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title: "中阿含經 · 62 頻鞞娑邏王迎佛經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （六二）中阿含王相應品頻鞞娑邏王迎佛經第五初一日誦

> （62）中阿含経　王相応品　ビンビサーラ王の仏迎え経　第五<note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊摩竭陀國，與大比丘眾俱，比丘一千悉無著、至真，本皆編髮，往詣王舍城摩竭陀邑。於是，摩竭陀王頻鞞娑邏聞世尊遊摩竭陀國，與大比丘眾俱，比丘一千悉無著、至真，本皆編髮，來此王舍城摩竭陀邑。摩竭陀王頻鞞娑邏聞已，即集四種軍，象軍、馬軍、車軍，步軍，集四種軍已，與無數眾俱，長一由延，往詣佛所。於是，世尊遙見摩竭陀王頻鞞娑邏來，則便避道，往至善住尼拘類樹王下，敷尼師檀，結跏趺坐，及比丘眾。

> ある時、世尊はマガダ国に滞在しておられました。千人の大比丘たちと共にいました。彼らは皆、執着がなく、真実を体得した者たちで、元々は髪を編んでいた修行者（バラモン）でした。やがて、王舎城（ラージャガハ）のマガダ国の首都へと向かいました。 マガダ国の王、ビンビサーラは、世尊がマガダ国に滞在し、千人の大比丘たち（皆、執着なく真実を体得し、元々は髪を編んでいた者たち）と共に、王舎城に来られたと聞きました。 ビンビサーラ王はそれを聞くと、すぐに四種の軍勢（象軍、馬軍、車軍、歩兵軍）を召集しました。軍勢を整えた後、無数の従者たちと共に、一由旬（約7〜8キロメートル）にわたって連なり、世尊のもとへ向かいました。 さて、世尊はビンビサーラ王が遠くから来られるのをご覧になると、道を避け、善住尼拘類樹（バンヤンの木）の下へ向かわれました。そこに座布（尼師檀）を敷き、結跏趺坐（両足を組んで座る姿勢）をとられました。比丘たちも同様に座りました。

摩竭陀王頻鞞娑邏遙見世尊在林樹間，端正姝好，猶星中月，光耀煒曄，晃若金山，相好具足，威神巍巍，諸根寂定，無有蔽礙，成就調御，息心靜默，見已下車。若諸王剎利以水灑頂，得為人主，整御大地，有五儀式：一者劍，二者蓋，三者天冠，四者珠柄拂，五者嚴飾屣，一切除却，及四種軍，步進詣佛。到已作禮，三自稱名姓：「世尊！我是摩竭陀王洗尼頻鞞娑邏。」如是至三。

> 摩ガダ王・ビンビサーラは、遠くから世尊が林間におられるのを拝見した。まことに端正で美しく、星々の中の月のような輝きを放ち、その光明は燦然とし、金山のように眩く、相好はすべてを備え、威徳は崇高で、諸々の感覚は静かに落ち着き、何の障りもなく、調御を完成し、心は静まりて沈黙していた。これを見て王は車から下りた。もし灌頂を受けて王となった刹帝利が国土を統べるなら、五つの儀式の道具がある。すなわち、剣、傘、天冠、宝玉の柄の払子、そして飾りを施した履き物であるが、王はこれらすべてを退け、さらに四種の軍勢もやめさせて、歩いて仏のもとに進み寄った。到着して礼拝し、三度自らの名を告げて言った。「世尊よ、私は摩ガダ王、スラーダ・ビンビサーラでございます」と。これを三度繰り返した。

於是，世尊告曰：「大王！如是，如是。汝是摩竭陀王洗尼頻鞞娑邏。」

> そこで、世尊はおっしゃいました。「大王よ、その通りです。あなたこそが、マガダ国の王、セーニヤ・ビンビサーラなのです。」

於是，摩竭陀王洗尼頻鞞娑邏再三自稱名姓已，為佛作禮，却坐一面。諸摩竭陀人或禮佛足，却坐一面，或問訊佛，却坐一面，或叉手向佛，却坐一面，或遙見佛已，默然而坐。

> そこで、マガダ王のビンビサーラは、何度も自分の名を名乗った後、仏に礼拝し、一方に退いて座りました。 マガダの人々の中には、仏の足に礼拝してから一方に座る者、仏に安否を問うてから一方に座る者、合掌して仏に向かい一方に座る者、遠くから仏を見て黙って座る者もいました。

爾時，尊者欝毘邏迦葉亦在眾坐。尊者欝毘羅迦葉是摩竭陀人意之所係，謂大尊師，是無著真人。於是，摩竭陀人悉作是念：「沙門瞿曇從欝毘羅迦葉學梵行耶？為欝毘羅迦葉從沙門瞿曇學梵行耶？」

> そのとき、尊者ウルヴェーラ・カッサパも会衆の中に座しておられました。尊者ウルヴェーラ・カッサパはマガダ国の人々が心から敬慕する存在であり、「大いなる尊師」「執着なき聖者」と称されていました。そこで、マガダの人々は皆こう考えました。「修行者ゴータマはウルヴェーラ・カッサパのもとで清らかな行いを学んでいるのだろうか？それとも、ウルヴェーラ・カッサパが修行者ゴータマのもとで清らかな行いを学んでいるのだろうか？」

爾時，世尊即知摩竭陀人心之所念，便向尊者欝毘羅迦葉而說頌曰：

> その時、世尊はマガダ国の人々の心の内をお見通しになり、尊者ウルヴェーラ・カッサパに向かって、この詩を唱えられました。

「欝毘見何等， 斷火來就此？迦葉為我說， 所由不事火。飲食種種味， 為欲故事火，生中見如此， 是故不樂事。迦葉意不樂， 飲食種種味，何不樂天人？ 迦葉為我說。」「見寂靜滅盡， 無為不欲有，更無有尊天， 是故不事火。世尊為最勝， 世尊不邪思，了解覺諸法， 我受最勝法。」

> 鬱毘にて何を見て、火を断ちてここに来たる。 迦葉よ、我に説け。火を事とせざる所以を。 飲食の種々の味を、欲の故に火を事とす。 生の中にてかくのごとく見るが故に、火を事とするを楽しまず。 迦葉は意に楽しまず、飲食の種々の味を。 何ゆえに天人を楽しまざるや。迦葉よ、我に説け。 「寂静・滅尽・無為を見て、有を欲せず。 さらに尊き天はあらず。故に火を事とせず。 世尊は最勝なり。世尊は邪思せず。 諸法を了解・覚知す。我は最勝の法を受けたり。」

於是，世尊告曰：「迦葉！汝今當為現如意足，令此眾會咸得信樂。」

> そこで、世尊はお告げになりました。「カッショウよ、今こそあなたは自在の神通力を示しなさい。この集まりの全ての人々が、それによって信仰と喜びを得ることができるように。」

於是，尊者欝毘羅迦葉即如其像作如意足，便在坐沒，從東方出，飛騰虛空，現四種威儀，一行、二住、三坐、四臥。復次，入於火定，尊者欝毘羅迦葉入火定已，身中便出種種火焰，青、黃、赤、白中水精色，下身出火，上身出水，上身出火，下身出水，如是南、西、北方，飛騰虛空，現四種威儀，一行，二住，三坐，四臥。復次，入於火定，尊者欝毘羅迦葉入火定已，身中便出種種火焰，青、黃、赤、白中水精色，下身出火，上身出水，上身出火，下身出水。

> そこで、尊者ウルヴェーラ・カッサパは、自らの意思のままに神通力（如意足）を現した。彼は座ったまま姿を消し、東方の空に現れて空中を飛翔しながら、四つの威儀を示した。すなわち、歩む、立つ、座る、臥すである。 さらに、火の定（火定）に入ると、その身から青、黄、赤、白、そして水晶色の様々な炎が立ち上った。下の身からは火を出し、上の身からは水を出し、また上の身からは火を出し、下の身からは水を出した。 同様に、南方、西方、北方の空に飛翔して、再び四つの威儀——歩む、立つ、座る、臥す——を現した。また火の定に入ると、全身から青、黄、赤、白、水晶色の様々な炎が立ち上り、下から火・上から水、上から火・下から水を自在に放ったのである。

於是，尊者欝毘羅迦葉止如意足已，為佛作禮，白曰：「世尊！佛是我師，我是佛弟子，佛一切智，我無一切智。」

> そこで、尊者ウルヴェーラ・カッサパは神通力を休めると、仏に礼拝してこう申し上げた。「世尊よ、仏こそ私の師であり、私は仏の弟子です。仏は一切知者であられますが、私には一切知はありません。」

世尊告曰：「如是。迦葉！如是。迦葉！我有一切智，汝無一切智。」

> ブッダがおっしゃいました。「その通りだ、カシヤパ。その通りだ、カシヤパ。私は一切を知り尽くしている。あなたには、そのような智慧はない。」

爾時，尊者欝毘羅迦葉因自己故，而說頌曰：

> その時、尊者ウルヴィラー・カーシャパは自らのことに関して、次の詩を詠んだ。

「昔無所知時， 為解脫事火，雖老猶生盲， 邪不見真際。我今見上跡， 無上龍所說，無為盡脫苦， 見已生死盡。」

> 昔、無知であった頃は、解脱を求めて火を拝んでいた。 年老いてなお生まれつきの盲人のように、邪な見解に惑い、真実の境地を見ることができなかった。 今、私は尊き仏が説かれた、この上ない教えの跡を見つけた。 それは無為の境地に至り、すべての苦しみから完全に解脱する道である。 この道を見て、生死の輪廻は尽きたのである。

諸摩竭陀人見如此已，便作是念：「沙門瞿曇不從欝毘羅迦葉學梵行，欝毘羅迦葉從沙門瞿曇學梵行也。」

> マガダの人々はこれを見て、こう思った。「沙門ゴータマはウルヴェーラ・カッサパに従って修行したのではなく、ウルヴェーラ・カッサパが沙門ゴータマに従って修行したのだ。」と。

世尊知諸摩竭陀人心之所念，便為摩竭陀王洗尼頻鞞娑邏說法，勸發渴仰，成就歡喜，無量方便為彼說法，勸發渴仰，成就歡喜已。如諸佛法，先說端正法，聞者歡悅，謂說施、說戒、說生天法，毀呰欲為災患，生死為穢，稱歎無欲為妙道品白淨，世尊為彼大王說之。佛已知彼有歡喜心、具足心、柔軟心、堪耐心、昇上心、一向心、無疑心、無盡心，有能、有力堪受正法，謂如諸佛所說正要，世尊即為彼說苦、習、滅、道。「大王！色生滅，汝當知色生滅。大王！覺、想、行、識生滅，汝當知識生滅。大王！猶如大雨時，水上之泡或生或滅。大王！色生滅亦如是，汝當知色生滅。大王！覺、想、行、識生滅，汝當知識生滅。

> 世尊は、マガダの人々の心の思いを知り、マガダ王・シヴェーニヤ・ビンビサーラのために説法を始められました。まず、王の心に敬慕の念を起こさせ、歓喜を満たすよう、無数の善巧な手段で教えを説かれました。そして、彼が敬慕と歓喜を得たのを見て、諸佛の常法に従い、まず初歩的な教えを説かれました。それは、布施の功徳、戒律を守ること、天界に生まれる方法についてです。同時に、欲望が災いの元であること、生死の世界が汚れていることを示し、欲望を離れた清らかな道を称賛されました。 世尊がこれを王に説かれた後、王が歓喜の心、十分な心、柔和な心、忍耐強い心、向上する心、一途な心、疑いのない心、尽きることのない心を持ち、正しい教えを受け入れる力があると知りました。そこで、諸佛が説く真実の教えに従い、苦しみ、その原因、その消滅、そして消滅に至る道について説かれました。 「大王よ、色（物質的な現象）は生まれ、そして滅びます。あなたはその生滅を知らねばなりません。大王よ、感受作用（受）、概念作用（想）、意志作用（行）、認識作用（識）もまた生まれ、滅びます。あなたはそれらの生滅を知らねばなりません。大王よ、大雨が降るとき、水面に浮かぶ泡が生まれたり消えたりするように、色もまた生まれ、滅びます。あなたはその生滅を知らねばなりません。大王よ、受・想・行・識も同様に、生まれ、滅びます。あなたはそれらの生滅を知らねばなりません。」

「大王！若族姓子知色生滅，便知不復生當來色。大王！若族姓子知覺、想、行、識生滅，便知不復生當來識。大王！若族姓子知色如真，便不著色，不計色，不染色，不住色，不樂色是我。大王！若族姓子知覺、想、行、識如真，便不著識，不計識，不染識，不住識，不樂識是我。大王！若族姓子不著色，不計色，不染色，不住色，不樂色是我者，便不復更受當來色。大王！若族姓子不著覺、想、行、識，不計識，不染識，不住識，不樂識是我者，便不復更受當來識。大王！此族姓子無量、不可計、無限，得息寂，若捨此五陰已，則不更受陰也。」

> 大王、もし良家の子が「色」の生じたり滅したりすることを知れば、未来に再び色が生じないことを理解します。大王、もし良家の子が「受」「想」「行」「識」の生じたり滅したりすることを知れば、未来に再び識が生じないことを理解します。 大王、もし良家の子が「色」の真実をあるがままに知れば、色に執着せず、色を自我と見なさず、色に染まらず、色に留まらず、色を「私のもの」と楽しまなくなります。大王、もし良家の子が「受」「想」「行」「識」の真実をあるがままに知れば、識に執着せず、識を自我と見なさず、識に染まらず、識に留まらず、識を「私のもの」と楽しまなくなります。 大王、もし良家の子が色に執着せず、色を自我と見なさず、色に染まらず、色に留まらず、色を「私のもの」と楽しまなければ、未来に再び色を受け取ることはありません。大王、もし良家の子が「受」「想」「行」「識」に執着せず、識を自我と見なさず、識に染まらず、識に留まらず、識を「私のもの」と楽しまなければ、未来に再び識を受け取ることはありません。 大王、この良家の子は限りなく、計り知れず、無限であり、静寂の境地に達します。この五つの集まり（五蘊）を捨て去れば、再び集まりを受け取ることはありません。

於是，諸摩竭陀人而作是念：「若使色無常，覺、想、行、識無常者，誰活？誰受苦樂？」

> そこで、マガダの人々はこう考えました。「もし色が無常であり、感受・表象・形成作用・識別もまた無常であるならば、いったい誰が生きるのか？誰が苦しみや楽しみを受けるのか？」

世尊即知摩竭陀人心之所念，便告比丘：「愚癡凡夫不有所聞，見我是我而著於我，但無我、無我所，空我、空我所。法生則生，法滅則滅，皆由因緣合會生苦，若無因緣，諸苦便滅。眾生因緣會相連續則生諸法，如來見眾生相連續生已，便作是說：『有生有死，我以清淨天眼出過於人，見此眾生死時、生時，好色、惡色，或妙、不妙，往來善處及不善處，隨此眾生之所作業，見其如真。若此眾生成就身惡行，口、意惡行，誹謗聖人，邪見成就邪見業，彼因緣此，身壞命終，必至惡處，生地獄中。若此眾生成就身善行，口、意善行，不誹謗聖人，正見成就正見業，彼因緣此，身壞命終，必昇善處，乃至天上。』我知彼如是，然不語彼，此是我為能覺、能語、作教、作起、教起，謂彼彼處受善惡業報，於中或有作是念：『此不相應，此不得住，其行如法，因此生彼，若無此因便不生彼，因此有彼，若此滅者，彼便滅也。』所謂緣無明有行，乃至緣生有老死，若無明滅，則行便滅，乃至生滅則老死滅。大王！於意云何？色為有常，為無常耶？」

> 世尊はマガダ国の人々の心の思いを知り、すぐに比丘たちに告げられた。「愚かな凡夫は教えを聞かず、『我』を『我』と見て執着する。しかし、実には我もなく、我に属するものもなく、我は空であり、我に属するものも空である。法が生じる時は生じ、法が滅する時は滅する。すべては因縁が集まり合って苦を生じる。もし因縁がなければ、諸々の苦は滅する。衆生は因縁が集まり連続することによって諸法を生じる。如来は衆生が因縁によって連続して生じるのを見て、こう説く。『生と死がある。私は清らかな天眼をもって人間を超え、これらの衆生が死ぬ時、生まれる時、美しい色、醜い色、良い状態や悪い状態、善処や不善処に行き来するのを見る。これらの衆生の行った業に従って、ありのままに見る。もしこれらの衆生が身体の悪行、言葉の悪行、心の悪行を成就し、聖人を誹謗し、邪見を成就して邪見の業を持つなら、その因縁によって、身が壊れ命が終わった後、必ず悪処に至り、地獄に生まれる。もしこれらの衆生が身体の善行、言葉の善行、心の善行を成就し、聖人を誹謗せず、正見を成就して正見の業を持つなら、その因縁によって、身が壊れ命が終わった後、必ず善処に昇り、天に至るのである。』私は彼らをそのように知っているが、彼らにこうは語らない。『これは私が覚り、語り、教え、起こし、教え起こしたものである』と。つまり、それぞれの場所で善悪の業報を受けることについて、その中でこう思う者がある。『これは対応しない、これはとどまることができない、その行いは法のままである、これによってあれが生じる、もしこの因がなければあれは生じない、これによってあれがある、もしこれが滅すれば、あれも滅する』と。すなわち、無明を縁として行があり、乃至、生を縁として老死がある。もし無明が滅すれば、行は滅し、乃至、生が滅すれば老死は滅するのである。大王！あなたはどう思うか。色は常住であろうか、無常であろうか。」

答曰：「無常也。世尊！」

> 「無常であります、世尊よ。」

復問曰：「若無常者，是苦，非苦耶？」

> また問う。「もし無常であるならば、それは苦しみなのでしょうか、苦しみではないのでしょうか」

答曰：「苦、變易也。世尊！」

> 答えて言う。「苦とは、変化し移りゆくことです。世尊よ。」

復問曰：「若無常、苦、變易法者，是多聞聖弟子頗受是我，是我所，我是彼所耶？」

> また問われた。「もし無常であり、苦しみであり、変化し移りゆく性質のものであるならば、よく学んだ聖なる弟子たちが、『これは私である、これは私のものである、私はこれに属するものである』と執着するでしょうか。」

答曰：「不也。世尊！」

> いいえ、世尊。

「大王！於意云何？覺、想、行、識為有常，為無常耶？」

> 「大王、どうお考えですか。受（感覚）・想（概念）・行（意志）・識（認識）は、常に存在するものですか。それとも、無常（常に変化するもの）ですか。」

答曰：「無常也。世尊！」

> 「無常であります、世尊よ。」

復問曰：「若無常者，是苦，非苦耶？」

> また問う。「もし無常であるならば、それは苦しみなのでしょうか、苦しみではないのでしょうか」

答曰：「苦、變易也。世尊！」

> 答えて言う。「苦とは、変化し移りゆくことです。世尊よ。」

復問曰：「若無常、苦、變易法者，是多聞聖弟子頗受是我，是我所，我是彼所耶？」

> また問われた。「もし無常であり、苦しみであり、変化し移りゆく性質のものであるならば、よく学んだ聖なる弟子たちが、『これは私である、これは私のものである、私はこれに属するものである』と執着するでしょうか。」

答曰：「不也。世尊！」

> いいえ、世尊。

「大王。是故汝當如是學。若有色，或過去、或未來、或現在，或內、或外，或麤、或細，或好、或惡，或近、或遠，彼一切非我，非我所，我非彼所，當以慧觀知如真，大王。若有覺、想、行、識，或過去、或未來、或現在，或內、或外，或麤、或細，或好、或惡，或近、或遠，彼一切非我，非我所，我非彼所，當以慧觀知如真。大王！若多聞聖弟子如是觀者，彼便厭色，厭覺、想、行、識，厭已便無欲，無欲已便得解脫，解脫已便知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。」

> 大王、それゆえ、あなたはこう学ぶべきです。 色というものは、過去のものであろうと、未来のものであろうと、現在のものであろうと、内側にあるものであろうと、外側にあるものであろうと、粗いものであろうと、細かいものであろうと、美しいものであろうと、醜いものであろうと、遠くにあるものであろうと、近くにあるものであろうと、それらすべては「私」ではなく、「私のもの」でもなく、「私」がそれに属するのでもありません。智慧をもって、あるがままに観察し、知るべきです。 感じること、思い浮かべること、行うこと、識別することもまた、過去のものであろうと、未来のものであろうと、現在のものであろうと、内側にあるものであろうと、外側にあるものであろうと、粗いものであろうと、細かいものであろうと、美しいものであろうと、醜いものであろうと、遠くにあるものであろうと、近くにあるものであろうと、それらすべては「私」ではなく、「私のもの」でもなく、「私」がそれに属するのでもありません。智慧をもって、あるがままに観察し、知るべきです。 大王、多くの教えを聞いた聖なる弟子がこのように観察すると、彼は色に対して厭離し、感じること、思い浮かべること、行うこと、識別することに対しても厭離します。厭離すれば欲望がなくなり、欲望がなければ解脱を得ます。解脱すれば「解脱した」と知り、「生は尽きた。清らかな行いは完成した。為すべきことは為し終えた。もはや再び迷いの生存を受けることはない」と、あるがままに知るのです。

佛說此法時，摩竭陀王洗尼頻鞞娑邏遠塵離垢，諸法法眼生，及八萬天、摩竭陀諸人萬二千，遠塵離垢，諸法法眼生。於是，摩竭陀王洗尼頻鞞娑邏見法得法，覺白淨法，斷疑度惑，更無餘尊，不復從他，無有猶豫，已住果證，於世尊法得無所畏，即從坐起，稽首佛足，白曰：「世尊！我今自歸於佛、法及比丘眾，唯願世尊受我為優婆塞，從今日始，終身自歸，乃至命盡。」

> 仏がこの法を説かれた時、マガダ王のビンビサーラは煩悩の塵垢を離れ、諸法において清らかな法眼が生じました。また、八万の天の衆、マガダの人々の中の一万二千も同様に、煩悩の塵垢を離れ、諸法において法眼が生じました。 そこでマガダ王ビンビサーラは法を見て、法を得、清らかな白浄の法を覚りました。疑惑を断ち、迷いを超え、もはや他の尊い方を求めず、他人に依拠することなく、未決の思いもなくなり、果報の証を得て、世尊の教えにおいて無所畏を成就しました。王はただちに座から立ち上がり、仏の足を礼拝して申し上げました。「世尊よ、私は今、仏・法・僧に帰依いたします。願わくは世尊、私を優婆塞（在家の信者）としてお受け入れください。今日より生涯、命の終わるまで帰依し続けます。」

佛說如是。摩竭陀王洗尼頻鞞娑邏及八萬天，摩竭諸人萬二千，及千比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏はこのように説かれた。マガダ王のセーニヤ・ビンビサーラと八万の天部、マガダ国の一万二千の人々、そして千人の比丘たちは、仏の説法を聞いて、歓喜し、その教えを実践した。

頻鞞娑邏王迎佛經第五竟二千二百二十字

> ビンビサーラ王が仏を迎えた経典　第五　終わり<note>二千二百二十字</note>

## 中阿含經卷第十一七千九百九十六字