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title: "中阿含經 · 65 烏鳥喻經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （六五）中阿含王相應品烏鳥喻經第一

> （65）烏鳥喩経　第一

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊王舍城，在竹林加蘭哆園。

> ある時、ブッダは王舎城に滞在し、竹林の精舎にいました。

爾時，世尊告諸比丘：「昔轉輪王欲試珠寶時，便集四種軍，象軍、馬軍、車軍、步軍，集四種軍已，於夜闇中竪立高幢，安珠置上，出至園觀，珠之光耀，照四種軍，明之所及，方半由延。彼時，有一梵志而作是念：『我寧可往見轉輪王及四種軍，觀琉璃珠。』爾時，梵志復作是念：『且置見轉輪王及四種軍、觀琉璃珠，我寧可往至彼林間。』

> ある時、世尊は比丘たちに告げられた。 「昔、転輪聖王が宝珠を試そうとした時、四種の軍勢、すなわち象軍・馬軍・車軍・歩軍を集めた。四種の軍勢を集めた後、夜の暗闇の中に高く幢（とう）を立て、その上に宝珠を置いて園林に出向いた。すると宝珠の光は四種の軍勢を照らし、その明かりの届く範囲は半由旬（ゆじゅん）にも及んだ。 その時、一人のバラモンがこう思った。『私は転輪聖王と四種の軍勢を見、瑠璃の宝珠を観たいものだ。』 しかし、そのバラモンはさらに考えた。『いや、転輪聖王や四種の軍勢、瑠璃の宝珠を見るのはやめて、あの林の中に行こう。』」

「於是，梵志便往詣林，到已入中，至一樹下，坐已未久，有一獺獸來，梵志見已而問之曰：『善來，獺獸！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！此池本時清泉盈溢，饒藕多華，魚龜滿中，我昔所依，而今枯熇。梵志當知！我欲捨去，入彼大河，我今欲去，唯畏於人。』時，彼獺獸與此梵志共論是已，便捨而去，梵志故坐。

> そこで、梵志は林へと向かい、到着して中に入り、一本の木の下に座った。座って間もなく、一匹のカワウソがやって来た。梵志はそれを見て問いかけた。 「ようこそ、カワウソよ。お前はどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」 カワウソは答えた。 「梵志よ、この池はかつて清らかな泉が溢れ、蓮や花が豊かで、魚や亀が満ちていた。私がかつて依っていた場所だが、今は干上がってしまった。梵志よ、知っておいてほしい。私はここを去り、あの大河へ向かおうとしている。今、去ろうとは思うが、ただ人間を恐れている。」 そのとき、カワウソはこの梵志と語り終えると、立ち去ってしまった。梵志はそのまま座り続けた。

「復有究暮鳥來，梵志見已而問之曰：『善來，究暮鳥！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！此池本時清泉盈溢，饒藕多華，魚龜滿中，我昔所依，而今枯熇。梵志當知！我欲捨去，依彼死牛聚處栖宿，或依死驢，或依死人聚處栖宿，我今欲去，唯畏於人。』彼究暮鳥與此梵志共論是已，便捨而去，梵志故坐。

> さらに、ある究暮鳥（くぐもりどり）がやってきました。その姿を見て、梵志は尋ねました。「さあ、いらっしゃい、究暮鳥よ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのですか？」 究暮鳥は答えました。「梵志よ、かつてこの池には清らかな水が満ち、多くの蓮の花や魚や亀がいました。私はかつてそこに住んでいたのですが、今は干上がってしまいました。どうかお聞きください。私はここを去って、死んだ牛の山や、死んだろば、あるいは死んだ人々の集まる場所に移り住もうと思っています。私は去ろうとしていますが、ただ人間だけが恐ろしいのです。」 こうして究暮鳥は梵志と語り合うと、彼のもとを去っていきました。梵志はそのまま座り続けました。

「復有鷲鳥來，梵志見已而問之曰：『善來，鷲鳥！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！我從大墓復至大墓殺害而來，我今欲食死象之肉，死馬、死牛、死人之肉，我今欲去，唯畏於人。』時，彼鷲鳥與此梵志共論是已，便捨而去，梵志故坐。

> また、一羽のワシが飛んできました。修行者がそれを見て尋ねました。「ようこそ、鷲よ。お前はどこから来て、どこへ行こうとしているのか？」すると鷲は答えました。「修行者よ、私は大きな墓場からまた別の大きな墓場へと、殺戮の旅をしてきました。今、死んだ象の肉や、死んだ馬、死んだ牛、死んだ人の肉を食べようとしています。行こうとは思っていますが、ただ人間だけが怖いのです。」その鷲は修行者とこう語り合った後、去っていきました。修行者はそのまま座り続けました。

「復有食吐鳥來，梵志見已而問之曰：『善來，食吐鳥！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！汝見向者鷲鳥去耶？我食彼吐，我今欲去，唯畏於人。』彼食吐鳥與此梵志共論是已，便捨而去，梵志故坐。

> また、吐瀉物を食べる鳥が来た。梵志はそれを見て問うた。「ようこそ、吐瀉物を食べる鳥よ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか？」 鳥は答えた。「梵志よ、あなたは先ほど去っていった鷲鳥を見ましたか？私はその鷲の吐いたものを食べています。今は立ち去ろうとしています。ただ人間が恐ろしいのです。」 この吐瀉物を食べる鳥は梵志とこう話し終えると、去っていった。梵志はそのまま座り続けた。

「復有犲獸來，梵志見已而問之曰：『善來，犲獸！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！我從深㵎至深㵎，從榛莽至榛莽，從僻靜至僻靜處來，我今欲食死象肉，死馬、死牛、死人之肉，我今欲去，唯畏於人。』時，彼犲獸與此梵志共論是已，便捨而去，梵志故坐。

> また、山犬がやって来た。バラモンはそれを見て尋ねた。「ようこそ、山犬よ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか？」 山犬は答えた。「バラモンよ、私は深い谷から深い谷へ、藪から藪へ、人里離れた場所から人里離れた場所へと来ました。今、私は死んだ象の肉、死んだ馬、死んだ牛、死んだ人の肉を食べようとしています。今まさに去ろうとしていますが、ただ人間だけが怖いのです。」 その時、山犬はこのバラモンとこう語り合った後、立ち去ってしまった。バラモンはそのまま座り続けた。

「復有烏鳥來，梵志見已而問之曰：『善來，烏鳥！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！汝強額癡狂，何為問我：「汝從何來，為欲何去？」』彼時，烏鳥面訶梵志已，便捨而去，梵志故坐。

> また、烏がやって来ました。バラモンはそれを見て尋ねました。「おお、烏よ、よく来たな。お前はどこから来たのか。そして、どこへ行こうとしているのか。」 すると烏は答えました。「バラモンよ、お前は頑固で愚かで頭がおかしい。なぜ私に『どこから来たのか、どこへ行こうとしているのか』などと尋ねるのか。」 その時、烏はそうバラモンを叱ると、そのまま去っていきました。バラモンはなおもそこに座ったままでした。

「復有狌狌獸來，梵志見已而問之曰：『善來，狌狌獸！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！我從園至園，從觀至觀，從林至林，飲清泉水，食好果來，我今欲去，不畏於人。』彼狌狌獸與此梵志共論是已，便捨而去。」

> また、あるサルがやって来ました。修行者がそれを見て尋ねました。「ようこそ、サルよ。お前はどこから来て、どこへ行こうとしているのか？」するとサルは答えました。「修行者よ、私は庭から庭へ、見物から見物へ、林から林へと巡り、清らかな湧き水を飲み、美味しい果物を食べてきました。今は立ち去ろうとしていますが、人間を恐れてはいません。」こうしてサルは修行者と語り合い、そのまま去っていきました。

佛告諸比丘：「吾說此喻，欲令解義，汝等當知此說有義。時，彼獺獸與此梵志共論是已，便捨而去。吾說此喻有何義耶？若有比丘依村邑行，比丘平旦著衣持鉢，入村乞食，不護於身，不守諸根，不立正念，而彼說法，或佛所說，或聲聞所說，因此得利衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具，彼得利已，染著觸猗，不見災患，不能捨離，隨意而用。彼比丘行惡戒，成就惡法，最在其邊，生弊腐敗，非梵行稱梵行，非沙門稱沙門，猶如梵志見獺獸已，而問之曰：『善來，獺獸！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！此池本時清泉盈溢，饒藕多華，魚龜滿中，我昔所依，而今枯熇。梵志當知！我欲捨去，入彼大河，我今欲去，唯畏於人。』吾說比丘亦復如是，入惡不善穢汙法中，為當來有本煩熱苦報、生老病死因，是以比丘莫行如獺，莫依非法以自存命；當淨身行，淨口、意行，住無事中，著糞掃衣，常行乞食，次第乞食，少欲知足，樂住遠離而習精勤，立正念、正智、正定、正慧，常當遠離，應學如是。

> 仏は比丘たちに告げられた。「私はこの譬えを説いたのは、その意味を理解させようとしたのである。あなたたちは、この説に意味があることを知るべきである。あの時、そのカワウソとこの梵志（修行者）が共に論じ終えた後、立ち去った。私がこの譬えを説いたことに、どのような意味があるのか。 もし比丘が村や町に依って住み、比丘が早朝に衣を着て鉢を持ち、村に托鉢に入りながら、身を護らず、諸根を守らず、正念を確立せず、しかも法を説くならば、あるいは仏が説いたこと、あるいは声聞が説いたことによって、衣類や飲食、寝具、薬、様々な生活道具などの利得を得る。その利を得た後、それに染まり執着し、災いの恐れを見ず、捨て離れることができず、思いのままに用いる。 その比丘は悪い戒を行い、悪い法を成就し、最もその辺にあり、腐敗し、清らかな行いではないのに清らかな行いと言い、沙門ではないのに沙門と称する。まるで梵志がカワウソを見て、こう問うたのと同じである。『おお、カワウソよ！あなたはどこから来たのか、そしてどこへ行こうとしているのか。』カワウソは答えた。『梵志よ、この池は以前は清水が溢れ、蓮根が多く花も咲き、魚や亀が満ちていて、私がかつて依っていたところでした。しかし今は枯れ果ててしまいました。梵志よ、知ってください。私はここを去って、あの大河に入ろうとしています。今、私は去ろうとしていますが、ただ人を恐れているのです。』 私が説く比丘もまた、このように悪い不善の穢れた法に入り、未来の苦報や生老病死の因を生む。ゆえに比丘はカワウソのように行為してはならず、非法に依って自らの命を保ってはならない。清らかに身の行いをし、口の行い、意の行いを清らかにし、何事もないところに住み、糞掃衣を着て、常に托鉢を行い、順次に托鉢し、少欲知足で、遠離を楽しみ、精進に努め、正念、正智、正定、正慧を確立し、常に遠離すべきである。このように学ぶべきである。」

「彼究暮鳥與此梵志共論是已，便捨而去。吾說此喻有何義耶？若有比丘依村邑行，比丘平旦著衣持鉢，入村乞食，不護於身，不守諸根，不立正念，彼入他家教化說法，或佛所說，或聲聞所說，因此得利衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具，彼得利已，染著觸猗，不見災患，不能捨離，隨意而用。彼比丘惡戒，成就惡法，最在其邊，生弊腐敗，非梵行稱梵行，非沙門稱沙門，猶如梵志見究暮已，而問之曰：『善來，究暮！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！此池本時清泉盈溢，饒藕多華，魚龜滿中，我昔所依，而今枯熇。梵志當知！我今欲去，依彼死牛聚處栖宿，或依死驢，或依死人聚處栖宿，我今欲去，唯畏於人。』吾說比丘亦復如是，依惡不善穢汙之法，為當來有本煩熱苦報、生老病死因，是以比丘莫行如究暮，莫依非法以自存命；當淨身行，淨口、意行，住無事中，著糞掃衣，常行乞食，次第乞食，少欲知足，樂住遠離而習精勤，立正念、正智、正定、正慧，常當遠離，應學如是。

> 「その究暮という鳥と、かの梵志はこのように語り合ってから、立ち去っていきました。 私はこの譬えで何を伝えようとしたのでしょうか。 もし、ある比丘が村や町に住み着いているとします。その比丘は、朝早く、衣を着けて鉢を持ち、村に托鉢に入ります。しかし、自分の身体を守らず、諸根をしっかりと守らず、正しい念（おもい）を確立していません。彼は人の家に入り、教えを説きます。時に仏が説いたこと、あるいは仏弟子が説いたことを縁として、衣類や食物、寝具、薬などの生活に必要なものを得ます。 そのような利得を得ると、彼はそれに執着し、味わい、その危険を見通せず、手放すことができず、思いのままに使ってしまいます。その比丘は戒を破り、悪い行いを身につけ、最も劣った状態にあり、腐敗し、汚れています。清らかな行いをしていると言いながら実はそうではなく、修行者と言いながら実はそうではありません。まるで、梵志が究暮という鳥を見かけて尋ねたようなものです。 『ようこそ、究暮よ。お前はどこから来て、どこへ行こうとしているのか。』 すると、究暮は答えました。 『梵志よ、この池はかつては清らかな水が満ち溢れ、蓮の根や花が多く、魚や亀でいっぱいでした。私がかつて頼りにしていたところです。しかし、今は干上がってしまいました。梵志よ、知ってください。私は今、あの死んだ牛の集まる場所に行き、そこに泊まろうとしています。あるいは死んだロバか、死んだ人間の集まる場所に泊まろうとしています。私は今、ただ人々を恐れて去ろうとしているのです。』 私が言うところの比丘も、これと同じです。悪しき不浄な汚れた行いに依存し、未来の生存の原因となる煩わしい熱さと苦しい報い、生老病死の原因を作っています。 ですから、比丘は究暮のようにふるまってはいけません。正しくない道に頼って生きながらえてはなりません。身体の行いを清め、言葉と心の行いも清め、何事にも執着しない境地に住み、糞掃衣（つぎはぎの衣）をまとい、常に托鉢し、順番に托鉢し、欲少なく、知足し、遠離に喜びを感じ、精進に励み、正しい念、正しい智慧、正しい定、正しい慧（智慧）を確立し、常に遠離の道を歩むべきです。そのように学ぶべきなのです。」

「時，彼鷲鳥與此梵志共論是已，便捨而去。吾說此喻有何義耶？若有比丘依村邑行，比丘平旦著衣持鉢，入村乞食，不護於身，不守諸根，不立正念，彼入他家教化說法，或佛所說，或聲聞所說，因此得利衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具，彼得利已，染著觸猗，不見災患，不能捨離，隨意而用。彼比丘行惡戒，成就惡法，最在其邊，生弊腐敗，非梵行稱梵行，非沙門稱沙門，猶如梵志見鷲鳥已，而問之曰：『善來，鷲鳥！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！我從大墓復至大墓殺害而來，我今欲食死象之肉，死馬、死牛、死人之肉，我今欲去，唯畏於人。』吾說比丘亦復如是，是以比丘莫行如鷲鳥，莫依非法以自存命；當淨身行，淨口、意行，住無事中，著糞掃衣，常行乞食，次第乞食，少欲知足，樂住遠離而習精勤，立正念、正智、正定、正慧，常當遠離，應學如是。

> さて、その鷲と梵志（バラモン）はこのように語り合った後、別れていった。 私はこの譬えで何を言おうとしているのか。 もし比丘（僧）が村や町に依って暮らすならば、比丘は朝早く衣を着て鉢を持ち、村に托鉢に入る。しかし、身を護らず、諸々の感覚の根を守らず、正しい念を確立していない。 そうした彼が、他人の家に入って教えを説き、あるいは仏が説かれたこと、あるいは声聞（弟子）が説かれたことを語る。そしてその結果、衣、食べ物、寝具、薬、その他生活に必要な品々を得る。 得たものに対して、彼は執着し、それに浸り、そこに災いがあるのを見ず、手放すことができず、思いのままに使う。 その比丘は悪しき戒律を持ち、悪しき行いを成就し、その極みにあり、汚れ腐敗し、梵行（清らかな行い）ではないのに梵行を名乗り、沙門（修行者）ではないのに沙門を名乗る。 まるで梵志が鷲を見て、「ようこそ、鷲よ！お前はどこから来て、どこへ行こうとしているのか？」と尋ねたところ、 鷲が「梵志よ、私は大きな墓からまた大きな墓へと、殺しに行ってきたのです。今、死んだ象の肉、死んだ馬、死んだ牛、死んだ人の肉を食べようとして、今まさに行こうとしているところですが、ただ人間だけは怖いのです」と答えたようなものだ。 私は比丘もまた、これと同じであると言う。 ゆえに、比丘は鷲のようにふるまってはならない。非法（ただしくない道）に依って命をつないではならない。 身の行いを清らかにし、口と意の行いを清らかにせよ。 何もないところに住み、糞掃衣（ぼろ布の衣）をまとい、常に托鉢を行い、順に食を乞い、欲を少なくし足ることを知り、遠離（こだわりを離れること）に楽しく住み、精進を習い励め。 正しい念、正しい智慧、正しい定め、正しい慧を確立し、常に遠く離れるべきである。 そのように学ぶべきである。

「彼食吐鳥與此梵志共論是已，便捨而去。吾說此喻有何義耶？若有比丘依村邑行，比丘平旦著衣持鉢，入村乞食，不護於身，不守諸根，不立正念，彼入比丘尼房教化說法，或佛所說，或聲聞所說，彼比丘尼入若干家說好說惡，受信施物持與比丘，因此得利衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具，彼得利已，染著觸猗，不見災患，不能捨離，隨意而用。彼比丘行惡戒，成就惡法，最在其邊，生弊腐敗，非梵行稱梵行，非沙門稱沙門，猶如梵志見食吐鳥已，而問之曰：『善來，食吐鳥！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！汝見向者鷲鳥去耶？我食彼吐，我今欲去，唯畏於人。』吾說比丘亦復如是，是以比丘莫行如食吐鳥，莫依非法以自存命；當淨身行，淨口、意行，住無事中，著糞掃衣，常行乞食，次第乞食，少欲知足，樂住遠離而習精勤，立正念、正智、正定、正慧，常當遠離，應學如是。

> 彼の糞を食う鳥とこの梵志はこのように語り合い終えて、立ち去った。私がこのたとえを説いたのは、いかなる意味があるのだろうか。もし比丘が村や町に依って行脚するならば、比丘は朝早く衣をまとい鉢を持って、村に入り托鉢する。しかし、身を護らず、諸根を守らず、正念を立てない。その比丘は比丘尼の住まいに入り、教えを説き、あるいは仏の教え、あるいは声聞の教えを語る。その比丘尼は様々な家に入り、善いこと悪いことを語り、信者からの布施を受け、それを比丘に与える。これによって比丘は衣や食べ物、寝具、薬湯、その他生活に必要なものを得る。そのような利得を得た後、比丘はそれに染まり執着し、その災いを見ず、手放すことができず、思いのままに使う。 その比丘は悪い戒を保ち、悪い行いを成就し、最も辺境にあり、腐敗し汚れ、梵行でないのに梵行を名乗り、沙門でないのに沙門と名乗る。まるで梵志が糞を食う鳥を見て、問いかけたのと同じである。「よく来た、糞を食う鳥よ。お前はどこから来て、どこへ行こうとしているのか？」鳥は答えた。「梵志よ、先ほど去っていった鷲鳥を見ましたか。私はその吐いたものを食べたのです。今私は去ろうとしています。ただ人を恐れているのです」 私は比丘もまた同じであると説く。それゆえ、比丘は糞を食う鳥のように振る舞ってはならない。非道に従って自らの命を保ってはならない。身の行いを清め、口の行いと意の行いを清め、何もないところに住み、糞掃衣をまとい、常に托鉢し、次々と托鉢し、少欲知足であり、遠離に楽住して精進を習い、正念、正智、正定、正慧を立て、常に遠離すべきである。このように学ぶべきである。

「時，彼犲獸與此梵志共論是已，便捨而去。吾說此喻有何義耶？若有比丘依貧村住，彼若知村邑及城郭中多有智慧精進梵行者，即便避去，若知村邑及城郭中無有智慧精進梵行者，而來住中，或九月，或十月。諸比丘見已，便問：『賢者！何處遊行？』彼即答曰：『諸賢！我依某處貧村邑行。』諸比丘聞已即作是念：『此賢者難行而行。所以者何？此賢者乃能依某貧村邑行。』諸比丘等便共恭敬禮事供養，因此得利衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具，彼得利已，染著觸猗，不見災患，不能捨離，隨意而用。彼比丘行惡戒，成就惡法，最在其邊，生弊腐敗，非梵行稱梵行，非沙門稱沙門，猶如梵志見犲獸已，而問之曰：『善來，犲獸！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！我從深㵎至深㵎，從榛莽至榛莽，從僻靜至僻靜處來，我今欲食死象之肉，死馬、死牛、死人之肉，我今欲去，唯畏於人。』吾說比丘亦復如是，是以比丘莫行如犲，莫依非法以自存命；當淨身行，淨口、意行，住無事中，著糞掃衣，常行乞食，次第乞食，少欲知足，樂住遠離而習精勤，立正念、正智、正定、正慧，常當遠離，應學如是。

> その時、そのジャッカルはバラモンとこう語り合った後、立ち去ってしまった。私はこのたとえで何を伝えようとしているのか。もし比丘が貧しい村に住んでいるなら、その村や町に多くの智慧ある精進の修行者がいることを知れば、すぐにその地を避けて去る。もし村や町に智慧ある精進の修行者がいないことを知れば、そこにやって来て九月か十月ほど滞在する。比丘たちがそれを見て、「賢者よ、どこを遊行しておられたのですか」と尋ねると、彼は答える。「皆さん、私は某という貧しい村で遊行していました」。比丘たちはそれを聞いてこう思う。「この賢者は難しい行を実践しておられる。なぜなら、この賢者はそのような貧しい村で遊行できるのだから」。そこで比丘たちは彼を敬い、供養し、礼拝し、その結果、衣・食事・寝具・薬などの生活必需品を得る。彼はそれらを得ると、執着し、快楽に浸り、その危険を見ず、それを手放せず、思うままに使う。その比丘は悪しき戒律を実践し、悪しき法を成就し、最も辺境にあり、腐敗した存在である。清らかな行いではないのに清らかな行いを称し、沙門ではないのに沙門を称する。それはまるで、バラモンがジャッカルを見てこう尋ねたのと同じである。「ようこそ、ジャッカルよ。お前はどこから来て、どこへ行こうとしているのか」。ジャッカルは答える。「バラモンよ、私は深い谷から深い谷へ、藪から藪へ、人里離れた所から人里離れた所へとやって来ました。今、私は死んだ象の肉、死んだ馬、死んだ牛、死んだ人の肉を食べようとして、ここへ来たのです。ただ人間だけは恐れています」。比丘もまたこれと同じである。ゆえに比丘はジャッカルのように振る舞ってはならず、非合法な方法で命を繋いではならない。身の行いを清らかにし、口と意の行いを清らかに保ち、無事の場所に住み、糞掃衣を身にまとい、常に托鉢を行い、順に托鉢し、少欲知足であり、遠離に喜びを見出して精進し、正念・正智・正定・正慧を確立し、常に遠離を保つべきである。このように学ぶべきである。

「彼時，烏鳥面訶梵志已，便捨而去。吾說此喻有何義耶？若有比丘依貧無事處而受夏坐，彼若知村邑及城郭中多有智慧精進梵行者，即便避去，若知村邑及城郭中無有智慧精進梵行者，而來住中二月、三月。諸比丘見已，問曰：『賢者！何處夏坐？』答曰：『諸賢！我今依某貧無事處而受夏坐，我不如彼諸愚癡輩，作床成就，具足五事而住於中，中前中後、中後中前，口隨其味，味隨其口，求而求，索而索。』時，諸比丘聞已，即作是念：『此賢者難行而行。所以者何？此賢者乃能依某貧無事處而受夏坐。』諸比丘等便共恭敬禮事供養，因此得利衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具，彼得利已，染著觸猗，不見災患，不能捨離，隨意而用。彼比丘行惡戒，成就惡法，最在其邊，生弊腐敗，非梵行稱梵行，非沙門稱沙門，猶如梵志見烏鳥已，而問之曰：『善來，烏鳥！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！汝強額癡狂，何為問我：汝從何來，為欲何去？』吾說比丘亦復如是，是以比丘莫行如烏，莫依非法以自存命；當淨身行，淨口、意行，住無事中，著糞掃衣，常行乞食，次第乞食，少欲知足，樂住遠離而習精勤，立正念、正智、正定、正慧，常當遠離，應學如是。

> さて、烏面というバラモンがこのように言い終えると、立ち去って行きました。私はこのたとえ話で、いったい何を伝えようとしたのでしょうか。 もし比丘が、何もない貧しい場所に頼って夏安居（夏の修行期間）を行うなら、その者が、村や町の中に智慧ある精進の修行者が大勢いることを知れば、そこから逃げ去ります。逆に、村や町の中に智慧ある精進の修行者がいないと知れば、そこにやって来て二ヶ月、三ヶ月と滞在します。 他の比丘たちがこれを見て尋ねます。「尊者よ、どこで夏安居をされたのですか？」すると彼は答えます。「諸賢よ、私は今、ある貧しく何もない場所に頼って夏安居をいたしました。私はあの愚か者たちのように、立派な寝台を整え、五つの条件を備えた所に住み、朝から昼、昼から朝と、口が味を追い、味が口を追い、求め続け、探し続けるようなことはしませんでした。」 これを聞いた比丘たちは、すぐにこう考えます。「この尊者は、困難な修行を実践しておられる。なぜなら、この尊者は貧しく何もない場所で夏安居をされたのだから。」そして彼らはその比丘を敬い、礼拝し、供養します。その結果、彼は衣類、食物、寝具、薬、その他生活に必要な品々を得るのです。 しかし、それらの品々を得た後、彼はそれらに執着し、心を絡め取られ、それに伴う危険を見通せず、手放すことができなくなって、思いのままに使ってしまいます。その比丘は悪い戒律を実践し、悪い行いを積み上げ、最も低い境地にあり、腐敗した生活を送ります。清らかな行いではないのに清らかな行いを名乗り、修行僧ではないのに修行僧を名乗るのです。 まるで、あるバラモンが烏を見かけて尋ねたのと同じです。「ようこそ、烏よ。お前はどこから来て、どこへ行こうとしているのか？」すると烏は答えました。「バラモンよ、あなたは頑固で愚かだ。なぜ私に、どこから来てどこへ行くのか尋ねるのだ？」 比丘もまたこれと同じです。だからこそ比丘は、烏のように振る舞ってはなりません。また、正しくない方法に頼って命を繋いではなりません。身の行いを清らかにし、口の行い、心の行いを清らかにして、何もない所に住み、糞掃衣（つぎはぎの粗末な衣）を身に着け、常に托鉢行を行い、順番に托鉢し、少欲知足で、遠離の境地を楽しみ、精進に励み、正しい念、正しい智慧、正しい定、正しい慧を確立し、常に悪から遠ざかるべきです。このように学ぶべきなのです。

「彼狌狌獸與此梵志共論是已，便捨而去。吾說此喻有何義耶？若有比丘依村邑行，比丘平旦著衣持鉢，入村乞食，善護於身，守攝諸根，立於正念，彼從村邑乞食已竟，食訖，中後收舉衣鉢，澡洗手足，以尼師檀著於肩上，或至無事處，或至樹下，或至空屋中，敷尼師檀，結加趺坐，正身正願，反念不向，斷除貪伺，心無有諍，見他財物、諸生活具，不起貪伺，欲令我得。彼於貪伺淨除其心。如是瞋恚、睡眠、調悔，斷疑度惑，於善法中無有猶豫，彼於疑惑淨除其心，彼已斷此五蓋——心穢、慧羸，離欲，離惡不善之法，至得第四禪成就遊。彼得如是，定心清淨，無穢無煩，柔軟善住，得不動心，趣向漏盡智通作證，彼便知此苦如真，知此苦習，知此苦滅，知此苦滅道如真，知此漏，知此漏習，知此漏滅，知此漏滅道如真。彼如是知，如是見已，則欲漏心解脫，有漏、無明漏心解脫，解脫已，便知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。猶如梵志見狌狌已，而問之曰：『善來，狌狌！汝從何來，為欲何去？』答曰：『梵志！我從園至園，從觀至觀，從林至林，飲清泉水，噉好果來，我今欲去，不畏於人。』吾說比丘亦復如是。

> 「そのサルとこのバラモンがこう話し合った後、サルは立ち去ってしまいました。私がこのたとえ話で何を伝えようとしているのでしょうか。 比丘が村で托鉢するならば、朝早く衣と鉢を持ち、身をよく守り、感覚をしっかりと保ち、正しい心で村に入り、食事を終えます。その後、衣と鉢を片付け、手と足を洗い、座布を肩にかけ、静かな場所、木の下、あるいは空き家に行き、座布を敷いて結跏趺坐し、身体と心を正し、雑念を捨てます。貪りを断ち、他人の財産や生活品に対して欲を持たず、心を清らかにします。同様に、怒り、眠気、後悔、疑いも断ち切り、善い教えに迷いなく進み、心の汚れを取り除きます。これら五つの覆いを取り除き、欲望と悪しきものを離れて、第四禅定に達します。 こうして心は清らかになり、煩わしさがなく、柔らかく落ち着き、動じない心を得て、煩悩の滅尽を目指します。そうして彼は、苦しみ、その原因、その終わり、その道をありのままに知り、煩悩とその原因、終わり、道をありのままに知ります。こうして知り、見ることで、欲望の煩悩から心が解放され、存在の煩悩、無明の煩悩からも心が解放されます。解放された後は、『生は尽きた。清らかな修行は完成した。為すべきことは成し遂げた。再び迷いの世界に生まれることはない』と悟ります。 まるでバラモンがサルを見て『おいで、サルよ。どこから来て、どこへ行こうとしているのか』と尋ね、サルが『バラモンよ。私は庭から庭へ、見物から見物へ、林から林へと渡り歩き、清水を飲み、美味しい果物を食べてきました。今、私はどこへでも行きます。もう人を恐れることはありません』と答えたのと同じです。比丘もまた、これと同じなのです。」

「是以比丘莫行如獺，莫行如究暮，莫行如鷲，莫行如食吐鳥，莫行如犲，莫行如烏，當行如狌狌。所以者何？世中無著真人如狌狌獸。」

> だから、修行者よ、カワウソのように振る舞ってはならない。ウのように振る舞ってはならない。トビのように振る舞ってはならない。吐いたものを再び食べる鳥のように振る舞ってはならない。ジャッカルのように振る舞ってはならない。カラスのように振る舞ってはならない。サルのように振る舞うべきなのだ。なぜか？この世において、執着のない真の人は、まさにサルのように生きるからである。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

烏鳥喻經第一竟三千一百七十八字

> 烏鳥の喩え経　第一　了<note>三千百七十八字</note>