---
title: "正法念處經 · 8"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm9tojmwj079jhj0voyfo1k2s"
---

## 正法念處經卷第三十二

> 正法念処経 第三十二巻

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品之十一三十三天之八

> ＜note＞三十三天の第八＜/note＞ 観天の章 第十一

「爾時，天子念其天宮，還於天上。是時邪見外道諸婆羅門言：『此諸地，某天某天之所攝受。』或作諸論或作讚歎，如是林中所住邪見外道諸婆羅門，見之敬重頭面頂禮，但觀其相而生敬信，不如實知是第二天。復生分別見：此天子處處遊行，身如火聚，謂閻浮提人身入火中，以是因緣，生於善道，受諸天身。外道邪見諸婆羅門即作邪論，或自立宗，或自說因、自說譬喻，或作讚歎。既自邪見，復為他說，令他受行，以火燒身，望生天上。如是不能如實見知，說邪因果，非實果報，身壞命終墮於地獄。

> 爾の時、天子は自らの天宮を思い、天へと還って行った。その時、邪見の外道である諸々のバラモンたちが言った。「これらの地は、某々の天が所有している」と。ある者は様々な論を立て、ある者は讃歎を唱えた。このように林の中に住む邪見の外道のバラモンたちは、それを見て敬い重んじ、頭を地につけて礼拝したが、ただその姿形を見て敬いの心を起こしただけで、実のところは第二の天であると正しく知ってはいなかった。さらに分別の見解を生じさせて、「この天子は至る所を遊行し、その身体は火の塊のようである。かの閻浮提（人間界）の人々は火の中に入り、この因縁によって善き道に生まれ、天の身を受けるのだ」と考えた。 外道の邪見を持つバラモンたちは、すぐに誤った論を立て、あるいは自らの宗旨を掲げ、あるいは自らの理由や譬えを説き、あるいは讃歎を唱えた。彼ら自身が邪見に陥っているだけでなく、さらに他の人々にも説き聞かせて、その教えを受け入れ実践させ、火で身体を焼くことで天に生まれようと望ませた。このようにして、如来の真実を如実に見て知ることができず、誤った因果を説き、真実の果報ではないものを説いたため、身体が壊れ命が終わった後には地獄に堕ちてしまったのである。

「復次，邪見外道諸婆羅門住林中者，生於邪見。覩此天子從天來下向閻浮提，以遠見故，見不明了。遙見天子從於莊嚴山峯來下，至閻浮提，後還天上。林中所住諸婆羅門見是事已，自生分別，謂閻浮提人投赴高巖，以是因緣，生於善道，受諸天身。是故邪見諸婆羅門自墜高巖，欲求生天，復以此法為他人說，造作邪論或作讚歎，說此邪法以為業果。以其邪見，妄說因果，身壞命終墮於惡道地獄之中，是名邪見。

> さらに、邪見に執着した外道のバラモンたちが林の中で生活していたが、彼らは誤った見解を抱いていた。彼らはこの天子が天から閻浮提へと降りてくるのを見たが、遠くからであったため、はっきりとは見えなかった。遠くから、天子が荘厳な山頂から降りてきて閻浮提に至り、その後、天に戻っていくのを見た。林の中に住むこれらのバラモンたちは、この出来事を見た後、自分たちなりの解釈をして、「閻浮提の人々が高い崖から身を投げることで、その因縁によって善道に生まれ、天の身を受けるのだ」と考えた。そのため、邪見に執着したバラモンたちは自ら高い崖から身を投げ、天に生まれようと願い、さらにこの方法を他人にも説き、誤った論を組み立てたり、それを称賛したりした。この邪法を業の果報として説いたのである。彼らの邪見に基づいて原因と結果を誤って説いたため、命終わった後には悪道である地獄に堕ちてしまう。これを邪見という。

「時林中住邪見外道諸婆羅門，見此天子從天來下向閻浮提，去之遙遠，不見正色，但見大光猶如火色，妄生分別，便謂閻浮提人供養火故，身壞命終生於善道，受諸天身。何以故？火是一切諸天之口，是故供養火者得生天上。作如是等妄生分別、不如實見，造作邪論或自立宗，或自說因、自說譬喻，自作邪見，復教他人令入邪見。如是邪見諸婆羅門自無利益，令他衰惱，身壞命終墮於惡道生地獄中。

> 当時、林の中に住む邪見の外道である婆羅門たちは、この天子が天から閻浮提（人間界）に下って来るのを見たが、遠く離れていたため、そのはっきりとした姿は見えず、ただ火の色のような大きな光だけを見て、誤った分別を起こしました。彼らは「閻浮提の人々が火を供養するからだ。そのため、命終わった後、善き道に生まれ、天人の身を受けるのである。なぜなら、火は全ての天の口であるからだ。ゆえに火を供養する者は天に生まれる」と考えました。このように誤った分別を起こし、事実を正しく見ることなく、邪な論を立て、自らの宗を掲げ、自らの理由を説き、自らの喩えを語り、自ら邪見を起こし、さらに他者を教えて邪見に入らせました。このような邪見の婆羅門たちは、自らに利益がなく、他者を衰え悩ませ、命終わった後、悪道に堕ちて地獄に生まれます。

「復有邪見外道諸婆羅門住在林中，見此天子，妄生分別。遙見天子不飲不食，時婆羅門作如是念：『閻浮提人不飲不食，以是因緣，身壞命終生於善道，受諸天身。我今亦當不飲不食。』復教他人令學其法，造作邪論或作讚歎，說此邪法，以為業果。以是因緣，身壞命終墮於惡道生地獄中。如是外道不如實知，開惡道門。

> また、林の中に住む邪見の外道や婆羅門たちが、この天人の姿を見て、あれこれと誤った分別を起こしました。彼らは天人が飲み食いしないのを遠くから見て、こう考えました。「閻浮提の人は飲み食いしないことにより、この因縁で命終わると善道に生まれ、天人の身を受けるのだ。ならば我々も飲み食いをやめよう。」そして他人にもその方法を教え、誤った教えを作り出し、それを称賛して、「これが業の果報だ」と言いました。この因縁によって、命終わった後は悪道に堕ち、地獄に生まれました。このように、外道たちは真理を正しく理解せず、悪道への門を開いてしまったのです。

「若此天子或住少時，或須臾頃，於閻浮提過於百歲。外道邪見諸婆羅門便作是說：『如是天子常住不動，不破不壞，造作世界，能壞世間。』外道見之，便作邪論或作讚歎，說於邪因。以是因緣，身壞命終墮於惡道生地獄中。如是無量不如實見，造作邪論，不如實見，自心欺誑，不如實見。

> もしこの天子が、しばらくの間、あるいは一瞬の間でも、閻浮提（人間界）に留まれば、それは百年を超えるほどの長さとなります。外道の邪見を持つ婆羅門たちはこのように言います。「この天子は常に動かず、壊れることもなく、世界を創造し、また世の中を破壊する存在である」と。外道たちはこれを見て、邪な論を立てたり、賛美を捧げたりして、原因を誤ったものとして説きます。この因縁によって、彼らは身が壊れ命が終わるとき、悪道に堕ち、地獄に生まれます。このように無数の誤った見解に基づき、邪な論を作り、実相を正しく見ず、自らの心を欺き、真実を見ることができないのです。

「如是比丘觀諸眾生為心誑惑，以偈頌曰：

> このような比丘は、一切の衆生が心によって惑わされているのを観じて、次の偈（うた）を詠んだ。

「『心為惡蛇，愛毒周遍，螫人五體，虛生大悔。愛河廣大，五根津濟，此岸恐怖，彼岸安隱。見之妄解，不如實知，是邪見人，墮於地獄。是邪見人，非因見因，墮於地獄，顛倒見故。愚癡之人，迷於因果，有獄所縛，受諸苦惱。業之果報，則有生死，若如實見，則到彼岸。愚人求欲，為欲所惑，墮於地獄，如蛾投火。人中持戒，奉修正見，而得生天，非由苦行。此諸外道，行邪見行，恃智邪慢，誑惑他人，入於愚癡，黑暗大海。世間受苦，以邪見故；非以苦身，而得解脫。智者所說，調伏其心，燒煩惱山，則得解脫。修行正見，滅諸煩惱，見於實諦，則得解脫。一切外道，惑諸世間，無有寂滅，不妄語處。世間外道，虛誑甚多，百劫求之，無有少實。出世之法，皆是真實，世間言說，繫縛如毒。愛心造福，得無常樂，出世之法，則得常樂。不淨眾惡，因緣和合，空有言說，而無誠實。如是妄說，虛誑之人，墮於黑闇，可怖畏處。』

> 「心は悪蛇のようなもの。愛の毒は至るところに広がり、人の五体を刺して、虚しく大きな後悔を生じさせる。愛の河は広大で、五根が渡し場となっている。この岸は恐ろしく、あの岸は安らかである。それを誤って解釈し、あるがままに知らない、これが邪見の者であり、地獄に堕ちる。この邪見の者は、因でないものに因を見て、地獄に堕ちる。顛倒した見方をするからである。愚かな人々は因果に迷い、地獄に縛られて、さまざまな苦しみを受ける。業の果報には生死があり、あるがままに見ることができれば、彼岸に至る。愚者は欲望を求め、欲望に惑わされて地獄に堕ちる。まるで蛾が火に飛び込むように。人は戒律を守り、正見を奉じて修行すれば、天に生まれることができる。苦行によるのではない。これらの外道たちは、邪見の行いをし、智慧に頼って邪な慢心を持ち、他人を欺き惑わせて、愚かさと暗黒の大海に入る。世間で苦しみを受けるのは、邪見のゆえである。身体を苦しめることによって解脱できるのではない。智者が説くように、心を調伏し、煩悩の山を焼き尽くせば、解脱を得られる。正見を修行し、諸々の煩悩を滅し、真実の真理を見れば、解脱を得られる。 すべての外道は世間を惑わせ、寂滅もなく、妄語でないところもない。世間の外道は虚偽が非常に多く、百劫求めても、少しの真実もない。出世の法は、すべて真実である。世間の言説は、毒のように人を縛る。愛の心で福を積めば、無常の楽を得る。出世の法は、常住の楽を得る。不浄で様々な悪は、因縁が和合して、言説だけが空しく、誠実なものはない。このような妄説を語る虚偽の人は、暗黒の恐ろしい場所に堕ちる。」

「如是比丘實諦見之，說如是偈。云何眾生得真實知、得真實見，不起邪見？邪見之論，自無實見，令他邪見。以邪見論，或自受行，或為他說，自墮地獄亦令他人墮於地獄。

> このように比丘が真理を見極めて、次のような偈を説いた。 「いかにして衆生は真実の知恵を得、真実の見解を得て、誤った見解を起こさないのか。誤った見解の教えは、自ら真実の見解を持たず、他者も誤った見解に導く。誤った見解の教えによって、自らそれを行い、あるいは他人に説き、自ら地獄に落ち、他人をも地獄に落としてしまうのだ。」

「時諸天眾觀察一切閻浮提已，乘諸天鳥，還歸三十三天，至於天宮，向餘天眾，如前所說。復於園林遊戲受樂，妓樂自娛，種種功德皆悉具足。一切眾寶莊嚴之處遊戲受樂，乃至可愛善業壞盡，從天命終，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若生人中，常受安樂無有病惱，離諸衰亂，豐樂國土而於中生，受丈夫身，諸根具足，或為國王或為大臣。以餘業故。

> 時に天の諸々の衆は、閻浮提（人間世界）の全てを観察し終えると、天の鳥に乗って、三十三天に帰還し、天宮に至り、他の天の衆に向かって、先に述べた通りに語りました。また、園林の中で遊戯し、楽しみ、妓楽（音楽や舞踏）を自らの娯楽とし、様々な功徳を全て備えていました。一切の宝で荘厳されたところで遊戯し楽しみ、愛すべき善業が尽きる時までそれを享受し、その後、天の寿命が終わると、業に従って流転し、地獄・餓鬼・畜生に堕ちることがあります。もし人間に生まれる場合は、常に安楽を受け、病や悩みがなく、衰退や混乱から離れ、豊かで安楽な国に生まれ、男子の身を受け、諸々の根（感覚器官）が完全に備わり、あるいは国王となり、あるいは大臣となります。これは余りの業（過去の善業の残り）によるものです。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：三十三天第二十七地名智慧行。眾生何業而生彼天？彼以聞慧見：有眾生大心持戒，修行善業，如實見於業之果報，心有信樂，常行善業，捨於不善，其心質直，遠離惡友，乃至不與同路而行、不共言論、不與同住。如是善業悉遍修習，如煉真金。於現在世，為一切人之所愛敬，以修善故。若有比丘常修讀誦修多羅、毘尼、阿毘曇，如是比丘精勤修習，若晝若夜心不懈息。若夜闇冥廢其讀習，若有眾生敬重佛法及此比丘，施僧燈明，敬重法故，敬信三寶，復行布施令得增長讀習之善。若盛熱時，以扇布施，令無闇冥亦無熱惱，聞諸比丘談論聖法，心甚喜悅。二種功德因緣力故，是善業人自利利人，身壞命終生於善道三十三天慧行之地。生彼天已，以善業故，其身光明勝於日光滿足十倍，一切天眾之所供養，無量百千天女圍遶供養恭敬，皆是天子先所親友，和悅含笑種種莊嚴。其身勝妙，色相威德皆悉莊嚴，離於妬嫉，互相愛敬，不離須臾，皆生歡喜親近天子。手執蓮花或執金花，或有銀華、毘琉璃花、頗梨迦花，或雜寶花。若金蓮花，白銀為莖，赤寶為鬚；毘琉璃花，真金為莖；青寶蓮花，白銀為莖；硨磲蓮花，青寶珠玉以為其莖；赤蓮花寶，金剛為鬚。如是天女至天子所，以所持花散天子上，猶如盛夏降澍洪雨；諸天女等，以諸寶花散於初生天子之上亦復如是。

> さらに、比丘たちは業の報いを知り、三十三天の住む地を観察する。彼は聞慧によって見る。三十三天の第二十七の地は智慧行と名づけられる。いかなる業によって衆生はその天に生まれるのか？彼は聞慧によって見る。ある衆生は広大な心を持ち戒律を守り、善行を修め、業の果報を如実に見る。心には信楽があり、常に善行を行い、不善を捨てる。その心は正直で、悪友から遠ざかり、同じ道を歩むことさえせず、共に語らうこともなく、共に住むこともない。このような善行をすべて完全に修め、まるで純金を精錬するかのようである。現世においては、すべての人々から愛され敬われる。善を修めるからである。もし比丘が常に経典・律・論を読誦し修めるなら、その比丘は精進して修習し、昼夜を問わず心を怠ることがない。もし夜が暗くて読誦できない時、ある衆生が仏法とこの比丘を敬重し、僧伽に灯明を施し、法を重んじるゆえに、三宝を敬い信じ、さらに布施を行って読誦の善を増長させる。また暑い時に扇を布施し、暗闇も熱悩もないようにし、比丘たちが聖法を論議するのを聞いて心は大いに歓喜する。この二種の功徳の因縁の力によって、この善業の人は自らを利し他を利し、命終の後、善道である三十三天の慧行の地に生まれる。その天に生まれてから、善業のゆえに、その身体の光明は日光の十倍にも勝り、すべての天衆から供養される。無量の百千の天女たちが周囲を取り巻き、供養し敬う。彼らは皆、天子が先に親しくしていた者たちであり、和やかに微笑み、様々に荘厳している。その身体は勝れて妙であり、色相や威徳も皆荘厳で、嫉妬を離れ、互いに愛し敬い、一瞬も離れず、皆が天子に親近することを喜ぶ。手には蓮華や金の花、あるいは銀の花、琉璃の花、頗梨の花、または様々な宝の花を持つ。金の蓮華には白銀の茎があり、赤い宝が蕊である。琉璃の花には純金の茎があり、青い宝の蓮華には白銀の茎がある。硨磲の蓮華には青い宝玉の茎があり、赤い蓮華の宝には金剛の蕊がある。これらの天女たちは天子のもとにやって来て、持っている花を天子の上に散らす。それは夏の盛りに大雨が降り注ぐようであり、天女たちが様々な宝の花を初めて生まれた天子の上に散らすのもまた同じである。

「爾時，天子見諸天女心生歡喜，欲心即動，惡欲心發，從其座起，得未曾有。詣諸天女，踊躍歡喜，皆共和合娛樂受樂，歌舞戲笑遊戲娛樂，令此天子欲心增長。如是天女周匝圍遶遊於園林。天諸園林眾寶光明，一切諸欲皆悉具足。於此樹下遊戲受樂，種種眾鳥歌眾妙音，與天女音不可分別，莊嚴欲具，花果充足，種種流泉蓮花河池有百千種圍遶園林。如是天子與諸天女遊戲娛樂，受無量樂，以善業故。

> 時に、その天子は天女たちを見て心に喜びを生じ、欲心が動き、悪しき欲心が起こった。その座から立ち上がり、かつて無かった喜びを得た。天子は天女たちのもとへ赴き、踊り喜び、皆とともに交わり合い、楽しみ戯れた。歌舞や笑い、遊戯や遊楽にふけり、この天子の欲心をますます増長させた。こうして天女たちに周りを囲まれて、さまざまな園林を遊歩した。天の園林は多くの宝の光に輝き、あらゆる欲望がすべて満たされていた。この樹の下で遊び楽しみ、さまざまな鳥が美しい声で歌い、その声は天女たちの歌声と区別がつかないほどであった。欲望を満たす荘厳なものは整い、花や果実は豊かに実り、数多くの流れや泉、蓮の花、河や池が園林の周りを取り囲んでいた。このように、天子は天女たちとともに遊戯し楽しみ、限りない快楽を受けた。これらはすべて、善行の報いによるものであった。

「是時天子復與天女，更詣異林，伎樂自娛，隨念具足，受天之樂。聖人所愛持戒之果，成就果報。如是天子，天女圍遶，復往詣於摩尼支羅遊戲之林。先舊諸天見此天子，皆出往迎，心生歡喜，猶如見於親族兄弟，安慰問訊，共入林中，五樂音聲受天之樂。如是天子受種種樂，復於摩尼支羅林中無量歡喜，目視眾色，心生喜樂。其地園林皆以七寶而為莊嚴，金色寶衣莊嚴林樹，如是種種寶樹莊嚴。其地柔軟，無量飲食從河而流，目視如是一切眾色，眼甚愛悅。如是初生天子與諸天眾娛樂受樂。天子復詣毘琉璃地，共天女眾次第見於摩尼寶衣從樹而生，其色明淨，甚可愛樂，微風吹動隨風上下，無量色蜂以為莊嚴，光色如燈。諸天見之，發希有心，生大歡喜，共天女眾往詣此樹作天伎樂，遊戲受樂。是時諸天於此林中心生希有，即於花中出天摩偷，具足一切上妙之味。一切天眾昔所未見色香味觸，見之皆生百倍悅樂，飲天摩偷上味之酒。天子飲之，共諸天女遊戲受樂，歌眾妙音，讚天王釋：『以天帝釋因緣力故，令我於此摩尼支羅園林之中受五欲樂。味若摩偷，色香美味從樹花出，最為希有。我今飲之，百倍受樂。』爾時，天子共諸天女以毘琉璃器盛滿摩偷天之上味，迭共相勸飲此天味。此諸天眾於人中時，布施持戒，今得如是勝妙色香上味果報。隨其本業上中下報，心生愧恥。

> その時、天子は天女たちと共にさらに別の林へと向かい、音楽や舞踏を楽しみながら、思うままに天界の快楽を味わった。これは聖者たちが愛する戒律を守り続けた結果であり、その果報が成就した姿である。 こうして天子は天女たちに囲まれ、摩尼支羅（マニグラ）という遊びの林へと赴いた。先にいた天々たちはこの天子を見ると、皆が出迎えに出て、心から喜んだ。それはまるで親族や兄弟に会った時のように、互いに慰め、問いかけ合い、共に林の中へと入っていった。五種の楽音が響き渡り、天子は天界の快楽を受けた。 このように天子は様々な楽しみを受け、摩尼支羅の林の中では限りない喜びを感じ、さまざまな色彩を目にし、心は楽しく満たされた。その地の園林はすべて七宝で飾られ、金色の宝の衣が林の木々を飾っていた。このように様々な宝の木々で飾られたその地面は柔らかく、無数の飲食物が川のように流れていた。目に映るすべての色彩は、見る者の心を大いに楽しませた。 このようにして新しく生まれた天子は、天々たちと共に楽しみ、快楽を受けた。 次に天子は毘瑠璃（びるり）の地へと向かい、天女たちと共に、宝の衣が木々から生えているのを見た。その色は明るく澄み渡り、見る者の心を楽しませた。微風が吹くと風に揺れ、無数の色とりどりの蜂が飾りのようになり、その光は灯火のようであった。天々たちはこれを見て、珍しいことだと感じ、大いに喜び、天女たちと共にその木の下へ行き、天界の音楽を奏で、遊び楽しんだ。 この時、天々たちはこの林の中で、これまでに見たことのない不思議なものを目にした。花の中から天の摩偷（まとう）という酒が生じ、それはあらゆる上等な味わいを備えていた。すべての天々は、その色・香り・味・感触を見て、百倍の喜びを感じ、天の摩偷という至上の味わいの酒を飲んだ。 天子はこれを飲み、天女たちと共に遊び楽しみ、様々な美しい声で歌い、帝釈天（たいしゃくてん）をほめたたえた。 「帝釈天のおかげで、私はこの摩尼支羅の園林の中で五欲の楽しみを受けることができた。この摩偷（酒）の味わい、香り、美しさは木の花から生じ、最も珍しいものである。私はこれを飲み、百倍の楽しみを受けている。」 その時、天子は天女たちと共に毘瑠璃の器に天の摩偷という至上の味わいを満たし、互いに勧め合いながらこの天の味わいを飲んだ。 この天々たちは、人間だった時に布施を行い戒律を守ったことで、今このような素晴らしい色・香り・味わいの果報を得たのである。そして、それぞれが過去の行い（業）に応じて上・中・下の報いを受けることについて、心に恥じらいの気持ちを抱いた。

「樹上有鳥名飲摩偷，見諸天子心生愧恥，即為天子而說頌曰：

> 樹の上に、飲摩偷という名の鳥がいた。その鳥は、天の者たちを見て心に恥じ入り、彼らのために次のような詩（うた）を語った。

「『眾生癡所使，飲於摩偷酒，現觀癡所繫，貪著於美味。摩偷癡羂網，飲之至命終，退墮於地獄，諸龍亦如是。若見觸嗅甞，令人心癡醉，是故眾羂網，智者所捨離。見之生貪著，觸之則嗅甞，嗅之心貪味，著味為衰惱。一切繫縛中，無過貪嗜味，壞名聞色力，以其著味故。著味所迷亂，目瞢常惛醉，心迷致癡荒，不知善惡法。女人所輕笑，眠臥於糞穢，而無所覺知，不能自動發。酒能壞名聞，踰過於死畏，猶如飲毒藥，亦如死網羂。飲酒之為患，三十有六失，既知此過惡，應當速遠離。大姓智慧人，為酒之所污，眾人所輕忽，如草隨風轉。』

> 「衆生は無明に駆られ、迷いの酒を飲み、 真理を見る心を無明に縛られ、美味に執着する。 迷いの酒は網のようなもの、それを飲んで命終われば、 地獄に堕ちる。竜たちもまた同じである。 もし見、触れ、嗅ぎ、味わえば、人の心を酔わせ惑わす。 ゆえにこれらは全て網のようなもの。賢者はそれらを遠ざける。 見れば貪り生じ、触れれば嗅ぎ味わい、 嗅げば心は味に貪り、味に執着すれば衰え悩みとなる。 あらゆる束縛の中で、味への執着に勝るものはない。 名声も、容貌も、体力も損なう。その味に執着するゆえに。 味への執着に迷い惑わされ、目はかすみ常に醉い痴れ、 心は迷い無知に陥り、善悪の法を知らない。 女に軽く笑われ、糞尿の中に眠り臥し、 何も感じず、自ら動くこともできない。 酒は名声を損なうこと、死の恐怖を超える。 それはまるで毒薬を飲むかのよう、死の網のようなもの。 酒を飲むことの禍いは、三十六の過失がある。 この過ちと悪しきことを知ったなら、速やかに遠ざかるべきだ。 高貴な家柄の智者も、酒によって汚され、 多くの人に軽く見られる、風に舞う草のように。」

「如是天鳥雖是畜生，毀訾諸天，何況餘天。此諸天子飲於天味，上中下味色香具足，如其善業願行種子。飲已復詣陀羅殿林，於此林中欲行遊戲，聞種種音，心生歡喜，青優鉢羅以為首鬘，天子天女共相圍遶，歡喜遊戲，心常念欲金色光明陀羅林殿。既受樂已，復往詣於彌伽雲林，既至彌伽雲林之中，見百千殿天鬘莊嚴。

> そのような天の鳥は、畜生ではあるものの諸天を非難するのですから、ましてや他の天々についてはなおさらです。これらの天子たちは天界の味わいを飲みます。上・中・下の味わいが、色と香りを備えて完全に揃っています。彼らの善業や願い、行いの種子の通りにです。飲んだ後、さらに陀羅殿林に赴きます。この林の中で遊戯をしようとして、様々な音を聞き、心に歓喜を生じます。青き優鉢羅華を頭飾りの鬘として、天子と天女が互いに囲み、喜び楽しんで遊戯し、心は常に金光明陀羅林殿を念じ、その楽しみを受けた後、さらに弥伽雲林へと向かいます。弥伽雲林に至ると、百千の殿閣が天の鬘で荘厳されているのを見ます。

「爾時，天主釋迦提婆乘伊羅婆那大白象王，共諸天子天女眷屬圍遶，心生喜悅，為欲利益放逸諸天。時諸天眾見帝釋來，悉皆出迎，皆以頭面頂禮天主，於天主前出眾妙音，歌舞戲笑，歡喜叫呼。時天王釋以柔軟言，慰問諸天，在於伊羅婆那白象之上，告諸天曰：『汝以自業受於天樂，我今欲還歡喜之園，除阿修羅瞋恚、恃怙大力慢心。』時諸天眾白帝釋言：『天王！我今亦當隨於天王，除阿修羅瞋恚憍慢。』時天帝釋告諸天曰：『汝勿急速，我今自能破阿修羅。』時天帝釋語諸天已，入歡喜園。見阿修羅在歡喜園猶如雲聚，漸漸增長。時諸天眾罵詈毀訾，轉增高大。時諸天眾見其增長，罵詈不息，倍更增長，顏色醜惡。

> その時、天主シャクラ・デーヴァナーム・インドラ（帝釈天）は、神々の象であるエーラーヴァナという巨大な白象に乗り、多くの天子や天女たちに囲まれて、喜びに満ちていました。それは、放逸にふける天部の者たちを利益しようという思いからでした。 天部の者たちは帝釈天が来臨されるのを見て、皆、出迎えに出て、頭を地につけて天主に礼拝しました。そして天主の前で、様々な美しい音を奏で、歌い、舞い、喜び、叫び声をあげて楽しみました。 その時、天主帝釈はエーラーヴァナ白象の上から、柔和な言葉で天部の者たちにねぎらいの言葉をかけ、こう告げました。 「あなたがたは自らの行いの報いとして、天界の楽しみを受けているのです。私は今、歓喜園に戻り、阿修羅の怒りと、その大きな力に頼る慢心を除こうと思います。」 すると天部の者たちは帝釈天に申し上げました。 「天王よ、私たちも天王に従い、阿修羅の怒りと高慢を除きましょう。」 そこで天帝釈は天部の者たちに言いました。 「あなたがたは急いではなりません。私が自ら阿修羅を打ち破ることができます。」 天帝釈は天部の者たちにそう語りかけた後、歓喜園に入りました。すると園には、阿修羅が雲が集まるように現れ、しだいにその姿を大きくしていました。 天部の者たちが阿修羅を罵り非難すると、阿修羅はさらに大きく成長しました。天部の者たちがその成長を見て、なおも罵りをやめないと、ますます大きく、その姿は醜悪なものとなっていきました。

「帝釋見之，告諸天眾：『此阿修羅以汝瞋故，身增轉大，我當方便令離瞋慢。』時天帝釋而說頌曰：

> 帝釈天はそれを見て、天部の者たちに告げました。 「この阿修羅は、あなたたちの怒りによって、その身がさらに大きくなっている。私は、うまく手を回して、彼から怒りと慢心を去らせよう。」 そのとき、帝釈天は次のように偈を唱えました。

「『不瞋能伏瞋，忍伏麁惡心，法能伏非法，光明破闇冥；成實勝妄語，正語伏綺語，軟語勝惡口，能禁兩舌過；慈心斷殺害，布施除慳貪，正念勝邪念，善念破惡念；明能破無明，白日除黑闇，白月勝黑月，如是常得勝。智慧知真諦，勝於邪見欲，賢聖八分道，能破諸惡道；如來四無畏，能破諸怖畏，憶念破忘失，智能破愚癡；若住阿蘭若，則能破諸欲，須彌勝眾山，及以眾園林。大海勝涓流，及以諸河池；日光勝眾星，亦勝於餘宿。法式勝無法，布施破貧窮；質直勝諂曲，實能破妄語；吉能破不吉，火能燒眾薪；水能破於渴，食則能除飢。師子心勇健，勝於一切獸；知足勝悕望，智者如是說。悲愍者常勝，無悲為減劣；智慧能調伏，智者如是說。眾惡邪見業，多作諸妄語，如是外道中，如來最殊勝。天勝阿修羅，以其法勝故，我當破一切，何況汝一身。汝阿修羅使，汝勿生悕望，今此師子座，智者所應住。』

> 怒りを鎮めるのは怒りではなく忍耐であり、 粗暴な心を鎮めるのは忍耐です。 悪法を打ち負かすのは善法であり、 闇を破るのは光明です。 虚偽に勝る真実、乱れた言葉を鎮める正しい言葉、 悪口に勝る柔和な言葉、両舌の過ちを防ぐもの。 慈悲の心は殺生を断ち、布施は慳貪を取り除き、 正念は邪念に勝り、善念は悪念を破ります。 智慧は無明を破り、昼は闇を除き、 白月は黒月に勝る。このように、常に善は勝つのです。 智慧は真実の道理を知り、邪な見解や欲望に勝ります。 聖なる八正道は、あらゆる悪しき道を破ります。 如来の四無畏は、あらゆる恐怖を破り、 憶念は忘失に勝り、智慧は愚かさを破ります。 もしも閑静な場所に住めば、諸々の欲望を破ることができ、 須弥山は多くの山々や林園に勝るように。 大海は小川や池沼に勝り、 日光は星々やその他の宿星に勝るように。 正しい規範は規範なきに勝り、布施は貧しさを破ります。 質素正直はへつらいに勝り、真実は虚偽を破ります。 幸運は不運に勝り、火は薪を焼き尽くします。 水は渇きを癒し、食物は飢えを除きます。 獅子の心は勇猛で、全ての獣に勝ります。 足るを知るは欲望に勝ると、智者は説きます。 慈悲ある者は常に勝ち、慈悲なき者は衰えます。 智慧は心を調御すると、智者は説きます。 様々な悪しき見解や行い、多くの虚偽の言葉、 そのような外道の中にあって、如来が最も殊勝です。 天は阿修羅に勝ちます。正しい法に勝るからです。 私は全てを打ち破るでしょう。ましてや、あなた一人など。 あなたは阿修羅の使いです。望みを抱いてはなりません。 今、この獅子座は、智者がまさに座るべき場所なのです。

「時阿修羅聞釋迦提婆說是語已，不復增長，以得聞於實語縛故，減劣不增，色力勇健悉不增長。見其劣弱，時有天子手捉其足，曳令下座，即時驅出天歡喜園。時天帝釋心生歡喜，復往詣於摩尼支羅所住之地，乘於伊羅婆那大白象王騰空而遊，向於摩尼支羅之林。所作已辦，與諸一切天子天女至摩尼地。摩尼地天見天王釋，皆悉出迎，頭面頂禮，修敬既畢，皆往詣於彌伽雲林。其地一切眾欲具足，柔軟廣博眾花遍覆，以蓮花枝用為宮室一切愛處。釋迦天主共諸天女，種種樂音歌舞遊戲，娛樂受樂。乾闥婆王圍繞帝釋，歌眾妙音，讚歎天王，五樂音聲以為娛樂。時天帝釋在於伊羅婆那白象之上，其象端嚴勝於寶山，行步進趣如動玉山，其象鮮白踰於雪山，如春末時，日光照曜雪山之峯。如是天眾天子天女圍遶帝釋，遊於園林。其諸園林毘琉璃寶、白銀頗梨、因陀青寶、大因陀寶、赤蓮花寶、真金硨磲以為莊嚴。釋迦天王共諸天眾天子天女遊戲園中，閉惡趣門，心生歡喜。雖得見諦，猶受欲樂，而常思惟眾生生死。既思惟已，不恚不悅，觀諸樂受皆悉無常，破壞離散。如是知已，內自思惟：『諸天退沒，因於自業，為何所至受自業果？業風所吹，墮於地獄、餓鬼、畜生，流轉受苦而無伴侶。一切諸天及諸天女皆悉如是，會當別離。如是之業，大作樂具，戲弄一切愚癡凡夫。』

> さて、阿修羅は、帝釈天がこの言葉を聞いてから、その勢いが増すことはなくなりました。真理の言葉に束縛されたからです。そのため、勢いは衰え、体力も勇気も増すことはありませんでした。その弱っていく様子を見て、ある天人が彼の足を掴み、座から引きずり下ろし、すぐに天の歓喜園から追い出しました。 帝釈天は心から喜び、さらに、摩尼支羅の住む地へと向かいました。白象王のイラーヴァナに乗り、空中を遊行し、摩尼支羅の林へと向かったのです。これを為し終えると、全ての天子や天女たちと共に摩尼地へとやって来ました。 摩尼地の天々は、帝釈天が来られたのを見て、皆、出迎え、頭を地につけて頂礼しました。礼を済ませると、皆で彌伽雲の林へと向かいました。そこは、全ての欲望が満たされ、柔らかく広々とし、無数の花で覆われ、蓮華の枝で作られた宮殿があり、愛に満ちた場所でした。帝釈天は天女たちと共に、様々な楽器の音、歌、舞、遊戯を楽しみ、歓楽に耽りました。 乾闥婆の王は帝釈天を取り囲み、様々な美しい音色で歌い、天王を称えました。五種の楽の音が響き、楽しみを催しました。 帝釈天は、白象イラーヴァナの上におりました。その象は、宝の山よりも勝れて荘厳で、歩みは玉の山が動くかのようでした。その象の白さは雪山を凌ぎ、春終わりの頃の陽光に照らされた雪山の頂のようでした。 このように、天の衆、天子、天女たちが帝釈天を取り巻き、園林を遊行しました。その園林は、琉璃（るり）、銀、玻璃（はり）、因陀羅（いんだら）青宝、大因陀羅宝、赤蓮華宝、金、硨磲（しゃこ）で飾られていました。 帝釈天は、天の衆、天子、天女たちと共に園の中で遊び戯れ、悪い道（地獄・餓鬼・畜生）への門を閉ざしました。心から喜びながらも、真実を見つめているため、なお欲望の楽しみを受けながらも、常に衆生の生死について考えていました。考え終えると、怒りも喜びもなく、全ての楽の感覚は無常であり、壊れ、離散するものであると観じました。 こう知った後、心の中でこう考えました。 「諸天は没落する。それは自らの業によるものだ。どこへ行って、自らの業の結果を受けるのか？業の風に吹かれて、地獄・餓鬼・畜生に堕ち、流転し苦しみを受ける。そこには伴侶などいない。全ての天や天女たちも皆、このようであり、必ず別れの時が来る。このような業は、大きな楽しみの道具を作り出し、全ての愚かな凡夫を弄んでいるのだ。」

「時天帝釋思惟是已，而說頌曰：

> そのように考えたとき、帝釈天は次の詩を唱えました。

「『譬如虛空雲，為風之所吹，和合須臾散，生死亦如是。時時如眾花，見人有生死，一切皆磨滅，如去來亦然。如是善業熟，則受於天樂，善時既盡已，樂受則亦失。時節如樹林，生時甚敷榮，時節既過已，一切皆墮落。諸天如樹葉，樹如受樂處，受樂則有墮，無有常樂者。猶如夏降雨，不住於空中，諸樂亦如是，念念不暫停。譬如孔雀鳥，風雲則出聲，風止聲則滅，天樂亦如是。譬如以乾木，而置於火中，天樂亦如是，為時火所燒。生已復歸滅，已經百千返，為愛之所欺，而無有厭心。癡愛網所覆，一切無免者，戲弄於諸天，受諸不善業。』

> 「例えば、虚空の雲が風に吹かれて 集まっては、またたく間に散るように、 人の生死もまた同じである。 時が巡り、花々が咲き乱れるように、 人に生死があるのを見る。 すべてはやがて滅び去り、 過ぎ去るものも、来たるものも同様である。 このように善い業が熟せば、 天の楽しみを受けるが、 善い時が尽きれば、 その楽しみも失われる。 時節は林のようなもので、 生い茂る時は見事に花開くが、 時節が過ぎれば、 すべては落ちてしまう。 諸天は木の葉のようなもの、 木は楽しみを受ける場所のようなもの。 楽しみを受けても必ず墜ちる時が来て、 永遠に続く楽しみを持つ者はいない。 ちょうど夏に雨が降っても、 空中に留まることができないように、 あらゆる楽しみも同じで、 一瞬たりとも止まることがない。 例えば孔雀が、風や雲によって鳴くように、 風が止めばその声は消える。 天の楽しみもまた同じである。 例えば乾いた木を火の中に置くように、 天の楽しみもまた、時の火に焼かれてしまう。 生まれてはまた滅びることを、 すでに百千回も繰り返してきたにもかかわらず、 愛欲に欺かれながらも、 飽きる心を持たない。 愚かさと愛欲の網に覆われて、 そこから免れる者はいない。 天の神々さえも弄ばれ、 不善の業を受けているのである。」

「如是天帝釋愍諸天故，說是偈已，乘於伊羅婆那大白象王，天眾圍遶奏諸音樂，出妙音聲，還善法堂。以得勝於阿修羅故，心生歡喜，諸天恭敬到善法堂。摩尼支羅所住諸天，受欲無厭，受於色聲香味觸等遊戲園林，乃至可愛善業壞盡，從天還退，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若生人中，生大種姓，受第一樂，端正殊妙，生在中國、正法行處，大富饒財，子孫具足，壽命延長，眷屬和順，世間所有一切資具皆悉具足，一切眾人之所愛敬，或為大王或作大臣。以餘業故。

> そのようにして、天帝釈は天の人々を哀れみ、この偈を説き終えて、イーラーヴァナという大きな白い象に乗った。天の衆に囲まれ、音楽が奏でられ、妙なる音が響く中、善法堂へと還って行った。阿修羅に勝ったことで心に歓喜が生じ、天の者たちは敬いながら善法堂に至った。 マニチラに住む天の者たちは、欲を受けて飽くことを知らず、色・声・香・味・触という五つの楽しみを享受し、園林で遊び戯れる。やがて愛すべき善業が尽きると、天から退き、業に従って流転し、地獄・餓鬼・畜生に堕ちる。 もし人間に生まれれば、大きな種姓に生まれ、最も優れた楽しみを受け、姿かたちは端正で殊に妙であり、中央の国、正しい法の行われる処に生まれる。大いに富み財宝に恵まれ、子孫も満ち足り、寿命は長く、眷属は和やかであり、世の中の全ての生活に必要な道具をことごとく備えている。すべての人々から愛され敬われ、あるいは大王となり、あるいは大臣となる。これは、残った業の力によるものである。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：三十三天二十八地，名曰眾分。眾生何業而生彼天？彼以聞知見：有眾生修行善業，正身口意，質直不諂，不惱眾生，常行善意，其心質直，離惡知識，親近善友，不近惡友，不共言論、不與同住亦不同行，常避惡人，惡人所友亦不親近。親近賢善，聽聞正法，聞已思惟，心入於法——善、不善、無記——若有善法則便攝取，知不善法則便捨離。正念觀察調伏其心，不貪不欲，持七種戒，微細不犯，乃至小犯常懷大懼。一切善業，如鍊真金清淨無垢。如是之人不殺不盜，布施修福，見殺害者，救令得脫。云何救於殺害眾生？若有丈夫侵他婦人，為官所收，打惡聲鼓，從右門出，欲斷其命，無救無護，無所悕望，愁悴憂惱，欲至塚間。將至殺處，如是善人贖令得脫。復行布施修諸福德。云何善人修行福業？若僧住處，曠野無水，渴乏苦惱，如是善人，或為作井或為造池。若有水池，若井崩壞、若多細蟲，為僧修治，以諸細蟲置餘水中。如是微細皆不殺害。若以漉囊，漉諸水蟲還置水中。是名不殺生。云何不偷盜？不以盜心取他草葉；若曠野中種種果菜，故村聚落，疑他所護亦不故取，是名不盜。是人修行一切善業，身壞命終生於善道三十三天眾分之地。生於右門，真金為座，白銀、琉璃、或以頗梨、或車𤦲寶、或赤蓮花寶以為其座。青因陀寶、大青寶王、真珠之座，如是珍寶莊嚴之座而於中生。既生天已，而自思惟：『我以何業而來生此？』即自念知：『我於前世作斯善業，供養眾僧。如是善業猶如父母，清涼之寶生於天上，決定受樂。』如是天子作是念已，即自現見業之果報。見果報已，讚歎善業，毀訾惡業。念本生已，念人業地，無量善業地如父如母。

> また、比丘たちよ、善悪の業とその報いを知り、三十三天の住む境地を観察せよ。 彼らは聞く智慧によって見る。三十三天には二十八の住地があり、「衆

「爾時，天子念本生已，而說頌曰：

> その時、天子は自らの過去世を思い出し、次のように詩句を唱えた。

「『以善得人身，得已不放逸，造作眾善業，因是得生天。人身甚難得，得已行放逸，為放逸所迷，命終墮地獄。作三種善業，修行七種戒，殺於三怨家，則受諸天身。若人伏煩惱，未斷於愛心，是人愛因緣，則生於天中。破壞於嫉妬，大苦之窟宅，種種行布施，是人生天中。觀他如己身，悲愍護眾生，慈心常調伏，是人生天中。觀偷盜如火，布施於一切，以自修其心，是人生天中。觀他妻如母，常思惟真諦，慾泥不能污，是人生天中。火從自心起，由舌鑽燧生，若離此妄語，則生於善道。惡口破慈心，智者能捨離，常樂說軟語，則生於天上。觀綺語如刀，一切常遠離，常行於正語，是人生善道。若有行善人，不行於兩舌，實說諦知時，是人生天中。若人護如是，七種身口戒，其人諦知戒，則生於天中。』

> 「善い行いによって人の身を得たなら、得た後は油断せずに、 様々な善い行いを積みなさい。そうすれば天に生まれます。 人の身は得難いものです。得ても放逸に過ごせば、 その放逸に惑わされ、命終われば地獄に落ちます。 三つの善行を行い、七つの戒めを修行し、 三つの怨みの敵を打ち滅ぼせば、天の身を受けます。 人は煩悩を制しても、愛欲の心を断ち切れていなければ、 その愛の因縁によって天に生まれます。 嫉妬という大きな苦しみの巣窟を打ち壊し、 様々に布施を行う人は、天に生まれます。 他の人をわが身のように見なし、哀れみをもって生き物を守り、 慈しみの心で常に調(ととの)えられた人は、天に生まれます。 盗みを火のように見なして、全てに施しを行い、 自らの心を修める人は、天に生まれます。 他の妻を母のように見なし、常に真実を正しく思惟し、 欲望の泥に染まらない人は、天に生まれます。 火は自らの心から起こり、舌が火鑽ぎ(ひきり)の木となって生じます。 この虚偽の言葉を離れるならば、善い道に生まれます。 悪口は慈しみの心を壊します。賢者はそれを捨て離れ、 常に柔和な言葉を喜んで語る人は、天に生まれます。 戯れ言(ざれごと)を刀のように見なし、常に一切から遠ざかり、 常に正しい言葉を行じる人は、善い道に生まれます。 善行を行う人が、両舌(りょうぜつ)を働かず、 真実を語り、時にかなって語るならば、その人は天に生まれます。 人がこのように七つの身と口の戒めを護るならば、 その人は戒めを真実に知る者となり、天に生まれるのです。」

「如是初生天子思惟既訖，說此偈已，觀本生處。念生處已，著欲境界，以前習故說如是偈。爾時，初生天子威德殊勝一切皆集，天女見之，速疾馳奔至天子所，猶如眾蜂馳奔蓮花，諸天女眾馳奔天子亦復如是。手中執於種種伎樂，琴瑟箜篌，鼓眾妙音。是諸天女花鬘莊嚴，散以末香，手執花鬘。復有天女散花供養初生天子。如是天女以種種供養供養天子。不可譬喻勝上天女或百或千，見此天子初生天中，心生愛樂，又見本所奉事天子死相已現，捨本天子，馳向初生福德天子。譬如渴牛捨於枯池，走趣清水，此諸天女亦復如是，捨本所事，馳速往詣初生天子。

> このように、新しく生まれた天子は思いを巡らせ終え、この偈を説き終えると、自らの生まれた場所を観じました。生まれた場所を憶念すると、欲の境界に執着し、以前の習慣によってこのような偈を説きました。 その時、新しく生まれた天子の威光と功徳は際立って優れ、そのすべてが集まっていました。天女たちはそれを見て、速やかに駆け寄り天子のもとへ向かいました。それはちょうど、多くの蜂が蓮華に駆け寄るように、天女たちの群れも天子に駆け寄ったのです。 彼女たちの手には様々な楽器があり、琴、瑟、箜篌などで多くの妙なる音を奏でました。これらの天女たちは花鬘で身を飾り、末香を撒き、手には花鬘を持っていました。さらに、他の天女たちは花を撒いて、新しく生まれた天子を供養しました。 このように天女たちは、様々な供養をもって天子を供養しました。譬えようもなく優れた天女たち、あるいは百人、あるいは千人もが、この天子が天界に新しく生まれたのを見て、心に愛楽を生じました。また、以前に仕えていた天子に死の相が現れたのを見ると、その天子を捨てて、新しく生まれた福徳ある天子のもとへと駆け寄りました。 例えば、渇いた牛が枯れた池を捨てて清らかな水を求めて赴くように、これらの天女たちもまた、以前に仕えていた者を捨てて、速やかに新しく生まれた天子のもとへと向かっていったのです。

「爾時，初生天子聞諸天女莊嚴之具出美妙音，欲心即發，何況見色及其音聲。爾時天子見諸天女及聞樂音，恭敬供養，心生愛樂，悉忘本生，猶如隔於百千生死。何以故？以生天中放逸地故，性如是故。爾時，初生天子為諸天女以諸欲法種種情態，不善觀故，欲心增長。時諸天女說於種種欲心相應不淨之語，如是受於放逸之樂，天子天女互相隨逐。天女圍遶，一切諸欲皆悉具足，如是之樂昔所未得，今既得已，心生歡喜，為欲所牽，隨諸天女不得自在。時諸天女奉給天子，歌舞戲笑種種吟詠，鄙褻調話，令此天子心意迷惑，隨諸天女所至之處，常隨其後。欲網所縛如鳥在網，如是天子愛欲所縛亦復如是，隨其至處，天子隨之。如是地處七寶莊嚴，昔所未見，見之愛樂。既見此地，於此地中無量天衣天鬘莊嚴，受無量樂。復往詣於度曠野林，作天伎樂，共此天子至曠野林。見此林中一切眾鳥，種種相貌以為莊嚴，其音美妙出種種聲，與諸群鳥遊戲娛樂。諸鳥亦復雄雌相隨，若至華中飲摩偷酒，雄鳥隨之，若於諸花亦復如是。若鳥遊空，雄雌相隨亦復如是。隨其至處，若食美果，鳥亦隨之，若復遊戲蓮花池中亦復如是。於山峯中，二鳥雙遊，如是天鳥亦為愛網之所繫縛，將至異處，眾蜂之類亦復如是。群鹿麚麀相隨遊戲，亦為麀鹿欲網所縛，亦如天子迷天女色。譬如夏時降雨滿池充遍盈溢，是諸天子為諸天女欲愛充滿亦復如是，愛欲繫縛。雖復舒緩，甚為難解。

> その時、新たに天に生まれた天子は、天女たちの飾りから美しい音が聞こえてくるのを耳にし、すぐに欲心が湧き起こった。ましてや、その姿や声を見聞きすればなおさらである。 その時、天子は天女たちの姿を見、楽の音を聞き、恭敬し供養し、心に愛楽を生じた。そして、自らの本来の生まれ（過去世）を完全に忘れてしまい、あたかも百千もの生死を隔てたかのようであった。なぜなら、天に生まれるという放逸の境地にあり、その性質がそうであるからだ。 この時、生まれたばかりの天子は、天女たちが様々な情欲の仕草や態度を見せるのを、正しく観察することができなかったため、欲心が増大した。天女たちは、様々な欲心に相応した不浄の言葉を語りかけ、このようにして放逸の楽しみを受けた。 天子と天女は互いに追いかけ合い、天女たちに囲まれて、あらゆる欲望がことごとく満たされた。このような楽しみは過去に一度も得たことがなく、今それを得て心に歓喜を生じた。しかし欲望に引き寄せられ、天女たちに従うままになり、自在ではいられなかった。 天女たちは天子に仕え、歌舞や笑い、様々な歌や下品な冗談をもって、この天子の心を惑わせた。天子は天女たちの行くところどこへでも、常にその後ろについていった。まるで鳥が網にかかるように、欲望の網に縛られたのである。この天子も愛欲に縛られた様子は全く同じで、天女たちの行くところどこへでも、天子は従った。 こうした場所は七宝で飾り立てられ、過去に見たことのない素晴らしさで、見ると愛しい気持ちになった。その地を見て、無量の天衣や天の花飾りで飾られた中で、限りない楽しみを受けた。 さらに彼らは「度曠野林」へと向かい、天の音楽を奏でながら、この天子と共にその林に至った。この林の中では、すべての鳥たちが様々な姿で飾り立てられ、美しい音で種々の声を発し、鳥の群れと共に遊び戯れていた。 鳥たちもまた、雄と雌が互いに従い合っていた。花の中に行き、摩偷酒（甘露の酒）を飲めば、雄鳥がそれに従った。花々の中でもまた同様であった。鳥が空を飛ぶ時も、雄と雌は互いに従い合った。行く先々で美しい果実を食べれば、鳥もまた従った。さらに蓮華の池で遊ぶ時もまた同様であった。 山の頂上では、二羽の鳥が連れ添って遊んだ。この天の鳥たちもまた、愛の網に縛られて、別の場所へと導かれていった。蜂の仲間もまた同様であった。 鹿の群れも、雄鹿と雌鹿が連れ添って遊び、雌鹿への欲の網に縛られていた。ちょうど天子が天女の色香に惑わされるのと同じである。 例えば、夏の時に雨が降って池が満ち、あふれんばかりになるように、これらの天子たちも天女たちへの愛欲で満たされていたのである。愛欲の束縛は、たとえゆるやかに見えても、解くのが非常に難しいのである。

「如是比丘觀此事已，而說頌曰：

> このように、比丘（修行者）はこのことを観察して、次のように詩句で唱えた。

「『如是女欲網，繫縛甚堅牢，能令諸眾生，輪轉於有獄。身縛尚可解，心縛不可脫，心既為欲縛，常受諸苦惱。羂網尚可斷，欲網不可燒，隨其所行處，不離三惡道。羂網但縛身，愛網甚廣大，雖非是色法，能縛一切人。羂網縛眾生，尚可現覩見，如是愛縛心，求之不可見。初染生愛著，心著甚難解，人為愛所縛，不能脫生死。女色大羂網，縛眾生六根，羂但縛一身，或縛或不縛。若枷鎖杻械，聖說非為堅，癡人愛染心，繫縛甚堅牢。』

> 「このように、女の欲は網のようなもので、 その束縛は非常に固い。 すべての生きとし生けるものを、 迷いの世界（有獄）に輪廻させる。 体の束縛はまだ解くことができるが、 心の束縛は解くことができない。 心がすでに欲に束縛されれば、 常に多くの苦しみや悩みを受ける。 投げ縄の網はまだ断ち切れるが、 欲の網は焼き尽くせない。 その行くところどこでも、 三つの悪道（三悪道）を離れられない。 投げ縄の網はただ体を縛るだけだが、 愛の網は非常に広大である。 形あるものではないけれども、 すべての人を縛ることができる。 投げ縄の網が生き物を縛るのは、 実際に目に見える。 しかし、この愛が心を縛る様子は、 求めても見ることができない。 最初に染まると愛着が生まれ、 心の執着は非常に解きにくい。 人は愛に縛られると、 生死（迷いの世界）から脱することができない。 女の色は大きな投げ縄の網であり、 生き物の六つの感覚器官（六根）を縛る。 投げ縄の網はただ一つの体を縛り、 縛ったり縛らなかったりする。 枷（かせ）や鎖（くさり）、手錠や足枷も、 聖者はそれを堅いとは言わない。 愚かな人の愛に染まった心、 その束縛こそが非常に堅いのである。」

「如是比丘毀訾愛欲。爾時，天子為愛天女，一切愛網之所繫縛。將至園林，見種種林，甚可愛樂無以可喻。爾時，天子遊於花池，其池名曰白鵝之池，與諸天女至此池邊。天子天女遊戲娛樂，受五欲樂，種種樂音出眾妙聲。眾分天子復往詣於金山之中互相娛樂，受五欲樂。既受樂已，作如是念：『我今當與一切天眾詣善法殿遊戲受樂。』作是念已，與諸天眾詣善法殿，或遊虛空或乘鵝鳥、或乘孔雀、或乘宮殿，如是種種，詣善法殿，見天帝釋。種種伎樂歌眾妙音，至善法堂，爾時釋迦天王聞眾樂音，告諸天子：『大仙！如是音樂，是誰樂音？何地天眾來至於此？』時諸天子聞是語已，皆出觀之。既見天眾，還善法殿白帝釋言：『天王當知！眾分地天眾今來至此，奉問天王。』時天帝釋告諸天子：『汝今應當發勝歡喜，以諸樂器作諸伎樂，出迎眾分所來天子，種種遊戲共相娛樂。』時諸天子聞帝釋勅，即奉其教，手執種種琴瑟箜篌種種樂器，種種天鬘莊嚴其身，其身流出種種光明，身光鮮白晃曜照明，出迎眾分所來天子。二眾相見，和合遊戲，作諸神通，種種伎樂歌眾妙音，至善法殿。爾時，天主釋迦提婆坐百千柱寶殿之上。其師子座名曰得勝，天王坐上，安隱快樂威德光焰，百千天眾周匝圍遶，受善業果，威德殊勝過於和合百日並照。雖處天宮而不放逸。如是天眾既見天王，皆大歡喜過先十倍，即以頭面頂禮天王釋迦提婆，歌舞遊戲，以諸偈頌讚歎天王：

> ある修行者（比丘）は、愛欲を退け非難した。その時、ある天人は愛欲の天女に心を奪われ、すべての愛欲の網に絡め取られていた。彼は林園に連れて行かれ、様々な林を見たが、それは非常に愛らしく言葉にできないほどであった。彼は白鵝池と呼ばれる花の池で天女たちと遊び、五感の欲を楽しみ、様々な楽器の妙なる音を聞いた。そして、衆分天子は金山へと赴き、互いに戯れ合い、五感の欲を楽しんだ。楽しみ終えると、こう思った。「今こそ、すべての天衆と共に善法殿に行き、遊び楽しもう。」そう考えて天衆と共に善法殿へ向かった。ある者は虚空を遊び、ある者は鵝鳥や孔雀、宮殿に乗って、様々に善法殿に到り、帝釈天（天帝釈）を訪れた。様々な伎楽や妙なる音が響く善法堂に至ると、その時、釈迦天王が楽の音を聞いて天人の子らに告げた。「大仙よ、この音楽は誰の楽の音か。どの地の天衆がここに来たのか。」それを聞いた天人は皆出て見に行った。彼らは天衆を見ると、善法殿に戻り帝釈天に告げた。「天王よ、お知らせ申し上げます。衆分地の天衆が今、ここに来て天王にご挨拶申し上げております。」すると帝釈天は天人の子らに言った。「あなたたちは大いに喜びを起こしなさい。楽器を持ち、伎楽を奏でて、衆分の来た天人の子らを出迎え、共に遊び楽しみなさい。」天人の子らは帝釈天の命を受け、琴や瑟、箜篌（くご）など様々な楽器を手にし、天の花飾りで身を飾り、その身からは様々な光が輝き、鮮やかに照り映えながら、衆分の来た天人の子らを出迎えた。二つの天衆は互いにあいまみえ、和合して遊び、神通の技を繰り出し、様々な伎楽と妙なる音を奏でながら善法殿に至った。その時、天主である釈迦提婆は、百千の柱を持つ宝殿の上に座っていた。その獅子座は「得勝」と名づけられ、天王はその上に座り、安らかで楽しく、威光と炎を放ち、百千の天衆に囲まれて、善い業の報いを受けていた。その威光は百日の太陽が共に照らすよりも勝れていた。しかし、天宮にいながらも放逸ではなかった。天衆は天皇を見ると、先の十倍も喜び、頭を地につけて釈迦提婆に礼拝し、歌舞や遊戯をなし、偈頌をもって天王を讃嘆した。

「『天主憍尸迦，常護於世間，法行常寂靜，境界莫能壞。以法調世間，不以非法教，順法常安樂，違法受苦惱。行法則安樂，修智亦如是，不侵不妄語，常受於安樂。若世間功德、出世間功德，此一切功德，天王悉具足。怖者為作歸，苦者示善道，天王持世間、天人阿修羅。天王最殊勝，離諸不善法，洗除三惡垢，受於三歸法，如實知三業，行勝三菩提。雖生放逸地，不樂於放逸，天王持世間，法行離怨敵。』

> 「天の主、驕尸迦（カウシカ）よ、あなたは常に世の中を守護し、 真理の行いは常に静かで、いかなる境遇もそれを壊せません。 真理によって世の中を調え、正しくない教えによって導くことはしません。 真理に従えば常に安らかで楽しくなり、真理に背けば苦しみ悩みを受けます。 真理を行うことは安楽であり、智慧を磨くこともまた同じです。 他を侵さず、虚偽の言葉を語らなければ、常に安楽を受けます。 世の中の功徳も、世を超えた功徳も、 このすべての功徳を、天の主は完全に備えています。 恐れる者のよりどころとなり、苦しむ者に善き道を示し、 天の主は世の中や天・人・阿修羅（あしゅら）を支えています。 天の主は最も優れており、あらゆる善くない行いを離れています。 三つの汚れ（貪り・怒り・無知）を洗い清め、三つの帰依（仏・法・僧）を受け、 三つの行為（身・口・意）をあるがままに知り、優れた三つの悟り（三菩提）を行います。 たとえ気ままな境遇に生まれても、気ままさを楽しむことなく、 天の主は世の中を支え、真理の行いによって敵とわだかまりを離れているのです。」

「爾時，眾分之地諸天子等，勝智慧等讚天王時，爾時釋迦提婆因陀羅觀諸天眾，善言慰喻，告諸天曰：『諸天子！莫行放逸。若放逸者，則無利益。』時諸天子讚帝釋已，與天帝釋乘於虛空向眾分地。帝釋為首，諸天隨從，往詣眾分。時天帝釋作如是念：『此諸天子心行放逸，不知退苦，我當示化退沒之相，令生厭離。』時天帝釋為於遊戲放逸諸天子等，化中陰有。時諸天子戲遊園林山峯花池，時諸天子各各自見一切眾具勝相莊嚴皆見失壞，一切樂具亦皆磨滅，惶怖苦惱，身被繫縛，怖畏涕泣，烟焰俱起來遶其身。閻羅王使之所執持，飢渴自燒，行大怖畏，火來燒身猶如燒林。閻羅使者醜惡可畏，種種惡色，手執刀杖、弓刀矛矟及捉黑繩、赤棒網羂，或有上昇或有下行。時閻羅王所遣使者遍須彌山。時諸天子見閻羅使從於天上縛諸天子，加諸楚毒罵詈撾打，遍身火起其焰猛熾。時閻羅使手把刀戟，奮目大怒，互相告曰：『諸閻羅使！速縛如是放逸天子，我當戮之，將入地獄，令其不復得行放逸。』如是大喚上昇虛空上須彌山，遍於諸地皆令摧壞。百千萬億那由他數閻羅使者、伺命之官、醜惡獄卒遍壞諸地及以山側，遍於虛空，或上或下惱諸天子，語諸天子：『汝等所受五欲之樂、種種音樂，今何所在？汝等今為閻羅使者將詣地獄，受大苦惱。』若諸天子將墮地獄，則見獄火來燒其身。若諸天子有善業者，但見地獄，不見自身為火所燒。

> 爾時のこと、衆分の地にいる諸々の天子たちは、勝れた智慧をもって天王を讚歎しました。その時、釈迦提婆因陀羅（帝釈天）は天の衆を観察し、優しい言葉で慰めながら、次のように告げました。 「諸天子よ、放逸に陥ってはならない。もし放逸に陥れば、利益はないのだ。」 諸天子たちは帝釈を讚え終えると、帝釈天と共に虚空に乗り、衆分の地へと向かいました。帝釈天が先頭に立ち、諸天がそれに従って衆分の地へと赴きました。 その時、帝釈天はこう考えました。「これらの天子たちは、心が放逸に陥っており、退転の苦しみを知らない。彼らに退没の相を示して、厭離の心を起こさせるべきだ。」 そこで帝釈天は、遊戯や放逸にふける諸天子たちのために、中陰の有様を現し示しました。その時、天子たちは園林や山の峰、花の池で戯れていましたが、それぞれが自分たちのすべての荘厳な道具や勝れた相が失われ、すべての楽しみの道具も消え去ってしまうのを見ました。彼らは恐怖と苦しみに襲われ、身体は縛られ、恐れおののき涙を流し、煙と炎が立ち昇ってその身を包みました。閻魔の王の使いたちに捕らえられ、飢えと渇きに自ら焼かれ、大きな恐怖の中を進み、火が身を焼くのは林を焼くようでした。 閻魔の使者たちは醜く恐ろしく、様々な凶悪な姿をしており、手には刀や杖、弓、刀、矛、槍を持ち、また黒い縄や赤い棒、網や罠を携え、ある者は上に昇り、ある者は下に降りていきました。閻魔の王が遣わした使者たちは、須弥山のいたる所に満ちていました。 その時、天子たちは閻魔の使者が天から多くの天子を縛り上げ、様々な苦痛を加え、罵倒し殴打し、全身から激しい炎を上げているのを見ました。閻魔の使者たちは刀や戟を手にし、目を怒らせて互いに告げました。 「諸々の閻魔の使者よ、早くこの放逸な天子たちを縛れ。彼らを処罰し、地獄に連れて行き、二度と放逸を行えないようにせよ。」 このように大声で叫びながら、虚空に昇り、須弥山に上り、諸々の地をことごとく破壊しました。百千万億那由他もの数の閻魔の使者たち、命を伺う役人たち、醜悪な獄卒たちが、諸々の地や山の麓に満ち、虚空に遍く、ある者は上に、ある者は下にありながら天子たちを悩ませ、こう言いました。 「あなたたちが楽しんでいた五欲の楽しみや様々な音楽は、今どこにあるのか。あなたたちは今や閻魔の使者によって地獄に連れて行かれ、大きな苦しみを受けることになるのだ。」 もし天子たちが地獄に堕ちようとするならば、地獄の火がその身を焼くのを見ます。しかし、善い業を持つ天子たちは、地獄を見ることはあっても、自分の身が火に焼かれることはありません。

「時諸天子自見中陰被大繫縛。爾時，獄卒閻羅王使為此天子而說頌曰：

> そのとき、諸天の子らは、自らが中有において大きな束縛を受けているのを見た。そこで、獄卒たる閻魔の使いが、この天の子らに向けて偈を説いた。

「『汝愛於欲樂，而不作善業，是故得苦果，今日已成熟。汝若樂放逸，而行於非法，至於臨終時，心乃生悔熱。悔熱喻火燒，亦喻於刀戟，從於五根生，而還自燒滅。於苦謂為樂，貪怨為親友，觀放逸如是，是故應捨離。放逸愛和合，為欲之所縛，三種大怨家，能破壞大樂。憍慢近惡友，懈怠及貪心，遠離於持戒，是地獄因緣。持戒清涼觸，得報甚清涼，愚人不修行，臨終生悔熱。見於他妻妾，而生貪著心，飲酒行劫盜，因此墮地獄。惡口親惡友，邪見無正信，其心多躁擾，此法失人身。貪心及綺語，妄語無誠信，今世若後世，無有少安樂。遠離於善友，親近惡知識，根本無利益，不信業果報。不識業果報，苦樂非眾生，是人迷因果，臨終生悔熱。若人常妄語，恃智生憍慢，後得大衰惱，乃覺其業果。若流轉世間，具受諸苦惱，皆由無明力，大仙如是說。』

> 「お前は欲望の楽しみを愛し、善行を行わなかった。 それゆえ苦しみの果実を受け、それは今日すでに熟した。 もし心のままにふるまい、理に反した行いを続けるなら、 死に臨む時、心に後悔の熱が生じる。 その後悔の熱は火のようであり、刀や矛にもたとえられる。 五つの感覚から生じ、その同じものによって自ら焼き尽くされる。 苦しみを喜びと思い、憎むべきものを友とし、 貪る怒りを親しい仲間とする―― 心のままのふるまいをこのように見よ。ゆえにそれを捨て去るべきだ。 心のままのふるまいと愛執が結びつき、欲望に縛られる。 三種の大きな敵は、真の安楽を打ち壊す。 高慢、悪友に近づくこと、怠惰、そして貪りの心。 戒めを守ることから遠ざかる――これらが地獄への原因である。 戒めを守れば清らかな涼しさが得られ、その報いもまた清らかである。 しかし愚かな人はそれを修行せず、死に臨んで後悔の熱を生じる。 他人の妻や妾を見て、貪りの心を起こし、 酒を飲み、盗みを行う。それゆえ地獄に落ちる。 悪口を言い、悪友に親しみ、邪見を持ち正しい信を持たず、 心が多く動揺する――これらの行いは人としての身を失わせる。 貪りの心と飾った言葉、偽りで誠実さのない言葉。 今の世も後の世も、わずかな安楽もない。 善友から遠ざかり、悪知識に親しむ。 根本に利益はなく、業の報いを信じない。 業の報いを知らず、苦楽は衆生によるものではないと考える。 その人は因果に迷い、死に臨んで後悔の熱を生じる。 もし人が常に偽りの言葉を語り、知恵を頼みに高慢を生じるなら、 後に大きな衰退と悩みを得て、初めてその業の報いを悟る。 もし世の中を流転して、様々な苦しみを全て受けるなら、 それはすべて無明の力によるものだと、大仙はこのように説かれた。」

「爾時，釋迦提婆因陀羅化作如是閻羅使者，為諸天子中有說法，折伏呵責。時天帝釋復為諸天眾示現變化。若諸天子有先世業應墮畜生，示於無量種種業相，如印印泥。中陰之相互相殘害，共相食噉，生大怖畏，令諸天子皆悉見之。若諸天子無畜生業，但見畜生互相殘害，不見自身作畜生形。時天帝釋復為放逸諸天子等，示化中陰。若諸天子當生餓鬼，為於飢渴焚燒其身，長髮覆面，其形醜惡。此諸天子見虛空中，烏鵄諸鳥來啄其眼及耳鼻舌。是時天眾見向所化如是惡相，生大怖畏。餘天見已，白帝釋言：『釋迦天王！何故捨諸天子而自止住？此諸天子皆被繫縛，或阿修羅、或餘惡人將之欲去，遍須彌山一切諸地。我亦曾與阿修羅鬪，未曾覩見如是惡相。又阿修羅及其軍眾未曾俱來至此天中，云何世間失正法耶？不孝父母耶？不敬沙門、婆羅門耶？不敬耆舊長宿耶？天王！今諸世間不供養如來及法僧耶？不知因果、不知真諦耶？如護世天王常說此法，今閻浮提不修行耶？今諸天眾皆被惱亂。天王！何故不嚴器仗，乘於伊那大龍象王，身服鎧鉀，擊大戰鼓莊嚴鬪戰？』有諸天眾，天主同業，向天王釋作如是說。復有諸天覩此希有未曾見事，心生厭離，極大恐怖，諸根振動，歸依帝釋作如是言：『唯願天王救護我等。此諸天眾所住之地，悉為阿修羅之所劫奪。未曾見此阿修羅等可畏之身如是怖畏。』諸天子等皆向帝釋作如是說。復有天子見是化已，向善法殿速疾馳奔，取諸器仗鬪戰之具。復有天子詣雜殿林，取諸鬪具向閻羅使若打若捉，不能加害。譬如鏡中所見色像，不可捉持、不可打害。如是天王示如斯化。

> その時、帝釈天は変じて閻魔の使いを現し、天人のために説法し、彼らを折伏し呵責した。 帝釈天はさらに諸天の衆に様々な変化を示した。 前世の業によって畜生道に堕ちるべき天人は、無数の業の相を印に泥を押すように示され、 互いに中陰の相が残し合い、食らい合い、大きな恐怖を生じ、すべての天人がそれを見た。 畜生の業のない天人は、獣同士が互いに害し合う様を見るが、自らが畜生の姿になることはない。 さらに帝釈天は放逸な天人のために、中陰の変化を示した。 餓鬼に生まれるべき天人のために、飢えと渇きに身体を焼かれ、長い髪が顔を覆い、その姿は醜悪であった。 これらの天人は虚空の中で、烏や鳶が来てその眼や耳や鼻や舌を啄むのを見た。 天の衆はこのような恐ろしい相を見て、大きな恐怖を生じた。 他の天人がこれを見て、帝釈天に言った。 「釈迦天王よ、なぜ天子たちを置き去りにしておられるのですか？これらの天子たちはみな縛られています。あるいは阿修羅に、あるいは他の悪人に連れ去られようとしています。すべての須弥山の地にまで及んでいます。私も阿修羅と戦ったことがありますが、このような恐ろしい相を見たことはありません。阿修羅とその軍勢が一緒にこの天に来たこともありません。世の中は正法を失ってしまったのでしょうか？父母に孝行せず、沙門やバラモンを敬わず、長老を敬わないのでしょうか？天王よ、今、世の人々は如来や法や僧を供養していないのでしょうか？因果を知らず、真理を理解していないのでしょうか？護世の天王が常に説くこの法を、閻浮提の人々は修行していないのでしょうか？今、天の衆はみな悩乱されています。天王よ、なぜ武器を整え、伊那の大龍象王に乗り、鎧をまとい、大戦鼓を打ち鳴らして戦いの備えをなさらないのですか？」 帝釈天と同じ業を持つ天人たちは、このように帝釈天に語った。 また、他の天人は、この珍しく未だ見たことのない事を見て、心に厭離を生じ、極度の恐怖を感じ、諸根が震え、帝釈に帰依して言った。 「どうか天王よ、私たちをお救いください。この天人が住む地は、すべて阿修羅に奪われてしまいました。阿修羅のこのような恐ろしい姿を見たことはありません。」 天子たちは皆、帝釈天にこう言った。 またある天人はこの変化を見て、善法殿へと素早く走り、武器や戦いの道具を取りに行った。 またある天人は雑殿林へ行き、戦いの道具を持って、閻魔の使いを打とうとしたり捕まえようとしたりしたが、害することはできなかった。まるで鏡に映った色や形のように、捉えることも打つこともできなかった。このように、帝釈天はこのような変化を示されたのである。

「是時天主釋迦提婆復示天子——化阿修羅——勝於羅睺、勇健阿修羅等，被縛撾打、斫刺罵詈，悲泣憂惱，如諸天子化受苦惱。時諸天子見阿修羅受大劇苦，百千萬倍過諸天子。時諸天子見阿修羅受大苦惱，未曾所見，生大怖畏。復往詣於釋迦天王，白天王言：『我今不知是何丈夫有斯大力，皆能繫縛諸阿修羅王——羅睺阿修羅王、勇健阿修羅王——繫撾打棒、斫刺罵詈？云何有此未曾有事，令諸天子身毛皆竪？唯願天王為我說之，我今亦畏，得此衰惱。天王！何者為，知不耶？諸天之眾及阿修羅皆悉破壞，一切世間恐皆摧滅。天王若知，願為我說。釋迦天王若不知，若不知者願善思惟。』

> その時、天帝\[1\] である釈迦提婆は、天子たちにアスラの姿を変じて示した。羅睺\[2\] や勇健\[3\] のアスラ王たちは、縛られ、打たれ、刺され、罵られ、悲しみ泣き、憂い苦しむ様子であり、あたかも天子たちが苦しめられているようであった。その時、天子たちは、アスラたちが天子たちの百千万倍もの凄まじい苦しみを受けているのを見た。天子たちは、これまで見たことのないような、アスラたちの大いなる苦しみを目の当たりにし、大きな恐怖を抱いた。そして、再び釈迦天王のもとへ行き、こう申し上げた。 「今、私は、このような大いなる力を持つ者が、いったい何者なのか知りません。羅睺アスラ王や勇健アスラ王といった、すべてのアスラ王を縛り、打ち、棒で叩き、刺し、罵るとは、いったい何事でしょうか。どうしてこのような、かつて無い出来事があり、天子たちの身の毛がよだつのでしょうか。どうか天王様、私たちにそのことをお話しください。私たちも今、このような衰えや苦しみを受けるのを恐れております。天王様、それは何者でしょうか。あなたはご存知ですか？天の衆もアスラたちも、ことごとく打ち破られ、この世のすべてが摧き滅ぼされるのではないかと恐れております。天王様がご存知なら、どうか私たちに教えてください。もしも釈迦天王がご存知でなければ、どうかよくお考えください。」 \[1\] 帝: 天帝のこと。 \[2\] 羅睺: 羅睺阿修羅王のこと。 \[3\] 勇健: 勇健阿修羅王のこと。

## 正法念處經卷第三十二

> 正法念処経 第三十二巻