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title: "中阿含經 · 84 無刺經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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## 中阿含經卷第二十一

> 中阿含経　第二十一巻

東晉罽賓三藏瞿曇僧伽提婆譯

> 東晋・罽賓三蔵・瞿曇僧伽提婆 訳

### （八四）中阿含長壽王品無刺經第十三第二小土城誦

> （八四）中阿含 長寿王品 無刺経 第十三

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊鞞舍離，在獼猴江邊高樓臺觀。此諸名德、長老上尊、大弟子等，謂遮羅、優簸遮羅、賢善、賢患、無患、耶舍上稱，如是比諸名德、長老上尊、大弟子等，亦遊鞞舍離獼猴江邊高樓臺觀，並皆近佛葉屋邊住。

> ある時、仏陀はヴァイシャーリー（鞞舍離）を訪れ、猿の川のほとりにある高楼の見晴らし台におられた。 また、数々の名高い、徳の高い長老や大いなる弟子たち――すなわち、チャーラ（遮羅）、ウパチャーラ（優簸遮羅）、カリヤーナ（賢善）、カリヤーナサパ（賢患）、アサパ（無患）、そして高名なヤシャ（耶舍上称）といった修行者たちも――同じくヴァイシャーリーの猿の川のほとりにある高楼の見晴らし台を訪れ、みな仏陀の葉屋（草庵）の近くに滞在していた。

諸鞞舍離麗掣聞世尊遊鞞舍離獼猴江邊高樓臺觀，便作是念：「我等寧可作大如意足，作王威德，高聲唱傳，出鞞舍離，往詣佛所供養禮事。」

> ヴァイシャーリーの市民たちは、世尊がヴァイシャーリーのサル河畔にある高台の見晴らし台で滞在されていると聞き、こう思いました。「我々は、大いなる神通力をもち、王の威光として、声高に唱え伝えながら、ヴァイシャーリーを出でて、仏のもとに赴き、供養し礼拝しようではないか。」

時，諸名德、長老上尊、大弟子等，聞諸鞞舍離麗掣作大如意足，作王威德，高聲唱傳，出鞞舍離，來詣佛所供養禮事，便作是念：「禪以聲為刺，世尊亦說禪以聲為刺，我等寧可往詣牛角娑羅林，在彼無亂，遠離獨住，閑居靜處，宴坐思惟。」於是，諸名德、長老上尊、大弟子等，往詣牛角娑羅林，在彼無亂，遠離獨住，閑居靜處，宴坐思惟。

> その時、多くの徳高い長老や高僧、大いなる弟子たちは、ヴェーサーリーのリッチャヴィたちが大きな神通力と王の威光をもって、高声に告げ知らせながらヴェーサーリーを出て、仏のもとに来て供養し礼拝しているのを聞いて、こう思った。 「禅定にとって声は障りである。世尊もまた『禅定にとって声は障りである』と説かれた。それならば、我々は牛角娑羅林（ゴーシンガ・サーラ林）に行こう。そこには騒乱がなく、離れて独り住み、閑かに静かな場所で、静坐して思惟しよう。」 そこで、多くの徳高い長老や高僧、大いなる弟子たちは、牛角娑羅林へと向かい、その地で騒乱なく、離れて独り住み、閑かに静かな場所で、静坐して思惟した。

爾時，眾多鞞舍離麗掣作大如意足，作王威德，高聲唱傳，出鞞舍離，往詣佛所供養禮事。或有鞞舍離麗掣，稽首佛足，却坐一面，或有與佛共相問訊，却坐一面，或有叉手向佛，却坐一面，或有遙見佛已，默然而坐。

> その時、ヴェーサーリーの多くの人有財長者たちは、大きな神通力を発揮し、王者の威光を示しながら、大声で歌い呼ばわりつつ、ヴェーサーリーの町を出て、仏陀のもとへと向かい、供養と礼拝を行いました。 あるヴェーサーリーの人有財長者たちは、仏陀の足に頭を触れて礼拝し、その後、片隅に座りました。ある者は仏陀と互いに挨拶を交わし、それから片隅に座りました。ある者は合掌して仏陀に向かい、片隅に座りました。また、遠くから仏陀を見て、黙って座った者もいました。

彼時，眾多鞞舍離麗掣各坐已定，世尊為彼說法，勸發渴仰，成就歡喜，無量方便為彼說法，勸發渴仰，成就歡喜已，默然而住。於是，眾多鞞舍離麗掣，世尊為彼說法，勸發渴仰，成就歡喜已，即從坐起，稽首佛足，繞三匝而去。

> その時、ヴァイシャーリーの多くのリッチャヴィたちが席に着くと、世尊は彼らに教えを説き、深い敬慕の心を起こさせ、歓喜を得させました。様々な方法を用いて教えを説き、彼らを励まし、歓喜させた後、世尊は静かに坐られたままでした。そこで、ヴァイシャーリーの多くのリッチャヴィたちは、世尊から教えを聞き、深く敬い喜んだ後、皆立ち上がり、仏の御足に頭を垂れて礼拝し、三度右繞してから退出しました。

鞞舍離麗掣去後不久。於是，世尊問諸比丘：「諸長老上尊、大弟子等為至何許？」

> 毘舎離を去ってから間もなく、世尊は比丘たちに問われた。「長老方や尊い方々、大いなる弟子たちは、今どこにいるのか。」

諸比丘白曰：「世尊！諸長老上尊、大弟子等，聞諸鞞舍離麗掣作大如意足，作王威德，高聲唱傳，出鞞舍離，來詣佛所供養禮事，便作是念：『禪以聲為刺，世尊亦說禪以聲為刺。我等寧可往詣牛角娑羅林，在彼無亂，遠離獨住，閑居靜處，宴坐思惟。』世尊！諸長老上尊、大弟子等共往詣彼。」

> ある時、比丘たちは仏陀にこう申し上げた。「世尊よ。長老方や高徳の大弟子たちは、ヴァイシャーリーの住民たちが大きな神通力を示し、王のような威厳をもって高声に唱えながら、ヴァイシャーリーを出て仏陀のもとへ供養と礼拝に赴くのを聞き、こう考えました。『瞑想には声が障りとなる。世尊もまた、瞑想には声が障りとなると説かれた。ならば私たちは、牛角娑羅林に行き、そこでは乱れることなく、遠く離れて独り住み、閑かな場所で静かに坐り、思惟に専念しよう。』世尊よ。そのようにして、長老方や高徳の大弟子たちは、共にその林へと向かいました。」

於是，世尊聞已嘆曰：「善哉！善哉！若長老上尊、大弟子等應如是說：『禪以聲為刺，世尊亦說禪以聲為刺。』所以者何？我實如是說，禪有刺，持戒者以犯戒為刺，護諸根者以嚴飾身為刺，修習惡露者以淨相為刺，修習慈心者以恚為刺，離酒者以飲酒為刺，梵行者以見女色為刺。入初禪者以聲為刺，入第二禪者以覺觀為刺，入第三禪者以喜為刺，入第四禪者以入息出息為刺，入空處者以色想為刺，入識處者以空處想為刺，入無所有處者以識處想為刺，入無想處者以無所有處想為刺，入想知滅定者以想知為刺。

> そこで、世尊はこれを聞いて、「善い哉、善い哉。長老・上尊・大弟子らはこのように説くべきである。『禅には声が刺となる。世尊もまた、禅には声が刺となると説かれる。』」と称嘆された。 「なぜなら、私はまさにこのように説いているからである。禅には刺がある。すなわち、戒を保つ者にとっては戒を破ることが刺であり、諸根を守る者にとっては身を飾ることが刺であり、不浄観を修する者にとっては清らかな相が刺であり、慈心を修する者にとっては怒りが刺であり、酒を絶つ者にとっては飲酒が刺であり、梵行を修する者にとっては女色を見ることが刺である。 初禅に入る者にとっては声が刺であり、第二禅に入る者にとっては尋と伺が刺であり、第三禅に入る者にとっては喜びが刺であり、第四禅に入る者にとっては息の出入りが刺である。 空無辺処に入る者にとっては色の想いが刺であり、識無辺処に入る者にとっては空無辺処の想いが刺であり、無所有処に入る者にとっては識無辺処の想いが刺であり、非想非非想処に入る者にとっては無所有処の想いが刺である。 想受滅定に入る者にとっては、想いと感受が刺である。」

「復次，有三刺：欲刺、恚刺、愚癡之刺。此三刺者，漏盡阿羅訶已斷、已知，拔絕根本，滅不復生，是為阿羅訶無刺、阿羅訶離刺、阿羅訶無刺離刺。」

> さらに、三つの刺（とげ）がある。欲望の刺、怒りの刺、無知の刺である。この三つの刺は、煩悩を滅し尽くした阿羅漢（完全な悟りに達した者）によってすでに断たれ、知り尽くされ、根本から抜き去られ、消え去って再び生じることがない。このゆえに、阿羅漢には刺がなく、阿羅漢は刺を離れ、阿羅漢は刺がなく刺を離れた存在なのである。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

無刺經第十三竟八百三十五字

> 『無刺経』第十三章（おわり）