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title: "中阿含經 · 32 未曾有法經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma7j404r01qcjl0aqn7dvvgk"
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### （三二）中阿含未曾有法品未曾有法經第一

> （三二）未曾有法品 未曾有法経 第一

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，尊者阿難則於晡時從燕坐起，往詣佛所，稽首禮足，却住一面，白曰：「世尊！我聞世尊迦葉佛時始願佛道，行梵行，若世尊迦葉佛時始願佛道，行梵行者，我受持是世尊未曾有法。

> その時、尊者アーナンダは午後の静座を終え、立ち上がり、仏陀のもとへと向かいました。仏陀の足下に額をつけて礼拝し、一歩下がって一方に立ち、こう申し上げました。 「世尊よ、私はお聞きしました。世尊は迦葉仏の時代に初めて仏道を志し、清らかな行いを実践されたと。もし世尊が迦葉仏の時代に初めて仏道を志し、清らかな行いを実践されたのであれば、私はこの世尊の比類なきお姿を心に刻み受け止めます。」

「我聞世尊迦葉佛時始願佛道，行梵行，生兜瑟哆天，若世尊迦葉佛時始願佛道，行梵行，生兜瑟哆天者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は聞きました。世尊が迦葉仏の時代に初めて仏道を志し、清らかな行いを実践して、兜率天に生まれたと。もし世尊が迦葉仏の時代に初めて仏道を志し、清らかな行いを実践して、兜率天に生まれたというのであれば、私はこの世尊の未曾有の法を受け持ちます。

「我聞世尊迦葉佛時始願佛道，行梵行，生兜瑟哆天，世尊後生以三事勝於前生兜瑟哆天者，天壽、天色、天譽，以此故，諸兜瑟哆天歡喜踊躍，歎此天子甚奇！甚特！有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神。所以者何？彼後來生以三事勝於前生兜瑟哆天者，天壽、天色、天譽。若世尊迦葉佛時始願佛道，行梵行，生兜瑟哆天，世尊後生以三事勝於前生兜瑟哆天者，天壽、天色、天譽。以此故，諸兜瑟哆天歡喜踊躍，歎此天子甚奇！甚特！有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神。所以者何？彼後來生以三事勝於前生兜瑟哆天者，天壽、天色、天譽者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は世尊が迦葉仏の時代に初めて仏道を志し、清らかな行いを実践され、兜率天に生まれたと聞きました。その後、世尊が再び生まれ変わられた時には、以前の兜率天での生に比べて三つの点で優れておられました。それは天界の寿命、天人の容姿、そして天界での名声です。このため、多くの兜率天の神々は喜び踊り、この天子を称えて言いました。「実に驚くべき方、実に特別な方です。大いなる神通力、大いなる威徳、大いなる福徳、大いなる威神をお持ちです。」なぜなら、後に生まれたこの方が、以前の兜率天での生よりも三つの点で勝っておられるからです。つまり天界の寿命、天人の容姿、天界での名声です。もし世尊が迦葉仏の時代に初めて仏道を志し、清らかな行いを実践され、兜率天に生まれ、その後再び生まれ変わられた時、以前の兜率天での生よりも三つの点で優れておられたならば、すなわち天界の寿命、天人の容姿、そして天界での名声においてです。このような世尊の未曾有の法を、私は確かに受け止め、心に保ちます。

「我聞世尊在兜瑟哆天，於彼命終，知入母胎，是時震動一切天地，以大妙光普照世間，乃至幽隱諸闇冥處無有障蔽，謂此日月有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神，光所不照者，彼盡蒙耀，彼眾生者因此妙光各各生知，有奇特眾生生，有奇特眾生生。若世尊在兜瑟哆天，於彼命終，知入母胎，是時震動一切天地，以大妙光普照世間，乃至幽隱諸闇冥處無有障蔽，謂此日月有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神，光所不照者，彼盡蒙耀，彼眾生者因此妙光各各生知，有奇特眾生生，有奇特眾生生者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は聞きました。世尊が兜率天におられ、その天界での寿命を終え、母の胎内に入ることを知った時、その瞬間、天地のすべてが震動し、大いなる妙なる光が世のあらゆる隅々までを照らし、はては、隠れた暗闇の場所に至るまで、何ものにも遮られることなく行き渡りました。それは、この世の日月が持つような、大いなる如意足（神通力）、大いなる威徳、大いなる福祐、大いなる威神を超えるものでした。日月の光さえ届かないところでさえ、その光によって照らされ、その光に触れたすべての衆生は、それぞれに知るところとなりました。『ああ、並外れた衆生が生まれようとしている。並外れた衆生が生まれようとしている』と。 世尊が兜率天におられ、その天界での寿命を終え、母の胎内に入ることを知った時、その瞬間、天地のすべてが震動し、大いなる妙なる光が世のあらゆる隅々までを照らし、はては、隠れた暗闇の場所に至るまで、何ものにも遮られることなく行き渡りました。それは、この世の日月が持つような、大いなる如意足（神通力）、大いなる威徳、大いなる福祐、大いなる威神を超えるものでした。日月の光さえ届かないところでさえ、その光によって照らされ、その光に触れたすべての衆生は、それぞれに知るところとなりました。『ああ、並外れた衆生が生まれようとしている。並外れた衆生が生まれようとしている』と。私はこの、世尊の未曾有の法を心に受け持ちます。

「我聞世尊知住母胎，依倚右脇，若世尊知住母胎依倚右脇者，我受持是世尊未曾有法。我聞世尊舒體住母胎，若世尊舒體住母胎者，我受持是世尊未曾有法。我聞世尊覆藏住母胎，不為血所污，亦不為精及諸不淨所污，若世尊覆藏住母胎，不為血所污，亦不為精及諸不淨所污者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は聞きました。世尊は母の胎内にいるとき、右脇を下にして横たわっておられたと。もし世尊が母の胎内で右脇を下にして横たわっておられたならば、私はこの世尊の未曾有の法を受け持ちます。 私は聞きました。世尊は母の胎内で身体を伸ばしておられたと。もし世尊が母の胎内で身体を伸ばしておられたならば、私はこの世尊の未曾有の法を受け持ちます。 私は聞きました。世尊は母の胎内で覆われておられ、血によって汚されることもなく、精液やその他の不浄なものによっても汚されることがなかったと。もし世尊が母の胎内で覆われておられ、血によって汚されることもなく、精液やその他の不浄なものによっても汚されることがなかったならば、私はこの世尊の未曾有の法を受け持ちます。

「我聞世尊知出母胎，是時震動一切天地，以大妙光普照世間，乃至幽隱諸闇冥處無有障蔽，謂此日月有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神，光所不照者，彼盡蒙耀，彼眾生者因此妙光各各生知，有奇特眾生生，有奇特眾生生。若世尊知出母胎，是時震動一切天地，以大妙光普照世間，乃至幽隱諸闇冥處無有障蔽，謂此日月有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神，光所不照者，彼盡蒙耀，彼眾生者因此妙光各各生知，有奇特眾生生，有奇特眾生生者，我受持是世尊未曾有法。

> 私はお聞きしました。世尊が母の胎内からお生まれになった時、その瞬間に天地がことごとく震動し、大いなる妙なる光が世間をあまねく照らし、はては幽かに隠れた暗闇の場所さえも、何ものにも遮られることなく、この日月が大いなる如意足、大いなる威徳、大いなる福祐、大いなる威神をもって、光の届かないところまでも、ことごとく輝きに包まれたと。その衆生たちは、この妙なる光によって、それぞれに知るようになりました。『ああ、並外れた衆生が生まれた。並外れた衆生が生まれたのだ』と。もし世尊が母の胎内からお生まれになった時、その瞬間に天地がことごとく震動し、大いなる妙なる光が世間をあまねく照らし、はては幽かに隠れた暗闇の場所さえも、何ものにも遮られることなく、この日月が大いなる如意足、大いなる威徳、大いなる福祐、大いなる威神をもって、光の届かないところまでも、ことごとく輝きに包まれ、その衆生たちがこの妙なる光によって、それぞれに『並外れた衆生が生まれた』と知るようになったのであれば、私はこの世尊の未曾有の法を受持します。

「我聞世尊舒體出母胎，若世尊舒體出母胎者，我受持是世尊未曾有法。我聞世尊覆藏出母胎，不為血所污，亦不為精及諸不淨所污，若世尊覆藏出母胎，不為血所污，亦不為精及諸不淨所污者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は聞きました。世尊が母の胎内からご自身の体を伸ばして出てこられたと。もし世尊が母の胎内からご自身の体を伸ばして出てこられたならば、私はこの世尊の未曾有の法を受け持ちます。 私は聞きました。世尊が覆われた状態で母の胎内から出てこられ、血によっても、精液によっても、その他の不浄なものによっても汚されることがなかったと。もし世尊が覆われた状態で母の胎内から出てこられ、血によっても、精液によっても、その他の不浄なものによっても汚されることがなかったならば、私はこの世尊の未曾有の法を受け持ちます。

「我聞世尊初生之時，有四天子手執極細衣，住於母前，令母歡喜，歎此童子甚奇！甚特！有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神。若世尊初生之時，有四天子手執細衣，住於母前，令母歡喜，歎此童子甚奇！甚特！有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は、世尊がお生まれになった時、四人の天子が極めて細やかな衣を手に取り、母上の前に立ち、母上を喜ばせ、この童子を称えて「実に稀有！実に特異！大いなる如意足（神通力）があり、大いなる威徳があり、大いなる福祐があり、大いなる威神がある」と讃えたと聞きました。もし世尊がお生まれになった時、四人の天子が細やかな衣を手に取り、母上の前に立ち、母上を喜ばせ、この童子を称えて「実に稀有！実に特異！大いなる如意足があり、大いなる威徳があり、大いなる福祐があり、大いなる威神がある」と讃えたということが事実であれば、私はこの世尊の未曾有の法を受け持つものであります。

「我聞世尊初生之時，即行七步，不恐不怖，亦不畏懼，觀察諸方，若世尊初生之時，即行七步，不恐不怖，亦不畏懼，觀察諸方者，我受持是世尊未曾有法。

> 世尊がお生まれになった時、すぐに七歩歩かれ、恐れも怖れもなく、四方を観察されたと聞きました。もし世尊がお生まれになった時、すぐに七歩歩かれ、恐れも怖れもなく、四方を観察されたのであれば、私はこの世尊の未曾有の法を心に受け止めます。

「我聞世尊初生之時，則於母前而生大池，其水滿岸，令母於此得用清淨，若世尊初生之時，則於母前而生大池，其水滿岸，令母於此得用清淨者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は聞きました。世尊がお生まれになったとき、母上の前に大きな池が現れ、その水は岸まで満ちて、母上がそこで清浄に使うことができたと。もし、世尊がお生まれになったときに、母上の前に大きな池が現れ、その水が岸まで満ち、母上がそこで清浄に使うことができたというのであれば、私はこの世尊の未曾有の法を受持します。

「我聞世尊初生之時，上虛空中雨水注下，一冷一暖，灌世尊身，若世尊初生之時，上虛空中雨水注下，一冷一暖，灌世尊身者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は聞く、世尊が生まれ出でられた時、虚空の上より雨水が注ぎ下り、一筋は冷たく、一筋は温かく、世尊の御身に灌がれたと。もし世尊が生まれ出でられた時、虚空の上より雨水が注ぎ下り、一筋は冷たく、一筋は温かく、世尊の御身に灌がれたというならば、私はこの世尊の未曾有の法を受け持ちます。

「我聞世尊初生之時，諸天於上鼓天妓樂，天青蓮華、紅蓮華、赤蓮華、白蓮華、天文陀羅花及細末栴檀香散世尊上。若世尊初生之時，諸天於上鼓天妓樂，天青蓮華、紅蓮華、赤蓮華、白蓮華、天文陀羅華及細末栴檀香散世尊上者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は聞きました。世尊が誕生された時、諸天が天上で天の音楽を奏で、天の青蓮華、紅蓮華、赤蓮華、白蓮華、天の文陀羅華、そして細かく砕いた栴檀香を世尊の上に降り注いだと。もし世尊が誕生された時、諸天が天上で天の音楽を奏で、天の青蓮華、紅蓮華、赤蓮華、白蓮華、天の文陀羅華、そして細かく砕いた栴檀香を世尊の上に降り注いだというならば、私はこの世尊の未曾有の法を受持いたします。

「我聞世尊一時在父白淨王家，晝監田作，坐閻浮樹下，離欲、離惡不善之法，有覺有觀，離生喜樂，得初禪成就遊。爾時中後，一切餘樹影皆轉移，唯閻浮樹其影不移，蔭世尊身，於是釋白淨往觀田作，至作人所，問曰：『作人！童子何處？』作人答曰：『天童子今在閻浮樹下。』於是釋白淨往詣閻浮樹。時，釋白淨日中後，見一切餘樹影皆轉移，唯閻浮樹其影不移，蔭世尊身，便作是念：『今此童子甚奇！甚特！有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神。所以者何？日中之後，一切餘樹影皆轉移，唯閻浮樹其影不移，蔭童子身。』若世尊日中之後，一切餘樹影皆轉移，唯閻浮樹其影不移，蔭世尊身者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は聞きました。世尊がある時、父である白浄王の家にいらっしゃり、昼間に農作業を監督なさり、閻浮樹の下にお座りになりました。その時、世尊は欲望を離れ、悪しき不善の法を離れ、覚りと観察を伴い、離れて生じる喜びと楽しみを得て、初禅を成就し、遊行なさっていました。 その時、日が中天を過ぎた後、他のすべての木の影は移り変わっていましたが、ただ閻浮樹だけはその影が動かず、世尊のお身体を覆っていました。そこで、釈迦族の白浄王は農作業を見に行こうと、作業場へと向かい、働く人々に尋ねました。 「働き人よ、童子はどこにおられるか？」 働く人々は答えました。 「天の童子は今、閻浮樹の下におられます。」 そこで釈迦族の白浄王は閻浮樹のもとへと向かいました。その時、釈迦族の白浄王は日が中天を過ぎた後、他のすべての木の影が移り変わっているのを見ましたが、ただ閻浮樹だけはその影が動かず、世尊のお身体を覆っていました。そして、このように思われました。 「この童子は実に不思議だ。実に特異だ。大いなる如意足（神通力）があり、大いなる威徳があり、大いなる福祐があり、大いなる威神をお持ちである。なぜならば、日が中天を過ぎた後、他のすべての木の影は移り変わるのに、ただ閻浮樹だけはその影が動かず、童子のお身体を覆っているからである。」 もし世尊が日が中天を過ぎた後、他のすべての木の影が移り変わっているのに、ただ閻浮樹だけがその影を動かさず、世尊のお身体を覆っているならば、私はこの世尊の未曾有の法を心に受け持ちます。

「我聞世尊一時遊鞞舍離大林之中。於是，世尊過夜平旦，著衣持鉢，入鞞舍離城而行乞食，乞食已竟，收舉衣鉢，澡洗手足，以尼師檀著於肩上，往入林中，至一哆羅樹下，敷尼師檀，結加趺坐。是時中後，一切餘樹影皆轉移，唯哆羅樹其影不移，蔭世尊身。於是釋摩訶男中後仿佯，往至大林，釋摩訶男日中後，見一切餘樹影皆轉移，唯哆羅樹其影不移，蔭世尊身，便作是念：『沙門瞿曇甚奇！甚特！有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神。所以者何？日中之後，一切餘樹影皆轉移，唯哆羅樹其影不移，蔭沙門瞿曇身。』若世尊日中之後，一切餘樹影皆轉移，唯哆羅樹其影不移，蔭世尊身者，我受持是世尊未曾有法。

> 私はこのように聞きました。ある時、世尊はヴァイシャーリーの大林の中におられました。その時、世尊は夜が明けると、衣をまとって鉢を持ち、ヴァイシャーリーの町に入って托鉢をされました。托鉢を終えられると、衣と鉢を整え、手足を洗い清め、坐具を肩にかけて林の中へと向かわれました。一本のタラ樹の下に至り、坐具を敷いて結跏趺坐されました。 その時、昼過ぎになると、他のすべての木々の影は移り変わっていきましたが、ただタラ樹だけはその影が動かず、世尊の身体を覆っていました。すると、釈迦族のマハーナーマが昼過ぎに散策しながら大林にやって来ました。マハーナーマは昼過ぎに、他のすべての木々の影が移り変わっているのに、ただタラ樹だけがその影を動かさず、沙門ゴータマの身体を覆っているのを見て、こう思いました。 「沙門ゴータマは実に驚くべき方だ。実に特別な方だ。大いなる神通力を持ち、大いなる威徳を持ち、大いなる福徳を持ち、大いなる威神をお持ちだ。なぜなら、昼過ぎになっても、他のすべての木々の影は移り変わるのに、ただタラ樹だけがその影を動かさず、沙門ゴータマの身体を覆っているからだ。」 もし世尊が昼過ぎになっても、他のすべての木々の影が移り変わる中、ただタラ樹だけがその影を動かさず、世尊の身体を覆っているなら、私はこの世尊の未曾有の法を受持いたします。

「我聞世尊一時遊鞞舍離大林之中，爾時，諸比丘置鉢露地。時，世尊鉢亦在其中，有一獼猴持佛鉢去，諸比丘訶：『恐破佛鉢。』佛告諸比丘：『止！止！莫訶！不破鉢也。』時，彼獼猴持佛鉢去，至一娑羅樹，徐徐上樹，於娑羅樹上取蜜滿鉢，徐徐下樹，還詣佛所，即以蜜鉢奉上世尊，世尊不受。時，彼獼猴却在一面，取𣚰去蟲，既去蟲已，還持上佛，佛復不受。獼猴復却在於一面，取水著蜜中，持還上佛，世尊便受。獼猴見佛取蜜鉢已，歡喜踊躍，却行弄舞，迴旋而去。若世尊令彼獼猴見世尊取蜜鉢已，歡喜踊躍，却行弄舞，迴旋去者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は聞きました。ある時、世尊がヴァイシャーリーの大林に滞在しておられた時のことです。その時、比丘たちは鉢を地面に置いていました。世尊の鉢もその中にありました。すると、一匹の猿が仏様の鉢を持って行きました。比丘たちが「仏様の鉢が壊れてしまうのではないか」と咎めようとすると、仏様は比丘たちにおっしゃいました。「やめなさい、やめなさい。咎めてはならない。鉢は壊れないから。」 その猿は仏様の鉢を持って行き、一本の沙羅双樹のところへ行きました。ゆっくりと木に登り、沙羅双樹の上で蜜を鉢いっぱいに取り、ゆっくりと木から降りて、再び仏様のもとへ戻りました。そして、蜜の入った鉢を世尊に差し出しましたが、世尊はお受け取りになりませんでした。 そこで、その猿は少し離れたところで、蜜の中の虫を取り除きました。虫を取り除いた後、再び仏様に差し出しましたが、仏様はやはりお受け取りになりませんでした。 猿は再び少し離れたところで、蜜に水を加え、それを持って仏様に差し出しました。すると、世尊はお受け取りになりました。 猿は、仏様が蜜の入った鉢を受け取られたのを見て、歓喜し踊り、後ずさりしながら舞い、くるりと回って去って行きました。 もし、世尊がその猿に、世尊が蜜鉢を受け取られたのを見せ、歓喜し踊り、後ずさりしながら舞い、くるりと回って去らせたのであれば、私はこの世尊の未曾有の法を受持します。

「我聞世尊一時遊鞞舍離獼猴水邊高樓臺觀，爾時，世尊曝曬坐具，抖擻拂拭。是時，大非時雲來，普覆虛空，欲雨而住，須待世尊。世尊曝曬坐具，抖擻拂拭，舉著一處已，攝持掃󰆠住屋基上。於是大雲已見世尊收舉坐具，便下大雨，於卑、高地滂霈平滿。若世尊令彼大雲已見世尊收舉坐具，便下大雨，於卑、高地滂霈滿者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は、世尊がある時、ヴァイシャーリーの猿の水辺にある高台の楼閣に滞在されていたと聞きました。その時、世尊は坐具を干し、ほこりを払い、きれいにされていました。すると、大きな季節外れの雲が現れ、虚空を覆い、雨を降らせようとしながらも、世尊を待って留まっていました。世尊は坐具を干し、ほこりを払い、きれいにした後、一か所にまとめて置き、掃き清めた住居の基壇の上に収められました。すると、その大雲は世尊が坐具を片付けられたのを見て、大雨を降らせ、低地も高地も一面に水があふれました。もし世尊が、その大雲に坐具を片付けられたのを見させて大雨を降らせ、低地も高地も一面に水を満たさせたのであれば、私はこの世尊の未曾有の法を受け取ります。

「我聞世尊一時遊跋耆中，在溫泉林娑羅樹王下坐。爾時中後，一切餘樹影皆轉移，唯娑羅樹王其影不移，蔭世尊身。於是羅摩園主行視園時，日中後，見一切餘樹影皆轉移，唯娑羅樹王其影不移，蔭世尊身，便作是念：『沙門瞿曇甚奇！甚特！有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神。所以者何？日中之後，一切餘樹影皆轉移，唯娑羅樹王其影不移，蔭沙門瞿曇身。』若世尊日中之後，一切餘樹影皆轉移，唯娑羅樹王其影不移，蔭世尊身者，我受持是世尊未曾有法。

> 私はこのように聞きました。ある時、世尊は跋耆国を遊行され、温泉林の沙羅双樹の王の下に坐しておられました。その時、昼過ぎになって、他のすべての木の影は移り変わったのに、ただ沙羅双樹の王だけはその影が動かず、世尊のお身体を覆っていました。さて、羅摩園の園主が園内を見回りに来た時、昼過ぎになって、他のすべての木の影は移り変わったのに、ただ沙羅双樹の王だけはその影が動かず、沙門瞿曇（釈尊）のお身体を覆っているのを見て、このように思いました。「沙門瞿曇は実に不思議だ。実に特異だ。大いなる如意足（神通力）があり、大いなる威徳があり、大いなる福祐があり、大いなる威神がある。なぜならば、昼過ぎになって、他のすべての木の影は移り変わったのに、ただ沙羅双樹の王だけはその影が動かず、沙門瞿曇のお身体を覆っているからだ。」もし世尊が昼過ぎになって、他のすべての木の影は移り変わったのに、ただ沙羅双樹の王だけはその影が動かず、世尊のお身体を覆っているならば、私はこの世尊の未曾有の法を心に受け持つこととします。

「我聞世尊一時在阿浮神室中。爾時，世尊過夜平旦，著衣持鉢，入阿浮村而行乞食，乞食已竟，收舉衣鉢，澡洗手足，以尼師檀著於肩上，入神室燕坐。爾時，天大雷雨雹，殺四牛、耕者二人，彼送葬時，大眾喧閙，其聲高大，音響震動。於是，世尊則於晡時燕坐而起，從神室出，露地經行。時，彼大眾中，有一人見世尊則於晡時燕坐而起，從神室出，露地經行，即往詣佛，稽首作禮，隨佛經行。佛見在後，問彼人曰：『以何等故，大眾喧鬧，其聲高大，音響震動耶？』彼人白曰：『世尊！今日天大雷雨雹，殺四牛、耕者二人，彼送葬時，大眾喧閙，其聲高大，音響震動。世尊！向者不聞聲耶？』世尊答曰：『我不聞聲。』復問：『世尊！向為眠耶？』答曰：『不也。』復問：『世尊！時寤不聞此大聲耶？』答曰：『如是。』爾時，彼人便作是念：『甚奇！甚特！極息至寂，如來、無所著、等正覺之所行。所以者何？寤而不聞此大音聲。』若世尊寤而不聞此大音聲者，我受持是世尊未曾有法。

> 私はこのように聞きました。 ある時、世尊は阿浮神室におられました。 その時、世尊は夜明けを過ごし、朝になると衣をまとって鉢を持ち、阿浮村に入って托鉢をされました。 托鉢を終えると、衣と鉢を整え、手足を洗い、坐具を肩にかけて神室に入り、静かに坐られました。 その時、天は激しい雷雨と雹を降らせ、四頭の牛と二人の農夫を死なせました。 彼らを葬る時、大勢の群衆が騒ぎ立て、その声は大きく、音響が響き渡りました。 そこで、世尊は午後に坐を解き、神室から出て、屋外の地面を歩き始められました。 その時、群衆の中の一人が、世尊が午後に坐を解き、神室から出て屋外を歩いておられるのを見て、すぐに仏のもとへ行き、礼拝してから仏と共に歩き始めました。 仏は後ろにいる彼を見て、尋ねられました。 「なぜ、大勢の群衆が騒ぎ立て、その声が大きく、音響が響き渡っているのか？」 彼は答えました。 「世尊よ、今日、天は激しい雷雨と雹を降らせ、四頭の牛と二人の農夫を死なせました。 彼らを葬る時、大勢の群衆が騒ぎ立て、その声は大きく、音響が響き渡ったのです。 世尊よ、さきほどその声をお聞きにならなかったのですか？」 世尊は答えられました。 「私はその声を聞かなかった。」 彼はまた尋ねました。 「世尊よ、さきほど眠っておられたのですか？」 答えられました。 「いや、そうではない。」 また尋ねました。 「世尊よ、目覚めておられながら、この大きな声をお聞きにならなかったのですか？」 答えられました。 「その通りである。」 その時、彼はこのように思いました。 「なんと不思議なことか！なんと驚くべきことか！ 極めて静かで、至って寂しい境地に、如来・無所著・等正覚は行じておられるのだ。 なぜならば、目覚めておられながらこの大きな音声を聞かれなかったからである。」 もし世尊が目覚めておられながらこの大きな音声を聞かれなかったならば、私はこの世尊の未曾有の法を受持しよう。

「我聞世尊一時在鬱鞞羅尼連然河邊，阿闍惒羅尼拘類樹下初得佛道。爾時大雨，至于七日，高下悉滿，潢澇橫流，世尊於中露地經行，其處塵起。若世尊潢澇橫流，世尊於中露地經行，其處塵起者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は聞いた。世尊がある時、鬱鞞羅尼連然河のほとり、阿闍惒羅尼拘類樹の下で初めて仏道を得られたと。その時、大雨が七日間降り続き、高低を問わず水が満ち、濁流が横溢した。世尊はその中で露地を経行され、その場所には塵が立ち上った。もし世尊が濁流の横溢する中で露地を経行され、その場所に塵が立ち上ったならば、私はこの世尊の未曾有の法を受持します。

「我聞魔王六年逐佛，求其長短，不能得便，厭已而還。若世尊魔王六年隨逐世尊，求其長短，不能得便，厭已而還者，我受持是世尊未曾有法。

> 私は、魔王が六年間、仏陀を追い回し、その欠点や隙を探し求めたが、ついにそれを見つけることができず、嫌気がさして引き下がったと聞きました。もし世尊が、魔王が六年間世尊を追い回し、その欠点や隙を探し求めたが、ついにそれを見つけることができず、嫌気がさして引き下がったということをおっしゃるなら、私はこの世尊の未曾有の法を信じ受け入れます。

「我聞世尊七年念身，常念不斷。若世尊七年念身，常念不斷者，我受持是世尊未曾有法。」

> 私は世尊が七年にわたり身を念じ、常に念いを絶やさなかったと聞きました。もし世尊が七年にわたり身を念じ、常に念いを絶やさなかったのであれば、私はこの世尊の未曾有の法を受持します。

於是，世尊告曰：「阿難！汝從如來更受持此未曾有法。阿難！如來知覺生，知住、知滅，常知，無不知時。阿難！如來知思想生，知住、知滅，常知，無不知時。是故，阿難！汝從如來更受持此未曾有法。」

> そこで、世尊はこうおっしゃいました。「アーナンダよ、そなたは如来からさらにこの未曾有の法を受け持ちなさい。アーナンダよ、如来は知覚の生じることを知り、その存続を知り、その滅することを知る。常に知っており、知らない時はない。アーナンダよ、如来は想念の生じることを知り、その存続を知り、その滅することを知る。常に知っており、知らない時はない。それゆえ、アーナンダよ、そなたは如来からさらにこの未曾有の法を受け持ちなさい。」

佛說如是。尊者阿難及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。尊者アーナンダと諸々の比丘たちは、仏の説かれたことを聞き、歓喜してこれを行いました。

未曾有法經第一竟二千九百十七字

> 未曾有法経 第一巻 終わり<note>二千九百十七字</note>