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title: "中阿含經 · 51 本際經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （五一）中阿含習相應品本際經第十初一日誦

> （五一）中阿含 習相応品 本際経 第十 <note>初一日誦</note>

我聞如是：

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

爾時，世尊告諸比丘：「有愛者，其本際不可知，本無有愛，然今生有愛，便可得知，所因有愛。有愛者，則有習，非無習。何謂有愛習？答曰無明為習。無明亦有習，非無習。何謂無明習？答曰五葢為習。五葢亦有習，非無習。何謂五葢習？答曰三惡行為習。三惡行亦有習，非無習。何謂三惡行習？答曰不護諸根為習。不護諸根亦有習，非無習。何謂不護諸根習？答曰不正念、不正智為習。不正念、不正智亦有習，非無習。何謂不正念、不正智習？答曰不正思惟為習。不正思惟亦有習，非無習。何謂不正思惟習？答曰不信為習。不信亦有習，非無習。何謂不信習？答曰聞惡法為習。聞惡法亦有習，非無習。何謂聞惡法習？答曰親近惡知識為習。親近惡知識亦有習，非無習。何謂親近惡知識習？答曰惡人為習。」

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。 「執着（愛）には、その始まりを知ることはできません。本来、執着はなかったのですが、今、執着が生じていることから、執着が何に基づいて生じるかを知ることができます。 執着には原因（習）があり、原因なしに生じるのではありません。では、執着の原因とは何でしょうか。説き明かそう。無明（むみょう）が原因です。 無明にも原因があり、原因なしに生じるのではありません。では、無明の原因とは何でしょうか。五蓋（ごがい）が原因です。 五蓋にも原因があり、原因なしに生じるのではありません。では、五蓋の原因とは何でしょうか。三悪行（さんあくぎょう）が原因です。 三悪行にも原因があり、原因なしに生じるのではありません。では、三悪行の原因とは何でしょうか。諸根を護らないこと（不護諸根）が原因です。 諸根を護らないことにも原因があり、原因なしに生じるのではありません。では、諸根を護らないことの原因とは何でしょうか。正しい念（おもい）と正しい智慧がないこと（不正念・不正智）が原因です。 正しい念と正しい智慧がないことにも原因があり、原因なしに生じるのではありません。では、それらの原因とは何でしょうか。正しくない思考（不正思惟）が原因です。 正しくない思考にも原因があり、原因なしに生じるのではありません。では、正しくない思考の原因とは何でしょうか。信（信心）がないこと（不信）が原因です。 信がないことにも原因があり、原因なしに生じるのではありません。では、信がないことの原因とは何でしょうか。悪い教えを聞くこと（聞悪法）が原因です。 悪い教えを聞くことにも原因があり、原因なしに生じるのではありません。では、悪い教えを聞くことの原因とは何でしょうか。悪い友や師に親しむこと（親近悪知識）が原因です。 悪い友や師に親しむことにも原因があり、原因なしに生じるのではありません。では、その原因とは何でしょうか。悪い人そのもの（悪人）が原因です。」

「是為具惡人已，便具親近惡知識。具親近惡知識已，便具聞惡法。具聞惡法已，便具生不信。具生不信已，便具不正思惟。具不正思惟已，便具不正念、不正智。具不正念、不正智已，便具不護諸根。具不護諸根已，便具三惡行。具三惡行已，便具五葢。具五葢已，便具無明。具無明已，便具有愛。如是此有愛展轉具成。

> 悪い人になるということは、悪い知識（悪友）に近づくことになる。 悪い知識に近づくと、悪い教えを聞くようになる。 悪い教えを聞くと、不信の心が生まれる。 不信の心が生まれると、正しくない考え方をするようになる。 正しくない考え方をすると、正しくない気づきと智慧が生じる。 正しくない気づきと智慧があると、感覚の根を守らなくなる。 感覚の根を守らないと、三つの悪い行い（身・口・意の悪業）を行うようになる。 三つの悪い行いをすると、五つの障り（五蓋）が現れる。 五つの障りがあると、無明（無知）が生じる。 無明があると、執着（愛）が生じる。 このようにして、執着が次々と積み重なっていくのである。

「明、解脫亦有習，非無習。何謂明、解脫習？答曰七覺支為習。七覺支亦有習，非無習。何謂七覺支習？答曰四念處為習。四念處亦有習，非無習。何謂四念處習？答曰三妙行為習。三妙行亦有習，非無習。何謂三妙行習？答曰護諸根為習。護諸根亦有習，非無習。何謂護諸根習？答曰正念、正智為習。正念、正智亦有習，非無習。何謂正念、正智習？答曰正思惟為習。正思惟亦有習，非無習。何謂正思惟習？答曰信為習。信亦有習，非無習。何謂信習？答曰聞善法為習。聞善法亦有習，非無習。何謂聞善法習？答曰親近善知識為習。親近善知識亦有習，非無習。何謂親近善知識習？答曰善人為習。

> 智慧と解脱にもまた、それを育てる土台があります。何もなしに生まれるわけではありません。では、智慧と解脱の土台とは何でしょうか？それは「七覚支（七つの目覚めの要素）」です。 この七覚支にもまた、土台があります。では、七覚支の土台とは？答えは「四念処（四つの心の落ち着け所）」です。 四念処にも土台があります。その土台とは「三妙行（三つの善い行い）」です。 三妙行にも土台があります。それは「諸根を守ること（感覚の門を守る）」です。 諸根を守ることにも土台があります。それは「正念（正しい気づき）と正智（正しい智慧）」です。 正念と正智にも土台があります。その土台とは「正思惟（正しい考え方）」です。 正思惟にも土台があります。それは「信（信仰・確信）」です。 信にも土台があります。その土台とは「善い教えを聞くこと」です。 善い教えを聞くことにも土台があります。それは「善い知友に親しく近づくこと」です。 善い知友に親しく近づくことにも土台があります。その土台とは「善い人（善知識）そのものの存在」です。

「是為具善人已，便具親近善知識。具親近善知識已，便具聞善法。具聞善法已，便具生信。具生信已，便具正思惟。具正思惟已，便具正念、正智。具正念、正智已，便具護諸根。具護諸根已，便具三妙行。具三妙行已，便具四念處。具四念處已，便具七覺支。具七覺支已，便具明、解脫，如是此明、解脫展轉具成。」

> 善き人であるならば、善知識（良い師や友人）に親しむようになる。 善知識に親しむならば、善い教えを聞くようになる。 善い教えを聞くならば、信心が生まれる。 信心が生まれるならば、正しく考えるようになる。 正しく考えるならば、正しい記憶と正しい智慧が備わる。 正しい記憶と正しい智慧が備わるならば、諸々の感覚を守るようになる。 諸々の感覚を守るならば、三つの善い行い（身・口・意の清らかな行い）が備わる。 三つの善い行いが備わるならば、四つの心の観察（四念処）が備わる。 四つの心の観察が備わるならば、七つの悟りの要素（七覚支）が備わる。 七つの悟りの要素が備わるならば、智慧と解脱が備わる。 このように、智慧と解脱は、段階を踏んで、徐々に完全に備わっていくのである。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

本際經第十竟七百五十四字

> 『本際経』第十、ここに終わる（七五十四字）。