 汝、人中の師子王を観よ、 自在の神通力を持つことを。 すでに分別を離れながら、 分別によって見ることを可能にしている。 導師は開演したもう、 甚深微妙の法を。 この因縁によって、 この比類なき身を現したもう。 これは大いなる智慧、 諸仏の行じたもうところ。 もし了知せんと欲すれば、 常に仏に親近すべし。 意の業は常に清浄に、 諸の如來を供養し、 終に疲れ厭う心なく、 よく仏道に入るべし。 尽きせぬ功徳を具え、 堅く菩提心に住し、 これによって疑いの網を除き、 仏を観て厭足することなし。 一切の法に通達する、 これこそ真の仏子なり。 この人よく了知す、 諸仏の自在の力を。 広大なる智慧の説きたもう、 「欲は諸法の本」と。 ゆえに勝れた希望を起こし、 志して無上の覚りを求めよ。 もし仏を尊敬し、 仏恩を報じようと念ずる者あらば、 その人は終に離れず、 一切の諸仏の住に。 いったい智慧ある人で、 仏を見聞しながら、 清浄な願いを修せず、 仏の道を歩まない者がいようか。

爾時，勇猛幢菩薩承佛神力，普觀十方而說頌言：

> その時、勇猛幢菩薩は仏の威神力を受けて、十方の世界を広く見渡し、次のように詩頌を唱えた。

「譬如明淨眼， 因日覩眾色，淨心亦復然， 佛力見如來。如以精進力， 能盡海源底，智力亦如是， 得見無量佛。譬如良沃田， 所種必滋長，如是淨心地， 出生諸佛法。如人獲寶藏， 永離貧窮苦，菩薩得佛法， 離垢心清淨。譬如伽陀藥， 能消一切毒，佛法亦如是， 滅諸煩惱患。真實善知識， 如來所稱讚，以彼威神故， 得聞諸佛法。設於無數劫， 財寶施於佛，不知佛實相， 此亦不名施。無量眾色相， 莊嚴於佛身，非於色相中， 而能見於佛。如來等正覺， 寂然恒不動，而能普現身， 遍滿十方界。譬如虛空界， 不生亦不滅，諸佛法如是， 畢竟無生滅。」

> まるで清らかな目が、 太陽の光によってさまざまな色を見るように、 清らかな心もまた、仏の力によって如来を拝することができるのです。 たとえば、努力の力によって 海の底まで探り尽くせるように、 智慧の力もまた、数え切れない仏に出会うことができるのです。 まるで良い肥沃な田んぼが、 蒔かれた種を必ず大きく育てるように、 この清らかな心の地も、あらゆる仏の教えを生み出します。 人が宝の山を手に入れて、 貧しさや苦しみから永遠に解放されるように、 菩薩もまた仏の教えを得て、汚れを離れ、心が清らかになります。 たとえば伽陀（解毒）の薬が、 あらゆる毒を消し去るように、 仏の教えもまた、あらゆる煩悩の悩みを滅ぼします。 真実の善き友人（善知識）は、 如来によって称賛されています。 その威光と力によって、私たちは仏の教えを聞くことができるのです。 たとえ数え切れないほどの長い間、 財宝を仏にささげても、 仏の真実の姿を知らなければ、 それは本当の布施とは言えません。 無数の美しい姿や相が、 仏の身体を飾っていますが、 その姿や形の中に、仏を見ることはできないのです。 如来は正しく悟りを開いたお方で、 静かに、常に動くことがありません。 しかし、あらゆる場所にその姿を現し、 十方の世界に満ち満ちているのです。 まるで虚空の世界が、 生まれもせず、滅びもしないように、 すべての仏の教えもまた、 究極的には生も滅もないのです。

爾時，光明幢菩薩承佛神力，普觀十方而說頌言：

> その時、光明幢菩薩は仏の神力を受け、あまねく十方を観じて、次のように偈を唱えた——

「人間及天上， 一切諸世界，普見於如來， 清淨妙色身。譬如一心力， 能生種種心，如是一佛身， 普現一切佛。菩提無二法， 亦復無諸相，而於二法中， 現相莊嚴身。了法性空寂， 如幻而生起，所行無有盡， 導師如是現。三世一切佛， 法身悉清淨，隨其所應化， 普現妙色身。如來不念言， 我作如是身，自然而示現， 未甞起分別。法界無差別， 亦無所依止，而於世間中， 示現無量身。佛身非變化， 亦復非非化，於無化法中， 示有變化形。正覺不可量， 法界虛空等，深廣無涯底， 言語道悉絕。如來善通達， 一切處行道，法界眾國土， 所往皆無礙。」

> 人間と天上、あらゆる世界において、 如来の清らかで美しい御姿を、すべての者が見る。 ちょうど一つの心の力が、様々な心を生み出すように、 このように一つの仏の身が、あらゆる仏を現し示す。 悟りには二つの法はなく、またいかなる姿形もない。 しかし、二つの法（迷いと悟り）において、荘厳な姿を現し給う。 法の本性が空であり静かであることを悟り、幻のように現れ出て、 その行いは尽きることがない。導き手である仏は、このように現れる。 三世のすべての仏、その法身はすべて清らかであり、 教え導くべき者に応じて、見事な御姿をあまねく現す。 如来は「私はこのような身を作ろう」とは思わない。 自然に現れ示され、決して分別を起こされることはない。 法の世界に差別はなく、また依りどころもない。 しかし、世の中において、無数の身を現し示す。 仏の身は変化したものではなく、また変化していないのでもない。 変化しない法の中に、変化する形があることを示す。 正しい悟りは計り知れず、法の世界は虚空と等しい。 その深さと広がりは涯しなく、言葉の道はすべて尽きている。 如来はすべてをよく通達し、あらゆる所で教えを説き歩まれる。 法の世界の多くの国々、赴くところすべてに障害はない。

爾時，智幢菩薩承佛神力，普觀十方而說頌言：

> そのとき、智幢菩薩は仏の御力を受け、あまねく十方を見渡して、次のように偈を唱えました。

「若人能信受， 一切智無礙，修習菩提行， 其心不可量。一切國土中， 普現無量身，而身不在處， 亦不住於法。一一諸如來， 神力示現身，不可思議劫， 算數莫能盡。三世諸眾生， 悉可知其數，如來所示現， 其數不可得。或時示一二， 乃至無量身，普現十方剎， 其實無二種。譬如淨滿月， 普現一切水，影像雖無量， 本月未曾二。如是無礙智， 成就等正覺，普現一切剎， 佛體亦無二。非一亦非二， 亦復非無量，隨其所應化， 示現無量身。佛身非過去， 亦復非未來，一念現出生， 成道及涅槃。如幻所作色， 無生亦無起，佛身亦如是， 示現無有生。」

> もしも人がこの教えを信じ受け入れれば 一切の智に障りはなくなる 菩提の行を修め励めば その心は量り知れない あらゆる国土の中に 無数の身を現すけれど その身はどこにもとどまらず また法にも執着しない ひとりひとりの如来が 神の力で示す身は 考えられないほどの劫を経ても 数字で数え尽くせない 三世のすべての衆生の数は 知ることができるとしても 如来が示すその姿の数は 決して知ることができない 時に一つ二つを示し あるいは無数の身を示し 十方の世界に遍く現れても その実体は二つとない たとえば満月の清らかな光が あらゆる水に映るように その影像は無数であっても 月そのものは二つとない このように障りのない智をもって 完全なる悟りを成就し あらゆる世界に現れても 仏の本体は二つとない 一つでもなく二つでもなく また無数でもない その教化すべき者に応じて 無数の身を現すのだ 仏の身は過去でもなく 未来でもない 一念のうちに現れ出で 悟りを開き 涅槃に入る 幻が描く色のように 生まれもせず 起こりもせず 仏の身もまた同じく 生まれることなく現れる

爾時，寶幢菩薩承佛神力，普觀十方而說頌言：

> その時、宝幢菩薩は仏の神力を受け、十方（あらゆる方向）をくまなく見渡して、次のように偈（うた）を述べました。

「佛身無有量， 能示有量身，隨其所應覩， 導師如是現。佛身無處所， 充滿一切處，如空無邊際， 如是難思議。非心所行處， 心不於中起，諸佛境界中， 畢竟無生滅。如翳眼所覩， 非內亦非外，世間見諸佛， 應知亦如是。饒益眾生故， 如來出世間，眾生見有出， 而實無興世。不可以國土， 晝夜而見佛，歲月一剎那， 當知悉如是。眾生如是說， 某日佛成道，如來得菩提， 實不繫於日。如來離分別， 非世超諸數，三世諸導師， 出現皆如是。譬如淨日輪， 不與昏夜合，而說某日夜， 諸佛法如是。三世一切劫， 不與如來合，而說三世佛， 導師法如是。」

> 「仏の御身は量り知れないのに、 　限りのある姿を示すことができ、 　見る者の縁に応じて、 　導き手はこのように現れます。 仏の御身は特定の場所に留まらず、 　あらゆる場所に満ちています。 虚空のように果てしなく、 　このように想像を絶しています。 心でたどり着けるところではなく、 　心がそこで生じることもありません。 諸仏の世界においては、 　ついには生も滅びもありません。 曇った目に見えるもののように、 　内にも外にもありません。 世の人々が諸仏を見るのも、 　同じだと知るべきです。 すべての生きとし生けるものを益するために、 　如来はこの世に現れます。 人々は現れたのを見ますが、 　実際には世に現れるということはありません。 国や昼や夜によって、 　仏を見ることはできません。 年月や一瞬の時も、 　すべて同じだと知ってください。 人々は、ある日、仏が悟りを開いたと言いますが、 　如来が悟りを得るのは、 　決して特定の日に縛られるものではありません。 如来は分別を離れ、 　世を超え、あらゆる数を越えています。 三世のすべての導き手も、 　現れるのは皆、このようなあり方です。 例えば、清らかな太陽は、 　暗い夜と混ざり合うことはありませんが、 　ある日、夜と言うのと同じように、 　諸仏の教えもこのようなものです。 三世のすべての劫も、 　如来と混ざり合うことはありませんが、 　三世の仏と言うように、 　導き手の教えはこのようなものです。」

爾時，精進幢菩薩承佛神力，普觀十方而說頌言：

> その時、精進幢（しょうじんどう）菩薩は仏の力を受け、十方（じっぽう）をくまなく見渡して、次のような偈（げ）を述べました。

「一切諸導師， 身同義亦然，普於十方剎， 隨應種種現。汝觀牟尼尊， 所作甚奇特，充滿於法界， 一切悉無餘。佛身不在內， 亦復不在外，神力故顯現， 導師法如是。隨諸眾生類， 先世所集業，如是種種身， 示現各不同。諸佛身如是， 無量不可數，唯除大覺尊， 無有能思議。如以我難思， 心業莫能取，佛難思亦爾， 非心業所現。如剎不可思， 而見淨莊嚴，佛難思亦爾， 妙相無不現。譬如一切法， 眾緣故生起，見佛亦復然， 必假眾善業。譬如隨意珠， 能滿眾生心，諸佛法如是， 悉滿一切願。無量國土中， 導師興於世，隨其願力故， 普應於十方。」

> 一切の導き手である仏陀は、 その身も教えも皆同じであり、 あらゆる十方の世界において、 人に応じて様々に姿を現す。 あなた方よ、見なさい。牟尼（ムニ）尊の なされる業（わざ）は実に不思議である。 法界のあまねくところに満ち渡り、 すべての場所に余すところなく存在する。 仏陀の身は内に在るのでもなく、 また外に在るのでもない。 神通力によって現れ示される。 導き手である法（の教え）はこのようなものである。 あらゆる生きとし生けるものの、 前世に積んだ業（カルマ）に応じて、 このような様々な身をもって、 それぞれ異なった姿で示し現す。 諸仏のからだはこのように、 量り知ることも数えることもできない。 大覚尊（だいかくそん）である仏陀を除いては、 だれも思いめぐらすことなどできない。 私が思いはかることもできず、 心や業（わざ）で捉えられないように、 仏陀もまた思いはかりがたく、 心や業で現れるものではない。 世界が思いもよらず不思議でありながら、 そこに清らかな荘厳（しょうごん）が見えるように、 仏陀もまた思いはかりがたく、 その妙なる相はすべてに現れ出でる。 たとえば、すべての法は 様々な縁（えん）によって生じるように、 仏陀を見ることこれもまた、 必ず様々な善行がその縁となる。 たとえば、如意宝珠（にょいほうじゅ）が あらゆる人の心を満たすように、 諸仏の法（教え）もこれと同じく、 すべての願いをことごとく満たす。 限りない国土のうちに、 導き手である世尊（せそん）が世に現れ、 その願いの力によって、 あまねく十方の世界に応じて現れる。

爾時，離垢幢菩薩承佛神力，普觀十方而說頌言：

> その時、離垢幢菩薩(りくどうぼさつ)は仏の神力を受けて、十方を広く見渡し、次のように偈(げ)を説かれました。

「如來大智光， 普淨諸世間，世間既淨已， 開示諸佛法。設有人欲見， 眾生數等佛，靡不應其心， 而實無來處。以佛為境界， 專念而不息，此人得見佛， 其數與心等。成就白淨法， 具足諸功德，彼於一切智， 專念心不捨。導師為眾生， 如應演說法，隨於可化處， 普現最勝身。佛身及世間， 一切皆無我，悟此成正覺， 復為眾生說。一切人師子， 無量自在力，示現念等身， 其身各不同。世間如是身， 諸佛身亦然，了知其自性， 是則說名佛。如來普知見， 明了一切法，佛法及菩提， 二俱不可得。導師無來去， 亦復無所住，遠離諸顛倒， 是名等正覺。」

> 「如来の大いなる智慧の光は、 あまねく世の中を清らかにし、 世の中が清らかになったなら、 諸々の仏の教えを開き示す。 もし、衆生の数と同じだけの仏を 見たいと願う人がいれば、 その心に応じないことはないが、 実際には来たるところはない。 仏を心のよりどころとして 専らに念じ続けるならば、 その人は仏を見ることができ、 その数は心の数と同じである。 清らかな白い法を成就し、 諸々の功徳を満たした人は、 あらゆる智慧に対して 専らに念じ、心を捨てない。 導師（仏）は衆生のために ふさわしく説法し、 教化に適した場所に従って あまねく最も優れた身を現す。 仏の身も世の中も、 すべてに「我」はない。 これを悟って正覚を成就し、 さらに衆生のために説く。 すべての人々の師である獅子（仏）は 計り知れない自在の力を持ち、 心の数に等しい身を現し示すが、 その身はそれぞれ異なっている。 世の中のこのような身も、 諸々の仏の身も同じである。 その自らの本性を了知すること、 これを「仏」と名づける。 如来はあまねく知り見て、 すべての法を明らかにする。 仏法も菩提（悟り）も、 その両方とも得られるものではない。 導師（仏）には来たりも去りもなく、 また留まることもない。 あらゆる誤った考えを遠く離れている、 これを「等正覚」と名づける。」

爾時，星宿幢菩薩承佛神力，普觀十方而說頌言：

> その時、星宿幢菩薩は仏の力を受け、十方世界を広く見渡して、次のように詩句を唱えた。

「如來無所住， 普住一切剎，一切土皆往， 一切處咸見。佛隨眾生心， 普現一切身，成道轉法輪， 及以般涅槃。諸佛不思議， 誰能思議佛？誰能見正覺？ 誰能現最勝？一切法皆如， 諸佛境亦然，乃至無一法， 如中有生滅。眾生妄分別， 是佛是世界；了達法性者， 無佛無世界。如來普現前， 令眾生信喜，佛體不可得， 彼亦無所見。若能於世間， 遠離一切著，無礙心歡喜， 於法得開悟。神力之所現， 即此說名佛，三世一切時， 求悉無所有。若能如是知， 心意及諸法，一切悉知見， 疾得成如來。言語中顯示， 一切佛自在，正覺超語言， 假以語言說。」

> 「如来はどこにもとどまらず、 あらゆる世界に遍く現れる。 すべての国土に赴き、 すべての場所で見られる。 仏は衆生の心に従って、 あらゆる姿を現し、 悟りを開き、法を説き、 そして涅槃に入る。 諸仏は思議を超えている。 誰が仏を思惟できるのか？ 誰が正覚を見られるのか？ 誰が最勝の姿を現せるのか？ すべての法は真理そのものであり、 諸仏の境地もまた同じである。 真理の中に、生滅する法は 一つとして存在しない。 衆生が誤って分別するから、 そこに仏や世界があると見えるのだ。 法の本質を悟った者には、 仏も世界も存在しない。 如来は目の前に現れて、 衆生に信仰と喜びをもたらすが、 仏の本体は捉えられず、 それを見ることもできない。 もし世の中で、すべての執着を離れ、 妨げなく、心が喜びに満ち、 法に対して悟りを開くならば、 神通力によって示されるものが、 すなわち仏と呼ばれる。 しかし、三世のいかなる時を探しても、 すべては無所有である。 このように、心と思いと諸法を 知ることができれば、 すべてをあるがままに見て、 速やかに如来となる。 言葉で示されるのは、 すべての仏の自在なる力であり、 正覚は言葉を超えているが、 仮に言葉で説かれているのである。」

爾時，法幢菩薩承佛神力，普觀十方而說頌言：

> その時、法幢菩薩は仏の御力を授かり、十方世界を広く見渡して、次のように偈を説かれました。

「寧可恒具受， 一切世間苦，終不遠如來， 不覩自在力。若有諸眾生， 未發菩提心，一得聞佛名， 決定成菩提。若有智慧人， 一念發道心，必成無上尊， 慎莫生疑惑。如來自在力， 無量劫難遇，若生一念信， 速登無上道。設於念念中， 供養無量佛，未知真實法， 不名為供養。若聞如是法， 諸佛從此生，雖經無量苦， 不捨菩提行。一聞大智慧， 諸佛所入法，普於法界中， 成三世導師。雖盡未來際， 遍遊諸佛剎，不求此妙法， 終不成菩提。眾生無始來， 生死久流轉，不了真實法， 諸佛故興世。諸法不可壞， 亦無能壞者，自在大光明， 普示於世間。」

> 「たとえ永劫にわたり、 　　一切世間の苦しみを受けようとも、 決して如来を離れず、 　　その自在の力を見ることがない者となるな。 もしも衆生が、 　　まだ菩提心を起こしていなくても、 ひとたび仏の名を聞けば、 　　必ずや菩提を成就する。 もし智慧ある人が、 　　一瞬の心で道心を起こせば、 必ず無上の尊となるのだ。 　　どうか疑いの心を起こさないでほしい。 如来の自在の力は、 　　無量の劫のあいだ逢うことが難しく、 もし一瞬の信心を起こせば、 　　速やかに無上の道に登る。 たとえ一念ごとに、 　　無量の仏に供養を捧げても、 真実の法を知らなければ、 　　それを供養とは呼ばない。 もしこのような法を聞けば、 　　諸仏はここから生まれる。 たとえ無量の苦しみを経ようとも、 　　菩提の行を捨ててはならない。 ひとたび大いなる智慧、 　　諸仏の入る所の法を聞けば、 あまねく法界のうちで、 　　三世の導師となる。 たとえ未来際をつくして、 　　あらゆる仏の国々を巡っても、 この妙なる法を求めなければ、 　　ついに菩提を成就することはない。 衆生は無始の昔から、 　　生死のうちに長く流転し、 真実の法を悟らないので、 　　諸仏はあえて世に現れる。 諸法は壊すことができず、 　　また壊す者もない。 自在なる大いなる光明は、 　　あまねく世に示される。」