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title: "中阿含經 · 73 天經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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## 中阿含經卷第十八

> 中阿含経 巻第十八

東晉罽賓三藏瞿曇僧伽提婆譯

> 東晋・罽賓三蔵・瞿曇僧伽提婆 訳

### （七三）中阿含長壽王品天經第二第二小土城誦

> 天経第二

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊枝提瘦，在水渚林中。

> ある時、仏陀はジェータの地を遊行され、水辺の林の中におられた。

爾時，世尊告諸比丘：「我本未得覺無上正真道時，而作是念：『我寧可得生其光明，因其光明而見形色。如是我智見極大明淨。』我為智見極明淨故，便在遠離獨住，心無放逸，修行精勤。我因在遠離獨住，心無放逸，修行精勤故，即得光明，便見形色也。然我未與彼天共同集會，未相慰勞，未有所論說，未有所答對。

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。「私はまだ無上なる真の悟りを得ていなかった頃、こう考えていた——『私は光を生じ、その光によって形や色を見ることができるようになりたい。そうすれば、私の智慧と見解は極めて明るく清らかになるだろう』と。智慧と見解を極めて明るく清らかにするために、私は離れた場所に独りで住み、心を放縦にせず、修行に励んだ。その結果、光を得て、形や色を見ることができるようになった。しかし、私はまだその天の人々と共に集まることも、互いに労をねぎらうことも、何かを論じることも、問答することもなかったのである。」

「我復作是念：『我寧可得生其光明，因其光明而見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對。如是我智見極大明淨。』我為智見極明淨故，便在遠離獨住，心無放逸，修行精勤。我因在遠離獨住，心無放逸，修行精勤故，即得光明，便見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對也。然我不知彼天如是姓、如是字、如是生。

> また、私はこう考えた。 『どうか私は、その光の中に生まれ、その光を通して形や色を見、彼らの天の仲間たちと共に集い、互いに労り合い、語り合い、問い答え合うことができますように。そのようにして、私の智慧と見識は極めて明らかに清らかなものとなるだろう。』 私は智慧と見識を極めて明らかに清らかにするために、遠く離れた場所で独り住み、心を放逸にせず、修行に精進した。その結果、光を得て、形や色を見ることができ、彼らの天の仲間たちと共に集い、互いに労り合い、語り合い、問い答え合うことができるようになった。 しかし、私は彼らの天の者たちの姓や名、生まれについては知らなかった。

「我復作是念：『我寧可得生其光明，因其光明而見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對；亦知彼天如是姓、如是字、如是生。如是我智見極大明淨。』我為智見極明淨故，便在遠離獨住，心無放逸，修行精勤。我因在遠離獨住，心無放逸，修行精勤故，即得光明，便見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對；亦知彼天如是姓、如是字、如是生也。然我不知彼天如是食、如是受苦樂。

> 私はまたこう考えました。 『私は、その光のもとに生まれることができよう。その光によって形や色を見、その天の者たちと共に集い、互いに慰め合い、語り合い、問い答えをすることができよう。また、その天の者たちの姓や名前や生まれを知ることもできよう。こうして私の智慧と見解は極めて明らかに清らかになるだろう。』 私は智慧と見解を極めて明らかに清らかにするため、遠く離れた場所に独りで住み、心を放逸にせず、修行に励み精進しました。 その結果、遠く離れて独り住み、心を放逸にせず、修行に励み精進したことによって、光を得て、形や色を見、その天の者たちと共に集い、互いに慰め合い、語り合い、問い答えをすることができました。また、その天の者たちの姓や名前や生まれをも知ることができました。 しかし、その天の者たちがどのようなものを食べ、どのように苦楽を経験しているかは、まだ知ることができませんでした。

「我復作是念：『我寧可得生其光明，因其光明而見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對；亦知彼天如是姓、如是字、如是生；亦知彼天如是食、如是受苦樂。如是我智見極大明淨。』我為智見極明淨故，便在遠離獨住，心無放逸，修行精勤。我因在遠離獨住，心無放逸，修行精勤故，即得光明，便見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對；亦知彼天如是姓、如是字、如是生；亦知彼天如是食、如是受苦樂也。然我不知彼天如是長壽、如是久住、如是命盡。

> そこで私はこう考えた。 「私は、その光のもとに生まれ、その光によって形や色を見ることができ、その天の者たちと集い合い、慰め合い、語り合い、問答もできよう。さらに、彼らの姓、名、生まれ、食べ物、苦楽も知ることができるだろう。そうすれば、私の智慧と見識は極めて明らかに清らかになるに違いない。」 智慧と見識を極めて明らかに清らかにするため、私は遠く離れて独り住まいし、心を放逸にせず、修行に励んだ。その結果、光を得て形や色を見ることができ、その天の者たちと集い合い、慰め合い、語り合い、問答もできた。また、彼らの姓、名、生まれ、食べ物、苦楽も知ることができた。 しかし、私は彼らの寿命の長さや、どれほど長くその状態に留まるのか、命が尽きる時については知ることができなかった。

「我復作是念：『我寧可得生其光明，因其光明而見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對；亦知彼天如是姓、如是字、如是生；亦知彼天如是食、如是受苦樂，亦知彼天如是長壽、如是久住、如是命盡。如是我智見極大明淨。』我為智見極明淨故，便在遠離獨住，心無放逸，修行精勤。我因在遠離獨住，心無放逸，修行精勤故，即得光明，便見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對；亦知彼天如是姓、如是字、如是生；亦知彼天如是食、如是受苦樂；亦知彼天如是長壽、如是久住、如是命盡也。然我不知彼天作如是如是業已，死此生彼。

> 私はさらにこう考えた。 「私は、どうにかしてその光の中に生まれ、その光によって姿かたちを見、その天たちと共に集い、互いに慰め合い、語り合い、問い答えができるようになりたい。また、その天たちの姓や名、生まれ、そして彼らの食べ物、受ける苦楽、長寿、寿命が尽きる時までも知りたい。そのようにして、私の智慧と見識は極めて明らかで清らかなものとなるだろう。」 智慧と見識を極めて明らかで清らかにするため、私は人里離れた場所に一人で住み、心を放逸にせず、熱心に修行に励んだ。その結果、まさにその光を得て、姿かたちを見ることができ、その天たちと共に集い、互いに慰め合い、語り合い、問い答えができるようになった。また、彼らの姓や名、生まれ、食べ物、受ける苦楽、長寿、寿命が尽きる時までも知ることができた。しかし、彼らがどのような行いを積んで、この世を去り、あの世に生まれたのかは、まだ知ることはできなかった。

「我復作是念：『我寧可得生其光明，因其光明而見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對；亦知彼天如是姓、如是字、如是生；亦知彼天如是食、如是受苦樂；亦知彼天如是長壽、如是久住、如是命盡；亦知彼天作如是如是業已，死此生彼。如是我智見極大明淨。』我為智見極明淨故，便在遠離獨住，心無放逸，修行精勤。我因在遠離獨住，心無放逸，修行精勤故，即得光明，便見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對；亦知彼天如是姓、如是字、如是生；亦知彼天如是食、如是受苦樂；亦知彼天如是長壽、如是久住、如是命盡；亦知彼天作如是如是業已，死此生彼也。然我不知彼天、彼彼天中。

> （私はさらにこう考えた──） 「私はその光明の中に生まれたい、その光によって形や色を見、その天の者たちと共に集い、互いに慰め合い、語り合い、問答したい。また、その天の者たちの姓、名、生まれを知り、彼らの食物や苦楽をも知り、彼らの寿命の長さ、存続の期間、命の終わりを知り、彼らがどのような業をなして、ここで死に、あそこに生まれるかを知りたい。このように、私の智慧と見解は極めて明らかで清らかになるであろう。」 私は智慧と見解を極めて明らかに清らかにするため、遠く離れたところに独り住み、心を放逸にせず、修行に励んだ。その結果、光明を得て、形や色を見、その天の者たちと共に集い、互いに慰め合い、語り合い、問答することができた。また、彼らの姓、名、生まれ、食物、苦楽、寿命の長さ、存続の期間、命の終わりをも知った。さらに、彼らがどのような業をなして、ここで死に、あそこに生まれるかをも知った。しかし、私はその天、あるいはそれらの天について、すべてを知り尽くしたわけではない。

「我復作是念：『我寧可得生其光明，因其光明而見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對；亦知彼天如是姓、如是字、如是生；亦知彼天如是食、如是受苦樂；亦知彼天如是長壽、如是久住、如是命盡；亦知彼天作如是如是業已，死此生彼；亦知彼天、彼彼天中。如是我智見極大明淨。』我為智見極明淨故，便在遠離獨住，心無放逸，修行精勤。我因在遠離獨住，心無放逸，修行精勤故，即得光明，便見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對；亦知彼天如是姓、如是字、如是生；亦知彼天如是食、如是受苦樂；亦知彼天如是長壽、如是久住、如是命盡；亦知彼天作如是如是業已，死此生彼；亦知彼天、彼彼天中也。然我不知彼天上，我曾生中、未曾生中。

> 「さらに私はこう考えました。『もし私は、かの光明（光）を得ることができれば、その光明によって彼らの姿形を見ることができるだろう。そして、彼ら天の者たちと共に集い、互いに慰め合い、語り合い、問答することもできるだろう。さらに、彼ら天の者が、どのような姓を持ち、どのような名を持ち、どのような生まれであるかを知ることができるだろう。また、彼ら天の者が、どのような食物を食べ、どのような苦楽を経験しているかを知ることができるだろう。さらに、彼ら天の者が、どのくらい長生きし、どのくらいの間そこに留まり、どのようにして命を終えるかを知ることができるだろう。また、彼らがどのような行いをして、死後ここに生まれたのかをも知ることができるだろう。このようにして、私の智慧と見解は極めて明らかで清らかなものとなるだろう。』 智慧と見解を極めて明らかに清らかなものとするために、私は遠く離れた場所に独り住み、心を放逸にせず、修行に精進しました。その結果、私は光明を得て、彼らの姿形を見ることができました。そして、彼ら天の者たちと共に集い、互いに慰め合い、語り合い、問答することもできました。さらに、彼ら天の者の姓、名、生まれ、食べ物、苦楽、寿命、命の終わり方、そして死後どのようにしてここに生まれたのかも知ることができました。また、彼ら一人ひとりの天の者についても同様に知ることができました。しかし、私はまだ、自分が過去にその天界に生まれたことがあるのか、それともないのかについては知ることができませんでした。」

「我復作是念：『我寧可得生其光明，因其光明而見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對；亦知彼天如是姓、如是字、如是生；亦知彼天如是食、如是受苦樂；亦知彼天如是長壽、如是久住、如是命盡；亦知彼天作如是如是業已，死此生彼；亦知彼天、彼彼天中；亦知彼天上，我曾生中、未曾生中。如是我智見極大明淨。』我為智見極明淨故，便在遠離獨住，心無放逸，修行精勤。我因在遠離獨住，心無放逸，修行精勤故，即得光明，便見形色，及與彼天共同集會，共相慰勞，有所論說，有所答對；亦知彼天如是姓、如是字、如是生；亦知彼天如是食、如是受苦樂；亦知彼天如是長壽、如是久住、如是命盡；亦知彼天作如是如是業已，死此生彼；亦知彼天、彼彼天中；亦知彼天上，我曾生中、未曾生中也。

> 「また、私はこう考えました。『私はその光の中に生まれ、その光によって姿かたちを見ることができ、その天の者たちと共に集まり、互いに慰め合い、語り合い、問いかけ、答え合うことができるだろう。また、彼らの姓、名、生まれを知り、彼らの食べ物、苦楽を知り、彼らの長寿、久しく住むこと、命の終わりを知り、彼らがどのような業をなして死に、ここに生まれたかも知るだろう。さらに、一人ひとりの天の者のいる天界、そして私がかつて生まれた天界と、まだ生まれたことのない天界をも知るだろう。このようにして、私の智慧と見方は極めて明らかで清らかになるだろう。』 智慧と見方を極めて明らかで清らかにするため、私は遠く離れたところに独り住み、心を放逸にせず、修行に励みました。その結果、光を得て、姿かたちを見ることができ、その天の者たちと共に集まり、互いに慰め合い、語り合い、問いかけ、答え合うことができました。また、彼らの姓、名、生まれを知り、彼らの食べ物、苦楽を知り、彼らの長寿、久しく住むこと、命の終わりを知り、彼らがどのような業をなして死に、ここに生まれたかも知りました。さらに、一人ひとりの天の者のいる天界、そして私がかつて生まれた天界と、まだ生まれたことのない天界をも知ることができたのです。」

「若我不正知得此八行者，便不可一向說得，亦不知我得覺無上正真之道；我亦於此世間，諸天、魔、梵、沙門、梵志不能出過其上；我亦不得解脫種種解脫；我亦未離諸顛倒，未生已盡、梵行已立、所作已辦、不更受有，知如真。若我正知得此八行者，便可一向說得，亦知我得覺無上正真之道；我亦於此世間，諸天、魔、梵、沙門、梵志出過其上；我亦得解脫種種解脫，我心已離諸顛倒，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。」

> 「もし私がこの八つの行い（八正道）を正しく知り、体得していなかったならば、私は決して『悟りを得た』とは言えなかったでしょう。また、自ら『無上正真の道（最高の悟り）を覚った』とも知らなかったでしょう。そして、私はこの世の中において、天や魔、梵天、修行者、聖者たちを超えることができず、様々な解脱からも解放されず、まだ多くの迷い（顛倒）を離れておらず、『生は尽きた。梵行は立てられた。なすべきことは成し遂げた。もはや再び迷いの世界に受生することはない』という真理をありのままに知ることはなかったでしょう。 しかし、私がこの八つの行いを正しく知り、体得したので、私は迷いなく『悟りを得た』と言うことができます。また、自ら『無上正真の道を覚った』と確かに知っています。そして、私はこの世の中において、天や魔、梵天、修行者、聖者たちを超えることができ、様々な解脱を成就し、心はすでにすべての迷いを離れました。『生は尽きた。梵行は立てられた。なすべきことは成し遂げた。もはや再び迷いの世界に受生することはない』という真理を、ありのままに知っているのです。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

天經第二竟千七百七十四字

> 天の経典 第二 おわり<note>千七百七十四字</note>