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title: "正法念處經 · 23"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
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## 正法念處經卷第五十八

> 正法念処経 巻第五十八

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品之三十七夜摩天之二十三

> 觀天品 第三十七<note>夜摩天 第二十三</note>

「爾時，夜摩天王告天眾曰：『汝今何故不於園林華池、無量眾寶莊嚴山峯歌舞戲笑？』天王如是觀諸天眾，為生厭離不厭離耶？時諸天眾聞夜摩天王說此語已，白天王言：『當於何處園林七寶山峯之中而有樂處？我見無量生死衰惱，無量差別，不可堪忍。我自目見一切諸欲皆悉無常，後皆致苦。此欲無常不住，不久敗壞無堅無樂。』

> その時、夜摩天王は天の人々に告げて言った。「あなたがたは、どうして今、園林や華やかな池、無数の宝で飾られた山々の峰々で、歌い舞い戯れ楽しもうとしないのか。」と。 天王はこのように天の人々を観察して、「彼らは生まれ変わる世界に対して厭う心を起こしたのだろうか、それともまだ厭う心を起こしていないのだろうか」と御覧になった。 その時、天の人々は夜摩天王のこの言葉を聞いて、天王に申し上げた。「いったい、どの園林や七宝の山々の峰の中に、真の楽しみがあるというのでしょうか。私たちは、限りない生まれ変わりと老いと悩みの苦しみを見ました。その様子は限りなく異なり、耐え難いものです。私たちは自分の目で、あらゆる欲望がすべて無常であり、その後に必ず苦しみをもたらすのを見ました。この欲望は無常であり、永遠に留まらず、まもなく壊れ滅び、堅固でもなく、真の楽しみもありません。」

「爾時，夜摩天王聞天眾說，而告之曰：『汝今當知！一切欲樂後皆致苦。』時諸天眾白天王言：『我今已解，欲為大苦。』

> その時、夜摩天王は天の人々の言葉を聞いて、こう告げた。「あなたたちは知るべきだ。すべての欲望の快楽は、結局は苦しみをもたらすものだと。」 すると、天の人々は夜摩天王に申し上げた。「私たちは今、悟りました。欲望こそが大きな苦しみであることを。」

「時，夜摩天王告諸天眾：『我能宣說一切生死無量諸苦，今當為汝略說少分，令億千劫不復放逸，常行人天二種善道。若斷放逸，是為智慧。若放逸緣來，即應遠離。若不為放逸之所使役，則不墮地獄、餓鬼、畜生。』

> 時、夜摩天王は天の衆生たちに告げました。 「私は、すべての生死に無量の苦しみがあることを説くことができます。今、その一部を皆さんのために簡潔に説きましょう。これを聞けば、億千劫もの間、再び放逸におちることなく、常に人天という二つの善道を行じるでしょう。もし放逸を断ち切るならば、それが智慧です。もし放逸を引き起こす縁が訪れたならば、すぐに遠ざかりなさい。放逸に支配されることなく、その道具にされなければ、地獄や餓鬼、畜生に堕ちることはありません。」

「復告天眾：『今當為汝說三惡道、二種善道。二善道者，天之與人。三惡道者，所謂地獄、餓鬼、畜生。如是五道大勢力苦，我能宣說，不可廣說，今當略說。以要言之，於天、人中有十六苦。何等十六？天、人之中，善道所攝。一者中陰苦；二者住胎苦；三者出胎苦；四者希求食苦；五者怨憎會苦；六者愛別離苦；七者寒熱等苦；八者病苦；九者他給使苦；十者追求營作苦；十一者近惡知識苦；十二者妻子親里衰惱苦；十三者飢渴苦；十四者為他輕毀苦；十五者老苦；十六者死苦。如是十六，人中大苦，於人世間乃至命終，及餘眾苦，於生死中不可堪忍。於有為中，無有少樂，一切無常、一切皆盡、一切敗壞。

> さらに天の衆に告げられた。「今、汝らのために三悪道と二つの善道について説こう。二つの善道とは、天と人である。三つの悪道とは、地獄・餓鬼・畜生のことである。この五つの道には大きな苦しみの力がある。私はそれを説くことができるが、詳しく説くことはできない。今は簡略に説こう。要約して言えば、天と人の中には十六の苦しみがある。どのような十六か。天と人の中は善道に含まれる。一つ目は中陰の苦しみ。二つ目は胎内にいる苦しみ。三つ目は胎内から出る苦しみ。四つ目は食べ物を求める苦しみ。五つ目は怨み憎む者と会う苦しみ。六つ目は愛する者と別れる苦しみ。七つ目は寒さ暑さなどの苦しみ。八つ目は病の苦しみ。九つ目は他人に使い走りされる苦しみ。十つ目は追い求め作り行う苦しみ。十一つ目は悪い知識に近づく苦しみ。十二つ目は妻子や親族の衰え悩みの苦しみ。十三つ目は飢えと渇きの苦しみ。十四つ目は他人に軽んじられ毀られる苦しみ。十五つ目は老いの苦しみ。十六つ目は死の苦しみ。この十六の、人の中での大きな苦しみは、人の世において命終わるに至るまで、その他の様々な苦しみと共に、生死の中にあって耐え忍ぶことができない。形成されたものの中には、少しの楽しみもなく、一切は無常であり、一切は尽き、一切は壊れ去るのである。

「『初生中陰，識如香氣，有何等苦？業風所吹，非肉眼見，天眼所見而無所礙。若生人中，生種姓家有下中上。以布施、持戒、智慧果報而欲生者，此識香氣中陰亦得如是之食。若欲生於貧窮種姓，所食麁澁，色香味觸皆悉麁惡，身量減劣。少布施故，不得勝報。是名人中生，初中陰苦。

> 「まず第一の『中有』（ちゅうう）において、意識は香りのようなものです。そこにどんな苦しみがあるのでしょうか。業の風に吹き飛ばされても、肉眼では見えず、天眼には見通せて妨げられることはありません。もし人間に生まれようとするなら、その人の家柄には下・中・上の区別があります。布施や戒律の堅持、智慧の果報によって生まれようとする人の場合、この意識という香りのような『中有』もまた、それ相応の栄養を得ることができます。一方、貧しい家系に生まれようとするならば、食べ物は粗末で、色・香り・味・触感すべてが劣り、体も小さくやせ細ります。布施の功徳が少ないため、優れた果報を得られないのです。これが人間に生まれる場合の、最初の『中有』における苦しみなのです。」

「『復次，第二苦：若生胎中，以業煩惱因緣故住，生貧窮家，母食麁澁苦酢之食，膜衣筒中薄少食味入其臍中，令胎中子身羸惡色，氣力劣弱。母疲極故，子於胎中則受大苦，轉向兩脇，走避苦惱。母食冷熱則受痛苦，無力無救，不能叫喚。沒屎尿中，受無量苦。是為善道人中第二大苦，何況地獄、餓鬼、畜生。

> 「次に第二の苦しみについてお話しします。胎内に宿るとき、前世の行いや煩悩の因縁によって、貧しい家に生まれます。母親が粗末な食べ物や苦いもの、酸っぱいものを口にすると、薄い膜や衣の中を通して、わずかな栄養分がへその緒から入ってきます。そのため、胎内の子どもの体はやせ細り、色つやが悪く、力も弱くなります。母親が疲れ果てているため、子どもは胎内で大きな苦しみを受け、わき腹のほうへ向きを変えて、苦しみから逃れようとします。母親が冷たいものや熱いものを食べると、子どももその苦痛を受けますが、力もなく助けもなく、叫ぶことすらできません。そして、尿や便の中に浸かり、計り知れない苦しみを味わいます。 これが善き道（人間界）における二番目の大きな苦しみです。ましてや地獄・餓鬼・畜生の世界では、さらに厳しい苦しみがあることでしょう。」

「『復次，第三苦：從胎出生，胎藏逼迫猶如壓油，嬰兒出胎，欲墮逼迫亦復如是，是為大苦。復次以初生時，其身柔軟如生酥摶，亦如芭蕉，又如熟果。母人瞻產，以手捉之。其手堅澁，皴裂劈坼，厭惡蹙面，指甲長利，面目醜惡。以手捉之，猶如火燒，亦如刀割。如是嬰兒身體細軟，母人觸之，得大苦惱。若得新衣，麁澁厚重。或得故衣，補納破裂，孔穴穿露，狹小單薄，止於草蓐。寒時大冷，受大寒苦；熱則大熱，猶如火燒。以本布施不清淨故，受斯苦惱。從胎而出，受大苦惱。復以不淨布施因緣，令母少乳，所食苦澁。母食劣故，其乳則少，或母食麁惡，故令乳少。羸瘦惡色，唯筋皮骨以為其身。飢渴病故，身體無力，若無所食噉，從他乞求，人所輕賤，少得飲食，色香味薄。依他而食，辛苦繼命，如是乏食，令身苦惱。以本所行不善施故，乃至命盡，常不充足。以乏食故，常受苦惱。

> 「また、第三の苦しみについてお話しします。胎内から生まれる時、母胎はあたかも油を搾るように苦しく、嬰児が産道を通る時も同様に押し出される苦しみがあり、これは大きな苦しみです。さらに、生まれたばかりの時、その体は生の餅のように柔らかく、また芭蕉の葉や熟した果実のようでもあります。助産の女性が手で嬰児を抱き取るとき、その手は荒れてひび割れ、皺だらけで不気味な顔をしており、爪は長く尖り、見た目も醜いものです。そのような手で抱かれることは、火に焼かれるようであり、刃物で切られるようなものです。こうして嬰児の体は繊細で柔らかいため、女性が触れるだけで大きな苦しみを味わいます。また、新しい衣を得ても、それは粗くて厚く重いものです。あるいは古い衣を得ても、それは継ぎはぎだらけで破れて穴が開き、狭くて薄っぺらく、ただ藁の上に敷くだけのものです。寒い時は極寒で大きな寒さの苦しみを受け、暑い時は火に焼かれるような暑さに晒されます。これは、かつて布施を清らかに行わなかったために、このような苦しみを受けるのです。胎内から出た後も、大きな苦しみを受けます。さらに、不浄な布施の因縁によって、母親の母乳が少なくなり、食べ物も苦く渋いものとなります。母親の食べ物が粗末なため、乳が少なくなるか、あるいは母親の食べ物が粗悪なために乳が減るのです。母親は痩せ衰え、見る影もなく、ただ皮と骨だけの体となります。飢えと渇きの病によって、体に力がなく、もし食べるものがなければ他人に乞い求め、人々に軽んじられます。得られる食べ物はわずかで、色も香りも味も乏しいものです。他人に頼って食べ、辛うじて命をつなぎます。このように食が不足して、身は苦しみに悩まされます。これは、かつて行った施しが善くなかったためで、命が尽きるまで常に満たされることがありません。食が欠けることで、常に苦しみを受けるのです。」

「『復次，第四苦惱：以悕望食而得苦惱，飢餓所惱，或作盜賊，作諸惡業、作無利益或作勇健，因致失命或次死苦。諸苦之重，所謂飢渴。』

> 「次に、第四の苦しみについてお話しします。 それは「望みの食べ物」を得られないことで生じる苦しみです。 飢えや渇きに苦しみ、そのために泥棒になったり、様々な悪い行いをしたり、無駄な行いをしたりします。また、無理に体を酷使して、そのために命を落としたり、死に瀕する苦しみを味わうこともあります。 あらゆる苦しみの中でも、飢えと渇きは特に重い苦しみなのです。」

「爾時，夜摩天王牟修樓陀為諸天眾，以偈頌曰：

> その時、夜摩天の王である牟修樓陀は、天々の集まりに向けて、次のような詩をもって語りかけました。

「『生死大苦惱，無與飢渴等，眾生以飢苦，作諸不善業。從自身起火，故名飢渴苦，飢渴燒三處，如劫火燒林。世間大焰火，不能至後世，飢渴火難斷，至於百千劫。愚人造不善，行於嶮惡道，皆為飲食故，智者如是說。飢渴有大力，過於大猛火，一切三界中，以食因緣轉。若於人世間，有種種財物，一切以食故，成就三有海。』

> 生と死の大きな苦しみの中で、飢えと渇きに勝るものはない。 生きとし生けるものは飢えの苦しみによって、様々な不善の業をなす。 自らの身から火が起こるがゆえに、飢えと渇きの苦しみという。 飢えと渇きは三つの場所を焼き、劫の火が林を焼くかのようだ。 世の中の大きな炎の火は、後世にまで至ることはないが、 飢えと渇きの火は断ち難く、百千劫にまで及ぶ。 愚かな人は不善をつくり、険しい悪道を歩む。 それらはすべて飲み食いのためである、と智者はこのように説く。 飢えと渇きには大きな力があり、激しい猛火よりも勝っている。 あらゆる三界は、食べ物を因として巡りゆく。 もし人の世の中に、様々な財物があるとしても、 すべては食べ物のゆえに、三有の海を成り立たせている。

「如是夜摩天王牟修樓陀為諸天說：『復次天眾於人世間有第五苦，謂怨憎會有六種苦。何等為六？謂眼見怨等，心不愛樂、心不憐愍。見其身色，心意惱亂，於心心數而起怖畏，生不利益。心心數中而生苦惱。一切惡中，初第一惡，所謂見怨家色及惡知識。

> また、夜摩天の王である牟修樓陀は、天々たちにこう説いた。「さらに天々たちよ、人間の世には第五の苦しみがある。それを『怨み憎む者との出会い』といい、六種の苦しみがある。その六種とは何か。すなわち、怨みを持つ相手を目にした時、心に喜びがなく、憐れみの心も湧かないこと。その人の姿かたちを見れば、心は乱れ、心や心の働きに恐れを抱き、不利益を生じさせる。心や心の働きの中から苦しみが生まれる。あらゆる悪の中で、第一の悪とは、怨みを持つ人の姿や、悪い知り合いを見ることである。」

「『復次，第二怨憎會苦：若聞其聲，不得利益，不愛不順，心生惱亂，是為怨憎會苦。第一惡聲，謂所聞攝不正法聲。憎惡聲故，身壞命終墮於地獄、餓鬼、畜生。若聞不愛不利益聲，聞已生於惡心惱亂，不愛不樂，心不憐愍，是為人中怨憎不愛合會之苦。

> 「次に、第二の『怨憎会苦』（おんぞうえく）について説明します。もし嫌な人の声を聞くと、何の利益もなく、好きにもならず、心が乱れて悩みます。これが怨憎会苦です。最も悪い声とは、正しくない教えを聞くことです。その嫌な声を憎むことで、命終わった後には地獄・餓鬼・畜生の世界に落ちてしまいます。また、好ましくなく利益のない声を聞いた時、聞いた後に嫌な心が生じて心が乱れ、好まず喜ばず、思いやりの心もありません。これが人間の世界における、嫌な人と出会い離れられない苦しみなのです。」

「『復次，第三怨憎不愛會苦，謂鼻聞香不愛不樂，心不隨順，聞之心惱或生深苦。是為大惡不愛合會。諸天子等，是名人中不愛合會。若人愚癡無有智慧，或行或住，心生貪著，輕慢不敬，若人以香供養法僧，其人便以欲心嗅之，身壞命終墮於地獄、餓鬼、畜生。如是惡人以身因緣，以貪身故，身心不淨，身壞命終墮於地獄。諸天子！是為人中不愛怨憎合會之苦。

> 「また、第三に、怨み憎む者との望まぬ出会いの苦しみがあります。鼻で好ましくない香りを嗅ぎ、心が喜ばず、それに従わず、心に悩み、あるいは深い苦しみを生じることです。これは大きな悪であり、望まぬ出会いです。天子たちよ、これを人の世における望まぬ出会いと言います。もし人が愚かで智慧がなく、歩くときも止まるときも、心に執着と慢心を起こし、軽んじて敬わないなら、人が香りを法や僧に供養するとき、その人は欲心でそれを嗅ぎます。命終わってのち、地獄・餓鬼・畜生に落ちます。このような悪人は、身体を因とし、身体に貪るがゆえに、身心が清らかでなく、命終わってのち地獄に落ちます。天子たちよ、これが人の世における怨み憎む者との望まぬ出会いの苦しみです。」

「『復次，第四不愛會苦，所謂世間愚癡惡人因於味故而作惡業。以惡業故，身壞命終墮於地獄。若非沙門現沙門像，內懷腐爛猶如䗍聲。或在僧寺或白衣舍，實非沙門著沙門服，常貪美食，為味所縛。以是因緣，身壞命終墮於地獄。復有懈怠比丘，捨離禪味，為美食故處處遊行，心常樂食。以懈怠故，身壞命終墮於地獄。諸天子！是為人中以著味故，不愛合會而生苦惱。

> 「さらに、第四に、愛しからざる者との出会いによる苦しみについて説きましょう。世の中の愚かな悪人は、味に執着して悪業を積みます。その悪業のゆえに、命終えて地獄に堕ちます。また修行者でもないのに修行者のふりをし、内心は腐り果て、法螺貝のような虚ろな声をあげる者がいます。僧院にいようが在家の家にいようが、実は修行者でないのに修行者の衣をまとい、常に美食を貪り、味に縛られています。その因縁によって、命終えて地獄に堕ちます。また、怠惰な比丘たちは、禅定の味わいを捨て去り、美食を求めてあちこちを渡り歩き、心は常に食べることに耽っています。その怠惰ゆえに、命終えて地獄に堕ちます。天子たちよ、これがまさに人間界において味への執着のために、愛しからざる者との出会いによって苦しみが生じるということなのです。」

「『復次，諸天子！人中第五不愛會苦，所謂身觸以此縛心，不善思惟，不順法行，意不正念。如是惡人，惡境所縛，身壞命終墮於地獄。諸天子！是為人中不愛合會而生苦惱。

> 「さらに、諸天の皆さまよ。人の世における第五の避けたい苦しみとは、身体の触れ合いによって心が縛られ、善くない考え方や、法に従わない行い、正しくない意識を持つことです。このような悪しき人は、悪い環境に縛られたまま、身体が壊れ命が終わると地獄に落ちます。諸天の皆さまよ、これが人の世で避けたい出会いによって生じる苦しみなのです。

「『復次，天眾！人中第六不愛合會而生苦惱。所謂有人心意躁動不能止住，心意不正，多有散亂，常思惡業，不樂善法，樂不善法、無利益事。以是因緣，身壞命終墮於惡道，生地獄中。諸天子！是為人中不愛合會而生苦惱，及餘種種無量諸苦，人中具受。

> 「また、天の皆さん。人々の間には第六の苦しみとして、愛さない者との出会いによって苦悩が生じることがあります。それは、ある人が心が落ち着かず、止まることができず、心が正しくなく、常に散乱し、悪い行いを思い、善い法を楽しまず、善くない法や無益なことを喜ぶからです。この因縁により、身体が壊れ命が終わった後、悪道に落ち、地獄に生まれます。天子たちよ、これが人の間での愛さない者との出会いによる苦悩であり、その他にも様々な無量の苦しみが、人の世界には満ちているのです。」

「『復有三種怨憎會苦，謂近怨家，恐害其命，如眼中刺，常不隨順。是為第一怨憎會苦。復次，第二怨憎會苦：與惡知識共同事業，是名第二怨憎會苦。復次第三怨憎會苦：內懷瞋恚，得便傷害，是名第三不愛怨憎會苦。諸天子！是為人中無量種苦。』

> 「また、三種類の『怨憎会苦』（憎しみ合う者と出会う苦しみ）があります。第一に、恨む相手のそばに近づくと、命を奪われるのを恐れ、あたかも目の中の棘のように、常に心が安らぎません。これが第一の怨憎会苦です。 第二に、悪い仲間と共に仕事をすること。これが第二の怨憎会苦です。 第三に、心の内に怒りを抱え、機会があれば相手を傷つけようとすること。これが第三の、愛さない者と出会う怨憎会苦です。 諸天の子らよ、これらが人における無量の苦しみの一部なのです。」

「時，夜摩天王牟修樓陀復為天眾得厭離故，說：『於第六人中大苦，所謂愛別離苦。二世利益是名為愛，善友別離是為大苦，若離父母兄弟、姊妹妻子親里及餘所愛有恩之人。別離大苦如墮刀火，燒其身心受大苦惱，是為愛別離苦。』夜摩天王為利天眾演說此法。

> 時に、夜摩天王の牟修樓陀は天衆を厭離（現世への執着から離れること）へと導くため、説いた。 「六道における人の大きな苦しみの一つに、『愛別離苦』というものがある。来世と現世の両方に利益をもたらす絆を『愛』と呼ぶ。その愛する善き友との別れは、大きな苦しみである。父母、兄弟、姉妹、妻、子、親族、そしてその他敬愛する恩人たちと離れること。この別れの大いなる苦しみは、あたかも刃物や火に身を投じるかのようであり、心身を焼き尽くし、激しい苦悩をもたらす。これを愛別離苦という。」 夜摩天王は天衆の利益のため、この教えを説き示したのである。

「時，夜摩天王復為天眾說：『於第七人中大苦，所謂寒熱二苦。諸天子！云何人中寒熱二苦？以於人中飲食不調，應冷而熱，應熱而冷。久坐則苦，久立亦苦，多飲亦苦，不睡亦苦。若於昏夜右脇而臥，久眠亦苦，左脇亦爾，初樂後苦。於人世間以貪樂故，為樂所誑而修善業。以樂誑故，入於地獄。諸天子！人中之樂如苦無異。』

> そこで、夜摩天王は天の衆生たちにこう説きました。 「第七の人間界における大きな苦しみ、それは寒さと暑さの二つの苦しみです。天子たちよ、なぜ人間界に寒さと暑さの苦しみがあるのか。 人間界では、飲食の調子が整わず、冷やすべき時に熱く、温めるべき時に冷たくなります。 長く座っているのも苦しみ、長く立っているのも苦しみ、多く飲むのも苦しみ、眠らないのも苦しみです。 もし夕闇の中で右脇を下にして横になれば、長く眠るのも苦しみ、左脇を下にするのも同様で、初めは楽しさがあるが後には苦しみとなります。 この人間世界では、楽しみに執着するゆえに、楽しみに惑わされて善い行いを積むのです。 楽しみに欺かれた結果、地獄に堕ちてしまうのです。 天子たちよ、人間界の楽しみは、苦しみと異なることがないのです。」

「如是夜摩天王牟修樓陀為利益諸天眾，說如是法：『汝等天眾勿生此意，謂人中樂應生厭離。為離生死、說法利益，除天放逸故。』

> このように、夜摩天の王である牟修楼陀は、天の衆生たちを利益するために、次のような法を説きました。 「あなたがた天の衆生よ、このように思ってはなりません。『人間界の楽しみに対しても、厭い離れる心を起こすべきだ』と。 生死の輪廻から離れるために、また天の放逸を取り除くために、法を説いて利益しているのです。」

「復次，夜摩天王為夜摩天眾復說：『第八人中大苦，所謂病苦。無量差別無量病起，所謂熱病、下痢上氣欬逆、四百四病害諸眾生。復有病苦害諸眾生，憂悲愁惱等病，人中大苦。』「時，夜摩天王牟修樓陀為利益天眾，復說第九大苦，令離生死，示於人中生死大苦。『所謂人中為他所使，是為大苦。同道同生，同根同歲同力，以業劣故為他所使，若晝若夜不得自在，常受大苦。是名人中使役之苦。復次，為他使苦。若人第一種姓，精勤色力，讀誦智慧具足無乏，以貧窮故，為下賤人之所使役。』

> 「さらに、夜摩天王は夜摩の天衆に向かって説いた。『第八の人間の大いなる苦しみ、それは病の苦しみである。無数の種類があり、無数の病が起こる。例えば、熱病、下痢、せき、喘息、四百四の病が眾生を苦しめる。さらに、病の苦しみは眾生を悩ませ、憂い、悲しみ、愁い、悩みといった病もあり、これらは人間における大きな苦しみである。』」 「その時、夜摩天王の牟修楼陀は、天衆の利益のため、さらに第九の大いなる苦しみを説き、生死を離れさせ、人間における生死の大きな苦しみを示した。『すなわち、人間において他人に使われることは、大きな苦しみである。同じ道を歩み、同じ時に生まれ、同じ家系に属し、同じ年頃で、同じ力を持ちながら、業が劣っているために他人に使われ、昼夜を問わず自由が利かず、常に大きな苦しみを受ける。これを人間における使役の苦しみという。さらに、他人に使われる苦しみとは、たとえ人が第一の家柄に生まれ、勤勉で、容姿に優れ、読誦や智慧を完全に備えていても、貧しいがゆえに、身分の低い者に使役されることである。』」

「時，夜摩天王牟修樓陀為夜摩天眾得利益故，復為說法：『以業下劣，無布施業，人所輕毀，晝夜辛苦為人所使。無施因緣，常受苦惱，手足破裂，貧窮無食，衣服垢壞，飢渴所惱，寒熱辛苦。如是無量苦惱不可堪忍，晝夜使役，不斷不絕。人中復有種姓、色貌、勢力下劣而多財富。復有種姓、色力、智慧一切皆勝而常貧窮，以貧窮故，親近賤人，為業所誑、為心誑故，受大劇苦。諸天子！是為人中使役之苦。復次，為他使苦。若貧窮人順法而行，以貧窮故，親近惡行不善之人，近不善故，同其惡業，雖不喜樂，為他所使而造惡業，身壞命終墮於惡道，生地獄中。為他使故，二世受苦。

> 「時に、夜摩天王・牟修楼陀は、夜摩天の衆生たちの利益のために、再び法を説いた。 『行いが劣り、布施の行いがなければ、人は軽んじられ、日夜苦しんでこき使われます。布施の善因がないため、常に苦しみ、手足は荒れ、貧しくて食べ物もなく、衣服は汚れて破れ、飢えと渇きに悩み、寒さと暑さに苦しみます。このような数え切れない苦しみは耐え難く、昼も夜も絶え間なくこき使われるのです。 また人間界には、家柄や容姿や勢力は劣っているのに、多くの富を持つ者がいます。反対に、家柄も容姿も知恵もすべて優れているのに、常に貧しい者もいます。貧しさゆえに賤しい者に近づき、自らの行いに惑わされ、心に欺かれて、はなはだしい苦しみを受けます。 天子たちよ、これが人間界における使役の苦しみです。 さらに、他者に使われる苦しみがあります。貧しい人が正しい道に従おうとしても、貧しさゆえに悪行を好む不善の人に近づいてしまいます。不善の人に近づけば、その悪い業を共にするようになり、心から望まなくとも、他者に使われて悪業を積みます。やがて命を終えれば、悪道に堕ち、地獄に生まれます。他者のために使われたことで、現世と来世の二つの世で苦しむのです。』」

「『復次，天眾！人世界中受大苦惱，所謂第十追求大苦。無量苦惱，為求財故，入於大海、入敵鬪戰、經營造作、言辭辯說、親近下賤、耕田種殖、商賈販賣、畜養畜生、遊方行使。為貨所使，昇大山巖，處處遊行，依附他人。如此所作，一切追求皆為財物、嚴飾衣服。或貧窮人或愛著人如是追求，愛網所縛，乃至命盡。或作惡業或作妄語誑惑他人，輕稱小斗欺誑於人；沽酒販賣、糶賣胡麻及以賣毒；作如是等惡律儀行，治生販賣。或破國土、城邑聚落、軍營人眾及餘種種眾惡之業。以妻子、飲食、敷具、財物故，追求之苦無量百千，乃至千歲說不可盡。諸天子！是名人中追求之苦。』

> 「また、天の皆さん、人の世界には大きな苦しみがあります。その第十の苦しみは、『追い求める苦しみ』と呼ばれるものです。実に無量の苦しみがあります。財産を得ようとして、海に入り、敵と戦い、商売を営み、言葉巧みに話し、身分の低い者に近づき、田んぼを耕し種をまき、売り買いし、家畜を飼い、旅に出て行商します。金銭のために、高い山の岩場に登り、あちこちを巡り、他人に頼って生きるのです。 このようにして行うことはすべて、財産や飾り立てた衣服のためです。貧しい人も、執着する人も、このように追い求め、愛の網に絡め取られ、ついには命が尽きるまで続けます。ある者は悪行を働き、ある者は偽りの言葉で人を欺き、秤をごまかして人をだまします。酒を売り、胡麻を売り、毒を売り、このような悪しき行いで生計を立て、商いを行います。あるいは国や町や村、軍営や人々を破壊し、その他にも様々な悪業を積みます。 妻や子、食べ物や寝具、財物のために、追い求める苦しみは限りなく、千年語っても尽きることはありません。天子たちよ、これが人の世における追い求める苦しみと呼ばれるものです。」

「如是夜摩天王為利益天眾厭離有故，說究竟法。『諸天子！勿於人中起悕望心，當生厭離，若貪諸有，不得利益。以是因緣，說於人中一切衰惱。若生人中，以追求故，作不善業，以是因緣，或墮地獄或墮畜生或墮餓鬼。既生惡道，受種種苦。』

> このように、夜摩天の王は天の衆生たちが迷いの世界（有）から離れることを望むよう、究極の教えを説きました。 「天の皆さんよ。人の世界に執着する心を起こしてはいけません。むしろ、そこから離れようと願いなさい。もし様々な生存の姿に執着すれば、真の利益を得ることはできません。このような理由から、人の世界におけるすべての衰えや苦しみについて説きました。もし人の世界に生まれれば、追い求める心によって不善の業を積み、その結果、地獄に落ちたり、畜生に生まれたり、餓鬼に堕ちたりします。このように悪道に生まれて、様々な苦しみを受けることになるのです。」

「如是夜摩天王復說十一人中大苦，告諸天眾：『人中大苦，所謂近惡知識皆無利益，一切苦因。近惡知識，無惡不得，造身口意一切惡業。以是因緣，身壞命終墮於惡道，生地獄中，受無量苦。於未來世，或墮餓鬼、畜生之中，受無量苦。觀於人中地獄、餓鬼、畜生過已，遮於天眾悕望人有，說一涅槃寂滅之處。』

> このように夜摩天王は、人々が経験する11の大きな苦しみのうち、一つを再び説いて、天の衆生に告げた。 「人における大きな苦しみとは、悪知識に親しむことである。それは全く利益がなく、すべての苦しみの原因となる。悪知識に親しめば、悪い行いをしないことはない。身体・言葉・心のすべての悪業を起こす。この因縁によって、命終わって身が壊れる時、悪道に堕ち、地獄に生まれて無量の苦しみを受ける。未来の世には、餓鬼や畜生の世界に堕ちて、また無量の苦しみを受けるであろう。」 そして、人の世界における地獄・餓鬼・畜生などの過ちを観察した後に、天の衆生が人の世界に生まれることを望む心を遮り、涅槃という寂滅の境地を一つ説き示したのである。

「復次，夜摩天王為欲利益夜摩天眾，說人中苦：『所謂人中第十二妻子親里衰惱大苦，所謂妻子親里殺縛鞭打、飢渴貧窮種種苦惱，所愛之人受苦惱故，亦得苦惱，是名衰惱。於人道中以妻子親里眷屬因緣而得苦惱，以是勿樂生於人中。一切有生，必歸於死，隨有死處，皆是苦惱。於生死中最大苦者，謂生、老、死，人中具有。諸天子！既知人中如是大苦不可堪忍，勿生欣樂。』

> また、夜摩天王は夜摩天の衆生たちを利益しようとして、人間界の苦しみについて説いた。 「いわゆる人間界における第十二の苦しみとは、妻や子、親族や縁者による衰え悩む大いなる苦しみである。すなわち、妻や子、親族が殺されたり、縛られて打たれたり、飢えや渇きに苦しみ、貧窮するなど、様々な苦しみがある。愛する者が苦しみを受けるゆえに、自らもまた苦しみを受ける。これを衰え悩む苦しみという。人間の世界では、妻や子、親族や縁者といった繋がりによって苦しみを得る。それゆえに、人間の世界に生まれることを喜んではならない。すべて生まれるものは、必ず死に至る。死のあるところは、すべて苦しみである。生と死の中で最も大きな苦しみとは、生・老・死であり、人間界にはこれらがすべてそろっている。天子たちよ、人間界のこのような大いなる苦しみが、耐え難いものであることを知ったならば、そこに生まれることを欣んではならない。」

「以如是等無量善寂滅、無上道義，示諸天眾於人道中無利益事，種種有網不可譬喻，況三惡道無量百千億不可譬喻大苦充滿，不比人中。若天退時，少放逸天為之說言：『汝當生於人善道中。』若人臨終，親里知識願其生天善道之中。二種善道猶尚如是，況三惡道受大苦惱。如是利益攝他，常不放逸，夜摩天王說無量種無量差別無量方便無量種法、涅槃勝法。

> このように、無量の善き寂静と無上の道の真理をもって、天の衆生に示す。「人道には利益のないことがあり、様々な執着の網は譬えようもない。ましてや三悪道の、数限りなく譬えようもない大いなる苦しみに満ちた世界は、人の世に比べるべくもない。天人が退転する時、少しでも放逸であった天人が彼にこう言う。『あなたは人の善き道に生まれるべきである』と。人が臨終の際には、親族や知人はその人が天の善き道に生まれることを願う。この二つの善き道でさえもこのようであるのに、ましてや三悪道で受ける大きな苦しみはなおさらである。このように、利益をもって他者を導き、常に放逸であってはならない。」夜摩天王は、無量の種類、無量の違い、無量の方便、無量の法、そして涅槃という最上の法を説いたのである。

「說妻子苦已，復為夜摩天眾說：『第十三人中大苦，所謂飢渴苦。由飢渴故，作無量惡。其餘眾苦，無如飢渴，以飢渴故，入眾惡處。大種姓人為飲食故，合掌垂淚哀聲親近下賤小人，說慈愛語，如是一切皆由飢渴。畏飢渴故，不顧其命，入危嶮處刀刃之間及惡象敵，一切皆由飢渴苦故。或入大海，經於無量百千由旬，無量惡魚、鯷彌鯢魚、洪波惡處，自捨身命，乘於𦪩舟，而沈大海。如是一切皆由畏於飢渴之苦。復有無量種種差別，不可具說。如是諸苦，為口腹故。若人執縛，從右門出，打惡聲鼓，嚴以死鬘，災標在前，怖畏愁惱，將詣殺處，命在須臾，雖復大苦，未過飢渴。是故應當以淨善心，於福田中以好財物而行布施，時處具足。於生死畏中勤修精進，善心布施。天中少飢，一切生死皆依飲食以除飢渴，是故一切應行布施。諸天眾！是名人中飢渴苦惱無量差別。於天道中苦微而軟，天樂覆之，福德多故，飲食易得。而天不覺，遍於欲界飢渴焰火之所覆蔽，畏於苦火。諸天子！如是觀於人中種種生老病死之苦，勿生欣樂。』如是夜摩天王牟修樓陀見夜摩天眾其心調伏，多調柔軟。既觀察已，復為天眾說人中苦，勤修利他，自利則易。

> 妻の苦しみを説き終えて、さらに夜摩天の衆に告げた。 「第十三人のうちにおける大いなる苦しみ、それは飢えと渇きの苦しみである。飢え渇きによって、無量の悪業を起こす。他の苦しみは、飢え渇きに及ばない。飢え渇きのゆえに、人々は多くの悪い場所に入り込む。高貴な家柄の人であっても、飲食のために、手を合わせ、涙を流し、哀れな声で、身分の低い者に近づき、慈愛の言葉を語る。このようなことはすべて、飢え渇きによる。飢え渇きを恐れるために、自らの命を顧みず、危険な場所や刃の間、凶暴な象や敵のもとへと向かう。これらはすべて、飢え渇きの苦しみによる。あるいは大海に入り、無量の百千由旬を渡り、無量の悪魚、鯷彌鯢魚、大波の恐ろしい場所で、自らの命を捨てて船に乗り、大海に沈む。これもすべて、飢え渇きの苦しみを恐れるがゆえである。さらに無量のさまざまな苦しみがあるが、詳しく説くことはできない。これらの苦しみは、すべて口と腹のためである。もし人が捕らえられ、右の門から引き出され、悪しき太鼓が打ち鳴らされ、死の花輪を厳かに飾られ、災いの標識が目の前にあり、恐怖と愁いと悩みに満たされ、処刑場に引き立てられ、命が風前の灯であるとき、その大いなる苦しみも、飢え渇きには及ばない。それゆえ、清らかな善心をもって、福田の中に、善き財物を用いて布施を行うべきである。時と場所を整えて。生死の恐怖の中にあって、努め精進し、善心をもって布施せよ。天においては飢えは少ない。すべての生死は飲食に依存して飢え渇きを除く。それゆえ、すべての者は布施を行うべきである。諸天の衆よ、これが人間における飢え渇きの苦悩の、無量の違いである。天道においては苦しみは微かで柔らかく、天の楽がそれを覆い、福徳が多いゆえに飲食は容易に得られる。しかし天人はそれに気づかず、欲界全体を飢え渇きの炎が覆い隠し、苦しみの火を恐れている。諸天子よ、このようにして人間におけるさまざまな生・老・病・死の苦しみを観察し、そこに対して喜びの心を起こしてはならない。」 このように夜摩天の王、牟修樓陀は、夜摩天の衆が心を調え、多くが柔らかく和らいでいるのを見た。これを観察した後、さらに天の衆に人間の苦しみを説き、精進して他者を利することができれば、自らを利することは容易であると示した。

「牟修樓陀以不斷力，為利他故，為夜摩天眾數數宣說無量種法，說：『第十四人中大苦，所謂他輕賤苦，不可堪忍，種種差別。於貧窮人輕毀偏多，有十種苦，種姓、親族、兄弟、富人之所輕賤。以貧窮苦，依他而食。綺語不實，親族空語、無義之語。依他住食，衣服塵垢，他人輕毀。若入城邑，若節會日，人見輕毀。人道之中有如是等無量輕毀大苦。世間之人，無薪之火住在心中，謂輕毀火，親里知識、兄弟火燒最為尤甚。無福德故，得此十苦遍燒其身。大惡怖畏以燒乾身，氣如烟起。諸天子！應生知足，勿於人中而生欣樂，人中少樂，甚大苦惱，衰惱短壽，輕毀垢污。唯於人中多有輕毀，非四道中。於人道中，輕毀最重。得他輕毀，一切身分猶如中毒。隨本所得供養之處，後更輕毀。若人先常得好供養，後得少利，得少時供，若善男子如是輕毀，過於死苦。諸天子！是為人中難忍大苦。「『復次，第十五人中大苦，所謂老苦，當為汝說人中老苦。老者能令一切身分羸瘦減劣，諸根皆熟，破壞少壯，拄杖而行，無有氣力，輕毀住處，背傴鼻戾，髮白死使，身意減劣。雖未命終，猶如畜生。諸天子！是則名為人中老苦，名色戲弄，不久必死。若見老苦而不怖畏，當知是人名為無心，猶如木石。以無心故，雖復人身猶如畜生。諸天子！於人道中生為大苦，以有生故，是故老苦。既知老苦，勿於人中起欣樂心。

> 牟修樓陀は、絶えることのない力をもって、他の者を利益するために、夜摩天の衆に何度も何度も様々な教えを説いた。彼は言った。 「第十四に、人の中での大きな苦しみがあります。それは、他者から軽んじられ、見下される苦しみです。耐え難く、様々な形があります。貧しい人は、特にこの軽蔑を多く受けます。十の苦しみがあります。すなわち、家柄や親族、兄弟、富裕層から軽んじられることです。貧しさゆえに、他人に食べ物を頼って生きます。口先だけの嘘の言葉、親族からの空虚な言葉、無意味な言葉を聞かされます。他人の施しに頼って食べ、衣服は埃まみれで、他者から軽んじられます。町に入れば、また祝祭の日には、人々に見下されます。人の世には、このような計り知れない軽蔑の大きな苦しみがあるのです。世の人々は、薪のない火を心の中に宿しています。それは軽蔑の火と呼ばれ、親類や知人、兄弟の火によって焼かれるのが、最も甚だしいのです。福徳が無いがゆえに、この十の苦しみがその身を余すことなく焼きます。大きな恐ろしさに、焼かれた体は乾き、煙のような息が立ち上ります。 天子たちよ、皆さんは足ることを知るべきであり、人の世に欣楽を抱いてはなりません。人の世には僅かな楽しみがありながら、非常に大きな苦しみ、衰え、短命、軽蔑という汚れがあります。ただ人の世にのみ、多くの軽蔑があるのであり、他の四つの道にはありません。人道において、軽蔑は最も重いのです。他者から軽蔑を受けると、全身が毒に侵されたかのようになります。かつて供養を得ていた場所でも、後には軽蔑されるようになります。もし人が以前は常に良い供養を受けていたのに、後には僅かな利益しか得られず、僅かな期間しか供養されなくなったならば、そのような善き男性が受ける軽蔑は、死の苦しみよりも過酷なものです。天子たちよ、これこそが人の世における耐え難き大苦なのです。 さらに、第十五の人の世における大苦とは、いわゆる老いの苦しみです。今、あなた方に人の世の老いの苦しみを説きましょう。老いは、身体の全ての部分を痩せ細らせ、衰えさせ、諸々の感覚器官を衰えさせ、若さを破壊し、杖をついて歩かせ、気力無くさせ、住む場所を軽んじさせ、背中を曲げ、鼻を曲げ、白髪は死の使いとなり、心身は衰え劣ります。まだ命終わらぬうちから、まるで畜生のようです。天子たちよ、これを人の世における老いの苦しみといいます。名と色に弄ばれ、やがて必ず死にます。もし老いの苦しみを見て恐れなければ、その人は心無き者であり、木石のようだというべきです。心無きがゆえに、たとえ人の形をしていても畜生のごときものなのです。天子たちよ、人道に生まれること自体が大苦なのです。生があるがゆえに、老いの苦しみがあるのです。老いの苦しみを知ったならば、人の世に欣楽の心を起こしてはなりません。」

「『復次，第十六人中無量種受生，生則有苦，何等苦也？所謂死苦。死已復生，身根入壞，命根斷滅，不復見於兄弟知識。色身滅已，復行異處，以自業果而為資糧。一切眾生必歸終盡，命盡棄身，受中陰有，是名為死。一切有生皆歸於死，若死而不生，生而不死，無有是處！諸天子！勿於人中而生樂心。』

> 「また、第十六の人の中には、無数の種類の生まれ変わりがある。生まれるということは苦しみである。どんな苦しみがあるのか。それはすなわち『死の苦しみ』である。死ねば、また新たに生まれる。身体の感覚器官は滅び去り、命の根元は断ち切られて、兄弟や知人にもう会うことはない。肉体が滅び去れば、別の場所へと赴き、自らの業の果報を旅路の糧とする。すべての生きとし生けるものは、必ず終わりを迎え、命が尽きればその身体を捨て、『中陰』（死後、次の生を受けるまでの間の存在）という状態に入る。これを『死』と名付ける。生あるものはすべて、死へと帰する。死んでも生まれず、生まれても死なないということは、決してあり得ない。天子たちよ、どうか人の世において楽しみの心を起こしてはならない。』

「爾時，夜摩天王牟修樓陀以偈頌曰：

> その時、夜摩天の王である牟修楼陀が、偈を唱えてこう言いました。

「『於人世界中，有陰皆是苦，有生畢歸死，有死必有生。若住於中陰，自業受苦惱，長夜遠行苦，此苦不可說。沒於屎尿中，熱氣之所燒，如是住胎苦，不可得具說。常貪於食味，其心常悕望，於味受大苦，此苦不可說。小心常悕望，於欲不知足，所受諸苦惱，此苦不可說。怨憎不愛會，猶如大火毒，所生諸苦惱，此苦不可說。於恩愛別離，眾生起大苦，大惡難堪忍，此苦不可說。寒熱大苦畏，生無量種苦，大苦甚暴惡，此苦不可說。病苦害人命，病為死王使，眾生受斯苦，此苦不可說。為他所策使，常無有自在，眾生受斯苦，此苦不可說。愛毒燒眾生，追求受大苦，次第乃至死，此苦不可說。若近惡知識，眾苦常不斷，當受惡道苦，此苦不可說。妻子得衰惱，見則生大苦，出過於地獄，此苦不可說。飢渴自燒身，猶如猛火焰，能壞於身心，此苦不可說。常為他輕賤，親里及知識，生於憂悲苦，此苦不可說。人為老所壓，身羸心意劣，傴僂柱杖行，此苦不可說。人為死所執，從此至他世，是死為大苦，不可得宣說。眾生莫能見，諸業不能遮，能壞諸眾生，是故名為死。大力難堪忍，能令諸眾生，獨行大怖畏，是故名為死。眾生畢竟有，時火不可避，能斷眾生命，是故名為死。死王所破壞，能斷人命根，盡於陰界入，是故名為死。生必有別離，知識及兄弟，別已不復合，是故名為死。及死未至時，應當修善行，死惡無慈愍，未至應修善。是死甚卒暴，極惡無慈愍，未至能修善，乃為天中真。若法中生慧，是名善命人，若人不離法，是為命中命。若人心念佛，是名善命人，不離念佛故，是為命中命。若人心念法，是名善命人，不離念法故，是為命中命。若人心念僧，是名善命人，不離念僧故，是為命中命。若人心念實，是名善命人，不捨離實故，是為命中命。若人心念道，是名善命人，不捨離道故，是為命中命。若人常憶念，趣向於涅槃，爾乃得名天，非樂欲樂者。若常一心念，樂修禪定業，此樂能離有，非謂著欲樂。既知此有過，於欲生厭離，精勤求涅槃，是名真實天。』

> 「人の世にあるもの、すべては苦しみである。 生まれたものは必ず死に、死ぬものは必ず生まれる。 もしも中有（ちゅうう）にとどまるなら、自らの業（ごう）によって苦しみ、 長い夜を遠く行く苦しみ、この苦しみは言葉にできない。 糞尿（ふんにょう）の中に沈み、熱気に焼かれながら、 こうして胎内にいる苦しみは、すべてを語ることなどできない。 常に食べ物への味に貪（むさぼ）り、心はいつも望みを抱き、 味覚に大きな苦しみを受ける、この苦しみは言葉にできない。 小心な心は常に望み、欲望に飽くことを知らず、 受けるあらゆる苦しみ、この苦しみは言葉にできない。 恨み憎む者と会いたくないのに会う、それは猛火の毒のようであり、 そこから生じるあらゆる苦しみ、この苦しみは言葉にできない。 愛する者との別れにおいて、生きとし生けるものは大きな苦しみを起こす、 大きな悪は耐えがたく、この苦しみは言葉にできない。 寒さ暑さという大きな苦しみの恐怖、無数の種類の苦しみが生まれ、 大きな苦しみは非常に激しく恐ろしい、この苦しみは言葉にできない。 病の苦しみは人の命を奪い、病は死王（しおう）の使いであり、 生きとし生けるものはこの苦しみを受ける、この苦しみは言葉にできない。 他人に使われて動かされ、常に自由がなく、 生きとし生けるものはこの苦しみを受ける、この苦しみは言葉にできない。 愛執（あいしゅう）の毒が生きとし生けるものを焼き、追い求めて大きな苦しみを受け、 ついには死に至る、この苦しみは言葉にできない。 もし悪知識に近づけば、様々な苦しみは絶え間なく、 悪道の苦しみを受けることになる、この苦しみは言葉にできない。 妻や子が衰え悩むのを、見れば大きな苦しみが生じ、 それは地獄よりも甚だしい、この苦しみは言葉にできない。 飢えと渇きが自らの身を焼く、それは猛火の炎のようであり、 身と心を壊してしまう、この苦しみは言葉にできない。 常に他人に軽く見られ、親族や知人からも、 憂い悲しみの苦しみが生じる、この苦しみは言葉にできない。 人は老いに押しつぶされ、身は衰え心は弱り、 腰が曲がり杖をついて歩く、この苦しみは言葉にできない。 人は死に捕らえられ、この世からあの世へと行く、 この死こそが大いなる苦しみであり、言い表すことはできない。 生きとし生けるものは誰もそれを見ることはできず、どんな業も遮ることができず、 すべての生きとし生けるものを壊してしまう、それゆえに死と名づける。 その力は強く耐えがたく、すべての生きとし生けるものを、 独りで歩ませ大きな恐怖を与える、それゆえに死と名づける。 生きとし生けるものには必ず終わりがあり、時の火は避けられず、 生きとし生けるものの命を断つ、それゆえに死と名づける。 死王によって壊され、人の命の根を断ち、 五陰（ごおん）・十二処（じゅうにしょ）・十八界（じゅうはちかい）を尽くす、それゆえに死と名づける。 生きることは必ず別れを伴い、知人や兄弟とでも、 別れたならば再び会うことはない、それゆえに死と名づける。 死が訪れないうちに、善い行いを修めるべきである、 死という悪には慈悲がなく、それが来ないうちに善を修めるべきである。 この死は非常に突然で、極めて悪しく慈悲がなく、 それが来ないうちに善を修めることこそ、天における真実なのである。 もしも法（ダルマ）の中に智慧が生じるなら、それを善く生きる人と名づける、 もし人が法を離れないなら、それは命の中の命である。 もし人の心が仏を念ずるなら、それを善く生きる人と名づける、 仏を念ずることを離れないから、それは命の中の命である。 もし人の心が法を念ずるなら、それを善く生きる人と名づける、 法を念ずることを離れないから、それは命の中の命である。 もし人の心が僧を念ずるなら、それを善く生きる人と名づける、 僧を念ずることを離れないから、それは命の中の命である。 もし人の心が真実を念ずるなら、それを善く生きる人と名づける、 真実を捨て離れないから、それは命の中の命である。 もし人の心が道を念ずるなら、それを善く生きる人と名づける、 道を捨て離れないから、それは命の中の命である。 もし人が常に、涅槃（ねはん）に向かって進むことを憶念するなら、 そのとき初めて天と名づけられるのであり、快楽を欲する者ではないのだ。 もし常に一心に念じて、禅定（ぜんじょう）の業を楽しんで修めるなら、 この楽しみは生存（う）を離れることができるのであり、欲望に執着する楽しみではないのだ。 すでにこの生存に過失があると知り、欲望に厭離（おんり）を生じ、 精進して涅槃を求めること、それを真実の天と名づけるのだ。」

「如是夜摩天王以無量種利益諸天，令諸天眾心得清涼，斷除惡道。爾時，天眾白天王言：『天王！如天王說，我等現見色力形貌十倍勝者，皆受衰惱，而況我等。』

> このようにして夜摩天の王は、無数の方法で天の人々を利益し、彼らの心を清らかにして安らぎを与え、悪道へと向かう道を断ち切りました。その時、天の人々は王に申し上げました。「天王よ。あなたがおっしゃる通り、私たちは今、色や力、姿や形が十培も優れた者たちが、みな衰えや苦しみを受けるのを目の当たりにしています。ましてや、私たちのような者はなおさらです。」

「夜摩天王聞此語已，而告之曰：『如汝所見，此諸天眾少衰惱耳。汝等夜摩天眾當墮地獄、餓鬼、畜生，百倍過此。以汝天眾行於非法，放逸行故。若諸天眾順法而行，遠離放逸，則閉一切惡道之門，常於天人受種種樂，當離憂悲老病死苦，得常住處，永無如上所說諸苦。以是因緣，勿行放逸。如是欲樂比無漏智禪定之樂，百千分中不及其一。』

> 夜摩天王はこの言葉を聞いて、こう語りました。「あなた方が見た通り、これらの天衆にはまだわずかな悩みしかありません。しかし、あなた方夜摩天の者たちが地獄・餓鬼・畜生に落ちる時の苦しみは、その百倍にもなります。それは、あなた方の天衆が道理に反した行いをし、放逸にふけっているからです。もし天衆が道理に従って行動し、放逸を遠ざけるならば、あらゆる悪道の門を閉ざし、常に天や人として様々な楽しみを受け、憂い悲しみや老い・病・死の苦しみから離れ、永遠の住処を得て、先に述べたような苦しみを決して受けることはありません。ですから、放逸にふけることのないようにしなさい。このような欲楽は、無漏の智慧による禅定の楽しみに比べれば、百千分の一にも及ばないのです。」

「爾時，天眾聞天王說，現見諸過，復作是言：『天王說法利益我等，我今攝受，令我不受如是生死衰惱之苦。』

> その時、天の衆は天王の説法を聞き、目の当たりに様々な過ちを見て、さらにこう言った。「天王が法を説いて、私たちを利益してくださいます。私たちは今、教えを受け入れ、このような生死の衰えや悩みの苦しみを受けることのないようにしましょう。」

「爾時，夜摩天王牟修樓陀以偈頌曰：

> その時、夜摩天の王である牟修楼陀が、偈を唱えてこう言いました。

「『若有自作業，非是他人受，若自善調伏，是則得常處。若有作異業，無及善業者，無量百千生，業常隨順行。廣作諸福德，修行於善法，則得最勝處，永離老病死。如是自善業，天眾應思惟，若修行善業，此是勝資糧。』

> 「自分で行った行いは、他人がその報いを受けるのではなく、 自分で善く調えれば、それは常住の境地を得る。 もし異なる行いをしても、善業に及ぶものはなく、 無量百千の生涯にわたり、業は常に従い続ける。 広く多くの福徳を作り、善法を修行すれば、 最上の境地を得て、老いや病、死から永遠に離れる。 このように、自分自身の善業を、天の衆は心に留めるべきだ。 もし善業を修行すれば、これこそが最勝の資糧である。」

「如是夜摩天王牟修樓陀說是偈已，告諸天眾：『自今已去，勿為貪著色聲香味觸故，而起放逸，遊戲園林。』

> このように、夜摩天の王、牟修樓陀（もうしゅろだ）がこの偈（げ）を説き終えて、天の衆に告げました。「今より以後、色・声・香・味・触に執着して、放逸（ほういつ）に流れ、園林で遊戯（ゆげ）にふけることがあってはなりません。」

「時，諸天眾聞此語已，白天王言：『願我未來見彌勒佛、無上士、調御丈夫、天人導師出興於世。我生人中，見彼世尊在初會，數得聞法已，盡諸有漏。』復有天眾願求阿耨多羅三藐三菩提，作是願已，歸佛法僧。七萬天子及餘天眾必生人中，見彌勒佛，得聞法已，諸漏永盡。復有餘天先見佛塔，發阿耨多羅三藐三菩提願。復有餘天發緣覺心。一切皆願當來得果。

> その時、天の多くの者たちはこの言葉を聞き、天王に申し上げた。 「願わくは、未来に弥勒仏――世の最勝者（むじょうし）・調御丈夫（じょうごじょうぶ）・天人の導師（てんにんのどうし）――がこの世に現れ給わんことを。 私たちが人間に生まれ、かの世尊の最初の説法の会（え）に立ち会い、何度も法を聞いて、煩悩（ぼんのう）のすべてを尽くし尽くせますように。」 また、天の者たちの中には、無上正等覚（むじょうしょうとうがく、アノッタラ・サンマーク・サンボーディ）を求めてこの願いを立て、仏・法・僧に帰依する者もいた。 七万の天子とその他の天の者たちは、必ず人間に生まれ、弥勒仏にまみえ、法を聞いた後、すべての煩悩を永久に無くすこととなる。 さらに他の天の者たちは、かつて仏塔（ぶっとう）を拝見し、無上正等覚を求める願いを立てたことがあった。 また、また別の天の者たちは、縁覚（えんがく）の心を起こした。 皆、いずれかの果報（かほう）を得ようと願っていたのである。

「爾時，夜摩天王作如是念：『我已為他作大利益，令諸天眾離放逸行。』時夜摩天王知諸天眾意善調伏，各令還宮。時，諸天眾恭敬圍遶夜摩天王，捨池而去。夜摩天主牟修樓陀為諸天眾作利益已，復詣餘地，為餘天眾而作利益。」

> そのとき、夜摩天王はこう思いました。「私はすでに他の者たちに大きな利益をもたらし、天の衆生たちを放逸な行いから遠ざけた。」と。そこで夜摩天王は、天の衆生たちの心がよく調えられたことを知り、それぞれを宮殿に帰らせました。そのとき、天の衆生たちは敬意を込めて夜摩天王を囲み、池を離れて去っていきました。夜摩天主の牟修楼陀は、天の衆生たちに利益をもたらした後、さらに別の場所へ赴き、他の天の衆生たちのためにも利益を施しました。

夜摩天常樂地第八牟修樓陀天化經具足竟。

> 夜摩天・常楽地 第八 牟修樓陀天の化経、ここに具足せり。

「復次，比丘知業果報，觀夜摩天所住之地。彼以聞慧見：夜摩天處，名增長法。眾生何業生於此地？彼見：若人善心持戒，不殺不盜，如前所說。復離邪婬，微細亦捨，乃至見畫男女，不生憶念。如是之人不觀不念、不味不著，不濁心念，恐犯淨行，亦不思惟，不念不善，遮於心過，為他人說邪婬業果以遮其心，令其不喜不愛不樂。『此邪婬果不應習近，非寂滅道，不可愛樂，行善之人不應喜樂。』為他宣說微細之果，持戒梵行，於微塵惡見之生怖。如是之人身壞命終生於善道，天世界中增長法地。

> 次に、比丘たちは業の報いを知り、夜摩天の住する地を観察します。彼は聞慧によって見ます。夜摩天の場所に、増長法という地があります。衆生はどのような業によってこの地に生まれるのでしょうか。彼は見ます。もし人が善心を持って戒律を守り、殺さず、盗まず、先に述べたように行うならば、さらに邪婬を離れ、微細なものまでも捨て、たとえ男女の絵を見ても、思い起こすことがありません。このような人は、見ず、念じず、味わわず、執着せず、心を濁らせず、清らかな行いを犯すことを恐れ、また考えず、不善を念じず、心の過ちを防ぎ、他の人のために邪婬の業の果報を説いてその心を防ぎ、それを喜ばせず、愛さず、楽しまないようにします。「この邪婬の果報は親しむべきではなく、寂滅の道ではなく、愛楽すべきものではなく、善を行う人は喜び楽しむべきではない」と。他の人に微細な果報を説き、戒律を守り清らかな行いを実践し、微塵の悪に対してもそれを見て恐怖を生じます。このような人は、身体が壊れ命が終わると、善き道に生まれ、天の世界の増長法の地に生まれます。

「生彼天已，善業行故，愛果成就。所謂園林金山峯中，流泉河池眾寶莊嚴，眾鳥妙音。其池四岸七寶莊嚴，青毘琉璃、青因陀寶間錯其地。多有眾峯，種種色聲相類各異，見之可愛，其聲美妙，聞之悅樂，於園林中增長愛樂。復於異處，金剛青寶、頗梨為石，莊嚴山谷，於光明山聞流水音而受快樂。如意所作，皆悉自在，受無比欲。無量百千天女圍遶，常受欲樂，增長欲樂，受於無量差別不可喻樂。種種金山、毘琉璃峯，行虛空中，種種衣服嚴飾其身，戲笑歌舞，種種妙色諸天女等以為圍遶。具天五欲：若見天色無量差別，生無等樂，隨意遊戲，是名色欲。若聞音聲，隨其所念，共諸天女戲笑歌舞。所聞諸香無量差別。風吹花池，蓮花之香及餘異花。山谷風吹，種種花香以悅其鼻。舌得無量種種天味，隨念具足，醎淡苦甘、辛酢等味，有無量種不可譬喻如意之味。如是身觸，無量種業，如意即得，冷暖溫涼、柔軟細滑，衣無縷綖，種種色寶而以莊嚴。無量寶光照十由旬、二十由旬乃至百由旬，光明寶珠而受觸樂。天園林中或有花香，天子聞之，以善業故，受樂希有。

> 天道に生まれた者は、善い行いの報いによって、愛しい結果を手に入れる。すなわち、園林、金山、峰の中には、流れ落ちる泉や河、池があり、多くの宝で飾られ、様々な鳥たちが美しい声で鳴く。その池の四つの岸は七宝で飾られ、青い琉璃（るり）や青いインド宝（いんどうほう）が地面に美しく敷き詰められている。多くの峰が連なり、様々な色や声を持ち、それぞれ類は異なるが、見るに愛らしく、その声は美しく、聞くに楽しい。園林の中ではますます愛楽が増す。また別の場所には、金剛や青い宝、玻璃（はり）が石となって、山谷を飾り立てている。光明山では流れる水の音を聞きながら楽しみを受ける。思いのままに作り出し、すべて自在であり、比べるもののない欲望を享受する。無量の百千（ひゃくせん）の天女たちに囲まれ、常に欲望の喜びを受け、欲望の喜びを増やし、数えきれない、言葉にできないほどの様々な楽しみを受ける。様々な金山や瑠璃の峰の上を、虚空を歩むように進み、様々な衣服でその身を飾り、笑い戯れ歌い踊る。様々な美しい色の天女たちに囲まれる。天の五つの欲望を備えている。すなわち、天の色を見れば無量の違いがあり、比べるもののない喜びが生まれ、思いのままに遊戯する。これを色欲という。もし音声を聞けば、その念じるままに、天女たちと共に笑い戯れ歌い踊る。聞く香りも無量の違いがある。風が花の池を吹き、蓮の花の香りや、その他特別な花々の香りを運ぶ。山谷の風は、様々な花の香りを吹き、鼻を楽しませる。舌は無量の様々な天の味を得て、念じるままにすべてが満たされる。塩味、淡味、苦味、甘味、辛味、酢味など、無量の種類があり、譬えようもない思いのままの味がある。このように身の触れる感覚も、無量の種類の業（ごう）によって、思いのままに得られる。暖かさ、冷たさ、温かさ、涼しさ、柔らかさ、滑らかさ。衣服は縫い目がなく、様々な色の宝で飾られている。無量の宝の光は十由旬（ゆじゅん）、二十由旬、さらには百由旬にまで届き、光る宝珠によって触れる喜びを受ける。天の園林の中には、あるいは花の香りがある。天子がそれを聞けば、善い行いの報いによって、稀なる楽しみを受ける。

「非不作生，非無因生，所作不失；非是意生，非是他與，亦非他作而我受報。以因緣故，而生果報，業果成就。是持戒人隨心所念，愛心悕望，天眾妙色，天之細色中色，近遠時生，遠時中時，隨念成就無量樂法。以是丈夫善持戒故。

> 「行為には原因なくして生じるものはなく、また何の条件もなくして生じることもありません。行った行いは決して失われることなく、結果を生み出します。それは心だけから生まれるものでもなく、他人から与えられるものでもなく、また他人が行ったことの報いを私が受けるというものでもありません。因と縁によって果報が生じ、業の結果は成就します。戒を守る人は、その心の念じるところに従い、愛しい心の願いによって、天人の美しい姿や、天の細やかな色、中程度の色が、遠い時、近い時に応じて生じます。遠い時や中ほどの時にも、思いのままに無量の楽の法が成就します。これはこの立派な人がよく戒を守ったからです。」

「如是天眾其心著於六欲境界，欲河所漂而行遊戲。一一園林、一一山峯七寶莊嚴，園林流泉出妙音聲，百色眾鳥出眾異音。是善業者，遊戲其中。種種妙色、種種相貌、種種功德、種種嚴飾，令生欲火。天女圍遶，種種山峯，天鬘天衣莊嚴其身，塗香末香以嚴其身，共諸天女於山峯中遊戲受樂，隨其所念生無量欲。復與天女而共往詣等不等地，其地可愛，真金白銀、青毘琉璃、青因陀寶、車𤦲為地，鈴網音聲，眾鳥莊嚴。

> このような天の衆生たちは、六つの欲の境地に心を執着させています。欲望の川に流されながら、遊び戯れているのです。一つひとつの林、一つひとつの山の頂は七宝で飾り立てられ、林からは泉が流れ、素晴らしい音色を奏でています。何百もの色とりどりの鳥たちが、様々な美しい声で鳴き交わしています。 善い行いを積んだ者たちは、その中で遊び楽しんでいます。様々な美しい色、様々な姿かたち、様々な功徳、様々な飾りが、欲望の火を起こさせるのです。天女たちに囲まれ、様々な山の頂で、天の花飾りや天の衣で身を飾り、塗香や抹香で身を清めながら、天女たちと共に山の頂で遊び楽しみ、心に思い浮かぶままに限りない欲望を抱くのです。 さらに、天女たちと共に、等しい地と等しくない地へと赴きます。その地は愛らしく、純金、白銀、青く美しい琉璃、青い因陀羅宝、また車𤦲が敷き詰められています。鈴の網の音色が響き渡り、数多くの鳥たちが飾りとなっています。

「爾時，有鳥名不放逸，見此天子行放逸處，說偈呵責：

> その時、不放手という名の鳥が、この天人が放逸な行いをしているのを見て、戒めの詩を唱えました。

「『但受故業，不作新業，業盡則墮，諸法如是。業將欲盡，壽命念念，死來卒暴，愚者不覺。天子天女，不覺欲染，念欲時過，退時將至。得失多返，因欲境界，於衰惱中，云何惡意？汝以善業，成就受樂，復作善業，將至善道。若樂境界，則沒有海；若離境界，則得解脫。境界波力，起於愛河，智者捨離，趣涅槃城。勇人捨欲，而求真諦，能知愛境，三有洄澓。捨離境界，勿生心念，如甄波迦，果報甚苦。人心著樂，貪馳境界，集不善業，流轉惡道。常應護心，輕動麁獷，常著境界，愛境所覆。心馳諸境，不覺衰惱，衰惱既至，乃知業果。既知此業，及境界過，常應捨離，世間諸縛。』

> 「過去に受けた業の報いだけを受け止め、新たな業を起こさなければ、やがて業が尽きて、悟りから堕ちることもありません。諸々の法は、このように成り立っています。業が尽きようとする時、寿命は一瞬ごとに削られ、死は突然に訪れます。愚かな人はそれに気づきません。天の王や天女たちは、欲望の汚れに気づかず、欲望に夢中になっているうちに、楽しみの時は過ぎ去り、退転の時が迫ってくるのです。 得ることと失うことは何度も繰り返されます。欲望の対象に執着するゆえに、衰えや苦しみの中にあって、どうして悪い心を起こすのでしょうか？あなたは善い行いによって、楽しみを受けています。さらに善い行いを積めば、善い世界へと導かれます。もし楽しい対象に執着すれば、迷いの海に沈みます。逆に、それらを離れれば、真の解脱を得られます。 欲望の対象という波の力は、愛欲の川を生み出します。賢者はそれを離れて、悟りの都市へと向かいます。勇気ある者は欲望を捨て、真実を求めます。彼は愛欲の対象が、三つの生存の世界で渦巻くものであることを知っています。欲望の対象を離れよ。心に執着の念を起こしてはなりません。甄波迦の実のように、その報いは非常に苦しいものです。 人の心は楽しみに執着し、欲望の対象へと貪欲に駆け回り、不善の業を積み重ねて、悪い世界に流れていきます。常に心を守るべきです。心は軽く動きやすく、粗野であり、常に欲望の対象に執着し、それに覆われています。心は様々な対象に駆け回りますが、衰えや苦しみに気づきません。衰えや苦しみが訪れて初めて、業の報いを知るのです。この業と、欲望の対象の過ちを知ったなら、常に世の中の全ての束縛を離れるべきです。」

「如是不放逸鳥說此偈頌，而此天子不聽不受，與天女眾共受欲樂。此諸天女，生死因緣，生大苦因，於無識者與之共遊，常行嶮惡，愛心不停，常求男子，心如惡毒、如惡嶮岸，能然一切男子心火。與如是等可畏天女共受天樂，以愚癡故而不遠避。若有智者，怖畏生死，欲求樂者，離諸天女。愚癡迷惑，欲覆心故，雖知因於女人而得苦惱，不能捨離，與諸婇女共受欲樂。貪欲愚癡瞋恚所覆，沒生死泥。與諸天女遊戲受樂，而不攝受無量利益，遮於惡道。為心所誑，於法不覺，遊戲園林，與不正行諸天女眾愛網受樂。

> このように戒めを守る鳥はこの詩を唱えた。しかし、この天子はそれに耳を傾けず、天女たちと共に欲の楽しみにふけっている。これらの天女たちは、生と死の原因であり、大きな苦しみの原因を生み出す者である。分別のない者は彼女たちと共に歩み、常に危険な道を進み、愛情は留まることなく、常に男を求める。その心は毒や恐ろしい崖のように、すべての男の心に火を灯す。このように畏れるべき天女たちと共に天の喜びを味わっていながら、愚かさゆえに遠ざかろうとしない。 もし知恵ある者があれば、生と死を畏れ、楽を求め、すべての天女から離れるだろう。愚かで惑わされ、欲に覆われた心のゆえに、女によって苦しみが生じることを知りながらも、それを捨てることができず、女たちと共に欲の楽しみにふけるのである。貪欲、愚痴、怒りに覆われて、生と死の泥沼に沈んでいる。天女たちと遊び楽しみながら、無量の利益を受け入れず、悪道を防ぐこともない。心に欺かれ、法に目覚めることなく、園林で遊び、正しくない行いをする天女たちと共に、愛の網の中で楽しんでいるのである。

「復詣異地，金毘琉璃、青因陀寶、大青寶王周遍莊嚴，遊無量處，聞歌詠音，解其章句，言音美妙。五樂音聲勝德具足，無比妙音昔所未聞，新生天子既聞此音，與諸天女馳往趣林。其林無量寶樹具足，林名大歡喜，長百由旬，廣三十由旬。如是大林，眾寶具足，具大功德，無量天眾百百千千，歌舞遊戲娛樂受樂。

> また別の場所に至ると、金、琉璃（るり）、青因陀宝（しょういんだほう）、大青宝王（だいしょうほうおう）が一面に荘厳されており、無数の場所を遊行しながら、歌声を聞き、その歌詞の意味を理解することができた。その言葉の響きは美しく、五つの楽器の音声は勝れた徳を完全にそなえていた。比類なき妙音は、これまで聞いたことのないものであった。 新たに生まれた天子はこの音を聞くと、天女たちと共に林へと疾走した。その林には無数の宝樹がそろい、林の名は「大歓喜」といい、長さは百由旬、広さは三十由旬であった。このような大林は様々な宝をそなえ、大きな功徳を具え、無数の天の衆（しゅう）たちが百、千と集まり、歌舞や遊戯に興じて楽しみ、快楽を受けた。

「時，新生天子見此大林毘琉璃樹有大光明，無量香花、功德花鬘，無量種色、種種相貌。見此事已，復見異樹，毘琉璃樹，真金為葉，青寶為枝，白銀為果，天味功德皆悉具足，青因陀寶挍飾其樹，種種色花以嚴樹枝。復見異樹，青寶為樹，真金為枝，毘琉璃葉，無量眾蜂種種色貌，出美妙音，以為莊嚴，見之悅樂。時，新生天子復見寶花，猶如開目，觀之可愛，花中眾蜂出妙音聲。復見黃金枝葉蔭覆，猶如宮室，百千眾峯，其音美妙甚可愛樂。復見毘琉璃枝，青寶為葉，蔭覆宮室，第一寶珠，種種色鳥而以莊嚴，其地柔軟，寶鈿莊嚴，熏以天香，多有天女。

> 時に、新しく生まれた天子がこの大いなる林の中にある瑠璃色の大樹を見ると、そこには大いなる光明があり、無量の香りと花、功徳の花鬘、無量の様々な色や形があった。これを見た後、さらに別の樹を目にした。それは瑠璃色の樹であり、黄金の葉を生やし、青い宝を枝とし、銀の実を結び、天の味わいと功徳をすべて備えていた。その樹は青い因陀羅の宝で飾られ、様々な色の花が枝を彩っていた。また、別の樹では青い宝が幹となり、黄金が枝となり、瑠璃色の葉を持ち、無量の多様な色形をした蜂たちが美しい音を奏でて飾り立て、その光景は見る者に喜びをもたらした。 さらに、新しく生まれた天子は宝の花を見た。それは眼を見開いたように美しく、その花の中の蜂たちが妙なる音声を発していた。また、黄金の葉と枝が陰をなして覆い、宮殿のようであり、百千の蜂たちの美しい音が非常に愛らしく響いていた。さらに、瑠璃色の枝の上に青い宝の葉が陰を作り、宮殿を覆っていた。第一の宝珠や、様々な色の鳥たちが飾り立て、地面は柔らかく、宝で美しく埋め尽くされ、天の香りに満ち、多くの天女がいた。

「新生天子復見虹色以嚴其地，觀之可愛，覆以七寶，平正可愛，及見天女。新生天子所見諸色皆悉可愛，所聞音聲皆可愛樂，其所聞香有無量種，皆亦可愛，隨所得味，令心愛樂，無量種味，天味具足，隨其所觸，無量諸觸令心愛樂，隨其所念，種種諸法隨念即得。如是天子，一切欲縛，欲樂不斷。無量可愛，無量寶地，寶鈿莊嚴，聞天鳥音聲，共諸天女入大林中。復見花池，種種莊嚴，分分差別。或有蓮花，毘琉璃莖，真金為葉，金剛為鬚，青因陀寶以為其臺，花皆柔軟。復有蓮花，真金為莖，毘琉璃葉，白銀為臺，赤蓮花寶以為其鬚，種種眾蜂出妙音聲。復有蓮花七寶合成，真金為葉，七寶廁鈿以為其臺，所謂因陀青寶、赤蓮花寶、毘琉璃寶、紅蓮花寶、車𤦲之寶、大青寶王，如是種種眾色光明以為其臺。如一花臺，無量花臺皆亦如是。

> 新しく生まれた天子は、さらに虹色に輝く大地を見る。それは見る者を惹きつけ、七宝で覆われ、平らで美しく整っている。そして天女たちを目にする。新しく生まれた天子が見るすべての色は愛らしく、耳にする音もすべて楽しい。彼が嗅ぐ香りは無量の種類があり、どれも愛らしい。味わうものも、心を楽しませる無量の味わいが天の味として十分に備わっている。触れるものも、無数の感触が心を歓喜させる。思い描くままに、様々な現象がその思念とともに現れる。このように、天子はすべての欲望の束縛にとらわれ、欲望の楽しみが断たれることはない。無量の愛らしいもの、無量の宝の大地が宝の細工で飾られ、天の鳥の声を聞きながら、天女たちと共に大きな林の中へ入っていく。さらに花の池を見る。それは様々に飾り立てられ、区画ごとに異なっている。ある蓮の花は、瑠璃の茎、黄金の葉、金剛石の蕊（しべ）、青因陀羅宝の花台を持ち、その花はみな柔らかい。また別の蓮の花は、黄金の茎、瑠璃の葉、白銀の花台、赤蓮華宝の蕊を持ち、様々な蜂が美しい音を響かせている。さらに別の蓮の花は七宝で作られ、黄金の葉、七宝をちりばめた花台を持つ。すなわち、因陀羅青宝、赤蓮華宝、瑠璃宝、紅蓮華宝、車渠宝、大青宝王など、このような様々な色の光を放つ花台である。一つの花台がこのように荘厳であるように、無数の花台もまたみな同様である。

「天子見之，觀無厭足，隨其所見種種境界，轉轉增長。如以蘇油灌於大火，不知厭足。不知厭足，云何有樂？以非樂故，亦非寂滅。非愛心者得寂滅心，隨所得樂，愛心增長，隨愛增長，不知厭足。以無厭足則入近苦，以於苦中而生樂想，愛火所燒。

> 天子はそれを見ると、飽きることなく眺め、見るたびに様々な境地がさらに広がっていく。まるでバター油を大火に注ぐかのように、満足することを知らない。満足を知らなければ、どうして喜びがあるだろうか。喜びがないから、静けさも訪れない。愛する心を持つ者が静けさの心を得ることはなく、得た喜びとともに執着の心は大きくなり、執着が増すにつれて満足を知らない。満足を知らなければ苦しみに近づき、苦しみの中にあっても喜びの思いを抱き、愛の火に焼かれてしまう。

「復入林中，見山谷中無量林樹，無量種光，見之諦視，於五境界欲火之中不知厭足。復入摩尼寶石之池，真金頗梨，色觸柔軟，五種柔軟，無有水衣。眾鳥音聲澄靜淵深。復見異處有蓮花池，頗梨色水充滿其中，周匝寶石以砌四面，光明普遍，鵝鴨鴛鴦以為莊嚴。蓮花嚴飾，林樹圍遶，林中多有美音之鳥，如是種種莊嚴其池。新生天子見此池中種種眾蜂，七寶為翅，岸生香樹，色貌具足以為莊嚴。新生天子復前入林，見有大河，須陀充滿。新生天子復見異處有乳粥河，清淨飲河，河流之聲如琴樂音，或百或千處處流行。多有眾鳥飲上味酒，出妙音聲。

> さらに林の中に入ると、山々の谷には数え切れないほどの林や木々があり、計り知れないほどの光が輝いていた。それを見つめてじっと観察しても、五つの感覚の世界における欲望の火の中で、満足するということを知らない。さらに、摩尼宝石の池に入ると、そこは純金と水晶でできており、色も感触も柔らかく、五種の柔らかさを備えていた。水面に浮かぶ藻はない。そこでは多くの鳥たちの美しい鳴き声が響き渡り、澄み切って深みのある静けさがあった。さらに別の場所には蓮華の池があり、水晶のような色の水が満ちている。その周囲は宝石で四方を囲まれ、光が満ち渡っている。ガチョウやアヒル、オシドリが飾りとなり、蓮の花が華やかに咲き誇る。林が周りを取り囲み、林の中には美しい声の鳥が多くいる。このように様々に飾られた池があった。新しく生まれた天子は、この池の中に様々な種類の蜂がいて、その翅が七宝でできているのを見た。岸辺には香りのよい木が生え、その色と姿は完全に整っており、装飾となっていた。新しく生まれた天子は、さらに前に進んで林の中に入り、大きな川があるのを見た。そこにはスジャータ（乳粥）が満ちている。新しく生まれた天子は、さらに別の場所に乳粥の川があり、清らかな乳粥の飲み物の川があるのを見た。その川の流れる音は、琴の楽しい音のようであり、百や千もの場所に流れていた。多くの鳥たちがすぐれた味の酒を飲み、素晴らしい声を出していた。

「時，新生天子復見陸地，種種眾花色貌具足，香蜂遍滿眾花之中，莊嚴大林。其林先香，以花香故，轉增百倍。新生天子與諸天女復見林中有大山峯，眾寶莊嚴，無量流水以為嚴飾，樹枝蔭覆猶如宮室，種種寶光。無量百千眾鳥妙音，見之可愛。俱翅羅音。無量百千眾花普熏，光明端嚴，如閻浮提日月光明在於虛空，無量光明莊嚴天處，光明殊勝。無量光明莊嚴山峯，天子見之，復共天女入山峯中。隨入山峯，觀林轉勝，歌音齊等，漸近轉勝。聞此歌音，速疾往詣，昔所未見。如斯天眾舉目視之，復見可愛笐𥬭林樹，毘琉璃樹、青因陀樹皆悉端嚴。新生天子復入七寶蓮花笐林，於此林中多有天子及諸天女，妙色具足嚴身之具，隨念而生。一一天眾各各異住，共諸天女飲天上味，離於醉亂，種種寶林笐𥬭之中遊戲受樂。入七寶池，共諸天子五樂音聲歌舞戲笑，歡喜受樂。以愛覆心，不知厭足，樂著五欲。入蓮花林，以蓮花葉飲天上味而不醉亂。復有天子心樂色聲香味觸等。復有天子住河兩岸而共遊戲。新生天子復見寶殿，笐𥬭如林，毘琉璃寶以為欄楯。皆同欲心，以上中下善業力故，得上妙色，五樂音聲受無等樂，不可譬喻。

> 時に、新たに生まれた天子は再び陸地を見渡した。そこには様々な種類の花々が美しく咲き誇り、多くの蜜を集める蜂がその花々の中に満ちており、見事な大森林を飾り立てていた。その林はもともと香りが漂っていたが、花の香りによって、さらに百倍も強まった。新たに生まれた天子は、天女たちと共にその林の中に、多くの宝で飾られ、数えきれないほどの流れる水で彩られ、木の枝が部屋のように覆い被さり、様々な宝の光を放つ、大きな山の頂があるのを見た。無数の鳥たちが美しい声で鳴き、その光景はまことに愛らしい。また、無数の百千の花々が林全体を香りで包み、その光は輝き美しい。それはあたかも閻浮提の太陽と月の光が虚空にあるかのようで、天の世界を飾る無量の光は素晴らしく輝いている。その山の頂を飾る無量の光を見て、天子は天女たちと共にその山の中へ入っていった。 山の中に入るにつれて、林の素晴らしさはさらに増し、歌声は一つに調っていた。近づくにつれてその素晴らしさは増し、歌声を聞き、まるで以前には見たことのないもののように、素早く進んでいった。その天の衆生たちは皆、目を上げてそれを見た。するとさらに愛らしい「笐𥬭」という林の木々や、ビルリ琉璃の木々、青いインドラの木々がすべて美しく整っているのが見えた。新たに生まれた天子はさらに、七宝でできた蓮華の「笐𥬭」の林の中に入った。この林の中には多くの天子や天女たちがおり、その美しい身には、思いのままに生じる装飾品が備わっていた。一人ひとりの天の衆生はそれぞれ別の場所に住み、天女たちと共に、酔い乱れることのない天上の味を飲み、様々な宝の林や「笐𥬭」の中で遊び楽しんでいた。七宝の池に入り、多くの天子たちと共に、五つの音楽の音や歌声、舞い、笑い声に興じ、喜び楽しんだ。 愛欲に心を覆われ、満足することを知らず、五つの欲望に執着した。蓮華の林に入り、蓮華の葉で天上の味を飲んでも、酔い乱れることはなかった。また、ある天子は色や声、香り、味、触り心地などを心から楽しんだ。また別の天子たちは川の両岸に滞在し、共に遊んでいた。新たに生まれた天子はさらに、林のように「笐𥬭」に覆われ、ビルリ琉璃の宝で欄干が作られた宝殿を見た。皆、同じ欲望の心を持ち、上・中・下の善行の力によって、見事な姿を得て、五つの音楽の音を楽しみ、比類なき楽しみを受けていた。それは言葉に譬えることすらできないほどであった。

「爾時，新生天子本未曾見如此天眾遊戲受樂。既見此已，與天女眾以歡喜心，向天眾所。爾時天眾見此天子衣服嚴飾上妙色身，得未曾有，生歡喜心，亦向天子。二眾和合，心無妨礙，共天女眾，一一笐林、一一金峯、一一花池、一一酒河、一一流水如是愛樂，不可具說。如是一切天眾受樂。

> ある時、新たに生まれた天子は、これまで天の衆生たちが戯れ楽しむ様子を見たことがなかった。それを見て、天女たちと共に喜びの心をもって、天の衆生たちのもとへ向かった。すると天の衆生たちは、この天子の衣装の飾りや、すぐれた姿を見て、かつてないほどの喜びの心を生じ、天子の方へも向かい合った。二つの集まりは互いに打ち解け、心に障りなく、天女たちと共に、一つ一つの竹林、一つ一つの金の峰、一つ一つの花の池、一つ一つの酒の川、一つ一つの流れる水、そのような楽しみを、言葉で尽くし尽くせないほどに愛で楽しんだ。このようにして、すべての天の衆生たちは楽しみを味わったのである。

「時，諸天眾久受樂已，復向一切堅固之山。其山七寶，無量河池、流泉具足。新生天子，天女圍遶，共諸天眾常樂音聲。山河流泉周遍充滿，無量百千笐𥬭宮殿甚可愛樂，周匝蓮花而以圍遶，猶如燈樹，如意之樹以為莊嚴，天眾見之，生希有心。其山一面毘琉璃寶，其第二面真金所成，其第三面因陀青寶，其第四面大青寶王，四面嚴飾皆悉平等，於平正處，峯谷笐林皆悉具足。若念觸樂，欲遊戲時，便上此林。百百千千，一一天子有千天女以為眷屬，天五樂音，無量音聲無量和合，歌舞遊戲。百百千千，共新生天子於園林中花池流泉，所見勝上。百千億樹以為莊嚴。七寶光焰，蓮花林笐。此諸天眾於此諸處歌舞戲笑，安詳徐步向彼大山，互相愛樂。善業為伴，善業所資，以善業故，無有骨肉及以垢污，共遊須陀食河之上，及遊飲河。以善業故，色香味觸皆悉具足，天子食之，樂五境界。食之發欲，處處受樂，眾欲具足，受於無等無量之樂。欲昇彼山，見其大山殊勝之處，歎未曾有。久乃至此大山之頂，遊戲山處，甚可愛樂。於此山頂多有無量遊戲之處，眾寶莊嚴，林樹河池，拘物頭花遍於香林。滿山頂上諸欲具足，隨心所念，無量種愛皆得如意，皆可愛樂，他不能攝。如是天子久受天樂，如是受樂處處遍觀，復往詣於七寶山谷。七寶林覆，光明善藥，見眾天鳥出妙音聲。「寂靜之窟圍遶花池，池名寂靜行處。以於先世不具持戒，生此池中。於先世時，其心堅固，能說法要，而身不能如說修行，猶如伎兒說業果報。從於地獄、餓鬼中出，生此池中，多作鵝鳥。以本生處寂靜行故，生寂靜池，七寶為翅，身出光明，其音美妙，食於蓮花，雄雌相隨以自娛樂。菩薩鵝王，名曰善時，多住此池。夜摩天王牟修樓陀多住於此山窟之中，為天說法。鵝王在池，為鳥說法。爾時，諸天眾遊戲歌舞，分為二分：一分天眾以善業故，至此池所；一分天眾入放逸林，遊戲歌舞，歡娛受樂。

> 時に、天の衆生たちは長く楽しみを受けた後、再び一切堅固の山へと向かいました。その山は七宝から成り、無数の川や池、泉が満ちておりました。新しく生まれた天子は天女たちに囲まれ、天の衆生たちと共に常に音楽を楽しみ、山や川、泉の流れは至る所に満ち、無数の宮殿は美しく輝き、周囲を蓮の花が取り巻いていました。まるで灯りの木のように、如意の木が飾り立てられており、天の衆生たちはそれを見て、未曾有の思いを抱きました。 山の一面は毘琉璃宝、第二面は真金、第三面は因陀青宝、第四面は大青宝王でできており、四面は均等に飾られ、平らな場所には峰や谷、林がすべて整っていました。 もし触れて楽しみたい、遊びたいと願うなら、すぐにこの林に登ることができました。何百、何千もの天子には、それぞれ千の天女が眷属として従い、天の五つの楽音や無数の音が調和し、歌や舞、遊びが繰り広げられました。何百、何千もの人々が、新たな天子と共に園林、花の池、泉の中にあり、その眺めは勝れたものでした。 無数の木々が飾りとなり、七宝の光と炎、蓮の花の林がありました。天の衆生たちはこれらの場所で歌や舞、笑い声に興じながら、安らかにゆっくりとその大きな山へと歩み寄り、互いに愛し合いました。 善い行いが彼らの伴侶であり、善い行いによって支えられていました。善い行いのゆえに、彼らには骨や肉、汚れはなく、共に須陀食河の上や飲河の上を遊びました。善い行いのゆえに、色・香・味・触はすべて完璧であり、天子たちはそれを食し、五つの対象の境地を楽しみました。食べることで欲望が生じ、あらゆる場所で楽しみを受け、多くの欲望を満たし、比類なき無量の楽しみを味わいました。 彼らがその山に登ろうとしたとき、その大山の特別な場所を見て、かつてない素晴らしさに嘆息しました。ついにこの大きな山の頂上に至り、山の上で遊び戯れる場所は、たいそう愛らしいものでした。 この山頂には、無数の遊びの場所があり、様々な宝で飾られ、林や木々、川や池があり、香りの林全体にキンダ花が広がっていました。山頂全体にすべての欲望が満たされ、心のままに、無量の様々な愛が思いのままに叶い、すべてが愛らしく、他のものに左右されることはありませんでした。 このように天子たちは長く天の楽しみを受け、至る所を巡り、再び七宝の谷に向かいました。七宝の林に覆われ、光明を放つ薬草があり、素晴らしい声を発する天の鳥たちがいました。 「静寂の窟」は花の池に囲まれており、その池の名を「寂静行処」といいました。前世において戒律を完全に保つことができなかったため、この池に生まれました。前世においては心は堅固で、法の要を説くことはできたものの、身をもって説く通りに修行することはできず、ちょうど芸人が業の報いを語るような者でした。地獄や餓鬼の世界から出て、この池に生まれ、多くは鵞鳥となりました。もとの生まれた場所の寂静行のゆえに、寂静の池に生まれ、七宝を翼とし、体から光を放ち、その声は美しく、蓮の花を食べ、夫婦で連れ添って自ら楽しみました。 菩薩の鵞王は「善時」と名づけられ、多くはこの池に住んでいました。夜摩天の王である牟修楼陀は、多くはこの山の窟に住み、天のために法を説きました。鵞王は池にいて、鳥のために法を説きました。 その時、天の衆生たちは遊び歌舞し、二つのグループに分かれました。一つのグループの天の衆生は、善い行いのゆえにこの池に至りました。もう一つのグループの天の衆生は、放逸の林に入り、遊び歌舞し、喜び楽しんで楽しみを受けました。

「有善業者往至大池，鵝為說法，見諸天眾，為說偈言：

> 善い行いを積んだ者が、大きな池に到ると、鵞鳥がその者に教えを説きました。その時、鵞鳥は天の人々に向かって、この歌を詠みました。

「『若人雖說法，不能如說行，此愚人空說，常受諸苦惱。若但為他說，不能如說行，語堅而無義，名為空無心。放逸故生欲，因欲故生瞋，斯人入惡道，馳赴於地獄。若樂已過去，非現前可得；若現受當受，是亦不名樂。愚人樂放逸，愛於現在樂，自業果所誑，則入於地獄。三世愛所誑，常作無利益，生死縛眾生，智者不應信。愚者所親友，被害如大怨，縛世間眾生，智者不應信。若為枷鎖縛，猶尚可斷壞，常求欲愛人，不能斷愛縛。若人斷愛縛，而愛於常樂，斯人離愛境，行智慧境界。智觀樂光明，說愛大闇苦，智者持光明，則能破諸闇。以智慧利刀，斫伐於愛樹，能伐愛樹人，得無上樂處。斷伐愛過林，及以多流泉，既斷愛林樹，得脫於諸有。三道大愛河，放逸水洄澓，若昇智慧船，到安隱彼岸。昇智慧山峯，持戒谷莊嚴，以無量智眼，悉見諸有過。若人遠離法，斯人內外空；若人不樂法，不堅如水沫；若有人堅實，內外如金剛，以法行寂靜，益利他眾生。若沒放逸泥，樂於境界樂，境界蛇所螫，常受諸辛苦。是故求樂者，不應行放逸，若脫放逸者，則近無量樂。若有智慧人，不信於放逸，若為放逸螫，流轉於五道。』

> 「たとえ人が法を説いても、その通りに修行しなければ、 この愚か者は空しく語るだけで、常に苦しみを受ける。 ただ人のために説くだけで、自らはその通りに修行しなければ、 言葉は堅くとも意味はなく、空しく心がないという。 放逸ゆえに欲が生まれ、欲ゆえに怒りが生じ、 その人は悪道に入り、地獄へと走っていく。 もし楽しみが過去のものであれば、今は現れず、 現在や未来に受けるものであっても、それを楽とは呼べない。 愚か者は放逸を好み、現在の楽を愛するが、 自らの業の結果に欺かれ、地獄に入る。 三世の愛に欺かれ、常に無益なことをなし、 生死が衆生を縛るので、賢者は信じてはならない。 愚か者の親友は、大きな怨みのように害を与え、 世間の衆生を縛るので、賢者は信じてはならない。 もし枷や鎖で縛られても、それは断ち壊せるかもしれないが、 常に欲を求める人は、愛の縛りを断つことはできない。 もし人が愛の縛りを断ち、永遠の楽を愛するならば、 その人は愛の領域を離れ、智慧の境地に歩む。 智慧は楽の光明を観じ、愛は大いなる暗黒の苦しみであると説く。 賢者は光明を保ち、それによって諸々の暗黒を破る。 智慧の鋭利な刀で、愛の木を伐り倒す。 愛の木を伐ることができる人は、無上の楽の境地を得る。 愛の林や、多くの流れる泉を断ち切り、 愛の林の木を断ち切ったなら、諸々の生存から解脱する。 三つの道の大いなる愛の川は、放逸という水が渦巻く。 もし智慧の船に乗れば、安らかな彼岸に至る。 智慧の山の峰に上り、戒律という谷を荘厳とし、 無量の智慧の眼をもって、すべての過ちを見通す。 もし人が法から遠ざかるなら、その人は内も外も空しい。 もし人が法を喜ばないなら、水の泡のように堅固ではない。 もし人が堅固であれば、内も外も金剛の如く、 法によって静かに行じ、他の衆生を益する。 もし放逸の泥にはまり、境界の楽を楽しめば、 境界の蛇に噛まれ、常にさまざまな苦しみを受ける。 ゆえに楽を求める者は、放逸を行ってはならない。 もし放逸から脱するなら、無量の楽に近づく。 もし智慧ある人がいれば、放逸を信じない。 もし放逸に噛まれれば、五つの道を流転する。」

「如是鵝鳥為調諸天，說此偈頌。時，諸天眾以著欲樂而不聽受亦不攝取，復作歌舞遊戲受樂。

> このように、鵞鳥は天界の者たちを調御しようとして、この偈を説いた。しかし、天の者たちは欲望の楽しみに執着して、それを聞き入れず、受け取ろうともしなかった。彼らはただ歌舞や遊びに興じ、快楽にふけっていた。

## 正法念處經卷第五十八

> 正法念処経 巻第五十八