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title: "中阿含經 · 57 即為比丘說經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （五七）中阿含習相應品即為比丘說經第十六初一日誦

> （五七）中阿含経 習相応品 比丘のための説法 第十六

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「心解脫未熟，欲令熟者，有五習法。云何為五？比丘！自善知識與善知識俱，善知識共和合，心解脫未熟，欲令熟者，是謂第一習法。復次，比丘！修習禁戒，守護從解脫，又復善攝威儀禮節，見纖芥罪，常懷畏怖，受持學戒，心解脫未熟，欲令熟者，是謂第二習法。復次，比丘！謂所可說聖有義，令心柔軟，使心無蓋，謂說戒、說定、說慧、說解脫、說解脫知見、說漸損、說不樂聚會、說少欲、說知足、說斷、說無欲、說滅、說燕坐、說緣起，得如是比沙門所說，具得易，不難得，心解脫未熟，欲令熟者，是謂第三習法。復次，比丘！常行精進，斷惡不善，修諸善法，恒自起意，專一堅固，為諸善本，不捨方便，心解脫未熟，欲令熟者，是謂第四習法。復次，比丘！修行智慧，觀興衰法，得如此智，聖慧明達，分別曉了，以正盡苦，心解脫未熟，欲令熟者，是謂第五習法。

> ある時、世尊は比丘たちに告げられました。「心の解脱がまだ成熟しておらず、それを成熟させたいと望むなら、五つの実践法がある。どのような五つか。 比丘よ、善き友を持ち、善き友と共に集い、善き友と和合すること。心の解脱が成熟していない者がそれを成熟させたいと願うなら、これが第一の実践法である。 また比丘よ、戒律を修め、解脱のための規則を守り、しかもよく立ち居振る舞いを整え、わずかな罪も見れば常に恐れ慎み、学びのための戒を受けて保つこと。心の解脱が成熟していない者に、これは第二の実践法である。 また比丘よ、語られるべき聖なる意義ある教えを聞くこと。それは心を柔らかくし、心の覆いを取り除くものである。すなわち、戒について説き、定について説き、慧について説き、解脱について説き、解脱の知見について説き、徐々に減らすことについて説き、集まりを好まないことについて説き、少欲について説き、知足について説き、断つことについて説き、欲がないことについて説き、滅することについて説き、静かに坐ることについて説き、縁起について説く。このような沙門の説くところを、容易に得られ、難なく得られること。心の解脱が成熟していない者に、これは第三の実践法である。 また比丘よ、常に精進に励み、悪しき不善を断ち、諸々の善い法を修めること。常に自ら意を起こし、専一に堅固に、諸々の善の根幹とし、方便を捨てないこと。心の解脱が成熟していない者に、これは第四の実践法である。 また比丘よ、智慧を修行し、起こり盛んになる法と滅び衰える法を観察すること。このような智慧、聖なる智慧で明らかに達し、はっきりと分別し明らかに理解し、それによって正しく苦を尽くすこと。心の解脱が成熟していない者に、これは第五の実践法である。」

「彼有此五習法已，復修四法。云何為四？修惡露，令斷欲；修慈，令斷恚；修息出息入，令斷亂念；修無常想，令斷我慢。若比丘自善知識與善知識俱，善知識共和合，當知必修習禁戒，守護從解脫，又復善攝威儀禮節，見纖芥罪，常懷畏怖，受持學戒。若比丘自善知識與善知識俱，善知識共和合，當知必得所可說聖有義，令心柔軟，使心無蓋，謂說戒、說定、說慧、說解脫、說解脫知見、說漸損、說不樂聚會、說少欲、說知足、說斷、說無欲、說滅、說燕坐、說緣起，得如是比沙門所說，具得易，不難得。若比丘自善知識與善知識俱，善知識共和合，當知必行精進，斷惡不善，修諸善法，恒自起意，專一堅固，為諸善本，不捨方便。若比丘自善知識與善知識俱，善知識共和合，當知必行智慧，觀興衰法，得如此智，聖慧明達，分別曉了，以正盡苦。若比丘自善知識與善知識俱，善知識共和合，當知必修惡露，令斷欲；修慈，令斷恚；修息出息入，令斷亂念；修無常想，令斷我慢。若比丘得無常想者，必得無我想，若比丘得無我想者，便於現法斷一切我慢，得息、滅、盡、無為、涅槃。」

> 彼にはこれらの五つの修行法があった後、さらに四つの法を修めました。その四つとは何でしょうか？不浄観を修めて欲望を断ち、慈心を修めて怒りを断ち、息の出入りを観じて散乱した思いを断ち、無常の想いを修めて我慢を断つことです。 ある比丘が善き友と共にあり、善き友と交わり、善き友と和合するならば、必ず戒律を修め学び、解脱を守り、さらに威儀や礼節をよく身につけ、わずかな罪をも見て常に畏れ慎み、学ぶべき戒を受けて保つことを知るべきです。 ある比丘が善き友と共にあり、善き友と交わり、善き友と和合するならば、必ず語るべき聖なる意義ある教えを得て、心を柔らかくし、心に覆いがないようにすることができると知るべきです。すなわち、戒について説き、定について説き、慧について説き、解脱について説き、解脱の知見について説き、漸損について説き、集まりを好まないことについて説き、少欲について説き、知足について説き、断について説き、無欲について説き、滅について説き、静かな坐について説き、縁起について説くことです。このように沙門の説くところを得ることができ、十分に得やすく、得難いことではありません。 ある比丘が善き友と共にあり、善き友と交わり、善き友と和合するならば、必ず精進を行い、悪しき不善を断ち、諸々の善法を修め、常に自ら心を起こし、一筋に堅固にして、諸々の善の根本と為し、方便を捨てないことを知るべきです。 ある比丘が善き友と共にあり、善き友と交わり、善き友と和合するならば、必ず智慧を行い、盛衰の法を観察し、このような智慧を得て、聖なる智慧に明らかに通達し、分別して明らかに悟り、正しく苦を尽くすことを知るべきです。 ある比丘が善き友と共にあり、善き友と交わり、善き友と和合するならば、必ず不浄観を修めて欲望を断ち、慈心を修めて怒りを断ち、息の出入りを観じて散乱した思いを断ち、無常の想いを修めて我慢を断つことを知るべきです。 ある比丘が無常の想いを得たならば、必ず無我の想いを得ます。ある比丘が無我の想いを得たならば、現世において一切の我慢を断ち、息、滅、尽、無為、涅槃を得るのです。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

即為比丘說經第十六竟六百八十三字

> 比丘たちのために経典第十六章を説き終えた<note>六百八十三字</note>

## 中阿含經卷第十九千七百五十六字

> 中阿含経 巻第十<note>九千七百五十六字</note>