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title: "居士傳 · 荊山居士傳"
description: "居士传由清代佛教居士彭际清编撰，成书于乾隆年间。该书辑录了东汉至清初历代著名在家居士的修行事迹，共五十六卷，涵盖数百位人物。彭际清作为净土宗重要学者，通过此书系统整理了居士阶层在佛教发展中的贡献，展现了在家修行者的典范。内容以传记形式呈现，突出居士的戒律实践、佛法修持与社会影响，兼具历史性与教化性。该书是研究中国佛教居士文化的重要文献，反映了明清时期佛教世俗化的特点，在佛教史中具有独特地位，为后世提供了在家学佛的参考体系。"
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## 居士傳八

> 在家信者列伝 第八巻

### 荊山居士傳

> 荊山居士伝

荊山居士陸法和者。不知何許人也。齊梁間隱於江陵百里洲。衣食居處一與戒行沙門同。耆老自幼見之。容色常定。人莫能測也。既居荊州高要縣紫石山。無故捨去。俄而有蠻亂矦景之降梁也。居士謂南郡朱元英曰。貧道助檀越擊之。元英曰。矦景為國立效。擊之何也。不省。及景圍臺城。居士時在青溪山。元英往問曰景事云何。居士曰。凡人取果。宜待熟時。不撩自落。檀越但待景熟時。何勞問也。固問之。則曰。亦克亦不克。景遣其將任約擊湘東王於江陵。居士乃詣湘東乞征。約召諸蠻子弟八百人誓之江津。且發湘東。復遣胡僧祐領兵千餘益其軍。居士笑曰。吾兵馬甚盛。何須此。江陵多神祠。人俗祈禱即騐。自居士軍出。祈禱無騐者。人以為神皆從行也。至赤沙湖與約相對。居士乘輕舟不甲冑沿流而下。去約軍一里而還。謂將士曰。吾觀彼龍軍睡不動。吾軍之龍甚踴躍。即攻之。逐縱火舫於前而風逆。居士執白羽扇麾風。風即返。約眾見梁兵步水上。遂大潰。眾皆投水死。而約逃竄不知處。居士曰。明日日中當得。及期未得。人問之。居士曰。吾前於此洲水涸時建一剎。語檀越等。此雖為剎實賊標。今何不向標下求。如其言。果於水中見約抱剎仰頭。纔出鼻遂擒之。約見居士求死。居士曰。檀越與王有緣。決無他慮。王於後且當得檀越力也。湘東果釋之。用為郡守。及魏圍江陵。約以兵赴救力戰。如居士言。居士既平約。會蜀賊將至。請守巫峽待之。乃總諸軍而往。親運石以填江。三日水不流。橫以鐵鎖。武陵王紀果遣蜀兵來渡。峽口勢蹙進退不可。居士與王琳一戰殄之。居士為人言若不出口。及有所論則雄辨無敵。生平多諸靈異。甞於襄陽城北大樹下畫地方二尺。令弟子掘之。得一龜。長尺半。以杖叩之曰。汝欲出不能。數百歲矣。不逢我者豈見天日乎。為授三歸。初入疊山。多惡疾人。居士為采藥療之。率不過三服即差。即求為弟子。山中毒蟲猛獸授以禁戒。即不復噬螫。所泊江湖。每於岸側表云。此處放生漁者即皆無所得。得即大風雷。放之乃定。將兵時禁諸軍漁捕甚嚴。有竊違者中夜即有猛獸來欲噬之。或亡其船。纜有小弟子戲截蛇頭。已而詣居士。居士曰。何殺蛇。弟子愕。指曰是非汝所殺者乎。弟子乃見蛇頭齚袴襠。振之不落則恐。居士使懺悔。為蛇作功德。又有人以牛試刀。斷牛頭。已而詣居士。居士曰。有一斷頭牛就卿徵命殊急。若不為作功德一月內報至。其人弗信。少日果死。梁元帝即位。以居士為都督郢州刺史封江業縣公。已而加司徒。部曲數千人通呼為弟子。唯以道術為化。不以法獄。其市法以空櫝鎖置道間。上開一孔受錢。賈人計貨輸稅。自委諸櫝中。及夕有司開櫝條。其稅目輸之庫。居士在江夏大聚兵艦欲襲襄陽。入武關。元帝使止之。居士曰。法和求佛之人。尚不希釋梵天王坐處。豈規王位。但於空王佛所與主上有香火因緣。見主上應有報至故相援耳。今既被疑。業定不可改也。及魏舉兵。居士自郢入漢口將赴江陵。元帝又使止之曰。此間自能破賊。但鎮郢州不須動也。居士乃還州。堊其城門著麤白布衫。有袴邪巾。大繩束腰。坐葦席終日乃脫之。及聞元帝敗滅。腹著前凶服哭泣受弔。齊文宣使清河王岳將兵攻魏救梁。會江陵陷。居士乃舉州入齊。文宣以為大都督十州諸軍事太尉公。居士入朝不稱臣。但云荊山居士。文宣親宴之。賜錢百萬。物千段。甲第一區田一百頃。奴婢二百人。生資什物稱是居士所得奴婢盡免之曰。各隨緣去。錢帛散施一日便盡。以官所賜宅營佛寺。自居一房。三年間再為太尉。無󳱈預告弟子死期。至時燒香禮佛坐繩牀而終。浴訖將斂。尸小縮至三尺許。既文宣令開棺視之。空棺而已。居士有讖語預道齊事。後一一皆驗北史。

> 荊山居士陸法和という人物は、どこから来たのか誰も知らない。 斉や梁の時代に、江陵の百里洲に隠れ住んでいた。 衣食住はすべて戒律を守る僧侶と同じで、老人たちは幼い頃から彼を見てきたが、その表情は常に落ち着き、誰も彼の心を測ることはできなかった。 荊州高要県の紫石山に住んでいたが、理由もなく去り、すぐに蛮族の反乱が起こり、侯景が梁に降伏した。 居士は南郡の朱元英に言った。 「貧道が檀越を助けて彼を討ちましょう」 元英は言った。 「侯景は国のために功績を立てているのに、なぜ討つのですか」 理解できなかった。 侯景が台城を包囲した時、居士は青溪山にいた。 元英が尋ねに行って言った。 「侯景の件はどうなりますか」 居士は言った。 「凡人が果実を取るには、熟すのを待つべきです。無理に取らずとも、自然に落ちます。檀越はただ侯景が熟すのを待てばよい。どうしてわざわざ尋ねる必要があるでしょう」 しつこく尋ねると、居士は言った。 「勝つこともあれば、勝たないこともある」 侯景は配下の任約を遣わして、江陵で湘東王を攻撃させた。 居士は湘東王のもとに行き、征討を願い出た。 任約は蛮族の子弟八百人を集めて江津で誓いを立て、湘東を出発させた。 湘東王はさらに胡僧祐に千余りの兵を率いさせて軍を増強した。 居士は笑って言った。 「我が軍勢はとても盛んだ。これが必要か」 江陵には多くの神祠があり、人々が祈るとすぐに効果があったが、居士の軍が出てからは、祈っても効果がなくなった。 人々は、神々が皆居士に従って行ったのだと思った。 赤沙湖に到着し、任約と対峙した。 居士は軽舟に乗り、甲冑も着けずに流れに沿って下り、任約の軍から一里のところで引き返した。 将兵に言った。 「あちらの龍軍は眠って動かない。我が軍の龍はとても躍動している。すぐに攻めよう」 火船を前に放ったが、風が逆だった。 居士は白羽の扇を持って風を指揮すると、風はすぐに逆になった。 任約の軍勢は梁の兵が水の上を歩いているのを見て、大敗し、皆が水に飛び込んで死んだ。 任約は逃げ去り、行方がわからなくなった。 居士は言った。 「明日の正午には捕まえられるだろう」 その時になっても捕まらず、人々が尋ねると、居士は言った。 「私は以前、この洲の水が干上がった時に一つの塔を建てた。檀越たちに言った。これは塔だが、実は賊の印だ。今、どうして印の下を探さないのか」 その言葉通りにすると、果たして水中で任約が塔を抱き、頭を上げているのが見えた。 鼻だけが出て、すぐに捕らえられた。 任約は居士に会い、死を求めた。 居士は言った。 「檀越は王との縁がある。決して他の心配はない。王は後で檀越の力を得るだろう」 湘東王は果たして彼を釈放し、郡守に任用した。 魏が江陵を包囲した時、任約は兵を率いて救援に向かい、力戦した。 居士の言葉の通りだった。 居士が任約を平定した後、蜀の賊が来ると聞き、巫峡を守って待つことを請うた。 諸軍を総指揮して向かい、自ら石を運んで川を埋めた。 三日で水が流れなくなり、鉄の鎖を横たえた。 武陵王紀が果たして蜀の兵を遣わして渡河しようとしたが、峡口の勢いが迫り、進退できなくなった。 居士は王琳と一戦してこれを全滅させた。 居士は普段は口を開かず、議論になると雄弁で敵なしだった。 生涯多くの霊異があり、かつて襄陽城北の大樹の下に二尺四方の地面に印をつけ、弟子に掘らせた。 一匹の亀が出てきて、長さ一尺半だった。 杖で叩いて言った。 「お前は出たくても出られず、数百年経った。私に会わなければ、どうして天日を見ることができただろうか」 三帰を授けた。 初めて疊山に入った時、重病人が多かった。 居士は薬を採って治療し、多くは三服以内で治った。 すぐに弟子になりたいと願い出た。 山の中の毒虫や猛獣に禁戒を授けると、もう噛みつかなくなった。 泊まる江湖では、岸辺に毎回立て札を立てた。 「ここは放生の場所」 漁師たちは何も獲れず、獲ると大風や雷が起こり、放すと収まった。 兵を率いる時は、諸軍の漁猟を厳しく禁じ、密かに違反する者がいると、夜中に猛獣が来て噛みつこうとしたり、船を失ったりした。 小さな弟子が戯れて蛇の頭を切った。 その後、居士のもとに行くと、居士は言った。 「なぜ蛇を殺したのか」 弟子は驚き、指さして言った。 「これがお前が殺したものではないか」 弟子は蛇の頭が袴の襠に食いついているのを見て、振り落とそうとしても落ちず、恐ろしくなった。 居士は懺悔させ、蛇のために功徳を積ませた。 また、牛で刀を試し、牛の頭を切り落とした者がいた。 その後、居士のもとに行くと、居士は言った。 「一匹の首を切られた牛がお前に命を求めている。急いでいる。功徳を積まなければ、一月以内に報いが来る」 その者は信じず、数日で果たして死んだ。 梁の元帝が即位すると、居士を都督郢州刺史とし、江業県公に封じた。 その後、司徒を加えられた。 配下の数千人は皆弟子と呼ばれ、ただ道術で教化し、法や刑罰を用いなかった。 市場の法では、空の箱に鍵をかけ道端に置き、上に一つの穴を開けて銭を受け取った。 商人は品物を計算して税金を払い、自ら箱の中に入れた。 夕方になると役人が箱を開け、税目を整理して庫に納めた。 居士は江夏で大いに兵艦を集め、襄陽を襲撃し、武関に入ろうとした。 元帝は止めさせた。 居士は言った。 「法和は仏を求める者です。釈梵天王の座さえ望まず、どうして王位を望みましょう。ただ空王仏のもとで主上と香火の因縁があり、主上に報いが来るのを見て助けているだけです。今、疑われている以上、業は定まって変えられません」 魏が挙兵すると、居士は郢から漢口に入り、江陵に向かおうとした。 元帝はまた止めさせて言った。 「ここは賊を破る力がある。ただ郢州を鎮守し、動かなくてよい」 居士は州に戻り、城門を白く塗り、粗末な白布の衫を着て、袴と斜めの巾、大縄で腰を縛り、葦の席に座って一日中過ごし、その後脱いだ。 元帝が敗れて滅んだと聞くと、腹に以前の凶服を着けて泣き、弔問を受けた。 斉の文宣は清河王岳に兵を率いさせて魏を攻め、梁を救援させたが、江陵が陥落したため、居士は州を挙げて斉に入った。 文宣は居士を大都督十州諸軍事太尉公とした。 居士は朝廷に入っても臣と称さず、ただ荊山居士と言った。 文宣は自ら宴を開き、銭百万、物千段、甲第一区、田百頃、奴婢二百人を賜った。 生活資材や什器もそれに相応しかった。 居士は得た奴婢を全て解放して言った。 「それぞれ縁に従って去れ」 銭や絹は施しとして一日で使い切った。 官から賜った宅を仏寺とし、自らは一つの部屋に住んだ。 三年の間に再び太尉となり、弟子に死期を告げて、その時になると香を焚き、仏を礼拝し、縄の椅子に座って亡くなった。 沐浴の後、納棺しようとすると、屍は小さく縮んで三尺ほどになった。 文宣が棺を開けさせて見ると、空の棺だっただけだった。 居士には讖語があり、斉の出来事を予言し、後になって一つ一つが的中した<note>北史</note>。

知歸子曰。吳人汪生言。居士在佛門得吟風弄月。吾與點也之趣。瑞金羅生以汪生之言為然。或乃以靈異震居士也。悲夫。

> 知帰子が言った。呉の出身の汪生がこう語っている。「居士は仏門において、風を吟じ月を弄ぶ、いわば『吾れ与に点せん』の境地を得ている」と。瑞金の羅生は汪生の言葉を正しいと認めた。ある者は、霊異な力で居士を驚かせようとしたが、悲しいことだ。