---
title: "佛說觀佛三昧海經 · 4"
description: "佛說觀佛三昧海經由東晉時期高僧佛陀跋陀羅翻譯，是漢傳佛教重要經典之一。該經屬於大乘佛教禪觀類經典，主要闡述觀想佛陀三十二相、八十種好的修行方法，強調通過觀佛形像達到三昧境界。經文詳細描述觀佛的具體步驟與功德利益，並結合念佛、懺悔等法門，為修行者提供系統的禪觀指導。此經在中國佛教史上影響深遠，尤其對淨土宗、天台宗等宗派的觀想念佛實踐具有重要意義，被視為大乘禪觀修行的權威典籍之一。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm9trgl0c020tid0ubne1fyok"
---

## 佛說觀佛三昧海經卷第四

> 仏説観仏三昧海経 巻第四

東晉天竺三藏佛陀跋陀羅譯

> 東晉天竺三蔵仏陀跋陀羅訳

### 觀相品第三之四

> 第三品「観相」その四

佛告父王：「云何觀如來放常光相？如來今者，為未來世諸凡夫人，當現少光，彼諸凡夫當學是觀，如是觀者亦如今日見佛光相無有異也。」

> 仏が父王に告げられました。「どのようにして如来の放つ常の光の姿を観じるべきでしょうか。如来は今、未来の世のすべての凡夫たちのために、少ない光を現そうとしています。その凡夫たちはこの観法を学ぶべきであり、このように観じるならば、今日、私の仏の光の姿を見ることと何ら変わりありません。」

爾時世尊放肉髻光，其光千色，色作八萬四千支。一一支中，八萬四千諸妙化佛。其化佛身身量無邊，化佛頂上亦放此光，光光相次乃至上方無量世界。於上方界有化菩薩，如雲微塵從空而下圍遶諸佛。此光現時，十方微塵世界諸佛亦悉得見，此光直照諸佛頂上，諸佛放光，其光亦照釋迦文頂。

> その時、世尊は肉髻（にくけい）から光を放たれた。その光は千もの色を放ち、それぞれの色は八万四千もの枝分かれとなった。その一つ一つの枝の中には、八万四千もの見事な化身の仏が現れた。それらの化身の仏の身の大きさは限りがなく、化身の仏の頭上からもまたこの光が放たれた。その光は次々と重なり合い、上方の無数の世界にまで届いた。上方の世界には、雲や微細な塵のように無数の菩薩が虚空から降り立ち、諸仏の周りを囲んだ。この光が現れた時、十方の微細な塵のように多くの世界の諸仏もまた、悉くこの光を見ることができた。この光は真っ直ぐに諸仏の頭上を照らし、諸仏もまた光を放たれた。その光は同様に、釈迦文（しゃかもん）の頭頂をも照らしたのである。

佛告阿難：「眾生欲觀釋迦文佛肉髻光明，當作是觀，作是觀者，若心不利，夢中得見，雖是心想能除無量百千重罪。如是觀者，現身必見諸大菩薩，見菩薩故聞其說法，聞說法故得陀羅尼，其陀羅尼名旋憶持。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。」

> 佛が阿難に告げられた。「人々が釋迦文仏の肉髻の光明を見たいと願うならば、このように観じなさい。このように観じて心がうまく働かない場合でも、夢の中で見ることができるだろう。心の中で想像するだけでも、無量の百千の重い罪を除くことができる。このように観ずる者は、現世で必ず諸々の大菩薩を見る。菩薩を見るからこそ、その説法を聞き、説法を聞くからこそ陀羅尼を得る。その陀羅尼を旋憶持という。このように観ずることを正しい観と名づける。もし異なる観方をすれば、それは誤った観である。」

佛告父王：「云何名為觀於如來眉間光明？如來今者，為此後世諸眾生故，當少現於白毫相光。」

> 仏は父王に告げられました。「どのようにして如来の眉間の光明を観じるのか。如来は今、後の世のすべての衆生のために、白毫の相の光を少し示そう。」

作是語時，時佛眉間即放白毫大人相光，其光分為八萬四千支，亦八萬四千色，遍照十方無量世界。一一光色化一金山；一一金山無量龕窟；一一窟中有一化佛，結加趺坐入深禪定，聲聞菩薩百千大眾以為眷屬。時佛窟中有諸化佛，皆放白毫大人相光，亦照十方無量世界，皆如金色。金色地上有金蓮華，金蓮華上皆有化佛，亦皆同號名釋迦文。諸佛眉間，亦放此光，其光遍照十方世界，猶如百千億須彌山王共合一處。諸須彌山映現諸佛，佛身高顯與山正等，是等化佛眉間光明，遶諸化佛滿七匝已，還入釋迦牟尼眉間。此光入時，佛身毛孔一毛孔中有一化像，一一化像身毛孔中，化成八萬四千妙像，皆是三千大千世界，一切眾生所希見事，是名如來八十好中一好光明。如是八十隨形好光，說不可盡。

> このようにお説きになった時、仏の眉間から白毫の大人相の光が放たれた。その光は八万四千の筋に分かれ、また八万四千の色を有し、十方の無量の世界を遍く照らした。一つ一つの光と色が一つの金山へと変じ、一つ一つの金山には無数の龕（くぼみ）や洞窟があった。それぞれの洞窟の中には一体の化身仏が結跏趺坐して深い禅定に入っており、声聞や菩薩、数百千の大衆がその眷属として従っていた。 その時、仏の洞窟の中にいた多くの化身仏たちも皆、白毫の大人相の光を放ち、同じく十方の無量の世界を照らし、すべてを金色に染めた。金色の大地の上には金の蓮華が咲き、その金の蓮華の上にはそれぞれ化身仏が座っており、そのすべてが同じ名を「釈迦文」と称した。 諸仏の眉間からもまたこの光が放たれ、その光は十方の世界に遍く届き、あたかも百千億の須弥山王が一つに集まったかのようであった。その多くの須弥山には諸仏が映し出され、仏の身の高さは山と等しく顕れた。これらの化身仏たちの眉間の光明は、諸化身仏の周りを七回巡ってから、釈迦牟尼の眉間に還入した。 この光が入ると、仏の身の一つの毛孔から一つの化身の像が現れ、その一つ一つの化身像の身の毛孔からは、さらに八万四千の素晴らしい像が化現した。これらはすべて三千大千世界のあらゆる衆生が希に見る事柄であり、これを如来の八十種の好の中の一つの好の光明と名付ける。このような八十種の随形好の光は、言葉で説き尽くすことはできない。

如來少現白毫光明，父王所將眾中有八千人，遠塵離垢得法眼淨。

> 如來がわずかに白毫の光明を現されると、父王の連れてきた人々の中の八千人に、心の汚れが遠ざかり離れて、清らかな法の眼が開かれました。

佛告阿難：「如來白毫相光，諸修多羅中佛已廣說，如是妙光惟佛佛見，十地菩薩見不明了。是故此中少分而說，說少分者為凡夫人。佛滅度後，如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。此光除罪如向所說，惟見光者，心得了了見百億佛，見白毛者是心想見。

> 仏は阿難に告げられた。「如来の白毫の相の光については、多くの経典の中で既に広く説かれてきた。このような妙なる光は、仏のみが仏に見えるものであり、十地の菩薩でさえ明らかに見ることはできない。ゆえに、ここではその一部だけを説く。一部を説くのは、凡夫の人のためである。仏が滅度された後、このように観ずることを正観といい、異なる観じ方を邪観という。この光は、先に述べたように罪を除く。ただ、光を見る者は、心にて明らかに百億の仏を見ることができる。白毛を見るのは、心によって想い見るものである。」

「云何觀如來額廣平正相、如來面上三輪相、髮際相？如是眾相，一一相中皆出金光，其金色光化成金床；一一床上有千菩薩，拘樓孫馱為始下逮樓至，是千菩薩皆放光明坐金床上，如是百億千萬菩薩，百億千萬金床。其金床上皆有寶帳，一一寶帳有千光明；一一光明成千寶幢；一一幢上千萬寶蓋，眾寶蓋下有諸寶幡，諸寶幡中無量化佛。是諸化佛皆說苦、空、無常、無我。說此偈時，一切化佛亦皆說此。釋迦文佛方身丈六，在行者前舉其右手，而作是言：『善哉善哉，善男子！汝今能觀諸佛相好，我等先世行菩薩道，與汝無異；汝今能觀諸佛境界，此境界者，但是汝心妄想所生。』作是語已即滅不現，額上諸光復更明顯，其光流出有百千億，一一光明照寶床上諸菩薩面，彼菩薩面亦出光明，照釋迦文，此相現時，行者真觀佛面了了無疑。」

> 「如来の額が広く平らで正しい相、如来の顔にある三つの輪相、髪際の相をどのように観じるべきか。これらの一つ一つの相からは、すべて金色の光が放たれ、その金色の光は金の台座に変わり、それぞれの台座の上には千の菩薩がおられる。拘留孫駄から始まり楼至に至るまで、これらの千の菩薩はすべて光明を放ちながら金の台座に座っておられる。このようにして、百億千万の菩薩、百億千万の金の台座がある。それらの金の台座の上には、それぞれ宝の幕があり、一つ一つの宝の幕には千の光明があり、一つの光明ごとに千の宝の幢が現れ、一つの幢の上には千万の宝の蓋があり、様々な宝の蓋の下には様々な宝の幡があり、様々な宝の幡の中には無数の化仏がおられる。これらの化仏は皆、苦・空・無常・無我を説かれる。この偈を説かれる時、すべての化仏もまた同じくこれを説かれる。釈迦文仏は丈六の御身をもって、修行者の前に立ち、右手を挙げてこう仰せられた。『善きかな、善きかな、善男子よ。汝は今、よく諸仏の相好を観じることができる。我らは前世において菩薩道を修行したが、汝と何ら異なることはない。汝は今、よく諸仏の境界を観じることができるが、この境界はただ汝の心の妄想によって生じたものに過ぎない。』この言葉を終えられると、すぐに姿を消された。額の上の諸々の光明はさらに一層明らかになり、その光からは百千億の光が流れ出て、一つ一つの光明は宝の台座の上の諸菩薩の顔を照らし、それらの菩薩の顔からもまた光明が出て、釈迦文仏を照らす。この相が現れる時、修行者は仏の御顔を真実に観じ、明瞭で疑いの余地がないのである。」

佛告阿難：「佛滅度後，佛諸弟子，能如是觀真見佛面，與我住世等無有異。作此觀者，除却一億劫生死之罪，後身生處面見諸佛，生諸佛家，諸佛菩薩以為眷屬。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。

> 仏は阿難に告げられた。「私がこの世を去り、滅度した後でも、私の弟子たちがこのように真実に私の姿を観想するならば、それは私が生きている間に私の顔を見るのと全く同じである。この観想を行う者は、一億劫分の生死の罪を消し去り、次の生では諸仏に直接会い、諸仏の家に生まれ、諸仏や菩薩たちを眷属とすることができる。このように観想することを正しい観想という。もしこれと異なる観想をするならば、それは誤った観想である。」

「云何觀如來鼻出光明？鼻出光明分為四支，上入佛眼、佛眉、佛睫。出大光明，其光靉靆如龍象形，遍照十方無量世界，入諸佛眼，此相現時十方大明。是時行者見十方界地及虛空，諸佛滿中。一一佛眼、眉睫、鼻孔放大光明，亦復如是！佛眼兩光其明遍照入諸佛眼，於虛空中化成光臺，其光臺上純是光雲，光雲青白世界無比，於青光中有青色化佛；於白光中有白色化佛。此青白色佛左右分明，百寶色光以為其雲，如神通人飛騰雲間，身諸毛孔猶如華樹；一一華樹上至梵世，諸華葉間，有百千億聲聞比丘；一一比丘著千納衣，千納千色；一一色中百千化佛，皆純金色。是諸比丘，踊身雲中亦隨佛後，如大龍象行其子隨從。」

> 「では、如来の鼻から光明が出るのをどのように観想するのか。鼻から出る光明は四つの流れに分かれ、上に向かって仏の眼、仏の眉、仏のまつげに入っていく。そこから大いなる光が放たれ、その光は立ち込めて龍や象の形のようであり、十方の無量の世界を遍く照らし、諸仏の眼に入る。この相が現れる時、十方が大いに明るくなる。 この時、行者は十方の世界の大地と虚空に、諸仏が満ちているのを見る。一人ひとりの仏の眼、眉、まつげ、鼻孔からも、同様に大いなる光明が放たれている！仏の眼からは二筋の光が放たれ、その明るさは遍く照らして諸仏の眼に入り、虚空の中で光の台座へと変わる。その光の台の上には、ただ光の雲だけがある。光の雲は青と白で、世にも類を見ない。青い光の中には青い色の化身仏がおり、白い光の中には白い色の化身仏がいる。この青白い仏たちは、左右がはっきりとしている。百宝の色の光がその雲となり、神通力を得た人が雲の間を飛び回るかのようだ。身体の諸々の毛孔は、ちょうど華の木のようである。一つ一つの華の木は梵天の世界にまで達し、諸々の華や葉の間には、百千億の声聞の比丘たちがいる。一人ひとりの比丘は千の納衣をまとい、千の納衣は千の色がある。その一つ一つの色の中に百千の化身仏があり、皆、純粋な金色である。これらの比丘たちは身を躍らせて雲の中へ入り、また仏の後に従う。ちょうど大きな龍や象が歩けば、その子が従うように。」

佛告阿難：「佛滅度後佛諸弟子，若能正心觀佛眼光，即於現世重障得除，於當來世常得觀佛不離佛日，雖處母胎常入三昧。在母胎時見十方佛，皆放眼光來照其身，胎㲉中時常受妙法，況出於外！如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。

> 仏は阿難に告げられた。「私の入滅後、仏の弟子たちがもし心を正しくして、仏の眼差しを観じることができれば、現世における重い障りは除かれ、来世においても常に仏を観じてその教えの光から離れることはないだろう。たとえ母の胎内にいる時でさえ、常に三昧に入ることができる。胎内にいる間に十方の諸仏を見て、彼らが皆、眼差しの光を放ってその身を照らし、胎内にいる間も常に妙法を受けている、ましてや外界に出た後はなおさらである。このように観じることを正しい観想と言い、これと異なる観想は誤った観想と言うのである。」

「鼻出二光，其光遍照十方世界，其一一光化成大水，其水住空流入諸光，此水入時一切光明惟更明顯，一一光間出頗梨山，頗梨山間生七寶華，其華臺上踊出眾水，其水金色猶如金幢，其金幢內有百千萬無量化佛；一一化佛方身丈六，身毛孔中八萬四千上妙寶色，諸寶色中復放光明，其光微妙有恒沙色。」

> 鼻から光が放たれ、その光は十方の世界をくまなく照らしました。その一つ一つの光は、大水へと変わりました。その水は虚空に留まり、やがて流れ込んで再び光となりました。この水が入り込むと、すべての光明はますます明らかに輝きました。光と光の間からは、水晶の山が現れました。水晶の山々の間には、七宝の華が咲き、その華の台からは、様々な水が湧き出ました。その水は金色で、まるで金の幢のようでした。その金の幢の中には、百千万の無数の化身仏がいました。一つ一つの化身仏の身の丈は一丈六尺で、その身の毛穴からは八万四千の優れた宝の色が放たれ、その宝の色のなかから再び光明が放たれました。その光は微妙で、河の砂の数ほどの無数の色がありました。

佛告阿難：「佛滅度後佛諸弟子，作是觀者，除却千劫極重惡業，後世生處心無所著，不處胞胎恒常化生，既化生已身光具足不離諸佛。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。

> 佛は阿難に告げられました。「仏が亡き後、仏の弟子たちがこのように観じるならば、千劫もの極めて重い悪業を除き去ることができる。次の世に生まれるとき、心に執着がなく、胎内に宿ることなく常に化生し、化生した後は身の光が完全に備わり、諸仏から離れることがない。このように観じることを正しい観じ方といい、異なる観じ方は誤った観じ方である。」

「云何觀如來面門光明？其光白色猶如寶山內外俱淨，於寶山內無量化佛真金精色。時諸化佛面門出光，其光五色遍照十方入諸佛面門。此相現時，行者行住坐臥，恒聞如來說四念處（身、受、心、法），并說境界令行者聞。聞已憶持閉目思惟，此光力故即得四念處法。時十方佛及釋迦文，於三昧中各申右手摩行者頂，而作是言：『善哉善哉，善男子！汝能真實行念佛定。』如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。

> 「どのようにして如来の面門の光明を観じるのか。その光は白く、あたかも宝山のように内外ともに清らかである。宝山の中には無数の化仏があり、真金の精色をしている。その時、化仏たちの面門から光が出て、その光は五色に輝き、十方に遍満して諸仏の面門に入る。この相が現れる時、修行者は行住坐臥において、常に如来が説く四念処（身・受・心・法）を聞き、さらに境界をも説かれて、修行者に聞かせる。聞いた後は記憶し、目を閉じて思惟する。この光の力によって、即座に四念処の法を得る。その時、十方の仏および釈迦牟尼仏は、三昧の中でそれぞれ右手を伸ばして修行者の頂上を摩り、こう言う。『善きかな、善きかな、善男子よ。汝は真実に念仏の定を修めている。』このように観じることを正観という。もしこれと異なる観じ方をすれば、邪観という。」

「云何觀如來耳？耳出五光其光千色，色千化佛，佛放千光，如是光明遍照十方無量世界化成一華，其華甚大量不可知，除佛心力無能知者。是蓮華中，百千萬億無量佛剎皆於中現，百千萬億諸大菩薩坐一蓮華鬚，華鬚不大菩薩不小亦不相妨。如是菩薩耳普垂𦖋，如金蓮華懸處日光，亦於耳中旋生五光。此相現時，佛耳中毛如帝釋樹眾所喜見。」

> どのように如来の耳を観じるのか。耳から五つの光が放たれ、その光は千の色を有する。その色ごとに千の化仏が現れ、それぞれの仏が千の光を放つ。その光明は十方の無量世界に遍く照り渡り、一つの華へと変わる。その華は非常に大きく、その量は知り尽くせず、仏の心力を除いては、誰も知ることができない。この蓮華の中には、百千万億の無量の仏の世界がみな現れ、百千万億の諸大菩薩が一つの蓮華の鬚に座している。華鬚は大きくならず、菩薩も小さくならず、互いに妨げ合うこともない。このような菩薩の耳は広く垂れ下がり、金の蓮華が日差しの中に懸かっているかのようである。また耳の中から五つの光が旋生する。この相が現れる時、仏の耳の毛は帝釈天の木のようで、人々が皆喜んで見るものとなる。

佛告阿難：「佛滅度後，佛諸弟子作是觀者，常聞百億千佛及諸菩薩說眾妙法不壞耳根。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。

> 仏は阿難に告げられた。「仏がこの世を去った後、仏の弟子たちがこのように観じるならば、常に百億千の仏や多くの菩薩たちが説く素晴らしい法を聞き、耳の根を損なうことはない。このように観じることを正しい観じ方と名づける。もしこれと異なる観じ方をすれば、それは誤った観じ方である。」

「云何觀如來頸相？頸相出二光，其光萬色，遍照十方一切世界。有諸眾生善根熟者遇斯光明，悟十二緣成辟支佛，此光照諸辟支佛頸。此相現時，行者遍見十方一切諸辟支佛，擲鉢虛空作十八變，諸辟支佛一一足下皆有文字，其字演說十二因緣（無明緣行、行緣識、識緣名色、名色緣六入、六入緣觸、觸緣受、受緣愛、愛緣取、取緣有、有緣生、生緣老死憂悲苦惱）；一字一光，一光十二音。一音說苦、空、無常、無我；一音演說十二因緣。如是辟支佛足下光中皆有是字，逆順往復凡十二遍，是名生死之根本也。此光照諸辟支佛已，還入佛頸。作此觀者，不生人中生兜率天，值遇一生補處菩薩為說妙法，既聞法已身心歡喜，學諸菩薩觀緣起法。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。

> 「どのように如来の頸相を観じるのか。頸相からは二つの光が出て、その光は万色に輝き、十方のあらゆる世界を遍く照らす。ある衆生で善根が成熟した者は、この光明に遇うと十二縁を悟って辟支仏となる。この光は、それら辟支仏の頸を照らす。この相が現れる時、修行者は十方のすべての辟支仏が鉢を虚空に投げ上げて十八変を示すのを遍く見る。辟支仏の一人一人の足の下にはみな文字があり、その文字は十二因縁（無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生じ、識を縁として名色が生じ、名色を縁として六入が生じ、六入を縁として触が生じ、触を縁として受が生じ、受を縁として愛が生じ、愛を縁として取が生じ、取を縁として有が生じ、有を縁として生が生じ、生を縁として老死・憂悲苦悩が生じる）を説き示す。一字ごとに一つの光があり、一つの光に十二の音がある。一つの音は苦・空・無常・無我を説き、また一つの音は十二因縁を説く。このように、辟支仏の足の下の光の中にはみなこの文字があり、順逆に往復して、合わせて十二遍ある。これを生死の根本という。この光はすべての辟支仏を照らした後、再び仏の頸に入る。このように観じる者は、人間界に生まれず、兜率天に生まれ、一生補処の菩薩に遇って妙法を説かれ、その法を聞いて身心ともに歓喜し、諸々の菩薩に倣って縁起の法を観じる。このように観じるのを正観といい、それと異なる観じ方は邪観という。」

「云何觀如來缺瓫骨滿相？滿相光明遍照十方，作虎魄色，若有眾生遇此光者，自然興發聲聞道意。是諸聲聞見此光明分為十支，一支千色，十千光明，光有化佛，一一化佛有四比丘以為侍者；一一比丘皆說苦、空、無常、無我。分別四諦，說八人義、說四果相、說三三昧，令彼眾生於此法中求出家法，出家不久成阿羅漢。如是光明遍照十方諸羅漢頂，照頂之時，如人執瓶灌藥入頂，其狀色貌猶如醍醐，從頂入已貫徹表裏。爾時行者身心安隱，其心恬然無有惡相，不見諸使及結相貌，如是霍然成阿羅漢。此光復變作金色蓋，其數無量，一一蓋中百千七佛；一一七佛有四比丘以為侍者；一一比丘入四大定，四大定中遍現一切結使相貌，八萬戶虫宛轉而出，小虫種類亦皆隨從。此相現時火大先起，火大起者初如芥子，從毛孔出後漸漸長，遍燒諸身身如火聚。諸虫鳴吼如師子聲，此聲出時行者心怖迷悶躄地，出定見身，如野火行傍樹為燋；此相現時，復當起心作一藥想，先作身想，身想既成，開頂令空作梵王想、作帝釋想、作諸天手持寶瓶想、持藥灌想。藥入頂時，遍入四體及諸脈中，見脈及身如瑠璃筒，但見諸虫如萎死華。

> 「どのように如来の欠けた骨の満相を観ずるのか。満相の光明は十方に遍く照らし、虎魄色となる。もしこの光に遇う衆生があれば、自然に声聞の道心を発起する。これらの声聞はこの光明を見て十の支分に分かれるのを悟る。一支に千色あり、十千の光明が生じ、その光の中には化仏がいる。一々の化仏には四人の比丘が侍者として仕える。一々の比丘は皆、苦・空・無常・無我を説き、四諦を分別し、八人の義を説き、四果の相を説き、三三昧を説く。それにより衆生をして、この法の中にて出家の法を求めさせ、出家して間もなく阿羅漢となる。 かくの如く光明は十方の全ての羅漢の頂に遍く照らす。頂を照らす時、人が瓶を持って薬を頂に注ぐが如く、その状色・相好は醍醐の如く、頂より入りて表裏に貫徹す。その時、行者は身心安穏と成り、心は恬然として悪相無く、諸使や結の相を見ず、かくの如く霍然として阿羅漢と成る。 この光はまた変じて金色の蓋となり、その数は無量なり。一々の蓋の中に百千の七仏あり。一々の七仏には四人の比丘が侍者として仕える。一々の比丘は四大定に入り、四大定の中に遍く一切の結使の相を現じ、八万戸の虫は宛転しながら出で、小虫の種類も皆これに従う。 この相が現れる時、火大が先ず起こる。火大が起こる時、初めは芥子の如く、毛孔より出でて後、次第に長じ、諸身を遍く焼き、身は火の聚の如し。諸の虫は吼えること師子の声の如く、この声が出る時、行者は心に怖れ迷い、悶えて地に躄す。定より出でて身を見れば、野火の行きて樹を傍らより焼くが如し。 この相が現れる時、再び心を起こして一薬想を作すべし。先ず身想を作せ。身想既に成れば、頂を開きて空ならしめ、梵王想を作せ、帝釈想を作せ、諸天の手に宝瓶を持ちて薬を持って灌ぐ想を作せ。薬の頂に入る時、遍く四体および諸脈の中に入り、脈および身を見ること瑠璃筒の如く、ただ諸の虫を見ること萎れて死せる華の如し。」

「爾時諸脈更相流注，惟有眾水，水至之處火則隨滅。是時行者，節節水出如人仰射，水至梵際水水相次至於梵天，見身中水如四大海，但見諸虫頭萎摧茹手折足戾，惟心生火分為十支，火入眾水不相消滅，水光上衝，火光隨逐，水火二光皆從心出，互相交錯，上極三界頂，下至阿鼻獄，盡一世界際，純見水火流，東西南北火亦隨走。

> その時、あらゆる脈管が互いに流れ込み、ただ水だけが満ちていた。水の及ぶところでは、火はたちまち消え去った。その時、修行者の体の節々から水が湧き出る様は、あたかも人が弓を天に向かって射るかのようであった。水は梵天の境界にまで達し、次々と水が梵天へと続いた。修行者は自分の体内の水を、あたかも四大海のように見た。ただ、すべての虫たちは頭を垂れ、手は折れ、足は曲がっていた。ただ心だけが火を生み出し、十の枝に分かれた。火は多くの水の中に入っても互いに消し合うことはなく、水の光は上へと衝き上がり、火の光はそれに従った。水と火の二つの光は、ともに心から出て、互いに交錯し、上は三界の頂上に至り、下は阿鼻地獄にまで及んだ。一つの世界の果ての果てまで、ただ水と火の流れのみが見え、東西南北の四方もまた、火は絶えず走り続けた。

「爾時心端自然生一黑毛，於其毛端出大黑風，其風四色隨心根起，如旋嵐風，狀如烟焰，其風遍吹一切諸水，其水波動沫聚成𧂐，火亦入中，得火力故沫堅如氷。復有風來，吹諸塵穢九十八種惡不淨物持置氷上，氷力弱故，隨不淨敗著處即解。此氷解時八人執刀，斫氷段取各持而去，塵土坌污心悶而臥，風火水等合聚一處，火力大故燒壞眾物，有四惡蛇含一寶珠，從火焰出凌虛飛逝；有六大龍，迎四小螭吞吸而走，龍頂生樹至無色界。有一小草細若秋毫，色正金色，從樹稭生下入樹根，從樹根生上入樹莖；從樹莖生散入枝葉，其華白色亦有紅赤，其果欲熟猶作四色，至八月半純黃金色，如此光明照諸聲聞，變化無量百千境界。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。

> ある時、心の端に自然と一本の黒い毛が生じ、その毛の先から大きな黒い風が起こった。 その風には四つの色があり、心の根元に従って立ち上る。 それは旋嵐の風のようであり、煙や炎のような形をしていた。 その風はすべての水を吹き渡り、水の波が動いて泡が集まり堆積した。 火もまたその中に入り、火の力によって泡は氷のように固くなった。 さらに風が来て、塵や汚れ—九十八種の悪く不浄な物—を吹き寄せ、氷の上に置いた。 氷の力が弱かったため、汚れが敗れるに従って、着いたところですぐに解けていった。 この氷が解ける時、八人の者が刀を持ち、氷の塊を切り取ってそれぞれ持ち去った。 塵や土が汚れかかり、心は塞がれて横たわった。 風・火・水などが一つに集まり、火の力が強かったため、諸々の物を焼き壊した。 四匹の悪蛇が一つの宝珠をくわえ、炎の中から出て虚空を飛び去った。 六匹の大龍が現れ、四匹の小螭を迎え吞み込んで走り去った。 龍の頂上には木が生え、無色界にまで達した。 一本の小さな草があった。秋の毫毛のように細く、色は金色であった。 その草は、木の稈から下へ生じて木の根に入り、木の根から上へ生じて木の茎に入った。 木の茎から生じて枝や葉に散らばった。 その花は白色であり、また紅色や赤色もあった。 その果実は熟そうとする時、なお四色をしていたが、八月半ばになると純粋な黄金色となった。 このような光明は諸々の声聞を照らし、無量・百千の境界を変化して現した。 このように観ずることを正観という。 もし異なって観ずるならば、それを邪観という。

「若有比丘入此定時，身如芭蕉無有堅實。出定之時，身體支節悉皆疼痺，若不服藥發狂而死，應當隨時眾藥消息。作是觀者除無數劫生死之罪，如大水流不久當得阿羅漢道。」

> 「もし比丘がこの三昧に入るとき、その身は芭蕉（バショウ）のように中身がなく実体がありません。三昧から出たときには、全身の関節がすべて痛みしびれ、もし薬を服用しなければ発狂して死んでしまいます。ですから、常に状況に応じて薬を用いて調整すべきです。このように観じる者は、無数の劫（こう）にわたる生死の罪を除かれ、大きな水流のように、まもなく阿羅漢の道を得るでしょう。」

佛告阿難：「汝持佛語真實莫忘，為諸比丘當廣宣說。」說是語時，五百比丘得四大定，同時皆得四沙門果。

> 仏は阿難に告げられた。「私の言葉を心に留め、決して忘れてはならない。比丘たちに広く説き聞かせなさい。」 この言葉が語られたとき、五百人の比丘たちは四つの大きな悟りの境地を得て、同時に四つの沙門の果（修行の階位）を得たのである。

「云何觀如來胸德字、万字相？腋下摩尼珠皆放光明，其光紅紫中有金華，其華開敷，化為無量百千萬億無數眾華，一一華上有無量佛，是諸化佛各有千光，光一化佛，其光五色。若有眾生遇此光明，狂者得正、亂者得定、病者得愈、貧窮者自然得寶、盲者得視、聾者得聽、啞者能言、癃跛疥癩皆得除愈，遍入十方諸佛頂上。入已諸佛胸中有百千光，從万字生；一一光中歌百千偈，演說檀波羅蜜。如是眾光演說六波羅蜜，其偈無量，行者正坐聞無量佛皆說是法；一一化佛遣一化人，端嚴微妙狀如彌勒，安慰行者而作是言：『善哉善哉，善男子！汝繫念故見諸佛光，諸佛光中說無相施、說無相戒、說無相忍、說無相精進、說無相定、說無相慧。汝聞此法慎勿驚怖，過去諸佛繫念思惟，亦聞是法、亦解是相。解是相已不畏生死，處大地獄阿鼻猛火盛不能燒，雖處地獄如遊天宮，是故万字名實相印。諸佛如來無量無邊阿僧祇劫學得此印，得此印故不畏生死、不染五欲。』」

> 「如来の胸にある徳の字、卍の相をどのように観じるべきでしょうか。 脇の下にある摩尼の珠がすべて光明を放ち、その光は紅紫色で、その中に金の華があります。その華が開き敷かれ、無量百千万億の無数の華と化し、一々の華の上には無量の仏がおられます。これらの化仏には、それぞれ千の光があり、光一つの一つ一つの化仏、その光は五色です。 もし衆生がこの光明に遭遇すれば、狂った者は正気に返り、乱れた者は静まり、病める者は癒え、貧しい者は自然に宝を得、盲人は見えるようになり、聾者は聞こえるようになり、唖者は言葉を発し、腰の曲がった者、跛行者、疥癬の者もすべて除かれ癒されます。そして、遍く十方の諸仏の頂上に入ります。 入ると、諸仏の胸の中に百千の光があり、卍の字から生じます。一々の光の中に百千の偈が歌われ、檀波羅蜜（布施の完成）を説きます。このようにして、多くの光が六波羅蜜を説き、その偈は無量です。 行者が正しく座って、無量の仏が皆この法を説いているのを聞きます。一々の化仏は一人の化身を送り、端正で厳かで微細妙なること、弥勒菩薩のようです。そして行者を慰めてこう言います。 『善きかな善きかな、善男子よ。あなたが心を集中して念じたがゆえに、諸仏の光を見るのです。諸仏の光の中では、無相の施し、無相の戒め、無相の忍び、無相の精進、無相の定め、無相の智慧を説いています。あなたはこの法を聞いて、どうか恐れ惑わないでください。過去の諸仏も心を集中して思惟し、この法を聞き、またこの相を理解しました。この相を理解したので、生死を恐れず、大地獄の阿鼻の猛火があっても焼くことができません。地獄にいても天宮に遊ぶかのようです。ですから、卍の字を真実の相の印（実相印）と名づけるのです。諸仏如来は無量無辺ア僧祇劫の間、修行してこの印を得ました。この印を得たがゆえに生死を恐れず、五欲に染まらないのです。』」

佛告阿難：「佛滅度後佛諸弟子，見佛胸相光者，除却十二万億劫生死之罪，若不能見胸相分明者入塔觀之。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。

> 仏は阿難に告げられました。「仏が滅度された後、仏の弟子たちが、仏の胸の相の光を見る者は、十二万億劫の生死の罪を除くことができる。もし胸の相をはっきりと見ることができなくても、塔の中に入ってそれを観じなさい。このように観ずることを正しい観方と名づけ、もし異なる観方をすれば、それは誤った観方と名づける。」

「云何觀如來臂𦟛纖圓如象王鼻相？手十指合鞔掌千輻理，各各皆放百千光明，一一光明分為千支純作紅色。如是眾光遍照十方無量世界，照世界已化成金水，金水之中有一妙水如水精色，餓鬼見者除熱清涼；畜生見者自識宿命；狂象見者為師子王；師子見之為金翅鳥；諸龍見之為金翅鳥王。是諸畜生各見所尊，心生恐怖合掌恭敬，以恭敬故命終生天。眾人見者如梵天王，或如日月星辰，見已歡喜，命終生兜率天。行者見之心眼即開，時十方界滿中化佛，一一化佛手出光明入行者眼，閉目開目恒見諸佛，自觀身相如妙寶瓶中有不淨。如是見者雖未得通，遍至十方歷侍諸佛，見一一佛出手光明亦復如是！如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。

> 「どのように如来の腕は繊細で丸みを帯び、象王の鼻のように見えるのでしょうか？手の十本の指は合わさり、手のひらには千本の輻（や）の模様があり、それぞれが百千の光明を放っています。その一つ一つの光明は千の枝に分かれ、純粋な紅色をしています。これらの光は十方の無量の世界を照らし、世界を照らした後には金の水に変わります。その金の水の中には、水晶のような色をした一つの妙なる水があり、餓鬼が見れば暑さが除かれ清凉を覚え、畜生が見れば自らの過去世を識り、狂った象が見れば獅子王となり、獅子が見れば金翅鳥となり、諸々の龍が見れば金翅鳥王となります。これらの畜生たちはそれぞれが尊いものを見て、心に恐怖を生じ、手を合わせて敬い、その敬いの故に命終えて天に生まれます。人々が見れば梵天王のようであり、あるいは日月や星辰のようであり、見て歓喜し、命終えて兜率天に生まれます。修行者がこれを見れば心眼が開かれ、その時、十方の世界は化仏で満ち、それぞれの化仏の手から光明が出て修行者の眼に入り、目を閉じても開いても常に諸仏を見ることができます。自らの身の相を観じると、妙なる宝の瓶のようであり、その中に不浄があります。このように見る者は、まだ神通を得ていなくとも、十方に至り諸仏に侍り、それぞれの仏の手から光明が出るのを見ることもまた同じです。このように観ずることを正観といい、もし異なる観方をすれば邪観といいます。」

「云何觀如來臍相？如來臍中有萬億寶華，一一寶華萬億那由他葉；一一葉萬億那由他色；一一色萬億那由他光。此相現時，一切大眾見佛心相，如來心者如紅蓮華，金華映蔽，妙紫金光以為間錯，妙琉璃筒懸在佛胸，見佛身內萬億化佛，是諸化佛遊佛心間，佛臍出光，其光靆然如須彌山，眾山中間有無量寶山，如須彌山。此眾華上皆有化佛，嚴顯可觀如須彌山。其光千種有十千色，分為十億支，億億支照下方；億億支照上方；億億支照東方；億億支照南方；億億支照西方；億億支照北方；億億支照東南方；億億支照西南方；億億支照西北方；億億支照東北方。如是十方各有諸華，華極小者猶如百億須彌山大，一須彌上有百億萬諸大菩薩，身極小者如須彌山。諸化菩薩臍中各生一大蓮華，其諸蓮華遍覆三千大千世界，一一華間有金色光，其光猶如閻浮檀金；一一金光化微塵數釋迦牟尼；一一釋迦臍中光明亦復如是！如是眾光合成光臺，其眾光臺亦有無量微塵恒沙諸大化佛，佛佛相次放臍光明，其光大盛直照上方無量世界，復過是界。如是眾界數如三千大千世界無量微塵，是世界中皆有琉璃頗梨億寶以為佛窟；是眾窟中各有萬億無量諸佛，諸佛臍中各各皆生一大蓮華，與前無異。是諸光明照諸一切十地菩薩，是諸菩薩遇斯光已，即入微妙首楞嚴門，復得入於金剛譬定。諸天遇者深發無上正真道意，心眼開明見諸佛相。如此光明照菩薩已，令諸菩薩身諸毛孔，一毛孔中出阿僧祇諸供養雲及眾供具，蓋極小者覆閻浮提，如是眾多雜寶供具不可悉說，此諸供具從首楞嚴海生。」

> 「如来のへそ（臍相）をどのように観じるべきか。 如来のへそには、数え切れないほどの宝の花々が無数に咲き誇っている。それぞれの宝花には、無数の花びらがあり、その一つひとつに数え切れないほどの色があり、それぞれの色からは無限の光が放たれている。この相が現れる時、すべての大衆は如来の心の様子を見ることができる。如来の心は紅蓮の花のようであり、金色の花がそれを覆い、美しい紫金色の光がその間に織り交ざっている。また、見事な瑠璃の筒が如来の胸に掲げられており、その身の中には無数の化身仏が遊び、心の間を行き来している。如来のへそからは光が放たれ、その光は須弥山のように壮大である。多くの山々の中には、須弥山のような無量の宝山がある。これらの花の上にはすべて化身仏がおり、厳かに輝き須弥山のように見事である。その光には千種類もの光があり、さらに一万種類もの色がある。それらは十億の枝に分かれ、さらにその枝々は下界へ、また上界へ、そして四方八方……東、南、西、北、南東、南西、北西、北東へと照らし出す。このように十方の世界にはそれぞれ花があり、最も小さな花でも百億の須弥山ほどの大きさがある。一つの須弥山の上には百億の大菩薩がおり、その中で最も小さな菩薩でも須弥山ほどの大きさがある。それらの化身菩薩のへそから、それぞれに大いなる蓮華が生じ、その蓮華は三千大千世界を覆い尽くす。一つひとつの蓮華の間には金色の光があり、それは閻浮檀金のようである。その一筋の金色の光からは、微塵の数ほどの釈迦牟尼仏が現れ、それぞれの釈迦のへそからもまた同じように光明が放たれる。こうした無数の光が集まって一つの光の台座を成し、その台座にはまた無量の微塵や恒河沙の数ほどの大化身仏がいる。仏は仏に次々と続き、へそから光明を放つ。その光は大いに盛んで、真っ直ぐに上方の無量の世界を照らし、さらにその先の世界へと至る。こうした世界の数は、三千大千世界の無量の微塵のように多く、その世界にはすべて瑠璃や玻璃、数え切れないほどの宝で作られた仏の窟がある。その窟の一つひとつには、無量の諸仏が無数に存在し、それぞれの仏のへそからは、再び先ほどと同じような大いなる蓮華が生じる。これらの光明は、十地に至るすべての菩薩たちを照らし、菩薩たちはこの光を受けると、ただちに微妙な首楞厳の三昧に入り、さらに金剛のような定に入ることができる。天の者たちがこの光に遇えば、深く無上の真実の道心を発し、心の眼が開けて諸仏の相を見ることができる。このように光明が菩薩を照らすと、菩薩たちの身のすべての毛孔から、阿僧祇の数の供養の雲や様々な供物が現れる。最も小さな蓋でも閻浮提を覆うほどであり、このような多くの雑多な宝の供え物の詳細は尽くして語ることができない。これらすべての供物は、首楞厳の海から生じるのである。」

佛告阿難：「若善男子善女人作是思惟時，如是憶想者、夢見此事者，生生之處恒常值遇普賢、文殊！是法王子，為眾行者夢中恒說過去未來三世佛法；說《首楞嚴三昧》、《般舟三昧》，亦說《觀佛三昧》以為瓔珞，覺已憶持無所忘失。此人現世功德天女以為給使，除却十萬億劫生死之罪。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。

「億億光照下方，令下方地如閻浮提水色，於眾水中有恒沙寶樓，眾寶樓下有一寶城如乾闥婆城，於寶樓上有大寶樹，其樹枝葉一切火起，其火光焰上下俱燒，燒此眾水化成琉璃。琉璃地上復生諸樹，樹有四龍，其龍頂上有如意珠，其珠光明遍照龍身，令龍及樹純黃金色。其龍奮迅，龍諸毛孔出金色光，其光直照下方無量世界，復過下方，復照無量世界，令下方地皆作金色。金色地上有金剛華，金剛華上有金天女，一一天女百千天女以為眷屬，是諸天女皆讚慈心三昧海。從下方出直至上方迦毘羅城，其聲如雷讚說慈心。說是語時，諸龍毛端出諸寶雲，一一雲中有恒沙佛剎；一一剎中塵數化佛；一一化佛出此光明。此光現時，下方世界有百萬金山，於其巖間百億寶窟，如雲踊起，是眾窟中純諸白佛，白妙菩薩及聲聞眾以為侍者，金精寶光在佛左右，猶如斷山眾寶映錯。有妙寶蓋如須彌山無量寶成，一一寶間百億光明，迴旋宛轉。於眾光中有百億師子座；一一師子座上有百億那由他菩薩大眾結加趺坐。時彼菩薩身毛孔中有阿僧祇光，一一光中有一化佛，其身修圓如須彌山，是諸化佛以百千偈，讚說不殺慈為根本、慈是妙藥除生死患、慈為淨目導諸天人，是諸化佛讚歎慈已，各作變化為琉璃山。於其山內百億菩薩，一一菩薩有萬梵王以為侍者，到行者前於寶山內，異口同音皆說是法，告言：『善男子！汝於念佛海應修慈心，諸佛菩薩以慈心故得佛大慈，汝今應當修不殺戒行大慈悲。』爾時亦有天龍八部一切眾生，遇此光者、聞是語者，命終之後必生梵世。」

> 「百億の光が下方を照らし、下方の大地を、閻浮提の水面のような色に変えた。その無数の水の中には、ガンジスの砂ほどの数の宝の楼閣があった。その楼閣の下には、乾闥婆の城のような一つの宝城があった。宝の楼の上には大いなる宝の木があり、その枝や葉はすべて火を発し、その火の炎は上も下もすべて焼き尽くし、これらの水を焼いて瑠璃に変えた。瑠璃の地上には再び多くの木々が生え、その木々には四匹の龍がいた。その龍の頭の上には如意宝珠があり、その宝珠の光明が龍の全身を照らし、龍と木々を純金の黄金色に変えた。その龍は勢いよく動き、龍の全身の毛穴から金色の光を放った。その光は真っ直ぐに下方の無量の世界を照らし、さらにそれらを通り過ぎて、また無量の世界を照らし、下方の大地をすべて黄金色にした。黄金色の大地の上には金剛華があり、金剛華の上には金色の天女がいた。一人一人の天女には百千の天女が眷属として従い、これらの天女たちは皆、慈心三昧の海を讃えた。下方から上方のカピラ城に至るまで、その声は雷のようで、慈心を讃えて説いた。この言葉が説かれた時、龍の毛の先からは様々な宝の雲が湧き出し、一つの雲の中にはガンジスの砂ほどの数の仏の世界があった。一つの世界の中には塵の数の化身の仏がおり、一つの化身の仏がこの光明を放った。この光が現れた時、下方の世界には百万の金山が現れた。その岩の間には百億の宝の窟があり、雲のように湧き上がった。これらの窟の中には、すべて白い仏、白妙の菩薩、そして声聞の衆が侍者としており、金精の宝の光が仏の左右にあった。それはまるで断ち切られた山のようであり、多くの宝が映り合っていた。美しい宝の蓋があり、須弥山のように、無量の宝で成り立っていた。一つの宝の間には百億の光明があり、回旋し、巡り、動いていた。その多くの光の中には百億の獅子座があった。一つ一つの獅子座の上には百億那由他の菩薩の大衆が結跏趺坐していた。その時、彼らの菩薩の身の毛穴からは阿僧祇の光が放たれた。一つの光の中には一人の化身の仏がおり、その身は須弥山のように満ちて丸かった。これらの化身の仏は百千の偈で、不殺の慈を根本とすること、慈は妙薬で生死の患を除くこと、慈は清らかな眼で天人を導くことを賛嘆した。これらの化身の仏が慈を讃え終えると、それぞれ変化して瑠璃山となった。その山の中には百億の菩薩がおり、一人の菩薩には万人の梵王が侍者として従い、修行者の前に来て、宝山の中で口を揃えてこの法を説き、告げた。『善男子よ、汝は仏を念じる海において慈心を修めるべきである。諸仏菩薩は慈心のゆえに仏の大慈を得る。汝は今、不殺生の戒を修め、大いなる慈悲を行うべきである。』その時、天龍八部の一切の衆生もいて、この光に触れた者、この言葉を聞いた者は、命終の後、必ず梵世に生まれる。」

佛告阿難：「汝持此語慎勿忘失，告諸比丘令行是事。佛滅度後佛諸弟子，若聞是語思是法者、有正念者、有正受者、三昧不動者、心不懈退者、發大乘者，當知是人恒於夢中見此光明，亦聞化佛說慈心法，覺已憶持深解義趣，思其義故即得慈定。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。佛滅度後佛諸弟子，思是法者、持是法者，當知是人其心清淨如諸佛心，除却億劫生死之罪，常生梵世值遇諸佛請轉法輪，既聞法已發菩提心，於未來世必成佛道。

> 仏は阿難に告げられた。「この言葉を心に留め、決して忘れず、諸々の比丘にこの教えを実践するよう伝えなさい。私が亡き後、仏の弟子たちの中で、この言葉を聞きこの法を思う者、正しい念を持つ者、正しい受（観想）を持つ者、三昧に動じない者、心に怠り退くことのない者、大乗を発起する者があるならば、その人は常に夢の中でこの光明を見るであろう。また、化身の仏が慈悲の心の法を説くのを聞くであろう。目覚めた後、それを心に留め、深くその意味を理解し、その意味を思惟することによって、即座に慈定を得るであろう。このように観ずることを正しい観と名づけ、異なる観方をすれば、それは誤った観と名づける。 私が亡き後、仏の弟子たちの中で、この法を思う者、この法を保つ者があるならば、その人の心は清らかで、諸仏の心のようであり、億劫の生死の罪を除き去り、常に梵天に生まれ、諸仏に遇い、法輪を転ずるよう請うであろう。法を聞いた後、菩提心を発し、未来の世において必ず仏道を成就するであろう。」

「億億光照東方，乃至東方無量世界，令東方地白如雪山，於眾山上有白寶雲，其白寶雲狀如寶臺，眾寶羅網寶鈴萬億，眾鈴網間有一億白光，是諸白光化成金臺，一金臺上有四化佛，一一化佛四億菩薩以為侍者，佛與菩薩皆說慈法讚歎不殺，凡千億偈。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。」

> 「無数の光が東方を照らし、さらに東方の無数の世界にまで及んで、東方の大地を雪山のように白くします。その山々の上には白い宝の雲が現れ、その雲は宝の台のような形をしています。そこには様々な宝の網と、無数の宝の鈴がかかっており、その鈴の網の間からは一億の白光が放たれています。それらの白光は黄金の台となり、一つの黄金の台の上には四体の化身仏がおられます。それぞれの化身仏には四億の菩薩が侍者として従い、仏も菩薩も皆、慈しみの教えを説き、殺さないことを讃えています。その教えは千億の偈にのぼります。このように観ずることを正しい観想といい、これと異なる観想は誤った観想といいます。」

佛告阿難：「佛滅度後佛諸弟子，如是觀者，除半億劫生死之罪。

> 仏は阿難に告げられた。「仏が亡き後、仏の弟子たちは、このように観じれば、五千万劫（ごく）にわたる生死の罪を除くことができる。」

「億億光照南方，令南方地皆作紅色，此紅色光乃至南方無量世界變成白雲，紅白分明。於眾雲間有諸化佛，白真珠色，毘琉璃光，上妙金華以為佛座。於金華上百億菩薩，皆黃金色，百億寶光映蔽白雲，一一光中五百化佛，是諸化佛異口同音亦讚不殺及大慈悲。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。」

> 「幾億、幾億もの光が南方を照らし、その地の全てを真紅色に染め上げた。この紅色の光は、さらに南方の無量の世界へと広がり、やがて白い雲へと変わった。紅と白がくっきりと分かれている。その雲の間には、数多くの化身の仏たちが現れた。彼らは白色の真珠のような色をしており、琉璃のような光を放ち、見事な金の花を仏座としていた。その金の花の上には百億もの菩薩たちがおり、みな黄金色で、百億もの宝の光が白い雲を覆い隠していた。その一つ一つの光の中には五百の化身の仏がおり、それらの化身の仏たちは皆、同じ口で同じ声で、殺生をしないことと大いなる慈悲の心を讃えていた。 このように観じることを正しい観方（かんかた）という。もしこれとは異なる観じ方をすれば、それは誤った観方である。」

佛告阿難：「佛滅度後佛諸弟子，聞是法者、思是法者、觀是法者，此人恒於夢中見釋迦文放臍光明，持以照之此光明相如向所說，其人生處不處胞胎恒生淨國，若生天上自然化生。

> 仏が阿難に告げられた。「仏が涅槃に入られた後、仏の教えを聞き、この教えを思い、この教えを観じる弟子たちは、夢の中で常に釈迦牟尼仏が臍から光明を放ち、その光を彼らに注ぐのを見るであろう。この光明の相は、先に説いた通りである。その人は、母胎に宿ることなく、常に清らかな国に生まれ、あるいは天に生まれるならば自然に化生するであろう。」

「億億光照西方乃至西方無量世界，其光雜色如月如星，眾星月間有七寶珠，一珠出水、一珠出火、一珠生樹，其樹七寶金剛為果、一珠生華，於月光中有梵宮殿，梵王眷屬及梵眾寶皆悉具足，其星光中，有摩醯首羅宮及其眷屬，一一天宮百萬億梵王；一一梵王，無量無數諸天大眾以為眷屬，摩醯首羅等數不可知。是諸寶珠出琉璃光，琉璃光內有真金像，其真金像坐白寶座，項佩赤真珠光，赤真珠光中有綠真珠化佛，是諸化佛及諸天眾，異口同音讚說不殺，勸進行者行大慈悲。」

> 無数の光が西方、さらに西方の無数の世界にまで照り渡ります。その光は様々な色を帯び、月や星のようです。それら無数の星や月の間には、七宝の宝珠があります。一つの宝珠からは水が湧き出し、一つの宝珠からは火が吹き出し、一つの宝珠からは木が生じます。その木の実は七宝と金剛でできています。また一つの宝珠からは花が生じます。月の光の中には梵天の宮殿があり、梵天の王とその眷属、そして梵天の宝がすべて備わっています。星の光の中には、大自在天の宮殿とその眷属があります。一つ一つの天の宮殿には、百千万億の梵天の王がいます。一人ひとりの梵天の王には、数えきれないほどの無数の天の大衆が眷属として従っています。大自在天などの数は知ることができません。これらの様々な宝珠は、瑠璃（るり）のような光を放ちます。その瑠璃の光の中には、真金（まごん）の像があります。その真金の像は白い宝の台座に座り、首には赤い真珠の光を佩（は）いています。その赤い真珠の光の中には、さらに緑の真珠でできた化身の仏がいます。これらの化身の仏や天の大衆は、皆が口をそろえて「殺さないこと」を賛嘆し、修行者を励まして大慈悲の心を行じさせます。

佛告阿難：「如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。佛滅度後佛諸弟子，有憶想者、有思惟者、如此觀者，常於夢中夢見諸佛為說慈法，除却七億劫生死之罪。

> 仏は阿難に告げられた。「このように観じることを正しい観じ方という。もし異なる観じ方をすれば、それは誤った観じ方である。仏が滅度された後、仏弟子たちの中で、憶念し、思惟する者があり、このように観じるならば、常に夢の中で諸仏が現れて慈悲の教えを説き、七億劫の生死の罪を除くことができるであろう。」

「億億光照北方，乃至北方無量世界，令北方地皆珊瑚色，虎魄、玫瑰、真珠、馬瑙、頗梨等寶以為間錯，一一寶中有一億光；一一光化作一師子。師子背上有七寶蓋，其蓋高妙如須彌山，琉璃為竿，雜寶綵華以為莊嚴，一一華上有百億化佛；一一佛面如閻浮檀金色、髮紺琉璃色、身百億寶色、臂紅真珠色、爪真金色、手中相白蓮華色、鹿王𨄔優曇華色、足下相毘楞摩尼色。從足下放五色光上至髮際，身諸毛孔皆有化光，一毛孔中有一億菩薩；一一菩薩臍有一大蓮華，其華高大如須彌山百寶所成，華上有佛其佛高大，與華正等亦出臍光。此相現時，眾寶師子奮迅若驚，師子眾毛，一一毛端有百億佛剎；一一佛剎，無量百億眾寶蓮華以為莊嚴，其蓮華上亦有百千大菩薩眾。是諸菩薩亦出臍相如上菩薩。如是菩薩眾色光明合成一山，其山高顯如真金臺，其臺四角有四梵幢，幢端皆有四億佛剎；一一剎中有百千塔，塔極小者，從閻浮提至於梵世，無數眾妙一切寶像以為莊嚴。是諸寶塔及化菩薩，皆共讚歎喜捨二法。若有眾生遇斯光者，得大智慧如舍利弗，總持不失猶如阿難。」

> 「無数の光が北方を照らし、さらには北方の無数の世界にまで及ぶ。その光によって北方の地はすべて珊瑚色となり、琥珀、薔薇、真珠、瑪瑙、ガラスなどの宝が織り交ぜられる。それぞれの宝の中には一億の光があり、一つの光が一頭の獅子と化す。獅子の背には七宝の蓋があり、その蓋は高く妙で須弥山のようである。琉璃を竿とし、様々な宝や色とりどりの華が荘厳として飾られる。一つ一つの華の上には百億の化身仏があり、それぞれの仏の顔は閻浮檀金の色、髪は紺琉璃の色、身は百億の宝の色、腕は紅真珠の色、爪は真金色、手の相は白蓮華の色、鹿王の腿は優曇華の色、足の下の相は毘楞摩尼の色である。足の下から五色の光を放ち、それは髪の際にまで上る。身のすべての毛孔からは化身の光があり、一つの毛孔の中には一億の菩薩がいる。一人ひとりの菩薩の臍には大きな蓮華があり、その華は高く大きく須弥山のようであり、百宝によって成る。華の上には仏がおり、その仏の高大さは華とまったく等しく、また臍の光を放つ。この相が現れるとき、多くの宝からなる獅子たちは奮い立ち驚くかのようである。獅子の毛の一本一本の先には百億の仏の世界があり、それぞれの仏の世界は無量の百億もの多くの宝の蓮華によって荘厳されている。その蓮華の上にも百千の大菩薩の衆がいる。これらの菩薩たちもまた、先ほどの菩薩と同様に臍の相を現す。このように菩薩たちの様々な色の光明が合わさって一つの山となる。その山は高く際立ち、真金の台のようである。その台の四隅には四つの梵幢があり、幢の先端にはそれぞれ四億の仏の世界がある。一つの世界の中には百千の塔があり、最も小さい塔でも閻浮提から梵世にまで及ぶ。数え切れないほどの様々な妙なる宝の像が荘厳として飾られている。これらの宝塔や化身の菩薩たちは、皆ともに歓喜と捨の二つの法を讃嘆する。もしこの光に出会う衆生がいれば、舎利弗のような大いなる智慧を得て、阿難のように陀羅尼を失うことなく保つであろう。」

佛告阿難：「佛滅度後佛諸弟子，欲見是相者，當發慈心修不殺戒，普為十方一切眾生，行是行者雖不坐禪，恒於夢中得見眾色如向所說。」

> 仏は阿難に告げられた。「私が滅度した後、私の教えを修行する者たちよ、もしこれらの相を見たいと願うならば、慈しみの心を起こし、殺生しない戒を守りなさい。そして、十方のあらゆる衆生のためにこの行いを実践するならば、その人は坐禅をしなくても、常に夢の中で先に述べたような様々な姿を見ることができるだろう。」

佛告阿難：「持是語者即持佛心，作是觀者能觀佛心，諸佛如來以大慈悲而以為心，戒、定、慧、解脫、解脫知見而以為身，十力、四無所畏、十八不共法、大悲三念處而自莊嚴。如是觀者名觀佛心。」

> 仏は阿難に告げられた。「この言葉を心に留める者は、仏の心を留めることになる。このように観じる者は、仏の心を観じることができる。すべての如来は、大いなる慈悲を心とし、戒め、心の統一、智慧、解脱、そして解脱の智慧を身とする。また、十の力、四つの恐れのなさ、十八の独自の特性、大いなる慈悲と三つの心の持ち方によって、自らを飾っている。このように観じることを、仏の心を観じるというのである。」

佛告阿難：「此臍相中略而解之，佛心境界後自當說。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。佛滅度後佛諸弟子，思是法者、持是法者、觀是法者，此人現世惡業罪障皆悉清淨。

> 仏が阿難に告げられた。「この臍の相について、簡潔に説明しよう。仏の心の境地については、後日改めて説くことになる。このように観じることを正しい観法とし、もし異なる観じ方をするならば、それは誤った観法である。 仏が涅槃に入られた後、仏の弟子たちがこの教えを思い、この教えを保ち、この教えを観じるならば、その人は現世における悪業や罪の障りがすべて清らかになるであろう。

「億億光照東南方，乃至東南方無量世界，化成金輪，一一金輪七寶隨從；一一金輪百億轉輪聖王；一一轉輪聖王，千子四兵皆悉具足，其神珠寶出大光明如烟如雲。一一光中有大蓮華華華相合，合華之中出大日光；一一日光有金色象，菩薩化乘，乘象之時萬億瑞應不可宣說。諸菩薩光合成一佛，其佛金色身量無邊，亦出臍相，臍相光明亦如上說。諸光中人皆讚五戒、說十善法，諸轉輪王手執金輪宣十善法。」

> 億億の光が東南の方角を照らし、さらには東南の方角にある無量の世界にまで及んで、黄金の輪へと変じました。一つ一つの金輪には七宝が従い、一つ一つの金輪には百億の転輪聖王がおられます。一人ひとりの転輪聖王には、千人もの王子と四人の兵士がすべて具わっており、その神珠の宝からは、煙や雲のような大きな光明が放たれました。一つ一つの光の中には大きな蓮華があり、花と花が重なり合い、その合わさった花の中から大きな日光が現れました。一つ一つの日光には金色の象がおり、菩薩がそれに乗っておられます。菩薩が象に乗られる時、万億もの瑞兆が現れ、言葉では表せません。諸々の菩薩の光が合わさって一つの仏となり、その仏の金色の体は大きさが限りなく、また臍の相からも光を放ち、その臍相の光明もまた上に述べた通りです。これらの光の中の人々は皆、五戒を讃え、十善の教えを説いています。諸々の転輪聖王は黄金の輪を手に持ち、十善の教えを説き広めています。

佛告阿難：「如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。佛滅度後佛諸弟子，憶想是者、思惟是者、觀是法者，除却二十萬億劫生死之罪，常生天上聞十善教。

> 仏は阿難に告げられた。「このように観ずることを正しい観想という。異なる観想は邪な観想である。仏の滅後、仏の弟子たちがこの法を記憶し、思惟し、観ずるならば、二十万億劫の生死の罪を滅し、常に天上に生まれて十善の教えを聞くことができるであろう。」

「億億光照西南方，乃至西南方無量世界，至彼界已其光如雨，似雜色珠，一一珠中出百億光；一一光合成寶臺；一一臺角有十二須彌山；一一須彌山龕室無量；一一龕中有無量化佛；一一化佛有無量菩薩以為眷屬，是眾化佛及化菩薩，亦皆讚歎說十善法。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。」

> 「無数の光が西南の方角を照らし、その先にある無量の世界にまで届きます。光がその世界に達すると、それは雨のように降り注ぎ、さまざまな色の宝石のように見えます。それぞれの宝石からは百億の光が放たれ、その光が集まって宝の台を作ります。その台の角々には十二の須弥山があり、それぞれの須弥山には無数の荘厳な部屋があります。それぞれの部屋の中には無数の化身の仏がいらっしゃいます。そして、その化身の仏には無数の菩薩がお供として従い、これらの化身の仏たちや菩薩たちもまた、皆が十善の教えを称え説いています。 このように観想することを正しい観想といいます。もし異なるように観想するならば、それは誤った観想です。」

佛告阿難：「佛滅度後佛諸弟子，憶想是者、思惟是者、觀是法者，除十二億劫生死之罪，若欲往生他方淨剎隨意無礙。

> 仏は阿難に告げられた。「仏の入滅後、仏の弟子たちがこの法を心に思い、念じ、観想する者は、十二億劫の生死の罪を除くことができる。もし他の浄土に生まれたいと願うならば、心のままに妨げられることはないであろう。」

「億億光照西北方，乃至西北方無量世界，其光玉色，頗梨紅紫更相映飾。一一光中百億寶車、白車白馬、紫車紫馬、紅車紅馬、諸馬毛鬣皆真金色。如是車上有七寶軒，軒上皆悉有蓋，其蓋十層，於軒蓋中有千光明，寶鬘垂下，光明隨流迴入車中化成化佛。佛身高顯萬億由旬，一一佛臍中出無數光，其光遍照無量化佛，遇此光者永脫三塗無三惡患。此光迴旋正立空中如雲上昇；一一雲間百千化佛；一一化佛百億弟子，如大迦葉，勤修十二頭陀苦行，心無所著厭離世間。如是觀者名為正觀，若異觀者名為邪觀。」

> 「数えきれないほどの光が西北の方角を照らし、さらには西北の果てしない世界にまで及びます。その光は宝玉のような色で、瑠璃や紅紫が互いに映え輝いています。一つ一つの光の中には百億の宝の車があり、白い車には白い馬、紫の車には紫の馬、紅の車には紅の馬がいます。馬の毛やたてがみはすべて純金の色です。このような車の上には七宝で飾られた高殿があり、高殿には必ず天蓋があります。その天蓋は十層で、中には千もの光明があり、宝玉の飾りが垂れ下がっています。光明は流れに沿って車の中に入り、変化して化仏となります。 その化仏の身の高さは数えきれない由旬で、一体一体の仏の臍（へそ）からは無数の光が出ています。その光はあまねく無数の化仏を照らし、この光に触れた者は永遠に三悪道から解き放たれ、苦しみの患いがなくなります。この光は旋回しながら空中に立ち、雲となって上昇します。一つ一つの雲の間には百千の化仏がおり、一つ一つの化仏には百億の弟子がいて、大迦葉のように精進して十二の頭陀行を修行し、心に執着がなく世間を厭い離れています。 このように観ずることを正しい観法といい、これと異なる観方を邪な観法といいます。」

佛告阿難：「佛滅度後佛諸弟子，想是法者、思惟是法者、觀是法者，當知此人常見諸佛速成大乘，除却十億劫生死之罪。

> ブッダは阿難に告げられた。「私が滅度した後、私の弟子たちの中で、この教えを思い、考え、観じる者は、その人は常に諸仏を拝し、速やかに大乗を成就し、十億劫の生死の罪を除き去るであろう。」

「億億光照東北方，乃至東北方無量世界，其光清淨無諸濁穢，如頗梨鏡內外俱現。於彼光中見十方佛，皆出臍相，一一佛臍，光明遍照十方無量諸佛剎土；一一佛剎有微塵數化佛；一一化佛，微塵數菩薩以為眷屬。如是菩薩臍相光明，猶如金柱。其金柱端，萬億天衣寶箱寶篋，譬如雲臺從空而下；一一箱篋萬億光明，一億光明合成一佛，一佛身中，無量微塵無數化光，於諸光端有諸化佛，猶如芥子，此小佛身亦出臍相，如上所說。此臍光明遍照十方入諸佛臍，從諸佛臍出入諸菩薩胸；從諸菩薩胸出入諸聲聞頂；從諸聲聞頂出，譬如大雲，無量金色眾寶間錯，入佛足下；入足下已，足下千輻輪相中出大光明，其光如華，華華相次遶佛億匝。從赤銅爪足趺毛孔乃至頂髻，佛身諸毛如蓮華敷，一毛孔中有八萬四千蓮華，一蓮華上八萬四千化佛；一一化佛八萬四千諸大菩薩以為眷屬；一一菩薩眉間眾光，出妙音聲讚佛色身。」

> 「あらゆる限りない光が東北の方角を照らし、さらに東北の果てしない世界にまで及ぶ。その光は清らかで、濁りや汚れが全くない。ちょうど水晶（玻璃）の鏡のように、内外が共に明らかに映し出される。その光の中には、十方の仏がすべて現れる。皆、臍の相から光を放っている。一人ひとりの仏の臍から放たれる光明は、十方の果てしない無数の仏の国土を遍く照らす。それぞれの仏の国土には、微塵の数の化身の仏がいる。一つの化身の仏には、微塵の数の菩薩が眷属として従っている。このような菩薩たちの臍の相の光明は、金の柱のようである。その金の柱の先には、無数の天人の衣や宝箱や宝箱が、あたかも雲の台のように虚空から降りてくる。一つ一つの宝箱からは無数の光明が放たれる。その一つの光明が集まって一つの仏となる。一つの仏の身の中には、無量の微塵の数えきれない化身の光がある。それらの光の先端には、芥子粒のように小さな化身の仏がいる。この小さな仏の身もまた臍の相を現し、先に述べたのと同じように光明を放つ。この臍の光明は十方に遍く照らし、諸仏の臍に入る。諸仏の臍から出て、諸菩薩の胸に入る。諸菩薩の胸から出て、諸声聞の頂上に入る。諸声聞の頂上から出ると、それは大きな雲のようであり、無数の金色と様々な宝が互いに飾り合い、仏の足の下に入る。足の下に入ると、足の裏の千輻輪相から大きな光明が放たれる。その光は花のようであり、花と花が次々と連なって仏の周りを無数に繞る。赤銅色の爪、足の甲、毛孔から頂髻に至るまで、仏の身の毛はすべて蓮華が開いたようである。一つの毛孔には八万四千の蓮華があり、一つの蓮華の上には八万四千の化身の仏がいる。一つの化身の仏には、八万四千の大菩薩が眷属として従う。一人ひとりの菩薩の眉間から放たれる多くの光からは、微妙な音声が発せられて、仏の色身を賛嘆する。」

釋迦文佛現此光已，告大王言：「如來色身分別色相，除佛心已，其餘境界如向所現。」

> 釈迦文仏がこの光を現された後、王に告げられた。「如来の色身における色相の分別は、仏の心を除けば、他の境界は先に示したとおりである。」

佛說是已，爾時父王即從坐起，正衣服為佛作禮，遶佛七匝，䠒跪合掌白佛言：「世尊！如來身色一切覩見，惟佛心內有何境界、有何相貌、修行何事、佛心所念為是何物、佛心光明何所像類？」

> 仏がこのように説き終えられた時、父王はただちに座を立ち、衣服を正して仏に礼拝し、仏の周りを七回巡り、ひざまずいて両手を合わせ、仏に申し上げた。「世尊よ、如来の御身体の色はすべての者が拝見できます。しかし、ただ仏の御心の中にはどのような境地があり、どのような形相があり、どのような修行をされ、仏の御心に念じられているものは何であり、仏の御心の光明はどのようなものに似ているのでしょうか。」

是時如來即便微笑，其舌相光如上所說，遶佛七匝從佛頂入。爾時如來入解脫相三昧，令父王見。如琉璃窟，成真金像，真金像內，於佛胸中如琉璃筒，從佛咽喉下，見如來心如紅蓮華，金華映飾，紅華金光，不開不合團圓如心，八萬四千脈，一一脈如天畫師所畫之脈；一一畫中八萬四千光明；一一光明八萬四千種色；一一色中無量微塵數化佛；一一化佛坐金剛臺，其金剛臺放金色光明，其光無數不可具說；一一光中亦有化佛，數如上說。是諸化佛皆出廣長舌相上至髮際；一一佛舌有一億光，其光合聚為十千段；一一光上有百億化佛，結加趺坐，入普現色身三昧，十方諸佛微妙色身，入此三昧海中。

> その時、如来は微笑みを浮かべられた。その舌相の光は先に述べた通りで、仏の周りを七度巡り、頭頂から体内へと入っていった。そして如来は「解脱相三昧」に入り、父王にお姿をお見せになった。 そのご様子は、まるで瑠璃の洞窟の中に、真金の像が現れたかのようであった。その真金の像の胸の中には、仏の喉の下から、瑠璃の筒のようなものが通り、その中に如来の心臓が紅蓮の花のように見えた。金の花びらが飾り、紅蓮の花の金色の光は、開くでも閉じるでもなく、円らかに心臓の形を成していた。 その心臓には八万四千の脈が走り、それぞれの脈は天の絵師が描いたかのようであった。その一つ一つの脈の中には、八万四千の光明があった。それぞれの光明には、八万四千の色があった。その一つ一つの色の中には、無量の微塵の数の化身の仏がいた。その化身の仏は皆、金剛の台座に座り、金剛の台座は金色の光を放っていた。その光の数は計り知れず、語り尽くせないものであった。その一つ一つの光の中にも、また化身の仏がおり、その数は先に述べた通りであった。 これらの化身の仏は皆、広長舌相を現し、その舌は額の生え際にまで達していた。それぞれの仏の舌からは一億の光が放たれ、それらの光は集まって一万の束となった。その一つ一つの光の上には、百億の化身の仏が結跏趺坐し、「普現色身三昧」に入っていた。十方の諸仏の微妙な色身は、この三昧の海の中に現れていたのである。

當佛入此三昧時，迦毘羅城及尼拘樓陀精舍，并閻浮提如大寶華，於華臺上有頗梨幢，頗梨幢端有頗梨鏡，十方無量諸佛淨國皆於中現。

> 仏がこの三昧に入られた時、カピラ城と尼拘楼陀精舎、そして閻浮提はまるで大きな宝の花のようになりました。その花の台の上に玻璃の幢が立ち、幢の先端には玻璃の鏡があり、十方の無量の諸仏の清らかな国々がすべてその中に現れました。

時會大眾覩見諸佛，或見佛身量同虛空純黃金色；或見佛身如須彌山四寶所成；或見佛身毘琉璃色長十丈者；或見佛身作白銀色長百千丈。見釋迦文身故長丈六；或見七尺；或見三尺；或見遍至梵世；或見七寸，見入鉢支，諸鬼神等見如微塵、見如芥子、見如金粟。諸鬼見已，小身鬼等皆大歡喜。

## 佛說觀佛三昧海經卷第四

> 仏説観仏三昧海経 巻第四