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title: "中阿含經 · 54 盡智經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （五四）中阿含習相應品盡智經第十三初一日誦

> （五四）中阿含習相応品　尽智経　第十三

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊拘樓瘦，在劍摩瑟曇拘樓都邑。

> ある時、仏陀はコーラヴィヤ国を訪れ、剣摩瑟曇というコーラヴィヤ人の町に滞在しておられた。

爾時，世尊告諸比丘：「有知有見者，便得漏盡，非不知，非不見。云何知見便得漏盡？謂知見苦如真，便得漏盡。知見苦習、知見苦滅、知見苦滅道如真，便得漏盡。盡智有習，非無習。何謂盡智習？答曰解脫為習。解脫亦有習，非無習。何謂解脫習？答曰無欲為習。無欲亦有習，非無習。何謂無欲習？答曰厭為習。厭亦有習，非無習。何謂厭習？答曰見如實、知如真為習。見如實、知如真亦有習，非無習。何謂見如實、知如真習？答曰定為習。定亦有習，非無習。何謂定習？答曰樂為習。樂亦有習，非無習？何謂樂習？答曰止為習。止亦有習，非無習。何謂止習？答曰喜為習。喜亦有習，非無習。何謂喜習？答曰歡悅為習。歡悅亦有習，非無習。何謂歡悅習？答曰不悔為習。不悔亦有習，非無習。何謂不悔習？答曰護戒為習。護戒亦有習，非無習。何謂護戒習？答曰護諸根為習。護諸根亦有習，非無習。何謂護諸根習？答曰正念、正智為習。正念、正智亦有習，非無習。何謂正念、正智習？答曰正思惟為習。正思惟亦有習，非無習。何謂正思惟習？答曰信為習。信亦有習，非無習。何謂信習？答曰觀法忍為習。觀法忍亦有習，非無習。何謂觀法忍習？答曰翫誦法為習。翫誦法亦有習，非無習。何謂翫誦法習？答曰受持法為習。受持法亦有習，非無習。何謂受持法習？答曰觀法義為習。觀法義亦有習，非無習。何謂觀法義習？答曰耳界為習。耳界亦有習，非無習。何謂耳界習？答曰聞善法為習。聞善法亦有習，非無習。何謂聞善法習？答曰往詣為習。往詣亦有習，非無習。何謂往詣習？答曰奉事為習。

> その時、世尊は比丘たちにお告げになりました。 「知り、見ることによって、煩悩の汚れは尽きるのです。知らずに見なければ、そうはなりません。 では、どのように知り、見るのでしょうか。それは、苦しみをあるがままに知り、見ることによって、煩悩は尽きます。 苦しみの原因をあるがままに知り、見ること。苦しみの滅びをあるがままに知り、見ること。苦しみの滅びに至る道をあるがままに知り、見ること。これによって煩悩は尽きるのです。 さて、この尽きる智慧（尽智）には、それを育む基盤があります。 何が尽智の基盤でしょうか。 答えは、『解脱』です。 解脱にもまた、それを育む基盤があります。 何が解脱の基盤でしょうか。 答えは、『無欲』です。 無欲にもまた、それを育む基盤があります。 何が無欲の基盤でしょうか。 答えは、『厭離（あんり）』です。 厭離にもまた、それを育む基盤があります。 何が厭離の基盤でしょうか。 答えは、『如実知見（にょじつちけん）』、すなわち物事をあるがままに知り見ることです。 如実知見にもまた、それを育む基盤があります。 何が如実知見の基盤でしょうか。 答えは、『禅定』です。 禅定にもまた、それを育む基盤があります。 何が禅定の基盤でしょうか。 答えは、『楽』です。 楽にもまた、それを育む基盤があります。 何が楽の基盤でしょうか。 答えは、『止（し）』、すなわち心の静まりです。 止にもまた、それを育む基盤があります。 何が止の基盤でしょうか。 答えは、『喜』です。 喜にもまた、それを育む基盤があります。 何が喜の基盤でしょうか。 答えは、『歓悦（かんえつ）』です。 歓悦にもまた、それを育む基盤があります。 何が歓悦の基盤でしょうか。 答えは、『悔いのなさ』です。 悔いのなさにもまた、それを育む基盤があります。 何が悔いのなさの基盤でしょうか。 答えは、『戒律を守ること』です。 戒律を守ることにもまた、それを育む基盤があります。 何がその基盤でしょうか。 答えは、『諸根（しょこん）を護ること』、すなわち感覚器官をしっかりと守ることです。 諸根を護ることにもまた、それを育む基盤があります。 何がその基盤でしょうか。 答えは、『正念・正智』です。 正念・正智にもまた、それを育む基盤があります。 何がその基盤でしょうか。 答えは、『正思惟』です。 正思惟にもまた、それを育む基盤があります。 何がその基盤でしょうか。 答えは、『信』です。 信にもまた、それを育む基盤があります。 何がその基盤でしょうか。 答えは、『法を観察し、受け入れること』です。 その法を受け入れることにも、基盤があります。 何がその基盤でしょうか。 答えは、『法を習い誦すること』です。 法を習い誦することにも、基盤があります。 何がその基盤でしょうか。 答えは、『法を受持すること』です。 法を受持することにも、基盤があります。 何がその基盤でしょうか。 答えは、『法の意味を観察すること』です。 法の意味を観察することにも、基盤があります。 何がその基盤でしょうか。 答えは、『耳の領域（耳界）』、つまり聴くことです。 耳の領域にも、基盤があります。 何がその基盤でしょうか。 答えは、『善い教えを聞くこと』です。 善い教えを聞くことにも、基盤があります。 何がその基盤でしょうか。 答えは、『教えを聞きに行くこと』です。 教えを聞きに行くことにも、基盤があります。 何がその基盤でしょうか。 答えは、『教えに仕え、親しむこと』です。」

「若有奉事善知識者，未聞便聞，已聞便利，如是善知識若不奉事者，便害奉事習。若無奉事，便害往詣習。若無往詣，便害聞善法習。若不聞善法，便害耳界習。若無耳界，便害觀法義習。若無觀法義，便害受持法習。若無受持法，便害翫誦法習。若無翫誦法，便害觀法忍習。若無觀法忍，便害信習。若無信，便害正思惟習。若無正思惟，便害正念、正智習。若無正念、正智，便害護諸根、護戒、不悔、歡悅、喜、止、樂、定、見如實、知如真、厭、無欲、解脫習。若無解脫，便害盡智習。

> もし善知識に仕え敬うならば、聞いたことのない法も聞くことができ、すでに聞いた法はさらに明らかになる。このように、もし善知識に仕え敬わなければ、仕え敬う習慣を損なうことになる。仕え敬うことがなければ、訪問して遇う習慣を損なう。訪問して遇うことがなければ、善い法を聞く習慣を損なう。善い法を聞かなければ、耳の修行を損なう。耳の修行がなければ、法の意味を観察する習慣を損なう。法の意味を観察しなければ、法を受持する習慣を損なう。法を受持しなければ、法を読誦する習慣を損なう。法を読誦しなければ、法を観じて忍ぶ習慣を損なう。法を観じて忍ばなければ、信仰の習慣を損なう。信仰がなければ、正しい思惟の習慣を損なう。正しい思惟がなければ、正念・正智の習慣を損なう。正念・正智がなければ、諸根を護ること、戒を護ること、悔いのなさ、歓喜、喜び、止、楽、定、如実に見ること、真実の如く知ること、厭離、無欲、解脱の習慣を損なう。解脱がなければ、尽智の習慣を損なうのである。

「若奉事善知識者，未聞便聞，已聞便利，如是善知識，若奉事者，便習奉事。若有奉事，便習往詣。若有往詣，便習聞善法。若有聞善法，便習耳界。若有耳界，便習觀法義。若有觀法義，便習受持法。若有受持法，便習翫誦法。若有翫誦法，便習觀法忍。若有觀法忍，便習信。若有信，便習正思惟。若有正思惟，便習正念、正智。若有正念、正智，便習護諸根、護戒、不悔、歡悅、喜、止、樂、定、見如實、知如真、厭、無欲、解脫。若有解脫，便習盡智。」

> 善知識に仕えるならば、聞いたことのない法を聞くことができ、すでに聞いた法はより明らかになる。 このように善知識に仕えるならば、習慣的に仕えるようになる。 仕える習慣がつけば、自然と訪ねるようになる。 訪ねる習慣がつけば、自然と善い法を聞くようになる。 善い法を聞く習慣がつけば、自然と耳の働きが整う。 耳の働きが整えば、自然と法の意味を観察するようになる。 法の意味を観察する習慣がつけば、自然と法を受持するようになる。 法を受持する習慣がつけば、自然と法を唱えるようになる。 法を唱える習慣がつけば、自然と法の真理を忍び受けるようになる。 法の真理を忍び受ける習慣がつけば、自然と信仰が生まれる。 信仰が生まれれば、自然と正しく考えるようになる。 正しく考える習慣がつけば、自然と正しい念いと智慧が生まれる。 正しい念いと智慧があれば、自然と感覚の門を守り、戒を守り、悔いなく、喜び、歓喜し、心が静まり、楽を得、定まり、物事をありのままに見、真実を如実に知り、厭離し、執着なくなり、解脱する。 解脱すれば、自然と尽智（煩悩を尽くした智慧）が現れる。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

盡智經第十三竟八百六十八字

> 智慧完成の経 第十三（八百六十八字）