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title: "中阿含經 · 53 食經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （五三）中阿含習相應品食經第十二初一日誦

> （五三）中阿含習相応品食経第十二<note>初一日誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「有愛者，其本際不可知，本無有愛，然今生有愛，便可得知，所因有愛。有愛者，則有食，非無食。何謂有愛食？答曰無明為食。無明亦有食，非無食。何謂無明食？答曰五蓋為食。五蓋亦有食，非無食。何謂五蓋食？答曰三惡行為食。三惡行亦有食，非無食。何謂三惡行食？答曰不護諸根為食。不護諸根亦有食，非無食。何謂不護諸根食？答曰不正念、不正智為食。不正念、不正智亦有食，非無食。何謂不正念、不正智食？答曰不正思惟為食。不正思惟亦有食，非無食。何謂不正思惟食？答曰不信為食。不信亦有食，非無食。何謂不信食？答曰聞惡法為食。聞惡法亦有食，非無食。何謂聞惡法食？答曰親近惡知識為食。親近惡知識亦有食，非無食。何謂親近惡知識食？答曰惡人為食。

> 時に、世尊は比丘たちに告げられました。「執着（愛）には、その始まりをたどることができません。もともと執着はなかったのですが、今こうして執着が生じているのは、それを支える原因があるからだと知るべきです。執着には、それを支える糧（食）があります。糧なしでは成り立ちません。では、執着の糧とは何か。答えよう、無明（むみょう）が糧である。無明にも糧があります。では、無明の糧とは何か。答えよう、五蓋（ごがい）が糧である。五蓋にも糧があります。では、五蓋の糧とは何か。答えよう、三悪行（さんあくぎょう）が糧である。三悪行にも糧があります。では、三悪行の糧とは何か。答えよう、諸根を守らないこと（不護諸根）が糧である。諸根を守らないことにも糧があります。では、諸根を守らないことの糧とは何か。答えよう、正しい念（ねん）と正しい智（ち）がないこと（不正念・不正智）が糧である。不正念・不正智にも糧があります。では、不正念・不正智の糧とは何か。答えよう、正しくない思考（不正思惟）が糧である。正しくない思考にも糧があります。では、正しくない思考の糧とは何か。答えよう、信念がないこと（不信）が糧である。信念がないことにも糧があります。では、信念がないことの糧とは何か。答えよう、悪い教えを聞くこと（聞悪法）が糧である。悪い教えを聞くことにも糧があります。では、悪い教えを聞くことの糧とは何か。答えよう、悪い友人と親しむこと（親近悪知識）が糧である。悪い友人と親しむことにも糧があります。では、悪い友人と親しむことの糧とは何か。答えよう、悪人そのものが糧である。」

「大海亦有食，非無食。何謂大海食？答曰雨為食。有時大雨，大雨已則山巖溪㵎、平澤水滿。山巖溪㵎、平澤水滿已，則小川滿。小川滿已，則大川滿。大川滿已，則小河滿。小河滿已，則大河滿。大河滿已，則大海滿。如是彼大海展轉成滿。

> 大海にもまた、それを養うものがあります。何もなくて大きくなるわけではありません。 では、その大海を養うものとは何か？ それは雨です。 雨が降ると、山や谷、小川や平らな沢に水が満ちます。 それらが満ちると、小さな川が満ちます。 小さな川が満ちると、大きな川が満ちます。 大きな川が満ちると、さらに小さな川（支流）が満ちます。 小さな川（支流）が満ちると、さらに大きな川（本流）が満ちます。 大きな川（本流）が満ちると、大海が満ちるのです。 このようにして、大海は次々と水を集めて満たされていくのです。

「如是具惡人已，便具親近惡知識。具親近惡知識已，便具聞惡法。具聞惡法已，便具生不信。具生不信已，便具不正思惟。具不正思惟已，便具不正念、不正智。具不正念、不正智已，便具不護諸根。具不護諸根已，便具三惡行。具三惡行已，便具五蓋。具五葢已，便具無明。具無明已，便具有愛。如是此有愛展轉具成。

> このような悪人とともにいれば、自然と悪い友と親しくなります。 悪い友と親しくなれば、自然と悪い教えを聞くことになります。 悪い教えを聞けば、自然と不信心が生まれます。 不信心が生まれれば、自然と正しくない考え方をするようになります。 正しくない考え方をすれば、自然と正しい気づきや智慧が欠けてきます。 正しい気づきや智慧が欠ければ、自然と感覚の門を守らなくなります。 感覚の門を守らなければ、自然と三つの悪い行い（身・口・意の悪業）を犯すようになります。 三つの悪い行いを犯せば、自然と五つの心の覆い（五蓋）が現れます。 五つの心の覆いが現れれば、自然と無明（真理への無知）が生じます。 無明が生じれば、自然と渇愛（執着の欲求）が現れます。 こうして、この渇愛が次々とつながり合い、すべての苦しみが生じていくのです。

「明、解脫亦有食，非無食。何謂明、解脫食？答曰七覺支為食。七覺支亦有食，非無食。何謂七覺支食？答曰四念處為食。四念處亦有食，非無食。何謂四念處食？答曰三妙行為食。三妙行亦有食，非無食。何謂三妙行食？答曰護諸根為食。護諸根亦有食，非無食。何謂護諸根食？答曰正念、正智為食。正念、正智亦有食，非無食。何謂正念、正智食？答曰正思惟為食。正思惟亦有食，非無食。何謂正思惟食？答曰信為食。信亦有食，非無食。何謂信食？答曰聞善法為食。聞善法亦有食，非無食。何謂聞善法食？答曰親近善知識為食。親近善知識亦有食，非無食。何謂親近善知識食？答曰善人為食。

> さとり（明）や解脱にも、それを支える糧（食事）があります。決して糧なしに成り立つものではありません。では、そのさとりと解脱を支える糧とは何でしょうか。答えは「七覚支（七つの目覚めの要素）」です。 七覚支にも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「四念処（四つの気づきの対象）」です。 四念処にも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「三妙行（三つの善い行い）」です。 三妙行にも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「諸根を守ること（感覚の門を護ること）」です。 諸根を守ることにも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「正念（正しい気づき）と正智（正しい智慧）」です。 正念と正智にも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「正思惟（正しい考え方）」です。 正思惟にも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「信（信じる心）」です。 信にも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「善い教えを聞くこと（聞法）」です。 善い教えを聞くことにも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「善き友に親しく近づくこと（善知識に親近すること）」です。 善き友に親しく近づくことにも糧があります。それを支える糧とは何でしょうか。答えは「善い人（善人そのもの）」です。

「大海亦有食，非無食。何謂大海食？答曰雨為食。有時大雨，大雨已，則山巖溪㵎、平澤水滿。山巖溪㵎、平澤水滿已，則小川滿。小川滿已，則大川滿。大川滿已，則小河滿。小河滿已，則大河滿。大河滿已，則大海滿。如是彼大海展轉成滿。

> 大海にもまた、それを養うものがあるのだ。決して無しに存在しているわけではない。 では、何が大海を養うのか。 答えよう。雨が、その養いとなるのだ。 ある時、大雨が降る。 大雨が降ると、山々や岩場、谷間、平らな湿地に水が満ちる。 山々や岩場、谷間、平らな湿地に水が満ちると、小さな川が満ちる。 小さな川が満ちると、少し大きな川が満ちる。 少し大きな川が満ちると、中くらいの川が満ちる。 中くらいの川が満ちると、大きな川が満ちる。 大きな川が満ちると、大河が満ちる。 大河が満ちると、ついに大海が満ちる。 このようにして、大海は、段階を経て満ちていくのである。

「如是善人具已，便具親近善知識。具親近善知識已，便具聞善法。具聞善法已，便具生信。具生信已，便具正思惟。具正思惟已，便具正念、正智。具正念、正智已，便具護諸根。具護諸根已，便具三妙行。具三妙行已，便具四念處。具四念處已，便具七覺支。具七覺支已，便具明、解脫。如是此明、解脫展轉具成。」

> このような善き人は、善知識（よき師や友人）に親しむことができます。善知識に親しむと、善い教えを聞くことができます。善い教えを聞くと、信仰（信心）が生まれます。信仰が生まれると、正しい考え方ができるようになります。正しい考え方ができると、正しい気づきと智慧が備わります。正しい気づきと智慧が備わると、感覚の門（五感など）を守ることができます。感覚の門を守れると、三つの善い行い（身・口・意の清らかな行い）が身につきます。三つの善い行いが身につくと、四つの気づきの対象（四念処）が確立します。四つの気づきの対象が確立すると、七つの目覚めの要素（七覚支）が整います。七つの目覚めの要素が整うと、明晰な智慧と解脱が成就します。このようにして、明晰な智慧と解脱は、段階を経て完全に実現されるのです。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

食經第十二竟九百三十字

> 『食経第十二 終わり』（九百三十字）