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title: "正法念處經 · 28"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm9tojz7y08k0hj0v4ekeeb95"
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## 正法念處經卷第六十三

> 正法念処経　巻第六十三

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品之四十二夜摩天之二十八

> 観天品 第四十二 <note>夜摩天 第二十八</note>

「爾時，鵝王告諸天眾：『常當聽法，勿行放逸，當近善友能利他者，詣之聽法。聞正法已，以敬重故，是人善心乃至涅槃漏盡大樂。有二種人生於梵福：一者善觀察持；二者求漏盡。復有二種：一者常說法；二者常聽法。如是法師，猶如父母，為人說法，能出生死，得究竟善法。如是法師，猶如父母，說法之人以法布施。法之施主，令他聞法，既聞法已，心得清淨，直心敬重。聽法之人得三十二功德。何等三十二？法師說法，於聽法人猶如父母，於生死中猶如橋梁，所謂聞所未聞，聞已覺知，知已思惟，既思惟已，則修行入；既修行已，則能安住，安立他人，共彼思量，若得衰惱，其心不動；未種善根，能種善根，思量增上；令根熟者而得解脫，令邪見者入於正見；若不善念生，能令斷滅，增長善心，斷不善因緣、不放逸行；親近善人，離慳諂曲；供養父母，信業果報，集長壽業；世人稱歎，諸天所護，所念成就，得如法樂；離於懈怠，發勤精進；知恩報恩；常修念死；於命終時，心不悔恨，終得涅槃。如是聽法三十二功德。說法之師猶如父母，說法示人畢竟利益，不濁心說，以清淨心利益眾生通達智慧。聞是法已，如佛利益，於生死中而得解脫。是聞法者於無始來流轉生死，未曾聞法，於法師所，初得聞已，發希有心，如生盲人，良醫決膜，得見世間種種色像，本所不見種種妙色，見已歡喜。如是眾生於無始來流轉生死，癡力所盲，得聞正法，於覺分地種種善根、可愛四聖諦，本未曾聞經義光明，見之歡喜，如生盲人見色歡喜，見覺分地，心生歡喜，亦復如是。是名聞法第一功德。

> その時、鵞王は天部の者たちに告げました。 「常に法を聴きなさい。放逸に流されてはなりません。利益をもたらす善き友に近づき、そのもとへ赴いて法を聴きなさい。正しい法を聞いたなら、敬いの心をもって、その人の善心は涅槃に至り、煩悩を尽くして大きな安らぎを得るでしょう。 梵天の福を得る者が二種類います。 一つは善く観察し保持する者。 二つ目は、煩悩を尽くし尽くすことを求める者です。 さらに二種類います。 一つは常に法を説く者。 二つ目は常に法を聴く者です。 このような法の先生は、父母のようなものです。 人のために法を説き、生死を超え、究極の善へと導くからです。 このような法の先生は、父母のようなものです。 法を説く人は、法を施します。 法の施主は、他者に法を聞かせます。 法を聞いた後、心は清らかになり、真っ直ぐな心で敬いを深めます。 法を聴く人は、三十二の功徳を得ます。 どのような三十二か。 法の先生は、法を聴く人にとって父母のようです。 生死の世界にあっては、橋のようなものです。 すなわち、まだ聞いたことのない法を聞き、聞いた後はそれを自覚し、自覚した後はよく考え、考えた後に実践へと入ります。 実践した後は、そこに安住し、さらに他の人をもそこに安置し、共に考え合います。 もし衰退や苦しみに遭っても、その心は動じません。 まだ善根を植えていない者は、善根を植えることができるようにします。 よく考えて向上させます。 根が成熟した者は解脱させ、邪見の者は正しい見解へと導きます。 もし不善の念が生じても、それを断ち滅ぼさせ、善心を増大させ、不善の因縁を断ち、放逸せずに行動させます。 善き人に親しみ、吝嗇や諂いや歪みを離れます。 父母を供養し、因果応報を信じ、長寿の業を積みます。 世間の人々に称賛され、天部の者たちに守護され、願いが成就し、法に基づく安らぎを得ます。 怠惰を離れ、勤め励みます。 恩を知り、恩に報います。 常に死を念じます。 命終の時に、心に悔いがなく、ついに涅槃を得ます。 これが法を聴くことの三十二の功徳です。 法を説く先生は父母のようです。 法を説いて人に示すことは、究極の利益です。 濁った心で説かず、清らかな心で衆生を利益し、智慧に通達します。 この法を聞いたなら、仏の利益のように、生死の世界から解脱できます。 この法を聴く者は、無始の過去から生死を流転してきて、まだ法を聞いたことがありませんでした。法の先生のもとで初めて聞き、希有の心を起こします。 ちょうど生まれつき目の見えない人が、優れた医者に膜を切開してもらい、世の中のさまざまな形や色を初めて見て、見たことのない美しい色を見て喜ぶようなものです。 そのように、衆生は無始の過去から生死を流転し、無知の力に盲いていましたが、正しい法を聞き、覚りの部分に関わるさまざまな善根や、愛すべき四つの聖なる真理について、今まで一度も聞いたことのない経典の智慧の光明を見て、喜びます。生まれつき目の見えない人が色を見て喜ぶように、覚りの部分を見て心に喜びを生じるのも、まったく同じです。 これを、法を聞くことの第一の功徳といいます。」

「『復次，第二聞法功德。以聞法故，內心思惟：「法有何義？」若自不解，從他諮問：「如是法者，有何等義？」是聞法者從他聞法，復自思惟，以思惟故，修習增長。說法義故，前後相應，至心受持，數數觀義，以觀察故，心則歡喜。如是如是隨所思惟，憶念觀察，通達深義。是為聞法第二功德。

> 「次に、聞法の第二の功徳について説きましょう。法を聞くことで、心の中で‘この法にはどのような意味があるのか’と自ら考えます。もし自分で理解できなければ、他人に尋ねます。‘このような法には、いったいどのような意味があるのですか？’と。このように法を聞く人は、他人から法を聞き、さらに自ら思惟します。思惟するゆえに、修習が増長します。また、説法者は前後の内容が対応するように法の意味を説き、聞く人はそれを真心こめて受け止め、何度もその意味を観察します。観察するゆえに、心は歓喜します。このように思惟するままに、記憶し、観察し、深い意味に通達します。これが聞法の第二の功徳です。」

「『復次，第三聞法功德。隨所聞法，聞已思惟：「如此之義，為何意說？如此之義，何因緣說？如是之義，為調伏眾生是故宣說。」復與同心同行之人而共思量，思惟前後，得大利益，終得涅槃。是名第三聞法功德。

> また、第三の法を聞く功徳とはこうです。聞いた法について、聞いた後に考えます。「この意味は、何を説こうとしているのか？ この意味は、どのような因縁で説かれたのか？ この意味は、衆生を調伏するために説かれたのだ。」と。さらに、心を同じくし行いを共にする人たちと共に考え、前後をよく思惟すれば、大いなる利益を得て、ついには涅槃に至ります。これを第三の法を聞く功徳と言います。

「『復次，第四聞法功德。思量前後說法之義，了知而受。了知受者，名曰如所說義。身口意業攝受修行，作三善業，修習增長，攝取說法。以清淨心，既受持已，句句思量，尋其因緣，隨其所思，隨思則得未曾有義。以得義故，則能滅諸煩惱結使，悉能攝受無量功德、戒施智慧，深心勝故、戒施智故。是名第四聞法功德，當樂習行，修習增廣。

> 「また、第四の、法を聞く功徳について説こう。前後に説かれた法の意味をよく考え、理解して受け入れなさい。理解して受け入れるとは、説かれた意味の通りに生きることです。つまり、身体とことばと心の行い（三業）を整え、善い行いを実践し、それを培い伸ばし、説法を心に受け取ることです。清らかな心で教えを受け止めたならば、その一句一句をよく考え、その因縁を探りなさい。そのように考えを巡らせれば、これまでにない深い意味を悟ることができるでしょう。その意味を得ることによって、あらゆる煩悩や執着を滅ぼし、限りない功徳、戒律、施し、智慧を身につけることができます。それは、深い真心と戒律、施し、智慧によるものです。これを第四の、法を聞く功徳といいます。どうかこれを喜んで修め、さらに広めていきなさい。」

「『復次，第五聞法功德。善聞善攝三種之業，自修堅固，聞法安住。若沙門、婆羅門、若在家人說某善男子安住正法，如說修行。如是修行，能知自住，又攝受法，隨其所住，能滅百千億那由他劫百千萬億億億生死，能滅無量百千萬億地獄、餓鬼、畜生之苦。是名聞法大功德聚，修習親近得多利益。說法之人，示人涅槃，如佛世尊，令住法中。是為聞法第五功德，聽正法故。

> 「さらに、第五の、法を聞く功德についてお話しします。よく法を聞き、よく心に納めることで、三つの業（身・口・意の行い）をしっかりと整え、自らの修行を堅固にし、法を聞いて安らかにとどまることができます。修行者であれ、在家の者であれ、ある人が『あの善き男子は正しい法に安住し、説かれた通りに修行している』と語るならば、そのように修行する者は、自らがどこに安住しているかを知り、さらに法を自らに取り入れ、その住むところに従って、百千億那由他劫もの間の百千万億億億もの生死を滅し、無量の百千万億の地獄・餓鬼・畜生の苦しみを滅ぼすことができます。これこそが、法を聞くことによる大きな功徳の集まりであり、これを学び親しむことで多くの利益を得るのです。法を説く人は、人々を涅槃へと示し、仏世尊のように、彼らを法の中に安住させます。これが法を聞くことの第五の功德であり、正しい法を聴くことによるものです。」

「『復次，第六聞法功德，何等功德？所謂自住法中，建立他人令成法器、令厭生死，示安隱處，說苦、集、滅，自他二身俱生福德，利益他故，得大功德，隨所聞法轉轉增長，隨滅煩惱亦復如是，煩惱滅故，而得涅槃。以聞正法，得此功德，是名第六聞法功德。

> 「さらに、第六の法を聞く功徳とは何か。それは、自らが正しい教えの道に安住し、他人をもその道に導いて、教えを受けるにふさわしい器となるよう助け、生と死の苦しみを厭う心を起こさせ、安らぎの場所を示し、苦しみとその原因、その消滅について説くことである。自他共に功徳を生み、他を利益することで大きな功徳を得る。聞いた法はますます深まり、煩悩が滅するのもまた同じであり、煩悩が滅したことによって涅槃を得る。正しい法を聞いて、この功徳を得ることを、第六の法を聞く功徳という。」

「『復次，第七聞法功德，修習增廣，何等功德？所謂若逢衰惱，其心不退。聞業報故，雖逢衰惱，心不退沒，不作惡業、不作惡口，不惡思惟，不壞勇猛。是名第七聞法功德。

> さらに、第七の法を聞く功徳について、これを修行し広めていくことで、どのような功徳があるのか。それは、もし衰えや悩みに遭っても、その心が退かないことである。因果応報の道理を聞いているからこそ、衰えや悩みに遭っても心が落ち込むことなく、悪い行いをせず、悪い言葉を発せず、悪い考えを持たず、勇猛な心を損なわない。これを第七の法を聞く功徳と名付ける。

「『復次，第八聞法功德，云何功德？或見他人或知他人來從求法，或求聞法，或從求戒，或求智慧，離於憍慢為之解釋，隨其所說種種分別，令其淺易。是名第八聞法功德。

> さらに、第八の法を聞く功徳とは、どのような功徳か。ある人が他人を見たり、あるいは他人が法を求めてやって来るのを知ったり、あるいは法を聞くことを求めたり、戒めを求めたり、智慧を求めたりするのを見たとき、おごり高ぶる心を離れて、その人のために解説し、その内容に従っていろいろと区別して述べ、わかりやすくしてあげること。これを第八の法を聞く功徳という。

「『復次，第九聞法功德。聞正法者，種善根子，譬如稻田，封畔不壞，放以清流，下種芽生；往法師所聽聞正法，以善種子種於耳田心之封畔，亦復如是。至於熟時，多收果實，救於地獄、餓鬼、畜生飢儉惡怖。救三惡故，一切眾苦皆得斷滅。住於曠野，解脫一切怖畏處故，得入無上寂滅之處。因說法故，得入涅槃。說法之人猶如世尊，是故聽法功德，出生死中最為第一，常當親近，專心聽法，聞已修行。是名第九聞法功德。

> 「さらに、第九に、法を聞く功徳について説きます。正しい法を聞く人は、善い根の種をまくようなものです。譬えば、稲田の畦が壊れておらず、そこに清らかな水を流し入れて種をまけば、芽が生えてくるようなものです。同様に、説法者のもとに行って正しい法を聞き、善い種を心という田んぼの畦にまくこともまた、これと同じです。 やがて実りの時になれば、多くの果実が収穫されます。それは、地獄、餓鬼、畜生の飢えや渇きの恐れから救うものです。三つの悪道から救うがゆえに、一切の苦しみは全て断ち滅ぼされます。そして、荒野にいるような不安も、あらゆる恐れから解き放たれる境地に安住し、比べるもののない寂滅の境地へと入ります。 説法があるがゆえに、涅槃へと入ることができるのです。説法する人は、世尊と同じように尊いものです。ゆえに、法を聞く功徳は、生死の迷いを超え出る道の中で最もすぐれており、常にその人に親しく近づき、心を集中して法を聞き、聞いた後はそれを修行しなさい。 これを第九の、法を聞く功徳と説きます。」

「『復次，第十聞法功德，云何功德？既已種於聞法種子，當善護持，令其成熟。若人聞法，善根種子常習行故，則得成就。譬如稻田以時下種，以日光照，時至則熟。聽法之人種諸善根，以智慧日令得成就，亦復如是。以是因緣，常應詣於說法之處，聽受正法。是名第十聞法功德。

> 「次に、第十の教えを聴く功徳についてお話しします。その功徳とは何でしょうか。すでに教えを聴く種を蒔いたならば、それをよく守り育て、成熟させることが大切です。もし人が教えを聴くならば、善い根の種が常に習慣的に育まれるので、成就を得ることができるのです。例えば、水田に時期を選んで種を蒔き、日光が当たることで、時が来れば実りが熟すように、教えを聴く人も様々な善い根を植え、智慧という日の光によって成就させるのも、これと同じです。このような理由から、常に説法の場所に赴き、正しい教えを聴き受けるべきなのです。これを第十の教えを聴く功徳といいます。」

「『復次，第十一聞法功德，何等功德如是成就？以心善根常詣法會聽聞正法，聞法受持，思惟攝受。以是因緣，令心調伏，能滅煩惱，煩惱盡故，則得解脫。以解脫故，厭有為法，應作是念：「我生已盡，梵行已立，所作已辦，不受後有。」一切皆由聞法功德，是故應當常聽正法。是名第十一聞法功德。

> 「さらに、第十一の、教えを聞く功徳について。どのような功徳が、このようにして成し遂げられるのか。心の善き根によって、常に法の集いに行き、正しい教えを聞く。教えを聞いて、心に受け止め、よく考えて、その教えを身に受ける。このような因縁によって、心は調えられ、煩悩を滅ぼすことができる。煩悩が尽きたならば、解脱を得る。解脱したので、作り為されたもの（有為法）に厭い、「私の生は尽きた。清らかな行いは既に確立され、為すべきことは成し遂げられ、再び次の生存を受けることはない」と、このように思うべきである。これらはすべて、教えを聞く功徳によるものである。ゆえに、常に正しい教えを聞くべきである。これが第十一の、教えを聞く功徳である。」

「『復次，第十二聞法功德有異方便，是大功德、解脫之因。何等功德？所謂令邪見者入於正見。無始流轉在生死中，聞於惡法，攝受邪見，以邪見故，墮於地獄、餓鬼、畜生。若聞正法，樂習親近，修令增廣，能捨邪見，修行正法，增長正智，得第一樂——無誑之樂。以聽法故，修習增長。是名第十二聞法功德。

> 「さらに、第十二に、教えを聞く功徳には、 異なる善根を施す力があります。 これは、大きな功徳であり、解脱の因となるものです。 では、その功徳とは何でしょうか。 それは、邪見を持つ者を、正しい見解へと導くことです。 無始の昔から生死の流れの中を迷い続け、 悪い教えを聞いて邪見を受け入れた結果、 地獄・餓鬼・畜生の世界に堕ちてきました。 しかし、もし正しい教えを聞けば、 それを喜んで学び、親しくし、 修めてそれを更に広めていくことができます。 そうして邪見を捨て、 正しい教えを実践し、 正しい智慧を増長させ、 最高の安らぎ ― 偽りのない喜び ― を得るのです。 教えを聞くことによって、 このように修習し、成長させていくことができます。 これを第十二の、教えを聞く功徳と sayいます。

「『復次，第十三聞法功德，何等功德習修增廣？所謂若生微少不善念心，即能除斷。若生欲覺，修不淨觀而斷滅之。若生瞋恚，修慈心觀。若愚癡覺，應當觀察十二因緣對治斷滅。以聞法故，知對治法，非不聞法。以聞法故，尚滅如是三不善根微細覺觀，況隨煩惱，是故聞法是大功德。是名第十三聞法功德。

> 「次に、第十三の、法を聞く功徳について述べます。その功徳とは、どのようなものを修め、増し広げるのでしょうか。 すなわち、もしも少しでも不善の心が起これば、それを直ちに断ち除くことができます。もし欲望の思いが起これば、不浄観を修してそれを滅します。もし怒りの心が起これば、慈心観を修します。もし愚かさの思いが起これば、十二因縁を観察して、それを対治し断ち滅ぼします。 法を聞くゆえに、対治法を知るのであって、法を聞かないからではありません。法を聞くことによって、この三つの不善の根（貪・瞋・癡）の微細な思いさえも滅ぼすことができるのです。ましてや、それに付随する煩悩はなおさらです。 ゆえに、法を聞くことは大きな功徳です。これを第十三の、法を聞く功徳と名づけます。」

「『復次，第十四聞法功德。以聞法故，滅於不善覺觀之心，猶如日光滅於闇冥。智亦如是，能滅一切不善之闇，令法增長，煩惱損減。離聞正法，則不能滅。是為第十四聞法功德。

> 次に、第十四の「法を聞く功徳」について説こう。法を聞くことによって、不善なる覚りや観念の心は滅ぼされる。これは、ちょうど日光が暗闇を滅ぼすようなものである。智慧もまたこれと同じように、あらゆる不善の闇を滅ぼし、法を増長させ、煩悩を減少させるのである。正しい法を聞くことがなければ、これを滅ぼすことはできない。これが第十四の「法を聞く功徳」である。

「『復次，第十五聞法功德，所謂能令善心增長。以此聞法功德力故，非唯滅於不善覺觀，復增善觀，善觀增故，則得智慧。譬如少火置草木中，以風吹故，火則增長。少善根生亦復如是，以智慧故，而得增長。若聞正法，聽受其義，生一念善，能滅無量百千劫生死，令不復生。既知如是聞法功德，當勤聽法，無有異法能作此護。以聞法故，作大施主，行於布施。以聞法故，捨離非法。以聞法故，而得智慧。既觀如是聽法功德能出生死，應當精勤，乃至盡壽勤聽正法。如是聽法，第一救護、第一歸依，能出有海。是名第十五聞法功德。

> 「また次に、第十五の、教えを聞く功徳について述べます。それは、善い心を成長させる力があるということです。この教えを聞く功徳の力によって、ただ悪い思考や観察を消し去るだけでなく、善い思考や観察を増大させます。善い観察が増えれば、智慧が得られます。例えば、小さな火を草や木の中に置き、風が吹くことで火が大きくなるように、わずかな善い根（善根）も同じように、智慧によって成長していきます。もし正しい教えを聞き、その意味を理解し、一瞬でも善い心を起こせば、無量百千劫の生死の苦しみを消し去り、再び生じさせないようにすることができます。このように教えを聞く功徳を知ったなら、熱心に教えを聞くべきであり、このような守護を与えてくれる他の方法はありません。教えを聞くことによって、偉大な布施の主となり、施しを行います。教えを聞くことによって、非道な行いを捨てます。教えを聞くことによって、智慧を得ます。このように、教えを聞く功徳が生死の迷いの世界から出ることができると観じたなら、精進し、たとえ命が尽きるまでであっても、熱心に正しい教えを聞くべきです。このように教えを聞くことは、最も優れた救いであり、最も優れた帰依処であり、迷いの存在（有）の海を出ることができるのです。これを第十五の、教えを聞く功徳といいます。

「『復次，第十六聞法功德，何等功德？所謂能避不善因緣。若不善緣生，觀惡道畏。智慧之人觀已捨離，怖畏生死。若不善緣生，避而不行；為不生故，勤行精進，持戒智慧。若生貪心，應行布施。若生慳心，不貪滅之。以智慧心，破壞愚癡。以如實見，滅不善觀。以正見心，斷於邪見。以正覺觀，斷妄分別。若起樂覺，當觀眾苦。若起實覺，當修空觀。若起我覺，當觀無我。是為如實對治覺觀，若因緣生，當遠離之；若細、若麁、若中，當斷滅之。一切不善因緣生者，聞正法故能遠避之，若不聞法則不能避。一切聞法，如安隱藏。是名第十六聞法功德。

> 「さらに、第十六の法を聞く功徳とは何か。それは、不善の因縁を避けることができることである。もし不善の縁が生じたなら、悪道の恐ろしさを観ずる。智慧ある人はそれを観じてから捨て離れ、生死を怖れ厭う。もし不善の縁が生じたら、それを避けて行わない。生じないようにするために、精進に励み、戒律を保ち智慧を修める。もし貪りの心が生じたら、布施を行うべきである。もし吝嗇の心が生じたら、貪らないことでそれを滅する。智慧の心をもって愚痴を破る。如実の見をもって不善の観を滅する。正見の心をもって邪見を断つ。正覚の観をもって妄分別を断つ。もし楽の覚知が起きたなら、苦を観ずるべきである。もし実の覚知が起きたなら、空の観を修すべきである。もし我の覚知が起きたなら、無我を観ずるべきである。これが如実に覚観を対治する道である。もし因縁によって生じたなら、それから遠く離れるべきである。細かいものでも、粗いものでも、中くらいのものでも、断ち滅するべきである。すべての不善の因縁によって生じるものは、正しい法を聞くことによって遠く避けることができる。もし法を聞かなければ、避けることはできない。あらゆる法を聞くことは、安穏なる隠れ家のようなものである。これを第十六の、法を聞く功徳という。」

「『復次，第十七聞法功德，何等功德？所謂放逸之人以聞法故，滅惡覺觀，行不放逸。不放逸人能攝諸根，一切善法皆得增長。不放逸人能斷一切不善之法，其人則去涅槃不遠，得一切安樂。以何因緣斷於放逸？謂聞正法。聞正法故，知放逸過，則能遠避。聞正法故，能調諸根，調五根故，則能攝心，善念增長，滅惡覺觀，以善觀故得第一樂。一切煩惱，放逸為本，亦如一切善法之中，不放逸心以為根本。聞正法故，斷除放逸，是故眾生常應一心聽受正法，聞已修行，修習增長。是名第十七聞法功德。

> 「また、第十七の、教えを聞く功徳とは、いかなる功徳か。それは、放逸な者が法を聞くゆえに、悪しき思考や分別を滅し、放逸ならざる行いをする、ということである。放逸でない者は、諸々の感覚器官を制御でき、一切の善い法が増長する。放逸でない者は、一切の不善の法を断ち切ることができ、その人は涅槃から遠くなく、一切の安楽を得る。どのような因縁で放逸を断つのか。それは正しい法を聞くからである。正しい法を聞くゆえに、放逸の過ちを知り、それから遠く逃れることができる。正しい法を聞くゆえに、諸々の感覚器官を調御でき、五根を調御するゆえに、心を摂することができ、善い念が増長し、悪しき思考を滅する。善い観察によって、第一の楽を得る。一切の煩悩は、放逸を根本とする。また、一切の善法の中でも、放逸ならざる心を根本とする。正しい法を聞くゆえに、放逸を断ち除く。ゆえに、衆生は常に一心に正しい法を受聴し、聞いた後には修行し、習修して増長させるべきである。これを第十七の、教えを聞く功徳と名づける。」

「『復次，第十八聞法功德，何等功德？所謂聞正法故，親近善友，供養善人，愛重尊敬，思惟籌量。近善友故，得大功德，若近惡友，多招過咎。無有餘法得近善友如聞正法，聞正法故得近善友，是故第一梵行謂近善友。是名第十八聞法功德。

> 更に、第十八の、教えを聞く功徳とは、どのような功徳でしょうか。それは、正しい教えを聞くことによって、善き友に親しく近づき、善き人に供養し、愛し重んじ敬い、深く考え思い巡らすことができるようになることです。善き友に近づくことによって、大きな功徳を得ることができます。もし悪しき友に近づけば、多くの過ちや災いを招くことになります。正しい教えを聞くように善き友に近づくことを得る、他の方法はありません。正しい教えを聞くことによって善き友に近づくことができるのです。ゆえに、最も優れた清らかな行いとは、善き友に近づくことである、と言われています。これが第十八の、教えを聞く功徳です。

「『復次，第十九聞法功德，何等功德？所謂聞正法故，能斷姦詐慳嫉之心。若近善友，得何功德？近善友故，得勝功德，所謂能斷姦詐慳嫉。以聞法故，能如實信業及果報。若有眾生姦詐慳嫉，身壞命終墮於惡道或墮餓鬼或墮地獄。若本多行姦詐慳嫉，以聞正法，即能捨離，毀之不行，於先所作，厭離悔過；見他姦詐，勸令不作，令他厭離，悔本所作，令住善道。以聞正法，得此功德，於人天中第一堅固，謂聞正法。是為第十九聞法功德。

> 「さらに、第十九の功徳。法を聞くことに、どのような功徳があるのか。それは、正しい法を聞くことによって、狡賢さや嫉妬、物惜しみの心を断ち切ることができるということである。善き友人に近づけば、どのような功徳を得られるのか。善き友人に近づくことで、優れた功徳を得られる。すなわち、狡賢さや嫉妬、物惜しみを断ち切ることができるのである。法を聞くことによって、業（カルマ）とその報いをあるがままに信じることができるようになる。もし、狡賢く嫉妬深く物惜しみする者がいれば、その者は命終わった後に悪道に堕ち、餓鬼となるか、地獄に堕ちるであろう。しかし、かつて多く狡賢さや嫉妬、物惜しみを行ってきた者でも、正しい法を聞くことによって、それらを離れ、捨て、行わなくなる。過去に行ったことに対しては、厭い離れ、悔い改める。また、他の者が狡賢さや嫉妬、物惜しみをするのを見れば、それを行うなと勧め、厭い離れさせ、過去の行いを悔い改めさせ、善い道に留まらせる。正しい法を聞くことによって、このような功徳を得る。この功徳は、人天界において最も堅固なものであり、それが正しい法を聞くということである。これが第十九の、法を聞く功徳である。」

「『復次，第二十聞法功德，何等功德？所謂得聞法已，供養父母，知業果報，知於福田，是上功德。第一福田所謂父母，以是知業果報因緣，能為種種供養父母，多設敷具、病瘦醫藥所須之具，隨其所作供養父母，能生梵福。以福德故，後得涅槃。又以聞法供養父母，眾人所愛，於現在世為一切人之所讚歎，命終之後，生於善道，受諸天身，聞法力故，終得涅槃。是故智者知此功德，乃至失命，常當供養父母福田，正行正意，一心敬重。是名第二十聞法功德。

> 「さらに、第二十の、法を聞く功徳。その功徳とは何か。すなわち、法を聞いた後、父母に供養し、業の因果報いを知り、福田を知ることである。これは最も優れた功徳である。第一の福田とは、すなわち父母である。この業の因果報いの道理を知ることによって、様々な供養を父母に対して行い、多くの寝具や、病気の時の薬や必要な品々を備え、その行いに従って父母に供養すれば、梵天の福徳を生じることができる。その福徳によって、後に涅槃に至る。また、法を聞いて父母に供養する人は、大勢の人々に愛され、現世において全ての人から讚嘆され、命終わった後には善い道に生まれ、天人の身を受け、法を聞く力によって、ついに涅槃に至る。ゆえに智慧ある人は、この功徳を知り、たとえ命を失うことがあっても、常に父母という福田に供養し、正しい行い、正しい心構えを持ち、一心に敬い重んじるべきである。これを第二十の、法を聞く功徳という。」

「『復次，第二十一聞法功德，所謂知業果報。知業報故，不樂異法，以聞正法能知業果。若念不善，知不善念，若心念善，知心念善，如實知於業之果報。若心緣念不善之法，知不善念後得不善不愛果報，墮於地獄、餓鬼、畜生，以是知故，不復生於不善之心。以此不善，定知當得不愛果報，墮於地獄、餓鬼、畜生。「以作如是惡業緣故，我身必當墮於地獄、餓鬼、畜生。」此三種業，以聞正法而得了知，離聞法已餘無能知。是故智者，乃至失命，常應聽法。若常聞法，修習善業，則不造作不善之業。是名第二十一聞法功德。

> 「次に、第二十一の法を聞く功徳とは、いわゆる業（カルマ）とその果報を知ることです。業の報いを知ることで、他の誤った教えを好まなくなります。正しい法を聞くことによって、業とその結果を理解できるからです。 もし心に不善の念が浮かべば、それを不善と知り、善の念が浮かべば、それを善と知ります。このようにして、業と果報をありのままに知るのです。 もし心が不善の法に縁（よ）れば、その不善の念の後に、好ましくない苦しい果報が生じ、地獄・餓鬼・畜生に堕ちることを知ります。このように知るゆえに、再び不善の心を起こすことがなくなります。 すなわち、『この不善によって、必ず好ましくない果報を受け、地獄・餓鬼・畜生に堕ちるであろう』と、確かに知るからです。 『このような悪業の縁によって、我が身は必ず地獄・餓鬼・畜生に堕ちるのだ』と。 この三種の業についても、正しい法を聞くことによってのみ理解でき、法を聞くことなしには、他に知る方法はありません。 ゆえに智者は、たとえ命を失うことがあっても、常に法を聞くべきです。もし常に法を聞き、善い行いを修めれば、不善の業を造ることはありません。これを第二十一の法を聞く功徳といいます。」

「『復次，第二十二聞法功德，何等功德？所謂能集增長長命之業。聞正法故，信業果報，不作殺生、偷盜等業，隨何善業樂修增廣，生天人中，壽命延長。以聞正法，樂修增廣，是故復得如此功德，壽命延長。以此聞法因緣，生天人中。若生天上，於餘天眾最為長壽，飲食遊戲受第一樂。以聞法故，若生人中，種種色力、財富長壽，生好國土，常習正見，以聞正法，樂習增廣，必得出苦。若人能以善心聽法，第一福德。為聽法故，若行一步，皆生梵福。聽正法者，常行聽法，得善身業；聞已讀誦，得善口業；聞已心淨，得意善業。是聽法者三業善故，生天人中，受於第一最勝富樂，壽命長遠，終得涅槃。如是一切諸大功德，皆由聽法，非餘能得，是故聞法第一安隱。是名第二十二聞法功德。

> 「また次に、第二十二の、法を聞く功徳とは何か。それは、寿命を延ばす業を積み増すことができる功徳である。正しい法を聞くことによって、因果応報の道理を信じ、殺生や盗みなどの悪業を行わず、善い行いを喜んで修行し広め、人間や天人の世界に生まれ、寿命が長くなる。正しい法を聞き、喜んで修行し広めることによって、このような功徳を得、寿命が延びる。この法を聞くという因縁によって、人間や天人の世界に生まれる。もし天に生まれれば、他の天の衆生よりも最も長寿であり、飲食や遊び戯れにおいて第一の楽しみを受ける。法を聞いたことによって、もし人間に生まれれば、様々な容姿や体力、財産、長寿を得、良い国に生まれ、常に正しい見解を身につける。正しい法を聞き、喜んで修行し広めることによって、必ず苦しみから解脱できる。もし人が善い心で法を聞けば、これが第一の福徳である。法を聞くために、もし一歩を歩むだけでも、皆、梵天の福を生じる。正しい法を聞く人は、常に法を聴聞し、善い身体の業を得る。聞いた後、それを読誦すれば、善い口の業を得る。聞いた後、心が清らかになれば、善い心の業を得る。このように法を聞く人は三業が善いゆえに、人間や天人の世界に生まれ、第一の最も優れた富と楽を受け、寿命も長く、ついには涅槃を得る。このような一切の大きな功徳は、すべて法を聞くことによって得られるのであり、他の方法では得られない。ゆえに法を聞くことは、最も安らかで確かなことである。これを第二十二の、法を聞く功徳という。」

「『復次，第二十三聞法功德，何等功德？謂聞法者，一切眾人之所稱歎，持戒功德及以多聞調伏勝慧，一切世人皆共恭敬禮拜問訊，於一切人美言直心。如是之人，功德相應，於微塵惡常生怖畏；眾所知識，一切讚歎，若得惱亂，眾人救護。是聞法者，世所讚歎。是名第二十三聞法功德。

> 「次に、第二十三の、教えを聞く功徳とは、どのような功徳でしょうか。それは、教えを聞く人は、すべての人々から称賛されるということです。戒律を守る功徳や、多くの教えを聞き、心を調え、優れた智慧を持つことから、世の中のすべての人が敬い、礼拝し、安否を問い、すべての人に対して優しい言葉と正直な心を持ちます。このような人は、功徳を備え、少しの罪にも常に恐れを抱きます。多くの人に知られ、皆から称賛され、もし苦しみや悩みに遭えば、人々が助け守ります。この教えを聞く人は、世の中から称賛されるのです。これを第二十三の、教えを聞く功徳といいます。」

「『復次，第二十四聞法功德，何等功德？所謂諸天之所護念。聞法之人善業相應，身行善業、口行善業、意行善業，以此功德，諸天所護。以此人故，眾人安隱；此人命終，無量人眾不得利益。護此人故，魔眾損減，正法增長。見此因緣，是故諸天晝夜守護，常隨其後，隨其所作，一切成就。天恩力故，以善業故，互相為因。彼所作業，既得成就，隨所作業轉修增廣，一切善業皆得成就。如是次第，二世利益。如是聞法功德，即是第一安隱之藏。是名第二十四聞法功德。

> 「次に、第二十四の、法を聞く功徳について説こう。それはどのような功徳か。すなわち、諸天の守護を受けることである。 法を聞く人は善業と相応し、身体で善行をなし、言葉で善行をなし、心で善行をなす。この功徳によって、諸天はその人を守護する。この人がいるゆえに、多くの人々は安らかである。しかし、この人が命を終えるとき、無数の人々は利益を得られなくなる。この人を守護するゆえに、魔の勢力は減り、正法は増大する。この因縁を見て、諸天は昼夜にわたって守護し、常にその後に従い、その人のなすところの一切を成就させる。 天の恩力のゆえに、善業のゆえに、両者は互いに因となり合う。その人のなす業がすでに成就すれば、その業に従ってさらに修行を広げ、一切の善業がことごとく成就する。このようにして、順を追って、現世と来世の二つの世において利益がある。 このように、法を聞く功徳こそが、第一の安らぎの宝庫である。これを第二十四の、法を聞く功徳と名づける。」

「『復次，第二十五聞法功德，何等功德？所謂一切憶念皆得成就。是順法行智慧之人，持戒布施現前業報，一切憶念皆得成就，隨其所作皆得成就，無能劫奪。若其所作，易得成就，如法受用，離五種難，正命清淨，不為他攝，身壞命終生於善道，受諸天身。是名第二十五聞法功德。

> 「また、第二十五番目の、教えを聞く功徳とは、どのような功徳があるのか。それは、あらゆる記憶・願いが成就することである。この教えに従い、智慧ある人は戒律を守り、布施を行うことで、現世にその報いを受ける。あらゆる記憶・願いが成就し、その行いのままにすべてが成し遂げられ、それを奪う者はいない。もし行いがあれば、容易に成就し、教えに従ってそれを受用し、五つの難から離れて、正しい生計を清らかに保ち、他の支配を受けず、寿命が尽きて身体が壊れると善い道に生まれ、天人の身を受ける。これが第二十五番目の、教えを聞く功徳である。」

「『復次，第二十六聞法功德，何等功德？所謂如法富樂。同持戒者，豪富之人悉來親近，同持戒故，迭相齎遺所得財物，非害人得，非壓他人，順法得財，施法行人。其人布施功德上上增長，二世利益、二世安樂。以聞法故，得此功德。是名第二十六聞法功德。

> 「次に、第二十六の『法を聞く功徳』について語ろう。その功徳とは何か。それは、正しい教えに従って豊かさと楽しみを得ることである。 共に戒律を守る者たちは、裕福な人々が皆、進んで親しく交わる。同じく戒律を守るからこそ、互いに贈り物を交換し合う。その得る財産は、人を傷つけて得たものではなく、人を押しのけて得たものでもない。法（教え）に従って財を求め、法を実践する者に施しを行う。 その人の布施の功徳は、最上のものとして増大する。この世とあの世の両方で利益を得、両方で安らぎを得る。これら全ては法を聞いたからこそ得られる功徳である。これが第二十六の『法を聞く功徳』である。」

「『復次，第二十七聞法功德，何等功德？所謂智慧遠離懈怠，以聽正法，聞懈怠過。以懈怠故，於諸世間、出世間法義不得成就。以聞法故，捨離懈怠，一切所作常勤精進，正念不亂，離懈怠人，一切所作方便疾成，如時所作，如法所作，一切成就二世利益。若離懈怠，常勤精進，一切所作皆悉究竟，一切發心，無不成辦。若本懈怠，聞正法故，知懈怠過，速捨離之，如捨刀火。以懈怠故，能壞一切世間作業。聞懈怠過，一切義利皆得成就，以聞正法功德力故。是名第二十七聞法功德。

> 「また次に、第二十七の教えを聞く功徳（くどく）とは、どのようなものでしょうか。それは、智慧(ちえ)によって怠惰(たいだ)から遠ざかることです。正しい教えを聞くことで、怠惰の過ちを知るのです。怠惰のせいで、この世のことも、悟りに至る教えの意味も、成就(じょうじゅ)することはできません。教えを聞くことで、怠惰を捨て、あらゆる行いが常に精励(せいれい)し、正しい心づかいを乱さなくなります。怠惰でない人は、すべてのことが適切にはかどり、時と作法にかなって、この世とあの世の利益を成し遂げます。もし怠惰を離れ、常に精励すれば、すべてのことが完全に成し遂げられ、あらゆる決意は成就しないものはありません。もしもと怠惰であっても、正しい教えを聞くことで、その過ちを知り、ちょうど刀や火を捨てるかのように、すぐにそれを捨て去るのです。怠惰のせいで、世の中のあらゆる仕事が壊れてしまいます。怠惰の過ちを聞くことで、あらゆる意味や利益が成就するのです。これが正しい教えを聞く功徳の力によるものです。これが第二十七の教えを聞く功徳です。」

「『復次，第二十八聞法功德，何等功德？所謂次第聞法，起報恩心，知他恩分。聞正法中說報恩故，思念報恩，知恩報故，一切親友悉皆堅固。以功德故，一切怨家猶如親友。若人少恩，常念不忘，知恩報恩，得大功德。是名第二十八聞法功德。

> 「次に、第二十八の教えを聞く功徳についてお話しします。どのような功徳かといえば、教えを順に聞くことで、恩に報いる心が生まれ、他者からの恩義を理解するようになるのです。正しい教えの中で、恩に報いることの大切さが説かれているのを聞くからこそ、恩に報いようと心がけ、その恩を忘れません。こうして恩を忘れず恩に報いることで、すべての親しい関係はさらに強固なものとなります。この功徳によって、たとえ敵対する者であっても、あたかも親しい友のように感じられるようになります。もし誰かから受けた恩が小さくても、それを常に心に留め、忘れずに恩を返そうとすることで、大きな功徳が得られるのです。これが第二十八の教えを聞く功徳です。」

「『復次，第二十九聞法功德，何等功德？所謂修行念死。第一勝念，所謂念死，以常念死，則懷怖畏，以怖畏故，不造惡業。設見美色，不念分別；聞諸樂音，亦不憶念；若聞眾香，不貪不樂亦不憶念；若舌得味，不貪不樂亦不憶念；若身得觸，不貪不樂亦不憶念；意思惟法，不貪不樂亦不憶念，斷離如是一切有網。如是之人怖畏死故，觀諸世間悉無堅固，一切皆苦，一切無我，一切皆空。實見之人於一切處——若天、若人——無有著心，何況地獄、餓鬼、畜生，於五道中悉斷悕望，而得解脫。於一切生死苦中不復欣樂，怖畏厭離。以厭離故，而得解脫，得解脫智：「我生已盡，梵行已立，所作已辦，不受後有。」若離聞法，不得如是梵行立等厭離功德，是故應勤聽受正法，親近師長，供養聽法，現在、未來二世利益，所謂近善知識、聽聞正法，以此二法而得安隱。是名第二十九聞法功德。

> 「さらに、第二十九の功徳、それは教えを聞く功徳です。その功徳とは何か。それは『死を念じる修行』です。最も勝れた念じ方、それは死を念じることです。常に死を念じれば、恐れを抱きます。恐れるがゆえに、悪行を造りません。</br></br>たとえ美しい色を見ても、分別に執着しません。快い音を聞いても、それに心を留めません。香りを嗅いでも、執着せず楽しまず、心に思い出しもしません。舌で味を得ても、執着せず楽しまず、心に思い出しもしません。身体で触れるものがあっても、執着せず楽しまず、心に思い出しもしません。心で法を思惟しても、執着せず楽しまず、心に思い出しません。このようにして、あらゆる「生存の網」を断ち離れます。</br></br>そのような人は、死を恐れるがゆえに、世の中のすべてが堅固でないと観じます。すべては苦しみであり、すべてに永遠の自我はなく、すべては空であると。真実を観た人は、天や人の間においても執着の心がありません。ましてや地獄・餓鬼・畜生においてはなおさらです。五つの道（五趣）のすべてにおいて、願い望むことを断ち切り、解脱を得ます。全ての生死の苦しみの中にあって、もはや喜び楽しむことなく、恐れ厭い離れようとします。</br></br>厭離のゆえに解脱を得、解脱の智慧を得ます。『我が生は既に尽きた。清らかな行いは既に立ち、なすべきことは既に成し遂げ、再び迷いの生存を受けることはない』と。</br></br>もし教えを聞くことがなければ、このような清らかな行いを立てるなどの厭離の功徳を得ることはできません。ゆえに、努めて正しい教えを聞き受け、師や長に親しく近づき、供養して教えを聴くべきです。これは現在と未来の二つの世の中における利益です。すなわち、善き知識に近づき、正しい教えを聞くこと、この二つの法によって安らかで穏やかになることができるのです。これを第二十九の、教えを聞く功徳といいます。」

「『復次，第三十聞正法功德，何等功德？所謂以聞法故，死時不悔。修念死者，若有過起，則能速斷。若三種垢——貪、瞋、癡起生死因緣，以念死故，則能斷除。以斷三垢，不生不死、不退不出，無有異法能斷此法，以得聞法功德力故，得如是法。一切安隱功德之中，聞法功德第一根本。』

> 「また、第三十の、正しい教えを聞く功徳について説こう。いったいどのような功徳かと言うと、教えを聞いたことによって、死ぬときに悔いることがない。死についてよく考える修行者は、もし誤りが生じても、すぐに断ち切ることができる。もし三つの汚れ――すなわち貪り、怒り、無知という生死を生み出す原因があっても、死を心に念じることで、それらを断ち除くことができる。この三つの汚れを断つことにより、生まれることも死ぬこともなく、退くことも出ることもない境地に至る。この煩悩を断つ教えは、他のどのような方法によっても代えられないものである。それは教えを聞く功徳の力によって、このような法を得られるからである。すべての安らかな功徳の中で、教えを聞く功徳が最も根本である。」

「爾時，鵝王菩薩說迦那迦牟尼所說經法，為天眾說，正法相應，是為第三十聞法功德。

> そのとき、鵞王菩薩が迦那迦牟尼仏の教えた経典の教えを、天の衆生のために説きました。その教えは正しい真理にかなったものでした。これが第三十の、教えを聞く功徳です。

「『復次，第三十一聞法功德，何等功德？所謂死時，心不悔恨。若得聞於正法之義，行善業故，於命終時心不生悔，隨所聞義既得聞已，憶念思惟。既思惟已，於佛法僧增長淨心。以心淨故，血則清淨，血清淨故，顏色清淨，身心淨故，臨命終時，見於善道，有白光明可愛天處。見生處故，轉增淨心，隨其淨心，信佛法僧，轉生勝處。若作四天王業，心淨信故，生第二天；若有三十三天之業，生夜摩天；若有夜摩天業，生兜率陀天。如是展轉，乃至第六他化自在天，以心淨力故，得增勝處。如是一切皆由聞法，若離聞法，終不能得。若聽正法，於命終時，為救為歸。是名第三十一聞法功德。

> 「さらに、第三十一の、法を聞く功徳について説こう。その功徳とは何か？すなわち、死ぬ時に心に悔いがないことである。もし正しい法の意味を聞き、善い行いを積んでいれば、命終の時に心に悔いを生じない。聞いた法の意味を心に留め、よく考え、よく考えた後には、仏・法・僧に対する清らかな信心が深まる。心が清らかになれば血も清らかになり、血が清らかになれば顔色も清らかになり、心と身体が清らかになるので、臨終の間際に、善い道、白い光明を放つ愛すべき天の世界を見ることができる。生まれるべき場所を見ることで、さらに清らかな心が増し、その清らかな心に従って仏・法・僧を信じ、さらに素晴らしい場所に生まれ変わる。もし四天王天の業をなしていても、心が清らかで信仰があるため、第二天の忉利天に生まれる。三十三天の業があれば、夜摩天に生まれ、夜摩天の業があれば、兜率陀天に生まれる。このように次第に、第六の他化自在天に至るまで、心の清らかな力によって、より優れた境涯を得ることができる。これらはすべて法を聞くことによるものであり、もし法を聞くことを離れては、決して得ることはできない。もし正しい法を聞けば、命終の時に、それが救いとなり、よりどころとなる。これを第三十一の、法を聞く功徳という。」

「『復次，第三十二聞法功德，何等功德？以聞法故，終得涅槃。聽法功德，於一切功德最勝最上。何等勝上？所謂涅槃。以聽正法，修習增長，如說修行，如實成就，其人決定能斷煩惱，到於涅槃。』

> 「さらに、第三十二の、法を聞く功徳とは、どのような功徳でしょうか。法を聞くことによって、ついには涅槃（ねはん）に達することができます。法を聞く功徳は、すべての功徳の中で最も優れ、最もすぐれています。その最も優れたものとは、すなわち涅槃のことです。正しい法を聞き、それを学んで実践し、さらにその教えの通りに修行し、真実のとおりに成就するならば、その人は必ず煩悩を断ち切り、涅槃に至ることができるのです。」

「如是善時鵝王菩薩為斷夜摩天眾放逸行故，以無等音說於真法，天眾皆生希有之心。爾時，天眾聞佛法故，心得清淨。一切天眾白鵝王言：『於此天中，汝是天主，以有智慧辯才力故。我等天眾猶如畜生，以放逸故，樂於境界，常為欲愛，自害心故。鵝王音聲，我等歌音所不能及。』

> このように、善き時に鵞王菩薩は夜摩天の衆生の放逸な行いを断ち切るため、比類なき音声で真理の法を説かれたので、天の衆生は皆、稀有の思いを抱きました。その時、天の衆生は仏の法を聞いたことにより、心が清らかになりました。すべての天の衆生は鵞王にこう申し上げました。「この天界において、あなたは天主であり、智慧と弁才の力をお持ちです。私たち天の衆生は、まるで畜生のようでございます。放逸ゆえに境界に執着し、常に欲愛に悩まされ、自らの心を害しております。鵞王の音声は、私たちの歌声が及ぶところではありません。」

「爾時，鵝王菩薩說於正法相應頌曰：

> その時、鵞王菩薩が正法にかなった偈を説かれました。

「『以聞正法故，能止於惡法；以離惡法故，常得安隱處。以聞正法故，其心得清淨，能令心安住，不作眾惡業。聞法能總持，聞法不造惡，聞法知業果，後得於涅槃。聞法故知法，聞法故信佛，智者聞法故，能解脫眾苦。以聞正法故，能知真法相，是故有智者，當勤聽正法。聞如來說法，能離於生死，斷離三種愛，得至無盡處。以聞正法故，知四法因緣，及諸法生滅，聞法皆能知。以聞正法故，了知陰界入，如是二種相，智者應修行。第一大力過，縛一切生死，以聞正法故，一切皆能知。以惡大力故，縛一切生死，以聞正法故，一切皆能滅。於一切轉相、一切不轉相，以聞勝法故，一切皆能知。若死時欲至，則受大苦惱，以念聞法故，死苦不能亂。以聞智慧故，燒諸煩惱樹，以智火燒故，滅已不復生。聞法不放逸，則得一切樂，聞法故安隱，是故應聽法。得聞正法已，近智及耆老，能到無上處，永離老病死。聞故不造惡，聞故順法行，聞法故離苦，聞法最第一。以聞正法故，得三業清淨，若求清淨者，當勤聽正法。以依聞法故，堅固勤精進，是則能速度，廣大三界海。聞法之財富，世間最第一，多財不知義，智者說貧窮。遠離於師長，失聞正法財，是人無命果，為惡所破壞。放逸懈怠人，親近惡知識，是人無命果，如殖種沙鹵。遠離見聞法，是則為盲人，若人遠離法，而行於非法，是人捨離藥，攝取於疾病。若人近善友，增長無量法，猶如注大雨，河流皆增長。順法寂靜行，夙興念正法，必定得安樂，不為放逸誑。既知智功德，智者應修行，非是無智者，而得受安樂。』

> 「正しい法を聞くゆえに、悪しき法を止めることができる。 悪しき法を離れるゆえに、常に安らかな所を得る。 正しい法を聞くゆえに、その心は清らかになり、 心を安らかにとどめ、さまざまな悪業を行わない。 法を聞けば全てを記憶し、法を聞けば悪を行わず、 法を聞けば業とその結果を知り、後に涅槃に至る。 法を聞くゆえに法を知り、法を聞くゆえに仏を信じ、 賢者は法を聞くゆえに、多くの苦しみから解脱できる。 正しい法を聞くゆえに、真実の法の姿を知ることができる。 それゆえに賢い者は、精進して正しい法を聞くべきである。 如来の説法を聞けば、生と死の輪廻を離れることができ、 三種の渇愛を断ち切り、尽きることのない境地に至る。 正しい法を聞くゆえに、四つの法の因縁を知り、 諸々の法の生滅を、法を聞けば全て知ることができる。 正しい法を聞くゆえに、五蘊・十八界・十二処を明らかに知り、 この二種の相を、賢者は修行すべきである。 第一の強力なものは、全ての生死を縛る。 正しい法を聞くゆえに、それらを全て知ることができる。 悪の大力によって、全ての生死は縛られるが、 正しい法を聞くゆえに、それらを全て滅ぼすことができる。 あらゆる転じる相、あらゆる転じない相について、 優れた法を聞くゆえに、全てを知ることができる。 もし死の時が近づけば、大きな苦しみを受けるが、 聞いた法を心に念じるゆえに、死の苦しみに乱されない。 智慧を聞くゆえに、諸々の煩悩の木を焼き、 智慧の火で焼くゆえに、滅した後は再び生じない。 法を聞いて放逸でなければ、全ての楽を得る。 法を聞くゆえに安らかである。ゆえに法を聞くべきである。 正しい法を聞いたならば、智者や年長者に近づき、 無上の境地に至り、老い・病・死から永遠に離れる。 聞くゆえに悪を行わず、聞くゆえに法に従って行い、 法を聞くゆえに苦しみを離れる。法を聞くことが最も優れている。 正しい法を聞くゆえに、身・口・意の三業が清らかになる。 清らかさを求めるならば、精進して正しい法を聞くべきである。 法を聞くことに依って、堅固に精進し、 そうすれば速やかに、広大な三界の海を渡ることができる。 法を聞くという財産は、世の中で最も優れている。 多くの財産があっても法の意味を知らなければ、智者はそれを貧しいと言う。 師や長老から遠ざかり、正しい法という財産を失う人、 その人には命の果報がなく、悪によって壊されてしまう。 怠け心で放逸な人は、悪い友に近づく。 その人には命の果報がなく、砂地に種を蒔くようなものである。 見たり聞いたりする法から遠ざかるならば、その人は盲人である。 もし人が法から遠ざかり、非法を行えば、 その人は薬を捨てて、病気を自ら招くようなものである。 もし人が善き友に近づけば、限りない法が増えていく。 それはちょうど大雨が注いで、川の流れが全て増すようなものである。 法に従い、静けさの中を行き、朝早くから正しい法を念じるならば、 必ず安楽を得て、放逸に欺かれることはない。 智慧の功徳を知ったならば、賢者は修行すべきである。 智慧のない者が、安楽を受けることは決してないのだから。」

「如是善時鵝王為諸天眾種善根故，數數為說利益之法，斷無利益，說佛經法。爾時，天眾既聞法已，生敬重心，生歡喜心，放逸薄少。天同業故，復詣異處而受天樂。

> このように、善き時において、鵞王は天の衆生たちに善根を植え付けるために、何度も何度も利益となる教えを説き、無益なことを断ち切り、仏の経典や教えを示しました。そのとき、天の衆生たちは法を聞いた後、敬いの心を起こし、喜びの心を生じ、放逸な心は薄れました。天の業（行い）が同じであるがゆえに、また別の場所へ赴いて天の楽しみを受けました。

「善時鵝王既以迦那迦牟尼所說經，名『集無量功德聞法堅固經』，為諸天眾具演說已，復詣異處，思惟念法。

> 善き時に、鵞王はかの迦那迦牟尼如来が説かれた経典「無量の功徳を集め、聞法を堅固にする経」を天々の集まりに詳しく説き終えた後、別の場所へ赴き、法（真理）を思い考えられた。

「樂行地天，五樂音聲受五欲樂，乃至愛善業盡，以惡業故，墮於地獄、餓鬼、畜生；若有餘業與人同業，生於人中，大富安樂，善持禁戒，常樂聞法，第一順法，聰慧正見，或為王者或為大臣。以餘業故。

> 楽しい行いの地に住む天人は、五つの楽器の音や五感の欲楽を享受しながら、愛する善業が尽きるまで楽しむ。しかし、悪業のゆえに地獄・餓鬼・畜生の道に堕ちる。もし余った業があって、人の世界に生まれるならば、裕福で安らかであり、戒律をよく守り、常に教えを聞くことを喜び、真理に従い、賢く正しい見解を持つ。あるいは王となり、あるいは大臣となる。これらはみな、余った業によるのである。

「復次，比丘知業果報，觀夜摩天所住之地，彼以聞慧見夜摩天名種種雜地，眾生何業生此地處？彼見：有人造作善業——身口意善，正見正命，遍行善行，直心樂實，不殺不盜，遠離邪婬。若在夢中見於女人，心不親近，晝亦不念，濁心覺觀：『如我此身以捨邪婬，得善果報。離邪婬故，得生天上，與諸天女圍遶受樂。』捨離女人，悕望天女，以求天女，名濁梵行。望生天故，捨離邪婬。『我先與女人歌笑舞戲，是為不善，當墮惡道。』以是義故，於本所習，不生貪欲。覺觀之心，不念本習歌舞戲笑，若心生念，尋即斷除。以是因緣，命終生於種種雜地。既生此地，善業果成，五欲和合。

> さらに、比丘よ、業（カルマ）の果報を知り、夜摩天の住む地を観察せよ。彼は聞慧によって、夜摩天に「種種雑地」という地があるのを見る。いかなる業によって、衆生はこの地に生まれるのか。 彼は見る——ある人が善業をなす。すなわち、身・口・意の善、正しい見解、正しい生き方、あまねく善行を行い、直心で真実を喜び、殺さず、盗まず、邪な淫行を遠ざける。 たとえ夢の中で女を見ても、心で近づこうとせず、昼間も想いを寄せず、濁った心の働き（覚観）はない。「私はこの身で邪淫を捨てたので、善い果報を得た。邪淫を離れたからこそ、天に生まれ、天女たちに囲まれて楽しむことができるのだ」と考える。 女を捨て去り、天女を願い求め、天女を求めることを、「濁った梵行」という。天に生まれたいと望んで、邪淫を捨てるのである。「私はかつて女と歌い、笑い、舞い、戯れた。それは善くない。悪道に堕ちるだろう」と。このような理由から、元々の習慣に対して貪欲を生じさせない。心の働き（覚観）として、元の習慣である歌舞・笑い・戯れを思い起こさない。もし心にその念が生じても、すぐに断ち切る。 この因縁によって、命終の後、種種雑地に生まれる。この地に生まれると、善業の果報が成就し、五欲（五つの感覚の楽しみ）が調和して得られるのである。

「天子生已，以善業故，一切天處雜寶光明自然而生，所謂無量金剛種種山峯、種種光色，如毘琉璃、因陀青寶、大青寶王、車𤦲頗梨、赤蓮花寶，及餘種種百千光明周遍天處。初見如是種種光明，眼識樂著，本未曾見，見之樂著，種種音聲歌眾樂音，不可譬喻，復聞種種天之妙香。新生天子初為如是三種境界無等無比心生樂著，退光明林。諸天女眾見新生天子從林中出，其林種種光明莊嚴如是。天子以善業價，貿得天女。時，諸天女種種莊嚴皆悉端正，種種妙色、種種歌詠天樂音聲。爾時，天子為諸天女無始愛欲引其心故，以歡喜心近諸天女。或有天女手執樂器作眾妓樂，歌眾妙音。復有天女聞妙花香，愛眼含笑以視天子。復有天女在於地上，手執樂器出妙音聲。復有天女手執妙花，馳赴天子。復有天女手擎種種上味天飲，色香味具，離於醉過，到天子所，以蓮花葉盛天上味色香味具飲已，增悅過踰十倍。是為心著第四境界，先著妙色，次聲香味，又復身受種種樂觸，隨意所念，念之即得，是名新生天子著五欲樂。

> 天子が生まれると、善業の力によって、天界の至る所に、様々な宝石の輝きが自然と湧き出ます。数え切れないほどの金剛の峰々、様々な色に輝く瑠璃（るり）や、因陀羅（いんだら）の青宝、大青宝王、車渠（しゃこ）、頗梨（はり）、赤蓮華宝など、無数の光が天界を満たします。天子は初めてこれらの光を目にし、その美しさに心を奪われます。まだ見たことのない光に魅了されるのです。また、例えようもないほど美しい様々な音楽や歌声、そして天の妙なる香りを嗅ぎます。 生まれたばかりの天子は、この三つの境界（視覚・聴覚・嗅覚）の素晴らしさに、比類なき喜びを感じ、光明林へと赴きます。そこでは、天女たちがこの新たな天子を迎えます。林は様々な光で荘厳されています。天子は善業の報いとして、天女を手に入れるのです。天女たちは皆、美しく飾り立てられ、優れた姿と、様々な歌や天の楽器の音色を持っています。 この時、天子は天女たちへの限りない愛欲に心を引かれ、喜びの心で彼女たちに近づきます。ある天女は楽器を手にして、様々な舞や歌を奏でます。ある天女は美しい花の香りを感じ、愛らしい笑みを浮かべて天子を見つめます。また、地上で楽器を奏でる天女もいれば、美しい花を手に天子の元へ走り寄る天女もいます。そしてある天女は、色・香り・味が完璧に調和した、酔いのない天上の飲み物を蓮の葉に盛り、天子に差し出します。それを飲んだ天子の喜びは、十倍にも増します。 これらが、天子を魅了する四つの境界です。まず美しい色（視覚）、次に音と香り（聴覚・嗅覚）、そして様々な楽しい感触（触覚）へと、心は移り変わります。心に思うまま、それが即座に叶えられる。これが、新たに生まれた天子が五つの欲望の楽しみに執着する様子です。

「爾時，新生天子共諸天女往詣一切隨順欲林，受五欲樂。爾時新生天子，天女圍遶，觀諸天眾種種遊戲。或有遊戲在於榛林，或有在於山峯遊戲，或有遊戲作五樂音，或有天子共諸天女種種莊嚴，在虛空殿遊戲娛樂，或有天子手攀樹枝歌舞戲笑，五樂音聲。爾時，新生天子見諸天眾如斯遊戲，心生歡喜，天女圍遶，共入天眾，和合遊戲。新生天子共諸天女遊戲受樂，自業相似，受五欲樂。久受樂已，從林中出，復昇種種寶莊嚴山，共相娛樂遊戲受樂，或在流泉，或在園林種種寶石莊嚴之山，清涼泉水以為莊嚴，遊戲其中。

> その時、新たに生まれた天子は天女たちと共に「一切随順欲林」へと向かい、五欲の楽しみを味わいました。 さて、その新たに生まれた天子は、天女たちに囲まれ、数々の天人の様々な遊戯を眺めました。ある者は林の中で戯れ、ある者は山の頂上で楽しみ、ある者は五つの楽器の音を奏でて遊んでいました。またある天子は天女たちと共に美しく飾り立て、虚空の殿閣で遊び楽しんでいました。またある天子は木の枝に手をかけて、歌い、舞い、笑い興じ、五つの楽の音が響き渡っていました。 その時、新たに生まれた天子は、天の人々がこのように楽しむ姿を見て、心に喜びを生じ、天女たちに囲まれて天の群れの中に入り、一体となって遊び戯れました。 新たに生まれた天子は、天女たちと共に遊び楽しみ、自らの業に応じて五欲の楽しみを味わいました。 長く楽しんだ後、林から出て、さらに様々な宝玉で飾られた山に登り、互いに楽しみ合い、遊び、喜びを味わいました。ある者は流れる泉で、ある者は園林で、様々な宝石で飾られた山々や清らかな冷たい水が美しく流れる中で、それぞれに遊び戯れたのです。

「時，諸天眾心行放逸，爾時有一天遊戲鳥，名流水行，為放逸天以偈頌曰：

> その時、天々の心は放逸に流れていました。 そこに、「流水行」という名の、一羽の遊び鳥が現れました。 その鳥は、放逸にふける天々に向けて、次の詩を語りました。

「『以種種業故，而受樂果報，天中受報已，業盡當還退。愚人現得樂，而不觀怖畏，後得衰惱至，爾時乃知業。放逸之所縛，苦樂等無異，以天業盡故，後生大悔心。放逸如毒害，是故應捨離，放逸害諸天，將入於地獄。和合生欣慶，離別則大苦，和合必有離，一切法如是。世無有一法，有生而不壞，一切生滅法，出沒法如是。隨所見諸天，而受於天樂，放逸毒所迷，一切皆歸滅。一切放逸樂，初謂為可愛，後得衰惱至，乃知為大怨。放逸著女色，智者說大怨，著色喪身命，修羅龍亦然。嗜酒著女色，貪於諸境界，躁擾懈怠心，是放逸根芽。』

> 様々な行い（業）によって、人は楽しい結果（果報）を受けます。 天界でその報いを受けた後、業が尽きれば、また元の場所へ退かなければなりません。 愚かな人は、目の前の楽しいことだけを見て、恐れ（怖畏）を顧みません。 その後で衰えや悩みが訪れて初めて、その行いの報いを知るのです。 放逸（心のままな振る舞い）に縛られている間は、苦楽の区別もつきません。 天界での業が尽きると、後になって大きな後悔の念が生じます。 放逸は毒のような害をもたらすものですから、それを捨て去るべきです。 放逸は天人の命を損ない、やがて地獄へと導くのです。 （人との）和合は喜びをもたらしますが、別れは大きな苦しみです。 和合は必ず離別を伴うもの、すべてのもの（法）はそのようなものです。 この世に、生まれても壊れないものは一つとしてありません。 すべてのものは生まれ、そして滅びる、現れたり消えたりするものは皆そうです。 私たちが見る様々な天人たちも、天の楽しみを受けていますが、 放逸という毒に惑わされて、皆、滅びへと向かいます。 すべての放逸による楽しみは、初めは愛しいものと思われますが、 後になって衰えや悩みが訪れると、それが大きな敵（怨み）であると知るのです。 放逸に溺れて女色に執着することを、賢者たちは大きな敵（大怨）と言います。 色欲に執着して身の命を失うことは、阿修羅や竜神も同じです。 酒に溺れ、女色に執着し、様々な感覚の対象（境界）に貪り、 心が落ち着かず、怠ける心、これらが放逸の根（芽）なのです。

「如是流水行鳥為放逸天說如是偈。爾時天眾雖聞此偈而不覺知，境界所害，歌笑遊戲入光明林。其林可愛，枝葉遍覆，多有種種樹林欝茂，甚可愛樂。時，諸天眾共新生天子五樂音聲遊戲受樂。於園林中及笐𥬭樹，種種流水、蓮花林池，種種地處樹枝蔭覆猶如宮室，種種林中種種意樹、種種山谷七寶光明、種種莊嚴殊勝宮殿昔所未見，天眾見之，生希有心，況新生天子。如是新生天子皆悉遍觀，與天女眾遊於林間，於新境界極生渴愛，欲火所燒。放逸為煙，天女圍繞，燒已復燒。於園林中處處遊行，無量愛力境界所燒，久與天女圍繞受樂，復向種種雜蓮花池。其蓮花池可愛無比，所謂種種雜色鉢頭摩花，毘琉璃葉，真金為莖，赤蓮花寶以為其臺，白銀為鬚，青因陀寶以為眾蜂莊嚴花池。復有蓮花，白銀為莖，青因陀寶以為其葉，真金為莖，青因陀寶以為其葉，赤蓮花寶以為其鬚，白銀為臺，赤蓮寶蜂以為莊嚴。復有蓮花莖葉鬚臺，一切皆赤，赤蜂莊嚴。復有蓮花銀莖、銀葉、銀鬚、銀臺、銀蜂莊嚴。復有蓮花一切青色如青蓮花，青葉、青莖、青鬚青臺、青蜂莊嚴。復有蓮花種種雜色，一一蓮花七寶間錯，種種相貌、種種妙香、種種色葉而以莊嚴，所謂青黃赤白紺色莊嚴，種種眾葉、眾蜂莊嚴。如是種種雜蓮花池，其水清涼，其味甘美，甚可愛樂。多有蓮花，天色妙香眾相具足。新生天子共天女眾，五樂音聲受五欲樂。種種雜色蓮花池岸有諸林樹圍繞花池，以樹莊嚴，百倍殊勝。其樹具足雜花莊嚴，其一切花從根至條，青黃赤白紺色眾花皆悉具足。其蓮花池出大光明，滿十由旬，多有眾鳥出美妙音。

> 「流れる水や飛ぶ鳥が、放逸なる天のためにこの偈を説いた。その時、天の衆はこの偈を聞いたにもかかわらず、それに気づくことなく、境界の害に悩まされ、歌い笑い遊び戯れながら光明林に入っていった。その林は愛らしく、枝葉が一面を覆い、さまざまな木々が生い茂り、とても心地よい場所であった。 その時、天の衆たちは新たに生まれた天子と共に、五つの音楽の音色に合わせて遊び楽しんだ。園林の中や笐𥬭の木々、様々な流れる水、蓮の花の林や池、木の枝の陰が宮殿のように覆う様々な場所、様々な林の中にある様々な意の木々、様々な谷にある七宝の光明、かつて見たこともないほど荘厳された素晴らしい宮殿。天の衆はこれを見て、希有な心を起こした。ましてや新たに生まれた天子はなおさらであった。 このように新たに生まれた天子たちは、すべてを見渡し、天女の衆と共に林の中を遊び、新しい境地に対して非常に強い渇愛を生じ、欲望の火に焼かれた。放逸が煙となり、天女たちに囲まれて、焼かれてはまた焼かれた。園林の中をあちこち巡り、無量の愛の力によって境界に焼かれ、長い間天女たちに囲まれて楽しんだ後、再び様々な雑色の蓮の花の池へと向かった。 その蓮の花の池は比べるものがないほど愛らしかった。すなわち、様々な雑色の赤い蓮の花、瑠璃の葉、金の茎、赤い蓮の花の宝でできた台、銀の蕊、青い因陀羅の宝が多くの蜂の飾りとして花の池を荘厳していた。また、銀の茎、青い因陀羅の宝の葉、金の茎、青い因陀羅の宝の葉、赤い蓮の花の宝の蕊、銀の台、赤い蓮の花の宝の蜂で飾られた蓮の花があった。また、茎、葉、蕊、台がすべて赤く、赤い蜂で飾られた蓮の花があった。また、銀の茎、銀の葉、銀の蕊、銀の台、銀の蜂で飾られた蓮の花があった。また、すべてが青蓮の花のように青く、青い葉、青い茎、青い蕊、青い台、青い蜂で飾られた蓮の花があった。また、様々な雑色の蓮の花があり、一つ一つの蓮の花は七宝で飾り立てられ、様々な姿、様々な素晴らしい香り、様々な色の葉で飾られていた。すなわち、青、黄、赤、白、紺色で飾られ、様々な葉や多くの蜂によって飾られていた。 このように様々な雑色の蓮の花の池は、水は清らかで冷たく、味は甘美で、非常に愛らしいものであった。多くの蓮の花があり、天の色の素晴らしい香りを放ち、様々な特徴を備えていた。新たに生まれた天子は天女の衆と共に、五つの音楽の音色に合わせて五つの欲望の楽しみを受けた。様々な雑色の蓮の花の池の岸には、多くの林の木々が花の池を囲み、木々の飾りによって、百倍も殊勝であった。その木々は様々な花の飾りを完全に備え、そのすべての花は根から枝に至るまで、青、黄、赤、白、紺色の様々な花がすべて備わっていた。その蓮の花の池は大きな光明を放ち、十由旬を満たし、多くの鳥が美しい音声を発していた。」

「蓮花池岸復有林樹，名日宮殿，天善業故，有大勢力。若天昇樹，念生宮殿，隨念即成。以善業故，七寶花葉化為宮殿，七寶莊嚴，多有河池園林山嶽，處處多有嚴飾宮殿。昇此宮殿，眾寶嚴身，共諸天女歌舞遊戲。或飛虛空觀夜摩天，所住諸地隨意遍觀如是等花，岸樹力故。復有種種雜色花池，於池岸上復有異樹，名摩尼音，種種眾鳥以為莊嚴。以樹勢力，若諸天眾遊戲花池，微風吹動互相掁觸，出妙音聲，寶珠如花，從樹而墮，光遍虛空，如閻浮提日月光明，於虛空中寶珠光明亦復如是。

> 「蓮の花の池の岸辺には、また林や木々があり、その名を『日宮殿』といいます。天人の善い行いの力によって、大きな力を持っています。もし天人がこの木に登り、宮殿を思い浮かべると、その思いのままに宮殿が現れます。善行の力によって、七宝の花や葉が宮殿に変わり、七宝で飾られ、たくさんの川や池、庭園、山々があり、至る所に美しく飾られた宮殿があります。この宮殿に昇れば、さまざまな宝で身を飾り、天女たちと共に歌い踊り、遊び戯れます。あるいは虚空を飛んで夜摩天を観賞し、住む様々な地を心のままに遍く見渡します。このような花々は、岸辺の木の力によるものです。 また、様々な色とりどりの花の池があり、その池の岸辺には『摩尼音』という名の異なる木があり、様々な鳥たちが彩りを添えています。この木の力によって、もし天人が花の池で遊び戯れていると、微風が吹き、互いに触れ合って、妙なる音色を奏でます。宝珠は花の形をして、木から落ち、その光は虚空に満ち渡ります。それはちょうど閻浮提（人間界）の日月の光が虚空を照らすように、この宝珠の光もまた同じように虚空を照らすのです。」

「蓮花池岸復有異樹，名授飲食。若諸天眾遊戲花池，以天善業，從樹果中出天美飲，色香味具，天子飲之，十倍增悅，無有醉亂，共諸天女歌舞遊戲。復有林樹出須陀食，如業所得。於池岸邊復有異樹，名葉歌音，若諸天眾遊戲此池，以善業故，微風來吹，而受快樂。風吹樹葉互相掁觸出妙音聲，如天女音，不可分別，一切諸樹所出音聲亦復如是。

> 蓮華池の岸辺にはまた別の木が生えており、その名を「授飲食」といいます。天人が花の池で遊び戯れるとき、天の善業によって、その木の実の中から天人の美しい飲み物が現れます。色も香りも味も備わっており、天子がこれを飲めば、楽しさは十倍にも増しますが、酔って乱れることはありません。そして天女たちと共に歌い踊り遊びます。 また、林の中には「須陀」という食べ物を生み出す木があり、それは天人の業に応じて得られます。 池の岸辺にはさらに別の木があり、その名を「葉歌音」といいます。天人がこの池で遊ぶとき、善業の力によって微風が吹き、彼らは楽しみを受けます。風が木の葉を揺らし、互いに触れ合って、美しい音を奏でます。それはまるで天女の声のようなもので、区別がつきません。すべての木々が奏でる音もまた、このように素晴らしいものです。

「於蓮花池岸復有異樹，名曰鳥樂，以樹勢力，鳥在樹上。若天入池遊戲受樂，五樂音聲互相娛樂，或昇寶樹或乘天鳥，為觀天眾可愛之處，隨其所念，鳥在其前。即於鳥上有大宮殿，多有流泉、眾蓮花池、枝蔭宮室皆悉具足。「復有異鳥為諸天眾以偈頌曰：

> 蓮華池のほとりにはまた、特別な木があり、その名を「鳥楽」といいます。この木の力によって、鳥がその上に留まります。天人が池に入って遊び楽しむとき、五つの楽しみの音声が互いに響き合い、あるいは宝の木に登り、あるいは天の鳥に乗って、天の衆の愛すべき場所を観賞します。彼らの思いに従って、鳥はその前に現れます。そして、その鳥の上には大きな宮殿があり、多くの流れる泉や、数々の蓮華の池、枝が陰を作る宮殿などがすべて備わっています。 また、別の特別な鳥が、天の衆のために、次のような偈を歌いました。

「『持戒人安隱，破戒勿久壽，寧受下賤身，不欲入地獄。智者次第行，漸漸念念修，淨治我見垢，如工匠鍊金。』」

> 戒律を守る人は心安らかであり、 戒律を破る者は長く生きるな。 むしろ賤しい身分でも耐え忍び、 地獄に落ちることを望むな。 賢き人は、段階を踏んで修行し、 少しずつ、一瞬一瞬を大切に修める。 自我への執着という汚れを清め、 あたかも職人が黄金を鍛えるように。

## 正法念處經卷第六十三

> 正法念処経　巻第六十三