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title: "中阿含經 · 16 伽藍經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一六）中阿含業相應品伽藍經第六初一日誦

> （一六）中阿含経 業相応品 伽藍経 第六<note>初日誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊伽藍園，與大比丘眾俱，至羇舍子，住羇舍子村北尸攝惒林中。

> あるとき、仏陀はガラン園（伽藍園）を訪れ、多くの大比丘たちと共に、キシャタ（羇舍子）という村に到着しました。そして、その村の北側にあるシサヘイ（尸攝惒）の林にお住まいになりました。

爾時，羇舍子伽藍人聞沙門瞿曇釋種子捨釋宗族，出家學道，遊伽藍園，與大比丘眾俱，來至此羇舍子，住羇舍子村北尸攝惒林中。彼沙門瞿曇有大名稱，周聞十方，沙門瞿曇如來、無所著、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師，號佛、眾祐。彼於此世，天及魔、梵，沙門、梵志，從人至天，自知自覺，自作證成就遊。彼若說法，初善、中善、竟亦善，有義有文，具足清淨，顯現梵行，若見如來、無所著、等正覺，尊重禮拜，供養承事者，快得善利。我等應共往見沙門瞿曇，禮事供養。

> その頃、キサダッガー（羇舍子）の人々は、「沙門ゴータマ（瞿曇）は、釈迦族の一族を捨てて出家し、修行の道に入った。今、大比丘衆と共に遊行し、ガラ園（伽藍園）に来て、このキサダッガーの村の北にあるシセーハ林（尸攝惒林）に滞在している。 その沙門ゴータマは大いなる名声を持ち、その名は十方に轟いている。沙門ゴータマは、如来（如去）、阿羅漢（無著）、正等覚者（等正覚）、明行足（明行成為）、善逝（善逝）、世間解（世間解）、無上士（無上士）、調御丈夫（道法御）、天人師（天人師）、仏・世尊（佛・衆祐）と称されている。 彼はこの世において、天・魔・梵天、沙門・バラモン、そして人間から天に至るまで、自ら知り、自ら覚り、自ら実証して、その境地に遊んでいる。彼が説く教えは、初めも善く、中も善く、終わりも善く、意味もあり、言葉も整い、完全に清らかで、清らかな行い（梵行）を明らかに示している。 もし如来・阿羅漢・正等覚者に会い、敬い、礼拝し、供養し、お世話することができるならば、それはまことに大きな利益を得られるであろう。 私たちは共に、沙門ゴータマのもとへ行き、礼拝し、供養すべきである。」と考えた。

羇舍子伽藍人聞已，各與等類眷屬相隨從羇舍子出，北行至尸攝惒林，欲見世尊禮事供養。往詣佛已，彼伽藍人或稽首佛足，却坐一面；或問訊佛，却坐一面；或叉手向佛，却坐一面；或遙見佛已，默然而坐。彼時，伽藍人各坐已定，佛為說法，勸發渴仰，成就歡喜，無量方便為彼說法，勸發渴仰，成就歡喜已，默然而住。

> 羇舍子のガーランの人々はこれを聞いて、それぞれが仲間や眷属と共に羇舍子に従い、北へ向かって尸攝惍林へと進みました。世尊にお会いし、礼拝し、供養したいと願ったのです。仏のもとへ到着すると、ガーランの人々の中には仏の足に頭を付けて礼拝し、そのまま一方に座る者もいれば、仏に安否を尋ねてから座る者もいました。また、両手を合わせて仏に向かい、座る者もいれば、遠くから仏を見つめ、黙って座る者もいました。彼らガーランの人々がそれぞれ座を定めると、仏は彼らのために法を説き、彼らの心に深い憧れを起こさせ、歓喜を成就させました。無量の方便を用いて法を説き、その憧れと歓喜を成就させた後、仏は黙っておられました。

時，伽藍人，佛為說法，勸發渴仰，成就歡喜已，各從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白世尊曰：「瞿曇！有一沙門梵志來詣伽藍！但自稱歎己所知見，而呰毀他所知所見。瞿曇！復有一沙門梵志來詣伽藍，亦自稱歎己所知見，而呰毀他所知所見。瞿曇！我等聞已，便生疑惑：『此沙門梵志何者為實，何者為虛？』」

> その時、ガーラーマの人々のために仏が説法し、彼らが深く敬慕し、歓喜する心を起こさせた後、それぞれが座を立ち、衣を片方の肩にかけ、合掌して仏に向かい、こう申し上げました。「ゴータマよ。ある沙門や梵志がガーラーマに来て、ただ自分の知見だけを称賛し、他人の知見を謗り非難します。ゴータマよ。また別の沙門や梵志がガーラーマに来て、やはり自分の知見だけを称賛し、他人の知見を謗り非難します。ゴータマよ。私たちはそれを聞いて、『この沙門や梵志たちのうち、どれが正しく、どれが誤りなのか』と疑いを生じました。」

世尊告曰：「伽藍！汝等莫生疑惑。所以者何？因有疑惑，便生猶豫。伽藍！汝等自無淨智，為有後世，為無後世？伽藍！汝等亦無淨智，所作有罪，所作無罪？伽藍！當知諸業有三，因習本有。云何為三？伽藍！謂貪是諸業，因習本有。伽藍！恚及癡是諸業，因習本有。伽藍！貪者為貪所覆，心無厭足，或殺生，或不與取，或行邪婬，或知已妄言，或復飲酒。伽藍！恚者為恚所覆，心無厭足，或殺生，或不與取，或行邪婬，或知已妄言，或復飲酒。伽藍！癡者為癡所覆，心無厭足，或殺生，或不與取，或行邪婬，或知已妄言，或復飲酒。

> 世尊はこう仰いました。「カーラーマの皆さん、疑いを抱いてはいけません。なぜなら、疑いがあるからこそ、迷いが生じるのです。カーラーマの皆さん、あなたがたには来世があるのか、ないのかを確かに知る清らかな智慧はありません。また、あなたがたには、行いには罪があるのか、罪がないのかを確かに知る清らかな智慧もありません。カーラーマの皆さん、知ってください。すべての業（行い）には三つのもとがあり、それらは習慣として元から存在しています。その三つとは何でしょうか。カーラーマの皆さん、貪り（むさぼり）が諸々の業のもとであり、習慣として元からあります。カーラーマの皆さん、怒りと無知もまた、諸々の業のもとであり、習慣として元からあります。カーラーマの皆さん、貪りに覆われた人は、心に満足することがなく、時に命を奪い、時に与えられていないものを取り、時に邪な婬を行い、時に知りながら偽りを言い、時に酒を飲みます。カーラーマの皆さん、怒りに覆われた人も、心に満足することがなく、同じように命を奪い、与えられていないものを取り、邪な婬を行い、偽りを言い、酒を飲みます。カーラーマの皆さん、無知に覆われた人も、心に満足することがなく、同じように命を奪い、与えられていないものを取り、邪な婬を行い、偽りを言い、酒を飲みます。」

「伽藍！多聞聖弟子離殺斷殺，棄捨刀杖，有慚有愧，有慈悲心，饒益一切，乃至蜫蟲，彼於殺生淨除其心。伽藍！多聞聖弟子離不與取，斷不與取，與之乃取，樂於與取，常好布施，歡喜無悋，不望其報，彼於不與取淨除其心。伽藍！多聞聖弟子離非梵行，斷非梵行，勤修梵行，精勤妙行，清淨無穢，離欲斷婬，彼於非梵行淨除其心。伽藍！多聞聖弟子離妄言，斷妄言，真諦言，樂真諦，住真諦不移動，一切可信，不欺世間，彼於妄言淨除其心。

> ガーラーマの方々よ。よく学んだ聖なる弟子は、殺生を離れ、殺生を断ちます。刃物や杖を捨て、慚じ恥じる心を持ち、慈しみの心をもって、すべての生きとし生けるもの、昆虫に至るまで利益をもたらします。彼は殺生に対して心を清めます。 ガーラーマの方々よ。よく学んだ聖なる弟子は、盗みを離れ、盗みを断ちます。与えられたものだけを受け取り、与えることを楽しみ、常に施しを好み、喜んで惜しみなく、見返りを望みません。彼は盗みに対して心を清めます。 ガーラーマの方々よ。よく学んだ聖なる弟子は、不浄な行いを離れ、不浄な行いを断ちます。清らかな行いを熱心に修め、精進して素晴らしい行いを実践し、清らかで汚れがなく、欲望を離れ、情欲を断ち切ります。彼は不浄な行いに対して心を清めます。 ガーラーマの方々よ。よく学んだ聖なる弟子は、虚偽の言葉を離れ、虚偽の言葉を断ちます。真実の言葉を語り、真実を喜び、真実に安住して揺るがず、一切の信頼に値し、世間を欺きません。彼は虚偽の言葉に対して心を清めます。

「伽藍！多聞聖弟子離兩舌，斷兩舌，行不兩舌，不破壞他，不聞此語彼，欲破壞此，不聞彼語此，欲破壞彼，離者欲合，合者歡喜，不作群黨，不樂群黨，不稱群黨，彼於兩舌淨除其心。伽藍！多聞聖弟子離麤言，斷麤言，若有所言，辭氣麤獷，惡聲逆耳，眾所不喜，眾所不愛，使他苦惱，令不得定，斷如是言。若有所說，清和柔潤，順耳入心，可喜可愛，使他安樂，言聲具了，不使人畏，令他得定，說如是言，彼於麤言淨除其心。伽藍！多聞聖弟子離綺語，斷綺語，時說、真說、法說、義說、止息說，樂止息說，事順時得宜，善教善訶，彼於綺語淨除其心。伽藍！多聞聖弟子離貪伺，斷貪伺，心不懷諍，見他財物諸生活具，不起貪伺，欲令我得，彼於貪伺淨除其心。

> 伽藍よ。多聞の聖弟子は、両舌を離れ、両舌を断ち、両舌せずに生きる。他者を分裂させることなく、こちらで聞いたことをあちらに伝えてこの者を壊そうとせず、あちらで聞いたことをこちらに伝えてその者を壊そうとしない。離れた者を結びつけ、結ばれた者を喜ばせ、徒党を組まず、徒党を好まず、徒党を褒め称えない。彼は両舌について、その心を清らかにする。 伽藍よ。多聞の聖弟子は、粗い言葉を離れ、粗い言葉を断つ。もし言葉を発するときも、語気が荒々しく、耳障りで聞き苦しく、人々に喜ばれず、愛されず、他者を苦しめ、心の安定を得させないような言葉は断つ。語るときは、清らかで和やかで柔らかく、耳に心地よく心に届き、喜ばれ愛され、他者を安らかにし、言葉は明瞭で人を怖がらせず、他者に安定をもたらす。そのような言葉を語る。彼は粗い言葉について、その心を清らかにする。 伽藍よ。多聞の聖弟子は、綺語を離れ、綺語を断つ。時にかなった語り、真実の語り、法に沿った語り、意味のある語り、静寂をもたらす語りをし、静寂を喜び、状況に適い時宜にかなった、善き教えと善き戒めを行う。彼は綺語について、その心を清らかにする。 伽藍よ。多聞の聖弟子は、貪りの心を離れ、貪りの心を断つ。心に争いを抱かず、他人の財物や生活の道具を見ても、それらを我が物にしたいという貪りの心を起こさない。彼は貪りの心について、その心を清らかにする。

「伽藍！多聞聖弟子離恚斷恚，有慚有愧，有慈悲心，饒益一切乃至蜫虫，彼於嫉恚淨除其心。伽藍！多聞聖弟子離邪見、斷邪見，行於正見而不顛倒，如是見、如是說：『有施有齋，亦有呪說；有善惡業報；有此世彼世，有父有母；世有真人往至善處，善去善向，此世彼世自知、自覺、自作證成就遊，彼於邪見淨除其心。』

> ガーラーマの方々よ。 よく学んだ聖なる弟子は、怒りを離れ、怒りを断ち切ります。彼には慚愧の心があり、慈悲の心を持ち、すべての生きとし生けるもの、微小な虫に至るまで利益をもたらそうとします。こうして彼は、嫉妬や怒りから心を清めるのです。 ガーラーマの方々よ。 よく学んだ聖なる弟子は、邪な見解を離れ、邪な見解を断ち切ります。正しい見解によって生き、歪みません。彼は次のように見、次のように説きます。 「布施や供養には意味があり、祈りや呪文にも功徳がある。善悪の業には報いがある。この世もあの世も存在し、父母への孝養も大切である。世には真実の人（阿羅漢）がいて、善い境地に至り、善く歩み、善く赴く。この世とあの世を自ら知り、自ら悟り、自ら体得して、その境地に安住する。」 こうして彼は、邪な見解から心を清めるのです。

「如是，伽藍！多聞聖弟子成就身淨業，成就口、意淨業，離恚離諍，除去睡眠，無調貢高，斷疑、度慢，正念正智，無有愚癡，彼心與慈俱，遍滿一方成就遊。如是，二三四方、四維上下，普周一切，心與慈俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。如是，悲、喜心與捨俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。

> 「このように、カーラーマの皆さんよ。よく学んだ聖なる弟子は、清らかな身体の行いを完成させ、清らかな言葉と心の行いを完成させます。怒りを離れ、争いを離れ、眠気を除き、高ぶりや驕りがなく、疑いを断ち、慢心を超え、正しい念と正しい智慧をもち、愚かさがありません。その心は慈しみと共にあり、一つの方向に遍く満たして安住します。同様に、第二、第三、第四の方向、そして上下、四方全てに、あまねく一切に及んで、心は慈しみと共にあり、束縛なく、怨みなく、怒りなく、争いなく、極めて広大で限りなく、善く修められ、一切の世間に遍く満たして安住します。このように、悲しみ、喜び、そして捨の心もまた同様に、束縛なく、怨みなく、怒りなく、争いなく、極めて広大で限りなく、善く修められ、一切の世間に遍く満たして安住します。」

「如是，伽藍！多聞聖弟子心無結無怨，無恚無諍，便得四安隱住處。云何為四？有此世彼世，有善惡業報，我得此正見相應業，受持具足，身壞命終，必至善處，乃生天上。如是，伽藍！多聞聖弟子心無結無怨，無恚無諍，是謂得第一安隱住處。復次，伽藍！無此世彼世，無善惡業報，如是我於現法中，非以此故為他所毀，但為正智所稱譽，精進人、正見人說其有。如是，伽藍！多聞聖弟子心無結無怨，無恚無諍，是謂得第二安隱住處。復次，伽藍！若有所作，必不作惡，我不念惡。所以者何？自不作惡，苦何由生？如是，伽藍！多聞聖弟子心無結無怨，無恚無諍，是謂得第三安隱住處。復次，伽藍！若有所作，必不作惡，我不犯世怖與不怖，常當慈愍一切世間，我心不與眾生共諍，無濁歡悅。如是，伽藍！多聞聖弟子心無結無怨，無恚無諍，是謂得第四安隱住處。如是，伽藍！多聞聖弟子心無結無怨，無恚無諍，是謂得四安隱住處。」

> 「ガーラーマの皆さん、このように、よく学んだ聖なる弟子は、心にわだかまりがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもありません。そうして四つの安稳なる住処を得るのです。その四つとは何でしょうか。 第一に、『この世もあの世も存在する。善悪の業には報いがある。私はこの正しい見解にかなった行いを身に受け、完全に保ち、命終われば必ず良い所に生まれ、天界に生まれるだろう』と確信しています。ガーラーマの皆さん、よく学んだ聖なる弟子は、心にわだかまりがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもありません。これを第一の安稳なる住処と言います。 第二に、『たとえこの世もあの世もなく、善悪の業に報いがなかったとしても、私は今この現世で、そのことによって他人から非難されることはなく、ただ正しい知恵ある人々から称賛される。努力する人、正しい見解を持つ人が、そのような境地があると説く』と確信しています。ガーラーマの皆さん、よく学んだ聖なる弟子は、心にわだかまりがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもありません。これを第二の安稳なる住処と言います。 第三に、『たとえ何かを行うとしても、決して悪は行わない。私は悪いことを考えない。なぜなら、自ら悪を行わなければ、苦しみがどうして生じるだろうか』と確信しています。ガーラーマの皆さん、よく学んだ聖なる弟子は、心にわだかまりがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもありません。これを第三の安稳なる住処と言います。 第四に、『たとえ何かを行うとしても、決して悪は行わない。私は世間の恐怖や恐怖なきことにとらわれず、常に一切の世間を慈しみ、私は衆生と争うことなく、心が濁らず、歓喜に満ちている』と確信しています。ガーラーマの皆さん、よく学んだ聖なる弟子は、心にわだかまりがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもありません。これを第四の安稳なる住処と言います。 ガーラーマの皆さん、このように、よく学んだ聖なる弟子は、心にわだかまりがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもありません。これら四つの安稳なる住処を得るのです。」

伽藍白世尊曰：「如是，瞿曇！多聞聖弟子心無結無怨，無恚無諍，得四安隱住處。云何為四？有此世彼世，有善惡業報，我得此正見相應業，受持具足，身壞命終，必至善處，乃至天上。如是，瞿曇！多聞聖弟子心無結無怨，無恚無諍，是謂得第一安隱住處。復次，瞿曇！若無此世彼世，無善惡業報，我於現法中，非以此故為他所毀，但為正智所稱譽，精進人、正見人說其有。如是，瞿曇！多聞聖弟子心無結無怨，無恚無諍，是謂得第二安隱住處。復次，瞿曇！若有所作，必不作惡，我不念惡。所以者何？自不作惡，苦何由生？如是，瞿曇！多聞聖弟子心無結無怨，無恚無諍，是謂得第三安隱住處。復次，瞿曇！若有所作，必不作惡，我不犯世怖與不怖，常當慈愍一切世間，我心不與眾生共諍，無濁歡悅。如是，瞿曇！多聞聖弟子心無結無怨，無恚無諍，是謂得第四安隱住處。如是，瞿曇！多聞聖弟子心無結無怨，無恚無諍，是謂得四安隱住處。瞿曇！我已知，善逝，我已解。世尊！我等盡自歸佛、法及比丘眾，唯願世尊受我等為優婆塞，從今日始，終身自歸，乃至命盡。」

> 伽藍が世尊に申し上げました。「その通りです、ゴータマさま。よく学んだ聖なる弟子は、心にわだかまりがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもなく、四つの安らかな境地を得ます。その四つとは何でしょうか。 第一に、『この世もあの世も存在し、善悪の行いには報いがある。私はこの正しい見解にかなった行いを身に受け、しっかりと守り、この身が壊れ命が終われば、必ず善いところ、天にまで至るだろう』と。このように、ゴータマさま。よく学んだ聖なる弟子は、心にわだかまりがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもなく、これが第一の安らかな境地と呼ばれます。 さらに、ゴータマさま。『もしこの世もあの世もなく、善悪の行いに報いがないとしても、私はそのことによって他人から非難されることはない。むしろ正しい智慧を持つ人々に称賛され、努力する人や正しい見解を持つ人々によって、そのような行いは存在すると言われるだろう』と。このように、ゴータマさま。よく学んだ聖なる弟子は、心にわだかまりがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもなく、これが第二の安らかな境地と呼ばれます。 さらに、ゴータマさま。『もし何かを行うとしても、決して悪を行わない。私は悪を思い浮かべることもない。なぜなら、自ら悪を行わなければ、苦しみがどうして生じるだろうか』と。このように、ゴータマさま。よく学んだ聖なる弟子は、心にわだかまりがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもなく、これが第三の安らかな境地と呼ばれます。 さらに、ゴータマさま。『もし何かを行うとしても、決して悪を行わない。私は世間の恐れあることも恐れのないことも犯さず、常に一切の世間を慈しみ、私の心は他の生き物と争うことなく、濁りがなく、喜びに満ちている』と。このように、ゴータマさま。よく学んだ聖なる弟子は、心にわだかまりがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもなく、これが第四の安らかな境地と呼ばれます。 このように、ゴータマさま。よく学んだ聖なる弟子は、心にわだかまりがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもなく、四つの安らかな境地を得るのです。ゴータマさま、私は知りました。善逝さま、私は理解しました。世尊さま、私たちは皆、仏・法・そして比丘の僧団に帰依いたします。どうか世尊さま、私たちを在家信者としてお受け入れください。今日から始めて、生涯、命が尽きるまで帰依いたします。」

佛說如是。一切伽藍人及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏がこのように説かれました。すべての伽藍の人々や比丘たちは、仏の教えを聞いて、心から喜び、その教えの通りに実践しました。

伽藍經第六竟一千九百八十七字

> 伽藍経第六（終） <note>千九百八十七字</note>