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title: "中阿含經 · 56 彌醯經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （五六）中阿含習相應品彌醯經第十五初一日誦

> 中阿含経 習相応品 弥醯経 第十五

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊摩竭陀國，在闍鬪村莽㮈林窟。

> ある時、仏陀はマガダ国を巡り、ジャドゥ村のマンゴー林の洞窟に滞在しておられました。

爾時，尊者彌醯為奉侍者。於是，尊者彌醯過夜平旦，著衣持鉢，入闍鬪村而行乞食。乞食已竟，往至金鞞河邊，見地平正，名好㮈林，金鞞河水極妙可樂，清泉徐流，冷暖和適，見已歡喜，便作是念：「此地平正，名好㮈林，金鞞河水極妙可樂，清泉徐流，冷暖和適，若族姓子欲學斷者，當於此處，我亦有所斷，寧可在此靜處學斷耶？」

> その時、尊者ミヒは仏陀のお世話役を務めていた。ある朝、夜が明けると尊者ミヒは衣を着け、鉢を持ってジャド村に托鉢に出かけた。托鉢を終えると、金鞞川のほとりにやって来た。そこには見事なナリンの林があり、地面は平らで美しく、金鞞川の水は実に心地よく、清らかな泉は静かに流れ、冷たさも温かさも程よく調和していた。それを見て喜び、彼はこう考えた。「この地は平らで美しく、名高いナリンの林があり、金鞞川の水は実に素晴らしく楽しい。清泉は穏やかに流れ、寒暖も適度だ。高貴な家の子息が、もしも断ち切ることを学びたいと望むなら、まさにこの場所で学ぶべきだろう。私にも断ち切るべきものがある。どうだろう、この清らかな場所で、静かに断ち切ることを学んでみようか」

於是，彌醯食訖，中後舉衣鉢已，澡洗手足，以尼師檀著於肩上，往詣佛所，稽首禮足，却住一面，白曰：「世尊！我今平旦著衣持鉢，入闍鬪村而行乞食。乞食已竟，往至金鞞河邊，見地平正，名好㮈林，金鞞河水極妙可樂，清泉徐流，冷暖和適，我見喜已，便作是念：『此地平正，名好㮈林，金鞞河水極妙可樂，清泉徐流，冷暖和適，若族姓子欲學斷者，當於此處，我亦有所斷，寧可在此靜處學斷耶？』世尊！我今欲往至彼㮈林靜處學斷。」

> 食事を終え、午後になって衣と鉢を片付け、手足を洗い、坐具を肩にかけた弥醯は、仏のもとへと向かった。仏の足に頭を付けて礼拝すると、一方に退いて立ち、こう申し上げた。 「世尊よ。今朝、私は衣を着け鉢を持って、闍鬪村へ托鉢に参りました。托鉢を終え、金鞞川のほとりに至りました。そこには平らで美しい、名高い柰の林があり、金鞞川の水は素晴らしく心地よく、清らかな泉がゆるやかに流れ、冷たさと温かさが調和しておりました。それを見て私は喜び、こう思ったのです。『この平らな地は名高い柰の林であり、金鞞川の水は素晴らしく心地よい。清らかな泉はゆるやかに流れ、冷たさと温かさが調和している。もし良家の子息が断ち切ることを学ぼうとするなら、まさにこの場所こそふさわしい。私にもまた、断ち切るべきものがある。どうかこの静かな場所で、断ち切ることを学ばせていただきたい』と。 世尊よ。私は今、あの柰の林の静かな場所へ参り、断ち切ることを学びたいと願っております。」

爾時，世尊告曰：「彌醯！汝今知不？我獨無人，無有侍者，汝可小住，須比丘來為吾侍者，汝便可去，至彼㮈林靜處而學。」

> その時、世尊はお告げになりました。「弥醯よ、今お前に分かるか。私は独りで、そばに仕える者はいない。お前はしばらくここに留まり、修行僧が来て私の侍者となるのを待ちなさい。そうすれば、お前はあの菩提樹林の静かな場所へ行き、修行に励むことができるだろう。」

尊者彌醯乃至再三白曰：「世尊！我今欲往至彼㮈林靜處學斷。」

> ナンダよ。尊者ミッチャは幾度も繰り返し申し上げた。「世尊よ、私は今、あのネーラ林の静かな場所に赴き、修行によって煩悩を断ち切りたいと願います。」

世尊亦復再三告曰：「彌醯！汝今知不？我獨無人，無有侍者，汝可小住，須比丘來為吾侍者，汝便可去，至彼㮈林靜處而學。」

> 世尊はさらに重ねておっしゃいました。「ミッカよ、わかるか？私には今、独りでいて、そばに仕える者がいない。お前はしばらくここにいて、別の比丘が私の侍者として来るのを待ってくれ。その後で、お前はあの墓場の森の静かな場所へ行って、学びに励むがよい。」

彌醯復白曰：「世尊無為無作，亦無所觀。世尊！我有為有作而有所觀。世尊！我至彼㮈林靜處學斷。」

> 弥勒はまた申し上げました。「世尊は、何もなされず、何も作られず、何も観じられません。しかし、私は、何かを行い、何かを造り、何かを観じています。世尊、私はあのニグローダの林の静かな場所へ参り、修行して煩悩を断ち切りたいと思います。」

世尊告曰：「彌醯！汝欲求斷者，我復何言？彌醯！汝去，隨意所欲。」於是，尊者彌醯聞佛所說，善受善持而善誦習，即禮佛足，繞三匝而去，詣彼㮈林。入林中已，至一樹下，敷尼師檀，結加趺坐。

> 世尊はおっしゃいました。「ミッケーよ。おまえがどうしても離れたいと思うのなら、わたしが何を言えようか。ミッケーよ。行きなさい。おまえの思いのままに。」 そこで、尊師ミッケーは仏陀の言葉を聞き、よく受け止め、よく心に留め、よくお唱えした後、仏陀の足に礼拝し、右に三回まわってから、その林へと向かいました。林の中に入ると、一本の木の下に行き、坐具を敷いて、結跏趺坐をしました。

尊者彌醯住㮈林中便生三惡不善之念，欲念、恚念及與害念，彼由此故便念世尊。於是，彌醯則於晡時從燕坐起，往詣佛所，稽首禮足，却住一面，白曰：「世尊！我至㮈林，於靜處坐便生三惡不善之念，欲念、恚念及與害念，我由此故便念世尊。」

> 尊者ミヒはバニヤンの林に住んでいたとき、三つの悪しき不善の思いを抱きました。それは欲望の思い、怒りの思い、そして害を与えんとする思いでした。そのため彼は世尊を想い起こしました。そこでミヒは夕暮れ時に坐禅から立ち上がり、仏の元へと赴き、足に頭を触れて礼拝し、一方に立って申し上げました。「世尊よ、私はバニヤンの林に至り、静かな場所に座って三つの悪しき不善の思いを抱きました。欲望の思い、怒りの思い、そして害を与えんとする思いです。そのため私は世尊を想い起こしました。」

世尊告曰：「彌醯！心解脫未熟，欲令熟者有五習法。云何為五？彌醯！比丘者自善知識與善知識俱，善知識共和合。彌醯！心解脫未熟，欲令熟者，是謂第一習法。復次，彌醯！比丘者，修習禁戒，守護從解脫，又復善攝威儀禮節，見纖芥罪，常懷畏怖，受持學戒。彌醯！心解脫未熟，欲令熟者，是謂第二習法。復次，彌醯！比丘者，謂所可說聖有義，令心柔軟，使心無蓋，謂說戒、說定、說慧、說解脫、說解脫知見、說漸損、說不樂聚會、說少欲、說知足、說斷、說無欲、說滅、說燕坐、說緣起，得如是比沙門所說，具得易，不難得。彌醯！心解脫未熟，欲令熟者，是謂第三習法。復次，彌醯！比丘者，常行精進，斷惡不善，修諸善法，恒自起意，專一堅固，為諸善本，不捨方便。彌醯！心解脫未熟，欲令熟者，是謂第四習法。復次，彌醯！比丘者，修行智慧，觀興衰法，得如是智，聖慧明達，分別曉了，以正盡苦。彌醯！心解脫未熟，欲令熟者，是謂第五習法。

> 世尊はおっしゃった。「彌醯よ、心の解脱がまだ成熟しておらず、それを成熟させたいと望む者には、五つの修習すべき法がある。その五つとは何か。彌醯よ、比丘はまず、自ら善き友と共にあり、善き友と共に集い、善き友と和合することである。彌醯よ、心の解脱がまだ成熟しておらず、それを成熟させたいと望む者にとって、これが第一の修習すべき法である。次に、彌醯よ、比丘は戒律を修習し、解脱を守護し、また威儀や礼節をよく整え、微細な罪を見ても常に恐れを抱き、学びの戒を受けて守ることである。彌醯よ、心の解脱がまだ成熟しておらず、それを成熟させたいと望む者にとって、これが第二の修習すべき法である。さらに、彌醯よ、比丘は聖なる意義のある法を語り、心を柔らかにし、心の覆いをなくすこと、すなわち戒を説き、定を説き、智慧を説き、解脱を説き、解脱の知見を説き、漸進的に減らすこと、集いを好まないこと、少欲、知足、断、無欲、滅、静かな坐、縁起について説くことである。このような沙門の説法を、易く得られ、難なく得られること。彌醯よ、心の解脱がまだ成熟しておらず、それを成熟させたいと望む者にとって、これが第三の修習すべき法である。さらに、彌醯よ、比丘は常に精進し、悪い不善の法を断ち、善い諸法を修め、常に心を起こし、専一に堅固に、諸々の善の根本として、方便を捨てないことである。彌醯よ、心の解脱がまだ成熟しておらず、それを成熟させたいと望む者にとって、これが第四の修習すべき法である。さらに、彌醯よ、比丘は智慧を修め、興隆と衰退の法を観察し、そのような智慧を得て、聖なる智慧によって明らかに達し、分別し了知し、正しく苦を尽くすことである。彌醯よ、心の解脱がまだ成熟しておらず、それを成熟させたいと望む者にとって、これが第五の修習すべき法である。」

「彼有此五習法已，復修四法。云何為四？修惡露，令斷欲；修慈，令斷恚；修息出息入，令斷亂念；修無常想，令斷我慢。彌醯！若比丘自善知識與善知識俱，善知識共和合，當知必修習禁戒，守護從解脫，又復善攝威儀禮節，見纖芥罪，常懷畏怖，受持學戒。彌醯！若比丘自善知識與善知識俱，善知識共和合，當知必得所可說聖有義，令心柔軟，使心無蓋，謂說戒、說定、說慧、說解脫、說解脫知見、說漸損、說不樂聚會、說少欲、說知足、說斷、說無欲、說滅、說燕坐、說緣起，得如是比沙門所說，具得易，不難得。

> 彼にはこの五つの修行法がある。さらに四つの法を修める。四つとは何か。不浄観を修めて欲望を断ち、慈しみを修めて怒りを断ち、息の出入りを観じて雑念を断ち、無常の想いを修めて我執を断つ。ミーチャよ。比丘が自ら善き知識と共にあり、善き知識と共に集い、善き知識と和合するならば、必ず戒律を修め学び、解脱に従って守り、また行儀作法をよく整え、わずかな罪をも見れば常に恐れ慎み、戒を保つことを知るべきである。ミーチャよ。比丘が自ら善き知識と共にあり、善き知識と共に集い、善き知識と和合するならば、必ず聖なる意義ある教えを得て、心を柔らかくし、心を覆いなくする。すなわち戒を説き、定を説き、慧を説き、解脱を説き、解脱の知見を説き、徐々に減らすことを説き、集いを好まないことを説き、少欲を説き、知足を説き、断つことを説き、無欲を説き、滅を説き、静坐を説き、縁起を説く。このような修行者の教えを容易に、苦労なく得ることができる。

「彌醯！若比丘自善知識與善知識俱，善知識共和合，當知必行精進，斷惡不善，修諸善法，恒自起意，專一堅固，為諸善本，不捨方便。彌醯！若比丘自善知識與善知識俱，善知識共和合，當知必行智慧，觀興衰法，得如此智，聖慧明達，分別曉了，以正盡苦。彌醯！若比丘自善知識與善知識俱，善知識共和合，當知必修惡露，令斷欲；修慈，令斷恚；修息出息入，令斷亂念；修無常想，令斷我慢。彌醯！若比丘得無常想者，必得無我想。彌醯！若比丘得無我想者，便於現法斷一切我慢，得息、滅、盡、無為、涅槃。」

> 彌醯よ、もし比丘が善き知友を持ち、善き知友と共にあり、善き知友と和合するならば、必ず精進を修行して、悪しき不善を断ち、諸々の善法を修め、常に自ら心を起こし、専一に堅固に善の根本を為し、方便を捨てないことを知るべきである。 彌醯よ、もし比丘が善き知友を持ち、善き知友と共にあり、善き知友と和合するならば、必ず智慧を修行して、興隆と衰滅の法を観察し、このような智慧を得て、聖なる慧は明らかに達し、分別し了らかに理解し、正しく苦を尽くすことを知るべきである。 彌醯よ、もし比丘が善き知友を持ち、善き知友と共にあり、善き知友と和合するならば、必ず不浄観を修めて欲望を断ち、慈悲を修めて怒りを断ち、安般念を修めて散乱の念を断ち、無常想を修めて我慢を断つことを知るべきである。 彌醯よ、もし比丘が無常想を得るならば、必ず無我想を得る。彌醯よ、もし比丘が無我想を得るならば、すなわち現世において一切の我慢を断ち、止息、消滅、尽きること、無為、涅槃を得るのである。

佛說如是。尊者彌醯及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏はこのように説かれた。尊者ミチカおよび比丘たちは、仏の説法を聞いて、喜び、その教えの通りに実践した。

彌醯經第十五竟千三百二十三字

> 彌醯経 第十五 終わり<note>千三百二十三字</note>