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title: "居士傳 · 昭明太子傳"
description: "居士传由清代佛教居士彭际清编撰，成书于乾隆年间。该书辑录了东汉至清初历代著名在家居士的修行事迹，共五十六卷，涵盖数百位人物。彭际清作为净土宗重要学者，通过此书系统整理了居士阶层在佛教发展中的贡献，展现了在家修行者的典范。内容以传记形式呈现，突出居士的戒律实践、佛法修持与社会影响，兼具历史性与教化性。该书是研究中国佛教居士文化的重要文献，反映了明清时期佛教世俗化的特点，在佛教史中具有独特地位，为后世提供了在家学佛的参考体系。"
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## 居士傳九

### 昭明太子傳

昭明太子統。字德施。梁武帝長子也。母丁貴嬪。仁恕恭儉。虔精奉佛。居常蔬食。受戒日甘露降於殿前。能通經義。所受供賜悉以充法事。普通七年薨。太子生而聰叡。三歲受孝經．論語。五歲徧讀五經。天監元年立為皇太子。十四年正月朔。武帝臨軒冠太子於大極殿。時武帝大宏佛教。太子亦深心信奉。遍覧眾經。於宮內別立慧義殿。招引名僧講論。甞撰解二諦義云。明道之方。其由非一。舉要論之。不出境智。或時以境明義。或時以智顯行。至於二諦。即是就境明義。若迷其方。三有不絕。若達其智。萬累斯遣。所言二諦者。一是真諦。一名俗諦。真諦離有離無。俗諦即有即無。即有即無斯是假名。離有離無此為中道。真是中道。以不生為體。俗既假名。以生法為體。慧超咨曰。浮偽起作名之為俗。離於有無名之為真。未審浮偽為當與真一體。為當有異。答曰。世人所知生法為體。出世人所知不生為體。依人作論。應如是說。若論真。即有是空。俗。指空為有。依此義明。不得別異。又咨。真俗既云一體。未審真諦亦有起動。起動不關真諦。答曰。真諦寂然無起動相。凡夫惑識橫見起動。又咨。未審有起動而凡夫橫見。無起動而凡夫橫見。答曰。若有起動則不名橫見。以無動而見所以是橫。咨。若法無起動則唯應一諦。答曰。此理常寂。此自一諦。橫見起動復是一諦。唯應有兩不得言一。蕭曄咨曰。真諦稱真。是實真否。答曰。得真實真。又咨。菩薩會真之時。為忘俗忘真否。答曰。忘俗忘真故說會真。又咨。忘俗忘真何得實真。答曰。若存俗存真。何謂實真。正由兩遣。故謂實真。法雲咨曰。聖人所知之境。此是真諦。未審能知之智。為是真諦。為是俗諦。答曰。能知是智。所知是境。智來冥境。得言即真。又咨。有智之人。為是真諦。為是俗諦。答曰。若呼有智之人。即是俗諦。又咨。未審俗諦之人何得有真諦之智。答曰。聖人能忘於俗。所以得有真諦。法寵咨曰。若使凡夫見有。聖人見無。便應凡夫但見世諦有。聖人應見太虗無。答曰。太虗亦非聖人所見。太虗得名由於相待。既由待生。並凡所見。又咨。凡夫所見空有。得言是一否。答曰。就凡為語。有實異無。約聖作談。無不異有。敬脫咨曰。未審聖人見真。為當漸見。為當頓見。答曰漸見。又咨。無相虗懷。一見此理萬相並寂。未審何故見真得有由漸。答曰。自凡之聖。解有淺深。真自虗寂。不妨見有由漸。又咨。未審一得無相並忘萬有。為不悉忘。答曰。一得無相。萬有悉忘。解法身義云。法身虗寂。遠離有無之境。獨脫因果之外。不可以知知。不可以識識。豈是稱謂所能論辨。將欲顯理。不容默然。天竺云達摩舍利。此土謂之法身。若以當體。則是自性之目。若以言說。則是相待立名。法者軌則為旨。身者有體之義。軌則之體故曰法身。粗陳其體是常住身。是金剛身。重加研覈。其則不爾。若定是金剛。即為名相。定是常住。便成方所。所謂常住。本是寄名。稱曰金剛。本是譬說。及談實體。則性同無生。故云佛身無為不墮諸法。故涅槃經說。如來之身。非身是身。無量無邊。無有足跡。無知無形。畢竟清淨。無知清淨而不可為無。稱曰妙有。而復非有。離無離有。所謂法身。法雲咨曰。未審法身常住是萬行得否。答曰。名相道中萬行所得。又咨。既為萬行所得。豈是無相。若必無相。豈為萬行所得。答曰。無名無相。何曾有得。寄以名相。假言有得。又咨。實有萬行實得佛果。安可言無相全無所得。答曰。問者住心。謂實有萬行。今謂萬行自空。豈有實果可得。又咨。現有眾生修習萬行。未審何故全謂為無。答曰。凡俗所見謂之為有。理而檢之實無萬行。又咨。經說常住。以為妙有。如其假設。何謂妙有。答曰。寄以名相。故說妙有。理絕名相。何妙何有。法寵咨曰。未審法身之稱。為止在妙本。金姿丈六亦是法身。答曰。通而為論。本跡皆是。別而為語。止在常住。又咨。若止在常住。不應有身。若通取丈六。何為法身。答曰。常住既有。妙體何得。無身丈六亦能軌物。故可通稱法身。又咨。若常住無累方稱法身。丈六有累何謂法身。答曰。眾生注仰。妄見丈六。丈六非有。有實何累。普通元年四月甘露降於慧義殿。太子為人孝敬篤至。每宴居一坐一起。不敢南面。被召當入。輙危坐達旦。丁貴嬪有疾。太子朝夕侍。衣不解帶。及喪。水漿不入口。每哭輙慟絕。奉武帝敕。彊進飲食。比至葬日。進麥粥一升。不甞菜果。體素壯。至是減削過半。自加元服。武帝使省萬幾。百司奏事填委太子。明於庶事。辨析可否纖毫必白。其有過失徐令改正。未甞糾彈一人。平斷法獄。多所全宥。出宮二十餘年。不畜聲伎。時招引文學之士討論篇籍而已。會大軍北伐。京師糓貴。太子菲衣減膳。每霖雨積雪。遣左右周行道路視貧困家。有流離者密加賑賜。又出綿帛多作襦褲。方冬施凍人。其死亡無以斂者為備棺槥。每聞遠近百姓賦役勤苦。輙斂容色。大通二年詔發吳郡吳興義興民。開漕大瀆以瀉浙江。太子以吳興被水。請權停此役。武帝優詔報之。三年三月寢疾。自知不起。終不以狀上聞。四月薨。年三十一。諡曰昭明梁書．廣宏明集。

> 昭明太子蕭統、字は徳施。梁の武帝の長子である。母は丁貴嬪。仁恕で恭儉、仏教を篤く信奉し、常に菜食を守った。受戒の日には甘露が殿前に降った。経典の義理に通じ、賜わった供物や下賜品はすべて仏事に充てた。普通七年に逝去。 太子は生まれつき聡明で、三歳で『孝経』『論語』を学び、五歳で五経を読み終えた。天監元年に皇太子に立てられた。十四年正月朔、武帝が臨軒し、太極殿で太子の元服の礼を行った。当時、武帝は仏教を大いに広め、太子も深く心から信奉し、多くの経典を読み、宮中に別に慧義殿を建て、名僧を招いて講義と論議を行わせた。 かつて『解二諦義』を撰して云う。「道を明らかにする方法は、その由来は一つではない。要点を挙げて論ずれば、境と智の外に出ない。ある時は境によって義を明らかにし、ある時は智によって行いを顕わす。二諦に至っては、すなわち境によって義を明らかにするものである。もしその方法に迷えば、三有（三界の存在）は絶えず、もしその智に達すれば、万の煩累はことごとく除かれる。いわゆる二諦とは、一つは真諦、もう一つは俗諦である。真諦は有を離れ無を離れ、俗諦は即ち有であり即ち無である。即ち有であり即ち無である、これが仮の名である。有を離れ無を離れる、これが中道である。真は中道であり、不生を体とする。俗はすでに仮の名であり、生法を体とする。」 慧超が問う。「浮偽の起こり作るを俗と名づけ、有無を離れるを真と名づける。未だ審らかにせず、浮偽は真と一体であるべきか、それとも異なるべきか。」答えていう。「世間の人の知る生法を体とする。出世間の人の知る不生を体とする。人に依って論をなせば、このように説くべきである。もし真を論ずれば、即ち有はこれ空であり、俗を論ずれば、空を指して有となす。この義に依って明らかにすれば、別異とすることはできない。」 また問う。「真俗はすでに一体と云う。未だ審らかにせず、真諦にもまた起動があるか。起動は真諦に関わらないか。」答えていう。「真諦は寂然として起動の相なし。凡夫の惑識が横に起動を見るのである。」 また問う。「未だ審らかにせず、起動があって凡夫が横に見るのか、起動がなくて凡夫が横に見るのか。」答えていう。「もし起動があれば、すなわち横見とは言わない。動きがないのを見るからこそ、横なのである。」問う。「もし法に起動がなければ、すなわちただ一諦あるべきである。」答えていう。「この理は常に寂であり、これ自ら一諦である。横に起動を見る、また一諦である。ただ二つあるべきであって、一と言うことはできない。」 蕭曄が問う。「真諦は真と称する。これは実の真か。」答えていう。「真実の真を得る。」また問う。「菩薩が真に会する時、俗を忘れ真を忘れるか。」答えていう。「俗を忘れ真を忘れるゆえに、真に会すると説く。」また問う。「俗を忘れ真を忘れる、どうして実の真を得るのか。」答えていう。「もし俗を存し真を存すれば、何を以て実の真と言わん。正に両方を遣わすゆえに、実の真と言うのである。」 法雲が問う。「聖人の知る所の境、これは真諦である。未だ審らかにせず、能知の智は、真諦であるか、俗諦であるか。」答えていう。「能知は智、所知は境。智来りて境に冥すれば、即ち真と言うを得る。」また問う。「智ある人は、真諦であるか、俗諦であるか。」答えていう。「もし智ある人を呼べば、すなわち俗諦である。」また問う。「未だ審らかにせず、俗諦の人、どうして真諦の智を得るのか。」答えていう。「聖人は俗を忘れることができるゆえに、真諦を得るのである。」 法寵が問う。「もし凡夫に有を見させ、聖人に無を見させれば、すなわち凡夫はただ世諦の有を見、聖人は太虚の無を見るべきである。」答えていう。「太虚もまた聖人の見る所ではない。太虚が名を得るのは相待による。すでに待によって生ずれば、ともに凡夫の見る所である。」また問う。「凡夫の見る所の空有は、一であると言えるか。」答えていう。「凡夫について語れば、有は実に無と異なる。聖人について談ずれば、無は有と異ならない。」 敬脫が問う。「未だ審らかにせず、聖人が真を見るのは、漸く見るのか、頓に見るのか。」答えていう。「漸く見る。」また問う。「無相虚懐、一たびこの理を見れば万相ともに寂ず。未だ審らかにせず、何故に真を見るに漸によることがあるのか。」答えていう。「凡より聖に至るまで、解に浅深あり。真は自ら虚寂、見るに漸によることを妨げない。」また問う。「未だ審らかにせず、一たび無相を得てともに万有を忘れる、悉く忘れないのか。」答えていう。「一たび無相を得れば、万有は悉く忘れる。」 『解法身義』に云う。「法身は虚寂、有無の境を遠く離れ、因果の外に独り脱す。知を以て知るべからず、識を以て識すべからず。豈に称謂の能く論弁する所ならんや。将に理を顕わさんと欲すれば、黙然たるを容れず。天竺にては達摩舍利と云い、この土では法身と謂う。もし当体を以てすれば、すなわち自性の目である。もし言説を以てすれば、すなわち相待して名を立てる。法とは軌則を旨とし、身とは体あるの義である。軌則の体ゆえに法身と曰う。粗かにその体を陳ずれば、是れ常住の身、是れ金剛の身である。重ねて研覈を加えれば、その則ち然らず。もし定めて金剛とすれば、すなわち名相となり、定めて常住とすれば、すなわち方所となる。いわゆる常住、本は名を寄せたものであり、金剛と称するは、本は譬説である。実体を談ずるに及んで、すなわち性は無生に同じ。故に云う、仏身は無為、諸法に堕せず。故に涅槃経に説く、如来の身は、身に非ずして是れ身、無量無辺、足跡無く、無知無形、畢竟清浄。無知清浄にして而も無と為すべからず、妙有と称し、而も復た有に非ず。無を離れ有を離る、いわゆる法身である。」 法雲が問う。「未だ審らかにせず、法身常住は万行の得る所か。」答えていう。「名相の道中においては万行の得る所である。」また問う。「すでに万行の得る所であるならば、豈に無相であろうか。もし必ず無相ならば、豈に万行の得る所であろうか。」答えていう。「無名無相、何ぞ嘗て得ること有らん。名相に寄せて、仮りに得有りと言う。」また問う。「実に万行有り、実に仏果を得る。安んぞ無相全く得る所無しと言えよう。」答えていう。「問う者は心に住して、実に万行有りと謂う。今謂う、万行は自ら空、豈に実果の得べからんこと有らんや。」また問う。「現に衆生有りて万行を修習す。未だ審らかにせず、何故に全く無と謂うのか。」答えていう。「凡俗の見る所、これを有りと謂う。理にてこれを検すれば、実に万行無し。」また問う。「経に常住を説き、以て妙有と為す。もしその仮設の如くならば、何を以て妙有と言うのか。」答えていう。「名相に寄すゆえに、妙有と説く。理は名相を絶つ、何の妙何の有か。」 法寵が問う。「未だ審らかにせず、法身の称は、ただ妙本に止まるか。金姿丈六もまた法身か。」答えていう。「通じて論ずれば、本跡ともに皆是り。別して語れば、ただ常住に止まる。」また問う。「もしただ常住に止まるならば、身有るべからず。もし通じて丈六を取れば、何を以て法身となすのか。」答えていう。「常住既に有り、妙体何ぞ身無からんや。丈六もまた能く物を軌す、故に通称して法身とすべし。」また問う。「もし常住無累の方、法身と称すべきならば、丈六有累、何を以て法身と言うのか。」答えていう。「衆生注仰して、妄りに丈六を見る。丈六は有に非ず、実有れば何の累か。」 普通元年四月、甘露が慧義殿に降る。太子は人となり孝順で篤実、常に宴居して一坐一起、敢えて南面せず。召されて入る時は、危坐して達旦に至る。丁貴嬪が病むと、太子は朝夕侍し、衣を解かず帯を解かず。喪に及んで、水漿を口にせず、哭する毎に慟絶す。武帝の勅を受け、強いて飲食を進む。葬日の至るまで、麦粥一升を進め、菜果を嘗めず。体は元来壮健であったが、この時には減削過半す。元服を加えてより、武帝は万機を省みさせ、百司の奏事は太子に委ねられた。太子は庶事に明るく、可否を辨析して毫厘も必ず明らかにし、過失有れば徐々に改めさせ、嘗て一人をも糾弾せず。法獄を平断して多く全宥す。出宮して二十余年、声伎を蓄えず、時に文学の士を招引して篇籍を討論するのみ。 時に大軍北伐し、京師の穀物貴し。太子は菲衣減膳し、霖雨積雪の毎に、左右を遣わして道路を周行し、貧困の家を視させ、流離する者あれば密かに賑賜を加う。また綿帛を出して多く襦褲を作り、方冬に凍える人に施す。その死亡して以て殮むる無き者のために棺槥を備う。遠近の百姓の賦役勤苦を聞く毎に、輙ち容色を斂む。大通二年、詔して呉郡・呉興・義興の民を発し、漕大瀆を開いて以て浙江を瀉さしむ。太子は呉興水害を受くを以て、この役を権停することを請う。武帝は優詔を以てこれに報ず。 三年三月、寝疾し、自ら癒えざるを知り、終にその状を上聞せず。四月、薨去。年三十一。諡して昭明と曰う<note>梁書・広宏明集</note>。

知歸子曰。予觀昭明太子之論。可謂了了見佛法者。非梁君臣之所及也。太子仁孝寬明。動合規矩。若使撫有梁祚。勤施四方。淳和之風可日俟也。天步方艱前星遽殞。一夫作難而江國土崩。豈不哀哉。文中子言。齋戒修而齊梁亡。非釋迦之罪也。蓋定業使然。天亦不能純佑命於太子也。悲夫。

汪大紳云。其行事頗與六度經相應。昭明真佛種也。吾不重其佛法。重其仁孝寬明是為佛種。論法到極入微處。只是所知愚也。惜其未遇達摩以下諸大作家。痛與錐劄。脫却所知愚。只管要離有離無。依舊只管在有無上之乎者也。之乎者也到沒奈何去處。且上文撰樓青黃亦白黑去者。此處是文人根種。非佛種也。那得有天子福分。那得有帝王事業。以渠脚跟插在秀才和尚們隊裏。弄得虗花花故也。嗚呼。以彼仁孝寬明根種。又曾念過孝經．論語．五經者。弄得下梢頭毫沒收拾。不亦惜哉○為甚金剛經．心經．七佛偈．壇經。汪大紳喜歡奉行。朱子嘗判得千是萬是曰。六朝人佛學。只是說。只是清言家數而已。說得來清虗惹厭。所以達摩入中國來。一切掃去。傳至惠能始有下手做工夫處○可惜許多聰明絕特有志之士。難得入此門來。及入此門來。又有漫天荊棘。一個個陷入其中出身不得。弄得一個個毫沒收拾。千病萬痛總只為做工夫的祇在動靜上轉換。講道理的祇在有無上拈放。箇箇認指為月。何曾識得月耶。入此門來不是小可的事情。千生萬劫於此一了無不了。於此不了。盡未來劫總未有了期。豈可貪圖說得去做得好看便罷。若只是說得去做得好看便罷。鄉里小兒中這般人如麻似粟。此門中不勞尊駕光輝也。雖然事不可一向。既承尊駕光輝。不妨打開方便法門。請來遊戲一回者。你要游戲此法門。切不可在動靜上轉換。有無上拈放。動靜只是境。有無只是意根卜度。與心了不相干也。你若有大力量。動也一棒。靜也一棒。有也一棒。無也一棒。打得有無動靜諸魔腦袋子都裂去也。影兒都不見也。自然心光發露。咄。連那心光也送他一棒。㘞。跳出心量了也。心量拘他不住了也。尊駕豈非超佛越祖一个好人乎。老漢這裏輕心慢心待人。想你文謅謅的書生如何下得此手。罷罷罷。且用箇小小法兒。去者也不要管他是心是境是意根。遇著靜時只看靜的相在那裏。遇著動時只看動的相在那裏。遇著無的時候只看無的相在那裏。遇著有的時候只看有的相在那裏。看得來呆呆癡癡顛顛倒倒。逢人不知是人。見物不知是物。過了這箇時候。送到大知識門下喫棒去。尊駕乃有收拾。此是光輝法門的勾當○微聞秀才和尚們相商道。若使臨濟德山棒入汪大紳手。須瞎却天下人眼。誠哉是言。