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title: "中阿含經 · 52 食經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （五二）中阿含習相應品食經第十一初一日誦

> （五二）中阿含習相応品食経第十一<note>初一日誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

爾時，世尊告諸比丘：「有愛者，其本際不可知，本無有愛，然今生有愛，便可得知，所因有愛。有愛者，則有食，非無食。何謂有愛食？答曰無明為食。無明亦有食，非無食。何謂無明食？答曰五蓋為食。五蓋亦有食，非無食。何謂五蓋食？答曰三惡行為食。三惡行亦有食，非無食。何謂三惡行食？答曰不護諸根為食。不護諸根亦有食，非無食。何謂不護諸根食？答曰不正念、不正智為食。不正念、不正智亦有食，非無食。何謂不正念、不正智食？答曰不正思惟為食。不正思惟亦有食，非無食。何謂不正思惟食？答曰不信為食。不信亦有食，非無食。何謂不信食？答曰聞惡法為食。聞惡法亦有食，非無食。何謂聞惡法食？答曰親近惡知識為食。親近惡知識亦有食，非無食。何謂親近惡知識食？答曰惡人為食。

> 時に、世尊は比丘たちに告げられました。「執着（愛）には、その始まりをたどることができません。もともと執着はなかったのですが、今こうして執着が生じているのは、それを支える原因があるからだと知るべきです。執着には、それを支える糧（食）があります。糧なしでは成り立ちません。では、執着の糧とは何か。答えよう、無明（むみょう）が糧である。無明にも糧があります。では、無明の糧とは何か。答えよう、五蓋（ごがい）が糧である。五蓋にも糧があります。では、五蓋の糧とは何か。答えよう、三悪行（さんあくぎょう）が糧である。三悪行にも糧があります。では、三悪行の糧とは何か。答えよう、諸根を守らないこと（不護諸根）が糧である。諸根を守らないことにも糧があります。では、諸根を守らないことの糧とは何か。答えよう、正しい念（ねん）と正しい智（ち）がないこと（不正念・不正智）が糧である。不正念・不正智にも糧があります。では、不正念・不正智の糧とは何か。答えよう、正しくない思考（不正思惟）が糧である。正しくない思考にも糧があります。では、正しくない思考の糧とは何か。答えよう、信念がないこと（不信）が糧である。信念がないことにも糧があります。では、信念がないことの糧とは何か。答えよう、悪い教えを聞くこと（聞悪法）が糧である。悪い教えを聞くことにも糧があります。では、悪い教えを聞くことの糧とは何か。答えよう、悪い友人と親しむこと（親近悪知識）が糧である。悪い友人と親しむことにも糧があります。では、悪い友人と親しむことの糧とは何か。答えよう、悪人そのものが糧である。」

「是為具惡人已，便具親近惡知識。具親近惡知識已，便具聞惡法。具聞惡法已，便具生不信。具生不信已，便具不正思惟。具不正思惟已，便具不正念、不正智。具不正念、不正智已，便具不護諸根。具不護諸根已，便具三惡行。具三惡行已，便具五葢。具五葢已，便具無明。具無明已，便具有愛。如是此有愛展轉具成。

> 悪い人になるということは、悪い知識（悪友）に近づくことになる。 悪い知識に近づくと、悪い教えを聞くようになる。 悪い教えを聞くと、不信の心が生まれる。 不信の心が生まれると、正しくない考え方をするようになる。 正しくない考え方をすると、正しくない気づきと智慧が生じる。 正しくない気づきと智慧があると、感覚の根を守らなくなる。 感覚の根を守らないと、三つの悪い行い（身・口・意の悪業）を行うようになる。 三つの悪い行いをすると、五つの障り（五蓋）が現れる。 五つの障りがあると、無明（無知）が生じる。 無明があると、執着（愛）が生じる。 このようにして、執着が次々と積み重なっていくのである。

「大海亦有食，非無食。何謂大海食？答曰大河為食。大河亦有食，非無食。何謂大河食？答曰小河為食。小河亦有食，非無食。何謂小河食？答曰大川為食。大川亦有食，非無食。何謂大川食？答曰小川為食。小川亦有食，非無食。何謂小川食？答曰山巖溪㵎、平澤為食。山巖溪㵎、平澤亦有食，非無食。何謂山巖溪㵎、平澤食？答曰雨為食。有時大雨，大雨已，則山巖溪㵎、平澤水滿。山巖溪㵎、平澤水滿已，則小川滿。小川滿已，則大川滿。大川滿已，則小河滿。小河滿已，則大河滿。大河滿已，則大海滿。如是彼大海展轉成滿。

> 大海にもまた、それを満たすものがあります。何もなくて満ちるのではありません。では、大海を満たすものは何か？それは大河です。大河にもまた、それを満たすものがあります。何もなくて満ちるのではありません。では、大河を満たすものは何か？それは小河です。小河にもまた、それを満たすものがあります。何もなくて満ちるのではありません。では、小河を満たすものは何か？それは大川です。大川にもまた、それを満たすものがあります。何もなくて満ちるのではありません。では、大川を満たすものは何か？それは小川です。小川にもまた、それを満たすものがあります。何もなくて満ちるのではありません。では、小川を満たすものは何か？それは山あいの渓流や、平らな沢です。山あいの渓流や平らな沢にもまた、それを満たすものがあります。何もなくて満ちるのではありません。では、それらを満たすものは何か？それは雨です。大雨が降ると、山あいの渓流や平らな沢は水で満たされます。それらが満たされると、小川が満ちます。小川が満ちると、大川が満ちます。大川が満ちると、小河が満ちます。小河が満ちると、大河が満ちます。大河が満ちると、大海が満ちます。このようにして、大海は順を追って満たされていくのです。

「如是有愛亦有食，非無食。何謂有愛食？答曰無明為食。無明亦有食，非無食。何謂無明食？答曰五蓋為食。五蓋亦有食，非無食。何謂五蓋食？答曰三惡行為食。三惡行亦有食，非無食。何謂三惡行食？答曰不護諸根為食。不護諸根亦有食，非無食。何謂不護諸根食？答曰不正念、不正智為食。不正念、不正智亦有食，非無食。何謂不正念、不正智食？答曰不正思惟為食。不正思惟亦有食，非無食。何謂不正思惟食？答曰不信為食。不信亦有食，非無食。何謂不信食？答曰聞惡法為食。聞惡法亦有食，非無食。何謂聞惡法食？答曰親近惡知識為食。親近惡知識亦有食，非無食。何謂親近惡知識食？答曰惡人為食。

> このように、「有愛」（存在への執着）にも食べ物（原因・条件）があり、食べ物なしでは成り立ちません。では、有愛の食べ物とは何か？答え：無明（無知）が食べ物です。 無明にも食べ物があり、食べ物なしでは成り立ちません。では、無明の食べ物とは何か？答え：五蓋（五つの妨げ）が食べ物です。 五蓋にも食べ物があり、食べ物なしでは成り立ちません。では、五蓋の食べ物とは何か？答え：三悪行（三つの悪い行為）が食べ物です。 三悪行にも食べ物があり、食べ物なしでは成り立ちません。では、三悪行の食べ物とは何か？答え：諸根を護らないこと（感覚の統制を怠ること）が食べ物です。 諸根を護らないことにも食べ物があり、食べ物なしでは成り立ちません。では、諸根を護らないことの食べ物とは何か？答え：正しい念（気づき）と正しい知恵が無いことが食べ物です。 正しい念と正しい知恵が無いことにも食べ物があり、食べ物なしでは成り立ちません。では、正しい念と正しい知恵が無いことの食べ物とは何か？答え：正しくない思考（誤った考え方）が食べ物です。 正しくない思考にも食べ物があり、食べ物なしでは成り立ちません。では、正しくない思考の食べ物とは何か？答え：信（信念）が無いことが食べ物です。 信が無いことにも食べ物があり、食べ物なしでは成り立ちません。では、信が無いことの食べ物とは何か？答え：悪い教え（不善な法）を聞くことが食べ物です。 悪い教えを聞くことにも食べ物があり、食べ物なしでは成り立ちません。では、悪い教えを聞くことの食べ物とは何か？答え：悪い知識人（不善な友）に親しむことが食べ物です。 悪い知識人に親しむことにも食べ物があり、食べ物なしでは成り立ちません。では、悪い知識人に親しむことの食べ物とは何か？答え：悪い人々（不善な人）との交わりが食べ物です。

「是為具惡人已，便具親近惡知識。具親近惡知識已，便具聞惡法。具聞惡法已，便具生不信。具生不信已，便具不正思惟。具不正思惟已，便具不正念、不正智。具不正念、不正智已，便具不護諸根。具不護諸根已，便具三惡行。具三惡行已，便具五蓋。具五蓋已，便具無明。具無明已，便具有愛。如是此有愛展轉具成。

> 悪しき人であるならば、悪しき友と親しむことになります。 悪しき友と親しむならば、悪しき教えを聞くことになります。 悪しき教えを聞くならば、信仰心が生まれなくなります。 信仰心が生まれなければ、正しくない考え方をするようになります。 正しくない考え方をするならば、正しくない気づきと智慧を持つようになります。 正しくない気づきと智慧を持つならば、五感などの感覚を守らなくなります。 感覚を守らなければ、三つの悪い行い（身体・言葉・心による悪行）をします。 三つの悪行をするならば、五つの心の覆い（五蓋）がある状態になります。 五つの覆いがあるならば、無知（無明）がある状態になります。 無知があるならば、執着（渇愛）がある状態になります。 このようにして、執着が互いに影響し合いながら順に生じてくるのです。

「明、解脫亦有食，非無食。何謂明、解脫食？答曰七覺支為食。七覺支亦有食，非無食。何謂七覺支食？答曰四念處為食。四念處亦有食，非無食。何謂四念處食？答曰三妙行為食。三妙行亦有食，非無食。何謂三妙行食？答曰護諸根為食。護諸根亦有食，非無食。何謂護諸根食？答曰正念、正智為食。正念、正智亦有食，非無食。何謂正念、正智食？答曰正思惟為食。正思惟亦有食，非無食。何謂正思惟食？答曰信為食。信亦有食，非無食。何謂信食？答曰聞善法為食。聞善法亦有食，非無食。何謂聞善法食？答曰親近善知識為食。親近善知識亦有食，非無食。何謂親近善知識食？答曰善人為食。

> さとり（明）や解脱にも、それを支える糧（食事）があります。決して糧なしに成り立つものではありません。では、そのさとりと解脱を支える糧とは何でしょうか。答えは「七覚支（七つの目覚めの要素）」です。 七覚支にも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「四念処（四つの気づきの対象）」です。 四念処にも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「三妙行（三つの善い行い）」です。 三妙行にも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「諸根を守ること（感覚の門を護ること）」です。 諸根を守ることにも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「正念（正しい気づき）と正智（正しい智慧）」です。 正念と正智にも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「正思惟（正しい考え方）」です。 正思惟にも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「信（信じる心）」です。 信にも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「善い教えを聞くこと（聞法）」です。 善い教えを聞くことにも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「善き友に親しく近づくこと（善知識に親近すること）」です。 善き友に親しく近づくことにも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「善い人（善人そのもの）」です。

「是為具善人已，便具親近善知識。具親近善知識已，便具聞善法。具聞善法已，便具生信。具生信已，便具正思惟。具正思惟已，便具正念、正智。具正念、正智已，便具護諸根。具護諸根已，便具三妙行。具三妙行已，便具四念處。具四念處已，便具七覺支。具七覺支已，便具明、解脫。如是此明、解脫展轉具成。

> 善き人となることで、善知識に親しむことができる。 善知識に親しむことで、善い教えを聞くことができる。 善い教えを聞くことで、確かな信心が生まれる。 確かな信心が生まれることで、正しい思考ができるようになる。 正しい思考ができることで、正しい気づきと正しい智慧が身につく。 正しい気づきと正しい智慧があれば、感覚を守ることができる。 感覚を守ることで、三つの善い行いができるようになる。 三つの善い行いができることで、四つの気づきの場が実践できる。 四つの気づきの場が実践できることで、七つの目覚めの要素が育まれる。 七つの目覚めの要素が育まれることで、真の智慧と解脱が達成される。 このようにして、智慧と解脱は段階を経て完成されていくのである。

「大海亦有食，非無食。何謂大海食？答曰大河為食。大河亦有食，非無食。何謂大河食？答曰小河為食。小河亦有食，非無食。何謂小河食？答曰大川為食。大川亦有食，非無食。何謂大川食？答曰小川為食。小川亦有食，非無食。何謂小川食？答曰山巖溪㵎、平澤為食。山巖溪㵎、平澤亦有食，非無食。何謂山巖溪㵎、平澤食？答曰雨為食。有時大雨，大雨已，則山巖溪㵎、平澤水滿。山巖溪㵎、平澤水滿已，則小川滿。小川滿已，則大川滿。大川滿已，則小河滿。小河滿已，則大河滿。大河滿已，則大海滿。如是彼大海展轉成滿。

> 大海にもまた、それを満たすものがあります。何もなくて満ちるのではありません。では、大海を満たすものは何か？それは大河です。大河にもまた、それを満たすものがあります。何もなくて満ちるのではありません。では、大河を満たすものは何か？それは小河です。小河にもまた、それを満たすものがあります。何もなくて満ちるのではありません。では、小河を満たすものは何か？それは大川です。大川にもまた、それを満たすものがあります。何もなくて満ちるのではありません。では、大川を満たすものは何か？それは小川です。小川にもまた、それを満たすものがあります。何もなくて満ちるのではありません。では、小川を満たすものは何か？それは山あいの渓流や、平らな沢です。山あいの渓流や平らな沢にもまた、それを満たすものがあります。何もなくて満ちるのではありません。では、それらを満たすものは何か？それは雨です。大雨が降ると、山あいの渓流や平らな沢は水で満たされます。それらが満たされると、小川が満ちます。小川が満ちると、大川が満ちます。大川が満ちると、小河が満ちます。小河が満ちると、大河が満ちます。大河が満ちると、大海が満ちます。このようにして、大海は順を追って満たされていくのです。

「如是明、解脫亦有食，非無食。何謂明、解脫食？答曰七覺支為食。七覺支亦有食，非無食。何謂七覺支食？答曰四念處為食。四念處亦有食，非無食。何謂四念處食？答曰三妙行為食。三妙行亦有食，非無食。何謂三妙行食？答曰護諸根為食。護諸根亦有食，非無食。何謂護諸根食？答曰正念、正智為食。正念、正智亦有食，非無食。何謂正念、正智食？答曰正思惟為食。正思惟亦有食，非無食。何謂正思惟食？答曰信為食。信亦有食，非無食。何謂信食？答曰聞善法為食。聞善法亦有食，非無食。何謂聞善法食？答曰親近善知識為食。親近善知識亦有食，非無食。何謂親近善知識食？答曰善人為食。

> このように、悟りにも解脱にも、それを支える糧（食）があり、無いわけではない。では、悟りと解脱の糧とは何か？答えよう。七覚支がその糧である。 では、七覚支にも糧があり、無いわけではない。七覚支の糧とは何か？答えよう。四念処がその糧である。 では、四念処にも糧があり、無いわけではない。四念処の糧とは何か？答えよう。三つの善い行い（三妙行）がその糧である。 では、三つの善い行いにも糧があり、無いわけではない。三つの善い行いの糧とは何か？答えよう。諸々の感覚の門を守ること（護諸根）がその糧である。 では、感覚の門を守ることにも糧があり、無いわけではない。その糧とは何か？答えよう。正しい気づき（正念）と正しい智慧（正智）がその糧である。 正しい気づきと正しい智慧にも糧があり、無いわけではない。その糧とは何か？答えよう。正しい思考（正思惟）がその糧である。 正しい思考にも糧があり、無いわけではない。その糧とは何か？答えよう。信（信仰・確信）がその糧である。 信にも糧があり、無いわけではない。その糧とは何か？答えよう。善い教えを聞くこと（聞善法）がその糧である。 善い教えを聞くことにも糧があり、無いわけではない。その糧とは何か？答えよう。善い知識（善知識）に親しく近づくこと（親近善知識）がその糧である。 善い知識に親しく近づくことにも糧があり、無いわけではない。その糧とは何か？答えよう。善い人々（善人）との交わりがその糧である。

「是為具善人已，便具親近善知識。具親近善知識已，便具聞善法。具聞善法已，便具生信。具生信已，便具正思惟。具正思惟已，便具正念、正智。具正念、正智已，便具護諸根。具護諸根已，便具三妙行。具三妙行已，便具四念處。具四念處已，便具七覺支。具七覺支已，便具明、解脫。如是此明、解脫展轉具成。」

> 善き人となるならば、善知識に親しく近づくことができます。善知識に親しく近づくならば、善い教えを聞くことができます。善い教えを聞くならば、信仰が生まれます。信仰が生まれるならば、正しく考えることができます。正しく考えるならば、正しい念と正しい智慧が備わります。正しい念と正しい智慧が備わるならば、諸々の感覚の門を守ることができます。諸々の感覚の門を守るならば、三つの善い行いが備わります。三つの善い行いが備わるならば、四つの気づきの拠り所が備わります。四つの気づきの拠り所が備わるならば、七つの目覚めの要素が備わります。七つの目覚めの要素が備わるならば、明らかな智慧と解脱が備わります。このように、明らかな智慧と解脱は、段階を経て完成されていくのです。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

食經第十一竟一千八百三十三字

> 『食経』第十一 終わり<note>千八百三十三字</note>