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title: "正法念處經 · 20"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
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## 正法念處經卷第五十五

> 正法念処経 巻第五十五

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品之三十四夜摩天之二十

> 三十四、観天の章〈夜摩天 第二十〉

「『又，剎利王復有一法是第二十二，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。二十二者，善友堅固。友堅固王，善思惟作，久時為王，遠離諸過，他不能壞。如樹多根，長而深入，堅牢善住，不可傾轉，風不能壞。如彼牢樹風不能壞，王亦如是，知友堅固好心善意，一切人愛，所共敬重。

> さらに、王には第二十二の法がある。これを努めて修習し、成就させれば、現在と未来の両方で利益を得られる。その法とは、「善き友を固く持つこと」である。善き友を固く持つ王は、よく考えて行動し、長く王位に留まり、過ちから遠ざかり、他者の害を受けない。それは、多くの根を持ち、長く深く張り、しっかりと立って倒れず、風にも壊されない木のようなものである。そのように、固い木が風に耐えるように、王も善き友を固く持つ。その心は善意に満ち、全ての人の愛と敬重を受けるのである。

「『世間法中，堅固不壞功德善友有十三種功德具足。何等十三？一者善知，王若有惡，能令清淨。二者堪能，最難作者，能為王作。三者有智，若彼善友復有善友，則令為友。四者心盡，所有財物善友皆知。五者盡意，知於善友有利益事，勤心作之。六者心舒，忽爾相見，不撿威儀。七者究竟，若得衰惱乃至失命，則不捨離。八者稱意，隨心所須，如心為作。九者不匿，隨家所有，一切不隱，隨其所須，索者不悋。十者共心，若見善友多有具足，則生歡喜。第十一者，若得苦惱，則共同苦，設使大瞋，心亦不變；隨有何食，一切同食，同共遊戲。第十二者，於所有物，不劣根求；若自有物，不苦求與。第十三者，若知家中消息好惡乃至諍鬪，如是等事，一切盡說，不忌不難；自家中事乃至諍鬪，亦皆盡說。如是十三功德善友如是功德具足善友，則是世間。

> 世間の法の中において、堅固で壊れない功徳を備えた善き友には、十三種の功徳が具わっています。どのような十三かというと、第一に、王に悪しきことがあれば、それを清めることができるようによく知っていること。第二に、最も難しいことでも王のために行うことができる能力があること。第三に、智慧があり、もしその善き友にさらに善き友がいれば、その者をも友とする智慧があること。第四に、心を尽くし、所有する財物を善き友がすべて知っていること。第五に、思いを尽くし、善き友に利益のあることを知れば、心を込めてそれを行うこと。第六に、心が開かれており、ふと会った時でも、礼儀作法を気にしないこと。第七に、究極まで尽くし、衰えや悩み、あるいは命を失うようなことがあっても、決して離れないこと。第八に、思いのままに、心に必要なままに、心のままに行動すること。第九に、隠し立てせず、家にあるものはすべて隠さず、必要なものが欲しいと言われれば惜しまないこと。第十に、心を共にし、善き友が多くのものに恵まれているのを見れば、喜びを生じること。第十一に、もし苦しみや悩みがあれば、共に苦しみ、たとえ大きな怒りがあっても、心は変わらず、何か食べ物があればすべて共に食べ、共に遊ぶこと。第十二に、所有する物に対して、卑しく求めることなく、自分に物があれば、無理に請うて与えることもないこと。第十三に、家庭の消息の善し悪し、さらには争いごとなどを、すべて話し、忌避もせずためらいもせず、自分の家のことから争いごとに至るまでも、すべて話すこと。このような十三の功徳を備えた善き友、これこそが世間における善き友なのです。

「『如是世間功德具足十三善友，王成就一，則有大力，況復有多，是故智王應當勤攝如是善友。王若勤攝如是善友，一切所作可愛之事皆悉成就。又因善友，復能成就出世間道。略而言之，有十功德具足善友。何等為十？一者能遮非法之行；二者能教修行布施；三者能教受戒持戒；四者示智，能教修智；五者好心，遮近惡友；六者正信，示業果報；七者若見迷惡道時，教住善道；八者若見毀犯戒時，能為除滅；九者教令供養父母；十者恒常數數教誡。如是十種出世善友，一切惡道皆能擁護，猶如父母。堅固善友，常於善友。若善友朋，不生慢心。如是善友，非現在世，是未來世，是故王者應堅善友。王若如是善友堅固，則修善業功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以堅善友善業因故。

> 「このように、世間において功徳を備えた十三の善き友がいる。王がたった一つの善き友を得るだけでも大きな力を持つ。ましてや多くを持てばなおさらである。ゆえに賢明な王は、このような善き友を熱心に集め、大切にすべきである。王がこのように善き友を大切にすれば、なすべき全ての愛すべき事柄は成就する。さらに、善き友によって、世間を超えた道をも成就することができる。簡潔に言えば、十の功徳を備えた善き友がいる。その十とは何か。第一に、してはならない行いを防いでくれる。第二に、施しを行うよう教えてくれる。第三に、戒めを受け、戒めを守るよう教えてくれる。第四に、智慧を示し、智慧を修めるよう教えてくれる。第五に、慈しみの心で、悪しき友に近づくのを防いでくれる。第六に、正しい信仰を持ち、業（カルマ）とその報いを示してくれる。第七に、もし迷い、悪い道に進もうとする時、善い道に留まるよう教えてくれる。第八に、もし戒めを破り汚す様子が見えたなら、それを除き滅ぼしてくれる。第九に、父母に孝養を捧げるよう教えてくれる。第十に、常に繰り返し教え戒めてくれる。このような十種の世を超えた善き友は、あらゆる悪い道から守ってくれる。それはあたかも父母のようである。しっかりと善き友を固く持ち、常に善き友と共にありなさい。もし善き友の集まりに対して、思い上がった心を起こしてはならない。このような善き友は、現在の世のためだけではなく、未来の世のためでもある。ゆえに王は、善き友をしっかりと持つべきである。王がこのように善き友を固く持つならば、善い行いの功徳と因縁を積むことにより、現在の世において常に安楽を得、常に利益を得、国を守り、自らを守ることができ、善き人々に称賛され、この世を終え命を終えた後には、善い道に生まれ変わり、天の世界において夜摩天王となる。しっかりと善き友を持ち、善き行いを積んだ因縁によるのである。」

「『又，剎利王復有一法是二十三，應勤捨離，成就相應，現在、未來二世利益。二十三者，所謂不近無益之友。言無益者，所謂一切誑惑之人。不近一切博戲之人、導惡行人。若惡思惟，思惟已作，近如是人，大不饒益，所失甚大。失中大者，所謂誑惑。誑惑有二：一者私密；二者公彰。彼公彰者，謂博戲等種種誑惑。彼私密者，詐設形服，猶如惡人，不識別者心謂之好。如是等人，外道所攝，并實外道，外道棘刺，誑惑自親，亦誑他人，不畏後世，現善形相，實是大賊。如是等人尚不應見，不應共語，何況親近以為知識？善人應捨。彼尚不能利益自身，況能利他？王者應當捨如是等不善知識無益之友，不近一切誑惑之人，不近一切博戲之人。如是等人不與相識，正念所作，正思惟作。王若親近善知識行、善知識熏，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以不親近無益之友善業因故。

> また、クシャトリア王には第二十三番目の法がある。これを努めて捨て、成就しふさわしくあるならば、現在と未来の二世に利益をもたらす。第二十三番目とは、いわゆる無益な友に近づかないことである。無益とは、あらゆる欺き惑わす人々のことである。賭博をする人々や悪行に導く人々に近づいてはならない。もし悪しき思惟を抱き、それを実行し、そのような人々に近づくならば、大きな不利益を受け、失うところは甚大である。その失うもののうち最大のものは、欺き惑わすことである。欺き惑わすことには二種類ある。一つは秘密裡に行うもの、もう一つは公然と行うものである。公然と行うものとは、賭博などの様々な欺き惑わしである。秘密裡に行うものとは、偽って姿や衣服を飾り、まるで悪人のようでありながら、見分ける力のない者には善い人だと思わせるものである。このような人々は、外道に属する者たちであり、実際の外道も含まれる。彼らは外道という棘であり、自らの親族をも欺き、他人をも欺き、来世を恐れず、善い姿を現しながら、実は大いなる盗人である。このような人々には、会うことさえすべきではなく、言葉を交わすこともすべきではない。ましてや親しくして知識とするなど、なおさらである。善人はこれを捨てるべきである。彼らは自分自身をも利益することができない。ましてや他人を利益することができるだろうか？王はこのような不善の知識や無益な友を捨て、あらゆる欺き惑わす人々に近づかず、あらゆる賭博をする人々に近づくべきではない。このような人々とは知り合いにならず、正しい念を持って行動し、正しい思惟をもって行うべきである。もし王が善き知識の行いに親しみ、善き知識の薫習を受けるならば、功徳の因縁によって、現在世には常に安楽を得、常に利益があり、国土を守り、自らを守ることができ、善人に称賛され、身が壊れ命が終わった後には善き道に生まれ、天の世界において夜摩王となる。無益な友に親しまなかった善業の因によるのである。

「『又，剎利王復有一法是二十四，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。二十四者，所謂瞋喜所不能動。若剎利王能持瞋喜，彼王國土牢固不壞，一切國人皆悉務樂，不生厭惡，無能破壞、無能得便。王若不瞋，思惟而作，非不思惟、非無因緣退人職位，非無因緣進其官爵與財利等。以不瞋故，密語不彰。非無因緣而舉下他；於歡喜處，心不高舉；如是王者，身有實意，不作諸惡，不攝惡人，平等重意。彼王如是世間法中瞋喜不動，而得安隱。云何復於出世間道瞋喜不動，而得安隱？王若不瞋，則為能持生死一垢；王若不喜，能持力垢；彼王如是能持力垢、持生死垢。若人能持如是二垢，彼人則能持癡力垢。王若如是能持三垢，智忍堅意，有決定意，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。瞋喜不動善業因故。

> 『また、クシャトリヤの王には、さらに第二十四の法がある。これを努めて修習し、成就と相応すれば、現在と未来の二世において利益がある。その第二十四とは、怒りと喜びに動かされないことである。 もしクシャトリヤの王が、怒りと喜びをコントロールできるならば、その王国は堅固で壊れず、国中の民は皆、喜んで仕え、嫌悪することなく、誰もこれを破壊できず、つけ入る隙もない。 王が怒らず、よく考えて行動し、考えなしにではなく、理由もなく人の位を退けず、理由もなく官位や財産などを与えない。怒らないゆえに、秘密の言葉を漏らさない。理由もなく人を上げたり下げたりしない。喜ぶべき場面でも、心を高ぶらせない。このような王は、身に真実の意を持ち、諸々の悪を為さず、悪人を近づけず、平等で深い思いやりを持つ。 このように、王は世間の法において怒りと喜びに動かされず、安穏を得る。ましてや、出世間の道において怒りと喜びに動かされず、安穏を得ることについては、なおさらである。 王が怒らなければ、生死の一つの汚れを保つことができる。王が喜ばなければ、力の汚れを保つことができる。その王はこのように、力の汚れと生死の汚れを保つ。もし人がこの二つの汚れを保つことができるならば、その人は痴の力の汚れをも保つことができる。 王がこのように三つの汚れを保つことができれば、智慧と忍辱の堅固な意を持ち、確固たる決意を持ち、功徳の因縁により、現在世では常に安楽を得、常に利益があり、国を守り、自身を守り、善人に称賛され、命終えて後は善道に生まれ、天世界において夜摩天の王となる。これは怒りと喜びに動かされない善業の因によるのである。』

「『又，剎利王復有一法是二十五，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。二十五者，所謂不著飲食二法，不多貪著。何以故？貪多飲食，於王則妨，常念飲食在腹內故。彼諸國人左右軍眾，心生厭賤，有如是念：「彼王心意同如畜生，唯除飲食，更無餘心、無餘業心。」恒常如是貪樂飲食，心常愛樂飲食味故，則不思惟法與非法，於國土事不能籌量思惟計校，不思惟人，不能調伏一切左右內外軍眾，於大臣等一切國人不能次第如彼相應與其官爵，於所作事不知輕重。彼王財物，唯有損減。財物減故，則少財物。財物少故，飲食則盡。無飲食故，一切輕毀。以貪飲食，故致貧窮。貪多飲食，不自節王，如是妨礙世間饒益。云何復為出世間妨？謂心貪著，樂多飲食，常愛諸味，不正思惟，不能念身、不能念受、不能念心、不能念法，不能思念苦集滅道，自餘一切皆不思念。如是貪著飲食境界，同如畜生，無有差別。是故應當依順道理，相應飲食，如相應行，相應語說，清淨諸根，如應轉動，思惟正道——身受心法、苦集滅道。如是法中心善調伏，能思能念。心正念故，根轉清淨，相應飲食，身則調停；身調停故，心亦調順；心調順故，能念善法。是故不應愛著諸味。若以飲食內於身中，調適相應則為安隱，恒常依法而修習之。如是彼王能調伏心，心則正念，心正念故，能作善業。王若如是不貪飲食，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終，所修善業唯如香氣，生於善道，天世界中為夜摩王。以不貪著飲食二味善業因故。

> 「また、統治者たる王には、第二十五の法がある。これを慎んで修行し、成就して対応すれば、現在と未来の両方に利益がある。その第二十五とは、飲食に執着せず、貪らないことである。なぜなら、飲食に多く貪ることは王の妨げとなり、常に腹中の食べ物のことばかり考えてしまうからだ。そうなれば、国民や側近、軍隊は王を軽んじ、『この王の心は獣と同じで、飲食のこと以外に何も考えず、為すべきこともない』と思うだろう。常に飲食を貪り楽しみ、その味を愛する心があると、正しいこととそうでないことを考えず、国政を計画・計算できず、人々を顧みず、内外の家来や軍隊を統御できず、大臣や国民に適切に爵位を与えることも、行うべきことの軽重もわからなくなる。王の財産は減るばかりで、財産が減れば貧しくなり、食べ物も尽きる。食べ物がなくなれば、すべての人から軽んじられる。飲食に貪ることで貧困を招くのだ。飲食に多く貪り自らを節制しない王は、このようにしてこの世での利益を妨げる。では、出世間の妨げとは何か？心が貪り、多く飲食を好み、常に味を愛し、正しく思惟せず、身体を観じず、感受を観じず、心を観じず、法を観じず、苦集滅道を思惟せず、その他すべてを思惟しないことである。このように飲食の境地に貪着することは、獣と何ら変わらない。ゆえに道理に従い、相応しい飲食をとり、相応しい行いをし、相応しい言葉を語り、感官を清らかにし、如実に働かせ、正しい道――身体・感受・心・法、苦集滅道を思惟すべきである。このような法の中で心を善く調伏し、よく考え、よく念じる。心が正しく念じるゆえに感官も清らかになり、相応しい飲食によって身体も調う。身体が調えば心も調い、心が調えば善法を念じることができる。ゆえに諸々の味に愛着してはならない。もし飲食を体内に取り入れるなら、調和が取れていることが安穏であり、常に法に従って修習する。こうして王が心を調伏すれば、心は正念を得、正念ゆえに善業をなす。王がこのように飲食に貪らなければ、その功徳の因縁により、現世では常に安楽と利益を得、国を護り自身を護り、善人から称賛される。そして命終の後、修めた善業は香りのようにして善道に生まれ、天界において夜摩天の王となる。飲食の二つの味に貪着しない善業の因によるのである。

「『又，剎利王復有一法是二十六，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。二十六者，謂善思惟。善思惟王，則於世間及出世間安隱之事一切皆得。何以故？心功德故。善思惟者，於現在世、若未來世常得勝樂，隨何等事，善思惟作，則無諸過。意如是念：「貪欲等垢，常行惡道，應令盡滅。以不淨法除貪欲垢，以慈悲法除瞋恚垢，以觀智法除愚癡垢。」如是皆以心善思惟故能除滅，非不善意而能除也。若惡思惟，不能成就世間之法；要善思惟，則能成就。是故當知一切諸法，善思惟作則得成就。王若如是心善思惟，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以善思惟善業因故。

> また、クシャトリヤ王は、第二十六の法を有しています。それは、自ら精進修行し、成就し、身に会得させ、現世と来世の両方に利益をもたらすものです。二十六番目とは、『善き思惟』（善く考えること）です。善く考える王は、この世の安穏なこと、そして、世を超えた安穏（涅槃）のことについて、全てを得ることができます。なぜなら、心の功徳によるものだからです。善く考える者は、現世においても、未来世においても、常に優れた安楽を得ます。どのようなことであっても、善く思惟して行えば、そこには過ちがありません。心がこう考えます。「貪欲などの汚れは、常に悪道（苦しみの道）へと導くものであり、これを完全に滅ぼすべきだ。不浄の観法（不浄観）によって貪欲の汚れを除き、慈悲の法（慈悲观）によって怒りの汚れを除き、観察の智慧（縁起観など）によって愚かさの汚れを除くのだ。」このように、全て、心で善く思惟することによってのみ、これらを除き滅ぼすことができるのです。精神が善くない状態で除き滅ぼせるものではありません。もし、悪い思惟をするならば、世の中の善いことさえも成就できません。善く思惟することによってのみ、それを成就できるのです。ですから、あらゆる諸法は、善く思惟して行えば、成就を得ることができると知るべきです。王がこのように心で善く思惟するならば、功徳の因縁によって、現世では常に安楽を得、常に利益があり、国土を護り、自身を護り、善き人々から称賛され、身体が壊れ命終わった後には、善い道に生まれ、天界の世界において夜摩天の王となります。それは、善き思惟という善い業の因によるものだからです。

「『又，剎利王復有一法是二十七，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。二十七者，謂不待時安詳而作。若作世間、作出世間利益之法，久時乃作則不可作。既不可作而作之者，則不成就。譬如有病，不時速治，久乃治者，則不可治；不可治故，則能殺人。如是復有無量作法不時速作，久乃作者，難作、叵作、不可得作，如是能障出世間道。微少煩惱亦如彼病，不速治故，煩惱不斷；以不斷故，則入惡道。是久乃作之大過患，如是障礙出世間道。微少煩惱不時斷故，漸次增長，猶如毒芽，久則增長，燒一切身，能令眾生若墮地獄、餓鬼、畜生，是故不應安詳待後久時乃作。如是王者、若諸餘人、若諸比丘、若諸俗人、若大富人、若貧窮人，一切不應安詳待後久時乃作。若人待後久時乃作，彼人生過，速得衰惱，乃經久時不能除滅、不能破壞、不能斷絕；以不斷故，自得衰惱。若人不觀久時乃作，則速失壞，并根普拔。如是之人無彼過故，畢竟得樂，住世間道、出世間道。如是之人若過始生，即能除滅，如毒芽生，見即除者。彼毒芽者，喻如煩惱，久則增長，過生則多。是故若有斷始生過，則為真知，而得安隱，彼人常樂。王若如是不待後時安詳而作，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，彼人常樂，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以不待時安詳而作善業因故。

> 次に、クシャトリアの王にはさらに一つの法がある。それは二十七番目の法であり、精進して修習し、成就して対応し、現在と未来の二世において利益をもたらすものである。 その二十七番目とは、「時を待たずに、落ち着いて行動する」ことである。 世間的なことや出世間的な利益をもたらす法を行う場合、長い時間が経ってから行おうとすると、それはもはや行うことができない。行えないものを無理に行おうとしても、成就することはない。 たとえば、病気があるとき、すぐに治療せずに長く放置すれば、治療は不可能になる。治療不可能になれば、それは人を死に至らしめる。 このように、無数の作法もまた、すぐに行わずに長く放置すれば、行うのが難しくなり、不可能となり、ついには行えなくなる。そうなると、出世間の道を妨げることになる。 わずかな煩悩もまた、その病気と同じである。すぐに治療しなければ、煩悩は断ち切られない。断ち切られないがゆえに、悪道に落ちるのである。 これが、「長く経ってから行う」ことの大きな過失である。 このように、出世間の道を妨げるわずかな煩悩も、すぐに断たなければ、徐々に成長する。それはちょうど毒の芽のようなものである。長く経つと成長し、全身を焼き、众生を地獄・餓鬼・畜生に落とす。 だからこそ、落ち着いて後に回し、長く経ってから行うべきではないのだ。 このように、王も、他の人々も、比丘も、俗人も、大富豪も、貧しい人も、すべての者は、落ち着いて後に回し、長く経ってから行ってはならない。 もし人が後に回して長く経ってから行うならば、その人は過ちを生じ、すぐに衰退と悩みを得る。長い間それを消し去ることができず、壊すこともできず、断ち切ることもできない。断ち切れないがゆえに、自ら衰退と悩みを得るのである。 もし人が「後になってから行おう」と考えず、すぐに行うならば、その衰えは速やかに失われ、根こそぎ抜かれる。 このような人は、そのような過ちがないがゆえに、究極の安楽を得て、世間の道と出世間の道に安住する。 このような人は、もし過ちが生じ始めたとしても、すぐにそれを消し去ることができる。毒の芽が生えたらすぐに見つけて除くようなものである。 その毒の芽とは、煩悩のたとえである。長く経つと成長し、生じるのが増えると多くなる。 だからこそ、もし生じ始めた過ちを断つならば、それは真の知恵であり、安らぎを得る。その人は常に楽しい。 王がこのように、後を待たずに落ち着いて行動するならば、その功徳の因縁によって、現在の世では常に安楽を得て、常に利益がある。国土を守り、自身を守ることができ、善き人々に称賛される。その人は常に楽しく、命を終えた後には善い道に生まれ、天の世界において夜摩天王的な存在となる。それは「時を待たずに落ち着いて行動する」という善業の因によるのである。

「『又，剎利王復有一法是二十八，應勤修行，成就相應，現在、未來二世利益。二十八者，所謂以法利益國土，非是非法。彼多法王能自利益，能利益他。自利益者，若王持戒，能護國土，非不持戒，是自利益。利益他者，謂見有人不隨法行，令住法中。王者如是正護國土，護國土故，法、財、名三皆和合得。既能如是令他依法，何況自身不隨法行？如是王者，則得財物。云何得物？所謂決定於國土中一切財物，六分取一。是以國土則為大富，以正護故。若國大富，王有急事，一切人民以愛王故，知王有急須用財物，皆悉多與。此是王者第二功德具足成就。如是王者正護國土，左右軍眾敬愛於王，一切方處稱王善名。王若如是，法、財、名等和合具足，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以自他利善業因故。

> また、クシャトリヤの王にはさらに第二十八の法がある。これを努め修行し、成就して対応させるならば、現在と未来の二世において利益をもたらす。第二十八とは、すなわち法をもって国土を利益し、非法をもってしないことである。その多くの法を有する王は、自らを利益し、他をも利益することができる。 自らの利益とは、もし王が戒律を保ち、国土を護ることができ、戒律を保たないのではないならば、これが自らの利益である。 他を利益するとは、法に従って行わない者を見たならば、その者を法の中に留まらせることである。王がこのように正しく国土を護るならば、国土を護るゆえに、法・財・名の三つがすべて調和して得られる。既にこのように他をして法に従わしめることができるのに、ましてや自身が法に従って行わないことがあろうか。このような王は、その財物を得る。 いかにして物を得るのか。すなわち、国土の中の一切の財物について、六分の一を取ると定めることである。これにより国土は大いに富み、正しく護られるゆえである。もし国が大いに富めば、王に急ぎの用事があるとき、すべての人民は王を愛するがゆえに、王に急ぎの用事があり財物を必要としていると知って、皆こぞって多くを与える。これが王者の第二の功徳、具足して成就することである。 このように王者が正しく国土を護るならば、左右の軍や民衆は王を敬愛し、あらゆる方角で王の善き名が称えられる。王がこのようにするならば、法・財・名の三つが調和して具わり、現在世において常に安楽を得、常に利益があり、国土を護り、自身を護ることができ、善き人々に讚えられ、身が壊れ命が終われば善道に生まれ、天の世界において夜摩天となる。自他を利益する善業の因によるからである。

「『又，剎利王復有一法是二十九，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。二十九者，謂常修行十善業道。彼十善道第一樂報，以要言之，則有三種，謂身、口、意。身則有三：殺、盜、邪行。口則有四：妄語、兩舌、惡口、綺語。意地有三：貪、瞋、邪見。如是十種不善業道，顛倒則名十善業道，名為慧道、名為正道。不善業道則無有慧，善道有慧，故名慧道，攝人天生，次第乃至到於涅槃。彼王如是自身能住，復令他人軍眾等住，如是王者於諸眾生猶如父母，能到涅槃。隨自所願，何道皆得。彼王如是一切所念皆悉成就，常為天護，無有刀劍、怨敵等畏，一切國土常不壞亂，一切五穀隨時善熟。如天時節，日月調和普照一切，國土所用一切具足，多饒人眾。彼王如是正護國土，後時無常，身壞命終生於善道，天世界中。

> 「さらに、クシャトリヤの王には、二十九番目のもう一つの法がある。これは、努めて修行し、成就し、対応するもので、現在と未来の二世に利益をもたらす。二十九番目とは、常に十善業道を修行することである。この十善の道は、最上の喜びの報いをもたらす。要約すれば、三つ、すなわち、身・口・意である。身には三つ、殺生・偸盗・邪淫がある。口には四つ、妄語・両舌・悪口・綺語がある。意には三つ、貪欲・瞋恚・邪見がある。この十種の不善業道を、その逆が十善業道と呼ばれ、智慧の道、正しい道と呼ばれる。不善の道には智慧がないが、善の道には智慧がある。ゆえに智慧の道と呼ばれ、人間・天界の生を導き、順を追って涅槃にまで至る。かの王は、このように自ら善道に住み、さらに他の人々や軍勢などをも善道に住まわせる。このような王は、あたかも父母のように衆生にとって、涅槃に至らせることができる。自らの願いに従い、いかなる道にも達する。かの王は、このように思い描くすべてのことを成し遂げ、常に天に守護され、刀剣や怨敵などの恐れがなく、国土は常に乱れることなく、すべての穀物が時に応じてよく実る。天の時節のように、日月は調和してすべてを普く照らし、国土で用いるものはすべて満ち足り、人々は豊かである。かの王は、このように正しく国土を護り、後に無常が訪れ、身が壊れ命が終われば、善い道、天界の世界に生まれるのである。」

「『受何業報？受何等樂？略而言之，夜摩天中，不殺業故天命則長，有下中上如是天命。於六欲天，不偷盜故，天中大富，七寶具足，園林山峯種種可愛，在如是處遊戲受樂。不邪婬故，諸天女眾於餘天子悉皆不往，乃至未退有命以來，不往不近。彼諸天女一切端正、一切好色，光明勝妙，眼見心樂。若人邪行，彼生天中，所有天女共餘天行。如是異異業報成就，此如是等身善業行，善護不犯，樂修多作，生於天中受天樂報。

> 「どのような業の報いを受け、どのような楽しみを得るのか。簡潔に言えば、夜摩天においては、殺生しないという業によって天の寿命は長く、下・中・上の三種の天命がある。六欲天においては、盗まないという業によって天において大いなる富を得る。七宝が満ち足り、園林や山々の峰々が様々に愛らしく、そのような場所で遊び楽しむ。邪な婬を行わないという業によって、天女たちは他の天子のもとへは決して行かず、天の位を失うまでの命の間、近づくことさえない。それら天女たちは全て端正で、全て美しい色を持ち、光明は勝れ、目に見れば心が喜ぶ。もし人が邪な行いをすれば、その者が天に生まれた時、その天女は他の天と共にいることになる。このように様々に異なる業の報いが成就する。これら身の善い業の行いをよく守って犯さず、喜んで多く修め行えば、天に生まれて天の楽しみという報いを受けるのである。」

「『次復第二，口四善業樂修多作，生於天中。口何者業，生於天處？受何樂報？謂修四種口正行戒。不妄語故，滿語美語，種種實語，常一切時第一妙語，隨口所說，彼語則樂，隨語皆得，不妄語故。不兩舌故，所有軍眾常不破壞，於一切時隨順供養。不惡口故，常聞美妙歌舞、遊戲喜笑等聲，第一悅耳美妙之聲。不綺語故，常出義語，一切諸天愛樂其語，皆信其語，彼於天中如是成就口業果報。

> 「次に第二に、口の四つの善い業を喜んで多く行い、天に生まれる。 口のどのような業によって、天の世界に生まれるのか。どのような楽しい報いを受けるのか。 それは、四種の口の正しい行いの戒めを修めることである。 嘘をつかないことにより、満ち足りた言葉、美しい言葉、様々な真実の言葉を語り、常に全ての時において最も優れた言葉を話す。口から出る言葉はすべて楽しく、言葉はその通りに叶い、嘘をつかないからである。 二枚舌を使わないことにより、全ての軍勢や集団が決して壊れることなく、常にその時に従い、敬い受け入れられる。 荒い言葉を言わないことにより、常に美しい歌声や、遊戯、喜び、笑いなどの音を聞き、耳に最も心地よく素晴らしい声を得る。 飾り言葉を言わないことにより、常に道理にかなった言葉を発し、全ての天人がその言葉を愛し喜び、その言葉を信じる。彼は天において、このように口の業の果報を成就するのである。」

「『何者意業，如是天處受何樂果？以不貪故，一切憶念、一切所須，隨念皆得，得已不失，自餘諸天不能侵奪，唯自受用。此果報者，不貪業故。以不瞋故，一切天愛，第一端正，可憙妙色。不邪見故，所求皆得，如所求得，不變不異。如所念得，未曾不得，常具足得。如是略說十善業道所得果報。

> 「では、意の業とは何か？ どのような天の境地で、どのような楽の果報を受けるのか。貪らないゆえに、すべての記憶、すべての必要とするものが、思いのままに得られる。得た後は失うことなく、他の天人はそれを奪うことができず、ただ自分だけが享受する。この果報は、不貪の業によるものである。瞋らないゆえに、すべての天人の愛を受け、最も端正で、好ましい妙なる色を備える。邪見がないゆえに、求めるものはすべて得られ、求めた通りに得られ、変わることなく異なることもない。念じた通りに得られ、かつて得られないことはなく、常に完全に具足して得られる。このように、十善業道の得る果報を略説する。」

「『若布施者，則得勝報。以布施故，富樂轉勝。以智勝故，勝一切天。一切樂受，願是根本——若癡樂者則非是樂——心自在故、福田力故、時自在故、物自在故、信解力故。以自在故，有一善業亦生天中，乃有眾生入於涅槃，何況生天。如是業報，第一微細，何人不知，則迷業報，迷業報故入於地獄。此如所說十善業道，若王修行，或國土人、或王軍眾，以王因緣皆行十善。王若如是修十善業，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以行十善善業因故。

> もし布施をする者があれば、勝れた報いを得る。布施によって富と楽しみはさらに勝れたものとなる。智慧に勝れるゆえに、一切の天よりも勝る。すべての楽受は願いを根本とする――もし愚かな楽しみであれば、それは真の楽ではない――心が自在であるゆえ、福田の力ゆえ、時が自在であるゆえ、物が自在であるゆえ、信解の力ゆえである。自在であるがゆえに、一つの善業によっても天に生まれることがあり、さらには涅槃に入る衆生もいる。まして天に生まれることなど言うまでもない。このような業報は、第一に微細である。誰かがこれを知らなければ、業報に迷う。業報に迷うゆえに、地獄に入るのである。このように説かれた十善業道を、もし王が修行するならば、あるいは国土の人々、あるいは王の軍衆も、王の因縁によって皆十善を行う。王がこのように十善業を修すれば、その功徳の因縁により、現在世において常に安楽を得、常に利益があり、国を護り、自身を護ることができ、善人に讚えられ、身が壊れ命が終わった後は善道に生まれ、天の世界において夜摩王となる。十善の善業を因として行うからである。

「『又，剎利王復有一法是第三十，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。第三十者，謂信因緣。信因緣王、若大臣等，不迷業報，意常正念，於境界中不放逸行。彼因名為果種子因，緣於時處具足和合。彼名信因。若信因者，亦信於果，彼以如是諦見因果，不作惡業。猶如種子與芽為因，如是諦見、信因緣故，不迷業報。彼如是業，有善不善，生死相續不斷不絕，種種苦樂，能令眾生處處受生，有中流轉。如是有中相續輪轉，在於地獄、餓鬼、畜生、天、人之中。有三種行：一、福業行；二、罪業行；三、不動行，謂四禪行。彼福業行是天人因；彼罪業行，地獄等因；彼不動行，是色界因。彼三種界，王若於中唯諦知因，彼王不迷生死曠野。如是一切，此有為中，所謂因果。王信因果，過不能壞，以能畏過，故不造作不善之業，常作善業。王若如是信於因緣功德力故，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以信因緣善業因故。一切眾生第一勝法，謂信因緣。是故王者應當精勤修習此法、受持此法，謂信因緣。

> 「また、クシャトリヤの王には、第三十の一つの法がある。これを努めて修習し、完成させ、現在と未来の二つの世における利益を得るべきである。その第三十とは、因果の縁（因縁）を信じることである。因果の縁を信じる王や大臣たちは、業の報いに対して迷うことなく、心は常に正しい念を持ち、境界（外界の対象）において放逸な行いをしない。その『因』は、果の種子となる因であり、『縁』は時と場所が具わり調和することである。これを『因を信じる』と言う。もし因を信じるならば、果もまた信じるのである。そのように因果を正しく見極めることで、悪業を作らないのである。それはちょうど、種が芽の因となるようなものである。このように因果の縁を正しく見て信じるゆえに、業の報いに迷うことがない。その業には善と不善があり、生死が絶えることなく続き、様々な苦楽があって、衆生を様々なところに生まれさせ、有（生存の領域）の中を流転させる。このように有の中で次々と輪廻し、地獄・餓鬼・畜生・天・人のうちを巡るのである。そこには三つの行いがある。一つ目は福業（幸福をもたらす行い）、二つ目は罪業（苦しみをもたらす行い）、三つ目は不動行（色界の禅定の行い）である。福業は天や人間に生まれる因であり、罪業は地獄などに生まれる因であり、不動行は色界に生まれる因である。この三つの世界について、王がその因を正しく知るならば、その王は生死の荒野に迷うことはない。このように、この有為（条件づけられた世界）の中では、因果こそが全てである。王が因果を信じるならば、過ちによって壊されることはない。過ちを恐れるゆえに、不善の業を作らず、常に善い業を作る。王がこのように因果の縁の功徳の力によって信じるならば、現在世では常に安楽を得、常に利益があり、国土を護り、自らをも護ることができ、善き人々から称賛され、身体が壊れ命が終われば善い道に生まれ、天の世界において夜摩天の王となる。因果の縁を信じるという善業の因によるのである。すべての衆生にとって第一のすぐれた法とは、因果の縁を信じることである。ゆえに王は、この法を精進して修習し、受け持つべきである。すなわち、因果の縁を信じることである。」

「『又，剎利王復有一法是三十一，應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。三十一者，謂供養天。以何因緣供養彼天？善業行故，得生天中，有大神通，若我造作不善業道，能遮止我。若夜若晝恒常供養，一切所作皆能調伏，能於夢中示善不善。一切國土不饒益時，能為作護，令入善法。彼天如是能遮不善，若夜若晝常能擁護，猶如父母無量方便種種擁護。應供養天，彼能作善。是故王者供養彼天，以愛法故，離於惡業，不為侵他，非邪見故。無如是意：「離天無業，此天造作。」一切世間無如是心：「一切苦樂皆天所作。」無如是心：「供養於天，如是供養，為利益我不失饒益。」非謗因果，非邪見心，彼王如是供養天故，得他供養。王若如是常供養天，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以供養天善業因故。

> また、クシャトリヤの王には三番目として、成就すべき一つの法がある。それは精進して修習し、相応して現在・未来の二世に利益をもたらすものである。三番目の法とは、天を供養することである。なぜ天を供養するのか。善行によって天に生まれ、大きな神通力を持つ。もし私が不善の業道を起こそうとしても、それを阻止してくれる。昼夜を問わず常に供養すれば、すべての行いは調伏され、夢の中で善悪を示してくれる。また、国全体が不利益に見舞われる時には、守護して善法に入らせてくれる。その天はこのように不善を防ぎ、昼夜絶えず守護し、まるで父母のような無量の方便で様々に守護してくれる。天を供養すべきである。天は善を行うことができるからだ。それゆえ王は天を供養する。法を愛するゆえに悪業を離れ、他を侵さず、邪見に陥らない。決して「天を離れて業はなく、この天がすべてを造る」などとは考えない。一切の世間は「すべての苦楽は天が作る」などとは思わない。また、「天を供養すれば、この供養によって私に利益があり、利益を失わない」という心も持たない。因果を謗らず、邪見の心を持たない。王がこのように天を供養するからこそ、他者からの供養を受けるのである。王が常にこのように天を供養すれば、その功徳の因縁によって、現世では常に安楽と利益を得、国土を守り、自身を守り、善人に称賛される。そして命終の後は善道に生まれ、天界において夜摩天の王となる。これは天を供養した善業の因によるのである。

「『又，剎利王復有一法是三十二。王者應作，成就相應，現在、未來二世利益。三十二者，謂一切時正護國土。正護國王，隨順法行，猶如父母，一切畏處，施與無畏。施無畏故，晝夜常恒善法增長，一切軍眾皆悉敬愛，心不捨離。國內人民，或獻財物或復讚歎，稱王善名。或時晝夜心常思惟，欲令其人得安隱樂。彼王如是利益一切諸眾生故，是以令王自在增長。多自在故，五穀成熟，國土增長，一切軍眾皆悉增長。國內耆宿，願王熾盛。彼如是王，正護國土，法、財、名三，日日增長，和合相應。王若如是正護國土，於一切時利益國土，離瞋、離貪，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以護國土善業因故。

> また、クシャトリアの王には、もう一つの法があるべきであり、三十二番目となる。王はこれを行うべきであり、これを成就することによって、現在と未来の二世において利益をもたらす。 その三十二番目とは、『常に正しく国土を護ること』である。 正しく国土を護る王は、法に従って行動する。あたかも父母のように、すべての人々が恐れるところに対して、恐れなきものを与える。 このように恐れなきものを与えるゆえに、昼夜絶えず善法が増大する。あらゆる軍団も皆、敬愛し、心から離れない。 国内の人民は、あるいは財物を献上し、あるいは讃嘆して、王の善き名を称える。 あるいは昼夜に心の中で常に思いを巡らせ、『その人々を安穏で楽しい状態にしたい』と願う。 その王は、このようにすべての生きとし生けるものを利益するゆえに、王としての自在力が増大する。 自在力が増すゆえに、五穀は成熟し、国土は増大し、あらゆる軍団も皆、成長する。 国内の年長者は、王の繁栄を願う。 このような王が正しく国土を護るとき、法・財・名声の三つが、日々に増大し、調和して相応する。 王がこのように正しく国土を護れば、あらゆる時に国土を利益し、怒りと貪りを離れ、功徳の因縁によって、現在世において常に安楽を得、常に利益がある。国土を護り、自らをも護り、善き人々に称賛され、身体が壊れ命が終われば、善き道に生まれ、天の世界において夜摩天の王となるのである。 これが、国土を護るという善業の因によるのである。

「『又，剎利王復有一法是三十三，王者應作，成就相應，現在、未來二世利益。三十三者，謂一切時正護妻子。護妻子故，妻子得樂，王、若大臣無量福德，多種福德和集增長。若有財物，有何者物，何處何時有物，不惜給與妻子。若與財物、若與飲食、若與床敷、若與衣服，若或抱持，愛語信任，令心歡喜，施與無畏。如力分與，施與妻子。舍內得福，作無量種舍內福德，此護妻子有大福德。若復有人無憐愍心，或為貪覆，不憐妻子。彼人之心甚於惡獸殺生食肉，食屎獸等。若人不能出家住法，彼人應當如力如分正護妻子，令得安樂。若自有力，無憐愍心，不護妻子，如是之人不名在家，不名出家。是故應以資生布施及餘物施，若教持戒。王、若大臣能令妻子受戒持戒，教令布施，教令習智，更餘次第正護其樂，次第如力。王、若大臣如是作者，久時受樂，久時壽命。王若如是正護妻子，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以護妻子善業因故。

> また、王には三つ目の統治者の在り方がある。それは、常に妻と子を正しく守ることである。妻と子を守れば、彼らは幸せを得る。王や大臣は計り知れない功徳を積み、多くの福徳が集まり増大する。 もし財物があれば、どんな物であれ、どこでいつであれ、惜しみなく妻や子に与えよ。財物を与え、飲食を与え、寝具を与え、衣服を与え、あるいは抱きしめ、優しい言葉をかけ、信頼し、心を喜ばせ、安心を与えよ。自分の力の及ぶ限り、妻や子に施せ。 家の中で福を得る。家の中で得られる無数の福徳がある。この妻と子を守ることには大きな福徳がある。 もし誰かに憐れみの心がなく、あるいは貪欲に覆われ、妻や子を哀れまないならば、その人の心は、生き物を殺して肉を食らう猛獣や、糞を食べる獣よりも酷い。 もし出家して法に従って生きられないならば、その人は自分の力の及ぶ限り、妻と子を正しく守り、安楽を得させよ。もし自分に力がありながら、憐れみの心がなく、妻と子を守らないならば、そのような人は在家とも言えず、出家とも言えない。 ゆえに、生活に必要な物やその他の物を施し、あるいは戒めを守らせよ。王や大臣は、妻や子に戒めを受けさせ、持戒させ、布施を教え、智慧を習わせ、その他に順を追って彼らの幸せを正しく守り、力を尽くせ。 王や大臣がこのように行えば、長く楽しみ、長く寿命を得る。王がこのように妻と子を正しく守る功徳の因縁により、現世では常に安楽と利益を得、国を守り、自身を守ることができ、善人に称賛され、命終われば善き生まれを得て、天の世界で夜摩王となる。これが妻と子を守る清らかな行いの業の因によるのである。

「『又，剎利王復有一法是三十四應勤修習，成就相應，現在、未來二世利益。三十四者，謂常習智。習智者名一切苦滅，出離一切生死之因。若能決定習智者，好。彼智者名：於入大闇、墮在闇中得無量種衰惱之者，照明如燈；生死曠野嶮道資糧；盲者眼目；無力者力；無伴者伴；無救者救；病者良藥；迷者導師；生死曠野嶮道、遠行飢渴乏者之清冷水、之飲食也；繫縛生死牢獄之者出要之因；無親友者則能與作利益親友；與無目者作光明眼。能於死時，而作強伴。閻摩羅人來近至時，於死滅時，作大力伴。一切惡處能為閉塞。於欲墮墜大嶮堓者，如手接取。若作同侶，得一切樂。於裸露者，是好衣服，無能劫奪。若有怖畏破戒罪、火熱惱逼者，能作無量多枝葉花、清冷蔭影具足之樹。一切眾生眼所矚者，皆生愛樂。是故，智勝。於無始來流轉世界諸眾生等，能與現在、未來世樂，更無餘法能作樂因，如一智也。常應識知種種修習，心行正道，心善思惟，心中安住。共餘法動，無量種意，初中不善，智則能除，能示實道。此則安隱，一切饒益皆能成就，示涅槃城，常應修習。以修習故、善識知故，生人天中，為王、為勝。智火能燒一切煩惱，乃至後時得寂滅樂，更無異法能令出離一切生死如此智者。是故希望一切地者，應當思惟修習此智，為他人說。王若如是常修習智，為他而說，樂修多作，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，後正流轉，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以能修習多智因故，終得涅槃。

> また、クシャトリヤの王には、三十四番目に修習すべき法がある。それを成就し対応すれば、現在と未来の二世において利益がある。 三十四番目とは、「常に智慧を習う」ことである。智慧を習うとは、一切の苦しみを滅し、あらゆる生死の原因から出離することである。もし、智慧を習うと決意するならば、それは善いことである。 智慧ある者とは、大いなる暗闇に入り、その闇に堕ちて無量の衰えと悩みを得た者を、灯明のように照らし出すもの。生死の荒野の険しい道における旅の糧。目の見えぬ者の眼。力なき者に力を与え、独りの者に伴侶となり、救いなき者を救い、病む者には良薬となり、迷える者には導き手となる。生死の荒野の険しい道を遠く行き、飢えと渇きに苦しむ者にとっての清らかな冷水、飲食物である。生死の牢獄に縛られた者にとっては、脱出するための因である。親友のいない者には、利益をもたらす親友となり、目のない者には光明の眼を与える。死の時にあっては、強力な伴侶となる。閻魔の使いが近づき来た時、死に臨む時にあっても、力強い伴侶となる。あらゆる悪趣への道を閉ざす。大きな崖から落ちようとする者を、手で受け止めるように助ける。もし智慧を伴侶とすれば、すべての楽を得る。裸の者にとっては、奪われることのない善き衣服である。もし戒を破る罪の火に熱苦しめられる恐れがあれば、無量の枝葉と花を持ち、清らかで冷たく、豊かな陰影のある木となる。すべての衆生の眼に触れれば、皆、愛着と喜びを生じる。ゆえに、智慧は勝れている。 無始の昔から世界を流転する諸々の衆生に、現在と未来の世の楽を与えることができる。智慧一つに勝る楽の因は他にない。常に智慧を認識し、様々に習い修めるべきである。心は正道を行き、心はよく思惟し、心の内に安住させる。他の法と共に動き、無量の心を持つものであっても、初めは不善であっても、智慧はそれを除き、真実の道を示すことができる。これは安穏であり、一切の利益を成就し、涅槃の都を示すものである。ゆえに常に修習すべきである。修習し、よく認識するからこそ、人間・天人の世界に生まれ、王となり、勝れた者となる。智慧の火は一切の煩悩を焼き尽くし、ついには寂滅の楽を得る。智慧ほどに、あらゆる生死からの出離をもたらす法は他にない。ゆえに、あらゆる境地を願う者は、この智慧を思惟し修習し、他人のためにも説くべきである。 王がこのように常に智慧を修習し、他人のためにも説き、楽しんで多く行い、功徳の因縁を積めば、現在世において常に安楽を得、常に利益があり、国を守り、自身を守ることができ、善き人々に称賛される。後に正しく生死を流転するも、身が壊れ命が終われば善い道に生まれ、天の世界において夜摩王となる。智慧を多く修習する因縁によって、ついには涅槃を得るのである。

「『又，剎利王復有一法是三十五，應勤捨離，成就相應，現在、未來二世利益。三十五者，所謂不樂一切境界。若剎利王樂於境界，如是王者，不得安隱。若王樂聲觸味香色一切方便，不得安隱，亦復不能正護國土，亦復不能正護自身。常樂境界，常著心故，失法、物、名，三皆退壞。樂境界王，餘王能破；他破壞故，自軍眾等皆生厭惡，不復愛樂；以厭離故，則失王位，而得衰惱；得衰惱故，或失壽命。是故王者不用縱心樂著境界。若不縱心大樂境界，彼王則能正護自法，或時心淨，正攝色聲香味觸等，不能動心。久時為王，王領國土一切軍眾不厭不捨，是故他王不能破壞，命住久時，不得熱惱，久時受樂。今既受樂，後生樂處。王若如是不樂境界，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。不樂境界善業因故。

> さらに、クシャトリヤの王が守るべきもう一つの教え、三十五番目があります。それは、あらゆる境界（外界の対象）に心を楽しませないことです。 もし王が境界に執着し楽しむなら、その王は安らかでいることができません。音、味、触れ心地、香り、形（色）など、あらゆる外界の対象に心を奪われれば、安穏を得られず、国を正しく守ることも、自らの身を正しく守ることもできません。常に境界に心を奪われ、執着するからこそ、法（正しい行い）、財物、名声のすべてが衰退し失われます。 境界を楽しむ王は、他の王に打ち破られます。打ち破られた結果、自らの軍勢や家来たちも王に嫌悪を抱き、愛着を持たなくなります。彼らが離れていくので、王位を失い、衰退と苦悩に陥ります。その苦悩から、命さえ失うこともあります。 それゆえ、王は心のままに境界に執着し、楽しんではなりません。もし心を放縦にせず、大きな楽しみを境界に求めなければ、その王は自らの法（正しい行い）を正しく守ることができます。時に心が清らかになり、色・声・香・味・触の対象を正しく捉えても、心が動かされることはありません。長く王として在位し、国土とすべての軍勢を統べても、彼らは王に嫌気がささず、離れていくこともありません。それゆえ、他の王に打ち破られることもなく、長くその位にとどまり、熱苦しむこともなく、長く楽しみを受けます。 今この世で楽しみを受けるだけでなく、後には楽しい世界に生まれます。王がこのように境界を楽しむ心を持たなければ、その功徳の因縁により、現在の世では常に安楽を得、常に利益があり、国を守り、自らの身を守ることができます。善き人々から称賛され、この身が壊れ命が終われば、善い道に生まれ、天の世界において夜摩天の王となります。これが、境界を楽しむ心を持たないという善い行いの果報なのです。

「『又，剎利王復有一法是三十六，王不應作，成就相應，現在、未來二世利益。三十六者，所謂不令惡人住國。不調伏者，不令住國。若諸惡人惡業破戒，令住國者，彼王則不久時為王，則於彼人必得殃禍。彼大過故，國人破壞，自在劣減，五穀不登，人不作業，王則不能正護國土，一切國人於王不樂。住國土天，不生憐愍，以其國內惡人住故，以其國有不調人故。彼調伏人亦不調伏，第一修業福德之人近惡人故，彼則有失。是故王者，不調伏人不令住國。若王不令不調伏人住其國者，惡法行人則不住國。以不住國，則無上過，又復常能正護國土。一切國人皆悉知王不令惡人住在國內，則不作惡，一切國人皆修行法，不作非法。彼能如是隨法行王，一切意念皆悉成就，一切國人皆知法律，依法律行；餘不饒益，不生不起。彼王如是以法為救、以法為伴。王若如是以法為本，不令惡人住其國內，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以離惡人善業因故。

> また、クシャトリアの王には、さらに一つの法がある。それは三十六番目のものであり、王が行うべきではない事柄である。これを成就し相応すれば、現在と未来の二世において利益を得る。三十六番目とは、所謂「悪人を国に住ませてはならない」ということである。調伏しない者を、国に住ませてはならない。もし悪人や悪業をなし戒を破る者を国に住ませるなら、その王は長く王位に留まることができず、必ずその者によって災禍を被るだろう。その大きな過失のゆえに、国民は破壊され、王の自在力は減退し、五穀は実らず、人々は業を営まず、王は国を正しく護ることができず、全ての国民は王に心服しない。また、国土に住む天の神々も、憐れみの心を起こさない。それは国内に悪人が住むからであり、調伏されない者がいるからである。そうなれば、調伏された者までもが調伏されなくなり、第一に善業と福徳を修める人も悪人に近づくゆえに、過失を被ることとなる。それゆえ王は、調伏しない者を国に住ませてはならない。 もし王が調伏しない者を国に住ませないようにすれば、悪い行いをする者は国に住まなくなる。国に住まなければ、上記の過失は生じず、また常に国を正しく護ることができる。全ての国民は、王が悪人を国内に住ませないことを知れば、悪を行わなくなり、皆が法を修行し、非法を行わなくなる。このように法に従って行う王は、全ての思いが成就する。全ての国民は法律を知り、法律に従って行い、その他の不利益なことは生じず起こらない。その王はこのように法をよりどころとし、法を友とする。王がこのように法を根本として、悪人をその国内に住ませないならば、その功徳の因縁によって、現在世において常に安楽を得、常に利益を得、国を護り、自身を護ることができ、善人に称賛され、身が壊れ命が終われば善道に生まれ、天の世界において夜摩天の王となる。悪人を遠ざける善業の因によるのである。

「『又，剎利王復有一法是三十七，王應勤修，多獲福德，一切國人皆不厭惡，成就相應，現在、未來二世利益。三十七者，所謂依前過去舊法，不斷先得，依法而與。使人、軍眾、一切人民先來得者，不斷不奪，若地、若物，依本常與。若有何人種姓次第先來得者，隨相應與。一切人民則於其王不生厭惡，左右軍眾一切不能迭相妨礙。王不憂悔、不生熱惱，王位不動，國土不亂，恒常正住，一切職人不偏斷事，強不陵弱，不違法律，一切國人如自業作，心生歡喜。天心喜故，以時降雨，寒暑隨時，常豐不儉，無刀兵劫，龍心不瞋。一切善天，不捨其國，行於餘國。彼王國土以行法故，餘天不壞。以人因緣，是故有天；以人力故，天則有力。彼王既知如是過已，依先舊與，不斷不奪。若王善行第一法行，於國內人，依次第來隨相應與，依祖父來隨所應與。若王國土令法久住，依法正護，如彼次第依分而與，如是次第依法王者，一切天眾不求其便，護其國土，彼王大富，國土具足。以大富故，布施作福，持戒修智。王若如是依隨法行，功德因緣，於現在世常得安樂、常有利益，能護國土、能護自身，善人所讚，身壞命終生於善道，天世界中為夜摩王。以不違法善業因故。

> 「さらに、クシャトリヤの王には三十七番目の一つの法がある。王はこれを熱心に修行し、多くの福徳を得るべきである。そうすれば、全国民が王を厭うことがなく、善い結果が現世と来世の両方にもたらされる。その三十七番目の法とは、すなわち、過去からの旧来の法を基に、先に得ていたものを絶やさず、法に従って施すことである。使者、軍勢、全ての人民が先に得ていたものは、絶やさず奪わず、土地や物も、昔通りに常に与える。もし、ある人が家柄や身分に応じて先に得たものがあれば、それに応じて与える。そうすれば、全ての人民は王に対して厭う心を起こさず、左右の軍勢も互いに妨げ合うことがない。王は後悔や苦しみを生じず、王位は動かず、国土は乱れず、常に安定して留まる。全ての役人は偏った裁きをせず、強い者が弱い者を虐げず、法律に背かない。全ての国民は自分たちの行いの結果として心から喜ぶ。天の心が喜ぶため、時にかなって雨が降り、寒暑は季節に応じ、常に豊かで不足がなく、戦乱の劫はなく、龍の心は怒らない。全ての善天はその国を捨てて他の国へ行かない。その王の国は法を行うがゆえに、他の天によって壊されない。人間の因縁があるからこそ天があり、人間の力があるからこそ天に力があるのだ。王がこの過ちを知って、先の旧来のやり方に従って与え、絶やさず奪わなければ、王は第一の法の行いを善く行うことになる。国内の人々には、順序に従って、それぞれに応じて与え、祖父の代から続くやり方に従って与えるべきである。もし王の国において法を長く保たせ、法に従って正しく守り、その順序に従って分割して与えるならば、このように法に従って支配する王に対しては、全ての天衆はその隙を求めず、その国土を守る。その王は大いに富み、国土は満ち足りている。大いなる富があるゆえに、布施して福を積み、戒律を守り、智慧を修める。王がこのように法に従って行えば、その功徳の因縁により、現世において常に安楽を得、常に利益があり、国土を守り、自身を守ることができ、善人に称賛される。身が壊れ命が終われば、善い道に生まれ、天の世界において夜摩天の王となる。これは法に違わない善業の因によるのである。」

「『若王成就此如是等三十七法，攝取彼法、安住彼法，一切功德皆悉具足。彼從樂處，復得樂處。』

> 「もし王がこのような三十七の教えを成就し、その教えを自らに取り入れ、安らかにその教えに従って生きるならば、あらゆる功徳がすべて完全にそなわるでしょう。そして、その王は安楽な境地からさらに安楽な境地へと進むことができるのです。」

「爾時，彼名善時鵝王，為說過去尸棄如來所說偈言：

> その時、善時鵞王というものは、過去において尸棄如来が説かれた偈を伝えました。

「『若王軍眾淨，法行制諸根，彼則有法慧，生天世界中。若王時賦稅，依法而受取，彼則捨離貪，為夜摩天王。若王忍愛語，瞋喜不能動，彼護國土故，生天中最勝。若王不朋諍，不看友非友，彼則心平等，得天眾中勝。若王勤敬宿，供養諸尊長，彼意堅不貪，得為天中王。若王依先世，隨祖父法與，彼不奪眾生，得為天中王。若王修施戒，說法制諸根，彼護國土人，天世界中貴。若王捨非法，攝取行法者，彼正法持戒，生天中最勝。若王離婦女，唯親近善人，彼則無垢意，生天中為王。若王不普信，唯攝取善人，彼命終真見，夜摩天中勝。若王愛善名，不貪著財物，彼離貪垢故，為夜摩天王。若王不邪見，心愛樂正見，彼淨見不動，為夜摩天王。若王勤施戒，亦常修行智，彼得諸國土，後生為天王。若王常愛語，生他人最樂，彼得土清涼，生天中最勝。若王實語說，不動如須彌，彼登實階梯，天眾中如幢。若王無因緣，不舉下軍眾，彼王民不厭，命終為天王。若王知好惡，亦知有力無，彼王有慧力，生夜摩為王。三界第一勝，所謂名三寶，王若能供養，彼王則生天。若王時見人，能利益國土，彼離慢心儉，生天中最勝。若王離睡垢，則離於癡過，彼智境相應，決定為天王。若王離懈怠，常堅固精進，彼能竭過海，來世為天王。若王友堅固，常隨法行者，彼善友圍遶，生天為天王。若王離惡友，常捨離不近，彼則離諂毒，生天為天王。若王持瞋害，不樂作惡業，彼離惡垢故，常為天中王。若王不貪味，唯愛樂善法，彼能示善道，黠慧生勝處。若王善思惟，隨順善法行，彼如法見道，到夜摩天處。若王時速作，依如是法行，彼速離諸苦，為夜摩天王。若王法利國，或以王法護，彼為人所讚，生天天亦讚。若王行十善，是如來所說，彼是修行法，生天為天王。若王信因緣，如是道非道，彼則離見垢，黠慧生天勝。若王供養天，如所應而作，彼得天供養，生天中最勝。若王護妻子，心意不濁亂，彼自妻知足，生天中最勝。若王遠境界，愚癡所愛者，彼則是持戒，當生天為王。若王捨惡人，近依法行者，彼是善法王，應為夜摩王。若王依法行，是護國土主，應一切地主，亦堪夜摩王。』

> もし王の軍と民が清らかで、法に従って諸々の感覚を制御するならば、 その人には法の智慧があり、天の世界に生まれる。 もし王が時に応じて税を課し、法に従ってそれを受け取るならば、 その人は貪りを捨て、夜摩天の王となる。 もし王が忍耐と優しい言葉を持ち、怒りや喜びに心を動かされないならば、 その人は国土を守るゆえに、天の中でも最も勝れた者となる。 もし王が仲間同士の争いをせず、味方と敵を差別して見ないならば、 その人は心が平等であり、天の衆の中で勝れた者となる。 もし王が勤め勉め、先輩や年長者を敬い供養するならば、 その人の意志は固く貪りがなく、天の王となることができる。 もし王が先例に従い、父祖の方法を守って施しを行うならば、 その人は他から奪うことがなく、天の王となることができる。 もし王が施しと戒めを修め、法を説いて諸々の感覚を制御するならば、 その人は国土と人々を守り、天の世界において尊ばれる。 もし王が非法を捨て、法を行う者を受け入れるならば、 その人は正しい法と戒めを保ち、天の中でも最も勝れた者となる。 もし王が女性から離れ、ただ善人に親しむならば、 その人は汚れのない心を持ち、天の世界で王となる。 もし王が誰にでも心を開かず、ただ善人だけを受け入れるならば、 その人は命を終えるときに真実を見て、夜摩天の中でも勝れた者となる。 もし王がよい名声を愛し、財物に執着しないならば、 その人は貪りの汚れを離れるゆえに、夜摩天の王となる。 もし王が誤った見解を持たず、心から正しい見解を愛好するならば、 その人は清らかな見解を持って動かず、夜摩天の王となる。 もし王が怠らず施しと戒めを行い、また常に智慧を修行するならば、 その人は諸々の国土を得て、のちに天の王として生まれる。 もし王が常に優しい言葉を愛し、他人に最高の喜びを生じさせるならば、 その人は清らかで涼しい国土を得て、天の中でも最も勝れた者となる。 もし王が真実の言葉を語り、須弥山のように動かないならば、 その人は真実という階段に登り、天の衆の中で幢（はた）のようである。 もし王が理由もなく、軍や民を動員しないならば、 その王を民は厭わず、命を終えて天の王となる。 もし王が善悪を知り、また力のある者とない者を知るならば、 その王には智慧の力があり、夜摩天の王として生まれる。 三界の中で最も勝れたもの、それは三宝と呼ばれる。 王がもしこれらを供養することができるならば、その王は天に生まれる。 もし王が時に国を利益する人を見ることができるならば、 その人は慢心と吝嗇を離れ、天の中でも最も勝れた者となる。 もし王が眠りの汚れを離れるならば、すなわち愚かさの過ちを離れる。 その人は智慧の境地と相応し、確かに天の王となる。 もし王が怠惰を離れ、常に堅固に努力するならば、 その人は苦しみの海を干上がらせ、未来世において天の王となる。 もし王の友が堅固で、常に法に従って行動するならば、 その人は善き友に囲まれ、天に生まれて天の王となる。 もし王が悪友を離れ、常に遠ざけて近づかないならば、 その人は諂いの毒を離れ、天に生まれて天の王となる。 もし王が怒りや害心を持っていても、悪業を楽しんで行わないならば、 その人は悪の汚れを離れるゆえに、常に天の王となる。 もし王が味に執着せず、ただ善法を愛好するならば、 その人は善き道を示すことができ、賢くて勝れた場所に生まれる。 もし王がよく考え、善法に従って行動するならば、 その人は法のように道を見て、夜摩天の所に至る。 もし王が行動を素早く起こし、このような法に従って行うならば、 その人は素早く諸々の苦しみを離れ、夜摩天の王となる。 もし王が法によって国を利し、あるいは王法によって守るならば、 その人は人々に讚えられ、天に生まれてもまた讚えられる。 もし王が十善を実践するならば、それは如来の説かれたところである。 その人は修行法を実践しており、天に生まれて天の王となる。 もし王が因縁を信じ、このように道と非道を知るならば、 その人は見解の汚れを離れ、賢く天の世界で勝れた者となる。 もし王が天を供養し、しかるべくして行うならば、 その人は天の供養を受け、天の中でも最も勝れた者となる。 もし王が妻と子を守り、心を濁らせないならば、 その人は自分の妻に満足し、天の中でも最も勝れた者となる。 もし王が愚かな者が愛する対象から遠ざかるならば、 その人は戒めを保っており、天の王として生まれるだろう。 もし王が悪人を捨て、法を行う者に近づくならば、 その人は善法の王であり、夜摩王となるべきである。 もし王が法に従って行い、国土を守る主であるならば、 その人は一切の地の主にふさわしく、また夜摩王となるに値する。』

「如是彼名善時鵝王，以願力故，生彼天中而作鵝王，既見天主牟修樓陀，念本生時從尸棄佛所聞經法，為令天主牟修樓陀心歡喜故，如是說已，語天王言：『天王當知！業如是故，得此天處，以大法勝，故得此處。若得此處不放逸行，於後退時，心不生悔。命盡死時，醜面可畏地獄之使，不來現前。汝夜摩王慎勿放逸，勿放逸行。汝於彼處聞我音聲，故來至此。汝既捨離一切境界，為聽法故而來至此。若苦惱者，隨順法行，則非奇特；若受天樂，不放逸行，此則為難。汝夜摩主牟修樓陀若不著欲，則為大樂。若更餘天，近汝、愛汝，隨汝而行。為軍眾者，善得生處，以得近汝善知識故，恒常得樂。近惡知識，樂不可得。汝夜摩主牟修樓陀於此天眾多作利益，此諸天眾以近汝故，得二種樂，謂今世樂、後涅槃樂。汝等諸天一切軍眾，各各還向自地處去。我今復欲更向其餘放逸天處，為除放逸。』

> 「そのようにして、善時の鵞王と呼ばれる者は、誓いの力によって天界に生まれ、鵞王となった。彼は天王・牟修楼陀に会うと、前世で尸棄仏から聞いた経典の教えを思い起こし、天王の心を喜ばせようとして、こう語りかけた。 『天王よ、お知りください。業によってこの天の境地を得たのです。大いなる法の勝れた力によって、この境地を得たのです。もしこの境地において放逸な行いをしなければ、後に退転する時にも、心に悔いは生じません。命が尽きて死ぬ時には、醜く恐ろしい地獄の使いが目前に現れることはないでしょう。夜摩天の王よ、どうか放逸であってはなりません。放逸な行いをしてはなりません。あなたは私の声を聞いて、このためにここへ来たのです。あなたはすでに一切の境界を捨て去り、法を聞くためにここへ来たのです。もし苦しんでいる者が、法に従って行うのは、決して特別なことではありません。しかし天の楽を受けながらも、放逸な行いをしないでいることこそ、難しいことです。夜摩天の主・牟修楼陀よ、もし欲望に執着しなければ、それが大きな安楽となるのです。もし他の天々が、あなたに近づき、あなたを愛し、あなたに従って行くならば、その軍勢の者たちは善い生まれを得るでしょう。善知識であるあなたに近づくことによって、常に安楽を得るからです。しかし悪知識に近づけば、安楽は得られません。夜摩天の主・牟修楼陀よ、あなたはこの天の衆に多くの利益をもたらしています。この天々は、あなたに近づくことによって、二種の安楽を得ています。すなわち、現世の安楽と、後の涅槃の安楽です。あなた方、天の軍勢の者たちは、それぞれ自分の境地へと帰りなさい。私は今、さらに他の放逸な天の境地へ向かい、その放逸を取り除いてこようと思う。』」

「善時鵝王如是說已，彼諸天眾於山頂上飛昇虛空。牟修樓陀夜摩天王聞說法已，隨喜讚歎上天宮殿，天眾圍遶上昇虛空，共諸天眾、諸天女眾之所圍遶。復有餘天住山鬘山千峯之中，遊戲受樂，如是放逸，放逸而行。境界所迷，愛樂境界，為愛所壞，於園林中蓮花水池、意念樹林，如是如是，迭共同伴遊戲受樂。五樂音聲、天樂之音，不可譬喻，在飲食河遊戲受樂。一切時華、一切時果、眾鳥音聲，皆悉具足，饒蓮華池具足之處，自業化果，受第一樂。如是乃至愛善業盡、作集業盡、善業盡故，如自業行，或墮地獄、或墮餓鬼、或墮畜生。若以餘業得生人中同業之處，第一富樂，或近海畔或在其餘饒流水處，作大富人，廣多商賈；或作國王，常在海畔，船舶具足，多有財物，多有人眾，一切人愛。

> 鵞王は善き時にこう語り終えました。すると、山頂にいた天の衆たちは虚空に飛び上がりました。牟修楼陀夜摩天王はその教えを聞き、随喜して讃嘆しながら天の宮殿へと上り、天の衆や天女たちに囲まれました。また、他の天の者たちは山鬘山の千の峰の中で遊び楽しみ、放逸なままに過ごしました。彼らは感覚の対象に迷い、それを愛着し、愛によって損なわれていました。園林や蓮華の池、心のままの林の中で、互いに仲間と共に遊び楽しみました。五つの楽の音、天の楽の音は譬えようもなく、飲食の川で遊び楽しみました。常に花が咲き、常に実がなり、多くの鳥の声が満ち溢れ、蓮華の池が豊かな場所で、自らの業が化した果報により、最高の楽しみを受けました。こうして愛する善業が尽き、積んだ業が尽き、善業が尽きるまで、自らの業に従って、地獄に落ちたり、餓鬼に生まれたり、畜生に生まれたりしました。もし余った業によって人間の世界に生まれる場合、同じ業の場所では、第一の富と楽を得て、海の近くや水の豊かな場所で大富豪となり、多くの商人を抱え、あるいは王となり、常に海辺で船を備え、多くの財物と多くの人々を持ち、全ての人に愛される存在となりました。

## 正法念處經卷第五十五

> 正法念処経 巻第五十五