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title: "正法念處經 · 7"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm9tok1uo08vbhj0v8e5o9gsl"
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## 正法念處經卷第七十

> 正法念処経 第七十巻

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 身念處品之七

> 身念処品 第七

「復次，修行者觀諸眾生業之果報。如此眾生應當啼哭，如何乃作歌舞戲笑，而不觀於放逸？眾生地獄受苦啼哭悲哀，不知眾生愛網所縛，以身口意作惡業故，墮於地獄、餓鬼、畜生，受大苦報，憂悲啼哭，受種種苦，如其業行，墮活地獄、黑繩地獄、眾合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄，五種愛故，愛於色聲香味觸故，為之所縛，流轉在於生死大海。如是修行者觀竹岸住人已，如實知外身。

> さらに、修行者よ、諸々の衆生の業の果報を観察せよ。これらの衆生は本来、泣き叫ぶべき存在であるのに、どうして舞い踊り、歌い、笑い、そして放逸を顧みないのであろうか。衆生は地獄で苦しみ、泣き悲しんでいる。しかし、彼らは自分たちが愛の網に縛られていることを知らない。身と口と意で悪業をなしたがゆえに、地獄・餓鬼・畜生に堕ち、大きな苦しみの報いを受け、憂い悲しみ、泣き叫び、様々な苦しみを受けている。その業のありように従って、活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄に堕ちる。五つの愛着、すなわち色・声・香・味・触に愛着するがゆえに、それらに縛られて、生死の大海を流転しているのである。このように修行者は、竹岸に住む人々を観察したのちに、外なる身を如実に知るのである。

「復次，修行者隨順觀外身。觀欝單越，復有何等可愛山林？彼以聞慧或以天眼見：欝單越有一大山，名曰心順，縱廣一千由旬，於此山中常有緊那羅女，於山峯中歌眾妙音，河岸園林、平處山谷，多有華池，有諸林園，所謂吱多吱林，次名龍林，次名那梨吱羅林，次名婆那娑林，次名佉羅林，次名菴婆林，次名無遮林，次名金毘羅林，次名迦卑他林，次名孔雀林，次名俱翅羅林，次名鸚鵡林，次名河池林，次名蓮華林，次名優鉢羅林，次名辛頭波利多林，次名鳩羅婆迦林，次名命命鳥林，次名多羅林。如是林中，一切珍寶、美妙之音，一切人聞歡喜受樂，癡愛所覆，轉增愛火，若有聞此緊那羅女歌頌之音，百倍增長。若有飢鹿，食草在口，聞此歌音，不覺遺墮；飛鳥在樹，雙鳥遊戲，啄食美果，聞此音聲，皆悉止住；眾蜂聞聲，不飲美味；若有仙人在虛空中聞其歌音，即住不行。如是心順山中緊那羅女歌頌之音，甚可愛樂。其山皆是毘琉璃寶，金銀為石，珊瑚為樹，真珠為沙，鉢婆羅池以頗梨寶為憂鉢羅，多有白鵝，其色如貝；復有諸鹿，七寶莊嚴。於園林中有俱翅羅、孔雀命命，其音可愛；復有池水，眾蜂莊嚴。如是心順山中一切眾人若見若聞，心生愛樂，遍於山上一切男女，歡喜戲笑，心生悅樂。此心順林復有第二可愛之事，如須彌山所出光明，上照二百由旬，心順山中光明，上照二千由旬，其光白淨，金樹光明，以毘琉璃山光力故，皆作白色。如須彌山王金色光明，草來近之，皆作金色，如是心順山光令一切禽獸、河池華樹皆作白色，以心順山光明力故。山有人住，名曰白人，光明亦白，住在此山，大力端嚴，心常歡喜，第一清淨，妙香塗身，華鬘莊嚴，歌舞戲笑，愛樂音聲，不生嫉姤，無我所心亦無我慢，一切光明皆作白色，種種末香以散其身，種種歌音聞之悅樂。如意之樹出香美酒，飲之無患，隨其所念，衣從樹出，衣無線縷經緯之別，種種飲食種種莊嚴，種種眾鳥出妙音聲令人睡息；復有妙音，種種眾鳥令其覺寤，種種花池生種種華。如是白光明人受業果相，如其所作上中下善業，受樂成就。

> また、修行者は順に外なる身を観察します。閻浮提にはどのような愛すべき山林があるのでしょうか。彼は聞いた教えや天眼によって見ます。閻浮提に一つの大きな山があり、その名を心順山と言い、広さは千由旬に及びます。この山には常に緊那羅女がいて、山の峰々で様々な美しい音を歌っています。川岸、林園、平地、谷間には多くの花の池があり、様々な林園があります。例えば、吱多吱林、次に龍林、次に那梨吱羅林、次に婆那娑林、次に佉羅林、次に菴婆林、次に無遮林、次に金毘羅林、次に迦卑他林、次に孔雀林、次に俱翅羅林、次に鸚鵡林、次に河池林、次に蓮華林、次に優鉢羅林、次に辛頭波利多林、次に鳩羅婆迦林、次に命命鳥林、次に多羅林などです。これらの林には、あらゆる宝や美しい音があり、人々は皆これを聞いて喜び楽しみます。しかし、愚かな愛欲に覆われていると、かえって愛の火が燃え上がります。もし緊那羅女の歌声を聞けば、その愛着は百倍にも増します。もし飢えた鹿が草を口に含んでいても、この歌声を聞けば、思わず草を落としてしまいます。木の上の鳥たちが連れ立って遊び、美味しい果実をついばんでいても、この音を聞けばみな止まって聞き入ります。群れなす蜂は蜜の味を忘れ、虚空を飛ぶ仙人もその歌声に足を止めてしまいます。このように心順山の緊那羅女の歌声は、実に愛しく楽しいものです。 その山は全て毘瑠璃の宝でできており、金や銀は石となり、珊瑚は木となり、真珠は砂となります。鉢婆羅池には玻璃の宝でできた優鉢羅花があり、白い鵞鳥がたくさんいてその色は貝のようです。また様々な鹿がいて、七宝で飾られています。園林の中には俱翅羅や孔雀、命命鳥がいて、その鳴き声は愛らしいものです。さらに、池の水があり、群れなす蜂が飾っています。この心順山の中では、全ての人が見たり聞いたりして心から愛し楽しみ、山の上にいるすべての男女は喜び笑い、心から楽しみます。 この心順林には、第二の愛すべき出来事もあります。須弥山から出る光は二百由旬を照らしますが、心順山の光は上に二千由旬を照らします。その光は白く清らかで、金の木の光は、毘瑠璃山の光の力によって、すべて白色に見えます。ちょうど須弥山王の金色の光が草に近づくと全てを金色にするように、心順山の光は全ての鳥獣、河池、花木を白色に変えます。それは心順山の光の力によるものです。 この山には「白人」と呼ばれる人々が住んでいます。その光も白く、この山に住み、力強く端正で、心は常に喜びに満ち、最も清らかです。妙なる香を身に塗り、花の鬘で飾り、歌や舞、笑い戯れ、音声を愛好し、嫉妬の心がなく、我が物という執着もなく、我慢もありません。すべての光は白色で、様々な粉末の香を身にまき、様々な歌声を聞いて喜び楽しみます。 如意の木からは香り高い美酒が出て、これを飲んでも害がなく、思いのままに衣服が木から現れます。その衣服には縦糸や横糸の区別がありません。様々な飲食、様々な飾り、様々な鳥が美しい声を出して、人を眠りに誘います。また、様々な美しい声の鳥が人を目覚めさせ、様々な花の池には様々な花が生えています。この白い光の人々は、その行いの報いを受けています。彼らの善い行いの上中下に従って、様々な楽しみを成就しているのです。

「復次，修行者隨順觀外身。觀此眾生，云何現見他善業盡而就死苦，云何不覺？初不生苦，於受生時，父母精血於尿道中，識生受胎，業風所集，和合動之，七日一變，名阿浮陀。阿浮陀中，以於先世不殺生故，識心不滅不爛。第二七日，名伽那身，煩惱癡識，不壞不滅，如是七七日，名曰肉團，住在胎中屎尿之間，若母動身、若母飲食被壓辛苦，如壓蒲桃。復以業風吹動肉團，肉團增長，生於五皰，所謂兩手、兩足及頭。復以業風所動增長，生於膜衣，從膜衣中有脈如筒，上衝生藏。若其母食冷食、熱食，或美不美，從筒孔中入其臍中，為胎中命，令其不死。如是胎中受大苦惱。若於胎中不死不壞，為尿月水之所穢污，十月住胎如在牢獄，苦惱逼迫，一切身分猶如山壓，從胎中出。既生之後，風日所觸，受大苦惱，棄之於地，隨意捨行，自嗽其指，指中生乳，以自增長而得壽命。增長嬰兒，轉成盛年，漸至衰老，時風所滅，眾生業故，業藏流轉，如業所作，或善不善，諸業成就。如此眾生現見業法果報苦惱而猶放逸，於生死中苦受之本，所謂生也，寒熱飢渴、疲極病瘦、愛別離苦、怨憎會苦。於生死中，生為大苦，破壞生具，生死流轉，無常苦空，生滅無我，云何欝單越人而不覺知？如此山谷園林、花果河池蓮花，一切皆當無常破壞，歸於虛空。如是眾生，一切皆死，生於天上，天上命終，隨其本業，墮於地獄、餓鬼、畜生。是修行者如是觀於業法果報，見生死過，於白光明人生悲愍心。

> 次に、修行者は、順に従って外の身体を観察します。この衆生を観て、「どうして今、他の者の善業が尽きて死の苦しみに向かうのをはっきりと見ながら、それに気づかないのだろうか？」と考えます。 最初に生まれる苦しみはありませんが、受胎する時、父母の精血が尿道の中で、認識が生じて胎児を受け止めます。業の風によって集められ、調和して動き、七日ごとに変化し、これを「阿浮陀（あぶだ）」と呼びます。この阿浮陀の中では、前世で殺生をしなかったがゆえに、認識の心は消えず、腐敗しません。 第二の七日目には、「伽那（がな）」という身体になります。煩悩や無知の認識も、壊れず消えません。このようにして七週間が過ぎると、「肉団（にくえん）」と呼ばれる状態になり、胎内の屎尿の中に留まります。もし母が身体を動かしたり、飲食をして圧迫されたりすれば、それはまるで葡萄を押しつぶすような苦しみです。 さらに業の風が肉団を吹き動かし、肉団は成長して五つの膨らみを生じます。すなわち両手、両足、そして頭です。また業の風に動かされて成長し、薄い膜（まく）が生じます。その膜の中から、筒のような脈が生じ、上方の内臓に向かって伸びます。もし母親が冷たい食べ物や熱い食べ物、あるいは美味しいものや美味しくないものを食べると、その筒の穴から臍の中に入り、胎児の命を支えて死なせないようにします。 このようにして、胎内で大きな苦しみを受けます。もし胎内で死なずに壊れなければ、尿や月経の水によって汚され、十月の間、胎内に留まることは牢獄にいるようなものです。苦しみに悩まされ、全身はまるで山に押しつぶされるかのようです。 胎内から出た後は、風や日光に触れて大きな苦しみを受け、地面に捨てられ、思いのままに放っておかれます。自らの指をしゃぶり、指から乳が出て、それによって成長し寿命を得ます。 幼児から成長して盛んになり、次第に老いていき、時に風によって滅びます。衆生の業のため、業の蔵が流れ続け、業のなすところに従って、善であれ不善であれ、様々な業が成就します。 このように、衆生は目の前で業の法則の結果である苦しみを経験しながらも、なおも放逸に陥っています。生死の中で苦しみの根本となるもの、それが「生」なのです。寒さや暑さ、飢えや渇き、疲労や病気、愛する者との別れの苦しみ、憎む者との出会いの苦しみ。生死の中で、「生」こそが最大の苦しみであり、生の手段を壊し、生死を流転させます。無常であり、苦しみであり、空であり、生と滅は無我なのです。 どうして鬱単越（うたんえつ）の人々は、それに気づかないのでしょうか？このような山谷や園林、花果、河や池の蓮華でさえ、すべては無常であり破壊されて、虚空に帰するのです。 このように、すべての衆生は死に、天上に生まれ、天上での命が終われば、そのもとの業に従って、地獄・餓鬼・畜生に堕ちます。 修行者は、このようにして業の法則とその結果を観察し、生死の過ちを見て、白光明（はくこうみょう）の人々に対して悲愍の心を生じます。

「復次，修行者隨順觀外身。欝單越國復有何等可愛山林？彼以聞慧或以天眼見：欝單越有一大山，名俱賒耶舍，縱廣千由旬，有蓮花池，名曰清涼，縱廣五百由旬，金色蓮花充滿其中，無有泥濁，於此池中多有眾蜂，鵝鴨鴛鴦以為莊嚴。蓮花池中有天俱賒耶舍之花、曼陀羅華，林樹華果、河谷園林、清涼之池，如前所說。於俱賒耶舍山半山之中五百由旬，有八萬四千殿，奇特可愛，真金為殿，白銀欄楯，白銀為殿，真金欄楯，頗梨為殿，毘琉璃寶以為欄楯；毘琉璃殿，頗梨欄楯，青寶玉殿，車𤦲欄楯，車𤦲寶殿，青因陀寶以為欄楯。如是諸寶欄楯互相間錯，鈴網彌覆，歌舞戲笑，伎樂音聲，心常歡喜，葡萄蔓覆，猶如天中善見大城、天善法堂，俱賒耶舍莊嚴大山亦復如是，八萬四千殿、園林河池、樹林花果一切具足。俱賒耶舍山中所住之人，名曰雜色，心常歡喜，歌舞戲笑，飲食樂故。

> また、修行者は心を従えて、外側にある身体を観察します。 北倶盧洲には、どのような愛すべき山林があるのでしょうか。 彼は聞いた智慧、あるいは天眼によって見るのです。 北倶盧洲には、一つの大きな山があり、名を倶賒耶舎といい、その広さは縦横一千由旬です。 そこには清涼と名付けられた蓮華の池があり、広さは縦横五百由旬、金色の蓮華が満ち溢れ、泥や濁りは全くありません。 この池の中には多くの蜂や、鵞鳥、鴨、鴛鴦がいて、美しく飾り立てています。 蓮華の池の中には、天にある倶賒耶舎の花や曼陀羅の花があり、林の木々や花や果実、谷や川、園林、清涼の池が、先に述べた通りにあります。 倶賒耶舎山の中腹、五百由旬の場所には、八万四千もの殿閣があり、非常に珍しく愛らしいものです。 黄金の殿閣には白銀の欄干、白銀の殿閣には黄金の欄干、玻璃（はり）の殿閣には毘瑠璃（るり）の宝の欄干、毘瑠璃の殿閣には玻璃の欄干、青玉の殿閣には車𤦲（しゃくや）の欄干、車𤦲の殿閣には青因陀宝（あおいんたほう）の欄干があります。 これらの様々な宝の欄干は互いに美しく組み合わさり、鈴の網が一面に覆い、歌や踊り、笑い、遊戯、音楽の音色があり、心は常に喜びに満ち、葡萄の蔓が覆い掛かっています。 まるで天の善見大城や、天の善法堂のようです。 倶賒耶舎の荘厳な大山もまた、これと同じであり、八万四千の殿閣、園林、河川や池、樹木や林、花や果実が、すべて完全に備わっています。 倶賒耶舎山に住む人々は、その名を雑色といい、心は常に喜びに満ち、歌や踊り、遊戯、笑い、飲食の楽しみのため、このように暮らしています。

「復次，修行者觀業果報。如是眾生何故不見愛別離苦？一切眾生恩愛別離，行於異處，不知一切皆當死滅，隨業受報。若有善業生人天中，若不善業，墮於地獄、餓鬼、畜生。此雜色人心懷放逸，不知厭足，愛著色聲香味觸樂，為愛所縛，愛河所漂、欲火所燒而不覺知，無常死滅，入大黑闇，不見老苦破壞少壯，不見死火欲來燒人，能令永離一切親愛。死如大火，燒人命樹，焚眾生林。

> さて、修行者は、因果の報いを観察せよ。 なぜ人々は、愛する者との別れの苦しみを見ないのか。 すべての生きとし生けるものは、愛する者と別れ、別々の道を歩む。 しかし、やがてすべてが死に絶えることを知らない。 彼らは自らの業に従って報いを受ける。 善い業があれば、人や天に生まれ変わる。 不善の業があれば、地獄、餓鬼、畜生に堕ちる。 この煩悩に染まった人々は、心に放逸を抱き、足ることを知らない。 色、声、香、味、触の快楽に執着し、愛欲の縛りに絡めとられ、愛欲の河に流され、欲望の火に焼かれながらも、それを自覚しない。 無常の死が訪れ、大きな暗闇に落ち込む。 彼らは、老いの苦しみが若さを損なうのを見ず、死の火が目前に迫り、すべての愛する者から永遠に引き離すのを見ない。 死は大火のようなものであり、人の命という木を焼き、生きとし生けるものという林を焼き尽くすのだ。

「復次，修行者隨順觀外身。欝單越人以何業故，生十山中？何等十山？一名僧迦賒山；二名平等峯山；三名勿力伽山；四名白雲持山；五名高聚山；六名鬘莊嚴山；七名因陀羅樂山；八名歡喜持山；九名心順山；十名俱賒耶舍莊嚴山。彼以聞慧或以天眼見此眾生前世善業生此山中：不殺、不盜、不邪婬、不飲酒，行十善業，生此山中。

> さらに、修行者は順に従って外身を観察する。鬱単越人の人々は、どのような業によって十の山に生まれるのか。その十の山とは何か。第一に僧迦賒山、第二に平等峯山、第三に勿力伽山、第四に白雲持山、第五に高聚山、第六に鬘荘厳山、第七に因陀羅楽山、第八に歓喜持山、第九に心順山、第十に倶賖耶舎荘厳山である。彼らは聞慧あるいは天眼によって、これらの人々が前世の善業によってこの山々に生まれたのを見る。すなわち、殺生せず、盗まず、邪淫せず、酒を飲まず、十善業を行った結果、これらの山に生まれるのである。

「復次，修行者觀業果報。以何業故，彼諸眾生色力形相勝餘眾生？彼以聞慧或以天眼見：此眾生正見行施，心不諂曲，不惱眾生，直心憐愍，順法修行，親近正法。以是因緣，身壞命終，生於善道四天王天、三十三天，於彼命終，生於此間，此間命終，生於彼處。

> さらに、修行者よ、業（カルマ）の結果を観察しなさい。どのような業によって、生き物たちは姿や力、形相において他の生き物より優れているのか。彼は聞く智慧、あるいは天の眼によって見る。すなわち、この生き物は正しい見解を持ち、施しを行い、心は曲がっておらず、生き物を悩ませず、まっすぐな心で哀れみ、法に従って修行し、正しい法に親しむ。このような因縁によって、身体が壊れて命が終わるとき、善い道である四天王天や三十三天に生まれ変わる。そしてそこでの命が終わると、再びこの世に生まれることもあれば、またあの世界に生まれることもあるのである。

「復次，修行者觀業果報。此諸眾生以何業故，而受勝報？彼以聞慧或以天眼見：此眾生以前世時，於怖畏者施以無畏，見人就死，出於右門，反縛而出，將至塚間，打惡聲鼓，遣旃陀羅，欲斷其命，贖之令脫。以是因緣，身壞命終生於善道，若四天王天、三十三天、若夜摩天。

> さらに、修行者は業の報いを観察せよ。これらの衆生は、どのような業によって優れた報いを受けるのか。彼は聞慧または天眼によって見る。この衆生は前世において、恐怖に怯える者に無畏を施し、人が死に直面して右門から出され、縛られて墓場に連れて行かれ、悪しき太鼓が打ち鳴らされ、旃陀羅（屠殺者）が送られて命を絶たれようとするのを見て、その身を買い戻して助けたのである。この因縁により、身が壊れ命が終わった後、善き道に生まれ、あるいは四天王天、三十三天、あるいは夜摩天に生まれる。

「復次，修行者隨順觀外身。此諸眾生以何業故，於勝天中勝於餘天色相可愛、眾人供養？彼以聞慧或以天眼見：此眾生於前世時，樂聞正法，聽佛正法，聖法毘尼，讀誦佛法乃至一偈，讀誦思惟，以聞一句正法因緣，作轉輪王，主四天下，從此命終生於天上，一返、二返乃至七返，於六欲天，謂四天王處、三十三天、夜摩天、兜率陀天、化樂天、他化自在天，從天命終，來生此間。以善心故，受於色聲香味觸樂，還生天上，天上命終，先聞法故，於未來世得初禪定，生梵身天、若梵眾天、若大梵天。復以聞法種子因緣力故，於未來世得第二禪，從此命終生少光天、無量光天、光音天。復以聞法種子因緣力故，於未來世得第三禪，生遍淨天、福德生天。復以聞法修行因緣，問難思惟，於未來世得第四禪，以離著智火，燒煩惱樹，生無量善天、遍善天、廣果天。復以聞法因緣種子修行、讀誦、問難思惟，為邪見說，令住正見，盡一切有，度於險難，得緣覺道，若發阿耨多羅三藐三菩提願，則成無上正覺、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊。以聞正法因緣力故。聞正法者，謂聞布施、持戒以為根本。何以故？此聞法者，若在家、出家聞布施果，既了知已，而行布施。知布施果，聞持戒果，而持禁戒。聞智慧果，修集智慧，聞已即得生天，終得解脫。是聞法者，生天涅槃之種子也。於一切施，若資生施、若無畏施、若以戒施，聞正法施最為第一。若聽正法，第一持戒。若聞正法，為他人說，令捨不善，令法增長，是正法父。

> さらに、修行者は外なる身体を随順して観察します。これらの生きとし生けるものは、どのような行いによって、優れた天の世界で他の天より勝れ、美しい姿で人々に供養されるのでしょうか。 彼らは教えを聞く智慧、あるいは天眼によってこれを観ます。すなわち、この生き物は前世において、正しい教えを喜んで聞き、仏の正法や聖なる法と戒律を聴き、あるいは一句の経典であっても読誦し、思惟しました。この一句の正法を聞いた因縁によって、転輪聖王となり四天下を治め、その命終後、天に生まれ、一回、二回、さらには七回にわたって六欲天——すなわち四天王天、三十三天、夜摩天、兜率天、化楽天、他化自在天——に生まれ変わります。そして天で命を終えた後、再びこの人間界に生まれます。善心によって色・声・香・味・触の楽しみを受け、再び天に生まれます。天で命を終えた後も、以前に法を聞いたことによって、未来世において初禅の定を得て、梵身天、梵衆天、大梵天に生まれます。 また、法を聞いた種子の因縁の力によって、未来世において第二禅を得て、少光天、無量光天、光音天に生まれます。さらに、法を聞いた種子の因縁の力によって、未来世において第三禅を得て、遍浄天、福徳生天に生まれます。また、法を聞き修行し、問い質し思惟することによって、未来世において第四禅を得て、無量善天、遍善天、広果天に生まれます。さらに、法を聞いた因縁の種子によって修行し、読誦し、問い質し思惟し、邪見を持つ者に正しい見解を示し、迷いを尽くし、険難を乗り越え、縁覚の道を得ます。あるいは阿耨多羅三藐三菩提の願いを起こせば、無上正等覚、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊となります。すべては正しい法を聞く因縁の力によるものです。 正しい法を聞くとは、布施と持戒を根本として聞くことです。なぜなら、この法を聞く者は、在家であれ出家であれ、布施の果報を聞いてそれを理解し、布施を行うからです。布施の果報を知り、持戒の果報を聞いて戒律を守り、智慧の果報を聞いて智慧を修め集めます。聞けばすぐに天に生まれ、ついには解脱を得ます。この法を聞くことは、天界に生まれ、涅槃に至るための種子なのです。 すべての施し——生活の資となる施し、無畏の施し、戒による施し——の中で、正しい法を聞く施しが最も優れています。正しい法を聞くことは、第一の持戒です。もし正しい法を聞いて、それを他人に説き、不善を捨てさせ、善法を増長させるならば、その人は正法の父となるのです。

「復次，修行者隨順觀外身。過欝單越，復有何等人住？彼以聞慧或以天眼見：欝單越北，有國縱廣二千由旬。一名迦賒毘利，縱廣三百由旬，有河名迦賒毘梨，人所住處亦名迦賒毘梨，河池蓮花，花果園林枝葉相覆如前所說。過此國已，有河名阿彌多，其邊縱廣七百由旬，園林華池皆悉具足亦如前說。阿彌多河邊有五國土：一名天冠池國；二名波羅賒池國；三名鬘衣國；四名孔雀音國；五名山𡼏住國。天冠池國縱廣一百五十由旬，波羅賒池國縱廣一百五十由旬，其鬘衣國縱廣二百由旬，孔雀音國縱廣一百由旬，山𡼏住國縱廣一百由旬。復有十國，一一國土各百由旬。何等為十？一名拘登伽國；二名持香國；三名黑腹國；四名轉目國；五名山嶮岸國；六名順行國；七名四方國；八名圓國；九名髮覆國；十名僧伽多國。復觀此國，河池園林花果具足亦如前說。彼洲四方，人面亦然，如閻浮提人面像大洲，上廣下狹，欝單越人面像大洲，亦復如是。觀鬱單越國，一切洲渚、山谷園林、華果河池、禽獸具足。如是觀已，如實知外身。

> さらに、修行者は順に外の身を観察します。ウッタラクルを越えた先には、どのような人々が住んでいるのでしょうか？彼は聞いた教えや天眼によって、次のように見ます。ウッタラクルの北に、広さが二千由旬の国があります。その中に、カーシャピリという国があり、広さは三百由旬で、カーシャピリという川があり、人々の住む場所もカーシャピリと呼ばれています。池や蓮の花、果樹や花園、枝葉が覆い重なる様子は、先に述べた通りです。この国を過ぎると、アミタという川があり、その岸辺は広さ七百由旬で、園林や花の池もすべて備わり、これもまた先と同じです。アミタ川のほとりには五つの国があります。一つは天冠池国、二つはバーラシャ池国、三つは花鬘の衣の国、四つは孔雀の音の国、五つは山峡に住む国です。天冠池国は広さ百五十由旬、バーラシャ池国も広さ百五十由旬、花鬘の衣の国は広さ二百由旬、孔雀の音の国は広さ百由旬、山峡に住む国は広さ百由旬です。さらに十の国があり、それぞれの国は各百由旬です。その十とは何か？一つはクダンガ国、二つは香を捧げる国、三つは黒い腹の国、四つは目を回す国、五つは山の険しい岸の国、六つは順に行く国、七つは四方の国、八つは円い国、九つは髪で覆う国、十つはサンガータ国です。これらの国にも、先に述べたように、川や池、園林、花果がすべて備わっています。あの洲は方形で、人の顔もそれに似ています。例えば、閻浮提洲では人の顔は洲の形に似て、上が広く下が狭いように、ウッタラクルの人々の顔も洲の形に似ています。このようにウッタラクルの国々、すべての洲や島、谷や園林、花果や河川、禽獣がすべて備わっているのを観察します。このように観察して、外の身をありのままに知ります。

「復次，修行者隨順觀外身。過欝單越國、瞿陀尼國二國中間，復有何等山林海渚？彼以聞慧或以天眼見：欝單越國、瞿陀尼國二國中間，有一大海，名曰普眼，廣一萬由旬，有一水眼，廣一由旬，龍勢力故。過此大海，有一大山，名遊戲鬘，縱廣十千由旬，色如聚墨，龍氣燒故。過此山已，有一大海，名具思彌，縱廣一千由旬，多有大魚，堤彌魚、堤彌鯢羅魚、軍毘羅魚、那迦羅魚，如是等魚充滿海中，其海甚深，見者怖畏。於此海中有樂住龍，離於瞋恚。過此大海，有一大海，名曰水雲，縱廣十千由旬。於此海中，大波涌出，或十由旬、二十由旬、三十由旬。過此海已，有一大洲，名真珠蛤，多有真珠，若魚、若龍於水中死，棄於此洲，其洲縱廣一千由旬。過此洲已，有一大山，名曰寶山，縱廣正等五千由旬，七寶山峯、毘琉璃等，猶如第二須彌山王。過此山已，有甄叔迦林，縱廣二千由旬，種種園林花果具足。過此林已，有一大山，縱廣五千由旬，金蓮華池鵝鴨眾峯出眾音聲。過此山已，有一大海，縱廣十千由旬，金色之水充滿其中，出金色光，海有金山，名曰金水，高五百由旬。過此山已，有瞿陀尼，縱廣九千由旬，有十億聚落，一萬二千城，第一大城其數五百，如閻浮提有三百餘大城，所謂波吒梨弗多城，如是瞿陀尼大雲聚等五百大城。其大雲聚城，縱廣十二由旬，四交街巷屋宅樓閣充滿城中，住於中國第一大城，名曰百門，次名欄楯，次名泥目羅，次名光明，次名山谷。有如是等第一大城攝於中城。復有大國，名伽多支，次名僧差那多國，次名摩尼國，次名銀國，次名幡國，有如是等第一大國。譬如閻浮提中第一大國謂迦尸國、憍薩羅國、摩伽陀國，瞿陀尼國第一國土，亦復如是。次有中國，謂尼棄羅國，次名單持國，次名遮都羅國，次名俱蘭荼國，次名鞞多娑國，次名窟行國。瞿陀尼界有如是等第一中國，有二十五國攝一切國，如閻浮提十八大國。瞿陀尼國有五大河：一名廣河；二名均周師波帝河；三名月力河；四名樂水河；五名僧吱那河。如閻浮提四大河，所謂恒伽河、辛頭河、婆叉河、斯陀河。瞿陀尼國有五大山，何等為五？一名龍飛山；二名三峯山；三名珠門山；四名百節山；五名堅山。如閻浮提中有四大山，何等為四？一名雪山；二名民陀山；三名摩羅耶山；四名鷄羅娑山。瞿陀尼國有三大池：一名深岸池；二名無間池；三名放光池。如閻浮提阿那婆達多池及瞻波池。

> さらに、修行者は身の外を観察していきます。 欝単越国と瞿陀尼国という二つの国の間には、どのような山や海や島々があるのでしょうか。 修行者は、聞いた智慧や天眼で次のように見ます。 欝単越国と瞿陀尼国との間には、普眼という大海があり、広さは一万由旬です。そして水眼という場所が一か所あり、その広さは一由旬、これは竜の力によるものです。この海を過ぎると、遊び鬘という名の大山があり、縦横の広さは一万由旬、色は墨を集めたように黒く、竜の気が燃えているためです。この山を過ぎると、具思弥という名の大海があり、縦横の広さは一千由旬です。そこには堤彌魚、堤彌鯢羅魚、軍毘羅魚、那迦羅魚といった大きな魚が多くいて、その海は非常に深く、見る者は恐れをなします。この海の中には、怒りを離れた楽しく住む竜がいます。この海を過ぎると、水雲という名の大海があり、縦横の広さは一万由旬です。この海の中では、大きな波が湧き起こり、あるいは十由旬、二十由旬、三十由旬にもなります。この海を過ぎると、真珠蛤という大きな島があり、多くの真珠があります。魚や竜が水中で死ぬと、この島に打ち上げられます。この島の縦横の広さは一千由旬です。この島を過ぎると、寶山という名の大山があり、縦横ともに五千由旬で、七寶の山々の頂き、毘琉璃など、まさに第二の須弥山王のようです。この山を過ぎると、甄叔迦林があり、縦横二千由旬で、様々な園林や花果が備わっています。この林を過ぎると、大山があり、縦横五千由旬で、金の蓮華の池があり、鵝や鴨の群れが様々な音を発しています。この山を過ぎると、大海があり、縦横一万由旬、金色の水で満たされ、金色の光を放っています。海には金山があり、金水と名付けられ、高さ五百由旬です。この山を過ぎると、瞿陀尼があり、縦横九千由旬で、十億の集落、一万二千の城があります。最大の城の数は五百で、ちょうど閻浮提に三百余りの大城があるのと同じです。例えば波吒梨弗多城のように、瞿陀尼にも大雲聚など五百の大城があります。その大雲聚城は、縦横十二由旬で、四つの街路や巷、家屋、楼閣が城中に満ち溢れ、中国にあります。第一大城とは、百門、次に欄楯、次に泥目羅、次に光明、次に山谷と呼ばれます。このような第一大城が中城を統括しています。また、大国としては、伽多支国、次に僧差那多国、次に摩尼国、次に銀国、次に幡国があります。例えば閻浮提の第一大城である迦尸国、憍薩羅国、摩伽陀国のように、瞿陀尼国の第一の国土もまた同じです。次に中国として、尼棄羅国、次に単持国、次に遮都羅国、次に俱蘭荼国、次に鞞多娑国、次に窟行国があります。瞿陀尼界にはこのような第一の中国が二十五国あり、すべての国を統括しています。ちょうど閻浮提に十八大国があるのと同じです。瞿陀尼国には五大河があります。一つ目は広河、二つ目は均周師波帝河、三つ目は月力河、四つ目は楽水河、五つ目は僧吱那河です。閻浮提に四大河、すなわち恒伽河、辛頭河、婆叉河、斯陀河があるのと同じです。瞿陀尼国には五大山があります。五つとは何でしょうか。一つ目は龍飛山、二つ目は三峯山、三つ目は珠門山、四つ目は百節山、五つ目は堅山です。閻浮提に四大山、すなわち雪山、民陀山、摩羅耶山、鶏羅娑山があるのと同じです。瞿陀尼国には三大池があります。一つ目は深岸池、二つ目は無間池、三つ目は放光池です。閻浮提に阿那婆達多池や瞻波池があるのと同じです。

「復次，修行者隨順觀外身。觀瞿陀尼何所受用？彼以聞慧或以天眼見：瞿陀尼多饒牛犢，一切女人皆有三乳，如閻浮提女人十月乃產，瞿陀尼人亦復如是。如閻浮提女人二乳流汁，瞿陀尼女人三乳流汁亦復如是。如閻浮提園林具足，花果河池一切具足，其果半味，其華半香，河水半味。

> さらに、修行者は順に従って外なる身体を観察する。瞿陀尼（クタニ）の衆生は、何を受用しているのか？彼は聞き得た智慧、あるいは天眼によって、次のように見る。 瞿陀尼には多くの牛や子牛がいる。すべての女は三つの乳房を持つ。閻浮提（エンブダイ）の女が十月にして出産するように、瞿陀尼の人々もまた同じである。閻浮提の女が二つの乳房から乳汁を流すように、瞿陀尼の女もまた三つの乳房から乳汁を流す。閻浮提に園林が十分に備わり、果物や花、河や池がすべて備わっているように、そこでも同様である。ただし、その果物は半分の味であり、その花は半分の香りであり、その川の水も半分の味である。

「復次，修行者隨順觀外身。眾生何業生瞿陀尼？以下中業生瞿陀尼，彼以聞慧或以天眼見餘生處，少戒少施、少業少順法行。云何少戒？於前生處以貧窮故，受雇持戒，或畏刑罰，以清淨心禮佛法僧，親近國王，得財布施，以近王故，不讀誦經，施非福田，貪邪見人謂為福田，十善垢濁，行不清淨業因緣故，閻浮提死，生瞿陀尼。如是不知善不善故，食半味食，少智少慧，貪著女人先業因緣，生瞿陀尼。一切眾生以業藏故，由業故、行業故流轉，如其所作善不善業，得如是果。若作善業，生人天中；若不善業，墮於地獄、餓鬼、畜生。以業因緣，得相似果，如種種子。譬如種穀得穀，種麥得麥，稗子生稗，如以種子種於薄地，收果減少；若以種子種之良田，多收果實。如種赤稻，不生餘物，種豆得豆，種苷蔗者則得苷蔗。以田勝故，得果亦勝，如三種田：一者福田施；二者福田苦施；三者苦施。福田施者，名之為上；福田苦施，名之為中；苦施為下，除思功德。譬如外三種田，一者饒石，亦多水衣，名為中田；二者其水豐足，無有草穢，又無水衣，亦無寇賊，名為上田；三者多有水衣草穢，其水不調，又多寇賊，是名下田。若諸田夫勤加功力，則得果實。此內外法，以業藏故，隨業流轉，業轉而行，各各勢力、各各因緣、各各受生。瞿陀尼人不修淨業故，生於此處，命終自業流轉生死。如是修行者觀外法業已，如實知外身。

> 「さらに、修行者は外なる身体を観察します。衆生はどのような業によって瞿陀尼に生まれるのでしょうか。下位と中位の業によって瞿陀尼に生まれます。修行者は聞慧または天眼によって、他の生存領域を観察します。そこでは、戒律を少し守り、布施を少し行い、善行も少ししかなく、教えに従うことも少ししかありません。 では、戒律を少し守るとはどういうことか。前世で貧しかったため、雇われて戒律を守ったり、刑罰を恐れて戒律を守ったりしたことです。清らかな心で仏・法・僧に礼拝し、王に近づいて財物を得て布施したとしても、王に近しいために経典を読誦せず、布施の対象も福田ではありません。邪見の人を福田と見なす貪りの心があり、十善は濁っていて清らかではありません。 このような不清浄な業の因縁によって、閻浮提で死んで、瞿陀尼に生まれます。 また、善と不善を正しく知らないため、味覚は半ばだけで、智慧も乏しく、女性に執着する前世の業の因縁によって、瞿陀尼に生まれます。 すべての衆生は、業の宝庫によって、業によって、業の作用によって流転します。彼らが行った善悪の業に応じて、そのような果報を得ます。善業を行えば、人間や天界に生まれます。不善業を行えば、地獄・餓鬼・畜生に堕ちます。業の因縁によって、種を蒔くように、似たような果報を得ます。 例えば、穀物の種を蒔けば穀物が生え、麦の種を蒔けば麦が生え、稗の種を蒔けば稗が生えます。種を痩せた土地に蒔けば収穫は少なく、良い土地に蒔けば実りは豊かです。 赤米の種を蒔いても他のものは生えず、豆の種を蒔けば豆が、甘蔗の種を蒔けば甘蔗が得られます。田が優れているほど、得られる果実も優れています。このように、三種類の田があります。一つ目は、福田（功徳を積む布施の対象）への布施、二つ目は福田と苦しみへの布施、三つめは苦しみへの布施です。 福田への布施を最上とし、福田と苦しみへの布施を中位とし、苦しみへの布施を下位とします。ただし、思惟の功徳は除きます。 例えば、外なる三種類の田は、一つ目は石が多く水草も多い中田、二つ目は水が豊富で雑草や泥がなく、害虫もいない上田、三つ目は水草や泥が多く水の加減も悪く害虫も多い下田です。農夫が努力すれば実りを得られます。 この内なるものと外なるものの法則は、業の宝庫によって、業に従って流転し、業が巡り行き、それぞれの力と因縁によって、それぞれに生を受けます。 瞿陀尼の人々は清らかな業を積まなかったため、この場所に生まれました。命終の後は自らの業によって生死を流転します。 このように、修行者は外なる法としての業を観察して、外なる身体をあるがままに知るのです。」

「復次，修行者隨順觀外身。過瞿陀尼，復有何等山河海渚？彼以聞慧或以天眼見：瞿陀尼國、弗婆提國，兩洲中間有一大海，名清淨水，縱廣一萬二千由旬，清水盈滿，多有螺貝、堤彌魚、提鯢羅魚、那迦魚、摩伽羅魚、軍毘羅魚、失收摩羅魚，魚亦青色。過此海已，有珊瑚山，縱廣五千由旬，毒害眾生，住在山中。過此山已，有熱水海，多有毒蛇，毒蛇氣故，令海水熱；無有一眾生，以蛇毒故，眾生皆死，以毒熱故。過此海已，有一大海，名曰赤海，縱廣一萬五千由旬，龍、阿修羅住此海下，以飲食故，互相瞋恚，常共鬪諍。有龍名曰摩多梨那，有阿修羅名僧伽多。過此海已，有一大洲，名羅剎女國，縱廣二千由旬，有羅剎女，名曰長髮，住在此洲，噉食火燒香花及肉，一念能行二千由旬，常求人便，心常憶念。是羅剎洲，骸骨血肉、狼藉臭穢充滿其洲。過此洲已，有一大洲，名毘舍遮鬼女國，縱廣五千由旬，毘舍遮鬼，名曰髮覆，住在此洲。過此洲已，有一大山，名曰饒山，縱廣五百千由旬，多饒樹林，所謂那梨吱羅樹，次名波那婆樹，次名無遮果樹，次名多羅樹，次名多摩羅樹，次名卑耶羅樹，次名俱羅迦樹，次名陀婆樹，次名佉提羅樹，次名提羅迦樹，次名阿殊那樹，次名迦曇婆樹，次名泥荼羅婆樹，次名佉殊羅樹，次名菴婆羅樹，次名卑末槃陀樹，次名婆多利樹，次名婆吒樹，次名甄叔迦樹，次名龍樹，次名無憂樹，次名騏隣陀樹，次名吱多迦樹，次名迦尼迦羅樹，次名阿堤目多迦樹，次名那浮摩利迦樹，次名波吒迦樹，次名波吒羅樹，次名迦卑他樹，次名毘羅婆樹，次名天木香樹，次名波頭摩樹，次名瞻波迦樹，次名迦羅毘略迦樹，次名青無憂樹，次名鳩羅婆迦樹，次名軍陀樹，次名婆陀羅樹，次名鳩吒闍樹。多有如是種種果樹，處處流泉，乾闥婆王遊戲彼林。過此山已，有一大海，縱廣五百由旬，名曰乳水，其水色味如乳無異，海有大魚，長五由旬，住在海中。過此海已，有一沙山，縱廣一千由旬，無有林樹及諸藥草。過此山已，有一大海，名曰龍滿，縱廣六千由旬，海有諸龍，名栴遮羅，住此海中，自相鬪諍，樂注大雨。過此海已，有一大海，名蘇無陀羅，縱廣二千由旬，其水不動，清淨湛然，多有軍毘羅魚、那迦羅魚、失收摩羅魚、螺貝之屬。

> さらに、修行者は順に従って外身を観察する。瞿陀尼（クータニ）を過ぎれば、さらにどのような山や川、海や島があるのだろうか。彼は聞いた教え（聞慧）や天眼によって見る。瞿陀尼国と弗婆提（フバダイ）国の二つの洲の間には、一つの大海がある。名を清浄水（しょうじょうすい）という。その広さは縦横一万二千由旬。清らかな水で満たされ、多くの巻き貝や堤弥魚、提鯢羅魚、那迦魚、摩伽羅魚、軍毘羅魚、失收摩羅魚がいる。魚もまた青色である。この海を過ぎると、珊瑚山（さんごさん）がある。縦横五千由旬。毒を持つ衆生がこの山の中に住んでいる。この山を過ぎると、熱水海（ねっすいかい）がある。多くの毒蛇がおり、毒蛇の気のため、海水が熱くなっている。生き物は一つもいない。蛇の毒のため、すべての衆生が死に、毒と熱のためである。この海を過ぎると、一つの大海がある。名を赤海（せきかい）という。縦横一万五千由旬。龍と阿修羅（アシュラ）がこの海の下に住み、飲食のことで互いに怒り、常に争っている。龍に摩多梨那という名の者がおり、阿修羅に僧伽多という名の者がいる。この海を過ぎると、一つの大きな洲がある。名を羅刹女国（らせつにょこく）という。縦横二千由旬。羅刹女で長髮（ちょうはつ）という名の者がこの洲に住み、火で焼いた香花や肉を食べ、一念の間に二千由旬を行き、常に人の隙をうかがい、心に常に思いをめぐらせている。この羅刹の洲は、骨や骸、血肉が散乱し、臭気に満ちている。この洲を過ぎると、一つの大きな洲がある。名を毘舍遮鬼女国（びしゃじゃきにょこく）という。縦横五千由旬。毘舍遮鬼で髪覆（はつふく）という名の者がこの洲に住んでいる。この洲を過ぎると、一つの大山がある。名を饒山（じょうざん）という。縦横五百千由旬。多くの林があり、いわゆる那梨吱羅樹、波那婆樹、無遮果樹、多羅樹、多摩羅樹、卑耶羅樹、俱羅迦樹、陀婆樹、佉提羅樹、提羅迦樹、阿殊那樹、迦曇婆樹、泥荼羅婆樹、佉殊羅樹、菴婆羅樹、卑末槃陀樹、婆多利樹、婆吒樹、甄叔迦樹、龍樹、無憂樹、騏隣陀樹、吱多迦樹、迦尼迦羅樹、阿堤目多迦樹、那浮摩利迦樹、波吒迦樹、波吒羅樹、迦卑他樹、毘羅婆樹、天木香樹、波頭摩樹、瞻波迦樹、迦羅毘略迦樹、青無憂樹、鳩羅婆迦樹、軍陀樹、婆陀羅樹、鳩吒闍樹などがある。このように様々な果樹が多く、あちこちに泉が湧き、乾闥婆（ガンダルヴァ）の王がその林で遊んでいる。この山を過ぎると、一つの大海がある。縦横五百由旬。名を乳水（にゅうすい）という。その水の色や味は乳と変わらない。海には大きな魚がいて、長さ五由旬、海中に住んでいる。この海を過ぎると、一つの砂山がある。縦横一千由旬。林や薬草はない。この山を過ぎると、一つの大海がある。名を龍満（りゅうまん）という。縦横六千由旬。海には諸々の龍がいて、名を栴遮羅（せんしゃら）という。この海中に住み、互いに争い、大雨を降らせることを好む。この海を過ぎると、一つの大海がある。名を蘇無陀羅（そむだら）という。縦横二千由旬。その水は動かず、清らかで澄みきっている。多くの軍毘羅魚、那迦羅魚、失收摩羅魚、巻き貝などがいる。

「復次，修行者知業法果。彼以聞慧或以天眼見：如說處山河海渚、林樹之處，無有一處不生不死、不生不滅，一切恩愛無不別離，無有一處非業故行，無有一處而非業藏，無有一處非業流轉，受自業果，或生或死，無有山河海渚非生死處，山河海渚無鍼鋒許非我生處，百千千億、億億百千生死之中，皆愛別離、怨憎合會，百千千億、億億百千生死之處，墮於地獄、餓鬼、畜生，無始無終，貪瞋癡網之所繫縛，流轉生死。是故應當厭離生死，勿生貪著。此生死者，甚為苦惱，久受堅牢，痛苦難忍，老死憂悲苦惱愁毒，一切有生必當墮落，歸破壞門。於生死中，無有少常，譬如日出，無有少闇，觀生死中亦復如是。如是修行者觀外身，得如實知外身。

> さらに、修行者は業（行為）とその結果について知るべきである。彼は聴聞による智慧や天眼によって、次のように見る。すなわち、山や川、海、島、林の中の場所で、生まれず死なず、生まれず滅しない場所は一つもない。すべての愛する者との別れがない場所はなく、業によって行動しない場所もなく、業が蓄えられていない場所もなく、業によって輪廻しない場所もない。それぞれが自らの業の果報を受け、生まれ、あるいは死ぬ。山や川、海、島であって、生死のない場所はない。山や川、海、島の中に、針の先ほどの大きさの場所でも、私が生まれなかった場所はない。百千千億、億億百千の生死の中で、すべて愛する者との別れ、怨み憎む者との出会いがあり、百千千億、億億百千の生死の場所で、地獄・餓鬼・畜生に堕ちる。始まりも終わりもなく、貪り・怒り・無知の網に縛られて、生死を流転する。それゆえ、生死を厭い離れ、貪り執着してはならない。この生死は、非常に苦しみ悩ませるものであり、長く堅固に受け続け、その苦しみは耐え難い。老い・死・憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・毒に満ち、生あるものはすべて必ず落ち、破壊の門に帰する。生死の中には、少しの永遠もない。例えば、日が昇れば少しの暗闇もないように、生死を観じることもまた同じである。このように修行者は、外の身体を観じ、外の身体をあるがままに知るのである。

「復次，修行者隨順觀外身。過平等海，復有何等山河海渚？彼以聞慧或以天眼見：弗婆提國，縱廣八千由旬，多有眷屬，小洲具足，聚落城邑、河池林樹、洲渚山窟、行列樹林、花果禽獸一切具足。有六大山：一名大波賒山；二名新鬘山；三名孔雀集山；四名獸峪山；五名海高山；六名真珠鬘山。遍弗婆提，如閻浮提有四大山，如前所說。大波賒山，縱廣三千由旬，於此山中有三大林，其一一林皆悉縱廣一千由旬，一名須彌林，二名流水林，三名峪鬘林，眾樹具足，所謂呵梨勒樹，次名平面樹，次名峪生樹，次名枝等樹，次名岸生樹，次名石生樹。如閻浮提樹說。住此山者，名大鬘人。山中有河，名婆盧河，次名流沙河，次名狹流河，次名速流河，次名龍水河，次名光林河，次名征迦河。第二大山，名曰林鬘，縱廣一千由旬，此山有林，名鳩吒林，次名行林，次名天木行林，次名烟林，次名久垂林。山中有河，一名多羅覆，次名角圍河，次名愛水河，次名攝念河，次名烟笑河。林鬘山中所住之人，名俱知羅。

> さらに、修行者は順に従って外の身を観察する。平等の海を過ぎた先に、さらにどのような山河や海や島があるのか。彼は聞いた教えの智慧により、あるいは天の眼によって見る。弗婆提国は、縦横八千由旬に広がり、多くの眷属や小島を備え、集落や城邑、河や池、林や樹木、洲や島、山の窟、立ち並ぶ林、花果、鳥獣の一切を備えている。六つの大山がある。第一に大波賒山、第二に新鬘山、第三に孔雀集山、第四に獣峪山、第五に海高山、第六に真珠鬘山である。これらは弗婆提全体に広がっており、ちょうど閻浮提に四大山があるのと同じで、先に述べた通りである。大波賒山は、縦横三千由旬である。この山の中に三つの大きな林がある。その一つ一つの林は、いずれも縦横一千由旬である。第一を須弥林と言い、第二を流水林と言い、第三を峪鬘林と言う。様々な樹木を備えている。例えば、呵梨勒の樹、次に平面の樹、次に峪生の樹、次に枝等の樹、次に岸生の樹、次に石生の樹である。これは閻浮提の樹の説明と同様である。この山に住む者を、大鬘人と言う。山の中に川がある。婆盧河、次に流沙河、次に狭流河、次に速流河、次に龍水河、次に光林河、次に征迦河である。第二の大山を林鬘と言う。縦横一千由旬である。この山に林がある。鳩吒林、次に行林、次に天木行林、次に烟林、次に久垂林である。山の中に川がある。第一に多羅覆、次に角囲河、次に愛水河、次に摂念河、次に烟笑河である。林鬘山に住む者を、倶知羅と言う。

「復次，修行者觀第三山，名孔雀聚，縱廣千由旬，此山有四大林：一名雲林；二名百池林；三名高吼林；四名真珠輪林。復有大河，所謂泥均輪陀河，次名大喜河，次名愛林河，次名先流河，次名吉河。於孔雀聚山有住人，名曰青咽。

> 「また、修行者の方は、第三の山を観察してください。その名を孔雀聚山といい、広さは千由旬あります。この山には四つの大きな林があります。第一を雲林、第二を百池林、第三を高吼林、第四を真珠輪林といいます。また、大きな川があります。泥均輪陀河、次に大喜河、次に愛林河、次に先流河、次に吉河と名づけられています。孔雀聚山には、青咽という名の人が住んでいます。」

「復次，修行者觀弗婆提，有第四山，名獸峪，此山有林，名闍知羅林，次名可愛林，次名彌伽林，花果具足亦如前說。林中有河，名涅茂迦，次名普笑，次名歌羅羅。林中有獸，名曰調伏，次名普影，次名毛獸，次名見走，次名為馬，次名無道，次名仙獸，次名多羅頭拏，次名好耳，次名象頭，次名第一兒，次名愛影，次名兔毛，次名駝身，次名黑尾，次名白頭，次名端正，次名蛇舌，次名狗牙，次名伽婆耶，次名鉗婆，次名碓井井。如是等獸，閻浮提中，或有或無。獸峪山中，園林流池、華果樹木一切具足，亦如前說。一切華池，如閻浮提。住獸峪山人，名曰速力。

> さらに、修行者よ、弗婆提（東勝身洲）を観察すると、第四の山があり、その名を獣峪という。この山には闍知羅林という林があり、次に愛すべき林、次に弥伽林という林がある。花や果実は豊かに実り、先に述べた通りである。林の中には川があり、その名を涅茂迦といい、次に普笑、次に歌羅羅という。林の中には獣がいて、その名を調伏といい、次に普影、次に毛獣、次に見走、次に馬、次に無道、次に仙獣、次に多羅頭拏、次に好耳、次に象頭、次に第一児、次に愛影、次に兔毛、次に駝身、次に黒尾、次に白頭、次に端正、次に蛇舌、次に狗牙、次に伽婆耶、次に鉗婆、次に碓井井という。このような獣たちは、閻浮提（南閻浮提）にいるものもいれば、いないものもある。獣峪の山には、園林や流れる池、花や果実の木々がすべて備わっており、これも先に述べた通りである。すべての華やかな池は、閻浮提と同じようである。獣峪の山に住む人々は、速力という名である。

「復次，修行者觀弗婆提國，有第五山，名曰海高，縱廣一千由旬，園林流池、華果具足，亦如前說。此山有林，名曰三滴林，次名咽喉閉林，次名山林。林中有河，名曰三角，次名高喚，次名石聲。人住海高山者，名遮株羅。觀海高山已，如實知外身。

> さらに、修行者は弗婆提（ふばだい）の国に、第五の山があるのを観察します。その名を海高山（うなかたかやま）といい、広さは千由旬（ゆじゅん）に及び、園林や流れる池、花や果実が豊かに備わっています。これも先に述べた通りです。この山には林があり、三滴林（さんできりん）と名づけられ、次に咽喉閉林（いんこうへいりん）、次に山林（さんりん）と呼ばれるものがあります。林の中には川が流れており、三角（さんかく）と名づけられ、次に高喚（こうかん）、次に石声（せきしょう）と呼ばれるものがあります。この海高山に住む人々は、遮株羅（しゃしゅら）と呼ばれます。このように海高山を観察した後、修行者は外なる身体の実相をありのままに知るのです。

「復次，修行者隨順觀外身。觀弗婆提有何等山？彼以聞慧或以天眼見：第六山，名真珠鬘，縱廣一千由旬，園林流池周遍具足，種種花果、禽獸具足，亦如前說。真珠鬘山出一大河，名不見岸，廣一由旬。有人住於真珠鬘山，名曰普眼。如是弗婆提，六山圍遶。弗婆提國有三大城：一名善門城；二名山樂城；三名普遊戲城。一一大城廣三由旬，中下之城有六十三。有一中城，名鳩吒含，次名大波舍，次名普吼城，有如是等中城之中。第一最大下城，名一切負，次名大音城，次名曠野孔穴城。有如是等小城之中，第一最大。復有三億五十萬三千五百五十六聚落，第一聚落，名迦尸摩羅，次名水沫，次名根村，次名樹啼村，次名一切人，次名葉聚落，次名毘頭羅，次名波迦村，次名毘吒聚落，次名摩摩聚落，次名那提，次名伽吒瓮，次名徒呵，次名林聚落，次名赤旋，次名阿叉，次名風吹，次名鬘村，次名頂樹，次名黑飯。有如是等第一聚落。此等眾人，其面圓滿像地洲形。

> では、修行者は体の外側に対する観察を続けます。 フバティー（弗婆提／東勝身洲）には、どのような山があるでしょうか。 修行者は、聞いた教えの力、あるいは天の眼によって、それをはっきりと見ます。 第六の山は「真珠の首飾り山」と呼ばれ、周囲は千由旬もあります。 庭園や林、流れる泉が一面に広がり、様々な花や果実、鳥や獣が満ち溢れていることは、先に述べた通りです。 この真珠の首飾り山から、「岸辺が見えない川」という大河が流れ出ており、その幅は一由旬もあります。 真珠の首飾り山には「普眼」という名の人が住んでいます。 このように、フバティーは六つの山に囲まれています。 フバティーには三つの大きな城があります。 一つは「善き門の城」、二つ目は「山の楽しみの城」、三つ目は「至る所で遊ぶ城」です。 これらの大きな城は、それぞれ周囲が三由旬あります。 中くらいの城は六十三あります。 中くらいの城の中で、第一のものは「鳩吒含」、次に「大波舍」、次に「普吼城」などがあります。 一番大きい小さな城は「一切負」、次に「大音城」、次に「広野の穴の城」などがあります。 このように数多くの小さな城があり、その中で最大のものがあります。 さらに、三億五十万三千五百五十六の村々があります。 第一の村は「迦尸摩羅」、次に「水沫」、次に「根村」、次に「樹啼村」、次に「一切人」、次に「葉聚落」、次に「毘頭羅」、次に「波迦村」、次に「毘吒聚落」、次に「摩摩聚落」、次に「那提」、次に「伽吒瓮」、次に「徒呵」、次に「林聚落」、次に「赤旋」、次に「阿叉」、次に「風吹」、次に「鬘村」、次に「頂樹」、次に「黑飯」という名の村があります。 これらが第一の村々です。 これらの人々の顔は、大地の形のように丸く整っています。

「閻浮提人耳髮莊嚴，欝單越人眼為莊嚴，瞿陀尼人項腹莊嚴，弗婆提人肩髀莊嚴，四天下人自身嚴好。

> 閻浮提の人々は耳と髪の飾りで身を飾り、鬱単越の人々は目で飾り、瞿陀尼の人々は首と腹で飾り、弗婆提の人々は肩と腿で飾ります。この四つの天下の人々は、それぞれ自分自身の身が美しいのです。

「復次，修行者觀業果報。眾生何業生弗婆提？有上、中、下業。彼以聞慧或以天眼見：此眾生先世不知業法果報，以不知故，施非福田，或難乞求，爾乃施與，或勤苦求，亦如前說。以此業故，名下品生。若有眾生持中品戒，若近國王法故，不殺眾生，非清淨心。以此因緣，身壞命終生於天上，從天命終生弗婆提，名中業生。上人上業，聞於正法，受持讀誦，為他人說，而生隨喜，如說修行。無有一法能度生死險道曠野如聞正法，受持讀誦，為他人說，諸施中勝，所謂法施。第一持戒，謂聞正法，聞正法智最為第一。正法者，亦如前說。觀弗婆提業果報已，如實知外身。

> 次に、修行者は業（行い）による報いを観察します。 衆生はどのような業によって弗婆提（東の大陸）に生まれるのでしょうか。 そこには上・中・下の業があります。 彼は聞慧（聞いて得た智慧）または天眼（澄んだ眼）によって以下のことを見ます。 この衆生は前世において、因果の道理を知らず、知らないがゆえに、道理にかなわない対象に施しを行ったり、難しいと請われてようやく施したり、あるいは苦労して求めてから施したりします。これにより、下の品の生まれとなります。 また、中程度の戒律を守る衆生がいますが、例えば国の王法に従うために殺生をしないというもので、清らかな心からではありません。この因縁により、命終えて天上に生まれ、そこから命を終えて弗婆提に生まれる。これを中業による生まれといいます。 さらに、優れた人による優れた業とは、正しい教えを聞き、それを受持し、読誦し、他の人のために説き、ともに喜び、その教えの通りに修行することをいいます。 生死の迷いの荒野を超える法は、正しい教えを聞き、それを受持し読誦し、他の人のために説くことに勝るものはありません。 すべての施しの中で最も勝れているのは法施（教えを施すこと）です。 最も優れた戒律とは、正しい教えを聞くことです。 正しい教えを聞く智慧こそが第一です。 正しい教えとは、先に述べた通りです。 かくして弗婆提の業とその報いを観察した後、外なる身体（外身）をあるがままに知るのです。

「復次，修行者觀弗婆提內，復有何等山河海渚？彼以聞慧或以天眼：過弗婆提八千由旬，見有大山，名曰礠石，縱廣三千由旬，此山四面一萬由旬，有微少鐵，皆悉速赴走奔此山。過此山已，有一大海，七千由旬，名曰波行，圍遶五山猶如環玔。何等為五？一名鍼口山；二名大藏山；三名多吒迦山；四名蛇多山；五名歡喜山。過此山已，有一大洲，名陀吒迦曼茶，縱廣三千由旬，多有夜叉、緊那羅住在此洲，河池樹林、花果具足，甚可愛樂。閻浮提中、弗婆提中所有禽獸，此洲悉有。過此洲已，有一大海，名多星宿，海中有山，名優陀延，有十三峯遶此大海，去須彌山不遠。外道說言：『與閻浮提人善不善業，為增上緣，善不善風，於優陀延山中出於星宿。』諸婆羅門外道論師失於業報，不知真諦，於人王所，說言：『星宿諸曜所作，非業果報。』是諸外道婆羅門論師，邪見倒說星曜所作，非業果報。若星曜所作非業果報，日月勝故，善不善時節流轉，一切時節而有華果，日月若勝，何故日月為餘曜所覆？所謂日莎婆奴，月羅睺，一切星宿為曜所覆，曜為餘覆，以是善不善故，宿曜亦有善不善業。是故善不善業，眾生自業，非星曜作。

> また、修行者は弗婆提（東の大洲）の内部を観察し、そこにはどのような山河や海、島々があるのかを考える。彼は聞いた教え（聞慧）あるいは天眼によって、弗婆提を八千由旬過ぎたところに、磁石山という大山があるのを見る。その山の広さは縦横三千由旬、四方の周囲は一万由旬にもなる。わずかな鉄であっても、すべてがこの山へと急速に引き寄せられていく。この山を過ぎると、波行という大海があり、その広さは七千由旬。五つの山を環状に取り囲んでいる。その五つの山とは、第一に針口山、第二に大蔵山、第三に多吒迦山、第四に蛇多山、第五に歓喜山である。これらの山を過ぎると、陀吒迦曼荼という大きな洲がある。その広さは縦横三千由旬で、多くの夜叉や緊那羅が住んでいる。この洲には河や池、樹林、花果が豊かに備わり、実に愛すべき楽しい場所である。閻浮提（南の大洲）や弗婆提にいるすべての鳥獣は、この洲にもいる。この洲を過ぎると、多星宿という大海があり、その海の中には優陀延という山がある。十三の峰がこの海を取り巻いており、須弥山から遠くない位置にある。外道（仏教以外の教え）の者たちは言う。「閻浮提の人々の善悪の業（行いの報い）にとって、これは助けとなる縁である。善悪の風が優陀延山から出て、星宿となるのだ。」様々なバラモンや外道の論師たちは業の報いについて誤りを犯し、真実の道理を知らず、王に向かって「星宿や諸々の星（曜）の影響によるものであって、業の報いではない」と説く。これらの外道やバラモンの論師たちは、邪な見解によって逆さまに「星や星々の影響によるものであって、業の報いではない」と説くのである。もし星や星々の影響によるものであり、業の報いでないのなら、太陽と月が勝れていることになる。しかし善悪に応じて時節が移り変わり、あらゆる季節に花や実がある。もし太陽と月が勝れているのなら、なぜ太陽と月は他の星々に覆われるのか。すなわち、太陽は莎婆奴（阿修羅の一種）に、月は羅睺（日食・月食を起こす星）に覆われる。すべての星宿は他の星に覆われ、星はさらに他のものに覆われる。この善悪の働きがあるからこそ、星宿にも善悪の業があるのである。したがって、善悪の業は衆生自身の行為によるものであって、星や星々の影響によるものではないのである。

「復次，修行者隨順外身。觀曜星宿，見業果報，非曜等作。觀多星宿海已，觀須彌山優陀延山峯已，如實知外身。

> さらに、修行者は外の身体に従って観察します。星々を観察しても、業の報いが星々によって作られるわけではないと知ります。多くの星々の海を観察した後、須弥山や優陀延山の峰を観察し、外の身体をあるがままに理解します。

「復次，修行者觀多星海，縱廣七千由旬。過此海已，有諸神仙住在此洲，山河林樹，花果具足，如閻浮提。其洲縱廣三千由旬，仙人、夜叉之所住止，一切如意樹、花果具足。過此洲已，有大圍山及有大海，三千由旬，在閻浮提、弗婆提二國中間。如是大海，名冷暖水，縱廣三千由旬，多有螺貝、堤彌魚、堤彌鯢羅魚、那迦羅魚、摩伽羅魚、失收摩羅魚、龜黿之屬住大海中。過此山海，有一大海，名曰赤海，去閻浮提不遠，縱廣五千由旬。赤水滿中，多有大魚，其魚赤色，互相食噉，以魚血故，令海水赤，故名赤水。過此海已，有一大海，名曰清水，縱廣七千由旬，山河具足，多有大魚，第一極深。過此海已，有一大海，名曰寶渚，縱廣三千由旬，一切眾寶集在此渚，金沙車𤦲、真珠珊瑚、蘇摩羅寶種種具足。有摩偷果，名亂心毒，生在樹上，若閻浮提人取果食之，七日如死，若有飛鳥食之即死。過此渚已，有一大海，名曰鹽，縱廣七千由旬，多有螺貝、真珠蜯蛤、堤彌魚、堤彌鯢羅魚、軍毘羅魚、那迦羅魚充滿其中，復有諸龍、夜叉羅剎、毘舍遮鬼皆住水中，水下多有無量諸山。

> さらに、修行者よ、多くの星々の海を観察せよ。その広さは縦横七千由旬である。この海を過ぎると、ある洲に神仙たちが住み、山河、林、樹があり、花や果実が豊かに実っている。それはまるで閻浮提のようである。その洲の広さは縦横三千由旬であり、仙人や夜叉が住み止まり、あらゆる如意樹が花と果実を備えている。この洲を過ぎると、大山と大海がある。その広さは三千由旬で、閻浮提と弗婆提の二つの国の中間にある。この大海は冷暖水と名づけられ、広さは縦横三千由旬である。そこには多くの螺貝、堤弥魚、堤弥鯢羅魚、那迦羅魚、摩伽羅魚、失收摩羅魚、亀や鼉の類が住んでいる。この山海を過ぎると、赤海と名づけられた大海がある。閻浮提から遠くなく、広さは縦横五千由旬である。赤い水で満たされ、多くの大きな魚がいる。その魚は赤い色で、互いに食い合う。その魚の血のために海水が赤くなる。ゆえに赤水と名づけられた。この海を過ぎると、清水と名づけられた大海がある。広さは縦横七千由旬であり、山河を備え、多くの大きな魚がいる。その深さは第一級に極めて深い。この海を過ぎると、宝渚と名づけられた大海がある。広さは縦横三千由旬であり、あらゆる宝がこの渚に集まっている。金沙、車渠、真珠、珊瑚、蘇摩羅宝などが種々に備わっている。また、摩偷果というものがあり、乱心毒と名づけられている。それは木の上に生る。もし閻浮提の人がこの果実を取って食べれば、七日間死んだようになる。もし飛鳥が食べれば即座に死ぬ。この渚を過ぎると、塩と名づけられた大海がある。広さは縦横七千由旬であり、多くの螺貝、真珠、蜆蛤、堤弥魚、堤弥鯢羅魚、軍毘羅魚、那迦羅魚で満ちている。さらに、多くの龍、夜叉、羅刹、毘舍遮鬼が水中に住み、水の下には無数の山々がある。

「此閻浮提洲，五百小洲以為圍遶，略說勝者，所謂金地洲，次名寶石洲，次名幢鬘洲，次名迦那洲，次名螺貝洲，次名真珠洲，次名圍洲，次名光明洲，次名翳沙波陀迦洲，次名康白洲，次名普賢洲，次名心自在洲，次名黑雙洲，次名香鬘洲，次名三角洲，次名須屖拏洲，次名賒那斯都洲，次名阿藍迦洲。次名楞迦洲，有十二山，羅剎所住。次名彌留毘羅迦洲，次名山住洲，次名赤貝洲，次名赤真珠洲，次名雪旋洲，次名沙塵遶洲，次名無道洲，次名五銅洲，次名覆洲，次名賒吉帝力洲，次名女國洲，次名饒樹洲，次名翳沙波陀洲，次名丈夫洲。閻浮提界，說如是等最勝小洲。此閻浮提縱廣七千由旬，周遍可愛，如前所說。

> この閻浮提（えんぶだい）には、五百の小洲が取り巻いている。その中で特に優れたものを挙げれば、次の通りである。 金地洲（こんじしゅう）、宝石洲（ほうせきしゅう）、幢鬘洲（どうまんしゅう）、迦那洲（かなしゅう）、螺貝洲（らかいしゅう）、真珠洲（しんじゅしゅう）、囲洲（いしゅう）、光明洲（こうみょうしゅう）、翳沙波陀迦洲（えいしゃはだかしゅう）、康白洲（こうはくしゅう）、普賢洲（ふげんしゅう）、心自在洲（しんじざいしゅう）、黒双洲（こくそうしゅう）、香鬘洲（こうまんしゅう）、三角洲（さんかくす）、須屖拏洲（しゅしなじゅ）、賒那斯都洲（しゃなしつしゅう）、阿藍迦洲（あらんかしゅう）。 また、楞迦洲（りょうかしゅう）には十二の山があり、羅刹（らせつ）が住んでいる。さらに、弥留毘羅迦洲（みるびらかしゅう）、山住洲（さんじゅうしゅう）、赤貝洲（しゃくかいしゅう）、赤真珠洲（しゃくしんじゅしゅう）、雪旋洲（せつせんしゅう）、沙塵繞洲（さじんじょうしゅう）、無道洲（むどうしゅう）、五銅洲（ごどうしゅう）、覆洲（ふくしゅう）、賒吉帝力洲（しゃきちりきしゅう）、女国洲（にょこくしゅう）、饒樹洲（にょうじゅしゅう）、翳沙波陀洲（えいしゃはだしゅう）、丈夫洲（じょうぶしゅう）がある。 閻浮提には、このような最も優れた小洲がある。この閻浮提は、縦横七千由旬（ゆじゅん）の広さがあり、その周囲は愛らしく、前に述べた通りである。

「復次，修行者隨順觀外身。觀日月光照何等處？彼以聞慧或以天眼見：日月光照須彌山王四面四天下，及照大海，照須彌山王八萬四千由旬，光照山側，但周其半。斫迦婆羅金剛之山周圍三十六億由旬，難忍業火，燒然金剛斫迦婆羅山乳海之水，近則成酪，轉近此山，則成生酥，漸漸復近，則成熟酥，漸漸近之，為地獄火，燒之磨滅，是故不滿閻浮提等。「是修行者觀於欲界，如實見之，厭離欲意，不見一處常不破壞、不變易法，於一切處無始生死，自業果報因緣力故，自業果報之所戲弄，無有一處不生不死，若百若千、若百千返，無量無邊生死無間。觀內外身，厭離欲愛，於色聲香味觸，心不愛樂。

> 「さらに、修行者は順に従って外なる身体を観察します。太陽と月の光は、どのような場所を照らしているのでしょうか。彼は教えを聞く智慧（もんえ）あるいは天の眼（てんげん）によって、次のように見ます。太陽と月の光は、須彌山王（しゅみせんのう）の四方にある四つの大陸と、大海を照らし、また高さ八万四千由旬（ゆじゅん）の須彌山王の山腹を照らしますが、山の半分だけを巡るにとどまります。斫迦婆羅（しゃかばら）という金剛の山は、その周囲が三十六億由旬あります。そこには耐え難い業の火が燃え盛り、金剛の斫迦婆羅山と乳海の水を焼きます。火に近い側は酪（らく）となり、さらに山に近づくと生酥（しょうそ）となり、さらに近づくと熟酥（じゅくそ）となり、そしてさらに近づくと、地獄の火となって焼き尽くし、消し去ってしまいます。それゆえに、閻浮提（えんぶだい）などは満たされることがないのです。 この修行者は、欲界（よくかい）を観察し、ありのままに見極めて、欲望から離れようと望みます。少しも壊れず、変わらないものなど、どこにも見いだせません。あらゆる場所で、始まりのない生死（しょうじ）を繰り返し、自らの業の果報（かほう）という縁の力によって、自らの業の果報に弄ばれています。生まれず、死なない場所は一つとしてなく、百回、千回、あるいは百千回、無量無辺の生死（しょうじ）が絶えることがありません。内なる身体と外なる身体を観察し、欲望と愛着から離れ、色（しき）・声（しょう）・香（こう）・味（み）・触（そく）に対して、心は愛着し楽しむことがありません。」

「如是那羅帝婆羅門長者聚落修行比丘，修身念處，不住魔境。聞說如是念處已，有眾多人破我見垢，無上法中得法眼生。說身念處無上之法，若於山谷、若在山窟、若在塚間、若在露地、若草𧂐邊修學禪定，無得放逸，於命終時，致有悔恨，是我所教。」

> 「このように、ナーラディーというバラモンの長者たちの集落で修行する比丘たちは、身体についての気づきを修めれば、悪魔の領域にとどまらないのです。このように念処についての教えを聞いた後、多くの人々が自己への執着という汚れを打ち破り、この上ない教えの中で法の眼を開きました。身体の念処という最上の教えは、谷間であれ、山洞であれ、墓場であれ、露地であれ、草むらのそばであれ、そこで修行し、心を集中して、決して怠ってはなりません。命終わるときに悔やむことのないように。これが私の教えです。」

時，諸比丘聞世尊說，皆大歡喜。於世尊說，生信樂心，歡喜奉行。

> その時、すべての修行者たちは、世尊のお説きになった教えを聞いて、皆、大きな喜びに満ちました。そして、その教えを心から信じ、喜び楽しみ、敬いながら実践に移しました。

## 正法念處經卷第七十

> 正法念処経 第七十巻