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title: "中阿含經 · 74 八念經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （七四）中阿含長壽王品八念經第三第二小土城誦

> （七四）中阿含経　長壽王品　八念経　第三

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊婆奇瘦，在鼉山怖林鹿野園中。

> ある時、仏陀はバーキーの地を巡り、蛇山の怖林の鹿野園に滞在しておられました。

爾時，尊者阿那律陀在枝提瘦水渚林中。彼時，尊者阿那律陀在安靜處燕坐思惟，心作是念：「道從無欲，非有欲得。道從知足，非無厭得。道從遠離，非樂聚會，非住聚會，非合聚會得。道從精勤，非懈怠得。道從正念，非邪念得。道從定意，非亂意得。道從智慧，非愚癡得。」

> その時、尊者アヌルッダは枝提（ジェーティヴァナ）の水辺の林の中におられた。尊者アヌルッダは静かな場所で坐禅を組み、心の中でこう考えた。 「道は欲のないことから得られるのであって、欲があることから得られるのではない。 道は足ることを知ることから得られるのであって、満足しないことから得られるのではない。 道は遠離（遠く離れること）から得られるのであって、集まりを楽しみ、集まりに留まり、集まりに合わさることから得られるのではない。 道は精進（努力）から得られるのであって、怠けることから得られるのではない。 道は正しい念（気づき）から得られるのであって、誤った思いから得られるのではない。 道は心を定めることから得られるのであって、心を乱すことから得られるのではない。 道は智慧から得られるのであって、愚かさから得られるのではない。」

於是，世尊以他心智知尊者阿那律陀心中所念、所思、所行。世尊知已，即入如其像定，以如其像定猶若力士屈申臂頃，如是世尊從婆奇瘦鼉山怖林鹿野園中忽沒不現，住枝提瘦水渚林中尊者阿那律陀前。是時，世尊便從定覺，歎尊者阿那律陀曰：「善哉，善哉！阿那律陀！謂汝在安靜處燕坐思惟，心作是念：『道從無欲，非有欲得。道從知足，非無厭得。道從遠離，非樂聚會，非住聚會，非合聚會得。道從精勤，非懈怠得。道從正念，非邪念得。道從定意，非亂意得。道從智慧，非愚癡得。』

> そこで、世尊は他者の心を知る智慧（他心智）によって、尊者アヌルッダが心に念じ、思い、行っていることを知りました。世尊はそれを知ると、そのままある種の禅定（定）に入りました。すると、まるで力強い人が腕を伸ばしたり曲げたりするような速さで、世尊はバッキソウの蛇山、恐怖林の鹿野園から忽然と姿を消し、ジェータクの水渚林にいる尊者アヌルッダの前に現れました。 その時、世尊は禅定から覚めて、尊者アヌルッダを称えられました。 「善きかな、善きかな、アヌルッダよ。あなたが静かな場所で坐禅を組み、心の中でこう思ったのは。『道は無欲から得られるのであり、欲から得られるのではない。道は知足から得られるのであり、満足を知らないことから得られるのではない。道は遠離から得られるのであり、集まりを楽しんだり、集まりに留まったり、集まりに加わったりすることから得られるのではない。道は精進努力から得られるのであり、怠惰から得られるのではない。道は正しい念（正念）から得られるのであり、邪な念から得られるのではない。道は心を定めること（定意）から得られるのであり、心が乱れることから得られるのではない。道は智慧から得られるのであり、愚かさから得られるのではない。』」

「阿那律陀！汝從如來更受第八大人之念，受已，便思道從不戲、樂不戲、行不戲，非戲、非樂戲、非行戲得。阿那律陀！若汝成就此大人八念者，汝必能離欲、離惡不善之法，至得第四禪成就遊。阿那律陀！若汝成就大人八念，而復得此四增上心，現法樂居，易不難得者，如王、王臣有好緘簏，盛滿種種衣，中前欲著，便取著之，中時、中後若欲著衣，便取著之，隨意自在。阿那律陀！汝亦如是，得糞掃衣為第一服，汝心無欲，行此住止行。

> 「アヌルッダよ。あなたは如来からさらに第八の大人の念を受けた。それを受けたならば、こう思え——道は遊びからではなく、遊びを楽しまず、遊びを行うことなく、遊びによらず、遊びを楽しむことなく、遊びを行うことによって得られるものではない、と。 アヌルッダよ。あなたがこの大人の八つの念を成就するならば、必ず欲望を離れ、悪しき不善の法を離れて、第四禅を成就して遊ぶことができるだろう。 アヌルッダよ。あなたが大人の八つの念を成就し、さらにこの四つの増上心を得て、現世の法において楽しく住み、容易で得難くないならば、それはちょうど王や王の家臣が美しい箱を持ち、様々な衣で満たしており、午前に着たい時にそれを取り出して着、昼や午後にも衣を着たい時に取り出して着るように、思いのままに自在である。 アヌルッダよ。あなたもまたそのように、糞掃衣を第一の服とし、心に欲望なく、この住と止め行を実践しなさい。」

「阿那律陀！若汝成就大人八念，而復得此四增上心，現法樂居，易不難得者，如王、王臣有好廚宰，種種淨妙甘美餚饍。阿那律陀！汝亦如是，常行乞食為第一饌，汝心無欲，行此住止行。

> アーナンダよ。あなたがこの「大人八念」を成就し、さらにこの四つの増上心を得て、現世において安楽に住し、それを易々と得ることができるならば、それはちょうど王や王の家臣が優れた料理人を持ち、様々な清らかで素晴らしい美味しい料理を味わうようなものです。アーナンダよ、あなたもまた同じです。常に托鉢修行を第一の食とし、心に欲なく、この行いに安住しなさい。

「阿那律陀！若汝成就大人八念，而復得此四增上心，現法樂居，易不難得者，如王、王臣有好屋舍，或樓閣宮殿。阿那律陀！汝亦如是，依樹下止為第一舍，汝心無欲，行此住止行。

> 阿那律陀よ。もしあなたが大人の八つの念を成就し、さらにこの四つの増上心を得て、現世において楽しく安住し、容易に得られて困難でないならば、それはちょうど王や王の臣下が立派な家屋や楼閣、宮殿を持つようなものです。阿那律陀よ。あなたもまた、そのように木の下に止まることを第一の住まいとし、心に欲望なく、この住まいの行を実践しなさい。

「阿那律陀！若汝成就大人八念，而復得此四增上心，現法樂居，易不難得者，如王、王臣有好床座，敷以氍氀、毾𣰆，覆以錦綺、羅縠，有襯體被，兩頭安枕，加陵伽波惒邏、波遮悉哆羅那。阿那律陀！汝亦如是，草座葉座為第一座，汝心無欲，行此住止行。

> 「アヌルッダよ、もしおまえが大人の八つの念（はちねん）を成就し、さらにこの四つの増上心（ぞうじょうしん）を得て、現世の法における楽（らく）に安住し、それを得るに難くないならば――ちょうど王や大臣が、良い寝台や座具を持ち、毛氈（もうせん）や敷物を敷き、華やかな絹や薄絹で覆い、体に合った布団を用い、両端に枕を置き、さらに上等な敷物を重ねているようなものであるが――アヌルッダよ、おまえもまた、草の座や葉の座を第一の座とし、心に欲（よく）なく、そのようにして住み、行動しなさい。」

「阿那律陀！若汝成就大人八念，而復得此四增上心，現法樂居，易不難得者，如是汝若遊東方，必得安樂，無眾苦患；若遊南方、西方、北方者，必得安樂，無眾苦患。

> アーナンダよ。もしおまえが大人（たいじん）の八つの思念を成就し、さらにこの四つの殊勝な心の境地を得て、現世において安楽に留まり、それを易々と得られるならば、そのようにしておまえが東方に赴こうとも、必ず安楽を得て、あらゆる苦しみの悩みはないだろう。また南方、西方、北方に赴こうとも、必ず安楽を得て、あらゆる苦しみの悩みはないだろう。

「阿那律陀！若汝成就大人八念，而復得此四增上心，現法樂居，易不難得者，我尚不說汝諸善法住，況說衰退？但當晝夜增長善法而不衰退。

> 「アヌルッダよ、もしあなたが大人の八つの正しい観念を成就し、さらにこの四つの優れた心の境地を得て、現世における安楽の境地に難なくとどまることができるならば、私はあなたの善い教えがとどまることすら言わないでしょう。ましてや衰退するなどと言うことはありません。ただ昼夜、善い教えが増長し、衰退することはないのです。」

「阿那律陀！若汝成就大人八念，而復得此四增上心，現法樂居，易不難得者，汝於二果必得其一，或於現世得究竟智，或復有餘得阿那含。

> 阿那律よ、もしあなたが大人の八つの観念を成就し、さらにこの四つの増上心（すぐれた心の状態）を得て、現世において安楽に住することができ、それを容易に得られるならば、あなたは二つの果報のうち必ず一つを得るでしょう。すなわち、現世において究極の智慧を得るか、あるいは後に阿那含（不還果）を得るでしょう。

「阿那律陀！汝當成就此大人八念，亦應得此四增上心，現法樂居，易不難得已，然後於枝提瘦水渚林中受夏坐也。」

> 「アヌルッダよ、あなたはこの偉大な人の八つの憶念を成就しなければなりません。そうすれば、この四つのより高い心（四増上心）も得られるでしょう。現世において安楽に住することができ、容易に得られ、苦労しません。その後に、枝提の水辺の林で夏の修行（安居）を行いなさい。」

爾時，世尊為尊者阿那律陀說法，勸發渴仰，成就歡喜，無量方便為彼說法，勸發渴仰。成就歡喜已，入如其像定，以如其像定，猶若力士屈申臂頃，如是世尊從枝提瘦水渚林中忽沒不見，住婆奇瘦鼉山怖林鹿野園中。

> その時、世尊は尊者アヌルッダのために法を説き、彼の心に敬慕の念を起こさせ、歓喜を成就させられた。様々な方法で法を説き、敬慕の念を起こさせ、歓喜を成就させられた後、世尊はそのような禅定に入られた。力強い者が腕を曲げ伸ばしするかのような一瞬のうちに、世尊は枝提の水辺の林から忽然と姿を消され、婆奇の亀山にある怖林鹿野園に現れられた。

彼時，尊者阿難執拂侍佛。於是，世尊便從定覺，迴顧告曰：「阿難！若有比丘遊鼉山怖林鹿野園中者，令彼一切皆集講堂，集講堂已，還來白我。」

> その時、尊者アーナンダは払子（ほっす）を手に、仏様に仕えていました。 そこで、世尊は禅定からお覚めになり、振り返ってアーナンダに告げられました。 「アーナンダよ。もし、比丘たちが鼉山（だざん）の恐怖の林、鹿野園（ろくやおん）にいるならば、彼ら全員を講堂に集めなさい。講堂に集めたならば、戻って私に知らせなさい。」

尊者阿難受佛教已，稽首禮足，即行宣勅：「諸有比丘遊鼉山怖林鹿野園中者，令彼一切皆集講堂。」集講堂已，還詣佛所，頭面禮足，却住一面，白曰：「世尊！諸有比丘遊鼉山怖林鹿野園中者，已令一切皆集講堂，唯願世尊自當知時。」

> 阿難尊者は仏の教えを受け、頭を地に付けて足に礼拝し、すぐに布告を伝えに行った。 「鼉山、怖林、鹿野園に滞在するすべての比丘たちよ、彼ら全員に講堂に集まるように伝えよ。」 一同が講堂に集まった後、阿難は再び仏の元に赴き、頭と顔を仏の足に付けて礼拝し、一歩退いて控え、こう申し上げた。 「世尊よ、鼉山、怖林、鹿野園に滞在するすべての比丘たちは、すでに全員を講堂に集めさせました。どうか世尊が時宜を御賢察くださいませ。」

於是，世尊將尊者阿難往詣講堂，於比丘眾前敷座而坐，坐已，告曰：「諸比丘！我今為汝說大人八念，汝等諦聽，善思念之。」時，諸比丘受教而聽。

> そこで、世尊は尊者の阿難を連れて講堂に向かい、比丘たちの前で座を整えてお座りになり、お坐りになった後に告げられました。「比丘たちよ、私は今、あなたたちに大人の八つの念い（八念）を説こう。よく聞き、よく心に刻みなさい。」その時、比丘たちは教えを受けて聞きました。

佛言：「大人八念者，謂道從無欲，非有欲得。道從知足，非無厭得。道從遠離，非樂聚會，非住聚會，非合聚會得。道從精勤，非懈怠得。道從正念，非邪念得。道從定意，非亂意得。道從智慧，非愚癡得。道從不戲、樂不戲、行不戲，非戲、非樂戲、非行戲得。

> 仏陀は言われた。「大人の八つの修行の道とは、第一に、道は欲望を離れることから得られ、欲望からは得られない。第二に、道は足ることを知ることから得られ、満足を知らなければ得られない。第三に、道は遠離から得られ、集まりを好まず、集まりに住まず、集まりに合わなければ得られる。第四に、道は精進から得られ、怠りからは得られない。第五に、道は正しい念から得られ、誤った念からは得られない。第六に、道は心を定めることから得られ、心の乱れからは得られない。第七に、道は智慧から得られ、愚かさからは得られない。第八に、道は戯れず、戯れを楽しまず、戯れを行わないことから得られ、戯れ、戯れを楽しみ、戯れを行うことからは得られない。」

「云何道從無欲，非有欲得？謂比丘得無欲，自知得無欲，不令他人知我無欲，得知足、得遠離、得精勤、得正念、得定意、得智慧、得不戲；自知得不戲，不欲令他知我無欲，是謂道從無欲，非有欲得。

> 「どうして道は欲を離れて得られるものであり、欲を持つことで得られるものではないのか？それは、修行者が欲を離れ、自ら欲を離れたことを知りながら、他人に自分が欲を離れたことを知らせようとしないこと。満足することを知り、遠離し、精進し、正しい念を保ち、心を定め、智慧を得て、戲論（けろん）を離れること。自ら戲論を離れたことを知りつつ、他人に自分が欲を離れたことを知らせようとしない。これが『道は欲を離れて得られるものであり、欲を持つことで得られるものではない』ということである。」

「云何道從知足，非無厭得？謂比丘行知足，衣取覆形，食取充軀，是謂道從知足，非無厭得。

> 「どうして修行の道は足ることを知ることから成り立ち、満足を知らないことからは成り立たないのでしょうか。比丘（修行者）は足ることを知って修行します。衣はただ身体を覆うためだけに受け、食物はただ飢えをしのぐためだけに取ります。これこそが、道が足ることを知ることから成り立ち、満足を知らないことからは成り立たないということです。」

「云何道從遠離，非樂聚會，非住聚會，非合聚會得？謂比丘行遠離，成就二遠離，身及心俱遠離，是謂道從遠離，非樂聚會，非住聚會，非合聚會得。

> 道は、遠離（おんり）から得られるものであって、群れを楽しんだり、群れに留まったり、群れに交わったりして得られるものではありません。比丘（びく）が遠離を行じ、二つの遠離を成就する、すなわち身も心も共に遠離すること、これを「道は遠離から得られるものであって、群れを楽しまず、群れに留まらず、群れに交わらない」というのです。

「云何道從精勤，非懈怠得？謂比丘常行精進，斷惡不善，修諸善法，恒自起意，專一堅固，為諸善本不捨方便，是謂道從精勤，非懈怠得。

> 問う、どのようにして道は精進から得られ、懈怠からは得られないのか？ 比丘が常に精進を行い、悪しき不善を断ち、諸々の善法を修め、常に自ら意を起こし、専一に堅固に、諸々の善の根本として方便を捨てないこと、これを「道は精進から得られ、懈怠からは得られない」という。

「云何道從正念，非邪念得？謂比丘觀內身如身，觀內覺、心、法如法，是謂道從正念，非邪念得。

> 「道が正しい念から生まれ、邪な念からは生まれないとは、どういうことか？ それは、比丘が自身の身体をありのままに観察し、自身の感覚、心、そして現象（法）をありのままに観察することである。これこそが、道が正しい念から生まれ、邪な念からは生まれないことを意味する。」

「云何道從定意，非亂意得？謂比丘離欲、離惡不善之法，至得第四禪成就遊，是謂道從定意，非亂意得。

> 「どうして道は心を定めることから得られ、心の乱れからは得られないのでしょうか。 それは、比丘（修行者）が欲望を離れ、悪く不善な法を離れ、第四禅に至って成就して安住することです。 これが、道は心を定めることから得られ、心の乱れからは得られない、ということの意味です。」

「云何道從智慧，非愚癡得？謂比丘修行智慧，觀興衰法，得如是智，聖慧明達，分別曉了，以正盡苦，是謂道從智慧，非愚癡得。

> 智慧による道とは、愚かさから得られるものではありません。比丘が智慧を修行し、物事が生じては滅するという道理を観察することで、このような智慧を得ます。その智慧は、聖なるものとして明らかに通達し、すべてをはっきりと見極め、正しく苦しみを尽くすことができるのです。これこそが智慧による道であり、愚かさから得られるものではないと説かれています。

「云何道從不戲、樂不戲、行不戲，非戲、非樂戲、非行戲得？謂比丘意常滅戲，樂住無餘涅槃，心恒樂住，歡喜意解，是謂道從不戲、樂不戲、行不戲，非戲、非樂戲、非行戲得。

> 道というものは、戯れ（煩わしい分別）から離れ、戯れを楽しまず、戯れに従って歩まず、戯れを為さず、戯れを喜ばず、戯れによって得られるものではありません。 比丘が心を常に戯れから滅し、余すことのない涅槃に安住することを楽しみ、心が常にその安らぎを喜び、心が清らかに解放されること——これこそが、戯れから離れ、戯れを楽しまず、戯れに従って歩まず、戯れを為さず、戯れを喜ばず、戯れによって得られるのではない道なのです。

「諸比丘！阿那律陀比丘成就此大人八念已，然後枝提瘦水渚林中受夏坐也。我以此教彼在遠離獨住，心無放逸，修行精勤。彼在遠離獨住，心無放逸，修行精勤已，族姓子所為，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道者，唯無上梵行訖，於現法中自知自覺，自作證成就遊，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。」

> 「比丘たちよ、阿那律陀比丘は、この大人の八つの想いを成就した後、枝提の水辺の林で雨期の修行を行いました。私は彼に、これ（この教え）をもって、遠く離れて独り住み、心を放逸にせず、修行に精進するように教えました。彼は遠く離れて独り住み、心を放逸にせず、修行に精進した結果、良家の子息たちが、剃髪し、袈裟をまとい、信心をもって家を捨て、家なき者として学道する目的――すなわち、この上ない清らかな行いを完成し、現在のうちに自ら知り、自ら悟り、自ら証して達し、『生は尽きた。清らかな行いは完成した。なすべきことは成し遂げた。もはや迷いの生存を受けることはない』と、あるがままに知ったのです。」

是時，尊者阿那律陀得阿羅呵，心正解脫，得長老上尊，則於爾時而說頌曰：

> その時、尊者のアヌルッダは阿羅漢果を得て、心が完全に解脱し、長老としての最高の尊敬を受けました。そこで、その時に彼は次のように偈を述べました。

「遙知我思念， 無上世間師，正身心入定， 乘虛忽來到。如我心所念， 為說而復過，諸佛樂不戲， 遠離一切戲。既從彼知法， 樂住正法中，逮得三昧達， 佛法作已辦。我不樂於死， 亦不願於生，隨時任所適， 立正念正智。鞞耶離竹林， 我壽在彼盡，當在竹林下， 無餘般涅槃。」

> 遠くに在りて、我が想いを知り給う 世の無上の師は、 身も心も正しく定に入り、 虚空を乗って忽ちに至り給う。 我が心に念じるままに説き、 しかもその以上に示し給えり。 諸の仏は戯れを楽しまず、 一切の戯れを遠く離れたまう。 その方より法を知りて、 正法の中に安住するを楽しみ、 三昧を得て達し、 仏の法は成し遂げたり。 我は死を楽しまず、 また生をも願わず、 時に任せて赴くままに、 正念と正智を立てて在らん。 ヴァイシャーリーの竹林にて、 我が寿命は尽きる。 竹林の下に在りて、 余すことなく般涅槃に入らん。

佛說如是，尊者阿那律陀及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏様はこのようにお説きになりました。尊者アヌルッダや比丘たちは、仏の教えを聞いて、喜び、その教えの通りに修行しました。

八念經第三竟千九百五十四字

> 八念経第三終わり<note>千九百五十四字</note>