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title: "大乘入楞伽經 · 5 如來常無常品(五)"
description: "大乘入楞伽经是佛教重要经典之一，由唐代实叉难陀翻译。该经源于印度，属大乘佛教瑜伽行派核心典籍，以楞伽城为说法背景，记录佛陀对弟子大慧菩萨的开示。内容涵盖唯识思想、如来藏理论及禅修要义，阐述心识转变与成佛之道。经中强调万法唯心、转识成智等教理，对汉传佛教禅宗、唯识宗影响深远。作为大乘佛教代表性经典，其哲学深度与修行指导价值备受推崇，在东亚佛教史上占有重要地位。"
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### 大乘入楞伽經如來常無常品第五

> 大乗入楞伽経 如来常無常品第五

爾時大慧菩薩摩訶薩復白佛言：「世尊！如來、應、正等覺，為常為無常？」

> そのとき、大慧菩薩摩訶薩は、ふたたび仏に申し上げました。「世尊。如来・応供・正等覚は、常でございましょうか、それとも無常でございましょうか。」

佛言：「大慧！如來、應、正等覺，非常非無常。何以故？俱有過故。云何有過？大慧！若如來常者，有能作過，一切外道說能作常；若無常者，有所作過，同於諸蘊為相所相，畢竟斷滅而成無有，然佛如來實非斷滅。大慧！一切所作如瓶衣等，皆是無常，是則如來有無常過，所修福智悉空無益。又諸作法應是如來，無異因故，是故如來非常非無常。復次，大慧！如來非常，若是常者，應如虛空不待因成。大慧！譬如虛空非常非無常。何以故？離常無常若一若異俱不俱等諸過失故。復次，大慧！如來非常，若是常者，則是不生，同於兔馬魚蛇等角。

> 仏は言われた。「大慧よ、如来・応供・正等覚は、常でもなく無常でもない。なぜか。どちらにも過失があるからだ。どのような過失か。大慧よ、もし如来が常であるならば、作るものがあるという過失が生じる。すべての外道は、作るものが常であると言っている。もし無常であるならば、作られたものという過失が生じ、もろもろの蘊と同じく、相によって示されるものとなり、ついには断滅して無になる。しかし仏である如来は、実に断滅ではない。大慧よ、すべての作られたものは、瓶や衣などと同じく、みな無常である。それならば如来にも無常という過失があり、修行して積んだ福と智はすべて空しくて益がないことになる。また、もろもろの作られたものは如来であるべきだ。異なる原因がないからである。それゆえ如来は常でもなく無常でもない。さらに、大慧よ、如来は常ではない。もし常であるならば、虚空のように、因を待たずに成るはずである。大慧よ、たとえば虚空は常でもなく無常でもない。なぜか。常・無常を離れ、一か異か、俱か不俱かといったもろもろの過失がないからである。さらに、大慧よ、如来は常ではない。もし常であるならば、生じることがなく、兎や馬や魚や蛇などの角と同じである。」

「復次，大慧！以別義故亦得言常。何以故？謂以現智證常法故，證智是常、如來亦常。大慧！諸佛如來所證法性，法住法位，如來出世若不出世常住不易，在於一切二乘外道所得法中，非是空無，然非凡愚之所能知。大慧！夫如來者，以清淨慧內證法性而得其名，非以心、意、意識、蘊、界、處法妄習得名；一切三界皆從虛妄分別而生，如來不從妄分別生。大慧！若有於二有常無常，如來無二，證一切法無生相故，是故非常亦非無常。大慧！乃至少有言說分別生，即有常無常過，是故應除二分別覺勿令少在。」

> また、大慧よ、別の意味からも「常」と言うことができる。なぜかというと、現前の智慧によって常の法を証するからである。その証の智慧は常であり、如来もまた常である。大慧よ、諸仏如来が証した法性は、法としてとどまり、法の位にあり、如来が世に出ようと出まいと、常住で変わることがない。これは一切の二乗や外道が得る法の中にあるものではなく、空無でもないが、しかし凡夫の知ることのできるものではない。大慧よ、如来とは、清浄な慧によって内証の法性を得たからその名があるのであって、心・意・意識や蘊・界・処の法の妄習によって得た名ではない。一切の三界はすべて虚妄の分別から生じるが、如来は妄分別から生じたのではない。大慧よ、もし二つがあって常であり無常であるならば、如来には二つはない。一切法の無生の相を証しているからである。それゆえ常でもなく無常でもない。大慧よ、少しでも言説分別が生じるならば、すなわち常・無常の過がある。それゆえ二つの分別の覚を除いて、少しも残さないようにすべきである。

爾時世尊重說頌言：

> そのとき、世尊は重ねて次のようにおっしゃいました。

「遠離常無常， 而現常無常；如是恒觀佛， 不生於惡見。若常無常者， 所集皆無益；為除分別覺， 不說常無常。乃至有所立， 一切皆錯亂；若見惟自心， 是則無違諍。」