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title: "正法念處經 · 19"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm9tojw1l086khj0vqr14qlh2"
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## 正法念處經卷第五十四

> 正法念処経 巻第五十四

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品之三十三夜摩天之十九

> 観天品第三十三

「爾時，鵝王見彼天主牟修樓陀，作如是言：『今者善來。』種種語言問訊供養，既供養已，讚言：『善哉！夜摩天王乃能如是不放逸行，甚為希有。在此第一放逸之處，而能如是不行放逸，不放逸行，此為希有。復有希有：一切天主皆於天中百倍受樂，不行放逸，此甚希有；離樂因緣，則不可得。』

> その時、ガチョウの王は、天主である牟修楼陀を見て、こう言った。 「よく来てくださいました。」 様々な言葉で挨拶し、供養した後、讃えて言った。 「素晴らしい。夜摩の天主がこのように怠りのない行いをなさるとは、まことに稀有なことです。この最も享楽に耽りやすい場所にいながら、怠ることなく、そうした行いを続けられるとは、まことに稀有です。さらにまた稀有なことには、すべての天主たちが天界の中で百倍もの楽しみを受けながらも、怠りのない行いをされること、これこそが稀有です。楽しみの原因から離れることは、そう簡単には得られないものだからです。」

「如是菩薩善時鵝王憶自本生，尸棄佛所曾聞經法。念彼經已，而為天主牟修樓陀如是說言：『汝大天王獲得善利，不放逸行，為聞我聲，是故來此，甚為希有。汝今善聽，我為汝說。如彼世尊尸棄如來所說而說。當於爾時，我作人王，聞如來說，如本所聞，今為汝說。汝今諦聽，善思念之。有一法門，名王法行，如是法門則能利益灌頂受位剎利大王。王得此法，於現在世常得安樂，常有利益，正護國土，能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。

> このように、菩薩であり善き鵞王である彼は、自らの過去世を思い出し、尸棄仏のもとでかつて聞いた経典の教えを思い起こしました。その経典を心に留め、天主である牟修楼陀にこう語りました。 「大いなる天王よ、あなたはすぐれた幸運を得ました。放逸な行いをせず、私の声を聞こうとしてここに来たことは、まことに稀有なことです。さあ、よく聞きなさい。あなたのために説きましょう。かの世尊、尸棄如来がお説きになった通りに、今ここで説きます。かつて私が人王であった時、如来の説法を聞きました。その時に聞いたままを、今、あなたのために説き明かしましょう。あなたは今、心して聞き、よく考えなさい。 一つの法門があります。名を『王法行（おうぼうぎょう）』といいます。この法門は、灌頂を受け位についた刹利（せつり）の大王を利益するものです。王がこの法を得れば、現世において常に安楽を得、常に利益があり、国を正しく守り、自らの身を守ることができ、善き人々に称賛されます。そして、身が壊れ命が終わった後には、善き道に生まれ、天の世界において夜摩王となるのです。」

「『灌頂受位剎利大王成就何業，於現在世常得安樂，常有利益，正護世間，大富大力，能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王，有大神通、大富大力？所謂此王具足成就三十七法，於現在世常得安樂，常有利益，正護世間，護世間故，大富大力，一切餘王不能破壞，能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。

> 灌頂を受け、位を授けられた刹利の大王が、どのような行いを成就すれば、現世で常に安楽を得、常に利益があり、正しく世間を護り、大いなる富と力を持ち、自らを護ることができ、善き人々に称賛され、この世を終えた後には善き道に生まれ、天の世界において夜摩王となり、大いなる神通力、大いなる富と力を有するのでしょうか。 それは、この王が三十七の法を完全に成就するからです。そのため、現世で常に安楽を得、常に利益があり、正しく世間を護り、世間を護るがゆえに、大いなる富と力を持ち、他のすべての王たちは彼を打ち破ることができず、自らを護ることができ、善き人々に称賛され、この世を終えた後には善き道に生まれ、天の世界において夜摩王となるのです。

「『何等名為三十七法？一者軍眾一切淨潔；二者依法賦稅受取；三者恒常懷忍不怒；四者平直斷事不偏；五者恒常供養尊長；六者順舊，依前而與；七者布施，心不慳悋；八者不攝非法行者；九者不近不善知識；十者貞謹，不屬婦女；第十一者聞諸語言不一切信；第十二者愛善名稱，不貪財物；第十三者捨離邪見；第十四者恒常惠施；第十五者愛語美說；第十六者如實語說；第十七者於諸臣眾若無因緣，不舉不下；第十八者知人好惡；第十九者常定一時，數見眾人；第二十者不多睡臥；二十一者常不懈怠；二十二者善友堅固；二十三者不近一切無益之友；二十四者瞋喜不動；二十五者不貪飲食；二十六者心善思惟；二十七者不待後時安詳而作；二十八者法利世間；二十九者恒常修行十善業道；第三十者信於因緣；三十一者常供養天；三十二者正護國土；三十三者正護妻子；三十四者常修習智；三十五者不樂境界；三十六者不令惡人住其國內；三十七者於一切民若祿、若位，依前法與。是等名為三十七法。若成就此三十七法，得名受位剎利大王，於現在世常得安樂，常有利益，大富大樂，有多財寶，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以如是等三十七法善業因故。

> 「三十七の法とは何か。第一に、軍勢は全て清らかであること。第二に、法に従って税を徴収し受け取ること。第三に、常に忍びの心を持ち怒らないこと。第四に、公平に事を裁き偏らないこと。第五に、常に目上の者を供養すること。第六に、昔からの慣習を重んじ、先例に従って施すこと。第七に、施しを行う際、心に惜しみの気持ちがないこと。第八に、法に反する行いをする者を統率しないこと。第九に、悪い友人に近づかないこと。第十に、貞節で慎み深く、婦女子に心を奪われないこと。第十一に、様々な言葉を聞いても全てを信じないこと。第十二に、良い名声を愛し、財物に貪らないこと。第十三に、誤った見解を捨てること。第十四に、常に施しをすること。第十五に、優しい言葉で美しく語ること。第十六に、ありのままに語ること。第十七に、家来たちを、理由もなく引き上げたり引き下げたりしないこと。第十八に、人の善悪を見極めること。第十九に、常に決まった時間に人々と面会すること。第二十に、多く眠らないこと。第二十一に、常に怠けないこと。第二十二に、善い友人と固く結びつくこと。第二十三に、一切の無益な友人に近づかないこと。第二十四に、怒りや喜びに心を動かされないこと。第二十五に、飲食に貪らないこと。第二十六に、心でよく思惟すること。第二十七に、後回しにせず、落ち着いて行動すること。第二十八に、法をもって世の中に利益をもたらすこと。第二十九に、常に十善業道を修行すること。第三十に、因果の道理を信じること。第三十一に、常に天を供養すること。第三十二に、正しく国を守ること。第三十三に、正しく妻や子を守ること。第三十四に、常に智慧を培うこと。第三十五に、感覚の対象に心を奪われないこと。第三十六に、悪人を国内に住まわせないこと。第三十七に、全ての民に対して、禄や地位を、先例の法に従って与えること。これらを三十七の法という。もしこの三十七の法を成就すれば、位を受け継いだ刹利の大王と名づけられ、現世において常に安楽を得、常に利益があり、大いに富み楽しみ、多くの財宝を持ち、国を守り、自身を守ることができ、善人に称賛され、この世を終えた後は善き世界に生まれ、天の世界において夜摩天となります。このような三十七の法という善い行いの因緣によるのです。」

「『何者名為剎利大王軍眾淨潔？所謂善心利益他人。於對諍者依法斷事，不違法律，依法正護，不違本要。忠心諫主，主行利益，順成讚善，依法護國。所設言教，依量利益，且起直心，不惱於他。依法事主，不唯畏罰。心無貪慢。於一切法皆順不違，為未來世，隨法而行，怖畏生死，信業果報，捨三惡業，不樂多欲，不憙行罰，正意不亂。如是自他二皆能度，能利益王。若如是者，是王軍眾。如是軍眾與王相應，是故令王於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以諸軍眾一切淨潔，是故令王不生惡心，善業因故。

> 「では、何をもって『刹利（せつり）の大王の軍勢が清らかである』と言うのか。それは、善心をもって他者に利益を与えることを意味する。争いのある者に対しては、法に従って物事を裁き、法を破らず、法に従って正しく守護し、本来の約束を違えない。忠義の心で主君を諫め、主君が利益となる行いをすれば、それに従い、賛美し、善を成し遂げ、法によって国を守る。語る教えは、道理にかなった利益に基づき、常に正直な心で臨み、他人を悩ませない。法に従って主君に仕え、ただ罰を恐れるからではない。心に貪りや見下しがない。あらゆる法に従い背かず、未来の世のために、法に従って行動し、生死を畏れ、業の因果を信じ、三悪業を捨て、多くの欲を好まず、罰を行うことを喜ばず、心を正しく保ち乱さない。このように、自分と他人の両方を導くことができ、王に利益をもたらす。このような者があって、はじめて『王の軍勢』と言える。このような軍勢が王と調和するからこそ、王は現世において常に安楽を得、常に利益を得、国と自身を守ることができ、善人に称賛され、命終わって後は善い道に生まれ、天の世界で夜摩王となる。すべての軍勢が清らかであるため、王に悪心を起こさせず、善業の因があるからである。」

「『又復受位剎利大王，次第二法應勤修習，成就相應，於現在世常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。何者第二？所謂依法賦稅受取，以供衣食。云何依法？或國或城、或村或邑、或人集處，於一切時常依舊則、依道理取。彼王如是，若國壞時、若天儉時則不賦稅，取時以理，不逼不罰，依先舊來常所用稱斗尺均平。如是受取，依法不違，不逼不罰，不侵不奪，如是國王則是憐愍一切眾生。王若如是依法受取，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以常依法賦稅受取善業因故。

> 「次に、位を受けた刹利の大王が、第二の法として努めて修習し、成就に相応しいならば、現在世において常に利益があり、国土を守り、自身を守ることができ、善人に讃えられ、命終の後には善道に生まれ、天世界において夜摩王となる。その第二とは何か。すなわち、法に従って税を取り、衣食のために受け取ることである。どのように法に従うのか。国、城、村、邑、あるいは人が集まる所において、常に昔の規則に従い、道理に基づいて取るのである。その王が、もし国が衰えたり、飢饉の時には税を取らず、取る時にも道理に従い、人を逼らず罰さず、昔から使われてきた秤や升や物差しを均等に用いる。このように受け取り、法に従い違えず、逼らず罰さず、侵さず奪わない。このような国王こそ、あらゆる衆生を憐れむのである。王がこのように法に従って受け取るなら、その功徳の因縁によって、現在世において常に安楽を得、常に利益があり、国土を守り、自身を守ることができ、善人に讃えられ、命終の後には善道に生まれ、天世界において夜摩王となる。常に法に従って税を取り受け取る善業の因によるのである。」

「『又復受位剎利大王有第三法應勤修習，成就相應，不逼國土，現在、未來二世利益。何者第三？所謂恒常懷忍不怒。心如是念：「隨何因緣令我瞋忿，如是因緣一切皆捨。」身雖自在，見他瑕疵，不譏不調。於諸臣僚、眷屬、僕使有罪過者，不重刑罰。於他怨人，若他親善，不說其過、不說其惡。若於軍眾起瞋心時，則念忍辱；念忍辱故，瞋心則滅。口說美語，更說異言，令彼軍眾不憂不怖。恒常如是一切法中一切時忍，自體實忍，非因緣故，如是不瞋，如是不忿。王若如是心懷忍辱，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以能於人恒常懷忍善業因故。

> 第三に、位を受け継いだ刹利の大王が、しっかりと修行し成就し、国を苦しめず、現在と未来の二つの世に利益をもたらすための法がある。それは何か。常に忍び、怒らない心を持つことである。心にこう念じる。「どんな因縁で私に怒りが生じようとも、その因縁をすべて捨て去ろう」と。身は自由であっても、他人の欠点を見ても、それを非難したりからかったりしない。臣下や家来、召使などに罪や過ちがあっても、重い罰を与えない。恨みを持つ者や、その者の親しい人に対しても、過ちや悪事を語らない。軍勢に対して怒りの心が起きた時には、忍辱を思い起こす。忍辱を思い起こせば、怒りの心は消え去る。優しい言葉をかけ、時には違う言葉を用いて、軍勢が憂いたり恐れたりしないようにする。常に、あらゆる事柄、あらゆる時に忍び、本来の実の忍びであり、因縁によるものではない。このように怒らず、憤らない。王がこのように忍辱の心を持つならば、その功徳の因縁により、現在の世では常に安楽を得て、常に利益があり、国を守り、自らを守り、善人に称賛される。そして、命終われば善道に生まれ、天の世界において夜摩天の王となる。それは人に対して常に忍びの心を持つという善業の因によるからである。

「『又復受位剎利大王有第四法應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。何者第四？所謂平直斷事不偏。王善心意，於一切民猶如父母，不以物故、不以用故、不以親故、不以恩故、不以友故、不以貴勢有囑及故，不用如是一切因緣，依法斷事，不偏不黨。於諍對者怨親平等，利益語說，實語而說。王若如是平直斷事，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，不失國土、不失名稱，一切軍眾皆無罪罰，能護國土，不畏他論，他王不勝，久時為王，王領國土，能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以心平直斷事不偏善業因故。

> さらにまた、位を継いだ刹利の大王には、第四の法があり、これを努め修め習うべきであり、成就し相応して、現在と未来の二つの世において利益があります。第四とは何か。すなわち、公平で真っ直ぐに事を裁き、偏らないことです。王は善い心をもって、全ての民に対して父母の如くあり、財物のためでも、用途のためでも、親族のためでも、恩義のためでも、友人のためでも、権勢のある者の依頼があるからでもなく、このような一切の因縁を用いずに、法に従って事を裁き、偏らず、味方をしません。争っている者たちに対しては、怨みも親しみも平等に扱い、利益のある言葉を語り、真実の言葉を語ります。王がこのように公平に事を裁くならば、その功徳の因縁によって、現在の世において常に安楽を得、常に利益があり、国土を失わず、名声を失わず、全ての軍衆に罪や罰がなく、国土を守ることができ、他国の論難を恐れず、他の王に打ち負かされることなく、長く王として在位し、国土を統治し、自らの身を守ることができ、善き人々から称賛され、命終わって後には善い道に生まれ、天の世界において夜摩天の王となります。心が公平で真っ直ぐに事を裁き偏らないという善業の因によるからです。

「『又復受位剎利大王有第五法應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益，如是乃至到於涅槃。何者第五？所謂恒常供養尊長。何者尊長？謂尊長者，如實而見，持戒智行利益眾生，常作善業，身口意等恒常寂靜，自心無垢令他攝福。如是尊長，王應親近。既親近已，聽法聞法，常往供養，受其所說，受其言教。如其所說，王應受持，如所說行。以一切時供養尊長功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以一切時供養尊長善業因緣。

> さらに、王位に就いた刹帝利の大王には、第五の法がある。これを熱心に修行し、成就して、現在と未来の二世に利益をもたらし、ついには涅槃に至るものである。その第五とは何か。常に尊い長者を供養することである。では、尊い長者とは何か。尊い長者とは、物事をあるがままに見る者、戒律を守り智慧ある行いで衆生を利益する者、常に善い行いをなし、身・口・意が常に静かで、自らの心に汚れがなく、他人に福を積ませる者である。このような尊い長者に、王は親しく近づくべきである。親しく近づいたならば、説法を聴き、常に訪れて供養し、その言葉を受け、その教えを遵うべきである。そして、その言葉の通りに王は受け持ち、その通りに行うべきである。常に尊い長者を供養する功徳の因縁により、現世では常に安楽を得、常に利益があり、国を守り、自身を守ることができ、善人から称賛され、命終えて後は善い道に生まれ、天の世界において夜摩王となる。これが、常に尊い長者を供養する善い行いの因縁である。

「『又復受位剎利大王有第六法應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。何者第六？所謂順舊，依前而與。若父先與、若祖先與，或復先祖於先舊與，若地、若金、若銀等物，彼受位王以不濁心、以清淨心隨順歡喜，愛樂彼法。如是依舊，隨順讚善，教他令與。王若如是依前而與，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以常順舊依前而與善業因故。

> さらに、即位した刹利の大王が第六の法として、努めて修習し、成就し、現世と来世の二つの世において利益を得るべきものがある。その第六とは何か。すなわち、旧来の慣習に従い、先例に基づいて施しを行うことである。もし父が以前に施したもの、あるいは先祖が施したもの、さらにその先祖が昔から施してきたもの、例えば土地、金、銀などの品々があるならば、即位した王は濁りのない心、清らかな心をもって、それに従い喜び、その法を愛好し敬う。このように旧例に従い、それに随順して讃え、他の人々にも教えて施しを行わせる。王がこのように先例に従って施しを行うならば、その功徳の因縁により、現世では常に安楽を得、常に利益があり、国土を守り、自身を守ることができ、善き人々に讃えられる。そして、命終の後には善き道に生まれ、天の世界において夜摩天となる。これは常に旧例に従い、先例に基づいて施しを行うという善業の因によるものである。

「『又復受位剎利大王有第七法應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。何者第七？所謂布施，心不慳悋。何者布施？布施者名少、壯、老時恒常布施，布施一切，一切種施、一切時施，利益一切、饒益一切、安樂一切，常念地獄、餓鬼、畜生一切道中受飢渴等種種苦惱。布施之時，願如是等三趣眾生早得解脫，生人天中。王若如是，得現世報。何者現報？所謂名稱；若遭難時，奴僕軍眾則不捨離；他國土人常來供養，餘人見已，不能破壞，一切怨敵乃至不能得其少便，於他常勝。如是布施，得現世報。非福田處如是布施，尚得如是現世果報，況於福田物思具足勝善布施，常閉惡道，常受樂報，彼無量種布施而與。何者無量？謂法布施，資生布施，無畏布施。王如是等種種布施，若施沙門、施婆羅門，如是布施功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以彼布施善業因故。

> さらに、即位した刹利の大王には、第七の法を勤め修習し、成就相応し、現在・未来の二世に利益あるべきものがあります。その第七とは何か。すなわち、布施であり、心に慳吝（けちん）がないことです。では、布施とは何か。布施とは、若い時も、壮年時も、老いた時も、常に施しを行うことです。一切に施し、あらゆる種類の施しを、あらゆる時に施し、一切を利益し、一切を饒益し、一切を安楽にします。そして、地獄・餓鬼・畜生の三道において、飢えや渇きなど様々な苦しみを受ける者たちを常に思いやります。布施を行う時、これらの三悪趣の衆生が早く解脱し、人間や天人の世界に生まれることを願います。王がこのようにすれば、現世の報いを得ます。その現世の報いとは何か。すなわち、名声です。もし難儀に遭っても、家来や軍衆が見捨てず、他国の人々も常に供養に訪れ、他の者がこれを見ても壊すことができず、全ての怨敵すらわずかな機会さえ得ることができず、常に他者に勝ちます。このように布施すれば、現世の報いを得ます。福田でない所にこのような布施をしても、なおこのような現世の果報を得られるのです。ましてや、福田への物思いが十分に備わり優れた善い布施であれば、常に悪道を閉ざし、常に楽しい報いを受け、その無量の種類の布施を行うのです。その無量とは何か。法施、資生施、無畏施です。王がこのように様々な布施を行い、沙門や婆羅門に施すならば、このような布施の功徳の因縁により、現在世では常に安楽を得、常に利益があり、国土を守り、自身を守ることができ、善き人々に称賛され、身体が壊れ命が終われば善道に生まれ、天の世界で夜摩王となります。これが、布施の善業の因によるものなのです。

「『又復受位剎利大王有第八法應勤捨離，成就相應，現在、未來二世利益。何者第八？所謂不攝非法行者，不令在國。以剎利王自隨法行，是故不攝非法行者，不令住國。何者名為非法行者？所謂有人種種方便劫奪他物，或扠他咽令其悶絕，而取其物。或與惡藥，令無覺知而取其物。或設方便，盜偷他物。或復私竊盜取他物。或在道路或在市中，作諸方便而取他物。買真賣偽，種種欺誑而取他物。或復有人姦欺無道，壓善舉惡，進非退是，誣抂賢良，黨助不肖。或有邪見、或有斷見。或復有人苦殺眾生，望得解脫。若外道齋，於大會中屠殺羊等，望有福德。或復有人犍割眾生，令使不男。或復有人婬於男子。或復有人不能供養父母師長。如是等人，不令住國。何以故？若共同國，令諸善人心意壞故，相倣習故。同處住故，善人壞故，令王無力，失增上力。非時降雨，時則不雨；五穀熟時，五穀不熟。所有國土一切破壞，惡人過故。以此因緣，不令惡人住在國內。此因緣故，不攝一切非法行者，不令住國；依法行者，攝令在國。攝法人故，隨時降雨，日觸順時，是故五穀至時善熟，不壞國土，離於怖畏，不生憂愁。一切國土利益之事，是攝法人因緣力故，能斷一切生死苦惱，令有福人在己國住。以近如是福德人故、行法人故。第一梵行，所謂安住。有福德人近福德人、順法行人，是故一切有智慧王近行法人，令住國內。王若如是不攝一切非法行者，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以彼不攝非法行者善業因故。

> さらに、位を得た刹利の大王には、捨て去るべき第八の法がある。これをしっかりと行えば、現在と未来の二世において利益がある。その第八とは何か。すなわち、非道を行う者を国に留めず、国に住まわせないことである。刹利の王は自ら法に従って行動するがゆえに、非道を行う者を国に住まわせないのである。では、非道を行う者とは何か。様々な手段で他人の物を奪い取る者、首を絞めて気絶させてから物を奪う者、毒薬を用いて意識を失わせて物を奪う者、策略を巡らせて物を盗む者、ひそかに他人の物を盗み取る者、道中や市場で様々な手を使って物を奪う者、真実の物を買って偽物を売り、様々な欺きで物を奪う者である。また、不正で道に反し、善人を押さえつけて悪人を立て、有能な者を退けて無能な者を進め、賢良な者を偽って罪に陥れ、不肖の者を助ける者もいる。あるいは、邪見を持つ者、断見を持つ者もいる。また、自らの解脱を願って生き物を苦しめて殺す者、外道の祭りで羊などを屠って福を得たいと願う者、生き物を去勢して不具にする者、男性と淫らな行為をする者、父母や師長を養わない者もいる。このような者は、国に住まわせてはならない。なぜなら、もし同じ国に住めば、善人の心が乱され、悪行を真似するようになり、同じ場所に住むことで善人が堕落するからである。そうなれば王は力を失い、盛んな力を失う。雨季でない時に雨が降り、本来降るべき時に雨が降らず、五穀が実る時期に実らず、国土はすべて破壊される。これは悪人の過失によるものである。このような理由から、悪人を国内に住まわせてはならない。これによって、一切の非道を行う者を国に留めず、法に従う者を国に迎え入れるのである。法に従う者を迎え入れることで、季節に応じて雨が降り、日も順調に巡り、五穀は適切な時に豊かに実り、国土は壊れず、恐怖もなく、憂いも生じない。国土のあらゆる利益は、法に従う者を迎え入れた因縁の力によるものである。これは、あらゆる生死の苦しみを断ち切り、福ある者を自国の地に住まわせることでもある。このような福ある者、法に従う者に近づくからである。最高の清らかな行い、すなわち安住とは、福ある者が福ある者に近づき、法に従う者に近づくことである。ゆえに、すべての智慧ある王は、法に従う者に近づき、国内に住まわせるのである。王がこのように一切の非道を行う者を国に留めなければ、その功徳の因縁により、現在の世において常に安楽を得、常に利益を得、国土と自身を守ることができ、善人から称賛され、命終えて後は善い道に生まれ、天の世界において夜摩天の王となるのである。これは、非道を行う者を国に留めなかった善業の因によるのである。

「『又復受位剎利大王有第九法應勤捨離，成就相應，現在、未來二世利益。何者第九？所謂不近不善知識。不善知識是惡知識，彼惡知識略有八種，一切王者皆應捨離。何等為八？一者斷見，所謂有人如是心言：「無業，無施，無有此世，無有他世。」此是最初惡知識也。又復第二惡知識者，所謂有人如是心言：「一切婦女依時共行，不破梵行。」又復第三惡知識者，所謂有人如是心言：「若以火燒，得大福德。若與眾生，則無福德。」又復第四惡知識者，所謂有人如是心言：「乃至未死，有命以來，得名為人。若身死已，善不善業一切皆失，如風吹雲，更無可集，眾生如是無有罪福。」又復第五惡知識者，所謂有人常教他人破壞父母，亦復不聽供養尊長。又復第六惡知識者，所謂有人言殺生善；若殺老人、若殺盲人、惡病之人、長病人等，奪其命故，得生樂處。又復第七惡知識者，所謂有人如是心言：「於山崖上自投身下，若火燒身、若自餓死，或五處火以炙其身，如是取死，有無量福，後得天上，無量眷屬、無量天女之所供養。」又復第八惡知識者，所謂有人如是心言：「一切由天，非業果報。」如是八種惡知識者，一切不聽住在國內，眼亦不看。唯攝一切實語說人，從如是人聽聞正法，聞已攝取，受持修行。王若如是不近一切不善知識，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以彼不近不善知識善業因故。

> さらにまた、王位を受けた刹利の大王には、第九の法として努めて捨て去るべきものがあり、それを成就すると、現在と未来の二世において利益があります。その第九とは、いわゆる不善の知識に近づかないことです。不善の知識とは悪い知識であり、その悪い知識にはおおよそ八種類があり、全ての王者はこれを捨て去るべきです。 その八つとは何か。 第一に、「断見」です。すなわち、「業もなく、施しもなく、この世もなく、あの世もない」と心の中で考える人がいます。これが最初の悪知識です。 第二の悪知識とは、すなわち、「全ての女性とは時に応じて交わっても、梵行を破ることはない」と心の中で考える人がいます。 第三の悪知識とは、すなわち、「火で焼けば大いなる福徳が得られる。施しを行えば福徳はない」と心の中で考える人がいます。 第四の悪知識とは、すなわち、「死ぬまで、命がある間は人と呼ばれる。しかし、身体が死ねば、善悪の業は全て失われ、風が雲を吹き払うように、再び集まることはない。衆生にはこのように罪も福もない」と心の中で考える人がいます。 第五の悪知識とは、すなわち、常に他人に父母を破壊するように教え、また尊長を供養することを許さない人がいます。 第六の悪知識とは、すなわち、「殺生は善である。もし老人や盲人、重い病の人、長く病む人などを殺し、その命を奪えば、安楽な場所に生まれる」と言う人がいます。 第七の悪知識とは、すなわち、「山の崖から身を投げたり、火で身を焼いたり、自ら餓死したり、五つの場所で火を身体に炙ったりして死ねば、無量の福があり、後に天上に生まれ、無数の眷属や無数の天女に供養される」と心の中で考える人がいます。 第八の悪知識とは、すなわち、「全ては天によるものであり、業の報いではない」と心の中で考える人がいます。 このような八種の悪知識は、全て国の中に住むことを許さず、目にも見ないようにすべきです。ただ、真実の言葉を語る人のみを摂し、そのような人から正しい法を聞き、聞いた後はそれを摂り受け、受持し修行します。 王がこのように全ての不善の知識に近づかなければ、その功徳の因縁により、現在世において常に安楽を得、常に利益があり、国を護り、自身を護ることができ、善人に称賛され、身体が壊れ命が終われば善道に生まれ、天の世界において夜摩王となります。これは、不善の知識に近づかないという善業の因によるからです。

「『又復受位剎利大王有第十法應勤捨離，成就相應，現在、未來二世利益。何者第十所謂有法應當捨離？捨何者法？所謂婦女。有智之人不屬婦女，一切世間屬婦女者，於世間中最為凡鄙。若餘凡人屬婦女者，猶尚凡鄙，豈況國王人中第一。一切婦女能破壞人，一切國土、一切人民、一切王者皆由婦女而致破壞。以貪心故，能令王等皆失利益，能奪其物，令行非法，不聽布施。以貪心故，能令王等一切懈怠。以樂欲故，常近不離，能令丈夫失自利益。婦女如雹，能害善苗。一切婦女樂破壞語，慢妬之藏。屬婦女人，行同婦女。屬婦女人，國土亦失。是故不應繫屬婦女，若屬婦女則為凡鄙，以婦女法是鄙惡故。屬婦女人，亦為鄙惡。屬婦女者，失一切法。屬婦女者，常入苦處。若屬婦女，善人捨離。以欲過故，如是之人，婦女所誑。一切婦女皆悉欺陵軟弱之人，體性爾故，不知恩養，能與衰惱，多貪妬嫉。婦女如是，皆不可信。若屬婦女，彼人則於城邑聚落一切人中最為凡鄙，何況王者，其損更深，是故不應繫屬婦女。王若如是畏婦女過，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以離婦女善業因故。

> また、即位した刹利の大王には、第十の法として、努めて捨て離れるべきものがあります。それを成就し、現在と未来の二世に利益をもたらすために相応しくあるべきです。その第十とは何か。すなわち、捨てるべき法があるということです。何を捨てるのか。それは婦女です。智慧ある人は婦女に従属しません。一切の世間において、婦女に従属する者こそ、世の中で最も凡庸で鄙びた存在です。たとえ普通の人が婦女に従属するならば、なおさら凡庸で鄙びたものとなるのに、ましてや国の中の第一である王はなおさらです。一切の婦女は人を破壊することができ、一切の国土、一切の人民、一切の王も皆、婦女によって破壊に至ります。貪りの心のゆえに、王たちの利益を失わせ、その財を奪い、非法を行わせ、布施を許可しません。貪りの心のゆえに、王たちを一切懈怠に陥らせます。楽しみを欲するがゆえに、常に親しく近づき離れず、夫に自己の利益を失わせます。婦女は雹のごとく、善い苗を害します。一切の婦女は破壊的な言葉を好み、慢心と嫉妬の宝庫です。婦女に従属する人は、行為が婦女と同じになります。婦女に従属する人は、国土も失います。ゆえに婦女に縛られるべきではありません。もし婦女に従属すれば、凡庸で鄙びた者となります。婦女の法は鄙び悪しきものだからです。婦女に従属する人もまた鄙び悪しき者となります。婦女に従属する者は、一切の法を失います。婦女に従属する者は、常に苦しみの境地に入ります。もし婦女に従属すれば、善人は離れ去ります。欲望の過ちのゆえに、このような人は婦女に欺かれます。一切の婦女は皆、柔弱な人を欺き陵辱します。その体性がそうであるがゆえに、恩養を認めず、衰退や悩みをもたらし、多く貪り嫉妬します。婦女はこのように、皆、信頼できません。もし婦女に従属すれば、その人は城邑や集落の一切の人々の中で最も凡庸で鄙びた者となります。ましてや王者ならば、その損害はさらに深いのです。ゆえに婦女に縛られるべきではありません。王がこのように婦女の過ちを畏れ、功徳の因縁により、現在世には常に安楽を得、常に利益があり、国土を護り、自身を護ることができ、善人に称賛され、身が壊れ命が終われば善道に生まれ、天の世界において夜摩王となります。婦女を離れる善業の因によるからです。

「『又，剎利王復有一法是第十一，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。第十一者，謂聞言語不一切信。一切世間人心不同，迭相破壞，性憙破壞。作時能壞，成時能壞。本性自體垢故破壞，常樂諍鬪故相破壞。以近親故，共相破壞。自體破壞，以國土過，是故破壞。自輕因緣，故相破壞。彼此迭互闇地相說，各為自明，故相破壞。欲令自勝，令他不如，故相破壞。如是等語，王皆不信，違道理故，前後相違。以從惡心次第來故，以愛自朋如是說故。先被教來，於先囑來、先有恩來、先有怨來，迭相破壞，來向王說。此如是等，前說因緣，迭相瞋故，作如是說。王不普信，是以國土則不破壞。如是王者，心性本好，不違不亂，依道理瞋，心不橫瞋，於破壞語，心不生信。彼王自有如是功德，不信於他，自心所樂，少於瞋恚，一切眾生於王愛樂，心善思量，隨順法行，心意正直，多攝州土。王若如是不一切信，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以不普信善業因故。

> 「さらに、クシャトリヤの王には、第十一の法がある。これを努め修め、身に成就させれば、現在と未来の二世に利益がある。第十一とは、『人の言葉を何でもかんでも信じない』ということである。世の中の人の心はみな同じではなく、互いに壊し合い、壊すことを好む性質がある。行為においても壊し、成就においても壊す。本性そのものが汚れているために壊し合い、常に争いを好むために壊し合う。親しい間柄ゆえに壊し合い、自らの本質が壊れているために、国土の過ちによって壊れ合う。自己軽視の因縁によって壊し合う。互いに陰で言い合い、自分を明らかにしようとして壊し合う。自分が勝ち、他人を負かそうとして壊し合う。このような言葉を、王はすべて信じてはならない。道理に反し、前後が矛盾しているからだ。悪意から次々に生じ、自分の仲間を可愛がってそう話すのだ。以前に教えられたこと、以前に頼まれたこと、以前に恩を受けたこと、以前に怨みがあったことなどから、互いに壊し合い、王に告げ口する。これらのような、前に述べた因縁によって、互いに怒っているからこそ、そのように話すのである。王がすべてを信じなければ、国土は壊れることがない。このような王は、心性が本来善良で、道理に背かず、乱れることなく、道理に従って怒り、やたらに怒らず、壊す言葉を聞いても心に信じない。その王にはこのような功徳が自らあり、他人を信ぜず、自らの心の喜びは怒りが少なく、すべての衆生は王を愛し喜び、心は善く考え、法に従って行い、心は正直で、多くの領土を治める。王がこのようにすべてを信じなければ、その功徳の因縁によって、現在の世では常に安楽を得、常に利益があり、国土を守り、自身を守ることができ、善人に称賛され、命終われば善道に生まれ、天の世界で夜摩天の王となる。すべてを信じないという善業の因によるのである。」

「『又，剎利王復有一法是第十二，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。第十二者，謂愛善名，不貪財物。以王之心不貪財物，不急拳手、不動眉面、不怒眼目、不惡語說，其心終不無因緣瞋，又心亦不無因緣喜，心意堅固。王若如是得善名稱，亦得財物。如是得已，於財物中不大歡喜。得名稱故，勝歡喜心，王法不妨，一切人愛怨不得便。財物多故。又復更有十種因緣得美名稱，何等為十？一者美語；二者能捨；三者審諦、四者他國遠人來看；五者近之則得安樂；六者以時給施左右；七者敬尊奉施所須，供給善人，拯濟孤獨；八者淨行；九者好心，不惱亂他；十者正見，不生邪見。得此十法，行如是法，復教他人行如是法。以如是行得此法故，得善名稱。王若如是愛善名稱，不貪財物，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，隨順法行，他不能勝，異人近之則得安樂。彼人久時作人中王，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以愛善名不貪財物善業因故。

> さらに、王には守るべき第十二の教えがある。それは、「良い評判を愛し、財物を貪らないこと」である。王が財物を貪らず、拳を握り締めたり、眉をひそめたり、目を怒らせたり、悪口を言ったりせず、理由なく怒ったり喜んだりせず、心を堅固に保てば、その王は良い評判を得るとともに、財物も得られる。財物を得ても過度に喜ばず、良い評判を得たことによる喜びを勝らせる。そうすれば、王の道を妨げられることなく、すべての人々から愛され、敵に付け入る隙を与えない。財物が豊かだからである。 さらに、良い評判を得るための十の方法がある。第一に、優しい言葉を使うこと。第二に、惜しみなく施すこと。第三に、物事を慎み深く見極めること。第四に、他国の遠方からも人々が訪れること。第五に、近づく者に安楽をもたらすこと。第六に、時に応じて側近に施すこと。第七に、尊い人々を敬い、必要なものを施し、善人を支え、孤独な人々を救済すること。第八に、清らかな行いをすること。第九に、心が良く、他者を悩ませないこと。第十に、正しい見解を持ち、邪な見解を生じないこと。この十の法を自ら行い、また他者にも行うよう教えるならば、良い評判を得られる。 王がこのように良い評判を愛し、財物を貪らなければ、その功徳の力によって、現在の世では常に安楽を得て、常に利益を受け、法に従って生き、他者に打ち負かされることなく、人々は近づくことで安楽を得る。その人は長く人々の王として国土と自身を護り、善人たちに称賛され、この世を終えた後、善き道に生まれ変わり、天の世界で夜摩天の王となる。良い評判を愛し、財物を貪らなかった善い行いの報いである。

「『又，剎利王復有一法是第十三，應勤捨離，成就相應，現在、未來二世利益。第十三者，謂捨邪見。邪見者名一切眾生不安隱本。此顛倒見，一切因緣皆不生信。彼不信處，一切憎惡，一切毀訾，王則應捨。若王不捨，則邪見行，一切人憎，一切不信，一切諸人皆不順行。不順行故，一切人捨，得衰惱時，依法行天一切捨離；天捨去已，無所能為。是故王者應捨邪見，王若如是正見不邪，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，於一切時作正利益，為一切人之所供養，一切人愛，依法行天常不捨離，一切國人如王意行，一切分別、一切心念皆悉具得。彼王心意本性不亂，能於久時王領國土，安隱無患，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以捨邪見善業因故。

> また、クシャトリヤ王が守るべき第十三条の教えがある。それは、邪見を捨てることである。邪見とは、すべての生きとし生けるものを不安定にする根源である。この誤った見解によって、あらゆる因縁を信じることができなくなる。そうした誤った考えに固執すれば、すべての人々に嫌悪され、非難されるため、王はこれを捨てなければならない。もし王が邪見を捨てなければ、国中がそれを憎み、誰も信頼せず、臣民も従わなくなる。人々が従わなければ、王は見捨てられ、衰退と苦しみを招く。また、正しい法に従う天の神々も王から離れ去り、天の加護を失えば、王は何もできなくなってしまう。ゆえに、王は邪見を捨てるべきである。もし王がこのように正しい見解を持ち、邪見に染まらなければ、その善い行いの力によって、現世では常に平安と利益を得ることができ、国土を守り、自身も守られる。賢者たちから称賛され、常に正しい利益をもたらし、すべての人々から敬われ、愛される。法に従う天の神々も常に離れず、国民は王の意志に従い、王のあらゆる思いや願いはすべて叶う。その王の心は本来、乱れることなく、長く国を統治し、安穏で災いがなく、命終われば善き道に生まれ、天界において夜摩天の王となる。これが邪見を捨てるという善い行いの報いである。

「『又，剎利王復有一法是第十四，成就相應，現在、未來二世利益。第十四者，謂世間法、出世間法、王根本法，所謂惠施。王若大臣能行惠施，一切國人敬愛不捨，心生敬重，不捨其國向餘國土。若餘國人，以王能施，共自妻子并其軍眾，一切皆來歸屬於王。多人來故，令王國人增長更多，自餘諸國不能破壞。以人多故，無能破壞。如是施者，世間布施，於世間中第一安隱。又復更有出世間施第一好施，若人布施，為天所攝，有大力能，有大威德。布施沙門、若婆羅門、貧窮等人，莊嚴未來，現在好色。何以故？心清淨故，食則清淨；食清淨故，面色清淨；面色淨故，端正可憙。此等皆是布施之力，又復有法，現得果報。何者現報？所謂布施，心無憍慢，離貪離嫉，信於因緣，信因、信報、信未來世，供養尊長，其心柔軟，正意思惟，捨種種物，攝大富因，攝離慳嫉，信於福田、福田功德、福田種子。王若如是善語熏心，第一淨心功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，久時為王，王領國土久時受樂，國土不亂恒常安隱，不怖不憂，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以能惠施善業因故。

> また、刹利王（くさとりおう）には第十四の法がある。これを成就しよく対応すれば、現在・未来の二世に利益をもたらす。第十四とは、世間法・出世間法・王の根本法、すなわち「施し」のことである。王や大臣が施しを行うならば、すべての国民は敬い愛して離れず、心から敬重し、その国を捨てて他国へ向かうことはない。また他国の人々も、王が施しを行うと聞けば、妻子や軍勢を連れて皆、王に帰属する。多くの人が来るゆえに、王の国の人々はさらに増え、他の国々はこれを壊すことができない。人が多いゆえに、壊す者はいない。このように施すことは、世間の布施であり、世間において最も安穏なるものである。さらに、出世間の施しという第一の善い施しもある。もし人が布施を行えば、天に護られ、大きな力と大きな威徳を持つようになる。沙門（修行者）やバラモン（司祭）、貧しい人々などに施すことで、来世を荘厳し、現世では美しい姿を得る。なぜなら、心が清らかであれば食事も清らかになり、食事が清らかであれば顔色も清らかになり、顔色が清らかであれば端正で愛らしくなるからである。これらはすべて布施の力によるものである。また、現世でその果報を得る法もある。現報とは何か。それは、施しを行う際に心に驕り高ぶりがなく、貪りや妬みを離れ、縁起を信じ、原因と結果を信じ、来世を信じ、尊長を供養し、心が柔らかく、正しい思いを巡らせ、様々な物を施して大いなる富の因を集め、慳吝と嫉妬を離れ、福田（功徳を生む善行の場）とその功徳、その種子を信じることである。王がこのように善い言葉で心を染め、第一の清らかな心の功徳の因縁によって、現世では常に安楽を得、常に利益を得、国土を守り、自身を守り、善人に称賛され、長く王位にあり、国土を治めて長く楽しみを受け、国土は乱れず常に安穏で、恐れも憂いもなく、命終われば善き道に生まれ、天界の夜摩天において夜摩王となる。これは施しという善業の因によるのである。

「『又，剎利王復有一法是第十五，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。第十五者，謂勤愛語。愛語王者，一切皆愛，一切皆近。若與財物，不能如是攝取眾生。如此愛語，更無能令歡喜清淨如愛語者。一切眾生如是因緣，故愛語說。先愛心生，然後發語，此因緣故，口說愛語。如是王者，能取他城、他國土等，自國、自城他不能得，一切人愛。王若實語，雜有愛語，設有怨家亦為親友，何況中人本來親者。王若如是愛語言說，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，怨成親友，不作中人，一切人愛，一切供養，能護國土、能護自身，善人所讚，一切人中久時為王，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以彼愛語善業因故。

> さらに、クシャトリヤの王には、第十五番目の一つの法がある。それは、精進して修習し、成就し、対応し、現在と未来の二世において利益をもたらすものである。 第十五番目とは、和やかな言葉を大切にすることである。 和やかな言葉を用いる王は、全ての人に愛され、全ての人が近づく。 たとえ財物を与えても、これほど人々を引きつけることはできない。 この和やかな言葉ほど、人を喜ばせ、清らかにするものは他にない。 全ての生きとし生けるものは、このような因縁によって、和やかな言葉を語るのである。 まず心に愛しい思いが生じてから、言葉が発せられる。この因縁によって、口が和やかな言葉を語るのである。 このような王は、他国の城や領土を手中に収めることができる。 自分の国や城は他に奪われることなく、全ての人に愛される。 王が真実の言葉に和やかな言葉を交えて語るならば、たとえ怨みを持つ者であっても親しい友人となる。ましてや中立的な者や元々親しかった者は言うまでもない。 王がこのように和やかな言葉を用いるならば、その功徳の因縁によって、現在世において常に安楽を得、常に利益がある。怨みは親しい友人となり、中立的な者は敵ではなくなり、全ての人に愛され、全ての人から供養される。国を守り、自身を守り、善き人々に称賛される。全ての人の中で長く王位にあり、身体が壊れ命が終われば、善き道に生まれ、天の世界において夜摩天の王となるのである。それは、その和やかな言葉という善い業の因によるものである。

「『又，剎利王復有一法是第十六，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。第十六者，謂修實語。實語者名一切生死解脫之因，不須物買，不可窮盡，乃是大藏，無能劫奪，心海中生，第一叵見，一切善人之所讚歎，一切世間次第流出。此法乃是涅槃城門，於一切時用不可盡，增長功德，能滅諸過，一切人信，能除貧窮。若能實語，雖復醜陋，於餘一切端正人所則為最勝，以實光明而自莊嚴。一切下姓若能實語，則勝一切大姓之人。如是實語，莊嚴種姓，一切人信、一切人近，一切人見如見兄弟。隨何處行，於彼彼處為人供養，如父如母、如王不異。雖行曠野險惡之處，猶故受樂。隨行何國，為王供養，如供養主。若村若城、多人住處，一切諸人及大長者皆悉供養。自餘國土所不行處，流名遍滿，彼處諸人作如是言：「彼處若王、若王大臣實語善行，如高幢幡，名聞六天。」彼善男子，天常供養，隨後而行，不見惡夢。第一勝天，供養如天。若更貧窮，以實語故，後還大富。一切憶念皆具足得。念念漸老，諸根不衰。得好神通、大力身體，作長命業，成就相應。一切諍對，以其為量，以其為證。若犯王法被收縛者，以物寄之，唯此一人最為可信。如是富者以物寄之，以實語故，心意不動。怨親之人不能令動，唯以實相而自娛樂，生歡喜心。以實語食，而自充飽。實語之愛數數思惟，或瞋、或喜不動其心。此王則是第一大仙，常作世間及出世間二種利益，不越所作，實畫之文，常以實水澡浴清淨，常著鮮白無縷寶衣。實名之香，十方遍嗅。一切世間未相見者，皆成知友，何況見者，善名流布過須彌峯。雖是年少，老人見之，供養如父。以實老故，亦復能作長命之業，乃至造作無上菩提大智之業，何況能造夜摩天王世間之業。王若如是修如實語，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以修實語善業因故。

> 「また、クシャトリヤの王には、第十六の一つの法がある。これを精進して修習し、成就して相応すれば、現在と未来の二世に利益がある。第十六とは、すなわち真実の言葉を修することである。真実の言葉とは、あらゆる生死からの解脱の因と名づけられ、物で買う必要がなく、尽きることがない。これこそが大きな宝庫であり、奪うことのできる者はいない。心の海の中から生まれ、最も勝れた見えざるもの、すべての善人によって讃嘆され、すべての世の中に次々と流れ出る。この法は、まさに涅槃の城門である。いかなる時にも使い尽くせず、功徳を増長し、あらゆる過ちを滅ぼし、すべての人々から信頼され、貧しさを取り除くことができる。 もし真実の言葉を用いるならば、たとえ容貌が醜くとも、他のすべての端正な人々よりも最も優れた者となる。真実の光明によって自らを荘厳するからである。すべての低い家柄の者も、もし真実の言葉を用いるならば、すべての高い家柄の人々に勝る。このような真実の言葉は、家柄を荘厳し、すべての人々から信頼され、すべての人々に親しまれ、すべての人々から兄弟を見るように見られる。どこに行こうとも、その地その地で、人々から父母のように、あるいは王のように供養される。広野や険しい悪い場所を行くときでさえ、なお楽しみを受ける。どの国に行こうとも、その王によって、施主のように供養される。村や町や多くの人の住む場所では、すべての人々や大長者たちが皆、供養する。他の国々でまだ行ったことのない場所にも、その名声は満ち渡り、その地の人々はこう言う。「あそこには、王や王の大臣で、真実の言葉を善く行う者がいる。それは高き幢幡のようで、その名声は六つの天にまで届く」と。 その善なる男子は、天人が常に供養し、後に従い、悪夢を見ることがない。第一の勝れた天人は、神のように供養する。たとえより貧しくとも、真実の言葉のゆえに、のちには大いに富を得る。すべての願いは、皆、満たされる。念々に老いてゆくが、諸根は衰えない。優れた神通力、大力の身体を得て、長命の業を作り、成就して相応する。すべての争いの場では、その人の言葉が基準となり、証拠とされる。もし王法に触れて捕らえられた者がいても、物を託されるのは、ただこの人一人だけが最も信頼できるのである。このように富める者が物を託すのは、真実の言葉のゆえに、心が動かないからである。怨みの者も親しい者も、その心を動かすことはできない。ただ真実の相によって自らを楽しませ、喜びの心を生じる。真実の言葉というものを食べて、自らを満たし飽かせる。真実の言葉という愛を、繰り返し繰り返し考え、あるいは怒り、あるいは喜びがあっても、その心を動かすことはない。 この王こそ、第一の大いなる仙人である。常に世間および出世間の二種の利益をなし、なすべきことを超えることなく、真実の絵の文を描き、常に真実の水で澡浴して清らかになり、常に清らかで白く、縒りのない宝の衣を着る。真実という名の香は、十方に匂い渡る。すべての世の中でまだ見たことのない者も、皆、知友となる。ましてや見た者はなおさらである。善き名は須弥山の頂を超えて流布する。たとえ年若くとも、老人たちは彼を見て、父のように供養する。真実の言葉という老いのゆえに、また長命の業を作ることができ、さらには無上の菩提という大いなる智慧の業を造ることができる。ましてや夜摩天王の世間の業を造ることなど、言うまでもない。 王がこのように真実の言葉を修めるならば、その功徳の因縁によって、現在世には常に安楽を得、常に利益があり、国土を護り、自身を護ることができ、善人に讃嘆され、身を壊し命を終える時には善い道に生まれ、天の世界において夜摩王となる。これは真実の言葉を修めた善い業の因によるのである。」

「『又，剎利王復有一法是第十七，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。第十七者，謂於臣眾若無因緣，不舉不下。是王重意，彼王不知他戒形相及不知意，則不生信。為王之法：細意思惟，然後乃作。王於臣眾若不於先深細思惟，或下、或舉，彼則非王。若為王者，則不久滅，唯可單有王名而已。不思惟作，心意少動，意輕不住，若說舊法，眾則不信，言王妄語，是故於王不生愛心，或以餘人換其王位。是故王者知此過已，不作妄語。如是妄語，現在、未來不能利益，是故現在無量種過。知此過已，不妄語說。餘人若爾，亦不相應，況復王者，如是如是失於王法，如是如是亦失世間。若王有福，勝世間人，一切皆勝。王常實語則護世間，護彼樂故，王法不妨。一切善法，實為根本。若不實說，則於臣眾無有因緣或舉、或下。若常實語，則於仕人若無因緣不舉、不下。王若如是，則於王位不動不失，一切臣眾知王如是，則不捨離，向他國土；深生敬重，如父如母，一切時樂，生歡喜心。彼王則有堅意、住意，有不動意、有一廂意，與臣眾樂。王若如是不無因緣或舉、或下，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以無因緣不舉、不下善業因故。

> 「また、王たる者には第十番目の法がある。これを第十七の法という。これをしっかりと修行し、身に具えれば、現在と未来の二世に利益をもたらす。その第十七とは、臣下たちに対し、理由もなく昇進させたり、降格させたりしないことである。王が軽率であれば、臣下たちの戒律の様子や心の内を知ることができず、信頼を得ることもできない。王の方法は、よくよく考えてから行動することである。王が臣下たちに対して、事前に深く考えもせずに、ある者を降格させ、ある者を昇進させれば、それは真の王ではない。もし王であっても、すぐに滅び、ただ『王』という名ばかりが残るだけとなる。考えもなく行動し、心が少し揺れ動き、軽々しく落ち着きがなく、古い法を説いても、臣下たちは信じず、『王は嘘をつく』と言い、王に愛着の心を抱かず、あるいは他の者と王の位をすり替えてしまう。だからこそ、王はこの過ちを知って、偽りの言葉を口にしない。このような偽りの言葉は、現在にも未来にも利益をもたらさない。ゆえに現在にも無数の過ちがある。この過ちを知って、王は偽りを語らない。他の者であっても、そのようなことは正しくない。ましてや王はなおさらである。このように王の法を失えば、世の中の法も失うことになる。もし王に福徳があれば、世の人々より優れ、全てにおいて勝る。王が常に真実の言葉を語れば、世の中を守り、人々の楽しみを守るのであり、王の法はこれを妨げない。あらゆる善き法は、真実を根本とする。もし真実を語らなければ、臣下たちに対し、理由なく昇進や降格を行うことになる。もし常に真実の言葉を語れば、臣下たちに対し、理由なく昇進や降格をすることはない。王がこのようにすれば、王位は揺るがず失われることはなく、全ての臣下たちは王がこのような人物だと知って、離れ去って他の国へ行くことはなく、深く敬い、父母のように思い、常に楽しみ、喜びの心を生じる。その王は確固たる意志、安住する意志、動じない意志、一途な意志を持ち、臣下たちに楽しみを与える。王がこのように、理由なく昇進や降格をしなければ、その功徳によって、現在の世では常に安楽を得、常に利益があり、国土を守り、自身を守ることができ、善き人々から称賛され、この世を終えれば善き道に生まれ、天の世界において夜摩天の王となるのである。理由なく昇進や降格をしないという善行の業によるのである。」

「『又，剎利王復有一法是第十八，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。第十八者，謂能識知人之善惡。此大智慧數數修故，若能知者，則為第一最勝大王。王知彼人是智、非智，若如是知，則是世間一切地器，任為王者，一切他王不能破壞。若勤所作，如所應處，安置使令，彼如是業皆得成就，不失財物。於所作法，次第增長。王見人中若非法行，王則不攝。貪食之人、不知恩人，王則不攝。多人怨人、邪見之人、無憐愍人、妄語之人、他王怨人、惡律儀人、不知時人、難調伏人、常惡業人、著境界人、曲因說人、其體本性不知足人、恒常不作利益行人、常於他所先作惡人、慢心之人、常樂怨人、踴躍之人、語動之人、意動之人如是等人，王則不攝。攝何等人？所謂隨法修行之人、不諂曲人、不我慢人、實語之人、聰明智人、柔軟心人、不惱他人、不誑他人、於三寶所能供養人、得信之人、知足之人、調伏之人、不懈怠人、常作業人、少食之人、一切愛人、有慈心人、有悲心人、精進之人、正見之人、智慧之人、依法律人、生來清淨身口意人、信因緣人、知業報人、不飲酒人、不多睡人、近善友人、樂惠施人、有戒之人、有智之人如是等人，王則應攝。如是等人，王於其中知輕知重，堪為何業，則令營作。彼王如是，更無餘王能為破壞，無量財寶富樂具足，隨順法行。隨法行故，則能布施，能為福德，供養三寶。王若如是知人好惡，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以識別人善業因故。

> 「さらに、クシャトリヤの王には、第十八の一つの法がある。これを熱心に学び修め、身につけて実践すれば、現在と未来の二つの世において利益がある。第十八とは、人の善悪を見分ける智慧である。この大いなる智慧を繰り返し修めることで、もし見分けられるようになれば、その王は第一級の最勝の王となる。 王は、その人が賢いか賢くないかを知る。このように見分けることができれば、世の中の一切の器（基盤）となり、王として統治する際、他のいかなる王にも打ち破られることはない。また、努めて行うことについては、ふさわしい部署に人を配置し、指示を与えれば、彼らはその業を成し遂げ、財物を失うことがない。行うべき法は、段階を経て発展していく。 王は、人々の中に、もし法に反する行いをする者を見れば、それを用いない。貪欲に食べる者、恩を知らない者、多くの人に恨まれる者、誤った見解を持つ者、憐れみのない者、嘘をつく者、他国の王から恨まれる者、悪しき習慣を持つ者、時機を知らない者、扱いにくい者、常に悪行をなす者、対象に執着する者、歪んだ理屈で語る者、生まれつきの性質として足ることを知らない者、常に利益になる行いをしない者、常に他者に対して先に悪事を働く者、思い上がった心を持つ者、常に争いを好む者、浮ついた者、言葉が落ち着かない者、心が落ち着かない者――これらのような者は、王は用いない。 では、どのような者を用いるのか。それは、法に従って修行する者、へつらわない者、思い上がらない者、正直な者、聡明で智慧のある者、柔和な心を持つ者、他者を悩ませない者、他者を欺かない者、三宝を供養できる者、信心を得た者、足ることを知る者、よく調伏された者、怠けない者、常に業を行う者、食べることが少ない者、すべての人に愛される者、慈しみの心を持つ者、悲しみの心を持つ者、精進する者、正しい見解を持つ者、智慧のある者、法と律に従う者、生まれつき身口意が清らかな者、因縁を信じる者、業と報いを知る者、酒を飲まない者、あまり眠らない者、善き友に親しむ者、喜んで施しをする者、戒律を守る者、智慧のある者――これらのような者は、王は用いるべきである。 王は、これらの者に対して、その能力の重みや軽さを知り、どのような仕事が適任かを判断して、それを任せる。そのような王は、他に打ち破る王はなく、無量の財宝や豊かな楽しみを備え、法に従って行う。法に従って行うからこそ、布施を行うことができ、福徳を積むことができ、三宝を供養できる。王がこのように人の善悪を知り、功徳の因縁を理解すれば、現在の世において常に安楽を得、常に利益があり、国土を守り、自身を守ることができ、善人に称賛され、命終われば善道に生まれ、天の世界において夜摩天となり、人の善業を見分ける因縁によるのである。」

「『又，剎利王復有一法是第十九，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。第十九者，謂定一時數見眾人。若剎利王常定一時數見眾人，如是王者久時為王，一切國人皆不嫌恨，能知一切人之善惡，能令國人一切行法，強不陵弱，一切國人隨時見王，財物具足。以此方便，增長熾盛財法富故，不屬他王，以安隱故，隨順法行，供養沙門、婆羅門等，從其聞法。既聞法已，法行轉勝，以定一時數見人故，修法之行，轉勝增上。如是如是隨法行故，如是如是富樂增長。大富樂故，能大布施，廣作福業，精勤持戒。王若難見，彼王則無如是功德，是故王者應定一時常數見人。王者若能常定一時數見人者，則能行法，是行法人有大福德。王若如是常定一時數見眾人，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以定一時數見眾人善業因故。

> 「また、クシャトリヤの王には、第十九の法がある。これを努めて修習し、成就し、相応すれば、現在と未来の二世において利益を得る。第十九とは、『定まった時に、たびたび人々に会うこと』である。もし王が常に定まった時にたびたび人々に会うならば、その王は長く王位にあり、国中の民は皆、恨み嫌うことがない。すべての人々の善悪を知ることができ、国中の人々に法に従った行いをさせ、強い者が弱い者を虐げることもない。国中の人々はいつでも王に会うことができ、財物も十分に整う。この方法によって、財と法の富が盛んに増大するので、他国の王に従属せず、安らかであるから、法の行いに随順し、修行者やバラモンなどを供養し、彼らから法を聞く。法を聞いた後は、法の行いはさらに勝れたものとなり、定まった時にたびたび人々に会うことによって、法の修行はさらに増進し勝れたものとなる。このように法の行いに従うことによって、富と楽しみが増大する。大いなる富と楽しみを得たならば、大いに施しを行い、広く福德の業を積み、戒律を守ることに精進する。もし王に会いにくければ、その王にはこのような功德はない。ゆえに王は、定まった時に常に人々に会うべきである。王が常に定まった時にたびたび人々に会うならば、法を行うことができ、この法を行う人は大いなる福德を持つ。王がこのように常に定まった時にたびたび人々に会う功德の因縁によって、現在世では常に安楽を得、常に利益があり、国土を守り、自身を守ることができ、善人に賞賛され、命終の後は善道に生まれ、天界において夜摩天の王となる。これが、定まった時にたびたび人々に会う善業の因によるものである。」

「『又，剎利王復有一法是第二十，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。第二十者，謂少睡眠。少睡眠故，心善思惟，意不錯謬，不愚不鈍，怨不得便，恒常一意。所作決定，決定作故，善思惟作。王若如是善思惟作，隨何等法，皆速成就，不經久時。彼王晨朝則不放逸，不放逸故，壽命則長。善思惟故，一切國人心則慕樂，不生厭惡。國內人民、一切軍眾、一切僮僕、左右百官、諸大臣等，皆悉熾盛。財物豐饒，多臣民故，則多財物；多財物故，有大威德；有威德故，則能布施修行福業，能善持戒。王若如是少於睡眠功德力故，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以少睡眠善業因故。

> さらに、クシャトリヤの王には第二十の法がある。これを努めて修習し、成就し、相応し、現在と未来の二世に利益をもたらすべきである。第二十とは、睡眠を少なくすることである。睡眠が少ないゆえに、心はよく思惟し、思い違いをせず、愚かでなく鈍くなく、怨みを持つ者も機会を得られず、常に一心になる。決断したことは実行し、決断に基づき善く思惟して行う。王がこのように善く思惟して行えば、どのような法であっても皆速やかに成就し、長い時を経ることはない。その王は朝から放逸ではなく、放逸ではないゆえに寿命は長くなる。善く思惟するゆえに、全国の民は心から慕い、嫌悪を生じない。国内の人民、すべての軍勢、すべての召使い、左右の百官、諸々の大臣たちも皆栄える。財物が豊かになり、多くの臣民がいるがゆえに財物も多く、財物が多いがゆえに大いなる威徳があり、威徳があるがゆえに布施を行い、福業を修め、よく戒律を守ることができる。王がこのように睡眠を少なくする功徳の力により、現在世には常に安楽を得、常に利益があり、国を守り、自身を守ることができ、善人に讃えられ、命終わりて善道に生まれ、天世界において夜摩王となる。これは睡眠を少なくする善業のゆえである。

「『又，剎利王復有一法是二十一，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。二十一者，謂一切時常不懈怠。不懈怠王，堅固精進，如法修業，隨何所作，一切皆能究竟成就。隨心制御，皆悉屬己，他不能壞、他不能奪。一切國人愛王心意，皆生敬重。其王國土一切皆善，一切具足。若城若村、多人住處，遍滿國內，間不空曠。不懈怠王，堅固精進，有大勢力，如是如是隨何所作，彼彼所作一切成就。何以故？不懈怠故。法時處等，方便具足。不懈怠王，於世間業、出世間業皆能成就，乃至能成涅槃之業，何況餘業。若勤精進而不懈怠，時處方便，所作具足，彼王則勝一切餘人，種種具足。彼王如是世間所作，皆悉成就，如是共智，而復能作。出世間業皆悉成就，出世間者，謂施、戒、智。王若如是常不懈怠，功德因緣，於現在世常得安樂，常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，施、戒、智等猶如香氣，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以不懈怠善業因故。

> さらに、クシャトリヤの王に、もう一つの法（おきて）が第二十一番目としてある。これを努めて修行し、成就して身につければ、現在と未来の二世において利益がある。第二十一番目とは、常に怠らないことである。 怠らない王は、揺るぎない努力（精進）をし、教えに従って行いを修める。何をなすにも、すべてを最後まで成し遂げることができる。思いのままに状況を制御し、すべてが自分のものとなり、他人がそれを壊すことも奪うこともできない。全国民が王の心を敬愛し、皆が尊敬の念を抱く。その王の国はすべてが良く、すべてが整い満ち足りている。町や村、人々の住む場所は国内に遍く広がり、閑散としている場所はない。 怠らない王は、揺るぎない努力をし、大きな力を持つ。このように、何をするにも、その行いはすべて成就する。なぜなら、怠らないからである。教え、時、場所などにふさわしい手段が十分に備わっているからである。 怠らない王は、世間の仕事も、世間を超えた行いも、すべて成就させることができる。さらには涅槃（悟りの境地）に至る行いまでも成就できる。ましてや、それ以外の行いはなおさらである。 もし努め励み、怠ることなく、時と場所にふさわしい手段を備えて行いを完全にすれば、その王は他のすべての人々に勝り、あらゆるものを備え持つようになる。その王はこのように、世間におけるなすべきことをみな成就し、智慧をもってさらに出世間の行いも成し遂げる。出世間とは、施し（布施）、戒律を守ること、智慧である。 王がこのように常に怠らなければ、功徳という因縁によって、現世では常に安楽を得、常に利益があり、国土を守り、自らを守ることができ、善き人々から称賛される。施し、戒律、智慧は香りのように広がり、身体が壊れて命終わった後には、善趣（良い世界）に生まれ、天の世界において夜摩天の王となる。これが、怠らないという善い行いの故なのである。

## 正法念處經卷第五十四

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