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title: "大莊嚴論經 · 25"
description: "大莊嚴論經是古印度著名佛教論師馬鳴菩薩所造的一部重要佛教經典，由後秦時期高僧鳩摩羅什翻譯為漢文。該經成書於公元1-2世紀，屬於大乘佛教早期論典，以詩偈與散文相間的形式闡述佛法要義。內容主要圍繞佛陀本生故事與菩薩修行展開，通過生動譬喻闡明因果業報、六度波羅蜜等核心教義，強調發菩提心與積累功德的重要性。作為大乘佛教重要論著，該經對漢傳佛教思想發展產生深遠影響，被歷代高僧視為修學菩薩道的重要指南，在佛教典籍中具有崇高地位。"
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### （二五）

> （二五）

復次，夫修施者當離八危，若積財寶危難甚多，智人修施是乃堅牢。

> さらに、施しを修行する者は八つの危険から離れるべきです。財宝を蓄えれば多くの危難が生じますが、智慧ある人は施しを行うことで、これこそが確かな道となるのです。

我昔曾聞，有一國王謫罰商賈，而告之言：「汝所有財悉䟽示我。」估客至家，思惟先來所施之物，施諸乞兒一飡之食，乃至并施鳥獸所有穀草，悉䟽示王。王見是已問言：「如此之事何故䟽來？」估客答言：「王先約勅所有財物悉䟽示我，我所有財䟽牒者是。」即說偈言：

> 昔々、こういう話を聞きました。ある国の王が商人を罰して、こう言いました。「お前の持っている財産をすべて、書き出して私に見せよ。」商人は家に帰り、これまでに施したことを考えました。施し物としては、乞食に与えた一食分の食べ物、さらには鳥や獣に与えた穀物や草に至るまで、すべて書き出して王に差し出しました。 王はそれを見て尋ねました。「こんなことが、なぜ書き出して来たのか。」商人は答えました。「王様が最初に、『すべての財物を書き出して私に見せよ』とお命じになりました。私の財物とは、この書き付けたものにほかなりません。」 そこで、次の偈（うた）を詠みました。

「五家共有者，今悉在家中，我今所牒者，無有能侵奪。如此所牒者，王賊及水火，皆所不能侵。假設七日出，須彌及巨海，一切悉融消，如此所施物，不能燒一毫。錢財寄父母，兄弟及姉妹，一切諸親友，悉皆有敗失；唯有所施物，終不可敗衰。施為行寶藏，世世恒隨人，施為極親友，無有能壞者，貧窮之巨海，極大可怖畏，施是堅牢船，唯有惠施者，能得度彼岸。我知施果報，是故無畏說，所牒是我財。家中有財寶，五家之所共，是故不敢牒，言是我所有。」

> 「五家が共有するものは、今すべて家の中にあるが、 私が今、書き記したものは、誰にも奪われることがない。 こうして書き記されたものは、王も盗賊も、水や火も、 すべて侵すことができない。たとえ七つの太陽が現れ出て、 須弥山や大海をも、すべて溶かし尽くしても、 このように施した物は、その一片さえ焼くことができない。 お金や財産を、父母や兄弟、姉妹に預けても、 その他のすべての親しい友人にも、すべて失われることがある。 しかし、ただ施した物だけは、決して朽ちず衰えない。 施しは行いの宝の蔵であり、世々代々、常に人に従う。 施しは最上の親友であり、これを壊すことのできる者はいない。 貧しさという大海は、とても大きく、恐ろしいものだが、 施しは確かな船である。ただ施しを行う者だけが、 かの彼岸に渡ることができる。私は施しの報いを知っている。 ゆえに恐れずに言おう、書き記したものこそが、私の財産であると。 家の中にある財宝は、五家の共有するものである。 だからあえて書き記さない、それを私の所有だとは言えないのだ。」

王聞是語心生歡喜，讚言：「善哉！汝是福勝人，我今不用汝所有物。如汝所說，施是汝財，餘財悉共。」爾時國王即說偈言：

> 王はこの言葉を聞いて心から喜び、讃えて言った。「善きかな。あなたこそ、最も福徳に満ちた人だ。今、あなたの持つ物は一切必要としない。あなたが言う通り、布施こそがあなたの財産であり、残りの財は皆で分かち合おう。」その時、国王は偈を唱えた。

「若行惠施者，自手而過與，應發歡喜心，勿生悔恨想，是故未來世，人天受快樂。所有資財物，眼見己財寶，分散屬諸家，不能速疾施，無能侵奪者。若人慳不施，終為他所奪，現在惡名聞，來生多貧乏，是為最愚癡。見他人屋宅，及以眾財寶，死後眾家用，毫釐不逐己。目覩如此事，不能生厭惡，速疾捨財物，財不五家共，唯有修惠施。死時一切捨，無有隨己者，決定必捨離，然不得施報。以見是事故，智者必應施，二事俱名施，應當自施與。檀越如大象，津膩香常流，如是智檀越，功德利充滿，世人所讚歎。饒財慳不施，為世所嗤笑。設復有財錢，見乞方背去，雖復饒財寶，名為貧衰患。施者雖貧窮，常名有財富，慳貪雖多財，不脫貧衰患。檀越以水施，洗除心貪垢，慳無善樂報，趣於死徑路，必墜深坑穽。種種眾寶物，象馬與牛羊，神逝氣絕時，一切悉捨去，臨終生苦惱，以是生眷戀，怖畏大熱惱。修施者臨終，歡樂無悔恨。慳嫉智者譏，施者貧與富，恒常受快樂。慳者如塜間，人皆避遠離，慳貪者雖存，其實同餓鬼。施者有名稱，一切所欽仰，智者之所愛，命終生天上。諸有愛己者，云何不修施？施為善好伴。勝妙之資糧，不用車馬乘，一切眾侍衛。施為行寶藏，後世之津樑，布施離眾難，五家不能侵。何有愛己者，而當不修施？若施百千萬，後身得少許，尚應修布施，況少修惠施，大獲於福報？是故有智者，應當修布施。」

> 布施を行う人は、自らの手で施しを与え、 喜びの心を起こし、悔いる思いを抱いてはならない。 ゆえに未来世において、人天の楽しみを受けることとなる。 あらゆる財産や、目の前に見える自分の宝も、 やがては分かれていき、速やかに施すことができない。 誰にも奪われることはない。しかし、もし人が惜しんで施さなければ、 最後には他者に奪われ、現世では悪い評判がたち、 来世では貧しさに悩む。これが最も愚かなことである。 他人の家屋や、さまざまな財宝を見ても、 死後は多くの人の手に渡り、わずかも自分に従わない。 このようなことを目の当たりにしながら、嫌悪の心を生じず、 速やかに財物を捨てない。財物は五つの災いに共有されるものではなく、 ただ施しによってのみ守られる。死ぬときはすべてを手放し、 自分のものになるものは何もない。必ず離れなければならないが、 しかし施しの報いは得られる。このような事実を見て、 賢者は必ず施すべきである。二つの施しはともに「施し」と呼ばれ、 自ら進んで施すべきである。施主は大きな象のように、 潤いと香りを常に流している。そのような智慧ある施主は、 功徳の利益に満たされ、世の人々から称賛される。 多くの財産を持ちながら惜しんで施さない者は、 世の中から嘲笑される。たとえ財貨があっても、 施しを乞う者を見れば背を向けて去る。 財宝は豊かであっても、「貧しく衰えた者」と呼ばれる。 施す者は貧しくとも、常に「富める者」と名づけられる。 しかし、惜しみ貪る者は財産が多くとも、貧しさと衰えから逃れられない。 施主は水を施すように、心の貪りの汚れを洗い清める。 惜しみには善い楽しみの報いはなく、死の道へと向かい、 必ず深い穴に落ちる。さまざまな宝物や、 象、馬、牛、羊も、命が絶えるときには、 すべてを捨て去り、臨終には苦しみが生じる。 それによって執着が生まれ、大きな熱悩に怯える。 しかし、施しを行う者は臨終に、喜びにあふれ悔いがない。 惜しみ嫉む者は賢者に非難され、施す者は貧しくとも富んでいても、 常に楽しみを受ける。惜しむ者は墓場のように、 人々は遠ざけて避ける。惜しみ貪る者は生きていても、 実は餓鬼と同じである。施す者は名声を得て、 全ての人に敬慕され、賢者に愛され、 命終われば天上に生まれる。 自分を愛する者よ、どうして施しを修めないのか？ 施しこそが善き伴侶である。 勝れた道糧であり、車や馬の乗り物も、 すべての従者も必要ない。 施しは行く道の宝蔵であり、 後世への渡し橋となる。布施は多くの困難から離れさせ、 五つの災いに侵されない。どうして自らを愛する者が、 それを修めずにいられようか？ たとえ百千万を施しても、後の身にわずかしか得られなくても、 やはり布施を修めるべきである。ましてや少しの施しで、 大きな福報を得られるのであればなおさらだ。 ゆえに智慧ある者は、布施を修めるべきである。