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title: "中阿含經 · 83 長老上尊睡眠經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （八三）中阿含長壽王品長老上尊睡眠經第十二第二小土城誦

> （八三）中阿含 長壽王品 長老上尊の睡眠経 第十二

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊婆耆瘦，在鼉山怖林鹿野園中。

> ある時、お釈迦さまはバギ族の地を巡り、鼉山の怖林にある鹿野園におられました。

爾時，尊者大目揵連遊摩竭國，在善知識村中。於是，尊者大目揵連獨安靜處宴坐思惟而便睡眠。世尊遙知尊者大目揵連獨安靜處宴坐思惟而便睡眠。世尊知已，即入如其像定，以如其像定，猶若力士屈申臂頃，從婆耆瘦鼉山怖林鹿野園中忽沒不現，往摩竭國善知識村尊者大目揵連前。於是，世尊從定而寤，告曰：「大目揵連！汝著睡眠。大目揵連！汝著睡眠。」

> その時、尊者マハー・モッガラーナはマガダ国を遊行し、善知識村に滞在していた。尊者マハー・モッガラーナは静かな場所で独り坐禅し、思索にふけっていたが、やがて眠りに落ちた。世尊は遠くから、尊者マハー・モッガラーナが静かな場所で独り坐禅し、思索にふけっていたが、眠りに落ちたことをご存知になった。 世尊はそれをご存知になると、直ちに定に入られた。その定の力によって、ちょうど力士が腕を曲げ伸ばすほどの短い間に、婆耆瘦の鼉山、怖林、鹿野園から忽然と姿を消し、マガダ国の善知識村、尊者マハー・モッガラーナの前に現れた。そして、世尊は定から出て、こう告げられた。 「モッガラーナよ、汝は眠りに陥っている。モッガラーナよ、汝は眠りに陥っている。」

尊者大目揵連白世尊曰：「唯然。世尊！」

> 尊い大目揵連尊者は世尊に申し上げました。「かしこまりました。世尊よ。」

佛復告曰：「大目揵連！如所相著睡眠，汝莫修彼相，亦莫廣布，如是睡眠便可得滅。若汝睡眠故不滅者，大目揵連！當隨本所聞法，隨而受持廣布誦習，如是睡眠便可得滅。若汝睡眠故不滅者，大目揵連！當隨本所聞法，隨而受持為他廣說，如是睡眠便可得滅。若汝睡眠故不滅者，大目揵連！當隨本所聞法，隨而受持、心念、心思，如是睡眠便可得滅。若汝睡眠故不滅者，大目揵連！當以兩手捫摸於耳，如是睡眠便可得滅。

> さらに仏はお告げになりました。「大目揵連よ。もし眠気に捉われているなら、その対象に心を留めず、また広くそれを行じてはならない。そうすれば眠りは消え去るだろう。それでも眠りが消えないなら、大目揵連よ。これまで聞いた法に従い、それを受持し、広く朗誦しなさい。そうすれば眠りは消え去るだろう。それでも眠りが消えないなら、大目揵連よ。これまで聞いた法に従い、それを受持し、他のために広く説きなさい。そうすれば眠りは消え去るだろう。それでも眠りが消えないなら、大目揵連よ。これまで聞いた法に従い、それを受持し、心に念じ、心に思惟しなさい。そうすれば眠りは消え去るだろう。それでも眠りが消えないなら、大目揵連よ。両手で耳を揉みなさい。そうすれば眠りは消え去るだろう。」

「若汝睡眠故不滅者，大目揵連！當以冷水澡洗面目及灑身體，如是睡眠便可得滅。若汝睡眠故不滅者，大目揵連！當從室出，外觀四方，瞻視星宿，如是睡眠便可得滅。若汝睡眠故不滅者，大目揵連！當從室出，而至屋頭，露地經行，守護諸根，心安在內，於後前想，如是睡眠便可得滅。若汝睡眠故不滅者，大目揵連！當捨經行道，至經行道頭，敷尼師檀，結跏趺坐，如是睡眠便可得滅。若汝睡眠故不滅者，大目揵連！當還入室，四疊優多羅僧以敷床上，襞僧伽梨作枕，右脇而臥，足足相累，心作明想，立正念正智，常欲起想。

> もしあなたが眠気のままで、それを消し去ることができないなら、大目揵連よ、その時は冷水で顔を洗い、体に水をかけなさい。そうすれば、眠気は消えるでしょう。もしそれでも眠気が消えないなら、大目揵連よ、部屋から出て、外を見渡し、四方を眺め、星々を見上げなさい。そうすれば、眠気は消えるでしょう。もしそれでも眠気が消えないなら、大目揵連よ、部屋を出て、屋根の上に出て、露地を経行しなさい。諸々の感覚を守り、心を内に落ち着け、前後の感覚に注意を向けなさい。そうすれば、眠気は消えるでしょう。もしそれでも眠気が消えないなら、大目揵連よ、経行をやめて、経行の道の端に坐具を敷き、結跏趺坐を組みなさい。そうすれば、眠気は消えるでしょう。もしそれでも眠気が消えないなら、大目揵連よ、再び部屋に入り、上衣を四つに折って寝床の上に敷き、大衣を畳んで枕とし、右脇を下にして横たわり、足を重ね、心に明るいイメージを持ち、正念と正智を保ち、常に起きる意志を持ちなさい。

「大目揵連！莫計床樂眠臥安快，莫貪財利，莫著名譽。所以者何？我說一切法不可與會，亦說與會。大目揵連！我說何法不可與會？大目揵連！若道俗法共合會者，我說此法不可與會。大目揵連！若道俗法共合會者，便多有所說，若多有所說者，則便有調，若有調者，便心不息。大目揵連！若心不息者，便心離定。大目揵連！是故我說不可與會。大目揵連！我說何法可與共會？大目揵連！彼無事處，我說此法可與共會，山林樹下空安靜處，高巖石室寂無音聲，遠離，無惡，無有人民，隨順宴坐。大目揵連！我說此法可與共會。

> マハー・モッガラーナよ、ベッドでの快適さや眠りの安らぎを求めてはならない。財産や利益に執着してはならず、名声や評価を追い求めてはならない。なぜなら、如来は『すべてのものと交わるべきではない』とも説き、また『交わるべきである』とも説くからだ。 マハー・モッガラーナよ、如来が『交わるべきではない』と説いたものは何か。出家と在家が共に交わること、これを如来は『交わるべきではない』と説く。なぜなら、出家と在家が交われば、多くの話し合いが生じる。多くの話し合いが生じれば、そこには心の動揺が起こる。心の動揺が起これば、心は静まらない。心が静まらなければ、心は禅定から遠ざかる。ゆえに、如来は『交わるべきではない』と説くのである。 マハー・モッガラーナよ、では如来が『交わるべきである』と説いたものは何か。それは、煩わしさのない場所、すなわち山林の木陰、空しく静かな場所、高い岩の上の静かな石窟、音のない静寂、人里離れた悪しきもののない場所、人のいないところで、静かに坐禅を組むことである。これを、如来は『交わるべきである』と説くのである。

「大目揵連！汝若入村行乞食者，當以厭利，厭供養、恭敬，汝若於利、供養、恭敬心作厭已，便入村乞食。大目揵連！莫以高大意入村乞食。所以者何？諸長者家有如是事，比丘來乞食，令長者不作意，比丘便作是念：『誰壞我長者家？所以者何？我入長者家，長者不作意。』因是生憂，因憂生調，因調生心不息，因心不息，心便離定。大目揵連！汝說法時莫以諍說，若諍說者，便多有所說，因多說故，則便生調，因生調故，便心不息，因心不息故，便心離定。大目揵連！汝說法時莫強，說法如師子。大目揵連！汝說法時，下意說法，捨力、滅力、破壞於力，當以不強，說法如師子。大目揵連！當學如是。」

> 「大目健連よ、村々に托鉢に出かけるときには、利得や供養、尊敬に対して厭離の心を持ちなさい。それらに対して心に嫌悪を抱いてから、村で托鉢するようにしなさい。大目健連よ、傲慢な心で村に托鉢に入ってはいけません。なぜなら、長者の家々では次のようなことがあるからです。比丘が托鉢に来ても、長者が心を向けないことがあります。すると比丘はこう考えます。『いったい誰が私の長者の家を台無しにしたのか？なぜなら、私が長者の家に入っているのに、長者が心を向けないからだ』と。そこから憂いが生じ、憂いから心の動揺が生じ、動揺から心が静まらず、心が静まらないために、心は定から遠ざかってしまうのです。 大目健連よ、あなたが説法するときには、争うような言い方をしてはいけません。もし争うような言い方をすれば、多くの言葉が出てきます。多くの言葉があるために、心の動揺が生じ、心の動揺があるために、心が静まらず、心が静まらないために、心は定から遠ざかってしまうのです。 大目健連よ、あなたが説法するときには、獅子のように力強く説法してはいけません。大目健連よ、あなたが説法するときには、心を低くして説法しなさい。力を捨て、力を滅し、力を打ち砕いて、力強くない方法で、獅子のように説法しなさい。大目健連よ、このように学びなさい。」

爾時，尊者大目揵連即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白曰：「世尊！云何比丘得至究竟，究竟白淨、究竟梵行、究竟梵行訖？」

> その時、尊者マハーモッガラーナ（大目揵連）は座を立ち、衣を片方の肩にかけ、合掌して仏に向かい、こう申し上げました。「世尊よ、どのようにして比丘は究極に至り、究極の清浄、究極の梵行、究極の梵行の完成を達成するのでしょうか。」

世尊告曰：「大目揵連！比丘若覺樂、覺苦、覺不苦不樂者，彼此覺觀無常、觀興衰、觀斷、觀無欲、觀滅、觀捨。彼此覺觀無常、觀興衰、觀斷、觀無欲、觀滅、觀捨已，不受此世；因不受世已，便不疲勞；因不疲勞已，便般涅槃，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。大目揵連！如是比丘得至究竟，究竟白淨、究竟梵行、究竟梵行訖。」

> 世尊はお告げになりました。「大目揵連よ、比丘が楽を感じ、苦を感じ、あるいは苦でも楽でもないものを感じるとき、その感じは無常であると観察し、盛衰を観察し、断つべきものと観察し、欲を離れるべきものと観察し、滅するものと観察し、捨てるべきものと観察する。このように観察したならば、彼はこの世に執着しない。執着しないがゆえに疲れ悩むことがなく、疲れ悩むことがないゆえに涅槃に入る。すなわち、生は尽き、清らかな行いは完成し、為すべきことはなし遂げられ、再び生存を受けることはないと、ありのままに知る。大目揵連よ、このように比丘は究極に達し、究極の清らかさ、究極の清らかな行い、究極の清らかな行いの完成に至るのである。」

佛說如是。尊者大目揵連聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏はこのようにお説きになりました。尊者の大目犍連は、仏の教えを聞いて、歓喜し、誠にその通りに行いました。

長老上尊睡眠經第十二竟千一百三十七字

> 長老と尊い方々のための眠りの経　第十二　終わり <note>千百三十七字</note>

## 中阿含經卷第二十七千八百九字第二小土城誦

> 中阿含経 巻第二十