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title: "大莊嚴論經 · 87"
description: "大莊嚴論經是古印度著名佛教論師馬鳴菩薩所造的一部重要佛教經典，由後秦時期高僧鳩摩羅什翻譯為漢文。該經成書於公元1-2世紀，屬於大乘佛教早期論典，以詩偈與散文相間的形式闡述佛法要義。內容主要圍繞佛陀本生故事與菩薩修行展開，通過生動譬喻闡明因果業報、六度波羅蜜等核心教義，強調發菩提心與積累功德的重要性。作為大乘佛教重要論著，該經對漢傳佛教思想發展產生深遠影響，被歷代高僧視為修學菩薩道的重要指南，在佛教典籍中具有崇高地位。"
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### （八七）

> 第八十七章

復次，曾聞有一國王身遇疾患，國中諸醫都不能治。時有良醫從遠處來治王病差，王大歡喜作是思惟：「我今得醫力，事須厚報。」作是念已微遣侍臣，多齎財物，詣於彼醫所住之處，為造屋宅養生之具，人民田宅象馬牛羊奴婢僕使，一切資產無不備具。所造既辦王便遣醫使還其家。時彼遠醫見王目前初無所遣，空手還歸，甚懷恨恨。既將至家，道逢牛羊象馬都所不識，問是誰許？並皆稱是彼醫名，是彼醫牛馬。遂到家已，見其屋舍壯麗嚴飾，床帳氍㲣毾㲪金銀器物，其婦瓔珞種種衣服。時醫見已甚生驚愕，猶如天宮。問其婦言：「如此盛事為何所得？」婦答夫言：「汝何不知？由汝為彼國王治病差故，生報汝恩。」夫聞是已深生歡喜作是念言：「王極有德，知恩報恩，過我本望。由我意短，初來之時以無所得情用恨然。」以此為喻，義體今當說。醫喻諸善業，王無所與喻未得現報身無所得，如彼醫者初不見物謂無所得心生恨恨，如彼今身修善見未得報，心生恨恨我無所得。既得至家者，猶如捨身向於後世。見牛羊象馬群，如至中陰身，見種種好相，方作是念：「由我修善見是好報，必得生天。」既至天上，喻到家中見種種盛事，方於王所生敬重心，知是報恩者，檀越施主。得生天已，方知施戒受如此報，始知佛語誠實不虛，修少善業獲無量報。即說偈言：

> また、かく聞く。かつて一人の国王が病気にかかり、国中の医師たちも皆これを治すことができなかった。そこに一人の名医が遠方から訪れ、王の病を治した。王は大いに喜び、こう考えた。「私は今、医師の力によって病を癒された。この恩には厚く報いねばならない」。そう思って、そっと侍臣を遣わし、多くの財物を持たせて、その医師が住む場所に家屋を建て、生活に必要な道具を整えさせた。領地や田畑、家屋、象、馬、牛、羊、奴婢や下僕、すべての財産を備えさせた。必要なものがすべて整ったので、王は医師を帰国させた。その時、遠方から来た医師は、王の目前では何も与えられず、空手で帰ることを恨めしく思った。帰路につき、家に着く途中、牛や羊、象、馬の群れに遭遇したが、いずれも見覚えがなかった。誰のものかと尋ねると、皆がその医師の名を挙げ、「あれはあの医師の牛だ」、「あれはあの医師の馬だ」と言った。ついに家に着くと、その家は壮麗で豪華な装飾が施され、ベッドやカーテン、敷物、毛氈、金銀の器物があり、妻の首飾りや様々な衣服も見えた。医師は大いに驚き、まるで天宮のようだと思った。妻に尋ねた。「このような素晴らしいものは、どこから得たのか」。妻は答えた。「あなたは何も知らないのですか。あなたが王様の病気を治したことで、その恩返しとして得られたものです」。夫はこれを聞いて深く喜び、こう思った。「王様は実に徳が高く、恩を知り恩を返す方だ。私の望み以上だ。私の浅はかさで、初めに来た時は何ももらえず恨めしく思っていた」。これを譬えとして、その意味を今説こう。医師は衆善の行い（善業）に譬えられ、王が何も与えなかったのは、現世で果報を得ていないことを示す。あの医師が初めに何も見ず「何も得られなかった」と恨んだように、今の人が善を修めても現世で果報を得られず、「私は何も得られなかった」と恨むのと同じである。家に到着したのは、身を捨てて後世に向かうことの譬えである。牛や羊、象、馬の群れを見たのは、中有の身で様々な良い相を見て、「私が善を修めたから、このような良い果報があるのだ。必ず天に生まれるだろう」と思うのに等しい。天に至るのは、家に着いて様々な繁栄を見ることに譬えられる。そこで初めて、王様を敬い、「これは恩返しをしてくれる施主（檀越）である」と知る。天に生まれて初めて、布施や戒律を守ることでこのような果報を受けることを知り、仏の言葉が真実で虚偽ではないこと、少しの善業を修めて無量の果報を得ることを知る。ここに偈を説く。

「施未見報時，心意有疑悔，以為徒疲勞，終竟無所得。既得生中陰，始見善相貌，如醫到家已，方生大歡喜。」

> 施しの報いがすぐに現れないと、心に疑いや後悔が生まれ、 「無駄な労力だった。結局何も得られなかった」と思ってしまう。 しかし、中陰に生まれ変わった時、初めて善い姿を目にする。 それは、医者が家に来て初めて大きな喜びが湧くようなものだ。