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title: "正法念處經 · 1"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
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### 正法念處經地獄品第三之一

> 正法念処経 地獄品 第三の一

「又彼比丘隨順思惟業果報法，觀法、非法，云何惡業無量種種，皆因於心，相續流轉？如河浚流漂諸眾生，令墮惡業果報之地，在於地獄受極苦惱。彼比丘觀善不善，諦意思量：此諸眾生云何如是為心所誑、為愛所誑，墮活、黑繩、合喚、大喚、熱及大熱、阿鼻惡處地獄中生？彼諸地獄各有別處，皆有官人，如業相似，各各證知，彼地獄處名為何等？眾生何業到何地獄？墮在何處？彼比丘若見聞知或天眼見：有大地獄名活地獄，復有別處。別處有幾？名為何等？處有十六：一名屎泥；二名刀輪；三名瓮熟；四名多苦；五名闇冥；六名不喜；七名極苦；八名眾病；九名兩鐵；十名惡杖；十一名為黑色鼠狼；十二名為異異迴轉；十三名苦逼；十四名為鉢頭摩鬘；十五名陂池；十六名為空中受苦；此名十六活地獄處。何業生彼活地獄處？彼比丘若見聞知或天眼見：若有殺生，樂行多作此業普遍，殺業究竟，和合相應，墮活地獄根本之處。殺生之業有上中下，地獄受苦亦上中下。彼地獄業何者為上？彼殺生者，若殺善人、若受戒人、若善行人，有他眾生、有眾生想、有殺生心，斷其命根，此業究竟，心不生悔，向他讚說而復更作，復教他殺、勸殺隨喜、讚歎殺生，若使他殺；如是癡人，自作教他，罪業成就，命終生於活地獄中。如此人中若五十年，彼四天王為一日夜，彼數亦爾，三十日夜以為一月，亦十二月以為一歲；彼四天王若五十年，活大地獄為一日夜。以惡業時有下中上，活地獄命亦下中上，有中間死，隨業種子多少輕重，活地獄中或一處受、或二處受、或三處受、或四處受、或五處受、或六處受，如是乃至十六處受，乃至惡業未壞未爛、業氣未盡，彼地獄中五百年命，依天年數，不依人中。

> また、その比丘は業と果報の法則に従い、善と悪の行いを観察する。あらゆる無数の悪業は、いかにして心に起因し、連続して流れ続けるのか。ちょうど激しい川の流れが衆生を押し流し、悪業の果報の地に落とし、地獄で極度の苦しみを受けるように。彼は善と不善を観察し、深く思い巡らせる。「これらの衆生は、なぜこうも心に惑わされ、愛に惑わされ、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄といった悪しき場所に生まれ落ちるのか。それぞれの地獄には様々な場所があり、それぞれの業に応じて監守者がいて、その地獄の名は何か。衆生はどの業によって、どの地獄に落ち、どの場所に行くのか」 その比丘は、あるいは見聞きし、あるいは天眼で見た。大地獄の一つに等活地獄があり、そこにはさらに別の場所がある。その別の場所はいくつあるのか。名前は何か。場所は十六ある。第一は糞泥、第二は刀輪、第三は瓮熟、第四は多苦、第五は暗冥、第六は不喜、第七は極苦、第八は衆病、第九は両鉄、第十は悪杖、第十一は黒色鼠狼、第十二は異異迴転、第十三は苦逼、第十四は鉢頭摩鬘、第十五は陂池、第十六は空中受苦。これらを等活地獄の十六の場所という。 どのような業によって、その等活地獄の場所に生まれるのか。その比丘は、あるいは見聞きし、あるいは天眼で見た。もし殺生をし、それを好んで多く行い、その業が普遍的に行われ、殺生の業が究極に達し、調和して対応するなら、等活地獄の根本の場所に落ちる。殺生の業には上・中・下があり、地獄で受ける苦しみも上・中・下がある。その地獄の業のうち、どれが上か。殺生をする者が、もし善人や戒を受けた人や善行を行う人を殺し、他の衆生がいるという認識を持ち、殺そうとする心でその命を絶ち、この業を成就させて心に悔いず、他人にそれを褒め称えてさらに行い、また他人に殺させ、殺生を勧め、殺生に随喜し、殺生を賛嘆し、あるいは他人に殺させるならば、このような愚かな人は自ら行い他人にも教え、罪業が成就し、命終わって等活地獄に生まれる。 この人の世界で五十年が、四天王天の一日一夜に相当し、その計算も同様に、三十日で一ヶ月、十二ヶ月で一年となる。四天王天の五十年が、等活大地獄の一日一夜である。悪業を行ったときの程度に下・中・上があるように、等活地獄の寿命にも下・中・上があり、途中で死ぬこともある。業の種子の多少や軽重に従い、等活地獄の中で、ある者は一つの場所で、ある者は二つの場所で、ある者は三つ、四つ、五つ、六つ、あるいは十六の場所全てで苦しみを受ける。悪業が壊れず、腐らず、その気が尽きない限り、その地獄での寿命は五百年であり、それは天の年数に基づき、人の年数ではない。

「又修行者內心思惟——隨順正法觀察法行——云何彼比丘觀活地獄知別處業？心業畫師，自業畫作業果地分，種種異心，別處受苦，有百千億那由他數怖畏惡事，無有相似不可譬類。分分觀察活地獄處，眾生何業生屎泥處？彼見聞知或天眼見：以何惡業不善種子，生屎泥處？所謂殺生。若欲心殺，謂令鳥殺：放鷹、放雕。復有異殺，若圍殺鹿、若獵殺鹿而不懺悔，業業普遍，殺業究竟和集相應，如前所說。彼人以是惡業因緣，身壞命終生彼地獄，在一分處受種種苦，謂屎泥處，燒屎極熱，其味甚苦，赤銅和屎，屎中有虫，虫金剛嘴，遍覆屎上。彼諸罪人，食如是屎，虫入身內，先食其脣，次食其舌、次食其齗、次食其咽、次食其心、次食其肺、次食其肚、次食其脾、次食其胃、次食小腸、次食大腸、次食熟藏、次食筋脈一切脈分、次食肉血。彼人如是彼地獄中受極苦惱，如人中數，乃經無量百千年歲。諸殺生人，造作惡業，若圍殺鹿、若獵殺鹿，養殺鳥雀若鷹雕等，令彼殺已，奪取自食。彼業果報，如是殺已，彼人取食，以是惡業之勢力故。彼糞屎中多有諸虫，虫金剛嘴，入其身內如是食之。善不善果，自業相似。若彼罪人惡業盡者，彼人於此屎泥之處地獄得脫，彼心業畫，畫文盡已，彼人如是得脫彼處；若其人業後報未熟，生畜生中，受飛鳥身，餘鳥所殺；若受鹿身，為圍所殺，如彼前世殺鳥、殺鹿。彼人果報地獄中受，餘殘之業，生畜生中；若後氣業，生於天中、若生人中，彼業因緣，生則短命。

> また、修行者は心の中で深く考えなさい——正しい法に従い、法の実践を観察しなさい。では、その比丘はどのようにして活地獄を観察し、それぞれの場所における業の違いを知るのだろうか？心という業の絵師が、自らの業によって業の果報の世界を描き出す。様々に異なる心によって、それぞれの場所で苦しみを受ける。そこには百千億那由他もの数の恐ろしい悪事があり、似たものもなく、比喩もできない。一つ一つの場所を細かく観察して、活地獄の場所を知る。衆生はどのような業によって、糞泥の場所に生まれるのか？彼は聞いたこと、あるいは天眼で見たことにより、次のように知る。どのような悪業の不善の種によって、糞泥の場所に生まれるのか？それは、いわゆる殺生である。もし、殺そうという心で他者に殺させた場合——鷹や雕を放って鳥を殺させること。また別の殺し方として、鹿を囲んで殺したり、狩りをして鹿を殺しながら、それを懺悔せず、その業が普遍的に広がり、殺生の業が成就し、集まって対応する（結果を生む）こと。これは先に述べた通りである。その人はその悪業の因縁によって、命終わり身体が壊れると、その地獄に生まれ、一つの場所で様々な苦しみを受ける。それが糞泥の場所である。燃える糞は非常に熱く、その味はひどく苦い。赤銅が糞と混ざり合い、糞の中には虫がいる。その虫は金剛のような嘴を持ち、糞の上を覆い尽くしている。その罪人たちは、このような糞を食べる。すると虫が体内に入り込み、まず唇を食べ、次に舌を食べ、次に歯茎を食べ、次に喉を食べ、次に心臓を食べ、次に肺を食べ、次に腹を食べ、次に脾臓を食べ、次に胃を食べ、次に小腸を食べ、次に大腸を食べ、次に熟蔵（直腸など）を食べ、次に筋脈、すべての脈の部分を食べ、次に肉と血を食べる。その人は、その地獄の中で、人間の世界の時間で数えると、無量百千年もの歳月にわたって、極めて酷い苦しみを受ける。 殺生をする人々は、悪業を造る。もし鹿を囲んで殺したり、狩りをして鹿を殺したり、鷹や雕などに鳥や雀を殺させるように飼いならし、それらに殺させた後、奪い取って自分で食べるならば、その業の果報はこうである。このように殺させて、その人がそれを取って食べた、その悪業の勢力によって、その糞の中には多くの虫がいて、その虫は金剛のような嘴を持ち、その人の体内に入り込んで、このように食べるのである。善と不善の果報は、自らの業に似たものとなる。 もしその罪人の悪業が尽きれば、その人はこの糞泥の場所から地獄を脱出する。心という業の絵師が描いた絵の模様が尽きた時、その人はそのようにしてその場所から脱出する。もしその人の業で、後に果報が熟していないものがあれば、畜生に生まれ変わって、飛鳥の身を受け、他の鳥に殺される。あるいは鹿の身を受けて、囲みによって殺される。それは前世で鳥や鹿を殺したのと同じである。その人の果報は地獄で受けた後、残った業によって畜生に生まれる。もし後の気の業（今の業の後に報いる業）があれば、天に生まれ、あるいは人に生まれる。その業の因縁によって、生まれながらにして短命である。

「又彼比丘觀活地獄，第二別處名刀輪處。彼業果報，眾生何業生於彼處？彼見聞知：若心貪物，如是因緣而殺眾生，欲得命因，以刀殺生。彼人如是以此因緣而不懺悔，復教他殺，業業普遍，如前所說。彼人以是惡業因緣，身壞命終墮彼地獄，生刀輪處。彼處火燃，周圍鐵壁高十由旬。彼地獄處，大火常燃。人間之火於彼處火如雲相似。彼地獄處常有鐵火速著其身，彼熱鐵火割彼人身，碎如芥子，散燒劈裂，一切雨鐵譬如此間閻浮提中夏月水雨。彼處十方遍雨熱鐵，多與苦惱。彼地獄人，雖被劈裂而常不死，以是惡業之果報故，如是割身，尋割尋生。彼刀輪處有刀葉林，其刃極利，復有兩刃，刃頭下向，遙望彼林，青而有汁，與水相似；彼諸罪人飢渴惱急，同業苦者唱喚走赴，既入彼林，以業因故，周遍雨刀，劈其身體。又復彼人貪自命故，食養眾生，則是誑他。彼業果報如是如是，心業畫師畫地獄衣，如是地獄不善業畫，如是如是地獄受苦，彼業所攝。彼於地獄，如是無量百千年歲常被劈裂，乃至惡業未壞未爛、業氣未盡，心業畫師畫文不滅，廣說如前。

> 次に、あの比丘は活地獄（かつじごく）を観察する。第二の別の場所は、刀輪処（とうりんしょ）と名づけられる。そこでの業の報いについて、衆生はどのような業によってその場所に生まれるのか。彼は見聞して知る。もし心で物に貪り、そのような因縁によって衆生を殺し、命を得ようとして刀で殺生するならば、その人はこのような因縁によって懺悔せず、さらに他の者に殺すよう教える。その業は広く行き渡る。前述の通りである。その人はその悪業の因縁によって、命終わってその地獄に堕ち、刀輪処に生まれる。その場所は火が燃え盛り、周囲は鉄の壁で高さ十由旬（じゅゆじゅん）である。その地獄の場所では、大火が常に燃えている。人間の火はその場所の火に比べれば、雲のようなものである。その地獄の場所には常に鉄の火が速やかにその身に降りかかり、その熱鉄の火がその人の身を切り、芥子（けし）の種のように砕き、散り散りに焼き裂く。すべて雨の鉄が降る様は、あたかもこの閻浮提（えんぶだい）の夏の月に雨が降るようである。その場所では十方から雨の熱鉄が遍く降り、多くの苦しみを与える。その地獄の人は、裂かれているのに常に死なず、この悪業の果報の故である。このように身が裂かれ、裂かれるたびにまた生まれ変わる。その刀輪処には刀葉林（とうようりん）があり、その刃は極めて鋭く、さらに二つの刃があり、刃先は下を向いている。遠くからその林を望むと、青く汁があり、水のように見える。その罪人たちは飢えと渇きに苦しみ急き立てられ、同じ業の苦しむ者たちが叫び声を上げながら走ってそこへ向かう。その林に入ると、業の因によって、四方八方から刀が雨のように降り、その身体を裂く。また、その人は自分の命を貪るがゆえに、生き物を育て養う。それは他者を欺くことである。その業の果報はこのようである。心という絵師が地獄の衣を描くように、このような地獄の不善の業の絵は、このように地獄で苦しむ。その業に捕らえられるのである。彼は地獄において、このように無量百千年の歳月、常に裂かれ続ける。悪業が壊れず、腐らず、業の気が尽きるまでは、心の絵師が描いた絵の文様は消えないのである。詳しくは前述の通りである。

「又彼比丘觀活地獄，第三別處名瓮熟處。彼業果報，眾生何業生於彼處？彼見聞知：彼殺生人，若殺駱駝，若殺猪羊，若殺眾鳥、若馬若兔、若羆若熊有毛畜生，為食其肉，欲令毛脫，活燒活煮，若置湯中。彼人以是惡業因緣，身壞命終墮活地獄，生瓮熟處。惡業種子，相似果報，置鐵瓮中煎煮極熱，猶如熟豆。如是無量百千年歲，在彼地獄大火煮之，心業畫師所畫之衣破壞爛盡，彼地獄處爾乃得脫。次受殘業，次受氣業，如前所說，乃至若生天、人之中，命則短促。彼修行者於內法中隨順正法觀察法行，作是思惟：『彼比丘如是觀察活大地獄瓮熟處已，當云何耶？』彼見聞知或天眼見：彼比丘第一勇猛，能破魔軍，度生死海，能以戒水滅欲心火，能以慈水滅瞋心火，能以甚深因緣燈明除癡心闇；如是比丘則能速渡生死大海。

> また、その比丘は活地獄を観察する。 第三の別の場所は、瓮熟処（おうじゅくしょ）と呼ばれる。 そこでの業の報いはどのようなものか。いかなる業によって、衆生はその場所に生まれるのか。 彼は見聞して知る。すなわち、殺生を業とする人が、もしラクダを殺し、あるいは豚や羊を殺し、あるいは鳥を殺し、馬や兎、羆や熊など、毛のある生き物を殺し、その肉を食おうとして、毛を抜き取り、生きながら焼いたり煮たり、あるいは熱湯の中に入れるとする。 その人は、この悪業の因縁によって、身が壊れ命が終わると、活地獄に落ち、瓮熟処に生まれる。 悪業の種子は、相似の果報を生み、鉄の瓮の中に入れられて、極度に熱せられて煎られ煮られる。それはまるで、豆が煮られるかのようである。 このようにして、無量百千年もの間、その地獄の大火で煮られ続ける。 心という業の絵師が描いた衣が、破れ爛れ尽きるとき、その地獄の場所からようやく脱することができる。 次に、残りの業を受け、さらに気の業を受ける。それは前に述べた通りである。 たとえ天や人の中に生まれても、その命は短いのである。 その修行者は、内なる法において、正しい法に従って法の行いを観察し、こう思惟する。 「かの比丘が、このように活大地獄の瓮熟処を観察した後、どうすべきであろうか。」 彼は見聞し、あるいは天眼で見る。その比丘は、第一の勇猛なる者であり、魔の軍を破り、生死の海を渡ることができる。 戒の水によって、欲望の心の火を消し、慈の水によって、怒りの心の火を消し、深き因縁の灯明によって、無知の闇を除くのである。 このような比丘は、すみやかに生死の大海を渡ることができるのである。

「又彼比丘觀活地獄，第四別處名多苦處。眾生何業生於彼處？業因種子，相似果報。若人種種苦逼眾生，然彼眾生命猶不盡，所謂：木壓令其受苦，若以繩懸，若以火頭若燒，若柱若繫其髻而以懸之，若以煙熏令受苦惱；若於道上牽令疾走，若置地上棘刺之中令受苦惱；若撲著地，若高嶮處推之令墮，若以針刺，若以繩縛，若令象蹈；若擲在空，下未至地以刀承之，令受苦惱；若著沙上、若以石鎮，若以杖打，若挾其頭，若令小兒詳打戲弄，眾苦惱之；若置熱處，若置氷中，若以水漬，若以沈水，若以衣水掩面漫口，若繫著樹、若懸樹枝，令受苦惱；若在嶮岸臨峻怖魄；若送與怨，令其種種方便苦治；若拔其陰，若挾其指，若拔其毛，若轉鐵輪以劈其頭，令受苦惱；若洋白鑞鉛錫銅等灌其身體，若割其鼻，若以利鐵、若尖木等貫其糞門陰密之處，令受苦惱；若以水淋，若以繩繫塊上挽曳，若以燈鬚周匝遍炙，若拔其髮，若以惡虫令唼食之，若捩其皮，若牽若推、若急速疾抖擻其身，若置鑊中湯火煮之，令受苦惱；若以塼打，若以鹽等塗其身體；若以塵土、若以󰉓等掩其口面；若以㰆筒置糞門中，鼓㰆吹之；若以利刀劈其足指；若以氣吹，不使出聲；若以浮石急揩其身，若割手足，若驅長行，若遮所須；若繫其咽，黃藍花中來去曳之；若以種種雜雜脂膩而灌其口；若以金寶種種財物，若打若壓、若作樂具、若打射等，若打令腫，腫上復打；若以繩懸推令極高，然後墮地，令受苦惱。此如是等無量種種諸苦惱事，觸惱眾生。彼人以是惡業因緣，身壞命終墮活地獄，名多苦處。惡業相似，得相似果。如是地獄，十千億種不可具說，此極苦惱，具說如上。彼一切苦，自業自受，地獄地處。心業畫師愛筆所畫，不善分別，為種種彩所愛妻子，以為彩器執著因緣，以為堅牢，身自作業，自得苦報，非父母作，乃至惡業未壞未爛、業氣未盡，於一切時，常受不息。彼處退已，若於前世過去久遠有善業熟，則不墮於畜生、餓鬼；若生人中同業之處，受餘殘業，常為王罰，若打若縛，鬪諍怖畏，為一切人之所誣抂，常受重苦；善友知識、妻子眷屬、親舊主人之所憎惡。

> 「また、あの比丘は活地獄を観察する。その第四の別の場所を、『多苦処』という。衆生はどのような業によって、その場所に生まれるのか。その業因の種子は、似たような果報をもたらす。もし人が、様々な方法で生き物を苦しめる。しかし、その生き物の命はまだ尽きていない。例えば、板木で挟んで圧迫して苦しめる。あるいは、縄で吊るす。あるいは、火のついた木の先で焼く。あるいは、柱に括りつける。あるいは、その髷を縛って吊るす。あるいは、煙で燻して苦しめる。あるいは、道の上を無理矢理走らせる。あるいは、地面の茨の中に置いて苦しめる。あるいは、地面に叩きつける。あるいは、高い険しい場所から突き落とす。あるいは、針で刺す。あるいは、縄で縛る。あるいは、象に踏ませる。あるいは、空中に放り投げ、地上に落ちる前に刃物で受け止めさせて苦しめる。あるいは、砂の上に置く。あるいは、石で圧迫する。あるいは、棒で打つ。あるいは、頭を挟む。あるいは、子供に面白半分に叩かせて、様々に苦しめる。あるいは、熱い場所に置く。あるいは、氷の中に入れる。あるいは、水に浸す。あるいは、水に沈める。あるいは、水に濡らした布で顔や口を覆う。あるいは、木に縛り付ける。あるいは、木の枝に吊るして苦しめる。あるいは、危険な崖っぷちで恐怖に震えさせる。あるいは、怨みを持つ者に引き渡し、様々な方法で苦しめさせる。あるいは、陰部を引き抜く。あるいは、指を挟む。あるいは、毛を抜く。あるいは、鉄の輪を回して頭を割り、苦しめる。あるいは、溶かした錫や鉛や銅などを体に注ぐ。あるいは、鼻を切る。あるいは、鋭利な鉄や尖った木などで、肛門や陰部を貫いて苦しめる。あるいは、水を浴びせる。あるいは、縄で石に繋いで引きずる。あるいは、灯心で全身を焼く。あるいは、髪の毛を抜く。あるいは、悪い虫を食べさせる。あるいは、皮を剥ぐ。あるいは、押したり引いたり、素早く激しく体を揺さぶる。あるいは、釜の中に入れて熱湯で煮て苦しめる。あるいは、煉瓦で打つ。あるいは、塩などを体に塗る。あるいは、土や灰などで口や顔を塞ぐ。あるいは、鞴（ふいご）の筒を肛門に差し込んで空気を送り込む。あるいは、鋭利な刀で足の指を裂く。あるいは、息を吹きかけ声を出させない。あるいは、軽石で急に体を擦る。あるいは、手足を切る。あるいは、無理矢理長旅をさせる。あるいは、必要なものを与えない。あるいは、喉を縛り、青い藍の花の間を引き回す。あるいは、様々な混ざりものの脂ぎったものを口に流し込む。あるいは、金や宝などの財産で、打ったり押し潰したり、楽器のように扱ったり、打ち据えたり射ったりする。あるいは、打ち据えて腫れさせ、その上をさらに打つ。あるいは、縄で吊るして非常に高く持ち上げ、地面に落として苦しめる。このような無数の様々な苦しみの事柄で、生き物を苦しめ悩ます。その人は、このような悪業の因縁によって、命終わって後、活地獄の多苦処に堕ちる。悪業に相応して、相応の果報を受ける。このような地獄の苦しみは、一万億種あり、すべてを語り尽くすことはできない。この極めて苦しい有様は、以上の通り詳細に述べた。それらすべての苦しみは、自らの業が自らに報いるものであり、地獄の場所や状況もまた然り。心という絵師が、愛執という筆で描き、不善の分別という様々な彩りで飾り、愛しむ妻子という彩りの器に執着する因縁を堅固なものとして、自らが業を造り、自らが苦報を受けるのである。父母が造ったものではない。悪業が壊れず、爛れず、その勢いが尽きない限り、常に絶え間なく苦しみを受ける。その地獄から退いた後、もし前世の遠い過去に善業が熟すれば、畜生や餓鬼に堕ちることはない。しかし人間に生まれても、同様の業の報いを受ける場所では、残りの業の果報を受けることになる。常に王の罰を受け、打たれたり縛られたりし、争いや恐れがあり、すべての人に誣告され、常に重い苦しみを受ける。善き友人や知識、妻子や眷属、親しい旧友や主人からも、嫌われ憎まれる。

「又彼比丘觀活地獄，第五別處名闇暝處。彼業果報，眾生何業生於彼處？彼見聞知：眾生邪見，顛倒業果，所謂方時外道齋中，掩羊口鼻如是屠殺；置龜塼上，上復與塼壓之令死。彼人以是惡業因緣，身壞命終墮活地獄，生闇暝處，闇火所燒。以惡業故，有大力風吹金剛山，合磨令碎猶如散沙，間無暫樂；彼處罪人各不相見，熱風所吹，如利刀割，令身分散，餓渴身燃，努力唱喚而聲不出，如掩羊口、如塼壓龜，常被大火之所燒燃，常被鎮壓。如是無量百千年歲，常處闇暝，乃至無有微少光明如針頭處，然自身毛而自燒身，常一切時遍身火起，受如是苦乃至業盡，皆是心之猿猴所作。彼心猿猴，行於使山，使山幻堅慢心高峯之所止宿，惡見山巖是其行處，遊慢樹林瞋山窟中是其住處，妬心功德以為眾果，愛河所漂、不善業沒，乃至惡業爛壞離散，闇地獄處爾乃得脫。若於前世過去久遠有善業熟，不生餓鬼、畜生之道；若生人中常被繫縛，餘殘業果，壽命短促。

## 正法念處經卷第五

> 正法念処経 巻第五