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title: "正法念處經 · 11"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
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## 正法念處經卷第四十六

> 正法念処経 第四十六巻

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品之二十五夜摩天之十一

> 観天品 第二十五<note>夜摩天の十一</note>

「『又彼比丘復念天中可愛境界，根和合生，分別風吹，數數增長，愛火所燒。諸世間人貪彼處樂，起如是心：「天中甚樂。」如是比丘繫念思惟：「彼天失壞。」比丘於彼可愛境界不生貪樂，離熱惱意。如是比丘第一善意，見六欲天皆悉失壞。

> また、その比丘は天界の愛らしい境界を再び思い浮かべる。それは感覚と調和して生じ、分別心という風に吹かれ、繰り返し増長し、愛欲の火に焼かれるものだ。世の人々は、その境地の楽しみに執着し、こう心に抱く。「天界はなんと楽しいことか。」こうして比丘は心を集中して考えを巡らせる。「あの天界もまた、衰え滅びゆくのだ。」比丘は、その愛らしい境界に対して貪りの楽しみを生じさせず、熱悩の意を離れる。このように比丘は最上の善き意をもって、六つの欲天がすべて衰え滅び去るのを見るのである。

「『彼四天處有十二種失壞之事：一謂力劣；二謂常與阿修羅鬪，彼阿修羅忽然闇至入其軍中；三謂鬪時，為阿修羅打彼天身所著鎧鉀；四謂鬪時，撥其頭上所著兜鉾，令墮海中；五謂壞已，則生羞慚；六謂鬪時，見羅睺羅，則生驚怖；七謂退時，彼天女眾捨之而去，向餘天子；八謂食時，以自業故，見食劣者，則生羞慚；九謂軍眾量色形相莊嚴具等，自業相似，於他劣者則生羞慚；十謂彼天遊戲之時，於彼天中所生之鳥，見彼劣者亦生輕賤；十一、劣天向遊戲處步行而往；十二、劣天所受欲觸，自業相似，他莊嚴具則為勝妙，見他勝故則生慚恥。四天王處有如是等十二失壞，如是比丘善修心者，不貪天樂，以無垢意觀察彼天。既觀察已，心生厭離，毀呰天欲。若其有人悕求天故而行梵行，如是梵行非梵行因。如是等人為彼比丘之所輕賤。何以故？無自在故。

> 「四天王の天には、十二の衰退がある。 第一に、力が弱まること。 第二に、常にアスラと戦い、そのアスラが突然暗闇に紛れて軍中に侵入すること。 第三に、戦いの際にアスラに鎧を打ち破られること。 第四に、戦いの際に兜を打ち落とされ、海に落ちること。 第五に、破れた後に恥ずかしさを覚えること。 第六に、戦いの際にラーフラを見て恐怖すること。 第七に、退却する時に天女たちが彼を捨てて他の天子のもとへ行くこと。 第八に、食事の時に自らの業によって粗末な食事を見て恥ずかしさを覚えること。 第九に、軍勢の数や色、形、装飾品などが自らの業に応じて劣っているのを見て、他の者に劣ると恥ずかしさを覚えること。 第十に、遊びの時に現れる鳥が、劣った者を見て軽蔑すること。 第十一に、劣った天子は遊びの場所へ歩いて行くこと。 第十二に、劣った天子が受ける欲の感触は自らの業に応じたものであり、他の者の装飾品は優れているのを見て、恥ずかしさを覚えること。 四天王の天にはこのような十二の衰退がある。 このように、よく心を修めた比丘は天の楽しみを貪らず、汚れのない心で天を観察する。観察したならば、厭離の心を起こし、天の欲を非難する。 もし天を求めて梵行を行う者がいれば、そのような梵行は真の梵行の因とはならない。そのような人々は、その比丘に軽蔑される。 なぜなら、自在ではないからである。」

「『又彼比丘觀察三十三天失壞，彼見：三十三天之中八種失壞。何等為八？一者鉀劣，共阿修羅鬪戰之時，雨墮不淨。二者鬪時，見彼敵主勇阿修羅，其心退弱。三者食時，劣者羞慚。四者劣天不為天王帝釋所識。五者劣天色力形相一切下劣。六者劣天聲觸色味香等皆劣，不與他齊。七者劣天退天之時，天女捨離。八者劣天若昇遊戲殿堂之時，神通則劣，不能速進。此是八種三十三天失壞之事。

> 「また、あの比丘は三十三天の衰退について観察した。彼が見るところでは、三十三天には八つの衰退がある。八つとは何か。第一に、阿修羅と戦う時に劣った天人がいて、雨のように不浄なものが降りかかること。第二に、戦いの時に敵の主である勇猛な阿修羅を見て心が弱くなること。第三に、食事の時に劣った者が恥ずかしく思うこと。第四に、劣った天人が天王である帝釈天に認められないこと。第五に、劣った天人は色や力や形相のすべてが下劣であること。第六に、劣った天人の声や触感や色や味や香りなどすべてが劣っており、他と同等でないこと。第七に、劣った天人が天界を退く時、天女たちが去ってしまうこと。第八に、劣った天人が遊戯の殿堂に昇る時、神通力が劣って素早く進めないこと。これらが三十三天の八つの衰退である。」

「『夜摩天中有六失壞。何等為六？一者食時劣者羞慚。二者劣天所有教勅天女不受。三者劣天少福業故，彼天女眾雖供養之，不如供養多福德者。四者劣天牟修樓陀夜摩天王說法之時，心不愛樂。此是彼中最大失壞。五者劣天本業少故，光明則變，若天前世行善業多，彼天則坐大青寶座，坐已復起。下劣業天在彼處坐，座變為銀。業種種故，如是失壞，六者量短。如是六種是夜摩天失壞之事。

> 「夜摩天には六つの失墜がある。どのような六つか。第一に、劣った天は食事の際に恥じる。第二に、劣った天が下す命令を天女たちが受け入れない。第三に、劣った天は福徳が少ないため、天女たちが供養しても、より多くの福徳を持つ天への供養には及ばない。第四に、劣った天は牟修楼陀夜摩天王が説法する時、心から喜ばない。これはその中で最大の失墜である。第五に、劣った天は前世の善行が少ないため、光明が変わる。もし前世で多くの善行を積んだ天であれば、大きな青宝玉の座に座ることができ、座った後立ち上がることもできる。しかし下劣な業を持つ天がそこに座ろうとすると、その座は銀に変わる。業が様々であるがゆえに、このような失墜がある。第六に、寿命が短い。この六種が夜摩天における失墜の事柄である。」

「『兜率陀天有四失壞。何等為四？一者劣天兜率陀中聞法之時，心不喜樂，不樂鵝王說法之聲，是名失壞。兜率陀中，鵝王常在無漏樂地。彼鵝王者則是菩薩以隨意生，故作鵝王如意之色。鵝身七寶光明遍滿，不可喻色，身光周遍五千由旬，有種種色。兜率陀天光明不如鵝王悉勝，令彼諸天心生希有。

> 「兜率天には四つの衰えがある。どのような四つか。第一に、劣った天人が兜率天において法を聞く時、心に喜び楽しむことがなく、鵞王の説法の声を喜ばない。これを衰えという。兜率天には、鵞王が常に煩悩を離れた楽の境地にいる。その鵞王とは菩薩であり、意のままに生まれる力によって、鵞王の如意の姿を現すのである。鵞の身体は七宝の光明に満ち、たとえようのない色であり、その身体の光は周囲五千由旬に満ち渡り、さまざまな色がある。兜率天の光明は鵞王に及ばず、すべて勝っている。これによって諸々の天人は稀有の思いを起こすのである。

「『彼鵝王菩薩令彼得生希有心已，即為彼天說法偈言：

> 鵞王菩薩は、その天に希有の心を起こさせた後、次のような詩句で法を説かれました。

「『「福德業既盡，命則速減損，勤精進攝法，兜率常應爾。若捨離於法，放逸所壞天，不集福德業，後時則生悔。乃至老未來，亦未有病死，皆應作福德，莫後時生悔。若不攝福德，為放逸壞者，以放逸壞故，在地獄受苦。既得根具足，而非法行者，何用命與財，親舊兄弟等？常數作福德，心意攝受法，或復止惡業，或時近善人。以智慧利刀，割去惡枝葉，破壞過惡聚，斷除過相續。重智戒福德，心不悕望物，常近善男子，示真實道者。若持戒生天，為欲所迷惑，不修福業者，常在有中行。若常樂於智，持戒寶莊嚴；若畏欲蛇者，則是天中天。若常行法者，彼則天應禮；若顛倒行者，則入於惡道。此岸彼岸遠，既得法橋已，若不速度者，於有不得脫。智慧火能燒，無量煩惱薪。何義煩惱縛，著彼愛境界？厚重染欲垢，障礙於智眼，佛語如良藥，能除彼障礙。正法之大將，能破欲賊軍，口說善法語，汝應勤聽受。有四種顛倒，常能為誑惑；世間有八法，能令一切失。大力愛河中，百疑不可度，若上智筏者，度已到寂靜。若天近於欲，欲能令心癡，常在於五處，未有解脫期。欲難得易壞，如電何用為？欲生苦如刀，金波迦火毒。如是如是近，亦如是增長，欲者不可足，猶如火燒薪。癡天悕欲樂，不知畏過燒，若離不善欲，後時得大樂。癡者染欲已，為欲堅繫縛，欲如電不異，然後異處去。若習近於欲，欲則上上勝，彼為欲火燒，燒已到燒處。若天近於欲，此心為大癡，不悕無體法，樂中之大樂。欲者無涅槃，無樂無解脫，是故莫近欲，近欲甚為惡。若近欲境界，根則不知足；不知足無樂，寂靜不可得。應畏有為處，生死之大海，以大惡欲愛，常與眾生故。如此山峯上，種種可愛樹，依之而修禪，思惟欲生滅。四種諦寂靜，智者善修行，怖畏生老死，脫到善彼岸。愚意不思惟，樂欲故有縛，欲樂既盡已，生老死必脫。若念此大苦，於有海不倦，癡故欲箭射，墮地獄惡處。癡樂欲樂故，畢竟捨安樂，於惡不知畏，死時到如火。乃至死到時，能破壞一切，此能破壞故，破壞命種子。皆利益安隱，丈夫應精勤，得樂離憂悲，恒常作善業。若除於欲藏，離熱得清涼，如是智不癡，則不悕望欲。」

> 福徳の業が尽きれば、命は速やかに減り損なう。 精進して法を摂（と）るべし、兜率天は常にそうあるべきだ。 もし法を捨て去り、放逸に破られた天なら、 福徳の業を積まず、後に悔いることになる。 老いが来る前、また病や死がまだないうちに、 皆、福徳を作るべきだ。後に悔いることのないように。 もし福徳を摂らず、放逸に破られるなら、 放逸に破られた故に、地獄で苦しむ。 身体の根（感覚器官）を十分に得ながら、法を行わないなら、 何のための命と財、親族や兄弟か？ 常に福徳を作り、心で法を受け止めよ。 あるいは悪業を止め、あるいは善人に近づけ。 智慧という鋭い刀で、悪の枝葉を切り落とし、 過ちの集まりを破り、過ちの連続を断ち切れ。 智慧と戒めと福徳を重んじ、物に望みをかけず、 常に善男子に近づけ、真実の道を示す者に。 もし戒めを持って天に生まれても、欲望に惑わされ、 福業を修めない者は、常に生存の中を歩む。 もし常に智慧を楽しみ、戒めを宝の飾りとし、 欲望の蛇を恐れるなら、それは天の中の天である。 もし常に法を行う者なら、その者は天が礼拝すべきである。 もし倒錯した行いをする者なら、悪道に入る。 此岸と彼岸は遠い。法の橋を得たなら、 もし速やかに渡らなければ、生存から解脱できない。 智慧の火は無量の煩悩の薪を焼く。 何の意味があって煩悩に縛られ、愛の境界に執着するのか？ 厚く染まった欲望の垢が、智慧の眼を妨げる。 仏の言葉は良薬の如く、その障害を取り除く。 正法という大将は、欲望の賊の軍を破り、 口で善法の言葉を語る。あなたはそれをよく聞き受けよ。 四つの倒錯が常に惑わす。 世間には八つの法があり、すべてを失わせる。 大力の愛の河では、百の疑いを渡ることができない。 もし智慧の筏に乗れば、渡って寂静に至る。 もし天が欲望に近づけば、欲望は心を愚かにする。 常に五つの処にいて、解脱の時はない。 欲望は得難く壊れやすい、電光のようなもの、何の役に立つ？ 欲望が生む苦しみは刀の如く、金波迦（きんばか）火の毒の如し。 このように近づけば、このように増大する。 欲望は満たされることがない、まるで火が薪を焼くように。 愚かな天は欲望の楽を希求し、過ちに焼かれるのを恐れない。 もし不善の欲望を離れれば、後に大いなる楽を得る。 愚か者は欲望に染まると、欲望に堅く縛られる。 欲望は電光と変わらないが、後に異なる場所へ行く。 もし欲望に親しめば、欲望はますます勝る。 その者は欲望の火に焼かれ、焼かれて焼かれる場所に行く。 もし天が欲望に近づけば、この心は大きなる愚かさ。 無体の法（実体のないもの）を希わず、楽の中の大楽を。 欲望ある者には涅槃なく、楽なく、解脱なし。 ゆえに欲望に近づくな。近づくことは極めて悪い。 もし欲望の境界に近づけば、根（感覚）は満足を知らない。 満足を知らなければ楽はなく、寂静は得られない。 有為の処、生死の大海を恐れるべきだ。 大いなる悪しき欲望の愛が、常に衆生と共にあるからだ。 この山の峰の上、種々の愛らしい木々に依って、 禅を修め、欲望の生滅を思惟せよ。 四つの聖なる真理は寂静であり、智者はよく修行する。 生老病死を恐れ、渡って善き彼岸に至る。 愚かな心は思惟せず、欲望の楽に執着するゆえに生存に縛られる。 欲望の楽が尽きれば、生老病死から必ず解脱する。 もしこの大いなる苦しみを思えば、生存の海に倦むことなく、 愚かさゆえに欲望の矢に射られ、地獄の悪処に堕ちる。 愚かに欲望の楽を楽しむゆえに、結局は安楽を捨てる。 悪を恐れず、死の時が火のように来る。 死の時が来て、すべてを破壊するまで、 この破壊するものゆえに、命の種を破壊する。 あらゆる利益と安穏のために、丈夫（丈夫な人）は精進すべきだ。 楽を得て憂い悲しみを離れ、常に善業を作れ。 もし欲望の蔵を取り除き、熱を離れて清凉を得れば、 このように智慧ある者は愚かにならず、欲望を希わない。」

「『如是鵝王調伏天故，說如是偈。若天放逸，行放逸者，雖聞不念，心不思惟。若天樂聞彼鵝所說調伏偈句，向無漏地速疾而行，欲聞正法。聞正法已，生敬重心。如是天眾得聞正法，心敬重已，速速疾走復向行堂。彼行堂中所有諸天，以聞正法，心敬重故，光明增長百倍千倍，餘放逸天光明則劣。如是天中，得現世果。樂天欲者，彼天少色，形服莊嚴一切皆劣。此如是等，兜率陀天最初失壞。

「『又兜率天第二失壞。眾集聽法，無量百千億數眾會，五百菩薩所住地處，兜率天王名曰寂靜，為眾說法，所謂無明因緣行等。彼諸天眾聽正法時，一心專意，諦聽諦聞。如是聞故，威德莊嚴皆悉勝上有百千倍，轉更增長。若天動心，心則如電，亦如大風吹大海水，種種波動。以愛因緣，如是動心，愛樂境界，彼天威德、形服莊嚴如本不異，不更增長，見他勝故內心慚恥，此則名為兜率陀天第二失壞。

「『又兜率天第三失壞。若天聞法，心生敬重，如說而知，如法相知。如是知已，心念正住。彼天威德、形服莊嚴皆悉勝上有百千倍，轉更增長。若彼諸天不念法者，彼天威德、形服莊嚴則不增長，此則名為兜率陀天第三失壞。

「『又兜率天第四失壞。若彼諸天聞正法時，心生敬重，專心憶念，如法攝取，專心受持，如是修行。久思惟已，然後修行。彼天如是敬法重法，勝因緣故、聞法力故，威德光明、形服莊嚴轉更勝上有百千倍，轉勝增長。若天聞已，不能修行。彼天見他威德光明、形服莊嚴勝增長己，自見己身威德光明、形服莊嚴則不增長。彼天見他威德光明、形服莊嚴轉勝增長則生慚恥，此則名為兜率陀天第四失壞。

> 「また、兜率天における第四の衰退があります。もし天人が正しい教えを聞く時、心から敬い重んじ、一心に記憶し、教えの通りに受け取り、専心に受け止めて、そのように修行するならば、長く考えた後に修行します。その天人はこのように教えを敬い重んじる勝れた因縁と、教えを聞く力によって、威徳と光明、衣服や姿の荘厳がさらに百千倍も優れ、ますます増大します。しかし、天人が教えを聞いても修行できない場合、他の天人が威徳と光明、衣服や姿の荘厳が自分より優れて増大しているのを見て、自分の威徳と光明、衣服や姿の荘厳が増大しないのを知ります。その天人は、他の天人の威徳と光明、衣服や姿の荘厳が

「『又彼比丘如是觀察兜率陀天四種失壞，見失壞已，觀化樂天，復見失壞。彼見：如是天勝妙樂猶故而有四種失壞。何等為四？所謂一者善業盡故，脚則有影，普餘身分皆有光明，脚上則無。是故彼天脚則有影，自餘諸天所有光明，如山圍遶，彼少光明劣天見已，則避而去。光明勝者見之則笑，作如是言：「此天鄙劣，善業盡故。」彼脚影天聞已羞慚，心生愁惱，如是心言：「我業盡故，今則如是。」一切具足終必失壞。如人世間以有日故，終必有夜，如是此中一切具足終必失壞。若人有命終必有死，如是具足終必失壞。如是世間無有具足而不失壞。此失壞者，是化樂天最初失壞。

> また、かの比丘はこのように兜率陀天の四種の失いを観察し、失いがあるのを見てから、化楽天を観察すると、そこにもまた失いがあるのを見た。彼は見た——このような天の勝れた妙なる楽にも、なお四種の失いがあることを。何が四種か。すなわち、第一に、善業が尽きたために、足に影が現れる。他の全身には光明があるが、足の上だけは光明がない。それゆえ、その天の足には影がある。他の諸天の光明は、山が囲んでいるようであり、その少ない光明の劣った天がそれを見ると、避けて去る。光明の勝れた天はそれを見て笑い、こう言う。「この天は劣っている。善業が尽きたのだ。」その足に影のある天はこれを聞いて恥じ、心に愁い悩みを生じ、こう心に思う。「私の業が尽きたから、今このようになったのだ。」一切が満ち足りているものでも、必ずついには失われる。ちょうど世間において、太陽があるから必ず夜があるように、ここでも一切が満ち足りているものでも必ずついには失われる。もし人に命があれば必ず死があるように、このように満ち足りているものも必ずついには失われる。この世には、満ち足りていて失われることのないものはない。この失いこそ、化楽天における最初の失いである。

「『又化樂天第二失壞。如閻浮提人中所有劫貝等綿，甚為柔軟，足踏則下，舉則還起。化樂天中地處柔軟亦復如是。若天受報善業盡時，地不柔軟，脚踏不下，舉脚不起，餘天見之，知其業盡。有天見之，語餘天言：「彼天業盡，退時將到。」此化樂天第二失壞。

「『又化樂天第三失壞。彼化樂天遊戲之時，若至樹下遊戲受樂，樹則雨花在彼天上。此花遍在遊戲處地，若天善業欲盡之時，樹花不墮，不散地處。餘天見其樹花不墮、不散地處，則便說言：「此天業盡，退時將至。」彼天聞已，羞慚愁惱，如是心言：「我今欲退，如是失壞。」此化樂天第三失壞。

> 『次に、化楽天の第三の失われた状態について。化楽天の者たちが遊戯の時、もし木の下に行き遊び楽しむならば、その木は花を降らせ、その天上に満ちる。この花は遊戯の場所の地に遍く散る。しかし、もしある天人の善い業が尽きようとする時には、木の花は落ちず、地に散ることもない。他の天人がその木の花が落ちず、地に散らないのを見れば、すぐに「この天人は業が尽き、退く時が近づいている」と言う。その天人はそれを聞き、恥じ入り、憂い悩み、「私は今まさに退こうとしており、このように失われてしまうのだ」と心の中で思う。これが化楽天の第三の失われた状態である。』

「『又化樂天第四失壞。彼化樂天必定失壞，天中具足必定失壞。彼化樂天何者第四具足失壞？謂一一天住寶地處，如是寶地清淨無垢，如鏡不異，一天之身無量處現，見種種影、種種形服、種種莊嚴。如人界中日輪是一，於無量處蓮花水池，無量百千種種處現，如是天身無量百千寶地之中處處皆現，如身而見。若其有天善業盡者，彼天之身一寶地中影現而已，非處處現。如是失壞如是見已，餘智慧天既如是見，即便說言：「如是天者，善業盡故，將欲退壞。」此化樂天第四失壞。

> 「また、化楽天の第四の失壊について。化楽天は必ず失壊し、天における完全な具足も必ず失壊する。では、化楽天の第四の具足の失壊とは何か。それは、それぞれの天人が宝の地上に住んでいる。この宝の地は清らかで汚れがなく、鏡と何ら変わらない。一人の天人の身体が無数の場所に現れ、様々な影、様々な形の衣服、様々な飾りを見ることができる。人の世界で一つの太陽が、無数の蓮の花や池に、数えきれないほど多くの場所に現れるように、天人の身体もまた、無数の宝の地のあらゆる場所に、それぞれの姿のまま現れるのだ。しかし、もし善業が尽きた天人がいると、その天人の身体は一つの宝の地にだけ影として現れ、その他の場所には現れない。このように失われるのを見て、智慧ある天人はこう言う。「この天人は、善業が尽きたため、まさに退転しようとしている」と。これが化楽天の第四の失壊である。」

「『爾時，世尊而說偈言：

> その時、世尊は次のように偈（うた）を説かれました。

「『「世間樂具足，不覺知失壞，具足必有失，如日出有夜。如是具足樂，如是必失壞，於欲不知足，是故愛少時。若心愛具足，或悕望常樂，彼若捨離愛，如是常得樂。天欲樂未足，以入地獄中，一切皆由愛，是如來所說。若人入地獄，百到若千到，亦以愛網誑，故得如是惡。」

> 「世の中の快楽が全て揃っていても、それが失われることに気づかない。 すべて揃っているものは必ず失われる。太陽が出れば夜が来るように。 このように揃った快楽も、必ず失われる。 人が欲求に満足することはないからこそ、愛着はほんの僅かの間だけ続く。 もし心が充足を愛し、永遠の幸福を望むなら、 その人が愛着を手放せば、そのようにして常に幸福を得る。 天の欲の快楽にまだ満たされずに、地獄に落ちることもある。 全ては愛着によるものだと、如来は教えられた。 もし人が地獄に入ることがあれば、百回でも千回でも、 それも愛着の網に欺かれたからこそ、このような苦しみを得るのだ。」

「『彼化樂天有如是等四種破壞。

> 彼の化楽天には、このような四種の破壊が存在します。

「『又彼比丘復觀他化自在天中四種失壞。若彼諸天善業將盡，臨欲退時則有失壞。彼處天中多有種種妙鬘莊嚴，天花不蔫，處處覆地，第一善香不可譬喻。彼鬘莊嚴有種種色勝妙光明，若寶光明於十六分不及其一。彼鬘多有七寶翅蜂，常一切時出天歌聲。如是他化自在天中，天業若盡，欲失壞時，彼寶翅蜂出不美聲，捨如是天種種花香，到餘處去。餘智慧天以知彼天臨欲退故，向之說言：「汝於今者，以放逸故，退時欲到而不覺知。」彼業盡天如是聞已，復見彼蜂捨至餘處。彼天自知有如是心：「我福業盡。」如是天子心生愁苦，不可譬喻，以見自樂將欲盡故，如是心熱，與地獄火等無有異，唯除地獄更無此火。此是他化自在天中最初失壞。

> また、その比丘は他化自在天の中でも四種の損失を観察する。もし、その天人が善業を使い果たし、退く時が近づくと、損失が生じる。あの天界には多くの様々な美しい花飾りがあり、天の花は枯れることなく、地面を覆い尽くしている。比べることのできない素晴らしい香りがある。その花飾りは様々な色と素晴らしい光明を持つ。宝石の光も、その十六分の一にも及ばない。その花飾りには多くの七宝の羽を持つ蜂がいて、常に天の歌声を奏でている。この他化自在天において、天人の業が尽き、失われようとする時、その宝の羽を持つ蜂は美しい声を失い、その天の様々な花や香りを捨てて、他の場所へ去ってしまう。智慧ある他の天人は、その天人が退こうとしていることを知って、こう言う。「あなたは今、放逸のゆえに、退く時が来ているのに気づいていない。」業の尽きた天人はこれを聞き、さらに蜂が他の場所へ去って行くのを見る。その天人は自らこう思う。「私の福徳の業は尽きたのだ。」と。こうして天子は説明できないほどの苦しみと悲しみを抱く。自らの楽しみが尽きようとしているのを見るからである。このような心の熱苦しさは、地獄の火と全く同じであり、地獄以外にはこのような火はない。これが他化自在天における最初の損失である。

「『又復他化自在天中第二失壞。彼天之身第一滑觸，周匝光明，形人中日，如螢火虫。彼天之身所著瓔珞，及餘種種莊嚴具等，所有光明，寶壁山峯皆在中現，如於鏡中現見不異。若彼天子欲到退時，彼天身上所著瓔珞莊嚴具等，山峯若壁於中不現。餘黠慧天如是見已，語彼欲退業盡天言：「汝放逸行，退時欲到。汝身所著瓔珞莊嚴無有光明，寶壁山峯於中不現。」彼黠慧天曾見餘天臨欲退時，有如是相。此是他化自在天中第二失壞。

> また、他化自在天における第二の失われた状態について。 その天人の身体は、なめらかで触り心地がよく、周囲を明るく照らしている。その輝きは、人間の世界における太陽や螢火虫の比ではない。天人の身にまとう瓔珞（宝飾品）やその他の装飾品の光は、宝の壁や山々の峰に映り、まるで鏡の中に映るかのようにはっきりと見える。 しかし、もし天子が天界を去ろうとする時が近づくと、その身体にまとった瓔珞や装飾品の光は、山々の峰や壁に映らなくなる。賢明な他の天人たちはこれを見て、まもなく業が尽きようとしているその天に言う。 「あなたは享楽にふけり、天界を去る時が近づいている。あなたの身にまとう瓔珞や装飾品は輝きを失い、宝の壁や山々の峰にも映らなくなった。」 賢明な天人は、かつて他の天人がまさに去ろうとする時、同じような兆候を目にしている。 これが、他化自在天における第二の失われた状態である。

「『又復他化自在天中第三失壞。所謂彼天退時，將到彼處。諸天業未盡者乘種種寶妙光明殿，三處能行，所謂虛空、陸地、水中。行則速疾，無所障礙，不搖不動。若天業盡，將欲退時，彼殿搖動，行則不速。自餘諸天見其殿動而語之言：「汝於今者退時欲到，我先曾見餘天退時，有如是相。」彼業盡天如是聞已，與天境界將欲離別，愁火燒心，如地獄火所燒不異。此是他化自在天中第三失壞。

> さらに、他化自在天における第三の衰えについて説く。すなわち、その天人が退転する時が近づくと、まだ業を尽くしていない天人は、種々の宝や妙なる光明を備えた殿舎に乗り、虚空・陸地・水中の三つの場所を自在に行き来することができる。その移動は速やかで、何の障りもなく、揺れたり動いたりすることもない。しかし、その天人の業が尽きて退転しようとする時には、その殿舎は揺れ動き、移動も速やかではなくなる。他の天人はその殿舎の動きを見て、こう語る。「あなたは今まさに退転の時を迎えようとしている。私はかつて、他の天人が退転する際に、このような相があるのを見たことがある。」業を尽くした天人はこの言葉を聞き、天の境界との別れが迫る中、憂いの火が心を焼き尽くす。それは地獄の火に焼かれるのとも異ならない。これが他化自在天における第三の衰えである。

「『又復他化自在天中第四失壞。若彼諸天善業未盡，五樂音聲、莊嚴具聲皆悉美妙，所有歌聲美妙可愛，聞已心喜。若其有天善業盡者，彼天五樂音聲不妙，歌聲亦爾，如瘂不異。彼天聞已，心不生喜，以自業故，莊嚴具中聲出說言：「汝於今者善業盡滅，以汝放逸，放逸行故。汝於今者，將欲到於異世間去，以業縛故。」彼天如是以自業故，聞莊嚴聲，其心極愁，作如是言：「我於今者境界之樂福德業盡。」彼種種寶所莊嚴幘，即時墮落，如是見已，生大苦惱。此是他化自在天中第四失壞。

> さらに、他化自在天における第四の衰微がある。 その天々が善業を尽くしていない間は、五楽の音声や装飾具の音はすべて美しく、歌声も愛らしく、聞けば心は喜ぶ。 しかし、もし善業を尽くした天があるならば、その天の五楽の音声は美しくなく、歌声も同様に、あたかも唖のように変わってしまう。 その天がそれを聞いても、心に喜びは生じない。自らの業のゆえである。 装飾具の中から声が出て言う、「あなたは今、善業が尽き滅びた。あなたが放逸にふるまい、放逸の行をしたからだ。あなたは今まさに異なる世間へと赴こうとしている。業に縛られたゆえに」と。 その天はこのように、自らの業によって装飾の声を聞き、心は大いに憂い、こう言う。「私は今、この境涯の楽も福徳の業も尽きてしまった」と。 その様々な宝で飾られた宝冠は、即座に落ちてしまう。こうした有様を見て、大きな苦しみが生じる。 これが他化自在天における第四の衰微である。

「『於三界中更無有處、有物是常，一切無常。如是六天是失壞處，彼如是天善業盡故，必定當退此失壞天。悕望此天持戒生者，善業盡時，必定當爾。』

> 「三界のどこを探しても、永遠に変わらないものなど何一つありません。すべては移り変わっていくのです。この六欲天（ろくよくてん）もまた、やがて滅び去る存在にすぎません。天上の者たちも、善い行いの力が尽きれば、必ずこの滅びゆく天から退かなければならないのです。この天に憧れて戒律を守る人も、善い行いの報いが尽きる時が来れば、必ずそうなるのです。」

「如是第五山樹具足地處諸天，牟修樓陀夜摩天王——迦迦村陀世尊塔中所有經字示彼天眾，如是說言：『汝等天眾捨離放逸，勿放逸行。放逸味苦，地獄中受，一切欲味悉皆如是。』彼諸天眾聞第三佛所說經已，若天放逸，樂放逸者，放逸則減。

> このように、第五の山と木々が備わった天界において、牟修樓陀夜摩天王は、迦迦村陀世尊の塔に刻まれていた経文の言葉を、天の衆生たちに示して、こう説きました。 「あなたがた天の衆生たちよ、放逸を捨てなさい。放逸の道を歩んではなりません。放逸の味わいは苦く、地獄で受け取ることになるのです。あらゆる欲望の味わいも、すべてこれと同じです。」 天の衆生たちは、第三の仏の説かれたこの経文を聞いて、もし放逸な者、放逸を楽しむ者がいたならば、その放逸は減じられたのでした。

「於六經中迦迦村陀如來所說第三經竟。

> 六経の中にて、迦迦村陀如来が説かれた三番目の経は、ここに終わります。

「爾時，彼處夜摩天主知彼天眾心生厭離，而告之言：『汝等天眾已聞大仙所說正法，能盡諸苦，除捨放逸，為天人說寂靜之法。汝等天眾已聞第三如來之法。汝於今者聞法律已，精勤修行，復聽餘佛所說之法，聞已攝取，則得利益，退此天已，不墮地獄、餓鬼、畜生。』

> そこで、夜摩天の主は、天の衆生たちが心から厭い離れる心を生じたのを知って、こう告げた。 「あなたがた天の衆生は、すでに大仙人が説いた正しい教えを聞き、すべての苦しみを尽くし、放逸を捨て去り、天や人のために寂静の法を説かれた。あなたがた天の衆生は、すでに第三の如来の法を聞いたのである。あなたがたは今、この教えと戒めを聞いたのだから、精進して修行し、さらに他の仏が説かれた法をも聴聞し、聞いてそれを心に納めれば、利益を得るであろう。そして、この天界を去った後には、地獄、餓鬼、畜生に堕ちることはない。」

「牟修樓陀夜摩天王如是說已，一切天眾皆白天主牟修樓陀而作是言：『唯願天王利益我等，安樂我等。』

> 「ムシュローダ夜摩天王がこのようにおっしゃると、すべての天の衆は天王ムシュローダに向かってこう言いました。『どうか天王様、私たちに利益をもたらし、安楽を与えてくださいませ。』」

「爾時，天主牟修樓陀告天眾言：『汝等天眾一切皆看此之第四如來之塔，種種珍寶而為莊嚴，無量百千光明照燿，有種種寶間錯奇麗，無量功德之所莊嚴，光明普覆此天世間，一切遍滿。』爾時天眾白天王言：『我今已見。』

> その時、天主である牟修樓陀は天の衆に向かって告げた。 「天の皆さん、よくご覧なさい。これは第四の如来の塔です。様々な宝で美しく飾り立てられ、数えきれないほどの光が輝き渡っています。多くの宝が絶妙に組み合わされ、その美しさは特別で、無量の功徳によって荘厳されています。この塔の光は、天の世界全体を包み込み、隅々にまで行き渡っています。」 その時、天の衆は天主に答えた。 「はい、今、はっきりと見えました。」

「爾時，天主牟修樓陀告天眾言：『汝等今者，一切共我詣如來塔。』天眾答言：『如是，天王！』爾時，天主牟修樓陀并天眾等，相隨而去，到佛塔已，其心清淨，頭面敬禮如來之塔，心則清涼，禮已則起，看毘葉婆如來之塔。彼如來塔種種妙寶光明照燿，如前所說。

> その時、天主マウシュシュラーダは天の衆に告げて言った。「あなたがたは皆、今すぐ私と共に如来の塔へ参れ。」天の衆は答えた。「かしこまりました、天王よ。」その時、天主マウシュシュラーダは天の衆と共に連れ立って行き、仏塔に到着した。彼らは心を清らかにし、頭を地につけて如来の塔を敬礼した。心は涼やかになり、礼を終えて立ち上がると、ヴィパシュイン如来の塔を仰ぎ見た。その如来の塔は、さまざまな素晴らしい宝の光が輝き、先に述べた通りであった。

「彼佛塔中寶壁之上有經法字，利益天人，所謂說言：

> その仏塔の中の、宝玉で飾られた壁の上に、経典の教えが記されていました。それは、天の人々や人間たちの利益となる教えであり、次のように説かれていました。

「『若有人能成就七法，則生天上。何等為七？一者所謂有善男子聞法聞義，聞法修行，聞法善意，隨所聞法，心則攝取，聞已堅固、聞已受持、聞已愛樂，心生喜樂。此善男子近七功德具足知識。何者七種知識功德皆悉具足？所謂一者如說而行；二者近他如說行者；三者則能如說而行，堅固攝取；四者得法堅固思惟；五者住意；六者謂近同善業者；七者他教不取他惡。近如是等七種功德具足知識。

> 「もし人が七つの法を成就できるならば、天に生まれることができる。その七つとは何か。第一に、善男子が教えを聞き、その意味を聞き、教えを聞いて修行し、教えを聞いて善い心を持ち、聞いた教えに従って心に受け取り、聞いてから確固とし、聞いてからよく保ち、聞いてから愛好し、心に喜びと楽しみを生じさせることである。この善男子は、七つの功徳を備えた善知識に近づく。その七つの知識の功徳がすべて備わるとは何か。すなわち、第一に説かれた通りに行うこと。第二に、説かれた通りに行う者に近づくこと。第三に、説かれた通りに行うことを確固として受け取ること。第四に、教えを確固として思惟すること。第五に、心をとどめること。第六に、同じ善行をなす者に近づくこと。第七に、他人の教えから悪いところを受け取らないこと。このような七つの功徳を備えた善知識に近づくのである。」

「『云何名為如說修行？如是知識，善行善作，若有所說知量少說能為利益，時相應說方相應說，不疾不遲，多義少語，美妙易解，與法相應，自他利益，如是而說。如彼所說，如是而行。云何近他如說行者？常正修行身口意等，意內外淨猶如真金，彼人如是如說修行。云何名為如說而行，堅固攝取？若有所作，普清淨作，三種作業，觀察彼業，善清淨已，生天人中乃至涅槃。如是之人，或自思惟或從他聞，此業報樂，堅固喜樂，堅固攝取。如是知識，堅固攝取。彼善男子云何得法堅固思惟？所謂善淨堅固攝取，二世利益，如是見已，堅固思惟。如是堅固思惟意者，或從他所得聞堅固善業果已，或自思已，喜樂真諦。如是喜樂真諦知識，云何住意？此多聞已，意則不亂，此名住意。云何為近同善業者？謂見他人同己功德，如是見已，則近彼人。云何他教不取他惡？餘人非法、似善法者所不能牽。如是親近七種功德具足知識善男子者，或生人間或生天中。此說初法。

> 『いわゆる「説かれた通りに修行する」とは何か。そのような知識ある人は、善く行動し、善く行いをなす。もし何か説くことがあれば、量を知り、少なく説いて利益をもたらすことができる。時に適った説き方で、方角に適った説き方で、早過ぎず遅過ぎず、多くの意味を少ない言葉で表し、美しくわかりやすく、法にかなっており、自分と他者の利益となる。そのように説く。その説かれた通りに、そのように行う。『他に近づいて説かれた通りに行う』とは何か。常に正しく、身・口・意の行いを修行し、内も外も清らかで、まるで純金のようである。その人は、このように説かれた通りに修行する。『説かれた通りに行い、堅固に受け止める』とは何か。もし何か行うことがあれば、すべてを清らかに行う。三つの種類の行為について、その行為を観察し、善く清らかになったなら、人間・天人の境地、さらには涅槃に至る。そのような人は、自ら考えたり、他者から聞いたりして、『この行為には楽しい報いがある』と知り、それを堅固に喜び、堅固に受け止める。そのような知識ある人は、堅固に受け止める。では、その善い男子は、どのようにして法を堅固に思惟するのか。それは、善く清らかに堅固に受け止め、二世（この世と来世）の利益をもたらすと見て取ったなら、堅固に思惟することである。このように堅固に思惟する心を持つ者は、あるいは他者から堅固な善い行いの果報を聞き、あるいは自ら思惟して、真実の真理を喜び楽しむ。このように真理を喜び楽しむ知識ある人は、どのように心をとどめるのか（住意）。この（真理を）多く聞いたなら、心は乱れない。これを『心をとどめる』（住意）と言う。『同じ善い行いをなす者に近づく』とは何か。他人が自分と同じ功徳を持つと見て、そのように見たならば、その人に近づくことである。『他人の教えによって、その人の悪を受け取らない』とは何か。他の人の非合法な行いや、善い行いに似せたものに、引きずられることがないことである。このように七つの功徳を備えた知識ある善い男子に親しむ者は、あるいは人間界に生まれ、あるいは天界に生まれる。これが最初の法の教えである。

「『何等復是自餘六法，成就彼法得生天上？所謂多聞、攝取修行，不懈怠、念、不熱惱他、不誑等六。此等七法，如是已說。成就如是七種法者，身壞命終生於善道，天世界中。如七大殿，若王大臣乘如是殿，五樂音聲歌舞喜笑，妙鬘莊嚴，如是而行向遊戲處。如是七法，若人成就，行向天處。

> 「ではさらに、天に生まれるために成就すべき他の六つの法とは何か。それは、多く聞くこと、修行を続けること、怠けないこと、よく覚えていること、他者を苦しめないこと、偽らないことの六つである。これら七つの法を成就した者は、この身が滅び命が終わるとき、善き道、天の世界に生まれる。例えば、七つの大殿を備えた車に王や大臣が乗り、五つの音色の音楽や舞いや笑い声、美しい花飾りで飾られて遊びの場へ向かうように、この七つの法を成就した人もまた、天の世界へと向かうのである。」

「『何者多聞而名多聞？謂聞真法，聞已調伏，不生憍慢。如其所聞，多聞增長，不放逸行，智不厭足，常諮問他，自己功德不向他說，不誦己名。此多聞者，身壞命終生於善道，天世界中。此第二法隨順正入修行成就。

> 「では、どのような人が「多く聞く者」と呼ばれるのか。それは、真実の教えを聞き、聞いた後に心を調え、慢心を起こさない者である。聞いたことに従って学びを深め、心を緩めずに行動し、智慧に飽くことなく、常に他人に質問し、自分の功徳を他人に語らず、自分の名声を唱えない。このように多く聞く者は、この世を去った後、善い世界、天の世界に生まれる。これが第二の法であり、これに従って正しく修行を成就するのである。」

「『云何第三攝取修行？謂聞法已，攝取修行。若復有人得聞法已，於非法律攝取修行，唯聞法已，荷法重檐，不修不行，不取法果。若復有人以智慧鈎調伏持戒，若智不靜，則彼持戒，猶如晝燈，無有光明，不堅不實。若持戒中有智和合，彼人猶如火燈光明，堅而復實，得果不虛。若修法者得說言堅，非唯口中言說為堅，彼人身業、口業、意業皆悉寂靜，身壞命終生於善道，天世界中。此第三法。

> 「では、第三の『摂取修行（修行を受け取る）』とは何か？それは、法を聞いた後に、その教えを実践に移すことをいう。 たとえ人が法を聞いても、もし正しい教え（法律）に従って修行を行わなければ、ただ法を聞いて、その重い責任を背負うだけで、実際に修行も実践もせず、その教えの果実を得ることはない。 また、ある人が智慧という鉤を用いて、戒律を守り、心を調御するならば、もし智慧が静まらず（落ち着いていなければ）、その人はまるで昼間の灯りのように、輝きがなく、堅固でも確実でもない。 しかし、もし戒律を守る心に智慧が共にあるならば、その人は灯火の明かりのように輝き、堅固で確実であり、果実を得ることは嘘ではない。 もし法を修行する者が『堅固である』と言われたなら、それはただ口先だけの言葉で堅固なのではない。その人の身体の業、言葉の業、心の業が全て静まり（清らかになり）、身体が壊れ命が終わった後には、善き道、天界の世界に生まれるのである。 これが第三の法である。」

「『云何第四名不懈怠？言懈怠者，所謂不作。何名不作？隨所作法，發已不作，不能究竟。彼如是法，精勤不斷則能究竟，若是懈怠不精勤者，不能究竟。少發起者，於世間法、出世間義，不具足行。若懈怠者，一切所作皆悉羸劣，為一切人之所輕賤，毀呰嫌薄，自受苦惱，身壞命終墮於惡道，生地獄中。如是之人懈怠所壞。如是懈怠應當捨離，如火如刀，如墮嶮岸，如惡毒蛇。若為懈怠所破壞者，則不精勤，無有威德，如羊不異。彼則無智，種種所作一切不知，若智非智、若法非法、應行不行，一切不知。何以故？以不讀經、不聞法故，以懈怠故。若復有人論開心意，於智所知若法非法，一切皆知，應作不作、應行不行，一切皆知。如是等法，智慧所知，一切皆知。智及精進，懈怠者無。彼懈怠者如盲不異，身壞命終墮於惡道，生地獄中。如是之人出世間義，一切皆劣，受第一苦，他舍而乞，常依他門悕望乞匃，常看他面，第一惡色，頭髮覆眼，眼目乾燥，脚爪皮等一切焦枯，四出巷中家家乞行，辛苦活命，一切輕毀。此因緣故，應當捨離一切懈怠。

> 「第四の不放逸とは何か。懈怠とは、『行わないこと』をいう。何が『行わないこと』かというと、やるべきことを始めても、一度始めただけで最後まで成し遂げようとしないことである。もしも絶え間なく努め励めば、その行いは成し遂げられる。しかし、怠け心があり、励まない者は、決して完成に至らない。少しだけ努力した者は、世の中のことも、世を超えた真理も、完全に行うことができない。もし怠けるならば、あらゆる行いはすべておぼつかなく、すべての人々から軽く見られ、そしられ、嫌われ、自ら苦しみを受け、命終われば悪道に落ち、地獄に生まれる。このような人は懈怠に打ち破られるのである。このような懈怠は、火のように、刃のように、崖から落ちるように、毒蛇のように、避け捨てるべきである。もし懈怠に破られたならば、精励せず、威厳もなく、羊と同じである。その人には知恵がなく、様々なことも何も知らない。賢いことも賢くないことも、正しいことも正しくないことも、行うべきことと行うべきでないことも、何もわからない。なぜか。経典を読まず、法を聞かないからであり、懈怠だからである。また、もし心を開いて、智慧が知るところ、正法も非法も、すべてを知るならば、行うべきことも、行うべきでないことも、すべてがわかる。このような法は、智慧が知ることで、すべてが明らかとなる。智慧と精進は、懈怠する者にはない。その懈怠する者は、目の見えない人と変わらない。命終われば悪道に落ち、地獄に生まれる。このような人は、世を超えた真理について、すべてにおいて劣り、最も苦しみを受け、他人の家に施しを乞い、いつも他人の門に頼って物乞いをし、常に他人の顔色をうかがい、最も醜い姿で、髪は目を覆い、目は乾き、手足の爪や皮はすべて枯れ果て、四辻の町々を家々と物乞いして歩き、苦しみながら命をつなぎ、すべての人から軽んじられる。このような理由から、あらゆる懈怠を捨て去るべきである。」

「『與此相違，勤精進者，一切所作皆悉成就，乃至涅槃，何況其餘世間之法。身壞命終生於善道，天世界中。以是等故，若天若人，一切皆應捨離懈怠，勤發精進。』

> 「これとは逆に、熱心に努力する者は、行うことすべてが成し遂げられ、悟りの境地に至ることさえできる。ましてや、この世の他のことについては言うまでもない。そのような人は、命を終えた後には、より良い世界、天の世界に生まれ変わる。だからこそ、天の人も人間も、誰もが怠けることを捨てて、励み努めるべきなのである。」

「時，彼世尊毘葉婆佛而說偈言：

> その時、毘葉婆仏（びようばぶつ）は、次のように偈（げ）を説かれました。

「『懈怠意及幻，或慢或惡口，或捨離智等，此是失壞地。親近惡知識，捨離善知識，或復邪見等，此是失因緣。不知善不善，非時而語言，或信婦女等，此不饒益地。近何人何人，何處何處食，身自不利益，此法令人輕。壞勇若失念，或為王所憎，或心堅強等，此法未時死。不諦知業果，及以法非法，離善知識者，則墮於惡道。懈怠若多睡，或貪著諸味；瞋及故妄語，若惡口言說；多貪若憍慢，心動捨離法；若習近婬欲，或讚婬欲法，如是有三過，懈怠是根本；若勤精進者，則無諸使過。一切精進者，必定成就果，如所應精進，業必定得果。如是三種業，能得三種果，三聚三根本，決定三有行。』

> 「なまけ心や幻覚、あるいは高慢や悪口、 あるいは智慧を捨てることなど、これは破滅をもたらす境地です。 悪い友人に近づき、善い友人を遠ざけ、 あるいは誤った見解を持つことなど、これが破滅の原因です。 善と不善の区別がつかず、時機にそぐわない言葉を発し、 あるいは女性を信じすぎるなど、これらは利益をもたらさない境地です。 近づく相手、食べる物、滞在する場所など、 自らを益さない行い、これは人から軽んじられる原因です。 勇気が壊れ、気力が失われ、あるいは王に憎まれ、 あるいは心が強情になるなど、これは不意の死を招く因です。 業の報いや、法と非法を正しく知らず、 善知識を遠ざける者は、悪道に堕ちます。 なまけてよく眠り、あるいは味覚に執着し、 怒りや故意の嘘、あるいは悪口を言い、 貪欲と高慢が多く、心が動いて法を捨て、 あるいは情欲に親しみ、情欲の道を褒め称える。 このように三つの過失があり、なまけがその根本です。 よく精進する者には、心の汚れや過失はありません。 すべての精進する者は、必ず成果を得ます。 正しい精進に従えば、業は必ず果報をもたらします。 このように三種類の業は、三種類の果報を生み、 三つの集まり、三つの根本、そして三つの生存のあり方を決定づけるのです。」

「彼佛世尊毘葉婆塔壁上書字，如是說偈毀呰懈怠，天眾見已，作如是言：『我等決定捨離懈怠。從此懈怠，有枝條過，如佛所說。』

> 毘葉婆（びいば）世尊の塔の壁には、こう書かれていました。「懈怠（けたい＝怠け心）を戒める偈（うた）」です。それを見た天の人々は声をそろえました。「私たちは、必ずや懈怠を捨て去ろう。怠け心からは、枝分かれのように多くの過ちが生まれる、と仏がおっしゃる通りだ。」

「『懈怠之者，若天若人一切作業，於一切時一切減劣。若天若人不懈怠者，次第乃至到於涅槃。此第四法，人天之中多有所作，多有利益。

> 第四に、怠ける者は、天界や人間において、あらゆる行いが、常に衰えていくものです。しかし、怠けない者は、徐々に進み、ついには涅槃に至ります。この四番目の教えは、天や人間の世界において、非常に大切な行いであり、多くの利益をもたらします。

「『又第五法多有所作，多有利益，所謂念也。一切法中能為妨者，所謂懈怠。如是一切世間之法攝涅槃者，念則是根。若出家者、若在家者念不放逸，不放逸行，一切所作皆悉成就。如是之人數數作業，如法作業，勤發精進，隨所悕望，心念正行。彼人五根護五境界，心不迷惑。眼見色已，於彼色中不生欲染，心不憙樂，如色實見，知其根本，見如是色根本因緣何因緣生。彼人如是知見色已，心不濁亂，如是彼色則不能牽，以如實見如是色故。若出家者、若在家者、若天人等，知生色過，欲生色過已滅色過，如是念知某方某處，心緣彼色，如是境界之因緣故，共眼生識。「由彼境界已生我畏，此無垢念能除煩惱，我以此念已除如是境界怖畏。」如是怖畏，因緣而生。於諸境界，第一悕望心正念故，則能除遣無量種色境界怖畏。念緣能除，於念念中稍除、漸除。譬如世間善巧銅師以好銅器置火中已，然後治之，如是數數入火復治，勤不休息，漸漸除垢令其滑淨。如是善念數數除垢，爾乃清淨。又如瓶師，因緣合集，以久習故，泥團成瓶。如是之人勤心發念，修集因緣，如緣生瓶。正念觀察，如所著衣。從初次第念念至盡，如是如是始發善念，次第乃至一切過盡，得見真諦聖印印心。彼過相盡，過相盡故，人則知之。是故若有欲得善者，當一切時如實正念。若眼緣色，念繩縛心令不動轉，如調惡馬。如是善念於先住持過去境界，攀緣念已，如是復遮現眼境界，念九十八。

> 『さらに第五の法は多くの働きをなし、多くの利益をもたらす。すなわち「念」である。あらゆる法の中で妨げとなるもの、それは「懈怠」である。このように、世間のあらゆる法を涅槃に導くもの、その根は「念」である。出家者であれ在家者であれ、念によって放逸ならず、放逸ならざる行いをすれば、なそうとする一切のことはすべて成就する。そのような人は、何度も修行を積み、正しく修行に励み、精進を起こし、願い望むところに心を向けて正しく行う。その人の五つの根は五つの境界を守り、心は惑わされない。眼で色を見たとき、その色に欲染を生じず、心は喜び楽しむことなく、色をありのままに見て、その根本を知り、この色の根本の因縁は何によって生じたのかを見る。その人は、このように色を見て知るので、心が濁乱されることはない。それゆえ、その色は彼を引き寄せることができない。色を如实に見るからである。出家者であれ在家者であれ、天人などであれ、色の過ちが生じることを知り、色の過ちが生じようとするのを防ぎ、色の過ちが滅することを知る。このようにして、ある方角、ある場所において、心がその色に縁（よ）るという、そのような境界の因縁によって、眼と共に識が生じる。 「その境界によってすでに私は怖れを生じている。この汚れなき念が煩悩を除く。私はこの念によって、すでにそのような境界の怖れを除いた。」このように怖れは因縁によって生じる。あらゆる境界に対して、最上の願いを心に正しく念じることで、無量の種類の色の境界の怖れを除き去ることができる。念は縁に従って除くことができ、刹那ごとに少しずつ除き、徐々に除く。たとえば、世の巧みな銅細工師が、良い銅器を火の中に入れてから調整するように、このように何度も火に入れては調整し、休むことなく精進し、徐々に垢を除いて滑らかで清らかにする。このように善い念も、何度も垢を除いて、はじめて清らかになる。また、瓶細工師が、様々な因縁が集まり、長い修行の習慣によって土の塊が瓶となるように、このように人は勤め心を起こして念を発し、因縁を修め集める。縁によって瓶が生じるように、正念をもって観察する。着ている衣が、最初の次第から刹那ごとに尽きていくように、このようにして最初の善い念を発してから、次第にすべての過ちが尽きるに至り、真諦を見て聖なる印が心に印される。その過ちの相が尽きる。過ちの相が尽きるゆえに、人はそれを知る。ゆえに、もし善を得たいと望むならば、すべての時に如实に正念すべきである。もし眼が色に縁（よ）るならば、念の綱で心を縛って動かさないようにする。それは狂暴な馬を調御するようなものだ。このような善い念は、まず過去の境界を止め住まわせ、それに心をかけて念じた後、さらにこの眼前の眼の境界を遮る。念は九十八の煩悩を除く。』

「『云何念住？謂生欲染，不正觀風，不能令動。如是念住，如實思惟，此色、彼色有無量種無量形相，觀四聖諦苦、集、滅、道，令彼欲染一切寂靜，或令欲染一切盡滅或皆微薄。此是何者善法勢力？所謂繫念是其根本。一切善法皆依念住，如是轉行是念現在。

> 「『念住とは何か。それは、欲望や煩悩を生み出すような誤った見方（風）によって動かされることなく、物事をあるがままに見つめる心の働きである。このようにして、あらゆる色（物質的存在）には無数の種類と形があることをありのままに観察し、四つの聖なる真理（苦・集・滅・道）を観じることで、欲望や煩悩をすべて静め、あるいは完全に滅し、あるいは薄くするのである。これはどのような善い心の力によるものか。その根本にあるのは、正しく心を一つの対象に留めること（繫念）である。すべての善い心の働きは、この念住（気づきの確立）に依って生まれ、このようにして今ここで（現在において）念が働くのである。』」

「『云何復念未來世法？未來未有、未生、未見，彼境界相云何而念？若得境界，是則可念。未來世中境界未有，當云何念？彼所念者，雖復未來，見因緣相攀緣未來，如是得念。謂見有人修身口意，善業行者，見已則念：「如是之人決定生天。」若見有天惡業行者，見已則念：「如是天者，必墮地獄。」如是念知此第五法，於人天中多有所作，多有利益。

> 「では、未来の出来事についてどのように心に思うのでしょうか？未来とは、まだ存在せず、生じておらず、見たこともないものです。その対象をどうして思い描くことができるのでしょうか。もし何か対象があるのなら、それを思うこともできます。しかし未来の世界にはまだ対象がないのです。どうやって思うのでしょう？思い描くものは未来のものであっても、その因縁のつながりを見て、未来に思いをはせることで、思うことができるのです。つまり、ある人が身体、言葉、心において善い行いを積んでいるのを見て、『この人は必ず天界に生まれるだろう』と思い、あるいは天界にいる者が悪い行いをしているのを見て、『この天人は必ず地獄に堕ちるだろう』と知るのです。こうした心の働きが第五の法であり、人々や天界の生きとし生けるものにとって、多くの利益をもたらし、大変役立つものなのです。」

「『又第六法於天人中多有所作，多有利益。謂第六者，不熱惱他。若不惱他，其心寂靜不生分別：此有梵行、此無梵行。見他敷具病藥所須，不生譏嫌，不自言是，亦不說言：「我能持戒。」若少持戒、少讀誦經，於檀越所不自稱說。等心怨親，常念三寶，不朋破戒，不惱持戒，於諸檀越不數參承而取資用，其心柔潤，數數諮請說法師長常住空閑，常一切時近梵行者。如是功德相應之人，不熱惱他，如是於他不熱惱故，多有所作，多有利益。

> 第六の法もまた、天や人の間で多くの働きをもたらし、多くの利益がある。その第六とは、他者を悩ませないことである。もし他者を悩ませなければ、その心は静まり、分別を生じない。「これには清らかな行いがあり、これには清らかな行いがない」と見ることもない。また、他人の敷物や薬、必要なものを見ても、軽蔑したり非難したりせず、自らを正しいと主張せず、「私は戒律を守れる」とも言わない。たとえわずかに戒を保ち、わずかに経典を読誦しても、施主に対して自らを誇らない。敵と味方を同じ心で見て、常に仏・法・僧を念じ、戒を破る者と徒党を組まず、戒を保つ者を悩ませない。多くの施主のもとに頻繁に通って財物を受け取らず、その心は柔らかく穏やかである。何度も教えを請い、説法の師や長老は常に閑静な場所に住み、常に常に常に清らかな行いをする者と共にいる。このような功徳を備えた人は、他者を悩ませない。このように他者を悩ませないがゆえに、多くの働きをもたらし、多くの利益があるのである。

「『又第七法於天人中多有所作，多有利益，所謂不誑。自隱功德，除去惡業，心意正直，衣鉢知足恒常乞食，山谷巖窟、樹林中住，行食知足，其心平等無有高下，非無因緣人中遊行；疑有虫處，不行於彼；不壞澤中水岸河坎，畏殺虫故；不呪霹靂雷電雨等，令墮傷殺；不說星宿日月薄蝕諸曜吉凶，而求財物飲食供養，以資自命；不常往返一檀越家；亦不戴面，仰頭而行；亦不動脣，詐作誦習；不高聲語亦不私竊；不著間雜鞾鞋履等；不以雜繩用繫身體，自身不著雜色香囊；至敷具等皆悉不畜；無戒功德，大眾會處則不入中；不令他人到於城邑聚落等處說己持戒，求望利養；不種種處妨亂心意，不貪不求，不近村住；於舊知識親眷等舍，不自在入，攝令屬己；不彰他惡、不隱他德，見他實過，屏處不說；捨棄婦女如遠惡蛇，於諸婦女不共語說、不與同行。

> 「また、第七の法は、天や人の世界において多くの働きと利益をもたらすものです。すなわち、それは偽りがないことです。自らの隠れた功徳を認めず、悪い行いを取り除き、心をまっすぐに保ちます。衣と鉢に満足し、常に托鉢（たくはつ）して歩き、山谷や岩窟、林の中で暮らします。食事の量を知り、それで足りていると納得し、心は平等で、上下の差別がありません。理由もなく人の町を歩き回ることはしません。 虫がいそうな場所には足を踏み入れません。沼や水辺、川岸を壊すことはしません。虫を殺してしまうのを恐れるからです。雷や稲妻、雨などを呪文で止めたり、人に害を加えさせようとしたりしません。星や月、日食・月食、惑星の吉凶を占って、財物や食べ物、布施を求め、それで生活を支えるようなことをしません。 一つの家にだけ頻繁に通うことはしません。顔を覆ったり、あごを上げて歩いたりもしません。ただ読経しているふりをするために唇を動かすこともありません。声高に話さず、こっそり話すこともありません。派手な飾りのついた靴や履物は身に着けません。特別な紐で体を縛ることもなく、色のついた香袋も身に着けません。敷物なども一切、蓄えません。 戒律の徳が備わっていないのに、大勢の集まる場所には入りません。人を町や村に派遣して、『自分は戒律を守っています』と語らせ、利益や供養を求めるようなことをしません。あちこちで心を乱すことなく、欲を持たず、求めず、村に近づきすぎて住むこともありません。かつての知人や親類の家などに、勝手に入り込み、自分の支配下に置こうとしません。 他人の悪を暴かず、他人の善を隠しません。相手に実際に過ちがあっても、人目につかない場所でそれを言いふらしません。女性を遠ざけることは、毒蛇を遠ざけるように行います。女性とは言葉を交わさず、一緒に道を歩きません。」

「『饒華之樹一切不往，可愛園林亦不遊行，畏聞可愛眾鳥聲故，畏聞彼聲欲心動故，是故不欲聞彼鳥聲。饒聲水河不近坐禪，畏聞彼聲心動亂故。多熏香花不近坐禪亦不近行。何以故？畏鼻聞香心意動故。亦不觀看種種諸鳥、種種色鳥，鵝鴨命命若孔雀等多欲諸鳥，不看不見，不近彼行，畏心動故，畏見畜生、婦女因緣欲心發故。椰子果樹、波那婆樹、母柘果樹、菴婆果樹、毘羅果樹、迦卑他樹、波留沙樹、佉殊羅等種種林樹不近坐禪，恐畏生心貪其味故。捨離果樹在寂靜林，無味可貪，無多人眾。在安樂行園林之中如是坐禪，勤發精進，共過怨鬪，心恒不亂，乃至不取為寺因緣犁地之土。「『如是斷愛，朽壞鐵鉢以繩連綴，用受飲食，而心不念銅銀等鉢；不畜三椀；所有袈裟不翻披著；於夏天時除大小便，更不餘行乃至一步，畏殺虫故；食奢彌果時食好果，不食爛果。食小棗等，不看不食，若食梨果、佉殊羅果、軟棗豌豆、若朽豆等，不看不食，恐畏其內有諸虫故。於自屋壁所生諸虫，終不除却，畏傷損故，畏其死故。坐處一坐，不觀他鉢，畏貪食故。若行道時，不近他行，恐為妨故。饒虫之地，不大小便，畏傷虫故，畏殺虫故。乞食行時，看一尋地，以直心故；恒常親近正直心者。如是比丘不集諸物，於一切物皆不悕望，於希有物心不樂見，常勤坐禪，彼善比丘如是不誑。彼善比丘如是持戒清淨不犯，如是淨命，如是內心清淨善淨，如是比丘如說學句，堅持不犯。彼善比丘如心所念，如是道生，常淨命故，有善意生，不樂劣生，願生善道。』

> 「『華やかな木々には一切近づかず、美しい園林にも訪れません。美しい鳥の声を聞くのを恐れるからです。その声を聞けば欲心が動くからであり、ゆえに鳥の声を聞きたいとは思わないのです。音の多い川のそばでは坐禅をせず、その声を聞けば心が動き乱れるからです。多くの香りや花のそばでは坐禅をせず、近づいて歩くこともありません。なぜか。鼻で香りを嗅げば心が動くからです。また様々な鳥、色とりどりの鳥、ガチョウやアヒル、命命鳥、孔雀など、多くの欲望を生じさせる鳥たちを見ることもせず、眺めることもなく、近づいて歩くこともありません。心が動くのを恐れるからであり、畜生や女性という因縁を見て欲心が起こるのを恐れるからです。椰子の果樹、波那婆樹、母柘果樹、菴婆果樹、毘羅果樹、迦卑他樹、波留沙樹、佉殊羅などの様々な林の樹木にも近づいて坐禅をせず、心に貪りの念が生じてその味を欲しがるのを恐れるからです。果樹から離れ、寂静な林に身を置き、味わうものに貪りがなく、多くの人の集まりもありません。安楽な行いの園林の中でこのように坐禅し、精進に励み、怨みと共に戦い、心は常に乱れず、寺を作るために耕した土をも取ることはありません。 「『このように欲を断ち、朽ちた鉄の鉢を縄でつなぎ合わせて飲食を受けますが、銅や銀などの鉢を心に思い浮かべることはありません。三つの椀を蓄えることもありません。袈裟を反対に羽織ることもありません。夏の時期には大小便のため以外、一歩たりとも余計に歩かず、虫を殺すのを恐れるからです。奢弥果を食べる時は良い実を食べ、腐った実は食べません。小棗などは見ることも食べることもせず、梨、佉殊羅、柔らかい棗、豌豆、あるいは朽ちた豆などは見ることも食べることもせず、それらの中に虫がいるのを恐れるからです。自分の部屋の壁に生じた虫たちを決して取り除かず、傷つけるのを恐れ、死なせるのを恐れるからです。坐る場所は一箇所と定め、他人の鉢を覗き見ることはせず、貪って食べるのを恐れるからです。行道の時には他人に近づいて歩かず、妨げとなるのを恐れるからです。虫の多い場所では大小便をせず、虫を傷つけるのを恐れ、虫を殺すのを恐れるからです。乞食に出る時は一尋（約1.8メートル）の先を見て歩き、直心をもってするからです。常に正しい心を持つ者と親しく交わります。このような比丘は物を蓄えず、一切の物に望みを抱かず、珍しい物があっても見たいとは思わず、常に坐禅に努めます。その善き比丘はこのようにして虚偽の行いをしません。その善き比丘はこのように戒を清らかに保ち犯さず、このようにして清らかな命を送り、このようにして内心を清らかに善く清めます。このような比丘は説かれた学句の如く、堅持して犯しません。その善き比丘は心に念じるままに、このように道が生まれ、常に清らかな命を保つゆえに善い心が生じ、劣った生を好まず、善い道に生まれようと願うのです。』」

「時，彼世尊毘葉婆佛而說偈言：

> その時、毘葉婆仏（びようばぶつ）は、次のように偈（げ）を説かれました。

「『清淨命之人，寂靜身口意，坐禪而離愛，去涅槃不遠。頭陀不放逸，塚間樹林中，常如是處住，去涅槃不遠。塵土物敷具，一鉢復破壞，根果食知足，彼人安樂行。於欲解脫人，常樂於知足，善意勇健者，去涅槃不遠。不諂誑之人，遠離於塵垢，其心如虛空，去涅槃不遠。』

> 清らかな命を生きる人は、身・口・意が静まり、 坐禅して愛着を離れるならば、涅槃は遠くない。 頭陀（苦行）に励み、塚（墓地）や林の中に住み、 常にそのような場所にいるならば、涅槃は遠くない。 粗末な布や敷物を使い、一つの鉢さえ壊れていても、 根や果実だけの食べ物で満足する人は、安らかに暮らす。 欲望から解き放たれた人は、常に知足を楽しみ、 善意と勇気ある者ならば、涅槃は遠くない。 偽りや欺きのない人は、塵や汚れを遠く離れ、 その心は虚空のようであるならば、涅槃は遠くない。

「彼佛世尊如是讚歎善行比丘不諂誑者。

> その仏世尊はこのように、偽りのない善行を修める比丘を称賛された。

「『成就如是七法之人，是善男子；若行欲者，沒生死海，則是畜生，形雖是人而實非人。若能成就七法之者，則為善人之所讚歎，身壞命終，生於善道天世界中。受天樂已，退生人中，則得涅槃，以餘業故。第一善者此七種法，所謂從初近善知識，次第多聞、攝取修行、不懈怠、念、不熱惱他、不誑等法，如是七法非諂曲法，以如是等七法寶藏之因緣故，得生天中。若天等中得七法已，莫放逸行，令福德盡，天中退已，墮於地獄、餓鬼、畜生。故天不應行放逸行，以自破壞，於諸有中無有放逸行放逸行而得樂者。人中成就如是七法，則生天上。有三因緣，天中退已，墮於地獄、餓鬼、畜生。所謂三者：不聞正法；近惡知識；不信業果。若不成就此七種法，墮於地獄、餓鬼、畜生。』

> 「この七つの法を成就する人は、善き男子である。しかし、欲に溺れる者は、生と死の海に沈み、畜生と同じである。姿は人間であっても、実は人間ではない。七つの法を成就できる人は、善き人々から称賛され、命終わった後、善い道である天の世界に生まれる。天の楽しみを受けた後、人間に生まれ変わり、残余の業の力によって涅槃に至る。第一の善とは、この七つの法のことである。すなわち、初めに善知識に近づくことから始まり、順に多く聞くこと、教えを受け入れて修行すること、怠らないこと、よく念じること、他者を苦しめないこと、そして偽らないことである。これら七つの法は、決して曲がったものではない。この七つの法という宝の蔵の因縁によって、天に生まれることができる。もし天においてこの七つの法を得たならば、放逸にふるまって福徳を尽くしてはならない。天から堕ちれば、地獄・餓鬼・畜生に落ちるからである。ゆえに天においても放逸にふるまってはならない。自らを壊してしまい、あらゆる生存の中に、放逸によって楽を得る者はない。人間としてこの七つの法を成就すれば、天に生まれる。天から堕ちて地獄・餓鬼・畜生に落ちる原因は三つある。すなわち、正しい法を聞かないこと、悪い知友に近づくこと、そして業の果報を信じないことである。この七つの法を成就しなければ、地獄・餓鬼・畜生に堕ちるのである。」

「爾時，天主牟修樓陀告天眾言：『此等一切，汝等已聞。彼佛世尊以憐愍心利益眾生，已如是說。』時，彼天眾一切皆共白天王言：『我等今者，已聞如來此所說經。彼佛世尊憐愍世間，已作利益，為除放逸故如是說。』牟修樓陀夜摩天王告天眾言：『汝聞此經，勿行放逸。天放逸故，生於地獄、餓鬼、畜生。何以故？汝以大價貴重之物，貿得此間天中生處，今者不應以放逸故，令其空盡。如佛所說，如是經法，攝取正行，捨離放逸。』

> 「その時、天主・牟修楼陀は天人の衆に告げて言った。『これらのことはすべて、あなたがたはすでに聞いた。かの仏世尊は、憐れみの心をもって衆生を利益し、すでにこのように説かれたのだ。』」 「その時、天人の衆はみな共に天王に申し上げた。『私たちは今、如来のこの説かれた経を聞きました。かの仏世尊は世間を憐れみ、すでに利益をなし、放逸を取り除くためにこのように説かれました。』」 「牟修楼陀夜摩天王は天人の衆に告げて言った。『あなたがたはこの経を聞いたなら、放逸を行ってはならない。天が放逸であるがゆえに、地獄・餓鬼・畜生に生まれるのだ。なぜなら、あなたがたは大きな代価の貴重なものによって、この天の生まれる場所を得たのだ。今、放逸によってそれを空しく尽きさせてはならない。仏の説かれたように、このような経の教えは、正しい行いを摂め取り、放逸を捨てさせるのだ。』」

「於六經中，毘葉婆佛所說經典第四已竟。

> 六経の中にあって、毘葉婆仏の説かれた経典の第四がここに終わった。

## 正法念處經卷第四十六

> 正法念処経 第四十六巻