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title: "正法念處經 · 6"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
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## 正法念處經卷第六十九

> 正法念処経 巻第六十九

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 身念處品之六

> 身念処品 第六

「復次，修行者隨順觀外身。十大山中復有何等河池流水、華果、鳥獸？彼以聞慧或以天眼見：僧迦賒山，僧迦賒樹六時之華，其樹晝夜光明不斷，如閻浮提燃大炬火，其香普熏滿一由旬。如閻浮提所有林樹少分相類，如是僧迦賒山有四大林：一名青影林；二名鳥音林；三名溫涼林；四名鋡毘羅林。若至此林，其花如雲從空而下，合和聚集，故名僧迦賒山僧迦賒言聚集。青影林者，隨有一切白色眾鳥住在此林，以林力故，如琉璃色故，名青影林。鳥音林者，若入此林，如意所念，鳥出妙音，欝單越人見之，生大歡喜，故名鳥音林。溫涼林者，若人有寒，入則溫暖，若有熱者，入此林中即得清涼。林中有鳥，名曰風行，是命命鳥，以鳥力故，一念能行一千由旬。若人見鳥，憶念欲行，即乘此鳥，一念能至一千由旬。其命命鳥能解四天下人所有語言，亦能宣說，如人受樂，如人欲樂，其身七寶莊嚴，兩翼青寶、車𤦲頗梨、赤蓮華寶莊嚴其身，見者歡喜。觀僧迦賒山，有第二林，名曰鸚鵡，林鳥歡喜，有蓮華池涌覆其上，若閻浮提鵝王中熱而死，生此池中。如閻浮提鵝王住阿那婆達多池中，種種眾鳥住在此林中。鵝鴨鴛鴦、鵁鶄之鳥、怛荼摩那婆鳥、黃鳥鳩鴿、屯頭醯鳥、香鳥、三婆闍鳥、瞿耶沙吒鳥、聲歡喜鳥、六時行鳥、喜月明鳥、月出歡喜鳥、日色孔雀鳥，若見雷時，歡喜出聲。生樂鳥、少黃色鳥、俱羅婆鳥、那提背鳥、泥均崙陀鳥、陀婆迦鳥、雜身鳥、眾蜂旋鳥，其音能滿至一由旬，如閻浮提蜂住於樹林。烏鳥、山舞鳥、第一音鳥、鷄鳥、婆羅羅鳥、華覆身鳥、住蓮華鳥、青優鉢羅鳥、遮沙鳥、頻伽項鳥、般舟吒鳥、樂娑羅鳥、常音聲鳥、箜篌音鳥、見雲歡喜鳥、僧迦摩鳥、見鬪歡喜鳥、白雲鳥。復有異鳥，觀之可愛。離瞋恚鳥住林樹間，欝單曰人見之歡喜。觀彼眾鳥住林中，如實知外身。

> また、修行者は順に従って外なる身を観察します。十大山の中には、どのような川や池、流れ、花や果実、鳥や獣があるのでしょうか。彼は聞いた智慧によって、あるいは天の眼によって見ます。僧迦賒山（そうかしゃせん）には、僧迦賒の木があり、六つの時に花を咲かせます。その木は昼も夜も光明が絶えず、あたかも閻浮提（えんぶだい）で大きな炬火を燃やすかのようです。その香りは普遍に一由旬（ゆじゅん）にまで薫り満ちます。閻浮提にあるすべての林や木々の、少しばかりの部分がこれに類するように、この僧迦賒山には四大林があります。一つ目を青影林、二つ目を鳥音林、三つ目を温涼林、四つ目を鋡毘羅林（かんびらりん）といいます。もしこの林に至れば、その花は雲のように虚空から降り、和合し集まることから、僧迦賒山と名付けられています。青影林とは、あらゆる白色の鳥たちがこの林に住んでおり、林の力によって、あたかも瑠璃色であるがゆえに、青影林と名付けられています。鳥音林とは、もしこの林に入れば、心のままに念じることに従って、鳥が妙なる音を出します。欝単越（うったんえつ）の人々はこれを見て、大きな歓喜を生じることから、鳥音林と名付けられています。温涼林とは、もし寒さがある人が入れば温かくなり、もし暑さがある人がこの林に入れば、たちまち清涼を得ます。林の中には鳥がいて、名を風行といい、これは命命鳥です。鳥の力によって、一念の間に一千由旬を行くことができます。もし人がこの鳥を見て、行きたいと念じれば、即座にこの鳥に乗り、一念の間に一千由旬に至ります。その命命鳥は、四天下のすべての人の言語を解し、また説き示すことができます。人々が楽しみを受けるように、また人が楽しみを欲するように、その身は七宝で荘厳され、両翼は青宝、車𤦲（しゃけい）、頗梨（はり）、赤蓮華宝でその身を荘厳し、見る者は歓喜します。 僧迦賒山を観れば、第二の林があります。名を鸚鵡（おうむ）と言い、林の鳥は歓喜します。蓮華の池があり、湧き出てその上を覆います。もし閻浮提の鵞王が、熱さのために死ねば、この池に生まれます。閻浮提の鵞王が阿那婆達多池に住むように、さまざまな鳥たちがこの林に住んでいます。鵞（が）、鴨（おう）、鴛鴦（えんおう）、鵁鶄（こうせい）の鳥、怛荼摩那婆（たたまなば）の鳥、黄鳥、鳩鳩（くきゅう）、屯頭醯（とんとうけい）の鳥、香鳥、三婆闍（さんばじゃ）の鳥、瞿耶沙吒（くやしゃた）の鳥、声歓喜鳥、六時行鳥、喜月明鳥、月出歓喜鳥、日色孔雀鳥は、もし雷を見れば、歓喜して声を出します。生楽鳥、少黄色鳥、倶羅婆（くらば）の鳥、那提背（なだいはい）の鳥、泥均崙陀（ないくんろんた）の鳥、陀婆迦（だばか）の鳥、雑身鳥、衆蜂旋（しゅうほうせん）の鳥は、その音が一由旬にまで満ちます。あたかも閻浮提の蜂が樹林に住むように。烏鳥、山舞鳥、第一音鳥、鷄鳥、婆羅羅（ばらら）の鳥、華覆身鳥、住蓮華鳥、青優鉢羅鳥、遮沙（しゃしゃ）の鳥、頻伽項（びんがこう）の鳥、般舟吒（はんしゅうた）の鳥、楽娑羅（らくさら）の鳥、常音声鳥、箜篌音（くごおん）の鳥、見雲歓喜鳥、僧迦摩（そうかま）の鳥、見鬪歓喜鳥、白雲鳥。さらに異なる鳥もあり、これを見ることは愛らしいものです。離瞋恚鳥は林の樹間に住み、欝単曰（うったんえつ）の人々はこれを見て歓喜します。それらの多くの鳥が林の中に住むのを観察して、外なる身を如実に知るのです。

「復次，修行者隨順觀外身。僧迦賒山有何等林？彼以聞慧或以天眼見：第三林，名鋡毘羅林，枝葉相覆，蔭影涼厚，欝單越人為遊戲故，入此林中。林名斑葉樹，次名龍華樹，次名菴婆羅，次名拘鞞陀羅樹，次名娑羅樹，次名喜愛樹，次名鳥息樹，次名婆羅多羅樹，次名賒摩樹，次名尼沙迦毘陀樹，次名周多樹，次名迦羅樹，次名毘羅迦樹，次名旗隣陀樹，次名婆鳩羅樹，次名喜香樹，次名憍樂樹，次名奚多羅樹，次名多摩羅樹，次名鳩羅迦樹，次名青荊香樹，次名月輪樹，次名曜行樹，次名常開敷樹，次名尼均輪樹，次名開樹，次名阿濕波他樹，次名甄叔迦樹，次名賒摩梨樹，次名楊柳樹，次名毘邏樹，次名迦卑樹，次名那梨吱羅樹，次名波那娑樹，次名無遮果樹，次名阿殊那花樹，次名迦曇婆羅樹，次名泥周羅樹，次名天木香樹，次名乘攝樹，次名水生樹華，次名曼陀羅樹華，次名俱賒耶舍樹花，次名金色華，次名銀色花，次名毘琉璃樹，次名孔雀止息樹，次名異處行樹，次名洲生樹，次名迦離賒合樹，次名婆迦賒樹，次名互相映厚樹，次名滑樹，次名肩生樹，次名因陀羅長樹，次名岸生樹，次名巷生樹，次名珊瑚色樹，次名鳩摩鬚樹，次名悚樹，次名應時生樹，次名煙色樹，次名燈明樹，次名風動樹，次名芭蕉樹，次名俱翅羅樂樹，次名散華樹，次名花未覆樹，次名開烏彌羅樹，次名憶念樹，次名如飯樹，次名優曇鉢羅樹，次名頭頭摩樹，次名蜂旋樹，次名負峯樹，次名涼風樹，次名動搖樹，次名無憂樹，有如是等六十種樹，勝過餘樹，不說中下。鋡毘羅林，流水華池甚可愛樂。欝單越人無有怖畏、憂悲病苦，無有君王亦無熱惱，離於怨對姤嫉之患，於僧迦賒山鋡毘羅林歡喜受樂。觀僧迦賒山已，如實知外身。

> さらに修行者は、外なる身体を観察する。僧迦賒山にはどんな林があるのか。修行者は聞いた教えや天眼によって見る。第三の林は、鋡毘羅林と呼ばれる。枝や葉が重なり合い、涼しい陰を作り、鬱単越の人々は遊戯のためにこの林に入る。林には、斑葉樹、龍華樹、菴婆羅樹、拘鞞陀羅樹、娑羅樹、喜爱樹、鳥息樹、婆羅多羅樹、賒摩樹、尼沙迦毘陀樹、周多樹、迦羅樹、毘羅迦樹、旗隣陀樹、婆鳩羅樹、喜香樹、憍楽樹、奚多羅樹、多摩羅樹、鳩羅迦樹、青荊香樹、月輪樹、曜行樹、常開敷樹、尼均輪樹、開樹、阿湿波他樹、甄叔迦樹、賒摩梨樹、楊柳樹、毘邏樹、迦卑樹、那梨吱羅樹、波那娑樹、無遮果樹、阿殊那花樹、迦曇婆羅樹、泥周羅樹、天木香樹、乗摂樹、水生樹華、曼陀羅樹華、倶賒耶舍樹花、金色華、銀色花、毘瑠璃樹、孔雀止息樹、異処行樹、洲生樹、迦離賒合樹、婆迦賒樹、互相映厚樹、滑樹、肩生樹、因陀羅長樹、岸生樹、巷生樹、珊瑚色樹、鳩摩鬚樹、悚樹、応時生樹、煙色樹、灯明樹、風動樹、芭蕉樹、倶翅羅楽樹、散華樹、花未覆樹、開烏弥羅樹、憶念樹、如飯樹、優曇鉢羅樹、頭頭摩樹、蜂旋樹、負峯樹、涼風樹、動揺樹、無憂樹、というこのような六十種の木々があり、他の木々よりも優れている。中や下のものはここでは挙げない。この鋡毘羅林には、流れる水や華の池があり、とても愛らしい。鬱単越の人々には、恐れや憂い、病の苦しみがなく、王もいなければ熱悩もなく、怨みや妬みといった煩わしさからも離れている。彼らは僧迦賒山の鋡毘羅林で喜び楽しむ。このように僧迦賒山を観察して、修行者は外なる身体をありのままに知るのである。

「復次，修行者隨順觀外身觀。欝單越國僧迦賒山第四林，名曰溫涼。彼以聞慧或以天眼見：溫涼林種種涼池，亦如上說，花葉果樹、河流具足，謂清涼河，廣一由旬，其水甚深。一名清淨河，次名無濁河，次名乳水河，次名蒲桃汁河，次名蘇摩河，次名美乳埿白水河，次名憶念河，次名鵝王河，次名鴨河，次名鴛鴦河，次名妙音聲河，次名花流河，次名弱楊河，次名濤波流河，次名駛流水樂河，次名迦曇婆翅河，次名珠嘴河，次名饒龜河，次名赤魚旋行河，次名軍毘羅河，次名魚旋河，次名華流河，次名沫輪河，次名水笑河，次名平堓河，次名雨聲河，次名音曲流河，次名隨時轉河，次名無力河，次名山峯河，次名金色水河，次名銀色水河，次名銀石河，次名真珠沙河，次名山流河，次名雲轉河，次名車𤦲莊嚴河，次名珊瑚樹河，次名春歡喜河，次名秋清水河，次名山谷流河，次名峯輪笑河，次名雪水河，次名日不照河，次名速流河，次名洄澓河，次名尼均輪陀流河，次名香水河，次名雞多迦香熏河，次名雨歡喜河，次名屯頭摩河，次名周遍旋轉河，次名無量流河，次名灒水澆岸河，次名婆鳩羅河，次名減水河，次名歡喜旋流河，次名壞山河，次名雲行河，次名歌音河，次名鼓音河，次名雷音河，次名龍女喜樂河，次名夜叉所愛河，次名仙人所愛河。是名僧迦賒山第四溫涼林，有如是等七十大河，不說其餘無量小河，林樹華果功德具足。觀清涼林已，如實知外身。

> 「次に、修行者は外側の身体への観察を順にします。ウッタラクル国の僧迦賒山にある第四の林、その名を温涼林といいます。修行者は聞いた教えの智慧により、あるいは天眼によって見ます。温涼林には様々な涼しい池があり、先に述べたように花や葉、果樹、 rivers が備わっています。特に清涼河と呼ばれる川があり、その幅は一由旬、水深は非常に深いです。 まず清浄河、次に無濁河、次に乳水河、次に葡萄汁河、次に蘇摩河、次に美乳泥白水河、次に憶念河、次に鵞王河、次に鴨河、次に鴛鴦河、次に妙音声河、次に花流河、次に弱楊河、次に濤波流河、次に駄流水楽河、次に迦曇婆翅河、次に珠嘴河、次に饒亀河、次に赤魚旋行河、次に軍毘羅河、次に魚旋河、次に華流河、次に沫輪河、次に水笑河、次に平岸河、次に雨声河、次に音曲流河、次に随時転河、次に無力河、次に山峰河、次に金色水河、次に銀色水河、次に銀石河、次に真珠沙河、次に山流河、次に雲転河、次に車♢荘厳河、次に珊瑚樹河、次に春歓喜河、次に秋清水河、次に山谷流河、次に峰輪笑河、次に雪水河、次に日不照河、次に速流河、次に洄澓河、次に尼均輪陀流河、次に香水河、次に鶏多迦香熏河、次に雨歓喜河、次に屯頭摩河、次に周遍旋転河、次に無量流河、次に澱水澆岸河、次に婆鳩羅河、次に減水河、次に歓喜旋流河、次に壊山河、次に雲行河、次に歌音河、次に鼓音河、次に雷音河、次に竜女喜楽河、次に夜叉所愛河、次に仙人所愛河です。これらが僧迦賒山にある第四の温涼林の七十大河です。これ以外にも無数の小河川があります。林の木々、花や果実の功徳は完全に備わっています。この清涼林を観察し終えて、修行者は外の身体をありのままに知るのです。」

「僧迦賒山第五名震雷雲鬘龍遊戲雲鬘，所謂離瞋婆修吉龍王、德叉迦龍王、齒毒龍耀大電光，興雲普覆，隨順法行。有如是等七千大龍，於欝單越以時降雨，澍於平地。欝單越人猶如諸天。

> 僧伽賒山の第五の山は、震雷雲鬘龍遊戲雲鬘と名付けられています。そこには、離瞋婆修吉龍王、徳叉迦龍王、歯毒龍などがおり、大いなる電光を輝かせ、雲を広く覆い、法に従って行動します。このような七千の大龍たちが、欝単越に時に応じて雨を降らせ、平地に注ぎます。欝単越の人々は、まるで天人のようです。

「復次，修行者隨順觀外身。如前所說，若樹若花、若果若實、若河、若石窟、若地方處、若草若山谷、若山窟，如是等處，無針鋒許眾生所住，不生不死、不退不出，百返千返一切愛樂。種種眾生無不破壞、恩愛別離、惱亂心悔，無不曾為怨親中人，無不合和，無量生處，百生千生，或在水性或生陸地，或行虛空，於畜生中無一眾生不相噉食、不相殘害，無一眾生不作怨結，如我此身無處不生。如是比丘不見針鋒之地非生死處，如前所說。觀僧迦賒山已，如實知外身。

> また、修行者は順に従って外の身体を観察する。先に述べたように、樹木や花、果実や実、川や石窟、場所や土地、草や谷、山の洞窟など、こうした場所には針の先ほどの小さな空間にも、眾生が住むところはない。そこには生もなく死もなく、退くことも出ることもない。百回、千回と、あらゆる愛着や楽しみがある。さまざまな眾生は、みな壊されないものはなく、愛する者との別れによって心が乱れ後悔する。かつて怨みや親しみ、中立の関係でなかったものはなく、和合しなかったものもない。無量の生まれる場所、百生、千生、あるいは水中に生まれ、あるいは陸地に生まれ、あるいは虚空を行く。畜生のうちで、互いに食べ合わず、傷つけ合わない眾生は一つもなく、怨みの結び目を作らなかった眾生も一つもない。私のこの身体も、生まれない場所はない。このように比丘は、針の先ほどの土地でさえも生死の場所以外のものはないと見る。先に述べたように、僧迦賒山を観察して、外の身体をあるがままに知るのである。

「復次，修行者隨順觀外身。復有何等勝妙山林？彼以聞慧或以天眼見：第二山，名平等峯，猶如天上歡喜之園。平等山峯所有河池、花果林樹，如前僧迦賒山中，廣說復有何勝？其等山峯，三百金峯光明如日，五百銀峯亦如前說，功德勝前。欝單越人其身光明猶如滿月，名離怖畏，實無怖畏，故名無畏。欝單越人住此山中，歡娛受樂如四天王，夏四月時，於歡喜園受五欲樂。有何等勝？四天王天無骨無肉，無有汗垢，欝單越人所不能及。欝單越人遠離怖畏，勝四天處。四天王天住高山頂宮殿而居，猶懷恐畏，欝單越人無有宮宅，無我所心，是故無畏。欝單越人命終之時，一切上生，是故無畏，四天王天則不如是。欝單越人復有勝法離怖畏故勝四天處。平等山中所有樹林如第二日，離怖畏人隨心所念，皆從樹出，衣無線縷，瓔珞莊嚴，或念飲食，於百千河飲食盈流，鳥音可愛如前所說，金翅青毘琉璃，無量百千鵝鴨鴛鴦，無量眾鹿真金為身，珊瑚為角，車𤦲為目，青玉為甲，及餘異獸，無量種類住在山中，樹枝相蔭交互而生，如真珠網。俱翅羅鳥，孔雀妙音。百千流水，無量河岸以為莊嚴，一切河流，八功德水。何等為八？一者具味；二者清淨；三者香潔；四者除渴；五者涼冷；六者飲之無厭；七者無垢；八者飲之無患。無惡魚過。於此山中有種種花池，所謂有名廣博山花池，次名眾沙花池，次名五樹花池，次名鴛鴦岸花池，次名鵝水花池，次名扇翅花池，次名饒百鳥花池，次名大珊瑚花池，次名竹樹花池，次名深花池，次名月愛花池，次名上月花池，次名雜水花池，次名洄澓花池，次名竹林花池，次名仙愛華池，次名魚旋華池，次名三波陀魚迮華池，次名峯中花池，次名池鬘花池，次名旋轉花池，次名淨水花池，次名月光花池，次名月輪花池，次名離垢花池，次名乳水莊嚴花池，次名清涼花池，次名月愛花池，次名頗梨旋花池，次名速旋花池，次名澄靜花池，次名不動花池，次名天愛花池，次名歡喜花池，次名善味花池，次名如意味花池，次名樂花池，次名雞珠婆花池，次名甘露上流花池，次名龍花池，次名樂花池，次名阿殊那花池。平等山峯有如是等四十七池，於平等山中最為殊勝，其池皆是八功德水，如前所說。其山高勝如破空出，以山高故，有勝園林，功德具足，所謂清涼之林，色白如月，廣百由旬，多有銀樹，色白如雪，於此林中有蓮花池，名離水衣花池，次名蜂覆華池，次名貝色花池，次名常水花池，次名半見花池，次名歡喜花池，次名迦耽婆菩提迦花池，次名鵝翅花池，次名遊戲花池，次名可愛花池，次名見峯花池，次名樂遊戲花池，次名常樂花池，次名常蓮花池，次名常歡喜花池，次名雲花池。是名第一最勝十六花池，除其中下無量百千無名者，一切清淨無有泥濁亦無水衣。鵝鴨鴛鴦可愛音聲令欝單越人常得歡喜，命命孔雀於園林中出妙音聲。修行者觀平等山峯已，如實知外身。

> 次に、修行者は外なる身体を観察する。また、どのような素晴らしい山林があるのだろうか。彼は聞いた智慧や天の眼によって、第二の山「平等峯」を見る。それはまるで天上の歓喜園のようである。 平等山峯にあるすべての川や池、花や果実の林については、先に述べた僧迦赊山と同様である。では、さらに何が優れているのだろうか。その平等山峯には、太陽のように輝く三百の黄金の峰と、先に述べた五百の銀の峰がある。功徳はそれらよりも勝っている。 鬱単越人の身体の光は満月のようであり、「恐れを離れた者」と呼ばれる。実際に恐れがないので、「無畏」という名がある。彼らはこの山に住み、四天王天が夏の四月に歓喜園で五感の快楽を楽しむように、歓楽に浸る。では、どのような点で勝っているのか。四天王天の者には骨や肉がなく、汗や垢もないが、鬱単越人はそれには及ばない。しかし、鬱単越人は恐怖から遠く離れており、その点では四天王天より優れている。四天王天は高い山頂の宮殿に住むが、なお恐れを抱いている。一方、鬱単越人は宮殿や家を持たず、「我がもの」という心がないため、恐れがないのである。また、鬱単越人は命が終わると、皆、上に生まれ変わるので恐れがなく、四天王天はそうではない。このように、鬱単越人は恐怖を離れているという点で、四天王天より優れた法を持っている。 平等山の林々は第二の太陽のようである。恐怖を離れた人々は、心に思うことが叶い、すべてが木々から現れる。衣服は糸目がなく、瓔珞で飾られている。また、飲食を思うと、百千の川に飲食が溢れ流れる。鳥の声は愛らしく、先に述べた通りである。金翅鳥、青毘琉璃、無数の鵞鳥・鴨・鴛鴦、無数の鹿（真金の体、珊瑚の角、車𤦲の眼、青玉の爪を持つ）、その他様々な獣たちが、無数の種類で山の中に住んでいる。樹々の枝は陰をなし、互いに交錯して生え、真珠の網のようである。倶翅羅鳥や孔雀の美しい声がある。百千の流水と無数の河岸が荘厳しており、すべての川の水は八功徳水を備えている。八功徳とは何か。第一に味があること、第二に清らかであること、第三に香り清らかであること、第四に渇きを癒すこと、第五に冷たく清らかであること、第六に飲んでも飽きないこと、第七に垢がないこと、第八に飲んでも害がないことである。悪い魚はいない。 この山には様々な花の池がある。その名は、広博山花池、衆沙花池、五樹花池、鴛鴦岸花池、鵝水花池、扇翅花池、饒百鳥花池、大珊瑚花池、竹樹花池、深花池、月愛花池、上月花池、雑水花池、洄澓花池、竹林花池、仙愛華池、魚旋華池、三波陀魚迮華池、峯中花池、池鬘花池、旋轉花池、浄水花池、月光花池、月輪花池、離垢花池、乳水荘厳花池、清涼花池、月愛花池、頗梨旋花池、速旋花池、澄静花池、不動花池、天愛花池、歓喜花池、善味花池、如意味花池、楽花池、雞珠婆花池、甘露上流花池、龍花池、楽花池、阿殊那花池である。平等山峯には、このような四十の七つの池がある。これらは平等山の中でも最も殊勝なものであり、その池はすべて八功徳水をたたえていることは、先に述べた通りである。 その山は高く勝れており、空を破って出たかのようである。山が高いため、素晴らしい園林があり、功徳を具えている。例えば、「清涼の林」は色が月のように白く、広さ百由旬である。雪のように白い銀の樹が多い。この林の中に蓮華の池がある。その名は、離水衣花池、蜂覆華池、貝色花池、常水花池、半見花池、歓喜花池、迦耽婆菩提迦花池、鵝翅花池、遊戯花池、可愛花池、見峯花池、楽遊戯花池、常楽花池、常蓮花池、常歓喜花池、雲花池である。これらを第一の最も殊勝な十六の花池と名付ける。これらの中下に位置する無数の名前のない池々もあるが、すべて清らかで泥や濁りはなく、水衣もない。鵞鳥・鴨・鴛鴦の愛らしい声が、鬱単越人を常に喜ばせる。命命鳥や孔雀が園林の中で美しい声を奏でる。 修行者は、平等山峯をこのように観察して、外なる身体を如実に知るのである。

「復次，修行者隨順觀外身，信解四聖諦。觀平等山峯，頗有一處，是常不變、若樂、若我而不空者。如前所說，一切生死所攝眾生，頗有不死不生，一切所愛不離不別、不破壞耶？彼修行者觀：平等山峯不見一處是常不動、若樂、若我、若不空者，一切眾生所住之處，無不生死、為愛別離之所、破壞如是，一切生死無常，眾生無針鋒處不生不死、不生不滅。念四聖諦，觀欝單越平等山峯已，如實知外身。

> さらに、修行者がそとに従い身を観察し、四つの聖なる真理を信解する。平等の山の頂を観ても、一箇所として常住不変であり、楽であり、我であり、空でないところがあるだろうか。先に述べた通り、生死の世界に捉えられたすべての生きとし生けるものに、不死不生であり、愛するすべてのものが離れず別れず壊れないところがあるだろうか。その修行者は観察する。平等の山の頂には、常に動かず、楽であり、我であり、空でない場所は一つも見いだせない。すべての生き物の住むところは、生死がなく愛するものとの別れによって壊されない場所はない。このように、すべての生死は無常であり、生きとし生けるものに針の先ほどの場所でさえも、生まれず死なず、生まれず滅しないところはない。四つの聖なる真理を観じ、鬱単越の平等の山の頂を観察したならば、外身をあるがままに知るのである。

「復次，修行者觀欝單越更有何等可愛之處？彼以聞慧或以天眼見：第三山，名曰勿力伽，具足莊嚴，如前所說僧迦賒山及平等山峯具足莊嚴，此山轉勝。勿力伽山流水具足，石蜜河水意樹具足，所謂金樹，六時花果，敷榮蔚茂，光明如日。勿力伽山有光明林，所謂金光旋林，次名銀聚林，次名普山林，次名柔軟林，次名金光旋林，廣百由旬，真金林樹，多有眾蜂。次名銀聚林，縱廣三百由旬，無量銀樹，其林光明如百千月，多有師子，無量眾鳥，心常歡悅如前所說。勿力伽山有第三林，謂常樂林，林中有鳥，名常遊戲，受樂歡喜。其國有人，名曰解脫，常樂林中歡喜自在隨意遊樂，無人遮礙，如諸天眾而受悅樂。勿力伽山有第四林，名曰柔軟，金樹銀樹、珊瑚之樹，多有眾鳥，名曰解脫，其林縱廣五百由旬，常多欲人住在此林，其地柔軟如兜羅綿，花果之樹及蓮花池，無量百千眾蜂圍遶。修行者觀勿力伽第三山已，如實知外身，如前所說。

> さらに、修行者よ。ウッタラクルには他にどのような愛すべき場所があるのか観察せよ。彼は聞き得た智慧あるいは天眼によって見る。第三の山、名をムリガ（鹿）山という。先に述べたサンカーシャ山や平等山の峰々のように、荘厳に飾られ、この山はさらに勝れている。ムリガ山には流れる水が満ち、石蜜河があり、意のままの木々が満ちている。すなわち金の木々で、六つの季節に花と実をつけ、茂り栄え、その光は太陽のように輝く。ムリガ山には光明の林がある。すなわち金光旋林、次に銀聚林、次に普山林、次に柔軟林、次に金光旋林と呼ばれる。広さは百由旬であり、純金の木々の林で、多くの蜂がいる。次に銀聚林は、縦横三百由旬で、無数の銀の木々があり、その林の光は百千の月のように輝く。多くの獅子がおり、無数の鳥たちが常に喜び楽しんでいるのは先に述べた通りである。ムリガ山には第三の林があり、常楽林という。その林には常に遊戯するという名の鳥がいて、楽しみ喜んでいる。その国の人々で解脱という名の者は、常楽林の中で自由に喜び楽しみ、思うままに遊び、誰にも妨げられることなく、天の衆のように喜び楽しむ。ムリガ山には第四の林があり、柔軟林という。金の木々、銀の木々、珊瑚の木々があり、多くの鳥がいて、その名を解脱という。その林は縦横五百由旬で、常に欲望の多い人々がこの林に住む。その地は兜羅綿のように柔らかく、花や果実の木々や蓮の池があり、無数の百千の蜂たちが周りを取り巻く。修行者は第三のムリガ山を観察した後、外身に関する真理を、先に述べた通りに如実に知る。

「復次，修行者隨順觀外身。觀欝單越更有何等可愛之處？彼以聞慧或以天眼見：第四山，名白雲持，縱廣千由旬，純淨白銀之所成就，光明踰月，如閻浮提滿月出現，眾星失光，白雲持山亦復如是。欝單越人住此林者，名常發欲，常樂遊戲白雲持山，蓮花嚴身，離於怖畏、憂悲疲極、寒熱飢渴，常愛歌戲，於蓮華間遊戲受樂，於山峯中共眾婇女遊戲娛樂，常行愛欲，常離憂悲。白雲持山有諸園林，謂鼓音聲林，次名鴨音林，次名憶念林，次名水聲林。鼓音林者，鬘持天眾擊於天鼓，出美妙音，譬如箜篌笙笛和合出聲，擊天鼓音復過於此，閻浮提音十六分中不及其一。鳥獸園林、華池地界、金銀流水，功德如是。天鼓音聲如前所說，常欲之人聞天鼓音，常受愛色聲香味觸，如迦樓足天於歡喜園受天之樂。有第二林，名鴨音聲，其林花池有百千種，不可具說。鴨音聲林有眾寶鹿，次名鞞那娑鹿，次名寶莊嚴鹿，次名調伏鹿，次名樂音聲鹿，次名火色鹿，次名賒羅鹿，次名能投巖鹿，次名山峯行鹿，次名遮波羅鹿，次名普眼鹿，次名迦吱多那寶鹿，次名金角鹿，次名銀側鹿，次名風力鹿，次名食樹葉鹿，次名住水音聲鹿，次名行林鹿，次名珊瑚鹿，次名凹𥦃鹿，次名細腰鹿，次名黑皮鹿，次名賒輸多那鹿，次名日光明鹿，次名柔軟鹿，次名白鹿，有如是等二十五種鹿。常欲樂人與鹿遊戲，種種自業，於白雲持山中受相似樂。復有第三憶念之林，人名樂欲，若有所念，從樹而得，一切園林莊嚴可愛亦如前說。白雲持山有第四林，名水音聲，種種仙人住此林中遊戲受樂，若有汗熱，入池水中遊戲受樂。有諸仙人，一名無礙仙人，次名力仙人，次名徐行仙人，次名虛空行力仙人，次名穿雲行仙人，次名行日道仙人，次名行量仙人，次名白色仙人，次名刪那多仙人，次名鳩尸迦仙人，次名山無礙仙人，次名常樂仙人，次名乾陀羅仙人，次名行虛空仙人，次名富物仙人，次名內住仙人，次名闍窟仙人，次名常力仙人，次名鵝殿仙人，次名龍殿仙人，次名放電光仙人，次名住摩羅耶仙人，次名雞多迦鬘仙人，次名樂婇女仙人，次名樂酒仙人，次名住彌樓山仙人，次名三車那仙人，次名常遊戲仙人，次名常歡喜仙人，次名垂莊嚴仙人，次名飛行仙人，次名呪藏仙人。是名三十仙人，止住在於白雲持山，種種莊嚴遊戲，在於水音聲池歌舞戲笑，自業受樂，自業力故，共相似婇女遊戲受樂。

> さて、修行者よ、自分の外の世界を観察する時、北のクル国にはどんな楽しみがあるのだろうか。彼は教えを聞く智慧や天の眼によって、第四の山、白雲持山（はくうんじせん）を見る。この山は広さ千由旬、純粋な白銀でできており、その光は月よりも明るい。まるで閻浮提（えんぶだい）に満月が現れると星々の輝きが失せるように、白雲持山の輝きもまた同じだ。 この山に住むクル国の人々は「常発欲」（じょうほつよく）と呼ばれ、いつも楽しげに遊んでいる。彼らは蓮華で身を飾り、恐れや悲しみ、疲れ、寒さや暑さ、飢えや渇きから自由で、常に歌や遊びを愛し、蓮の花の間で楽しみ、山の頂上で多くの女性たちと戯れて楽しむ。愛欲に満ち、憂いや悲しみから遠く離れている。 白雲持山には素晴らしい林がある。まず「鼓音声林」（くおんじょうりん）、次に「鴨音林」（おうおんりん）、次に「憶念林」（おくねんりん）、次に「水声林」（すいしょうりん）である。 鼓音声林では、鬘持天（まんじてん）の衆が天の鼓を打ち、美しい音を奏でる。その音は竪琴や笛や笙が合わさったようで、天の鼓の音はそれ以上に素晴らしい。閻浮提の音を十六に分けたうちの一つにも及ばない。鳥獣や園林、花の池、地の境界、金銀の流れる水の功徳もまた同様である。この天の鼓の音を聞いた常に欲を抱く人々は、常に美しい色・声・香り・味・触りに触れ、あたかも迦樓足天（かるそくてん）が歓喜園で天の楽しみを受けるように楽しむ。 第二の林は鴨音声林である。この林や花の池には百千種ものものがあり、すべてを語ることはできない。鴨音声林には多くの宝の鹿がいる。その名は、鞞那娑鹿（びなさろく）、宝荘厳鹿（ほうしょうごんろく）、調伏鹿（ちょうぶくろく）、楽音声鹿（らくおんじょうろく）、火色鹿（かしきろく）、賒羅鹿（しゃらろく）、能投巖鹿（のうとうがんろく）、山峯行鹿（さんぽうぎょうろく）、遮波羅鹿（しゃはらろく）、普眼鹿（ふげんろく）、迦吱多那宝鹿（かしたほうろく）、金角鹿（こんかくろく）、銀側鹿（ぎんそくろく）、風力鹿（ふうりきろく）、食樹葉鹿（じきじゅようろく）、住水音声鹿（じゅうすいおんじょうろく）、行林鹿（ぎょうりんろく）、珊瑚鹿（さんごろく）、凹穴鹿（おうけつろく）、細腰鹿（さいようろく）、黒皮鹿（こくひろく）、賒輸多那鹿（しゃしゅたろく）、日光明鹿（にっこうみょうろく）、柔軟鹿（じゅうなんろく）、白鹿（びゃくろく）の二十五種である。 常に楽しみを求める人々はこれらの鹿と共に遊び、さまざまな業によって、白雲持山でそれぞれに相応しい楽しみを受ける。 第三の林は憶念林である。そこに住む人々は「楽欲」（らくよく）と呼ばれる。何かを念じると、木からその物が得られる。すべての園林は美しく飾られ、先に述べた通りである。 白雲持山には第四の林、水音声林がある。さまざまな仙人たちがこの林に住み、遊戯を楽しむ。汗をかいたり暑くなったりすれば、池の水に入って遊び楽しむ。その仙人たちの名は、無礙仙人（むげせんにん）、力仙人（りきせんにん）、徐行仙人（じょぎょうせんにん）、虚空行力仙人（こくうぎょうりきせんにん）、穿雲行仙人（せんうんぎょうせんにん）、行日道仙人（ぎょうにちどうせんにん）、行量仙人（ぎょうりょうせんにん）、白色仙人（はくしきせんにん）、刪那多仙人（さんなたせんにん）、鳩尸迦仙人（くしかせんにん）、山無礙仙人（さんむげせんにん）、常楽仙人（じょうらくせんにん）、乾陀羅仙人（けんだらせんにん）、行虚空仙人（ぎょうこくうせんにん）、富物仙人（ふもつせんにん）、内住仙人（ないじゅうせんにん）、闇窟仙人（あんくつせんにん）、常力仙人（じょうりきせんにん）、鵞殿仙人（がでんせんにん）、龍殿仙人（りゅうでんせんにん）、放電光仙人（ほうでんこうせんにん）、住摩羅耶仙人（じゅうまらやせんにん）、雞多迦鬘仙人（けいたかまんせんにん）、楽婇女仙人（らくさいじょせんにん）、楽酒仙人（らくしゅせんにん）、住弥楼山仙人（じゅうみるせんせんにん）、三車那仙人（さんしゃなせんにん）、常遊戲仙人（じょうゆげせんにん）、常歓喜仙人（じょうかんきせんにん）、垂荘厳仙人（すいしょうごんせんにん）、飛行仙人（ひぎょうせんにん）、呪蔵仙人（じゅぞうせんにん）の三十人である。 これらの仙人たちは白雲持山に住み、様々に飾って戯れ、水音声池で歌い舞い笑い騒ぎ、自分の業によって楽しむ。それぞれの業の力によって、似たような女性たちと共に遊び楽しむのである。

「如是遍觀白雲持山諸林樹已，如實知外身觀。白雲山中，頗有一法，是常不動、不變不壞、涅槃所攝？如是比丘不見一法，是常是樂、不動不變、不破壞者，一切諸法皆悉無常、破壞磨滅，猶如日光破諸闇冥。無常世間，初味後苦，深流不出，愛果無樂，如甄波迦果、如毒如刀，得時甚樂，悅目須臾，如電不住，如水駛流，無常不住，如乾闥婆城誑惑於人。一切人貪，如果必墮，如雜毒食，消時大苦，如蜜塗刀，亦如利戟，誑惑無量百千眾生，猶如河岸臨峻大樹，諸欲無常亦復如是。是修行者如實觀欲，生厭離心，正念觀察，滅除塵垢。

> このように白雲が連なる山々の林をくまなく観察し終えた修行者は、外なる身体の観察を事実に基づいて行う。 「白雲山の中に、常住であり、動かず、変わらず、壊れず、涅槃に含まれるような、たった一つの法があるだろうか？」 そのような比丘は、常住で楽しく、動かず変わらず壊れないものなど、一つも見出すことはできない。一切の諸法はすべて無常であり、壊れ、滅び去る。それはちょうど、日光が暗闇を打ち破るようなものである。 無常なる世の中は、初めは味わいがあるが、後には苦しみとなる。深い流れからは抜け出せず、愛欲という果実には楽はない。甄波迦果（けんぱかか）のようなものであり、毒のようなもの、刀のようなものである。得た時は非常に楽しいが、目を楽しませるのは束の間であり、稲妻のように留まらず、水が激しく流れるようにとどまらない。乾闥婆城（けんだつばじょう）のように人を惑わす。 すべての人が貪るものも、果実が必ず落ちるように、やがては堕ちる。毒を混ぜた食べ物のように、消える時には大きな苦しみがある。蜜を塗った刀のようなもの、鋭い戟（ほこ）のようなものであり、無量の百千の衆生を惑わす。それはちょうど、河岸にそびえる険しい大木のようなものである。 欲望は無常であり、全く同じである。この修行者は、欲望を事実に基づいて観察し、厭離の心を生じさせ、正しい念を持って観察を続け、塵や汚れを滅ぼし去るのである。

「復次，修行者隨順觀外身。欝單越國更有何等可愛山河？彼以聞慧或以天眼見：第五山，名曰高山，縱廣一千由旬，光明普照，有真金樹，毘琉璃葉，白銀為樹，珊瑚為葉，毘琉璃樹，真金為葉，光明如燈。復有異樹，無量種樹，蓮花林池園林遊戲，種種麞鹿、種種山峯亦如前說。住須彌山鬘持天眾、三箜篌天，從須彌山至此高山遊戲受樂。其高山峯皆是眾寶之所成就，有五大峯，一一山峯高五十由旬，縱廣二百由旬。第一金峯於山谷中生一切寶，謂毘琉璃、珊瑚車𤦲、頗梨迦寶、赤蓮花寶、柔軟寶、青因陀寶、大青寶王、自然天衣。第二銀峯，銀樹具足，峯中多有牛頭栴檀，若諸天眾與阿修羅共鬪戰時，為刀所傷，以此牛頭栴檀塗之即愈。以此山峯狀似牛頭，於此峯中生栴檀樹，故名牛頭。第三山峯，名天女樂，金銀、毘琉璃以為園林，其地柔軟，歡喜遊戲，愚癡凡夫為愛所誑，離聞正法，常愛欲樂。第四山峯，名曰生色，四大天王於蒲桃園遊戲受樂，一切禽獸、夜叉仙人、欝單越人皆悉受樂。蒲桃酒河盈滿而流，其味如蜜，有如石蜜，或有辛味或有雜味。其峯河岸多諸生色，所謂水牛牛羊、猪狗野狐、象馬駝驢、龍虎熊羆、師子兕豹，如是種種無量寶色。峯名生色，生諸生色，故名生色。第五山峯，毘琉璃林有蓮花池，毘琉璃莖，其花柔軟，所謂少滿蓮花池，次名眾多蓮花池，次名轉行蓮花池，次名花覆蓮花池，次名日照蓮花池，次名柔軟岸蓮花池，次名無比蓮花池，次名蜜林蓮花池，次名香風蓮花池，次名常水蓮花池。是名十種花池，住此峯中。復有大河處處而流，六味具足，一切意樹而以莊嚴，眾樹花果、河池具足，亦如前說。彼比丘觀第五山第五峯已，如實知外身。

> さらに、修行者は順に従って外なる身を観察する。欝単越の国には、他にどのような愛すべき山河があるのか。彼は聞き覚えた智慧、あるいは天の眼によって見る。第五の山、その名を高山という。広さは千由旬あり、光が普く照らす。そこには真金の樹があり、瑠璃の葉を持つ。白銀の樹には珊瑚の葉があり、瑠璃の樹には真金の葉があり、その光は灯のようである。また異なる樹々、無数の種類の樹々がある。蓮華の林、池、園林、遊戯の場、様々な麞や鹿、様々な山の峰もある。これは先に述べた通りである。須弥山に住む鬘持天の衆、三箜篌の天々が、須弥山からこの高山に至り、遊戯して楽しみを受ける。その高山の峰は、すべて様々な宝によって作り成されている。五つの大きな峰があり、それぞれの山の峰は高さ五十由旬、広さ二百由旬である。第一の金の峰は、谷の中で一切の宝を生み出す。すなわち瑠璃、珊瑚、車渠、頗梨迦宝、赤蓮華宝、柔軟宝、青因陀宝、大青宝王、自然の天衣である。第二の銀の峰には、銀の樹が具わり、峰の中には多くの牛頭栴檀がある。もし天々が阿修羅と戦闘する時、刀によって傷つけられれば、この牛頭栴檀を塗ればすぐに癒える。この山の峰が牛の頭の形に似ていることから、この峰に栴檀の樹が生じる。ゆえに牛頭と名付ける。第三の山の峰は、天女楽と名付け、金、銀、瑠璃をもって園林とする。その地は柔らかく、歓喜して遊戯する。愚かで無知な凡夫は愛欲に惑わされ、正しい法を聞くことを離れ、常に愛欲の楽を愛する。第四の山の峰は、生色と名付け、四大天王が葡萄の園で遊戯して楽しみを受ける。一切の禽獣、夜叉、仙人、欝単越の人々も皆、楽しみを受ける。葡萄の酒の河が満ちて流れ、その味は蜜のようであり、石蜜のようなものもある。あるいは辛い味、あるいは雑味もある。その峰の河岸には多くの生色がある。すなわち水牛、牛、羊、猪、犬、野狐、象、馬、駱駝、驢馬、龍、虎、熊、羆、獅子、犀、豹など、このような様々な無量の宝色がある。峰を生色と名付けるのは、様々な生色を生じるからである。ゆえに生色と名付ける。第五の山の峰には、瑠璃の林があり蓮華の池がある。瑠璃の茎を持ち、その花は柔らかい。すなわち少満蓮華池、次に衆多蓮華池、次に転行蓮華池、次に花覆蓮華池、次に日照蓮華池、次に柔軟岸蓮華池、次に無比蓮華池、次に蜜林蓮華池、次に香風蓮華池、次に常水蓮華池と名付ける。これらを十種の花の池と名付け、この峰に住む。さらに大河が各所に流れ、六つの味が具わる。一切の意の樹をもって荘厳とし、多くの樹々の花や果実、河や池が具わる。これも先に述べた通りである。その比丘は第五の山の第五の峰を観察し終えて、外なる身を如実に知る。

「復次，修行者隨順復觀高山。知業法果報，知眾生業法果報。眾生自業，住自業流轉，以自業故，而生此山，善業盡故，不善業故，墮於地獄、餓鬼、畜生。若有善業生天人中，高山四面所住之人，名樂善樂，常悕望欲，常不知足。

> さらに、修行者はこれに従って高山を観察する。業の法則とその報いを知り、衆生の業の法則とその報いを知る。衆生は自らの業によって存在し、自らの業によって流転する。自らの業によってこの山に生まれ、善業が尽きれば、不善業によって地獄・餓鬼・畜生に堕ちる。もし善業があれば、天や人の世界に生まれる。高山の四方に住む人々は、善を楽しみ楽しみを好む者と呼ばれるが、常に欲望を求め、常に満足することを知らない。

「如是比丘以偈頌曰：

> このようにして、比丘が偈（うた）をもって詠じました。

「『譬如火得薪，如海受眾流，愛欲難厭足，是故應捨離。』

> 例えば、火が薪を得れば燃え広がり、海が多くの川の水を受けるように、 愛欲というものは満たされることが難しい。だからこそ、それを捨て去るべきである。

「如是修行比丘以清淨眼見：此眾生於大憂悲愁毒之中猶復歡笑，眾生不知一切皆苦、無我、無常、一切法空、一切闇冥，一切生死無有常樂，非寂靜、非寂滅，一切資具要當破壞，此法不實，終墮地獄、餓鬼、畜生。譬如日出必當有沒，一切眾生亦復如是，有生之類，必歸於死。譬如春時，一切大地、山樹藥草、叢林平地，至於秋時，大地山樹、藥草叢林、陂澤花池一切衰變。少如春時，老如秋時，欝單越人不能覺知，一切少壯皆歸衰老。譬如夏時，天降洪雨，河有崖岸，諸水臻集盈溢充滿，至於孟冬，一切減少；富樂具足猶如夏時，富樂破壞猶如孟冬。譬如水泛蓮花池中，眾蜂所樂，歡喜受樂，霜雪既降，蓮花萎爛，眾蜂捨離；人亦如是，若無病惱，如花新開，衰病既至，如花萎爛。眾蜂圍遶猶如富樂親友臻集，眾生如是為愛所誑，不覺自壞。如是比丘觀於高山園林、花樹河泉陂池、仙人禽獸、山谷已，如實知外身。

> このように修行する比丘は、清らかな眼で見る。 「この衆生は、大きな憂いや悲しみ、苦しみの毒の中にあっても、なお笑っている。衆生は、すべては苦しみであり、我（永遠の自己）はなく、常に変化し、すべての法は空であり、すべては闇であり、すべての生死には永遠の楽はなく、寂静ではなく、滅することもなく、すべての所有物はやがて壊れるものであることを知らない。この法は実ではなく、ついには地獄・餓鬼・畜生に堕ちる。 例えば、太陽が昇れば必ず沈むように、すべての衆生もまた同じである。生あるものは、必ず死に帰する。 例えば、春にはすべての大地、山、木々、薬草、林、平地が盛んであるが、秋になれば、大地、山、木々、薬草、林、池、花園はすべて衰え変わる。春は若さのように、秋は老年のように、欝単越（うたんだつ）の人々はそれに気づかず、すべての若さは老いに帰する。 例えば、夏には大雨が降り、川には岸があり、水が集まって満ち溢れるが、冬の初めにはすべてが減少する。富や楽しみが満ち足りているのは夏のようであり、富や楽しみが壊れるのは冬の初めのようである。 例えば、蓮の花の池に水が満ち、多くの蜂が集まって喜び楽しむが、霜が降りれば蓮の花は萎れ、蜂は離れていく。人もまた同じである。病気や悩みがなければ花が咲き誇るようだが、衰えや病気が訪れれば、花が萎れるようになる。蜂が取り巻くのは富や楽しみや親友が集まるようであるが、衆生はこのように愛に惑わされ、自らが壊れていくことに気づかない。」 このように比丘は、高い山、園林、花の木、河川、泉、池、仙人、鳥獣、谷を観察した後、外なる身をあるがままに知る。

「復次，修行者隨順觀外身。彼以聞慧或以天眼見欝單越國，復有何等可愛山耶？彼以聞慧或以天眼見：第六山，名鬘莊嚴，於其山中有種種莊嚴，其山朱綠青黃種種色樹，所謂雜花林樹。復有花樹，名曰無憂。復有花樹，名曰金葉。復有花樹，名曰枝覆。復有花樹，名阿提目多迦，金莖金葉，風吹動搖水中。復有尼均輪陀樹，毘琉璃葉。有芭蕉，珊瑚為葉，見日則起。復有提羅迦樹，若見月光即便開敷。復有花樹，名拘牟陀，無日則開。復有花樹，名半月喜。復有花樹，名那羅迦羅。復有花樹，名三歡喜。復有花樹，名槃頭時婆。復有花樹，得烟增長。復有花樹，名曰無憂，女人觸之，花即為出。復有花樹，名曰軍陀，其性柔軟。復有花樹，名尸利沙，得人足蹈，即便增長。復有花樹，名鞞多婆，暖則有香。復有花樹，名鳩鳩摩，流轉異國。復有花樹，名曰見吉。復有蓮花，名曰善意，天人所愛。復有蓮花，名青優鉢羅，生在水中。復有蓮花，名常開敷。復有花樹，名曰師子迦曇鉢羅。復有蓮花，名曰水笑，足躡則生。復有花樹，名赤無憂，女人足躡，以得女人色香味觸，花則為出。復有花樹，名阿吒迦。如是花樹，二十有二，周遍花鬘以為莊嚴，或有金色、毘琉璃色或白銀色，或有黃色，或有綠色或有雜色，或在池中，或在樹下，或在榛林，或有周遍行一切處。復有眾鳥，真金為身，白銀為翅，或白銀身，黃金為翅，或珊瑚身，毘琉璃翅，毘琉璃身，青寶王翅，或頗梨身，真金為翅。或有眾鳥，真金為腹，白銀為翅，毘琉璃背。或有眾鳥，七寶為身，謂青寶、王摩伽羅寶、頗梨迦寶、車𤦲、珊瑚、摩蘇鳩留摩利寶、赤蓮花寶。如是自業，種種雜色、種種音聲、無量種身。欝單越人自業力故，有無量種雜色樹林、山河花池，甚可愛樂，如心所念，種種眾寶之所莊嚴。先世善業，所化飲食，河池林樹周遍莊嚴。欝單越人於鬘莊嚴山處受樂。住此山人，名常遊戲，於鬘莊嚴山，常遊戲人猶如諸天，於夏四月，在波梨耶多拘鞞陀樹下，歡娛受樂，唯除親眴，身有骨肉及有垢汗，自餘悉等。

> また、修行者は順に外の身体を観察します。彼は聞慧（もんえ）あるいは天眼（てんげん）によって、鬱単越（うたんえつ）の国を観ます。そこにはどのような愛すべき山があるのでしょうか。彼は聞慧あるいは天眼によって、第六の山を見ます。その名を鬘荘厳（まんしょうごん）といい、その山には様々な荘厳があります。その山は朱色、緑色、青色、黄色など、様々な色の木々で覆われています。例えば、雑多な花の林の木々です。また、無憂樹（むうじゅ）という花の木があります。また、金葉樹（きんようじゅ）という花の木があります。また、枝覆樹（しふくじゅ）という花の木があります。また、阿提目多迦（あだいもくたか）という花の木があり、黄金の茎と黄金の葉を持ち、風に吹かれて水中で揺れ動きます。また、尼均輪陀（にきんりんだ）という木があり、瑠璃（るり）の葉を持ちます。芭蕉（ばしょう）があり、珊瑚（さんご）の葉を持ち、太陽の光を見ると目覚めます。また、提羅迦（だいらか）という木があり、月光を見ると花を開きます。また、拘牟陀（くもだ）という花の木があり、太陽のない時に花を開きます。また、半月喜（はんげつき）という花の木があります。また、那羅迦羅（ならから）という花の木があります。また、三歓喜（さんかんき）という花の木があります。また、槃頭時婆（ばんずじば）という花の木があります。また、烟（けむり）にあうと成長する花の木があります。また、無憂樹（むうじゅ）という名の花の木があり、女性が触れると花を咲かせます。また、軍陀（ぐんだ）という花の木があり、その性質は柔らかいです。また、尸利沙（しりさ）という花の木があり、人の足で踏まれると、かえって成長します。また、鞞多婆（べいたば）という花の木があり、暖かいと香りを放ちます。また、鳩鳩摩（くくま）という花の木があり、他国へと流れていきます。また、見吉（けんきつ）という名の花の木があります。また、善意（ぜんい）という名の蓮の花があり、天人の愛するところです。また、青優鉢羅（しょううはつら）という名の蓮の花があり、水中に生まれます。また、常開敷（じょうかふ）という名の蓮の花があります。また、師子迦曇鉢羅（ししかたんぱつら）という名の花の木があります。また、水笑（すいしょう）という名の蓮の花があり、足で踏むと生じます。また、赤無憂（しゃくむう）という名の花の木があり、女性が足で踏むと、女性の色・香り・味・触りを得て、花を咲かせます。また、阿吒迦（あたか）という名の花の木があります。このような花の木、二十二種が、あまねく花の鬘（かずら）となって山を荘厳しています。あるものは金色、あるものは瑠璃色、あるものは白銀色、あるものは黄色、あるものは緑色、あるものは雑色であり、あるものは池の中に、あるものは木の下に、あるものはやぶの中に、あるものはすべての場所に行き渡っています。また、多くの鳥がいます。その体は金でできており、翼は白銀です。あるいは体は白銀で、翼は黄金です。あるいは体は珊瑚で、翼は瑠璃です。あるいは体は瑠璃で、翼は青宝王（しょうほうおう）という宝石です。あるいは体は玻璃（はり）で、翼は金です。また、ある鳥は腹が金で、翼が白銀、背中は瑠璃です。また、ある鳥は七宝の体を持っています。すなわち、青宝、摩伽羅宝（まからほう）、玻璃迦宝（はりかほう）、車𤦲（しゃり）、珊瑚、摩蘇鳩流摩利宝（まそくくるまりほう）、赤蓮花宝（しゃくれんげほう）です。これは自らの業によって、さまざまな雑色、さまざまな音声、無量の種類の体を持つのです。鬱単越の人々は自らの業の力によって、無量の種類の雑色の樹林、山河、花の池を持ち、心のままに願う、さまざまな宝で荘厳されており、まことに愛しく楽しむべきものがあります。前世の善い業によって生み出された飲食、河、池、林、樹があまねく荘厳されています。鬱単越の人々は、この鬘荘厳の山において楽しみを受けます。この山に住む人は「常に遊戯する者」と呼ばれます。鬘荘厳の山で常に遊戯する人々は、あたかも天人たちのように、夏の四か月の間、波利耶多（はりやた）の樹や、拘鞞陀（くびだ）の樹の下で、歓楽して楽しみを受けます。ただ、瞬きすること、骨と肉のある体であること、そして汗をかくこと以外は、すべて天人と等しいのです。

「復次，修行者觀業果法。眾生三種憍慢放逸，不作善業。何等為三？一者恃色而生憍慢；二者恃少而生憍慢；三者恃命而生憍慢。不作身善業、不作口善業、不作意善業，以勝善業上生天中，從天還退，墮於地獄、餓鬼、畜生。人中之愛，如蜜雜毒，受第一苦、第一繫縛、第一惡處。愛縛眾生，不知生從何來，去至何所。一切諸欲如甄波迦果，初雖少甜，後致大苦，猶如覆網眾生，不覺墮於嶮岸。愛別大苦，如火自焚。壯色不停，如山峻水，無常不住，變易衰壞。於五道中無有一處不為惡業風之所吹，流轉諸有，然諸眾生於生死中猶不生厭。觀鬘莊嚴山常遊戲人已，如實知外身。

> さらに、修行者は業と果報の法を観察せよ。三つの慢心と放逸により、衆生は善業を行わない。三つとは何か？第一に、容姿に慢心すること。第二に、若さに慢心すること。第三に、命に慢心することである。身の善業を行わず、口の善業を行わず、意の善業を行わない。優れた善業により天上に生まれても、そこから退転して地獄・餓鬼・畜生に堕ちる。 人の愛欲は、蜜に毒を混ぜたようなものである。最も苦しく、最も縛りつけ、最も悪しきところをもたらす。愛欲に縛られた衆生は、自らがどこから生まれ、どこへ去るのかを知らない。すべての欲は甄波迦果（けんぱかか）のようなもので、初めはわずかに甘いが、後には大きな苦しみをもたらす。網で覆われたように、衆生は気づかずに険しい崖に落ちる。愛別離苦（あいべつりく）は、火が自らを焼くように大きい。壮麗な色はとどまらず、山の急な水のようにはかなく、常ならず変化して衰え壊れる。五道のうち、悪業の風に吹かれずして諸有（しょゆう）を流転しないところは一つもない。それでも衆生は生死の中でなお厭うことをしない。鬘莊嚴山（まんしょうごんせん）の常に遊戯する人々を観察したならば、外なる身を如実に知るのである。

「復次，修行者隨順觀外身。欝單越國復有何等可愛山河花池？彼以聞慧或以天眼見：欝單越有一大山，名曰時樂，廣千由旬，高三十由旬，六時常鮮。一者孟冬；二者季冬；三者孟春；四者季春；五者孟夏；六者季夏。於第一時，有何等花？於孟冬時，有常開樹，名不合華，次名堅花，次名凍花，次名蜂覆花，次名婆佉羅花，次名善香花，次名無芽花，次名鴨音花，次名第一花，次名可愛花，次名涼冷具足花，次名深生花，次名夜開花，次名第一堅花，次名日花。是為孟冬寒時十五種花，生時樂山。第二季冬，復有蓮花生欝單越時樂山中，以善業故，阿提目迦花，隨念墮落，所謂鳩羅婆迦花，次名鉢頭摩花，次名鉢摩迦花，次名究羅婆迦花，次名多香花，次名蜂旋花，次名三摩柘花，次名無憂花，次名甄叔迦花，次名青無憂花，次名不合花，次名香拘物陀花，次名阿彌荼迦花，次名窟生花，次名河岸生花，次名尼支藍花，次名赤花，次名婆那帝花，次名鳥愛花，次名常開花，次名百葉花。有如是等二十種花，生於季冬及孟春時，阿提目迦花等，經於二時。欝單越國時樂山中，復有諸花生於季春，謂瞻蔔花，次名蘇摩那花，次名善色集花，次名徒摩羅花，次名香花，次名蜂蓮花，次名除飢香花，次名尸利沙花，次名赤花，次名等香花，次名常香花，次名耽婆羅味花，次名風萎花，次名百葉花，次名畏日花，次名諸蘭帝花，次名護色花，次名闍智羅花。時樂山中，有如是等二十種花生於季春，以欝單越人善業力故。時樂山中於孟夏時，復有諸花，名吱多迦花，次名鳩吒闍花，次名賒多婆熙膩花，次名迦曇婆花，次名尼朱羅花，次名由提迦花，次名蘇摩那花，次名龍舌花，次名無間愛樂花，次名善味花，次名善香花，次名普葉花，次名一切攝取花，次名轉花，次名鼻境界花，次名五葉花，次名愛雨花，次名愛觀花，次名塗摩花，次名水流花，次名雪色花。有如是等二十種花，於時樂山，生孟夏時，以欝單越人善業報故。時樂山中於季夏時，復有異花，所謂笑花，次名蘇摩那花，次名常瞻蔔花，次名林生花，次名虛空轉花，次名夜可愛花，次名一切方花，次名流花，次名遊戲地花，次名樂花，次名山谷花，次名陸生花，次名迦曇婆花，次名卑陽伽花，次名鵝旋花，次名修留毘花，次名多摩羅婆花，次名水花，次名月花，次名嶮岸上花。有如是等二十種花，生於季夏，欝單越國時樂山中。樹林花果、蓮花河池，時轉普遍此時樂山，如餘山中一切花果，此山常有。時樂山中所住之人，名曰陀利支摩魏言間遊。

> 「また、修行者は随順して外身を観察する。ウッタラクル国には、どのような愛すべき山河や花の池があるのだろうか。彼は聞慧あるいは天眼によって見る。ウッタラクル国に一つの大山がある。その名を時楽山と言い、広さは千由旬、高さは三十由旬であり、六つの季節に常に新鮮である。一つ目は孟冬、二つ目は季冬、三つ目は孟春、四つ目は季春、五つ目は孟夏、六つ目は季夏である。第一の季節には、どのような花があるのか。孟冬の時には、常に咲く木があり、その名を不合花という。次に堅花、次に凍花、次に蜂覆花、次に婆佉羅花、次に善香花、次に無芽花、次に鴨音花、次に第一花、次に可愛花、次に涼冷具足花、次に深生花、次に夜開花、次に第一堅花、次に日花という。これらが孟冬の寒い時期の十五種の花であり、時楽山に生える。第二の季冬には、さらに蓮華がウッタラクル国の時楽山に生える。善業の故に、アティムクタカの花が、思いに従って落ちてくる。すなわち、鳩羅婆迦花、次に鉢頭摩花、次に鉢摩迦花、次に究羅婆迦花、次に多香花、次に蜂旋花、次に三摩柘花、次に無憂花、次に甄叔迦花、次に青無憂花、次に不合花、次に香拘物陀花、次に阿彌荼迦花、次に窟生花、次に河岸生花、次に尼支藍花、次に赤花、次に婆那帝花、次に鳥愛花、次に常開花、次に百葉花がある。このような二十種の花が、季冬と孟春の時に生じる。アティムクタカの花などは、二つの季節にわたる。ウッタラクル国の時楽山には、さらに諸々の花が季春に生じる。すなわち、瞻蔔花（ジャスミン）、次に蘇摩那花、次に善色集花、次に徒摩羅花、次に香花、次に蜂蓮花、次に除飢香花、次に尸利沙花、次に赤花、次に等香花、次に常香花、次に耽婆羅味花、次に風萎花、次に百葉花、次に畏日花、次に諸蘭帝花、次に護色花、次に闇智羅花である。時楽山には、このような二十種の花が季春に生じる。それはウッタラクル国の人々の善業の力によるからである。時楽山において孟夏の時には、さらに諸々の花がある。その名を吱多迦花、次に鳩吒闍花、次に赊多婆熙膩花、次に迦曇婆花、次に尼朱羅花、次に由提迦花、次に蘇摩那花、次に龍舌花、次に無間愛楽花、次に善味花、次に善香花、次に普葉花、次に一切摂取花、次に転花、次に鼻境界花、次に五葉花、次に愛雨花、次に愛観花、次に塗摩花、次に水流花、次に雪色花という。このような二十種の花が、孟夏の時に時楽山に生じる。ウッタラクル国の人々の善業の報いによるからである。時楽山において季夏の時には、さらに異なる花がある。すなわち、笑花、次に蘇摩那花、次に常瞻蔔花、次に林生花、次に虚空転花、次に夜可愛花、次に一切方花、次に流花、次に遊戲地花、次に楽花、次に山谷花、次に陸生花、次に迦曇婆花、次に卑陽伽花、次に鵝旋花、次に修留毘花、次に多摩羅婆花、次に水花、次に月花、次に嶮岸上花である。このような二十種の花が、季夏に生じる。ウッタラクル国の時楽山においてである。樹林や果実、蓮華や河や池は、季節が巡るごとに、この時楽山に遍く存在する。他の山にあるような一切の花果が、この山には常にある。時楽山に住む人々の名を陀利支摩という（魏の言葉で「間遊」という）。

「復次，修行者知業果報。云何眾生先業既盡，不作新業而不知於時節輪轉？眾生食命，時如大火焚燒命薪，時如惡雹摧壞命夭，時如師子噉害人獸，時如駛河拔人樹根，漂至異處，一切死法不可逃避。云何眾生而不覺知，不見老病死戲弄破壞一切少壯，及一切欲，破一切力？一切眾人之所輕笑，羸瘦之本，能滅眼耳鼻舌身意，涎涕流溢，身曲不端，牙齒髑髏骨節筋脈皆悉慢緩，不能去來、洗沐清池，為諸年少之所輕毀，欲入死城，失於氣力，不安隱處、不善之地，數大小便，多樂眠臥。眾生云何不見此老而行放逸？以放逸故，不見決定當有疾病。以疾病故，四大不調，諸根失樂，一切筋肉皮血脂膚及以精髓皆悉乾竭，憎一切味，不能坐起，憶念醫師以求安隱，一切飲食，入口皆惡，頓乏疲極，不能起止，欲多睡眠，身體羸瘦，唯有皮骨，一切親族及其妻子不能為伴，如死怖畏，而此眾生不知不覺。是修行者觀放逸行眾生已，起悲愍心。以悲愍故，修四梵行，謂慈、悲、喜、捨。是修行者如是觀欝單越人，起悲愍心，觀身威儀如賊無異，身如水沫，諸識如幻，富樂如夢，作是觀已，生厭離心。

> また、修行者は業の因果を知る。いったいなぜ、衆生は過去の業が尽き果てたにもかかわらず、新たな業を積まず、時の巡りが運命を変えてしまうことに気づかないのか。 衆生の命は、まるで大火が薪を焼き尽くすように、時に食い尽くされる。時は、酷い雹が命の花を打ち砕くかのようである。時は、獅子が人や獣を食い殺すかのようである。時は、激しい流れが木の根を引き抜き、根こそぎ別の場所へ流してしまうかのようだ。すべての死は、避けることのかなわぬものである。 それなのに、どうして衆生は気づかないのか。老いや病、死が、すべての若さや欲望、力を嘲笑い壊しているのが見えないのか。老いは、すべての人に軽く笑われる衰弱の根源であり、目・耳・鼻・舌・身・意という六根を滅ぼす。よだれは流れ出て、腰は曲がり真っ直ぐにのばせず、歯や頭蓋骨、関節や血管のすべてが緩みきって、歩くことも、清らかな池で身を洗うこともできない。若者たちに嘲られながら、死の砦へと入っていくのだ。気力は失せ、安らぎのない不安定な場所で、小便や大便の回数は増え、ただ横になって眠ることを好む。 どうして衆生は、この老いを見ずに、放逸に過ごしているのか。放逸がゆえに、必ず病が来るとも知らないのだ。病によって、身体の四大は調和を失い、すべての感覚器官は喜びを失う。あらゆる肉、皮、血、脂、皮膚、さらに骨の髄までもが乾き尽くし、すべての味を嫌悪し、起き上がることも座ることもできなくなる。医者を思い出しては安らぎを願うが、口に入る食べ物はすべて苦く、ただただ疲れ果てて、起き上がることも動くこともできない。眠りたがり、身体はやせ細り、皮と骨だけになる。すべての親族や妻も子も、もはや伴侶とはなり得ず、死の恐怖に怯えるばかりだ。それでも、この衆生は何も気づかない。 このように、修行者は放逸に生きる衆生を見て、深い哀れみの心を起こす。その哀れみのゆえに、四つの清らかな行い〈慈悲喜捨〉を修める。 修行者はこうして鬱単越の人々を観察し、その哀れみの心を深める。身体の動きを見れば、それは盗賊と変わらず、身体とは水の泡のようなものだ。様々な心のはたらきは幻のようであり、富や楽しみは夢のようである。このように観じて、修行者は執着を離れる心を生じるのである。

「復次，修行者隨順觀外身。觀欝單越，復有何等殊勝可愛山林河池？彼以聞慧或以天眼見：欝單越有一大山，名歡喜持，其山有林，名曰周遍，縱廣五百由旬，一切寶性之所莊嚴，所謂金性、銀性、銅性、寶性、酒性、蜜性，六味之性及餘異性。其林普遍毘琉璃花蔓鬘纏遶，金葉蓮花，白銀為莖，金銀葉花，毘琉璃莖，蓮花充滿如日初出。有種種鳥莊嚴其池，所謂鵝鴨，次名鴻鳥，次名婆伽鳥，次名金鳥，次名白咽鳥，次名遮沙鳥，次名摩頭求鳥，次名鴛鴦鳥，次名波婆鳥，次名鶴鳥，次名阿嗟鳥，次名娑羅娑鳥，次名堤彌羅鳥，次名婆求鳥，次名時鳥，次名畏熱鳥，次名夜行鳥，次名樂鉢頭摩花坌鳥，次名辛頭波鳥，次名住水波鳥。有如是等二十種鳥住蓮花池，過普遍林歡喜持山，半山之中五百由旬。復有五百由旬，名竹岸，人住在此山，其山有樹，名曰軍持，出妙歌音，天女聞之，住空而聽，園林河池、蓮花皆悉具足，如前所說。

> さらに、修行者は外なる身を観察していく。ウッタラクルには、どのような特別で美しい山、林、川、池があるのか。彼は聞く智慧と天の眼によって見る。 ウッタラクルに、歓喜持という大きな山がある。その山に周遍という林があり、広さは五百由旬である。あらゆる宝の性質で飾られている。すなわち、金、銀、銅、宝、酒、蜜という六つの味の性質、その他様々な性質である。その林は一面、琉璃の花蔓で巻き飾られ、金の葉の蓮華、銀の茎、金や銀の葉と花、琉璃の茎を持つ蓮華で満ちている。それはまるで朝日が昇るかのようである。 様々な鳥がその池を飾っている。すなわち、鵝、鴨、鴻、婆伽鳥、金鳥、白咽鳥、遮沙鳥、摩頭求鳥、鴛鴦、波婆鳥、鶴、阿嗟鳥、娑羅娑鳥、堤弥羅鳥、婆求鳥、時鳥、熱を恐れる鳥、夜行の鳥、楽鉢頭摩花坌鳥、辛頭波鳥、住水波鳥である。このような二十種の鳥が蓮華の池に住んでいる。 この普遍林と歓喜持山を過ぎ、半山の中腹に五百由旬の地がある。さらに五百由旬の地があり、竹岸と呼ばれ、人々がこの山に住んでいる。その山には軍持という木があり、素晴らしい歌声を奏でる。天女たちはこれを聞いて、空中に留まり聴いている。林、庭園、川、池、蓮華はすべて備わっており、先に述べた通りである。

## 正法念處經卷第六十九

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