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title: "佛說觀佛三昧海經 · 1"
description: "佛說觀佛三昧海經由東晉時期高僧佛陀跋陀羅翻譯，是漢傳佛教重要經典之一。該經屬於大乘佛教禪觀類經典，主要闡述觀想佛陀三十二相、八十種好的修行方法，強調通過觀佛形像達到三昧境界。經文詳細描述觀佛的具體步驟與功德利益，並結合念佛、懺悔等法門，為修行者提供系統的禪觀指導。此經在中國佛教史上影響深遠，尤其對淨土宗、天台宗等宗派的觀想念佛實踐具有重要意義，被視為大乘禪觀修行的權威典籍之一。"
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### 觀相品第三之一

> 第三品 観相の章 その一

佛告父王：「云何名觀如來頂？如來頂骨團圓猶如合捲，其色正白，若見薄皮則為紅色，或見厚皮則金剛色，髮際金色，腦頗梨色。有十四脈眾畫具足，亦十四光其光如脈分明了了。於腦脈中旋生諸光上衝頭骨，從頭骨出乃至髮際，有十四色圍遶眾髮，髮下金色亦生眾光，入十四色中。是名如來生王宮中頂腦肉髻。惟其頂上五大梵相生，時摩耶及佛姨母皆悉不見。其五梵相開現光明至於梵世，復過上方無量世界，化成宮臺，諸佛境界，十地菩薩之所不見。

> 仏が父王に告げられた。「どのようにして如来の頂上を観じるのか。如来の頂骨は丸く、ちょうど合わせた拳のようである。その色は純白である。もし薄い皮を見れば赤色となり、厚い皮を見れば金剛色となる。髪の生え際は金色で、脳は頗梨色である。十四の脈があり、様々な模様が完全に備わっている。また十四の光があって、その光は脈のようにはっきりと見える。脳の脈の中から、様々な光が生じて頭骨を上へと突き抜け、頭骨から出て髪の生え際に至る。十四の色があって、多くの髪を巡り囲む。髪の下は金色で、また多くの光を生じ、十四の色の中に入る。これを、如来が王宮に生まれた時の、頂上の脳の肉髻という。ただその頂上には、五つの大梵の相が生じる。その時、摩耶と仏の姨母は、皆ことごとく見ることができなかった。その五つの梵相は、光明を開き現して梵天の世界にまで至り、さらに上方の無量世界を過ぎて、宮殿や楼台を化成する。これは諸仏の境界であり、十地の菩薩さえも見ることができない。」

「今為父王說生頂相，若有聞者應當思惟佛勝頂相，其相光明，如三千界大地微塵，不可具說。後世眾生若聞是語，思是相者心無悔恨，如見世尊頂勝相光，閉目得見，以心想力了了分明如佛在世。雖觀是相不得眾多，從一事起復想一事，想一事已復想一事，逆順反覆經十六反，如是心相極令明利。然後住心繫念一處，如是漸漸舉舌向腭令舌政住，經二七日，然後身心可得安隱。復當繫心還觀佛頂，觀佛頂法先隨毛孔入。」

> 今、父王のために、仏の頂上の相（仏頂相）について説きます。これを聞く者は、仏の勝れた頂上の相を思惟すべきです。その相の光明は、三千世界の大地の微塵のように広大であり、言葉で詳しく述べることはできません。 後の世の衆生が、この言葉を聞き、この相を思惟するならば、心に悔いや恨みはなく、まるで生きて仏にお目にかかったかのごとく、その尊い頂上の光を感じ取ることができるでしょう。目を閉じても、心の想像力によって、はっきりと明らかに、あたかも仏が世に在しますかのように見えます。 しかし、この相を観ずるにあたっては、多くを同時に見ようとしてはなりません。一事から起こして、また別の事を想い、一つの事を想い終えたなら、次の事を想う。これを順逆に繰り返し、十六回にわたって行います。そうして心の相を極めて明瞭にします。 その後、心を一つの場所に留め、心を繫ぎ止めます。次第に舌を上げて上顎に当て、舌を安定させます。このようにして二七日（十四日間）修行すれば、ようやく身心が安らかで穏やかになります。 さらに、心を繫ぎ止めて、再び仏の頂上を観じます。仏頂を観じる法は、まず毛穴から入っていきます。

佛告父王及勅阿難：「諦聽諦聽，善思念之！如來今者頭上有八萬四千毛，皆兩向靡右旋而生，分齊分明四抓分明，一一毛孔旋生五光，入前十四色光中。昔我在宮，乳母為我沐頭，時大愛道來至我所：『悉達生時多諸奇特。人若問我：「汝子之髮為長幾許？」我云何答？今當量髮知其尺度。』即勅我申髮，母以尺量。長一丈二尺五寸，放已右旋還成䗍文。

> 仏は父王に告げ、また阿難に命じられた。「よく聞き、よく聞きなさい。心にしっかりと思い念じなさい。如来の頭には現在、八万四千の毛穴があり、すべてが左右に向かって右に旋回しながら生えている。その間隔ははっきりとしており、四爪（毛根）も明らかである。一つ一つの毛穴からは五つの光が旋回しながら生じ、前に述べた十四の色光の中に入る。 昔、私が宮中にいた時、乳母が私の頭を洗ってくれた。その時、大愛道が私のところに来て言った。『悉達が生まれた時、多くの珍しいことがあった。もし人が「あなたの子の髪の長さはどれほどか」と尋ねたら、私はどう答えればよいでしょうか？今、髪を測ってその長さを知りましょう。』そして私に髪を伸ばすよう命じ、母は物差しで測った。長さは一丈二尺五寸であった。放すと右に旋回して螺髪の模様に戻った。」

「欲納妃時復更󰮓頭，母復勅言：『前者量髮，正長一丈二尺五寸，今當更量。』即申量之，長一丈三尺五寸。我出家時天神捧去，亦長丈三尺五寸。今者父王，欲看髮相不？」

> 妃を迎えようとされる時、また髪を計り直されました。すると母がおっしゃいました。「以前に髪の長さを測った時は、ちょうど一丈二尺五寸（約3.8メートル）でしたが、今また測ってみましょう。」と言って、すぐに髪を伸ばして測ると、長さは一丈三尺五寸（約4.1メートル）になりました。私が出家した時には、天の神々がこの髪を捧げ持ち、その長さはやはり一丈三尺五寸でした。さて、父王は私の髪の相をご覧になりたいとお思いでしょうか。

父王白言：「唯然天尊！樂見佛髮。」

> 父王が申し上げました。「はい、尊いお方よ。仏様の御髪をぜひ拝見したいと願っております。」

如來即以手申其髮，從尼拘樓陀精舍，至父王宮，如紺琉璃，遶城七匝。於佛髮中大眾皆見若干色光，不可具說，是一一光普照一切，作紺琉璃色。於琉璃色中有諸化佛不可稱數。現是相已斂髮卷光，右旋婉轉，還住佛頂即成䗍文，是名如來真實髮相。

> 如来は自らの手で髪をのばし、尼拘楼陀（にぐるだ）の精舎から父王の宮殿に至るまで、それを巡らせた。その輝きは紺琉璃（こんるり）のようであり、都の周りを七巡した。仏の髪の中から、大衆はすべての色とりどりの光を見たが、そのすべてを語り尽くすことはできない。ひとつひとつの光はすべてを照らし、紺琉璃の色をなした。その紺琉璃の色の中には、無数の化身の仏がいて数えきれないほどであった。このような相を示した後、髪をたたみ光を収め、右に巡り巻きついて、再び仏の頂に留まり、螺髪（らほつ）の形となった。これを如来の真実の髪の相という。

「若有比丘及比丘尼、諸優婆塞、優婆夷等，欲觀佛髮當作是觀，不得他觀。若他觀者名為邪觀、名為狂亂、名為失心、名為邪見、名顛倒心，設得定者無有是處。如是父王，佛真髮相事實如此。

> もし比丘や比丘尼、あるいは優婆塞（男性在家信者）や優婆夷（女性在家信者）の方々が、仏の御髪（みくし）を観じたいと思ったなら、このように観じなさい。それ以外の観じ方をしてはいけません。もし他の方法で観じるなら、それは誤った観方（邪観）であり、乱れた心であり、正気を失った状態であり、間違った見解であり、倒錯した心と言えます。そのような者がたとえ心を定めようとしても、正しい境地に至ることは決してありません。このように、父王よ、仏の御髪の真実の相とは、まことにこのようなものなのです。

「觀髮相已，次觀髮際，如赤真珠色，婉轉下垂。有五千光間錯分明，皆上向靡圍遶諸髮，從頂上出遶頂五匝，如天畫師所作畫法，團圓正等細如一絲。於其絲間生諸化佛，有化菩薩以為眷屬，諸天八部一切色象亦於中現，色如日輪不可具見，是名觀佛髮際。如此觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。」佛告父王：「此名如來髮際實觀。

> 「髪相を観じ終えたなら、次に髪際（髪の生え際）を観じなさい。これは赤い真珠のような色をしており、優美にたれて垂れ下がっています。そこには五千の光明が明瞭に織り交ざって、すべて上向きに髪の周りを巡り、頂上から出て頭頂を五重に巡っています。あたかも天界の絵師が描いた絵のように、まるく整って一筋の糸のように細やかです。その糸の間から無数の化仏が生じ、化菩薩がその眷属となって、諸天や八部衆、一切の色形もその中に現れます。その色は太陽の輪のようではっきりと見ることはできません。これを仏の髪際を観ずるといいます。このように観ずることを正しい観とし、異なる観じ方を邪な観とします。」 仏は父王に告げられました。「これが如来の髪際の真実の観である。」

「云何觀如來額廣平正相？額廣平正相中有三相：一者所謂白毛相。佛初生時，王與夫人將太子詣阿私陀仙，令相太子。仙人披㲲，初見太子眉間白毛旋生，於白毛邊有諸輪郭隨白毛旋，相師舒毛見毛長大，即取尺度量其長短，足滿五尺如琉璃筒，放已右旋如頗梨珠，顯現無量百千色光，是名菩薩初生時白毫相光。

> 「どのように如来の額の広く平らで正しい相を観じるのか。額が広く平らで正しい相には、三つの相がある。第一は、いわゆる白毫相である。仏がお生まれになった時、王様と妃が太子を連れて阿私陀仙人のところに行き、太子の相を見てもらった。仙人が衣を広げて初めて太子の眉の間にある白く巻いた毛を見た。その白毛の周りには、白毛の巻きに沿った様々な輪郭があった。相師が毛を伸ばしてその長さを測ると、五尺もあり、瑠璃の筒のように、放すと右に回って頗梨珠のようになり、無量の百千の色の光を現した。これを菩薩がお生まれになった時の白毫相光という。

「至年八歲，姨母復觀悉達年大，其眉間毛亦隨年長。今試看之，即舒白毛，見毛正直如白琉璃筒，於其毛端出五色光明還入毛孔，母甚憐念情無已已，告語諸人：『我子毛相乃至如此。』諸人見已，如前右旋甚可愛念。是名菩薩童子時白毫毛相。

> 八歳になると、姨母はまた悉達（シッダルタ）が大きくなったのを見て、その眉間の毛も年とともに伸びていることに気づきました。「今、試しに見てみましょう」と、白い毛を伸ばしてみると、毛は真っ直ぐで白い瑠璃の筒のようであり、その毛先から五色の光明が出て、また毛孔に還っていきました。母は限りない愛おしさを覚え、人々に「私の子の毛相はこのようである」と告げました。人々はこれを見て、以前と同じく右巻きで、とても愛らしく感じました。これを菩薩の童子時の白毫毛相と言います。

「云何名菩薩納妃時白毫毛相？耶輸陀羅父自遣相師來相太子，見三十二相炳然如畫，惟於白毛其心不了。相師即言：『地天太子！其餘眾相同金輪王，唯此白毛流出眾光非我所明，今欲舒看為可爾不？』太子告言：『隨汝所欲。』爾時相師以手申毛，其毛流出如牛王乳，射相師眼，其眼明淨，即於毛中見百千轉輪聖王七寶千子皆悉具足。相師驚愕白言：『地天太子！我申白毛欲觀長短，不知何意如牛王乳來射我眼，為是實見、為是夢見、為是狂亂？今者悉忘。太子相好一切都盡，惟見百千轉輪聖王七寶千子及四種兵從四面起，我心歡喜，如婆羅門得梵世樂。』語已放毛，右旋婉轉還復本處。

> 「菩薩が結婚の時に白毫の相を示されたとは、どういうことでしょうか。ある時、耶輸陀羅（ヤショーダラー）の父君が相師（観相師）を遣わして太子を観させました。相師は太子に三十二の優れた相が絵のように鮮やかに備わっているのを見ましたが、ただ白毫だけはその心を知ることができませんでした。そこで相師が申し上げました。『地天の太子よ、他の相はすべて金輪王に同じですが、この白毫だけは多くの光を放ち、私にはわかりません。今、これを伸ばして見てもよろしいでしょうか。』太子はお答えになりました。『あなたの望むままにしなさい。』その時、相師が手を伸ばして白毫を引っ張ると、その毛から乳が出るように光が流れ出て、相師の目に当たりました。するとその目が明らかになり、毛の中に百千の転輪聖王が七宝と千人の子をすべて具えておられるのが見えました。相師は驚いて申しました。『地天の太子よ、私は白毫を伸ばして長さを見ようとしました。どういうわけか、乳のように光が私の目に当たりました。これは実に見えるのでしょうか、夢なのでしょうか、それとも狂乱なのでしょうか。今となってはすっかり忘れてしまいました。太子の相好はすべて消え、ただ百千の転輪聖王と七宝、千人の子、そして四方から起こる四種の兵が見えます。私の心は喜びに満ち、婆羅門が梵天の楽しみを得たかのようです。』そう言って白毫を放すと、右旋して美しく巻き、元の場所に戻りました。」

「爾時相師名牢度跋多，見此事已，五體投地禮於太子：『太子眾相不可具見，如我相法，見一相者王四天下快得自在。今太子相如摩醯首羅，自在神力不可記錄，當云何知？』太子告言：『吾不達此，汝自歸家往白汝王。』

> その時、相術の師であるラウ・ドゥ・バ・ドゥオは、この様子を見て、五体を地に投げ出して太子に礼を捧げ、申し上げた。 「太子様の（尊い）お姿は、そのすべてを見尽くすことはできませぬ。我が相術の法によれば、ただ一つの相を見るだけで、天下を治める自在の力があり、安らかにその力を得ることができるとされています。 今、太子様のお姿はマヘーシュヴァラ（大自在天）のようであり、その自在の神力を語り尽くすことはできませぬ。どのようにしてこれを知ることができましょうか。」 太子はお告げになった。「私にはそれが分かりません。あなたは家に帰り、あなたの王のもとへ行って伝えなさい。」

「爾時相師即還本國，以如上事具向王說。王聞是語駕乘名象導從百千，詣迦毘羅城，到淨飯王宮，以水澡太子手，持女上之，因為作禮：『地天太子！願受我女可備灑掃，相師所見上妙毛相，我今欲見，為可爾不？』太子告言：『隨意看之。』

> そこで、相師は自分の国に戻り、以上のことを全て王に詳細に報告しました。王はこの話を聞いて、名前のある象に乗り、百千人を従え、カピラ城に向かい、スッドーダナ王の宮殿に到着しました。そこで水で太子の手を清め、娘を差し出し、礼をして言いました。「地天太子よ、どうか私の娘を受け入れ、お仕えさせてください。相師が見たという、すぐれた毛の相を見せていただくことは可能でしょうか？」太子は答えて言いました。「お好きなようにご覧ください。」

「爾時耶輸陀羅父，以手申太子白毛，見其白毛，如頗梨憧，節節相當，於眾節間見有無量百千梵王、釋提桓因，諸勝天子與宮殿俱，了了而見，如於明鏡自觀面像。見已歡喜，尋復放捨，如前右旋還住眉間，光明赫奕四面布散，入輪郭中不可悉說，是名菩薩納妃時白毫相。」

> その時、耶輸陀羅（ヤショーダラー）の父が手を伸ばして、太子の眉間にある白毫（びゃくごう）の毛に触れました。その白毫は水晶の塔のように清らかで、節ごとに整っていました。その節々の間には数えきれないほどの梵天（ぼんてん）や帝釈天（たいしゃくてん）、その他の優れた天人が、それぞれの宮殿と共にあり、まるで明るい鏡に自分の顔を映し出すように、くっきりと見えました。それを見て父は大いに喜びましたが、すぐに手を離すと、白毫は元のように右回りにねじれながら眉間に戻り、その光は燦然と輝き四方に広がり、輪郭の中に納まってしまい、その素晴らしさを言葉で表すことはできませんでした。これが、菩薩が妃を迎えられた時の白毫の相です。

佛告父王：「佛涅槃後四部之眾，其欲觀菩薩為童子時及納妃時白毫相者，當作是觀。如此觀者是名正觀，若異觀者是名邪觀。」

> 仏が父王に告げられた。「仏の入滅後に、出家修行者・在家の男女の四つの集まりの人々が、菩薩が童子のときや妃を迎えたときの白毫の相を観たいと思うならば、このように観ずるべきである。このように観ずることを正しい観想といい、異なる観方をすれば邪な観想という。」

佛告父王：「云何名如來出家時白毫相？我欲出家時，父王及母遣諸婇女，常以衛護，門施關鍵開闔有聲，如師子吼。於窓牖間密懸諸鈴，金鎖相鉤，龍、鬼、夜叉無從得入。爾時四天王於虛空中遙發聲言：『地天太子！日時已至，宜當學道。我今欲往供養太子，恐殿有聲無緣得入。』爾時太子以手申毛，至四天王所，色如天繒柔軟可愛。時四天王見心甚愛敬，以愛敬故，即於毛中見化菩薩，結加趺坐形如太子。一一菩薩，復有無量諸大菩薩，共為眷屬。此相現時，無量諸天龍夜叉等，俱時得入。勅語車匿：『汝往後厩被揵陟來。』車匿白言：『今此地中若舉足時，此地振吼如大象聲，云何得往？』爾時太子復申白毛令車匿見，猶如蓮華葉葉相次其白如雪。車匿見已心眼即開，於其葉間見化菩薩結加趺坐，猶如微塵不可稱數，是諸化人眉間白毛亦復如是！

> 仏が父王に告げられた。「『如来が出家する時の白毫の相』とは何か。私が出家しようとした時、父王と母后は多くの宮女たちに常に私を守り護らせ、門には閂をかけて開け閉めに獅子の吼えるような音がするようにし、窓や明り取りの間には鈴を密かに吊るし、金の鎖で互いにかぎ、竜や鬼や夜叉が入り込むすべはなかった。するとその時、四天王が虚空の中から遥かに声を発して言った。『地天の太子よ、時は既に至った。道を学ばれるべき時です。今、太子に供養に伺いたいのですが、御殿の物音を恐れて、入る縁がありません。』その時、太子は手で眉間の白毫を伸ばされると、それが四天王のところに届き、その色は天の絹のようで柔らかく愛らしかった。四天王はそれを見て心から愛敬の念を起こし、その愛敬によって、白毫の中に化現した菩薩が、結跏趺坐してその姿が太子と同じであるのを見た。その一々の菩薩には、また数えきれない多くの大菩薩たちが眷属となって共にいた。この相が現れた時、数えきれない多くの天や竜、夜叉たちが、同時に入ることができた。太子は車匿に告げられた。『あなたは後ろの厩に行って、揵陟を連れて来なさい。』車匿が申し上げた。『今、この地で、もし足を上げられるなら、この地は振動して吼え、大きな象の声のようでありましょう。どうして参ることができましょうか。』その時、太子は再び白毫を伸ばして車匿に見せられた。それはあたかも蓮華の葉が互いに並び、その白さが雪のようであった。車匿はそれを見ると心の目が開かれ、その葉の間にも、化現した菩薩たちが結跏趺坐し、微塵のように数えきれないのを見た。これらの化現した人々の眉間の白毫もまた、このようであった。」

「爾時車匿見宮中地如頗梨色，表裏堅實猶如金剛，躡足無聲，疾至後厩被馬金鞍牽至殿前，車匿白太子言：『諸天顒顒合掌叉手，住在空中，同聲讚歎出家功德，太子宜時速疾乘馬。』

> その時、チャンダカは宮殿の地面が水晶のように透明で、内外ともに金剛のように堅固であり、足を踏みしめても音がしないのを見ました。彼は急いで厩舎へ行き、馬に黄金の鞍を装着し、それを殿前に連れてきました。そしてチャンダカは太子に申し上げました。「天々の諸神が、敬いの両手を合わせ、空に立ち、声を揃えて出家の功徳を讃えています。太子様、どうか速やかにお馬に乗られませ。」

「爾時太子復舒白毛持擬諸女，令諸侍女身心悅樂，猶如比丘得第三禪。爾時此毛婉轉右旋還入眉間。諸天復見太子眉間有百千光，譬如乳河周流一切。於乳河中有化菩薩，乘化蓮華，皆共讚歎出家功德。一一化菩薩，眉間乳河流出光明亦復如是！」

> その時、太子は再び眉間の白毫を伸ばし、侍女たちに向けて放ちました。すると侍女たちは心身ともに喜びに満たされ、それはあたかも修行僧が第三禅定を得た時のような心地よさでした。白毫はやがて柔らかに右回りに巻き戻り、再び眉間に収まりました。 すると天々は太子の眉間から百千の光が放たれるのを目にしました。それはまるで乳の川がすべてを巡り流れるかのようでした。その乳の川の中からは、悟りを求める菩薩たちが蓮の花に乗って現れ、皆で出家の功徳を称え讃えました。そして、その一人ひとりの菩薩の眉間からも、乳の川のように光明が流れ出たのでした。

佛告父王：「是名菩薩出家時白毛相種種瑞應。若佛滅後諸四部眾，欲觀如來出家時白毛相者，當作是觀，若異觀者是名邪觀。」

> 仏が父王に告げられました。「これを、菩薩が出家された時の白毫相（びゃくごうそう）の様々な瑞兆（ずいちょう）といいます。もし私の滅後、四部の衆（しいのしゅう）が、如来の出家時の白毫相を観じようと思うならば、このように観ずべきです。もしこれと異なる観じ方をするならば、それを邪観（じゃかん）といいます。」

佛告父王：「云何名苦行時白毫毛相？如我踰出宮城已，去伽耶城不遠，詣阿輸陀樹，吉安天子等百千天子皆作是念：『菩薩若於此坐，必須坐具，我今應當獻於天草。』即把天草清淨柔軟，名曰吉祥，菩薩受已鋪地而坐。是時諸天諦觀菩薩身相可愛，復見白毛圍如三寸，右旋婉轉有百千色，流入諸相。是諸天子觀白毫時，各作是念：『菩薩今者惟受我草不受汝草。』時白毛中，有萬億菩薩結加趺坐，各取其草坐此樹下。一一天子，各見白毫中有如此相。是時吉安天子而讚歎言：『善哉勝士！修大慈悲，慈悲力故得大人相，於其相中無量變現，能滿諸天一切善願，不生諍訟起菩提心。』

> 父王にお告げになります。「では、苦行の時の白毫（びゃくごう）の相とはどのようなものかを説きましょう。 私が宮殿を出て、ガヤーの町から遠くない阿輸陀（アシュタ）の木のもとへ向かった時、吉安天子をはじめ百千の天子たちが皆こう考えました。『菩薩がこの場所に坐ろうとしておられる。坐具が必要であろうから、今こそ天の草を献上しよう』と。 そこで彼らは『吉祥』と名づけられた、清らかで柔らかな天の草を取り、菩薩に捧げました。菩薩はその草を受け取り、地面に敷いて坐られました。 その時、諸天は菩薩の御姿の愛らしさを一心に見つめ、また白毫が三寸ばかりの円を描き、右に旋回して優美にうねり、百千の色を放ち、他の諸相に流れ入るのを目の当たりにしました。 これらの天子たちが白毫を観じていると、それぞれがこう思いました。『菩薩は今、私の草だけをお受けになり、あなたの草はお受けにならないのだ』と。 その時、白毫の中には、数万億の菩薩が結跏趺坐し、それぞれ自分の草を取ってこの木の下に坐っている姿がありました。一人ひとりの天子が、白毫の中にこのような相を見たのです。 そこで吉安天子が讃嘆して言いました。『なんと素晴らしいことでしょう。勝れたお方は大慈悲を修められ、その慈悲の力ゆえに大人の相を得られました。その相の中には無量の変化が現れ、諸天の一切の善願を満たし、争いを生じさせることなく、菩提心を起こさせるのです』と。」

「釋梵諸天見於菩薩坐此樹下，各獻甘露持用供養。菩薩是時，為欲降伏彼六師故不受彼供，天令左右自生麻米，菩薩不食，諸天皆曰：『此善男子！不食多日，氣力惙然餘命無幾，云何當能成辦菩提？』菩薩是時入滅意三昧，三昧境界名寂諸根。諸天啼泣淚下如雨，勸請菩薩當起飲食。作是請時，聲遍三千大千世界，菩薩不覺。

> 釈迦天神たちは、菩薩がこの木の下に座っているのを見て、それぞれ甘露を捧げて供養した。しかし、その時、菩薩は六師を降伏させるために、その供養を受けなかった。天の力によって、自然に麻と米が生え出たが、菩薩はそれも食べなかった。天神たちは言った。「この善男子は、何日も食べずにいて、気力は衰え、命もあとわずかだ。どうして悟りを成し遂げることができようか」。そこで菩薩は、滅意三昧に入った。この三昧の境地は「諸根を寂する」と呼ばれる。天神たちは泣き叫び、涙が雨のように流れ落ち、菩薩に食事を取るよう懇願した。その願いの声は、三千大千世界に響き渡ったが、菩薩は気づかなかった。

「有一天子名曰悅意。見地生草穿菩薩肉上生至肘，告諸天曰：『奇哉男子！苦行乃爾！不食多時，喚聲不聞，草生不覺。』即以右手申其白毛，其毛端直，正長一丈四尺五寸，如天白寶中外俱空，天見毛內有百億光，其光微妙不可具宣。於其光中現化菩薩，皆修苦行如此不異，菩薩不小毛亦不大。諸天見已歎未曾有，即放白毛右旋婉轉，與光明俱還復本處。

> ある時、一人の天子がいた。名を悦意という。彼は菩薩の体に生えた草が、地面から菩薩の肉を貫き、肘にまで達しているのを見て、天の者たちに告げた。「なんと不思議な者よ！この苦行たるや。長い間、何も食べず、呼びかけにも応じず、草が生えているのも感じていない。」そして右手でその白い毛を伸ばした。その毛の先端は真っ直ぐで、長さはちょうど一丈四尺五寸。天の白宝のように、中も外も透き通っていた。すると天の者たちは、その毛の内側に百億の光があるのを見た。その光は微細で、言葉では語り尽くせない。その光の中から、菩薩の化身が現れ、皆が同様の苦行を修めていた。菩薩が小さくなることもなく、毛が大きくなることもなかった。天の者たちはこれを見て「かつてなかったことだ」と嘆賞し、白い毛は右に旋回しながら、光と共に元の場所へと戻っていった。

「爾時諸天諦觀白毛目不暫捨，見白毛中下生五筒，從面門入，流注甘露滴滴不絕，從舌根上流入于身，表裏清徹如琉璃山，百千萬億諸大菩薩於己身內現。諸天見已合掌歡喜：『前言愚癡，言此大人命不云遠。今見是相，必當成佛了了無疑，無上慧日照世不久。』作是語已，遶百千匝各還宮殿，如此音聲聞六欲天。」

> その時、天の人々は仏の白毫（びゃくごう）をじっと見つめ、一瞬たりとも目を離しませんでした。すると、その白毛の中から五本の管が下に伸び、顔の門（鼻孔か口）から入っていくのが見えました。そして甘露（かんろ）が滴り落ちて絶えることなく、舌の根元から体内に流れ込みました。その体は内も外も清らかで透き通り、琉璃（るり）の山のようでした。その体内には、百千万億もの大菩薩たちが現れていました。 天の人々はこれを見て、手を合わせて喜びました。 「先ほどは愚かにも、このお方が長くないと言ってしまった。今、このような瑞相を見るならば、このお方が必ず仏となることは間違いない。無上の智慧の光が、まもなく世を照らすであろう。」 こう言って、百千回（ひゃくせんかい）礼拝して巡りながら、それぞれの宮殿に帰っていきました。このような音声が、六欲天（ろくよくてん）に響き渡ったのです。

佛告父王：「佛滅度後，若四部眾，欲觀如來苦行時白毫相者，當作是觀。如此觀者是名正觀，若異觀者名為邪觀。」

> 仏が父王に告げられた。「仏の滅後、四部の衆がもし如来の苦行の時の白毫相を見ようと望むならば、このように観じなさい。このように観じることを正しい観と名づけ、異なるように観じることを邪観と名づける。」

## 佛說觀佛三昧海經卷第一

> 仏説観仏三昧海経 巻第一