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title: "居士傳 · 竟陵文宣王傳"
description: "居士传由清代佛教居士彭际清编撰，成书于乾隆年间。该书辑录了东汉至清初历代著名在家居士的修行事迹，共五十六卷，涵盖数百位人物。彭际清作为净土宗重要学者，通过此书系统整理了居士阶层在佛教发展中的贡献，展现了在家修行者的典范。内容以传记形式呈现，突出居士的戒律实践、佛法修持与社会影响，兼具历史性与教化性。该书是研究中国佛教居士文化的重要文献，反映了明清时期佛教世俗化的特点，在佛教史中具有独特地位，为后世提供了在家学佛的参考体系。"
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## 居士傳六

> 在家信者伝 第六巻

### 竟陵文宣王傳

竟陵文宣王蕭子良者。字雲英。齊武帝第二子也。宋順帝昇明三年為會稽太守。督五郡。封聞喜公。自孝武時徵求急速。以郡縣遲緩。始遣臺使。自此公役勞擾。齊既受禪。文宣盡陳其弊。請罷之。建元二年。以母憂去官。仍為丹陽尹。開私倉賑屬縣貧人。請修復古塘。並墾荒田數千頃。高帝納之。會遷官事寢。武帝即位。封竟陵郡王。永明二年為護軍將軍兼司徒。四年進號車騎將軍。時水旱不時。請原除逋租。又請寬刑息役輕賦省徭及罷征交州兵。五年正位司徒。移居雞籠山西邸。招致名僧講論佛法。造經唄新聲。武帝初好射雉。文宣諫止之。及永明末。將復射雉。文宣復上書曰。忽聞外議。當更射雉。臣下情震越。心懷憂悚。夫衛生保命人獸不殊。重軀愛體彼我無異。故禮云聞其聲不食其肉。見其生不忍其死。豈可以萬乘之尊降同匹夫之樂。天殺無辜傷仁害福。菩薩不殺壽命得長。施物安樂自無恐怖。不惱眾生身無患苦。臣見此果報。所以日夜劬勤厲身奉法。陛下常日捨財修福。臣私心顒顒尚恨其少。豈可今日復見此事。一損福業追悔便難。願陛下照臣此誠。曲加三思。帝雖不盡納而深見寵嘉。居常與文惠太子同好釋氏。甚相友悌。文宣敬信尤篤。數於邸園營齋戒。大集朝臣僧眾賦食行水。或躬親其事。一夕夢東方普光世界天王如來說淨住淨行法門。因著淨住子。淨住者。梵語布薩。謂淨身口意如戒而住也。書凡三十一篇。其歸信門云。如來愍念眾生。愛同一子。所以垂形丈六。表現靈儀。顯發眾生欣樂瞻覩。聞聲者證道。見形者解脫。今者雖稟精靈。昏惑障重。進不覩相好莊嚴。退不聞八音辨說。將由罪業深重。煩惱牢固。深憂惡道無由可絕。豈容順默使流晏安。自不堅強其志忘身捨命捍勞忍苦銜悲惻愴者。將恐煩惱熾火無由而滅。無明重闇開了未期。譬如牢獄重囚具嬰眾苦。抱長枷梏大械。帶金鉗負鐵鎖。膿瘡穢爛臭惡纏匝。而欲以此牀求見國主貴臣。雖復一心無怠。何由而果。何以故。以其具諸罪惡不離苦具。故若去枷脫鎖。洗垢嚴服。王不我礙自然而現。今欲歸信亦復如斯。將見如來相好光明者。先當淨身口意。洗除心垢。六塵愛染永滅不起。十惡重障淨盡無餘。業累既除表裏俱淨。方可運明想於迦維。標清心於寶剎。去諸塵勞入歸信門。必然仰覩法身無礙。敬禮諸佛求哀懺悔。既悔已後。常行柔軟調和心。堪受心。不放逸心。寂滅心。真正心。不襍心。無貪恡心。勝心。大心。慈悲安樂心。善歡喜心。度一切心。守護眾生心。無我所心。如來心。發如是等廣勝妙心。專求多聞。修離欲定。奉戒清淨念報恩德。常懷悅豫不捨眾生。其尅責身心門云。身為苦本。自所造集。於生死中。復增惡業。是故特須深自尅責。經云。見人之過。口不得言。己身有惡。則應發露。書云。君子揚人之美。不伐其善。內外之教。其本均同。所以稱內外者。本非形分。但由心異。若出家之人觀空無常。厭離生死。行出世法。是則為內。乖此為外。在家之人歸崇三寶。持戒修善奉行禮義。是則為內。乖此為外。若欲修行。先自剋責。當知求進是假名。退檢是實法。愚闇滅則慧光發。四相遷則戒德顯。故知廉退者進之兆也。貪進者退之萌也。夫求而獲者虗。情有所著則取。傾危失墜之苦。此外道之法也。退而獲者實。意無所戀故得。常安涅槃之樂。斯佛道之法也。當知剋責心口是八正之路。撿察身行是解脫之蹤。其慚愧門云。經云。慚愧得具足。能滅闇障故。又云。慚愧如鐵鈎。能制人非法。若無慚愧。與諸禽獸無相異也。慚愧之義以不及為本。今既理妙難精。觸向乖背一念之間。造過無量。過無量故。慚愧亦應無量。其中枝派不可縷述。姑舉一端。養生之急在於衣食。由此衣食勞亂極深。所須繒纊皮革。無不損生殘命。著他皮肉還養皮肉。乃至食噉一粒之食。非用功夫無由入口。推度前功商量我腹。上入下出常流不止。而於其中選擇精肥。進納軟滑貪嗜美味。無羞無恥。須臾欒改。臭不可近。何有智者於食生貪。若生貪者。大須慚愧。與彼畜獸復何助別。其大忍惡對門云。夫道從苦生。不由樂果。德憑功建。非情所集。故經云。忍辱第一道。於諸眾生心無礙故。以其在苦。則多礙多惱起不善業。今所以得無礙者。良以在礙而修無礙。故礙而不為礙。既於礙而無所礙。豈非忍力之所致乎。經云。娑婆世界五濁之剎。五痛五燒具諸惡報。是故發大乘者多來此土。以救苦為資糧。以拔惱為要行。此土一日修善。勝於他方淨國百千萬劫。夫欲發廣大心行菩薩行。自必履危涉險備受艱難。蹈熾火歷氷霜。攖苦切。甘楚毒。於萬苦中能忍受者。則道場可踐。若無此惱。忍何從生。籍此煩惱起我諸善。所謂塵勞之儔為如來種。當知忍者有力。大人功德之本。所謂忍痛癢。忍思想。忍疾病。忍飢苦。忍疲勞。忍寒暑。忍憂悲。忍熱惱。忍惡罵無恥辱。忍撾打無恚礙。忍貪欲無愛著。忍憍慢無背道。忍所難忍。忍所難行。忍所難作。忍所難辦。能行此者。真可謂大忍辱矣。其勸請增進門云。勸請者殷勤之至意也。由發殷勤之意。則願善之情深矣。勸請有二。勸請眾生修行戒善。具諸德本。勸請諸佛救護眾生。說法久住。十方四惡趣。我今悉勸請。修持諸戒行。獲得於人身。十方一切人。我今悉勸請。令修十善業。得生於天上。十方諸天人。我今悉勸請。立登正定聚。得離於惡道。十方諸學人。我今悉勸請。覺察諸煩惱。速登無學地。十方阿羅漢。我今悉勸請。知非究竟位。唯有一佛乘。十方辟支佛。我今悉勸請。成就大悲智。教化諸眾生。人天二乘眾。我今悉勸請。體覺如來藏。修習菩薩行。一切諸菩薩。我今悉勸請。修行十度行。速登於十地。兜率天菩薩。我今悉勸請。常轉不退輪。速下度羣生。菩薩智未明。我今悉勸請。金剛滅塵累。顯發真實相。十方一切佛。初成正覺者。我請轉法輪。安樂諸眾生。十方一切佛。若欲捨壽命。我今歸命請。願久住於世。如是佛菩薩。我今皆勸請。發此殷勤心。是故稽首禮。其隨喜萬善門云。眾生以愚惑故。多懷嫉妬增上之心。是以見人行善則生惡想。摧毀破壞不令成就。然彼前人未必損行。而嫉妬者妄增惱熱。增長惑業生死不絕。是以聖人調心制意。行此隨喜。亦復勸請眾生如說奉行。十方一切眾。所有微細善。仁義及禮智。孝養謙恭等。慈和及愛敬。廉貞清潔行。若有如是善。我今悉隨喜。離欲在家人。奉修如來戒。三歸五八戒。十善菩薩戒。清淨諸律儀。離惡名聞者。如是諸功德。我今悉隨喜。飯僧施法衣。浴除煩惱垢。救攝諸貧窮。飢寒露窘者。疾病艱危苦。施藥悲憐業。如是等功德。我今悉隨喜。曠路作好井。橋船度人物。園林池花果。施佛并供僧。渴乏除熱惱。其福實無量。如是等功德。我今悉隨喜。造經流法教。然燈發慧明。習誦及轉讀。決了諸義趣。若復為人說。倍增歡喜心。如是諸功德。我今悉隨喜。建立諸塔廟。堂殿及寶剎。彩畫及木像。金銀銅石等。傳寫諸相好。顯示於法身。如是諸功德。我今悉隨喜。若有造僧房。牀帳及臥具。令彼息心者。安意於禪林。出入苦空門。次第寂滅觀。如是諸功德。我今悉隨喜。如來大慈悲。善說諸法門。發生隨喜行。令我等修學。隨喜諸聲聞。忍苦度生死。隨喜諸菩薩。不捨惡道受。隨喜十方佛。無畏天人尊。能於三界獄。引出諸眾生。願令眾生類。悉得於佛道。是故我隨喜。稽首禮諸佛。其廻向佛道門云。廻向者以不著為義。原一切眾生備修萬行。捨身命財。所以不得解脫生死者。皆緣耽著果報不能捨離。若能不執其心。修行攝度。隨有微福廻施群生向於佛道者。則於果報不復生著。便於生死蕭然解脫。故經云。如所說修行。廻向為大利。是以一切所作善業。皆應廻向。兼勸眾生不著果報。十方諸眾生。所行微善業。仁孝及謙敬。慈愛柔和等。忠正修禮智。矜逮賑孤窮。如是世俗善。悉廻向佛道。一切諸外道。種種勤苦行。五熱炙其身。投巖赴水火。反縛塗炭等。無量諸邪見。今皆為廻向。同歸正覺道。一切清信士。歸戒行十善。乃至諸女人。亦能修福德。又能善說法。開化眾妙福。廻向施群生。共成無上道。一切弟子眾。聞聲即解悟。善來成比丘。乃至四道果。方便及初觀。空苦非常想。亦廻施群生。共向無上道。十方諸辟支。自然成緣覺。深悟在別世。曉了因緣法。隱顯化眾生。獨處樂善寂。如是兼一切。盡廻向佛道。十方諸菩薩。讀誦於經法。入禪出禪者。勸總行眾善。如是等三善。一切眾德本。亦廻施眾生。歸向無上道。一切諸善等。乃至賢聖果。解空未能窮。有無不雙盡。悉令與一切。同入真妙境。著廻有相心。皆向解脫道。如是諸菩薩。我今勸𢌞向。發此無著心。是故稽首禮。其他文多不具載。書成。開筵廣第。集士庶為設講。往復懇到。皆灑然動容。歎未曾有。九年都下大水。吳興偏劇。文宣開倉賑救貧病。於第北立廨収養。給衣及藥。十年領尚書令揚州刺史。本官如故。尋復尚書令加中書監。武帝不豫。詔使文宣輔政。文宣素不樂世務。乃推西昌候鸞。詔以鸞佐之。隆昌元年進督南徐州。其年疾篤。謂左右曰。門外應有異。遣人視之。見淮中魚無筭浮水上向城門。尋薨。年三十五齊書．廣宏明集。

> 竟陵文宣王蕭子良は、字を雲英といい、斉の武帝の第二子である。宋の順帝昇明三年、会稽太守となり、五郡を監督し、聞喜公に封ぜられた。孝武帝の時代から徴発が急を要するため、郡県の対応が遅いことを理由に、朝廷の使者を派遣するようになった。これにより公務による労苦と騒擾が始まった。斉が禅譲を受けた後、文宣王はその弊害をことごとく述べて、これを廃止するよう請願した。建元二年、母の喪に服して官を辞し、その後も丹陽尹となった。私倉を開いて管轄下の県の貧民を救済し、古い堤防の修復と数千ヘクタールの荒れ地の開墾を請願した。高帝はこれを聞き入れたが、官職の異動により事は中止された。武帝が即位すると、竟陵郡王に封ぜられた。永明二年、護軍将軍兼司徒となり、四年には車騎将軍に進んだ。当時は水害や旱魃が頻発していたため、滞納した租税の免除を請願し、また刑罰の緩和、労役の軽減、賦税の削減、徭役の縮小、および交州への出兵の中止を求めた。五年、正式に司徒となり、鶏籠山の西邸に移り住んだ。そこで名僧を招き寄せて仏法を講義させ、経典の詠唱に新たな旋律を作った。武帝は当初、雉狩りを好んだが、文宣王はこれを諫めて止めさせた。永明の末年に再び雉狩りを始めようとした時、文宣王は再び上書して言った。「突然、外で噂を聞きました。再び雉狩りをなさるおつもりだと。臣は心震え、憂いと恐れを抱いております。命を養い保つことは、人も獣も変わりありません。自らの身体を大切に思う気持ちは、彼も私も同じです。ですから礼に『その声を聞けば肉を食わず、生きている姿を見れば殺すに忍びない』とあります。どうして万乗の尊き身を下げて、庶民と同じ楽しみに降られることがありましょうか。天が無辜を殺せば、仁を傷つけ福を害します。菩薩は殺生せず、寿命は長くなります。物を施して安楽を与えれば、自ら恐怖はなくなります。衆生を悩ませなければ、身に患い苦しみはありません。臣はこの因果応報を見るゆえ、日夜努め励んで身を修め法を奉じております。陛下は常日頃、財を捨てて福を修めておられますが、臣の心は尚、その少なさを惜しんでおります。どうして今日またこのようなことを見ることができましょうか。一度福業を損ねれば、後悔しても取り返しはつきません。どうか陛下には、臣のこの誠意をお察しくださり、どうか三思を重ねてください。」帝は全てを受け入れはしなかったが、深く寵愛し賞賛した。普段は文恵太子と共に仏教を好み、非常に仲が良かった。文宣王の敬信は特に篤く、邸宅の庭園でたびたび斎戒を営み、朝臣や僧侶を大勢集めて食事を施し水を配るなど、自らその事に携わった。ある夜、東方の普光世界の天王如来が夢に現れ、浄住浄行の法門を説かれた。そこで『浄住子』を著した。浄住とは、梵語の布薩（アップヴァーサタ）のことで、身口意を清浄にし、戒めのままに住することをいう。書は全部で三十一篇ある。その帰信門には次のようにある。「如来は衆生を憐れみ、我が子のように愛される。だからこそ丈六の姿を現し、霊妙な儀容を示される。衆生が喜んで拝観し、声を聞けば悟りを証し、姿を見れば解脱するようにと。今、我々は精霊を授かってはいるが、迷いと障りが重く、進んでは相好の荘厳を見ることができず、退いては八音の説法を聞くことができない。これは罪業が深く重く、煩悩が固く牢（かたく）いからである。悪道を深く憂え、断つ方法がない。どうして黙って安楽に流されることがあろうか。自ら志を強くせず、身を忘れ命を捨て、労苦を耐え忍び、悲しみと痛みを抱かなければ、煩悩の激しい炎は消えることがなく、無明の深い闇が開ける日は来ないだろう。譬えば、牢獄の重囚が様々な苦しみを負い、長い枷や大きな械を抱え、金の鉗を付け鉄の鎖を背負い、膿んだ瘡が爛れ臭気に包まれているようなものだ。そんな姿で国主や貴臣に会おうとしても、一心に怠らずとも、どうして果たせようか。なぜなら、あらゆる罪悪を具え、苦しみの道具から離れていないからである。もし枷を外し鎖を解き、垢を洗い立派な服を着れば、王は我を妨げず自然と現れる。今、帰依し信じようとするのもまた同じである。如来の相好光明を見ようとするなら、まず身口意を清浄にし、心の垢を洗い流さねばならない。六塵への愛着と染まりを永遠に滅ぼして起こさず、十悪の重い障りをきれいに除き尽くす。業の重荷が除かれ、表裏ともに清浄になって初めて、迦維（カピラヴァストゥ）に明るい想いを馳せ、宝刹に清らかな心を向けることができる。あらゆる塵労を離れ、帰信の門に入れば、必ずや法身を仰ぎ見ることができ、妨げはない。諸仏を敬礼し、哀れみを請い懺悔する。懺悔した後は、常に柔和で調和のとれた心、受け入れる心、放逸しない心、寂滅の心、真実の心、雑念のない心、貪り惜しみのない心、勝れた心、広大な心、慈悲安楽の心、善き歓喜の心、一切を度す心、衆生を守護する心、我執のない心、如来の心を実践する。このような広大で勝れた妙なる心を発し、ひたすら多聞を求め、離欲の定を修め、戒を奉じて清浄にし、恩に報いる徳を念じ、常に喜びを抱き衆生を見捨てない。」その克責身心門には次のようにある。「身は苦の根本であり、自らが造り集めたものである。生死の中で、さらに悪業を増やす。だから特に深く自らを責めねばならない。経に云う、『人の過ちを見ても口に出して言わず、己に悪があれば露わにすべし』と。書に云う、『君子は人の美を揚げ、その善を誇らぬ』と。内外の教えは、その根本は同じである。内外と称するのは、形によって分けられたのではなく、心の違いによる。もし出家の人が空と無常を観じ、生死を厭い離れ、出世間の法を行うなら、それが内である。これに背けば外である。在家の人が三宝を尊崇し、戒を持ち善を修め、礼義を行えば、それが内である。これに背けば外である。もし修行しようとするなら、まず自らを責めよ。進むことを求めるのは仮の名であり、退いて省みるのが実の法であると知るべし。愚かさと闇が滅すれば智慧の光が発し、四相が移れば戒の徳が顕れる。だから廉潔で退くことが進む兆しであり、貪って進むことが退く芽生えであると知る。求めて得るものは虚しく、情に執着すれば傾き危うく墜ちる苦しみを取る。これは外道の法である。退いて得るものは実であり、意に執着がなければ常楽我浄の涅槃の楽しみを得る。これが仏道の法である。心と口を責めることが八正道の道であり、身の行いを省みることが解脱の跡であると知るべし。」その慚愧門には次のようにある。「経に云う、『慚愧が具足すれば、闇の障りを滅ぼすことができる』と。また云う、『慚愧は鉄の鉤の如く、人の非法を制することができる』と。もし慚愧がなければ、あらゆる禽獣と何ら変わるところがない。慚愧の意味は及ばないことを根本とする。今、理は妙で精しく難しく、触れる方向に背き、一念の間に無量の過ちを造る。過ちが無量であるから、慚愧もまた無量でなければならない。その枝葉は細かく述べることはできないが、一端を挙げる。養生の急務は衣食にある。この衣食によって労苦と乱れは極めて深い。必要な絹や綿、皮革は、全て生を損ない命を傷つける。他人の皮肉を身に着けて自らの皮肉を養う。一粒の食を口にするにも、工夫を用いなければ口に入らない。前の功労を推し量り、我が腹と相談する。上から入り下から出て、常に流れ止まない。その中で精った肥えたものを選び、柔らかく滑らかなものを進め納め、美味に貪り執着する。恥も羞もなく、たちまちのうちに腐り変わり、臭くて近づけない。どうして智者が食に貪りを生じようか。もし貪りを生じるなら、大いに慚愧すべきである。あの畜獣と何の違いがあろうか。」その大忍悪対門には次のようにある。「道は苦から生じ、楽の果からではない。徳は功績によって建てられ、情によって集められたものではない。だから経に云う、『忍辱は第一の道である。あらゆる衆生に対して心に妨げがないから』と。苦の中にあると、多くの妨げと悩みが起こり、不善の業を起こす。今、妨げがないと得られるのは、まさに妨げの中で妨げなく修めるからである。だから妨げがあっても妨げとならず、妨げの中で妨げがなければ、それは忍の力によるのではないか。経に云う、『娑婆世界は五濁の刹であり、五痛五焼であらゆる悪報を具えている』と。だから大乗を発心する者は多くこの土に来て、苦を救うことを資糧とし、悩みを抜くことを要行とする。この土で一日善を修めることは、他の清浄な国で百千万劫を修めることに勝る。広大な心を発し菩薩行を行おうとするなら、自ら必ず危険を踏み艱難を備え、激しい火を蹈み氷霜を歴（へ）て、苦切に触れ、楚毒を甘んじる。万の苦しみの中で耐え忍ぶことができれば、道場を踏むことができる。もしこの悩みがなければ、忍はどこから生じようか。この煩悩を籍（かり）て我が諸善を起こす。いわゆる塵労の仲間が如来の種となる。忍ぶ者は力あり、大人の功德の根本であると知るべし。いわゆる痛み痒みを忍び、思いを忍び、病気を忍び、飢え苦しみを忍び、疲労を忍び、寒暑を忍び、憂い悲しみを忍び、熱い悩みを忍び、悪口罵詈を忍び恥辱なく、殴打を忍び怒り妨げなく、貪欲を忍び愛着なく、驕慢を忍び道に背かず、忍び難きを忍び、行い難きを行い、為し難きを為し、成し難きを成す。これを行える者は、真に大忍辱ということができる。」その勧請増進門には次のようにある。「勧請とは、殷勤の極みである。殷勤の意を発すれば、善を願う情は深くなる。勧請には二つある。衆生に戒善を修行し、あらゆる徳の根本を具えるよう勧請すること。諸仏に衆生を救護し、説法を久住させるよう勧請すること。十方の四悪趣に、我今ことごとく勧請す。諸戒行を修持し、人身を得んことを。十方の一切の人に、我今ことごとく勧請す。十善業を修めさせ、天上に生まれんことを。十方の諸天の人に、我今ことごとく勧請す。正定聚に登り、悪道を離れんことを。十方の諸学人に、我今ことごとく勧請す。諸煩悩を覚察し、速やかに無学地に登らんことを。十方の阿羅漢に、我今ことごとく勧請す。究竟の位にあらずと知り、唯一仏乗あることを。十方の辟支仏に、我今ことごとく勧請す。大悲智を成就し、諸衆生を教化せんことを。人天二乗の衆に、我今ことごとく勧請す。如来蔵を体覚し、菩薩行を修習せんことを。一切の諸菩薩に、我今ことごとく勧請す。十度行を修行し、速やかに十地に登らんことを。兜率天の菩薩に、我今ことごとく勧請す。常に不退転の輪を転じ、速やかに下って群生を度せんことを。菩薩の智未だ明らかならざるに、我今ことごとく勧請す。金剛もって塵累を滅し、真実相を顕発せんことを。十方の一切の仏、初めて正覚を成したる者に、我は法輪を転ぜんことを請う。諸衆生を安楽ならしめんことを。十方の一切の仏、もし寿命を捨てんと欲するならば、我今帰命して請う。願わくは久しく世に住まんことを。かくの如き仏菩薩に、我今皆勧請す。この殷勤の心を発するが故に、ここに稽首礼す。」その随喜万善門には次のようにある。「衆生は愚かで惑っているため、多く嫉妬と増上慢の心を抱く。だから人の善行を見れば悪い考えを生じ、それを打ち壊し成就させない。しかし、その前の人は必ずしも行いを損なうわけではないが、嫉妬する者は妄りに悩み熱を増し、惑いと業を増長させ生死を絶たない。だから聖人は心を調え意を制し、この随喜を行う。また衆生に勧請して、説かれた通りに奉行させる。十方の一切の衆、所有する微細な善、仁義及び礼智、孝養謙恭等、慈和及び愛敬、廉貞清潔の行、もしかくの如き善あらば、我今ことごとく随喜す。欲を離れた在家人、奉修する如来の戒、三帰五八戒、十善菩薩戒、清浄なる諸律儀、悪名聞を離るる者、かくの如き諸功德、我今ことごとく随喜す。僧に飯を施し法衣を施し、浴して煩悩の垢を除き、諸貧窮を救摂し、飢寒露窘する者、疾病艱危の苦、薬を施す悲憐の業、かくの如き等の功德、我今ことごとく随喜す。広い路に良い井戸を作り、橋船で人や物を渡し、園林池の花果、仏に施し并せて僧に供え、渇き乏しきを除き熱悩を除く、その福は実に無量なり、かくの如き等の功德、我今ことごとく随喜す。経を造り法教を流し、燈を然して慧明を発し、習誦及び転読、決了する諸義趣、もし復た人の為に説かば、倍増する歓喜の心、かくの如き諸功德、我今ことごとく随喜す。諸塔廟を建立し、堂殿及び宝刹、彩画及び木像、金銀銅石等、諸相好を伝写し、法身を顕示する、かくの如き諸功德、我今ことごとく随喜す。もし僧房を造らば、牀帳及び臥具、彼の息心する者をして、禅林に安意せしめ、苦空門に出入し、次第寂滅を観ぜしむ、かくの如き諸功德、我今ことごとく随喜す。如来の大慈悲、善く諸法門を説き、随喜の行を発生し、我らをして修学せしむ。諸声聞に随喜し、苦を忍び生死を度す。諸菩薩に随喜し、悪道を受けるを捨てず。十方の仏に随喜し、無畏の天人尊、よく三界の獄に於いて、諸衆生を引出す。願わくは衆生の類、悉く仏道を得んことを。是の故に我随喜し、諸仏に稽首礼す。」その廻向仏道門には次のようにある。「廻向とは、執着しないことを意味する。一切の衆生が万行を備え修め、身命財を捨てるにもかかわらず、生死の解脱を得られないのは、全て果報に耽り執着して捨て離れられないからである。もし心に執着せず、修行して摂度し、微かな福があればそれを群生に廻し施して仏

知歸子曰。余甞考田獵。不見於古帝王之世。虞書曰。疇若予上下。草木鳥獸。商書曰。暨鳥獸魚鼈。咸若其。及物之仁如此。驅而殺之豈其心乎。余觀齊梁間君臣論議。往往能慈心愛物矣。充是心也。勝殘去殺之風不難覯也。文宣所著淨住子。行願深淨悲智兩足。其游於佛海久如。不可以世智詳矣。於是采著其言尤切要者。而以諫獵一書首之。

> 知歸子が言う。かつて狩猟について考えてみると、古代の帝王の時代には見られない。『虞書』には、「草木や鳥獣が、上下の秩序に従うように」とある。『商書』には、「鳥獣や魚、鼈までもがすべて調和している」と記されている。このように、万物に対する仁愛の心がこれほどまでに深かったのに、動物を追い詰めて殺すことが、どうして彼らの本心であろうか。私は斉や梁の時代の君臣の議論を見ると、しばしば慈しみの心を持って生き物を愛していたことが分かる。この心を広げていけば、残虐を克服し殺生をやめる風潮も、難なく見られるようになるだろう。文宣が著した『浄住子』は、修行と願いが深く清らかで、慈悲と智慧の両方が満ちている。彼が仏法の海に遊ぶようになってからどれほど長いことか、世間の知恵では推し量れない。そこで、彼の言葉の中でも特に大切なものを選び、『諫猟』の一書をその冒頭に置くことにした。

汪大紳曰。敘論具大悲心眼。齊梁間學佛人如蕭子良者誠為希有。其尅責身心一門尤為法要也。○允初近與吾書。自述往日超佛越祖大願力。原來只是放失其心而不知求。近來始信得千聖萬賢總法門。出不得求放心一語。此是眾生往來三界疲極自息證驗也。然吾不敢輙為之助喜。以允初有求心甚深甚重。以有求心求放心。將心覓心。求而又求。又要弄出無數伎倆。揑出無數鬼怪。放心不益甚乎。來書儒佛雙關。一念捨不得佛。一念又捨不得儒。儒佛交爭。朱子甞判為隱微深痼之疾。此放心之病之大者。允初其能覺之乎。允初性燥。每喜捻著一面令牌。道急急如律令者。安知不奉孟子為太上老君。硬捉一物把持定了為護身符乎。此瞞心之大者。非但放先其心而已。如上種種諸病。吾皆為允初打筭過耒。吾安敢為之助喜。吾於是如法思惟。不輕不重。為允初打筭出一退字來。又恐允初承虗接響。過了適檢子良傳說。那段因緣極是法要。直判出外道佛道。界限極是分明。吾遂決意將那退字助喜。留此一段因緣在傳後發揮去者。第一要講明求放心法要入手處。朱子道得好。不是將心覓心。只是一念悚然。心便在這裏了。徹始徹終處。程子道得好。聖賢千言萬語。只是要人將已放之心収入腔子裏。自能尋向上去。此兩則公案若能透得。以上所說病痛頓爾消殺去矣。允初允初。你說那求放心一句子。為學佛關鍵也。說得有來歷。你看釋迦老子至達摩以下諸位先生。與諸魔及一切外道做盡冤家對頭。你道是甚意思。只為諸魔外道放失其心。流轉三界輪回六道。萬劫長夜。所以諸位先生苦苦哀哀勸他學問。佛說恒河沙數。祖說一字不立。只是要覺他本心而已。諸魔外道本心頓覺。便是佛。便是祖。本是一家眷屬。你何苦放他去做出事來。為魔為外道。自取長夜之不妙乎。允初所說豈不有來歷。然必如子良判出佛道外道。界限方得分明。魔道外道俱是絕頂聰明人。聰明反被聰明誤。貪進不已放失其心。咄。魔了也。咄。外道了也。釋迦老子也曾放失其心。貪進不已。直走到非非想天。咄外道了。也一念悚然。忽然退位本心。方得發現。所以子良說那求進是假名。退撿是實法。真是法要也。你看釋迦老子不獨與諸魔外道做盡冤家對頭。且向一身中與五蘊．六根．六塵及一切山河大地做盡冤家對頭。是甚意思。只為五蘊是放心的大浪子。走了走了。走向六根去也。走了走了。走向六塵去也。走了走了。走向一切山河大地去也。走了走了走向輪回三界流轉六道去也。吾佛悲之。所以苦苦哀哀勸他學問。喚轉他耳。多嘴老漢說到此。允初舊病復發。肚裏打葬道。原來釋迦老子與一切人天作眼目。果然大慈父。大恩師。大紳佛學果然透徹。吾今要奉勸大紳與渠。破除世覺專心尊奉釋迦求佛覺去也。咄。允初又放失其心矣。不見惠能道得好。佛法在世間。不離世間覺。離世覓菩提。恰如求兔角。正見名出世。邪見名世間。邪正盡打却。菩提性宛然。咄。

> 汪大紳が言うには、「序論には大悲の心眼が備わっている。斉・梁の時代の学仏者の中で、蕭子良のような人物は誠に稀有である。その身心を克責する一門は、特に法要である」と。○允初が近頃私に手紙を寄せ、自ら述べたところによると、かつての「仏を超え祖を越える」という大願力は、実はただ心を放失して求めることを知らなかっただけだという。最近になって初めて、千聖万賢の総法門が、結局は「放心を求める」という一言に尽きることを信じるようになった。これは衆生が三界を往来し、疲れ果てて自ら休息する証拠である。しかし、私は安易に喜びを助長することはできない。なぜなら、允初には求める心が非常に深く重く、求める心をもって放心を求め、心をもって心を探し、求めまた求め、さらに無数の手段を弄び、無数の鬼怪を捏造しようとするからだ。そうなれば、放心はますます甚だしくなるのではないか。来書には儒と仏の両方に触れ、一念は仏を捨てがたく、一念は儒を捨てがたい。儒仏が交わり争う様は、朱子がかつて「隠微深痼の疾」と評したものであり、これこそが放心の病の大きなものだ。允初はこれを自覚できるだろうか。允初は性急で、いつも一面の令牌を捻じり、「急急如律令」と言うことを好む。どうして孟子を太上老君として奉じ、一つの物を無理やり捉えて護身符と定め、心を欺く大きな行為をしないと分かるだろうか。これは単に心を放失するだけでなく、心を欺くことである。上記の種々の病を、私はすべて允初のために計算してきた。どうして安易に喜びを助長できようか。私はそこで法に従って思惟し、軽からず重からず、允初のために「退」という一字を計算し出した。しかし、允初が虚に乗じて響きを受け、適切な検証を過ぎてしまうことを恐れ、子良の伝説を参照した。あの因縁は極めて法要であり、直ちに外道と仏道を判別し、境界が極めて明瞭である。私は遂に決意し、その「退」の字を喜びとして助け、この一段の因縁を伝えた後に発揮させることにした。第一に、放心を求める法要の入り口を講明しなければならない。朱子がよく言ったように、「心をもって心を探すのではなく、ただ一念悚然として、心はここにある」と。徹始徹終のところで、程子がよく言ったように、「聖賢の千言万語は、ただ人に已に放たれた心を腔子の中に収めさせ、自ら上に向かって尋ねさせることである」と。この二つの公案がもし透徹できれば、上記の病痛はたちまち消え去るであろう。允初よ、允初よ、君が言う「放心を求める」という一言が、学仏の鍵であると言うのは、由来がある。君は釈迦老子から達摩以下の諸先生が、諸魔及び一切の外道と尽く冤家対頭となったのを見るだろう。君は何の意味だと思うか。ただ諸魔外道がその心を放失し、三界を流転し六道を輪廻し、万劫の長夜に陥るからである。だから諸先生は苦しみ哀しんで彼らに学問を勧めるのだ。仏は恒河沙数の説法をし、祖は一字も立てず、ただ彼らの本心を覚醒させるだけである。諸魔外道の本心がたちまち覚醒すれば、それが仏であり、祖である。本は一家眷属なのだ。君は何故苦しんで彼らを放ち、事を起こさせ、魔となり外道となり、自ら長夜の不妙を取ることをさせるのか。允初の言うことは、確かに由来がある。しかし、必ず子良のように仏道と外道を判別し、境界を明らかにしなければならない。魔道外道は皆、絶頂の聰明人である。聰明がかえって聰明に誤られ、貪進して已まず心を放失する。咄、魔となった。咄、外道となった。釈迦老子もかつて心を放失し、貪進して已まず、直ちに非非想天まで歩いた。咄、外道となった。一念悚然として、忽然と本心に退位し、初めて発見できた。だから子良は、求進は仮名であり、退撿は実法であると言う。真に法要である。君は釈迦老子がただ諸魔外道と尽く冤家対頭となるだけでなく、一身の中で五蘊・六根・六塵及び一切の山河大地と尽く冤家対頭となるのを見るだろう。何の意味か。ただ五蘊は放心の大浪子であり、走り去り、走り去り、六根に向かって走り去り、走り去り、六塵に向かって走り去り、走り去り、一切の山河大地に向かって走り去り、走り去り、輪廻三界流転六道に向かって走り去るからだ。我が仏はこれを悲しみ、苦しみ哀しんで彼らに学問を勧め、彼らを呼び戻すのだ。多嘴の老漢がここまで言うと、允初の旧病が再発し、腹の中で計算する。「なるほど、釈迦老子は一切の人天の眼目となり、確かに大慈父であり、大恩師であり、大紳の仏学は確かに透徹している。私は今、大紳と彼に奉勸し、世覚を破り専心に釈迦を尊奉し、仏覚を求めに行こう」と。咄、允初はまた心を放失した。恵能がよく言ったように見えないのか。「仏法は世間にあり、世間の覚から離れず。世間を離れて菩提を求めれば、恰も兎の角を求めるが如し。正見を名づけて出世とし、邪見を名づけて世間とす。邪正尽く打ち却れば、菩提性宛然たり」と。咄。