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title: "正法念處經 · 2"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm9toj8nl06d2hj0v3fk2pvjx"
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## 正法念處經卷第二

> 正法念処経　第二巻

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 十善業道品之二

> 十善業道品の二

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何如是十善業道對治修行漏、無漏業？彼見聞知或天眼見：以此因緣，世間中縛，善法盡滅，所謂縛因：不善業道。善是佛因、是解脫因，所言善者，謂離殺生，攝取世間一切眾生，施與不畏，於現在世，人所讚歎，面色諸根端正美妙，得長命業。若不殺者，則為羅剎、鳩槃茶等，一切惡鬼能殺人者及餘惡人能殺人者，於夜闇中擁護彼人，諸天常隨，觀察擁護。身壞命終，則生善道天世界中，受妙果報。若勤精進願下、中、上三種菩提，隨願皆得：彼人若願聲聞菩提，得阿羅漢，入於涅槃；彼人若願緣覺菩提，得辟支佛；如是若願無上菩提，得正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊。

> また、修行者は心の中で思惟し、正法に随順して法の行いを観察します。いかにしてこの十善業道が、漏れある業と漏れなき業を対治し修行するのでしょうか。彼は見聞によって知るか、あるいは天眼によって見ます。この因縁によって、世間の中に縛られ、善法が尽き滅びるのは、いわゆる縛りの因である不善業道によるものです。善は仏の因であり、解脱の因です。ここで言う善とは、殺生を離れ、世の中の一切の衆生を受け入れ、畏れのない施しを与えることです。これにより、現世では人々から称賛され、顔色や諸根が端正で美しく、長寿の業を得ることができます。もし殺生をしなければ、羅刹や鳩槃荼など、人を殺す一切の悪鬼や、その他の人を殺す悪人から、夜の闇の中で守護されます。諸天は常に随従し、観察して守護します。身体が壊れ命が終わると、善き道である天の世界に生まれ、妙なる果報を受けます。もし精進に励み、下・中・上の三種の菩提を願うならば、その願いに従ってすべてを得ることができます。その人が声聞の菩提を願えば、阿羅漢を得て涅槃に入ります。その人が縁覚の菩提を願えば、辟支仏を得ます。このように、もし無上の菩提を願えば、正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊を得ることができます。

「一切諸法，命為根本，人皆護命，不殺生者，則施其命。若施命者，施一切樂；第一施者，所謂施命。如是思惟：生天之因，最勝戒者，所謂施命。若願染愛境界勝樂，不殺為因，彼人則生若梵、若魔、若帝釋王。彼人若願生人中勝，得轉輪王，七寶具足王四天下。若願大身阿修羅者，捨身得為阿修羅王。彼人若願大身夜叉，得夜叉王。

> 一切の存在は、命を根本としています。人は皆、命を護り、殺生をしないならば、その命を施すことになります。もし命を施すならば、すべての楽しみを施すことになるのです。第一の施しとは、命を施すことです。このように思惟しなさい。天に生まれる因は、最も勝れた戒であり、それは命を施すことです。もし染愛の境地と勝れた楽しみを願うならば、殺さないことが因となり、その人は梵天、魔王、あるいは帝釈天王に生まれます。もし人中の勝れた生を願うならば、転輪王となり、七宝を具えて四天下を王として治めます。もし大きな身体の阿修羅を願うならば、その身を捨てて阿修羅王となります。もし大きな身体の夜叉を願うならば、夜叉王となります。

「此不殺生最為大業正法種子。行於生死，唯不殺生為歸、為救。入生死闇，不殺為燈。不殺生者，名曰慈悲。正念思惟不殺生善，心常生喜。若遮他殺，他不可遮，則是行捨。彼人如是，行四梵行，以熏身心。

> この不殺生こそが、最も大きな功徳であり、正しい教えの種なのです。 生死の世界を歩むとき、ただ不殺生こそが拠り所であり、救いとなります。 生死の闇に入るなら、不殺生が灯りです。 不殺生を実践する者を、慈悲ある者と言います。 不殺生の善を正しく念じ、心に常に喜びを生じさせなさい。 もし他者の殺生を止めさせようとして、止められないなら、それは捨（無執着）の実践です。 その人はこのように、四つの清らかな行い（四梵行）を実践し、身心を清めていくのです。

「不殺善根不可思議，最為真實，何等何等種種諸願，如是如是隨願皆得。譬如世間善巧金師，得好真金，如是如是隨所欲作。彼金如是隨意造作種種莊嚴，若作瓶等、若作人像、若作佛像。如是如是，不殺生者，不缺、不穿、不孔、不虛，如是如是隨願皆得。隨何等人如是不殺，則近涅槃。彼人常共善知識行，彼人則是善器眾生，善能攝取自他福德。彼人則是世間福田，不行地獄、餓鬼、畜生。此善行人，成就善法，一切所得皆悉堅固，無有王、賊、水、火等畏，皆自食用；人中尊貴，他不能勝，法具足故。是故智者不應殺生。

> 殺生をしないという善の根は、計り知れないほど尊く、最も真実なるものです。どのような願いも、その願いのままにすべて叶えられます。 たとえば世の優れた金細工師が、上質の純金を得たならば、思いのままに様々なものを作り上げるように。その金は意のままに、瓶や人像、仏像など、あらゆる荘厳なものを形作ることができます。 同じように、殺生をしない者は、欠けることなく、破れることなく、穴の開くこともなく、むなしいこともありません。その願いはすべてそのままに叶えられるのです。 このように殺生をしない人は、涅槃に近づきます。その人は常に善き友と共に歩み、善き器たる衆生となり、自他の福徳をしっかりと受け取ることができます。その人は世の福田となり、地獄・餓鬼・畜生の道を歩むことはありません。 この善を行じる人は、善き法を成就し、得るものすべてが堅固で揺るぎません。王や賊、水害や火災などの恐れもなく、自らが受用するものはすべて安らかです。人々の中でも尊ばれ、他に勝ることはありません。それは法を具足しているからです。 それゆえ、智慧ある者は殺生をすべきではないのです。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何不盜則得善法？彼見聞知或天眼見：不偷盜者，出大貪網；彼人現在，善人所信，若王、王等，一切皆信，若於王眾、若長者眾、若剎利眾、若沙門眾、婆羅門眾，一切皆信，憐愛愍念，信受其語；所有財物，一切堅固，不失、不壞，無能劫奪，王、賊、水、火諸畏皆離；不須方便，財物易得；得財物已，如法食用；於持戒人、行道之人諸福田中皆能捨施，若世間中所應用處皆悉能與。身壞命終，則生善道天世界中。若願出世，若梵、若魔、若帝釋王、若轉輪王王四天下七寶具足，隨願皆得；若樂持戒則得菩提，如前所說。

> また修行者は、心の中で思惟する――正しい教えに従い、法の行いを観察する――どのようにして盗みをしなければ善い法を得られるのか？彼は見聞し知る、あるいは天眼で見る：盗みをしない者は、大きな貪りの網から抜け出る。その人は現世において、善い人々から信頼され、王や王に準ずる者たち、すべての人々が信頼する。王の集まりにおいても、長者の集まりにおいても、剎帝利の集まりにおいても、沙門の集まりにおいても、婆羅門の集まりにおいても、すべての人々が信頼し、慈しみ哀れみ、その言葉を信じて受け入れる。所有する財物はすべて堅固で、失われることも壊れることもなく、奪い取られることもない。王による迫害、盗賊、水害、火災といった様々な恐れからも離れる。特別な手段を必要とせず、財物は容易に得られる。財物を得た後は、正しい方法で使用し、戒律を守る人々や修行する人々、あらゆる福田に対して施しを行うことができる。世の中で必要とされるあらゆることに、すべて与えることができる。この身が滅び命が終わった後は、善い世界、天の世界に生まれる。もしも出世を願うならば、梵天であれ、魔王であれ、帝釈天であれ、転輪聖王であれ、四天下を治め七宝を具える王であれ、願い通りに得ることができる。もしも戒律を守ることを楽しむならば、菩提を得ることができる。これは前に説かれた通りである。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何邪婬捨離，得果？彼見聞知或天眼見：離邪婬人，善業道行，見如是法；善人所讚，一切所信；非婦女中，心不生慮；若王、王等，一切皆信；所有妻妾無能侵奪，隨順供養不違其意；設有衰損，妻妾不嫌，心無妬忌，不生外心；一切世間人所見之，如母姊妹，不為世人之所罵辱。不邪婬者，得如是婦。身壞命終，則生善道天世界中，如前所說。彼天退已，餘天子生。若邪婬者欲退未退，彼天女中，餘天子生時，彼天女即於現前與餘天子共相隨逐，娛樂戲笑；彼欲退天，既見天女與餘天子共相隨逐，娛樂戲笑，妬心羂縛，墮於地獄。如是邪婬樂行多作，則為大失。隨何等人能離邪婬，攝大善道，是涅槃器。

> また修行者が心の中で思惟する――正法に従い、法の行いを観察する――いかにして邪淫を捨て離れ、果報を得るか。彼は見聞し知る、あるいは天眼をもって見る。邪淫を離れた人は、善い業道を行い、このような法を見る。善人が賞賛し、すべての人から信頼される。女性に対して心に邪な思いを抱かない。王や大臣など、すべての人から信頼され、自分の妻や妾を侵奪されることがなく、彼らは従順に供養し、その意に背かない。たとえ衰損があっても、妻や妾は嫌わず、心に妬みや嫉みを生ぜず、外に心を向けない。すべての世間の人々が見るところ、彼らは母や姉妹のように、世の人々から罵倒されることがない。邪淫をしない者は、このような妻を得る。身が壊れ命が終われば、善い道に生まれ、天の世界に生まれる。前に説いた通りである。その天が退いた後、別の天子が生まれる。もし邪淫をした者が退こうとしていまだ退かない時、その天女の中で、別の天子が生まれたなら、その天女はすぐに目の前で別の天子と共に相随い、楽しみ笑い遊ぶ。退こうとする天は、天女が別の天子と共に相随い、楽しみ笑い遊ぶのを見て、妬みの心に縛られ、地獄に堕ちる。このように邪淫を楽しみ多く行うことは、大きな損失である。どのような人であっても、邪淫を離れることができれば、大きな善の道を摂取し、涅槃の器となる。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何一切不善對治，捨離妄語，大善分攝，現得果報？彼見聞知或天眼見：離妄語者，諸世間人，或有眼見，或有耳聞，一切皆信；設復貧窮無財物者，一切世人供養如王。如眾星中光明之月，一切人中實語之人，光明亦爾。一切寶中，實語寶勝。欲度生死一切船中，實語船勝。若欲出離一切惡行，實語離勝。一切燈中，實語燈勝。一切惡道善將導中，實語導勝。一切世間受用物中，實語物勝。一切治病諸藥草中，實語藥勝。一切奮迅諸勢力中，實語力勝。一切歸中，實語歸勝。一切知識，實語為勝。若人攝取實語財物，則於世間不曾惡行，不墮貧窮；與天比近，數數往來；何處何處隨彼所生，常為男子，生勝種姓，一切憐愛，信受其語；彼人不為無色夜叉、毘舍遮等之所能殺；行他國土，多有床敷；設有病痛，藥食具足；無心思念，一切皆得；一切世間第一勝樂，皆悉得之。身壞命終，則生善道天世界中最長命處、大神通處、最高勝處。若願白淨無漏勝道，則得涅槃，如前所說。

> また修行者は内に心を巡らし、正しい教えに従い、法の行いを観察して思う——いかにしてすべての不善を対治し、妄語を捨て離れ、大きな善の分け前にあずかり、現世の果報を得ることができるか。彼は見聞によって知り、あるいは天眼によって見る。妄語を離れた者は、世の人々が目で見ても、耳で聞いても、すべてが信じる。たとえ貧しく財物がなくとも、世の人々はみな王のように供養する。ちょうど星々の中にあって光り輝く月のように、人々の中にあって真実を語る者は、その光もまた同じである。すべての宝の中で、真実の言葉という宝は最勝である。生死を渡ろうとするすべての船の中で、真実の言葉という船は最勝である。もし一切の悪行から離れようとするなら、真実の言葉による離脱は最勝である。すべての灯りの中で、真実の言葉という灯は最勝である。すべての悪道を善く導くものの中で、真実の言葉による導きは最勝である。すべての世間で享受される物の中で、真実の言葉という物は最勝である。すべての病を治す薬草の中で、真実の言葉という薬は最勝である。すべての奮迅する勢力の中で、真実の言葉の力は最勝である。すべての帰依するものの中で、真実の言葉への帰依は最勝である。すべての知識の中で、真実の言葉は最勝である。もし人が真実の言葉という財物を摂り取れば、世の中で悪い行いをすることはなく、貧窮に陥ることもない。天に近く、たびたび往来する。どこに生まれようと、常に男子として生まれ、勝れた種姓に生まれ、すべての人から憐れみ愛され、その言葉を信じて受け入れる。その人は無色の夜叉や毘舎遮などに殺されることはない。他国を行く時には多くの寝床があり、もし病があれば薬と食物が十分に与えられる。心に思わなくても、すべてを得ることができる。すべての世間における第一の勝れた楽しみを、ことごとく得るのである。身が壊れ命が終われば、善き道に生まれ、天世界の中で最も長命の処、大神通の処、最高に勝れた処に生まれる。もし清らかで汚れのない勝れた道を願うなら、涅槃を得ることができる。それは前に説かれたとおりである。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何遠離兩舌惡業善業道行，現在、未來得業果報？彼見聞知或天眼見：離兩舌人，於現在世受業果報，知識、親友、兄弟、妻子、奴婢、作使，如是等人皆悉堅固無人能壞，王及怨家、惡兄弟等不能破壞；若無財物亦不捨離；設值時儉，若行曠野山中嶮處，皆悉不捨，常樂不離；若有他人種種方便說破壞語，雖聞不受；王於彼人，好心堅固；水、賊、刀、怨不能令畏，以離兩舌不善業故。如是捨離兩舌功德，身壞命終則生善道天世界中。於天眾中，多有天女之所圍遶，常共相隨、愛念娛樂。彼天女身妙鬘散香塗治莊嚴第一天女，常生歡喜。若捨兩舌願淨無漏，彼人則得無漏禪道，到於涅槃，如前所說。

> また修行者が心の中で思惟し、正法に随順して法の行いを観察する――どのようにして両舌の悪業を遠ざけ、善業の道を歩み、現在と未来において業果の報いを得るのか？彼は見聞し知り、あるいは天眼をもって見る。両舌を離れた人は、現在世において業果の報いを受け、知識、親友、兄弟、妻子、奴婢、使用人など、そうした人々は皆、堅固であり、誰もこれを壊すことはできない。王や怨敵、悪しき兄弟なども、これを破壊することはできない。たとえ財物がなくとも、彼らは離れず、たとえ凶作の時であれ、あるいは荒野や山中の険しい場所を行く時でも、皆決して離れることなく、常に喜んで共にいる。もし他の人が様々な方法で破壊的な言葉を語っても、聞きはするが受け入れない。王もその人に対しては好意的で信頼が厚い。水害、盗賊、刀、怨敵も、彼を畏れさせることはできない。これは両舌の不善業を離れたゆえである。このように両舌を捨て離れる功徳により、身が壊れ命が終われば、善き道に生まれ、天世界の中に生まれる。天衆の中では、多くの天女に囲まれ、常に共に相随い、慈しみ楽しむ。その天女たちの身は、妙なる鬘を散らし、香を塗り、美しく飾られ、第一の天女として常に歓喜に満ちている。もし両舌を捨て、清浄で無漏なることを願うならば、その人は無漏の禅定を得て、涅槃に至るのである。これは前に説かれたとおりである。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何世間不善業道惡口捨離，於現在世得業果報？後何處生？彼見聞知或天眼見：捨離惡口，見勝妙色，真實人信，一切世人皆樂往返；滑語、軟語於一切人，皆悉安慰、不令有怖；一切世人遙遠見之，皆往近赴；多善知識；設無財物，於一念頃令一切人恭敬如奴；若於前世惡業所致得衰惱者，人不捨離；一切財物皆悉易得；此人無有怨家、王、水、刀、火等畏。身壞命終，則生善道天世界中。既生彼已，滑語利益、要略省語、因相應語，得如是語，得大神通，得勝妙體。若願出道坐禪樂行無漏之法，彼人則得三種菩提，如前所說。

> また修行者は、内なる心で思惟する――正しい法に随順し、法の行いを観察して――どのようにして世間の不善なる業道である悪口を捨て離れるならば、現在の世において業果報を得るのか？その後、いずれの処に生まれるのか？彼は見聞して知るか、あるいは天眼をもって見る：悪口を捨て離れる者は、勝れた妙なる色相を得て、真実の人々の信頼を受け、すべての世の人々が喜んで行き来する。滑らかな言葉、柔らかな言葉をもってすべての人に接し、皆を慰め、怖れさせない。すべての世の人々は遠くから彼を見ると、近くに赴いて来る。多くの善き知識に恵まれる。たとえ財物がなくとも、一瞬のうちにすべての人から奴僕のように敬われる。もし前世の悪業によって衰え悩みを得た者であっても、人々は彼を見捨てない。すべての財物は容易に得られる。この人には怨敵や、王、水、刀、火などの恐れがない。身が壊れ命が終われば、善き道である天世界に生まれる。そこに生まれた後は、滑らかな言葉で利益を与え、要約して簡潔に語り、相応しい因縁に合わせて語る。このような言葉を得て、大いなる神通力を得、勝れた妙なる体を得る。もしも悟りの道を願い、坐禅の楽しみを行じ、無漏の法を求めるならば、その人は三種の菩提を得るであろう。前に説かれたとおりである。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何世間不善業道綺語捨離，於現在世得善業報？後何處生？彼見聞知或天眼見：捨離綺語，即於現身世間敬重，善人所念，前後語言不相違反，一切世人愛其語說，無人恐嚇求其過者；善語、正語世所尊重；少語、軟語令人易解；法相應語、不麁獷語、有深因語皆有理趣，於法不違；一切世間見者尊重；資財寶物皆悉牢固，受用稱意；於無德者，說有功德，彼無德者，說其功德。身壞命終，則生善道天世界中。既生彼已，諸天敬愛，有大神通，受天富樂，不可具說。若願淨白無漏禪樂，三種菩提隨所求得，如前所說。

> また修行者は、心の中で深く思惟する――正しい法に随順し、法の行いを観察する――どうして世間の不善なる業道である綺語を捨て離れることが、現在の世において善い業の報いを得ることになるのか？その後、どこに生まれるのか？彼は見聞によって知るか、あるいは天眼によって見る：綺語を捨て離れると、すぐに現在の身において世間から敬重され、善い人々に心に留められ、前後の言葉が互いに矛盾せず、すべての世の人々がその語りを愛し、その過ちを恐れて求める者はない。善い言葉、正しい言葉は世に尊重され、少ない言葉、優しい言葉は人に理解されやすい。法に相応した言葉、粗野でない言葉、深い因縁のある言葉はすべて道理があり、法に背かない。すべての世の人々が会うと尊重し、資財や宝物はすべて堅固で、受用が心にかなう。徳のない者に対し、その功徳があると言い、その徳のない者がその功徳を語る。身が壊れ命が終わると、善き道である天の世界に生まれる。そこに生まれた後、諸天から敬愛され、大いなる神通力を得て、天の富と楽しみを受けることは、すべてを語り尽くせない。もし清らかで白く、漏れのない禅の楽しみを願うなら、三種の菩提は求めるままに得られ、前に述べた通りである。

「如是三種身不善業，如是四種口不善業，次第捨離，乃至涅槃。彼善業因，世所稱讚，次得生天，後得涅槃。彼身、口業，實業果報，修行法者內心思惟——隨順正法如是觀察——如實知見。

> この三種の身の不善な行いと、四種の口の不善な行いを次第に捨て離れ、ついには涅槃に至る。その善い行いの因は、世に称賛され、まずは天に生まれ、後に涅槃を得る。その身と言葉の行い、実の業とその果報を、修行する者は心の中で深く思惟し——正しい法に従ってこのように観察し——ありのままに知り見る。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何意地善業道行？彼見聞知或天眼見：意業三種：貪、瞋、邪見不善對治，現在受樂，身壞命終則生善道天世界中。若厭生死，彼人無餘涅槃界入。

> また修行者は、内なる心を思惟し――正法に随順して法の行いを観察する――いかにして意の領域における善なる業道の行いがあるのか？彼は見聞し知る、あるいは天眼をもって見る：意の業には三種あり、すなわち貪り、瞋り、邪見である。これら不善を対治し、現在において楽を受け、身壊れ命終われば、善き道たる天の世界に生まれる。もし生死を厭い離れんと願うならば、その人は残ることなき涅槃の境に入る。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何離貪不善業道得善業果？彼見聞知或天眼見：彼離貪者，於現在世，一切財物及珍寶等皆悉豐饒，無人侵奪，若王、王等尚不起心，何況復有偷盜、劫奪？若有因緣漏失財物，他人得者，彼則如親，還送歸之；彼人常富，財物不離，常不為他之所破壞。身壞命終，則生善道天世界中。既生彼已，天、阿修羅共相鬪諍，彼阿修羅無能勝者，不可殺害，無能令怖，不畏他人；一切天子皆悉愛樂，心生憐愍；有不可說可愛聲、觸、色、味、香食。若願出世淨白無漏禪定道果，三種菩提隨願而得，如前所說。

> また修行者は、心の内を思惟し、正しい教えに従い、法の行いを観察します――どのようにして貪りを離れ、不善なる業の道から善なる業の果を得るのでしょうか。彼は見聞し知り、あるいは天眼によって見ます。貪りを離れた者は、現在世において、あらゆる財物や珍宝などがすべて豊かに満ち、誰にも侵奪されることがなく、たとえ王や王族であっても、ましてや盗みや強奪など思いもよらない。もし何かの縁で財物を失い、他人がそれを得たとしても、その人はまるで親族のように、それを返し届けてくれる。その人は常に富み、財物は離れることなく、常に他者によって破壊されることはない。身が壊れ命が終われば、善き道である天の世界に生まれます。そこに生まれた後、天と阿修羅が争い合う中、彼の阿修羅は誰にも勝てず、殺害されることもなく、恐れさせることもできず、他者を畏れることはない。すべての天子たちは皆、彼を愛し楽しみ、心に憐れみを抱く。言い尽くせないほど愛らしい声、触れ合い、色、味、香りの食べ物がある。もしも世を超えた清らかで白く、漏れのない禅定の道の果てを願うなら、三種の菩提を願いのままに得ることができ、前に述べたとおりです。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何離瞋不善業道得善業果？彼見聞知或天眼見，彼離瞋者於現在世業行果報：豐財大富；一切愛念，心意憐愍；第一嶮隘，怖畏惡處，無能得便；王畏、賊畏、墮嶮岸畏、水畏、火畏、諂曲等畏，無量諸畏，隘處等畏，皆悉遠離；一切世人第一愛念，一切惡人亦生愛念，一切善人如子、兄弟極生愛念。身壞命終，則生善道天世界中，得大神通，得勝妙體，常得一切可愛妙聲、觸、味、香、色，隨心受用；有歡喜園、勝妙樹林，寶間錯輦，於大林中天婇女眾之所圍遶，一切餘天不能起發若身、口、意令其怖者；百千天子心意憐愍，親近愛念，帝釋天王愛念憐愍；天、阿修羅共鬪諍時，不生怯弱，離怖畏心。

> また修行者は、心の中で深く思惟する──正しい法に随順し、法の行いを観察して──どのようにして怒りという不善の業道を離れ、善い業の果報を得ることができるのか？彼は見聞し知る、あるいは天眼をもって見る。怒りを離れた者は、現在の世において業行の果報として：豊かな財産と大いなる富を得る；すべての人から愛され慕われ、心から憐れみと思いやりを抱かれる；最も危険で狭い場所、恐ろしい悪しき場所であっても、害を加える者は誰もいない；王の畏れ、賊の畏れ、険しい崖からの転落の畏れ、水の畏れ、火の畏れ、欺きや曲がった心などによる畏れ、数え切れないほどのさまざまな畏れ、狭苦しい場所などの畏れから、すべて遠く離れている；世のすべての人から第一に愛され慕われ、すべての悪人もまた愛し慕う心を起こし、すべての善人はまるで我が子や兄弟のように深く愛し慕う。この身が滅び命が終わるとき、善き道である天の世界に生まれ、大いなる神通力を得、勝れた妙なる身体を得て、常にすべての愛すべき妙なる音声、触れ、味、香り、色を、心のままに受け用いることができる；歓喜に満ちた園や、勝れた妙なる樹林があり、宝が織りなす車が、大いなる林の中で天女たちに囲まれている。他のすべての天たちも、その身、口、意をもって彼を怖がらせるようなことを起こすことはできない；百千の天子たちが心から憐れみと思いやりを抱き、親しく愛し慕い、帝釈天王も愛し憐れむ；天と阿修羅が争い戦うときにも、臆することなく、怖れ畏れる心を離れている。

「若願出離煩惱諸垢，出世間道，彼如是處天世間退，生於人中為轉輪王，如是往返經無量世，王四天下七寶具足。所謂女寶：彼女寶身，作栴檀香，口中常出優鉢羅香，身觸細軟，如迦陵伽觸。迦陵伽者，海渚中鳥。彼觸勢力，若觸人身，則無疲乏，遠離飢渴、憂悲苦惱；彼渚上人得彼觸力。女寶亦爾，若轉輪王，若見、若觸，皆受快樂；寒時身溫，熱時涼冷，如是觸力，非餘人得；離瞋善業，順行勢力；一切男人見此女寶，心善分別，如母姊妹，一心於王；於王敬重，專心於王，常與樂行；遠離五種婦女過失，謂不貞良、異男子行、妬心惡貪、樂惡處欲、夫亡命住。如是女寶復有五種功德相應，五者所謂隨夫意轉、多生男子、種姓不劣、喜樂好人、不生妬心。夫共餘女娛樂行時，不生妬心。復有三種大勝婦女功德相應，謂不多語；心不邪見；夫若不在不樂聲、觸、諸味香等，心意不動。以是因緣，身壞命終，則生善道天世界中。如是勝妙女寶之食，唯轉輪王乃得之耳。

> もし煩悩の垢を離れ、世間を超えた道を願うならば、その者は天界から退き、人間に生まれ変わって転輪王となる。こうして無量の世を巡り、四天下を治め、七つの宝を具える。その一つが女宝である。 女宝の身体は栴檀の香りを放ち、口からは常に優鉢羅華の香りが漂う。その肌触りは極めて柔らかく、迦陵伽鳥のそれのようである。迦陵伽鳥とは、海の島に棲む鳥で、その羽に触れると、疲れも飢えも消え、憂いや悲しみ、苦しみから遠ざかるという。島の住民はその触れる力を得ている。 女宝もまた同じで、転輪王が見るだけで、触れるだけで、深い喜びを受ける。寒い時は温かく、暑い時は涼しく、その触れる力は他の誰にも得られない。これは瞋りを離れ、善い行いを積んだ功徳の力によるものである。 すべての男性がこの女宝を見ても、母や姉妹のように清らかな心で接し、ただ王に一心に仕える。王を敬い、王に専心し、常に喜びをもたらす。五つの女性の過ち、すなわち不貞、他男との交わり、妬み深さ、悪しき欲望にふけること、夫亡き後の放逸を遠ざけている。 さらに女宝には五つの徳が備わっている。夫の意に従うこと、多くの男子を産むこと、家柄が劣らないこと、善き人を喜ぶこと、妬みの心を起こさないことである。夫が他の女性と楽しむ時も、妬むことはない。 また三つの優れた女性の徳を持つ。多くを語らないこと、邪な見解を持たないこと、夫がいない時も音や触れ、香りや味などに心を動かさないことである。このような因縁により、その身が滅び命終われば、善き道へと生まれ、天界の世界へと至る。 このように勝れた妙なる女宝の恵みは、ただ転輪王のみが得るのである。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何捨離多垢瞋心，得轉輪王善業果報？彼見聞知或天眼見：捨離瞋他惡不善業，餘殘善業，得轉輪王第二寶食，所謂珠寶。此有八種功德具足，謂夜闇中作善光明，如秋滿月遠離雲翳，如是珠寶能於闇中光明遍照，滿百由旬，復於晝時日熱可患，放冷光明除熱清涼；如是珠寶第一功德。又復珠寶第二功德，若行曠野無水之處，兵眾渴乏，能令多有八分相應清淨水流，除一切渴；如是珠寶第二功德。又復珠寶第三功德，若轉輪王憶念水時，如是珠寶隨王意流；如是珠寶第三功德。又復珠寶第四功德，如是珠寶具有八楞，彼一一楞放種種色：青、黃、赤、白、紫、頗梨色；如是珠寶第四功德。又復珠寶第五功德，彼珠寶力百由旬內，人皆離病、心行正直，一切所欲，如業相似，非不得果；如是珠寶第五功德。又復珠寶第六功德，以彼珠寶之勢力故，令彼惡龍不降惡雨；如是珠寶第六功德。又復珠寶第七功德，於無水處、嶮岸曠野、無樹草處，是珠能令多有樹木、池水蓮花、叢林青草皆悉具足；如是珠寶第七功德。又復珠寶第八功德，珠寶力故，無人橫死不盡壽者，能令畜生不相殺害、不相憎嫉。相憎嫉者，謂蛇、鼠、狼。如是八種勝大功德具足相應。彼轉輪王離瞋善業所得果報，滿足千子，皆悉勇健人中第一，勝妙身色能壞他軍，隨轉輪王心意轉行；端正可憙如法善人，隨順法行，與轉輪王種姓相似；一切聚落大眾會處，皆悉敬愛，讚其心行。

> また修行者は心の中で思惟する――正法に随順し、法の行いを観察する――どうすれば、多くの垢に染まった瞋りの心を捨て離れ、転輪王の善業果報を得ることができるのか？彼は見聞し知る、あるいは天眼で見る：他人への瞋りという悪しき不善業を捨て離れた残りの善業によって、転輪王の第二の宝である食、すなわち珠宝を得る。この珠宝には八種類の功徳が具わっている。夜の闇の中で善き光明を放つこと、秋の満月が雲の翳りを遠く離れたように、この珠宝は闇の中でも光明を遍く照らし、百由旬に満ちる。また昼の時、日差しの暑さが患いとなるとき、冷たい光明を放って熱を除き清涼にする。これが珠宝の第一の功徳である。また珠宝の第二の功徳は、もし水のない荒野を行くとき、兵士たちが渇きに苦しんでいれば、八分に相応した清浄な水流を多く現し、すべての渇きを除くことである。これが珠宝の第二の功徳である。また珠宝の第三の功徳は、もし転輪王が水を思い念じるとき、この珠宝は王の意のままに流れ出ることである。これが珠宝の第三の功徳である。また珠宝の第四の功徳は、この珠宝には八つの稜があり、その一つ一つの稜がさまざまな色を放つことである：青、黄、赤、白、紫、玻璃色。これが珠宝の第四の功徳である。また珠宝の第五の功徳は、その珠宝の力によって百由旬の内にいる人々は皆、病を離れ、心行いが正直となり、すべての望みは業に似て、果を得られないことはないことである。これが珠宝の第五の功徳である。また珠宝の第六の功徳は、その珠宝の勢力によって、悪龍が悪しき雨を降らせなくなることである。これが珠宝の第六の功徳である。また珠宝の第七の功徳は、水のない場所、険しい岸辺の荒野、樹木や草のない場所において、この珠が多くの樹木、池の水、蓮の花、叢林の青草をすべて具足させることである。これが珠宝の第七の功徳である。また珠宝の第八の功徳は、珠宝の力によって、人が横死することなく寿命を全うし、畜生たちが互いに殺し合わず、憎み嫉むことがなくなることである。憎み嫉むものとは、蛇、鼠、狼などを指す。このように八種類の勝れた大いなる功徳が具わって相応している。その転輪王が瞋りを離れた善業によって得た果報は、千人の子に満ち、皆たくましく健やかで人中第一であり、勝れた妙なる身色は他軍を打ち破り、転輪王の心の意のままに転じて行く。端正で喜ばしく、法に従う善き人であり、法の行いに随順し、転輪王の種姓に似ている。すべての聚落や大衆の集う場所において、皆から敬愛され、その心の行いを称賛されるのである。

「又修行者，內心思惟——隨順正法觀察法行——云何離瞋善業修行，得轉輪王第三輪寶出於世間？彼見聞知或天眼見：彼之輪寶有五功德相應具足。所謂千輻：其體皆是閻浮檀金，廣五由旬，如第二日，照明世間；如是輪寶最初功德。又復輪寶第二功德，行無障礙，飛空而去，一日能行百千由旬。又復輪寶第三功德，謂隨王意於何方處憶念欲行，若瞿陀尼、若弗婆提、若欝單越、四天王處，於彼彼處，彼千輻輪飛空而往；輪寶力故，能令四兵象、馬、車、步，皆悉相隨飛空而去。又復輪寶第四功德，若有不臣轉輪王者，彼金輪寶王與相隨，能令降伏。又復輪寶第五功德，彼金輪寶無能為敵，若王、王等見即降伏，皆以法力，輪王隨逐，故能使爾。如是輪寶五種功德具足相應。如是已說第三大寶。

> また修行者は、内なる心で思惟する――正法に随順して法の行いを観察する――いかにして瞋りを離れ、善なる業を修行し、転輪王の第三の輪宝をこの世に現出させることができるのか。彼は見聞によって知り、あるいは天眼によって見る：その輪宝には五つの功徳が備わり、相応している。いわゆる千の輻（や）――その本体はすべて閻浮檀金であり、広さ五由旬、第二の太陽のごとく、世間を照らし明るくする。これが輪宝の最初の功徳である。また輪宝の第二の功徳は、行くに障りなく、虚空を飛び去り、一日に百千由旬を行くことができる。また輪宝の第三の功徳は、王の意のままに、どの方角であれ思い至り行きたい所があれば、たとえ瞿陀尼洲であれ、弗婆提洲であれ、欝単越洲であれ、四天王の住処であれ、そのそれぞれの場所に、あの千輻の輪は虚空を飛んで往く。輪宝の力によって、四兵――象、馬、車、歩兵――をことごとく相随え、虚空を飛んで行かせることができる。また輪宝の第四の功徳は、もし転輪王に臣従しない者がいれば、あの金輪宝は王に相随い、彼らを降伏させることができる。また輪宝の第五の功徳は、あの金輪宝には敵う者なく、もし王や諸王らが見れば即座に降伏し、すべて法力によって、輪王が随い行くゆえに、このようにすることができるのである。このように輪宝は五種の功徳を具足し、相応している。かくして第三の大宝について説き終えた。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何離瞋善業修行，得轉輪王第四象寶出於世間？彼見聞知或天眼見：此轉輪王修行法人，隨順法行，得調順象第一調順，能勝他城，七支柱地，所謂四足、尾根、牙等，如是七分皆悉柱地。若有如是七種相者，彼象大力勝餘弱象一千倍力，斷則柔軟，色白如雪，如帝釋王、伊羅槃那；自餘諸象，聞氣即伏，不敢正看；三處能鬪，所謂水處、陸地、空中；能速疾行，於一日中遶閻浮提能行三匝。彼象調順，以一縷綖繫咽牽行，若轉輪王乘行之時，彼象調順與王心同；若轉輪王欲何處行，則不須教速至彼處，平正均行，不震、不掉，行步詳審，身不動搖，次第舉足，不躑、不驟亦不怒力，種種善行；小兒見之，不生怖畏；四出道巷，若重屋上，到彼處行，婦女能捉，手得摩之；若鬪戰時，甚能勇惡，行則調順，綖繫不越。如是輪王大龍象寶，是轉輪王十善道中行一業道種子所得，何況具足和合修行十善業道得。如是順法修行法者，以天眼見彼轉輪王第四象寶。

> また修行者は内省し、正法に従い、法の行いを観察します。どうすれば怒りを離れ、善業を修行して、転輪王の第四の象宝をこの世に現すことができるのか？彼は見聞し、知り、あるいは天眼で見ます。この転輪王は法を修行する者であり、法の行いに従順で、最も調和した第一の調順を得ました。他の城に勝ち、七つの支柱で地を支える、すなわち四足、尾の根元、牙など、これら七つの部分がすべて地を支えています。もしこのような七つの特徴を持つなら、その象は他の弱い象よりも千倍の力を持ち、断じて柔軟で、雪のように白く、帝釈王や伊羅槃那のようであり、他の象たちはその気配を聞いただけで伏し、まともに見ることができません。三つの場所で戦うことができ、すなわち水辺、陸地、空中です。迅速に走ることができ、一日で閻浮提を三周することができます。その象は調和し、一本の糸を喉に結んで引っ張って歩かせることができ、転輪王が乗るとき、その象は調和して王の心と同じになります。転輪王がどこに行きたいと思えば、教える必要もなく速やかにその場所に着き、平らで均等に歩き、震えず、揺れず、歩みは慎重で、体は動揺せず、順番に足を上げ、跳ねず、急がず、力まず、さまざまな善行を行います。子供が見ても怖がらず、四つの道や路地、重層の屋根の上でも、その場所に行き、女性でも手を伸ばして触れることができます。戦いの時には非常に勇猛で悪く、歩くときは調和し、糸で結ばれても越えません。このような輪王の大龍象宝は、転輪王が十善道のうち一つの業道の種子から得たものであり、ましてや十善業道を完全に調和して修行すれば得られるものです。このように法に従って修行する者は、天眼で転輪王の第四の象宝を見ることができます。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何輪王得彼馬寶？彼馬寶者，有何功德和合相應？彼見聞知或天眼見：馬寶如鵝、拘物頭花如是淨色，普身皆有天旋等相以為莊嚴，是第一相、量、色、形等，眾相相應，第一調順；於一日中遶閻浮提能行三匝，而身不乏。如是輪王得此第五功德馬寶。

> また修行者は心の中で思惟する――正法に随順し、法の行いを観察する――いかにして転輪聖王はその馬宝を得るのか？その馬宝には、どのような功徳が和合して相応しているのか？彼は見聞によって知るか、あるいは天眼によって見る：馬宝は鵞鳥のようであり、拘物頭の花のような清浄な色をしており、全身に天の旋紋などの相があり、これをもって荘厳としている。それは第一の相、量、色、形など、多くの相が相応し、第一に調和がとれている。一日のうちに閻浮提を三周回ることができ、しかも身体に疲れを見せない。このように転輪聖王は、この第五の功徳である馬宝を得るのである。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何轉輪王得主兵寶？彼見聞知或天眼見：彼主兵寶有何功德？所謂輪王憶念思惟，不待教勅而知王意，隨王所須皆悉能辦；遠離非法，依正法行；時方所須，稱王意辦，不苦、不惱，依正法取；如王意念隨心所須，一切所作不違法義，隨王境界所須所作皆能成辦。如是輪王離瞋善業，得主兵寶，恒常修行十善業道，利益一切世間眾生，猶如父母。

> また、修行者が心の中で思惟し、正法に随順して法の行いを観察する。転輪聖王はどのようにして主兵宝を得るのか？彼は見聞や天眼によって知る。その主兵宝にはどのような功徳があるのか？ すなわち、転輪聖王が思い考えたことを、教えを待たずに王の意を知り、王が必要とすることをすべて成し遂げることができる。非法を離れ、正法に依って行い、時と場所に応じて必要なものを、王の意にかなうように、苦しめず、悩ませず、正法に従って取り扱う。王の思いのままに、心に必要なことをすべて行い、法の義に背かず、王の境界において必要なことをすべて成し遂げることができる。 このように、転輪聖王は怒りを離れた善い業によって主兵宝を得て、常に十善業道を修行し、すべての世間の衆生を利益し、まるで父母のように慈しむのである。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何輪王得彼第七主藏大臣富長者寶？彼長者寶有何功德？彼見聞知或天眼見：主藏臣寶屬轉輪王，何者功德？能以金剛及因陀羅青色寶珠摩迦羅多及牟瑳羅迦羅婆等種種妙寶，一切坑㵎、深山幽谷、險岸惡處、不平之處悉能令滿，不待王勅而寶不盡，何況金銀。此長者寶第一比泥，不誑、不諂、不熱惱他，一切見者清涼愛念。如是輪王富長者寶。

> また修行者は内なる心で思惟を巡らす――正法に従い、法の行いを観察する――いかにして転輪聖王は第七の主蔵大臣、富める長者の宝を得るのか？その長者の宝にはどのような功徳があるのか？彼は見聞し知るか、あるいは天眼をもって見る：主蔵臣の宝は転輪聖王に属し、どのような功徳があるのか？金剛や因陀羅の青き宝珠、摩迦羅多や牟瑳羅迦羅婆など、さまざまな妙なる宝をもって、すべての坑谷や深山幽谷、険しい岸や危険な場所、平らかならぬ所を満たすことができ、王の命令を待たずとも宝は尽きることがない。ましてや金銀においてなおさらである。この長者の宝は第一の比泥であり、偽らず、諂わず、他を熱悩させず、すべて見る者に清涼を与え、慈しみの念を抱かせる。かくのごとくが転輪聖王の富める長者の宝である。

「如是輪王，七寶具足、王四天下，能與龍眾、天眾同坐。天處有二：四天王天、三十三天。帝釋天王分座而坐。如是七種妙寶具足，得轉輪王。

> このように、転輪聖王は七宝を備え、四つの天下を統治し、竜の衆や天の衆と同じ席に坐ることができます。天の場所には二つあり、四天王天と三十三天です。帝釈天王が席を分け与えて坐らせます。このように七つの妙なる宝を具えて、転輪聖王となります。

「又復更有相似七寶、劣前七寶，所謂劍寶、皮寶、床寶、林寶、殿寶、衣寶、履寶。彼轉輪王劍相似寶，有何功德？若有國土起拒逆心，如是劍寶疾走而去，一切國土見劍即伏，不殺一人。如是劍寶有此功德：不罰、不殺，一切國土自然降伏。如是第一劍寶功德。

> また、さらに前の七宝よりやや劣る、似たような七宝があります。すなわち、剣宝、皮宝、床宝、林宝、殿宝、衣宝、履宝です。その転輪王の剣に似た宝には、どのような功徳があるのでしょうか。もし国土に反抗する心を起こす者があっても、この剣宝は素早く飛んで行き、すべての国土は剣を見るとすぐに従い、一人も殺すことはありません。この剣宝には、罰することも殺すこともなく、すべての国土が自然に降伏するという功徳があります。これが第一の剣宝の功徳です。

「云何輪王得彼第二皮相似寶？彼第二寶有何功德？彼皮寶者，海中而生；彼既生已，商人得之將來上王。彼寶功德：廣五由旬、長十由旬，海龍之皮，水雨不爛、風不能動、火不能燒，能却寒熱，寒時能溫、熱時能涼；何處何處輪王行時——隨王軍眾，彼主兵寶之所將行——能以為屋，悉能容受王及軍眾，一一隔別，妻婦不雜，各不相見；其色鮮白，如日光明。如是第二皮寶功德。

> 「では、転輪聖王が第二の皮の宝を得るのはどのようなことか？その第二の宝にはどのような功徳があるのか？ その皮の宝とは、海中より生まれるものである。それが生まれると、商人がそれを得て、王に献上する。 その宝の功徳とは、幅五由旬、長さ十由旬。海竜の皮であり、水に濡れても腐らず、風にも動かされず、火にも焼けない。寒さや暑さをしのぐことができ、寒い時には温かく、暑い時には涼しくなる。どこであろうと、転輪聖王が行くときには、王の軍勢に従い、その主兵の宝が率いて行く。そして、その皮は家屋となり、王と軍勢のすべてを収めることができる。それぞれを隔てて、妻や婦人が混ざり合わず、互いに見えることもない。その色は鮮やかな白で、日光のようである。 これが第二の皮の宝の功徳である。」

「云何輪王得彼第三床相似寶？彼第三寶有何功德？彼床寶者，柔軟細滑，坐上則凹，起則還平。若坐其上禪念思惟，於解脫中得寂靜心。若坐彼床心念欲事，即得離欲。如是次第，瞋、癡亦爾。即彼床上出小禪屋，諸有婦女雖復於王極生染心，見此床寶心則無染。如是第三床寶功德。

> 「では、転輪聖王の第三の宝とは、どのようなものでしょうか。その第三の宝には、どのような功徳があるのでしょうか。その寝台の宝は、柔らかく滑らかで、座れば凹み、立ち上がれば元に戻ります。その上で座禅を組んで心を静めれば、解脱の中に静かな心を得られます。もしその寝台に座って欲の心を起こそうとしても、たちまち欲から離れることができます。同じように、怒りや無知についても同様です。また、その寝台からは小さな禅室が現れ、たとえ女たちが王に対して非常に欲心を起こしていても、この寝台の宝を見れば、その心が清らかになって染まることがありません。これが第三の宝の功徳です。」

「云何輪王得彼第四林相似寶？彼第四寶有何功德？若王憶念林中遊戲，往彼林中。彼林功德、王善業力，如天世間歡喜林中，出生花菓、賒居尼鳥，蓮花池流於彼濟口，天歌婇女戲笑歌舞，一切天女悉來集會；彼王如天，一切五欲功德相應；於彼林中婦女相隨，娛樂遊行，善業力故。彼修行者，一切觀察。如是第四林寶功德。

> 第四の林のような宝とは何か。その第四の宝にはどのような功徳があるのか。王が林の中で遊戯することを思い、その林へ行くならば、その林の功徳と王の善業の力によって、まるで天界の歓喜林のように、花や果実が生い茂り、舎鳩尼鳥がいて、蓮華の池からは水が流れ出る。天の歌姫たちが笑い、歌い、舞い、すべての天女たちが集まってくる。王は天人のように、五つの欲望の功徳をすべて備えている。その林の中で女たちと共に、楽しみ遊び戯れながら歩む、これが善業の力によるものである。かの修行者は、すべてを観察する。これが第四の林の宝の功徳である。

「云何輪王得彼第五殿相似寶？彼第五寶有何功德？謂轉輪王在彼殿中夜偃臥時，欲見月者，則有星月於殿中現，見已眼樂，謂之是珠；天女詠歌，聞則無憂，樂眠安睡，睡已善夢，見妙樂事；寒時則有溫風所吹，熱時則有涼冷觸樂；夜有三分，二分則睡，第三分時離睡而起，受行法樂。如是第五功德殿寶，彼轉輪王報得受用。

> 第五の宝についてお尋ねですね。転輪聖王が得る第五の宝、それはどのような功徳があるのでしょうか。 転輪聖王がその殿舎で夜に横になり、月を見たいと思えば、殿舎の中に星や月が現れ、それを見て心は楽しくなります。これを宝珠といいます。また、天女たちが歌を歌い、それを聞けば憂いはなくなり、安らかに眠ることができます。眠れば良い夢を見て、素晴らしい楽しい出来事を体験します。 寒い時には温かい風が吹き、暑い時には涼しく心地よい風が触れます。夜を三分したうち、最初の二分は眠り、第三分の時には眠りから起き上がり、法の楽しみを受けながら行動します。 これが第五の功徳を持つ殿舎の宝であり、転輪聖王はその報いとしてこれを享受するのです。

「何者衣寶？有何功德？縷成緻密，第一柔軟，垢所不污，王既著已，則無寒熱、飢渴、痟瘦、疲倦之極，火不能燒、刀不能割。如是第六衣寶功德。

> 「衣宝とは何か。どのような功徳があるのか。それは、細い糸で緻密に織られ、非常に柔らかく、汚れが染みつかない。王がこれを身にまとえば、寒さや暑さ、飢えや渇き、やつれや疲労の極みを感じることがなく、火にも焼かれず、刀でも切れない。これが第六の衣宝の功徳である。」

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——轉輪聖王云何得彼第七功德履相似寶？彼第七寶有何功德？彼見聞知或天眼見：履相似寶，王若著之，水行若陸；若遊行時則詳徐涉，若百由旬亦能行去，不損威儀而身不乏。

> また、修行者は心の中で深く考え、正しい教えに従い、僧たちの行動を観察しなさい。では、転輪聖王はどのようにして第七の功徳である「履相似宝」を得るのでしょうか。その第七の宝には、どのような功徳があるのでしょうか。彼らが見聞して知るか、あるいは天の目で見たところによれば、履相似宝とは、王がこれを履けば、水の中でも陸の上でも、遊行するときにゆっくりと歩みを進めることができ、たとえ百由旬の距離でも歩いて行くことができ、威儀を損なわず、体も疲れることがないのです。

「如是輪王具足七寶，復有如是相似七寶，隨心食用，四天下處及二天處是王所食；滿足千子，皆悉勇健能破他軍。彼轉輪王是一切人所應敬重。離瞋善業，得如是樂，十善業道之餘勢也。

> このように、転輪聖王は七つの宝を具え、またこれに似た七つの宝も具えています。心のままに楽しみ、四大州と二つの天界は王の支配する所であり、千人の子宝にも恵まれ、皆、勇猛で健やかであり、他国の軍を打ち破ることができます。その転輪聖王は、すべての人々から敬い尊ばれるべき存在です。怒りを離れた善い行いの報いとして、このような楽しみを得るのです。それは、十の善い行いの道の余力によるものです。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何如是一切世間無始以來，幽冥黑闇邪見為種，一切結使皆亦如是？又復云何捨離邪見，修行正見而得解脫世間生死？彼見聞知或天眼見：彼修行者隨順正法觀察法行，若捨邪見、修習正見，一切結使不饒益法皆悉斷滅，則得涅槃、遠離生死。離邪見人，五根不障。如是善人，憙樂正法。如是最初聞佛功德，觀於生死五道之中種種苦惱，觀彼五處極大怖畏：天中則有放逸之苦、後退時苦；人中則有農作等苦；地獄之中，他惱害苦；於餓鬼中，飢渴惱苦；於畜生中，相噉食苦。如是五處一一散說則無量種。如是觀已，則於生死起厭離心猶如光明，通達正法生出家心；生此心故，善法流出。若人和合，既生是心，彼地夜叉歡喜讚歎，身毛皆竪，生如是心：『此善男子，如是名字，如是種姓，發心欲斷無始世來貪、瞋、癡等，為欲破壞魔之境界，不樂煩惱染欲境界，心不喜樂欲染心愛。』

> また修行者は心の中で深く考え、正しい教えに従って法の実践を観察する。では、なぜこの一切の世間は、無始の昔から闇に閉ざされ、誤った見解を種とし、あらゆる煩悩もまたそのようにできているのか。さらに、どのようにして誤った見解を捨て、正しい見解を修行して、世間の生死から解脱するのか。彼は聞くことや見ることを通じて、あるいは天の眼で見て知る。その修行者は正しい教えに従い、法の実践を観察する。もし誤った見解を捨て、正しい見解を修習するならば、あらゆる煩悩や利益にならないものはすべて断ち滅ぼされ、涅槃に達し、生死を離れることができる。誤った見解を離れた人には、五根が妨げとならない。このような善人は、正しい教えを喜び愛する。このようにして最初に仏の功徳を聞き、生死の中の五道における様々な苦しみを観察し、その五つの場所における大きな恐れを観察する。天の中には放逸の苦しみや、後の退転する時の苦しみがある。人の中には農作業などの苦しみがある。地獄の中には、他から悩まされ害される苦しみがある。餓鬼の中には、飢えと渇きの苦しみがある。畜生の中には、互いに食い合う苦しみがある。この五つの場所を一つ一つ詳細に説けば無量の種類がある。このように観察したならば、生死に対して光明のような厭離の心を起こし、正しい教えに通達して出家の心を生じる。この心を生じるがゆえに、善い教えが流れ出る。もし人が和合して、すでにこの心を生じたならば、その地の夜叉は喜び讚嘆し、身の毛がよだつほどに、次のような心を起こす。「この善男子は、かくの如き名前、かくの如き姓を持つ。無始の昔から来た貪り、怒り、愚かさなどを断ち切ろうと発心し、悪魔の境地を破壊しようと欲し、煩悩や汚れた欲の境地を喜ばず、心は欲に染まる愛着を喜ばないのだ。」と。

「又離邪見，彼善男子有出家心，恒常如是樂修多作，近善知識，樂聞正法，常清淨心，禮拜佛法，善淨寂靜身業，口、意業。彼人如是寂靜口、意。是善行人，彼地夜叉知已歡喜，生如是心：『此善男子善心、淨心，不樂在家，所有舍宅如罩如籠，心不喜樂無始貪欲、瞋恚、愚癡，於魔境界不生喜樂，不樂欲愛，欲共魔戰，欲斷煩惱。』

> さらに、邪見を離れた善男子には出家の心があり、常にこのように修行を楽しみ、多くを行じ、善知識に親しみ、正法を聞くことを楽しみ、常に清らかな心で仏法を礼拝し、身・口・意の業が善く清らかで寂静である。この人はこのように口と意を寂静にしている。この善き修行者を、地の夜叉（じのやしゃ）が知って喜び、こう心に生じる。「この善男子は善心・清らかな心を持ち、在家を好まない。すべての家屋はまるで覆いや籠のようであり、心から喜び楽しむことはない。無始の貪欲・瞋恚・愚痴、魔の境界において喜び楽しむことを生ぜず、欲望の愛を好まず、魔と戦い、煩悩を断とうと欲する。」と。

「又復如是，彼善男子如是觀察生死苦已，出家之心轉轉增上，遠離殺生、偷盜、邪婬、飲酒、妄語，具足受持優婆塞戒。彼地夜叉見如是已，轉復歡喜，次第上聞虛空夜叉，作如是言：『某國某村某聚落中某善男子，如是種姓，如是名字，正信如是，堪能出家，欲剃鬚髮，欲被法衣，正信出家，減損魔分，長正法朋，斷魔繫縛，斷貪、瞋、癡。』

> また、こうした善き男子は、このようにして生・老・病・死の苦しみを観察した後、出家への思いがますます強くなり、殺生・盗み・婬欲・酒・虚言を遠ざけ、在家の戒律を完全に受けて守ります。その地の夜叉はこれを見て喜び、順に虚空夜叉に告げます。「某国・某村・某集落に住む、某という姓、某という名の善き男子が、このような真実の信心を持ち、出家に堪え、鬚髪を剃り、法衣をまとって、真実の信心をもって出家しようとしています。これにより魔の勢力は減り、正しい法の仲間は増え、魔の束縛は断たれ、貪り・怒り・無知も断ち切られるでしょう」と。

「一切使結，邪見為本；出世涅槃，正見為本。隨順正法觀一切法而修行者，最初如是讚歎正見，不嫌、不毀、不賤、不惡，亦教他人令住正見，不讚邪見，嫌賤毀惡，常說邪見、正見相對二業果報，不令眾生住於邪見。一切世間愚癡凡夫根本繫縛，所謂邪見；一切眾生以邪見故，墮於地獄、餓鬼、畜生。彼善男子捨離邪見，具足當得無量善法。

> 「あらゆる煩悩の束縛は、誤った見解（邪見）を根本とする。 涅槃への解脱は、正しい見解（正見）を根本とする。 正しい教えに従い、あらゆる現象を正しく観察し、修行する者は、まずこのように正見を称賛し、それを嫌ったり、非難したり、軽蔑したり、憎んだりしない。また、他の人々にも正見にとどまるよう教え、邪見を称賛したり、それに執着したりしない。さらに、邪見と正見という対照的な二つの行為の報いについて常に説き、衆生が邪見にとどまることを望まない。 この世のすべての愚かな凡夫の根本的な束縛とは、いわゆる邪見である。 すべての衆生は、邪見ゆえに地獄・餓鬼・畜生の道に落ちる。 しかし、善き人は邪見を捨て去り、無量の善き法を身に備えるのである。」

「又復如是，彼善男子觀察居家無量苦惱逼迫繫縛，既觀察已，生厭離心，樂欲出家，欲共魔戰。如是正士，彼地夜叉知已歡喜，轉復上聞虛空夜叉，虛空夜叉向四大王歡喜心說：『某國某村某聚落中某善男子，如是種姓，如是名字，如是正信，堪能出家，欲剃鬚髮，欲被法衣，正信出家，減損魔分，長正法朋。』四大天王如是聞已，心生歡喜。

> さらにまた、その善男子は、家庭生活には無数の苦しみや悩みがあり、それが人を縛り付けていると観察します。そう観察した後、嫌悪の心を起こし、出家したいと願い、魔と戦おうと志します。このような正しい人を、その地の夜叉は知って喜び、さらに虚空の夜叉に報告します。虚空の夜叉は四大王に喜んで伝えます。「ある国、ある村、ある集落にいる善男子が、これこれの姓、これこれの名前で、このように正しい信仰を持ち、出家するにふさわしく、髪やひげを剃り、法衣をまとおうとしています。正しく信仰を持って出家することで、魔の勢力を減らし、正しい法の仲間を増やすでしょう。」四大王はこれを聞いて、心から喜びました。

「如是正士聞正法已，厭離欲垢。彼善男子恭敬和上、聖聲聞已，剃除鬚髮被服袈裟，受波羅提木叉戒已。彼地夜叉、虛空夜叉知已歡喜，向四大王說如是言：『閻浮提中，某國某村某聚落中某善男子，如是種姓，如是名字，捨離邪見修正見業，如法正行，剃除鬚髮被服法衣，受波羅提木叉戒已。一切世間不饒益處、居家隘迮、妻子愛毒皆已捨離，正信出家，在家心業一切捨離，欲共魔戰，欲斷無明。』

> このような立派な人が正しい教えを聞いた後、欲望の汚れから離れようと厭う心を起こします。その善き男性は、師僧や聖なる声聞の弟子たちを敬い、髪やひげを剃り、袈裟を身にまとい、戒律（波羅提木叉）の教えを受けます。 すると、地の夜叉や虚空の夜叉たちがこれを知って喜び、四大王にこう告げます。 「閻浮提の、某国、某村、某集落に、ある善き男性がおります。そのような家柄で、そのような名を持つ者が、誤った見解を捨てて正しい見解を実践し、正しい行いをしています。髪やひげを剃り、法衣をまとい、戒律の教えを受けました。全ての世の中の不利益なこと、家庭の窮屈さ、妻や子への愛着の毒をすべて捨て去り、確かな信をもって出家し、在家の心や行いをすべて捨てて、今まさに悪魔と戦い、無明を断ち切ろうとしています。」

「時，四大王聞已歡喜。既歡喜已，向四天王如是說言：『閻浮提中，某國某村某聚落中某善男子，如是種姓，如是名字，捨離邪見修行正見，剃除鬚髮被服法衣，正信出家，某甲比丘，受為弟子。』彼天聞已，心歡喜曰：『魔分損減，正法朋長。』彼四大王既如是說，四天王聞，如是歡喜。

> 時、四大王はこれを聞いて喜んだ。喜んだのち、四天王に向かってこう語り申した。「閻浮提の中、某国の某村、某集落にいる某善男子が、かくの如き姓、かくの如き名で、邪見を捨て正見を修行し、鬚髪を剃り法衣をまとい、正信をもって出家した。某甲比丘を、弟子として受け入れた」と。それを聞いた天人は心に喜びを抱き、「魔の勢力は減り、正法の友は増えた」と言った。四大王がこう語ると、四天王は聞いて、このように喜んだのである。

「又復如是彼善男子，乃至塵許惡不善法，見則深畏，能忍不作，心行正直；不樂多語、不修禮家、不共往返、不近惡友；多人聚集憒閙之處無心欲見，不往惡眾、不往多人集戲之處，不貪美味大器多食；親友、善知識不數往見；於境界中常正念行、常勤精進，如法飲食、如法處行，勤斷魔縛、勤修正見。如是善人，利益一切世間眾生。」

> さらにまた、この善き人は、塵のように小さな悪しき不善の法でさえも、見れば深く恐れ、それに耐えて行わず、心は真っ直ぐであります。多くを語ることを好まず、礼拝を行う家に通わず、共に行き来せず、悪しき友に近づきません。多くの人が集まり騒ぐ場所を見たいとは思わず、悪しき集団にも行かず、多くの人が集まって遊戯する場所にも行きません。美味に貪らず、大きな器で多く食べることもせず、親友や善知識のもとへも頻繁には訪れません。様々な環境の中でも常に正しい念を保ち、常に精進に励み、法に従って飲食し、法に従って行動し、精進して魔の束縛を断ち切り、精進して正しい見解を修めます。このような善き人は、世の中の一切の衆生を利益するのです。

爾時，世尊而說偈言：

> その時、世尊は偈を説かれました。

「若不殺眾生，慈心常行忍，於眾生如父，彼能觀世間。捨離於偷盜，黠慧常攝根，身業常行善，能度諸有惡。乃至畫婦女，眼尚不欲觀，破欲堅明慧，故名得解脫。觀金土平等，離愁憂正行，煩惱蛇不嚙，彼得無量樂。利衰心平等，得失意亦然，苦樂心不異，故名為比丘。不見怨親異，攝根不放逸，不為境界傷，故名婆羅門。見境界如毒，勇離如避怨，彼涅槃不遠，正遍知所說。如實見生滅，正見心不貪，心不動如山，彼解脫生死。栴檀餘草等，美惡食心平；袈裟絹布等，彼愛不能縛。不貪著利養，知足草為敷，見利養如火，如是乃名見。外境界愛河，之所不能漂，諦知自業果，佛說是比丘。已過事不憂，不希望未來，現得依法行，彼不污心意。若不壞法意，常於法中住，則不行生死，彼白法具足。若人以智火，燒心中煩惱，境界如僮僕，彼人則無苦。若人根寂靜，根不得自在，心不著色等，離煩惱如佛。若人能制根，五根不自在，色等不能劫，離煩惱寂滅。若人心愛念，有忍者亦然，見者心惺悟，彼如月牟尼。若樂住空閑，不樂重樓觀，樂樹下露地，得名乞比丘。勇寂調善智，如實知苦樂，必到無上處，永離諸憂愁。憐愍淳直心，一切時修禪，勝負心平等，如是修得諦。

> もし生き物を殺さず、 慈しみの心で常に忍耐し、 生きとし生けるものを父のように見るなら、 その人は世の中をあるがままに見ることができる。 盗みを捨て去り、 賢明で常に感覚を制御し、 身の行いを常に善くするなら、 あらゆる悪い生存状態を超えることができる。 たとえ描かれた女性でさえ、 その目で見ようとさえせず、 欲望を打ち破り、智慧を固く明らかにする。 ゆえに解脱を得たと言われる。 金と土を等しく見、 憂いを離れて正しく行い、 煩悩という蛇に噛まれないなら、 その人は限りない安楽を得る。 利得と衰退に心は等しく、 得ることと失うこともまた同じように受け入れ、 苦しみと楽しみに心が変わらない。 ゆえに比丘と呼ばれる。 怨みと親しみを異なって見ず、 感覚を制御し怠らず、 対象に傷つけられない。 ゆえにバラモンと呼ばれる。 対象を毒のように見、 勇気をもって、怨みを避けるように離れるなら、 その人にとって涅槃は遠くなく、 正しくすべてを知る者の教えのとおりである。 生と滅をあるがままに見、 正しい見解を持ち、心は貪らず、 心は山のように動かない。 その人は生死を解脱する。 栴檀も他の草も等しく、 美味も不味も心は平安であり、 袈裟も絹布も等しい。 その人は愛着に縛られない。 利養に執着せず、 足ることを知り、草を敷物とし、 利養を火のように見る。 このようにして、あるがままに見るという。 外の対象という愛欲の川に 漂われることはなく、 自分の業の果報を確かに知る。 仏はこれを比丘と説く。 過ぎたことを憂えず、 未来を望まず、 現在を得て、法に従って行うなら、 その人は心を汚されない。 もし法の意味を壊さず、 常に法のうちに住するなら、 生死を歩まず、 その人は白い法を完全に備える。 もし人が智慧の火をもって 心の中の煩悩を焼くなら、 対象は召使いのようになる。 その人には苦しみがない。 もし人の感覚器官が静まり、 器官が思いのままにならず、 心が色などに執着しないなら、 仏のように煩悩を離れる。 もし人が感覚器官を制御でき、 五つの器官が思いのままにならず、 色などに奪われることがないなら、 煩悩を離れて、静かに滅びる。 もし人の心に愛着の思いがあっても、 忍耐ある人もまた同じであり、 見る人は心が目覚める。 その人は月のような聖者である。 もし空閑に楽しみ住み、 高楼を楽しまず、 木の下や露地を楽しむなら、 乞食比丘と名づけられる。 勇気があり、静かで、調和し、善く智慧があり、 苦しみと楽しみをあるがままに知るなら、 必ず最高の境地に至り、 永遠にすべての憂いを離れる。 憐れみ深く、素直な心で、 常に禅定を修行し、 勝ち負けの心が平等なら、 このように修行して真理を体得する。

「離邪見故，得如是法。又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何彼人捨離邪見，修行正見，離疑惑心，如是次第修無漏禪，彼地夜叉、虛空夜叉至四大王見聞歡喜？彼見聞知或天眼見：彼四大王、彼四天王到帝釋所，如是說言：『閻浮提中，某國某村某聚落中某善男子，如是種姓，如是名字，剃除鬚髮被服法衣，正信出家，善戒正行，無礙樂說辯才相應，常正憶念，乃至少罪深生怖畏，減損魔分，長正法朋。』彼四王等向帝釋王如是說已，帝釋天王如是聞已心大歡喜，三十三天帝釋王眾皆共歡喜。

> 邪見を離れたがゆえに、このような法を得る。また修行者は内に心を思惟し――正法に随順して法の行いを観察する――いかにしてその人は邪見を捨て離れ、正見を修行し、疑惑の心を離れ、このように次第に無漏の禅を修め、そこの地の夜叉、虚空の夜叉が四大王のもとに至り、見聞して歓喜するのか？彼らは見聞して知り、あるいは天眼をもって見る：その四大王、その四天王が帝釈天のもとに到り、このように言う――『閻浮提の中、ある国、ある村、ある聚落の中に、ある善男子がいる。このような種姓、このような名前で、ひげや髪を剃り除き、法衣をまとい、正しい信心をもって出家し、善く戒めを正しく行い、妨げなく楽に説く弁才に相応し、常に正しく憶念し、少なくとも罪を深く怖れ畏れ、魔の分を減損し、正法の仲間を長らえる。』その四天王らが帝釈天王に向かってこのように言い終えると、帝釈天王はこのように聞き終えて心に大いに歓喜し、三十三天の帝釈天王の衆みな共に歓喜する。

## 正法念處經卷第二

> 正法念処経　第二巻