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title: "大莊嚴論經 · 56"
description: "大莊嚴論經是古印度著名佛教論師馬鳴菩薩所造的一部重要佛教經典，由後秦時期高僧鳩摩羅什翻譯為漢文。該經成書於公元1-2世紀，屬於大乘佛教早期論典，以詩偈與散文相間的形式闡述佛法要義。內容主要圍繞佛陀本生故事與菩薩修行展開，通過生動譬喻闡明因果業報、六度波羅蜜等核心教義，強調發菩提心與積累功德的重要性。作為大乘佛教重要論著，該經對漢傳佛教思想發展產生深遠影響，被歷代高僧視為修學菩薩道的重要指南，在佛教典籍中具有崇高地位。"
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### （五六）

> （五六）

復次，有大功德猶修無倦，況無福者而當懈慢？

> さらに、大きな功徳（くどく）がある者でさえも努力を怠らないのに、ましてや福徳のない者が怠けたり驕ったりしてよいでしょうか。

我昔曾聞，尊者摩訶迦葉，入諸禪定解脫三昧，欲使修福眾生下善種子獲福無量，於其晨朝著佛所與僧伽梨衣，而往乞食。時有覩者，即說偈言：

> 昔、私はこのように聞きました。尊者のマハーカシャパ（大迦葉）は、様々な禅定や解脱の三昧に入り、修行によって福徳を積もうとする人々に善い種をまかせ、無量の福を得させたいと願っておられました。ある朝、彼は仏陀のもとから僧伽梨（大きな衣）を身にまとい、托鉢に出かけました。その姿を見た人々が、次のような偈（うた）を詠みました。

「讚歎彼勝者，著於如來衣，人天八部前，佛分座令坐。」

> 勝れた方を讃え、如来の衣を身にまとい、 人天八部の前で、仏は座を分けてお座りにならせた。

時佛亦復讚歎迦葉，即說偈言：

> そのとき、仏もまた迦葉を称賛され、次のような偈（うた）を説かれました。

「汝今修行善，如月漸增長，如空中動手，無有障礙者，身如清淨水，無有諸塵翳，佛常於眾前，讚歎其功德。乃至未來世，彌勒成佛時，亦復讚歎彼，而告大眾言：『此是牟尼尊，苦行之弟子，具十二頭陀，少欲知足中，最名為第一，此名為迦葉。』人天八部前，讚歎其功德。」

> 今、あなたは善行を修行しており、その徳は月が徐々に満ちるように成長しています。 まるで空中で手を動かすように、何の妨げもありません。 その身は清らかな水のようで、微塵の曇りもありません。 仏は常に大衆の前で、その功徳を称えられます。 さらに未来、弥勒が成仏する時にも、 またその方を称えて、次のように大衆に告げられるでしょう。 『この方は、牟尼尊（釈尊）の苦行の弟子であり、 十二の頭陀行を備え、少欲知足の中で 最も第一と称され、その名は迦葉という。』 人の世や天界、八部の衆の前で、その功徳を称えられるのです。

爾時帝釋見彼迦葉行步容裕，遙於宮殿合掌恭敬，其婦舍之，而問之言：「汝今見誰恭敬如是？」爾時帝釋即說偈答：

> その時、帝釈天がカッショウが落ち着いた様子で歩いているのを遠く離れた宮殿から見て、合掌して敬礼しました。 すると、妃の舎之が尋ねました。「今、誰をご覧になって、そのように敬礼なさるのですか？」 その時、帝釈天が詩で答えて言いました。

「處於欲火中，繫念常在前，雖與金色婦，同室無著心。身依於禪定，心意亦快樂，入城聚落中，而欲行乞食。以智慧耕地，壞破過惡草，是名善福田，所種果不虛。」

> 欲望の火の中にありながらも、よく心をとどめて、気を散らすことなく、 たとえ美しい黄金のような女性と同じ部屋にいても、執着する心はありません。 身体は瞑想に安らぎ、心もまた楽しく、 町や村に入って、托鉢（たくはつ）のために食を乞います。 智慧という鍬で心の畑を耕し、過ちや悪という雑草を打ち破り、取り除きます。 これをこそ善い田（善福田）と呼び、そこにまかれた種は決して無駄になることはありません。

爾時舍之以敬重心仰視帝釋，而白之言：「汝最尊貴居放逸處，猶有善心修於福德。」帝釋以偈答言：

> その時、舎利は敬いの心をもって帝釈天を仰ぎ見て、こう申し上げました。 「あなた様は最も尊く、贅沢な暮らしに身を置きながらも、なお善い心を持ち、功徳を積んでおられます。」 すると帝釈天は、偈（うた）で答えて言いました。

「以施因緣故，我最得自在，天人阿修羅，愛重尊敬我，晝夜憶念施，故我得如是，如得多伏藏，眾寶盈滿出。」

> 布施の縁によって、私は最も自在を得た。 天や人、阿修羅までもが、私を愛し、重んじ、敬っている。 昼夜、布施のことを思い続けたから、私はこのような境地に至ったのだ。 ちょうど多くの伏蔵を得て、無数の宝が溢れ出るように。

尊者迦葉到貧里巷樂受貧施。爾時帝釋化作織師貧窮老人，舍之亦化為老母著弊壞衣，夫婦相隨坐息道邊。爾時尊者見彼夫婦弊衣下賤，即作是念：「世之窮下不過是等。」即至其所欲往安慰。織師疾起取尊者鉢，以天須陀食滿鉢奉之。爾時尊者得是食已，內心生疑，即說偈言：

> 尊者のカッサパは貧しい人々の暮らす地域へ赴き、貧者からの施しを受けることを喜ばれた。その時、帝釈天は機織りの師匠と貧しい老人に姿を変え、その家もまた老いた母に変えてみすぼらしい衣をまとわせ、夫婦連れとなって道端に座らせた。尊者がその夫婦の粗末な衣と低い身分をご覧になり、こう思われた。「この世で最も貧しい者とは、このような人々であろう。」そしてそのもとへ慰めのために向かわれた。すると機織りの師匠は素早く立ち上がり、尊者から鉢を受け取り、天の美味である「スドー」という食べ物を鉢いっぱいに盛って捧げた。この食べ物を受け取った尊者は心に疑いが生じ、次の偈を唱えられた。

「彼人極貧賤，飲食乃殊妙，此事可驚疑，極是顛倒相。」

說是偈已，而作是念：「今當問誰？須自觀察。」即說偈言：

「我是善種子，斷除他人惑，天人有所為，猶當為解釋，況我今有疑？云何當問他？」

說是偈已，即以慧眼見是帝釋，而作是言：「嗚呼樂修福者，方便求尊勝。」即說偈言：

「能捨尊勝相，現形貧賤人，羸悴極老劣，衣此弊壞衣，捨毘闍延堂，化住息道邊。」

說此偈已，尊者微笑，復說偈言：

「我欲使無福，得成勝福業，汝福已成就，何故作觸嬈？以食施於我，具勝五妙欲，世尊久為汝，斷除三惡道，汝不知止足，方復求福業。」

爾時帝釋還復釋身，在眾人前禮尊者足，而作是言：「尊者迦葉為何所作？」即說偈言：

「我見施獲報，獲得諸勝利，資業已廣大，倍生於信心。大德為何故，而乃遮止我？」

爾時帝釋，重說偈言：

「人聞說施者，猶尚能布施，況我見施報，明了自證知？父母及親友，拔濟欲利益，無能及布施，離於生死苦。施報如形影，處處與安樂，生死嶮難中，唯施相隨逐。於雨風寒雪，唯施能安樂，如行嶮惡路，資嚴悉具足。施能為疲乏，安隱之善乘，嶮惡賊難處，施即是善伴。施除諸畏恐，眾救中最厚，處於怨賊中，施即是利劍。施為最妙藥，能除於重病，行於不平處，用施以為杖。」

爾時帝釋說是偈已，供養尊者還昇天宮。

以何因緣而說是事？智慧之人明順施福，欲使人勤修福業，帝釋勝人猶尚修福，何況世人而不修施？聲聞之人帝釋供養，況復世尊？