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title: "正法念處經 · 2"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
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## 正法念處經卷第十七

> 正法念処経 巻第十七

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 餓鬼品之二

> 餓鬼の章 第二

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，觀於迦摩餓鬼迦摩兩盧波魏言欲色，以何業故而生其中？彼以聞慧知：此眾生若男、若女、若黃門人，著種種衣而自嚴飾，服女人衣，行婬女法，若人欲發，與之交會，因此事故而得財物，施與凡人；非福田處，不淨心施。以是因緣，身壞命終生於欲色餓鬼之中。受鬼身已，種種嚴飾，隨意所念皆得從心，欲善則美，欲惡則醜。若其欲作愛不愛色，悉能為之。或作男子，顏容端正；或作女人，姿首美妙；或作畜生，相貌殊異。能作種種上妙莊嚴，能遍遊行一切方所。若得食飲，能食無患，少行施故。能以微細之身盜入人家，以求飲食，世人說言：『毘舍闍鬼，盜我飲食。』或作人身，入他節會；或作鳥身，食人祭飯。其身細密，人不能見。此鬼如是隨意能現種種眾色，世人皆名如意夜叉。或作女身，與人交會，如是種種莊嚴誑人，行於人間。在鬼道中，乃至惡業不盡不壞不朽，故不得脫；業盡得脫。從此命終，隨業流轉受生死苦，人身難得，如海中龜值浮木孔。若生為人，墮伎兒中，著種種衣縱逸遊戲，以求活命，自以己妻，令他從事而求財物。以餘業故，受如斯報。

> さらに、比丘たちよ、業の因果を知り、餓鬼の世界を観察せよ。 彼らは聞慧によって、迦摩餓鬼（欲色の餓鬼）について観察する。 どのような業によって、その世界に生まれるのか？ 彼らは聞慧によって知る。この衆生の中には、男も女も黄門（中性の人）もいるが、様々な衣服を身にまとい自らを飾り、女の衣服をまとい、遊女の真似事をする。もし人の欲心が起これば、それと交わり、そのことによって財物を得る。そして、それを普通の人々に施す。 しかし、それは福田（功徳を生む対象）ではなく、清らかでない心での施しである。この因縁によって、命終わった後、欲色の餓鬼の中に生まれる。 鬼の身を得てからは、様々に飾り立て、思いのままに願いが叶う。善を欲すれば美しく、悪を欲すれば醜くなる。愛する色も愛さない色も、自由に作り出すことができる。 ある時は男となり、顔立ち端正に。ある時は女となり、姿かたち美しく。ある時は畜生となり、見た目も異様である。あらゆる優れた装いを作り出し、全ての方角を自由に遊行する。もし飲食を得れば、問題なく食べることができる。少しばかり施しをしたからである。 微細な身で他人の家に忍び込み、飲食を求める。世の人は言う。「毘舎闍鬼が、我が飲食を盗んだ」と。あるいは人の身となって、他人の祭りに参加する。あるいは鳥の身となって、人の祭りの飯を食べる。その身は細やかで、人は見ることができない。 この鬼はこのように、思いのままに様々な色を現す。世の人は皆、これを如意夜叉と呼ぶ。あるいは女身となり、人と交わる。このように様々に飾り立て人を欺き、人間界を歩き回る。 鬼道の中にあって、悪業が尽きず、壊れず、朽ちない限り、解脱することはできない。業が尽きれば解脱する。この命終わった後、業に従って流転し、生死の苦しみを受ける。人身を得ることは難しく、海の亀が浮き木の穴に出会うようなものである。 もし人として生まれれば、芸人の仲間に堕ちる。様々な衣服をまとい、遊び戯れて命を繋ぎ、自らの妻を使って他人に仕事をさせ、財物を求める。残りの業によって、このような報いを受けるのである。

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，觀於海渚諸餓鬼等，以何業故而生其中？彼以聞慧知：此眾生前世之時，見有行人欲過曠野，病苦疲極，於是人所，多取其價，與直薄少。以惡貪故，巧辭欺誑曠野空乏遠行之人。以是因緣，生海渚中。是海渚中，無有樹林、陂池河水，其處甚熱，於彼冬日甚熱毒盛，欲比人間夏時之熱過踰十倍，唯以朝露而自活命。雖住海渚，不能得水，以惡業故，見海枯竭；設見樹林，皆悉熾燃大火焰起，望心斷絕，眾惡臻集無有安隱。飢渴燒身呻㘁悲惱，自心所誑，處處奔走悲聲叫絕，無救無護、無依無恃；髲髮蓬亂，身體羸瘦，一切身脈皆悉麁現猶如羅網，所至之處皆悉空竭，無救無歸、無依無怙。惡業不盡不壞不朽，故使不死；業盡得脫。從此命終，隨業流轉受生死苦，人身難得，如海中龜值浮木孔。若生人中，生在海渚，或有一足、或復短足，困乏漿水。以餘業故，受如斯報。

> また、比丘たちよ、業（カルマ）の報いを知り、餓鬼の世界を観察しなさい。彼らは聞く智慧によって、海上の島々に住む餓鬼たちが、どのような業によってそこに生まれたのかを観る。その智慧によって知るのは、これらの衆生は前世において、旅人が荒野を越えようとして病気で疲れ果てているのを見ながら、その人から多くの代価を取り、与えた値はごくわずかだった。悪しき貪り（むさぼり）のゆえに巧みな言葉で、荒野に乏しい遠くを行く人を欺いた。この因縁によって、海上の島に生まれるのである。その海上の島には、林も池も川もなく、その場所は非常に暑く、冬の日でさえも毒のように暑さが盛んで、人の世の夏の暑さに比べて十倍以上も過酷である。ただ朝露だけで自らの命をつなぐ。海の島に住んでいながら、水を得ることができない。悪業のゆえに、海は干上がって見える。たとえ林を見ても、すべてが燃え盛り大きな炎が立ち上がる。希望は断たれ、様々な苦しみが集まり、安らぎはない。飢えと渇きに身を焼かれ、泣き叫び悲しみに苛まれる。自らの心に欺かれ、あちこちを走り回り悲しげに声を限りに叫ぶ。救いもなく、守りもなく、頼るものもなく、支えもない。髪は乱れ、身体は痩せ細り、体中の血管はすべて網目のように浮き出ている。赴く先々ではすべてが空しく尽き果て、救いもなく帰る場所もなく、頼るものも支えもない。悪業が尽きず、朽ちず、壊れない限り、死ぬこともない。業が尽きて初めて解脱する。この世での命を終えた後、業に従って流転し、生死の苦しみを受ける。人の身を得ることは難しく、それは海の亀が浮かぶ木の穴に出会うようなものだ。もし人として生まれても、海上の島に生まれ、片足であったり、足が短かったりして、水や飲み物に困窮する。残った業によって、このような報いを受けるのである。

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，觀於閻羅執杖餓鬼，以何業故而生其中？彼以聞慧知：此眾生以慳嫉故，自壞其心，親近國王大臣豪貴，專行暴惡心無慈愍，不行正理，為諸賢善之所輕毀。如是惡人身壞命終，受閻羅王執杖鬼身，於鬼世界，為閻羅王趨走給使。若有眾生造諸惡業，時閻羅王即令此鬼錄其精神。此鬼身色醜惡可畏，手執刀杖，頭髮蓬亂倒髮覆身，長脣下垂、耽耳大腹，高聲大叫以怖諸鬼，手執利刀擬諸罪人，反執其手以繩縛之，將詣王所，白大王言：『我於人中攝此罪人來至於此，大王！此人前世行不善業，身業不善、口業不善、意業不善，願王呵責。』

> また、比丘たちよ、因果応報の理を知り、餓鬼の世界を観察せよ。 彼らは聞慧（教えを聞いて得る智慧）によって、閻羅王（えんらおう）の杖を持つ餓鬼が、どのような業によってそこに生まれるのかを観る。 彼らは聞慧によって知る。この衆生は、吝嗇（けち）と嫉妬によって自らの心を損ない、国王や大臣、権力者に近づき、専ら暴虐な行いをして心に慈しみがなく、正しい道理に従わず、多くの賢く善い人々から軽んじられ非難される。このような悪人が、肉体を失い命終わった後、閻羅王の杖を持つ鬼の身を受け、鬼の世界において閻羅王の使い走りとして仕えるのである。 もしある衆生が様々な悪業を造れば、その時、閻羅王はこの鬼に命じて、その者の精神を書き留めさせる。この鬼の姿は醜く恐ろしく、手には刀や杖を持ち、髪は乱れて逆立ち、全身にまとわりつき、長い唇は垂れ下がり、耳は大きく垂れ、腹は膨れ上がり、大声で叫んで恐ろしい声で他の鬼たちを威嚇し、手に鋭い刀を掲げて罪人たちに狙いを定める。そして彼らの手を後ろに回して縄で縛り、王の下へ連れて行き、大王に申し上げる。 「大王よ、私は人の世からこの罪人を捕らえて、ここに連れて参りました。大王、この者は前世において不善の業を行い、身体の業も不善、言葉の業も不善、心の業も不善でありました。どうか王様、この者をお叱りください。」

「時閻羅王即說偈頌，而呵責言：

> その時、閻魔王は偈を唱えて、こう叱りつけたのです——

「『汝是人中愚癡輩，種種惡業自莊嚴，汝本何不修善行？如至寶渚空歸還。善業因緣得樂果，樂果因緣生善心，一切諸法隨心轉，流轉生死常不斷。一切諸行悉無常，猶如水泡不堅固，若能如是修正法，是人未來得勝報。若有人能常修善，捨離一切諸惡業，是人則不至我所，乘階上生受天報。若人愚癡無覺悟，愛樂惡業至我所，能捨惡業諸不善，是人則行第一道。若見世間諸業果，亦見天上種種樂，如是猶起放逸心，是人不名自愛身。為利誰故造惡業，放恣一切身口意？如是人等行各異，汝今業對至我所。汝為眾惡所誑惑，畢定行於嶮惡道，若人愛樂造惡業，未來人身甚難得。若人遠離眾惡業，憙行善法心愛樂，此人現世常安樂，必得涅槃解脫果。若有眾生習善行，於世間中最殊勝；若人習學不善業，一切世間最大惡。若有智慧行善人，能離初中後惡法；若有造習眾惡業，則入地獄受苦報。能以善法調諸根，則獲世間淨勝法，是人身壞命終時，上生天宮受快樂。業繫縛汝甚堅牢，閻羅使者之所持，送至恐怖諸惡道，閻羅世界大苦處。汝於前世作眾惡，此業今當還自受，自作自受不為他，若他所作非己報。』

> 「お前は愚かな人間だ。様々な悪業で自らを飾りながら、 なぜ本来、善行を修めなかったのか？宝の島に着きながら、空しく帰るようなものだ。 善業の因縁は楽の果を生み、楽の果の因縁は善心を生む。 すべての諸法は心に従って転じ、生死に流転して絶えることがない。 すべての行（形成作用）は無常であり、水の泡のように堅固ではない。 このように正しい法を修める者こそ、未来に勝れた報いを得る。 もし人が常に善を修め、あらゆる悪業を捨て離れるなら、 その人は私（閻魔王）のところに来ることなく、階（はしご）を登って天界に生まれ、天の報いを受ける。 もし愚かで目覚めず、悪業を愛好して私のところに来る者も、 悪業や不善を捨てることができれば、その人は第一の道を行くのである。 世の中の様々な業の果報を見、また天上の様々な楽しみを見ても、 それでもなお放逸の心を起こす者は、自らを愛する者とは言えない。 誰のためか悪業を造り、身口意をすべて放縦にさせるのか？ そうした人は行いが様々だが、お前は今、業の対（むくい）を私のところで受けるのだ。 お前は数々の悪に惑わされ、必ず険しい悪道を行く。 もし人が悪業を造ることを好むなら、未来に人間の身を得ることは非常に難しい。 もし人があらゆる悪業を遠ざけ、善法を行い心から愛好するなら、 この人は現世で常に安楽を得、必ず涅槃の解脱の果を得る。 もし衆生が善行を習えば、世の中で最も勝れる。 もし人が不善業を習い学べば、一切世間で最大の悪となる。 智慧ある善人は、初・中・後の悪法を離れることができる。 もし悪業を造り習う者があれば、地獄に入り苦しい報いを受ける。 善法をもって諸々の根（感覚器官）を調えるなら、世間の清らかな勝法を得る。 その人は身が壊れ命が終わるとき、天宮に生まれて楽しみを受ける。 業はお前を非常に堅く縛り、閻魔の使いに捕らえられ、 恐ろしい諸々の悪道、閻魔の世界の大いなる苦しみの場所へ送られる。 お前は前世で様々な悪を造った。この業は今、自らが受けるべきものだ。 自ら造り自ら受けるのであって、他のためではない。もし他が造ったなら、自分の報いとはならないのだ。」

「如是閻羅王呵責罪人已，使者將出，以此罪人自作惡業、自業所誑，將受果報種種苦惱。楚毒治之，飢渴所逼，但食風氣，惡業不盡，故使不死；從此得脫，隨業流轉受生死苦。若處人中，生在邊戍，幽山嶮谷、深河峻岸危怖之處，有自在者行於此路，令其引導。以餘業故，受斯罪報。

> このように閻魔大王が罪人を責め終えると、使者がその者を連れ出します。この罪人は自ら悪業をなし、その自らの業に欺かれ、様々な苦しみと悩みの報いを受けることになります。責め苦による痛みに耐え、飢えと渇きに苦しめられ、ただ風の気を食べることしかできません。悪業が尽きないため、死ぬことも許されません。そこから逃れ出ることができても、業に従って流転し、生と死の苦しみを受け続けます。もし人間の世界に生まれても、辺境の地や、人里離れた山や深い谷、深い川や険しい岸辺など、危険で不安な場所に生まれます。権力のある者がそのような道を通る時には、その道案内をさせられます。これらは過去の悪業の残りの影響によって、このような報いを受けるのです。

「復次，行者內觀於法，云何比丘觀於五地？彼以聞慧，明眼觀察十種色入。何等為十？一者眼入；二者色入；三者耳入；四者聲入；五者鼻入；六者香入；七者舌入；八者味入；九者身入；十者觸入。云何比丘眼緣色相？比丘觀眼緣色而生於識，三法和合而生於觸，觸共受、想、思、識者。觸相觸者，覺相受者，知相想者，如長短、愛不愛、現見相對等思者，識知一緣，而各各相思有三分或色非色、各各自體，如十大地法。何等為十？一者受；二者想；三者思；四者觸；五者作意；六者欲；七者解脫；八者念；九者三昧；十者慧。一緣而各各相識等十，一法亦如是，猶如日光一起，眾光自體各各別異。如識自體異，乃至思亦如是。彼比丘如實知色入，觀眼空無所有、無堅無實。比丘如是如實知道，離於邪見，正見心喜，眼離癡垢，實見其眼但是肉段，癡無所知但是淚竅。如實知已，離於欲心，觀眼無常；知無常已，但是肉團住在孔穴——如實知眼——筋脈纏縛，當知眾緣和合而有眼入。如是眼者，無有見者，無我無知，乃至苦亦如是。觀眼入已，得離欲意。

> さらに、修行者は内なる法を観察する。では、比丘はどのように五つの境地を観察するのか。彼は聞き得た智慧をもって、明らかな眼で十の色の入り口を観察する。その十とは何か。第一に眼の入り口、第二に色の入り口、第三に耳の入り口、第四に音の入り口、第五に鼻の入り口、第六に香りの入り口、第七に舌の入り口、第八に味の入り口、第九に身の入り口、第十に触れ合いの入り口である。 では、比丘はどのように眼が色に対するとらわれを観察するのか。比丘は、眼が色に縁って認識が生じることを観察する。この三つの要素（眼・色・認識）が和合して触れ合いが生じ、その触れ合いには感受、想念、意志、認識が伴う。触れ合いとは触れるという相（すがた）であり、感受とは感じ取るという相、想念とは知り取るという相――例えば長さ・短さ、好ましい・好ましくない、目の前にあるものなどの対比を思うこと――であり、意志とは一つの縁を認識しながらも、それぞれに異なる相があることである。これらはいわゆる十の普遍的な心の働き（十大地法）である。その十とは何か。第一に感受、第二に想念、第三に意志、第四に触れ合い、第五に注意を向けること、第六に願望、第七に解脱、第八に記憶、第九に集中、第十に智慧である。 一つの縁に対して、認識などの十の心の働きはそれぞれに異なる相を持つ。一つの法（現象）もまた同様である。ちょうど一つの日光が昇れば、多くの光がそれぞれに異なる自らの体を持つように。認識の自らの体が異なるように、意志などもまた同様である。 その比丘は、色の入り口をあるがままに知り、眼は空っぽで何ものも持たず、堅固な実体がないと観察する。比丘はこのように、あるがままに道を知り、誤った見解を離れ、正しい見解によって心に喜びを得る。眼から無知の汚れが離れ、眼がただの肉の塊であり、無知で何も知らず、ただの涙の通り道にすぎないとありのままに見る。あるがままに知ったならば、欲望の心を離れ、眼は無常であると観察する。無常を知ったならば、眼はただ穴の中にある肉の塊にすぎないと知る――眼をあるがままに知るのである――筋や脈に絡みつかれ、様々な縁が和合して眼の入り口が成り立っていることを知るべきである。このような眼には、見る者というものはなく、自我もなければ知る者もなく、苦しみもまた同様である。眼の入り口を観察したならば、欲望を離れる心を得るのである。

「是比丘如實觀察眼入已，分別觀色：如是色者，愛以不愛皆悉無記，以分別生。何法可見？何者為淨？何者是常？何者可貪？比丘如是思惟觀察，如實知色非有非樂。如是思惟觀察：色相無堅無實，以分別生愛不愛等，非實有耶！一切眾生於愛不愛虛妄貪著，如此色者，非有自體、非常非有、非真非樂、非不壞法、非堅非我，以貪欲瞋癡自覆心故生愛不愛，非色有愛、有不愛耶！以憶念生故。比丘如是觀於色入，見名色已，不貪不染、不迷不取，知色無堅。彼比丘如是觀眼、觀色入已，不著眼識，得離欲穢。眼識非我，我非眼識，觸、受、想、思亦復如是觀眼色第五地於十三不相開。

> この比丘は、眼の入処をあるがままに観察して、色を分別して観る。「このような色は、愛するものも愛さないものも、すべて無記（善悪の区別がない）であり、分別によって生じる。何が可見なのか？ 何が清浄なのか？ 何が常住なのか？ 何が貪るべきなのか？」と。 比丘はこのように思考し観察して、色は有（実在）でもなく、楽でもないと、あるがままに知る。このように思考し観察する。「色の相には堅固さも実体も無い。分別によって愛・不愛などが生じるのであって、実として有るのではない。一切の衆生は愛・不愛について虚妄に執著する。このような色は、自らの本体が有るのでもなく、常住でもなく、有でもなく、真実でもなく、楽でもなく、壊れない法でもなく、堅固でもなく、我でもない。貪欲・瞋恚・愚痴によって自らの心を覆うがゆえに、愛・不愛が生じるのである。色そのものに愛・不愛があるのではない。憶念によって生じるからである」と。 比丘はこのように色の入処を観じて、名と色を見たならば、貪らず、染まらず、迷わず、取らず、色に堅固なものがないと知る。その比丘は、このように眼を観じ、色の入処を観じて、眼識に執著せず、欲の汚れから離れることを得る。眼識は我ではなく、我は眼識ではない。触・受・想・思もまた、同じである。 <note>観眼色・第五地において、十三の不相開（相互に開かれていない関係）について説く。</note>

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，觀噉小兒諸餓鬼等，以何業故而生其中？彼以聞慧知：此眾生惡術呪龍，為除災雹，誑惑病人；呪術夜叉，取人財物或復殺羊。如是之人，身壞命終墮活地獄受無量苦，從地獄出，生婆羅婆叉餓鬼之中婆羅婆叉魏云食小兒。復有眾生，殺生餘報，生在人中為此餓鬼，偷而食之，或至產婦所住之處取彼嬰兒——或匍匐時、或始行時，如是餓鬼偷諸小兒，次第食之。若得其便，即能斷命；若無殺業，莫能為害。

> さらに、比丘たちよ、因果の道理を知る者があれば、餓鬼の世界を観察するだろう。 彼は智慧によって、子どもの精気を奪う餓鬼たちが、どのような行いによってそこに生まれるのかを見極める。 彼は智慧によって知る。この者は悪しき呪術で龍を支配し、災いや雹を除くと偽り、病人を欺き、夜叉を呪術で操って人の財物を奪い、あるいは羊を殺す。そのような者は、命終わった後に地獄で無量の苦しみを受け、そこを出た後、「子どもの精気を奪う餓鬼」とされる餓鬼に生まれる。また、ある者は殺生の余報として、人間でありながらこの餓鬼の仲間となり、こっそりと人の子を食べる。産婦のいる場所に現れ、赤ん坊を盗み、這う頃の子、歩き始めたばかりの子を次々と喰らう。機会があれば、たちまち命を絶つが、もし殺生の因縁がなければ、害を加えることはできない。

「伽他頌曰：

> 伽他（げーた）の偈（げ）に曰（のたま）わく、

「『惡業繫縛受惡果，若行善業受樂報，業繩長堅繫縛人，縛諸眾生不得脫。不得安隱涅槃城，長流三有受眾苦，能以智刀斬斯業，必得解脫諸熱惱。以斷業繩無繫縛，得至無為寂靜處，如魚入網為人牽，愛縛眾生死亦爾。如人毒箭中野鹿，其鹿狂怖走東西，毒藥既行不能脫，愛縛眾生亦如是。常隨眾生不放捨，觀愛如毒應遠離，愚癡凡夫為愛燒，猶如大火焚乾薪。是愛初染難覺知，得報如火自燒滅，若欲常樂心安隱，應捨愛結離諸著。如魚吞鉤命不久，愛結縛人亦如是，縛諸眾生詣惡道，墮於餓鬼飢渴逼。餓鬼世界諸苦惱，處處逃遁而奔走，地獄趣中受苦者，皆由愛結因緣故。若諸貧窮困病人，求索朝飡自存濟，皆由愛結因緣故，受斯苦報聖所說。』

> 悪い行いの縄に縛られて、悪い報いを受ける。善い行いをすれば、楽しい報いを得る。 業の縄は長く堅く人を縛り、あらゆる生きとし生けるものを縛って逃れられなくする。 安らかな涅槃の都に至ることもできず、長く三有（さんう）の世界を流転し、様々な苦しみを受ける。 智慧の刀をもってこの業を断ち切れば、必ずあらゆる熱き悩みから解き放たれるだろう。 業の縄を断ち切れば、もはや縛られることはなく、何も為すことのない静かな境地に至る。 網にかかった魚が人に引かれるように、愛の束縛に絡め取られた衆生の死もまた同じである。 人が毒矢を射られて野鹿が狂ったように東西に走り回り、 毒の効力が回って逃れられなくなるように、愛に縛られた衆生もまた同じである。 常に衆生にまとわりついて離れない、愛は毒のようなものだと観じて、遠ざけるべきである。 愚かな凡夫は愛に焼かれ、まるで大火が枯れ木を焼き尽くすかのようである。 この愛は最初に染み込むときは気づきにくいが、その報いを受けるときは火が自分自身を焼き尽くすように燃え上がる。 もし常に楽しみと心の安らぎを望むなら、愛の結び目を捨て、あらゆる執着から離れるべきである。 魚が針を飲み込めば命が長くないように、愛の結び目が人を縛るのもまた同じである。 衆生を縛って悪道へ導き、餓鬼の世界に落ちれば飢えと渇きに苦しめられる。 餓鬼の世界の様々な苦しみ、あらゆる場所を逃げ回っても、 地獄の世界で苦しむ者たちも、すべては愛の結び目が原因である。 貧しく病に苦しむ人々が、朝の食事を求め、かろうじて命をつなぐのも、 すべては愛の結び目が原因で、このような苦しみの報いを受けるのだと、聖者は説かれた。

「如是具觀一切貪嫉因緣果報，於生死中得生厭離，棄捨諸欲。

> このようにして、あらゆる貪りと嫉みの原因と結果を観察することで、生死の流れの中において厭離の心を起こし、あらゆる欲望を捨て去る。

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，觀於食人精氣諸餓鬼等，以何業故而生其中？彼以聞慧知：此眾生於前世時，巧辭誑人詐言親友：『我為汝護。』其人聞已，策心勇力。是時彼人令他入敵欲喪其命，捨之而去，竟不救護，欲於王所取其財物，時被誑者沒陣而死。彼人以是不善因緣，身壞命終墮於食人精氣餓鬼之中，受大飢渴，自燒其身，刀斫其體皮肉斷壞，從空雨刀，遍走四方無逃避處。若見有人行惡無信，不奉三寶，即得彼便，入其身中食噉精氣，以自濟命。求之甚難，困不能得，或至十年或二十年乃得一便，常困飢渴。自作惡業，還自受之，惡業不盡，故使不死，乃至惡業不盡不失不朽，故不得脫；業盡得脫。從此命終，生於人中，常守天祀，貧窮困厄不得自在，食噉殘祀。以餘業故，依他自活。

> 「また、比丘たちよ、業の報いを知り、餓鬼の世界を観察せよ。彼は聞慧によって、人の精気を食らう餓鬼たちが、どのような業因によってそこに生まれるのかを観る。聞慧によって知る——この众生は前世において、巧みな言葉で人を欺き、偽って友人を装い『私があなたを守ろう』と言った。それを聞いた者は心を奮い立たせ勇気を得た。ところが、その者は彼を敵の中に送り込み、命を落とさせようとして、捨て去って顧みず、王のもとで財物を得ようとした。欺かれた者は戦場で倒れて死んだ。この不善の因縁によって、身壊れ命終わると、人の精気を食らう餓鬼の中に堕ちた。大いなる飢えと渇きに苦しみ、自らの身を焼き、刀に体を切り刻まれて皮肉が断ち壊され、空から刀の雨が降り、四方を逃げ回っても逃れる場所がない。もし、悪行をなし、信仰なく、三宝を敬わない人を見れば、即座にその機会を得て、その人の身に入り込み、精気を食べて自らの命をつなぐ。しかしそれを得ることは極めて難しく、苦しんでも得られず、十年あるいは二十年を経てようやく一度の機会を得るが、常に飢えと渇きに苦しむ。自らが作った悪業は、自らがその報いを受けるのだ。悪業が尽きない限り、死ぬことさえも許されず、悪業が尽きず、失われず、朽ちない限り、解脱できない。業が尽きて初めて解脱する。この命を終えた後、人間に生まれても、常に天の祭祀を守り、貧しく窮して自在を得ず、祭祀の残り物を食べて生きる。余業によって、他に頼って自活するのである。」

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，見有餓鬼名梵羅剎，以何業故而生其中？彼以聞慧知：此眾生前世之時，殺害生命以為大會，謂其希有；販賣飯食，賤取貴賣，貪嫉破壞。如是眾生身壞命終墮餓鬼中，名婆羅門羅剎餓鬼，為飢渴火焚燒其身，馳奔疾走，現視人像，殺害眾生，或住空巷衢道四交路首，以求人便。諸婆羅門殺生設會，多生其中。或自藏身以殺害人，或入人身中以斷人命。呪術人言：『鬼神著人。』入人身已，令人心亂，狂惑無知。如是惡業，常作眾惡，飢渴燒身受大苦惱，住餓鬼界。乃至惡業不盡不壞不朽，故不得脫；業盡命終，餘業因緣，生在人中，常食人肉或飲人血。以餘業故，受如斯報。

> また、比丘たちよ、業の報いを知り、餓鬼の世界を観察せよ。 彼は聞いた智慧によって、ある餓鬼が「梵羅刹（バラモン羅刹）」と呼ばれる存在であることを知る。どのような業によって、その中に生まれるのか。 彼は聞いた智慧によって知る。この衆生は前世において、生命を殺して大規模な祭祀を行い、それを珍しいことと誇った。また、飯食を売り買いし、安く仕入れて高く売り、貪欲と嫉妬のために人を破滅させた。 このような衆生は、身が壊れ命が終わると、餓鬼の中に堕ちる。婆羅門羅刹餓鬼と呼ばれ、飢えと渇きの火がその身を焼き、走り回って人の姿を現し、生命を殺す。あるいは空き家や辻、十字路に留まって、人を害する機会をうかがう。 多くの婆羅門が殺生して祭祀を行うと、その中に生まれることが多い。あるいは自らの姿を隠して人を殺し、あるいは人の身に入ってその命を断つ。呪術を行う者は言う。「鬼神が人に取り憑いた」と。人の身に入ると、その心を乱し、狂わせて無知にする。 このような悪業を常に行い、飢えと渇きに身を焼かれ、大きな苦しみを受け、餓鬼の世界に住む。悪業が尽きず、壊れず、朽ちない限り、そこから逃れられない。業が尽きて命が終わると、残った業の因縁によって、人の中に生まれ、常に人の肉を食べ、あるいは人の血を飲む。 残った業のゆえに、このような報いを受けるのである。

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，觀火爐中食諸餓鬼等，以何業故生於彼處？彼以聞慧知：此眾生遠離善友，貪嫉覆心，喜噉僧食。如是之人，身壞命終墮於地獄受無量苦。從地獄出，生於君茶餓鬼之中君茶魏云火爐。既生之後，飢渴燒身如火焚林，周遍奔走而求飲食。自業所誑，於天寺中被燒殘食，合火而噉。心常憶念火爐殘食，飢渴燒身，二火俱起，呻吟㘁叫。作諸惡業，決定成熟，乃至惡業不盡，猶不得脫；業盡得脫，餘業因緣生於人中，貧窮多病，隨其行處常為火燒，野火所焚。以餘業因緣，受如斯報。

> 「さらに、比丘よ、あなたは業の報いを知り、餓鬼の世界を観察しなさい。彼は聞慧によって、火炉の中の食物を食らう餓鬼たちが、どのような業によってそこに生まれるのかを見極める。彼は聞慧によって知る。すなわち、これらの衆生は善き友を遠ざけ、貪欲と嫉妬に心を覆われ、僧侶の食べ物を喜んで食べる。そのような人は、命終わって地獄に堕ち、無量の苦しみを受ける。地獄から出た後、君茶餓鬼（火炉の餓鬼）の中に生まれる。生まれた後は、飢えと渇きに体を焼かれ、まるで火が林を焼くかのようであり、あちこち走り回って食べ物を求める。自らの業に欺かれ、寺院で焼かれた後の食べ物の残りを、火と共に食べる。心は常に火炉の食べ物の残りを思い、飢えと渇きで体が焼かれ、二つの火が同時に起こり、うめき叫ぶ。様々な悪業をなし、その報いは決して成熟し、悪業が尽きるまでは逃れられない。業が尽きれば脱出するが、残った業の因縁によって人間に生まれ、貧しく病に悩み、行く先々で常に火に焼かれ、野火に焼かれる。残った業の因縁によって、このような報いを受けるのである。」

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧觀：多行嫉妬，習於遍業，究竟成業，墮餓鬼道，生於不淨巷陌之中。以何業行，生於彼處？彼以聞慧見：此眾生慳嫉覆心，以不淨食與諸梵行清淨之人。以是因緣，身壞命終，生於不淨囉他餓鬼之中囉他魏言巷陌。若於晝日，人不能見；若人夜行，則多見之。若城邑聚落眾聚之處，若住曠野行軍廁屏穢惡之處，虫蛆滿中，臭處不淨；若人見者，惡不欲視，歐吐捨去。而是餓鬼生在其中，由前世時以不淨食持與眾僧，以是因緣生不淨處受大苦惱。雖處其中，常不得食，有諸惡鬼手執利刀，刃出火焰，在傍守護，常困飢渴。一月半月乃得一食，猶不得飽；設得食飽，守糞諸鬼強打令吐。飢渴燒身，呻㘁哀叫，交橫馳走，憂惱悲泣，即以伽他而說頌曰：

> また、比丘は業の果報を知り、餓鬼の世界を観察する。彼は聞慧によって観察する。多くの嫉妬を抱き、遍業に親しみ、業を完成させて、餓鬼道に堕ちる者がある。彼らは汚れた路地や小道に生まれる。どのような業によって、その場所に生まれるのか。彼は聞慧によって見る。この衆生は、慳吝と嫉妬の心に覆われ、清らかな修行者である梵行の人々に、不浄な食べ物を与えた。この因縁によって、身が壊れ命が終わると、不浄な囉他（路地）の餓鬼の中に生まれる。昼間は人に見えず、夜に歩く人にはしばしば見える。町や村、人々の集まる場所、あるいは野原の行軍の際の厠や汚れた場所に住み、そこには虫や蛆が満ち、臭くて不浄である。人がそれを見れば、嫌で見たくなくなり、吐き気をもよおして去っていく。しかし、その餓鬼はそうした場所に生まれる。前世で不浄な食べ物を僧侶たちに与えた因縁によって、不浄な場所に生まれ、大きな苦しみを受ける。その場所にいても、常に食べ物を得られない。悪鬼たちが鋭い刀を持ち、刀の刃からは炎が出ており、そばで守っている。常に飢えと渇きに苦しむ。一ヶ月か半月に一度、やっと食べ物を得ても、まだ満たされない。たとえ満腹しても、糞を守る鬼たちが無理やり吐かせる。飢えと渇きに身体が焼かれ、呻き叫び、悲鳴を上げ、あちこちを走り回り、憂い悲しみ、泣き叫ぶ。そこで、偈を唱えてこう語る。

「『種子不善因緣故，獲得憂苦惡果報，因果之性相相似，惡業因緣得苦報。為惡業鉤之所牽，如魚吞鉤入惡道，吞鉤之魚尚可脫，惡業牽人無免者。諸業大力牽眾生，不善業繩之所縛，將詣餓鬼世界中，具受諸大飢渴苦。諸餓鬼等飢渴苦，過於火刀及毒藥，如是飢渴有大力，無量飢渴惱眾生。無一念時得休息，晝夜苦惱常不離，乃至不得微少樂，常受種種諸辛苦。以作苦業因緣故，生惡道中受苦報，於此苦報難得脫，何時當得受安樂？所見諸泉悉無水，一切陂池皆枯竭，處處逃奔求水漿，往至諸河悉不見。我所行處求諸水，山林曠野無不遍，隨所至處望水飲，求覓少水不能得，飢渴之火燒我身，無歸無救受大苦。』

> 「種子である不善の因縁により、憂い苦しむ悪しき果報を受ける。 因果の性質は互いに似通い、悪業の因縁は苦しみの報いをもたらす。 悪業の鉤に引き寄せられ、魚が鉤を飲み込むように悪道に入る。 鉤を飲み込んだ魚でさえ逃れられることがあるが、悪業に引き寄せられた者は逃れられない。 諸々の業の大きな力は衆生を引き寄せ、不善の業の縄に縛られ、 餓鬼の世界に連れて行かれ、様々な大きな飢えと渇きの苦しみをすべて受ける。 諸々の餓鬼の飢えと渇きの苦しみは、火や刀や毒薬よりも激しい。 このような飢えと渇きには大きな力があり、無量の飢えと渇きが衆生を悩ませる。 ほんの一瞬の休息もなく、昼も夜も苦しみ悩みが常に離れず、 わずかな楽しみさえも得ることができず、常に様々な苦しみや辛さを受ける。 苦しみの業の因縁をなしたがゆえに、悪道に生まれて苦しみの報いを受け、 この苦しみの報いから逃れることは難しく、いつ安楽を受けられるのだろうか。 見るところのあらゆる泉はすべて水がなく、すべての池も枯れ果て、 あちこち逃げ回って水を求めるが、様々な川に行っても全く見当たらない。 私が歩くところで水を求め、山や森、原野もすべて巡ったが、 たどり着く先々で水を飲もうと望んでも、わずかな水さえ得ることができない。 飢えと渇きの火が私の身を焼き、よりどころもなく、救いもなく、大きな苦しみを受ける。」

「如是餓鬼自業所誑，呻喚哀㘁，乃至惡業不盡，故不得脫。報盡命終，以餘業故，生於人中，受諸婬女、婦女之身；若得男身，生除糞家，身服女人所著之衣，行女人法。以餘業故。

> このように、餓鬼たちは自らの行為に欺かれ、呻き叫び悲しみ続ける。悪業が尽きない限り、そこから逃れられないのだ。その報いが終わり命が尽きた後も、残された業によって人間に生まれる。そして婬女や婦女の身を受ける。もし男に生まれても、糞掃除の家に生まれ、女物の衣をまとい、女としての生き方をする。これもまた、残された業のゆえである。

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間，以何業故生於食風餓鬼之中？彼以聞慧知：此眾生見諸沙門、婆羅門、貧窮病人來乞求者，許施其食，及其來至，竟不施與，令此沙門及婆羅門、貧窮病人飢虛渴乏，如觸冷風。彼妄語人，身壞命終墮於婆移婆叉魏言食風餓鬼之中。既受鬼身，飢渴苦惱如活地獄等無有異，奔走四方，無所悕望、無人救護、無依無怙。自心所誑，於遠方處適見飲食，在於林間及僧住處，奔走往趣，疲極困乏飢渴倍常，張口求食，風從口入以為飲食。以惡業緣，故使不死。惡業持身，妄見食想，猶如渴鹿見陽焰時謂之為水，空無所有，如旋火輪。以前世時虛誑許人而竟不與，以此報故，但眼見食而不能得。

> また、比丘たちよ、業の報いを知り、餓鬼の世界を観察すると、どのような業によって風を食う餓鬼に生まれるのか。彼は聞慧によって知る。この衆生は、修行者や僧侶、貧しい病人などの物乞いに来る者を見て、「食べ物を与えよう」と約束する。しかし、その者たちが訪れても、結局は何も与えず、彼らを空腹と渇きで苦しめ、まるで冷たい風に触れさせるかのようにする。この虚偽の言葉を語る者は、命を終えると、婆夷婆叉（魏の言葉で「風を食う」の意）という餓鬼に堕ちる。餓鬼の身を受けると、飢えと渇きの苦しみは、活地獄と全く変わらない。彼は四方を走り回るが、何の望みもなく、救う者もおらず、頼る者もいない。自らの心に欺かれ、遠くの林間や僧侶の住処に食べ物が見えると、走り寄って行く。しかし、疲れ果て、飢えと渇きはますます激しくなる。口を開けて食べ物を求めると、風が口から入り、それを食べ物とする。悪業の縁によって、死ぬこともできない。悪業が彼の身を保ち、食べ物が見えるという幻想を抱かせる。それは、喉の渇いた鹿が陽炎を水と見間違え、空であるにもかかわらず、回る火の輪のように追い求めるのと同じである。過去世に虚偽の約束をして実際には与えなかった報いにより、彼は食べ物を目にしながらも得ることができないのである。

「伽他頌曰：

> 伽他（げーた）の偈（げ）に曰（のたま）わく、

「『因果相似聖所說，善因善果則成就，善因則不受惡果，惡因終不受善報。因緣相順縛眾生，生死相續如鉤鎖，生死繫縛諸眾生，輪迴諸趣莫能脫。若能斷除諸繫縛，堅牢鉤鎖業煩惱，是人能至寂靜處，永斷一切諸憂惱。』

> 「因果は似たもの同士と、聖者は説かれた。 善い行いから善い結果が生まれ、 善い行いから悪い結果は生じない。 悪い行いから善い結果もまた生じない。 原因と条件が合わさって、人々は縛られる。 生死は続く、まるで鎖と鉤のように。 生死の束縛に絡め取られ、 人々は輪廻の世界から逃れられない。 もしもこの束縛を断ち切ることができ、 堅固な鎖である業と煩悩を絶つならば、 その人は静かな境地に至り、 すべての苦しみを永遠に断つことができるのだ。」

「其人如是受相似因苦報之時，自心所誑，奔揬馳走，常食風氣以自活命，乃至惡業不盡不壞不朽，故不得脫。業盡命終，生於人中，貧窮下賤，人所輕忽，常為眾人許施房舍、飲食衣物而無與者。聞他許時，心悅望得，至後不獲，轉懷憂結，受二種苦：一者飢渴；二者憂惱。受大苦惱，以餘業故，受如斯報。

> その者は、自らの心に惑わされながらも、似たような因果応報の苦しみを受けるとき、あちこちに走り回り、常に風気（風のようなもの）を食べて命をつなぐ。そして、悪業が尽きず、壊れず、朽ちない限り、そこから逃れることはできない。やがて業が尽き、命を終えた後、人間として生まれ変わっても、貧しく身分が低く、人々に軽んじられ、見下される。よく人々から「家や食べ物、衣服を与えよう」と言われて期待するが、実際には何ももらえない。その約束を聞いた時は心が喜び、得られるだろうと望むが、後に何も得られず、かえって憂いを抱く。こうして二種の苦しみを受ける。一つは飢えと渇き、もう一つは憂いと悩みである。このように大きな苦悩を受けるのは、残された業の報いによるものである。

「伽他頌曰：

> 伽他（げーた）の偈（げ）に曰（のたま）わく、

「『如是眾生惡業熏，具受種種諸苦惱，如糞所熏甚可惡，如是惡業應捨離。善法所熏最殊勝，能永離於惡道苦，如瞻蔔花熏香油，花雖滅壞香油在。』

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，觀食火炭諸餓鬼等，以何業故而生其中？彼以聞慧知：此眾生典主形獄，貪嫉覆心，打縛眾生，禁其飯食令他飢渴，噉食泥土以續生命。此典獄人以是因緣，身壞命終墮於食火餓鬼之中。常至塚間噉燒屍火，猶不能足。如是惡業，因時悅樂，受報極惱，心不愛樂，不淨可惡愛毒勢力因緣和合，受於食火餓鬼之身。若得食火，少除飢惱，如人以水滅世間火。比丘如是觀時，於世愛欲，深生厭離，不樂與俱，作是念言：『愚癡凡夫為愛所使，不得自在。』食火除飢，無法可喻，受餓鬼身，乃至惡業不盡不壞，故不得脫。業盡命終，生於人中，常生邊地飢儉之處，所食麁惡，無有美味，不識鹽味。以餘業故，受如斯報。

> さらに、比丘は業の報いを知り、餓鬼の世界を観察する。彼は聞いた智慧によって、火の燃える炭を食べる餓鬼たちが、どのような業によってそこに生まれるのかを観察する。彼は聞いた智慧によって知る。この衆生は、かつて刑務所を管理する役人であり、貪欲と嫉妬に心を覆われ、人々を打ち縛り、食事を禁じて飢えと渇きを与え、彼らに泥を食べさせて命をつながせた。この獄吏は、その因縁によって、身が壊れ命が終わると、火を食べる餓鬼の中に堕ちる。常に墓場に行き、焼ける死体の火を食べても、なお満たされることがない。このような悪業は、なした時は楽しみであったが、受ける報いは極めて苦しく、心は喜びを得ず、清らかではなく、嫌悪すべきものである。愛の毒の勢力の因縁が和合して、火を食べる餓鬼の身を受ける。もし火の食べ物を得れば、飢えの苦しみが少し除かれる。それは人が水で世の中の火を消すようなものである。比丘がこのように観察する時、世の中の愛欲に対して深く厭離を生じ、それと共にあることを喜ばず、こう思う。『愚かな凡夫は愛に使役され、自在を得られない。』火を食べて飢えを癒すことは、譬えようもない。餓鬼の身を受け、悪業が尽きず壊れない限り、脱することができない。業が尽き命が終わると、人間に生まれ、常に辺境の飢饉の地に生まれ、食べ物は粗悪で美味がなく、塩の味すら知らない。残った業によって、このような報いを受ける。

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，觀於食毒諸餓鬼等，以何業故生於其中？彼以聞慧知：此眾生貪嫉覆心，以毒食人令其喪命，取其財物。如是惡人身壞命終墮活地獄，具受眾苦。從地獄出，生於食毒餓鬼之中，在於民陀山窟之內，或在波梨耶多幽嶮山中，或生氷山極冷之處，或在摩羅耶山，極嶮惡難多有毒處、無有漿水、多饒毒藥，寒則氷凍，熱則毒盛，甚可怖畏，叢石峻巖，師子猛虎所居之處，而生其中。寒苦極惱過人百倍，夏日熱惱百倍於人。盛夏五日，空中雨火燒其身體；極冬寒至，於虛空中五日雨刀。以惡業故，空中雨火及雨刀劍，住嶮難處，為飢渴火焚燒其身，叫喚悲惱，以毒藥丸而自食之。食已即死，惡業不盡，即便還活。既得活已，飢渴倍前，呻㘁悲哀。有利嘴鳥來啄其眼，受大苦痛，舉聲大叫；鳥啄食已，眼復還生。如是受苦，乃至惡業不盡不壞不朽，故不得脫；業盡命終，生於人中，交道巷陌以自存活，惡業所熏，猶行蠱毒，還墮活等大地獄中，以餘業故。

> 「また、比丘たちよ、業の報いを知り、餓鬼の世界を観察せよ。彼は聞慧によって、食物に毒を盛る餓鬼たちがどのような業によってそこに生まれるのかを観察する。彼は聞慧によって知る。すなわち、これらの衆生は貪欲と嫉妬の心に覆われ、毒を用いて人を殺し、その財物を奪う。このような悪人は、命終の後、叫喚地獄に堕ちて様々な苦しみを受ける。その地獄から出ると、食物に毒を盛る餓鬼の中に生まれ、民陀山の洞窟の中、あるいは波梨耶多の険しい山の中、または氷山の極めて寒い場所、あるいは摩羅耶山の極めて険しく悪しく、毒が多く、水がなく、毒薬が満ち、寒ければ氷結し、暑ければ毒が盛んになる恐ろしい場所、叢石や険しい岩場、獅子や猛虎の住む場所に生まれる。寒さの苦しみは人間の百倍であり、夏の暑さの悩みも人間の百倍である。真夏の五日の間、空中から火が降り注ぎその体を焼く。極冬には、虚空から五日間にわたって刀が降り注ぐ。悪業のゆえに、空中から火や刀剣が降り、危険な場所に住み、飢えと渇きの火に身を焼かれ、叫び悲しみ、毒薬の丸薬を自ら食べる。それを食べるとすぐに死ぬが、悪業が尽きないためすぐに生き返る。生き返ると、飢えと渇きは前よりも倍増し、呻き悲しむ。すると嘴の鋭い鳥が飛んできてその眼を啄み、大きな苦痛を受け、声をあげて叫ぶ。鳥が眼を食べ終えると、また元のように眼が生える。このように苦しみを受け、悪業が尽きず、壊れず、朽ちない限り、脱することはできない。業が尽きて命終すると、人間に生まれ、街角や路地で生計を立てるが、悪業に熏じられてなお毒を盛ることを行い、再び叫喚などの大地獄に堕ちる。これが残った業によるものである。」

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，觀於曠野諸餓鬼等，以何業故而生其中？彼以聞慧知：此眾生以前世時，於曠野無水嶮難之處，日光焰暑，求福之人種殖林樹及造湖池以給行路。有諸群賊決去池水，令道行者疲極渴乏、氣力微劣，破壞劫剝奪其財物，嫉妬覆心不肯布施。如是之人，身壞命終墮阿吒毘魏言曠野餓鬼之中。大火燒身如燃燈樹，日光焰曝走於曠野，叫喚求水及求飲食，求哀自救。如是餓鬼以惡業故，遙見陽焰，謂是清水平住湛然，疾走往趣望得水飲，不計疲極，所至之處，但見空地了無有水。何以故？陽焰之中，性自無水，云何而得！是鬼慞惶走於曠野，荊棘惡刺貫其兩足，疲極望水，悶絕躄地。惡業力故，死已復生，飢渴惱逼過前十倍。未起之間，烏鵄雕鷲競啄其眼，食其身肉，分張爴裂破散身骨，三苦普至受大苦惱，無歸無救，互相悲告。即以伽他而說頌曰：

> さらに、比丘よ、業とその報いを知り、餓鬼の世界を観察せよ。彼は聴聞による智慧をもって、荒野に住む餓鬼たちが、どのような業によってそこに生まれるのかを観じる。彼は聴聞の智慧によって知る。これらの衆生は、前世において、荒野で水のない険しい難所、日光が照りつけて暑い場所で、福を求める人が植林し、湖や池を造って旅人に水を与えていた。ある賊どもがその池の水をせき止め、旅人を疲れ果てさせ、渇きに苦しめ、気力を弱らせ、財物を奪い取った。嫉妬の心に覆われて布施をしようとしなかった。そのような人は、身が壊れ命が終わると、阿吒毘（訳して荒野）の餓鬼の中に堕ちる。大火が体を焼き、あたかも油を注いだ灯明の木のようである。日光に照らされて荒野を走り、叫んで水や飲食物を求め、助けを哀れんで請う。この餓鬼は悪業のゆえに、遠く陽炎を見て、それを清らかな水が湛えて平らに広がっていると思い、急いで走って行き、水を飲もうと望み、疲れを顧みない。しかし、たどり着いたところは何もない空き地で、水は全くない。なぜか？陽炎の中には、もともと水という性質がないのだから、どうして得られようか！この鬼はおろおろと荒野を走り、茨や悪い棘がその両足を刺す。疲れ果てて水を望み、気絶して地に倒れる。悪業の力によって、死んではまた生き返り、飢えと渇きの苦しみは以前の十倍にもなる。起き上がらないうちに、烏やトビ、ハゲタカなどが競ってその目を突き、その身の肉を食い、引き裂き、体の骨を砕き散らす。三種の苦しみが一度にやって来て、大きな苦しみを受け、帰る場所も救いもなく、互いに悲しみ訴え合う。そこで、次の詩をもって語った。 ── 荒れ果てた野に住む餓鬼よ、熱砂に焼かれて喘ぐ者よ。 お前たちの罪は何か？奪い、閉ざし、与えなかった。 陽炎の水に惑わされ、痛みは永遠に終わらない。

「『雕鷲烏鵄諸惡鳥，金剛利嘴啄我身，爴裂破壞無全處，具受眾苦無救護。諸業如影不離身，如昔惡業今受報，我等宿害行路人，以是今受大苦惱。業圍所繞業繩羂，不見有可求脫處，唯有惡業盡壞時，乃能脫此大苦惱。惡業能將諸眾生，業牽令至可畏處，惡業能隨至何所，至受果時惡業熟。業縛眾生遊三界，輪轉無窮無休息，若行善業捨眾惡，則離眾苦無饒益。若人不愛諸惡業，觀之如火不貪著，是人不至餓鬼趣，不為飢渴火所燒。於須臾時常增長，飢渴苦痛念念生，身體熾火照山谷，猶如大火燒山林。野火焚燒大山林，大龍降雨則能滅，劫火一起海水竭，我火不可如是滅。業薪因緣生此火，為愛欲風之所吹，此惡業火燒我身，周遍圍遶無空缺。持戒精進智慧水，以布施瓶而盛之，寂滅大人持此水，能滅三界諸業火。若為三業之所使，三業流轉行諸有，是人迴旋行三處，如是三法之所誑。三十六業所驅使，不能離於四十行，九十八種諸結使，如是等法行三界。以一百八明智慧，思惟十二之深義，若人能知法非法，是人則得無量樂。若有能知二種相，思惟二八特勝行，思惟十六特勝已，是人遠離眾惡道。若人能見二種道，是為四法究竟人，已得超越四流海，是人覺悟無眾惱。能善修行八聖道，十力之義善知見，善知二苦之因緣，是人則到無生處。若人善達二諦義，能善思惟四念處，能觀過去未來世，不為魔網所障礙。我為惡業之所使，遠離眾善白淨法，到諸餓鬼世界中，自造惡業癡所惑。』

> 「この体には、雕や鷲、烏、鳶などの恐ろしい鳥たちが集い、 金剛のように鋭い嘴で、私の身を啄み尽くす。 引き裂き、破壊して、無事な場所は一つもない。 さまざまな苦しみを全て受けても、私を救ってくれる者はない。 あらゆる業（カルマ）は影のように、決して体から離れない。 昔、私が悪い業を積んだように、今、その報いを受けているのだ。 私たちは前世で旅人に害を加えた。 そのために、今こうして大きな苦しみを受けているのだ。 業の網に囲まれ、業の縄に縛られて、 逃れられる場所はどこにも見えない。 ただ、悪い業が尽き果てて滅び去る時、 その時初めて、この大きな苦しみから脱することができるのだ。 悪業は、あらゆる生きとし生けるものを導き、 恐ろしい場所へと引きずっていく。 悪業は、どこへでも付きまとう。 そして、その報いを受ける時が来れば、悪業は熟しきって現れるのだ。 業が生き物を縛り、三つの世界（欲界・色界・無色界）を旅させる。 輪廻は尽きることなく、休息もない。 もし善い行いをし、全ての悪を捨てれば、 あらゆる苦しみから離れ、計り知れない利益を得られるのだ。 もし人が、あらゆる悪い業を好まず、 それを火のように観察して執着しなければ、 その人は餓鬼の世界に落ちることはなく、 飢えや渇きの火に焼かれることもない。 わずかな間にも、飢えと渇きの苦しみは 一瞬一瞬に増大し、 私の体は燃え盛る火となって谷を照らす。 まるで、大火が山林を焼き尽くすかのようだ。 野火が大山林を焼き尽くしても、 大きな竜が雨を降らせれば消すことができる。 しかし、世界が終わる時の劫火が起これば、海水さえも干上がってしまう。 私のこの業の火は、そうやって消すことはできないのだ。 業という薪（たきぎ）が原因となって、この火は生じた。 愛や欲望の風にあおられて、燃え上がっている。 この悪業の火は、私の体を焼き、 周りをぐるりと取り囲んで、隙間など全くない。 戒律を守り、修行に励み、智慧という水を、 布施という瓶に満たそう。 真に静かな覚者は、その水を持って、 三つの世界の全ての業の火を消し去ることができる。 もし人が、身体・言葉・心の三つの業に支配され、 それらの業に流されて様々な生存の状態を巡るなら、 その人は三つの悪道（地獄・餓鬼・畜生）を回り続け、 これら三つのものに惑わされているのだ。 三十六もの業に駆り立てられ、 四十もの行き方から逃れられず、 九十八もの煩悩の結びつきに縛られて、 こうしたものが三つの世界を行き巡らせる。 百八つの智慧の明かりをもって、 十二の深い意味（十二因縁）をよく考えよ。 もし人が、正しい法と正しくない法とを識別できるなら、 その人は限りない安楽を得るだろう。 もし人が、二つの相を知り、 十六の特別な修行法（十六特勝）をよく考えるなら、 そして十六特勝を考え抜いたなら、 その人はあらゆる悪い道から遠く離れるだろう。 もし人が、二つの道（聖道と凡夫の道）を見極め、 四つの真理（四聖諦）を究めた人となるなら、 その人はすでに四つの激流（四瀑流）を越え、 迷いから覚醒して、もはや悩みはない。 よく八つの正しい道（八正道）を修行し、 十の力（十力）の意味をよく知り、 二つの苦しみの原因（集諦・苦諦）をよく理解するなら、 その人は生まれ変わりのない境地（涅槃）に至るのだ。 もし人が、二つの真理（世俗諦・勝義諦）をよく理解し、 四つの心の拠り所（四念処）をよく考え、 過去と未来をありのままに観察できるなら、 悪魔の網に妨げられることはない。 私は、悪業に支配され、 あらゆる善く清らかな行いから遠く離れ、 餓鬼の世界に来てしまった。 自ら積んだ悪業に、愚かさによって惑わされてしまったのだ。」

「如是有諸餓鬼利根智慧，有少善業，憶念本行，數數呵責諸餓鬼等。雖復呵責諸餓鬼等，然其惡業猶不得脫，乃至惡業不盡不壞不朽，故不得脫；業盡命終，生於人中，常行山嶮，隨逐群鹿，以餘業故。

> このように、ある餓鬼たちは優れた智慧を持ち、わずかな善行の業を有している。彼らは過去の行いを思い出して、度々他の餓鬼たちを責め苛む。しかし、いくら他の餓鬼たちを責めたところで、その悪業からは逃れられない。その悪業が尽きず、壊れず、朽ちない限り、解脱することはできない。業が尽きて命が終わると、人間に生まれ変わるが、常に山の険しい道を歩き、鹿の群れに従い続ける。これは、余った業のためである。

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，見塚間住諸餓鬼等，以何業故而生其中？彼以聞慧知：此眾生貪嫉覆心，見有信人持花施佛，盜取此花，賣之自供。此人以是惡業因緣，身壞命終墮餓鬼中，受於塚間餓鬼之身，飢渴熱惱，常食燒死人處熱灰熱土，一月之中乃得一食，或得不得；頭冠鐵鬘火焰俱起，頭面髑髏皆悉融爛，燒已復生。次著鐵鬘以貫頸上，火焰復起燒燃咽胸，一切身分從內出火，遍燒其身。以前世時盜佛花鬘，故獲斯報。受身醜惡，身上火起，諸虫唼食。有異羅剎來至其所，以杖打棒，刀斫其身，痛急㘁叫，受三種苦。何等為三？一者飢渴；二者鐵鬘；三者羅剎刀杖打斫。以惡業故受如是報，憂悲苦惱。即以伽他而說頌曰：

> また、比丘たちよ、業の因果を知り、餓鬼の世界を観察せよ。 彼は聞慧によって、墓場に住む餓鬼たちが、どのような業によってそこに生まれるのかを見る。彼は聞慧によって知る。すなわち、この衆生は貪欲と嫉妬の心に覆われ、信仰心ある人が花を持って仏に供えるのを見て、その花を盗み取り、売って自分の糧としていた。この人は、その悪業の因縁によって、身体が壊れ命が終わると、餓鬼道に堕ち、墓場の餓鬼の身を受ける。飢えと渇きに苦しみ、常に焼かれた死体の熱い灰や熱い土を食べる。一ヶ月のうちにようやく一度だけ食べ物を得ることもあれば、得られないこともある。頭には鉄の花鬘を冠り、炎が立ち上り、頭の面や髑髏はすべて溶け爛れ、焼けてはまた生じる。次に鉄の花鬘を首に巻き付けると、再び炎が起こり、喉や胸を焼き、全身のいたるところから内側より火が出て、その身を焼き尽くす。前世において仏の花鬘を盗んだ報いとして、このような報いを受ける。受ける身体は醜悪で、身には火が起き、様々な虫が噛み食う。また別の羅刹がその場所にやって来て、杖で打ち、刀でその身を斬る。激しい痛みに叫び悲鳴をあげ、三種の苦しみを受ける。その三種とは何か。第一に飢えと渇き、第二に鉄の花鬘、第三に羅刹の刀杖による打ち斬りである。悪業のゆえにこのような報いを受け、憂い悲しみ苦しむのである。そこで、偈をもって次のように説かれた。

「『我受飢渴諸辛苦，鐵鬘貫身火熾燃，刀杖打斫第三苦，具受如是諸憂惱。我為自心之所誑，為諸惡業癡所惑，今日受斯餓鬼苦，永離知識及親族。非是知識及妻室，亦非男女諸眷屬，能救我此業繫苦，是業大力不可奪。苦樂由業非他作，我今受斯三種業，布施持戒及聞法，我得聞已不修故。我為癡網所覆故，造作種種眾惡業，第一惡業因緣故，我今受斯大苦報。我今若得免離此，餓鬼世界大苦處，如是惡業未來世，乃至失命願不作。』

> 「私は飢えと渇きの苦しみを受け、 鉄の網が身にまとわりつき、火が燃え盛る。 刀や杖で打ち砕かれる第三の苦しみ。 このような様々な憂いや悩みを全て受けている。 私は自らの心に欺かれ、 悪業の闇に惑わされ、 今日、この餓鬼の苦しみを受けている。 永遠に友人や親族から離れてしまった。 友人や妻、子供たちでさえも、 この業の束縛による苦しみから私を救うことはできない。 この業の力は大きく、奪うことなどできない。 苦しみも楽しみも業によるものであり、他に原因はない。 私は今、三種の業を受けている。 布施や戒律を守ること、法を聞くことを、 聞いたにもかかわらず、修行しなかったからだ。 私は無知の網に覆われていたため、 様々な悪業を積み重ねてきた。 その第一の悪業の因縁により、 今、この大きな苦しみの報いを受けている。 もしもこの餓鬼の世界という大いなる苦しみの場所から 逃れられるならば、 未来の世において、このような悪業は、 たとえ命を落とすことがあっても、決して作りたくない。」

「是時餓鬼如是說已，大苦所壓，悔本造業，乃至惡業不盡不壞不朽，故不得脫；業盡命終，生於人中，墮旃陀羅家，屠兒魁膾擔負死屍。以餘業故受如斯報。

> その時、餓鬼はこの言葉を語り終え、大きな苦しみに押しつぶされ、かつて自らが造った業を悔いた。しかし、その悪業が尽きず、壊れず、朽ちない限り、逃れることはできなかった。業が尽きて命終わると、人間として生まれ変わったが、旃陀羅（せんだら）の家に堕ちた。すなわち、屠殺者や死体を担ぐ者の家である。過去の業の残りによって、このような報いを受けるのである。

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，觀樹中住諸餓鬼等，以何業故而生其中？彼以聞慧知：此眾生於前世時，見人種殖福德林樹為遠行者及病困人，以貪嫉心斫伐取材，及盜眾僧園林樹木。此人以是不善因緣，身壞命終墮毘利差餓鬼之中毘利差魏言樹，生在樹中。以惡業故，寒則大寒，熱則大熱，逼迮壓身如賊木虫，受大苦惱，身體萎熟，為諸虫蟻唼食其身。若有以食棄之於樹，得而食之，以自活命。於餓鬼中受諸辛苦，惡業不盡不壞不朽，故不得脫；業盡命終，生於人中，常賣藥草材木花葉以自存活，為他所使，不得自在，受大苦惱。以餘業故受如斯報。

> さらに、比丘よ、業の報いを知り、餓鬼の世界を観察せよ。彼は聞慧によって、樹木に住む餓鬼たちがどのような業によってそこに生まれるのかを観る。彼は聞慧によって知る——この衆生は前世において、人が遠くを旅する者や病に苦しむ者のために、福徳ある林や木を植えているのを見て、貪りと嫉みの心でこれを伐採し材木としたり、さらには僧侶の園林の木々を盗んだのである。この人はこの不善の因縁により、身が壊れ命が終わると、ビリサ餓鬼（毘利差、魏の言葉で「樹」を意味する）の中に堕ち、木の中に生まれる。悪業のゆえに、寒い時は極寒に、暑い時は極暑に苛まれ、木の虫のように身を押し潰され、大きな苦しみを受ける。身体は萎れ熟し、様々な虫や蟻にその身をかじられる。もし誰かが食べ物を木に捨てれば、それを得て食べ、かろうじて命をつなぐ。餓鬼の中でこのような多くの苦しみを受けても、悪業が尽きず、壊れず、朽ちない限り、そこから逃れることはできない。業が尽きて命が終わると、人間に生まれ、常に薬草や材木、花や葉を売って生計を立てるが、他人に使役され、自由がきかず、大きな苦しみを受ける。残余の業により、このような報いを受けるのである。

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間，見有餓鬼住四交道，因以為名，以何業故而生其中？彼以聞慧知：此眾生貪嫉壞心，盜他行糧，取已含笑拾之而去，其人失糧行於曠野受大飢渴。如是之人以此惡業，身壞命終墮遮多波他魏言交道餓鬼之中。以惡業故，自然而有鐵鋸截身，縱橫四徹，飢渴燒身。若諸世間多病因緣，交道設祀，凡夫愚癡不識因果，行於惡見交道祭祀，後病得差，謂是鬼恩。是交道鬼，因此祭食，以自濟命；若是餘飯則不能食。惡業不盡，故使不死，乃至惡業不盡不壞不朽，故不得脫；業盡命終，生在人中，貧窮下賤，生於屠兒殺羊之家。以餘業故受如斯報。

> また、比丘たちよ、業の報いを知る者は、餓鬼の世界を観察する。 すると、四つ辻に住む餓鬼がいるのを見る。それが名の由来である。 いかなる業によって、そこに生まれるのか。 彼は聞慧によって知る。 この衆生は、貪欲と嫉妬で心が歪み、他人の旅の糧を盗み、奪って笑いながら立ち去った。 そのため、糧を失った者は荒野で大きな飢えと渇きに苦しんだ。 このような者は、その悪業によって、命終わった後、遮多波他（魏のことばで「四つ辻」）の餓鬼に堕ちる。 悪業のゆえに、自然に鉄の鋸が体を切り裂き、縦横無尽に貫き、飢えと渇きに焼かれる。 世間に病気の因縁が多くあれば、四つ辻で祭祀が行われる。 凡夫の愚か者は因果を識らず、邪見によって四つ辻で祭祀を行い、病気が治ると「これは鬼の恩恵だ」と考える。 この四つ辻の鬼（餓鬼）は、その祭祀の食物によってようやく命をつなぐ。 それ以外の食べ物は食べられない。 悪業が尽きない限り、死ぬこともない。 悪業が尽きず、壊れず、朽ちない限り、解脱できない。 業が尽きて命終われば、人間に生まれ変わるが、貧しく賤しく、屠殺者や羊を殺す家に生まれる。 残った業の報いとして、このような報いを受けるのである。

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間。彼以聞慧，見諸眾生行於邪道諂曲作惡，行於惡因，說邪見法謂是真諦，不信正法。如是之人，身壞命終墮魔羅身餓鬼之中，受惡鬼身。若諸比丘行時、食時及坐禪時，是魔羅鬼為作亂心妨礙之事，或發惡聲令其恐怖，為作惡夢。如是餓鬼為魔所攝，憎嫉正法，專行暴惡。以此現造惡業緣故，大熱鐵摶從口中入，如地獄人等無有異，吞噉熱鐵受大苦惱無有休息。從此魔羅迦耶鬼中命終之後墮地獄中，多劫受苦，或滿十劫或二十劫。如是決定在三惡道，或被燒炙，或受打棒，為他食噉；人身難得，猶如海龜遇浮木孔。若生人中，盲冥瘖瘂，聾頑無知，一切眾衰，無量病惱莊嚴其身，貧窮下賤。以餘業故受如斯報。

> また、比丘よ、業の果報を知り、餓鬼の世界を観察せよ。彼は聞慧によって、衆生が邪道を歩み、へつらい曲がった悪を行い、悪因を積み、邪見の法を説いてそれを真実だとし、正法を信じないのを見る。このような者は、身が壊れ命が終わると、魔羅身の餓鬼の中に堕ち、悪鬼の身を受ける。 比丘が歩く時、食事の時、座禅の時に、この魔羅鬼が心を乱し妨害する事を起こす。あるいは恐ろしい声を発して恐怖させ、悪夢を見せたりする。この餓鬼は魔に支配され、正法を憎み嫌い、専ら暴悪を行う。この現世で悪業の縁を作った故に、大きな熱鉄の塊が口から入り込む。地獄の者と何ら変わりなく、熱鉄を飲み込み、大きな苦しみを受け、休むことがない。 この魔羅迦耶鬼の身から命終した後、地獄に堕ち、多くの劫の間苦しむ。あるいは十劫、あるいは二十劫に満ちるまで。このようにして、三悪道に定められ、あるいは焼かれ、あるいは打ちたたかれ、他から食べられる。人間の身を得ることは難しく、海亀が浮木の穴に出会うようなものだ。 もし人の中に生まれれば、目が見えず、暗く、声が出ず、耳が聞こえず、頑なで無知となり、あらゆる衰え、無量の病苦がその身を飾り、貧しく賤しい者となる。残った業の故に、このような報いを受けるのである。

「復次，比丘知業果報，觀餓鬼世間，以聞慧觀：如是略說餓鬼之處，若分別說，有無量種眷屬餓鬼，有住海中、有住海渚、有住閻浮提、有住瞿陀尼、有住弗婆提、有住欝單羅越等大洲中間之所住處。但以一名，門說有種種名，門有羅剎鬼、鳩槃茶鬼、毘舍闍鬼。知彼鬼神微細業行，各以何業而生彼處？食何等食？以何等行？何所欲樂？如是餓鬼以何緣故而生此處？皆由不能調伏心之獼猴，行不調柔猶如象耳，無有住時。如鳥在林為人所射，間別趣枝，從一至一，於一切境界常伺不息，猶如大風吹動諸塵。是心可畏，如師子獸、如虎如豹、如蛇如毒尚可調伏，是心難調，復過於此。隨所造業得相似果，是心如是難可覺知。如是染心縛諸眾生，若心清淨則得解脫。是心如王，諸根圍遶以為眷屬，由心造業，業因緣果，以果因緣故有五道。心如機關，諸根如絲，五根及心不善調御，行於惡道；若能善調，作諸善業，生天人中，乃至證得不動涅槃。比丘如是觀微細心行，隨順觀察，如是觀已，於生死中得大厭離。是比丘先已觀地獄苦，厭離生死，次觀餓鬼世間種種眾苦，得入苦聖諦，得苦諦無礙行，未得無礙道證。

「復次，修行者內觀於法，順法修行。彼比丘如實觀業果報，先已分別觀諸地獄，次觀餓鬼諸道差別，如實見諸生死過患甚可惡賤。如是觀已，離魔境界，厭捨生死，起精進力以求涅槃，成就具足得十五地。既成就已，爾時地神諸夜叉等心大歡喜告虛空夜叉，虛空夜叉聞已歡喜告四大天王，時四天王聞已歡喜告三十三天，帝釋眷屬聞已歡喜告夜摩天，夜摩天等聞已歡喜告兜率陀天，兜率諸天聞已歡喜告化樂天，化樂諸天聞已歡喜告他化自在天。如是欲界次第相告，其聲展轉，從梵身天乃至光音天，咸作此言：『閻浮提中某國某城某村某邑，某種姓中某善男子，剃除鬚髮，以信出家，離魔境界，欲破魔軍，令魔使者生大怖畏，能動一切諸煩惱山，入於正道欲放光明，今得如是十五地行。』時光音天聞是語已，皆大歡喜，告餘天眾：『汝等諸天應生歡喜，增長正法，減損諸魔及魔眷屬，令正法河流注不斷，竭邪見池，調伏貪欲瞋恚愚癡，摧滅邪徒，紹隆正法，欲散生死。』欲界天子聞此語已，甚大歡喜讚說之音，如是次第展轉相告，乃至光音一切天眾。比丘如是勤修精進，心不休息，端直不諂，遠離邪曲，如是求涅槃城，善音名稱遍諸天眾。

> さらに、修行者は内に法を観じ、法に従って修行する。その比丘は、業の果報を如実に観察し、まず地獄を分別し、次に餓鬼の諸道の違いを観察する。生死の過患が甚だしく厭うべきものであることを如実に見る。このように観じ終えると、魔の境界を離れ、生死を厭い捨て、精進の力を起こして涅槃を求め、成就具足して十五地を得る。成就したならば、その時に地神や夜叉たちは心から大いに喜び、虚空夜叉に告げる。虚空夜叉はこれを聞いて喜び、四大天王に告げる。四大天王はこれを聞いて喜び、三十三天に告げる。帝釈天の眷属はこれを聞いて喜び、夜摩天に告げる。夜摩天たちはこれを聞いて喜び、兜率陀天に告げる。兜率天の諸天はこれを聞いて喜び、化楽天に告げる。化楽天の諸天はこれを聞いて喜び、他化自在天に告げる。このように欲界では次々と告げられ、その声は梵身天から光音天にまで及ぶ。皆がこう言う。「閻浮提の某国、某城、某村、某邑、某の種姓の某善男子が、鬚髪を剃り、信仰をもって出家し、魔の境界を離れ、魔軍を破ろうとし、魔の使者を大いに怖れさせ、一切の煩悩の山を動かし、正道に入り、光明を放とうとしている。今、このように十五地の行を得た」と。その時、光音天はこの言葉を聞いて皆大いに喜び、他の天の衆に告げる。「あなたがた諸天は喜びを生じるべきである。正法を増長し、魔および魔の眷属を減損せよ。正法の河の流れを絶やすことなく流れ続けさせ、邪見の池を干上がらせ、貪欲・瞋恚・愚痴を調伏し、邪な徒を摧き、正法を興し継ぎ、生死を散じさせよ」と。欲界の天子たちはこの言葉を聞いて、大いに喜び、讚嘆の声をあげる。このように次々と伝えられ、光音天の一切の天衆にまで及ぶ。比丘はこのように精進に勤め、心を休めず、真っ直ぐで諂わず、邪曲を遠ざけ、このように涅槃の城を求める。その善い名は、諸天の衆に広く行き渡る。

## 正法念處經卷第十七餓鬼品竟

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