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title: "正法念處經 · 4"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm9tok0sw08rqhj0vft0bp8r0"
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## 正法念處經卷第六十七

> 正法念処経 巻第六十七

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 身念處品之四

> 身念処品 その四

「復次，修行者內身循身觀。有何等風住在身中，若調不調，作何等業？彼以聞慧或以天眼見有一風，名曰壞味，住在身中，若不調順，為何所作？彼以聞慧或以天眼見：壞味風若不調順，令人舌中嗜甜蟲動，以蟲動故，一切好食美饍悉不能食，以不食故，身體劣弱，不能讀誦、修學禪思及修善法，身不調故，心不樂法，名色互相因緣而住，猶如束竹相依而住；相依力故，如是名色各各相依，如是行聚食因緣住，如水和󰉓名為󰉓漿，各各有力，名色得住。若風調順，則無如向所說之病。觀壞味風已，如實知身。

> また、修行者は、自身の身体を繰り返し観察する。身体の中にはどのような風が存在し、それが整っているか整っていないかによって、どのような作用を起こすのか。彼は、聞くことを通して得た智慧、あるいは天眼によって、『味を損なう風』という一つの風が身体の中に存在するのを見る。この風が調和していない場合、どのようなことを引き起こすのか。彼は、聞く智慧、あるいは天眼によって見る。『味を損なう風』が調和していないと、人の舌の中にいる甘味を好む虫が動き出す。この虫が動くことによって、あらゆる良い食べ物や美味しい料理を全く食べることができなくなる。食べることができないため、身体は衰弱し、読誦や禅定の修行、善い行いを修めることができなくなる。身体が整わないと、心も教えを喜ばなくなる。名前と形（心身）は互いに因となり縁となって存在しており、まるで束ねた葦が互いに支え合って立っているようなものである。お互いの支える力によって、このように名前と形は互いに依り合って存在している。このような五蘊（心身）の集まりは、食べ物を因として存在している。水と米のようなものが混ざって米の漿（しる）と呼ばれるように、それぞれの力によって名前と形が存在することができる。もし風が調和していれば、上記のような病は起こらない。このように『味を損なう風』を観察して、身体をあるがままに知るのである。

「復次，修行者內身循身觀。有何等風住在身中，若調不調，作何等業？彼以聞慧或以天眼見有一風，名曰肺過，住在身中，若調不調，為何所作？彼以聞慧或以天眼見：肺過風若不調順，食欲消時夜則患痛，令食酢氣乃至食消，一切身體皆悉無力，脈如網縛。若風調順，則無如向所說諸病。觀肺風已，如實知身。

> さらに、修行者は身体の内側を観察する。どのような風が身体の中にあり、それが調和しているか調和していないかによって、どのような働きをするのか。彼は聞いた教えや天眼によって、一つの風があるのを見る。その名を肺過風という。それが身体の中にあり、調和しているか調和していないかによって、どのようなことを引き起こすのか。彼は聞いた教えや天眼によって、次のように見る。肺過風が調和していないと、食欲が消化される時に夜に痛みが生じ、食べ物が酸っぱくなり、消化されるまで全身が力を失い、脈は網で縛られたようになる。もし風が調和していれば、先に述べたような病気は起こらない。この肺の風を観察して、身体をありのままに知る。

「復次，修行者內身循身觀。有何等風住在身中，若調不調，作何等業？彼以聞慧或以天眼見有一風，名臭上行，若調不調，為何所作？彼以聞慧或以天眼見：臭上行風令身鼻口一切皆臭，能令臭氣從毛孔出，從於熟藏上衝生藏，令一切身堅䩕大苦，食不消化，不能坐禪，晝夜不能修行善法。若臭上行風和順調適，則無如向所說之病。觀上行風已，如實知身。

> また、修行者は内身において身体を観察する。どのような風が身の中に在って、調っているか調っていないか、どのような働きをするのか。彼は聞いた教えや天眼により、一つの風があるのを見る。その名を「臭上行風（くじょうこうふう）」という。調っているか調っていないか、それが何を為すのか。彼は聞いた教えや天眼により、臭上行風が身体や鼻や口をすべて臭くし、毛穴から臭気を出させるのを見る。また、熟蔵（じゅくぞう）から生蔵（しょうぞう）へと上昇し、身体全体を硬くさせ、大きな苦しみをもたらす。食べ物は消化されず、座禅もできず、昼夜にわたって善い行いを修めることもできない。もし臭上行風が和やかに調って整えば、上述のような病は起こらない。上行風を観察したならば、身体をありのままに知るのである。

「復次，修行者內身循身觀。有何等風住在身中，若調不調，作何等業？彼以聞慧或以天眼見有一風，名大便處，若調不調，為何所作？彼以聞慧或以天眼見：大便風若不調順，於三肉皰則成痔病，所下之血如赤豆汁，身體燒熱，惽嗜睡眠，筋脈拘急，食不能消，舌不得味。若風調順，則無此病。觀大便處風已，如實知身。

> さらに、修行者は内身において身を循（めぐ）らせて観察する。どのような風が身の中に宿り、調うとき、または調わないとき、どのような働きをするのか。彼は聞いた教えにより、あるいは天の眼により、一つの風があるのを見る。それを大便処（だいべんしょ）の風という。それが調うとき、または調わないとき、どのようなことを為すのか。彼は聞いた教えにより、あるいは天の眼により、次のように見る。大便の風が調っていなければ、三つの肉瘤（にくこぶ）に痔病（じびょう）ができ、排泄される血は小豆の汁のようになり、身体は熱を帯び、眠りにふけり、筋や血管はひきつり、食べ物は消化されず、舌は味を感じなくなる。もし風が調っていれば、このような病はない。大便処の風を観察したのち、身をありのままに知る。

「復次，修行者內身循身觀。有何等風住在身中，若調不調，作何等業？彼以聞慧或以天眼見有一風，名曰忘念，住在身中，若調不調，為何所作？彼以聞慧或以天眼見：忘念風若不調順，令念忘失，習誦多忘，不能憶持，於四方面所見顛倒，已過之事忘失不憶，所食速飢而不能食，身毛麁澁，爪甲亦然，不耐寒熱，所念隨忘。若風調順，則無如是所說之病。觀忘念風已，如實知身。

> さらに、修行者は自身の身体を繰り返し観察する。どのような風が体内に存在し、調っているか、あるいは調っていないか、そしてどのような作用をなすのだろうか。彼は聴聞の智慧や天眼によって、「忘念」という一つの風があるのを見る。それは体内に存在し、調っているか調っていないか、何をするのか。彼は聴聞の智慧や天眼によって、この忘念の風が調っていないと、記憶を失わせ、学んだことや読誦したものをよく忘れ、記憶にとどめておくことができないのを見る。四方で見るものが逆転し、過ぎ去ったことは忘れてしまい覚えていない。食事をしてもすぐに空腹になり、食べ続けることもできない。体毛は粗くざらつき、爪も同じようになり、寒さや暑さに耐えられず、心に浮かんだことはすぐに忘れてしまう。もしこの風が調っていれば、このような病は現れない。忘念の風を観察した後、修行者は身体をあるがままに知る。

「復次，修行者內身循身觀。有何等風住在身中，若調不調，作何等業？彼以聞慧或以天眼見有一風，名曰生力，住在身中，若不調順，為何所作？彼以聞慧或以天眼見：生力風若不調順，雖復多食美饍飲食，身常無力，如毒壞身。以風不調故有此病，若風調順，則無此病。觀生力風已，如實知身。

> また、修行者は自己の身体を繰り返し観察します。どのような風が身体の中に宿り、調和しているか、あるいは調和していないか、どのような働きをするのでしょうか？彼は聞いた教えや天眼によって、一つの風があるのを見ます。その名を「生力風」といいます。身体に宿り、もし調和していないなら、何を引き起こすのでしょうか？彼は聞いた教えや天眼によって見ます。生力風が調和していないなら、たとえ多くの美味な飲食物を食べても、身体は常に力がなく、毒が身体を蝕むかのようです。風が調和していないためにこの病が生じ、もし風が調和していれば、この病はありません。このように生力風を観察して、身体をあるがままに知るのです。

「復次，修行者內身循身觀。有何等風住在身中，或調不調，作何等業？彼以聞慧或以天眼見有一風，名生身心力，住在身中，若不調順，為何所作？彼以聞慧或以天眼見生身心力風：若風調順，始從胎中，身心漸增，令心強健。以風調故，知作不作，久時所作皆能念知，去來進止，強健不怯，耐於飢渴、寒熱眾苦，身體充滿，其身頭髮不非時白。若不調順，則失此法。觀生身心力風已，如實知身。

> さらに、修行者は自身の身体を観察し、その身体の内側にどのような風（気の流れ）が存在し、それが調っているか、あるいは調っていないか、どのような働きをするのかを観じます。彼は教えを聞く智慧、あるいは天の眼によって、一つの風があるのを見ます。その名を「身心の力を生み出す風」といい、身体の中に宿っています。この風が調っていなければ、どのような結果をもたらすのでしょうか？ 彼は教えを聞く智慧、あるいは天の眼によって、この身心の力を生み出す風を見ます。もしこの風が調っていれば、胎内にいるときから、心と身体は徐々に成長し、心を強く健やかにします。風が調っているがゆえに、何をなすべきか、なすべきでないかを知り、遠い昔に行ったことさえも記憶し、理解することができます。また、進んだり退いたり、行動を起こしたり止めたりすることも自在で、強く健やかで臆することがなく、飢えや渇き、寒さや暑さといった様々な苦しみにも耐えられます。身体は充実し、その人の髪の毛も時期を過ぎて白くなることはありません。 もしこの風が調っていなければ、これらの全ての働きは失われてしまいます。このように身心の力を生み出す風を観察した後、修行者は身体をありのままに理解するのです。

「復次，修行者內身循身觀。有何等風住在身中，或調不調，作何等業？彼以聞慧或以天眼見有一風，名曰妨咽喉語，住在身中，若不調順，為何所作？彼以聞慧或以天眼見：妨咽喉語風若不調順，則生身病，以餘不調，則便失音，或時耳聾或手足攣躄，或身曲傴僂、兩目失明。以風不調，生如是病。觀妨咽喉語風已，如實知身。

> さらに、修行者は自身の身体を観察する。どのような風が身体の中に宿り、調和しているか、または調和していないか、どのような働きをするのか。彼は聴聞の智慧、あるいは天眼によって、一つの風があるのを見る。その名を「咽喉の言葉を妨げる風」という。身体の中にあり、もし調和していない場合、どのような作用を起こすのか。彼は聴聞の智慧、あるいは天眼によって、次のように見る。「咽喉の言葉を妨げる風」が調和していないと、身体の病が生じる。その他の不調和によって、声が出なくなり、時には耳が聞こえなくなり、手足が縮れて動かなくなり、背中が曲がって腰がかがみ、両目が見えなくなる。風が調和しないことによって、このような病が生じるのだ。この「咽喉の言葉を妨げる風」を観察した後、彼は身体をあるがままに知る。

「復次，修行者內身循身觀。有何等風住在身中，若調不調，作何等業？彼以聞慧或以天眼見有一風，名曰睡風，若不調順，為何所作？彼以聞慧或以天眼見：有睡風若不調順，所見顛倒，惱亂流脈令其動變，一切骨節皆悉疼痛。觀睡風已，如實知身。

> さらに、修行者は自身の身体を繰り返し観察する。 どのような気が体内に宿り、整っているか整っていないかによって、どのような作用をなすのか。 彼は聞いた教えの智慧、あるいは天の眼によって、一つの気を見る。その名を「眠りの気」という。この気が整っていない場合、何をなすのか。 彼は聞いた教えの智慧、あるいは天の眼によって見る。眠りの気が整っていないと、見るものが逆転し、血管を乱して動かし変えさせ、すべての骨の節がことごとく痛む。 この眠りの気を観察して、ありのままに身体を知る。

「復次，修行者內身循身觀。有何等風住在身中，若調不調，作何等業？彼以聞慧或以天眼見有一風，名曰持命，住在身中，若調不調，為何所作？彼以聞慧或以天眼見：持命風若不調順，令人失命，捨於覺知。一切眾生第二之命，能持於身，依於識心，以不調故，能斷人命，依持一切眾生命根，若風調順，則不夭命。觀持命風已，如實知身。

> また、修行者は内身において身を循（したが）って観察する。どのような風（気）が身の中にあり、整っているか、あるいは整っていないか、どのような働きをするのか。彼は聞く智慧、あるいは天眼によって、一つの風があるのを見る。その名を「持命風」という。身の中にあり、整っているか整っていないか、それは何を為すのか。彼は聞く智慧、あるいは天眼によって見る。持命風がもし調い整わなければ、人に命を失わせ、覚知を捨てさせる。一切の衆生にとって第二の命であり、身を持たせることができ、識心に依っている。調わないがゆえに、人の命を断つことができる。一切の衆生の命の根を依りどころとして持つ。もし風が調い整えば、命を縮めることはない。持命風を観じ終えて、身を如実に知る。

「復次，修行者內身循身觀。有何等風住在身中，若調不調，作何等業？彼以聞慧或以天眼見有一風，名曰損壞一切身分，住在身中，若不調順，為何所作？彼以聞慧或以天眼見：壞身風始從住胎，以此風力令其身分破壞損傷，身曲傴脊，凸臆戾髖。若風調順，則無此病。觀壞身風已，如實知身。

> 「また、修行者は自身の身体を観察しなければなりません。身体の中には、どのような風が宿っていて、その風が整っているか整っていないかで、どのような働きをするのでしょうか。彼は教えを聞く智慧や天眼によって、一つの風があるのを見ます。その風は『一切の身分を損なう風』と呼ばれ、身体の中に宿っています。もし整っていなければ、どのような働きをするのでしょうか。彼は教えを聞く智慧や天眼によって見ます。この身体を損なう風は、すでに胎内に宿ったときから始まり、この風の力によって身体の各部分が破壊され、損傷を受け、背中は曲がって猫背になり、胸は張り出し、腰は曲がってしまいます。風が整っていれば、このような病はありません。この身体を損なう風を観察したのち、ありのままに身体を知るのです。」

「復次，修行者內身循身觀。有何等風住在身中，作何等業？彼以聞慧或以天眼觀見有風，名曰攝皮，住在身中，為何所作？彼以聞慧或以天眼見：攝皮風若為外風所觸，若冷若熱、若香若臭、或下或上、或大力小力，隨時來觸，悉能覺知。觀攝皮風已，如實知身。

> さらに、修行者は内身において身を循（めぐ）らせて観察する。どのような風が身の中に住み、どのような働きをするのか。彼は聴聞の智慧によって、あるいは天の眼によって、ある風の存在を見る。その名を「摂皮風（しょうひふう）」という。身の中に住んで、何を行うのか。彼は聴聞の智慧によって、あるいは天の眼によって、次のように見る。摂皮風は、もし外からの風に触れられたなら、それが冷たいか熱いか、香ばしいか臭いか、下からか上からか、あるいは強い力か弱い力か、時に応じて触れてくる。そのすべてをはっきりと知覚することができる。このように摂皮風を観察したならば、身をあるがままに知るのである。

「復次，修行者內身循身觀。復有何風住於身中？彼以聞慧或以天眼離於垢濁，清淨所緣，離疑度疑，度於曠野，如實不疑，於此身中更無異風。此風聚集，此風和合，如此風流緣於根界，共業煩惱和合而住，能持於身，或為妨害。是修行者遍觀一切身內諸風，具足見已，厭離欲心，愛不能壞，不入魔境，近於涅槃，以智慧日破無始流、轉貪瞋癡闇，離疑曠野，不染色聲香味觸等，於境界中如實見之，一切三界皆悉無常、苦、空、無我，如實見之。如是那羅帝婆羅門長者聚落修行比丘如實知此樂修身念，知生滅法，不念餘觀，觀一切身，知一切縛及以解脫。

> 次に、修行者は自身の身体を観察します。身体の中にはどのような風が宿っているのでしょうか。彼は教えを聞く智慧や、天眼によって、曇りのない清らかなものを見ます。対象をはっきりと捉え、疑いを断ち切り、迷いの荒野を超えて、あるがままに疑いません。この身体には、他とは異なる特別な風はありません。この風は集まり、調和し、感覚の領域に沿って流れ、過去の行いや煩悩と共にあり、身体を支えたり、時に妨げたりします。修行者は身体の中のあらゆる風をくまなく観察し、そのすべてを見極めた後、欲望への執着から離れ、愛に乱されることなく、迷いの境地に入らず、涅槃に近づきます。智慧の太陽によって、始まりなき輪廻の流れや、貪り・怒り・無知の闇を打ち破り、疑いの荒野を離れ、色・声・香り・味・触れられるものなどに執着しません。そして、あらゆる対象をあるがままに見ます。すべての三界は、無常であり、苦しみであり、実体がなく、私のものではないと、あるがままに理解します。このように、ナラディというバラモンの長老がいる村で修行する比丘は、身体への気づきを楽しく実践し、生じたり滅したりする法を理解し、他の観察に心を奪われることなく、全身を観察し、すべての束縛と解放をあるがままに知るのです。

「復次，修行者復以異法觀察是身失壞盡滅。云何此身當失壞耶？於命終時，云何風蟲能壞此身？云何惱亂？於一切界幾時命終？云何上下逆順風吹？如是比丘內身循身觀，彼以聞慧或以天眼見：臨終時，一切諸蟲先被惱亂，蟲既死已，人乃命終，一切有為，決定失壞。如是死法，必當有此堅牢大惡。

> さらに、修行者は別の方法でこの身体が壊れ滅びる様子を観察します。どうしてこの身体は命終わるときに壊れてしまうのか。どのような風の虫がこの身体を壊すのか。どのようにして苦しめるのか。すべての要素において、いつ命が終わるのか。どのようにして上下や逆順の風が吹くのか。このように比丘は身体を内側から繰り返し観察します。彼は聞いた智慧や天眼によって見ることができます。命終わるとき、すべての虫が最初に乱され苦しみます。虫が死んだ後、人はついに命を終えます。すべての形成されたものは、必ず壊れるという性質を持っています。このような死のあり方は、必ずこの固くて大きな悪を伴うのです。

「如是比丘觀於頭中有十種蟲為風所殺：一名頂內蟲，為足甲風之所殺害；二名腦內蟲，為於兩足傍風之所殺害；三名髑髏骨蟲，為不覺風之所殺害；四名食髮蟲，為破骨風之所殺害；五名耳內行蟲，為行蹈地風之所殺害；六名流涕蟲，為於跟風之所殺害；七名脂內行蟲，為破脛風之所殺害；八名交牙節蟲；九名食涎蟲，為破足腕節風之所殺害；十名食齒根蟲，為破髀骨風之所殺害一十。

> このように、修行者が頭の中にいる十種類の虫について観察すると、それらは風によって命を奪われます。 一つ目は「頂内虫」で、足の爪の風によって殺されます。 二つ目は「脳内虫」で、両足の側面の風によって殺されます。 三つ目は「髑髏骨虫」で、無意識の風によって殺されます。 四つ目は「食髪虫」で、骨を砕く風によって殺されます。 五つ目は「耳内行虫」で、地面を踏む風によって殺されます。 六つ目は「流涕虫」で、かかとの風によって殺されます。 七つ目は「脂内行虫」で、脛を砕く風によって殺されます。 八つ目は「交牙節虫」です。 九つ目は「食涎虫」で、足首の関節を砕く風によって殺されます。 十番目は「食歯根虫」で、大腿骨を砕く風によって殺されます<note>一十</note>。

「復次，有十種蟲行於咽喉，下至胸中，為風所殺。何等為十？一名啖食蟲、二名食涎蟲，為破力風之所殺害；三名唾蟲、四名吐蟲、五名行十味脈蟲，為行轉風之所殺害；六名甜醉蟲，為害節風之所殺害；七名嗜六味蟲，為破毛爪甲屎風之所殺害；八名抒氣蟲，為正跳風之所殺害；九名憎味蟲，為破壞風之所殺害；十名嗜睡蟲，為胞中風之所殺害二十。

> また、のどから胸の下に至るまでに十種の虫がいて、風によって殺される。その十種とは、第一に啖食虫、第二に食涎虫（破力風に殺される）、第三に唾虫、第四に吐虫、第五に行十味脈虫（行転風に殺される）、第六に甜醉虫（害節風に殺される）、第七に嗜六味虫（破毛爪甲屎風に殺される）、第八に抒気虫（正跳風に殺される）、第九に憎味虫（破壊風に殺される）、第十に嗜睡虫（胞中風に殺される）である<note>二十</note>。

「復次，有十種蟲住於血中為風所殺：一名食毛蟲，為乾糞風之所殺害；二名孔行蟲，為二傍風之所殺害；三名禪都蟲，為六竅風之所殺害；四名赤蟲，為斷身分風之所殺害；五名蛔母蟲，為惡火風之所殺害；六名毛燈蟲，為一切身分風之所殺害；七名食髮蟲、八名瞋血蟲，為破揵風之所殺害；九名㿇㿇蟲，為一切身動風之所殺害；十名酢蟲，為於熱風之所殺害。生於血中，其形短促，團圓無足，微細無眼，能作身痒，惙惙而動，其蟲味醎，於人死時，如是等蟲為風殺已，血則乾燥，其人即死，是故人說死人無血；血欲乾故，得大苦惱。臨命終時，心懷大怖，受大苦惱，恐捨此身，行於異處，捨離親族知識、兄弟妻子、財物，癡愛無智，愛結所縛，無有救護、無善法伴，唯獨一身，一切身分血脈乾燥，受於身心二種大苦三十。

> さらに、血の中に住む十種の虫が風によって殺されることがある。第一は「食毛虫」で、乾いた糞の風によって殺される。第二は「孔行虫」で、両脇の風によって殺される。第三は「禅都虫」で、六つの穴の風によって殺される。第四は「赤虫」で、身体を断ち切る風によって殺される。第五は「蛔母虫」で、悪い火の風によって殺される。第六は「毛灯虫」で、全身の風によって殺される。第七は「食髪虫」、第八は「瞋血虫」で、破壊の風によって殺される。第九は「㿇㿇虫」で、全身を動かす風によって殺される。第十は「酢虫」で、熱い風によって殺される。これらの虫は血の中に生まれ、形は短く、丸くて足がなく、微細で目もない。身体に痒みを起こさせ、ひそひそと動く。その虫の味は塩辛い。人が死ぬ時、これらの虫が風に殺されると、血は乾いてしまう。その人は死に至り、ゆえに人は「死者には血がない」と言うのだ。血が乾こうとするため、大きな苦しみを受ける。命が終わろうとする時、心に大きな恐怖を抱き、大きな苦しみを受け、この身を捨てて別の場所へ行くことを恐れる。親族や知人、兄弟、妻子、財産を離れなければならない。愚かで愛着に執われ、無知であり、愛の結びつきに縛られて、救いもなく、善き法の伴侶もなく、ただひとりぼっちとなる。全身の血脈が乾き、身体と心の二種類の大きな苦しみを受けるのである<note>三十</note>。

「復次，修行者內身循身觀。有何等蟲為風所殺，得何苦惱？彼以聞慧或以天眼見十種蟲住在肉中。何等為十？一名生瘡蟲，為於行風之所殺害；二名刺蟲，為上下風之所殺害；三名閉筋蟲，為於命風之所殺害。何故名之以為命風？若出身中，人即命盡，故名命風。四名動脈蟲，為於開風之所殺害；五名皮蟲，為亂心風之所殺害；六名動脂蟲，為惱亂風之所殺害；七名和集蟲，為視眴風之所殺害；八名臭蟲、九名污蟲、十名熱蟲，為於閉風，臨命終時五閉風之所殺害四十。

> 「また、修行者は自らの身体を内側から観察しなさい。どのような虫が風によって殺され、どのような苦しみを受けるのか。彼は聞いた智慧と天眼によって、体内に十種類の虫がいるのを見る。十種類とは何か。第一に、できもの虫。これは行風によって殺される。第二に、刺し虫。これは上下風によって殺される。第三に、筋をふさぐ虫。これは命風によって殺される。なぜ命風というのか。この風が体内から出ると、人は即座に命を終えるからである。よって命風と名づける。第四に、脈を動かす虫。これは開風によって殺される。第五に、皮の虫。これは心を乱す風によって殺される。第六に、脂肪を動かす虫。これは悩み乱す風によって殺される。第七に、和合集まる虫。これはまばたきの風によって殺される。第八に、臭い虫。第九に、汚れの虫。第十に、熱の虫。これらは閉風によって、命終の間際に五つの閉風によって殺される<note>四十</note>。」

「復次，修行者內身循身觀。云何死時白汗流出？如是諸蟲行於陰中，何風所殺？是修行者觀十種蟲行於陰黃中。何等為十？一名㿇㿇蟲，為壞胎藏風之所殺害；若男若女欲命終時，此風斷脈。二名惙惙蟲，為轉胎藏風之所殺害；若男若女令失氣力，或於口中出一掬黃猶如金色。三名苗華蟲，為去來行住風之所殺害；四名大諂蟲、五名行孔穴蟲、六名黑蟲、七名大食蟲、八名行熱蟲，為壞眼耳鼻舌身風之所殺害。如是次第，九名大熱蟲，為於刀風之所殺害；十名食味蟲，為針刺風之所殺害；十一名火蟲，為惡黃風之所殺害；十二名大火蟲，為破腸風之所殺害五十。

> さらに、修行者は内なる身体について、身体を順に観察します。では、どのようにして死の際に白い汗が流れ出るのでしょうか？このように、様々な虫が陰の部分にいて、どのような風によって死滅するのでしょうか？その修行者は、十種の虫が陰の黄の部分にいるのを観察します。十種とは何か？第一は「㿇㿇虫」で、胎蔵を壊す風によって殺されます。男でも女でも、命終わろうとする時、この風が脈を断ち切ります。第二は「惙惙虫」で、胎蔵を転じる風によって殺されます。男でも女でも、その者の気力を失わせ、あるいは口の中から一掴みの金色のような黄を吐き出させます。第三は「苗華虫」で、行き来し歩く風によって殺されます。第四は「大諂虫」、第五は「行孔穴虫」、第六は「黒虫」、第七は「大食虫」、第八は「行熱虫」で、眼・耳・鼻・舌・身を壊す風によって殺されます。このように次第に、第九は「大熱虫」で、刀風によって殺されます。第十は「食味虫」で、針刺しの風によって殺されます。第十一は「火虫」で、悪い黄風によって殺されます。第十二は「大火虫」で、腸を破る風によって殺されます<note>五十</note>。

「復次，修行者內身循身觀。觀於骨蟲，臨命終時，為何等風之所殺害？彼以聞慧或以天眼見一切身分骨內有十種蟲。何等為十？一名舐骨蟲，為黃過風之所殺害；二名齧骨蟲，為於冷風之所殺害；三名斷節蟲，為傷髓風之所殺害；四名赤口臭蟲，為傷皮風之所殺害；五名消骨蟲，為傷血風之所殺害；六名赤口蟲，為傷肉風之所殺害；七名頭頭摩蟲、八名食皮蟲，為傷骨風之所殺害；九名風刀蟲，為害精風之所殺害；十名刀口蟲，為皮皺風之所殺害六十。

> 次に、修行者は自らの身体を観察します。骨の中の虫を観て、命が終わろうとする時、いったいどのような風によって殺されるのでしょうか。彼は聞いた智慧（聞慧）によって、あるいは天眼によって、身体のあらゆる部分、骨の中に十種類の虫がいるのを見ます。その十種類とは何でしょうか。 第一は、骨を舐める虫で、「黄過風」によって殺されます。 第二は、骨を噛む虫で、「冷風」によって殺されます。 第三は、関節を断つ虫で、「傷髓風」によって殺されます。 第四は、赤い口の臭い虫で、「傷皮風」によって殺されます。 第五は、骨を溶かす虫で、「傷血風」によって殺されます。 第六は、赤い口の虫で、「傷肉風」によって殺されます。 第七は、頭頭摩虫。 第八は、皮を食べる虫で、「傷骨風」によって殺されます。 第九は、風刀虫で、「害精風」によって殺されます。 第十は、刀口虫で、「皮皺風」によって殺されます<note>六十</note>。

「復次，修行者內身循身觀。觀屎中蟲，臨命終時，為何等風之所殺害？彼以聞慧或以天眼見十種蟲。何等為十？一名生蟲，為生力風之所殺害；二名針口蟲，為傷汗風之所殺害；三名白節蟲，為於痲風之所殺害；四名無足蟲，為傷汗風之所殺害；五名散糞蟲，為破齒風之所殺害；六名三燋蟲，為喉脈風之所殺害；七名破傷蟲，為下行風之所殺害；八名閉食消蟲，為上行風之所殺害；九名黃蟲，為二傍風之所殺害；十名消重食蟲，為輔筋風之所殺害。是風及蟲，令糞乾燥，惱亂諸界，互相動發，互相衝擊，風皆上行，惱身界已，破壞斷氣，撓攪其身令其乾燥，奮力殺之。人死之時，受大苦惱，無法可喻，一切世人皆當有死，決定無疑七十。

> さらに、修行者は自分の身体を注意深く観察しなさい。排泄物の中にいる虫が、命終わるときに、どのような風（気の働き）によって殺されるのかを見なさい。 彼は智慧を聞くことによって、あるいは天の眼によって、十種類の虫を見る。 十種類とは何か。 第一は「生虫」であり、これは生力の風によって殺される。 第二は「針口虫」であり、これは傷汗の風によって殺される。 第三は「白節虫」であり、これは麻風によって殺される。 第四は「無足虫」であり、これは傷汗の風によって殺される。 第五は「散糞虫」であり、これは破歯の風によって殺される。 第六は「三燋虫」であり、これは喉脈の風によって殺される。 第七は「破傷虫」であり、これは下行の風によって殺される。 第八は「閉食消虫」であり、これは上行の風によって殺される。 第九は「黄虫」であり、これは二傍の風によって殺される。 第十は「消重食虫」であり、これは輔筋の風によって殺される。 これらの風と虫は、排泄物を乾燥させ、身体の諸器官を乱し、互いに動きを引き起こし、互いに激しくぶつかり合う。 風はすべて上昇して、身体の器官を乱した後、息の流れを断ち切り、破壊する。 身体をかき乱して乾燥させ、勢いよくそれを殺す。 人が死ぬときには、このような大きな苦しみを受けるのであり、これを例えられる方法はない。 すべての世の人々は必ず死を免れず、これは疑いのない道理である<note>七十</note>。

「復次，修行者內身循身觀。觀髓中蟲，臨命終時，為何等風之所殺害？彼以聞慧或以天眼見於髓中有十種蟲。何等為十？一名毛蟲，為害髓風之所殺害；二名黑口蟲，為似少風之所殺害；三名無力蟲，為睡見亂風之所殺害；四名痛惱蟲，為不忍風之所殺害；五名心悶蟲，為名字風之所殺害；六名火色蟲，為於緊風之所殺害；七名滑蟲，為於肺風之所殺害；八名下流蟲，為臭上行風之所殺害；九名起身根蟲，為穢門行風之所殺害；十名憶念歡喜蟲，為忘念風之所殺害八十。

> さらに、修行者は自身の身体を観察し、その内部をありのままに見つめる。骨髄の中に住む虫たちについて、命が終わろうとする時、どのような風によって彼らが死滅するのかを考えよ。 彼は、教えを聞く智慧（聞慧）あるいは天眼（天の眼）によって、骨髄の中に十種類の虫がいるのを見る。 その十種類とは、以下の通りである。 第一に、毛虫。これは骨髄を害する風によって殺される。 第二に、黒口虫。これは「似少風」（少し似た風）によって殺される。 第三に、無力虫。これは「睡見乱風」（眠りと混乱をもたらす風）によって殺される。 第四に、痛悩虫。これは「不忍風」（耐え難い風）によって殺される。 第五に、心悶虫。これは「名字風」（名前だけの風）によって殺される。 第六に、火色虫。これは「緊風」（激しい風）によって殺される。 第七に、滑虫。これは「肺風」（肺に関わる風）によって殺される。 第八に、下流虫。これは「臭上行風」（臭くて上へ昇る風）によって殺される。 第九に、起身根虫。これは「穢門行風」（不浄の門を巡る風）によって殺される。 第十に、憶念歓喜虫。これは「忘念風」（思い出せなくなる風）によって殺される<note>八十</note>。

「復次，修行者內身循身觀，已見無常、不淨、無我。前已一蟲為傷肺風之所殺害，如是等蟲，臨命終時，為風所殺。如是比丘內身循身觀，以無漏明，斷除無始流轉闇黑，畢竟常滅，以世間相似業而得此法，以其久修七種之念，現前見故，何等為七？一者念佛；二者念法；三者念僧；四者念戒；五者念天；六者念死；七者念無常。

> さらに、修行者は内身において身を循（めぐ）らせて観察している。すでに無常、不浄、無我であることを見ている。先に、一つの虫が肺を傷つける風によって殺されたように、このような虫たちも、命が終わろうとする時、風によって殺される。このように比丘は内身において身を循らせて観察し、無漏（むろ）の明かりによって、無始以来の流転の暗黒を断ち切り、ついに永遠に消滅させる。世間における似たような業によって、この法を得るのである。それは、長い間、七つの念を修めて、それを目の前に見るからである。七つとは何か。第一に仏を念じ、第二に法を念じ、第三に僧を念じ、第四に戒を念じ、第五に天を念じ、第六に死を念じ、第七に無常を念じることである。

「復次，修行者內身循身觀。觀死幾種，壞一切業？彼以聞慧或以天眼觀死四種：所謂地大不調，水大不調，火大不調，風大不調。云何地大不調而斷人命？若地大不調，身中風氣，地大堅故，舉身皆閉，互相破壞，互相逼惱，譬如二山堅如金剛，於二山間置生酥摶，有大黑風吹此二山互共相擊，壓生酥摶。地大、風大如彼二山，一切身命、皮肉骨血、脂髓精氣，身篋盛之，猶如生酥，為地大、風大打壓加害，破壞身界，得大苦惱，不能念佛、念法、念僧，現陰將盡，為中陰繫，相續不斷。一切愚癡凡夫之人以心相似相續緣生，如印所印，死亦如是，現陰將盡，以相似心生亦相似，以心獼猴因緣力故，受諸生死。

> さらに、修行者は自らの身体を繰り返し観察せよ。 死には、全ての業を壊す幾つかの種類があるのか？ 彼は聞慧あるいは天眼によって、死に四つの種類があると観る。 すなわち、地大の不調、水大の不調、火大の不調、風大の不調である。 \*\*地大の不調とは、どのようにして人の命を断つのか？\*\* もし地大が不調になると、身の中の風気（エネルギー）が、地大が堅いために全身が閉ざされ、互いに破壊し合い、互いに苦しめ合う。 例えるならば、金剛のように堅い二つの山の間に、生の酥（バターの塊）を置くようなものだ。 強い黒い風が吹き、この二つの山が互いにぶつかり合い、その生の酥を押し潰す。 地大と風大は、その二つの山のようなものである。 一切の身命、皮、肉、骨、血、脂、髄、精気——それらは身体という箱に納められており、まるで生の酥のようだ。 それが地大と風大に打ち据えられ、押し潰され、害され、身体の世界を破壊され、大きな苦しみを得る。 そうして、仏を念じ、法を念じ、僧を念じることができなくなる。 現在の陰（五蘊の集まり）が尽きようとするとき、中陰（中間状態）に繋がれ、その連続は途切れることなく続く。 全ての愚かな凡夫たちは、心の似たような連続によって、縁に従って生まれる。 それは、印が押されるようなものである。 死もまた同じで、現在の陰が尽きようとするとき、似たような心が生じ、またそれも似たようである。 心という猿の因縁の力によって、様々な生死を受けるのである。

「復次，修行者內身循身觀。觀命終時，云何水大不調，令我及一切愚癡凡夫而喪身命？彼以聞慧或以天眼見水大不調：舉身筋脈，一切皮肉骨血、脂髓精氣，我及眾生臨命終時，一切皆爛，膿血流出，互相逼迫，一切皆動，如兩山壓，亦如前說，以生酥摶置於海中，黑風所吹，洪波相擊，不可止住，無堅無牢。如是水大破壞其身亦復如是，不能復念佛法僧寶，餘念之心，相續不斷。一切愚癡凡夫緣心相似而受生身，如印所印，於命終時，現陰既盡，受相似生，亦復如是，以心獼猴而受生死，引入生死。

> さらに、修行者は内身において身を循ねて観察する。命終の時、どのようにして水大が不調となり、私および一切の愚かで無知な凡夫たちが身命を失うのかを観じる。彼は聞慧または天眼によって、水大の不調を見る。すなわち、全身の筋や脈、すべての皮・肉・骨・血・脂・髄・精気が、私および衆生が命終の時に至って、すべてが爛れ、膿血が流れ出て、互いに押しやり合い、すべてが動き、あたかも二つの山に押しつぶされるようであり、また先に説いたように、生酥の塊を海の中に置き、黒風に吹かれて大波が打ち寄せ、止めることができず、堅くもなく牢でもないかのようである。このように水大がその身を破壊することもまた同様であり、もはや仏・法・僧の宝を念じることができず、残った心の念が相続して断たれない。一切の愚かで無知な凡夫たちは、心の相似した縁によって身を受け生まれる。あたかも印に印されるように、命終の時に現在の陰が尽きると、相似した生を受け取ることもまた同様である。心という猿によって生死を受け、生死へと導き入れられるのである。

「復次，修行者內身循身觀。云何火大不調而斷人命？彼以聞慧或以天眼見：命終時，火大不調，一切身脈、一切諸筋、一切輔筋、皮肉骨血、脂髓及精，一切燒煮，熱炎熾然。譬如燒於佉陀羅炭，火聚如山，投以生酥，燒之炎起，如是身者猶如酥摶投之。死苦亦復如是，不能復念佛法僧寶。現陰將盡，心念相續，一切愚癡凡夫以心緣念，相似受生，如印所印。於命終時，現陰既盡而心受生，亦復如是，以心獼猴因緣力故，而受生死。

> また、修行者は自己の身体を観察する。さて、「火大（火の要素）」の不調和によって命を断つとはどのようなことか。彼は聞いた智慧（聞慧）あるいは天眼によって見る。すなわち、命終わりの時、火大が調和を失い、身体中のすべての脈、すべての筋、すべての支える筋、皮、肉、骨、血、脂、髄、そして精に至るまで、すべてが焼き煮られ、熱炎が激しく燃え上がる。例えば、カタラの炭を焼き、薪の山の如き火に生酥（生のバター）を投じれば、炎が立ち上るように、この身体もまた酥の塊を火に投じるが如くである。死の苦しみもまた同様であり、もはや仏・法・僧の宝を念じることはできない。現在の五陰（身体と心の構成要素）が尽きようとする時、心の念は途切れずに続く。あらゆる愚かな凡夫は、心が縁を思い巡らすことによって、それに似た形で新たな生を受け、ちょうど印が押されるようにする。命終わりの時、現在の五陰が尽きるが、心が新たな生を受けるのもまた同様である。心という猿（揺れ動く心）の因縁の力によって、生と死の輪廻を受けるのである。

「復次，修行者內身循身觀。云何死時，風大不調而斷人命？彼以聞慧或以天眼見：臨終時，風大不調，一切身分、一切筋脈、一切身界，所謂皮肉骨血、脂髓精氣，皆悉散壞，乾燥無膩，互相割裂，從足至頂分散如沙。譬如酥摶黑風所吹，散壞失膩，於虛空中分散如沙，人命終時，風大不調，死苦所逼，亦復如是，不能復念佛法僧寶。一切凡夫盡有緣心相續而生，如印所印，於命終時，有盡心生，亦復如是。以心獼猴因緣力故，而受生老病死之身。

> 「さらに、修行者は自己の身体を観察する。では、死の際に風の要素のバランスが崩れて命が絶たれるのはなぜか。修行者は教えを聞く智慧や天眼によって、次の様子を見る。命終わりの時、風の要素が乱れると、身体の各部、すべての筋や脈、すべての身体の構成要素、すなわち皮膚、肉、骨、血、脂肪、髄、精気が、すべて崩れ去り、乾いて潤いを失い、互いに裂け離れ、足の先から頭頂まで砂のように散ってしまう。たとえば、固めた酥（バター）が黒い風に吹かれて崩れ潤いを失い、虚空に砂のように散るように、人が命終わる時も、風の要素の乱れに苦しみ、死の苦しみに迫られて、もはや仏・法・僧の宝を心に思い浮かべることもできない。 すべての凡夫には、因縁によって連続して生じる心の働きがあり、それはちょうど印を押すようなものである。命終わりの時にも、尽きる心が生じるのも、これと同じである。 心という猿の働きの因縁によって、人は生・老・病・死の身体を受けるのである。」

「是名四大不調，有四種死，行者見已，觀察無常、苦、空、無我。如是見已，不近魔境，近涅槃道，於染愛色聲香味觸不樂不著，不起愛心，離於塵垢，離於曠野，不著色聲香味觸，不起色慢，不恃少年，不恃命慢，不憙多語，不入城邑，無所偏著，常念死畏，於微細罪心生怖畏，如實知身，知生滅法，於一切染欲心得厭離，樂行正法心不懈怠。如是那羅帝婆羅門長者聚落修行比丘觀察修行。

> \*\*四大不調には四種の死がある。修行者はこれを観察し、無常・苦・空・無我と見極める。このように見極めれば、魔の領域に近づかず、涅槃の道に近づく。美しい色・声・香り・味・感触に執着せず、それを楽しむこともなく、愛着の心を起こさない。塵や汚れを離れ、荒野を離れ、色・声・香り・味・感触に執着しない。若さを誇らず、命を誇らず、多弁を好まず、町や村に入ることを求めず、どこにも偏って執着しない。常に死の恐怖を心に留め、小さな罪にも恐怖の心を抱く。身体をありのままに知り、生じたり滅したりする法を理解する。すべての欲望に対する染まりから心を離れ、正しい法を喜んで修行し、心が怠けることがない。\*\* このようにして、\*\*那羅帝のバラモン・長者・集落\*\*において修行する比丘は、上記の観察と修行に励むのである。

「復次，修行者內身循身觀。云何修行觀內外身，所謂觀外法已，觀於內身循身觀。觀察種子，如種生芽，從芽生莖，從莖生葉，從葉生花，從花生實，是名外觀。

> さらに、修行者は内なる身体を順に観察する。どのように修行して内外の身体を観察するのか。すなわち、外の法（現象）を観察した後、内なる身体を順に観察する。種を観察することは、種から芽が生じ、芽から茎が生じ、茎から葉が生じ、葉から花が生じ、花から実が生じるのを見るようなものである。これを「外観」という。

「復次，修行者觀於內身，前識種子共業煩惱入不淨中，名安浮陀，從安浮陀，名歌羅囉，從歌羅囉，名曰伽那，從伽那時，名為肉摶，從於肉摶生於五胞，所謂兩手、兩足及頭，從於五胞生於五根，如是次第乃至老死。

> さらに、修行者は内なる身体を観察しなさい。 はじめに、識（しき）という種が、共業（ぐごう）と煩悩（ぼんのう）とともに、この不浄な母胎に入る。これを安浮陀（あんぶだ）という。 安浮陀から歌羅囉（からら）となり、歌羅囉から伽那（がな）となり、伽那の時期には肉摶（にくたん）と呼ばれる。 肉摶から五つの胞（ほう）が生じる。すなわち、両手、両足、そして頭である。 五つの胞から五根（ごこん）が生じ、このように次第に成長して、ついには老いと死にいたるのである。

「復次，修行者外身隨順觀。云何草木前見青綠，後漸變黃，終時墮落？身亦如是，初見嬰兒，次至中年，漸至於老則歸於死。

> さらに、修行者は外なる身体について、順を追って観察します。草木は初め青々としていたものが、やがて黄色く変わり、最後には枯れ落ちます。それと同じように、身体も最初は幼子であったものの、次に中年へと移り、やがて老いに至り、死へと帰していくのです。

「復次，修行者外身隨順觀。外諸種子云何生耶？從地生於一切藥草及以叢林而得增長。彼以聞慧或以天眼見：是諸法各各因緣，各各力生，若內若外一切有為，除三種法，所謂數緣無為、非數緣無為、虛空無為。云何諸法各各力轉？所謂無明緣行，行緣識，識緣名色，名色緣六入，六入緣觸，觸緣受，受緣愛，愛緣取，取緣有，有緣生，生緣老死憂悲苦惱，如是一切大苦聚集。若無明滅則行滅，行滅則識滅，識滅則名色滅，名色滅則六入滅，六入滅則觸滅，觸滅則受滅，受滅則愛滅，愛滅則取滅，取滅則有滅，有滅則生滅，生滅則老死憂悲苦惱大苦聚滅，如是唯有大苦聚滅。如是諸法，若內若外，互相因緣而得生長。

> さらに、修行者は外の身体について観察を続けます。外にある種々の種子は、どのようにして生じるのでしょうか。大地からすべての薬草や草木が生まれ、それらは成長していきます。彼は聞き覚えた智慧あるいは天眼によって、次のように見ます。 これらの諸法は、それぞれに原因と条件があり、それぞれの力によって生じています。内なるものも外なるものも、すべての形成されたもの（有為）は、三つの法を除いて、そうした因縁によって成り立っています。その三つの法とは、選択による無為（数縁無為）、選択によらない無為（非数縁無為）、そして虚空の無為です。 では、諸法はどのようにしてそれぞれの力によってめぐるのでしょうか。すなわち、無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生じ、識を縁として名色が生じ、名色を縁として六入が生じ、六入を縁として触が生じ、触を縁として受が生じ、受を縁として愛が生じ、愛を縁として取が生じ、取を縁として有が生じ、有を縁として生が生じ、生を縁として老・死・憂・悲・苦・悩が生じ、こうして一切の大きな苦しみの集まりが生じます。 もし無明が滅すれば行も滅し、行が滅すれば識も滅し、識が滅すれば名色も滅し、名色が滅すれば六入も滅し、六入が滅すれば触も滅し、触が滅すれば受も滅し、受が滅すれば愛も滅し、愛が滅すれば取も滅し、取が滅すれば有も滅し、有が滅すれば生も滅し、生が滅すれば老・死・憂・悲・苦・悩という大きな苦しみの集まりも滅します。こうしてただ、大きな苦しみの集まりが滅するのみです。 このように、諸法は内なるものであれ外なるものであれ、互いに原因となり条件となって、生じ育っていくのです。

「如是修行者內身循身觀，三種外身界隨順觀，觀內如外，觀外如內，如實觀察。如是修行者觀內外法，先觀閻浮提，為增長正法，修內法觀，分別觀察，一一觀察、人天合觀，別觀無覺，內因於外一切四大，外因於內心心數法，有內法、外法增長。若有內法，內法正了，若內法增長，見外則了。云何內法因外增長？床褥臥具、病瘦醫藥所須之物皆悉具足，比丘則能增長善法；若無臥具病瘦醫藥，不能增長一切善法，無心悕求。如是內外互共相因而得增長，非有作者、非常不變、非無因生。

> このように修行する者は、自らの身体を観察し、さらに外なる三つの身体の領域をそれに従って観察する。内を観るように外を観、外を観るように内を観て、あるがままに観察する。このように修行する者は、内なる法と外なる法を観察する。まず閻浮提（人間界）を観察し、正しい法を増長させるために、内なる法の観察を修め、それぞれ分けて観察する。一つひとつを観察し、人間と天を合わせて観察し、さらに分別して無覚（無意識）の状態を観察する。内なるものは外なるすべての四大（地・水・火・風）に因り、外なるものは内なる心と心所の法（心作用）に因る。そこには内なる法と外なる法の増長がある。 もし内なる法があれば、内なる法は正しく明らかとなる。もし内なる法が増長すれば、外なるものを観て明らかとなる。では、どのように内なる法が外なるものに因って増長するのか。寝床や座具、病気ややせ衰えた際の薬や必要な物がすべて十分に備わっていれば、比丘は善法を増長することができる。しかし、もし寝具や病気の際の薬がなければ、一切の善法を増長することができず、心に求めることもない。このように内と外は互いに因り合って共に増長するのである。そこには作り手があるのではなく、常に不変なものでもなく、因なくして生じるのでもない。

「復次，修行者觀於外身。云何一切三界眾生，外法因緣而得增長？有一法增長，一切有為所攝眾生有四種食。何等為四？一名摶食；二名思食；三名觸食；四名愛識食。欲界之食，四大種子因於外食而得增長，內善禪樂，是名初觀外法增長內法。云何外法增長內法？彼以聞慧或以天眼觀：劫初時眾生所食，何因何緣八分具足。何等八分？所謂愛味色聲，愛聲樂濡，堅固色貌。外法者，謂床褥臥具湯藥能增長身，樂修善法。如是修行者外身隨順觀。若蚊虻蟻等不惱觸身，內法增長，若風雨寒熱若不妨礙，得求內法。若聞不愛不樂醜惡之聲，聞之無礙，名增內法。若聞臭氣不可愛樂，不以為礙，名增內法。若聞愛香無所障礙，名益內法。五根皆悉內因外入，有五內入，是名外身觀。賢聖弟子如實知身。

> また、修行者は外の身体について観じる。いわゆる、三界のすべての衆生が、外なる法の因縁によってどのように成長するのか。一つの法が成長すると、有為に含まれるすべての衆生には、四種の食がある。その四種とは、第一に「搏食」、第二に「思食」、第三に「触食」、第四に「愛識食」である。 欲界の食においては、四大の種子は外の食によって成長する。内には善い禅定の楽しみがある。これを「外の法が内の法を成長させる」という初めの観察とする。 では、どのように外の法が内の法を成長させるのか。彼は聞慧によって、あるいは天眼によって観じる。劫の初めに衆生が食べていたもの、何の因縁によって八つの部分が備わっていたのか。その八つの部分とは、いわゆる愛味・色・声・愛声・楽しさ・滑らかさ・堅固・色貌である。 外の法とは、寝具や臥具、湯薬など、身体を成長させ、善法を楽しんで修行するためのものをいう。このように修行者は、外の身体に随って順に観じる。 もし蚊や虻、蟻などが身体を悩ませ触れなければ、内の法は成長する。もし風雨や寒熱が妨げにならなければ、内の法を得ることができる。もし聞きたくない、好ましくない、醜悪な音を聞いても、妨げにならなければ、内の法が増えるという。もし嫌な臭い、愛楽できない臭いを嗅いでも、妨げとせずにいられれば、内の法が増えるという。もし好ましい香りを妨げなく嗅ぐことができれば、内の法が増えるという。五根はすべて、内の因と外の入によって成り立っており、五つの内の入がある。これを「外の身体の観察」という。 賢聖の弟子は、このように身体を如実に知る。

「復次，修行者觀於外身。云何六識而取於法？彼以聞慧或以天眼見於外法無所障礙，則能知法。何等六識？所謂眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識。是名內法了知外法，是內外法互相因緣。譬如飛鳥遊於虛空，隨其所至，影常隨身，內外諸入亦復如是。若一切身、一切內法增長，心亦增長。心為一切法之因緣，各各相因而有諸法。如是修行者不見一法是常、不變、不破壞者。

> さらに、修行者は外なる身体を観察せよ。いかにして六識が法を捉えるのか。彼は聞慧（もんえ）あるいは天眼（てんげん）によって、外なる法に何の障りもなく、法を知ることができる。その六識とは何か。すなわち、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識である。これらを内なる法と名づけ、外なる法を了知する。この内と外の法は互いに因縁（いんねん）となる。譬えば、飛鳥が虚空を遊び飛ぶとき、その赴くところに常に影が身に従うように、内外の諸々の入処（にゅうしょ）もまた同じである。もし一切の身体、一切の内なる法が増長すれば、心もまた増長する。心は一切の法の因縁であり、それぞれが相互に因りて諸々の法がある。このように修行者は、一つの法として常住（じょうじゅう）で、変化せず、壊れないものがあるのを見ないのである。

「復次，修行者外身隨順觀。觀閻浮提人壽命云何減損？云何增長？彼以聞慧或以天眼見：劫初時，光音諸天下閻浮提，食於地皮，如三十三天須陀之味。以劫初時，人善心故，地皮好色、好香、善觸，離一切過，眾人食之，壽命八萬四千歲，唯有三病：一者飢；二者渴；三者悕望。至第二時，如是人等，以不善心取於地皮，遂令地皮穢濁不淨，所謂飢渴及以悕望，欲命終時，熱病而死。如是觀閻浮提人因於外食而得壽命，無病無惱。

> 「さらに、修行者は外なる身体について順に観察する。すなわち、閻浮提（えんぶだい）の人々の寿命が、どのように減り、どのように増えるのかを観察する。彼は、聞いた教えや天眼通によって、次のことを見る。劫の初め、光音天から閻浮提に降り立った人々は、大地の皮を食べていた。それは三十三天の妙なる味わいのようであった。劫の初め、人々の心が善かったから、大地の皮は美しい色、良い香り、優しい触感を備え、あらゆる欠点がなかった。人々はそれを食べ、寿命は八万四千歳であった。ただ三つの病があっただけだ。一つは飢え、二つは渇き、三つは願望である。第二の時代になると、これらの人々は、不善の心で大地の皮を取り、そのために大地の皮は汚れ、濁り、清らかでなくなった。そして、飢えと渇きと願望によって、命終わろうとする時には、熱病にかかって死ぬようになった。このように、閻浮提の人々は、外からの食物によって寿命を得ており、本来は病気や悩みがないのだと観察するのである。」

「復次，修行者外身隨順觀。云何閻浮提人於第三時，一切因食而得色命？彼以聞慧或以天眼觀第三時：地皮皆滅，以食過故，風冷熱等皆不調順，無量病起，一切有為行聚，外食因緣內入增長，由內因緣外法增長。觀外身因內，內法緣外。

> さらに、修行者は外なる身体を観察する。では、閻浮提の人々が第三の時代において、すべて食事によって肉体と命を維持しているのはなぜか。彼らは教えを聴く智慧、あるいは天眼によって第三の時代を観察する。大地の皮はすべて消え去り、食物の過剰によって、風・冷・熱などの要素が調和を失い、数え切れない病気が生じる。すべての因縁によって生じたものの集まりにおいて、外なる食物の因縁によって内なる感覚器官が成長し、また内なる因縁によって外なる現象が成長する。外なる身体の因縁は内にあり、内なる現象の縁は外にあると観察する。

「復次，修行者隨順觀外身。云何第四鬪時，閻浮提人食何等食？彼以聞慧或以天眼見：閻浮提人於鬪戰時，食於莠子，或食鵲豆或食魚肉，或食菜根，一切好味皆悉滅沒，多有病苦，非時而老。於鬪戰時，人無氣力。

> さらに、修行者は順に従って外なる身体を観察します。では、第四の戦いの時、閻浮提（えんぶだい）の人々はどのようなものを食べるのでしょうか。彼は聞いた智慧か、あるいは天眼（てんげん）によって見ます。閻浮提の人々は戦いの時に、莠子（ひえ）を食べたり、鵲豆（ささげ）を食べたり、魚や肉を食べたり、あるいは菜根（やさいのね）を食べたりします。すべての良い味わいは消え失せ、多くの病苦があり、時にあらずして老いが訪れます。戦いの時には、人は気力がありません。

「復次，修行者外身隨順觀。云何劫初時，閻浮提人壽命長短？彼以聞慧或以天眼見：劫初時，閻浮提人壽命八萬四千歲，身長五百弓今人身等一弓。

> さらに、修行者は外なる身体について順に観察します。では、劫の初めの時代、閻浮提（えんぶだい）の人々の寿命はどれほどだったのでしょうか。彼は聴聞や天眼によって次のように見ます。劫の初めの時代、閻浮提の人々の寿命は八万四千歳で、身長は五百弓（ゆみ）でした。

「復次，修行者外身隨順觀。云何閻浮提人於第二時，壽命色量？彼以聞慧或以天眼見：閻浮提人於第二時，壽命四萬歲，人之身量，長二百弓。

> また、修行者は外なる身について順に観察します。では、閻浮提の人々が第二の時代において、寿命や容姿はどのようなものでしょうか？彼は聞いた智慧や天眼によって見ます。閻浮提の人々は第二の時代には、寿命は四万歳であり、人の身長は二百弓です。

「復次，修行者外身隨順觀。云何觀於閻浮提人於第三時，壽命色量？彼以聞慧或以天眼見：閻浮提人於第三時，其人壽命一萬歲，人之身量，長一百弓。

> さらに、修行者は外なる身について順に観察します。どのように閻浮提（えんぶだい）の人々を第三の時代において、寿命と体の大きさを観察するのでしょうか。彼は聞き覚えた智慧、あるいは天眼によって見ます。閻浮提の人々は第三の時代には、その寿命は一万歳、人の身の丈は百尋（弓の長さ）となります。

「復次，修行者外身隨順觀。觀閻浮提人壽命色量，彼以聞慧或以天眼見：閻浮提人於鬪戰時，其人壽命，受一百歲，身長一弓。

> さらに、修行者は外なる身体について、順を追って観察する。その観察とは、聞いた教えや天の眼によって、閻浮提の人々の寿命や体の大きさを見極めることである。閻浮提の人々は戦いの時には、寿命は百歳、身の丈は一弓の長さである。

「復次，修行者隨順觀外身。觀末劫時，無十善時，一切人民但自擁護，無福德時，云何壽命，壽幾許命？彼以聞慧或以天眼見於惡劫無法之時：一切好味皆悉磨滅，所謂鹽酥及安石榴、蜜與石蜜、苷蔗稻糧、六十日稻，如是等味世間勝者一切皆滅。一名赤稻，次名鳥將來稻，次名飛蟲稻，次名迦吒波稻，次名赤芒黃米稻，次名易洛稻，次名斑稻，次名白真珠稻，次名速稻，次名鐵芒稻，次名垂穗稻，次名赤色稻，次名朱吒迦稻，次名樹稻，次名水陸稻，次名陸地稻，次名正意稻，次名海生稻，次名雙穗稻，次名等𠸍稻，次名焦熱稻，次名鸚鵡不食稻，次名日堅稻，次名命稻，次名一切處生稻，次名師子稻，次名無垢稻，次名大輕稻，次名一切生稻，次名大力稻，次名生香稻，次名割蛇稻，次名罽賓稻，次名山中稻，次名近雪山生稻，次名離縛稻，次名迦陵稻，次名大迦陵伽稻，次名如雪稻，次名大貝稻，次名善德稻，次名流稻，次名不學稻，次名不曲新陀稻，次名員黑稻，次名波斯主稻，次名多得稻，次名鴦伽梨稻，次名量稻，次名長稻，次名雜稻，次名非人稻，次名惠稻，次名日種稻，次名摩伽陀稻，次名水沫稻，次名時生稻，次名無康稻，次名第一稻，次名暖稻，次名漢稻，次名黃色稻，次名婆薩羅稻，次名縛相稻，次名舌愛稻，次名澁稻，次名堅稻，次名須陀稻，次名麥色稻七十，次名少稻，次名六種藏稻，次名無皮稻，次名甜稻，次名黑色稻，次名青色稻。如是稻中有二種子：一者自生，二者種殖；及餘一切香花，於惡世時，盡皆滅沒。以滅沒故，閻浮提人皮肉脂骨悉皆減少，一切身骨矬陋短小，食味薄故，一切內外互相因緣，皆悉耗減。

> さらに、修行者は身心に即して外部の身体を観察する。末世の劫が訪れ、十善が行われず、人々がただ自分を守るだけの時代、福徳が失われた時、寿命はどうなるのか、どれほどの長さなのか。彼は聴聞や天眼によって、悪い劫が来て法が失われた時代を観る。すべての美味は消え去る。例えば塩や酥、ザクロ、蜂蜜、黒砂糖、砂糖きび、米、六十日で実る稲など、世の中の優れた味わいはすべて滅びる。以下に名を挙げる。赤稲、鳥の将来く稲、飛虫稲、迦吒波稲、赤芒黄米稲、易洛稲、斑稲、白真珠稲、速稲、鉄芒稲、垂穂稲、赤色稲、朱吒迦稲、樹稲、水陸稲、陸地稲、正意稲、海生稲、双穂稲、等𠸍稲、焦熱稲、鸚鵡が食べない稲、日堅稲、命稲、一切処に生える稲、師子稲、無垢稲、大軽稲、一切生稲、大力稲、生香稲、割蛇稲、罽賓稲、山中稲、雪山の近くに生える稲、離縛稲、迦陵稲、大迦陵伽稲、雪のような稲、大貝稲、善徳稲、流稲、学ばない稲、曲がらない新陀稲、円くて黒い稲、波斯主稲、多く得る稲、鴦伽梨稲、量稲、長稲、雑稲、非人稲、恵稲、日種稲、摩伽陀稲、水泡稲、時生稲、無康稲、第一稲、暖稲、漢稲、黄色稲、婆薩羅稲、縛相稲、舌愛稲、渋稲、堅稲、須陀稲、麦のような色の稲<note>七十</note>、少稲、六種の蔵を持つ稲、皮のない稲、甘い稲、黒色稲、青色稲。これらの稲には二種類の種がある。一つは自然に生えるもの、もう一つは人が植えるものである。また、その他すべての香りの良い花も、悪しき世の時にはすべて消え去る。それらが滅びるため、閻浮提の人々の皮・肉・脂・骨はすべて減り、身体の骨格は矮小で短くなる。食べ物の味が薄くなるからである。内外のすべてが互いに影響し合い、すべてが消耗し減少していく。

「是修行者如是外觀，一切無常、無樂、無淨、無我亦無作者，非無因生，非異因生，非是一作亦非二作、非三非四、非五非六、邪見外道之所造作。如是觀外境界隨順身觀。如是修行者觀初後時，如上廣說，如實隨順觀於外身。

> 修行者は、このように外なる世界を観察します。 すべては無常であり、真の幸せはなく、清らかでもなく、実体の自分もなく、作り手もいません。 何の原因もなく生じたのではなく、別の原因によって生じたのでもありません。 ただ一つの原因で作られたのでも、二つ、三つ、四つ、五つ、六つの原因によるのでもありません。 また、誤った見解に基づく外道によって作られたものでもありません。 このように外なる世界を観察しながら、同時に身体についても観察を続けます。 修行者は、最初と最後の段階をこのように観察し、先に詳しく述べたとおり、外なる身体をあるがままに、順を追って観察していくのです。

「復次，修行者隨順觀外身。云何觀四天下山河、城邑國土、海魚由旬之身、須彌山王、四面大洲，謂閻浮提國、欝單越國、弗婆提國、瞿陀尼國，有八大地獄、餓鬼、畜生、六欲諸天？如是隨順觀於外身。

> さらに、修行者は外なる身体について、そのまま観察していきます。いかにして四天下（全世界）の山河、街や国々、海の魚、由旬の大きさのもの、須弥山の王、四方の四大州（閻浮提、欝単越、弗婆提、瞿陀尼）、そして八大地獄、餓鬼、畜生、六欲の諸天を観るのでしょうか。このようにして、外なる身体をそのまま観察していくのです。

「復次，修行者初觀閻浮提東方大海、山河國土。彼以聞慧或以天眼見：有大山名曰無減，高十由旬，縱廣三十由旬。於此山中有恒伽河，有國名迦尸。復有二河：一名安輸摩河；二名毘提醯河。憍薩羅國有六國土：名他鴦伽國，名毘提醯國，廣百由旬；安輸國廣三百由旬；迦尸國一萬四千聚落，城廣二由旬；金蒲羅國人民眾多，林樹具足，那梨吱樹、多羅樹、多摩羅樹莊嚴其城，佉殊羅樹、波那婆樹多有眾果。是修行者復觀異人，謂：取衣人、賒婆羅人穿其脣口，以珠莊嚴；駱駝面人，其國縱廣一百三十由旬。觀彼國土，隨順觀外身，復觀閻浮提山河聚落。彼以聞慧或以天眼見：盧醯河出佉羅山，廣三由旬，長百由旬，入於東海，多有人民城邑莊嚴。

> さらに修行者は、まず閻浮提の東方にある大海、山河、国土を観察する。彼は聞いた智慧（聞慧）により、あるいは天眼によって、次のように見る。すなわち、無減と名づけられた大山がある。高さは十由旬、縦と横は三十由旬である。この山の中には恒伽河があり、迦尸という名の国がある。また、安輸摩河と毘提醯河という二つの河がある。憍薩羅国には六つの国土がある。すなわち、他鴦伽国、毘提醯国（広さ百由旬）、安輸国（広さ三百由旬）、迦尸国（一万四千の集落があり、城の広さは二由旬）、金蒲羅国（人民が多く、林や樹木が豊かで、那梨吱樹、多羅樹、多摩羅樹がその城を飾っている。佉殊羅樹や波那婆樹には多くの果実がある）である。この修行者はさらに異なる人々を観察する。すなわち、衣を取る人々や、唇や口に穴を開けて真珠で飾る赊婆羅人、ラクダのような顔をした人々であり、その国の広さは百三十由旬である。彼はその国土を観察し、外なる身体（外身）に随順して観察する。さらに閻浮提の山河や集落を観察する。彼は聞いた智慧により、あるいは天眼によって、次のように見る。すなわち、盧醯河は佉羅山から流れ出て、広さ三由旬、長さ百由旬で東海に注ぎ込んでおり、多くの人民や城邑がその辺りを飾っている。

「復次，修行者隨順觀外身。閻浮提中何等山河？彼以聞慧或以天眼見：有大山名彌斫迦，高一由旬，長一百由旬。復有一山，名為高山，高五由旬，長百由旬，山上有池，池有大力，廣半由旬，其池有河長二百由旬，入於大海。「復次，修行者隨順觀外身。閻浮提中何等異河？彼以聞慧或以天眼見：閻浮提中有一大河名迦毘梨，多有大花莊嚴其河，謂迦多吱花、般遮花、阿殊那花、迦陀摩花、南摩梨迦花、阿提目多迦花以為莊嚴。復有第二河，名瞿摩帝，以多饒牛故名牛河。如是二河，廣半由旬，長三百由旬，入於大海瞿摩帝者名牛。

> また、修行者は順に外の身を観察します。閻浮提（えんぶだい）にはどのような山や川があるのでしょうか。彼は聞いた教え、あるいは天の眼によって、次のように見ます。 大きな山があり、弥斫迦（みしゃくか）と名づけられています。高さは一由旬、長さは百由旬です。さらに、高山（こうざん）という名の山があり、高さ五由旬、長さ百由旬です。この山の上には池があり、その池には大きな力があります。広さは半由旬で、その池から長さ二百由旬の川が流れ出て、大海へと注いでいます。 また、修行者は順に外の身を観察します。閻浮提にはどのような珍しい川があるのでしょうか。彼は聞いた教え、あるいは天の眼によって、次のように見ます。 閻浮提に迦毘梨（かびり）という大河があります。さまざまな大きな花がその川を美しく飾っています。すなわち、迦多吱（かたし）の花、般遮（はんしゃ）の花、阿殊那（あしゅな）の花、迦陀摩（かだま）の花、南摩梨迦（なんまりか）の花、阿提目多迦（あてもくたか）の花が、飾りとなっています。 さらに第二の川として、瞿摩帝（くまでい）というものがあります。牛が多いことから、牛の川とも呼ばれています。この二つの川は、広さが半由旬、長さは三百由旬で、大海へと流れ込んでいます<note>瞿摩帝（くまでい）とは牛を意味します</note>。

「復次，修行者隨順觀外身。閻浮提中復有何等山河？彼以聞慧或以天眼見：閻浮提有山，名曰生念，其山有河，名娑羅娑帝，河邊有城，名俱尸那，其河不駛洋洋而流，其山方圓三十由旬，山中有人，名吱羅陀。邊地惡人，心無慈愍。其山復有取衣之人住在其中，善能水行於大海水，能過能度山水饒魚，以宿習故，唯食血肉以自存活。

> さらに、修行者は自身の外にある身体を観察していく。閻浮提（えんぶだい）には、どのような山河があるのだろうか。彼は聞いた智慧や天眼によって、次のように観る。 閻浮提には「生念」という名の山がある。その山には「娑羅娑帝」という名の川が流れ、川辺には「俱尸那（くしな）」という城がある。その川は激しく流れることなく、ゆったりと広がっている。山の大きさは縦横三十由旬である。この山には、「吱羅陀」と呼ばれる人々が住んでいる。彼らは辺境の地の者で、心に慈しみの心がない。また、この山には「取衣」の人々も住んでいて、彼らは水の中を巧みに行き、大海を渡り越えることができる。山の川には魚が多く、過去の習慣のままに、血肉だけを食べて生きている。

「復次，修行者隨順觀外身。過閻浮提，復有何等山海渚耶？彼以聞慧或以天眼見：有寶山住於海邊，高千由旬，種種眾寶之所成就，所謂青寶、大青寶王、金剛車𤦲、赤蓮花寶以為莊嚴。往昔有諸法行商人入於大海，為大風力，將至寶山。其大海水廣萬由旬，海中多有提彌魚、堤彌鯢羅魚、失收摩羅魚、捉影魚，不為其難。得度大海至金壁渚，真金為地，諸羅剎等住在此渚，其形可畏，有大勢力。過此渚已，復有一海，廣二千由旬，過此海已，復有一山，名曰二一，其山三峯，高七由旬，縱廣三百由旬，七寶莊嚴，青寶、金剛、青毘琉璃、車𤦲諸寶、赤蓮花寶莊嚴其山。

> 次に、修行者は観察に従って外なる身を観じます。閻浮提を越えて、他にどのような山海や島があるのでしょうか。彼は聞き覚えた智慧（聞慧）や天眼によって見ます。海辺には宝の山がそびえ立ち、高さは千由旬。様々な宝でできています。青宝、大青宝王、金剛、車渠（しゃきょ）、赤蓮華宝などが飾り立てています。 昔、教えを尊ぶ商人たちが大海に入り、強風に吹かれてこの宝山にたどり着きました。その海の広さは一万由旬。海の中には、堤弥魚、堤弥鯢羅魚、失収摩羅魚、捉影魚などの大きな魚がいても、彼らにとっては脅威とはなりませんでした。 その海を渡り終えると、金壁の島に着きます。地面は純金で、恐ろしい姿の羅刹（らせつ）たちが住み、大きな力を持っています。この島を通り過ぎると、さらに広さ二千由旬の海があります。その海を渡ると、『二一』という名の山が現れます。この山は三つの峰を持ち、高さは七由旬、縦横三百由旬。七宝に輝き、青宝、金剛、青毘瑠璃、車渠、赤蓮華宝が山を飾っています。

「復次，修行者隨順觀外身。過此山已，復有何等山海渚耶？彼以聞慧或以天眼見：有大海名曰黑水，廣一萬由旬，諸阿修羅遊戲其中，龍及龍女亦遊其中。其黑水海，觀之可畏，有羅剎鬼，名曰捉影，攝阿修羅，令其劣弱，退入水下。其黑水海，水下無山，水如黑雲，多有諸龍住在其中。是修行者既觀察已，如實外觀。

> さらに、修行者は外なる身体を随順に観察します。この山を過ぎたならば、さらにどのような山や海、そして州があるのでしょうか。彼は聞いた智慧や天眼によって見ます。そこには黒水という大海があり、広さは一万由旬、阿修羅たちはその中で戯れ遊んでいます。龍や龍女もその中で遊んでいます。その黒水の海は、見るに恐ろしいもので、羅刹鬼がいて、その名を「捉影」と言います。それが阿修羅を捕らえ、彼らを弱らせて、水下に退かせます。その黒水海には、水の下に山はなく、水は黒雲のようで、多くの龍たちがその中に住んでいます。この修行者は、それを観察したのちに、そのように外なるものを如実に観察します。

「行者復觀，過黑水海有何山海？彼以聞慧或以天眼見：有大海名赤寶水，充滿其中，海岸有樹，名閻浮樹，一切樹中最為高勝，樹高九十由旬，迦樓羅鳥王，金剛為嘴，住在其上。去閻浮樹一百由旬，名青水海，於此海中有諸羅剎，名曼頭呵，身長十里，水中有山，此諸羅剎住在山中。

> 修行者がさらに観察すると、黒い水の海を越えた先に、どんな山や海があるでしょうか。彼は聞いた智慧や天の眼で見ます。そこには赤宝水という名の海があり、その水で満たされています。海岸には閻浮樹という木があり、すべての木の中で最も高く優れています。その高さは九十由旬（約千三百キロメートル）に達します。金剛のくちばしを持つ金翅鳥の王が、その木の上に住んでいます。閻浮樹から百由旬（約千五百キロメートル）離れたところに、青水海という海があります。この海にはマントウハという羅刹たちが住み、その身長は十里（約四キロメートル）もあります。海の中には山があり、これらの羅刹たちはその山の中に住んでいます。

## 正法念處經卷第六十七

> 正法念処経 巻第六十七