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title: "正法念處經 · 21"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm9tojwqs088jhj0vr6xdid7m"
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## 正法念處經卷第五十六

> 正法念処経 第五十六巻

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品之三十五夜摩天之二十一

> 観天品 第三十五<note>夜摩天 第二十一</note>

「復次，比丘知業果報，觀夜摩天所住之地。彼以聞慧或以天眼見：夜摩天復有地處，名曰常樂。眾生何業而生彼地？彼見：若人不殺不盜，如前所說，常離邪婬，乃至見畫女像，不念欲想，於彼畫女不生勝相。見畫女時，不生念想：『似某女人。』心亦不生可愛之想，不如是觀，不以欲心觀畫女像，心不迷惑，心依正法。以正念故，捨離欲心，遠避女人自毀其身。既自思念，不邪婬己，心生歡喜，未生欲心，常作方便令使不生；勸邪婬者，令住正道，為說欲過，不可愛樂。若能如是捨離邪婬，則是第一清淨身業，正見不貪，身壞命終生於善道天世界中，在夜摩天常樂之地。彼在中陰乃至天處，皆因善業，五根受樂，色聲香味觸皆悉具足，次第生天。於彼天中三處化生：一者生於蓮花臺中；二者生於拘婆羅耶鬚中；三者生於曼陀羅花。

> また、比丘は業の報いを知り、夜摩天の住む地を観察する。彼は聞慧あるいは天眼によって見る。夜摩天にはさらに「常楽」と呼ばれる地がある。どのような業によって衆生はその地に生まれるのか。彼は見る。もし人が殺さず、盗まず、先に述べたように常に邪淫を離れ、さらには描かれた女の像を見ても欲望の想いを起こさず、その描かれた女に対してすぐれた相を生じない。描かれた女を見たとき、「あの女の人のようだ」という念想を起こさず、心にも愛すべき想いを生じない。そのように観ずるのである。欲望の心をもって描かれた女の像を見ず、心は惑わされず、心は正法に依っている。正しい念のゆえに、欲望の心を捨て離れ、女から遠く離れ、自らの身を害することから守る。自らこのように思念し、邪淫せずに済んだことに心から喜びを生じる。まだ欲望の心が生じていなくても、常に方便を用いてそれが生じないようにする。邪淫する者には正道に留まるよう勧め、欲望の過ちを説いて、愛楽すべきでないことを示す。もしこのようにして邪淫を捨て離れるならば、これこそ第一の清らかな身の業であり、正見にして貪らず、身が壊れ命が終わると善道の天の世界に生まれ、夜摩天の常楽の地に生まれる。彼は中陰から天処に至るまで、すべて善業によって五根が楽しみを受け、色・声・香・味・触がことごとく満たされ、順を追って天に生まれる。その天には三つの化生の場所がある。一つは蓮華の台の中に生まれ、二つは拘婆羅耶の花の蘂の中に生まれ、三つは曼陀羅の花の中に生まれる。

「若於拘婆羅耶鬚中生者，光明及色，亦如其花，或赤或青或種種色，七寶莊嚴亦如拘婆羅耶之鬚。云何七寶雜色莊嚴？青毘琉璃以為其髮，目𥇒眼瞼皆亦如是，銀色爪甲，赤白紅色齒如真珠，其身猶如閻浮檀金，臍下毛色如因陀寶，自餘身分處處雜色。心之畫師，如畫所作。

> 「もしも、ある人がコーサンブの花のような性質を持ってこの世に生まれたとすれば、その人の輝きや色彩もまた、その花のように、赤や青、あるいは様々な色となり、七宝の飾りのように美しいものとなるでしょう。その七宝の混ざり合った美しさとは、どのようなものでしょうか。青い瑠璃を髪とし、まぶたや目じりもまた同じように、銀色の爪、白く赤みを帯びた歯は真珠のよう、その身体は閻浮檀金のように輝き、おへその下の毛は天帝の宝のような色をしています。その他の身体の部分も、ところどころに様々な色が混ざっています。まるで心という画家が描いた絵のように。」

「若在蓮花臺中生者，色亦如是，如閻浮檀真金之色、髮青寶色，脣色猶如赤蓮華寶或車𤦲色，其甲猶如蓮花寶色，臍下毛色如紺車𤦲。唯說少分。若於曼陀羅花中生者，其身衣服有種種色，在中生故，還似其色。謂相似者，如現見法，隨何色菓，其中生物所生之物，即同其色，在中生故。相類亦然，隨其生處，即同其色亦復如是。以在花故，一切相似。天子生已，常具眾樂，不斷不絕，常受天樂，不可譬喻。於彼樂中，但說少分，譬如海中一渧之水，此所說樂亦復如是。若於人中作善業者，聞此天樂，心則精勤。何以故？知業果故，望此樂報，勤修善業。如為解脫，勤精進者，為破有中無量苦故，破壞愛毒，彼見有中無有少樂。以是因緣，說善業果，此說天樂，不為有果。

> 蓮華の台座に生まれる者があれば、 その肌の色は、閻浮檀の真金のような色をしている。 髪は青く輝く宝石の色。 唇は赤い蓮華の宝石、あるいは車渠の色のようである。 その爪は蓮華の宝石の色のようであり、 臍の下の毛の色は、紺色の車渠のようである。 ——ここに述べるのは、ほんの一部にすぎない。 また、曼陀羅の花の中に生まれる者があれば、 その身にまとう衣服は様々な色をしている。 その花の中に生まれるがゆえに、その色に似るのである。 「似る」とは、現に見られるように、 どんな色の果実であっても、その中に生まれるものは、その色と同じになることである。 これと同様に、生まれたところに従って、その色と同じになるのである。 花の中にあるため、すべてが似るのである。 天子は生まれると、常に多くの楽しみを具え、 それが絶えることなく、常に天の楽しみを受ける。 それは譬えようもないほどである。 その楽しみについても、ほんの一部を語るにすぎない。 例えば、大海の中の一滴の水のようなものである。 ここで語られる楽しみも、また同じである。 もし人間界で善い行いをした者が、 この天の楽しみを聞けば、心は精進し勤めるであろう。 なぜか。因果の道理を知るからである。 この楽しみの報いを願って、善業を勤め修めるのである。 あたかも解脱を求めて、精進し励む者が、 「有」の中の無量の苦しみを破るために、愛欲の毒を打ち砕くがごとくである。 彼は「有」の中に少しの楽しみもないと見ているのである。 そうした理由から、善業の果報を説くのであり、 ここに天の楽しみを説くのは、「有」の果報のためではないのである。

「爾時，天子既生此天常樂地處，常於其中五欲功德遊戲受樂，百千天女歌詠讚歎而供養之。於園林中蓮華河池，在如是處種種歌舞共相娛樂，不相妨礙，自業受樂，在園林處、平地山峯、蓮華林中常受天樂。時諸天子為天女眾之所圍遶，於一一處、一一園林、一一可愛遊戲之處、一一七寶山峯之中受天欲愛，不知厭足。見諸可愛妙蓮華池，聞妙音聲，食天上味，服於細軟上妙天衣，所愛之香，久受五欲，共相愛樂。

> ある時、天子たちは天界の常に楽しい場所に生まれ、常にそこでの五つの感覚的な楽しみ（五欲の功徳）の中で遊び、楽しんでいた。百千の天女たちが歌を歌い、称賛し、彼らに捧げていた。園林、蓮華、川や池といった場所で、様々な歌や舞を共に楽しみ、互いに妨げることはなかった。自らの業に従って楽しみを享受し、園林の場所、平地や山の頂、蓮華の林の中で、常に天の楽しみを受けていた。その時、天の王子たちは天女たちに囲まれ、あらゆる場所、あらゆる園林、あらゆる愛らしい遊びの場所、あらゆる七宝の山の頂で、天界の愛欲を受け、満足することを知らなかった。美しい蓮華の池を見て、素晴らしい音声を聞き、天上の味を食べ、柔らかく上等な天の衣をまとい、愛する香りを身に受け、長い間五欲を享受し、互いに愛し合い楽しんでいた。

「爾時，有鳥名曰覺時，為於放逸諸天眾故，以偈頌曰：

> その時、覚時という名の鳥が、放逸な天人の衆に向けて、次の詩を唱えた。

「『於三有聚中，一切皆當死，愚者於生死，不能生厭離。一切必有死，皆當勤方便，死怨既來至，無有能救者。能斷一切樂，能加眾苦惱，離別一切愛，是故名為死。能與眾生畏，能與大苦惱，能令意迷惑，是故名為死。能斷保命心，能破壞諸根，眾生不能破，是故名為死。眾生不能壞，諸業不能勝，令眾生失壞，是故名為死。眾生皆悉有，決定能殺害，能令愛別離，是故名為死。天夜叉樂神、鬼龍羅剎等，時輪皆能殺，是故名為死。惱亂難調伏，於一切如火，堅強不可避，是故名為死。能壞於陰入，命氣及心意，時法大勢力，是故名為死。其行甚駿速，破壞諸眾生，當勤修福業，勿得行放逸。』

> 三つの世界（三有）の中に集う者、 すべてはいつか必ず死ぬもの。 愚かな者は生死の世界（輪廻）の中にあっても、 そこから離れたいと厭う心を起こせない。 すべての者は必ず死ぬものである。 だからこそ、皆、努めて善い行い（方便）を積まねばならない。 死という怨敵がすでに訪れたなら、 それを救い出せる者などどこにもいない。 すべての楽しみを断ち切り、 数々の苦しみを加える。 愛するものすべてを引き離す、 その故に、これを「死」と名付ける。 生きとし生けるものに恐怖を与え、 大きな苦痛をもたらす。 心を惑わせ迷わせる、 その故に、これを「死」と名付ける。 命を長らえさせようという心を断ち切り、 すべての感覚器官（諸根）を壊してしまう。 生きとし生けるものはそれに勝つことができない、 その故に、これを「死」と名付ける。 生きとし生けるものはそれを壊すことができず、 様々な行い（業）もそれに打ち勝つことはできない。 生きとし生けるものを壊し失わせる、 その故に、これを「死」と名付ける。 すべての生きとし生けるものは必ず持っており、 確実に命を奪う。 愛しい者を引き離す力を持つ、 その故に、これを「死」と名付ける。 天、夜叉（やしゃ）、楽神（がんだるば）、 鬼、竜、羅刹（らせつ）などの者たちさえも、 時の輪はすべて殺してしまう、 その故に、これを「死」と名付ける。 心を悩まし、手に負えず、すべてを焼き尽くす火のようで、 強固で避けることができない、 その故に、これを「死」と名付ける。 五蘊（色・受・想・行・識）や十二処（感覚器官とその対象）、 命の息（生命エネルギー）や心までもを壊す。 時の法（法則）の偉大な力である、 その故に、これを「死」と名付ける。 その働き（行）は極めて速く、 生きとし生けるものを壊し滅ぼす。 それゆえ、努めて善い行い（福業）を修めよ。 放逸（だらけた心）で過ごしてはならない。

「此覺時鳥為放逸天說於死法，決定無疑。時諸天眾以放逸故，雖聞此法，不生厭離，諸根自體性輕動故。受樂多者，諸根輕動，則亦難伏；以樂勝故，諸根輕動，不可調伏。以此因緣，此諸天眾雖聞真實堅固利益，然於此義不覺不知。設有覺知，愛毒所害，雖覺不受。以此因緣，雖聞實語利益真語而不攝受。不受法故，初著美境，受諸欲樂，五樂音聲嬉笑歌舞，種種遊戲。於園林中蓮花池處，共諸天女——以善業故——在於無量七寶莊嚴可愛山峯常受快樂，不斷不絕。一切天欲功德具足共相娛樂，種種珍寶莊嚴之地常受快樂。如是遊戲種種受樂，次第遊行到於廣池。其池縱廣一百由旬，有一蓮華，其花柔軟，七寶間錯，毘琉璃莖，金剛為鬚，其花開敷遍覆大池。此諸天眾本未曾見，既見此花，生希有心：『今此天中甚為可愛，所見之處皆可愛樂。』諸天見之百倍歡喜，迭互相示，皆共瞻仰，圍遶一面，共行遊戲，心生歡喜觀此蓮花，一切皆生希有之心，共相謂言：『汝觀，汝觀！可愛蓮華昔所未見，有大光明，多有無量七寶眾蜂莊嚴如是大寶蓮華。』此大蓮華遍覆大池，周匝遶花，少分見水。於廣池岸真珠間錯，青因陀寶、赤蓮華寶、白銀色寶間錯莊嚴。大蓮華臺高五由旬，廣十由旬。隨天所念，善業力故，於天遊戲受樂之時，隨天心念若大若小。如天心念，於大池內蓮華之心皆悉具足，是故此池名隨念池，其花名為隨念蓮華。如是二事，同名隨念。爾時，天眾初始見時，心生歡喜足一百倍，以善業故，在彼池岸歌舞戲笑五樂音聲一切共受如是天樂。

> この覚りの時、鳥は放逸の天衆に死の法について説き、決して疑いの余地はありません。しかし、天々は放逸のゆえに、この法を聞いても厭離の心を起こしません。なぜなら、彼らの諸根（感覚器官）は本来自体が軽躁で動きやすいからです。特に楽を受けることの多い者は、諸根が軽躁で調伏しにくく、楽に勝るほどに諸根が動き、制御が難しくなります。このような因縁により、天々は真実であり堅固な利益を聞いても、その義理に気づかず、知ることもありません。たとえ気づく者があっても、愛の毒に害されているため、気づいても受け入れません。この因縁により、真実の語であり利益をもたらす語を聞いても、それを受け入れることがありません。法を受け入れないからこそ、初めは美しい境地に執着し、様々な欲の楽を受け、五楽の音声、笑い、歌、舞、様々な遊戯に興じます。園林の中、蓮華の池のほとりで、天女たちと共に――善業のゆえに――無量の七宝で荘厳された愛らしい山峯で常に楽しみを受け、絶え間がありません。一切の天の欲の功徳を具足し、互いに楽しみ合い、様々な珍宝で荘厳された地で常に楽を受けます。このように遊戯し様々な楽を受けながら、次第に進んで広大な池に至ります。その池は縦横百由旬あり、一つの蓮華があり、その花は柔らかく、七宝がちりばめられ、茎は瑠璃、蘂は金剛で、花は開き広がって池全体を覆っています。この天々は以前にこの花を見たことがなく、見るや希有の心を生じます。「この天の中はとても愛らしい。見るものすべてが愛らしい」と。天々は百倍の歓喜を生じ、互いに示し合い、皆で仰ぎ見て、一面に囲み、共に遊戯しながら歩み、心に歓喜を生じてこの蓮華を観ます。皆、希有の心を生じて互いに言います。「見よ、見よ！愛らしい蓮華よ。昔は見たことのない、大いなる光明があり、無量の七宝の多くの蜂が荘厳する、この大いなる宝蓮華を」と。この大蓮華は池全体を覆い、花の周りをめぐってわずかに水が見えるだけです。広い池の岸は真珠がちりばめられ、青い因陀羅宝、赤い蓮華宝、白銀色の宝が混じって荘厳されています。大蓮華の台は高さ五由旬、広さ十由旬あります。天々の心の念いに従い、善業の力によって、天で遊戯し楽しみを受ける時、天の心の念いに応じて大にも小にもなります。天の心の念いのままに、大池の中の蓮華の心臓（中心）は全て具足しています。このため、この池を随念池と名づけ、その花を随念蓮華と名づけます。この二つは同名で随念といいます。その時、天々が初めてこれを見た時、心に歓喜を生じること百倍に達し、善業のゆえに、その池の岸で歌舞し、笑い戯れ、五楽の音声と共に全てこのような天の楽を受けました。

「時諸天眾既遊戲已，復飲諸天上味之飲，離於醉過。既飲上味，受樂功德，如念即得，如意念香、如意念色、如意念味。如其憶念種種寶器，於彼池中即有寶器，上味充滿，從池而出。美妙天酒從池流出，此諸天眾飲斯上味。飲上味已，復向異處遊戲而行，見蘇陀聚，色香味觸皆悉具足，意欲食之，歡喜往趣。既至食所，皆共食之，或以手食或用寶器，如業相似。食須陀已，隨其來處，還向廣池。彼此迭共生歡喜心，天眾圍遶，五樂音聲歌舞喜笑遊戲而行到廣池中。見大蓮華光明殊勝過百千日，彼一切天妙寶光明於華光明，十六分中不及其一。爾時，天眾見大蓮華，心極歡喜，天眾圍遶，五樂音聲歌舞遊戲圍遶大池，皆共循行。如是如是，隨其遶池周遍循行，復見池中希有之事。

> 時に天の衆生たちは遊び終えると、天上の美味なる飲み物を再び飲み、酔いの過ちから離れました。その美味を飲み、楽しみの功徳を受けると、思いのままに得られました。すなわち、心に念じる香り、心に念じる色、心に念じる味を自在に得たのです。様々な宝の器を思い浮かべると、その池の中にたちまち宝の器が現れ、美味が満ちて池から浮かび上がりました。美しい天の酒が池から流れ出て、これらの天の衆生たちはその美味を飲みました。美味を飲んだ後、彼らはまた別の場所へ遊びに行き、スドゥ（須陀）という食物の山を見つけました。色・香り・味・感触の全てが完璧に備わっており、食べたいと思って喜び勇んで赴きました。そこに着くと、皆で共に食べました。手で食べる者もいれば、宝の器を使う者もいて、各自の業に応じた様子でした。スドゥを食べ終えると、それぞれ来た道に従って広大な池へと戻りました。互いに喜びの心を生じ、天の衆生たちに囲まれ、五つの楽器の音色に合わせて歌い、舞い、喜び笑いながら遊びつつ、広大な池に到りました。そこには大いなる蓮華があり、その光明は百千の太陽よりも勝れていました。あらゆる天の妙宝の光明も、この蓮華の光明に比べれば、十六分の一にも及びませんでした。その時、天の衆生たちは大いなる蓮華を見て、心から大いに喜びました。天の衆生たちに囲まれ、五つの楽器の音色に合わせて歌い舞い遊びながら、大いなる池の周りを巡り歩きました。このようにして池を一周するにつれて、さらに池の中の稀有な出来事を目の当たりにしたのです。

「於花池上多有種種可愛妙色七寶眾蜂，雄雌娛樂而受快樂，共飲花汁。花汁美味，不可譬喻，並飲花汁，以偈頌曰：

> 蓮池の上には、様々に愛らしい美しい色をした七宝の蜂がたくさんいて、雄と雌が楽しく戯れながら喜びを味わい、共に花の蜜を飲んでいます。その花の蜜の美味しさは、例えようもありません。そして蜜を飲みながら、詩（偈）を詠みました。

「『若作種種業，則生種種果，種種受生者，以業種種故。心雜故種種，造種種依處，種種業盡故，不久則失壞。此所受天樂，不可具足說，無常力自在，不久須臾至。樂如水泡沫，如陽炎非水，諸樂亦如是，一切必破壞。極惡不可遮，眾生皆怖畏，死王將欲至，其力不可壞。破壞一切樂，及斷於命根，業鎖所繫縛，將至於餘世。若樂已過去，是樂不可念；若樂在未來，亦不名為樂；若樂住現在，與愛境界雜；無常所遷動，一切皆破壞。若樂屬三界，智者所不讚，云何諸天眾，愛樂如是樂？此身不久停，死火必來至，能燒滅一切，如火焚乾薪。諸樂速遷滅，莫行於放逸，勿於臨終時，而生於悔心。無量百千生，業樂皆已過，如夢至何所，如風念不住。愚者樂無厭，如火得乾薪，是故所著樂，則非為常樂。解脫渴愛者，能離於欲過，修禪不放逸，得無垢淨樂。得如是樂者，乃可名為樂，諸有雖名樂，猶如雜毒蜜。如是著樂者，心恒求欲樂，欲樂非常樂，是故非寂靜。』

> 様々な行い（業）をすれば、様々な結果（果）が生まれ、 様々な生まれ方をするのは、業が様々だからである。 心が乱れているから様々な行いをし、様々な拠り所を作る。 様々な業が尽きれば、長くは保たずに失われてしまう。 この天で味わう楽しみは、言葉で尽くして語ることはできない。 無常の力が自在に働き、間もなくその時は訪れる。 楽しみは水の泡のようであり、陽炎（かげろう）が水でないように、 全ての楽しみもまた同じで、必ず壊れていく。 極めて悪しいこと（死）は防ぐことができず、全ての生きとし生けるものは恐れる。 死神（死王）がまさに訪れようとしており、その力は壊すことができない。 全ての楽しみを壊し、命の根（命根）をも断ち切り、 業の鎖に縛られた者は、次の世へと連れて行かれる。 もし楽しみが過去のものであれば、その楽しみを思い出すことはできない。 もし楽しみが未来にあれば、それもまた楽しみとは呼べない。 もし楽しみが現在にあれば、それは愛欲の対象と混ざり合っている。 無常に動かされ、全ては壊れてしまう。 もし楽しみが三界（欲界・色界・無色界）に属するものであれば、賢者はそれを称賛しない。 どうして天の衆生たちは、そのような楽しみを愛し楽しむのだろうか？ この身体は長くは留まらず、死の火が必ず訪れる。 それは全てを焼き尽くす、火が乾いた薪を焼くように。 様々な楽しみは速やかに滅び去る。放逸（ほういつ）な行いをしてはならない。 臨終の時に、悔いの心を生じることがないように。 無量の百千もの生において、業による楽しみは全て過ぎ去った。 夢がどこへ行くというのか、風が留まっていると思えないように。 愚か者は楽しみに飽くことを知らず、火が乾いた薪を得るようなものだ。 ゆえに執着する楽しみは、決して永遠の楽しみではない。 渇愛（かつあい）を脱した者は、欲望の過ちを離れることができる。 瞑想（禅）を修め、放逸（ほういつ）でなければ、汚れのない清らかな楽しみを得る。 そのような楽しみを得た者こそ、本当の楽しみと言える。 三界の存在には楽しみという名がついていても、それは毒を混ぜた蜜のようなものだ。 このように楽しみに執着する者は、心は常に欲の楽しみを求める。 欲の楽しみは永遠の楽しみではない、ゆえに静けさ（寂静）ではない。』

「如是眾蜂以善業故，為諸天眾說如此偈。時諸天眾雖聞此法，而不攝受，復觀此池，心生愛樂，共諸天女遊戲歌舞，處處遍觀。久於此處，遊戲受樂，復欲觀彼池中蓮花，輕便四大自在力故、業勢力故，蓮華池中自在遊行。或有天眾入花葉中遊戲受樂，或有入於種種妙寶間錯華臺，共諸天女而受快樂。於花臺中，隨心所念，昇花葉上。時，蓮華葉如是如是轉更增長，以善業故，蓮華增長二百由旬、三百由旬乃至千由旬。以天善業意念力故，臺亦如是漸更增長二百由旬；其大蓮華光明亦爾，漸更增長。爾時，天眾各各在於餘花葉中，共天女眾遊戲受樂。此諸天眾既上花葉，葉即增長。

> 「このように、蜂たちは善業の力によって、天人のためにこの偈を説いた。天人はこの教えを聞いたが、心に受け入れず、再び池を見て愛着を起こし、天女たちと共に遊び、歌い、舞い、あらゆる場所を見て回った。長くここで遊び、楽しんだ後、さらに池の蓮華を見ようとして、軽やかな四大の自在力と業の力によって、蓮華の池の中を自在に遊行した。ある天人は花びらの中に入って遊び楽しみ、ある天人は種々の宝が飾られた花台の中に入り、天女と共に楽しんだ。花台の中で、心のままに望み、花びらの上に昇った。すると、蓮華の花びらはますます大きくなり、善業の力によって、二百由旬、三百由旬、さらには千由旬にまで成長した。天人の善業と思念の力によって、花台もまた次第に二百由旬にまで成長し、その大蓮華の光もまた同じく徐々に増大した。その時、天人はそれぞれ他の花びらの中にいて、天女たちと共に遊び楽しんだ。これらの天人が花びらの上に昇ると、花びらはさらに成長した。」

「爾時，天眾遊戲受樂，作如是念：『我今於此遊戲止住，應生酒河及須陀食。』即於念時，蓮花葉中即生酒河及須陀食，皆悉具足。復作是念：『我今飲酒，食須陀味。』即共天女飲於天酒，食須陀味。

> その時、天の衆生たちは楽しみ戯れながら、こう思いました。「今、ここで遊びながら過ごすために、酒の川と須陀味を生じさせよう」と。その思いが起こるとすぐに、蓮の葉の間から酒の川と須陀味が現れ、すべてが満ち足りました。また彼らはこう思いました。「今、私はこの酒を飲み、須陀味を味わおう」と。そして天女たちと共に天の酒を飲み、須陀味を味わいました。

「爾時，天眾久受樂已，復作是念：『我於此處，止住遊戲，此華葉中應生園林。』以善業故，隨其所念，即生園林。七寶雜樹，有種種鳥、種種音聲，寶樹蔭覆猶如宮室，花果具足。所念花果，隨時皆得。有種種河、泉池流水勝妙可愛，種種妙聲，寶鈿地處多有妙花色香相貌，皆悉可愛。華有三種，所謂青色優鉢羅華、拘物陀花、菴摩羅那花、蘇支羅花、香葉花、離泥花、具足欲花、羅婆羅花、君荼羅花，有如是等水生之花。於花光中多有眾蜂，如是等花，隨念雜色，有青寶色，周遍皆生。如是天花莊嚴其林。復於陸地生種種花，其花種種色貌相類，甚可愛樂，生此林中。彼諸天眾住在如是蓮花葉中，所謂樂光明花，天子、天女喚之即來。復有一花名曰見樂，復有一花名種種色，歡喜開敷柔軟葉花、一切光明勝莊嚴花、朱多藍花、無厭足花、憶念樂花，有如是等陸生之花。隨天念時，一切現前。於樹林中復有諸花，所謂曼陀羅花、與喜樂花、香觸愛花、香味可愛花、吱多羅花、五葉之花、龍林舌華、遮抹羅花、林鬘之華、須摩那花、光明之花、聞香飽花、一切愛花、山鬘之花、山峯鬘花。如是等華，有生樹下，有生榛林。此諸天等，蓮花中住遊戲之時，善業力故，生此諸花。爾時，天眾共諸天女住蓮花林，遊戲花葉，受種種樂。彼大蓮花，隨念廣池，勢力如是。

> その時、天の衆たちは長く楽しみを受けた後、こう思いました――「私はここに留まって遊び楽しもう。この蓮の葉の間に、園林が生まれ出でよ」と。善行の力によって、彼らの思いのままに、園林が現れました。七宝の雑木があり、様々な鳥がいて、様々な鳴き声を響かせています。宝の木々の陰は、まるで宮殿のように覆いかぶさり、花や果実が豊かに実っています。思い浮かべた花や果実は、時に応じてすべて得ることができます。様々な川、泉、池、流れる水があり、素晴らしく愛らしいものです。様々な妙なる音が聞こえ、宝で飾られた地面には、美しい色や香り、姿をした花が数多くあり、すべて愛らしいものばかりです。 花には三種あります。即ち、青色の優鉢羅華（うはつらげ）、拘物陀花（くもつだげ）、菴摩羅那花（あんまらなげ）、蘇支羅花（そしらげ）、香葉花（こうようげ）、離泥花（りでいげ）、具足欲花（ぐそくよくげ）、羅婆羅花（らばらげ）、君荼羅花（くんだらげ）、このような水生の花々です。その花の光の中には、多くの蜂が集まっています。これらの花は、思いに応じて様々な色を帯び、青宝の色をしたものも、至る所に生えています。このように天の花がその林を荘厳しています。 また、陸地にも様々な花が生えています。その花々は様々な色や形をしており、非常に愛らしく、この林の中に咲いています。天の衆たちは、このような蓮の葉の中に住んでいます。中でも、楽光明花（らくこうみょうげ）という花があり、天子や天女が呼べば即座にやって来ます。また、見楽（みらく）という花、種種色（しゅじゅしょく）という花、歓喜して開き、柔らかな葉を持つ花、一切光明勝荘厳花（いっさいこうみょうしょうしょうごんげ）、朱多藍花（しゅたらんげ）、無厭足花（むえんそくげ）、憶念楽花（おくねんらくげ）などがあります。このような陸生の花々は、天の思いに応じてすべて目の前に現れます。 林の中にはさらに多くの花があります。即ち、曼陀羅花（まだらげ）、与喜楽花（よきらくげ）、香触愛花（こうそくあいげ）、香味可愛花（こうみかあいげ）、吱多羅花（したらげ）、五葉之花（ごようしげ）、龍林舌華（りゅうりんぜつげ）、遮抹羅花（しゃまらげ）、林鬘之華（りんまんしげ）、須摩那花（すまなげ）、光明之花（こうみょうしげ）、聞香飽花（もんこうほうげ）、一切愛花（いっさいあいげ）、山鬘之花（さんまんしげ）、山峰鬘花（さんぽうまんげ）などです。これらの花は、木の下に生えるものもあれば、雑木林の中に生えるものもあります。 これらの天の衆たちが蓮華の中に住み、遊戯する時、善行の力によってこのような花々が生まれます。その時、天の衆たちは天女たちと共に蓮華の林に住み、花や葉の中で遊び戯れ、様々な楽しみを受けます。あの大きな蓮華は、思いのままに広い池となる、そのような力を持っているのです。

「時，諸天眾蓮花葉中作是思惟：『今於此處應有眾山。種種寶峯從此出生，光明具足，種種鳥眾、種種妙聲在山峯中。巖窟河池、平處嶮岸、寶鈿之地，如是等處，我應遊戲。』復作是念：『我今住此大蓮華葉，此處若有巖窟河池、平地流泉，我當於中遊戲受樂。』善業力故，即於念時，多有園林花池山峯、巖窟平頂，皆可愛樂，七寶光明而為莊嚴，種種樹枝甚可愛樂，見之心樂。過一百山天花果樹，枝條蔭覆猶如宮室，甚可愛樂，百千寶窟生在山中以為莊嚴。時諸天眾離蓮華葉，與千天女而自圍遶，上妙天華，色香觸等皆悉具足，無有萎變。莊嚴天女，美妙歌聲音曲齊等，聞者心樂。如天所應，五欲具足，安詳徐步而昇大山，顧目遍觀。時諸天眾遊戲受樂，飯於食河，飲於流味。既食無量諸飲食已，即於河邊取曼陀羅花、俱施耶舍花莊嚴其身，復嚴天女，歌舞遊戲。於五欲中，久受樂已，於可愛境界受諸欲樂，不知厭足，愛河所漂，復向廣池大蓮花中。此諸天眾，或百或千諸天女眾而為圍遶，種種莊嚴，到於大池，各至所住蓮花葉中，各各遊戲，受於可愛勝妙之樂。如印所印，各如自業，受相似樂。

> その時、天の神々は蓮の葉の上でこう考えました。 「ここには、様々な峰々がそびえる山々があるはずだ。 数々の宝の山がここから生まれ、輝きに満ちている。 様々な鳥たちが美しい声でさえずり、山の頂には洞窟や川や池があり、 平らな場所や険しい岸辺、宝石で飾られた地面がある。 そんな場所で、我々は遊び楽しむことができるだろう。」 さらに彼らは考えました。 「私は今、この大きな蓮の葉の上にいる。 もしここに洞窟や川や池、平らな場所や泉があれば、 その中で遊び、楽しみたいものだ。」 善い行いの力によって、その思いが起こった瞬間に、 そこには多くの園林、花咲く池、山の頂、洞窟、平らな高台が現れ、 いずれも愛らしく楽しげで、 七宝の光が輝き、それを飾り立てていた。 様々な木々の枝はとても美しく、見る者の心を喜ばせた。 百を超える山々には、花や果実をつけた木々が茂り、 その枝はあたかも宮殿のように覆いかぶさり、実に愛らしかった。 山の中には百千もの宝の洞窟が生まれ、飾りとなっていた。 そこで天の神々は蓮の葉を離れ、 千人の天女たちに囲まれながら、最高の天の花を身にまとった。 その花の色、香り、感触などはすべて完璧で、 しおれたり、色あせたりすることはなかった。 美しく飾られた天女たちは、素晴らしい歌声で歌い、 そのリズムは完璧で、聞く者の心を楽しませた。 天にふさわしく、五つの欲望の対象をすべて満たし、 彼らは優雅にゆっくりと歩みながら山へと昇り、 あたりを見渡した。 天の神々はそこで遊び楽しみ、 「食の川」で食事をし、「流れの味」を飲んだ。 無数の食べ物や飲み物を味わった後、 彼らは川辺で曼陀羅の花や、 俱施耶舍の花を摘み、身を飾り、 さらに天女たちも飾り立てて、 歌い、舞い、遊び興じた。 五つの欲望の対象の中で長く楽しんだ後も、 彼らは愛しい世界で欲望の快楽を味わい続け、 満足することを知らず、 愛欲の川に流されながら、 再び、広い池の中の大きな蓮の花へと向かった。 これらの天の神々は、 ある者は百人、ある者は千人の天女たちに囲まれ、 様々に身を飾って、大きな池に到着すると、 それぞれが自分の住まう蓮の葉へと向かい、 それぞれに遊び楽しみ、 愛すべき素晴らしい快楽を味わった。 まるで印章がそのまま押されるように、 それぞれが自分の行いに応じて、 似たような快楽を味わったのである。

「爾時，天眾復作是念：『此處應有種種山谷、種種眾鳥、種種色貌，行食相類，見之心樂。七寶之身，出妙音聲，一切處行皆無障礙，或在水中、或在陸地、或行空中而無疲惓。若有此鳥來至此處，我當乘之行虛空中，與諸天女遊戲空中，下觀常樂地處諸天歡娛受樂。遍觀察已，共諸天女復受勝樂。』時諸天眾作是念時，有種種山、種種山峯、種種山谷、種種山窟、種種樹林、種種鳥眾，善業力故，隨念即來。種種相貌，種種莊嚴，種種勝妙跋求之聲，種種七寶雜色眾鳥，天女見之，一切皆生希有之心。其音美妙，遍滿虛空，皆來向此蓮華葉中天遊戲處，遍覆虛空。爾時，天眾及諸天女既見彼鳥，心轉歡喜。以歡喜故，共天女眾欲昇虛空。爾時諸鳥知天所念，來近天眾，時諸天子共諸天女昇於鳥上，鳥即飛行遍於虛空，手執箜篌歌眾妙音，笙笛鼓吹，甚可愛樂，聞之心樂。復觀自地天眾受天欲樂，喜愛著心不念退沒，以善業故，唯受天樂。

> その時、天の民たちはまたこう考えた。「ここには、さまざまな谷や、様々な鳥たち、様々な姿や色を持ち、食べ物を求めて歩き回る様子が似ていて、見ていると心が楽しくなるものがあるはずだ。七宝でできた体からは美しい音色が響き、どんな場所を行くにも障害がなく、水中にいても、陸地にいても、あるいは空中を飛んでいても疲れることがない。もしそのような鳥がここに来てくれたなら、私たちはその背に乗って虚空を巡り、天女たちと共に空中で遊戯し、下には常に楽しみに満ちた地の天々が歓楽に浸る様子を見下ろしながら、共に遊んだ後、天女たちと再び素晴らしい楽しみを味わいたいものだ。」 天の民たちがこう考えていると、彼らの善業の力によって、様々な山々、様々な峰々、さまざまな谷々、様々な洞窟、様々な林、そして様々な鳥たちが、その思いに応えて即座に現れた。様々な姿形、様々な飾り、様々な素晴らしいさえずりの声、そして様々な七宝で彩られた色とりどりの鳥たちが現れると、天女たちは皆、その珍しさに驚きの心を抱いた。その美しい音色は虚空に満ち渡り、彼らは皆、この蓮の葉の中にある天の遊び場へと向かい、虚空一面を覆い尽くした。 その時、天の民たちと天女たちはその鳥たちを一目見て、心から喜びを増した。その喜びによって、彼らは天女たちと共に虚空に昇ろうとした。すると鳥たちは天の民たちの思いを知って、彼らのもとに近づいた。そこで天の王子たちは天女たちと共に鳥の背に乗り、鳥たちはすぐに虚空を飛び回った。彼らは手に箜篌（くご）を持ち、様々な美しい音を歌い、笙（しょう）や笛（てき）や太鼓（たいこ）を奏で、それは非常に愛らしく心地よい響きで、聞く者の心を楽しませた。彼らはまた、自分の住む天の地において、天の民たちが天の欲楽を受けている様子を見下ろし、愛着に心を奪われて、退転（たいてん）することを忘れ、善業の力によって、ただ天の楽しみを味わうのであった。

「爾時，有鳥名曰實語，為調放逸諸天眾故，以偈頌曰：

> その時、実語という名の鳥がいて、放逸な天人たちを調伏するために、次の詩句を唱えました。

「『暴風鳥集飛，其行甚速疾，一切眾生命，速疾過於此。風行或迴旋，鳥去時有返，命根既壞已，則無有還期。以業速盡故，速到於死時，必定離天處，愚者不覺知。大力不可遮，極惡憎眾生，死王甚勇健，必定須臾至。天多行放逸，為樂之所誑，不覺必當得，無量大苦惱。一切法無常，畢定當破壞，諸有法如是，是最可怖畏。老能壞壯色，死能喪身命，敗壞破資具，相對法如是。於如是大惡，衰惱大怖畏，如猶行放逸，是名無心人。若畏未來世，則名有智眼，若與此相違，是為大愚癡。一切心所誑，令意皆迷亂，業盡則失壞，如油盡燈滅。無量境界樂，此樂皆無常，本作業盡故，必當歸磨滅。』

> 「嵐のように鳥の群れが飛び、その進む速さは非常に速い。 しかし、あらゆる生き物の命の流れは、それよりもなお速い。 風は吹いても、また巡ってくることがあり、鳥は去っても、いつか戻ってくることがある。 しかし、いったん命の根が断ち切られてしまえば、戻ってくる時期はない。 業が尽きるのが速いがゆえに、死の時はすぐに訪れる。 天の世界から必ず離れなければならないのに、愚か者はそれに気づかない。 死の王は、その力が大きく、防ぐことはできない。 極めて残忍で、生き物を憎み、非常に勇猛でたくましく、必ず瞬時に訪れる。 天の者は放逸な行いを多く続け、快楽に惑わされている。 そのため、必ず得ることになる、はかり知れない大いなる苦しみに気づかない。 すべての現象は無常であり、必ず壊れ去る定めにある。 存在するものはすべてこのようであること、これこそが最も恐ろしいことである。 老いは若さを壊し、死はからだと命を奪う。 衰えは財産を壊す。すべては相互に対となる働きである。 このような大きな災い、衰えと苦しみと大きな恐怖の中にあっても、 なお放逸に過ごし続ける者は、心のない人間と言うべきである。 もし未来の世を畏れるなら、その者は智慧の眼を持つ者と言える。 もしこれに反するなら、その者は大いなる愚か者である。 あらゆる心のまやかしが、人の心を惑わせ、混乱させる。 業が尽きれば、すべては失われ壊れる。それは、油が尽きれば灯が消えるのと同じである。 限りない境地の楽があるが、この楽はすべて無常である。 本来行った業が尽きるがゆえに、必ず滅び去らねばならないのだ。」

「是實語鳥以善業力，為令諸天心調伏故，說如是偈。時諸天眾以放逸故，愚癡不覺，心不信解亦不攝受。復觀如是常樂地處可愛山谷、河泉流水、花池園林。一一花林、山峯嵠谷，天眾充滿，遊戲空中，聞諸歌音，遍滿虛空。時，諸天眾復見異處眾多天子及天女眾，在花池岸飲天上味，於如意樹，五樂音聲而受快樂。復行異處，見有宮殿在於虛空，天子天女天鬘莊嚴，天之五欲皆悉具足，遊戲受樂。見二天眾合為一會，在虛空中遊戲受樂。乘於七寶莊嚴之鳥，那羅林天住於宮殿，此二天眾一切和合，在虛空中共相娛樂。於虛空中久遊戲已，復昇山峯，久於山峯遊戲受樂，復向廣池念花而去。或有乘鳥，滿虛空中，騰躍而行，歌天妙音，是諸天眾念勝樂故，復向廣池。既到池已，從鳥而下，入於廣池蓮花葉中，如前所說，種種遊戲而受快樂。

> 相手の鳥はこれを相手の天女たちに語り、「皆、この實語鳥の言葉を聞きなさい」と言った。實語鳥は善業の力によって、天人の心を調伏させるために、この偈を説いた。しかし天女たちは放逸のゆえに愚かで気づかず、心から信解せず、受け入れもしなかった。 彼らは再び、常に楽しい地である愛らしい山谷や、川や泉の流れる水、花の池、林園を観察した。一つ一つの花の林、山の峰々や谷は天女たちで満ち、虚空の中で遊戯し、様々な歌声が虚空に満ち渡った。 その時、天女たちはまた別の場所で、多くの天子や天女たちの群れが、花の池の岸辺で天の味を飲み、如意樹のもとで五つの楽器の音声を楽しみながら、快楽を受けているのを見た。 さらに別の場所へ進むと、虚空の中に宮殿があるのを発見した。天子や天女たちは天の花鬘で荘厳され、天的な五欲をすべて具えて、遊戯し楽しんでいた。 彼らは二つの天の群れが一つに集まり、虚空の中で遊戯し楽しんでいるのを見た。七宝で荘厳された鳥に乗り、那羅林天は宮殿に留まりながら、これらの二つの天の群れはすべて和合し、虚空の中で共に楽しみ合っていた。 虚空の中で長く遊戯した後、彼らはさらに山の峰へと昇り、しばらく山の頂上で遊戯し楽しんだ。そして再び、広い池へ向かい、花を思いながら進んだ。 ある者は鳥に乗り、虚空は彼らで満ち、飛び跳ねながら進み、天の美しい声を歌った。これらの天の群れは勝れた楽しみを思い焦がれて、再び広い池へと向かった。 池に着くと、彼らは鳥から降り、広い池の中の蓮の葉の間に入り、先に述べたように様々な遊戯をしながら快楽を受けた。

「爾時，天眾在於廣池大蓮花中久受樂已，復作是念：『今我此處應生枝葉蔭覆宮室，俱翅羅聲、種種妙寶、花林莊嚴。種種寶色枝葉蔭覆，以為宮室，我當於中遊戲受樂。』以善業故，即於念時，種種妙寶光明莊嚴，第一妙花色香具足，以覆其上。所謂白銀、毘琉璃寶、大青寶王、赤蓮華寶、頗梨色寶，如是乃至金色寶等，微妙第一，見之悅樂。如是種種眾寶枝葉蔭覆宮室，善業力故，隨念而生。爾時天眾見此枝葉蔭覆宮室，心生歡喜入此宮室，歡娛受樂。一切天女而為圍遶，天衣天鬘莊嚴其身，一切天欲皆悉具足，其心和順不相妨礙，離於妬嫉鬪諍瞋恚而受樂行。以善業故，受此天樂。五樂音聲一切齊等，於枝葉蔭覆宮室之中，共諸天女而受欲樂，心無厭足，愛毒所燒，受五欲樂不知厭足，不可譬喻。枝葉蔭覆宮室之中受天勝樂，深樂成就。如是枝葉蔭覆宮室，眾寶所成，毘琉璃樹，真金為葉，赤蓮花寶以為其果。青因陀寶以為其枝。或白銀葉，頗梨為果；或青寶葉，赤蓮花果；或雜寶葉，雜寶為果；或真金葉，白銀為果；金葉、金果，亦復如是。種種枝葉蔭覆宮室，以善業故，隨天所念皆悉具足。

> その時、天々は広い池の中の大蓮華の中で長い間楽しんだ後、こう考えました。「今、ここに枝葉を生やして宮殿を覆い隠し、俱翅羅の声や、種々の妙なる宝、花林で飾り立てよう。様々な宝の色をした枝葉で覆われた宮殿の中で、遊び楽しもう。」善業の力により、その思念と同時に、様々な妙なる宝の光が輝き、第一級の妙なる花の色香が満ちて、その上を覆いました。すなわち、銀、琉璃宝、大青宝王、赤蓮華宝、頗梨色宝、さらには金色の宝など、微妙でこの上なく、見る者を悦ばせるものでした。このように様々な衆宝の枝葉が宮殿を覆い、善業の力によって、思念と共に現れたのです。 その時、天々はこの枝葉に覆われた宮殿を見て、心に喜びを生じ、この宮殿に入って楽しみ戯れました。多くの天女たちが彼らを囲み、天の衣や天の鬘で身を飾り、あらゆる天の欲が全て満たされていました。互いの心は穏やかで妨げ合うことなく、嫉妬や争い、怒りから離れて楽しみの行を享受しました。善業の力によって、この天の楽しみを受けていたのです。 五種の楽器の音声は全て等しく、枝葉に覆われた宮殿の中で、天女たちと共に欲の楽しみを受けましたが、心に満足することはなく、愛の毒に焼かれ、五欲の楽しみを受けても飽き足りることを知りません。たとえようもないことでした。枝葉に覆われた宮殿の中で、天の最上の楽しみを受け、深い楽しみが成就しました。 このように枝葉に覆われた宮殿は、衆宝で作られていました。琉璃の木には真金の葉がつき、赤蓮華宝がその果実でした。青因陀宝がその枝でした。あるいは銀の葉に頗梨の果実、あるいは青宝の葉に赤蓮華の果実、あるいは雑宝の葉に雑宝の果実、あるいは真金の葉に銀の果実、また金の葉に金の果実も同様でした。様々な枝葉が宮殿を覆い、善業の力によって、天の思念のままに全てが具わっていました。

「爾時，天子共諸天女心生歡喜，入於枝葉蔭覆宮室，閴然而住。共眾天女遊戲受於種種之樂，如魚處水不知厭足。於此枝葉蔭覆宮室生希有心，在宮室中嬉戲歌詠，娛樂受樂。既受樂已，復作是念：『我今此處枝葉蔭覆宮室之內，應生第一色香味觸。天之上味從葉流出，共天女眾飲之快樂。』以善業故，即於念時，天上味飲，色香味觸最為第一，從葉流出，共諸天女飲之受樂。心不知足，以愛欲心，久時歌舞遊戲受樂。以放逸地，不知厭足——先所作業，臨欲退時——遊戲受樂，渴愛境界，不知厭足。復作是念：『今我此處花葉之中，應生第一須陀之味，具香味觸。』以善業故，即心念時，第一須陀具香味觸從葉中出，出已食之。時諸天眾久受樂已，復作是念：『今我此處寶樹枝中，應生寶珠瓔珞莊嚴、勝妙天冠、光明具足臂莊嚴等，諸天種種嚴飾之具，光明莊嚴，從樹枝出。』作是念時，善業力故，出生種種天莊嚴具光明嚴飾。

> その時、天子は天女たちと共に心から喜び、木の枝葉が覆い陰を作る宮殿の中に入り、静かにとどまった。そして天女たちと共に様々な楽しみを享受して遊んだ。まるで魚が水にいるように、飽きることを知らなかった。この枝葉の陰に覆われた宮殿に、まれに見る心を起こし、その宮殿の中で戯れ、歌い踊り、楽しみ、喜びを味わった。楽しみ終えると、こう思った。「今、私がいるこの枝葉の陰に覆われた宮殿には、この上ない色・香り・味・触り心地が生じるはずだ。天界の最上の飲み物が葉から流れ出て、天女たちと共にそれを飲んで楽しもう。」善行の力により、その思いと同時に、天界の飲み物が、色・香り・味・触り心地において最も優れたものとして、葉から流れ出た。天子は天女たちと共にそれを飲んで楽しんだ。心は満足せず、愛欲の心から、長い間、歌い踊り楽しんだ。放逸な境地にあり、飽きることを知らず、かつて積んだ業が衰えようとする時まで、遊び楽しみ、境界に渇愛し、満足を知らなかった。さらにこう思った。「今、私のいるこの場所の花や葉の中に、この上ない須陀味（天界の味）が、香りと味を備えて生じるはずだ。」善行の力により、その思いと同時に、最上の須陀味が香りと味を備えて葉の中から現れ、それを食べた。天の衆は長く楽しんだ後、さらにこう思った。「今、私のいるこの宝樹の枝の中に、宝珠や瓔珞で飾られ、勝れた天冠や、光明を備えた腕飾りなど、天界の様々な荘厳具が、光明に輝きながら、木の枝から生じるはずだ。」そう思うと、善行の力により、様々な天界の荘厳具が、光明を放ち輝きながら現れた。

「爾時，天眾著莊嚴具，久受天樂，不知厭足，共諸天女受五欲樂，不知厭足。雖久受樂，於境界中轉增渴愛，以心不定，復生異念：『今於此處應有香風來吹樹葉，互相𢴤觸出妙音聲，勝於歌音。』作是念時，以善業故，種種香風吹動樹葉，互相𢴤觸出妙音聲，天女歌音，十六分中不及其一。時，彼天眾共諸天女歌舞遊戲，久時受樂，猶不知足。爾時，天眾復作是念：『我今於此所住之處，應生種種七寶雜色莊嚴宮殿，一切天欲皆悉具足隨念出生。如是生已，於此廣池周匝普遍。在虛空中，共諸天女歌舞遊戲喜笑受樂。』作是念時，即有種種七寶宮殿雜色莊嚴，真珠瓔珞以為莊嚴。其殿四面，種種眾寶勝妙欄楯，觀之可愛。其欄楯上或有鵝鳥、或有孔雀、或命命鳥，種種眾鳥住在其上。處處皆有眾鳥止住，如心所愛種種眾鳥而現其前。天眾見已，共諸天女昇此宮殿遊戲歌舞，一切皆往向廣大池。在宮殿中，下觀大池，見諸蓮花，生希有心。此大蓮花，種種寶葉、種種光明、種種妙色以為莊嚴，所謂金剛、青因陀寶、赤蓮花寶、毘琉璃寶、大青寶王、金光明葉，見之受樂。時，諸天眾在於虛空宮殿之中，復有餘天住於廣大蓮花葉中，共諸天女歌舞遊戲，互相娛樂。或有在於虛空宮殿，或有在於大蓮花葉，是諸天眾作無量種不可譬喻遊戲受樂。如是種種遊戲歌音，其聲遍滿五百由旬，五欲功德皆悉具足，五樂音聲，受無量樂。

> その時、天の者たちは飾り身をまとっており、長く天の楽しみを受けていたが、満足することを知らず、天女たちと共に五つの欲望の楽しみを受けても、やはり飽き足りることを知らなかった。長く楽しみを受けているにもかかわらず、欲望の対象に対してはさらに渇きと愛着が増し、心が定まらず、また新たな思いが生じた。「今、この場所には、香りの風が吹いて木の葉を互いに触れ合わせ、歌声よりも優れた妙音を響かせるべきだ。」そう思った時、善業の力によって、さまざまな香りの風が木の葉をそよがせ、互いに触れ合って妙音を響かせた。その音は、天女たちの歌声の十六分の一にも及ばなかった。 その時、天の者たちは天女たちと共に舞い、歌い、遊び戯れて、長い間楽しみを受けても、なお満足しなかった。 さらに彼らは思った。「今ここに、さまざまな七宝で彩られた荘厳な宮殿が生じ、一切の天の欲望が思いのままに叶い、その中で満たされるように。そうして、この広大な池の周囲いたるところに現れ、虚空の中、天女たちと共に舞い、歌い、遊び、笑い楽しもう。」 そう思うと、すぐにさまざまな七宝の宮殿が荘厳に現れ、真珠の瓔珞が飾りとなった。宮殿の四方には、さまざまな宝で作られた優れた欄干があり、見る者を惹きつける美しさだった。その欄干の上には、鵝鳥や孔雀、命命鳥など、さまざまな鳥がとまっていた。心に愛されるような様々な鳥が、思いのままに現れたのだ。 天の者たちはそれを見て、天女たちと共にこの宮殿に昇り、遊び歌いながら、皆で広大な池へと向かった。宮殿の中から下方の大池を眺めると、蓮の花を見て、珍しい心を起こした。この大蓮華は、様々な宝石の葉、様々な光明、様々な妙色で飾られていた。すなわち、金剛、青因陀宝、赤蓮華宝、毘瑠璃宝、大青宝王、金光明の葉などであり、それを見ることで楽しみを得た。 その時、天の者たちの中には虚空の宮殿にいる者もいれば、広大な蓮華の葉の中に留まり、天女たちと共に舞い歌い遊び戯れて、互いに楽しみ合う者もいた。虚空の宮殿にいる者もいれば、大蓮華の葉の中にいる者もいて、これらの天の者たちは、たとえようもない様々な遊びと楽しみを繰り広げた。こうした様々な遊びや歌声は、その響きが五百由旬に満ちわたり、五欲の功徳をすべて備え、五種の楽の音声をもって、限りない楽しみを受けた。

「自作勝業，所集業盡，猶不覺知，善業將盡，退時欲至，行於異處，當生何道？受何等苦？受何等樂？善不善業，今當將我至何等處？示我何道？為在地獄？為在餓鬼？為在畜生？為在人中？為生畏處？為不畏處？以沒放逸黑闇中故，於如是等，不覺不知。若至覺時，善業已盡，無常大風吹令墜墮。如是天眾，多行放逸，如怨詐親，非實利益，詐為利益。善業既盡，將受異果，爾時乃覺，作如是念：『我作不善，多行放逸，如是終時爾乃覺知。』以多習行此放逸怨，不生畏難，復於花池遊戲歌舞。善業力故，極生愛樂而復樂觀。蓮花葉中遊戲諸天，及住虛空宮殿天眾，彼此和合而共受樂。

> 自ら善業を作り、積み上げた善業が尽きようとしても、まだそれに気づかない者がいる。善業が尽き、衰退の時が迫り、異なる境遇へと移ろうとしているのに、彼らは「私はどの道に生まれるのか？ どのような苦しみを受けるのか？ どのような楽しみを受けるのか？ 善悪の業は、今、私をどこへ導くのか？ どのような道を示すのか？ 地獄なのか？ 餓鬼なのか？ 畜生なのか？ 人間なのか？ 恐れのある場所なのか？ 恐れのない場所なのか？」と問うこともなく、ただ放逸という暗黒に沈んでいるために、これらのことを察することも知ることもない。 ようやく目覚めた時には、すでに善業は尽きてしまい、無常という大風が吹き荒れ、彼らを墜落させる。このように天の衆生は、多くが放逸にふける。まるで偽りの親切を装う怨敵のように、真実の利益ではなく、偽りを利益として振る舞う。善業が尽き、異なる果報を受ける時が来て、初めて彼らは気づき、こう思う：「私は不善をなし、多く放逸にふけっていた。この終わりの時になって、ようやくそれを知る」と。 しかし、放逸という怨敵に長く親しみ慣れてしまった彼らは、その恐ろしさを感じることもなく、再び花の池で遊び、歌い舞う。善業の力によって、彼らは限りない愛着と喜びを感じ、楽しげに見つめる。蓮の葉の間で遊ぶ天の者たち、そして虚空の宮殿に住む天の者たちは、互いに心を合わせ、共に楽しみを味わうのである。

「爾時，有鳥名水波輪，以善業力，為於放逸諸天眾故，以偈頌曰：

> その時、水波輪という名の鳥がいて、善い行いの力によって、怠け心にふける天の者たちに向けて、次の詩を唱えた。

「『眾生命不住，猶如水濤波，無堅如水沫，而天不覺知。若無風吹鼓，水沫或久住，無常天福盡，速滅不久停。譬如燈油盡，光明亦皆無，業盡亦如是，天樂則隨滅。無有所作業，而不失壞者，如是諸眾生，愚癡不覺知。凡諸有生類，有生必歸滅，一切有為法，皆亦復如是。眾生自業故，流轉於生死，云何此世間，放逸所破壞？放逸失善法，放逸為堅縛，以其放逸故，退墮於地獄。若有一因緣，謂從放逸生，是故求樂者，應離放逸行。若離放逸者，則得不死處，以不放逸行，則近於涅槃。以不放逸故，得至涅槃處，是故智者說，放逸為苦因。一切放逸者，猶如狂病人，現為他所輕，死則入惡道。一切放逸者，於業果報中，及以生死處，無不顛倒行。放逸火熾然，燒地獄眾生，若欲脫地獄，當離放逸行。若欲離放逸，當樂修智慧，則脫煩惱縛，常得安樂處。五根生三垢，心流轉三界，已離放逸者，說放逸如是。放逸藏甚苦，不放逸藏樂，是故求樂者，應離放逸行。』

> 「生きとし生けるものの命はとどまらず、 水面にたつ波のように儚い。 水の泡のように堅くないのに、天人はそれに気づかない。 風が吹かなければ、水の泡はしばらく留まるかもしれないが、 無常なる天人の福徳も尽きれば、速やかに消え去り、長くは留まらない。 例えば、灯明の油が尽きれば、その光もすべて消えるように、 業（行い）が尽きれば、天人の楽しみもまたそれに従い消え去る。 一切の為した行いは、壊れずに残るものはない。 このように、諸々の生きとし生けるものは、愚かさゆえにそれを知らない。 およそ生あるものは、生まれたからには必ず滅びに帰する。 一切の因縁によって作り出されたもの（有為法）も、またすべて同じである。 生きとし生けるものは、自らの業によって生死を流転する。 それなのに、どうしてこの世の者は、放逸によって壊されてしまうのか。 放逸は善い法（善きこと）を失わせ、放逸は固い束縛となる。 その放逸によって、地獄へと堕ちていくのだ。 もし一つの因縁があるとすれば、それは放逸から生じる。 それゆえ、楽しみを求める者は、放逸の行いを離れるべきである。 もし放逸を離れるならば、不死の境地（涅槃）を得ることができる。 不放逸の行いによって、涅槃に近づくのである。 不放逸によって、涅槃の境地に至ることができる。 それゆえ、智者は『放逸は苦しみの因である』と説く。 一切の放逸の者は、あたかも狂った病人のようであり、 現世では他人に軽んじられ、死後は悪道へと赴く。 一切の放逸の者は、業の果報や生死の在り方において、 倒錯した行いをしないものはいない。 放逸という火は燃え盛り、地獄の衆生を焼き尽くす。 もし地獄から逃れたいなら、放逸の行いを離れるべきである。 もし放逸を離れたいなら、智慧を修めることを楽しむべきである。 そうすれば煩悩の束縛から脱して、常に安楽の境地に留まることができる。 五つの感官（五根）から三つの煩悩（三垢）が生じ、心は三界を流転する。 すでに放逸を離れた者は、放逸とはこのようなものだと説く。 放逸という宝庫は大いなる苦しみであり、不放逸という宝庫は楽しみである。 それゆえ、楽しみを求める者は、放逸の行いを離れるべきである。」

「如是水波輪鳥為彼天眾捨離放逸，善調伏故，說如是偈。時諸天眾以放逸故，於如是等真語實語，雖聞此法，不能聽受。復於虛空廣池之內蓮花葉中共相娛樂，遊戲受樂，作天伎樂天妙音聲及餘境界，堅著色聲香味觸等，不知足厭。如飲醎水，雖復數飲，不能斷渴。此諸天眾亦復如是，雖受無量種種天樂，而不知足。

> 「このように、水の波や輪、鳥たちは、あの天人の衆生が放逸を捨てて、よく自らを調伏させるために、このような偈を説いたのである。しかし、その時の天人の衆生たちは、放逸のゆえに、このような真実の言葉、真実の教えを聞いても、その教えを受け取ることができなかった。そして再び、虚空にある広い池の蓮の葉の間で、互いに楽しみ合い、遊戯して楽しみを受け、天人の伎楽や天の妙なる音声、その他の境界に執着し、堅く色・声・香・味・触などに執着して、満足することを知らず、嫌うことを知らなかった。まるで塩水を飲むようなもので、何度飲んでも、渇きを断つことができない。この天人の衆生もまた、同じように、無量の様々な天の楽しみを受けながらも、満足することを知らないのである。」

「爾時，天眾於虛空中久受樂已，復於廣池與彼天子及諸天女，於大蓮花葉中遊戲受樂，五樂音聲，彼此和合一處，同心同欲共相娛樂。其心堅著六欲境界，久於此處歌舞喜笑，以無量種無量差別而受天樂。如是等樂，隨心所念，具足成就。以善業故，隨其所念，一切諸樂，隨念差別，皆得成就。是諸天眾為無量念覺觀波淪大河所漂，生歡喜心。一切天眾久在大池大蓮花中成就天樂，受天無量放逸之樂。

> 【日本語訳】 その時、天の衆生たちは、虚空の中で長い間楽しみを享受した後、再び大きな池のところへ来て、その天子や天女たちと共に、大きな蓮の葉の中で遊び戯れて楽しみました。五つの種類の音楽の音が互いに調和し、心も欲も同じくして共に楽しみ合いました。彼らの心は六つの欲望の対象に深く執着し、長い間そこで歌い、踊り、笑い、数えきれないほどの様々な方法で天の楽しみを受けました。 このような楽しみは、心に思うままに、完全に成就されました。善い行いの結果によって、思い描くままに、すべての楽しみが思いの違いに応じて、みな成就されたのです。これらの天の衆生は、無数の思いや分別という大きな川の流れに漂われて、歓喜の心を生じました。すべての天の衆生は、長い間、この大きな池の大きな蓮の中で、天の楽しみを成就し、天の限りない放逸の楽しみを受けていたのです。

「時，夜摩天王牟修樓陀知諸天眾著放逸樂，生憐愍心，欲除諸天放逸行故，為之現化，斷除色慢。去廣池不遠化作大山，名曰清淨，猶如善淨。真毘琉璃無量金銀種種雜寶而為莊嚴，遍於彼山。有遊戲林周匝圍遶，多有無量百千流泉，水皆清涼。其山寶峯光明普照，一切林樹以為莊嚴。多有花池，無量種花以為嚴飾。無量千數枝葉蔭覆，猶如天宮。如是勝山周遍莊嚴，夜摩天中常樂地處所住天眾皆悉見之。

> 時、夜摩天王の牟修樓陀は、天の衆たちが放逸な楽しみに耽っているのを見て、憐れみの心を生じました。天子たちの放逸な行いを除こうとして、姿を現し変じて、色への執着（色慢）を断たせることにしました。広い池から遠くない場所に、『清浄』と名付けた大山を化現させました。それは見事なほど清らかで、真の毘琉璃、無数の金銀、さまざまな雑宝で荘厳され、山の全体に広がっていました。その山には遊戯林が幾重にも巡り囲み、数えきれないほどの百千の流れや泉があり、水はみな清涼でした。その山の宝の峰々の光はあまねく照らし、すべての林や樹木が荘厳となっていました。多くの花の池があり、無量の種類の花々が飾り、無数の千もの枝や葉が陰を作って覆い、あたかも天の宮殿のようでした。このように素晴らしい山が周囲を荘厳し、夜摩天の常楽の地に住む天の衆たちは皆、それを見ました。

「夜摩天王牟修樓陀復更思惟，化作天眾，如天怨家。顏色端正，其行速疾，歌舞戲笑，勝常樂地過踰十倍。或復化作勝妙天女，勝常樂地一切天女，亦過十倍。此地天女一切不如。何等一切？所謂相貌端正、顏色殊妙、嬉笑歌舞、種種遊戲皆悉殊勝。其清涼山，一切皆是毘琉璃山，如前所說。

> 夜摩天王のムシューローダは、さらにこう考えました。「天の衆生たちを、まるで彼らの怨敵のように変化させよう。姿かたちは端正で、動きは素早く、歌舞や笑いなどの遊戯は、常楽地の十倍以上も勝れている。」あるいはまた、勝れた天女たちを変化させました。常楽地のあらゆる天女たちよりも、十倍以上も勝れています。この地の天女たちは、到底及びません。どの点において勝れているのでしょうか？それは、颜かたちの端正さ、色つやの殊妙さ、微笑みや歌舞、さまざまな遊戯のすべてにおいて、優れているのです。その清涼山は、すべてが瑠璃の山であり、先に述べた通りです。

「爾時，勝天在於化山，住於第一最高山峯。於此峯中化作天子及化天女，歌詠伎樂，音聲美妙，聞者愛著。彼化天眾及化天女，從化山峯次第而下，遊戲歌舞來向實天。爾時，實天聞諸化天歌詠之音，如前所說，十倍殊勝，美妙音聲，共天女眾歌詠遊戲。時諸化天亦復同作一類歌詠，漸漸來下，近實天眾。爾時，二種天眾既相見已，化天歌詠漸增轉勝。時實天眾見勝色故，即離色慢。既破實天形服色慢，爾時化天即出音聲而詠歌頌。時，諸實天為於化天歌詠所覆，化天香氣色量形貌及化天女量色形貌，一切皆勝。時諸實天五欲境界一切欲樂，為彼化天五欲境界欲樂所覆。以夜摩天王方便力故，令諸實天諸慢漸薄。爾時，化天與實天眾共集一處，令實天眾威德光明皆悉隱蔽。如閻浮提日光既現，星宿月光一切皆滅；化天威德，令實天眾光明悉滅，亦復如是。時化天眾出勝歌音，令實天音隱蔽不現。於化天音，如閻浮提人中歌音，比於天聲量；色形貌所有勝相亦復如是，如夜摩天勝人色相。時，實天眾羞覆心故，向廣池岸。時化天眾在彼池中大蓮花上歌舞嬉笑，天中所有五欲功德皆悉具足，樂事成就。於廣池上大蓮花中歌舞戲笑，共相娛樂。

> その時、勝天は化山にあり、最も高き第一の山頂に住していた。この山頂において、天子や天女を変化させ、歌や音楽を奏でさせた。その音声は見事に美しく、聞く者は皆、心を惹かれて執着した。彼ら化天の衆と化天女たちは、化山の頂から順に降り、遊戯し歌舞しながら実天の方へと向かった。 その時、実天は化天たちの歌う声を聞いた。それは先に述べたよりも十倍も勝れており、美しい音声であった。実天は天女の衆と共に歌い遊戯していたが、そこへ化天たちもまた同じ種類の歌を一斉に歌いながら、徐々に近づいてきた。やがて二種の天衆が出会うと、化天の歌声はますます増して勝れたものとなった。 その時、実天の衆は勝れた姿を見て、自らの姿に対する慢心を離れた。実天の姿や衣服への慢心が破られた時、化天たちは声を発して歌を詠った。実天の衆は化天の歌声に覆われ、化天の香り、色、量、形貌、そして化天女たちの量・色・形貌のすべてが勝れていた。実天の五欲の境涯における一切の欲楽もまた、化天の五欲の境涯の欲楽に覆われてしまった。 夜摩天の王の方便の力により、実天たちの諸々の慢心は次第に薄らいでいった。その時、化天の衆は実天の衆と共に一つの場所に集まり、実天の衆の威徳と光明をすべて隠してしまった。ちょうど閻浮提に日光が現れると、星々や月の光がすべて消え去るように、化天の威徳によって実天の衆の光明もすべて消え去ったのである。 さらに化天の衆は勝れた歌声を発し、実天の音を隠して響かせなかった。化天の音と実天の音との差は、閻浮提の人間の歌声を天の音声と比べるようなものであった。その色・形・貌の勝れた相もまた同様であり、夜摩天の姿が人間の姿に勝るのと同じであった。 その時、実天の衆は恥ずかしさに覆われた心のまま、広い池の岸辺へと向かった。一方、化天の衆はその池の中の大蓮華の上で歌舞し、笑い戯れた。天にある五欲の功徳をすべて具え、楽しみの事柄を成就していた。広い池の上の大蓮華の中で、歌舞し笑い戯れ、互いに楽しみ合ったのである。

「時化天眾一切樂具，皆勝實天，以雜歌頌，為實天眾而說偈言：

> 「そのとき、天の衆生たちは、あらゆる楽しみの具が実天より勝れていることから、様々な歌と頌をもって、実天の衆生たちに次の偈を説いた——

「『一切業相似，得天中樂報，天命及樂受，業盡則失壞。是故諸未失，天中種種樂，皆由福德因，無福則大苦。命速不暫停，上色亦如是，死來甚迅速，勿行於放逸。放逸能破壞，眾生一切樂，命為死所滅，勿得行放逸。諸根不可制，境界不可遮，智者於境界，則能得自在。故應捨愚癡，常修行智慧，常遠離諸過，無利之根本。放逸生諸欲，由欲造苦因，生死皆是苦，生滅法如是。若捨離放逸，則不樂境界，能離於諸過，則得解脫樂。放逸是苦樹，是大苦之根，放逸能破壞，一切諸眾生。是色等無常，非樂非和合，得已而復失，諸有皆如是。隨有樂境界，皆是繫縛因，隨得轉增長，如火得乾薪。如是無厭足，則不名為樂，若得離愛樂，乃可名為樂。若離生死樂，爾乃得常樂；若為欲所使，則不名常樂。』

> 「すべての行為は似たようなもので、天界での楽しみや報いを得る。 天の寿命と楽しみは、業が尽きれば失われてしまう。 だからこそ、まだ失われていない天界のさまざまな楽しみも、 すべては福徳という原因によるものであり、福徳がなければ大きな苦しみとなる。 命は速やかに過ぎ去り、一瞬も止まらない。すぐれた容姿も同じである。 死は非常に速やかに訪れる。だから放縦にふけるな。 放縦は、すべての生きとし生けるものの楽しみを壊してしまう。 命は死に滅ぼされるのだ。放縦にふけるな。 感覚器官は制御できず、対象は遮ることができない。 しかし賢者は、対象に対して自在を得ることができる。 だから愚かさを捨てて、常に智慧を修行せよ。 常に、利益をもたらさないもととなる、あらゆる過ちから遠ざかれ。 放縦から様々な欲望が生まれ、欲望によって苦しみの原因が作られる。 生と死はすべて苦しみであり、生まれ消える法はそのようなものである。 もし放縦を捨て離れるなら、対象を楽しむことはなく、 過ちを離れることができ、それによって解脱の楽しみを得る。 放縦は苦しみの木であり、大きな苦しみの根である。 放縦は、すべての生きとし生けるものを壊してしまうのである。 この色などは無常であり、楽でもなく、和合するものでもない。 得てもまた失う。あらゆる存在はこのようなものである。 楽しい対象がある限り、それはすべて束縛の原因である。 得るたびにさらに増大する、まるで火が乾いた薪を得るように。 このように満足することがなければ、それは楽とは呼べない。 もし愛着の楽しみから離れるならば、それをこそ楽と名づけることができる。 もし生と死の楽しみを離れるなら、そのときに常なる楽しみを得る。 もし欲望に使われるなら、それは常なる楽とは呼べない。」

「如是夜摩天王牟修樓陀以方便力，壞彼天慢，如是歌詠第一妙聲，昔所未聞，誘諸天眾，欲令實天聞其歌聲，因得聞法。時諸天眾既得聞已，本修心力之所熏故，即便覺知如斯歌義。既覺知已，心生厭離作如是言：『彼天於我一切皆勝，自離放逸而說偈頌，況我卑劣而行放逸。』時，夜摩天王牟修樓陀以方便力，令諸天眾生厭離心，斷除放逸第一方便，為作利益。以此天眾色樂憍慢，是故不知天當退沒，至後退時，悔火自燒，後為地獄大火所燒。夜摩天王以是方便，令實天眾心生厭離而得利益。

> このように、夜摩天の王・牟修樓陀は、巧みな力をもって、天人の慢心を打ち砕いた。彼が歌う最も優れた美声は、かつて聞いたことのないものであった。天の衆生たちを導き、真実の天人がその歌声を聞き、その結果として説法を聞くように仕向けたのである。 その時、天の衆生たちはその歌声を聞き、もとより修行の心が熏習された力によって、その歌の意味を悟った。悟った後、心に厭離を生じて、こう言った。「あの天人は、すべての点で我々より優れている。自ら放逸を離れて偈を説いている。ましてや、卑劣な我々が放逸に振る舞うなど、あってはならない。」と。 その時、夜摩天の王・牟修樓陀は、巧みな力によって、天の衆生たちに厭離の心を起こさせ、放逸を断ち切る第一の方便として、彼らに利益をもたらした。 これらの天の衆生たちは、色や楽しみに驕り高ぶっていたため、自分たちがいずれ天界から退没することを知らなかった。退没の時が来れば、後悔の火に自ら焼かれ、さらにその後には地獄の大火に焼かれるのである。夜摩天の王は、このような方便によって、真実の天の衆生たちに厭離の心を生じさせ、利益をもたらしたのである。

## 正法念處經卷第五十六

> 正法念処経 第五十六巻