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title: "大莊嚴論經 · 61"
description: "大莊嚴論經是古印度著名佛教論師馬鳴菩薩所造的一部重要佛教經典，由後秦時期高僧鳩摩羅什翻譯為漢文。該經成書於公元1-2世紀，屬於大乘佛教早期論典，以詩偈與散文相間的形式闡述佛法要義。內容主要圍繞佛陀本生故事與菩薩修行展開，通過生動譬喻闡明因果業報、六度波羅蜜等核心教義，強調發菩提心與積累功德的重要性。作為大乘佛教重要論著，該經對漢傳佛教思想發展產生深遠影響，被歷代高僧視為修學菩薩道的重要指南，在佛教典籍中具有崇高地位。"
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## 大莊嚴論經卷第十一

> 大荘厳論経 巻第十一

馬鳴菩薩造

> 馬鳴菩薩作

後秦龜茲三藏鳩摩羅什譯

> 姚秦時代、亀茲国の三蔵法師・鳩摩羅什訳

### （六一）

> （六一）

復次，少智之人見佛相好猶發善心，況復智慧大德之人，而當不發於善心耶？

> さらに、知恵の浅い者でさえ、仏の相好を見れば善い心を起こすものです。ましてや、智慧と徳の高い人が、どうして善い心を起こさないことがありましょうか。

我昔曾聞，佛在舍衛國，時波斯匿王請佛及僧，於九十日夏坐安居，集諸牛群近佛精舍𤛓乳供佛。時有千婆羅門貪牛乳故，共牧牛人行止相隨。時牧牛人聞婆羅門誦韋陀上典，悉皆通利善了分別，或有婆羅門但有空名實無知曉，又有明知呪術不解韋陀，有明韋陀不知呪術。爾時世尊於夏四月安居已訖，於自恣時王勅牧人：「今不須乳，隨逐水草放汝諸牛。」又勅之言：「汝若去時必往辭佛，佛若說法汝好諦聽。」時彼牧人作如是念：「佛世尊者是一切智？為非是乎？」作是念已向祇陀林詣世尊所。

> 昔々、私はこのように聞きました。仏陀が舎衛国におられた時、波斯匿王が仏陀と僧団の皆様を九十日の夏安居に招き、王は多くの牛の群れを仏陀の精舎の近くに集め、乳を搾って仏陀に捧げました。その時、千人の婆羅門が牛乳を欲しがったため、牧牛人たちと共に行き来しました。 牧牛人たちは、婆羅門たちがヴェーダの聖典を唱えるのを聞き、彼らがみな精通し、よく理解し、正しく分別しているのを知りました。ある婆羅門はただ名ばかりで、実際には何も知らず、また呪文に明るくてもヴェーダを知らない者、ヴェーダに明るくても呪文を知らない者もいました。 その時、世尊は夏の四月の安居を終えられ、自恣の時に王は牧牛人に命じました。「今はもう乳は必要ない。お前たちは牛を水と草のある場所へ放ってやれ。」そして更に命じました。「お前たちが去る時には、必ず仏陀に別れを告げに行け。もし仏陀が説法されるなら、よく聴くのだぞ。」 その時、牧牛人たちはこう考えました。「仏陀世尊は一切知者であられるのだろうか？そうではないのだろうか？」そう考えてから、祇陀林に向かい、世尊のおられる所へ参りました。

爾時世尊大眾圍遶坐於樹下，知牧牛人來至林中，即為牧牛人於身毛孔出諸光明，其光照曜映蔽林野，如融金聚，又如雨酥降注火中，牧人視之無厭，即生希有難見之想，各相謂言：「此光明者如瞻蔔花遍滿林中，為是何光？」即說偈言：

> その時、世尊は大勢の衆に囲まれて木の下に座しておられました。牧牛の者たちが林の中にやって来るのをご存知で、その身の毛穴から様々な光明を出されました。その光は林や野を照らして、あたかも溶けた金の塊を集めたかのようであり、また、あたかも油を火の中に注ぎ入れたかのようでありました。牧牛の者たちはその光を見て飽きることがなく、すぐにこの世には稀な、めったに見ることのできないものだという思いを起こし、互いに語り合いました。「この光は、まるでジャスミンの花が林の中いっぱいに満ちているかのようだ。いったい何の光なのか？」と。そして、次の偈を唱えました。

「斯林甚嚴麗，光色忽改常，將非天寶林，移殖此園耶？暉赫如金樓，亦如天帝幢，其明過電光，熾炎踰酥火，或日月天子，降遊此林間？」

> この林は実に見事で美しく、 その光と色彩が突然、常とは変わりました。 これは天の宝林が、 この園に移し植えられたのでは？ まるで黄金の楼閣のように輝き、 また帝釈天の幢（はた）のようでもあります。 その明るさは稲光を超え、 その炎は酥油（そゆ）の火にも勝っています。 あるいは日月の天子が、 この林の中に降りて遊んでいるのでしょうか？

時牧牛者說此偈已，向祇陀林至世尊所，覩佛圓光如百千日，三十二種大人之相炳著明了，各皆歡喜生希有想，各各讚歎。即說偈言：

> 牧牛人がこの偈を唱え終えると、祇陀林にある世尊のおられる場所へ向かいました。そこでは仏様の円い光が百千の太陽のように輝き、三十二種の大人の相が明らかに現れていました。彼らは皆、喜びに満ち、この世に稀なことだと思い、それぞれに称賛の言葉を述べました。そして、次の偈を唱えました。

「釋種王子身，端嚴甚輝妙，威光極盛熾，覩之生歡悅，身心皆快樂，善哉寂淡泊，湛然無畏懼，略說其色相。善稱於種智，世間皆傳說，真實不虛妄，咸言是佛陀。無不稱佛者，憶持著於心，口亦如是說，粗略其旨要，不可具廣說。總說其要言，是釋種中日，名實稱色像，色像亦稱名。相好及福利，炳然而顯現，猶如於眾寶，羅列自嚴飾。威德甚赫奕，圓光滿一尋，猶如真金山，能奪眾人目，樂觀不捨離，眾人之所愛。體是一切智，如人大叫喚，口唱如是言，一切種智者。今在此身中，世間出種智，必在於此中，何有功德智，不視如此智？知此妙身器，真實能堪受，功巧及畫素，未曾見是像。終更不生疑，言非一切智，如此妙形容，功德必滿足。極有此妙形，終不空無德，應須決定解，不應逐音聲。」

> 「釈迦族の王子さまは、その姿がとても美しく輝き、 その威光はまばゆいばかりで、見る者に喜びを与えます。 心も体も歓喜に満たされ、なんと素晴らしく、静かで安らかなことでしょう。 落ち着いていて少しの恐れもなく、その姿を簡単に説明すると… 彼は智慧を完璧に備えた方として、世の中で広く語り継がれています。 それは真実で偽りがなく、誰もが『あれこそ仏陀だ』と言います。 『仏陀』と呼ばれない人はおらず、人々はその名を心に刻み、 口でもそう唱えます。ここではその要点だけを大まかに語り、 詳しく述べることはできません。要約して大切な言葉だけを伝えましょう。 この釈迦族の出身で、その名は見たままの姿を表し、姿もまた名にふさわしいのです。 美しい相や功徳の恵みが、はっきりと輝き現れています。 まるで多くの宝が並べられて、自らを飾っているかのようです。 その威光と徳は非常に輝かしく、体の周りにある光の輪は一尋（約180センチ）ほど。 まるで純金の山のようで、見る人の目を奪い、飽きることなく眺めていたくなり、 皆から愛されます。その体こそが一切の智慧そのものです。 人が大声で叫ぶように、口に出してこう言うのです。 『一切の智慧をそなえた方は、今、この体の中におられる。 この世に最高の智慧が現れるのは、必ずこのお方の中なのだ。 このような功徳と智慧を見ずして、どこに功徳や智慧があると言えるだろうか？』 この素晴らしい体の器を知れば、本当にそれを受け入れるにふさわしいと分かります。 優れた技師や絵師でも、このような姿を見たことはありません。 もう二度と『この方は一切の智慧を持たない』とは疑わないでしょう。 このような素晴らしい姿には、必ず功徳が満ち足りているからです。 これほど完璧な姿には、決して徳が欠けてはいません。 固い確信を持つべきで、ただ他人の言葉だけに惑わされてはいけません。」

爾時牧人作如是言：「我等應當用決定解。」復作是念：「今我牧牛有何智力而用決了？我等亦可決定解知，云何可知？」又言：「我等雖復牧牛可分別知，彼生王宮智能技術一切皆學，不應知彼牧牛之法。我今當問牧牛之事，其必不知。」即說偈言：

> そのとき、牧人たちはこう言った。「我々は確かな理解を持つべきだ。」さらにこう考えた。「今、我々は牛を飼う者に過ぎない。どのような智慧や力があって、確かに判断できるというのか。我々にも確かに理解し知ることができるだろうか。どのようにして知ることができるのか。」また言った。「我々は確かに牛を飼う者だが、そのことは区別して知ることができる。あの王子は王宮に生まれ、あらゆる技術や知識を学んできたはずだ。だが、牛を飼う術までは知るまい。今こそ牛飼いの事柄を問いただそう。きっと知らないだろう。」そして、次の詩句を唱えた。

「韋陀與射術，醫方及祠祀，天文并聲論，文筆根本論。立天祀之論，諸論之因本，辭辯巧言論，善學淫泆論。求覓財利論，清淨種姓論，一切萬物論，十種名字論。算數計校論，圍碁博弈論，原本書學論，音樂倡伎論。吹貝歌法論，舞法笑法論，欺挊及庠序，舉動花鬘論。如是等諸論，悉皆善通達。按摩除疲勞，善別摩尼價，善別衣帛法，綵色及蠟印，機關與胡膠，射術計合離。又善知裁割，刻雕成眾像，文章與書畫，無不悉通達。又復善能知，和香作華鬘，善知占夢法，善知飛鳥音。善知相男女，善知象馬法，又善知鼓音，及以擊鼓法。善知鬪戰法，善知不鬪戰，調馬弄矟法，善知跳躑法。善知奔走法，善知濟度法，如是等諸法，無事不明練。

> ヴェーダ、弓術、医学、祭祀、 天文学、音韻論、文学の基礎、 天を祭る論、諸論の根本、 弁舌巧みな論、淫欲を巧みに説く論、 財を求める論、清らかな種姓の論、 万物の論、十種の名辞の論、 算術・計算の論、囲碁・博打の論、 書法の原典の論、音楽や芸能の論、 法螺貝を吹く歌の論、舞いや笑いの論、 欺きや礼儀作法、立ち振る舞いや花鬘の論。 このような様々な論を、全てよく会得していた。 按摩で疲れを癒し、宝玉の価値を見分け、 衣服の見分け方、色彩や蝋印、 仕掛けやにかわ、弓術や合離の術。 また、裁断や彫刻で様々な像を造り、 文章や書画にも、全て通じていた。 さらにまた、香を調合し花鬘を作り、 夢占いをよく知り、鳥の声をよく知っていた。 男女の相をよく見極め、象や馬の扱い方を知り、 太鼓の音や、その打ち方もよく知っていた。 戦いの術をよく知り、戦わない術もよく知り、 馬を調教し矟を操る術、跳躍の術をよく知っていた。 疾走の術をよく知り、渡河の術をよく知り、 こうした様々な術について、習熟しないものはなかった。

「如是諸勝眾智技能，盡是王子之所通利，若知此事是其所學，是不為奇；若知淺近凡庶所學牧牛之法，當知真是一切智人。」於是牧人即問佛言：「幾法成就於牧牛法，令牛增長？」佛告之曰：「成就十一法，牛群增長得不損減。若不知色，又不知相，不知早起及以拂拭，不知覆瘡，不知作烟，不知大道法，不知牛善行來歡喜法，不知濟度處，不知好放牧處，不善知𤛓乳留遺餘法，不善料理牛主盜法。若不善知如是法者，不名為解牧牛之法，若知此法名為善解。」時諸牧人聞斯語已皆生歡喜，而作是言：「我等宿老放牛之人，尚所不知，況我等輩而能得知此十一法？是故當知，如來世尊具一切智。」諸牧牛人心生信解求佛出家，佛即為說，有十一法比丘應學，如修多羅中廣說。