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title: "正法念處經 · 12"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
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## 正法念處經卷第四十七

> 正法念処経 巻第四十七

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品之二十六夜摩天之十二

> 観天品第二十六<note>夜摩天の十二</note>

「爾時，第三夜摩天王牟修樓陀示其天眾佛塔經文，令彼天眾心純熟已，復示生死衰惱之處，無量百千諸過充滿恩愛別離，近不愛者，所謂老死憂悲啼哭，眾過皆滿，具足失壞，生死乃是具足一切諸衰惱處。

> その時、第三夜摩天の王・牟修樓陀は、天の民たちに仏塔の経文を示し、彼らの心が純粋に成熟したのを見て、さらに生死の衰えや悩みの場所を示した。そこには無数の百千の過ちが満ち溢れ、恩愛の別れ、嫌な者に近づくこと、すなわち老い、死、憂い、悲しみ、泣き叫び、あらゆる苦しみが備わり、すべては壊れ失われるものであった。生死とは、実に一切の衰えと悩みを具えた場所なのである。

「爾時，天王既見天眾心善調伏，然後復以憐愍心故，利益眾生，如是告言：『汝等天眾，今者應知一切諸天放逸行故，必致衰惱，後死到時心則生悔，極大熱惱得大殃禍。當於彼時，無有方便而可得脫。業繩繫縛，如是將去，獨而無伴。若人、若龍或地獄人，將入地獄，死羂所縛，無有同侶，唯除善法、若不善法，在於一切諸眾生海。』時彼天眾復白天主牟修樓陀，而作是言：『如是，如是！當於爾時無一同侶，除法、非法。』

> 「その時、天の王は、天の民たちの心がよく調えられたのを見て、さらにまた哀れみの心によって、人々を利益しようと、こう告げました。『天の民たちよ、今、あなた方は知るべきである。すべての天人は、放逸な行いによって、必ず衰退や悩みを招き、やがて死が訪れる時には心に悔いが生じ、極めて激しい苦しみと大きな災いを受けることになる。その時になっては、逃れる術は何一つない。業の縄に縛られ、そのまま連れて行かれ、独りで伴侶はいない。人であれ、竜であれ、あるいは地獄の者であれ、地獄に連れて行かれる時は、死の罠に縛られ、共にいる者は何もなく、ただ善法か悪法だけが、あらゆる生きとし生けるものの海の中にあるのだ。』すると、その天の民たちは、再び天の主ムチュリンダーンにこう言いました。『その通りです、その通りです。その時には、ただ法と非法を除いては、一人の伴侶もないのです。』」

「爾時，天主牟修樓陀告天眾言：『汝等天眾應如是知，更無同伴。』又復告言：『汝等天眾，若欲增長信心種子，欲得安樂，畢竟除苦。今此天中，又復更有閻浮那陀金寶妙塔，真珠網覆，有七寶柱而為莊嚴，種種雜寶、種種光明，是迦那迦牟尼佛塔。我今共汝一切天眾，往詣彼塔。到彼塔已，禮拜供養入彼佛塔。入彼塔已，隨彼塔中所有諸法，一切遍看，見已攝取，得已修行，以自利益，出於生死，次第乃至到於涅槃。』「爾時，天眾既聞天主牟修樓陀如是語已，心生敬重，離放逸心，諸根寂靜，俱向大仙名迦那迦牟尼佛塔。塔之光明，如前所說。爾時，天眾一切皆共牟修樓陀夜摩天王詣彼佛塔。「到佛塔已，夜摩天王牟修樓陀告天眾言：『彼迦那迦牟尼如來說一切法皆悉無常，利益世間憐愍眾生。此佛塔內，化在壁上，汝等天眾若得見者，則生厭離。見無常法，必生厭離。彼佛世尊所說、所化，此佛塔中壁上化現。』

> その時、天主・牟修樓陀は天人の衆に告げました。「お前たち天人は、このように知るべきだ。共に行く仲間など、どこにもいないのだ。」またこうも告げました。「お前たち天人は、もし信心の種を育て、安楽を得て、最終的に苦しみを滅したいと願うならば、この天界にはまた、閻浮那陀の金でできた宝の塔がある。真珠の網で覆われ、七宝の柱で飾り立てられ、様々な宝や光を放っている。それは迦那迦牟尼仏の塔である。私は今、お前たち全ての天人と共に、その塔に赴こう。その塔に到り、礼拝し供養し、その仏塔に入ろう。塔の中に入ったなら、塔の中にある全ての教えを、くまなく見て回り、それを見ては心に留め、得ては修行し、それによって自らを利し、生死の流れを出て、ついには涅槃に至るのだ。」 その時、天の衆は、天主・牟修樓陀のこの言葉を聞いて、心に敬いの念を生じ、放逸の心を離れ、諸々の感覚器官は静まり、皆で大いなる仙人、名を迦那迦牟尼という仏の塔へと向かいました。塔の光明は、前に述べた通りです。その時、天の衆は皆、牟修樓陀夜摩天王と共に、その仏塔へと赴きました。 仏塔に到着すると、夜摩天王・牟修樓陀は天の衆に告げました。「かの迦那迦牟尼如来は、全てのものは無常であると説き、世の中を利益し、衆生を憐れみました。この仏塔の中には、それが壁に描かれて表されています。お前たち天人がもしそれを見れば、きっと厭い離れる心を生じるでしょう。無常の法を見れば、必ず厭い離れる心を生じるのです。あの仏世尊が説き、表したものが、この仏塔の中の壁に現れているのです。」

「時彼天王如是說已，共彼天眾入佛塔中。彼佛塔量廣十由旬，彼佛塔內一切生死皆悉無常，一切具足無不失壞。自業行故，不得自在，異異不同，五道差別各各化現佛塔壁中，如鏡相似，彼色明了，亦如正見，處處各各了了分別，如雜色畫。

> その時、かの天の王がこう語り終えると、共にいた天の衆とともに仏塔の中に入った。 その仏塔の大きさは、広さ十由旬（ゆじゅん）であった。 その仏塔の中では、あらゆる生と死がすべて無常であり、どんなに完璧に備わっているものでも、いつかは失われ、壊れていくものであることが示されていた。 自らの業（行為）によって、思いのままにならず、様々に異なり、五つの道（五道）の違いがそれぞれに、仏塔の壁の中に、まるで鏡のように現れ出でていた。 それらの姿は明瞭であり、また正しい見解（正見）のように、あらゆるところでそれぞれにはっきりと識別でき、まるで色とりどりの絵のように映し出されていたのである。

「彼處一廂見八地獄，謂活、黑繩、合、喚、大喚、熱及大熱，至阿鼻等。見天墮中，自業風吹，首下足上普身炎然，一切身上火色猶如金舒迦樹，上從天處下墮，次第至地獄中，高聲唱喚。自心所誑，善業盡故，為放逸怨之所誑故。天中成就第一樂已，入於地獄大苦惱處，唯獨無伴，離於知識親舊弟兄，墮於地獄，無能救者。

> あそこには八つの地獄が一列に並んでいるのが見える。それは等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、そして無間地獄である。天人がそこに堕ちるのを見た。自分の業の風に吹かれ、頭を下にし足を上にして、全身が燃え盛っている。その体の色は、金のシャーラ樹の花のようである。天の世界から下に堕ちて、次々と地獄に至り、大声で叫び喚く。自分の心に欺かれ、善い業が尽きたからである。放逸という怨敵に欺かれたからである。天において最高の楽を成就した後、地獄という大いなる苦しみの場所に入り、独りで伴侶もなく、知識も親族も兄弟も離れ、地獄に堕ちて、救う者はいないのだ。

「彼諸天眾最初如是塔中壁上了了而見，四天王天墮於地獄。四天王天有殺生過、有偷盜過。四天王天云何殺生？謂彼天眾共阿修羅戰鬪之時，殺阿修羅。天得勝時，阿修羅壞，取其頭冠、取其鐵刀，隨彼所有一切皆取。此業因緣，或復更有餘業因緣墮於地獄，為心所誑，作如是業。於彼天中，隨何時退，於彼退時，陰盡滅時，攀緣中陰，生地獄中，續彼樂處，受中陰身，甚大苦惱。彼於如是中陰之中，苦惱叵耐，何況已入地獄之中，受無量種極大苦惱。此為大業，如是戲弄此諸眾生。天處退已，生地獄中。彼諸天眾於佛塔內，如是皆見世尊所化。

> 彼の天の衆生たちは、最初はこの塔の中の壁に、はっきりと次のように見えたのです。四天王天が地獄に堕ちる様子が。四天王天には殺生の罪過や、盗みの罪過があります。四天王天がどのように殺生するのかというと、あの天の衆生たちが阿修羅と戦闘する時、阿修羅を殺します。天が勝利した時、阿修羅は敗れ、その頭冠や鉄刀を取り、その他あるもの全てを奪い取ります。この業因縁によって、あるいはさらに他の余分な業因縁があって、地獄に堕ちるのです。心に惑わされて、このような業を為すのです。 彼らはあの天において、いつか退く時が来ます。その退く時、寿命が尽きて滅する時、中陰に縁って、地獄の中に生まれます。あの楽しい場所に続いて、中陰の身を受け、甚だ大いなる苦しみを受けます。彼らはこのような中陰の中にあって、その苦しみは耐え難いものがあります。ましてや、すでに地獄の中に入って、無量の種類の極めて大きな苦しみを受ける時はなおさらです。これは大きな業であり、このようにしてこれらの衆生をもてあそぶのです。天の境涯から退いた後、地獄の中に生まれるのです。彼らの天の衆生たちは、仏塔の中において、このように全て、世尊が化現されたものを見たのです。

「又彼天眾於彼塔中異處，復見四天王天退天處已，生餓鬼中。彼天如是食樂失已，生曠野中，復得如是飢渴苦惱。如是天衣久時著已，後復頭髮覆面覆身，闇眼處生。彼身猶如被燒樹相，裸露無衣，或有身著火炎衣者，在曠野中飢渴燒身，唱聲叫喚，乃至少水如露渧許，亦不可得，生三十六餓鬼之地。夜摩天眾彼佛塔內壁中而見，烏鳥獯狐嘴啄其面、若眼口等，如是處見。如是天處，地觸軟滑，遊戲行已，後時復生餓鬼之地，熱火堅地、熱惱土塵和合為地，多饒黑虫，有金剛嘴。夜摩天眾彼佛塔內壁中而見，彼鬼叫喚，天處退來。

> また、その天の衆生は、その塔の別の場所で、四大王天（しだいおうてん）から退いて餓鬼の世界に生まれる様子を見る。 彼らは天での楽しみを失い、荒野に生まれ、飢えと渇きの苦しみを受ける。 長く天衣をまとっていた彼らは、後には髪の毛が顔や体を覆い、闇の世界に生まれる。 その体は焼かれた木のようで、裸で何もまとわず、ある者は炎の衣をまとい、荒野で飢えと渇きに体を焼かれ、叫び声をあげる。 わずか一滴の露ほどの水さえも得られず、三十六の餓鬼の世界に生まれる。 夜摩天（やまてん）の衆生は、その仏塔の壁の中で、烏や獣や狐がその顔や目や口などを嘴で突く様子を見る。 このように、天では柔らかな地に触れて遊び戯れていた者が、後に餓鬼の世界に生まれ、熱い固い大地、熱砂や土ぼこりの混じった地面、そして金剛のように硬い嘴を持つ黒い虫が多くいる場所に落ちる。 夜摩天の衆生は、その仏塔の壁の中で、彼ら餓鬼が叫びながら天から堕ちてくる様を見る。

「又復天中嗅好香來，或曼陀羅、居世奢等異異勝香、百千種香，一切嗅來，復於後時，在於不淨屎尿氣臭死屍塚墓穢惡處行。如是餓鬼嗅無量種不淨之物穢惡臭氣，於彼鼻中有炎蟻子，彼炎蟻子滿其鼻中。彼諸餓鬼，餓鬼中生，於彼塔內一處壁中，如是而見。

> また、天においては、良い香りを嗅ぐことができます。曼陀羅（まんだら）や世奢（せしゃ）などの、さまざまに勝れた香り、百千もの種類の香りがすべて漂ってきます。しかし後に、不浄なもの、屎尿（しにょう）の悪臭、死体や墓場の汚れた場所を歩くことになります。このように、餓鬼（がき）は無量の種類の不浄なもの、汚れた悪臭を嗅ぐのです。その鼻の中には、炎の蟻（あり）のようなものがあり、その炎の蟻が鼻中に充満しています。これらの餓鬼は、餓鬼の世界に生まれ、その塔の中の一つの壁の場所で、このように見られるのです。

「又復如是，前生天中無量種種酥陀之食，可愛色味香觸具足，復受戲弄餓鬼之身。如是生已，第一不淨、第一臭氣屎味難得，於百年中不曾一得如是屎食。彼佛塔內一處壁中，如是而見。如彼食屎，塔內壁中如是而見。「又彼天身所著之衣第一柔軟、第一滑觸，無量諸寶間錯而成，如天所應，甚為可愛。已於天中著如是衣，復有天風吹種種花以坌其身，復於後時善業盡故，生餓鬼中，裸形無衣，自身生毛。毛甚稠穊，堅䩕色黃，而覆其身。百千黑虫遍體食之，多饒如是種種火虫食其身體，生餓鬼中，飢渴燒身，恒常羸瘦，以啼哭故，眼面皆爛。久受無量餓鬼之苦，放逸所誑，從天處退，墮餓鬼地。

> さらにまた、かつて天界で無数の様々な甘露のような食べ物を味わい、愛らしい色・味・香り・感触をすべて備えていた者でも、後に餓鬼の世界に落ち、排泄物を食べる身となるのです。 このようにして生まれ変わると、最も不浄で、最も悪臭を放ち、糞の味しかしないというありさまです。百年もの間、そのような糞の食べ物すらも、一度として得られないことがあります。このことは、あの仏塔の中のある壁に描かれている通りです。排泄物を食べるありさまが、塔の壁に描かれているように、まさにそのとおりです。 また、その天人の身にまとう衣は、最も柔らかで、最も滑らかな感触であり、無数の宝が散りばめられてできていて、天界にふさわしく、非常に愛らしいものでした。天界でそのような衣をまとっていた者が、その後、善い行いの果報が尽きると、餓鬼の世界に生まれ、裸で何もまとわず、自分の体に毛が生えています。その毛は非常に密集して硬く、黄色っぽく、全身を覆っています。何百もの黒い虫が体中に這い回って食らい、様々な火のような虫が身を食べ尽くします。 この餓鬼の世界では、飢えと渇きに焼かれ、常にやせ細り、泣き続けるため、目や顔はただれてしまいます。このように長い間、計り知れない餓鬼の苦しみを受け続けるのです。天界の楽しみに惑わされ、天の位から退き、餓鬼の世界に堕ちてしまったのです。

「又夜摩天中山樹具足地處天眾，於彼塔中，壁上異處次第復見，四天王天退墮種種諸畜生道。種種方處，略而言之，生於三處——水、陸、空行。彼水行者，迭相食噉受大苦惱，或受寒苦或受熱苦。彼陸行者，日炙焦燃受大苦惱，飢渴燒身，迭相殺害，或畏繫縛受大苦惱，百千種受，不可得說。如是畜生，業風所吹，受諸苦惱。彼空行者，若細、若麁、若大身鳥，常樂相殺，受大苦惱。彼天退已，生畜生中，以放逸怨之所誑故。

> また、夜摩天にある山や樹々が完備された地に住む天衆は、その塔の中の壁の異なる場所で次々と、四天王天が様々な畜生道に堕ちる姿を見る。その様々な場所を大まかに言えば、三つの所に生まれる——水中、陸上、空中である。水中に生まれた者は、互いに食い合い、大きな苦しみを受け、ある者は寒さの苦しみ、ある者は暑さの苦しみを受ける。陸上に生まれた者は、太陽に焼かれて焦げ、大きな苦しみを受け、飢えと渇きに身を焼かれ、互いに殺し合い、あるいは縛られることを恐れて大きな苦しみを受ける。その苦しみは百千種あり、言葉に尽くせない。このように畜生たちは、業の風に吹き飛ばされて様々な苦しみを受ける。空中に生まれた者は、細かいものも粗いものも、大きな体の鳥も、常に互いに殺し合うことを好み、大きな苦しみを受ける。天人はそこから堕ちて畜生の中に生まれる。放逸という怨みに欺かれたからである。

「如是餘天若不放逸，不放逸行，作勝善業，修福德者。從天退已，生於人中，如自善業，如是受報。若不善業生人中者，一切如是，種種為作，入於衰惱，有下中上、有貧有富。依方時法，若醜若美好惡等色，彼佛塔內壁中而見。若有善業樂修多作，若修持戒、八聖道業，不穿不孔，堅固不犯，善調心意，三業大力，善業力勢，決定受得可愛果報。歸依三寶因緣力故，或時布施眾生無畏，或以法施，因緣勢力。或復其餘更異相似作諸善業，淨法熏思，寂靜心力。次動口業，或清淨心諫勸父母修施戒智，自身先有善業力故，能勸父母。或施病人、貧窮之人，或以飲食供給病人，或以藥草施與病人無醫師者病藥所須，布施力故。或不殺生或不偷盜，或不邪婬、不飲酒等。或於曠野嶮遠之處，善心造井，若水池等，施所須者，此業勢力。或時供養佛法僧寶，此業力故。禮拜合掌，作善業故。或於饒人破壞國土，多人畏處，畏曠野死或畏刀者，施其無畏。或施緣覺阿羅漢人床敷臥具、病藥所須，如是業故。或於妻子正護與樂。或於儉時，布施飢者，飲食養之。此業最善，乃至涅槃，三種菩提，如願得果，何況生天。若天上退，還生天中。彼復更見天中轉行，如是彼天在佛塔內壁中而見。

> しかして、その他の天たちがもし放逸ならず、放逸ならざる行いを行い、すぐれた善業を作し、福徳を修めるならば、天の処から退没して、人間の中に生まれる。自らの善業に従って、このように報いを受ける。もし不善業によって人間の中に生まれるならば、一切このように種々に行い作されて、衰え悩みの中に入り、下・中・上があり、貧しい者も富める者もいる。方角や時節、醜いことや美しいこと、好悪などの色に従って、あの仏塔の壁の中にそれを見る。 もし善業があり、楽しんで多く修め作し、あるいは戒律を修め持つこと、八聖道の業を修め、欠けず穴あけず、堅固に犯さず、心をよく調え、身・口・意の三業に大力があり、善業の力の勢いによって、決して愛らしい果報を受けるならば、三宝に帰依する因縁の力によって、あるいは時に衆生に無畏を施し、あるいは法施によって、因縁の勢力により、あるいはその他これと異なり類似する種々の善業を作し、清らかな法によって心を薫じ、寂静の心力によって、次に口業を動かし、あるいは清らかな心で父母を諫め勧め、布施・戒律・智慧を修めさせる。自身に先に善業の力があるゆえに、父母を勧めることができる。あるいは病人や貧しい人に施し、あるいは飲食をもって病人に供給し、あるいは薬草をもって病人に施し、医者のいない者に病の薬として必要なものを施す。布施の力による。あるいは殺生せず、あるいは盗まず、あるいは邪淫せず、飲酒しないなど。あるいは荒野の険しく遠い場所に、善心をもって井戸を掘り、もしは水池などを作り、必要なものを施す。この業の勢力による。あるいは時に仏・法・僧の三宝を供養する。この業の力による。礼拝し合掌し、善業を作すゆえ。あるいは人を悩ませ国土を破壊し、多くの人が恐れる処、荒野の死を恐れ、あるいは刀を恐れる者に、その無畏を施す。あるいは縁覚・阿羅漢の人に、床・敷物・臥具や病の薬として必要なものを施す。このような業による。あるいは妻子を正しく護り楽しみを与える。あるいは飢饉の時に、飢えた者に施し、飲食をもって養う。この業は最も善く、涅槃に至るまで、三種の菩提、願いのままに果報を得る。まして天に生まれることにおいてはなおさらである。もし天から退没しても、また天の中に生まれる。彼はさらに天の中に転じて行くことを見る。そのようにして、かの天は仏塔の壁の中にてそれを見る。

「彼處天中種種業網，無量因緣，業繩縛取無量眾生，於生死中施設張之，眾生入中，則為所縛。

> あの天界には、様々な業（ごう）の網が張り巡らされています。 数えきれないほどの原因と条件によって、業の縄が無数の生き物を縛りつけ、生死の世界にその網を広げているのです。 生き物がその中に入ると、たちまち捕らえられてしまいます。

「爾時，彼處夜摩天眾，彼佛塔內壁中既見四天王天無量種退，得大衰惱，如彼世尊名迦那迦牟尼如來所化，見已復更觀察三十三天。彼佛塔內壁中既見四天王天如是衰惱，次復思惟三十三天為如是不？時，夜摩天彼佛塔內復到異處，於淨壁中見彼世尊。如彼世間生死之實，業鎖所繫，若樂若苦，如化而見。如是次見三十三天亦復如是，如業受樂，如自業行，若善業行、不善業行，彼天如業受樂、受苦，或墮地獄、餓鬼、畜生，或人、或天，種種差別，無量業羂所繫縛已，復於三十三天之中，流轉而行。在生死處，業風所吹，於三界中無處有業不受果報，何況三十三天之處。「彼夜摩天——彼佛塔內清淨壁中——復見五道自業所作，自業羂縛，復於後時，入活、黑繩、合、喚、大喚、熱及大熱七大地獄，唯除阿鼻最大地獄。何以故？天中不作阿鼻之業。此因緣故，天則不生阿鼻地獄，天唯生在七大地獄。

> その時、その場所にいた夜摩天の衆生は、かの仏塔の内部の壁に、四天王天の無数の異なる退転と大きな衰えと苦しみがあるのを見ました。それはかの世尊、迦那迦牟尼如来が教化された通りの姿でした。それを見た後、さらに三十三天を観察しました。かの仏塔の内部の壁に、四天王天がこのような衰え苦しみを抱えているのを見て、次にこう考えました。「三十三天もまた、このようであるのだろうか？」 その時、夜摩天の者は、かの仏塔の中でさらに別の場所に進み、清らかな壁に、かの世尊をお見かけしました。それは、この世の生と死の真実、つまり業の鎖に繋がれた姿であり、楽も苦も、まるで幻のように現れているのでした。 このようにして次に、三十三天もまたまったく同じであると見ました。つまり、業に従って楽を受け、自らの業の行い（善い業の行い、不善の業の行い）に応じて、天は楽や苦を受け、あるいは地獄、餓鬼、畜生に堕ち、あるいは人間や天に生まれ変わるのです。こうした様々な違いがあり、無量の業の網に繋がれた後、再び三十三天の中に流転し、行き巡ります。生と死の場所にあっては、業の風に吹き飛ばされ、三界の中に、業がその報いを受けない場所はありません。ましてや三十三天の場所においてはなおさらです。 かの夜摩天の者は——かの仏塔の中の清らかな壁に——さらに五道における自らの業の働きと、自らの業の網に縛られる様子を見ました。そして後に、活地獄、黒縄地獄、合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、熱地獄、大熱地獄という七つの大きな地獄に入ることも見ました。ただし、阿鼻の最大地獄だけは除かれています。なぜなら、天の世界では阿鼻地獄に堕ちるような業は作らないからです。この因縁により、天は阿鼻地獄に生まれることはなく、ただ七つの大きな地獄にのみ生まれるのです。

「三十三天退已，若生活地獄者，以殺生故或餘業故。天、阿修羅戰鬪之時，殺阿修羅，則是殺生地境界住。一切諸天皆有殺生，四天王天、三十三天，二皆殺生、二皆偷盜，自上四天則不如是。彼地界住四天王天、三十三天，如是作業。三十三天是微細業，餘天不爾。如是生於三十三天微細之業及生退等，山樹具足地處天眾彼佛塔內壁中見之。

> 三十三天から退転した後、地獄に生まれる場合がある。それは殺生の業、あるいはその他の業によるものである。天と阿修羅が戦う時、阿修羅を殺すことがある。これが殺生の領域に住むということである。全ての天人は皆、殺生を行うことがある。四天王天と三十三天の二つの天は、共に殺生と偸盗を行う。しかし、その上の四つの天はそうではない。地の領域に住む四天王天と三十三天は、このような業を作る。三十三天の業は微細であり、他の天はそうではない。このように三十三天に生まれる微細な業と、そこからの退転などについて、山や木々が備わった地に住む天衆は、かの仏塔の内壁の中に見ることができる。

「三十三天歡喜園中、波梨耶多光明林中、雜殿堂中，種種嬉戲受境界樂，善業盡故，不知足羂之所繫縛，入地獄中。四天王天退墮地獄所受苦惱，三十三天墮地獄苦十倍更多。何以故？諸有天中境界之樂，若樂勝者，離別之苦亦如是勝。極為大苦，相續流轉，以如是業，轉轉上勝。如天身中一切身分處處柔軟，彼眼等中以柔軟故，所受苦惱亦多而勝。如是彼處四天王天所受之樂，三十三天樂則勝彼；三十三天境界失壞，所有憂苦亦多亦勝。心苦惱大，心苦惱多，苦樂二種甚多甚勝，不可譬喻。

> 三十三天の歓喜園、波梨耶多光明林、雑殿堂において、様々な遊戯や楽しみに没頭し、この世の快楽を享受しても、善行の果報が尽きれば、飽くことを知らない欲望の網に縛られ、地獄に落ちる。四天王天が堕ちて地獄で受ける苦しみに比べ、三十三天が地獄に堕ちた時の苦しみは十倍以上も大きい。なぜか。天の世界には至福の快楽があり、その快楽が大きければ大きいほど、それを失う時の苦しみもまた大きいからだ。絶大な苦しみが絶え間なく流れ続ける。このような業によって、さらに上の天へと上がっていくにつれて、体のあらゆる部分はどこまでも柔らかくなる。その柔らかさゆえに、目などで受ける苦しみもまた、より多く、より激しい。同様に、四天王天が受ける快楽よりも、三十三天の快楽は勝っている。しかし、三十三天がその境地を失った時の悲しみや苦しみもまた、より多く、より激しい。心の苦しみは大きく、心の苦しみは多い。苦と楽、この二つは非常にはかり知れず、例えようもないのだ。

「天中甚樂，地獄極苦，業羂所縛，如墮嶮岸，受無量種勝重苦惱。夜摩天眾彼佛塔內壁中而見，三十三天放逸所壞，彼夜摩天如是見已，心極愁惱。

> 天上は非常に楽しく、地獄は極めて苦しい。しかし、業の縄に縛られ、あたかも険しい崖から落ちるように、無数の種類の甚大な苦しみを受ける。夜摩天の者たちは、あの仏塔の内壁の中でこれを見た。三十三天は放逸によって滅びていく。夜摩天の者たちはこのように見て、心は非常に憂い苦しんだ。

「又夜摩天彼佛塔內異處壁中而復更見，三十三天退彼天已，墮餓鬼中。在歡喜林、光明林中、間雜殿處、遊戲之處，受天快樂，天酥陀食，具足資身，充飽受樂，如是久時受勝樂已，復食不淨糞屎之食，諸不淨虫遍其身體。如是觀見放逸行天，三十三天墮餓鬼中，夜摩諸天如是見已，心極愁惱。

> また、夜摩天において、その仏塔の内部の別の壁の中に、かつて三十三天にいた者がそこから堕ちて餓鬼道に生まれ変わった姿が見えた。彼らは歓喜林や光明林、間雑殿、遊戯の場所で天の楽しみを受け、天の酥陀という食べ物を十分に与えられて満足し、長い間その至上の楽しみを受けた後、再び不浄な糞や尿の食べ物を食べ、様々な不浄な虫がその全身に這い回っている姿であった。このようにして、放逸な行いをする天人が三十三天から堕ちて餓鬼道に落ちる様子を、夜摩天の者たちが見て、心は極度に憂い悲しんだ。

「又夜摩天彼佛塔內異處壁中而復更見，三十三天或退天已，生畜生道，在大海中作彌那魚或作貝虫、摩伽羅魚、舒摩羅魚，在如是等惡虫中生，迭相殺害，飢渴燒身受無量苦；如是空行鳥等畜生，迭相殺害，常有怖畏，心恒畏死，受諸苦惱；如是澤中種種獸等，相殺相食，受諸苦惱。

> また、夜摩天において、その仏塔の別の壁の中を見ると、三十三天の天人が天界から堕ちて畜生道に生まれ変わる様子が見えた。大海の中で弥那魚（みなうお）となり、あるいは貝虫、摩伽羅魚（まからうお）、舒摩羅魚（しょまらうお）となるなど、そのような悪しき生き物の中に生まれ、互いに殺し合い、飢えと渇きに焼かれ、無量の苦しみを受ける。また、空を飛ぶ鳥などの畜生も同様に、互いに殺し合い、常に恐怖の中にあり、死を恐れ、さまざまな苦しみを受ける。また、沢に住む様々な獣たちも、互いに殺し合い、食べ合い、多くの苦しみを受けているのを見る。

「如是說已，四天王天以善業故，生於人中，如是次第，三十三天如善業故，若生人中同業之處，受諸苦惱，生死所縛。若天退時，受無量種天中苦惱，如是苦惱，不可得說，何況人中在胎藏內所有苦惱。人世界中欲出胎時受諸苦惱，嬰孩時苦，出胎在地，未能行時，倒地等苦、匍匐時苦，身體無力，於作不作一切不知，愚癡啼哭，如是苦惱。如是種種苦惱之事，不可具說。彼佛塔內壁上而見，如鏡中見，山樹具足地處天眾一切皆見。

> このように語られた。四天王天の者たちは、善行の報いにより人間の世界に生まれる。同様に、三十三天の者たちも善行の報いにより、人間の世界で同じような境遇に生まれ、様々な苦しみを受け、生死に縛られている。天人がその地位を失う時、天界において無数の苦しみを経験する。その苦しみは言葉に尽くせないほどであり、ましてや人間の胎内にいる時の苦しみはなおさらである。人間の世界で胎内から出ようとする時にも様々な苦しみがあり、乳児の時にも苦しみがある。地上に生まれ出て、まだ歩けない時には、倒れるなどの苦しみ、はう時の苦しみがあり、体に力がなく、何をすべきか、すべきでないかの区別もつかず、愚かであり泣き叫ぶなど、このような苦しみがある。このような数々の苦しみの有様は、すべてを語り尽くすことはできない。あの仏塔の内壁には、すべてが鏡に映るように見えていた。山や木々に満ちた地に天の衆生たちがいる様子が、すべてはっきりと見えていた。

「彼諸餓鬼如是飢渴，繫屬於他，不得自在，有寒有熱，風吹日曝，處處而行在於曠野。如是等苦有無量種，皆悉具受，不可盡說。如是天中山樹具足地處天眾，彼佛塔內壁中而見。如是已見，種種苦惱有無量種世間生死，在彼壁中，如善巧畫。彼諸天眾見希有已，心生厭離，生如是心：『天勝於人。』

> あの餓鬼たちは、このように飢えと渇きに苦しみ、他者に縛られて自由がきかず、寒さや暑さにさらされ、風に吹かれ、日に焼かれ、あちこちと荒野を彷徨い歩く。このような苦しみは無数にあり、そのすべてを受けているが、言葉で尽くすことはできない。 このように、天上の山や木々が豊かに備わる地にいる天の衆は、あの仏塔の壁の内側にこれらの光景を見る。このようにして、世の中の生死には無数の苦しみがあるのを、あたかも巧みな絵画のようにその壁の中で見るのである。 あの天の衆は、この稀有な光景を見て、厭離の心を生じ、こう思う。「天は人よりも優れているのだな」と。

「人第一道，所謂是天；天第一道，所謂人中。人欲死時，則願生天；天欲退時，願生人中。人樂於天，天樂於人，於此天人二道中生。如是苦惱，何況其餘惡道之中，業所戲弄。

> 人の第一の道とは、いわゆる天のことである。天の第一の道とは、いわゆる人のことである。人が死のうとする時は、天に生まれたいと願い、天が退こうとする時は、人の世界に生まれたいと願う。人は天を楽しみ、天は人を楽しむ。このように天と人の二つの道の中に生まれてさえ、これほどの苦しみがある。ましてや、他の悪道の中で、業に戯れ弄ばれることなど、なおさらである。

「又復如是，山樹具足地處天眾，彼佛塔內異處壁中，見善法堂三十三天退彼天處，如業行故，生五道中。彼天退者，如前所說，業因緣故。若天中退，亦生天中，猶不離苦，如本生退，若愛別離，於退生畏。如是畏退，無量種苦。彼天既見無量苦惱，次復觀察彼佛塔內異處壁中，見帝釋身退彼天處，妙寶天鬘、天衣莊嚴，種種光明。彼莊嚴具火煉金色，有勝光明，不可譬喻。勝欲具足，五欲具足，一切捨離。自業所牽，惡道門開，放逸所使，墮於地獄、餓鬼、畜生。自業所作，或善業牽、不善業牽，故如是退。

> またまた、山や樹々が豊かにそろった地にいる天の衆がいる。その仏塔の内側、別の壁のところに、善法堂の三十三天がその天の処を退き、業の行いのゆえに五道に生まれる様子が見える。その天が退くのは、先に述べたように、業の因縁による。もし天の世界から退いても、また天に生まれることもあるが、それでも苦しみを離れることはできない。もとの生まれ変わりのように退き、愛する者と別れることによって、退くことを恐れる。このように退くことを恐れる、無量の種類の苦しみがある。その天は、無量の苦しみと悩みを見て、次にまた、その仏塔の内側の別の壁のところに、帝釈天の身が天の処を退く様子を観察する。そこには、美しい宝の天の鬘や天の衣で飾られ、さまざまな光明がある。その飾りは火で鍛えた金色のような輝きを持ち、例えようもないほどである。素晴らしい欲望を満たし、五つの欲望を満たしているが、すべてを捨て去る。自らの業に引かれ、悪道の門が開かれ、放逸に駆り立てられて、地獄・餓鬼・畜生に堕ちる。自らの業によって作られ、あるいは善業に引かれ、あるいは不善業に引かれる。それゆえに、このように退くのである。

「彼佛塔內淨寶壁中，見於往世先退帝釋，彼諸帝釋有三十二。初帝釋者，名菴舒摩。既作三十三天王已，自福盡故，生大海中作摩伽羅大身之魚。本在人中作獵魚師，常多殺魚，亦常禮佛。以禮佛業，是故得生三十三天，為帝釋王；殺生因緣，海中作魚，以餘業故，生畜生中。

> かの仏塔の内なる清浄なる宝壁の中に、過去世に退いた帝釈天たちを見た。その帝釈天たちは三十二人いた。最初の帝釈天の名は、アンシュマ（菴舒摩）という。彼は三十三天の王となった後、自らの福徳が尽きたことにより、大海の中でマカラ（摩伽羅）という大魚の身となった。もとは人の身で魚を獲る漁師であり、常に多くの魚を殺していたが、また常に仏に礼拝していた。その礼拝の業によって、三十三天に生まれ、帝釈天の王となった。しかし殺生の因縁によって、海の中で魚となり、その余りの業により、畜生の道に生まれたのである。

「又夜摩中山樹具足地處天眾，彼佛塔內異處壁中次第復見。第二帝釋名三浮提，本在人中曾作善業，與病者食，或清淨心與比丘食。彼業因緣，是故得生三十三天，為帝釋王，後時福盡，餘業因緣不善業故，作蜥蜴虫。彼前世時，邪見心故，外道齋中殺蜥蜴虫，以彼因緣生地獄中，出地獄已，餘業因緣，作蜥蜴虫。

> また、夜摩（ヤマ）天にある山の樹が完全に具わった場所の天人のもとで、その仏塔の中の異なる壁の部分に順にまた見られる。第二の帝釋（たいしゃく）は三浮提と名づけられ、もと人間の世界で善行を行い、病人に食べ物を与え、あるいは清らかな心で比丘（びく）に食べ物を施した。その業の因縁によって三十三天に生まれ、帝釋天王となったが、後に福徳が尽き、残った業の因縁である不善の業によって、蜥蜴（とかげ）の虫となった。この前世において、邪見の心のゆえに外道の斎（さい）の際に蜥蜴の虫を殺し、その因縁によって地獄に生まれ、地獄から出た後も、残った業の因縁により蜥蜴の虫となったのである。

「又夜摩中山樹具足地處天眾，彼佛塔內異處壁中次第復見，第三帝釋，波羅迦奢是其名字。受天境界，五欲樂已，於彼欲退。本人中時，供養父母，病時瞻視，彼業因緣是故得生三十三天，為帝釋王。本業盡故，彼天處退，生餓鬼中。彼過去時，於異處生，時世飢儉，多儲穀等，貴糶與他，誑惑他已，心更悕望後時大儉。以彼因緣，是故生於黑繩地獄，彼餘業故，生在針咽餓鬼之中。

> また、夜摩天の山中にある樹々が完備した地の天衆について。その仏塔の内の異なる壁の中に、次第に再び見えるものがある。第三の帝釋天、波羅迦奢という名の者である。彼は天の境地を受け、五欲の楽を味わった後、そこから退くこととなる。彼が人間であった時、父母を養い、病気の際には看病した。その業の因縁によって、三十三天に生まれ、帝釋天の王となったのである。しかし、その本来の業が尽きたため、天の処より退き、餓鬼の中に生まれた。彼は過去に、別の場所に生まれた時があり、その時代は飢饉であった。彼は多くの穀物などを蓄え、それを高値で他人に売り、欺いた後で、さらに後の大飢饉を心待ちにした。その因縁によって、黒縄地獄に生まれることとなり、その余りの業によって、針の喉を持つ餓鬼の中に生まれたのである。

「又夜摩中山樹具足地處天眾，彼佛塔內異處壁中，見無量種生死衰惱，生希有心。如是無量種種見已，次第復見第四帝釋，名曰作愛，天處退已，生於猪中。如是見已，觀彼善業，何業因緣為帝釋王？彼前世時，於他邪見婆羅門人病困欲死，與藥令服，憐愍心言：『當服此藥。』以是業緣，生於善道三十三天，作帝釋王。善業盡故，墮地獄中，彼處既出，以餘業故，生在猪中。彼天復觀如是業果，以何因緣復生猪中？彼前世時，恒常憙獵，多殺眾生，或多殺鹿或多殺猪。彼業因緣命終生於活地獄中，彼業既盡，以餘業故，生在猪中。

> また、夜摩天の山の樹々が整然とそろった場所にいる天の衆生が、その仏塔の内部の異なる壁の中で、無数の種類の生死の衰えや悩みを見て、希有な心を起こしました。このように無数の様々なものを見た後、次々に第四番目の帝釈天を見ました。名を「作愛」といい、天の地位から退いた後、豚の中に生まれました。このように見た後、彼の善業を観察しました。どのような業の因縁で帝釈天王となったのか？彼の前世において、他の邪見を持つバラモンの人が病気で苦しみ死にそうな時、薬を与えて飲ませようとし、憐れみの心で「この薬を飲みなさい」と言いました。この業の縁によって、善道である三十三天に生まれ、帝釈天王となりました。しかし善業が尽きた後、地獄に堕ちました。そこから出た後、残りの業によって、豚の中に生まれました。その天はさらにこのような業の果報を観察しました。どのような因縁で再び豚の中に生まれたのか？彼の前世において、常に狩猟を好み、多くの生き物を殺しました。あるいは多くの鹿を殺し、あるいは多くの豚を殺しました。その業の因縁によって、命終の後、等活地獄に生まれました。その業が尽きた後、残りの業によって、豚の中に生まれました。

「又夜摩中山樹具足地處天眾，彼佛塔內異處壁中，次第復見第五帝釋，名為善意。以何業故，生於彼處為帝釋王？彼前世時，曾見他人師子欲殺，救令得脫，以憐愍心，將來歸家，多日供養種種飲食。彼業因緣，是故生於三十三天，為帝釋王，名為善意。彼處退已，生於焦熱大地獄中。以何因緣生彼地獄？本前生時於王眾中，妄語言說是業因緣，墮彼地獄。

> また、夜摩天の山中にある樹木が豊かな場所の天人のもと、その仏塔の中の異なる場所の壁に、次々と第五の帝釈天が見える。その名を善意という。どのような業によって、そこに帝釈天の王として生まれたのか。彼は前世で、他の人が獅子に殺されようとしているのを見て、憐れみの心から助けて逃がし、家に連れ帰って何日も様々な飲食を供養した。その業の因縁によって、三十三天に生まれ、帝釈天の王となり、善意と名乗った。しかしそこから命を終えた後、焦熱の大地獄に生まれた。どのような因縁でその地獄に生まれたのか。前世で王の群れの中にいた時、虚偽の言葉を語ったという業の因縁により、その地獄に堕ちたのである。

「善意帝釋彼處退已，復有帝釋次第而生，名憍尸迦，彼夜摩中山樹具足地處天眾，彼佛塔內異處壁中而得見之。彼何善業？謂前世時，是多財寶富婆羅門一居奢內置婆羅門，設大齋會，集尊重人飲食供養，施其財物。彼業因緣，是故當來作帝釋王，名憍尸迦。又本復作無量福德，當作帝釋，名憍尸迦。「又夜摩中山樹具足地處天眾，彼佛塔內異處壁中，見彼天處、帝釋王處，有佛世尊釋迦牟尼說法勢力，令彼帝釋閉塞惡道，天中退已，生於人中，如是七返，如是道行。諸夜摩天如是見已，生希有心。

> よいかな。もとより、帝釈天であるシャクラはその場所から去り、その後、新たに帝釈天が次々と生まれ、その名をカウシーカといった。夜摩天の山々や樹木が満ち足りた地の天衆は、その仏塔の内部の別の壁面において、これを見ることができた。 何による善業が、そのような結果をもたらしたのか。 それは前世において、大変な財宝を持つ富裕なバラモンが、一つの住まいの中にバラモンたちを招き入れ、大施餓鬼会（だいせがきえ）を設け、尊敬される人々を集めて飲食を供養し、財物を施した。その業の因縁によって、後に帝釈天王として生まれ、名をカウシーカと称するのである。 さらにまた、無量の福德を積んだことにより、帝釈天となることも定まっており、その名もカウシーカと称するのである。 また、夜摩天の山々や樹木が満ち足りた地の天衆は、その仏塔の内部の別の壁面において、その天処、帝釈王の処にあるものを見た。 そこには、世尊たる釈迦牟尼が説法する力によって、かの帝釈天をして悪道を塞がしめ、天において退失した後、人間に生まれること、そのように七度繰り返し、そのように道を歩む姿があった。 夜摩天のすべての天衆は、このようなことを見て、希有の心を生じたのである。

「一切諸餘帝釋天王——彼佛塔內異處壁中——皆悉見其生處惡道，唯獨不見彼憍尸迦帝釋惡道。此何因緣？爾時，彼處一切天眾白其天主牟修樓陀，而作是言：『一切諸餘帝釋惡道，如是皆見，何故不見彼憍尸迦帝釋惡道？以何因緣，見其七返而無第八？』

> 「その他の帝釈天たちは皆、あの仏塔の壁の中、別の場所で、自分たちが生まれ変わった先の悪道をはっきりと見ることができました。しかし、あの憍尸迦（きょうししゃ）帝釈天だけは、悪道が見えません。これはどうしてでしょうか？その時、その場にいたすべての天人は、天主である牟修楼陀（むしゅろうだ）にこう申し上げました。『その他の帝釈天たちの悪道は、皆このように見えています。どうしてあの憍尸迦帝釈天の悪道だけが見えないのでしょうか？また、彼が七度生まれ変わるのは見えて、八度目がないのは、どのような理由によるのでしょうか？』」

「爾時，天主牟修樓陀聞已告言：『汝等今聽，為汝說彼憍尸迦道。以此因緣，我今欲為汝等說故，將汝等來入此佛塔。入此塔已，我為汝等說於正法。何以故？汝等一切皆悉如是放逸而行，天欲誑故，心癡迷惑，不聞正法。是故我為利益汝等，將汝等來入佛塔中，令汝等輩，現離憍慢。汝放逸行，此身空過，於後退時心則生悔。如是因緣，我於今者，勸汝等輩聽聞正法。

> 「時に、天主・牟修楼陀がこれを聞いて言いました。『さあ、あなたがた、よく聞きなさい。あなたがたに、あのコーシカ（帝釈天）の道をお話ししましょう。その縁によって、今、私はあなたがたに説こうと思い、あなたがたを連れて、この仏塔に入ったのです。この塔に入った以上、私はあなたがたに正しい教えを説きましょう。なぜかと言えば、あなたがたは皆、このように放逸な行いをし、天の欲に惑わされ、心が愚かで迷い、正しい教えを聞こうとしないからです。ですから、私はあなたがたの利益のために、あなたがたを連れて仏塔の中に入れ、今、あなたがたに慢心を離れさせようとしているのです。あなたがたは放逸な行いをして、この身を空しく過ごし、やがて退く時が来れば、心に後悔が生じるでしょう。そのような因縁から、今、私はあなたがたに、正しい教えを聞くよう勧めるのです。

「『以何因緣，此中唯見彼憍尸迦二道生處不生惡道，又亦更無第八返生？此佛塔內如是不見彼憍尸迦先放逸行、大放逸行，命欲盡時，善業盡相、退相出現，有善知識而語之言：「汝憍尸迦退相已現，今欲破壞，汝清淨心以自利益。」如是說已，憍尸迦言：「為我示道，令我聞法，此處不退。」

> 「どのような理由があって、この場所には、かのコーシカが二つの生まれ方をする道だけが見え、悪道に生まれることがなく、しかも第八番目の生まれ変わりもないのでしょうか。この仏塔の中では、あのようにかのコーシカの先の放逸な行いや大いなる放逸の行いが見えず、寿命が尽きようとする時、善行の果報が尽きる相や退く相が現れ、そこに善き知友がいてこう語りかけます。『あなた、コーシカよ、退く相がすでに現れました。今まさに壊れようとしています。あなたの清らかな心をもって、自らの利益を図りなさい。』このように語られた時、コーシカは言います。『私に道を示してください。私が法を聴くことができるように。この場から退くことのないように。』」

「『爾時，仙人善友知識為憍尸迦如是說言：「憍尸迦聽！有善方便，令憍尸迦此處不退。此閻浮提有佛出世，名甘蔗胤種姓中生，一切悉知、一切悉見，一切業果皆悉普證，示導一切眾生正道。無上法王為汝說法，令汝此處當不退失。彼知識所，如是得聞，既得聞已，為聞法故，速疾！速疾！向閻浮提到世尊所。」

> その時、仙人であり善き友であり知識でもある者が、憍尸迦にこう語りました。「憍尸迦よ、よく聞きなさい。あなたがこの場所から退転しないための、善い方法があります。この閻浮提に仏がおられます。甘蔗の胤（すえ）という種姓の中に生まれ、一切を知り、一切を見通し、あらゆる業の果報をことごとく自ら証得し、一切の衆生に正しい道を示して導かれる、最上の法の王です。その方から法を聞くことで、あなたはこの境地から退転することがないでしょう。あなたは、その善き知識のもとでこうした教えを聞くことができました。それを聞いたならば、法を聞くために、速やかに、速やかに、閻浮提へ赴き、世尊のおられるもとへ行きなさい。」

「『時，憍尸迦於一念頃到世尊所，見佛世尊，為說正法，安慰為說，聞已得益，示涅槃城。彼所說法，初中後善，義善語善，獨法具足清淨鮮白，謂苦、苦報、苦滅、苦證，說四聖諦——苦、集、滅、道。彼憍尸迦既得聞已，復問世尊釋迦牟尼而作是言：「大仙瞿曇！今我有妨，退相已現，我於此處不久當退。」如是問已，彼佛世尊言：「憍尸迦！如是，如是！如汝意念，汝退相現。汝天妨礙，善業盡故，放逸行故，以汝身心愛自在故，欲到異處，在大生死曠野之中不可得渡，彼岸叵到。一切世間愚癡凡夫無足力故，生老病死悲啼號哭，愁憂苦惱，無可愛樂，恩愛離別怨憎集會，毒蛇師子種種可畏，滿彼曠野，遇日所炙、愚癡黑闇、無邊欲染以為妨礙愚癡凡夫。諸獸充滿無量百千分別樹林，障閉擁塞，無正法水，離善知識。所說正道，多有無量邪見外道、邪意異路滿彼曠野，不能遠離。前際後際中間寬遠，五道之苦不可忍耐，闇苦覆地。汝憍尸迦於此生死曠野之處，心生怖畏而不免離。汝於先來染著欲樂，是故不覺，欲樂盡故，今者則知。汝退至時，欲不能救，退時臨到，將墮異處。」

> 「さて、帝釈天は一瞬のうちに世尊のもとに到りました。仏世尊にお目にかかり、正しい教えを説かれ、心を安らかにする教えを聞いて利益を得、涅槃の都を示されました。その説かれた教えは、初めも中頃も後も善く、意味も言葉も善く、比類なく、清らかで純白のものでした。すなわち、苦しみ、苦しみの原因、苦しみの消滅、苦しみの消滅への道という四つの聖なる真理（四聖諦）です。 帝釈天はこの教えを聞いた後、釈迦牟尼世尊にこう尋ねました。「大仙人ゴータマよ、今、私には妨げがあり、退く相が現れています。私はこの場所からまもなく退くことになるでしょう。」このように問われて、仏世尊は言われました。「帝釈天よ、その通り、その通りです。あなたの思うままに、あなたに退く相が現れています。あなたには天の妨げがあり、善い行いの果報が尽き、怠惰な行いのため、あなたの心身が自由を愛するゆえに、異なる場所へ行こうとしており、大きな生死の荒野の中では渡ること叶わず、彼岸に達することもできません。一切の世間の愚かな凡夫には、足の力がないため、生・老・病・死、悲しみの叫び、嘆き、憂いや苦しみ、愛する楽しみもなく、愛する者との別れ、怨み憎む者との出会い、毒蛇や獅子の如き様々な恐れが、その荒野に満ちています。太陽に焼かれ、愚かな闇、限りない欲の染まりが妨げとなり、愚かな凡夫が溢れ、無数の百千の分別の林で塞がれ、正しい法の水はなく、善き知識（善知識）から離れています。説かれた正しい道は、無数の邪見の外道や、邪な意の異なる道がその荒野に満ちており、遠ざかることはできません。過去も未来も、その中間は広く遠く、五つの道（五道）の苦しみは耐え難く、暗い苦しみが大地を覆っています。帝釈天よ、あなたはこの生死の荒野の場所において、心に畏れを抱きながらも、そこから逃れ得ないのです。あなたはかつて欲望の楽しみに染まっていたため、気づかなかったが、欲望の楽しみが尽きた今、初めて知るのです。あなたが退く時が来れば、欲望は救うことができず、退く時が近づき、異なる場所に堕ちることになるでしょう。」

「『彼憍尸迦聞佛說已，整服一廂，去頭天冠，頂禮佛足，却住一面，白言：「世尊！頗有方便令我不退此處以不？令我不退，復得於此三十三天為王以不？」彼佛告言：「我有方便令汝不退。何以故？更無異人而能如是決定作業生於此中，坐汝坐處，而為三十三天之王。如是因緣，是我所見。我今見汝，於此坐處，久坐不離。我於今者，見有因緣，汝則不退，所謂得聞我所說法。」彼憍尸迦聞佛語已，合掌在額，心生歡喜而白佛言：「唯願世尊善為我說，我今諦聽。」彼憍尸迦如是語已，彼佛世尊為說欲味過患出離，廣說如是勝修多羅。彼憍尸迦如是聞已，即時獲得須陀洹果。時憍尸迦既得果已，次第退生，閉塞惡道。以此因緣，夜摩天眾此佛塔內壁中不見彼憍尸迦第八生處。彼帝釋王得涅槃故，過第七返，第八返生則不可得。如是因緣，我為汝等天眾已說。』

> 「その憍尸迦（きょうしか）は、仏の説法を聞き終えると、衣を整えて片側に寄り、頭の天冠を外し、仏の足に額をつけて礼拝し、その後、立ち上がって一方に立ち、こう申し上げました。『世尊よ、私がこの場所から退くことなく、また三十三天の王であり続けるための方法はありますでしょうか？』すると、その仏はお答えになりました。『私には、あなたが退かないための方法がある。なぜなら、他に誰も、このような決定的な業を起こしてここに生まれ、あなたの座に座り、三十三天の王となる者はいないからだ。この因縁は、私がはっきりと見ている。今、私はあなたがこの座に長く座り、そこを離れないのを見ている。今、私はある因縁を見ている。あなたが退かない、すなわち、私が説く法を聞くという因縁である。』その憍尸迦は仏の言葉を聞き、両手を

「爾時，天主牟修樓陀而說偈言：

「『欲則非財物，以不資益故，戒信財中勝，畢竟得涅槃。此欲非財物，令入有曠野，若令解脫欲，乃是真財物。若不救惡處，若樂不寂靜，彼唯大癡故，非財而名財。如是得言物，所示欲非物，若離非物欲，得彼真財物。若說寂靜道，彼示道第一，彼何者勝道？智慧者能到。若有不近欲，若不為愛誑，彼行善道處，不近於欲火。欲常不可足，欲亦非寂靜，共愛而和合，如火得薪焰。天人若龍等，不知足則失，為地獄火燒，彼失乃是失。』

> 「欲望は財物にあらず、利益をもたらさぬゆえに。 戒と信は財物のうちでも勝れ、ついには涅槃に至る。 この欲望は財物ではなく、人を荒野へ導く。 もし欲望から解き放たれるならば、それが真の財物である。 もし悪所から救われず、安らぎを楽しまず、 ただ大いなる愚かさゆえに、財でないものを財と呼ぶ。 このようにして財物と言われるが、示された欲望は財物ではない。 もし財物でない欲望を離れるならば、その真の財物を得る。 もし静かな道を説くなら、それは最上の道を示す。 何が勝れた道か？智慧ある者が到達できる。 もし欲望に近づかず、愛に惑わされず、 その人は善き道を歩み、欲望の火に近づかない。 欲望は常に満たされず、欲望は静寂でもなく、 愛と結びつき、火が薪を得て燃え上がるように。 天人も竜も、満足を知らねば失う。 地獄の火に焼かれる、その失いこそが失いである。」

「如是天主牟修樓陀以如是等無量種法，教示天眾，擁護救攝。爾時天眾極生厭離，厭離欲已，復白天王牟修樓陀而作是言：『惟，大天王！我已觀見他未來世生處諸道，今復自觀我未來世當生何道？』牟修樓陀天王答言：『如是當觀。』

「天眾聞已，彼佛塔內則於異處壁中觀察，見夜摩天退墮地獄，謂活、黑繩、合、喚、大喚、熱、大熱等。見無量種墮彼地獄，有頭在下如是墮者，有舒兩臂而墮中者。天身未滅，如是預見地獄生處，亦見天處業盡退時，彼地獄中身體爛熟，炎鐵地上無量烏鷲滿彼地處，彼處種種無量怖畏，焰沙滿地，地獄眾生在地獄地極燒極炙。彼天如是墮地獄中，頭則在下如是受苦，第一急苦、第一堅苦，有無量種受諸苦惱。閻魔羅使種種呵責，既呵責已，與種種苦。彼諸天等，皆見自身如是受苦。如是見已，彼佛塔內異處壁中，復見過去夜摩天王，在地獄中受無量種堅惡苦惱。為欲亂心，先樂境界已曾破壞，作諸惡業。云何而作？有何等相？閻魔羅使皆悉具說，而語之言：『汝本一切愛境界故，已作惡業，今於此受。』

> 天の者たちはそれを聞くと、その仏塔の中の別の壁の場所を観察し、夜摩天が地獄に堕ちていくのを見た。その地獄とは、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄などである。数えきれないほどの者たちがそれらの地獄に堕ちていく様子が見えた。中には頭を下にして堕ちていく者もいれば、両腕を広げて堕ちていく者もいた。天人の身がまだ滅びていないうちに、このようにして地獄に生まれる場所を予見するのである。また、天界で業が尽きて退く時にも、その地獄の中で身体が爛れ、炎の鉄の地上に無数の大鷲が満ちている様子が見えた。そこには様々な計り知れない恐怖があり、炎の砂が地面に敷き詰められていた。地獄の衆生は地獄の地面で激しく焼かれ、激しく炙られた。その天人は、このように地獄に堕ちて頭を下にした状態で苦しみを受ける。それは最も激しく、最も厳しい苦しみであり、無数の種類の苦しみを受けるのである。閻魔の使いは様々に責め苛み、責めた後には様々な苦しみを与える。あの天の

「如是過去夜摩天王其名何等？有名大業，有名具足眾賢，有名威德，有名不壞，有名意樂，有名善色，有名普樂，此如是等夜摩天主墮七地獄。如善不善業果而受，已受第一境界之樂，心未厭足，為愛所壞，如是退墮。

「彼大業者，本作何業生夜摩天，為夜摩王？昔人中時，以淨信心施緣覺食。業因緣故，身壞命終生於善道，夜摩天處為夜摩王。於彼天處受無量種境界欲樂，未知厭足，退彼天處，本偷盜故，而復墮於黑繩地獄。彼前生處，曾作藥師，於他病者，不相應治，取其財物。以彼惡業，是故生於黑繩地獄。

「觀彼大業夜摩天王過去業已，次復觀察具足眾賢，善不善業。彼何善業生夜摩天，為夜摩王？彼佛塔內異處壁中，次復觀見彼過去世，以清淨心捨已財物，施病比丘，以思熏心。彼業因緣，身壞命終生於善道，夜摩天中而作天王。又復更為境界河漂，善業盡故，退墮叫喚大地獄中。又復前世人中之時，作土地主，放逸而行，心生憍慢，有道行人甚渴流汗，彼王見已，與甘蔗酒。彼飲酒故，失其本信，即便犯戒，失自利益。如是與酒不善業故，身壞命終，墮於叫喚大地獄中。

> 天王ヨーマが過去の業を観察した後、次に、あらゆる賢者たちの善悪の業を詳しく観察した。 「どのような善業によって夜摩天に生まれ、夜摩天の王となるのか？」 彼は仏塔の中の異なる壁面において、過去世の行いを観た。 そこには、清らかな心をもって自らの財物を捨て、病める比丘に施しを与えた行為があった。その思いは深く心に刻まれていた。 その業の因縁により、命を終えた後、善道に生まれ変わり、夜摩天において天王となったのである。 さらに彼は、境界という川に流され、善業が尽きると、退転して叫喚大地獄に堕ちる様子も観た。 また、前世で人間であった時、彼は土地の主であり、放逸にふるまい、心に傲慢を生じさせていた。 ある時、道行く修行者が非常に渇き、汗を流しているのを見て、その王は彼に甘蔗酒を与えた。 修行者は酒を飲んだことにより、本来の信心を失い、戒律を破り、自らの利益を損なってしまった。 このように酒を与えた不善の業によって、彼は命を終えた後、叫喚大地獄に堕ちていったのである。

「彼天如是觀察第二夜摩天王惡業行已，見於一切有為生死與焰不異，彼此迭互相向說言：『此大天王，如善不善無量種業，相應果報，如是示我。我等今者，於此天王所得利益，如於父母所得利益，無有異也。』

> 彼の天人は、このようにして第二の夜摩天王の悪業の行いを観察し終えた後、全ての有為の生死が焔と異ならないのを見て、互いに語り合って言った。 「この大いなる天王は、善悪の無量の種類の業と、それに相応する果報を、このようにして私たちに示してくださる。私たちは今、この天王から得た利益は、父母から得る利益と何ら変わることがない。」

「彼天如是相向說已，於佛塔內次復異處，於寶壁中見迦那迦牟尼世尊神力所化，夜摩天王名威德者，本因何業生夜摩天而為天王？見彼前世人中之時，不破壞他而得財物；於夜暗中有說法處，為佛法僧然燈照明。彼業因緣，身壞命終，生夜摩天而為天王，名曰威德。久時為王，既作王已，隨命長短，身壞命終，次復生於四天王天。於彼退已，生欝單越，彼處終已，次復生於三十三天。彼處退已，生閻浮提，得為人王，有大威德、有大神通。彼處生已，放逸行故，為欲所誑，心輕動故，而復殺生、偷盜、邪淫，作如是等三不善業。以作如是惡業因緣，身壞命終，墮於焦熱大地獄中。不可譬喻，有無量種無量百千異異分別地獄業故。於地獄中受諸苦惱，如是已為心怨所誑。

> 彼の天人が互いにそのように語り合った後、仏塔の中の別の場所にある宝の壁に、迦那迦牟尼世尊の神通力によって示された、夜摩天の王・威徳と名付けられた者の姿が現れた。彼はどのような業によって夜摩天に生まれ、その王となったのか。彼が人間であった前世において、他人を欺かずに財物を得ていた。また夜の暗い中で説法が行われる場所に、仏・法・僧のために灯明を灯した。その業の因縁により、命終ののち夜摩天に生まれ、威徳という名の天王となった。長い間王位にあり、その後、寿命に従い命終し、次に四天王天に生まれた。そこから退転した後、欝単越に生まれ、そこで命終した後、さらに三十三天に生まれた。そこから退転して閻浮提に生まれ、人間の王となり、大いなる威徳と神通力を有した。しかし、そこに生まれてから放逸な行いをし、欲望に惑わされ、心が軽々しく動いたために、再び殺生・盗み・邪淫といった三つの不善な業を行った。このような悪業の因縁によって、命終ののち、焦熱大地獄に堕ちた。そこでの苦しみは譬えようもなく、無量の種々の地獄の業によって、計り知れない無数の苦しみを受けた。このようにして、心の怨みに欺かれたのである。

「爾時天眾復見天中無量具足，復見失壞，或樂或苦，如是見已，迭互相向而說偈言：

> その時、天々の衆は、天界の中に無数の満ち足りたものがあるのを見、また、それが失われ壊れるのを見ました。ある者は楽しみ、ある者は苦しんでいます。これを目の当たりにして、互いに顔を向け合い、次のような詩を詠みました。

「『極惡復甚惡，大力不可忍，癡心造此業，如是墮地獄。一切業由心，因緣在有中，為癡所壞故，皆流轉受苦。種種大力苦，遍惱不可耐，業縛在世間，而不生厭倦。天退人中生，人死入地獄，出彼生畜生，出畜生生鬼。如是業輪中，世間業風吹，流轉於世間，癡故不覺知。』

> 「この上なく邪悪であり、さらに甚だしい悪がある。その力は強く耐え難い。 愚かな心でこの業を造り、かくして地獄に堕ちる。 すべての業は心より生じ、因縁は生存のうちにあり、 愚かさに心を壊されるがゆえに、皆、流転して苦しみを受ける。 様々な強力な苦しみが、あまねく悩ませて耐えがたく、 業の束縛が世間にあるのに、嫌気を生じることがない。 天人が退いて人間に生まれ、人が死んで地獄に入り、 そこを出て畜生に生まれ、畜生を出て餓鬼に生まれる。 かくのごとき業の輪の中で、世間の業の風に吹かれ、 流転して世間を巡るが、愚かさゆえに気づくことがない。」

「如是彼中山樹具足地處天眾，迭相為說彼迦那迦牟尼世尊如實所化無量種業，在佛塔內壁中明了。

> そのようにして、あの山の木々や大地が完備された場所では、天の衆が互いに語り合い、かの迦那迦牟尼世尊が如実に教化された無量の種類の業が、仏塔の内壁にはっきりと示されていた。

「觀彼業已，次復觀察夜摩天王善不善業無量種生。彼佛塔內異處壁中，復見善色夜摩天王，彼因何業生夜摩天而為天王？見彼前世人間之時，生婆羅門種姓之中，正見不邪，不熱惱他，善修持戒，於繫獄中極受苦者、無依主者，或於儉時有飢餓者，多與淨潔美好飲食。以清淨心，或於齋日或非齋日，受戒持戒，彼因緣故。救被縛者令得解脫，或以物贖令其得脫。彼因緣故，身壞命終生於善道，夜摩天中為夜摩王，名曰善色。於長久時作彼天王，有大威德、有大神通。作彼王已，身壞命終，次復生於三十三天，有無量種受大快樂，至終盡時。於彼三十三天處退，次復生於阿修羅中，其身甚大，有大神通。阿修羅中報盡終已，生於人中，作大長者，有大威德。彼處終已，生瞿耶尼，在於人中。彼處終已，復於人中邊地受生，心輕動故，復更殺生，獵殺諸獸，以刀箭等多種殺害。彼業因緣，身壞命終，生地獄中。地獄大火之所燒然，受無量種堅惡苦惱，以作不善惡業因故。

> その業を観察した後、次にまた夜摩天の王の善悪の業によって無量の種類の生まれがあることを観察する。あの仏塔の中の別の場所の壁に、善い姿の夜摩天王が再び見える。彼はどのような業によって夜摩天に生まれ、天王となったのか？見ると、彼は前世で人間であった時、バラモンの家系に生まれ、正しい見解を持ち、曲がっておらず、他人を苦しめず、戒律をよく守っていた。牢獄に閉じ込められて極めて苦しんでいる者、頼るべき主のない者、あるいは凶作の時に飢えている者に対して、清らかで美しい飲食を多く施した。清らかな心で、斎日であろうとなかろうと、戒律を受け、戒律を守った。その因縁によってである。また、縛られている者を救って解脱させ、あるいは物を払って買い戻し、その者を解脱させた。その因縁によって、身体が壊れ命が終わると善道に生まれ、夜摩天において夜摩王となり、その名を善色という。長い間その天王として在し、大きな威徳と大きな神通力を有していた。その王となった後、身体が壊れ命が終わると、次に三十三天に生まれ、無量の種類の大きな楽しみを受け、その終わりに至った。その三十三天の所から退失し、次に阿修羅の中に生まれ、その身体は非常に大きく、大きな神通力を有していた。阿修羅における報いが尽き終わると、人間に生まれ、大長者となり、大きな威徳を有していた。その所で終わると、瞿耶尼に生まれ、人間の中にいた。その所で終わると、再び人間の辺境の地に生を受けたが、心が軽く動きやすいがゆえに、さらに殺生をなし、獣を狩り殺し、刀や矢などで多くの害をなした。その業の因縁によって、身体が壊れ命が終わると、地獄に生まれる。地獄の大火に焼かれ、無量の種類の厳しく悪しき苦しみを受けさせる。不善の悪業をなした因によるのである。

「山樹具足地處天眾如是觀察彼業報已，復無量種無量分別諸善惡業如是見已，於佛塔內復向異處，於彼壁中觀迦那迦牟尼世尊之所化現。既往到已，於彼壁中復見其餘希有之事。往世曾有夜摩天王，名曰普樂，以何業故生彼天處，為夜摩王？彼如是見：本前生處人世界中人身之時，曾有善意，常禮師長，心生敬重，見時則起，合掌供養。若復餘業，掃佛塔地，掃已泥塗，散花燒香，常一切時如力如分，布施沙門、若婆羅門，常於病者阿那含人給施供養，以淨信心如是供養。以是善業因緣力故，身壞命終生於善道，夜摩天中而為天王，名曰普樂。身體皆樂，彼身光明有種種色，見者心樂，安隱清涼，光明遍滿五百由旬，一切寶色。此光明勝端嚴殊妙，勝於一切，不可譬喻。如閻浮提人中勝者，謂月光明端嚴殊妙，如是一切夜摩眾中普樂天王，光明最勝。於長久時，五欲功德成就樂已，於彼處退，以彼業力之餘勢故，生閻浮提人中為王，所王之處，五百由旬，於中自在。生彼處已，心輕動故，獵殺諸獸。彼業因緣，身壞命終，墮活地獄。彼處出已，不善惡業之餘勢故，生於鳥中。

> 山と木々が備わる地に住む天の人々は、このように因果の報いを観察した。さらに、無数の種類、無数の分別による善悪の業を見てから、仏塔の中の別の場所へ進み、その壁に迦那迦牟尼世尊が現した変化を見た。そこに至り、その壁の中でさらに他の希有な出来事を目にした。 遠い昔、ある夜摩天王がいた。その名を普楽と言う。どのような業によって、あの天の世界に生まれ、夜摩王となったのか。彼はこのように見えた。 前世、人の世界に人間として生まれた時、彼は善意を持ち、常に師や長者を敬い、心から尊重していた。彼らを見るとすぐに立ち上がり、合掌して供養した。また、別の業として、仏塔の前の地面を掃き、掃いた後は泥を塗り、花をまき、香を焚いた。常に、自身の力や分相応に努め、修行者やバラモンに施しを行った。特に病者や阿那含（悟りの果に向かう者）には、清らかな信心をもって施しと供養を惜しまなかった。これらの善業の因縁の力により、命終えた後、善き道である夜摩天に生まれ、天王となり、名を普楽といった。 彼の身体はすべて楽に満ちていた。その身の光明は種々の色を放ち、見る者は心から楽しくなり、安らかで清涼であった。光明は五百由旬にわたって満ち渡り、あらゆる宝石の色を帯びていた。その光明の優れたこと、端厳で殊妙なことは、すべてに勝り、譬えようもなかった。例えば、閻浮提の人間界で最も勝れているものは月の光明の端厳さであるように、この夜摩天のすべての衆生の中でも、普楽天王の光明は最も勝れていた。 長い間、五欲の功徳を成就して楽しんだ後、その場所（天界）から退いた。その業の力の余勢により、閻浮提の人間界に王として生まれた。その支配する地は五百由旬に及び、その中で自在であった。しかし、そこに生まれてから、心が軽く動いたために、獣を狩り殺した。その業の因縁により、命終えた後、等活地獄に堕ちた。そこで苦しみを経た後、不善の悪業の余勢により、鳥の身に生まれることとなった。

## 正法念處經卷第四十七

> 正法念処経 巻第四十七